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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2111件

プロフィール| 書評

No.471 7点 燃える水
河合莞爾
(2019/02/02 01:03登録)
(ネタバレなし)
 アジア系企業の参入によって、手酷い損益を出した大企業・王島電機は大規模なリストラを敢行した。名ばかりの役職・係長補佐として日々の碌をはんでいた40歳の庶務課社員・平原晴弘は会社を追われるが、10歳年下の愛妻・春陽(はるひ)の応援のもと、中堅の電機メーカー「ソルケィア」の人事スタッフの正社員として再就職が叶った。だが社長の花園大蔵から受けた最初の大きな仕事は、先の自分と同様にリストラ勧告を受けている男女3人の社員を円満に退社させること。当該の社員たちと会社の意向を何とか折り合わせようと苦慮する平原。だがそんな彼はそのさなか、先に自宅で頓死した社員・曾根直人と、くだんの3人の面々とがそれぞれ個々に関係があることに気付く。

 題名と序盤のプロローグからネタを割っているのでコレは書いてもいいだろうが、本作の大きなモチーフの一つは、ある条件下で発火する(普通の)水。世界中のエネルギー問題を根底からひっくり返す技術革命という主題を、当初は読者視線の遠景に置きながら、眼前のドラマはリストラサラリーマン・平原の再就職をめぐる悲喜劇にカメラの焦点を合わせていく。
 どこで物語が交わりどのような方向にストーリーが流れるのかが見えにくい分、あまり言葉を費やせない種類の作品。個人的には、最終的にどういうジャンルに落着するかという点まで含めて、とても面白かった。平明な文章が読みやすすぎて重みがないともいえるが、中身の方の密度感はしっかりある。
 ジャンルの分類は迷ったけれど、社会派ということで。決して声高に社会悪や世の中の不正を糾弾する内容じゃないけれどね、物語の基盤となる現実のある種のいびつさへの批判は大事な要素となっている。さらに(中略)でもあり、(中略)でもある、ジャンル越境作品。クロージングの気持ち良さも出色。


No.470 5点 猫たちの夜
ニコラス・フリーリング
(2019/02/01 17:17登録)
(ネタバレなし)
 1960年代前半のオランダ。海に近い街ブレメンダール・アーン・ゼーは、比較的富裕層の市民で賑わう界隈だった。そこにある夜、6人組の黒マスクの少年強盗団が出現。善良な中年夫婦の家に押し入り、金品を奪った上、奥方を輪姦して退去した。アムステルダム警察「青少年補導局」の局長ベルスマ警視はこの事件を重視し、年下の親友でもある練達の捜査官ファン・デル・ファルク主任警部を現地に派遣する。ファン・デル・ファルクは早々に被疑者の少年グループを見定めるが、彼はその背後にさらにまた別の存在を気取った。そんな中で、犯行当夜に犯人らしき少年の一人が漏らした一言「あのねこたちに気をつけろ」が留意され、そこから謎の集団「ねこ組」の影が浮かび上がるが…。

 1963年の英国作品。MWA長編賞を受賞した『雨の国の王者』(1966年)を含めて日本では4冊が翻訳されたフリーリング(&ファン・デル・ファルク主任警部シリーズ)だが、評者が読むのは今回が初めて(例によって本は購入してあるハズだが~汗~)。
 
 あらすじの通り本書は少年犯罪を主題にした警察小説だが、少年強盗団の黒幕的な人物は早々と出てくるし、「ねこ組」の素性も特にミステリ的な謎の興味に向かっていくものでもない。被疑者の少年たちの家族間を何回も行き来し、聞き込みを繰り返すファン・デル・ファルクの描写はいささか退屈を覚えないでもない。
 ただまあそんな少年の親たちや、ファン・デル・ファルクが接触して情報をもらう三十代の気の良い娼婦フェオドラなどのサブキャラは相応の存在感がある。さらにそれ以上に、意外に偽悪家? 的な内面を語るファン・デル・ファルクのキャラクターはちょっと面白かった。たとえば、太平洋戦争中、ドイツ軍人を攻撃することにマンハント的な快感を覚えたという本音の述懐とか、被疑者の息子に便宜をはかるよう求めて体を投げ出しかけてくる人妻に「こんな女は酔っぱらった船員三人に輪姦されてしまえばいい」と悪態を内心でつくところとか(笑)。アントニー・ギルバートのクルック弁護士に通じる、ヒネた人間味を実感させる。(一方で司法官としてはマジメで、家庭ではよき夫で父親だよ、この主人公。なかなか味があるね。)
 ちなみに以前に「ミステリマガジン」か「EQ」かどっかに訳載された海外ミステリ研究家のエッセイの中で「このファン・デル・ファルクは殉職シーンまでが書かれた数少ない名探偵である」という主旨の記述を読んだ記憶があるけど、実際のところどーなんだろう。当然、該当作品は未訳なんだろうけれど、機会があればちょっとその作品の翻訳を読んでみたい。
 
 それで肝心のストーリーは面白いようなつまらないような感じで読み進めたが、後半で「あるイベント」が起きてからは緊張感が増してそれなりに加速が掛かった。終盤まで読むと、犯罪そのものは本当になんということはないと実感するのだけれど、逆に言うとこの主題でよく最後はそこそこ盛り上げた、とちょっと感心した。とにもかくにも心に引っかかる、印象的なシーンや叙述は少なくないけど。

 ところでオランダって未成年にビールを飲ませるのはまだわかる(え!?)が、喫煙まで普通にオッケーなんですな。ファン・デル・ファルクが取調室で十代半ばの非行少年に当たり前にタバコを勧める図にはびっくりしたわ。21世紀の現代でもこんな感じなんだろうか。


No.469 6点 お前の彼女は二階で茹で死に
白井智之
(2019/01/31 13:51登録)
(ネタバレなし)
 連作短編集みたいだから、たぶん各話の事件は毎回刷新されるんだろ、だったら備忘メモ用の人物一覧表は作らなくていいか、と思いながら読み始めた。
 そしたらとんでもない、あまりの情報量の多さに、人物表の作成は必須。おかげで1話は、二回繰り返しながら読んだ。

 それでその連作短編集(全4本の連作中編集かな)だからこそ、長編を一冊まとめる以上に一本一本にきわどいネタと設定を用意しなければならなかった感じで、腹ごたえはもう十分。読み進めるにつれて推移していく登場人物たちの狂った関係性にもぶっとんだ。ただミステリとしては白井ワールドならこれくらいはやって当たり前だよね…という域に留まった印象もあるので、7点にしようか迷った末にこの評点。ゼータク言って、すみません(汗)。
 後半のエピソードでの、日本ミステリ史上四番煎じになる(もっとかもしれない)あのトリックを、殺人方法としてのやることは同じでも、こういう手段で実現できるんです、と実践したあたりはニヤリとしたが。


No.468 7点 モリアーティ秘録
キム・ニューマン
(2019/01/30 15:10登録)
(ネタバレなし)
 2009年。世界経済混乱のさなか、各国に支店を持つ巨大金融組織ボックス・ブラザーズ銀行が倒産する。その貸金庫の中から発見された英国の古い文書。それはヴィクトリア朝時代の犯罪界のナポレオン、ジェイムズ・モリアーティ教授との日々を綴ったその腹心セバスチャン・モラン大佐の回顧録であった。

 2011年作品。かの大傑作『ドラキュラ紀元』のキム・ニューマンによる、モリアーティ主役のパスティーシュ+例によってのオールスターものということで、読む前の期待値は限りなく高かった。それで結果は、さすがに『紀元』の奇蹟的な面白さには到底及ばないものの、その6~7割くらいは楽しめた。もちろんそれでも十分に秀作~優秀作の評価となる。

 本編はホームズ譚の原典(の中味、題名)を下敷きにしながら、全7章のクロニクルで構成。もともとは連作短編としてホームズファン向けのミステリ専門誌に発表したものを長編の仕様に再構成したそうで、その分、各編にバラエティ感があってそれぞれが面白い。
 自分を嘗めてかかる元教え子の天文学者をモリアーティがとんでもない作戦で破滅させる「いじわるじいさん」調の第3話に爆笑したかと思えば、かなり気合いの入った伝奇怪奇ミステリ風の第4話にゾクゾクし、第5話、第6話のようなこちらの期待に応えた、他の創作物から縦横無尽に客演させたオールスターもの(日本で1970年代に製作・公開された、某任侠映画のキャラクターまで名前が出てくる!)に血湧き肉躍る。

 ちなみにモリアーティの犯罪事業の大きな戦力となり、同時にその悪事の歴史の語り手(回顧録の全編を「俺」の一人称で紡いでいく)となる本作のモラン大佐だが、ちゃんと小説の主人公になっていて、この辺は作者ニューマンが今回のモランのポジションに託した「語り手としてのワトスンはどうあるべきか」という視座がうかがえるようで興味深い。
 それだけに最終章のクロージングには、ある種の屈折した感銘を覚えた。まあそれは良くも悪くもまっとう至極な小説のまとめ方で、『ドラキュラ紀元』のクライマックスのあの迫力(いかにして不死の魔王ドラキュラを大英帝国に君臨する頂点の座から引きずり下ろすかという、あっとなる奇策)にはとても及ばなかったけれど。ただ、こっちもさすがにあそこまでの傑作はそうそう読めないと思っていたから、まあいいのである。
(実際『紀元』の続編である『ドラキュラ戦記』はまあまあ、の出来。『ドラキュラ崩御』なんか途中で読むのを止めちゃったし。)

 なお訳者の述懐によると、本書『秘録』の原書の刊行直後から翻訳を出したいと企画を動かされたそうだけど、あまりに膨大な元ネタの考証のために7~8年もの今までの時間がかかったとのこと。これには本当に頭が下がる。ご苦労様でした。


No.467 6点 たとえば、君という裏切り
佐藤青南
(2019/01/27 16:58登録)
(ネタバレなし)
 このコンビによる二冊目。今回は小説本編三パート+エピローグという構成に独特の起伏感があり、それもあってあっという間に読める。実にリーダビリティは高い。
「この手の」作品の決まり事を丁寧に守ったために、いくつかの仕掛けは難なく露見してしまうが、手数の多い合わせ技はそれなりの成果を上げているのでは。
(ただし最終パート、某重要キャラをここでいっきにしっかり書き込まなければならない、構造上の必然からくるバランスの辛さは、感じないでもない。)
 好みにもよるかも知れないが、新刊で買ってもお値段分は楽しめるだろう。


No.466 6点 敵の選択
テッド・オールビュリー
(2019/01/27 13:19登録)
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦終盤の1945年6月。「わたし」こと英国の青年諜報員テッド・ベイリーは、対ソ連諜報作戦に関与。その最中に凄腕の敵諜報員「スパイ殺し中のスパイ殺し」ルイス・アレグザンダー・ベイカーによって二重スパイの冤罪を着せられかけた。どうにか窮地を脱して放免となり、戦後は広告業界で活躍していたベイリーだが、1960年代後半の今になって、戦時中の上官で現在は英国情報部に籍を置くジョー・スタイナーが彼に接触。旧敵ベイカーの目論む陰謀を打破する協力を求める。半ば強制的に作戦に参加させられたベイリーは、周囲の協力者の犠牲を払いながらも敵側の作戦を阻止しかけるが、そんなベイリーの前に意外な人物が出現。さらにその相手は、予想外の情報と提案をもたらした。

 1973年の英国作品。作者オールビュリーは80~90年代にかけて、日本にもそれなりの数の著作が翻訳紹介されたエスピオナージュ作家。評者は大昔に1~2冊くらい何か読んだような気もするが、もしかしたら本書が初読みかもしれない。昨年の秋、出先のブックオフで本書の文庫版を見かけ、懐かしい名前だと思って購入。昨日から今日にかけて読んだ。
 原書の刊行は前述通り70年代前半だが、作中で1919年生まれの主人公ベイリーが49歳と言っているので、物語は1968年前後の設定。軍事関連をふくめて世界中に浸透をはじめた時節の草創期のコンピューター技術も主題のひとつとなり、「ソフトウェアといっても柔らかい紙じゃないんですよ」といった主旨の説明を技術研究者の青年がベイリーにするのには笑った。当時の時代なりの技術革新の受容の過程を、ちょっと覗けるかもしれない。
 中盤からの二転三転する展開は作品の大きなキモで、その着地点を含めてもちろんここでは書けないが、良くも悪くもすごくスタンダードな前世紀のエスピオナージュを読まされた気分。結論からいえば、(旧作にしても)スパイ小説が全部が全部こういう作りじゃ困るが、しかし時々はこういう作品があってもいいだろうという思い。いや、直球的な玉の放り方は、キライではない。いろいろと良い意味で印象的なシーンもあったし。少なくともエスピオナージュに普遍的に求める人間ドラマ(というより本作の場合はキャラクタードラマだが)は提供してくれた。
 秀作に少し足りない佳作の上。


No.465 5点 静おばあちゃんと要介護探偵
中山七里
(2019/01/25 11:15登録)
(ネタバレなし)
 全5編の連作短編集。元判事・高遠寺静と名古屋の建築業界の大物・香月玄太郎という、既存の中山作品の別シリーズ主人公同士のクロスオーバー編。
 評者はどちらのキャラクターとも初対面だが、最後まで快いコンビぶりを見せてくれている。このあとそれぞれの単独主役編を読むと物足りなく思えるかもしれん。作者ひとりでやった、和製マローン&ウィザースか。
 
 物語の中身としては、高齢の主人公コンビの事件簿だけに老人問題の過酷さなどの主題も多く、ちょっと辛い面もないではない。ただし(劇中で何度も揶揄されるように)テレビ時代劇の主人公のごとく大暴れする玄太郎と、その脇を学園ドラマのクラス委員長的なポジションで固める静の絶妙な活躍もあって、一定の水準で心地よく楽しめる一冊にはなっている。
 ミステリのギミック的にはそんなに騒ぐほどのものもないが、第2話の準密室的なトリックは殺人実行時のビジュアルを考えると少し愉快。


No.464 6点 精神病院の殺人
ジョナサン・ラティマー
(2019/01/24 11:24登録)
(ネタバレなし)
 クレインが作中でデュパンの名を連呼したり、演繹的推理・消去法を語るあたりは、だからといってことさらミステリ的なギミックが増した訳ではないのだけれど、これって作者から編集者や読者に向けた「ハードボイルド(風)私立探偵小説を書け、読ませろ、というニーズだけど、自分はパズラー度の高い作品を書きたい(でもハードボイルド(風)私立探偵小説もちゃんとこなししますヨ)」という主張だったんだろうねえ。そんな気概のとおり、非常にまとまりの良い謎解きフーダニットになりました。
 殺人の動機の決め手となるある部分に関して、虚実を測る振幅の針が揺れ続けるあたりも、大設定の精神病院という舞台を機能させていて抜かりはない。

 ただ一編の一流半のパズラーとしての完成度はかなり高いと思うんだけど、一方で、のちのラティマー作品(とりあえず自分が読んだ分だけだけど)に普遍的に通底するどっか破格なハミ出した部分が希薄な感。そこがちょっと物足りない。その意味では、まだまだ一皮剥ける前の習作感もないではなかったり。
 登場人物の描き方は総じて早くも達者だね。入院患者やスタッフ連中の差別化したキャラ付けもさながら、本職の保安官である父親に随伴してやってくる息子クリフなんか、短い台詞回しでしっかり印象づけている。翻訳の演出もうまいのだろうけれど。 
 あと酒に対するクレインその他の登場人物の執着ぶりは、さすがに愉快。


No.463 5点 聖者が街にやって来た
宇佐美まこと
(2019/01/23 14:24登録)
(ネタバレなし)
 神奈川県の多摩川市。そこでは市民の結束と交流を題目にした、市主催のオリジナルストーリーのミュージカル劇「聖者が街にやって来た」が演じられることになる。名だたる演劇関係者が招聘されて企画が進む中、歓楽街に店舗を構える「フラワーショップ小谷」の一人娘で高校の演劇部に所属する小谷菫子(とうこ)は、そのミュージカルの準主演に選抜された。だが同じ頃、市の周囲では不審な死亡事件が続発。そしてその死体の周囲には常に何かの花弁が残されていた。
 
 作者・宇佐美まことはすでに十年以上もミステリ、ホラー分野で活躍。2017年には長編『愚者の毒』で日本推理作家協会賞も受賞しているバリバリの一線作家だが、どういうわけか本サイトではあまり読まれていないようである(といいつつ評者自身も、宇佐美作品を読むのは、本書でまだ二冊目なのだが~汗~)。
 神奈川県の架空の都市・多摩川市を舞台に、少女ヒロインの菫子のみならず、その母親で未亡人の桜子、彼女たち母子の周辺人物、さらに……と、多様な主要キャラの動向をほぼ並列的に語ってていく作劇。青春ストーリーから心に傷を負った大人たちの過去ドラマ、ヤバそうな事件の匂い、と話のネタはいっぱい。それをほぼ一定のテンションでだれることなく読ませていく筆力は、安定感がある。
 ミステリ的にはミッシングリンクの大ネタがキモの一つなんだろうけれど、結構あからさまに正直に、かねてより布石的な叙述を設けているので、あんまし真相にインパクトはない。最後の意外な犯人も、物語の流れからして読者に推理させる種類のものではないし、さらに重要キャラのその人が終盤の手前頃にいくぶん描写の比重が軽くなるので、あーこれは逆説的に、クライマックスでこの人が大役(つまり犯人役)を授かるのだな、と予見させてしまう。
 仕掛けの数はそれなりに多いんだけど、全体的に直球で正直すぎる感じ。

 ただまあ、自分で前にちょっとだけ読んだものも含めて、宇佐美作品ってもっと際どくてエグい感じかとも思っていたので、意外に本作はやさしい、猥雑なキナ臭さの中にもヒューマンドラマ的な味付けがあるのは悪くなかった。
 一冊の読み物ミステリとして、費やした時間分は普通に楽しめる佳作。


No.462 7点 あやかしの裏通り
ポール・アルテ
(2019/01/22 13:35登録)
(ネタバレなし)
「消える裏通り」という大ネタに「その向こうは××××の世界」という味付けまで加えるサービス精神はとても嬉しい。さすがに謎の解明はしょぼいものだろうと思っていたら、そっちはそこそこの手応えがあった。
 とはいえ確かに、ここまでの大仕掛けの手間は作中のリアルで考えるなら、(中略)にとってかなり割に合わない作業でしょうね。

 カーを敬愛する一方でクリスティーを愛読していたという作者の素養は、本編を読むとよく実感できる。推理というより小説の組み立てで真犯人が見え見えなのもどこかクリスティーに似て無くもないが、全体としては手数の多さで十分に楽しめた。フィニッシング・ストロークも気が利いていてニヤリ。

 翻訳は総じて読みやすかったが、ワトスン役のアキレスの地の文での一人称「ぼく」が序盤の一部だけ「わたし」になっているのは素人臭いミス。助詞の脱字も目に付いた。インディーズ出版さん、応援してますので編集も頑張ってください。次作も楽しみにしております。


No.461 5点 あしたのジョーばらあど
正木亜都
(2019/01/21 20:45登録)
(ネタバレなし)
 1980年代半ば。300万部の発行部数を誇る少年向けの劇画週刊誌「ボーイズ・コミック」は、弱冠23歳の若手劇画家・矢吹徹の超人気作品『ゴッド・アーム』を看板タイトルとしていた。1960年代から人気を博した青春ボクシング漫画の名作『あしたのジョー』に薫陶を受けた矢吹(本名・小野寺孫一)は元放送作家の大谷貴彦の原作を得て『ゴッド・アーム』を大ヒットさせ、年収5億円を稼いでいたが、一方であっという間に出版界の寵児となった彼は自分の行動に歯止めも利かず、周囲に敵も多かった。そんな矢吹がある日、洋上の自分のヨット上で惨殺される。警視庁の塙鶴太郎警部補と亀石三郎部長刑事は矢吹殺害事件の捜査に乗り出すが。

 『あしたのジョー』『巨人の星』『タイガーマスク』そのほか多数の名作の原作者・梶原一騎が、その実弟でやはり劇画原作者の真樹日佐夫(代表作『ワル』ほか)と合作し、正木亜都(まさきあつ)の筆名で書下ろした長編ミステリ。正木亜都名義の作品としては三冊目の長編となる。この題名から分かるとおり、もちろん物語は、梶原自身の原作作品(高森朝雄名義・ちばてつや作画)の『あしたのジョー』がモチーフ。メインキャラクターで被害者となる矢吹のペンネームは、当然ながら劇中でもあなたが思ったとおりのネーミングでつくられている。
(ちなみにこの「矢吹徹」の筆名って、現実でもアニメ演出家の出﨑統氏がアニメ『侍ジャイアンツ』第一話の絵コンテを切る時に使っている。)

 漫画&アニメ版の『あしたのジョー』ファンで、梶原一騎の凄絶かつ繊細な経歴に以前から関心のある筆者のような読者には複雑な思いを抱かせそうな内容であり、そのうちいつか目を通そうと考えていた一冊だが、思い立って今回読んでみる。

 それでまあミステリとしては一応は犯人捜しのフーダニットだが、手がかりは後から出てくるわ、実は……の意外な人間関係は筋運びに倣う感じで明かされるわ、で、あんまり誉めるところはない。事件のややこしくなった状況と、物的証拠となるアイテムのミスディレクションだけはちょっとだけ面白いかもしれないけれど。
 一方で風俗小説というか、劇画出版界を舞台にした情報小説的な方面は流石にそれなりにみっちり書き込まれている。あろうことか、現実に傷害事件を起こし、その直後に大病で入院することになった大騒ぎの渦中の梶原一騎自身も、ちゃんと本人の役割で(実名は出ず「『あしたのジョー』の原作者」とか「男」とかそういう叙述で語られる)登場する。この辺のメタ的な趣向はちょっぴり楽しい。
 さらに60年代の『ジョー』も『巨人の星』も漫画単体としては大ヒット作品で今なお世代を超えて読み継がれる大名作ながら、一方でその時期にはテレビゲームそのほかのマーチャンダイジング商法文化が円熟しておらず、時代が早すぎた、本当ならもっと儲けられたんだ、というルサンチマンも匂ってきそうな叙述など下世話に面白い。原作者・大谷のシナリオをあくまで踏み台にしかしない作画担当・矢吹の描写も、かねてよりのもろもろの梶原ロマンの愛読者には複雑な思いを抱かせる。
 まー、見方によっては、よくもまあ、原作者自らあの『あしたのジョー』をこれだけネタにしてくれたもんだ、という気がしないでもない一方、自作に込める作者自身の、あまりに複雑で大きな思いまで感じさせる面もあり、そういう意味では一筋縄でいかない作品。
 まあ梶原ファンなら一回くらいは読んでおいて、何かを感じてくれてもいいかもしれない。そんな一冊ではある。

 ちなみにあとがきというか解説は、東京ムービー(現トムスエンタテインメント)の創設者で、日本アニメ界に名を残す傑物・藤岡豊が、梶原一騎との交流を語る形で執筆。こっちもその種のファンにはなかなか興味深い。
 ところでこの藤岡豊の解説で初めて知ったのだが、梶原兄弟のこのペンネーム「正木亜都(まさきあつ)」って、「正気のあと(狂奔が静まった後)」の意味だったそうで、ちょっと驚いた。自分は長らく「マーシャルアーツ」が元かと思っていたので。


No.460 5点 死の実況放送をお茶の間へ
パット・マガー
(2019/01/20 03:37登録)
 実はマガー作品は、こないだの『不条理な殺人』が初読み。本書が二冊目。肝心の初期5冊は、ぶらっく選書の『怖るべき娘達』を初めとして大昔から購入しておきながら、十年単位でずっと積ん読という、我ながら呆れた経歴だったのだ(笑・汗)。
 
 つーわけで最近、オズオズと読んだ、2018年の新刊として邦訳されたマガー作品二冊のうちの片方ですが、これはトータルとしてはまあまあでないかと。
 肝心の殺人がなかなか起こらず、そこに行くまでの1950年代テレビ局の現場描写もそんなに面白くはない。もうちょっと、当時なりの放送文化への興味を満たす新鮮な情報をもらえるのかと思っていたら、作者は悪い意味で登場人物の配置の方で勝負しようとしている感じ。もっとテレビ局の内幕という舞台設定を活かした読みどころが欲しかった。
 ミステリとしての真相や犯人も、二つ目の事件が生じたところで概ね察しはつくし、実際にソレで当たり。素人探偵役のキャラクターも、なぜ彼の推理を警察側が比較的スムーズに聞こうとするのか、ちょっと違和感を抱いた。

 ただまあ、伏線のうちのひとつ、犯人のある行動を解析する探偵役の思考はなかなか秀逸。犯人捜しよりも、『コロンボ』などの倒叙もので探偵役がドヤ顔で指摘しそうな、犯人側のうっかりであった。
 あとは主人公ヒロインとボーイフレンドのじれったいラブコメ模様が、ちょっぴり読み手の興味を牽引する。エロ抜きの社会人女性向けの恋愛レディスコミックみたいな味わいなんだけど。

 で、自分は前述のとおりマガーの技巧的な初期5作はまだ未読なんだけど、とにもかくにも、もう未訳の中にはその手のテクニカルなものは残ってないみたいね。
 初めからそう分かっているなら、今後もし邦訳があったとしてもそれはそれで気楽に付き合える。
 個人的には、むかしミステリマガジンなどに何編か紹介された、女性スパイ、セレナ・ミードものの連作短編がまとめて読みたいな。論創さん、創元さん、ひとつそっちの方向でのご検討を、お願いします。


No.459 6点 絵里奈の消滅
香納諒一
(2019/01/17 16:36登録)
(ネタバレなし)
 「私」こと元刑事の私立探偵・鬼束啓一郎は、自分がかつて警察時代に逮捕した元・窃盗犯の「牛ヤス」こと牛沼康男から連絡を受ける。だが牛沼は相談の仔細を語らないうちに、河川で死体で見つかった。牛沼の周囲を探った鬼束は、彼が自分の娘「絵里奈」の行方を探してほしかったのだと認め、故人のために調査を始める。だが関係者の証言や遺品から事件は膨らみ、鬼束の前には予想外の真実が露わになっていく。

 2018年の新作で、作者の2010年の作品『熱愛』の主人公・鬼束啓一郎が8年振りに復活した長編。とはいえ評者は香納作品は初読である。ネットでの評判をどっかで見て良さげだと思って手にした一冊だが、実は本作がシリーズものということを、劇中のそれらしい描写で初めて察し、改めてwebで確認した。

 結論から言うと、予想以上に良い意味で昭和の国産ハードボイルド私立探偵小説臭を感じる作品でかなり面白かった。登場人物の描き分けも明快な一方、余計な脇役までに過剰な叙述を設けない筆致もリーダビリティが高い。その一方で主人公・鬼束のワイズクラックや皮肉、内省も巧妙なテンポで随所に織り込まれ、一人称私立探偵小説としての形質的にも申し分ない。
 まあ鬼束が実質的に無償で調査を進めたり、有益な協力者がめっぽう多いあたりの描写は、気になる人は気になるかもしれないが、前者は頼み事を置いていってしまった死者との関係にきちんとケジメをつけておきたい当人のキャラクタ-だろうし、後者は探偵としての人となりを含めた人脈&機動力の発露である。個人的にはおおむねオッケー。

 事件の中心となる当該の人々の関係図がややっこしい面もないではないが、ロスマクのガチガチの親の因果が子に報いもの辺りにくらべれば、まだマシであろう。できれば登場人物のメモを作った方がいいかもしれないが。
 終盤、鬼束とある登場人物との対峙のなかで、ああ、本作はこれが言いたかった、やりたかったんだろうな、というのが明確に見えてくるのは好感を抱く(ミステリとしての謎の真相の方ではなく)。
 ジャンル作品としては古式でかなり直球な主題かもしれないが、私的には、21世紀の今もちゃんとこういうメッセージを放ってくれる作者と作品があることにちょっとホッとする。
 そのウチ『熱愛』も読んでみます。かなり評判いいみたいだし。


No.458 5点 霧に棲む鬼
角田喜久雄
(2019/01/16 04:18登録)
(ネタバレなし)
 恋人だったはずの男に体と金を奪われて棄てられた若い娘・桂木美沙子。その夜、彼女はアパートの自室で自殺を考えるが、そこに町田という男が追っ手に追われて駆け込んできた。美沙子は成り行きで、彼を匿う。翌朝、迷惑をかけたと謝罪して退去する町田から頼まれ、美沙子は彼が持っていた箱を預かった。美沙子は後刻、それを町田から言いつかった場所に持参するが、そんな彼女は次第に、自分の本当の素性「高遠美沙子」に関わる陰謀に巻き込まれていく。

 中島河太郎の「推理小説事典」によると、1950年に八社連合系新聞(連携する当時の地方新聞8紙の意味か)に連載されたサスペンススリラーらしい。
 角田作品としては前年の『黄昏の悪魔』に連なる<薄幸の若い女性主人公がなぜか次々と理不尽なひどい目に遭う物語>の系譜。
 さらにどこかのwebのレビューで<本作はくだんの『黄昏』とほとんど同一プロット>とかなんとかいう記述を見たような記憶があるので、それってホントかなと気になって、読んでみた。今回は、1976年の青樹社の再刊版(たぶん同じ出版社の1965年の書籍の新装版)で読了。

 しかし本作『霧に』の現物を読んでみると<幸福がとびこんできたシンデレラ的な立場の主人公ヒロインが、その周囲に集まる複数の人物の悪意や策謀によってしつこく苦しめられる>という主題こそ『黄昏』と同一だが、実際には犯罪の構造や全体のキャラクタ-シフト、さらには肝心のヒロインの作劇上のポジションなどかなり異同があり、決して同一プロットとかリメイクとかいう出来のものではない。せいぜい姉妹編という感じで、他の作家の作品で例えるならウールリッチの『黒衣の花嫁』と『喪服のランデヴー』くらいに、大枠としては同じであり実態としては違っている。特に本作ではメインヒロインに続く準ヒロイン的なキャラクタ-や、前作とは趣の異なる犯意を秘めたキーパーソンが登場しており、その分、結構、味わいが異なるように思えた。

 読者をとにかく退屈させないため、作者が話を恣意的に転がす通俗スリラーなので、劇中で複数回起きる殺人事件に関してフーダニット的な興味は薄いし、さらに終盤で、ある人物の意外な素顔が判明するのは良いのだが、それだったら遡って前の方の叙述はどうなの? と言いたくなるようなこなれの悪さもある。ただ一方、後半のベクトルが明確な展開は、読み進むにしたがって物語がゴタゴタしてきた『黄昏』よりはスッキリしているし、何より本作独自の趣向として用意された某キャラクターの歪んだ情念は、ちょっとインパクトがある。あまり多くを期待しなければ、そこそこ面白い昭和スリラーだろう。

 ちなみにこの青樹社版には、巻末に二つの短編『喪服の女』と『髭を描く鬼』を併録。『喪服~』は紙幅の割に込み入った話だが、一見、無関係に羅列されているように見える事件の交錯ぶり、次第に明らかになってくる物語の全貌などなかなか読ませる。
 『髭~』は長編『高木家の惨劇』などでおなじみの加賀美捜査一課長もので、富豪の殺人現場周辺の複数の絵画や写真にしつこく描き込まれたヒゲの謎を推理の興味とするもの。クイーンの某短編を想起するネタだが、もちろん解決は別もの。ホワイダニットとしては、ちょっと面白いところを狙っているかもしれない。いずれにしろ本書(青樹社版)はメインの長編より、このオマケの短編二本の方がミステリとしての密度感はある。


No.457 7点 殺人の仮面
ブレット・ハリデイ
(2019/01/07 01:51登録)
(ネタバレなし)
 その年の7月。マイアミの私立探偵マイケル・シェーンは愛する若妻フィリスとともに、ロッキー山脈周辺の鉱山街セントラル・シティを休暇旅行で訪ねる。街は年に一度のイベントである演劇祭の最中で、観光客で賑わっていた。そんな中、シェーンは偶然、旧友であるニューヨークの刑事パトリック(パット)・ケイシーや不仲の賭博師ブライアントなど、面識のある何人かと遭遇。一方で、シェーンの勇名を聞き及んでいた若き女優ノラ・カースンから、何やら相談事を持ちかけられかける。だがノラは本題に入る前に、10年前に生き別れた老父を目撃したとしてその場を退去。やがてくだんの老鉱山師「左巻きのピート」が惨殺された死体で見つかった。シェーンは成り行きからフィリスやパットとともに地元の捜査に協力するが、事態は思わぬ連続殺人事件へと発展し……。

 1943年のアメリカ作品で、マイケル・シェーンシリーズの長編第7作目。
 世代人のハードボイルド私立探偵小説ファンには周知の通り、シェーンシリーズは、作者ハリディが1939年の第1作『死の配当』を著したのち、1958年までに長編29本(と何作かの中短編)を執筆。そののち、別の作家たちが「ブレット・ハリディ」のハウスネームで40本以上の公式パスティーシュ的な長編その他を執筆したという。日本ではその正編といえる長編29作品のうち、17本分が訳出されている。
 それでポケミス801番にナンバリングされる本書『殺人の仮面』は、現在のところ一番最後に訳出されたシェーンものの作品。同時に実はこの長編は、シリーズ第1作でシェーンに窮地を救われた薄幸のお嬢様(キャラクター的にすごく可愛い)で、その後、彼の愛妻かつ相棒の秘書となったシリーズ初期からのレギュラーヒロイン、フィリスがまともに活躍した最後の作品でもあった(フィリスは、未訳の第8長編「Blood on the Black Market」の中で(あるいはその直後の時勢で)、シェーンの子供を出産する際、母子ともども死亡したらしい~涙~)。
 しかし英国のニコラス・ブレイクのナイジェル・ストレンジウェイズの愛妻ジョージアの戦死事実もそうだが、なんでこの時期(太平洋戦争の後半)に当時の人気中堅ミステリ作家漣はこういう悲劇設定をシリーズに持ち込んだのか。それこそ世界大戦という大量死の中で、自作フィクションの主人公のみが愛妻とともに安穏としていることに書き手としての引け目があったのか? 

 そもそも日本に紹介されたシェーンシリーズの長編17本は、新ヒロインの二代目秘書ルーシー・ハミルトン登場以降のものがなぜか大半で、フィリス登場編はわずか3長編のみ。
 いや、ルーシーも十分に魅力的なキャラなんだけど、フィリス編の方も第二長編の「The Private Practice of Michael Shayne」そして肝心の退場編? 「Blood on the Black Market(ちなみにこの作品、ポケミスでは「暗黒街の血痕」という仮題タイトルで紹介されたこともあり、その暫定的な邦題の響きもかっこいい)」などは、是非とも翻訳刊行してほしかったとつくづく思う…。
 21世紀の今からでも、どっかからか出ないかしら(と、論創社の方を見る)。

 ……というわけで大昔の一時期、『死の配当』ほかの諸作でシェーンシリーズに思い入れた自分のような読者(既約の作品でまだまだ読んでないのもいくつかあるが~汗~)にとっては、本作『殺人の仮面』は
①これでシェーンシリーズの翻訳が打ち止めになった
②数少ない貴重なフィリス登場編
③しかも原書の流れでも、たぶん最後のまともなフィリス活躍編
……などなどの事由から相応に特別感のある一編だったのだが、ここで思い立ってようやく読んでみた。
 
 しかし約160頁と短めの作品(シェーンシリーズは総じて短めだが)ながら、これがフーダニット(そして……)の謎解きミステリとしても存外に出来がいい(嬉)。シェーンが連続殺人事件の状況を整理し、容疑者それぞれの動機と犯行の機会の可能性を検証していく段取りの丁寧さもさながら、作品全体にかなり大きな(中略)トリックが用意されていて、プロットの練り込みの良さを実感する。終盤、関係者を一堂に集めての名探偵シェーンの謎解きも外連味十分で嬉しい。
 犯人側に(中略)や(中略)などの要素が組み込まれるのは抵抗がある人もいるかもしれないが、個人的にはそれを上回る得点要素として(中略)という面白い趣向があるので、本作はまずこの部分だけでも高い評価をしたくなる(細かい部分での誉めるポイントも結構多いハズ)。普通にパズラーとしての結晶度も高いのではないか。
 もちろん(今回は大きな活躍こそしないものの)内助の功としてシェーンを支えるフィリスの描写も魅力的(夫の旧友であるパットとの息のあった掛け合いなども微笑ましい)。
 こうなるとシェーンシリーズの既訳の未読作品も、また楽しめそうである。
 まあ実はこのシリーズ、意外に隠れたファンは多い感じだけどね。
(だから出しませんか。未訳の作品。)


No.456 8点 白昼の曲がり角
島内透
(2019/01/03 15:36登録)
(ネタバレなし)
 東京オリンピックを目前に控えた1960年代。江戸橋に事務所を持つ私立探偵・北村樟一(しょういち)は、ある日、岩田という中年男に出合う。何となく胸襟を開き合う二人だったが、その岩田は何らかの罪科で3年間の服役を終えたばかりだった。その二日後、北村は岩田から仕事の依頼を持ちかけられるが、当初はその内容はまだ未詳であった。一方、北村の元には、東京の中央郵便局の私書箱を介した別の匿名の依頼人から、一人の少女の動向を半日だけ探ってほしいという、速達の文書での奇妙な依頼がある。後者の依頼には消極的な北村だったが、彼は結局は文面に指示されていた少女を尾行。北村はいくつかの予期せぬ事態を経て、思わぬ殺人事件に遭遇することになる……。

 1964年にカッパノベルスから刊行された書下ろし長編。中島河太郎の「推理小説事典」などによると、作者・島内透は、1960年に処女長編『悪との契約』でデビュー。1961年の長編第二作『白いめまい』が秀作として反響を呼び、出世作となった。ややマイナーながら国産ハードボイルドミステリ黎明期の歴史を少しでも探究すれば、すぐに名前が出てくる重要な作家の一人のはずである。
 それゆえ島内作品はそのうちいつか読んでおかなければと思いながら、例によって大昔から本を集めたまま、実際に著作を手にするのは今回が初めてだった(汗・この本も大昔に買ってあって、自宅内の存在すら忘れてた)。
 でもって、かの『白いめまい』も家のどっかにあるはずなれど、先に目についたこちらから読み始めたが……しまった! 本作の主人公の私立探偵・北村樟一は先にその『白いめまい』でデビューしており、こっちはその北村の事件簿の第二作だった(その後のシリーズの流れはまだよく知らない)。登場作品数がそんなに多くなさそうなら、順番に読みたかった。

 結局、まあいいや、と思って、そのまま読んでしまったが……うん、これは予想以上に秀作~傑作。『長いお別れ』風に開幕し、事件はロスマクっぽく人間関係の綾で錯綜、主人公の北村の冷えた行動とその裏にあるやさしさはマーロウみたい……と、頭の悪い物言い(汗)だが、わかりやすく言うとそんな話(笑)。
 しかし後半3分の1,読者に事件の奥をあえてわざと先読みさせながら、それでも二転三転させる展開、意外性の提示のし方など非常にスリリングである。作品の形質としてもミステリとしてこの事件と物語を語るなら必然的にハードボイルド私立探偵小説に行き着かねばならなかったというような説得力もあり、その辺の腰の据わった感じも素晴らしい。題名の「曲がり角」はそのまま人生の選択肢、岐路の含意だが、逆説的に、自らの意志で行動を選んでいるようで過去の呪縛から逃れられない切なさや苦さ、そしてその一方でそんなハードルを意識もせずに飛び越えてしまうある種の人間のしたたかさ、その双方に抜かりなく作者の視線は向けられている。
 本作の主題のひとつはそんな「曲がり角」そして北村と岩田の間の奇妙な? 友情だが、さらにもう一つ……できればこれは、カッパノベルス版裏表紙の解説(作者の思い)を実際に読んでほしい。確かに作者は「そのポイント」に力点を置いたんだろうなあ、という出来である。
 語られざる? 優秀作~傑作として自分だけが読んでいればいいや、という我が儘な思い(笑)と、文庫で復刊されて昭和ハードボイルドの名作として21世紀の新旧のミステリファンに広く知られてほしい、そんな願いが相半ばする作品。
 さて『白いめまい』はこれを上回るか? はたして、向こうが『本陣』、こっちが『獄門島』かもしれんけどな。


No.455 5点 死者の入江
カトリーヌ・アルレー
(2019/01/02 02:28登録)
(ネタバレなし)
 取り立てて美人ではないが悪い器量でもない処女のパリジャンヌ、アンドレは、社会的に成功した年の離れた男性で同じ名前のアンドレの熱烈な求婚を受けて結婚した。それから10年、今は夫から「アダ」の名で呼ばれる人妻アンドレ=アダは、いつしか精神に疲れを感じていた。アダは病院での治療を受けた後、夫の勧めで彼が購入したブルターニュの閑寂な別荘に赴き、夏の間、夫婦で静養することになる。だが仕事の関係で二日間だけパリに戻るという夫を見送ったアダだが、そんな彼女の周囲で怪事件が頻発する。

 1959年のフランス作品。『わらの女(藁の女)』に続くアルレーの長編第三作で、リアルタイムでは実質2~3日の物語。短いし、幕数の少ない舞台劇のように登場人物も多くない。どういう物語の構造かも当初から読めるし、中盤のサプライズでかえって読者の確信はさらに固まっていく。この辺を分かりきったオチと切って捨てるか、見え見えの話なのになかなか読ませるととるかで評価は変わるが、個人的には今回は後者。ラストのツイストも小粋で良い。いかにもフランスミステリっぽい小品で、水準作~佳作。


No.454 7点 スタイルズ荘の怪事件
アガサ・クリスティー
(2019/01/01 20:15登録)
(ネタバレなし)
 1920年作品。言うまでも無くポアロのデビュー作。
 大晦日~元旦の年越しなので、何か自分の読書歴的にもミステリ史的にもマイルストーンといえる一冊を……と思い、何十年も前に古本で購入したままだった1957年刊行のポケミス版を手に取った(その後、ブックオフでHM文庫版も買ってあるハズだが)。今のファンにはとても信じられないだろうが、これがソコソコ入手しにくい時期もあったんです(創元文庫版が70年代半ばに再版される前ね)。
 ちなみに初読である。これまで読まなかったのは、本作の最大の大ネタである犯人の○○○○○~というのをどっかで事前に教えられていて、興が薄かったため。

 おかげでやっぱり犯人は途中でバレてしまったが、毒薬に詳しいクリスティーらしい熱気ある叙述、意外に(でもないか……)しっかり書き込まれた法廷ミステリ的な興味、そしてのちの作者自身の代表作のひとつの原型的なトリック……と盛りだくさんである。 
 あと手紙の現物を掲載してそこに意味をもたせるギミックは、見方によってはホイートリー&リンクスの「捜査ファイル・ミステリー」シリーズの先駆だよね。
 ちなみにポケミスの解説では、都筑道夫がこの作品のトリック(前述の○○○○○~のことだろう)は今(昭和32年当時)ではメジャーになってしまったが、本作こそが先駆である、と声高に弁護している。厳密に本作以前の前例がないのかは未詳だが(『アクロイド』だってアレやアレがあるし)、もし事実なら確かに見事な創意だろう。演出がやや甘いところも感じるが、個人的には当時の時勢に戻って得点的に評価したい。
 クリスティ再読さんの、クリスティー作品をある程度読んでからの方が楽しめるというのには頗る共感。nukkamさんの高評も理解できる。

 勢い? というかノリで(中略)しちゃうヘイスティングスも、その彼から時々狂ったようになるんですと言われているポアロも愛おしい(笑)。あと本作でポアロが話題にしている、彼が動員したという十人の素人探偵。どういうキャラクターだったのだろうか。のちの事件簿に何人か登場していたような協力者たちが該当するのか。


No.453 7点 日曜日は埋葬しない
フレッド・カサック
(2018/12/31 17:13登録)
(ネタバレなし)
 今日初めて読み始めてそのまま読了。

 大昔に読んだ同じ作者の『殺人交叉点』は自分のミステリ遍歴での原体験のひとつで、同じような思いの人も多かろう。
 だからある意味で殿堂入りしてしまっているそっちと、今になってようやっと初めて読んだ本作との単純な比較はしにくいのだが、あえて言えば、実のところ、本作の方が面白かった気がする(笑)。
 Amazonなんかのレビューでは、21世紀の今では(中略)という人もいるのだが、自分の場合はここまできっちりした「フランスミステリ」になってるとは思ってなかったので(後略)。

 あとね、『殺人交叉点』に無くって本作にあるものは、物語の大設定を受けた人間への諦観。108頁以降、ストーリーの流れの上ではあそこの場面から物語が急転するツイストとして機能しているけど、そういう文芸というか人間観こそが本作の核をなす主題でもある。そしてさらにその上で、本作は結晶感の高い秀作ミステリだった。
 人間って本当に(ふたたび後略)。

■注:ポケミスの訳者あとがきは強烈なまでのネタバレ。絶対に! 読まないように。自分は助かりました(安堵)。


No.452 5点 ノアの箱舟殺人事件
池田得太郎
(2018/12/31 12:19登録)
(ネタバレなし)
 1970年代の半ば。工業高校の英語教師で古代伝説のアマチュア研究家でもある磯村久雄(36歳)は休みを利用し、トルコに向かう。目的はノアの箱舟伝説で有名なアララト山への探訪だったが、現地で彼は自分によく似た顔の日系アメリカ人、ライアン・ハントと出合う。故あって磯村はライアンの素性に自分との運命的な奇縁を感じるが、そのライアンは何者かによってアララト山の麓の小屋で殺害された。だが被害者は、米国でなく当人の写真が貼られた別名のパキスタン政府発行のパスポートを所持していた。現地のイラン人運転手ナザル・シャーを協力者として契約し、ライアンの遺骨を届ける目的でアンカラのパキスタン大使館に向かう磯村。やがて彼の前には予想外の事件の構図が広がっていく。

 角川書店の「野性時代」1976年4月号に一挙掲載されたのち、加筆されて光文社のカッパ・ノベルスから刊行された長編。現時点でAmazonにも登録はないが、昭和51年10月20日初版。本文は約260頁。
 作者・池田得太郎は1958年に純文学畑でデビュー。処女作『家畜小屋』が三島由紀夫に絶賛されたが、本業はサラリーマン生活だったため作品数は多くない。しばらく沈黙したのち書かれた本作は「作家としての存在を賭けた野心作」(元版の裏表紙より)だったが、少なくともその後の著作はこの名義では刊行されていないようである。これがミステリとしても唯一の作品となる。なんか先日、ヤフオクの競りで妙に地味に盛り上がっていたようなので、気になって借りて読んでみた。

 文庫化もされていないマイナーな作品で、ネタ的にも当時のオカルトブームを背景にノアの箱舟伝説を主題にしたキワモノっぽいが、内容の方は前述のように筆力を秘めた作家の作品らしく、なかなか骨っぽさは感じる。冷戦終末期の時代を背景に、舞台となる中東諸国のエキゾチックな描写、ノアの箱舟伝説についての(たぶん当時としてはそれなりに書き込まれた)知見、そして武器あまりの東西の大国が旧式の武器を処分するため中東諸国に争いの火種を撒き、武器を売りつけようとする反吐の出そうな陰謀(なんかアンブラー風だ)などなど、物語の設定から広がっていく要素を縦横に取り込んでおり、その辺のまとまりの良さは達者。あとネタバレになるので書けないが、主人公の過去にもからむ現代文明レベルの大きな主題もある。
 この手の作品としては存外に登場人物が少なく、名前が出るキャラクターだけで15人弱。その分、話の流れは読者をあまり振り落とすこともなく読みやすいが、一方で作中のリアルとして少し偶然すぎる部分が目に付いたり、実はあの人が……のパターンがちょっと鼻についたりもする。
 ミステリ的にはこの作品タイトルの割にフーダニットの要素は薄いし、謎解き犯人捜しとしての興味で読むものでもない。ただいくつかのサプライズはちゃんと作者の計算的に設けられており、全体としては基本マジメな作風に退屈しなければそれなりに楽しめるかもしれない。作者の目線に基づく方向でのまとまりは感じる作品だが、ミステリとしての華がもうひとつ無いのは弱点。

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