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ミステリの祭典

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オペレーション/敵中突破
「千の顔を持つ男」アール・ドレーク

作家 ダン・J・マーロウ
出版日1973年01月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 人並由真
(2019/09/26 16:53登録)
(ネタバレなし)
「おれ」こと、変装の名人の犯罪者アール・ドレーク。彼は時折、米国の秘密機関「ワシントン作戦部」の要員カール・エリクソンの依頼で、表沙汰に出来ない政府の作戦にも協力していた。今回、ナッソーに乗り込んだドレークとエリクソンは裏社会の集団「組織」から機密の書類を奪取するが、逃走の最中にエリクソンはドレークを庇う形で、別件から地元の警察に捕まってしまう。ナッソーでの旧知のギャンブラー、キャンディ・ケーンとその恋人チェン・イーに一時的に身を匿ってもらったドレークは、母国アメリカにいったん帰国。「組織」の追撃がエリクソンに及ぶ前に、彼の救出をワシントンの関係者に要請しようとするが、接触した相手の反応は、揃って冷ややかだった。ドレークは自分の恋人で、エリクソンとも旧知である美貌の未亡人ヘイゼル・アンドリューズの支援のもと、独力でエリクソンの救出を図る。

 1971年のアメリカ作品。ダン・J・マーロウの看板シリーズで「千の顔を持つ男ドレーク」シリーズの第三作目(日本では本作から紹介)。
 作者マーロウは、21世紀の日本では完全に忘れられた作家だと思うが、このドレークシリーズの一篇で、MWAペーパーバック賞を受賞。さらにあのスティーヴン・キングも、かの『コロラド・キッド』(読みたいぞ)の巻頭で献辞を捧げているらしい。
 
 評者はこのたび別の本を探しに書庫に行ったら、今回レビューしたこのポケミスにたまたま遭遇。そういえばコレ、昔「ミステリマガジン」の読者欄「響きと怒り」に投稿が載った際、献本でもらった一冊だったんだよなあ、しかし当時はそんなに興味も湧かない作品だったのでウン十年も放って置いたんだよなあ……と、いろんな思い出が甦ってきた(笑)。
 それでちょっと気になってwebで検索したら、マーロウは、キングの評価する、またはリスペクトする作家という前述の情報が判明。じゃあ読んでみるかと、頁をめくり始めた。

 でまあ、感想だが、内容はとりたてて秀作とも傑作とも思わないものの、それなりに面白い。
 調べたところ主人公アール・ドレークのデビューは1969年で、政府の秘密作戦に協力する犯罪者ヒーローという設定は、60年代スパイブーム(シェル・スコットやらエド・ヌーンまでもそちらに傾いた)の余波プラス「悪党パーカー」のヒットの影響、その辺のミキシングだと思うが、この作品『敵中突破』の場合は、戦友のエリクソン(かつてドレーク、ヘイゼルの3人で、ともに死線をくぐり抜けた仲でもあるらしい)を助けようと本気の友情と義侠心から懸命になって奔走するものの、しょせんおまえは外注の非合法応援要員という扱いで、政府筋からはまともな応対も得られない。中盤の部分はかなりその辺の描写に費やされ、正直、活劇アクションとしてはどうにもスカッとしない流れではあるものの、作中のリアリティとしてはそういう事態もあるであろう事をつきつめる意味で、読み手のこっちにはなかなか興味深い。
 そんなセミプロ工作員の情けなさが、物語の後半の反撃のスプリングボードとなるわけで、全体のラスト3分の1の展開はかなりコンデンスでスピーディだが、これはこれでよかったとは思う。

 ただ不満が二つあり、ひとつは敵対する「組織」の強大さがさほど演出されていないこと、あとは物語の序盤でドレークとエリクソンが狙った書類の素性が最後まで明かされずに終ること。
 もちろん後者に関しては作劇上の扱いは単なるマクガフィンの小道具なんだから曖昧に終ってもいいのだが、少なくとも作中で

おれ(ドレーク)「結局、あの書類はナンなんだ?」
エリクソン「……それについては聞かない方がお互いのためだ」
おれ「そうだな」

くらいの叙述はあって良かっただろう。そうすれば小説的な凄みも出ただろうに(まあ、すでに何回もこの手の任務はこなしてるんだから、いまさら何も言わない同士なのも、ソレはそれで、リアルではあるのだが)。

 全体に過剰なほどにベッドシーン&明るいセックス描写が多いのは、この時期の読み物アクションミステリらしい。

 2~3時間で読み終えられる佳作。ただこの一冊だけだと、キングがどこに引っかかったのかは今ひとつ見えない。キングが推薦しているという『ゲームの名は死』(もともとは別の主人公として出版されたが、ドレークシリーズのヒットを前提に、主人公をドレークに改訂した作品。翻訳はドレーク主人公版)の方を、そのうち読んでみようか。 

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