慈悲の猶予 別題『殺人者の烙印』 |
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作家 | パトリシア・ハイスミス |
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出版日 | 1966年01月 |
平均点 | 7.33点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | レッドキング | |
(2024/11/16 23:37登録) 夢想家で神経質な作家の夫と天衣無縫な画家気取りの妻。アーチスト夫婦の甘い生活が、倦怠と焦燥に囚われた日常となり、やがて、夫の妻殺害夢想と妻のカケオチ家出へと至る。官憲・隣人・知人の殺人疑惑視線に対して、半ば狂った自己陶酔から、容疑払拭どころか偽装自演さえする男。ミステリをグロテスクに屈折させた倒錯サスペンスだが、意外にも面白く。 |
No.2 | 8点 | 空 | |
(2021/01/08 23:08登録) 『見知らぬ乗客』も『太陽がいっぱい』も、いやあ本当におもしろいですねと言いたくなる映画でしたが、その原作者の小説は、今回初めて読んでみたのでした。で、その小説はやはり本当におもしろいものでした。まあ本作は、実際には家出した妻を殺したのではないかと疑われる作家を描いた心理サスペンスですので、あまり映画向きではないかもしれません。 読んだ創元版訳者あとがきには、本作は初めて邦訳されたハイスミス長編で、原題 “A Suspension of Mercy” の翻訳として「慈悲の猶予」は不適切だったので『殺人者の烙印』に改題したことが書かれていますが、その部分で結末をほとんど明かしてしまっているのは問題です。 ところで主人公が「アルハンゲリスクを訪れる」ことを考えるシーンが最初の方にあるのですが、これ、たぶん同じ妻殺し疑惑テーマを深刻に扱ったシムノンの『妻のための嘘』(原題直訳:アルハンゲリスクから来た小男)を踏まえているのではないでしょうか。 |
No.1 | 8点 | 人並由真 | |
(2019/10/05 03:41登録) (ネタバレなし) ロンドンから離れたサフォーク州。29歳のアメリカ人で全く売れなかった著書一冊だけが実績の若手作家シドニー(シド)・スミス・バートルビィは、アマチュア画家の英国人で26歳の妻アリシアと、人家の少ない田舎に暮らす。シドニーは相棒の文筆家アレックス・ポーク=ファラディとその妻ヒッティとは親交があるが、他の主な付き合いは少し離れた隣家に越してきた73歳の未亡人グレース・リリパックスだけだった。創作活動が不順なシドニーは脳裏に浮かぶ観念を弄び、妻アリシアを諍いの果てに殺す状況までひそかに夢想。死体の始末の手順まで妄想し、それすらも自分の創作の肥しにしていた。そんななか、アリシアは現実にシドニーと衝突して家を出ていくが、やがてバートルビィ家の周囲には、あの家の旦那が奥さんを殺して死体を始末したのでは!? という噂が流れ始める。 1965年のイギリス作品。1950~60年代前半には、二大名作映画『太陽がいっぱい』と『見知らぬ乗客』の原作者として、日本にも名前のみ知られていた英国の異才女流作家パトリシア・ハイスミス。その長編作品は、本作をもって初めて本邦に紹介された(ハヤカワ・ノヴェルズ版)。 実際には犯していない妻殺しなのに、主人公のシドニーが理不尽な嫌疑を周囲から向けられた結果、窮地に……というのなら、ごく普通の巻き込まれ型サスペンススリラーだが、さすがハイスミス、そんな凡百のストーリーなんか書きはしない。 メインヒロインであるアリシアの採った行動は徹頭徹尾フツーだが、一方で男性主人公のシドニーの方は、ほんの少し常人より想像力が豊かで、精神がタフで、そしていささか歪んだレベルに悪戯っぽいため、本来なら事態の「受け」の立場のはずなのに「攻め」の側にまわってゆく。 あまり詳しくは書けないが、多くの読者の心の闇を刺激し、一方でどうしても良識の枠内から逃れられない「健全」な読者を置いてきぼりにするか、または嫌悪感を抱かせる。これはそんな作品だ。評者? ええ、もちろん大いに(中略)。 ラストはどう着地するかとハラハラしたが、そこはそこ、この作者ハイスミス、実にまっとうに(後略)。 文句なしの優秀作。人間の悪意と残酷さ、そして切なさと弱さを語りながら、それでも随所にユーモアが漂う全体の小説的な品格も実に良い。いずれにしろ、個人的には今まで読んだハイスミスの長編のなかで、さりげなくベストワンになってしまうかもしれない。 ちなみに本作(の邦訳)は元版の『慈悲の猶予』と後年の創元推理文庫版の『殺人者の烙印』の二つがあるわけだけど(訳文は同じ深町真理子女史のものを使用。たぶん文庫版の方が多少の改訂がされているとは思う)、個人的には後者『殺人者の烙印』のタイトルはあまりにまんますぎてちょっとなあ……である。どういう事象の物語なのかすぐわかるという意味ではいいけれど、主人公シドニー視点からすればこの邦題じゃ……(中略)。 一方で『慈悲の猶予』の方は言葉の響きではすごくイイし、なかなか意味ありげでステキなのだが、実際の本文でその字句が登場する箇所を確認すると結構ピンポイントな用法であった(汗)。少なくともこの邦題は、物語全体の流れや主題に被さるものではない。 これだけのいい作品なんだから、いつかまた別の版元か叢書で再刊の機会でもあったら、もっと物語の奥深さを暗示した、新たな第三の邦題をつけてほしいもので。 |