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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2111件

プロフィール| 書評

No.551 6点 きんきら屋敷の花嫁
添田小萩
(2019/05/19 04:10登録)
(ネタバレなし)
 「わたし」こと、銀行の窓口で働いていた27歳の派遣社員の知花(ちか)は見合い結婚で、金融会社を経営する飯森家の長男・時生と結ばれる。都会から離れた飯森家に嫁ぎ、夫の両親そして親族一党内の実権者らしい老女「大おばさん」と5人での同居生活を始める知花。だが飯森家には時生の妹・奈々子とその夫の圭史を初めとして多くの親戚の出入りが始終あり、その一方で親戚以外の人間は極力排他されていた。やがてほぼ平穏な数ヶ月の日々が過ぎ、知花が飯森家の生活になじんだ頃、彼女は義母の時枝から森の奥に行き、あるものを持ち帰るようにと指示を受ける……。

 第8回「幽」怪談文学賞・長編部門特別賞受賞作品。角川ホラー文庫のレーベルで刊行された200頁弱の紙幅の作品(裏表紙には「きんきらゴシック・ロマンス」とある。きんきらの意味はナイショだ)だが、ホラーというよりは現代のおとぎ話+長編仕様の「奇妙な味」と言った趣の内容。ヒロイン(主人公)が森から「こういうもの」を持ってくるとは思わなかった。
 面白かったが、一種の寓意性もあるようで、その意味では怖さよりも人間の(中略)を見つめるしみじみとした情感も授かったような気もする。まああとからじわじわと恐怖が生じてくるタイプの作品かもしれないが。
 なお本書の巻末の周辺に選考委員達の講評と一緒に、賞に応募時の仮題が掲載されているが、その仮題(タイトル)を見るとちょっと内容のネタバレになる可能性もある? ので、出来れば読み終わるまでその辺は見ない方がいいかもしれない。


No.550 7点 のっぽのドロレス
マイクル・アヴァロン
(2019/05/19 03:45登録)
(ネタバレなし)
 「おれ」ことニューヨークに事務所を構える不景気な私立探偵エド・ヌーンは、191㎝の身長の大女ドロレス(ドロレス・エーンズリイ)の依頼を受ける。その内容は同じサーカスの芸人で婚約者でもある、彼女以上の長身のロデオ乗りハリー・ハンターの行方を探してほしいというものだった。だがヌーンが調査を開始するや否や、知り合いの警察内の情報屋を通じて当のハリーが死体で発見されたという事実が判明する。ヌーンはドロレスのいるホテルに赴くが、そこで彼はまた死体に遭遇。ドロレスは借りていた部屋から姿を消し、ヌーンは殺人事件の容疑者となるが。

 1953年のアメリカ作品。50年代のアメリカ軽ハードボイルド(および準正統派ハードボイルド)は、ホームズのライヴァル時代に匹敵するくらいにきら星のごとくレギュラー探偵キャラクター(主に私立探偵)が登場した。
 そんな中で他の探偵キャラに抜きん出て人気を博すために重要だった要素のひとつはわかりやすいキーワードだったろう。「元私立探偵のルンペン」「アル中」「妻を寝取られ」からカート・キャノンが、「赤毛」「コニャック」「マイアミ」からマイケル・シェーンが、「銀髪」「刀傷」「元海兵隊」からシェル・スコット……そのほかもろもろが世代人に連想されるのは、「正体不明」「紐の結び目」から隅の老人が、「盲目」「指先の感覚」「超人的な記憶力の従僕」からマックス・カラドスがすぐ思い起こされるのと一緒だね。そういう意味じゃエド・ヌーンは当時の私立探偵キャラとしては特に目だった記号的なキーワードも備えておらず、地味すぎる。50年代軽ハードボイルド界のマーティン・ヒューイットか。
 そういう訳で<(原書でも翻訳でも)読んだ人の評判はいい>というウワサを聞きながらこれまで手を出さなかったエド・ヌーンものだが、このたび蔵書を引っかき回していたらシリーズ第1作である本作が出てきたので、購入してからからウン十年目にして初めて読んでみる。

 ……いや、なかなか面白いではないの。正直前半は50年代軽ハードボイルドの定石を良くも悪くも踏んでいるような展開だが、中盤でミステリ的な大技(中技かもしれん)を見せると同時に、正統派ハードボイルドの心意気にぐっと近づき(まあその辺は実はこの時点では、主人公ヌーンよりも別のキャラの描写に感じられたのだが)、加えて後半、筋立てのベクトルが明確になってからはさらに物語に加速感が増してくる。
 ちなみに多分これは本作と「ソッチ」の作品の双方を読んでわかることだからネタバレにならないとは思うけど、その中盤のキモとなるミステリ的な趣向はのちに70年代後半に開幕するアメリカの某人気ミステリシリーズに影響を与えているような気がする。同じシリーズ第1作目でこれは……というには暗合が過ぎると思うので。
 
 なお後半のツイストに関しては、kanamoriさんのレビューでバラされてしまった(kanamoriさんは曖昧に書かれたおつもりのようですが、アレではちょっと……)のがいささか残念。まあ素で読んでもわかったかもしれない、児童向けクイズなみの判じ物ではありましたが(それでも警戒される人は、kanamoriさんのレビューを読まない方がいいです)。
 それで本作のラストはミステリ的にどうのこうののネタバレはしませんが、予想外にやせ我慢・ハードボイルドの精神に富んでいてスキ。

 改めて言うけど最後まで一冊読んでも主人公ヌーン自身には、記号的なポイントとなるキャラクター性って希薄なんだよな。ただしヌーンが私立探偵主人公として魅力がないかというと決してそんなことはない。ちゃんと良い意味でのセオリーとしていろいろやるべきことはやっているし、譲れない職業倫理の線引きも心得てもいる。ただまあ、あの供給過剰時代にあって、この(表面的な意味での)キャラの薄さはやっぱり弱かったと思うねえ。セックス描写というかエッチ描写&お色気シーンも一応は用意されているものの、カーター・ブラウンみたいなニヤリとさせるコミカルさはなく全般的にどっかお上品だし。そういう意味では中途半端な面もなくはない。
 ただしそんな一方で、職人ミステリ作家らしいサービス感も随所に提示してるし、日本で翻訳が二冊で終ったのは今さらながらにもったいなかった。
 いや今までまったく応援の旗を振りもしないで、そんなことを言えた義理じゃないんだけど(汗)。


No.549 5点 野望の猟犬
三好徹
(2019/05/16 19:57登録)
(ネタバレなし)
 四半世紀にわたって永田町の裏も表も見続けてきた、業界紙(タブロイド紙)「政界新報」の発行人にして編集主幹である60歳の太刀川。そんな彼は「槍の太刀川」の異名で斯界では一目置かれていた。現在の政界新報は、半官半民の大手電気会社「電力資源」が計画した北アルプスの大型ダム工事に建築界の不正入札があった疑惑に迫っていた。だが同社の社内で太刀川が射殺され、しかもその殺害されたはずの時間には、周囲にいるはずの犯人の姿が確認されない不可思議な状況だった。政界新報の若手記者・福地健介は太刀川の死の真相を追うが、やがて何物かが太刀川が公開しかけた新聞記事を闇に葬った痕跡が明らかになってくる。
 
 昭和期の政界の黒い霧に切り込んだ社会派ミステリ。1960年代半ば、建築界の東京オリンピック景気が一段落して、70年代初頭の列島改造ブームが来る前の時節の作品である。小説内の記述(作者の取材)が正確なら、もうこの60年代半ばの時点で国内に大型ダムを造る場所は開発しつくされていたそうで、これはひとつ勉強になった。
 物語の3分の1を過ぎたあたりから、青年主人公・健介からの視点を主体に、太刀川の殺害事件を追う警視庁の捜査陣の描写を随所にまじえた立体的な展開になるが、そのなかで、絶対に外部に漏れないハズのとある建設会社の入札提示額がどのように漏洩したかという一種のハウダニットの謎も提示され、なかなか読み応えがある。扱う主題に沿ったメッセージ性の強い作品ながら、最後はちゃんと太刀川殺害の謎についてフーダニットとハウダニットの興味を満足させているのは一応の評価。

 難点は登場人物が多すぎて読みにくい(その分、事件の構造もくどい感じがする)、さらに中盤の健介の出張取材時の回想など、時間の推移が読み取りにくい(どうしても時勢的に行ったり来たりをしたいのなら、章ごとの最初に日付を入れてほしかった)……といった辺りが、ちょっとキツイところ。ラストも当時の大人向けの小説っぽい苦みを狙ったんだろうと思うけれど、今これをやったら単なる厨二的な照れ隠しだよね。
 あとこないだ読んだ佐野洋の『再婚旅行』もそうだったんだけれど、どうしてこう新聞記者出身の昭和期の作家の長編って、登場人物の描写が簡素というかそっけない(ビジュアル的に体格がどうとか、日焼けしてるとかそうでないとか書かない)んだろ。本作も全部が全部というわけではないけれど、かなりの登場人物の叙述がそんな感じである(特に前半から中盤にかけて)。まあ通例の新聞記事なんてズバリ、人物の情報は名前・素性・年齢だけ書けばいいのだろうが。


No.548 6点 裏切りの空
ハーマン・ウォーク
(2019/05/16 03:01登録)
(ネタバレなし)
 1944年8月6日。歴戦の戦闘機乗りである海軍中尉ウィラード(ウィル)・フランシス・スラッタリーは、自分が操縦する戦闘機で日本軍の軽巡洋艦サガコを撃沈するが、その手柄を卑劣な上官ラインハルト中佐に横取りされる。すっかり海軍に嫌気がさし、愛国心も失ったスラッタリーは、戦後はホテルマンを経て製菓企業の経営者であるミルン老人に雇われ、小型機の貨物パイロットを務めていた。そんなスラッタリーを慕うのは、ミルンの秘書かつ折衝役の娘ドロレス(ドロー)・グリーブズ。スラッタリーはぬるま湯的な状況の中に居心地の良さを感じていたが、ある夜、戦時中の無二の戦友フェリックス・ホブスン(ホビー)に再会。彼は現在も海軍に所属して気象観測チームに従事し、しかもその上官はかのラインハルトであった。さらに事態をややこしくすることに、スラッタリーはホブスンの愛妻であるラテン系美女の歌姫アギーに惹かれてしまう。かたやアギーもまた夫を愛しながらも、男臭いスラッタリーに魅せられていく。そんななか、ホブスンの気象観測チームの調査対象の海域に、未曾有の規模の巨大ハリケーンが発生しようとしていた。
 
 解説によると1948年に書下ろされた米国作品だが、本書巻頭のコピーライトは1956年になっている。作者ハーマン・ウォークは『ケイン号の叛乱』『戦争の嵐』の二大メジャー作品で日本でも著名だが、本作は20世紀フォックスのリチャード・ウィドマーク、ヴェロニカ・レイク主演映画の企画のためにそのウォークが当初から映像化を見越して著述した作品らしい。
 邦訳版の帯にも巻末の解説にも「航空冒険小説」と銘打ってあるが、実際にその興味で読むと高空を舞台にした冒険要素はそんなに多くなく(航空シーンそのものはそれなりにあるが)、むしろメインキャラ4人の男女の愛情四角関係とパイロット同士の友情ドラマの方で読者の興味を引っ張る作り。肝心の映画は日本未公開のようで評者も未見だが、たぶん出来ていたものは飛行機のシーンよりも人間ドラマに重きを置いた作りになっていたと思える。
 1950年代のアメリカ庶民派っぽいモラリティとメロドラマの方は心地よいが、一方で、マトモな手柄を立てた主人公ではなく小狡い上官に勲章をやってしまった海軍の上層部(戦時中のお偉いさんで今は前線を退いた提督)が戦後になって自分から過ちに気がつき、主人公を改めて表彰する描写は、『ケイン号』の作者ウォークらしい一回ひねりの軍隊ヨイショっぽい。もしかしたらさらに深読みすれば、海軍のいい加減さを揶揄していたのかもしれないが。

 1970~80年代にテレビの深夜劇場でたまたま観た50年代の白黒映画がなかなか楽しめた……的な感じで、読んでいる間は心地よい感触もあったんだけど、前述の通り航空冒険小説としては薄いので(クライマックスも実際にハリケーンの中を飛んでいるスラッタリーの方にカメラを合わせず、地上の面々の方ばかり描写する。ここらもいかにも、映画撮影の都合を考えた感じ)、最後まで読みおえた瞬間に、それまでは一旦は盛り上がっていた高揚感とこの作品への評価が、自分のなかでかなり落ち着いた。
(ただしネタバレになるのであまり言わないようにするが、ハリケーンに挑む冒険小説要素以上に、もっと通常のミステリ、クライムストーリーっぽい部分も一応は用意されている。)

 なお邦訳の114頁、アギーとの許されない恋に悩むスラッタリーが眠れないので就眠儀式用に『戦争と平和』を手に取るが、結局は眠気が襲ってこないで、以前に読んだ時よりもずっと興を覚えてしまい、4日間で完読。その結果「レイモンド・チャンドラーなんかより、ずっとわくわくさせるぜ」とほざくのには大笑いした。本書がもし1948年に書かれていたのなら、スラッタリーは第四長編の『湖中の女』(1943年)までは読んでいたかもしれない。んー『かわいい女』(1949年)って、先行で雑誌に掲載・連載されたんだっけ? もしそうならソコまでは目を通していた可能性はある。


No.547 5点 鯨のあとに鯱がくる
新羽精之
(2019/05/14 18:05登録)
(ネタバレなし)
 五島列島の北にある小値賀(おじか)島。その近海でアクアラングをつけて潜水していた若者の溺死体が発見される。死んだのは長崎県の老舗衣料店「松浦(まつら)」の若主人で、現代俳句界でも新星と目されていた志筑雄一郎(30歳)。多才で行動的な雄一郎は政治活動家でもあり、初期は保守系だったがある時を機に革新派に転向。佐世保で公害反対の市民運動を行っていた。当初は事故死とみなされた雄一郎だが、彼の妹・佐保の恋人で、地方紙「九州新報」の記者である兵主(ひょうず)有平は、あることからその死因に不審を抱く。やがて雄一郎の手帳に残されていた「鯨のあとに鯱がくる」という謎の文句が発見されて……。
 
 昭和33年に夏木蜻一の筆名で「宝石」増刊号にデビュー。その後昭和37年に新羽精之に改名、昭和50年代には「幻影城」誌上でも活躍した作者の唯一の長編ミステリ作品。
 正統派のパズラーでなく社会派の色彩の強い作品という予備知識はあったが、佐世保の造船業の衰退、公害問題に放射能汚染の問題、さらには昭和50年代半ばの九州地方への大手資本の進出……などなど、語られる主題はかなり多い。特に国内の原発の設立の意義を訴える登場人物の見識などそれを肯定するにせよ反発するにせよ、2011年の福島原発の災害を経た今現在の方が、実感を伴う面もある。
 キーワード「鯱」の実態もそう来るか、という感じの真相で物語の流れからいえば当然といえば当然だが、ある意味で直球過ぎる謎解きが評者などにはかえって印象的だった。1977年の書きおろし作品で、作者は以前から九州の人間だったが、当時70年代後半の同地の状勢を探るには良い資料になるかもしれない。そういう意味では興味深かった。
 ミステリとしては序盤からの溺死事件の真相、中盤に登場する時間差? 毒殺? 事件のトリック、さらには突発的な幽霊騒ぎなどいくつかのギミックが盛り込まれているが、なんかそれぞれどれも、良くも悪くも「宝石」のマイナー新人作家系らしい組み立て方という印象。犯人の暴き方が完全にフーダニットの文法を放棄しているのは、まあそういう作品ではないということで許せるにせよ。
 登場人物の頭数が多い割にいきなり本文中に固有名詞を出したり(小説後半の末吉教授とか)、あんまり文章もこなれてはいない。
 あと主人公が、情報をくれる後輩の記者とかに対していちいち怒り過ぎ。読んでいてあまりいい気がしない。登場人物にそういう描写で人間味を見せようとして滑ったか、あるいは現実のなかで作者があてこすりたいモデルでもいたのか?

 前述の、当時ならではの社会派ミステリ的なメッセージをいくつか熱く叫ぼうとした意欲は感じられてそこら辺はキライになれないけれど、正直やや退屈な作品ではあった。評価は0.5点くらいオマケ。


No.546 7点 溶ける男
ヴィクター・カニング
(2019/05/13 18:53登録)
(ネタバレなし)
 1960年代の英国。その年の9月。「俺」こと30代の私立探偵レックス・カーヴァーは、貯金通帳の残高に少しばかり余裕ができたので、今年も恒例の休暇期間に入ろうとしていた。だが共同経営者兼秘書で35歳の独身女性ヒルダ・ウィルキンスンが、新規の依頼の相談がきたと告げる。依頼人は60歳前後で2m以上の体躯を誇る大富豪カヴァン・オドヴダで、彼は盗難にあった自家用車の回収をカーヴァーに願い出た。相応の経費を使う捜索に見合わないと思える価値の車輌にカーヴァーは不審を抱き、何らかの機密が車体に隠されているのか? と考えた。やがて調査を始めたカーヴァーは、依頼人オドヴダが、亡き彼の妻の連れ子である美人姉妹ジュリアとゼリアから敬遠・嫌悪されていることを意識する。カーヴァーが調査を進めるそんな案件は、当初の予想とは大きく異なる国際的な事件へと拡大していった。

 1968年の英国作品。本国では4冊のシリーズ長編が刊行された、私立探偵レックス・カーヴァーものの長編第四弾で、少なくとも長編としてはこれが最終作品。日本では本シリーズはこれしか訳されていないし、そもそもカニングの(一般・大人向け)長編ミステリも本書を含めて3冊しか翻訳がない。なおごく私的な話題ながら、カニングといえばしばらく前から机の脇に『階段』が置いてあるものの、そちらも『QE2を盗め』も未読で、最初に読んだのがコレになった(中短編は何作か日本版EQMMやHMMで読んでると思う。内容はほとんど忘れているが)。
 今回、本書を読んだきっかけは、先日刊行されたミステリ研究評論ファンジン『Re-ClaM』第2号(おっさんさんも本サイトの掲示板で話題にしている)で、<あまり語られざる論創海外ミステリの佳作・秀作>という感じでこの一冊を取り上げてあって、興味を惹かれたからである。

 それで本書の表紙周りでも巻頭の解説(この時期の論創海外ミステリは巻頭に作品解説を掲載)でも書かれていたとおり、本作の特色はハードボイルド私立探偵小説が当時(60年代後半)の時流だったスパイ小説に接近……というか、この私立探偵レックス・カーヴァーのシリーズ総体がそういう感じらしい。とはいっても当初からそのつもりで読むと、そんなに極端に強烈な国際的謀略とかに踏み込むこともなく、まあ市井のなかでの大事件の着地点がそっちの方に最後は向いたね……というぐらいの印象だった(極力ネタバレにならないように書いているけど)。そりゃまあ、登場人物の国籍が複数にわたったのは事実だが。

 そういうわけで、通例の一流半の英国派私立探偵ハードボイルドミステリとしてフツーに読んでもいいんでないの? という感じだが、改めてそのつもりで作品に付き合っていくと、とにもかくにも物語全体に勢いのあるドライブ感が充満で面白い。展開が早い、登場人物がくっきりしている、各シーンに見せ場と趣向が用意されている……と、読みもの作品として、エラく筆が達者。
 ああこれは確かに、すでに読んだ人が世の中であまり評価されてないことを残念がる作品だね、という思いに至る。
 マクガフィンとなる、とある機密がやや直球すぎて(その真相自体も、その対象に向かう各登場人物たちの動きも)、まあその辺は60年代だなという時代的な違和感もなくはないが、そこら辺を割り切れるならば、最後までアンコの詰まったエンターテインメントとしてすごく楽しめる一冊だった(ラストの山場の盛り上げ方も、ほかにはなかなか見られないクレイジーぶりだよ)。
 シリーズの残りもこのレベルなら、せめてあと一冊くらいは翻訳してくれんかな、という思いである。

 ちなみに最初から最後まであくまで仕事上のパートナーに徹して恋愛感情を毫も主人公との関係性に持ち込まない女性秘書のヒルダ・ウィルキンスンの描き方は、ハードボイルド私立探偵小説でこういうのもアリなのだな、という印象である。その手のポジションのヒロインといえば、マイク・ハマーにとってのヴェルダ、マイケル・シェーンにとってのフィリスやルーシィが基本の評者にとってはあんまり面白くないキャラクターではあるけれど、いつかこのシリーズをまた一二冊日本語で読める機会でもあれば、その変化球的な個性が魅力となって見えてくるかもしれない。

■重箱の隅的な、いつもの論創編集部への苦言……
 196頁の最後から5行目。「トニーが」は「オットーが」の間違いではないでしょうか? トニー本人が、別人を主格にして話題にしてるんですけれど。


No.545 8点 ブロードウェイの出来事
デイモン・ラニアン
(2019/05/13 17:18登録)
(ネタバレなし)
 禁酒法時代(1920~33年)をふくむ30~40年代のアメリカ市民の人間模様を活写し、特にブロードウェイを舞台に、小悪党や若い娘たちを主要キャラとした連作的な短編群で、世代を超えて親しまれるデイモン・ラニアン。日本では60~70年代の「日本版マンハント」「ミステリマガジン(日本語版EQMM)」そのほかで随時紹介され、その頃からミステリファンを主軸とする幅広い読書人の絶大な支持を集めていた。
 O・ヘンリーを思わせる庶民ストーリーと人情譚風のヒューマンドラマは時に狭義のミステリの枠から離れかけることもあるが、一方でE・クイーンなどは、ラニアンの代表的な(原書の)短編集『野郎どもと女たち(Guys and Dolls)』(同題の日本語版の短編集とは収録作品が異なる)を、ちゃんとあの「クイーンの定員」の一冊に選んでいる。評者の私見では、もっともイキな「クイーンの定員」のセレクトのひとつ(嬉)。

 本書『ブロードウェイの出来事』は、ラニアンの作品群を日本に広く紹介し、その魅力を認識させた翻訳者・加島祥造が先行する『野郎どもと女たち(日本版)』に続けて日本独自のセレクトで集成した二冊目の短編集。
 元版は1977年9月15日の奥付で単行本が出ていたが、のちにラニアン短編集の叢書「ブロードウェイ物語」シリーズの第二巻『ブロードウェイ物語2 ブロードウェイの出来事』(87年11月)として新装再刊されたようである。今回、評者は元版で読了。

内容は
「レモン・ドロップ・キッド」 The Lemon Drop Kid
「三人の賢者」 Three Three Wise Guys
「マダム・ラ・ギンプ」 Madame la Gimp
「ブロードウェイの出来事」 Broadway Incident
「ユーモアのセンス」 Sense of Humor
「世界一のお尋ね者」 The Hottest Guy in the World
「世界一のタフ・ガイ」 Tobias the Terrible
「ダンシング・ダンのクリスマス」 Dancing Dan's Christmas
と、先にHMMなどに翻訳掲載されたものの再録をふくめて8本の短編が収録されている。

 ラニアンくらい、その魅力を知ってる人には「語る言葉など不要」で、かたやまだその魅力を知らない人には「実作をまず2~3本読んでください」という言葉が似合う作家はいない、という気もする。とにかく当時のアメリカの下流中流社会の庶民を鮮やかに描きながら、時に真っ当な人情で事態が好転する場合もあれば、人生や運命の苦い皮肉で物語を意地悪くまとめることもある。でもその底流にある「人間って素晴らしく、そしてくだらない」という独特のペーソス感(のようなもの)は何物にも代えがたい。

 今回の読書は一二編を除いて大半が再読だと思うが、加島訳の素晴らしさもあってその世界をみっちり堪能した。8本の中から一編もし個人的に選ぶとすれば、やはりマイベストは「レモン・ドロップ・キッド」かな。主人公もヒロインも、あの重要なサブキャラもそしてラストのこれぞ……という味わいも大好きだ。まあほかの作品との評価差なんて本当に僅差なのだが。
 ちなみに今回再読してみて、意外にラニアン作品は(少なくとも本書に収録分は)記憶していた以上にクライム・ノワール的な意味でのミステリ味が時に濃厚なのに気がついた。「ブロードウェイの出来事」「ユーモアのセンス」あたりはその意味でもツイストの利いた秀作だね。

 あと再発見としては、ラニアンのブロードウェイものは世界観が同軸の基盤にあっても、同じ登場人物は出てこないと今まで認識していたが、実際には「世界一のタフ・ガイ」 と「ダンシング・ダンのクリスマス」の双方に顔を出す酒場の主人「グッド・タイム・チャーリー」など例外もいるみたいだったんだな。これは楽しい発見だった。
 まあとっくに知っているラニアンファンには、何を今さら(笑)の事実かもしれないが。


No.544 6点 予告された殺人の記録
高原伸安
(2019/05/12 17:34登録)
(ネタバレなし)
 「私」こと若手心理学者の平田一郎は、NYの美術館で出会った23歳の娘・間宮由美と惹かれ合う。平田は自宅があるロサンジェルスに由美を連れて帰り、友人たちに彼女を紹介した。だがそれと前後して、平田に何か情報を託しかけた友人の私立探偵J・B・オコーネルが強盗事件に巻き込まれて命を落とし、さらにそのオコーネルの相棒の探偵ロバート・ボウイも何者かに毒殺される。二つの悲劇に衝撃を受ける平田だが、彼の周辺ではさらなる怪死事件が幕を開けようとしていた……。
 
 「『アクロイド』を越えることに挑戦した」と表紙の折り返しで声を掲げ、さらにあとがきでは<海外の某・技巧派長編ミステリに対抗した>と豪語する新本格ミステリ。どんなものが来るかと楽しみにしていたが、良くも悪くも「ああ、その手のパターンか」ではあった。もしかすると作者は、本書以前の先行作のアレもアッチも、読んでいないかもしれない。ただし以前からあるくだんの大ネタに<中略>というアイデアを加えたところは、ひとつの創意とはいえるだろう。まあミステリファンとして、話のタネに読んでおくのはいいと思う。
 なお密室については、もうちょっとうまく面白そうに演出してほしかった。作者にとってはソコが勝負所じゃないという姿勢は見え見えにせよ。

【ネタバレ警告注意報】
・本書の27頁で『薔薇の名前』の大仕掛け? をバラされてしまった。評者はまだ未読なので腹立つ。
・あとがきも先に読まないように。本書のネタを大割りで、ミステリファンの中にはあとがきから読む人もいるという認識が作者にはないらしい。評者はそっちの方は回避できました。


No.543 5点 見えない凶器
ジョン・ロード
(2019/05/11 16:02登録)
(ネタバレなし)
 直球の謎解き(ハウダニット&フーダニット)パズラーでそれは良いのだが、噂のトリックは……。1938年というミステリ史的にはやや微妙な時期(黄金時代から現代本格への推移期)の作品で、そんななかにたぶん当時にあってももはやレトロな趣向が用いられる。関連する事象が出た時点でまさか? と思ったらソレだった。しかし犯行現場にすぐ踏み込んだんでしょ? 痕跡とか残ってなかったのだろうか。その辺をどう捌くかと思っていたら、特に言及がなくガッカリ。
 
 後半ももうひとつの事件がからむあたりはまだしも、この条件でAでなければBだろうねという感じで犯人の推察が可能なのは、やはり本作の弱点か。
 ナンシー嬢とその仲間たちの描写のくだりは、不必要に物語の軸が横にずれた気がする。捜査陣の尋問のかたちで彼らの人物描写をこなしてくれればもっとスマートな作りになったんじゃないかと。
 この作品に関してはそんなところですかね。


No.542 6点 悪党パーカー/漆黒のダイヤ
リチャード・スターク
(2019/05/09 03:07登録)
(ネタバレなし)
 プロの犯罪者パーカーは愛人クレアとともにNYで休養を楽しむさなか、見知らぬ3人の白人からおとなしくこの地を去るよう警告を受ける。間もなく今度は別の白人ホスキンズがパーカーに連携を申し出て、さらにパーカーがそれを辞退すると、次は4人組の黒人が姿を現す。彼らはアフリカの小国ダーバの改革派で、リーダ―は同国の国連代表でもあるゴノール。4人は、国民の財産をダイヤに替えて隠匿しようとする現大統領ジョゼフ・ルブディ大佐の一派から、隠し資産を奪回するためNYに来ていた。頼りになる物品奪取のプロとして、「犯罪組織(アウトフィット)」の大物カーンズからパーカーを紹介されたゴノールたちは、その彼に強盗・窃盗のコーチと作戦の立案を求め、ダイヤ奪回計画を成功させようとするが……。

 1968年のアメリカ作品。おなじみ「悪党パーカーシリーズ」の第11作目。日本では翻訳が結構いい加減な順番で出たため、1985年になってコレが邦訳された際には、なんか未訳の余り物が後回しになった感もあった。
 それゆえパーカーが第三世界の黒人たちと組む話なんて、いかにもシリーズに起伏を与えるために先にネタありきで作ったイロモノっぽい感じなのだが、実際には刊行時期の1968年を考えるなら50年代からのエド&ジョーンズの活躍を経て、65年のヴァージル・ティッブスのデビュー、69年の『褐色の肌』(レイシイ)、70年の『はめ絵』(マクベイン)などブラックパワー作品の隆盛期のど真ん中であり、これはむしろ作者スタークが時代を意識しながらパーカーシリーズを、当時のそっちのムーブメントに近づけてみた一編と見るべきだろう。
 ゴノールたちをパーカーに仲介する役には『犯罪組織』『カジノ島』に登場したカーンズと並んで、シリーズおなじみのセミレギュラー、ハンディ・マッケイも関わってくるし、ファンにはなかなか楽しい一冊ではある。
 母国ダーバで軍事鍛錬を一応は受けている面々とはいえ、強行犯罪に関してはアマチュアの連中を高額の報酬と引き換えに教育するパーカーの図は他の作品ではあんまり見られなかった趣向であり、ガーフィールドの『反撃』とかケンリックの『バニーよ銃を取れ』とかの<素人特訓もの>なんかも想起させる。ひょっとすると本作は、その手のもののなかでも結構早い方の一冊か?
 あとクレアの登場編としてはこれが都合3冊目のハズだが、早くも? ここでのちの某人気作の原型のようなことをやっていて興味深い。ネタバレになるので詳しくは言わないが、そういう意味ではシリーズの流れにひとつのポイントを刻んだ印象のある作品でもある。
 ドライで省略法の演出が効いた終盤の作劇は素晴らしい。パーカーがアマチュア勢とからみ、そのアマチュアたちの活躍まで見せ場としたため、中盤まではどっかこのシリーズらしくない牧歌的? ともいえる雰囲気が漂う本作だが、後半になっていっきに物語が引き締まる。
 シリーズのなかでは決して上位ではない一冊だろうけど、ファンがパーカーのクロニクルに何を求めているのかを、きっと再確認させてくれる佳作。


No.541 5点 滅びのモノクローム
三浦明博
(2019/05/07 21:31登録)
(ネタバレなし)
 2002年。大手広告会社の製作部に勤務する日下哲は、仙台東照宮の骨董市で30台の女性から旧式の釣り竿を買う。掘り出し物を格安で入手したと満足の日下だが、同時におまけのような抱き合わせのような形で購入した雑貨の中から、古い16ミリのフィルムが出てきた。同僚の岩渕と相談し、そのフィルムに映し出されている映像を次の大口の仕事に利用しようと考える日下。二人はカルト的なまでに博学な知識を誇る映像復元の技術者・大西のもとにそのフィルムを持ち込む。一方、フィルムを売った女性=月森花は、祖父の進之介の了解のもとに実家にあった古い雑貨を売却していたが、今になって進之介はあのフィルムのみは例外として回収してくるように孫に願い出た。進之介は花に雑誌記者の苫米地(とまべち)との連携を指示。彼の取材力や情報収集力を頼りながらフィルムの行方を追わせるが、そんなフィルムを捜す者たちのそばに、謎の人物の影が……。
 
 第48回江戸川乱歩賞受賞作。半ば偶然のなりゆきから眠っていた事実が掘り起こされ、それが現在形の殺人事件に繋がっていくパターンの準巻き込まれ型サスペンス。文章は平易で読みやすく、それが次第に真摯な社会的主題&メッセージ性に迫っていくのはいい。だがそうなると、まだまだ本当は語りたいこともあるのだろうに、もう頁の半分以上が終っているという、物語の作り込みの薄さが気になってくる。
 マクガフィンとなる古いフィルムの存在が、この21世紀の段階になって敵側に認知される流れもやや強引で、さらにそんなもののためにここまで流血の事態が起こるものかな……という印象も強い(まずは脅迫なりなんなり、もう少し穏便策を踏まえて、それでダメそうならそこで初めて強攻策に及ぶのでは?)。まあ確かに露見すればいろいろ不都合な旧悪ではあるし、作中人物がそう考えた、で済ませられることではあるので、読んだこっちとの感覚的な齟齬なのかもしれないが。
 少なめの登場人物にそれぞれ記号的なポジションを与え、その上でキャラによってはしっかり描き込んである明快な人物描写は良かった(一番最後のツイストだけは、もうちょっと練って欲しかった気もするが)。
 乱歩賞だからどうこうを言わないで、一本の社会派長編ミステリとして佳作……かな。


No.540 6点 予期せぬ夜
エリザベス・デイリー
(2019/05/07 16:45登録)
(ネタバレなし)
 評者はデイリー(デイリイ)作品は、数年前に翻訳された『閉ざされた庭で』に続いてこれが二冊目。
 そっちがべらぼうに面白かった(たしかにそちら『~庭で』での大技は「クリスティーが最も愛好した米国女流作家」という肩書きに実に相応しい印象であった)ので、こっちも期待したが、最初から最後まで外連味ゆたかな展開で楽しめた(先行の方々の評の通りに、事件の乱発、すっきりしない、という部分もまあわからないではないが)。
 文章にも随所にユーモア味があって、なかなか快い。素人名探偵のガーマジがあちこちの事件の局面に首をつっこんで、時に関係者の命を救ったりするのだが、そんな一連の彼の行動の流れを、終盤に事件に介入してきた弁護士の先生はうさん臭がり、まるで疫病神のように半ば見やる。アマチュア名探偵なんて傍から客観的に見れば、そういう存在として目に映ることもあるよね。
 一方でクリスティーと非常に属性の近い……というような資質の作家ゆえに、犯人の正体は早々に読めてしまった。まさに英国のミステリの女王ならまんま仕立て上げそうなストーリーの流れと登場人物の配置だから。

 それでも全体としては普通に面白い。こっちが邦訳のあるあと残り二冊を読み終える前に、また次の未訳作品が発掘翻訳されればいいなあ。


No.539 7点 迷いこんだスパイ
ロバート・リテル
(2019/05/06 14:41登録)
(ネタバレなし)
 ペレストロイカ以前のソ連。28年にわたって外交文書の伝書係を務めた53歳の男オレク・アナトリエウィッチ・クラコフが出張先のアテネで勝手な行動をとる。クラコフは極秘書類の入った鞄とともにアメリカ大使館に駆け込み、亡命を求めた。アメリカの秘密諜報機関「特別行動班」のリーダーである44歳のストウンはクラコフの審査に当り、彼が亡命者を装った工作員または諜報員である、あるいはクラコフ自身は本当に亡命を求めているが、偽の情報を掴まれた可能性がある、の両面から検分に当たる。やがてクラコフからポイントとなる複数の情報を引き出したストウンは、自ら変名でソ連に乗り込み、情報の真偽を確認しようとするが……。

 英国の1979年作品。処女長編『ルウィンターの亡命』(1973年)で、いきなり英国のCWAゴールデンダガー賞に輝いた作者ロバート・リテル、その第五長編。
 個人的には大昔に読んだ『ルウィンター』はそれほど評価してない(最後、ああ、そういうオチね、で終ってしまった作品)だったのだが、本作『迷い込んだスパイ』以降に書かれた『チャーリー・ヘラーの復讐』(1980年)なんかは大好きな評者である。
 それで評者にとって久々のリテル作品だが、今回はとても面白かった。やっていることは『ルウィンター』のリメイク的な側面もあり(ネタバレにはなってないと思う)、いかにもペレストロイカ以前の東西陣営の相克を描いた正統派エスピオナージュだが、後半、ストウンがソ連に乗り込んでいってからの臨場感と登場人物たちの実在感は相当のもの。さらにネタバレになるのであまり書けないのだが、主人公ストウンが(中略)のあたりなど、最終的には人間性の善悪という文芸に視線が及ぶのが基本(だと思う)のエスピオナージュとして、とても肝が据わった書き方をしている。

 なお終盤に判明する敵側の黒幕の劇中での動向は、ちょっとお話として作りすぎじゃないか……という気もした。が、現実の諜報戦のなかでいびつな生き方を始終強いられる前線の人員が時に人間らしくありたいと思い、ちょっと悪戯心を出すのはこういう状況かもしれないとも考えなおす。そう見やるなら、良い感じの文芸性が、観念のソースとなって物語の味付けをしているように思えなくもない。
 ちなみに題名(邦題)の意味は前半のクラコフ、後半のストウンを指すダブルミーニングだと思うけれど、同時に作中に登場する、国家のため国民のため、地上平和のため、そして職務のため、歯止めの無いモラルハザードの世界に迷い込んでいくスパイ達全員への、普遍的な揶揄でもあるんだろうね。

 末筆ながらリテルの登場人物はヒロインが地味に魅力的だけど、本作でも後半で登場の娼婦カトゥーシカはなかなかステキであった。前半に出番の多いストウンの恋人で、地球の終末危機の可能性を思いつくままに並べまくるスローもキャラが立っている。


No.538 6点 ノースライト
横山秀夫
(2019/05/05 20:10登録)
(ネタバレなし)
 妻と離婚し、現在は中学生の娘と月に一度ずつ会う許可を得ている45歳の一級建築士・青瀬稔。そんな青瀬は大学時代の学友・岡嶋が創設した建築事務所に所属するが、そこに「以前に青瀬が設計して建築関係のムックにも名デザインとして紹介されている家、あれと同じようなのものをお願いしたい」という依頼がある。青瀬はその新規の依頼を機にかつての仕事に思いを馳せ、自分が設計した吉野家を見に行くが、そこに現在も暮らしているはすの一家の影はなく、ほとんどの家具類も撤去されていた。ただひとつ、20世紀半ばに絶大な業績を遺したドイツの名インテリアデザイナー、ブルーノ・タウトの椅子のみを置き去りにして……。

 横山作品は初読み。噂に聞く名作群はいずれ読んでいきたいと思うが、久々の6年ぶりの新刊という本書を、まずは試みに手に取ってみた。430頁弱の本文で読むのに2日間くらいかかるかと思っていたが、とんでもないリーダビリティの高さで半日で読了。
 結論から言うと普通に面白かったが、一方で筆力のある人気ベストセラー作家の方ならこのくらいの秀作は想定範囲という思いもある。横山作品のビギナーが生意気を言ってすみません(汗)。

 ミステリとしては消えた一家の行方、残された椅子の謎などが表向きの眼目だが、読み物としての眼目は、青瀬や岡嶋たちの事務所の事業ドラマ、さらには周辺の群像劇の方で、そっちの方が非ミステリの小説として面白い。
 特に348~349頁の、あるキャラの描写なんか、あーうまいな、テレビドラマ化したら、ここでこの該当キャラを演じる俳優は本当に芝居のやりがいがあるだろうな! という感じ。こういうシーンを良い意味で抜け目なくちゃんと挿入しておけるのが、きっと横山センセが人気作家である証だろうね(まあその一方、こういう性格&文芸設定のキャラだったら、こんな事態の発生は想定内ではないのか? という思いもなくはないのだが……。)
 それでも最後は上手い具合にミステリらしく着地するし、その秘められた真相の開陳と小説としての燃焼感との相乗は、しっかりとこの作品の魅力になっている。筆の立つ作家が書いた21世紀のヒューマンドラマミステリなのは、間違いないでしょう。

 評価はかなり迷うところがあるけれど、本サイトでも評価の高い横山先生の久々の大作・新作ということを勘案して、やや厳しめにこの点数。フツーの作家さんだったら、四の五の言わずに絶対にもう1点あげてます。


No.537 5点 金紅樹の秘密
城昌幸
(2019/05/03 17:56登録)
(ネタバレなし)
「私」こと小説家・谷田部正一は、匿名の女性から<自分は夫の殺害を企てている>という主旨の手紙を繰り返しもらう。文面に独特の真実味を認めた正一は、中学時代からの旧友で戦時中は海軍の特務機関にいた相川雄吉に相談を求めた。二人は送られてきた手紙から得た手がかりから、斜陽貴族の陸奥家、その美貌の夫人であるゆり子に目星をつける。そして正一たちが同家に接触をはかるや否や、実際にその周辺で変死事件が発生。やがて事態は予想だにしない秘境の秘密に及んでいく……。

 殺人計画を誇示するかのような女性? からの文書が主人公・正一のもとに連続して届き、その手紙の署名が当初はA・A。それが順々にB・B、C・C……と変遷していくあたりなど、一風変わった妙なセンスを感じさせる。やがて不審な陸奥家に乗り込んでいく辺り、さらに乱歩の『孤島の鬼』を思わせる、町中の殺人劇から特殊な地域での冒険ものへ転調する流れなど、中盤まではこの作品固有の個性を認めないでもなかった。
 しかしながら最後の真相と謎解きはツッコミどころが満載で、特に最後の「なぜ正一のもとにこんな手紙が送られたか」についての背後事情は空いた口が塞がらないであろう。まあある意味で、リアルといえばリアルな心理……かもしれない。
 昔はこういうミステリも商業作品としてアリだったのね、という話のネタとしてはいいかも。そういう意味では褒めることは絶対に無理でも、キライにはなれない作品なんですが。


No.536 6点 春の自殺者
レイモン・マルロー
(2019/05/02 20:37登録)
(ネタバレなし)
 フランスのその年の1月から5月にかけて、ブルターニュのモルレ群地方の郡長を初めとした各界の名士が続々と動機不明の謎の自殺を遂げる。一連の変死事件は「春の自殺事件」として人々の噂に上るが、やがて忘れられた。そんななか、探偵事務所「ルピュ」の所長兼唯一の調査員である私立探偵リシャール・ディケは、数週間ぶりにまともな仕事の依頼を受ける。依頼人はミュルドックと名のる中年紳士で、妻の浮気の証拠を押さえてほしいというものだった。ディケは秘書で内縁の妻といえる体重95㎏以上の大女レア・ユトンに尻を叩かれながら、この仕事に乗りだすが、はたしてディケが認めたのは、調査対象の美女ロレーヌが日替わりで別の男と情事を行う現場であった。仕事の域を越えてロレーヌに関心を抱きはじめるディケだが、そんな彼はやがて思いも掛けない事件の渦中へと巻き込まれていく。

 1972年のフランス作品。作者レイモン・マルローは日本では本作しか紹介がないようで(少なくともこの作者名表記では)、さらに今回評者が手にしたHM文庫版(1992年に本作を原作として翻案した邦画『エロティックな関係』が公開された際に刊行された)には作品解説も何もまったく無いため、詳しいことはわからない(1976年に刊行のポケミス版は大昔に買ったかもしれないがすぐに出てこないし、そっちにまともな作者や作品の解説があったかも不明である)。
 そういうことで今回は純粋に作品そのものの感想になるのだが、ミステリのジャンルとしてはいかにもフレンチハードボイルドっぽい雰囲気で始まりながら、途中から少し方向性が転調して主人公ディケが窮地に陥る巻き込まれ型のサスペンススリラーっぽくなる。さらに事件全体に、序盤から叙述された謎の連続自殺事件の謎が一種のミッシングリンク風にからんでくるが、真相は読者の推理に挑戦する謎解きものの形で解き明かされていく流れではないので、そういう意味ではミステリとしては弱い。終盤に事件のキーパーソン的な人物がいきなり登場してくるのもちょっと……ではあろう。ただし話の流れそのものはフランスミステリにたまにありがちな「なんでそうなるの?」的な部分は少なく、かなりスムーズなストーリー運びなのは悪くない。
 さらに重要なのはしょぼくれた私立探偵の主人公ディケ(10年前に親戚の遺産が入って会社を辞め、愛読していたミステリを通じて憧れを抱いていた私立探偵稼業に乗りだしたが、その後仕事は下り坂。当初はいい女だった秘書のレアも今では40過ぎのデブ女に化けてしまっている)をメインにした、複数ヒロインたちとのペーソスとエスプリを利かせた艶っぽく時にスリリングなやりとり。ポケミス版の刊行当時に、ミステリマガジン誌上で青木雨彦さんがたしか本作を例の<ミステリ内の男女の機微を語る連載エッセイ>の路線で取り上げ、なんらかの含蓄を語っていたと思うが、これは正にそういう器で語るのにもってこいの作品ではある。

 プロットとしてはマトモなミステリっぽい真相のネタを用意しながら、最後の方ではその辺をあまり練り込まなかった印象の作品だが、それでも読み物としてはそれなりに楽しめた。ラストのイヤミスにならない程度にイヤーンな感じも、とてもフランスミステリぽくっていい。
 この主人公(ディケ&レアのコンビ)このあと続編が書かれたのかな。そこはちょっと気になる。


No.535 5点 ミルナの座敷
須知徳平
(2019/05/01 14:57登録)
(ネタバレなし)
 その年の夏休み。「ぼく」こと小学校6年生の英彦は一つ年下のお転婆な妹・夏子を連れて、東北の彦呂村にあるおじさんの家に行く。館屋敷と呼ばれるおじさんの家には幸介と清介という同年代の従兄弟の兄弟がいたが、本当はもうひとり、この家には11年前に生後10日で死亡した妹の芳子がいた。英彦たちの訪問はその芳子の供養のためでもあった。芳子の産まれた部屋は、産小屋(うぶごや)と呼ばれる、出産時に妊婦がこもる離れ部屋。だが今は悲しい思い出を弔うように「ミルナの座敷」と呼ばれて施錠されて管理されていた。だがその密室の中から、そこに納められていた観音像が抱きかかえる、赤ん坊を象どった立体物が消えてしまう……。
 
 1962年に元版が刊行されたジュブナイルミステリで、第三回講談社児童文学賞受賞作品。「本格ミステリフラッシュバック」で紹介されていたので以前から気になっていたが、このたび読んでみた(評者が手にしたのは、講談社の1983年の青い鳥文庫版)。青い鳥文庫版の巻末で解説を書いている児童文学評論家の田宮悠三という人が言うとおり、日本版トム・ソーヤというものが書かれたならこんな感じか、という従兄弟同士4人の少年少女探偵団を主人公にした健全で清廉なジュブナイル作品で、ミステリとしては肝心の密室の謎解きの真相をふくめて、大人が読んで騒ぐものでもない。それでも少年少女の視点で推理という作業をきちんと探求し、「だれが」「なぜ」「いつ」「どのように」さらに盗んだ品を「どこに」隠したかという5つの謎を整理しながらアマチュア捜査を進めていく物語は、成人が読んでもなかなかほほえましい。事件後の決着も踏まえて精神性も潔癖な、好ましい児童向けの読み物であろう。

 ちなみに青い鳥文庫版の裏表紙のあらすじ、さらに前述の田宮氏の巻末の解説は作品のネタバレになっているので注意。特に後者の巻末の解説はお断りなしに真犯人の名前まで堂々と明かしながら、自分の言いたいことを言っている。今だったらブーイングの嵐であろう。ミステリ読者、ファン同士のマナーや約束事を知らない場だと、昔はこういう事態が起きることもあった。


No.534 6点 再婚旅行
佐野洋
(2019/04/27 19:57登録)
(ネタバレなし)
 昭和37年。「わたし」こと、酒場「パンセ」に勤めるホステスの市原紀子(源氏名・安子)はその夜、店に来た客・大仲吾一の顔を見て驚く。大仲は、眼鏡とパーマという相違こそあれ、紀子が5年前に別れた夫・河原田重吉と瓜二つだったのだ。何らかの事情で河原田が変名を用いて正体を秘めて会いに来たのかと探りを入れる紀子だが、確証は何も得られない。他人の空似か? それとも!? 疑念を深める紀子は情人である「東都新報」の外報部記者・川北に事情を話し、大仲そして現在の河原田の身辺を調べてもらうが、やがて不審な事実が浮上してくる……?

 ややこしげなプロットだが、作中で仕組まれていた悪事そのものは底が割れれば存外にシンプルなもの。ただしその犯罪を悪事の中核から外れた座標に立つヒロインの視点から語っていくことで、スパイスの利いたストーリーに仕立てている。この辺りはやはり上手いということか。
 とはいえ犯罪そのものは半世紀前だからこそ通用したものであり、現在の捜査科学なら絶対に露見してしまうだろうけれど、その辺は言うのは野暮だね。
 そういった時代的な甘さを看過しても、細部の端々で「そううまく行くだろうか……」というツッコミどころは何カ所か感じたが、ストーリーそのものをあまり長くしなかったおかげで良い意味で逃げ切った感じではある。ちょっとだけ昏いロマンを感じさせる、とても昭和っぽい作品。 


No.533 7点 アシャンティ
アルベアト・バスケイス・フィゲロウア
(2019/04/27 12:33登録)
(ネタバレなし)
「コロマント」(ケンカ好き)の異名で知られるアフリカ原住民の勇猛な一部族アシャンティ族。その族長にしてソルボンヌ大学の教授であるママドウ・セーガル。そしてそのセーガルの娘でミュンヘンの大学に学び、オリンピック選手でもある20歳のアフリカンの美女ナディアは、カメラマンの白人青年デビッド・アレクサンダーと熱い恋に落ちて妻となる。西欧の文化に触れながら、いずれは社会運動家としてアフリカの困窮する同胞のために尽力したいと思うナディア。だがそんな彼女は故郷のアフリカで、数十年のキャリアを誇る奴隷商人スレイアン・ロラブの一味に捕まり、ほかの十数名の黒人奴隷とともに苦行の旅路を強いられる。デビッドは最愛の妻を奪回するため、人身売買犯罪に対処する公的な機関に協力を願った。さらに彼は、より実戦的な民間有志の奴隷解放組織「白い部隊」に支援を求め、自らもナディアのいるはずの広大な砂漠へと乗りだすが……。
 
 1975年のスペイン作品。
 作者フィゲロウア(本邦訳書では「A・V・フィゲロア」の著者名表記)は、1978年にはじめて長編『自由への逃亡』で日本に紹介された。同作は<逃走者と軍事犬>という組み合わせで追われる者と追うものとの緊張と憎悪そして奇妙な絆を語り、その密度感の高さで我が国のミステリファン、冒険小説ファンの反響を呼んだ(特に北上次郎などから絶賛を浴びている)。
 それで本書はその翌年1979年に、リチャード・フライシャー監督(『トラ・トラ・トラ』『ミクロの決死圏』ほか)の新作映画『アシャンティ』の公開にあわせて翻訳された、同映画の原作小説。やはり本作も当時、同じ北上次郎が高い評価を与えていたはずである。

 評者としては大昔に『自由への逃亡』を読んで相応のインプレッションを受けて以来、数十年振りのこの作者の著作を手にした(といいつつ、翻訳はこの二冊しか無いハズ)が、紙幅的にはかなり薄かった『自由への』と比べて、本書は小さめの活字がしっかり二段組、総頁も280頁以上と、そんなすこぶる本格的な仕様の長編冒険小説である。
 プロットそのものはナディアを奪回するためのデビッドと協力者たちの追跡行、それに悪党側に生じる内紛と、ナディアの脱出へのトライ……など、きわめてオーソドックスだが、登場人物の書き込み、細部の映画的な見せ場の配置、さらには20世紀後半のアフリカの暗部への肉迫……などなど、小説として賞味できる要素は盛りだくさん。
 特に「白い部隊」のリーダーである青年アレック・コリングウッドが奴隷解放の義勇兵になった理由が、かつて奴隷商売で財を為した先祖の貴族の罪悪を雪ぐため、などという文芸が心に響く。さらに、追い求めるヒロインのナディアに接近しながらあと一歩及ばずに倒れていく義勇の戦士たちの描写とか、丁寧な筆致で綴られた登場人物たちの退場劇は念頭に残るものが多い。

 ちなみに、これは密な取材の結果として小説に取り入れられた描写らしいが、アフリカの裏社会には痩せ衰えて連れられてきた奴隷たちを、彼らを買い上げる富豪に提供する前に、体調を管理してしっかり健康にしておく「太らせ屋」という専門職? もあるそうで、この辺りのリアリティには、人間のおぞましさを痛感させられてゲンナリする。奴隷それぞれが1㎏太るたびにいくら、と談判する辺りは悪趣味なジョークのようだ、
(ところでこの作品は、そんな評者みたいな<文明国という安全な彼岸の場から、対岸の火事であるアフリカの病理に義憤を抱いたり哀れんだりする世界中の人々の傲慢さ>にもきちんと釘をさしており、そういう意味でもスキがない。)

 いろいろな思いを心に刻んで読み終えることは必至の一冊だが、全体としてはとても満腹感のある、良い意味で曲のない、エンターテインメント性の強い冒険小説でもある。フィゲロア(フィゲロウア)の作品を、もっと読みたくなったが、これから翻訳される機会などは望めるだろうか?

 なおくだんの作者・フィゲロウアはスペインの映画人でもあり、前述の『自由への逃亡』は2006年に作者みずからのプロデュース、シナリオで<サイボーグ犬が逃走した政治犯を追うSF映画>としてリメイク(映画化)。日本では『ターミネーター2018』の題名で映像ソフトとして発売されている。
 作者名をWEBで検索してたら、どっかで観たような内容の映画が目に付き、そしてそのスタッフにこの名前が出てきて、二重に驚いた(笑)。


No.532 5点 列のなかの男―グラント警部最初の事件
ジョセフィン・テイ
(2019/04/25 17:53登録)
(ネタバレなし)
 ミステリ的なギミックはそれなりに設けられているものの、読者に謎解きを楽しませながらフーダニットに絞り込む要素はあまりなく、これはほとんど警察小説の要素が強いときのクロフツの長編あたりに近いように思えるんだけど? 
 まあ作者のテイ(原書の初刊行当時は別名義だが)が、いかにもそのフレンチ警部がやりそうな<遠方への捜査出張編>を、お話を書く側として本当に楽しそうに綴っている感じは伝わってきた。
 最後の人間関係を導く手がかりというか伏線の部分は早々と読めたが、それでも終盤にはこういう感じでのサプライズを語るのか、と少し驚いた。まあそのあたりも正統派の謎解きでは決してなく、19世紀のホームズの時代からのスリラー作品の系譜的な感触だったが。
 1920年代のテイが当時自分が好きだったミステリ分野に参入しようと、良い意味で既存作品の模倣を心がけた感じがうかがえる。
 習作感も強いが、決してキライにはなれない一作。

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