人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.1159 | 6点 | 落ちた仮面 アンドリュウ・ガーヴ |
(2021/04/19 04:19登録) (ネタバレなし) 英国の植民地である南国のフォンテゴ。いまだ民度が低く、衛生的にもよくない土地だが、ここで奮闘しようと青年医師マーチン・ウェストが新任した。現地では近く新設のレプラ患者治療収容施設が、なぜか立地的に不適当なタクリ島に予定されている。実はその裏には、建築請負業者が島のとある要人に贈った賄賂の効果があった。だがその事実を知った土地の黒人青年が、祭事(フェイスタ)の日、仮面をつけた一人の人物に刺殺された。やがて殺人者の魔手は、マーチンの恋人で植民地参事官の娘スーザンにも迫る。 1950年の英国作品。 『ヒルダよ眠れ』に続くガーヴの第二長編で、別の翻訳ミステリ書評サイト(クリスティー研究家の数藤康雄氏による、英国作品専科の私評サイト)では、星5つで満点のところ星1つとケチョンケチョンの評価である。 さらに翻訳が福島正実でなくよく知らないヒト、ポケミスの巻末に解説もない……と、なんかあまり良い印象もない一冊だったのだが、まあ何はともあれ、読んでみる。 でまあ、一読しての感想だが、とにかくこれがガーヴか? いやそうなんだろうが……と思いたくなるくらいに、南国のエキゾチックな自然描写、異国描写がすごい。もうしばらくするとガーヴの諸作では、そういう自然派スリラーの要素はよい感じにこなれてきて、作者の売りとなる小気味よいサスペンススリラーの興味と溶け合ってくる。そこにガーヴという作家の個性が固まるのだけれど、この第二長編では、大先輩ハモンド・イネスあたりの作風を、まだ愚直に継承しようとしている感じ。もしかしたらもともとご本人としては、こういう方向にもっと没入したかったのかな、とさえ思ってしまった。 とにかく前半はエキゾチックな叙述にかなりの筆が費やされ、その分、後年のガーヴらしいサスペンススリラーの躍動感は希薄。勝手な想像だが、数藤康雄さんはこの辺の自然描写、海外描写の肉厚さに戸惑ってつまらない、と思ったのかもしれない? まあそういう気分はよくわかる、わかるんだけれど、一方で英国自然派冒険小説の正統派の大きな系譜であるイネス的な方向に、初期のガーヴの足のつま先が向いていた、と考えれば、こういう路線にさらに傾倒していく可能性もあったんだろうな、とも思えた。 実際に中盤のフォンテゴ、タクリ島を襲う嵐の描写は、紙幅的にはそれなりながら、かなりの迫力で、その後の島の荒廃ぶりも後半のストーリーに密接に結びついていく。 こういうところにも、初期ガーヴのやりたかったこと、または試行錯誤の道筋がいろいろ見えるようで、とても興味深い。 あとはマーチン以上に本作の実質的な主人公といえる、<仮面をつけた犯罪者>の描写とキャラクター性がポイント。この悪役が誰かはとりあえずここでは書かないが、読んでいくとリアルタイムで殺意の発生と犯罪計画の始まりからが語られる。マーチンとその恋人のスーザン視点からすれば通常の巻き込まれサスペンスだが、その悪役を実質的な主役とするなら、本作はほとんど倒叙クライムサスペンス(悪人が犯罪の露見におびえる意味でのサスペンス)といってもいい内容だ。その上でその悪役主人公と某メインキャラの関係性など……うん、やっぱりいろいろとガーヴっぽい。 といったもろもろの意味で、いつもの<とてもオイシイ塩せんべい>的な、サクサク楽しめるガーヴの作風を予期すると、まるで裏切られるんだけれど、これはこれで作者らしいファクターは相応に備えられており、その上でのちのちの諸作からは薄れていった作法なんかもいっぱい見出せる長編。そういう言い方をするなら、ガーヴ好きなファンなら、ちょっと興味深い一冊でもある。終盤のヒネリもまあ先読みできないこともないが、1950年なら結構洒落たオチだったともいえるか。 初期作品で、しかももしかしたら『ヒルダ』よりも、もっともっと以前から自分が書きたかったものを出しちゃった分、勢いあまって胃にもたれるところもあるが、力作だとは、思う。秀作とはいいにくいが、佳作といえるかも? と悩む余地はあり、だな。 原書は英国の方の「クライム・クラブ」から刊行された、あるいは収録されたらしいが、ジュリアン・シモンズはどこかのタイミングで<叢書としてのクライム・クラブのなかのベストダズン>の一冊にこれを(クリスティーの『ABC』やP・マクドナルドの『迷路』、クロフツの『ヴォスパー号』などとかと並べて)選んでいたらしい。 まあこのエキゾチシズムとかが日本人以上に、英国人のシモンズとかにはピンときたのかもしれないね。 |
No.1158 | 6点 | 口から出まかせ 藤本義一 |
(2021/04/17 02:57登録) (ネタバレなし) 卒業後の進路に意欲が湧かず、留年を選んだ二流私大生の短兵は、ある日、禿頭の中年男、熊蔵に出会う。彼は表向きは香具師だが、実はプロの哲学をもつ年季の入った詐欺師だった。熊蔵の裏稼業に触れて関心を抱いた短兵は彼に弟子入りし、正道の詐欺師の道を歩み出す。 「オール讀物」に昭和51年から53年にかけて掲載された、全7本の連作短編ピカレスク。 家の中で見つかった文春文庫(たぶん、亡き父の蔵書だったらしい)で読了。 <昭和のタレント文化人>としての生前の著者の活躍にはテレビなどで接した記憶はあるが、小説の実作を読むのは今回が初めて。タマにはこういうのも面白い。 発端編を経た2話以降は、何らかのマクラをもとに開幕。熊蔵が計画した作戦に、その全貌が見えないまま短兵がのっかり、短兵自身も細部では彼自身のアドリブを利かせながら計画を遂行するのが基本パターン。 大抵は後半~終盤で計画の狙いがようやく明かされるという定型ぶりで、各編に多彩なコン・ゲームものとしての楽しさがある。 各話のネタは作者なりに裏の世界の取材をした成果らしく、詐欺の手口にもバラエティが感じられて興味深い。 とはいえ(アタリマエながら)基本的には、ネットもスマホも携帯も電子マネーもない時代の詐欺行為。騙しのテクニックなども隔世の感があり(実際にそうだ)、もはやノスタルジックな時代風俗の興味で読ませる部分も大きい(笑)。 21世紀の現実の老人を騙すオレオレ詐欺なんかにはリアルな嫌悪感しか抱かないが、人心を尊び、時に被害者側への配慮までわきまえた(ほぼ愉快な詭弁ながら)本作の主人公たちの行為は、フィクションの枠内での健全なエンターテインメントとして容認されるよね。 そういう意味では、ある種のロマン作品、まさにピカレスク浪漫であった。 |
No.1157 | 7点 | ギデオン警視の危ない橋 J・J・マリック |
(2021/04/16 15:09登録) (ネタバレなし) スコットランド・ヤードの犯罪捜査部長、ジョージ・ギデオン警視は、出版社や新聞社の社主であるジョン・ボーグマンを以前からマークしていた。ボーグマンは資産家の妻リアを自動車事故に見せかけて、遺産目当てに殺害した嫌疑があったのだ。だが実業界の大物ボーグマンへの本格的な捜査は、辣腕の悪徳弁護士パーシー・リッチモンドの陣営にはばまれて難航。下手をすればギデオンたち捜査陣の立場を悪くしかねない面もあった。一方でそのころのロンドンでは、自動車泥棒集団の暗躍や幼女連続殺人ほか、多数の事件が並行して続出する。 1960年の英国作品。ギデオン警視シリーズの第6弾。 大昔にどっかの古本屋で買ったのを読む(巻末の目録ページの上に、鉛筆書きで80円とある)。 大傑作だったシリーズ前作『ギデオン警視と部下たち』の次の長編。同作の後日譚的な趣もあり「老人」こと警視総監スコット・マール大佐とギデオンとの会話のなかに、一年前の内務省との軋轢の話題も出てくる。 ボーグマン事件、自動車窃盗団事件の二つを大きな柱にしたモジュラー派警察小説としての作りはスタンダード、もしくはそこにちょっとプラスアルファという手応え。 殉職する刑事や殺される情報屋の叙述など、そういう惨事が往往に起きるというのも作中のリアルであろうが、前作での鮮烈な描写のすぐあとだけに、なんとなく同じことをまたやっているという印象もなくもない(作中で命を失う、当該のキャラクターには申し訳ないが)。 一方で本作の得点というか特色として、ギデオンの同僚の警視フレッド・リーが、かつて悪徳弁護士リッチモンドに別の事件で苦渋をなめさせられており、それが遠因で負け犬になりかかっているのだが、そこから今回の事件を契機に再起する図が、地味にしかしさりげなくドラマチックに語られる。こういうのはいい。 あとはボーグマン逮捕の決め手となる、ちょっとトリッキィともいえるミステリ的なギミック、趣向もポイント。 自動車泥棒事件の方では、犯罪者一味の悪事の目撃者の少女ラシュル・ガリーと若手巡査シリル・モスの距離感の推移や、なぜか巻頭の人名表にめだつように名前が出ているトラック運転手の青年レッジー・コールの役回りなど、それぞれ小説のデティルとしてなかなか面白い。 ちなみに小規模の事件の方のいくつかは、いかにもストリーの厚みを増すためにトッピング的につけくわえた、という感じのものもあって(不倫男の殺人や、競馬界の陰謀など)、この辺はちょっとお手軽な気もしないでもない。 まあ、悪事や事件というものは、絶えず不如意に生じるものだ、という真理において、妙なリアリティを感じさせる面もあるが。 シリーズの中では中の上、という感じかな。まだ3冊しか読んでないから、大きなことは言えないのだが。 評点はちょっとオマケして。 |
No.1156 | 8点 | 名なし鳥飛んだ 土井行夫 |
(2021/04/15 00:54登録) (ネタバレなし) 昭和23年9月。GHQの指導を受けて学制改革に臨む大阪の澪標(みおつくし)高校は、数年後の廃校が決定した。同年4月から同校に新人教師として赴任していた「オタヤン」こと小谷真紀は、その日、宿直に就くが、「ホトケ」こと校長の浜田栄が校内で突然、服毒死した。自殺らしき現場には、遺書らしい自由律俳句が残留。オタチンはこれに不審を抱いて調査を開始した。やがてオタヤンは、ホトケが参加していた文芸同人誌「みみずく」誌への謎の寄稿者「名なし鳥」なる人物を意識する。だが学校の周辺では、さらなる事件が……。 第三回サントリーミステリー大賞本賞受賞作。 webなどでの情報をまとめると、作者・土井行夫(どいゆきお、1926年9月14日~1985年3月7日)は、もともと昭和のテレビドラマ界などで活躍した脚本家。 現状ではWikipediaに本人の独立項目などもないが、高橋英樹主演の時代劇『ぶらり信兵衛 道場破り』(1973年)などにも参加。筆者もたぶん同番組の担当回は観ているハズである(内容はもう完全に、忘却の彼方だが)。 そしてご本人はサントリーミステリー大賞に応募後、大賞の選考の20日前に他界されたそうで、本賞授与の吉報を聞く機会はなかった。 意地悪な見方をするなら、ご当人のご不幸に当時の選考委員が斟酌した可能性も疑えるが、評者の個人的な私見では、本作は受賞の栄誉に相応しい力作で秀作。 主題や設定などは乱歩賞受賞以降の梶龍雄作品を想起させるもので、当然、作者(土井行夫)の念頭にもそのことはあったと思われる。 その上で、太平洋戦争の傷痕への慰謝とその呪縛が謎解きミステリのロジックに密接にからみあう作劇は、かなりの読み応えを獲得。先駆の梶作品に確かに近いが、どこか微妙に違う全体の情感もじわじわと心に染みてくる(多彩に描き分けられた、教師や生徒たちのキャラクターがそれぞれなかなか良い)。 謎解きフーダニットのパズラーとしては、一部の情報の提示が遅めな感触もあるが、一方で伏線や手がかりは随所に用意され、それなり以上に練られてはいると思う。 作品の構造のネタバレになるのであまり多くは語れないが、本当の真相に接近してゆく物語の組み立て方も効果的。 苦さと切なさをまじえながら、それでも一定以上の詩情をそなえた、昭和の一時代を切り取った庶民派パズラーで、こういうのを年に一冊くらい読めればいいなあ、とも思う。 (今にして、本作のあとのこの著者のミステリ分野での活躍に、もう少し接してみたかった。) 評価は0.5点くらい、おまけして。 |
No.1155 | 6点 | 霖雨の時計台 西村寿行 |
(2021/04/13 16:13登録) (ネタバレなし) 3年前に恩人の女性とその夫、義母を殺害した容疑で死刑判決を受けた33歳の元料理店店主、江島正雄。その死刑執行の日が5日後に迫っていた。そんななか、警視庁のベテラン刑事、芹沢孝包(たかさね)は今なお江島の無実を確信して、半ば退職同然の形で事件の真相を洗い直しにかかっていた。だがもはや時間はない。そんななか、地方局、宮城テレビの編成部長で45歳の曲垣修蔵は、このまま定年まで穏便な職務を送るよりはと、運命的に現在の状況を見知った刑事・芹沢の捜査の軌跡を、リアルタイムで報道する。それは芹沢にとっても世間の関心を改めてこの事件に集めて、死刑執行の中止権をもつ法務大臣・中畑に訴えの声を届ける好機でもあった。やがて再捜査の第一歩として、芹沢は3年前に捜査本部から黙殺されたある観点から迫るが。 角川文庫版で読了。 寿行がこんな『幻の女』(あるいは『処刑6日前』『誰かが見ている』etc……)パターンの死刑執行タイムリミットサスペンスを書いていたとは、半年ほど前にブックオフで本の現物に出会うまでは知らなかった。 この手の作品の場合、主人公たちがギリギリのところで真犯人を暴いても、厳密にはそこで事態が解決するわけではない、死刑が実行されるその前に法務大臣に真犯人発覚の事実が適切な経緯で伝わり、中止の認可が降りるまでがゴールだ、というリアリズムがある。 本作はその辺のポイントにしっかりと食い下がった長編で、再捜査をリアルタイムで報道するテレビ番組が全国の視聴者(世論)と法務大臣、さらには警視庁までも拘束する(こんなにテレビで騒ぎになっているため、法務大臣は「もう執行命令を出して自分の役割は終わったんだから」と遊びにいくことも許されない)。このメカニズムの着想はすばらしい。 一方で真犯人検挙という成果が上がらなければ、法務大臣や警視庁はムダに時間を要されたわけで、芹沢と連携した宮城テレビも責任を問われる。斯界からの報復は必至。 宮城テレビの曲垣、そして彼の計画を支援する同局の上層部たちはこんなイチかバチかのリスクのなかで、芹沢の執念に勝負をかけて報道を敢行。この設定は実に面白い。 ただまあソコはソコ、どっか天然の寿行のことなので、筆の勢いに任せて物語がノッてくると、当初の主人公のひとりだったハズの曲垣はお役御免になり、後半は芹沢、そして法務大臣の中畑や警視庁の面々、そして犯人側の叙述の比重が増えてくる。まあいいんだけどね。 なんか事件を語るカメラの広角が増えるにつれて、序盤からの重要キャラが忘れられていく感じ。 エロくて猥雑、そして悲惨な性虐描写などは、いつも寿行作品のティスト。ミステリ味はシンプルなのだが、例によってクセのある叙述で真相に迫っていくので飽きさせない。 芹沢を取り巻く人間関係の変遷が本作のキモ。クライマックスのざわざわ感はなかなか印象深い。 こちらの期待する作者持ち前のバーバリズム以上に、小説としての練度が上回っていた感覚もあるが、まずは佳作~秀作(のほんのちょっと手前)。 7点に近いこの点数というところで。 |
No.1154 | 7点 | 死のミストラル ルイ・C・トーマ |
(2021/04/12 04:22登録) (ネタバレなし) その年の10月。31歳の建築家ジルベール・シャンボは、26歳の愛妻エブリーヌとともに、平穏そうな日々を送っていた。だがある夜、彼の自宅に「アントワーヌ・カルビニ」と名乗る青年がいきなり来訪。カルビニは去る6月24日、ジルベールのナンバーの乗用車がカルビニの新妻ジョゼットを挙式の日に轢き殺したと主張。ジルベールは身に覚えがないないひき逃げへの告発に反発して抗弁するが、やがて事態は意外な方向に……。 1975年のフランス作品。 評者はHM文庫版(翻案テレビドラマが放映された時に刊行された)で読了。 ルイ・C・トーマはフランスのサスペンス系作家で、日本には長編が4作紹介。80年代の本邦ミステリ界ではそこそこ人気を得ていたようなような印象があったが、本サイトでもAmazonなどでもレビューがまだない。21世紀の現在では、半ば忘れられた作家ということになるのか。 (と言いつつ、評者も読むのは、今回が初めてだ。) 本作の傾向が近い作家の名前をあげれば、ウールリッチとアルレーあたりの混淆という感触。少しボワロー&ナルスジャックも入っているかもしれない。要はフレデリック・ダールやミッシェル・ルブランの系列かも。 プチブルの主人公である若夫婦が蟻地獄に滑り落ちるように、一進○退しながら逆境にはまっていく大筋は息苦しいが、一方で小中の山場が豊富に用意され、サクサクお話が進んでいくのはなかなかよろしい。 キャラクターの造形なんかも、脇役かつポジション的には重要な役割の警察官コンビなんか、お話の流れの中のスキマを活用して、キャラが立った人物を登場させようという感じ。こういうノリは悪くない。本当にシリアス一辺倒に語ったらかなりダークになってしまう話に、よい感触で潤いを与えている。 終盤のどんでん返しの波状攻撃は、中には先読みできるものもあるが、それなりの量感と手数の多さで得点に成功している。 クロージングは(中略)という印象なのだが。 文庫版で300ページ強。3時間で読めた佳作~秀作。 たぶん作者は、この手の(中略)系サスペンス路線での安定株でしょう。 |
No.1153 | 5点 | 大迷宮 横溝正史 |
(2021/04/11 18:04登録) (ネタバレなし) その年の夏、東中野での興業で市民の人気を博したタンポポ・サーカス。だがそこの花形スターである空中ブランコの芸人、銀三少年がいずこかへと姿を消した。それからまもなくして中学一年生で同サーカスのファンである立花滋は、従兄弟の大学生、立花謙三が待つ軽井沢に向かう車中で、銀三そっくりな少年に出会う。やがて謙三とともに山中を彷徨う滋は、奇妙な洋館に入り込み、怪異な事件に遭遇した。謙三は知己の名探偵・金田一耕助の出馬を仰ぐが。 『少年倶楽部』1951年1月号~12月号連載。 評者は今回、蔵書である偕成社の叢書「ジュニア探偵小説」の5巻(昭和43年4月初版。装幀・カバー絵:沢田弘、さし絵:岩田浩昌)で読了。 うー……。少年時代から楽しみにして読まずにとっておいた一冊だが、想像を超えて(下回って)ツマラン……(涙)。 だって金田一耕助(等々力警部も登場)VS「(中略・あえてネタバレを気にしてまだ秘す))」だよ。 作者がそれまで別途に著述していた二大キャラクター(後者はまだ1回しか出てないが)による「巨人対怪人」の構図、趣向、コレに期待しないワケはない。 ところが実際の中身では、両者たがいにマトモに顔合わせもせず、盛り上がらないこと甚だしい(怒)。 わたしゃ、あのヒトが耕助に面と向かい 「ふっふっふ。貴様があの噂に聞く、一柳家の怪異の真相を暴き、獄門島の凶事を解き明かした名探偵か。いちど会って戦ってみたかったぞ」 くらい言ってくれるものと……(大泣)。そんな外連味かけらもないんでやんの! ここまでオイシイ趣向を用意しておいて、少年マンガしないでどーするっ!! 少なくともジュブナイルミステリ(スリラー)分野に関しては、ヨコミゾが大乱歩の足元にも及ばないことは改めてよ~くわかった。 大傑作『宇宙怪人』の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたい。 まあ細部で妙なまでに、ミステリ的なギミックやサプライズをいっぱい盛り込んでいることだけは認めましょう。たぶんここが見せ場なんだろうというところもいくつかあって、そのうちの一部はソコソコ、ちょっとこちらの心の琴線にヒットしたし。 (それにしてはどんでん返しの仕込み(伏線)が、本当にネタを割るその直前からだとか、いろいろ造りがしょぼいけど・汗。) |
No.1152 | 8点 | 第3の日 ジョゼフ・ヘイズ |
(2021/04/10 18:37登録) (ネタバレなし) 1963年9月の下旬。ニューヨークの一角で一人の男性が、自分が負傷してそして記憶を失っていることに気がつく。彼は、出会う人たちが呼びかける名前と懐中の所持品から、自分が当年35歳のチャールズ・F・バンクロフトなる人物だと認定。チャールズは所持していたメモ書きに導かれて、知人らしき老婦人エーデル・バランショアを訪問。一方で直感的に自分の記憶喪失の件は、ぎりぎりまで周囲に伏せておいた方がいいと判断しながら、やがてニュージャージーの、妻アリグザンドリア(アレックス)の実家パーソンズ家へとどうにか帰り着く。パーソンズ家は先祖代々、高級帽子の製作販売で成功を収めた土地の名士で、チャールズも社長オースチンの娘婿の立場で、事業の要職を務めていたらしい。だが1年前にそのオースチンが病床についてからは、会社の業績は急落。現在は会社を譲渡すべきかの論議がなされている最中だった。やがてチャールズは会社周辺の騒動とはほかに、別のトラブル~事件に直面することになる。 1964年のアメリカ作品。 現状でAmazonにデータ登録がないが、邦訳は井上一夫の翻訳で角川文庫から1971年3月10日に初版が刊行(本文450ページ。定価280円)。 作者ジョセフ(ジョゼフ)・ヘイズは、1918年にインディアナポリスで生まれたサスペンス系のミステリ作家。 本サイトでのtider-tigerさんによる『暗闇の道』のレビューでは同作しか邦訳がないようだとあるが、実際は同作と本作、さらに早川ポケットブックに収録の『必死の逃亡者』とのべ3作品が紹介されている(tider-tigerさん、ヤボな指摘(ツッコミ)、誠にすみません~汗~)。 評者がヘイズ作品を読むのは今回が初めてだが、本作品も本そのものは大昔に古書店で入手(巻末の角川文庫目録ページの上に40円と鉛筆書きがあった)。 例によっての書庫からの蔵出し本(汗・笑)だが、本作については大昔にミステリマガジンのリアルタイムの月評で「記憶喪失もので面白い作品を読んだ覚えがない」と簡素に切って捨てられた一方、本作を話題にした後年の「本の雑誌」とかの記事などで「これはとんでもなく面白かった」と褒めてあり、その感想の差異の大きさに軽く驚いたという推移がある。 しかしこの時期の角川文庫の翻訳ものは、初期の早川NV文庫などと同様、表紙周りにあらすじも作品の素性も記載していない、登場人物一覧もついてないというヒドイ編集&仕様なので、なんか敷居が高かった。 それでまあ今回、思いついて勢いで読んでみたが、いや、これは面白い! ミステリマガジンではなく本の雑誌の記事の方に軍配(笑)。 前述のように本の外側にまったく情報のないので、今回はまず本文より先に、井上一夫の訳者あとがきから読んでしまったが、そこでは<本作はタイトル通り三日間の物語>と記述。450ページはそれなりに厚めだが、しかし一方で三日間の時間枠限定でストーリーが決着するならかなりハイテンポだろうと期待したが、まさにその通りの内容。 ただし主人公を追い詰める流れ、かかわり合ってくる登場人物たちの扱い、それらは全体的に自然なので、お話の流れに人工的な無理はほとんどない(皆無とは言えないが)。 作中では犯罪(殺人?)にからむミステリ要素も用意されているが、どちらかといえば物語の基軸は名門実業家パーソンズ家内部の人間ドラマ、さらには企業「パーソンズ帽子」の乗っ取り? 劇の方に比重が置かれる。その辺の話の築き方が、のちのちのシドニー・シェルドンの先駆のようなティストで、かなり読み応えがある。 訳者あとがきによるとあのバウチャーも年間ベストの一つとして賞賛したというのも、実に納得のいくところだ。 ページ数が残り少なくなっていくなかでギリギリまでテンションを保ちながら、終盤でのまとめかたも「ああ、アメリカの(中略)だなあ」という感慨を呼ぶが、こういう作品はこれでいいのである。半世紀も前の旧作だしな。 運よく古書店で安く出会えたり、図書館で借りられたりしたら、読んでみてもいいかもしれませんね。 評価は0.5点ほどオマケ。 |
No.1151 | 6点 | 第二の顔 マルセル・エイメ |
(2021/04/09 04:40登録) (ネタバレなし) 1930年代末のパリ周辺。「ぼく」こと38歳の平凡な中年で、広告仲介会社社長ラウル・セリュジュは、役所に出かけたその日、いつのまにか自分の顔が全く変わっていることに気づく。そこにあるのは、30歳前後のかなりの美青年の顔だった。不条理な現実に戸惑いながらも、とにもかくにもこれを事実だと受け入れたラウル。彼は自分の会社から何とか資産を持ち出し、表向きは海外出張を装いながら隠遁生活に入る。「ロラン・コルベール」と名乗ったラウルは、この怪事を妻ルネーの叔父で、好人物ながらいささかボケかけた老人アントナンに述懐。一方でとある考えから愛妻ルネーを、初対面の美青年ロランとして<不倫>の情交に誘うが。 1941年のフランス作品。 昭和の広義の翻訳ミステリ分野では、結構有名な不条理ファンタジーだと認識していたが、本サイトでもまだレビューがない。じゃあ、と思い、書庫で見つかったこの一冊(創元文庫の帆船マーク)を読んでみる。 そういえば、読了後に訳者あとがきを読んで改めて意識したが、この作品、乱歩の『続・幻影城』の中で<変身願望>テーマのサンプルとして取り上げられていたのであった。 主人公ラウルの唐突な変身の原因は不条理小説の常として? 最後まで読んでも不明(神のみわざらしいとか、そういう観測は作中でなされるが)。 とにもかくにも、若くてハンサムな顔、そして新たな名前という、これまでと刷新した容姿と素性を手に入れたラウルだが、だからといって行動の枠が大きく広がったりはせず、自分の奥さんを別人を装って寝とりにいくというのが、笑えるような切ないような微妙なところ。そのほか数名のヒロインたちとの関係性をふくめて、若いハンサムに変身したからって何が大きく変わるものでもない、元の位置からそう遠ざかれない、という主張も覗いてくる(まるでサム・スペードの語る、失踪したダンナのその後の逸話のようだ)。 大設定の突拍子なさの反面、その後の展開はおおむね地味で地に足がついた感じだが、それだけに随所のユーモアや人間模様のペーソス感がなかなか味わい深い。ラストの決着はちょっと引っかかるところもあるが、まあその辺は。 とりあえず、読んでおいて良かった、とは思うけど。 |
No.1150 | 7点 | 重犯罪特捜班 ザ・セブン・アップス リチャード・ポスナー |
(2021/04/08 14:42登録) (ネタバレなし) ニューヨーク市警内に創設された「セブン・アップ特捜隊」。それは「セブン・アップス」(刑務所に収監されれば、7年以上の量刑を受ける重犯罪者を意味する隠語)を主体に捜査と逮捕を行う、中年で独身の敏腕刑事バディー・マヌッチをリーダーとする特捜部隊だ。厳粛に法規を遵守するゆえに守勢に回り、警官側の被害と犯罪者の横行を許していたNY市警にとって、攻勢のセブン・アップ特捜隊は期待の組織だったが、同時に警察内外からも危険視される見方があった。そんななか、NYでは、マフィアの大物を誘拐して身代金を奪う犯罪者が暗躍。バディーは、幼なじみの親友で病身の妻ローズを抱えた情報屋ビトーに接触し、さらに不穏な動きの暗黒街に愛妻家の部下の刑事ケン・アンセルを潜入させるが。 1973年のアメリカ作品。同年にアメリカで公開された(日本では74年公開)20世紀フォックスの、本書と同じ邦題の映画『重犯罪特捜班 ザ・セブン・アップス』のノベライズ作品。 評者は、原作映画はまだ未見のはず。映画本編を観る機会がなかなか得られなかったり、あるいはこちらから読んでもいいかなと思ったノベライズを原作映画より先に手にすることは、ままあるが、これはそんな一冊。 HN文庫の訳者(佐和誠)のあとがきを読むと、小説がいかにも映画の原作のように思わせぶりに書いてあるが、巻頭の原書版権クレジットなどを見るとあくまでノベライズなのは一目瞭然。60年代~70年代の半ばごろまでは日本の一般読書人のなかに<先に映画があり、それを小説化したノベライゼーション>という概念がまだ浸透しきっていなかったので(もちろんちゃんとその辺をわきまえている人もいたが、そんなに多くはなかった)、だからその時期の早川書房などではいくつかの作品を実際にはノベライズなのに「原作」と称して売っていたはずである(当然、該当する時期のノベライズの全てがそうだとはいわないけれど)。 ノベライズという文化に関しては、基本は「しょせんは後追いのもの。単品で楽しむならまずほとんどは、原作の映像作品の方が面白い」という観測と「ノベライズでも面白いものは面白い、時には原作の映像作品よりも面白い」という意見の双方があり、そういうそれぞれの主張はミステリマガジンの読者欄とかミステリサークル、SRの会の会誌「SRマンスリー」の誌上とかで延々と目にしてきた。 評者は個人的には後者で、作品の立ち位置を正確に認識して、適宜に評価しながら読むならノベライズそのものにも、十分に一冊の小説作品としての価値があるとは思う。 (要は具体的には、映画を未見で先にノベライズを読んだときは、その面白さが小説独自の脚色や演出で生じたものと即断せず、原作の映像作品からの継承要素である可能性も常に意識したい、ということですな。) そういう訳で本書(ノベライズ版『セブン・アップス』)だが、とにもかくにも地の文に力があり、一本の警察小説ミステリとしてかなり面白い。のちのちにベテラン訳者となる佐和誠の翻訳もかなり達者だとは思うし、それこそ映画がベースかもしれないが、セブン・アップス特捜隊とマフィアや誘拐犯たち犯罪者側の好テンポな視点切り替えが効果を上げて、ストーリーに絶妙な立体感を与えている。 ちなみにセブン・アップス特捜隊の実働メンバーは主人公バディーをふくめて4人だが、その過去の人間像なども細かく叙述。この辺は確実に、小説としてのメディアでの利点(テキストでの情報量を書き込める)を活かした感触だ。 それでこれはもしかしたら原作の映画も込みの? 感想になるかもしれないが、本作は警察内部で危険視されるセブン・アップス特捜隊の微妙な立ち位置も丁寧に叙述。NY市警の正道の捜査官で常日頃は特捜隊を半ば敵視しているジェリー・ヘインズ警部補が、いざ特捜隊に被害が生じた時には、何のかんの言っても同じ警察官として思いやりを見せてくれるところなんか実に泣かせる。あとこれはネタバレになりそうだからあまり書けないけれど、本作は警察捜査(アクション)ミステリでありながら、隣接するジャンルのある定型的な主題まで押さえ込んでいて、その意味でもなかなか読み応えがあった。 終盤のクライマックスは、小説として紙幅がどんどん残り少なくなっていくなかでなかなか最後の決着に至らず、この辺の読み手を焦らすテンションの高さも印象がいい。 なお小説執筆担当のリチャード・ポスナーは、これ以外、全然聞かない見たこともない作家。本国ではもっと活躍してるのか。これ一本で消えてしまったのか。もしかしたら別名で著作があるのか。いずれにしろ、かなり読ませる書き手という感触だった。 小説オリジナルで「セブン・アップス特捜隊」シリーズの続刊とか出ていてもいけたんじゃないかな、そう思ったりする(まあもしかしたら、原書ではそういう流れがないとは……万にひとつくらいは可能性はある……のか?) |
No.1149 | 6点 | ドンとこい、死神! 辻真先 |
(2021/04/06 06:12登録) (ネタバレなし) 一年前の山梨県笛吹川の大水害のなか、両親を失った高校生の風早圭。圭は後見人的な立場の伯父、英造とその妻、松江の夫婦を自宅に迎える形で同居していたが、ある日、工事現場で頭上から重量物が落下し、危うく死にかけた。だがその災難を機に、圭は寿命のつきかける寸前の人たちの周囲に出現する<死に神>が、彼だけに見えるようになった。そして死に神は、圭の幼なじみで同級生の美少女、柘植礼子の周囲に出現。圭は懸命に礼子を救おうとするが、彼の苦闘は裏目に出て、むしろ圭のために礼子が死ぬ流れになる。礼子の死をあきらめきれない圭は、自分だけに見える死に神に強引に深い接触をはかり、死の世界から礼子を取り戻そうとするが。 1970年に、本邦ライトノベル叢書の先駆といえる「サンヤング」(朝日ソノラマ)から刊行された作品。元版は「ミステリーヤング」の肩書で上梓されたが、内容は青春ホラーアクション異世界(冥界)ファンタジー。まあ広義の「ミステリー」だし、さらにこの頃は「ミステリー」といえば、怪奇幻想ものに寄った含意もあったとは思う。 なおソノラマ文庫に入ったときに『死に神はあした来る』といささか地味なタイトルに改題(現状でAmazonにはこの改題後のソノラマ文庫版のみデータ登録されている)。 なぜゆえに死神に「に」が入る? とも思うが(本文も同様に「に」入り)、それはさておき、評者は今回、こっちのソノラマ文庫版で読んだ。 長寿作家・辻真先の膨大な著作群の先鞭をつける、きわめてごく初期のオリジナル小説のひとつ(もしかしたらノベライズものを別にすれば、これが本当にオリジナル長編の第一弾か?)だが、そんな小説分野に踏み出したばかりの作者の若い(といってもすでに40近いが)日の情熱ゆえか、お話のはっちゃけぶりはなかなか凄まじい。 冥界の死に神に知己を得て食い下がり、何回かわざと死んでは(あるいは殺されるのを甘受しては)恋人の礼子救出を二度三度とやり直す大筋もぶっとんでいるが、一方で現実世界でも次第に、実は隠されていた大きな秘密が明かされてくる。この辺のストーリーの立体感は、お世辞抜きにさすがは辻センセの本領発揮。 くわえて冥界では青池保子の『イヴの息子たち』かファーマーの「リバーワールド」風の<あの手>の趣向も用意されていて、しかもそのキャスティングのイカレっぷりにすんごくニヤリとさせられる。 なんでもアリが許されるような作品なのでラストはどうまとめてもいいとも思ったが、予想以上に手堅く組み上げており、その辺もまたちょっと唸らされた。 キャラクターでは特に(中略)の、(中略)と(中略)を行ったり来たりの人物造形がケッサク。あの世からの恋人奪回というメインプロットの流れにおいてはイマイチ重要度は低い? 作中人物という気もするが、それでも当該キャラクターの存在ゆえに、この作品はかなり厚みを増したとは思う。 辻作品の体系に関心のある人、あるいはその超人的な実績のルーツを探りたい人とかは、一度手にとってみるのも、よござんしょう。 |
No.1148 | 8点 | ふたりの真犯人 三億円事件の謎 三好徹 |
(2021/04/05 08:56登録) (ネタバレなし) 1968年(昭和43年)12月10日。東京の府中で起きた現金輸送車強奪事件。それは「三億円事件」として昭和史に残る大事件となり、捜査員のべ17万人、容疑者12万人近くという大捜査を展開しながら7年後に時効を迎えた。事件発生当時、某新聞の社会部にいた当時30代半ばの独身記者・重藤は事件開幕時からの経緯を語るが、やがて時効が成立したのち、一人の人物が現れる……。 月刊「小説サンデー毎日」に昭和50年10月号より5回にわたって連載された、疑似ドキュメンタリー形式のミステリ。言うまでもなく、現実に起きた著名な現金輸送車襲撃事件を題材に、その時効のタイミングを連載の途中に組み合わせる形で執筆された(つまり万が一、時効以前に事件が解決していたら、当然、この作品は結末が大きく変わっていたことになる)。 時効のタイミングに連載をリアルタイムで合わせるというアクロバティックな手法は「三億円事件」に関してはたぶん他にも当時の例があったと思うが、記憶にある限りでは「週刊少年チャンピオン」に連載された石川球太の実録刑事マンガ『ザ・ノラ犬』の第一部がこの趣向で本事件を素材に展開。現実に三億円事件の捜査に途中から登用された昭和の名物刑事・平塚八兵衛氏を主人公にしたドキュメンタリーコミックだった(大昔の少年時代に、テレビでインタビューを受けている平塚氏の姿を、たった一回だけ、観た覚えがある)。 本書の元版は光文社のカッパ・ノベルスから『ふたりの真犯人 三億円事件の謎』の書名(~真犯人、までがメインタイトル)で1976年3月25日に「長編推理小説」の肩書で刊行。 のちに文春文庫に入った際に『三億円事件の謎』に改題された。これだと小説というよりは、純粋なノンフィクションドキュメントに見えないこともない。 (ちなみにAmazonでは現状、こっちの文春文庫のみデータ登録されている。) 評者は今回、大昔に買ったカッパ・ノベルス版(たぶんミステリマガジンの書評とかでホメてあり、それに乗せられたんだと思う)を書庫から見つけて読了。 事件そのものと、その事前工作らしい数回の脅迫状の件、さらには事件捜査のデティルを圧倒的な情報量で客観的に詳述。その端々に挟み込む形で、主人公の重藤記者の仮説や推理が語られる。 本書の内容は、多大な労力を費やした捜査陣の苦闘を非難するわけでは決してなかろうが、捜査の初動にどこか、ある種の精神主義にかまけた甘さといびつさがあったのでは? とやんわりと指摘。当初は3週間でこの事件は解決されるだろうと楽観していた捜査陣にも苦い一瞥を向けている。 強烈に読み応えのある一冊だが、ラストは「作品」としてまとめるためにいささか性急にフィクションの部分を導入した印象がなくもない。 とはいえ、その終盤で語られる<三億円の現金の行方>についての作者の仮説などはかなり興味深い。 前述のAmazonでは文春文庫の方のレビューが激賞ばかりだが、納得できる反響ではあろう。 「三億円事件」、現実の昭和史に関心のある人ならお勧めしたいドキュメンタリーミステリである。 |
No.1147 | 6点 | アラベスク アレックス・ゴードン |
(2021/04/04 04:47登録) (ネタバレなし) アメリカの大学で毎週短時間だけ歴史を教える38歳の考古学者フィリップ・ホーグは、あまりに少ない年俸に喘いでいた。美人の妻ミッジ(マーガレット)は甲斐性なしの夫に呆れ、娘のデイディを連れて家を出る。だがホーグは大好きな象形文字の学究のため、わずかな収入でも大学を離れる気はなかった。そんなとき、ホーグの教え子で中東の某国から留学中の少年エーヴァ・ベシュラーヴィが、高額のバイトを申し出た。エーヴァの父デーイムは先日不慮の転落死を遂げたが、彼が解読する予定の業務上の暗号文書が解けないまま遺され、伯父のナージュが難儀しているという。その暗号の解読に、ホーグの持つ象形文字判読の学識が有益だと見込まれたのだ。この話に応じるホーグだが、やがて彼は予想もしない陰謀の渦中に巻き込まれていく。 1961年のアメリカ作品。1966年のアメリカ映画『アラベスク』の原作ミステリで、同年に映画が日本で公開されたのに合わせて邦訳された(ポケミスの初版は1966年8月31日刊行)。 映画は未見だが、Wikipediaによると、大学の教員が暗号解読を頼まれるという大筋などのみが原作と共通。映画の舞台は英国で、主演のグレゴリー・ペックは独身のオックスフォード大学の教授に設定を改変されている(主人公の名前も違っているようだ)。共演のソフィア・ローレンのセミヌードスチールがなかなかイヤラシイが、この映画のヒロインの設定もほぼセミオリジナルらしい。なお小説の原題は「THE CIPHER(サイファー=暗号)」。 全体的にアメリカ作品というよりは、英国の巻き込まれ型冒険(中略)スリラーを思わせる雰囲気の内容で、その意味では映画が物語の場をイギリスにしたのは、非常に得心がいく。 読んでいる最中の感触は、80年代の文春文庫の単発の翻訳ミステリ、あのへんの気分に非常に近かった。適度に都会派で適度にユーモアがあって、そして淡々とそれなりに面白い感じ。 (本作の場合は中盤ちょっとかったるい感じもあったが、一方で場面場面では、なかなか印象に残るシーンもあったりする。) 主人公はもちろんホーグだが、途中から副主人公的なポジションとしてVIPを警備する「特別警備の鬼」と異名をとる独身の中年警部トーマス・L・ドチャーティがかなりの場面に登場。三人称の小説形式を活用して、二人のメインキャラが軸となって物語を進行させていく。 暗号の謎、その向こうに潜む陰謀、意外な黒幕などそれぞれまあ良い意味で水準点、という印象。 かたやキャラクタードラマの方は、作者の当初からの構想にぶれがなく収まるところに収まる感じで、この辺のくっきり度には好感を抱いた。 やや倦怠を感じる箇所もあるが、全体的には佳作のスリラー。映画と切り離して一本の小説として接しても、それなりに楽しめるだろう。 |
No.1146 | 7点 | 狙われる男 生島治郎 |
(2021/04/03 18:54登録) (ネタバレなし) 部長の桂秀樹が統括する、警視庁の特捜部隊「影」。同組織は「ブラック・チェンバー」の別称で警察内に知られ、所轄を超えた自由な捜査権を持つ。だがそれは同時に、国内各地の犯罪やトラブルへの対処を何でも強いられる、どぶさらいのような仕事であった。「影」の主力である二人の刑事、青年・鏡俊太郎と中年・轟啓介は今日もまた新たな事件の中に。 1969年からフジテレビ系で2クール放映された1時間枠のテレビドラマ「ブラックチェンバー」(主演、中山仁、内田良平。番組は後半『特命捜査室』に改題)の原作。 本書『狙われる男』には7編の連作中短編(鏡と轟の事件簿)が収録されている。 評者が読んだ本作『狙われる男』は1970年の元版で、テレビ番組とほぼ同時に刊行。 生島が番組プロデューサーの要請に応じて先に原作設定を提出し、番組の流れが定まってから、タイアップ的にどこかの雑誌にこの「原作小説」を連載したのかもしれない。 テレビ用企画が先行か? と疑うと何となく安っぽく思えるところもあって、これまで読まずに放っておいた。が、いざ読み出すとエピソードのネタはバラエティに富み、また一方で良い感じに生島ハードボイルドになっていて面白い。 なんというか、志田、久須見、紅真吾あたりの生島の生粋の自前キャラなら、あとあとまで大事にしたいのであろう作者の思い入れゆえにソコまで汚れ役を任せられないような際どいテリトリーまで、テレビ企画用の使い捨てキャラという意味合いで踏み込ませている気配がある。 そういうニュアンスで期待以上にワルの匂いが漂っていた主人公たちだが、そう構えて付き合おうとすると関係者への人情や繊細な弱い面も披露してきて、なかなかキャラクターの懐が深い。 潜入捜査官という設定ゆえ、最初はメインゲストキャラの視点で物語を始めて、そこに変名を用いた鏡たちが介入してくるパターンの話なども随時用意され、お話の内容はなかなかバラエティ感豊か。 全部が全部秀作というわけではないが、それなりに手の込んだストーリーに続けてシンプルなプロットの話が続いたりするのも、一冊の連作ミステリ集としての起伏につながっていって楽しかった。 外出時の読み物としては結構な一冊で、就寝前にもベッドに持ち込んで何編か読んだ。 「こういうもの」が楽しめるヒトなら、読んでもいいんじゃないかと思うよ。 |
No.1145 | 6点 | 二人と二人の愛の物語 笹沢左保 |
(2021/04/02 05:52登録) (ネタバレなし) その年の8月20日。都内の町田で火災が発生して、現場からホテル「ニュー東洋」の運転手である41歳の岸田昌平の死体が見つかる。当初は単純な火災事故死かと思われたが、やがて岸田は多方面に手を伸ばす悪質な恐喝者と判明。恐喝の被害を受けていた者に殺された可能性が取りざたされる。そしてこの恐喝者の死は、直接は接点のなかった二組の愛し合う男女の運命に大きく関わっていった。 徳間文庫版で読了。 あんまり多くは言えない作品だが、とにかく読んでるうちはやめられず、深夜にページを開いて朝方までに読了してしまった。 ストーリーテリングというかオハナシ作りの妙だけいったら、作者の無数の著作のなかでも上位にいくかもしれない。 (それは登場人物を、良い意味で駒として扱う作者の筆さばきも含めて。) それだけにラストは唖然呆然とした。 これはアリか? とも思うが、作者は120%自覚した上でのクロージングであろう。 ロマンスサスペンスとしては一等作品。謎解きミステリとしては……。 まあ、読んで良かったとは思う。 |
No.1144 | 4点 | ある殺人の肖像 ジュリアン・シモンズ |
(2021/04/02 03:07登録) (ネタバレなし) イギリス下院議員の経歴を持ち、現在は出版社「庶民社」の社主であるオッキー・ガイ。彼は自社の定期刊行物「庶民」「今日の犯罪」を通して、さらにテレビなどにも登場する庶民の味方の論客として、一般市民の支持を得ていた。だが盤石に見えた庶民社は実は現状、急いで資産援助をしなければならない状況にあり、そのためにワンマン社長のオッキーは手段を選ばなかった。そんななか、会社の周辺で一人の幹部社員が何者かに刺殺される。 1962年の英国作品。 うーん、この数年、手にしてきたシモンズ作品はどれも7点以上、一律に読み応えのある面白いものばかりだったが、これはちょっと。 物語の舞台となる出版社「庶民社」にからむ群像劇は緻密。そのメイン人物はもちろんオッキーだが、雑誌「今日の犯罪」の編集長で新入社員の女子に亡き妻の面影を見て恋心を抱く青年「ボーイ・カートン」ことチャールス・カートンが副主人公となる。 しかし丁寧さは感じるものの、ちっともストーリー的にも謎解きミステリ的にもハジけた感じがしなくて凡庸。いったいこの作品は、どこで勝負しようとしたのだ? という感想である。 (住宅難の少女一家をネタに、これ見よがしにイイことをして善人アピールしようとしたオッキーのくだりは、ちょっと風刺がきいていたが。) 最後の方にちょっとミステリとしてのひねりがあるのはわかるんだけれど、真相を聞かされて、はあ、それで? という思い。たぶん数か月したら、あんまり面白くなかったこと以外、忘れているでしょう(汗)。 シモンズもヒットばかりではなかったのだな、という感じ。ポケミスの解説も、よくよむとこの作品そのものは実ははっきりとはホメてないね? まあ次回からは、いい意味で期待値を下げてシモンズ作品に付き合っていきましょう。 |
No.1143 | 6点 | ダブル・デュースの対決 ロバート・B・パーカー |
(2021/03/31 13:46登録) (ネタバレなし) ボストンの公営住宅地で、黒人のスラム街「ダブル・デュース」。その年の4月13日にそこで、14歳の黒人娘でシングルマザーのデヴォナ・ジェファスンとその赤ん坊が射殺された。理由は、デヴョナの彼氏「トールマン」が麻薬の売人だったことにからむらしい。黒人牧師オレティス・ティリスたち町の人々は、黒人の荒事師ホークにデヴォナ殺しの犯人の捜査と町の浄化を依頼。「私」こと私立探偵スペンサーはホークの要請を受けて、ともに、町に巣くう不良少年一味「ホウバート」と対峙する。 1992年のアメリカ作品。スペンサーシリーズの第19弾。 評者は本シリーズは初期編はそれなりに愛読。そのあと『約束の地』(権田萬治いわく<「警察の御用聞き」私立探偵小説>)だの『ユダの山羊』(プロットのシンプル化が加速)だののお騒がせ作品が出るようになってから、何となく雰囲気が変わり、でも『初秋』は人並に好感。そんななかで一番スキなのは、とある事態へのスペンサーの対応が、いまでいう厨二的? にキマった『儀式』だったりする。 その『儀式』(シリーズ9作目)を最後にこのシリーズからは離れていたが、書庫をかきまわしたら、なぜか古書で買っていた本作のハードカバー版が出てきた。 それでシリーズとしてはつまみ食いの流れは承知で、気が向いて読み始めてみる。たぶんウン十年ぶりのシリーズとの再会。 本作のポイントは「黒人スラム街もの」「ホーク主役編」「黒人不良少年もの」「ホークとゲストヒロインの黒人美女とのラブロマンス」などなど。 ひさびさに読んだこの時期の菊池光の訳文のカタカナ表記はスゴイし(発音の文字への置換でクセが強すぎる)、お話も例によってシンプル。ミステリとしてはこの上なくどうということもない内容。ただまあそういう読み方で付き合う作品ではないね。 今回は特にスペンサー&スーザンが、新聞の日曜版の文化欄で語られる非行少年問題について、あれこれ私見を述べている中流家庭の人たちみたいである。 まあこのシリーズは往往にしてそんな感じだが。 ホークとメインゲストである黒人不良少年チームのボス、メイジャー・ジョンスンとの関係性、その推移はちょっと印象的だった。 ただしそれ以上にちょっと心に引っかかったのは、ラストでスーザンに向けてスペンサーが語るある述懐。 90年代の現実で卑しい町を歩く私立探偵としては、コストパフォーマンスの高い一言であった。 読後にAmazonのレビューを読むとシリーズ復調の快作とかファンの快哉がワンサカ。 ほとんど一見さんみたいな出戻りファンとしては、とてもこの熱狂にはなじめないという感じで苦笑。 個人的にはまあ佳作、くらいか。評点は0.5点オマケ。 |
No.1142 | 7点 | もしもし、還る。 白河三兎 |
(2021/03/30 16:53登録) (ネタバレなし) 「僕」こと28歳の社会人・田辺志朗(「シロ」)は気が付くと、サハラ砂漠を思わせる赤い砂塵の広大な無人の砂原にいた。そこにひとつの電話ボックスが出現。事態の経緯もわからないまま、シロは助けを求めて119番に電話をかけるが……。 文庫書き下ろし作品。 評者は白河作品は2014年以降の新刊ばかり読んできたので、旧作として手にしたのはこれが初めて。 いきなり不条理SF風のシチュエーションから開幕して、そのまま主人公シロのこれまでの半生が抱える複数の謎の興味に踏み込んでいく。 一方でこの異常な世界の構造というか、成立の経緯についての探求はどちらかといえば消極的で、途中でたぶんそういうことなのかも知れないという示唆が読者に与えられる程度。 ただしとにもかくにもシロは、この奇妙な空間での約束事やシステムをかなり柔軟に認識して思索や試行を進める。読者はそんなシロの視点に付き合った上で、彼の周辺に起きたいくつかの謎の真実を探るという、すごくゆるやかな意味でのSFミステリだといえる。 主人公のひねた、しかし透明感でいっぱいの内面描写やキャラクター造形など、まさに白河節が炸裂という感じ。 それだけに(Amazonのレビューで同様のことを言っていた人がいたが)終盤がかなり駆け足で舌っ足らず気味なのが惜しまれる。(中略)の正体などは、まあそういうこと……なんだろうけれど。 あと主人公の(中略)の思考、白河作品で初めて「めんどくさいな、こいつ」的な思いを抱いた(汗)。評者のそんな感慨が当を得ているかどうかは、正直、自分でもよくわからないが。 いずれにしても、作者のこの時期の作家としての器量を、改めて実感させられた一冊。 佳作とか秀作とかいう前に、これはまずは白河作品、だと思う。 |
No.1141 | 6点 | 撮影現場は止まらせない! 制作部女子・万理の謎解き 藤石波矢 |
(2021/03/30 15:49登録) (ネタバレなし) 中堅の映画監督、連城祐基の現場で、製作部のスタッフとして働く「ばんり」こと29歳の佐古田万理。万理の仕事は、映画の撮影作業が潤滑に進むよう製作体制の全般を支援する「制作進行」だ。この仕事について6年めの万理だが、彼女の周囲には連城監督や上司のプロデューサー、春日部ほかもの作りの仕事に強い接点を見出す人々が集う。だがそんな撮影現場では、予期しない事件が。 映画撮影現場を舞台にした業界もの+「日常の謎」ものの連作中編ミステリ。 書き下ろしの文庫で、本文全体は230ページほどと短め。全4話のストーリーが語られる。 基本は人間関係の綾に基軸を置いた謎解きで、ときに苦い主題を扱いながらも後味が悪い話はない。 さらに実際に作者に映画制作に関わった素養があるのか、あるいは取材や考証が充分なのか、映画の撮影や企画制作についてのトリヴィアも楽しく学べる。 (もし何か問題があるとしたら、それは読み取れない評者の方の問題だ。) さらに主人公ばんりほか、映画制作に参加する人間たちの心の傾斜ぶりも適宜に抑えられている(単純に「映画が好き」という言葉でまとめない辺り、21世紀の作品として気を使っている)。 前述の業界もの+日常の謎解きとして、全体的に優等生的な連作ミステリ集。一本読み終えたらすぐまた次に行きたくなるくらいには、楽しかった。 良い意味で、この手のスタンダードな一冊。 シリーズ化はしてほしい反面、あまりマンネリになってもツマランな、という思いも感じる作品でもあった。 |
No.1140 | 6点 | わが愛しのワトスン マーガレット・パーク・ブリッジズ |
(2021/03/29 04:43登録) (ネタバレなし) 19世紀のイギリス。「私」こと、1854年1月6日生まれの少女ルーシーは14歳のある日、自宅で、激情に駆られた実父が実母を弾みで殺害する現場に立ち会った。そのまま家を出たルーシーは、オクスフォード大の学生寮の<兄>のもとに転がり込み、ひそかに数か月を過ごすが、やがて出奔。男装して、生きるための経験をロンドンの裏社会で積んでいく。少女時代から常人ならぬ読書家で、独学で天性の叡智を磨いたルーシーは、男性「シャーロック・ホームズ」として諮問探偵を開業。運命的に出会った親友ジョン・ワトスンにも本来の性別を秘匿しながら名探偵として活躍し、そしてライヘンバッハの滝からも帰還した。そんなルーシー=ホームズも今では50歳代。ワトスンの三度目の妻との死別を慰めるが、そんな彼らのもとに一人の若き赤毛の美人の依頼人が来訪する。彼女は若手女優のコンスタンス・モリアーティ。あの犯罪界のナボレオンの遺児であった。 第10回「サントリーミステリー大賞」特別佳作賞・受賞作品。 原稿は1957年4月生まれのアメリカ女性マーガレット・パーク・ブリッジズによって英語で書かれて同賞に応募され、受賞後に翻訳されて日本で刊行された。 判断に迷うところもあるが、作品が英語で書かれたことから登録はとりあえず海外作家(作品)としておく。 作者ブリッジズは本業は広告エディターで、アマチュア演劇人としても活躍。評者は現状では、これ以外の著作は確認していない。 ホームズはあるいはワトスンは女だった、というのは古来から知的遊戯的に提唱されるシャーロッキアンの学説(悪ふざけ)だが、これは本気でその設定で、一応はマジメな作りで長編を仕立ててしまった一冊。パスティーシュとパロディが相半ばしたような作品だ。 というか私的に連想したのは、アメリカンコミックの大手ブランド「DCコミックス」の<エルスワールド>路線で、これはスーパーマンやバットマンの正編世界を離れて「もしバットマンがバイキングだったら」「もしバットマンが西部の時代にいたら」「もしキャル・エル(クリプトン人としてのスーパーマンの本名)が、スモールヴィルのケント夫妻でなく、子宝に恵まれなかったゴッサムのウェイン夫妻に拾われていたら」……などなどの<ホワット・イフ>的なパラレルワールド設定での外伝を語るもの。 本作は、そういったDCコミックスの「エルスワールド」路線と同種の<「もしホームズが実は女性で、その事実を隠しながら実績を重ねていたら」というパラレルワールドでの物語>と受け止めるのが、いちばん分かりやすい。 もちろん要は戯作の類だが、21世紀の今では割とありふれているジェンダー変換もの(ゲームだの漫画だのラノベだのに、山のようにあるネ)の先駆として、筋運びそのものは、けっこう生硬かつマジメに進んでいく。 (一部のご愛嬌的な展開はあるにせよ。) そういう意味ではうわついた内容ではなく、手堅く楽しめるパスティーシュ&パロディといえる。 特に後半、さる事情から<女性の素顔>になった(逆説的な変装)ホームズの行状はなんとも言い難い味わいで、本作独自の奇妙な感触になじんでくると、これはこれでオモシロイ。 悪役キャラの悪事が広がっていかず、最後までせせこましいとか、そもそもこの大設定なら、もっと原典世界で踏み込むネタがあるんじゃないか、という弱点も感じたが、まあその辺はボチボチ。 ちなみに冒頭の<「ホームズ」の実父の実母殺し>のエピソードだが、この<名探偵の語られざる秘話>ネタは、ニコラス・メイヤーの『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』の中にも登場したのを覚えている。 もちろんドイルの原典世界で直接は叙述されていない文芸だが、シャーロッキアンの学説でそういう観測に行き当たるらしい? というのを以前にどっかで読んだような記憶がある。たぶんちょっとしたシャーロッキアンなら鼻で笑うような常識なんだろう。そのうち資料にでもいきあたったら、確認してみることにしようか。 |