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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2109件

プロフィール| 書評

No.1069 5点 印度の奇術師
甲賀三郎
(2021/01/15 05:34登録)
(ネタバレなし)
 世界大戦の兆しがふたたび翳り始めた、昭和十年代の半ば。その年の11月、訓練空襲警報が鳴り響く東京の一角で「昭和日報」の青年新聞記者・獅々内俊次は、怪しい気配の外車を目撃した。獅々内が追跡すると、停車した車内からはインド人らしき男の射殺死体が見つかる。しかしその被害者の遺体には、意外な痕跡が。

 昭和17年に刊行された作品で、甲賀三郎のレギュラー探偵のひとり・獅々内俊次ものの第五作目の、そして最後の長編。昭和17年以降の甲賀は国内の戦時色が濃くなるなか、ほとんど探偵小説執筆の機会を絶たれ、そのまま昭和20年の2月に終戦を待たず他界した。だから本作は日本のミステリ史に多大な功績を遺しながら活躍期間は決して長くはなかったその甲賀の、晩期の主な作品のひとつということになる。

 評者は今回、ミステリマニア向けの自費出版も行う古書店・盛林堂書房が2015年に刊行した<デジタル復刻版>で読了。
 評者は2015年当時、甲賀作品全般に大した素養もない(今でも似たようなものだが~汗~)まま、とりあえず希少そうなので少部数限定の復刻本を購入。そのまま積ん読にしていた。
 それで数日前、部屋の蔵書の山の中でこの本が「そろそろ読んでくれよ」と恨めしそうにしているのが気になって、つい手にとってみる。
 
 そもそも評者は(その名探偵としての勇名ぐらいはさすがに知っているものの)、獅々内俊次ものの実作を読むのは、コレが初めて。名作と聞く『姿なき怪盗』すら未読という体たらくだが、そんな一見の自分でも結構スイスイ読める。それくらい本編のリーダビリティは高い。
 なにより会話の多さは破格もので、中盤での獅々内と彼の上司である尾形編集長が事件を整理して語りあうところなんか、ほとんどト書きすら不要なシナリオのダイアローグのごとし! である。

 かたや事件の方は、もともと獅々内が取材に向かおうとしていた変人科学者の案件に、殺害されたインド人のとある意外な事実&奇妙な謎などが絡み、さらに不可思議な人間消失? 的な興味までが劇中に頭をもたげてくる。
 ただしストーリーは不可能犯罪的なパズラーの趣にはあまり向かわず、むしろ作品そのものが書かれた時局に似つかわしい、国策的なアッチの系列のジャンルに染まってしまう。コレはまあ当然……というところか。

 実のところ、ストーリーそのものはテンポもよく、物語の起伏も豊か。だが後半になって、そこに行くまでに抱え込んだ物語要素を捌くため、どうしてもお話がゴチャゴチャしてきてしまう。それゆえ読んでいて、最後の方なんかはかなりキツい。
(ただそれでも、謎解きミステリの要素に食い下がろうとした姿勢は最後まで感じられ、その辺りはなんか、面白いとか良かったとかいうより、時代を超えてこちらの胸を打つ。)

 一歩引いたメタ的な見方をするなら、国策的な作劇につきあわざるを得なかった<戦時下に放り込まれた戦前の探偵小説の名探偵>の苦闘を偲ぶべき一冊かもしれない。んー、やはりその意味では、本作を読む前にもっと獅々内シリーズの主だった事件簿に目を通しておくべきだったかもしれん。
 いつかまた、ディープな甲賀ファンの感想なども、改めて伺ってみたいところではある。


No.1068 7点 アリバイのA
スー・グラフトン
(2021/01/14 06:32登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと32歳のキンジー・ミルホーンは、元警察官の女性で私立探偵。キンジーは、夫を毒殺した罪状で8年間服役して出所したばかりの30代半ばの女性ニッキ・ファイフから、事件を再調査して冤罪を晴らしてほしいとの依頼を受ける。キンジーは8年前に殺害されたニッキの夫ローレンスの周辺で、彼の死の直後に同じ毒薬で死亡した女性がいることに興味を抱くが。

 1982年のアメリカ作品。
 パレッキーのヴィク・シリーズだって2~3作しか読んでない評者だが、そちらと双璧を為すハズのミルホーンものなんか、これまで一冊も手にとったこともなかった。
 それでちょっと読んでみたいなと思っていたら、行きつけのブックオフの100円コーナーで一週間ほど前にこの本(HM文庫)が見つかって購入。タイトルでシリーズ第一作と一目瞭然なのは、ありがたいネ(笑)。

 それで夜中(というか明け方近く)までかけて、とにもかくにも一日で読了。
 基本的にキンジーの捜査は、彼女の視界に入ってきた情報を実に素直に順々に足で追いかけていくスタイルで、そんなオーソドックスさがとても快いし、有難い。
 なにせ自分の場合、私立探偵捜査小説を読んでいて一番イライラさせられるパターンは、主人公の軌跡またはその行動の採択にシンクロできず「なんでそっちいくの?」と戸惑わされるコトなので。しかしこの作品はほぼまったく、その手のストレスが生じない。
 これって当たり前のようで、実はすごく大事なことだ。

 登場人物はそれなりに多くて、HM文庫の人物一覧には22名の名前が並んでいるが、実際にまた自己流の人物表をまとめたら端役を含めて47人のキャラ名が出てきた。ただしおおむね丁寧にキャラクターが描き分けられているので、特に摩擦感も生じない。

 しかし捜査小説として好テンポでなかなか面白いとは思えたものの、肝心の主人公キンジーが<1980年代デビューの女探偵>として、ライバル(?)のヴィクとほとんど変わらないように思えてならなかった。
 いや<正統派ハードボイルド探偵のフォーミュラをジェンダーチェンジすると、どうしてもおのずとこうなる>というそんなフィクションの創作ロジック、その虜になってしまっているみたいなのだな。
 少なくともこのシリーズ最初の一冊を読むかぎり、そのように思っていた。途中までは。
 
 ……ただし現在、本作を最後まで読み終えると、結局もうちょっと……いや相応に、作品への評価は上がり、キンジーへの印象も変わってきている。その理由は、ここでは書けないし、書かない。
(ついでに言うなら、HM文庫巻末の解説も読まない方がいいよ。)

 ともあれ、全体としてはそれなり以上に面白かった(だからほぼイッキ読みした)。その一方で、通読には結構なカロリーを使った。アンドリュー・ヴァクス辺りまでにはいかないにせよ、その7~8割くらいのエネルギーは消費した感じ(作風はまるで違うが)。
 次にまたこのシリーズを読むのは、少し時間を置いてからにしよう。


No.1067 6点 ライノクス殺人事件
フィリップ・マクドナルド
(2021/01/13 04:39登録)
(ネタバレなし)
 1930年代のある年の英国。「F・X」こと当年67歳の実業家フランシス・ザヴィアー・ベネディックが創業した大手株式会社「ライノクス無限責任会社」は先の無理な投資が災いして、今では倒産寸前の危機を迎えていた。この窮地を乗り切るため、F・Xは共同経営者で友人のサミュエル・ハーヴィー・リークスとの意思統一を図ろうとする。だがまだ事態の打開もかなわぬ内に会社の周辺には、F・Xに何か因縁があるらしい怪人物ボズウェル・マーシュの姿が出没する。やがて一発の銃声が響き……。

 1930年の英国作品。
 しばらく前から評者も「そろそろ読みたい」と思っていたが、蔵書が見つからない(またかい)。それで部屋の中をさらに引っかきまわしたらようやく無事に創元文庫版が出てきたので、早速読み始める。
 しかし久々に手にとった時の印象は「あれ、こんなに薄い本だったっけ?」であった。本文だけなら250ページ弱だよ。

 それで21世紀の今なら、国内の新本格ジャンルで何回か見たこともあるような<プロローグとエピローグの逆転構成>である。まずはスナオにその趣向に乗っかるつもりで読み進めた。そうしたら次第におのずとおおむねの仕掛けが見えてくる。が、その一方で刊行された1930年という時代を考えるなら「ま、こんなものか」あるいは「しゃーないか」とも思えたりした。
(しかしこの作品の大ネタは、先行する英国の某・名作長編に確実に影響を受けているよね?)
 あと、この肝心のエピローグ(実質プロローグ)だけど、これってかえって……(中略)。

 まあ途中で<半ば賞味期限切れネタのクラシックだ>と見切った分だけ、割り切った思いで楽しめた感もある。作中のリアルを考えるなら、同じことをするにせよ、もっといろいろやりようもあったのでは? とアレコレ思ったりもしたけれど。

 ちなみに創元文庫版の巻末の解説を担当された臼田惣介氏とは、ミステリーサークル<SRの会>の某・古参会員氏(先年他界された)の商業用(?)ペンネーム。
 同じSR会員としての身内ホメの意図は皆無のつもりで言うけれど、この解説は、P・マクドナルドの諸作と解説担当者ご本人のミステリファンとしての距離感を思い入れたっぷりに綴った、実にステキな一文であった。
 ただし世代人が『ライノクス』を語るなら、当然、文中にでてきそうなミステリマガジンでの山口雅也氏の連載「プレイバック」(1977~79年)の該当回(六興版『ライノクス』を俎上に上げた回)のことをまったく話題にしていないのがちょっと意外であった。
 連載時の時点で絶版や品切だった幻の名作を回顧する山口センセのレギュラー記事「プレイバック」は当時、全国のミステリファンに大人気連載だったハズで、この『ライノクス』の回(連載第15回目か?)もかなりファンの反響が大きかったと思うんだけどね?
 コレは臼田氏がなんとなく話題にしそびれただけなのか、何らかの思惑で意図的に話のネタにしなかったのか、そこだけはジジイのこだわりでチョット気になったりする(笑)。


No.1066 5点 謎解きのスケッチ
ドロシー・ボワーズ
(2021/01/12 03:06登録)
(ネタバレなし)
 1930年代の末~1940年頃の、第二次世界大戦の緊張が本格化し始めた時局のイギリス。新人外交官の青年アーチー・ミットフォールドがある夜、何者かに殺害された。ミットフォールドはその少し前から、何者かに繰り返し殺されかけていると表明。かたや彼は生前、種別もよくわからない鳥のスケッチを、なぜかいくつも描き残していた。スコットランドヤードのダン・パルドー警部がこの事件の捜査に乗り出すが、それと前後してアマチュア探偵を気取るミットフォールドは、いま英国で話題になっている<富豪サンプソン・ビックの失踪事件>に関心を見せていたことが明らかになってくる。

 1940年の英国作品。
 初読みの作者で、論創で先に出た同じシリーズの既訳の分は読んでいない。
 マイナーな出版社からクラシックミステリの新訳発掘がかなり安い値段(ソフトカバーで1300円+税)で出たので、これは買っておかなければあとで後悔する? と思って、書籍版を3年前の刊行時に購入した。それで買って安心してそのまま昨日まで積読にしていたが、そろそろ読んでみるかと手にとってみる。

 内容は、すごい地味な作風。第二次大戦の影が迫る時代の空気は非常によく書けており、1940年に刊行という原書がその年の年初に出たのか、年末の発売だったのかしらない。が、1940年といえば、ナチスドイツが欧州の各国に侵攻、占領していた時期で、数か月単位で戦局もかなり変わってくる。実際、作中でも英国国内の有志・親独グループが解散したなどという話題も出てきて、さぞ微妙な時期だったのだろうと窺える。
 一方で肝心のミステリとしては、ミスリードを狙う手掛かりや伏線が豊富に準備され、それが相乗的に効果を上げればいいのだが、逆に謎の興味への訴求を相殺しあっている感じ。
 正直、前半、中盤、後半と、全体的に、平板というのではなく、それなりに高い物語の山脈が起伏も無く続いていくようで、緊張感が生じずに退屈であった。
 クライマックス、真相が明かされてからはちょっと面白くなったが、一方でそうなるとまた<その事実>に至った状況が説明不足で、なんかモヤモヤ。
 ……結局(中略)の(中略)って?

 題名になった鳥のスケッチの要素もふくめて、もっと面白くなりそうな気配はいくつもあったのだけれど、話の整理と演出に失敗した一冊。
 同じ英国のクラシック系でいえば、ロラックの諸作あたりに近いかも。


No.1065 6点 わが愛しのローラ
ジーン・スタッブス
(2021/01/10 15:42登録)
(ネタバレなし)
 19世紀末の英国、ウィンブルドン。代々にわたって英国の玩具業界の大物実業家の名門として知られるクロージャー家の現当主で、48歳のセオドアが死亡する。セオドアには14歳年下の美人妻ローラと、35~36歳のハンサムな実弟タイタスがいる。はた目には仲のいい主人夫婦と主人の弟の3人組だが、陰では年の近い美男美女ローラとタイタスの危険な関係を、勝手に噂する者もいた。そんなある夜、セオドアが頓死。クロージャー家の誠実な主治医パジェットは主人が謀殺されたという無責任な風聞を厭い、事件性がないことを立証するためにスコットランドヤードのベテラン刑事、ジョン・ジョセフ・リントット警部の出馬を仰いだ。そして当初は病死に思えたセオドアの遺体から多量のモルヒネを呑んだ痕跡が見つかる。

 1973年の英国作品。
 1974年度のMWA最優秀長編賞(本賞)の候補作になった長編ミステリで、女流作家ジーン・スタッブスのレギュラー探偵、リントット警部シリーズの一作目。
 内容は旧世紀末期の英国、その階級社会を舞台に、虚飾に彩られた人間関係を描く時代ものミステリ。
 日本ではポケミスで「ヴィクトリアン・ミステリ」を謳いながら先にシリーズ第二作『彩られた顔』が初紹介。評者は大昔にそっちを読み、けっこういい感じで読み終えたような記憶がうっすらあるが、結局、このシリーズとの付き合いはその一冊だけだった。
 日本でも地味な作風がまるでヒットしなかったらしく、リントットシリーズは本国では、この『ローラ』が邦訳された時点ですでに第三作も刊行されていたが、ここで翻訳刊行は打ち切られた。
 
 それでも前述のように、どっか心にひっかかるものがあったので数十年ぶりにこの未読の『ローラ』を手にとった(また、所有しているハズの蔵書が見つからず、Webで安い古書を買った)が、いや、普通に面白い。
 時代設定は1890年代で、現在21世紀のコロナウィルス災禍の件でよく引き合いにだされるスペイン風邪が欧州を暴れ回った時代。当時の文化人や歴史上の事件の話題も満遍なく盛り込まれ、ヨーロッパ近代史に大した知識のない自分でもその辺を小説の厚みとして楽しめたので、この時代に興味のある人ならもっと得るものがあるかもしれない(たぶんこの辺がMWAの審査員に受けたか?)。
 内容は、ディケンズの世界をヴィクトリア・ホルト風のメロドラマ群像劇として勢いのある筆で語ったという感じ。一応はフーダニットの興味を誘っているが、やや(中略)な解決まで踏まえて、ガチガチの謎解きというよりは時代ものの風俗ミステリとして読んだ方がいいだろう。その意味で、評者には十分に楽しい作品だった(とはいえ、最後の意外性などはちゃんと用意されてはいるが)。

 なお探偵役のリントット警部は、英国ミステリのひとつの主流である、紳士タイプの公僕捜査官の系譜の名探偵キャラ。
 ただしこの物語の主題のひとつである19世紀英国の階級社会に切り込むために、下層階級出身(でもメンタル的には紳士探偵の魂を持つ)と設定されている。
 勝手なイメージでいえば、イケメンだが無精ひげがすごく似合う洋画の野性的な二枚目俳優が、似合わない礼服をまとっている雰囲気。
 大昔にこのキャラに惹かれたこともふくめて、先に読んだ『彩られた顔』は面白かった記憶がある。
 
 評点としては7点に近いこの点数で。地味な作風だが、リントットがクロージャー家の多彩な使用人たちを順々に尋問していくあたりのまったりとした、しかし飽きさせない小説作りなど、ああ、英国ミステリっぽい一冊を読んでる、という感興に浸らせてくれる。
 
 ちなみに未訳のシリーズ第三作めは、リントットの当時のアメリカへの主張編だったらしい。もしかしたら、高く評価してくれたMWA=アメリカミステリ文壇への感謝の表意だったのかもしれないね。やっぱり読んでみたい。


No.1064 8点 アンブローズ蒐集家
フレドリック・ブラウン
(2021/01/09 07:34登録)
(ネタバレなし)
「ぼく」こと新米探偵の青年エド・ハンターは、私立探偵として豊富なキャリアを持つ伯父アム(アンブローズ)とともに、伯父の知己ベン・スターロックが経営する「スターロック探偵社」に勤務。いずれ叔父と甥で独立した探偵事務所を開くため、資金を貯めていた。だがある日、事件を調査中のアム叔父が行方不明となる。エドは必死に伯父の消息を追い、スターロック社長を初めとする探偵事務所の仲間や旧知の警官フランク・バセット警部も手を尽くすが、成果は得られなかった。渦中「アンブローズ」の名を持つ人間を拉致する怪人「アンブロ-ズ・コレクター」の存在までが取りざたされる。そんな、叔父を捜し続けるエドの周辺では殺人事件が。

 1950年のアメリカ作品。エド&アム・ハンターシリーズの第四弾。
 評者の大好きなシリーズではあるが、それでも未読と既読がランダムにいりまじっている、このエド&アム・ハンターもの。
 大昔に読んだ作品も細かいところはほとんど忘れちゃってるので『シカゴ』と『火星人』以外なら現状どれを読んでも(再読しても)いいのだが、とりあえず読みたくなった現時点ですぐそばにあったコレを手にした。これは確実に未読の一冊(新刊刊行時にとびついて買って、そのまま今までとっておいたので)。

 でまあ、内容については前もってうっすらしか情報を聞かされてなかったので、詳しい設定を知って驚き。要はエラリイのすぐ脇のリチャード警視が、あるいはポアロものの初期編でヘィスティングスが突然いなくなってしまう(たぶん誘拐か監禁された?)ような、ぶっとんだ話だったのね。実際にそういう趣向に近い狙いを行った作品としては「87分署」シリーズ途中の某長編を思い出した。

 アム伯父の安否を案じて焦燥するエドを支えてスターロック社のチームがフル稼働するあたりは、集団捜査ものミステリの面白さが炸裂。丁寧な翻訳も効果をあげて、そんな彼らの捜査線上に浮かんでくる劇中の人物も、おおむねそれぞれキャラクターがくっきりしている。
 さらに、評者がなにより愛してやまない<青春ハードボイルドミステリとしてのエド・ハンターシリーズ>としての要素が今回も十全で、その煌めきがすごく心の琴線に触れる。
 本当なら『火星人』(シリーズ5作目で本書の次)の再読より先に、こっちを読むべきだったかな。うーむ。これは、しゃーない。
 まあシリーズものだからアム叔父さんが最後には(中略)なのは分かっているんだけれど、複合的な犯罪の真相が明快に暴かれる終盤の流れなどは鮮やか(悪事の仕掛けについては、後年のある連作短編ミステリシリーズの一編を連想した)。

 しかし名前「アンブローズ」への執着だけで、一人前の大人のアム叔父を連れ去った? イカれた犯罪者~そんなのが実際に作中にいるのかどうかは、なかなかわからないのだが~のイメージはケッサクであった。さすがは狼男だの火星人だの、トンデモナイものが事件の視野に入ってくる愉快なシリーズだけのことはある。

 実質、ミステリとしては7.5点なんだけれど、ごひいきのシリーズが期待通りの楽しさだったことを喜んで評点は、8.5点の意味合いのこの点数で。

【最後に余談】
 以前、どっかに書いたかもしれんが、周知の通り、この作品は唯一、未訳のまま長らくほうっておかれたエド&アム・ハンターシリーズの長編であった。
 それで、実は1980年代に<SRの会>の関東(東京)例会に、当時の創元社の現役の編集主幹だった戸川安宣氏が来訪したことがあり、その席でSR会員のひとりから「未訳のこの作品は、出ないのですか」という主旨の質問が寄せられたことがあった。その場での戸川氏の返答は「自分も気になっているので、機会を見て出したい」であり、そのやり取りを聞いた自分も20世紀の間中ずっと、刊行を待っていたのだけれど、ついに実現することはなく戸川氏は退社。本作は未訳のままさらに十余年眠り続け、論創さんのおかげでようやっと、発掘された訳だった。個人的にも感無量だったけれど、自分なんかよりずっとはるかに歓喜した人もいたんだろうな。ミステリファン長いことやってると、いろんなことがあるわ。しみじみ。


No.1063 5点 忘却のレーテ
法条遥
(2021/01/08 06:07登録)
(ネタバレなし)
 大手製薬会社「オリンポス」の役員の娘で、21歳の女子大生・笹木唯。彼女は暴走車のひきにげ犯人に、両親を殺された。そんな唯はオリンポスの新薬の被検体となるが、忘却剤「レーテ」を投与されて、目覚めた彼女は少し前の記憶を失っていた。そしてそんな彼女の手は血にまみれ、周辺では殺人が?

 うーん……着想は悪くないが、最後に明かされる真相については、あまりに一人の人物にあれこれ引き受けさせすぎだろ、という感じ。
 一方で、本編の主幹部分にからむ(中略)的なトリックというか大ネタには軽く驚かされたが、考えてみると、やはりこの時期の国産作品で同じアイデアが使われていたな。まあ偶然というか暗合だろうけれど。

 難しいところを狙った意欲は買うものの、細かい仕掛けが意外に底が浅かったりする面もあるし、最後のまとめ方もいまひとつこなれが悪い。結局、物語全般のいびつさを、実はこれは(中略)ジャンルの作品だったのです、と言ってイクスキューズしている姿勢だよね? 
(あ、昭和初期的な意味で「SFジャンルに逃げている」と言っているのではないですよ。)
 その辺の仕上げが、読み手の心情的に割り切れるかどうか、だな。

 自分の評価はこれくらいで。
 力作だとは思わないけれど、意欲作だとは思う。そんな一冊。


No.1062 6点 街を黒く塗りつぶせ
デイヴィッド・アリグザンダー
(2021/01/07 04:59登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のニューヨーク、ブロードウェイ。大衆向けの新聞「ブロードウェー・タイムズ」の編集長バート・ハーディンは、ギャンブルの借金を返すため、朝鮮戦争時代の戦友で親友のテレビスター、マイク(ミカエル)・エインズリーから、文筆仕事のバイトを紹介してもらう。バイト先の組織「ラティン・アメリカ貿易同盟」で打ち合わせを済ませて自宅に帰ったバートだが、そこにあったのは全裸のマイクの惨殺死体であった。

 1954年のアメリカ作品。
 バート・ハーディンもののシリーズ第二作と言われるが、書誌サイト(https://embden11.home.xs4all.nl/Engels/alexander.htm)によると本作こそがシリーズ初弾で『恐怖のブロードウェイ』の方が第二作のようである。まあどちらも1954年の刊行みたいなので、どっかで情報が混同されているのかもしれない。正確には、どちらが先であろう?

 それでくだんの『恐怖のブロードウェイ』は少年時代に読んだ記憶がうっすらとある評者だが、内容について思い違いをしていなければ、評価はやや微妙であった。
 というのは1960年代のミステリマガジンの署名エッセイ記事で同作をけっこうホメていた文章があり、それに接して期待しながら実作を手にとってみたら、意外に早々と大ネタが見えてしまい、な~んだと思ったことがあったからである(記憶違いでなければ、そういう経緯を辿ったハズだ)。

 ただまあ<デイモン・ラニアン風の猥雑な市民の場を舞台にした、都会派のB級ミステリ>という作風には今でも惹かれるものがあり、それで改めて、書庫から出てきた古いポケミスを紐解いてみた。

 ミステリとしてのレビューでいえば、先行するkanamoriさんのポイントを押さえた書評に付け加えることは大してない。
 正直、いくら風俗ミステリとはいえもうちょっとフーダニットの要素があるかと思いきや、ほとんどその辺の興味に応えてくれなかったのはたしかに拍子抜け。

 しかしソレでつまらない作品かというと、決してそんなことはない。ニューヨーク、ブロードウェイの風俗描写の芳醇さ、登場人物たちの勢いのある動き、その辺は最高級に快い。ラニアンとかラードナーとかの持ち味をベースにした物語世界が期待通りに楽しめる。
 欲深な酒場の主人が被害者マイケルのお通夜を主催して有志の参加者を集めて、その場で<お通夜の主催者への労い金>の名目で小銭をかき集めようとケチな考えを抱くが、バート・ハーディンがそんな小狡い思惑をイキにうっちゃりかえす場面など、正にラニアンの世界、という感じである。
 推理小説要素~謎解きミステリ味は希薄なんだけれど、こういうのもたまにはいいよね、と思わせる風俗ミステリの佳作~秀作。

 先に紹介した書誌サイトによると、ハーディン・シリーズは未訳の長編がまだ6本あるみたいなので、どっかの奇特な出版社が面白そうなものをみつくろって、もう1~2作くらい翻訳発掘してくれないかしらん。


No.1061 7点 凍える牙
乃南アサ
(2021/01/06 05:12登録)
(ネタバレなし)
 平成時代に刊行された新刊ミステリのガイド本の類を覗くと、よく秀作として紹介されている印象の本作。それゆえ以前からなんとなく気になっていたので、今回の新春ブックオフ2割引セールの際に、近所の店で100円コーナーの文庫版を買ってきた。

 しかし当初は<謎の人間発火>と<ミステリアスな噛み傷>という事件の趣向から、女性捜査官が主役の警察小説に『怪奇大作戦』の「恐怖の電話」と「アダルトウルフガイ」の『虎よ!虎よ!』みたいなSFホラー譚を加味した話か? と勝手に思っていた。いやそんな予想は、まったくもって見事にハズれたが(笑)。 

 いずれにしろ500ページの大冊を一日でいっき読み。リーダビリティとクライマックスの加速感、読後の余韻はそれぞれ申し分ない。
 
 ただし貴子と滝沢、主人公コンビふたりの関係性は、2020年代の現在となっては(ジェンダー的な問題が普遍的なものとはいえ)フィクションのネタとしてはもはや図式的すぎるように感じる。貴子も滝沢も相応にいいキャラだとは思うけれど、この辺はやはり四半世紀前の作品という感触もあった。

 とはいえ小説の細部をとにかく執拗に書き込み(貴子の実家の叙述がこの作品の厚みで旨味)、そしてクライマックスでヒロインの貴子と「三人目」の主人公といえる疾風、双方の立場を鮮やかに相対化させることで、作品全体のロマン性を大きく高めた。
 やはり力作なのは間違いない。

 ただまあ私的に納得できないのは(中略)を(中略)の実行者に養育した(中略)のキャラがあまりにも薄っぺらいこと。
 そんな(中略)思いのまっとうな人間なら、なんの罪も責任もない(中略)を(中略)の道具にしかけた時点で良心の葛藤を覚えて、(中略)計画を放棄するよね? 
 物語の駒的にこんな中途半端なキャラを配置したことだけは、本作の減点要素であろう。

 繰り返すけど近代エンターテインメントとして十分に力作だと思うし、自分もいろいろと情感を刺激されるところはあった作品。
 それでも、本当に(中略)が好きじゃなきゃ、こんなすごい(中略)は育てられないだろう、しかしその一方で本物の(中略)好きだったら、<こんなこと>を(中略)には絶対にさせたりしないはず、という思いが生じてならない。
 だから道を外したあの登場人物(中略)の心情は、もっともっと追いつめて書き込んでほしかった。

 エピローグの<その崇高な結末>には、ただただ涙、である。


No.1060 7点 並木通りの男
フレデリック・ダール
(2021/01/05 06:11登録)
(ネタバレなし)
 その年の大晦日の夜。「私」こと、パリ駐在のアメリカ陸軍軍人ウィリアム・ロバーツは、愛妻サリーが先に出席している友人たちのパーティに急いでいたが、並木通りでふらりと車道に出てきた男をひき殺してしまう。善意の第三者の目撃者が、被害者の方が車の前に飛び出したと証言。所轄の警察でウィリアムの罪科は不問となるが、律儀な彼は死んだ男ジャン=ピエール・マセの遺族のもとに自分から説明と謝罪に赴く。だがマセの妻らしき女性リュシェンヌは近所の酒場で泥酔しており、ウィリアムがマセの家に連れ帰っても、半ば人事不省だった。そこに死んだはずの夫マセから<事故にあったが大事はない、自分は入院中だ>との電報が送られてくる。

 1962年のフランス作品。
 1980年代半ばの読売新聞社の翻訳ミステリ叢書「フランス長編ミステリー傑作集(全6巻)の第一巻目。
 評者はだいぶ前に古書で本書を入手したが、この叢書は帯のない状態だと、ジャケットカバー周りにまったく何も(作品のあらすじも概要も登場人物リストすらも)記載されていないので、どういう内容のミステリだか全然ワカラナイ(笑)。ごく初期のHN文庫みたいだね。

 まあ作者フレデリック・ダールの作風が、同じフランスのミッシェル・ルブランみたいな短めでハイテンポなものだろうという一応の知見はあったので、そのつもりでやや遅い深夜に読み始めた。これなら朝までに読み終わるだろうと。そしたら予想を上回るハイテンポさで、活字の級数が大きめの一段組みとはいえ、200ページ以上の翻訳ミステリを1時間半で読了。わんこそばみたいな喉ごしであった。

 とはいえ何らかの災禍に巻き込まれた主人公を見舞う不可解な状況の連続と、終盤ぎりぎりまで明かされない事件の実態、さらに本文最後の見開きまで読者を引きつけるサスペンスは結構な充実度(犬も歩けば、的に、主人公が何かすればすぐヒットする、都合いい流れも多いけれどネ)。

 職人作家の書いたB級の小品というくくりの中での秀作という感触もあるが、ここはひとつ田中小実昌が昔言った名言「軽さもいい味だ」に共感して、評点はちょっとオマケしておこう(笑)。

 国内のテレビ界で2時間ドラマジャンルが元気だった時代に、演出のうまいスタッフとかに任せていたら結構面白いものができたかとも思う。もう実際に映像化されているかも、しれんけど。


No.1059 7点 私が殺した少女
原尞
(2021/01/04 14:39登録)
(ネタバレなし)
 その年の初夏。「私」こと私立探偵の沢崎は、電話で依頼の呼び出しを受けて、目白にある作家、真壁脩(おさむ)の自宅を訪れる。だがそこで沢崎を待っていたのは所轄の刑事たちで、彼らは真壁家の長女で11歳の天才バイオリニスト少女・清香(さやか)の誘拐事件に乗り出していた。沢崎は自分が謎の誘拐犯人から、高額の身代金の受け渡し役になぜか選ばれたと認め、捜査官の不審の視線を受けながら、犯人の電話の指示どおりに行動する。だが事態は被害者の少女の状況も見えないまま、次の局面に移行していく。

 沢崎シリーズの長編は第一作と3年前の最新作を読んだのみ。個人的には、ミステリマガジンに載った短編「少年の見た男」の終盤で沢崎がすごい好きになったつもりだが、気がつくと作品そのものはそんなに読んでなかった(汗)。というわけで昨年10月に、ブックオフの100円コーナーでとても状態のいい早川文庫版を購入。昨日から読んでみる。

 一人称の私立探偵小説のスタイルをとりながら、主人公・沢崎の心情吐露はさほど饒舌にせず、その言動主体で彼の人間くさいキャラクターを語っていくスタイル。そこには作者なりのハードボイルド観がうかがえて、これがとても心地よい。
 沢崎自身も、第30章の最後の方で読み手の隙を突くように覗かせる強面ぶり、終盤の決着の付け方なども踏まえて、改めてとても魅力的な主人公探偵だと実感。

 作者が自分の叙述スタイルに酔うこともなく、ストーリーはハイテンポで読み手を牽引するようにかなり計算された組み立てだと思えるし、本家チャンドラーを意識したような小説細部の厚みも面白い(清和会や渡辺関連など)。

 後半の展開は途中で「?」となり、最後はやや狐につままれたような気分で読了したが、作者が多かれ少なかれ考え抜いた、葛藤した末に物語にこの決着を与えたのではないか、という工程は見やる。実際のところはどうか知らないが、メイキング事情などを明かすエッセイなどあれば読んでみたいところ。この真相に関しては、個人的には肯定6割、グレイゾーン3割、というところか。
 いずれにしろ読み応えは期待通りに十分であった。短編集をふくめて未読の3冊もいずれ楽しませてもらおう。 


No.1058 8点 Xの悲劇
エラリイ・クイーン
(2021/01/03 07:12登録)
(ネタバレなし)
 評者の<こんなものもまだ(マトモに)読んでませんでした>シリーズのひとつ。それも最高クラスの大物の内の一本(笑&汗)。
 そもそも評者の場合、少年時代に近所の新刊書店で、当時売れ残っていたらしい山村正夫のミステリクイズ本『ぼくらの探偵大学』(朝日ソノラマ)を購入。その中で<名作ミステリダイジェスト問題>のひとつとして本作冒頭の殺人の謎が扱われ、大ネタは早くから知っていたのだった。
 結局、くだんの書籍『ぼくらの~』は当時、何十回読み返したかわからないくらい愛読したが、当然ながら本作『X』の犯人は完全にバラされてしまう。それで自然と『X』実作への興味が薄くなったコドモは、そのまま『X』を未読のままウン十年、今のジジイになったわけだった(笑)。
(しかし思えば「悲劇四部作」って『Y』以外、全部、前もってネタバレ食らっていたな~(涙)。なかでも『レーン最後の事件』なんか、中島河太郎のとある文章での暗示だけで、十分に作品の狙いに気がついてしまった)。

 それで一昨日、また自重で本の雪崩を起こした蔵書の山(汗)を積み直していたら、だいぶ前に購入したままだったHM文庫版を発見。それで、あーいい機会だからそろそろ読むか、とページをめくり始めた。そんな流れであった。

 しかし一日かけて読んでみると、犯人がわかっていても、いやわかっているからこそ「あれ?」という感じで楽しめる。
 なにせ途中のミスリードにもスナオに乗っかって、それじゃあ……と、あらぬ方向に頭が動いてしまった(まあこの辺は、あんまり詳しく書けないが)。

 正直、中盤はレーンの強烈なキャラ立てに筆を費やしすぎた感が強く、それゆえやや退屈。しかし第二の事件以降の加速感は、相当に痛快であった。物語後半の流れも前もって聞き及んではいたが、それでもとにもかくにも最後の犯人判明の瞬間にはスリルで体が震える(ただしHM文庫版の宇野訳の叙述は、まだまだ工夫の余地があるような……。続々と出ている昨今の新訳ではこちらの意識した箇所がどうなっているか、ちょっと気になる。)
 終盤の推理ロジックの量感には圧倒。その緻密さよりも、全体に論理の目の付け所の妙で、心に響いた。
 
 あえて本作の弱点をあげれば、tider-tigerさんが<ネタバレ注意>の枠内で指摘されている件かな。自分なんか前述のとおり前もって犯人がわかっているだけに「あれ? その件の追求はそこまで?」と、いささか腑に落ちなかった。
 



【以下、一件だけ犯人やトリックとは別に、ネタバレ?】


 
 ……結局、ジーンって、ドウィットが修道院から引き取って養女にした、ストーブスの実の娘なんだよね?(肌の色とかが伏線なんだろうし。)
 なんでそのことを明確に書かない、あるいは事実の暗示を、レーンやサム&ブルーノの視点でしなかったんだろ? いや、クイーンがわざと明言を避けたというのなら『Y』のラストみたいにもうちょっと意味ありげな演出をすると思うんだ。


No.1057 7点 変人島風物誌
多岐川恭
(2021/01/02 06:18登録)
(ネタバレなし)
 とある病院施設の一室から「私」こと塚本春樹は、事実上休筆中の作家、栗林冬彦の秘書として瀬戸内海の小島・米島で過ごした日々の事を回顧する。変人が集い住む事から「変人島」の異名で知られる米島だが、そこは不可解な密室殺人を端緒に、相次ぐ惨劇に見舞われた……。

 1961年の国内書き下ろし作品。評者は2000年の創元文庫版で読了。
 作品の巻頭に島全体を俯瞰した地図が掲載され、さらにその前に「これは犯人当てゲームをめざした小説」「フェア・プレイだけは、できるだけ努力したつもり」との作者の前説が掲げられる。正にガチガチの謎解きフーダニット。
 創元文庫版は別長編『私を愛した悪党』との合本ゆえ、本作『変人島』の紙幅は実質230ページ弱とそんなに長くないが、なかなか中身は濃い。
 多岐川作品に通底する(と思える)、ある種のクセの強さと洒落っけが混じり合ったような感触は、この作品では程よいユーモアに転じており、特に語り役の「私」こと塚本の、次第に透けてくる人物像のいかがわしさが最後までいい味を出している。
 終盤の解決も、かなり元版刊行の当時としては技巧的だったと思うし、犯人もなかなか意外ではあった。
 が、動機が結局は(中略)な点と、大きなトリックのうちの一つとそれにからむ手がかりに対する登場人物(=探偵役)の事前の踏み込みぶりには、やや疑問が生じる。
 とはいえ密室殺人の真相は、良くも悪くも昭和ミステリっぽい謎解きで、個人的には割と好み。乱歩の類別トリック集成の一項目に加えたいようなアイデアだ。
 前述のいかにも多岐川作品っぽい諧謔でまとめられるクロージングも味わい深くてよし。
 Aランクのフーダニット作品と認定するには、あちこちの部分で色々としょぼいんだけれど、それでもケレン味に富んだ1.5級パズラーとしての魅力はいっぱい。
 評価は多少オマケして、この点数で。


No.1056 6点 魔の淵
ヘイク・タルボット
(2021/01/01 15:12登録)
(ネタバレなし)
 北アメリカのハドソン湾周辺の山林部。伐採場が減衰してきた材木業者フランク・オグデンは、自分の妻アイリーンが所有する山林に目をつける。だがそこはアイリーンの先夫グリモー・デザナが、あと20年は伐採しないことを条件に妻に遺贈した土地だった。オグデンは霊媒師でもあるアイリーンに頼んでデザナの霊を呼び出し、伐採の承認を得ようと考えて、雪の山荘で降霊会を開く。だが予想もしなかったことに、実体を持った死霊が出現!? さらに山荘の周辺では人間技とは思えない怪異が相次ぐ。やがて不可解な状況の中で殺人が。

 1944年のアメリカ作品。
 ポケミス版でようやくこのたび読了。
 ジジイの評者は、本作の高い評価が初めて日本に聞こえた80年代の初頭からミステリファンの末席にいたし、その直後に本作を分載連載した時期のミステリマガジンも購読していたが、HMM版で読むのはスルー。
 理由は以前にも書いたかもしれないが、実は当時80年代のミステリマガジンの翻訳分載(の一部?)は、のちの書籍刊行版の価値を残すために一部抄訳であり(たとえばウィリアム・H・ハラハンの『亡命詩人、雨に消ゆ』なんか、食通の主人公の食い道楽の描写という、大筋には関係ないが小説の旨みともいえる部分をミステリマガジン分載時にはカット)、読み手視点からすれば「なんだかなあ……」という思いを抱くような企画だったため。
 だからそのことに気づいてから、この『魔の淵』を含めてHMMの長編分載企画はほとんど読んでない。まあ商売人としてのハヤカワの思惑は分かるが、いまこれをやってバレたら、Twitterで炎上だろうな。さらには抄訳版でしか読んでない読者と、きちんと完訳で読んだファンとのミステリマニア格差も生じるだろうし。
(まあそういっても、当時のHMMの長編分載でいまだ本になってない一部の作品なんかは、結局はそのうちソコで読まなきゃならないんだけど)。

 でまあ、ポケミスは21世紀の初めに刊行。評者はそれからずっとあとにどっかのブックオフで消費税5%時代に105円で買っておいたのを、このたびようやっと読んだ。ゲラゲラ、長い道のり。

 で、ミステリとしての中味ですが、そんな肝要の部分にスナオに期待していたからこそ大晦日~元旦の第一冊めとして読んだワケだけど、うーん……。
 亡霊の出現、人間の手が届かないはずの場から移動される凶器の謎、数回におよぶ足跡の謎、と、インディアンのインディゴ(作中ではウィンディゴ)伝説を背景にした怪奇描写と不可能興味の波状攻撃は正にウハウハ(笑・嬉)だが、中盤3分の2まででほぼ高値止まりに盛り上がった分、個々の怪事についての解決のしょぼさがツライ。
 まあそりゃそうなるよな、というものが大半だが、単に合理的な(一応は)説明をつけられても、先立つワクワク感に見合うトキメキもサプライズもないし。

 解説で貫井先生がおっしゃる、作品全体のある種の独特な構築はちょっと面白いと思うけれど、このポケミスが出てその解説が書かれたのがほぼ20年前だもんね。その後、国内の新本格ジャンルとかなどで(この作品『魔の淵』を意識したのかどうかはしらないが)、さらにその着想の先を行ったものが出てしまっているような……。まあそれでも、<その構想>自体は、本作のひとつの普遍的な評価ポイントではありましょうが。
 
 たぶん「カーではなくロースン(ローソン)だよ」というのが、一番わかりやすい観測かな。ロースンの長編をまだ一つしか読んでない自分がそんなこと言うのも不遜だけど、感覚的になんかしっくり来る。

 ちなみに、これシリーズものだったのね。まあ探偵役のキャラはこの作品を読むかぎり、役割をこなすだけで魅力のない人物でしかなかったけれど。


No.1055 7点 闇からの声
イーデン・フィルポッツ
(2020/12/31 20:53登録)
(ネタバレなし)
 その年の11月。つい先日、引退を表明したばかりの55歳の名探偵ジョン・リングローズは、イギリス南部の「旧荘園荘ホテル」で休養を楽しむ。だがある日の深夜、恐怖におののき何かとの対面から逃れたいと叫ぶ子供の悲鳴が聞こえてきた。数日後、同様の悲鳴をまた耳にしたリングローズは、ホテルの長期宿泊客で彼が懇意になった富豪の未亡人ベラーズ夫人とその侍女スーザン・マンリーにだけ、この怪異をそっと打ち明けた。はたしてリングローズは、その悲鳴はほぼ一年前に死亡した13歳の少年ルドヴィック・ヒューズのものだと聞かされる。

 1925年の英国作品。フィルポッツの数少ないレギュラー探偵のひとりジョン・リングローズものの、二つある長編のうちの第一弾。
 この数ヶ月、いまだ読まずにほうってあるのがなんか無性に気になってきたが、大昔に買った創元文庫が見つからず、仕方なくweb経由で講談社文庫版を古書で買った。荒正人の翻訳は若干かたいが、丁寧な訳文、それに精緻な解説のようで信頼がおける。
 名探偵対(中略)という主題は前もって聞いていたし、フィルポッツならさもありなんという感じであった。
 しかし物語の図式がわかっていても、ストーリーテリングの面白さでグイグイ読める。悪い意味でなく、大人向けのおとぎ話を楽しんでいるような感触の興趣でいっぱいだ。
 さらに言うなら、リングローズを事件のなかにひきずりこむきっかけとなった<闇からの声>の真相は(ある程度は推察がつくとはいえ)最後まで謎の興味としてひっぱられるし。
 
 しかしこれ、クリスティ再読さんも指摘している通り、英国名探偵もののマンハントノヴェルとして『ハマースミス』の先駆だろうね。さらにこの系譜がのちに、フリーマントルのあの初期の傑作(そっちはノンシリーズだが)に連鎖していくと思うけれど。
(というかそのフリーマントルの作品は、この大系の諸作に向けてのサタイアであり、またそのカリカチュアだったかもしれないが。)

 それで名探偵が追いつめて倒すべき悪党があまりにもあからさまなので、なんかヒネリがあるんじゃないか? 実は本当は(中略)とかあれこれ思った。結局(中略)でしたが。まあそういう単調さを避けるために、リングローズの捜査&追求の対象を(中略)にした構成は、当時としてはなかなか考えてあったと思います。

 小説としては、標的を追い込むためひたすら外堀を埋めていくリングローズの行動の軌跡を楽しめるかどうか、で評価がだいぶ変わるだろうね。
 1925年に刊行された作品なんていう時代を考えると、まだアメリカではハメットの長編作品なんかも刊行されていないんだけれど、どっかでその辺にも一脈相通ずるものを感じたりする。まあ本来の源流は、英国の19世紀冒険スリラー作品の諸作の方だろうけれど。
 個人的には第17章で、リングローズが青年医師アーネストに悪人を(中略)ための協力を求め、本意でない手紙を書かせようとして、アーネストがそんなの嫌ですと駄々をこねるところで笑いました。こういう小芝居の面白さは、弟子筋のクリスティーがしっかり継承しているように思う。
 大綱としてはシンプルな話ともいえるし、謎解きミステリとしては同じリングローズものの『守銭奴の遺産』の方がずっと面白いと思うけれど、これはこれでやっぱり読んで良かった。肝心の悪役キャラの、いろいろと(中略)な面もスキ。

 かえすがえすもリングローズの登場作品が少ないのが惜しいわ。英国の並み居る紳士探偵のなかでも、けっこういいキャラだと思うのだけれど。


No.1054 6点 スタンフォードへ80ドル
ルシール・フレッチャー
(2020/12/29 06:27登録)
(ネタバレなし)
 その年の10月16日。20代後半の青年教師デイヴィッド・マークスは愛妻フランと夜道を歩いていたが、いきなり暴走車に跳ね飛ばされる。フランはそのまま死亡し、重傷を負ったデイヴィッドは意識を失う寸前、轢き逃げした車の車内に片目の男の顔をはっきりと見た。やがて退院したデイヴィッドは二人の幼い子供、そして義母ローズとの生活を送るが、知人の好々爺ジョゼフ・カーンの計らいで、悲しみを紛らわすため夜間のタクシードライバーの副業につく。だがある夜、一人の金髪の美女が彼のタクシーに乗り込み、奇妙な願いを申し出た。

 1975年のアメリカ作品。
 作者ルシール・フレッチャーは1940年代から活躍したサスペンス系の古参作家で、ミステリ洋画の名作『私は殺される』や『夜をみつめて』などの原作者としても知られる(前者は最初はラジオドラマとして執筆され、のちに戯曲化&小説化)。
『私は殺される』の小説版は中編作品として1980年のミステリマガジンに一挙掲載されたが、長編の完訳ではこれが唯一の作品(「リーダーズ・ダイジェスト」系では、何か抄訳の翻訳があるようだ)。

 ポケミスの裏表紙には「大都会を舞台に、罠にはまった男の孤独な追走を描いた、『幻の女』に迫るサスペンス・ミステリ」とあるが、正にその通りの巻き込まれ型&冤罪窮地もののサスペンススリラー。
 3時間でいっきに読めるが、さすがは本作執筆の時点で作家歴ほぼ30年のベテラン作家、読んでいる間は退屈しない。
 たぶん読み手のミスリードを狙ったんだろうけれど、途中での(中略)あたりも、ちょっとニヤリとさせられる。

 問題なのは、良くも悪くも感覚がなんか古い点で、特に後半、第19章以降の主人公を迎える(中略)な状況はウソでしょ? これじゃ1950年代の作品だよね、という感じであった。
 まあベテラン作家がなんの衒いもなくこういう(中略)な描写をしたからこそ、タマにはこういうのもいいよね、と70年代のアメリカの読者にウケたのかもしれないが。
(ただまあ、これじゃ後進のM・H・クラークあたりに次第に取って代わられてしまったのも無理はないよなあ……という思いもしきり。)

 それでも終盤のどんでん返しはなかなか驚かされたが、一方でポケミスの編集ぶりにも、また作品の内容そのものにもいろいろ言いたくなる面がある。

 とはいえ何のかんの言っても、それなりに楽しませてくれた一作なのは確か、ややしょぼいところも味と思えるワタシのような読者としては、もう1~2冊くらい、この作者の未訳の長編もできれば読んでみたい気もしてきてはいる。
 特に本作での、ややあざといくらいにクライマックスで、主人公のデイヴィッドを振り回す視覚的なサスペンス描写なんか、ああ、映画や演劇の演出をうまく小説メディアに取り込んでいるな、という感じだし。

 まだ夜が浅いうちに何か一冊くらい翻訳ミステリを読み終えたい時には、手頃な作品だとは思うよ。 


No.1053 8点 深夜ふたたび
志水辰夫
(2020/12/28 15:06登録)
(ネタバレなし)
 1980年代の後半。その年の9月。「わたし」こと45歳の裏の世界に通じたドライバー、川久保治之は、旧知の弁護士、磯部雅人から一件の極秘の仕事を受ける。それは新型レーダーの機密データを持つ元自衛官を、京都から根室に搬送し、ソ連側に亡命させてほしいというものだった。川久保は当人の今津祐輔、それにナビゲーターかつ護衛役の神谷丈夫、看護婦の篠原匡子とともに北上するが、彼らの前に謎の敵、そして予想外の事態が立ちはだかる。

 徳間文庫版で読了。何十年ぶりかで、志水作品を読んだ。
 設定とそれっぽい題名から明白なとおり、ライアルの『深夜プラス1』へのオマージュ、またはリスペクト作品。物語の大枠を原型に倣いながら、ストーリーの見せ場や登場人物の関係性には存分に独自の要素を盛り込んである(要は換骨奪胎の手際が鮮やか)。
 従って、当然のごとく細部が面白い作品ではあるが、中盤以降の大中のツイストの方もなかなか。例によって(中略)な感覚で迎えるクロージングの余韻もよい。
 
 1970年代半ばまで「日本では本格冒険小説が育たない」と言われていた(厳密にはそんなこともないのだが、そういう見識が発生する余地はたしかにあった)が、80年代になって船戸、北方、そしてこの志水などが登場。いっきに新世代国産冒険小説ジャンルのルネッサンスに突入したのだけれど、本作は正にそんな熱気の中で書かれた一冊なのだろうな。
 まだまだ未読の志水作品は多いので、そのうちまた読んでみよう。
 本作の評価は0.25点ほどオマケ。


No.1052 6点 シタフォードの秘密
アガサ・クリスティー
(2020/12/24 05:13登録)
(ネタバレなし)
 1930年代初頭のイギリス。ダートムアのシタフォード山荘では、借主のウィレット夫人とその娘ヴァイオレットが、近所の人々とともに降霊会を催していた。その最中に、一同のよく知る人物が殺される? とお告げがある。そして実際に殺人が発生。エクセター地方の敏腕刑事ナラコット警部はこの殺人事件の捜査に当たり、やがて一人の容疑者が逮捕されるが。

 1931年の英国作品。クリスティーの第11番目の長編。
 メイントリックは少年時代から、どっかの推理クイズ本で図入りで教えられていた。それで興味が薄れたこともあって読むのが今まで後回しになったが、まあそれでも直接、犯人を知っているわけでもないし……と思って、なんとなく読んでみたくなり、このたび手にとってみる。
(なお、その少年時に購入したはずの本が見つからず、しかたなくweb経由で創元文庫版『シタフォードの謎』の安い古書を買い直した。)

 しかしながらメイントリックを前もって知っていてもそれに関連する描写がなかなか登場せず、おかげでかなりギリギリまで犯人がわからない。これはある意味でウレシイ誤算ではあったが、一方で真犯人が明かされると事前の叙述の一部が、どうもアンフェアに思える(前述のように、今回は創元の鮎川信夫訳で読んだが)。あまり詳しくは書けないが、こちらも一応は疑念を浮かべたので、なんか裏切られた気分。
 
 プロ探偵のナラコット警部、さらに登場するアマチュア探偵……と複数の探偵役の競演は楽しく、最終的に誰が推理のトリをとるのかという興味はなかなか面白かった。中盤から登場するメインヒロインのエミリーは、その劇中ポジションをふくめてクリスティの某・先行作の<彼女>を思い出した。なんとなくこちら(『シタフォード』のエミリー)の方が先行のプロトタイプで、もうひとつのくだんの作品のヒロインの方が完成形だと思っていたが、実際には逆である。ちょっと意外。

 謎解きミステリとしての興味や結構の部分だけ絞り込めば、もっともっとコンデンスに作り直せる感触はある。
 しかし一方で、全編にクリスティーらしいギミックが満ちており、そういう意味では結構、満腹感のある作品。
 
 ちなみにナラコット警部って、この作品だけの単発キャラかと思っていたら、数年前に発掘された<クリスティー執筆のオリジナルラジオミステリドラマ>の中でも再登場していたと聞く。
 登場作品は少ないとはいえ、めでたくクリスティーのレギュラー探偵のひとりに公然と昇格したわけで。
 ……で現在の「ミステリマガジン」はこの数年、何回もクリスティー特集をやりながら、いつになったらそんなおいしいネタのラジオドラマを訳載するのだ? 編集部にやる気がないのがよくわかる。


No.1051 6点 二巻の殺人
エリザベス・デイリー
(2020/12/23 05:39登録)
(ネタバレなし)
 1940年6月5日。ニューヨーク在住の古書研究家で34歳のヘンリー・ガーマジ(本書での和名表記)は、初老の婦人ロビナ(ロビン/ロブ)・ボールガードの訪問を受ける。ロビナの大叔父で当年80歳のインプリーは隠居した不動産業界の大物で資産家であり、1827年に建てられた旧邸宅に住んでいた。だがその屋敷ではちょうど100年前の1840年、庭の東屋(あずまや)に入った若い美女リディア・ワグナーが、バイロンの著作全集の第二巻を手にしたまま消えてしまった? という怪異の伝承があった。そして現在、古老インプリーの同屋敷では、その100年前の美女が当時の姿のまま、そしてくだんのバイロンの全集の第二巻を携えて暮らしているという!? しかも老境に入ってオカルト研究に傾倒し、四次元の存在も信じるインプリーは、今はリディア・スミスと名乗るその美女が一世紀前のリディア・ワグナーと同一人物だと確信しているようだ? この特異な事態を調査、対処してほしいというロビナの依頼に、古書への関心もあって応じるガーマジ。だがやがて屋敷では、思わぬ殺人事件が。

 1941年のアメリカ作品。
<四次元世界から戻って、若いままの姿で現世に出現した一世紀前の美女?>というオカルト的な怪異の謎。『ウルトラQ』の怪鳥ラルゲリュース(ラルゲユウス)みたい(笑)で、この趣向だけでもうワクワク。
 なおポケミス(世界探偵小説全集)の裏表紙の解説では、訳者の青野育が「(この手の謎の設定は)類型のものがいくつかあるが」と謙遜めいた防波堤を先に張っている。しかし評者などは寡聞にして、こんな<不老の女性の不思議な帰還>という趣向まんまな海外ミステリのクラシック~新古典作品などは、あまり聞いたことない。むしろ国内の近作『鉄鼠の檻』とか『死なない生徒殺人事件』とかの方が近しい感じがする。
(まあ広い視野で見れば『火刑法廷』あたりも近い……のかも。)

 評者はデイリイ作品はこれで3冊目だが、人間関係の交錯を軸にした謎解きミステリとしてどれも一定以上に面白い。登場人物の配置と個々のキャラの書き込みのバランスが適度に心地よく、クリスティーが期待の後輩として評価したというのもよくわかる。先輩に通じるものをこの作品でもなんとなく感じるし。
 売りの趣向といえる<四次元から帰ってきた不老の美女の謎>の真相解明はややあっさり気味だが、とある登場人物の心理を思いやるなら、それなりに説得力のあるもので、個人的には(ミステリとして、お話として)一応の納得はいった。
 一方で殺人事件の推理の方はもう少し整理してほしいが、(中略)を入手して保管する手がかりなど、それなりの工夫は感じた。まあ本当にもうちょっと言葉を足して説明してほしいのは(中略)。
 あと、古書という趣向に関しては、う~ん……。

 最後に、本サイトやAmazonのレビューなどあちこちで、訳が古くて読みにくいと言われているが、個人的には当初からその心づもりで取り組んだのでそんなにシンドくもなかった。この翻訳家の訳書は数年前に、ミルドレッド・デイヴィスの『葬られた男』とか、まあまあフツーに楽しんでいるし。
 これで邦訳されてまだ未読のデイリイの長編はあと一冊。未訳作の発掘、もうちょっとされないものだろうか。 


No.1050 6点 下北の殺人者
中町信
(2020/12/21 20:13登録)
(ネタバレなし)
「私」こと三添知子は、ミステリファンの人妻。夫で35歳の明彦は出版社勤務の雑誌編集者だが、社内の同郷の面子と「県人会」を結成。そのメンバーと近親者が下北への観光旅行に行くことになった。だが本来の幹事役だった総務のOL、中津けい子が事前に変死。そして旅先の地でもさらなる惨事が……。

 謎解きミステリとしての大ネタと中ネタを用意し、さらに手がかりの配置とロジックの妙でもしっかり練り上げた作品。
 講談社文庫版で読んだが、事件の起こるごとにポイントに挿入される克明なビジュアルの現場見取り図などの趣向も、とても楽しい。

 ある登場人物に設定された大きな仕掛けは、なんかクイーンの国名シリーズとかにありそうな感じ(具体的にはどの作品とアイデアやトリックが同一または類似ということではなく)で、そういった意味でもなかなかゾクゾクした。

 弱点は登場人物の描写や書き分けが本当に平板で、フェイクの解決の際にも本当の真相があかされても、サプライズもときめきもないこと。一方で<あっちの仕掛け>は軽く驚いたが、それはまあ普通の意味での驚愕とは少し違う。この場ではあんまり言えないが。
 力作だとは思うが、作者の小説づくりと物語の演出の弱さを、改めて実感した一作でもあった。

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