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ミステリの祭典

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殺人鬼を追え 黒い追跡
日本語版は、翻訳者が終盤部分を独自に改変

作家 ウェイド・ミラー
出版日1966年01月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 人並由真
(2021/05/18 15:42登録)
(ネタバレなし)
 1958年のナイロビ。凄腕のプロハンターで狩猟ガイドでもある中年の白人ジェイコブ・ファーロウは、下手なガイド客に便宜をはかって禁猟地域で狩猟をさせたため、年内いっぱい狩猟免許停止中の身だった。そこに年上の友人かつ狩猟仲間で、ファーロウの長年の顧客でもある大物実業家ウォルター・ステニスの使いが来訪。使者の要請に応じてファーロウはステニスの自宅があるオルバニーに向かう。だがそこでファーロウを待っていたのは、30代の跡取り息子スティ-ヴンを2週間前に武装強盗に殺害されて悲嘆にくれるステニスだった。ステニスはファーロウに、アメリカ各地を逃走中の青年ギャングで息子の仇であるマックレル(クレル)・ボコックを、自分のかわりにハンターとして射殺してほしいと依頼する。ファーロウは自分の流儀でやっていいならと、この依頼に応じるが。

 1951年のアメリカ作品。
 日本ではホイット・マスタスン名義の方が若干有名? な合作作家ウェイド・ミラー、そのミラー名義の長編の数少ない翻訳のひとつ。たしかこの本は、大昔にSRの会の例会での会員同士のオークションの場で安く入手した。数十年めに、はじめて中身を読む。

 それで現在から数えて十数年前にその事実が初めて公表されたと思うが、実は本書は、訳者の三条美穗こと片岡義男が終盤部分のストーリーを翻訳の際に大きく改変、当人がこの方が原作より面白いと思った内容に、事実上の創作をしているらしい。
 情報の出典に関しては、Twitterで「ミラー 殺人鬼を追え」とか検索すると、2010代の前半に「ミステリマガジン」や「ミステリーズ」などで話題になったのが分かる。ミステリーズの66号で評論家の川出正樹が本書をラインナップに入れた久保書店のQTブックスについて書き、この件について語っているようだ(評者はその号は買ったような気もするが、すぐに出てこない)。詳しいことはまたいずれ。詳細をご存じの方、教えてください。

 評者などは、特に原作原理主義を謳わなくても、翻訳者(と編集者)が原書の内容を担当者の意向(独断)で改変するのはもちろん大反対で、ほとんど活字文化、広義の文学ジャンルの毀損ではないか! ぐらいにまで考えている(原書の内容を尊重した上での、日本語的な演出を適宜に織り込んだ翻訳なら了解するが)。
 だから本書の秘めた逸話を21世紀になってから最初に知った時には、軽いショックであった。せっかくの数少ないミラー作品の翻訳のひとつなのに何をするのか、と。
(いやまあ、デュマの「あの名言」ぐらいは知ってますけどね。)
 
 とはいえ現状では、終盤(後半?)のどっからラストまでが片岡義男の創作翻訳かわからないので、黙って日本語の訳書を通読するしかなかったわけだが……むむむ、クヤシイかな、とにもかくにも出来上がったものは、なかなか面白い(苦笑)。
 
 そもそもの前半からのストーリー(さすがにここは原作通りだろう?)は、自分のハンティングの流儀でファーロウが標的クレルとその一味を追撃。そのための準備段階として、獲物の野生動物の習性を探るように、ギャングたちの情報を集めてアメリカの各地を飛び回る彼の姿が描かれる。そのなかでクレルの家族(若い美人妻マーガレットふくむ)や、クレルが強奪した金品の横取りもしくはそこからの利益を狙う別の悪党などとファーロウが出会い、スリリングな展開が続いていく。
 25歳の極道息子クレルがしでかした凶悪犯罪などどこ吹く風の態度をとる地方の名士ボコック家の奥方(クレルの老母)の描写など、どこかロス・マク風だ。
 そういう訳でこれは原作の原書そのままラストまで訳しても普通以上に楽しめたのではないかなあ、という思いも湧くが、一方でとにもかくにも日本語の「翻訳」ミステリ『殺人鬼を追え』は、これはこれでマンハントもののスリラーノベルとしても、ハードボイルド作品としてもちゃんとポイントを押さえて着地している感慨を抱かされたので、ある意味で始末が悪い。
 まさに夢想でムシのいい話だとは我ながら思うが、どなたか翻訳ができてこの手のハードボイルド、ノワールっぽい活劇スリラーに興味のある方、ブログか同人誌などで、その改変された部分だけオリジナルのままに日本語にしていただけませんかね(やっぱり、かなりズーズーしいが)。

 評点は素直に読めば十分に7点。ただしやっぱりコレはやってはいけない実例だと思うので、マイナス2点。

【追記】
 本サイトに掲示後に改めて気がついたが、やはり、いきなり前半から、翻訳の潤色がいっぱい? くさい。1951年の作品なのに、時代設定が1958年というのも違和感があるし。
(主人公が1938年のできごとを、ちょうど20年前、とその年の8月に回想してるので、1958年という設定はほぼ確実)。
 やはり全体的に多かれ少なかれ、リライトしているのかしらね?

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