人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.33点 | 書評数:2109件 |
No.1269 | 7点 | 緋色の囁き 綾辻行人 |
(2021/08/23 05:58登録) (ネタバレなし) そういえば「囁き」三部作、まだ読んでなかったなあと、蔵書の山の中から、まずこれを手に取った。 ネタは先読みできるところも多いし、30年以上前の新本格黎明期の作品だから許される(2020年代にこれを書いたらキツイ)という面もあるが、終盤の一番のサプライズだけはスナオに驚いた。 ソコまでのパーツ(伏線やミスディレクション)は大方見切っていたのだから、もう一歩踏み込めば良かったんだけれど、クライマックスではお話の勢いに引っ張られてページをめくるのにかまけ、フーダニットの興味を探るのを忘れていた。そういう意味では、やはり良くできている作品ではある。 反則技寸前なところも多いような気もするが、整理してゆくと実はおおむねギリギリのラインで躱している。 動機の異常性についてはソコだけ切り離せばかなり強引だが、あれこれ補強してあるので文句には当たらず。 トータルとしては普通に面白かった、ということでいいのかな。 とはいえあとから冷静に考えると、大設定の部分で某重要キャラが、かなりリスキーでピーキーなことをやってしまっているんだよなあ。自分がもし作中のリアルで同じ立場だったら、とてもコワくてやれない。 まあ細かい物言いの余地はあるが、十分に楽しめました。 |
No.1268 | 7点 | 空白との契約 スタンリイ・エリン |
(2021/08/22 06:08登録) (ネタバレなし) その年の3月上旬。マイアミで、土地の名士で富豪のウォルター・ソーレンが交通事故で死亡した。未亡人のシャーロットは生前の契約に基づき、20万ドルの保険金を「ギャランティ保険会社」に請求する。ギャランティの調査部長ジョン・マニスカルドは状況に不審を覚えて秘密調査員を派遣するが、その最初の調査員は、ソーレン家の遺族に疑われて退散した。かわってフリーランスの調査員で35歳のジェーク・デッカーが素性を隠して調査に赴く。辣腕のジェークは、何らかの形で保険金支払い不要の証拠を得られれば10万ドルの報酬、そうでなければ経費持ち出しで無報酬という条件で、ギャランティから調査の業務を請け負っていた。ジェークは<ソーレン家の近所に、妻とともに越してきた作家>という立場を装い、妻役を演じる協力者の若手女優で21歳の美人エリナとともに、ソーレン家の面々と親交を得ようとするが。 1970年のアメリカ作品。エリンの第六長編。 大昔の少年時代に一度読んでいる作品だが、細部は例によってすっかり忘却の彼方。しかしこのラストの読後感だけは、かなり克明にその後何十年ずっと覚えていた。一言でいうと<そういう意味で、印象的な作品>である。 ちなみに大昔も今回も、元版のポケミスの方で読了。 ミステリとしては、意味ありげな邦題や原題(アメリカ版の題名は「The Blind」だが、英国版の題名は「The Man from Nowhere」。ポケミスの表紙周りには、なぜか英国版の方の原題が標記されている)を意識しながら読み進めると、読者はやがて、ああ、そういうこと……という流れに乗るはず。 絶妙なタイミングで暴かれる秘められた真相は、それなりに面白い文芸設定だが、読者的には推理の余地はあまりなく、意外な事実を黙って聞かされるだけ。 まあ私立探偵小説の変種という大枠の中での捜査ミステリとしては、普通に楽しめる。 とはいっても本作のキモはそういう事件の謎や意外な真相というよりは、実にビジネスライクな立場で自己流の捜査を進めていく主人公ジェークの叙述、そして彼の助手にして少しずつ男女の関係になっていくヒロイン、エリナとの関係性の方にある。特に後者。 言ってみれば、青木雨彦氏の著作『夜間飛行』そのほかでの、ミステリ全般をサカナにした男女の関係についての人生訓エッセイ、この作品は正にああいうエッセイにネタを提供するために、その大半が書かれているような内容だ。 (実際に本作はその『夜間飛行』の俎上に上げられていたと、記憶しているが。) だから、ミステリとしてはフツーに面白い、そして小説としては、それ以上にオモシロイ。 いやまあジェークのプロらしさがほぼ全域冴えれば冴えるほど、却って、ところどころのスキが目立ってしまうとか、お話を進める都合論なども、ままあるんだけど。それでもとにかく<男と女の話>として、読ませる。 (もしかしたら、この辺の感興を覚えるのは、主人公コンビのキャラクターにシンクロした人だけ、かもしれないが?) なんというか、作中のリアルで、仕事現場でややこしい羽目になってしまい、微妙に手探りしながら、自分と恋人の距離感をおそるおそる固めていく民間捜査員の肖像……そういった生々しい感触がある。 それだけにラストは……。 実際、このまとめ方は確実に(中略)だろうけど、個人的にはエリンがこのクロージングで何を言いたかったかは、よくわかるような気がする。 そういう(中略)は、あるだろうねえ。 微妙にいびつな作品なのは間違いなく、それゆえに謗る人も多いだろう……というか、もしもミステリファンの大半がこの作品を(中略)だったら、それはそれでイヤかも(汗)。 でもまあね、広義のハードボイルドミステリ、私立探偵小説(の変種)の中には、こういう作品があってもいい、いやあるべきだとも思ったりする。 そういう意味では独特のクセの強さで、エリンの長編作品らしい一冊なのは、間違いない。 |
No.1267 | 7点 | スミルノ博士の日記 S・A・ドゥーセ |
(2021/08/20 05:37登録) (ネタバレなし) 1917年のスウェーデン。元弁護士で辣腕の私立探偵として名を馳せるレオ・カリングの友人である「ぼく」は、この親しい名探偵が扱った事件の記録を、一冊分まとめようと思う。そこでカリングが資料として提示したのは、高名な法医学者で細菌学者でもあるワルター・スミルノ博士が記した日記だった。「ぼく」は関心を抱き、1916年の2月に起きた殺人事件について語るスミルノの手記を読み始める。 1917年のスウェーデン作品。 現状で唯一の完訳のはずの東都書房の「世界推理小説大系」版(ドイツ語からの重訳ながら完訳)で読了。 大昔にこの本は買ったはずだが、例によって家の中から見つからない。博文館の小酒井訳のボロボロの文庫本(数十年前に500円で買った)はすぐ出るが、どうせならやっぱり完訳の方で読みたいと思い、少し前にwebで手頃なのを探していたら、箱付き・元パラフィン付き、月報に登場人物名入りの栞付き、さらにスリップまで残っているデッドストックに近い美本が2000円で購入できた(嬉)。神様ありがとう、ぼくにスミルノ博士を会わせてくれて。 というわけで半年ほど前に(改めて・汗)入手した本作を、ようやく読んだが……なんだ、巷の不評がウソのようにオモシロいでないの(笑)。少なくとも評者は、十分に楽しめた。 いや確かに、(中略)に(中略)させるなよ、警察、とか、あとあとでそういうことが問題になるのなら、それはもっと早めに……とか、ツッコミどころはいくつかあるし、この大ネタを前提にするならやはり脇の甘い面もある。 しかし何より、(中略)な意味で、この作品は成立するのかな? この時代から、ちゃんとそこまで気をつかっているのか? と懸案していたら、その辺はちゃんとクリアしていました。 評価の基準をソコに置いちゃアマイでしょ、と言われればそうかもしれないけれど、評者的には結構な納得感です。 (なお、この作品の構造は、アレもさながら、さらにアレの方にも影響を与えたのでは……とも思ったけれど、英語に翻訳されたのは実はけっこう遅いんだよな。) ちなみにこの作品は、今後も日本での改訳・新訳が出たとしても(なんか20世紀の末に創元が新訳で出す気があったというウワサは、ネットで目にした)何の予備知識もない、素で読まれることは、もうなかなかありえないだろう。 けれどそれでも、20世紀の頭に本国で初めて読んだミステリファンなら、かなりのサプライズは感じたんじゃないかとは思うよ。先に脇が甘い、叙述の詰めが甘い、と書いたけれど、一方で読者をこの着想で仰天させようという作者なりの演出は、ちゃんと図られているし。 あと、予想以上に食えないレオ・カリングのキャラクター(終盤の芝居がかった外連味は、北欧作品とはいえ、いかにも黄金時代らしくていいなあ)もさながら、サブキャラの登場人物たちの、妙に人間臭い描写も味がある。 スミルノの婚約者のお嬢様ヘレナ・スンドヘーゲンの某キャラへのイキな計らい(あれはポジティブな行為だよね)とか、最後であれもこれも(中略)する人物像とか、作者が作者なりに、劇中人物の駒の配置を楽しんでいる感触がある。 繰り返すけれど、もし今後も新訳や復刊本が刊行されたとしても、アノ名作の影からはまず永遠に逃れられない作品だとは観測するが、ソレはソレとして、翻訳ミステリファンなら、いつかどっかのタイミングで読んでおいてもイイ一編だとは思います。 (まあそれはそのまま「誰でも面白い」「楽しめる」というのとは、決して同意ではないんだけれどね・汗) 【追記】「大系」版の宇野利泰訳に今さら文句を言っても仕方ないのだが、プロローグ部分に登場するカリングの名前が未詳の友人(作者ドゥーゼの分身か?)の一人称が「ぼく」。そしてスミルノの日記での一人称も「ぼく」。これはややこしいので、どっちかを「私」にするとか差別化して欲しかったなあ。当時の編集部の配慮不足を実感した。 【追記:2021年8月21日】 本サイトのおっさん様の、この作者ドゥーゼの『生ける宝冠』のレビューを拝見するに、このカリングの友人「ぼく」というのは、新聞記者のトルネというレギュラーキャラのようですね。いま気づきました(汗)。おっさん様、ありがとうございます。そうですか……。『夜の冒険』の方を先に読んでおけば、良かったのですか。そっちも持ってたのに(涙)。 |
No.1266 | 5点 | 黄金の聖獣―ゴスペル特捜(コマンド) 西谷史 |
(2021/08/19 12:36登録) (ネタバレなし) ソ連崩壊の翌1992年6月。東京の旧ソ連大使館に、元赤軍のアレクサンドロ・ヤジク将軍が来訪した。将軍は<ソ連を崩壊させた魔獣>を施設内に搬入。密封された箱から飛び出したのは、人間の拳ほどの大きさの黄金の牛だった。旧約聖書の伝承に語られるその獣は、周辺の者を瞬時に殺戮。自由を得たのち、おのれのとある目的のために独自の行動を始めた。FBIと日本警察の連携で創設された超常現象対処機関「宗教特別捜査課(ゴスペル・コマンド)」は、魔獣が引き起こす謎の殺人事件に対処するが。 部屋を引っ搔き回したら、新刊で買ったらしいが本屋のカバーをつけたまま、埋もれていた本が出てきた。 作者については大昔にアニメージュ文庫の「女神転生(デジタル・デビル)」シリーズの新旧を愛読していたので、その縁で買うだけ買って放っておいたのであろう。 というわけで読んでみるが、まあ良くも悪くもB級オカルト伝奇アクション、少し特別捜査隊もの風味。 某・歴史上(?)の有名人にからむ魔獣の正体というか文芸設定はなかなかロマンがあるし、一定のロジックのもとに事を進めていく陰謀の流れもまあまあ面白い。まあいずれにしろ、それら全部ひっくるめて、バイオレンス伝奇コミックだが。 FBIから出向してきた美人捜査官リタと、元警視庁捜査一課の蘇我、この若手コンビが主役。当初はそりがあわない二人が次第に距離を縮めていく関係は悪くはないないが、ときめきもない。正直ルーティーン。キャラクターの設定に関しては、むしろ訳ありな事情でゴスペル・コマンドを後援する大物政治家の立ち位置なんかの方がオモシロかった。 そんなに紙幅がない作品なので、魔獣による惨劇は続くものの、あまり物量感も読みごたえもない。ただしコンデンスにまとめたクライマックスは、なんか一時期の西村寿行作品みたいでそれなりに印象的。ちょっと(中略)描写もあり、そこはなかなか、かも。 2時間で一息に読める作品で、細部にはちょっと光るところもあるが、昔、それなりにスキだった西谷センセイ、初めてオトナ向け読んだら、こんなものかな、という感慨が先に立つ? 5点か6点か迷うが、やはり6点にはもう一息いかないなあ、ということでこの評点。 |
No.1265 | 7点 | 異人たちとの夏 山田太一 |
(2021/08/18 06:57登録) (ネタバレなし) 「私」こと47歳のテレビシナリオライター・原田英雄は、妻と離婚。息子とも別れてマンションで一人暮らしを始めた。やがて英雄は同じマンションの住人「ケイ」ことOLの藤野桂と出会い、恋人関係になる。そんなある日、英雄は浅草で、自分が14歳の時に死別した父親にそっくりな人物に対面。まもなく英雄は浅草に来れば、当時の姿のまま現代に現出している両親に出会えると、自覚する。だが一方で、英雄の体にはとある変異が……。 第一回山本周五郎賞・受賞作品。 評者は山田太一の脚本作品は『岸辺のアルバム』も『早春スケッチブック』も『ふぞろいの林檎たち』も未見。一方で『獅子の時代』『高原へいらっしゃい』『男たちの旅路』さらには『真夜中のあいさつ』そして『終りに見た街』あたりは大好き……と、結構ランダムな付き合い。マニアから見れば鼻で笑われるような浅さだが(苦笑)。 そういえば本作を映画化した大林監督の作品も、まだ観てなかった。 そこで何かの機会から「そうだった、これ(本作)は山田太一作品で、しかもあくまでオリジナル小説として執筆されたんだっけ」と改めて意識したのがおよそ1~2ヶ月前。 webで物語のサワリだけ覗いてみると面白そうなので、古書(新潮文庫版)を注文して読んでみる。 220ページほどの短い紙幅の物語だが、着想はたぶん(中略)という大ネタが起点だったのだろうとは、推察できる。 ただし結局はソレだけじゃ、出来たものは、海のものとも山のものともつかぬものになるだろうが、そこは書き手の筆力で読者を惹きこんだ感触の一冊である。とにかく中年男の甘ったれになることだけは警戒しながら、それでもかなり胸襟を開いた情感を感じさせてくる文章がいい。 トータルの感想を具体的に言うと、ネタバレになってしまうような気配もある作品なので詳述は控えるが、主人公が現実と異界のボーダーラインのなかで亡き両親との邂逅を続けるくだりは、墨汁を垂らして薄墨色にしたジャック・フイニィの作品のような歯ごたえ。なかなか独特な味わいで、ここだけでも本作の価値は相応にある。それで……(中略)。 前述のように後味がいいとも悪いとも言わない方がいい作品だが、しみじみと余韻があるクロージングだということぐらいは語ってもいいだろう。 まあシナリオ作家としての作者には、こちらも中途半端な形ながらそれなりに長い間(?)付き合い、自分なりに相応に高めの評価はしているつもり(?)なので、その期待値からすれば順当、という感じではあった。 とにかく遅ればせながら、読んでおいて良かった、とは思う。 そのうち、映画の方も観てみよう。 ちなみに新潮文庫版は、帯のキャッチで、カンのいい人は(中略)なので前もって注意しておく。 |
No.1264 | 6点 | ジェリコ公爵 モーリス・ルブラン |
(2021/08/17 18:16登録) (ネタバレなし) 第一次世界大戦の終結からしばらく。南仏の海岸の町にある城館「ミラドール館」は、亡き父から莫大な遺産を相続した、20代半ばの美貌の令嬢ナタリー・マノルセンが城主を務めていた。だがそこに地中海全域を荒らしまわる海賊王「ジェリコ公爵」の一味が来襲する気配がある。ナタリーの従兄弟で元彼氏のマクシーム・デュティエールや、ナタリーへの求婚者で貿易商のフォルヴィルが緊張するなか、土地で噂になっている謎の青年「エレン・ロック男爵」が館に来訪。彼は一年以上前に記憶を失なって波間を漂っていた30代半ばの青年で、今もその記憶は戻らないが、人並外れた才覚で短期間に相応の財産を築いた身上だった。一同の前で常人離れした洞察力や機敏さを披露したエレン・ロックはナタリーたちに加勢して、ジェリコ一味の襲撃に応じるが。 1930年のフランス作品。ルブラン66歳の時の作品でノンシリーズ編。 評者は、少年時代に南洋一郎版の『魔人と海賊王』を読んだきりだった。その後、内容もどんどん忘れていたので、成長してから創元文庫の初版を買ったが、例によって、ずっと家の中でほったらかし。たまにはこういうのもいいな、と思って、一念発起して、購入した本を何十年ぶりに手に取る。 いやー、話の展開も大ネタも痛快なほどに忘れていた(笑)。 もちろんお話は旧態依然の部分はあるし、まるで19世紀半ばのロマン小説に接しているような感触もあるが、その辺は当初からこちらもそういうものを予期しながら読み始めたので文句には当たらない。むしろ良い意味で紙芝居のようなおとぎ話のような、オトナ向けの冒険メロドラマに身を任せて、それでフツーに心地よい。 あらためて作品の形質というか実態としてはルパン・シリーズと無縁の一編だが、記憶喪失の快男児の青年エレン・ロックは、かなりルパン成分の濃いキャラクター。 たしかルパンの半生は21世紀現在までの研究家によって作品世界内でのその経歴が考察・整理されているはずだから、エレン・ロックの正体=一時期記憶を失っていたルパンという説は唱えられないし、そもそもそれ以前に、最終的には作中ではっきりと彼の過去の素性が語られる(ここまでは書いてもいいですね? もちろん具体的なことは明かさないが)。 それでもたしか南洋一郎も『魔人と海賊王』の序文で「ルパンを思わせる主人公(大意)」とか書いていたはず。その辺の気分はよくわかる。 いかにもルブランの好きそうな気丈なお嬢様ヒロインのナタリーも、段々と三枚目風の性格が増していくマクシームも、それぞれ明快なキャラクターづけでよろしい。 某・悪役がかなりしつこく、いい加減に退場しろよという感じはあったが、まあその辺は裏を返せば作者の最後までテンションを維持したい、サービス精神の賜物でもあろう。 お宝の争奪や復讐などがからむ筋立ては、全体的に小規模な事件の積み重ねだが、エレン・ロックの正体に関するメインストリームのドラマ部分と合わせてそれなりの立体感はあり、これはこれでいい。 それで、当然ながら、本作の終盤の余韻は、あくまでこの作品が単発の長編だったからこそのもので、そういう意味ではルパンっぽい主人公ながら、ルパンシリーズに組み込まれなくて良かったと実感。 ちなみに『魔人と海賊王』では「アデュー(さようなら)ではありません。オウ・ボワール(また会いましょう)です」とかいった主旨の印象的な名セリフが終盤にあったような気がしたのだが、創元文庫版ではなかった。あれも南洋一郎の翻案(創作)だったのかしらん。 |
No.1263 | 6点 | 黄泉がえり遊戯 雪富千晶紀 |
(2021/08/16 19:04登録) (ネタバレなし) 北関東地方の一角・経良(へら)町。そこでは、幅広い年齢層の有志などによる町おこし運動が進んでいた。そんなさなか、葬儀屋「古谷葬祭」の二代目社長である28歳の古谷遼一は、自社が葬儀を請け負った死者、62歳の正岡勇二が突然よみがえり、他の死体を貪り食うという悪夢のような事態に直面する。だが事件はそれだけではなく、さらに進展。かたや遼一の妹で女子高校生の佐紀は、さる秘密を抱えていてその事実に悩んでいた。学校でも悪意ある級友の嫌がらせにあい、孤立する佐紀。だがやがて彼女は、一人の少年・颯太に出会い、ともに行動を始めるが。 改題・加筆修正された文庫版『黄泉がえりの町で、君と』で読了。 文庫版の解説担当の三橋暁によると、改稿版は大幅な修正がなされて完成度が高くなっているそうだから、単品で読むならこちらの方がいいだろう。 文庫版の帯には「平凡な町を襲う災禍の、驚きの結末とは!?」とのキャッチが用意さされており、サプライズを伴うホラー・ミステリあるいはミステリ要素のあるホラーといった形質を期待して手に取った。 (ちなみに帯には「映像化絶対不可能! 驚異の青春ホラー!」との惹句もあり、これは何らかの形で××トリックの類を使っているのかとも予見したが、実際には(中略)。予算と手間はかかるだろうが、映像化もできないこともない。というより、演出と脚本次第では、むしろ映画に向いてるような内容であった。なお「青春ホラー」の謳い文句のほうについては、特に不満はない。) 大ネタの着想(一種のホワットダニット、ゾンビ化する死者のその意味)そのものはなかなか面白かったが、真相が明かされるあたりはちょっと唐突(一応、主人公視点からの簡単な考察はあるが)。そういう発想って、作中のリアルでそうそう出るもんかな、という感じだった。 後半は小中規模のどんでん返しが豊富、サスペンスも適度でよい。話のまとめ方もこういう作品として納得できるものだが、作中で叙述されたまま、結局、山場のあとにあれはどうなったのだ? というポイントがいくつか放っておかれてしまっているような部分もある。 あと、リアリティで言うなら、(中略)のかたずけ方は、ちょっと雑だろうな。 改稿版を読んでなお、細部のツメの甘さが気になるところはあるが、一方で前述の作品全体に関わる事件の秘密とか、エピローグの丁寧な叙述とか、それなりの得点要素も少なくはない。そのうちこの作者は、また著作を何か読んでみたい。評点はこのくらいで。 |
No.1262 | 5点 | クロフツ短編集1 F・W・クロフツ |
(2021/08/16 01:34登録) (ネタバレなし) 最初にページを開いてから数年。その間にしばらくほったらかしにして、長いこと間が空く。 さらに移動中の車中用とか、出先での待ち時間用に持っていっても、続けて何本か読むとすぐアキが来る。 一本一本はソコソコ楽しいものも多いのに、並べると同工異曲ぶりが先に来てしまい、印象が悪くなる感じだ。 本サイトのレビューの方々の否定的意見にも、それと反対の総括的な肯定的意見にも、それぞれ賛同。 買ってどっかに埋もれている『2』も出てくればもったいないから読むだろうが、多少の覚悟は必要である。 |
No.1261 | 6点 | 黄金蜘蛛の秘密 由良三郎 |
(2021/08/14 15:21登録) (ネタバレなし) 昭和59年。私立東南大学の事務長として大成した50歳前後の坂田陽三は、自宅に飾られる、金色に塗られた蜘蛛の標本を見ながら、25年前の事件を回顧する。当時まだ若かった陽三は、東南大の庶務課に勤務。だが性格の悪い「ガマ野郎」こと藤田課長の(今でいう)パワハラを受けていた。酒場でつい藤田の死を願い、その思いを口にした陽三。だがその一言を聞きつけた見知らぬ人物が彼に接近する。その相手・岩部丈吉は、殺人請負業(殺し屋)だった。 1984年3月にサントリーミステリ大賞を受賞した『運命交響曲殺人事件』で同年6月にミステリ文壇にデビューした作者が、実はそれより2年ほど前に書き上げていたという、本当の処女長編ミステリ。題名の「黄金蜘蛛」には、表紙周りで「こがねぐも」とルビがふってある。 1990年に刊行されたこの文庫版が、初の公刊のようだ。 自作への熱い思いを込めた作者の長いあとがきによると、7回も推敲を重ねた上で完成に至った作品らしい。それだけに90年の時点ですでに一ダースの著作があったご本人にしても、今(90年当時)なお、一番愛着がある作品だったようだ。 そんな作品を長い間眠らせておいた事情もまたあとがきで当然語られており、大雑把に言えば、若書きで恥ずかしかったこと、また小説的にもミステリ的な意味でもやや特殊な題材を扱っているからであったそうである。 (なお明言は避けられているが、刊行された本作は別段極端に素人臭い文章とかそういうのではないので、たぶん1990年時点での最終的な推敲もされているものと考えられる。) 表紙に「長編本格推理」を謳い、裏表紙にも「奇抜なトリックを駆使した本格推理」とある作品。確かに謎解きの要素は一応あり、かなり印象的なトリックというか大ネタも用意されているが、どちらかというとフーダニットのパズラーというよりは、半ば巻き込まれ型のサスペンスであろう。どことなく薄味のフランスミステリっぽい雰囲気もある。 (なおあとがきで、本作の大ネタ、大トリックをぽろっと、いかにも天然に、話の流れで作者自身がバラしてしまっているので注意。) その大ネタに寄り掛かった、という意味ではミステリとしては実のところ、ゆるい一面もある作品ではあるのだが、一方でたぶん東西ミステリ史上でもおそらく類のない大技が使われていることは評価したい。 あと年配の作者がなんか読者に向けて、昭和的な情感に訴えてきたような作風そのものも、評者なんかには悪い感じはなかった(逆に、読者の世代や人柄によっては、こういうものを嫌う人もいそうだが)。 犯行の陰にあった(中略)もそういう方向での興趣。 また、途中から登場して主人公・陽三を支援する実兄で、本作でのアマチュア探偵役を務める新劇の劇団員・源太郎もなかなか味のあるキャラクターであった(デティルの描写だが、兄弟で飯を食う場面など、なんか良い)。 あと、終盤に明かされる(中略)。(中略)なんだけど、ちょっと(中略)。 なんというか、出来不出来とは別の次元で(別に駄作とか凡作だとか言ってるのではないが)妙に愛せる作品。そういう意味では、作者が処女作に込めた熱量の一端は、こちらにも伝わってきたかもしれない。 (ただタイトルロールの黄金蜘蛛には、あまり存在意義が無かったよ。) |
No.1260 | 9点 | 死体は散歩する クレイグ・ライス |
(2021/08/14 04:09登録) (ネタバレなし) 1930年代のシカゴ。以前は新聞記者だった青年ジェイク・ジャスタスは、現在、23歳の人気ラジオ・スター女優ネル・ブラウンの広報スタッフかつマネージャーとして、多忙な日々を送っていた。そんなジェイクはある夜、ネルに連絡をとろうとするが掴まらず、彼女の元彼氏の俳優兼プロデューサー、ポール・マーチのアパートを訪ねる。だがそこでジェイクが出くわしたのは射殺されたポールの死体だった。ジェイクは状況からネルがポールを殺したのではと疑うが、彼女は否認。ジェイクはネルへの疑惑をぬぐい切れないまま、とりあえずネルの周辺にスキャンダルが生じないように図るが、やがて殺人現場からポールの死体が消えうせた! 1940年のアメリカ作品。ジェイク&ヘレン、マローントリオものの第二長編で、前作『マローン売り出す』(別題『時計は三時に止まる』)の事件から、劇中で一年半の月日を経た時勢での物語。 前作で知り合ったジェイクと大金持ちの相続人である令嬢ヘレン・ブランドは互いに好意を抱きあっていたが、勤め人のジェイクは社交界の花形ヘレンとは住む世界が違うのだと、距離を置いていた。 今回は1930年代当時の花形マスメディアだったラジオ界を舞台にした殺人事件に、再会したジェイクとヘレンのラブコメ模様が密接にからむ構成。さらにマローンシリーズのレギュラーキャラの一角となるダニエル・フォン・フラナガン刑事(本作での階級は警部補)がこの作品でデビューする。 それで、以前に、本サイトでの『素晴らしき犯罪』のレビューで書いたとおり、評者はマローンシリーズの長編は『幸運な死体』も『マローン売り出す』もどこかで楽しみそこねてしまっていたため、こないだの『素晴らしき~』で、ついにようやっと初めて、本シリーズの長編の面白さが本当にわかってきた、という手ごたえがあったばかりだった。 それで本作だが、これは1930年代のラジオ界が舞台という一種の業界もの、戦前のノスタルジックな空気を感じさせる風俗ミステリとして楽しめそうだという予見があり、そんな気分のまま、とりあえずページをめくり始めたが……。 ……なにこれ、メチャクチャ、面白い! 前述のように話の主軸は、ラジオ界の人気若手女優ネルを柱に多様な登場人物を巻き込んだ殺人事件(期待どおりにドタバタの大騒ぎとなる)、そして再会後、あっという間に婚約関係となったジェイクとヘレンの恋愛ドラマだが、当然のごとく二人の関係の進展を邪魔するように事件が深化。ジェイクが奔走する一方で、じゃじゃ馬のお嬢様ヘレン自身もみずから進んで事件に介入して時に話をややこしくし、いろんな意味で見せ場また見せ場の連続。 特に、詳しくは書かないが、ヘレンをネタにしたとあるジェイクのジョークに、やがて思わぬところで火がついて一大事になるところなど爆笑した。 作者ライス、本当にノリノリである。かなり出来のいいときの、フランク・グルーバーみたいな感じだ。 ミステリとしても、本作の題名(創元推理文庫版の方の)の通り、出没する被害者の死体が中盤以降も騒動の引き金となるが、さらにそこからまた、事件が次のステージに新展開。最後までハイテンポな都会派コメディミステリを満喫できる。 フーダニットとしてもなかなか意外な犯人で(予測がつく人はいるかもしれないが)、その真相に至る伏線もさりげなく? 張られている。 そんな真犯人の正体が判明したあとに、読み手のこちらの心をよぎったのは……(以下略)。 冷静に一歩引いてみると、大事な情報を遅めに出しているところもないではない……とも思うのだが、まあその辺の瑕疵は、作品総体の楽しさ~得点であまり気にならない。 あとこの作品に関しては、70年代(もっと前からか?)の頃からミステリマガジン誌上などで、ライスの未訳作を追いかけて機会を見て語っていた小鷹信光による愛情にあふれた翻訳が、作品の楽しさに大きく反映していると確信。しかし同じ翻訳者で、オレはどうして前作『売り出す』をスベってしまったんだろう、ナゾだ……。 (機会を見て、いつかそっちも読み直してみた方がいいな、きっと。) というわけで、いずれ手にとる『大はずれ』も『大あたり』も、ほかのマローンシリーズ諸作も楽しみだけど、しかしもしかしたら、やっぱりこの作品『死体は散歩する』が一番楽しかった、ということになるかもね? いや、それはそれで全然かまわないのだけれど(笑)。 |
No.1259 | 8点 | 死の扉 レオ・ブルース |
(2021/08/12 16:42登録) (ネタバレなし) 新訳版も購入していると思うが、これも散らかった家の中からすぐに見つからない(汗)。それで今回は「現代推理小説全集」版(あとから叢書をまとめ買いしたので2冊持ってる)で読んだ。 旧訳は清水俊二だったのか! マーロウものの大半を訳して、『そして誰もいなくなった』やポケミス最初のナンバーの『大いなる殺人』も担当してコレも訳したと。いやたしかに、レオ・ブルース研究家かつビッグネームファンの小林さんによる新訳のほうがいいんだろうけど、旧訳は旧訳でなかなか読みやすく味があった。 ただし旧訳は目次に並べられた各章の見出し、その終盤部に結構ネタバレ的な言葉が、使われている(新訳はそこはどうなっているのだろう)。これから旧訳で読む人はそんなにいないだろうが、(一応新訳もふくめて?)目次には注意、とアドバイス。 しかしおかげで頭が「そっちの方」に向かってしまったせいか、予断に引きずられて犯人はかなり意外であった。当サイトではかなり正解率も多かったようで、みなさんさすがである。 ところでこの作品の真相って、ずっと後年の日本の……(以下略)。 のちのキャロラス・ディーン(旧訳ではカロラス・ディーンとカタカナ表記)シリーズでは、ディーンのアマチュア探偵活動についてほとんど常に批判的なお約束キャラのゴリンジャー校長が、この段階ではプライベート寄りの一面でディーンの名探偵ぶりに関心を寄せているのが興味深い。 (ロボットアニメ『闘将ダイモス』の序盤では、普通にいい人だった三輪長官か。) あとは、最初はコワモテの田舎オヤジ風にディーンに接するものの、彼がアマチュア探偵だと知った途端、推理小説についての持ち前の知識を怒涛のごとくまくしたてるミステリマニアの農場主リムブリック氏がケッサク。現代推理小説全集版では巻頭の人物紹介一覧にも記載されてないサブキャラだけど、この人のおかげで本作の評価を1点プラスしたい。ほほうグラディス・ミッチェル、そんな感じですか。そのうちまた一冊読んでみます(笑)。 やっぱり面白いわ。キャロラス・ディーンもの。もっともっと翻訳してくれ。10年以上前に同人で翻訳刊行されたきりの長編も、どんどん一般販売の文庫化してくれ。 |
No.1258 | 7点 | 探偵の流儀 福田栄一 |
(2021/08/12 00:57登録) (ネタバレなし) 静岡県浜松駅から電車で20分、人口37万人ほどの地方都市・篠戸市。そこでは初老の独身男・嶋岡淳一を代表とする、彼を入れて総勢4名の零細組織「嶋岡探偵事務所」が細々と営業を続けていた。だがある夜、その嶋岡が調査中に階段から落ちて重傷を負い、人事不省となった。残された所員で、嶋岡の片腕的な間宮慶介、元刑事の松代和久、20代前半のバイト所員・飯田忠彦は、事務所の収益が嶋岡の実績による信頼と人脈ゆえのものだったことから、所の解散も考える。だがそこに嶋岡の姪で、都内の一流商社OLだった佐久間美菜子が出現。美菜子は大恩ある叔父のために会社を辞めて、今後はこちらで介護にあたるつもりだった。だがそこで飯田が、篠戸市という土地が、血縁者の会社継承に肯定的な気風であることに着目。美菜子を新所長に迎えて事務所を続ける案を出す。この案を快諾した美菜子。だがこうして新生した嶋岡探偵事務所の前に現れるのは、強引な手段で客筋を奪おうとする競合他社の暗躍、そして嶋岡が担当していた案件を含む複数の事件の迷宮的な錯綜であった。 光文社文庫版で読了。 評者は著者のことは本サイトのメルカトルさんの書評で教えてもらったが、試しにそのあと読んだ2冊は、それぞれ、なかなか面白かった。 それでこれが評者が手にする作者の著作3冊目になるが、適度にドラマチックな序盤、明快なキャラクターシフト。どうも美人女優、中堅二枚目俳優、若手イケメン俳優を揃えたテレビドラマ化を狙っているような気配の設定ではある。 ただそれ自体は別に減点要素でも得点要素でもないので、あとはミステリとして小説として面白いか読みごたえがあるかだか、話を転がすテンポ、場面場面の見せ場の設け方、主人公たち以外のサブキャラクターたちの書き込み、そして何よりこういう一見モジュラー式、しかし実はやっぱりかなりのものがどっかで絡み合っていく複数の事件の錯綜ぶりなど、それぞれの部分でよくできている。 ほとんどここまで事務所の担当する事件が絡み合うのも不自然? という感慨も生じないでもないが、その辺は重大な案件は深めに、そうでもない案件はそれなりに浅めに……といった差別化を書き手が心掛けながら、大筋が最終的にまとまっていくいくので、極度なリアリティ欠如という不満は当たらない。 タイトル通りに、プロ私立探偵の仕事、その矜持の立て方が主題のひとつともいえるあたりは和風ハードボイルド風であるし、事件の成分的には地方都市の地盤の枠からもはみ出す社会派っぽいところもある。 まあいろんな要素を覗き込みながら、最終的には最後まで飽きさせないで読ませる、集団チームのキャラクターミステリとして勝負しているという感じだが。 100点満点でいえば、良い意味で70点作品。 たとえるなら新幹線で往復3時間くらいの出張をするようなときとか、良い旅のお供になってくれるような一冊。 シリーズ2冊目もすでに出ているようなので、またタイミングを見計らって読んでみよう。 |
No.1257 | 5点 | ナポレオン・ソロ③/なぞの円盤 ジョン・オーラム |
(2021/08/10 05:20登録) (ネタバレなし) コペンハーゲン。デンマーク人で学生時代にラグビー選手だった商社マン、マイク・スタンニングは、行きずりの美女ノラ・ブランドと熱い一夜を過ごす。だが翌朝、ノラは姿を消しており、彼女は小さな包みを彼に託していた。その後、ノラの指示で向かった先で、不敵な中年男「ガーブリッジ少佐」がマイクを待ち構えていた。少佐はすでにノラはこの世にいないと告げ、マイクに彼女から預かった包みを渡すよう要求する。だがマイクは必死に窮地を脱出し、ノラから託された包みの中のもうひとつの指示のままに、謎の組織「アンクル」に連絡を取るが。 1966年のクレジット。 言うまでもなく「ナポレオン・ソロ」ノベライズシリーズの一冊だが、ベースになったテレビエピソードがあったかどうかは現状で不明。マトモに調べれば、なんかわかるかもしれない。それなりのストーリーの容量はあるので、小説オリジナルの物語かもしれない。 あらすじの通り、事件の序盤の部分を主人公コンビのソロ&イリヤなどからではなく、殉職するまで奮闘したアンクルの女性諜報員ノラ(偽名かもしれない)、さらに彼女とたまたま接触した一般人のマイク青年の叙述から始めているのがちょっと変わった趣向。 ノラの尽力のおかげで、陰謀団スラッシュがデンマークの田舎でひそかに建造している秘密機動兵器(音を立てずに高速で飛ぶ戦闘円盤)の存在がアンクルに知れて、途中からはおなじみの主人公コンビが個別に順々に、デンマークに出張する。 デンマークのアンクル支部の仲介で、現地の土地勘のある大戦中の元レジスタンスが協力。この辺は王道の展開。 さらに主人公コンビに随伴したアンクル本部の女性エージェントが、スラッシュ側の拷問好きのキチガイ女に殺されるかかるなど、西村寿行の中期以降の作品みたいな趣向もあり、通俗スパイ活劇としてはそれなりに見せ場も用意してある。 ソロたちが敵の陰謀を挫くまでの大筋は良くも悪くもスタンダードだが、それでも作者は下っ端のスラッシュ戦闘員の奮闘エピソードを盛り込み、前線で戦う兵士の苦労そのものには正義も悪も陣営は関係ないのだ、という感じの共感さえ、ソロにさせかけている。この辺はとにもかくにも小説としての厚みを出そうという気配が覗けて、ちょっと感心。 あと、コペンハーゲンのアンクル支部の女性局員ギュッテの文芸設定なんかも、テレビや映画では絶対に描かれていないであろう種類のものが用意されており、この辺も評価のポイントか。 とにかくプロットそのものは紙芝居みたいなんだけど、細部の随所に小説版独自のプラスアルファを盛り込もうという書き手の気概は見やれる。 トータルの評点としてはこんなものだが、決してキライではないし、こういうものとしてツマらないわけでもない。 |
No.1256 | 7点 | しなやかに歩く魔女 カーター・ブラウン |
(2021/08/09 08:01登録) (ネタバレなし) ニューヨーク。「おれ」ことダニー・ボイドは私立探偵事務所「クルーガー探偵社」で「探偵長」の役職を務めていたが、2週間前に退職。現在は自分の探偵事務所「ボイド興業」を開設したばかりだった。そこに最初の客として、ブルーネットの美女アデル・ブレアが来訪。アデルの依頼は、彼女の年上の夫で斯界では高名なシェークスピア俳優ニコラス(ニッキー)を、何らかの手段で精神病院に強制収容させて欲しいというものだった。奇妙な依頼を辞退仕掛けるボイドだが、アデルの提示した高額の依頼料に魅力を感じた彼はこの件を引き受ける。ニコラスの前妻の息子で30歳の青年オーブリの協力を得て、彼の友人を装ったボイドは目標のニコラスに接触。言葉巧みに「プロの精神病医すら欺くような、本物らしい狂人の真似ができるか」と相手を挑発して、まんまと彼を精神病院に収容させるが……。 1959年のクレジット。 カーター・ブラウンのたぶん二番目にメジャーなレギュラー主人公、私立探偵ダニー・ボイドものの第一弾。 たしかこれも大昔に読んでるハズだと思ったが、最後まで読了してもまったくカケラも読んだ記憶が甦らない。事務所を開業したばかりのボイドの描写も記憶がないし、のちにレギュラーヒロインとなる美人秘書フラン・ジョーダンがまだ出てきていないことも覚えていない。どうやら勘違いで完全に初読のようである。 ちなみに小林信彦の「地獄の読書録」ではかなり高い評価。カーター・ブラウンには凡作も秀作もあると認めた上で、これはその後者の方と判定。☆5つで満点で、☆4つ。それってたとえば同じ小林信彦のレビュー基準でいえば、ロス・マクの『ギャルトン事件』あたりなどと同等の高評だ(!)。 実際、カネのために、どうもヤバげな案件に一口乗る今回のボイドの言動は、のちのシリーズでの軽妙さとはどこか違う悪徳探偵っぷりが濃い。きわどさでいうと、チェイスの『ブランディッシュ』あたりの空気に似たものさえ感じさせる。 短い紙幅ながら起伏の多い展開で、事態は当然のように殺人劇にまでいたるが、事件の構造はそれなりに錯綜……というか、読み手のある種の予断の裏をかくような作りが、なかなか……であった。もちろん詳しくは書けないが。 (ただし真相の説明については、やや舌っ足らずな感じもあり、そこは減点。) 前述のように、このときのボイドはかなりまだコワモテで、荒事師とやりあうのはもちろん、自分の顔をひっぱたいた女の頬を叩き返すことなどにも躊躇はない。それだけに他の諸作とはワンランク違う凄味があり、仮想敵というかライバル的な先駆ヒーローは、やはりズバリ、初期のマイク・ハマーだったのであろう。 こっちの方向で以降も突き進むブラウン(というかダニー・ボイド)ももうちょっと見たかった気もするが、たぶんそれでは、現実ほどの人気は、欧米でも日本でも得られなかったろうなあ。 いずれにしろ、初読になるか再読になるかわからないけれど、この直後のシリーズ諸作の中でフラン・ジョーダンが出てくるタイトルに出逢うのがちょっと楽しみになった。 なんか彼女の登場を機にボイドが軟派になってしまうような気配がするようなところもあるが、それは実際のところ、実物を読んでみなければわからないネ。 |
No.1255 | 5点 | 生きていたおまえ… フレデリック・ダール |
(2021/08/08 07:16登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと40歳の建築業者ベルナール・ソメは、30歳の不遜な金貸しステファン・ムソーに800万フラン以上の借金があった。ベルナールは、15年間寄り添った妻アンドレとステファンの間に、ありもしなかった不倫関係を偽装。妻を寝取られて復讐した哀れな哀れ夫に自分を見せかけながら、完全犯罪をたくらむが……。 1958年のフランス作品。 自分的には、主人公の内面の変化はまあ良い。そういう心境の変異も、まあまあ、あることだと思える。 ただし問題は、終盤のどんでん返しが、かなり早めにヨメてしまうことで、この可能性は読者の大半が気づくだろ、という感じである。 まあそのラインを越えなければ、二転三転ものの形質のなかで、それなりに楽しめる作品ではあろう。 スパイス的に語られる、ある登場人物の思惑もコワイし。 悪くはない。「まあ楽しめる」。でもあんまり高い点もあげられない、という意味合いで、この点数か。 ところで文春文庫の登場人物紹介に、なんで中盤からのそれなりに重要キャラ、ルショワール判事の名前が記載されてないの? ステファンの召使いのベトナム人、リー・グエン(こっちは登場人物一覧に名前が記載)より、この判事の方が中盤以降は物語の上で大きな役割を負うと思うのだが。 |
No.1254 | 7点 | 追跡者 パトリック・クェンティン |
(2021/08/07 07:18登録) (ネタバレなし) ニューヨーク。 元ボクサーで、今は鉱山技師として活動するチェコ系の青年マーク・リドンは、およそ三か月前に社長令嬢の美人エリー(エリノア)・ロスと結ばれた。しかし結婚直後、大きな仕事が入り、ヴェネズエラに単身、赴いていたマークは、ようやくふた月ぶりに愛妻のもとに戻る。だがエリーが待つはずのアパートに彼女の姿はなく、そこにあるのは、かつての妻の彼氏の一流会社の支配人ユーリイ・ラスロップの死体であった。何らかの事情から、妻が元カレを死なせて行方をくらましたのか? 疑念に駆られたマークは消息を絶った妻の行方を探し始めるが。 1948年のアメリカ作品。 主人公マークの叙述は三人称だが、全編ほぼ一視点。焦燥に駆られながら愛妻を追い、次第に予測もしていなかった事態や事実に次々と向かい合うことになる筋立てのリーダビリティは最高級である。 意表をつくタイミングで山場が設けられたのちに、後半の展開に突入。人間関係は入り組んでいるが悪い意味での煩雑さなどはあまり感じず、サブキャラまでかなり無駄なくお話作りに奉仕させて、効果を上げている感が強い。 クエンティンのメインストリームといえる、ウェッブ&ホイーラーコンビの晩期の作品だけあって、作劇やキャラ造形の練度が高く、そういう意味では完成度は高いだろう。 しかし作者たちの一番の狙いは、さるキーパーソンの人物造形とそこに込めた文芸味だろうね。これはいろんな意味で相応に驚いた。 後味を書くと作品の方向が見えてネタバレになりそうなあやうさがあるので、その辺にはココではあまり触れないが、もっと(中略)などという思いも生じたりした。 終盤は、事態の全貌を知りすぎている某キャラの説明で事件のアレコレが語られすぎじゃないか、という気もしたが、この辺はまあギリギリ。 とにかく、とあるポイントで、妙に(?)メンタル面を刺激する長編ではあった。評点はこのくらいに。 |
No.1253 | 6点 | あばずれ カーター・ブラウン |
(2021/08/06 15:30登録) (ネタバレなし) 「おれ」ことパイン・シティ保安官事務所に所属する警部アル・ウィーラーは、上司の保安官レイヴァーズから、モルグに5年間ホルマリン漬けで保管されている生首について、相談される。生首は若いハンサムな男性で、5年前に胴体が見つからず首だけが発見され、それからずっと、身元不明だった。だが町から20~30Km先のサンライズ渓谷の大地主サムナー家、その料理人の老女エミリー・カーリューが昨日、町の病院で死亡。エミリーは末期に、実はあの首の若者の素性を知っていた、彼はサムナー家の客人「ティノ」で、同家の長女チャリティも何か関係があったようだと言い残したのだ。ウィーラーはサムナー家に再調査に向かうが、一方で名の知れたマフィア系ギャングのガブリエル(ゲーブ)・マルチネリも町に来訪。5年前に弟ティノが行方不明になったガブリエルは今度の情報を聞きつけて、パイン・シティに犯人捜しと復讐にやってきたのだ。 1962年の版権クレジット作品。 邦訳だけでも数あるウィーラーもののなかでは、割と定評の人気作だと思うが(「地獄の読書録」などで小林信彦がホメていたハズ?)、自分の部屋を別用でかき回していたら出てきたので、ウン十年ぶりに再読した。 ギャングのガブリエルは、あのラッキー・ルチアーノの元舎弟だったという大物の設定。 そのガブリエルが側近として連れている元弁護士の盲目の殺し屋「しのびよる恐怖」ことエドワード(エド)・デュブレがなかなか立ったキャラで、評者も物語の細部は忘れてもこの人物だけはよく覚えていた(協力者の手を借りて相手を真っ暗な閉鎖空間に閉じ込め、暗闇に慣れ切った盲人の方が完全に有利な状況の中で奇襲し、殺害する)。もともと知的階級の素性ゆえ、普段は紳士然としてウィーラーとやりあうデュブレの芝居もよい。 なお謎解きミステリとしては完全に忘れていたので、 ①死体は誰か=本当にマフィアの弟ティノか(そもそも殺された動機は?) ②フーダニット ③なぜ首を斬られたか などの興味から読み始めたが、②に関しては捜査をしてゆく上でおのずと分かる流れ、③の真相も大したことはないが、①についての作中の事実と、殺人事件に至った経緯についてはちょっと凝った内容で面白かった(読者が推理する余地はほとんどないが)。 郊外の旧家サムナー家の納骨堂という舞台装置も、立体的にストーリーに役に立って、そういうゴシックロマンのパロディ的な趣向も面白い(冒頭でウィーラーが、状況の説明をするレイヴァーズに「ブロンテ姉妹のどっちかですか」とジョークを言うギャグ場面がある)。 あとはレギュラーヒロインで、ウィーラーに対してツンデレ娘のアナベル・ジャクソン(レイヴァーズの秘書)が、保安官事務所に現れたガブリエル一派におびえ、そこでうまく立ち回ってくれたウィーラーにいっきにイカれてしまう描写が愉快(このシーンそのものは何となく記憶していたが、ああ、この作品だっけ、という思い)。今でいう「チョロイン」(チョロくオチる、ラブコメ漫画やラノベなどのヒロイン)の先駆という感じであった。まあ最後は良い意味で(中略)だが。 ちなみに題名の「あばずれ」(ヘルキャット)とは、ゲストメインヒロインのひとりで赤毛の美人チャリティ・サムナーのこと。webで本作の原書のペーパーバックの表紙を眺めると、数種類の版に赤毛の下着姿の美女が描かれており、これが彼女のイメージかな、という感じ。カーター・ブラウンの作品でこういう楽しみ方ができるのは、21世紀のネット時代ならではだネ。 |
No.1252 | 6点 | 希望(ゆめ)のまちの殺し屋たち 加藤眞男 |
(2021/08/04 05:28登録) (ネタバレなし) 2013年の埼玉県さいたま市。妻帯者の設計士・田辺郁夫、デパートの呉服売り場担当の中年女性・鈴木佐恵子。受験生の樋口友也、そして……と、それぞれの人間が各自の事情で悩みを抱えていた。やがてその中から殺意の蕾が芽生えるが、一方で互いに縁も面識もなかったはずの彼らの物語は、奇妙な接点で絡み合っていく。 島田荘司が選考を務める「本格ミステリー「ベテラン新人」発掘プロジェクト」で受賞して、60歳代でデビューした作者の2冊目の長編。 なかなかテクニカルな作品ではある。 たぶん評者を含めて大方のミステリファンは「実はAとBはこれこれの関係性であった。さらにCとDも……」というパターンに関しては「うまく面白くやってくれるなら良し。ゴタゴタつまらない見せ方ならゴメン」という感じであろう。 その点、この作品は、並行して語られる複数の別個の主人公たちのストーリーが、どっかで何らかのキャラクターとかポイントで結びつくことを当初から裏表紙で明かしている。 これは送り手の考え足らずなネタバレなどではなく、横溝の『黒猫亭事件』みたいに大ネタをさらけ出した上で読者との勝負にかかるタイプの作品ということのようだ(従って、もちろん今回のこのレビューも、ここまで書いてもネタバレに当たらない)。 それで出来たものの感想は、フツーに書けばあまりに狭い箱庭的な舞台の窮屈さにウンザリしちゃうところ、むしろホイホイとあれもこれも関係性が浮かんでくる終盤の展開に奇妙な痛快さを覚える面もある。 正にそれこそが本作の狙いであり、醍醐味だろう。 まあその代価として作品世界のリアリティはほとんど無くなり、大人のおとぎ話みたいな仕上がりになってしまった面もあるんだけど。 (虫暮部さんがおっしゃっている「魔法の出て来ない日常のファンタジーみたいなもの」という感覚は、そういう意味でしょうね。) ただまあ、その辺は技巧派ミステリにありがちな気質でもあるし、個人的にはあまり気にしない。なんか1970~80年代の角川文庫の新訳翻訳ミステリとして刊行された、気の利いた編集者や翻訳家がどっかからか見つけてきたマイナーな、しかしちょっと洒落たその手の変格ミステリーみたいな味わいでもあった。 一方で気になったのは、最後のパートでその実は……実は……の膨大な「意外な人間関係」という情報を捌くため、とにかく某キーパーソンの説明が長すぎたこと。これだけ言葉を費やせば、かなりのイクスキューズはあれやこれやに用意できるよな、という感じであった。 あと、そういうメルヘンチックな側面もある作品だからいいんだけど、まとめ方が良くも悪くも(中略)すぎるかもね。 作者はこのあとは作品を書かずに消えてしまったようだけど、もう少し書きなれてこなれてきたら、なんかもっとさらに……なものはあったかもしれない。まあそんな一冊。 |
No.1251 | 6点 | 泣くなメルフィー カトリーヌ・アルレー |
(2021/08/03 15:12登録) (ネタバレなし) 10年以上前、25歳年上の大富豪ピエール・モレスティエを交通事故の怪我がもとで失った美しい女性メルフィーは、莫大な遺産を相続したのち、夫の側近だった16歳年下の美青年フランク・ザンジルと再婚した。メルフィーの財産は夫婦共同の管理下に置かれたが、フランクは並外れた才覚でもともとの資産をさらに増やして、現在のメルフィーとフランクは巨万の富を持つはためには円満な夫婦だった。そんなメルフィーも今では57歳。毎日ホルモン剤を注射し、最高級の美容術を用いて美魔女的な美貌を誇っていた。そんなメルフィーは、少し前から今は41歳のフランクが、現在29歳の才色兼備の美人テッサと2年前から不倫関係にあるのをうすうす察しながらまあ仕方がないと看過していた。プライドが高く気の強いメルフィーは、表向きは同性の仲の良い友人として自分の地所にテッサを迎えるが、ひそかに盗聴器と録音機を仕掛け、夫とその情婦の秘めたやりとりを探ろうとする。するとそこから聞こえてきたのは、自分を殺そうとフランクを煽るテッサの物言いだった。 1962年のフランス作品。アルレーの第六長編。 2時間ドラマになりそうな話で(実際に翻案されて映像化されていたようなおぼろげな記憶があるが、定かではない)、良い感じに起伏に富んだ話は21世紀の今でも十分に多くの人を楽しませると思う。 一方でその上で、トータルである種のスタンダード感を受け手に抱かせる面もあり、その意味では半世紀前の新クラシックだな、という印象もある。 後半の女対女の闘いを主軸にした三角関係のドラマはなかなかのテンションで、ジェンダーの組み合わせは違うもののマガーの名作短編「勝者がすべてをえる」を思わせる部分もあった(どっちの作品にも、ネタバレにはなってないハズ)。 ラストの余韻は、創元推理文庫で合本にされた優秀作『黄金の檻』には及ばないものの、意外にそちらのそれに食い下がるような興趣で、予想以上に良かった。さらっと何か一冊就寝前に読みたい、そしてそれなりの手ごたえを得たい、そんな日には、とても手頃な長編であろう。 |
No.1250 | 7点 | 酔いどれひとり街を行く 都筑道夫 |
(2021/08/03 04:49登録) (ネタバレなし) 「おれか? おれはなにもかも失って、おちぶれはてた私立探偵。失うことのできるものは、もうひとつしか、残っていない。もうただひとつ、命しか。」 どこかで聞いたようなフレーズで始まる連作短編集。ただし次のセンテンス「~というのが、名前だ。」の最初に来る名前は「カート・キャノン」ではない。「クォート・ギャロン」である。 でまあ、今年の7月に創元推理文庫の新レーベル「日本ハードボイルド全集」にも改題『酔いどれ探偵』の題名で収録されたばかりなので、もう知ってる人も多いだろうが、本作はもともと「日本版マンハント」の1960年4~9月号に連載された、カート・キャノン(エヴァン・ハンター/エド・マクベイン)の連作(元)私立探偵小説「カート・キャノン」シリーズの公式パスティーシュ。 その日本版マンハントに連載時は、主人公の名前はズバリ、カート・キャノンだった。 実は連載第一回目の「日本版マンハント」60年4月号にはチャンドラーの『ペンシル』も掲載されており、目次の周辺ページの煽り文句で「こじきのキャノンとぼやきのマーロウが帰ってきた!」とか何とか書かれていたのを今でもよく覚えている。ルンペンってこじきと微妙に違うと思うんだけど……(汗)。 評者は大昔の中高生時代から古書店を巡ってはひと昔、ふた昔前の翻訳ミステリ誌を集める趣味があったので(イヤな子供だね)、日本版マンハントのこの贋作キャノンシリーズの掲載号に出会えた時は大喜び。カート・キャノンについては、藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」でまずその存在を知って興味を抱き、のちにポケミスで実作に接して本気でスキになる、そんなお定まりのコースだったのヨ。 周知のように、このツヅキの「贋作キャノン」は、ポケミス版『酔いどれ探偵街をゆく』の巻末にボーナストラック的に一本だけ収録されており(HM文庫版では割愛)、それもキャノンものの正編とほとんど同様に楽しんだ勢いで、日本版マンハントに掲載されたっきりの残りの贋作キャノン5編もそれぞれ、前述のように古書店で入手したバックナンバーで面白く読ませてもらったものだった。 それでこの贋作キャノン6本が初めて書籍化されたのが、上に掲示されている1975年の桃源社版「都筑道夫<新作>コレクション」だったワケだが、初めてコレを新刊書店で手にしたとき、本気で驚いた。「クォート・ギャロン⁉」誰それ、「カート・キャノン」じゃないの? ……でまあ、主人公の名前が変わったこと、さらに本になるまで時間がかかったことについては、日本版マンハントに公式パスティーシュの執筆を認可してくれたタトル商会の意向によるものだということを、この桃源社版のあとがきでツヅキ自身が語っている。 (まだ現物は手にしてないけど、たぶん今年の新刊の創元文庫版でも、日下センセイがこの辺の事情は解説してくれているだろうね?) とはいえ、当時まだ若かった自分はとにかく大ショック。クォート・ギャロンなんて、カート・キャノンじゃないや、と、書籍『酔いどれひとり街を行く』は、もはやカート・キャノンの公式パスティーシュではなくマガイモノのような気分で、意識の外に半ば遠ざけていたのである。 私にとってのカート・キャノンは長い長い間、ポケミスとHM文庫で読める正編(とその前者で読める贋作一本)、あるいは「日本版マンハント」に載ったバージョンの「カート・キャノン」主役の6本のみ、だったのだ。 しかしながら21世紀になり、さらに20年も経つと、まあもうクォート・ギャロンと改めて付き合って(再会? して)もいいかな、という気分にもなった。それで桃源社版の古書をwebで注文したのが、昨年のこと(『酔いどれ探偵』に改題されている事実は、その後で知った)。桃源社版は、水野良太郎先生のジャケットアートがイイね。 それでそのうち読もうと思って居間の脇に置いておいたら、創元推理文庫で復刊というニュースがそのあとに飛び込んできた。……で、現在に至る。 まあそういうワケだ(笑)。 で、半月ほどかけて少しずつ、全6本のクォート・ギャロンものを読んだが、まあやっぱり面白いことは面白いね。 名前は違っても、彼もまたカート・キャノンなのは間違いないし、同時にツヅキの生み出した新たな探偵ヒーロー、クォート・ギャロンでもあるんだよ。 特に第4話「黒い扇の踊り子」は密室殺人事件で、キャノン=マクベインが87分署ものの『殺意の楔』で、スティーヴ・キャレラに密室殺人を暴かせたことの本家どりのような趣向。 しかしその解決はツヅキファンなら、ある意味でかなり啞然とするハズで(これ以上は言わない)、これは時を経て再読して良かったように思う。ファンなら何を言っているか、わかるだろう。 6本で終わってしまうのがもったいないが、まあツヅキがさらにこの贋作シリーズの中で書けたこと、書こうとしたことは、オリジナルの連作シリーズ、私立探偵・西連寺剛ものなんかの方に転用されたんだろうね。 本当は長編1本、短編8本でミステリ史から消えるはずだったキャノンは、最終的に微妙な形になりながらも、さらに6編の活躍編を得た。それだけでよしとすべきなのであろう。 |