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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2108件

プロフィール| 書評

No.1508 5点 紙の孔雀
斎藤栄
(2022/05/27 05:43登録)
(ネタバレなし……やや危険かも・汗)

 学生運動が盛んな時代。その年の9月23日。派閥セクトのひとつ「全共闘革マル派」が、対立する派閥「社青同解放派」の本拠といえる横浜港南大学の学生寮を夜襲した。だが夜襲は中途半端な形に終わり、革マル派の女性闘士は攻撃を受けて失神中に処女を奪われた。一方、横浜の野球場では男の他殺死体が発見され、神奈川県警の捜査が進む。そんななか、捜査本部に参加する古参刑事、里見志郎は、とある疑念を抱くが。

 瀬戸川猛資氏が1971年当時の「ミステリマガジン」誌上のリアルタイムのレビューで、怒りまくっていた作品。
 その怒髪冠を衝く激怒ぶりの主旨は、こんな作品を認めたらミステリは成り立たない、というもので、真面目なミステリ読者である若き日の同氏の熱さがうかがえて微笑ましいものである。
 が一方で、本サイトのkanamoriさんのレビューを拝見すると「アンフェアと言われかねない」とちゃんとこだわられながらも「意外な結末については楽しめました」とホメておられる。
 この温度差に関しては、たぶんきっと(中略)トリックが浸透、送り手にも受け手にも共有された「新本格の台頭」という分水嶺があるからなんだろうなと、なんとなく本作の中身を予見しながら、読み始めてみる。
 読んだのは、講談社の1971年の元版(「乱歩賞作家書き下ろしシリーズ」)。現状でAmazonにデータ無し。

 でまあ、学生運動がらみのストーリーとミステリ味、警察の捜査活動の描写の方は、誌代色を味わう部分も含めてそれなりに面白かったのだけど、肝心のサプライズに至る大仕掛けの部分。
 ……コレはダメでしょ。
 途中で、最後にサプライズが来るならこの手しかないな、と予見しながら読み進めたけれど、一方でラストに「その驚き」を獲得するには不整合になってしまう描写がありすぎる。それなのに、この作品は平然とその辺の矛盾のアレコレに目をつぶってミステリをまとめてしまっている。つまりはそれこそ「アンフェア」。

 佐野洋は「推理日記」一冊目にあたる部分の中のある回で、山村正夫の短編に読者から日本推理作家協会に「あの描写はアンフェアじゃないですか」と苦情がきた実話を例に引き(その短編は協会選定の年間アンソロジーに収録されたらしい)、叙述の客観性と主観性を検証。その結果、山村作品の瑕疵を公認しているのだが、斎藤栄もこの作品『紙の孔雀』をあと数年遅く書いていたら、もしかしたら、その「推理日記」の記事を参考に、もうちょっとオカシクないものを書いていたかも? と想像する(当時のプロ作家連中にも、かなり「推理日記」は読まれていたはずなので)。
 
 驚かせればいいだろうという作者の勢いは買うけれど、ミステリって最低限、<それだけ>じゃダメだよね。個人的には瀬戸川レビューに、ほぼ大枠で賛成。
 クリスティーのあの作品がなんで何十年経った現在でも読み継がれているのか、言うまでもないでしょう。トリックだけでもギミックだけでもないよね。

 新本格前夜、その前のひと昔前前後の国産ミステリ史上に、その土壌としてこういう過渡期的な作品のひとつがあった、という意味では、読んでおいた方がいい一編だとは思います。


No.1507 5点 聖トレシア学院殺人事件
永田文哉
(2022/05/26 04:06登録)
(ネタバレなし)
 両親を事故で失い、一つ下の妹のみどりとともに神奈川県の祖父と祖母のもとに身を寄せた高校生・月山翔。彼は地元の我孫子湘南高校の3年生として、剣道部の部活動に勤しんでいた。そんななか、母校が近所のミッション系の女子高「トレシア学院」のフラダンス部を文化祭に招いて公演を願うことになる。だがそのトレシア学院の周辺で、とある変死事件が発生。さらに今度は明確な殺人事件が同校内で起きた。成り行きからアマチュア探偵として事件に関わっていく翔だが。

『レッド・サタン殺人事件』(永守琢也名義)『タランチュラ殺人事件』(同)、そして永田文哉名義での『黒い騎士殺人事件』に続く学生探偵・月山翔シリーズの第四弾。
 今回は作中のタイムラインが遡って、翔の高校時代、アマチュア名探偵としてのデビュー編が語られる<イヤー・ワンもの>である。

 小説技法はだいぶ上手くなり、さらには今風のBLラノベ的なくすぐり要素も盛り込むなど、書き手のテクニックはなかなか向上した感じ。

 ただしミステリとしては『レッド・サタン』『黒い騎士』のようなバカミスとしての破壊的なパワー(特に後者)が減じ、実にフツーの学園青春ミステリになってしまった感慨。
(評者はまだ『タランチュラ』だけは未読だが。)

 転落死のトリックも、欧米の某作家のものまんまだし(意識的にパクったかどうかは知らんが)、何より真犯人の動機のネタは2020年代になってまだコレをダイレクトに使うのか、といささか鼻白んだ。まあ風化させてはいけない主題なのであえて、というニュアンスかもしれんが。

 一方で各種ロジックの形成、小規模の(中略)トリックなど、細かい部分の作りこみはけっこう進歩している感じ。
 そういう意味では悪い作品ではないのだが、このシリーズに特に思い入れのない人に黙って単品でこれを読ませたら、あまりいい評価はもらえそうもないと思う。
 シリーズはまだまだ続くみたいだし、地味に応援してますので次回はもっと頑張ってください、という意味合いでこの評点で。


No.1506 6点 交換殺人
フレドリック・ブラウン
(2022/05/25 14:58登録)
(ネタバレなし)
「おれ」こと、テレビの脇役俳優兼タレントである27歳の独身男ヴィリー・グリフは、少し年上の美貌の人妻ドリス・シートンと不倫関係にあった。だがその情事がドリスの夫でハゲデブの四十男ジョンに露見。シート・カバーの製造販売業界で成功し、テレビのCM広告主でもあるジョンはグリフに対し、ドリスとの仲を清算すれば穏便に済ますが、これ以上関係を続けるなら、テレビ界に圧力をかけてグリフの仕事を干すと言ってきた。グリフはドリスとジョンの財産を手に入れるため、完全犯罪での殺人を考えるが。

 1961年のアメリカ作品。
 題名で大ネタは一目瞭然だが、『見知らぬ乗客』『血ぬられた報酬』に続く、たぶん欧米ミステリ史上3冊目の、クライムサスペンス形式での交換殺人もの。
 とはいえ物語(ページ数そのものはそんなに長くない)のかなりあとあと、中盤に至るまで、殺人計画をあれこれ考えたジョンが、どういう経緯で誰を交換殺人のパートナーに選ぶのかはっきりせず、その辺をアレコレ考えるのはなかなか楽しかった(カンのいい人は、いや、相棒はこの人物しかないだろ、とわかってしまうかもしれないが)。

 売れない脇役俳優がビンボーな倹約生活ながら「動物園(ズー)」とあだ名をつけた下宿アパートの周辺で、周囲の若い連中などとフリーセックスめいた行為を楽しんでいる描写にも妙な活気があり、ブラウン先生、ここではそういうものも書きたかったんだね、という感じ(正直、日本に翻訳紹介された時点では、結構なエロミステリだったのではないかと思える叙述も散在する)。

 後半、グリフとその「相棒」が次第に悪の道に足を踏み込み、もう後戻りできない状況になってから独特の加速感が生じるが、終盤の展開は……うん、確かに斎藤警部さんのおっしゃるようにラストの切れ味はスパっとは行ってませんね(汗)。ごもっとも。
 ただまあ、評者的にはブラウンの用意しようとしたオチの方向には了解できる面もあるので、大枠としてはコレで良かったと思わないでもない。主人公グリフの行動などを含めて、もうちょっとツメようもあるのでは? という気もするが。

 大昔から「短編ネタの長編」とか、一方で「傑作」だとか、実は意外に読んだ人の評価や感想が割れている印象もある作品。
 評者としては、佳作ぐらいに認定。

【2022年6月2日】
 本文を一部、改訂しました。


No.1505 7点 英国屋敷の二通の遺書
R・V・ラーム
(2022/05/24 17:23登録)
(ネタバレなし)
 インド南方の避暑地ウーティの近隣に立つ旧館グレイブルック荘。そこは植民時代の英国人が建国したが、代々の当主は呪いを受けて死亡するという伝承がある屋敷だ。現在の主人バスカー・フェルナンデスは親族思いの65歳の富豪だが、最近、周辺に怪事が発生。身の危険を感じた彼は、自分が自然死した場合と、死因に不審があった場合、そのふたつの状況を想定して、二種類の遺書を作成し、その作成事実を公表した。それは謎の殺人者? が周囲にいた場合、後者の遺書の存在で牽制を図るためだ。同時にバスカーは、元警察官で、引退後も名探偵として名を馳せたハリス・アスレヤを招待。周囲の事件性を探らせるが、やがて屋敷内では予期せぬ状況で殺人が生じる。

 2019年のインド作品。
 設定は確かに21世紀のインドなのだが(電子メールなどのツールも出てくる)、内容はトラディショナルなカントリーハウスものの英国ミステリを思わせる謎解きパズラー。
 旧作ばかり読みがちな評者なので少しは新作もと思い、手にした一冊だが、予想以上に面白く、一晩で読了してしまった(おかげでいまだに、うっすら眠い)。

 会話が多くリーダビリティの高い本文も敷居が低いが、適度な頭数の登場人物(主要人物はカウントの仕方にもよるが、13人)もくっきり描き分けられ、小規模のイベントの見せ方も好いペースで進展する。
 作中の犯罪に良くも悪くもある種の立体感があり、ちょっとばかり煩雑さを感じさせるのはナンだが、脇の方の事件と本筋の犯罪の絡ませ方はぎりぎりのところでうまい具合に整理されており、最終的にはさほどややこしさは感じないで読み終えた。

 で、秘められていた過去のかなり大きな事実の露呈が、某キャラクターの述懐でほぼ片づけられてしまうのは、nukkamさんのおっしゃるように、ちょっとモヤるところはあった。
 ただまあ英国の黄金時代のあの名作? だってアレだったと思えば、個人的にはギリギリ許したい。

 というか本当に評者がモヤったのは真犯人の方で「小説的な(中略)を作者が狙っているなら、コイツだろ」と勘で見当をつけていたら、正にドンピシャであった(笑)。
 しかし当てずっぽうで正解しといてなんだけど、もうちょっと伏線や手掛かりの布石が欲しかったというのもnukkamさんに全く同感。こーゆー、カンや小説的な技法の読みで犯人を当てるという裏技(?)をしたときには、「え、あれも伏線だったの?! ガピーン!」となってこそ快感ではあるので(笑)。

 とかなんとかアレコレほざきつつ、全体的にはかなり楽しい新作海外パズラーではあった。シリーズ二作目も、今から楽しみにしております。


No.1504 7点 みじかい夜
ロナルド・カークブライド
(2022/05/23 06:04登録)
(ネタバレなし)
 フィンランドの首都ヘルシンキ。アメリカ人の青年ジョウ・ベアードは、一人の美しい女性を捜していた。親しくなったエア・ホステス、ファイナ・スオマライネンの仲介で、土地の警察官トレルヴォ・ホルムストロムの協力を得たジョウは、目的の女性が「スヴェア・ダンドストロム夫人」の名前で双子の息子とともに国内のアウランコ湖の周辺に滞在していると知る。そんなジョウには、ある秘めた目的があった。

 カナダ生まれの作家ロナルド・カークブライド(1912~1973年)による、1968年の作品。
 
 日本では先にハヤカワノヴェルズで紹介されたのち、NV文庫に収録。現状でAmazonには元版のノヴェルズ版のデータ登録はない。
 大昔に新刊のNV文庫で購入、ずっと何十年も積読にしておいたのを今夜いっきに読んだ。

 ヒッチコックファン、往年の映画ファンには、もともと『ファミリー・プロット』の次にヒッチが映画化する構想があった小説として知られている。メインヒロインのスヴェア役にカトリーヌ・ドヌーヴの配役も内定していたらしいが、ヒッチの高齢による体調不良とともに企画が中座し、そのまま当人の逝去によって、幻の映画になったようである。
 評者が買ったNV文庫版には「ヒッチコック映画化!」と大きく謳った帯がついている。先にノヴェルズで出ていた邦訳が文庫化されたのは、そのヒッチの映画化企画が早川に聞こえてきたタイミングだったからであろう。

 NV文庫の裏表紙のあらすじでは、主人公ジョウがなぜ謎の美女スヴェア・ダンドストロム夫人を捜し求めるのか、いきなりネタバラシしてあるが、実際の本文ではその辺は中盤までヒミツ。今回のレビューのあらすじではもちろんその辺は伏せたし、これからNV文庫で読む方は裏表紙は見ない方がいい(ノヴェルズ版のあらすじがどうなっているのかは知らないが)。

 正直、途中までは結構ヤワい感じの歯応えで、なにこれ、ハーレクイン小説? かとも思ったほど(といいつつ、評者はマトモにハーレクインものを読んだことはないので、あくまでイメージだが)。それくらい悪い意味でメロドラマ要素を濃く感じた。あと、フィンランドの現地描写に筆を費やした旅行記ものの感触ね。
 とはいえ後半、物語のベクトルがはっきり見えてからはなかなかテンションが上がるし、予想以上に並べ立てられていく小説的デティルの細かさ、そして登場人物の関係性の変移ぶりにはグイグイ引き込まれていく。後半は普通に面白いし、それなりに読みごたえがある。

 ジャンルで言えば広義のスパイ小説。
 とはいえ、あのマクリーンも本書を読み、フレミング以上の作家と激賞したらしいが、それでもあえてこの作品はスパイ小説ではないとも言っている。まあその見識もわかる、グレイゾーンのカテゴライズだな。
 作者カークブライドの英語版Wikipediaを覗くと、その後、そんなにミステリを書いた訳でもないらしいまま、本書の5年後に60代初めの若さで他界。
 映画のシナリオ作家としても活躍したらしいので、どっかでそっちの方で縁があるかもしれない。

 末筆ながら、ヒッチコックが興味を持ったというのは、なんとなくわかる、そんな内容。

 佳作の上か秀作の中~下というところかな。作中にラップランドの地名が何回か出てくるので、大島弓子ファンの評者は大好きな作品のひとつ『いちご物語』を思い出してちょっと顔がほころんだ。
 評点は0.25点くらいオマケで。


No.1503 7点 黒白の虹
高木彬光
(2022/05/22 07:16登録)
(ネタバレなし)
 昭和28年。朝鮮戦争の影響が日本に好景気をもたらしていた時代。「東福証券」の若手証券マン・西沢貞彦は、社長の井上文治に呼ばれて、戦時中から残る満州鉄道の今は紙屑同然の株券を、なんとか高騰させるよう拝命する。友人・桂田京介の従姉妹で美人の豊川美佐子のふとした一言から、そのヒントを得た貞彦は作戦を実行に移し、見事に狙いを的中させた。だがそれは、多くの人生を狂わす遠因ともなり、自殺者の悲劇が続出。やがて時代は数年後へと流れて。

 カッパ・ノベルスの31版(1979年1月刊行)で読了。
 近松検事シリーズの第一弾で、評判のいい『黒白の囮』を読む前にまずこちらからと 、この元版の古書をネットで安く購入した。
 
 あまり詳しく書かないが、作品本文は三つのパートで構成。第一部の朝鮮戦争時代に主人公の証券マンたちが法律の枠スレスレで証券価格を上昇させる操作を行い、その結果の災禍が広がっていく。さらにその第一部を端緒に物語は、メインパートといえる歳月を経た第二部に突入。そこではカラーテレビ普及前夜の低価格商品開発競争を主題にした業界・経済もの的な駆け引きのドラマが語られる。

 第一部は、先日読んだばっかりの山田正紀の『弥勒戦争』を想起させて趣深かったが、こっちの第二部の方ではまるで梶山季之の世界のようで、これはこれで非常に面白かった。
 でもって肝心のミステリ要素に関しては、こういう大枠の中でフーダニットパズラーやトリッキィな仕掛けをいくつも導入しようという意欲は買うし、それまでに積み重ねられた伏線がはじける第三部の緊張感は確かにオモシロイ……んだけれど、偶然の多用、作中での同じネタの重複、そして仕掛けの一部が透けてみえる……などなど、やや雑な感じがしないでもない。

 ただし前述したような、まるで別のジャンルの読み物を読んでいるような雰囲気からじわじわとミステリへと転調して、しかも終盤にコンデンスにネタが仕込まれているあたりは、どこか新本格ミステリっぽい。
 そういう意味では内容そのものは120%昭和の時代を舞台にしたストーリーながら、なんとなく平成以降の新本格系の味わいも感じる作品ではあった。
 繰り返すが大味な印象もあるんだけれど、それでも独特のパワーは感じさせる力作だとは思う。
 作者のオールタイム作品を並べていけば、意外に悪くない順位に位置するかもね。

 とはいえ、名探偵キャラクターとしての近松の魅力は、正直まだそんなに見えない。その辺はシリーズ2冊目以降に期待しましょう。


No.1502 7点 三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人
倉阪鬼一郎
(2022/05/21 06:18登録)
(ネタバレなし)
 ウワサのトンデモ新本格ということで興味が湧き、今回、初めて読んでみました。そういえば自分はまだ、この方が自薦するバカミスを一冊も読んだことはなかった。

 自分の場合ネタバレは全くなく、幸運なままに読了しました。
 が、かなりの労力をかけたであろうに、その効果が十全に出たとは言い難いソンな作品という印象。
 これまでの本サイトのレビューでは、Kingscorssさんの「折角の~です。」の部分にもっとも同感。

 それでも普通に(?)楽しく読めたのは事実。
 ミステリという娯楽文学の奥行きの広がりを、またひとつ感じさせてくれる一冊ではあります(笑)。


No.1501 6点 悪魔黙示録
赤沼三郎
(2022/05/20 06:24登録)
(ネタバレなし)
 その年の8月7日の夜。雲仙の「白山ホテル」37号室の浴室で「日華貿易洋行」の現社長・立花良輔の美貌の妻、鳴海(なるみ・28歳)が何者かに惨殺された。やがて容疑は同じホテルに泊まる富豪の令息で、鳴海の不倫相手と目された26歳の青年・寺崎宏に向けられた。寺崎が自殺を図ったことで、逮捕を逃れられないと覚悟した彼がやはり真犯人なのだろうと思われるが、「大阪××新聞」の通信部主任・松山一也はまた違う方向に疑念を向けた。そして間もなく立花家の周辺では、さらなる事件が展開する。

 昭和13年に「新青年」4月増刊号に一挙掲載された、原稿用紙250枚のごく短い長編。もともとは昭和8年ごろから創作活動をしていた作者・赤沼三郎が、春秋社主催の「第2回長篇探偵小説懸賞募集」(昭和13年?)に応募して入賞した作品。当初は原稿用紙500枚の長編だったが、出版が不順になったそうで、あの大下宇陀児が後援。その宇陀児の提言で分量をおよそ半分に短縮したのち「新青年」に掲載された。その後80年以上、世の中に出回っているのはこの短縮バージョンのみのはずである(誤認があったら、ご指摘ください)。
 
 評者は今回、その短縮バージョンを「長編読切」と銘打って一挙掲載した雑誌「幻影城」の1977年10月号で読了。
 ストーリーが短縮されたこともあってかお話はサクサク進み、文章はほんのちょっと生硬な感じもあるがリーダビリティはなかなか高い。ミステリ的なネタもけっこう豊富なのだが、ハッタリの演出が少し弱いと思うのは、その辺が紙幅を刈り込まれた弱みかもしれない。何より作者がまじめに(中略)している分、犯人がバレバレなのは、悪い意味で戦前の旧作謎解きミステリだな、という感じ。

 とはいえ逆の見方をすればサスペンススリラー風に事件が続発し、中盤では殺害方法も不明な謎の殺人なども発生(科学考証的に疑問が残る面はあるが)。今の目から見れば愛らしいものながら、読み手へのミスリードなども用意されており、戦前のウワサの旧作(あえて名作とは言わない)に接する気分でいるなら、なかなか楽しめる作品でもある。犯人のキャラクターというか、動機の真相もちょっと面白いかも。

 実は正直、仰々しい題名から、どんなオゾマシイ作品かとも恐れてもいたが、全体としてはサスペンススリラー風味の普通のフーダニットパズラーであった。
 日本旧作ミステリ史をたしなみ程度に探求するつもりで、たまにはこんな作品もゆかしい。評点は0.25点ほどオマケ。


No.1500 6点 北の廃坑
草野唯雄
(2022/05/19 14:52登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと某大手企業に勤務する独身の青年・清水大三は、半年前に2年間の北海道勤務を終えて本社に戻ったところだった。そんなある日、ともに常務である小野と下田のふたりに呼び出された清水は、四国山脈にある自社鉱山「杉浦鉱山」で何か不正の収益が行われているらしいので、潜入捜査しろとの特命を受ける。それはかつて清水が大学時代にアマチュアの調査員として働いた実績があるからであった。清水は「野田四郎」の変名で、まず鉱山の外注会社でトラック輸送業の「竹内組」に就職。さらにタイミングを見て、鉱山の内部に潜入するが、そこでは想像以上の巨悪と生命の危険が彼を待ち受けていた。

 昭和44年9月号の「推理界」に一挙掲載された短めの長編。Amazonにはデータがないが、元版は青樹社から1970年6月に刊行されている。評者は徳間文庫版(男の顔の表紙の方)で読了。徳間文庫の解説は、その「推理界」の編集長だった中島河太郎が、作者のデビューとその直後の軌跡を回顧する方向で書いていて、なかなか興味深い。

 文庫版で210ページちょっとの本当に紙幅のない長編だが、もともと作者・草野はかつて「明治鉱業」に就職し、長年、愛媛県の鉱山で鉱山スタッフとして勤務していたとのことで、さすがに臨場感と細部のリアリティは凄まじい。
 推理小説の要素はあるものの、どちらかというと地下・山中の地中空間を舞台にした冒険小説寄りのサスペンススリラーで、和製ガーヴを醬油味でうっすら煮込んだらこんなのになるという感じ(特に中盤からの主人公のクライシス描写は絶妙)。後年には良くも悪くもかなり筆が軽くなる草野作品だが、初期作の本作では全体に骨太な筆致であり、その辺も妙に新鮮だった。
 さすがに全体が短い分、さほど事件の奥行きは広がらないが、それでも終盤には意外性などのサプライズはちゃんと用意されている。
 評点は7点に近いこの点数ということで。うん、やっぱり和製版の英国冒険スリラー作品の感触。


No.1499 4点 陶人形の幻影
マージェリー・アリンガム
(2022/05/18 14:58登録)
(ネタバレなし)
 第二次大戦の戦禍の傷痕がまだうっすらと残るロンドン。陶磁研究家ユースタス・キニットの息子で22歳のティモシー(ティム)は、同じオクスフォード大学に通う後輩の美少女で18歳のジュリア・ローレルと婚約した。そんなティモシーは実はキニット家の養子だった。独身のユースタス、そしてティモシーの母代わりのおばで同居人でもあるアリソンは多くを語らないが、ティモシーは実はユースタスの亡くなった弟の遺児の可能性もあるようだ? ユースタスは自分の出自探しに尽力するが、同じころ、ロンドンの一角の中流~下流階級向けのフラットでは怪事件が起きていた。

 1962年の英国作品。アリンガムの19番目の長編。キャンピオンシリーズだが、彼はほとんど脇役。
 本作の主人公ポジションのティモシー青年が自分のアイデンティティに迫っていく作劇の主題はクリスティーの一部の作品などを思わせるが、並行して語られる事件の猥雑さ、なにかいわくありげに描かれた登場人物のじれったさ(特に名探偵キャンピオンの知人でもある、キニット一族の縁者の酔っぱらいバジル・トーバーマン)など、悪い意味でいつもの後期アリンガム。
 二代に渡る私立探偵一家、現在は三兄弟で連携とか、心優しいがしたたかなティモシーの元子守役のマーガレット・ブルーム夫人とか印象的で存在感のある登場人物もいるが、ごちゃごちゃしたお話にひたすら疲れる。

 それでも眠い目をこすりながら、なんとかティモシーの出自探しドラマに食いついていくと、終盤で忘れていたのをいっきに片づけるようにミステリっぽく転調。作者のマイペースで語られる説明には、読み手は半ばどうでもよくなり、最後は、ああ、やっと終わったとページを閉じた。『葬儀屋の次の仕事』も似たような感じでダメだったけれど、こっちも負けず劣らずダメだ。
 とはいえこーゆーアリンガムを面白いと言っている人もいるみたいなので、ダメなのはこっちかもしれん(苦笑)。
 アリンガムも面白いものはそこそこ楽しめるんだけどな。まあ私には合わなかった作品ということで。

【追記】
 言い忘れたけど、本作は翻訳もかなりひどい。日本語になってない。
「ルークは熟練した眼差しで長々と彼を見つめてから」(P10)
……「熟練した眼差し」って何だよ?
「実用性と使い勝手のよさでは申し分のない、老人にふさわしい家財で溢れる老人にふさわしい家は、几帳面といえるほどの周到さで徹底的に破壊されていた。」(P15)
……。

 調べたら、この佐々木愛って翻訳家サン、私がいつか読もうと楽しみにとってある、あの『悪魔の栄光』(ジョン・エヴァンズのポール・パインもの)も訳しているみたいで(冷や汗)。そっちとは相性がいいことを願うばかりである。


No.1498 6点 目には目を
カトリーヌ・アルレー
(2022/05/17 14:46登録)
(ネタバレなし)
 なめし皮工場の経営者で35歳のジャン・ド・フェルラック。美貌の26歳の妻アガットとともに浪費家のジャンは、事業が不順で破産しかかっていた。ジャンは、愚直だが誠実な仕事ぶりで業界に顔の広い45歳の同業者の友人マルセル・ブランカールと、その姉でオールドミスの女医マルトを家に招待し、業務上の便宜を図ってもらおうと考える。だがいまだ独身で女性に免疫のないマルセルの心に、若くて美しい人妻アガットへのひそかな劣情が芽生えた。そんな彼らのなかで、ひとつの殺意が頭をもたげる。

 1960年のフランス作品。アルレーの第四長編(創元文庫巻末の厚木淳の解説では第三長編とあるが、たぶん『死の匂い』をカウントしてない)。
 本文220ページちょっと、主要人物が4人という短めの作品。お話の方もそれに見合ったプロットではあるが、それなりに途中の起伏はあるし、一方で最後まで読み通すと、この内容でよくも200ページ以上も稼いだものだ、さすが(?)アルレーと、妙な感心をしたくなるような内容。脚本と演出がしっかりしていれば、けっこう出来のいい翻案2時間ドラマが作れそうな感触である。

 終盤がどういうベクトルで収束するかは確かに大方読めるが、そこまでの細かい道筋のなかにはちょっと意表を突かれたものもあるし、要は佳作~秀作の初期アルレーで、フランスミステリ。時間はないけれど、何か一冊短めの作品を読んで寝たい晩などには重宝するタイプの作品であった。


No.1497 7点 ハイエナの微睡(まどろみ)
椙本孝思
(2022/05/16 14:54登録)
(ネタバレなし)
 椙本作品はこれで五冊目。読むもの読むもの、作風はバラエティに富んでいながらどれもトリッキィな仕掛けがあって、いかにも新本格作家という感じで好ましい。

 で、この作品はメルカトルさんのレビューを拝見するまでノーチェックだったのだが、あの椙本孝思が警察小説? しかも何かやはり大きな仕掛けがあるらしい? とうかがって、興味が湧いて読んでみてみた。

 リーダビリティはいつも通りに高く、2時間半くらいで読了できるが、ああ……と、クライマックスでは、確かに思わぬ方向から奇襲される感じで驚いた。サプライズがあると当初から裏表紙などで謳っておきながら、それでもちゃんとビックリさせてくれるとは結構なことである。
 プロローグの意味合いが、そういう形で重要度を増してくるのも良かった。

 メルカトルさんのレビュー通り、ミステリのフックっぽい、読者の興味を刺激するような部分が実は……というのがいくつか目につくのはナンだが、そこは広義のミスリードみたいなものと考えましょう。そういう手法は空回りというか腰砕けにも繋がるので、100%首肯はできないが。

 いずれにしろ器用な作家が、これまで手を出したことのないジャンルに挑戦して、うまく成功を収めた感触の一冊。佳作~秀作。


No.1496 7点 六番目の男
フランク・グルーバー
(2022/05/15 16:10登録)
(ネタバレなし)
 いまだ、入植した白人の開拓民とインディアン(ネイティブ・アメリカン)との争いが各地で頻発していた19世紀半ばのアメリカ。1861年にテキサス州で起きた「飢餓の砦」の戦いで、陸軍に従軍していた5人の白人が無残な状況での戦死を遂げた。だがその犠牲者のひとりポール・スレイターの息子で、ハーヴァード大学の卒業生でもあるジョン・スレイター大尉は父の死の状況を調べるうちに、当時の「飢餓の砦」には誰かもうひとり、インディアン側に陣営の情報を教えた裏切り者「六番目の男」がいたはずだと確信を抱く。ジョンは当時の関係者、犠牲者の肉親などを訪ねて回り、情報を求めるが。

 1953年のアメリカ作品。
 日本ではポケミスにそっくりな早川の別の叢書「ハヤカワ・ポケット・ブック」(ほんとんど同じ仕様だが、フチの部分が黄色でなく緑である。叢書の整理番号も500番からスタート)の522番として、昭和31年5月15日(あ、今日だ!)に刊行。
 またAmazonの書誌データの表記が不順なので、ここに記しておく。

 大昔の少年~青年時代に、なんだポケミスじゃないのか、西部小説か、でもまあ、あのグルーバーだし、一応買っておくかと、どっかの古書店で購入した一冊。巻末の広告ページに鉛筆で、300円の値段書きがある。
 当時の自分、ありがとう(笑)。

 というわけで、ウェスタンにミステリの要素を盛り込んだ作りということで、結構、ミステリファンにも知られた作品。まあグルーバーのサム&クラッグものも、時代設定は刊行当時の現代ながらウェスタンっぽいものもあるし、評者がまだ未読の『バッファロー・ボックス』なんかもソレっぽいと聞いたような気がする。いずれにしろ、ミステリ作家と同時にウェスタン作家でもあったグルーバーにすれば、双方の要素の融合なんかお茶の子さいさいだったのであろう(どーでもいいが「お茶の子さいさい」って、生まれて初めて使ったような気がするな~笑~)。

 本文は160ページとちょっと薄目だが、中身は主人公のジョンが惨劇の関係者を訪問して回り、そのロケーションごとに起きた事件を並べていくオムニバスに近い構成。話に立体感がある分、なかなか読みごたえは感じた。それで最初の方で登場した関係者がまたのちの話で出てくることも随時あり、そんな人物の出たり入ったりの繰り返しの中でジョンは事件の真相に近づいていく。

 そういう訳でちゃんと長編ミステリとしての構造も備えている。別のミステリファンの感想サイトで、ウールリッチ(の連作短編集風の長編)っぽいというレビューもあったが、自分も読んでる最中に、それは想起した。

 ジョン・スレイターが、よく私立探偵小説にあるような訪問~質問の流れで関係者に接する場合もあれば、いかにもウェスタンらしいガンマンめいた接点で途中の挿話をスタートする場合もあり、その辺のメリハリはかなり面白い。特に後半「飢餓の砦」の事件とは直接関係ない、しかしかなり大掛かりな犯罪計画に巻き込まれるあたりは、当時はこんなことあったのか!? という感じでかなりワクワクハラハラさせられた。
 
 どちらかというとウェスタン小説としての面白さが強かった気もするが、それでも終盤にミステリとしてのどんでん返し&サプライズはきちんとある。まあ評者の場合、カンである程度、読めた部分もあったが。
 
 西部劇映画なんか体系的にほとんど観たことのない評者でもかなり楽しめた一作(逆に、ウェスタンの素人だからこの手のものが新鮮に思えて面白かった可能性もあるが)。前述のようにミステリ部分もそれなりだし、ウェスタン設定の大枠そのものも普通に十分に面白い。
 古書店で安く出会えたり、図書館や知人から借りられるなら興味ある人にはオススメ。
 
 なお映画版(1956年のユニヴァーサル映画作品)のDVDが、廉価で数年前に出た。入手はしてあるが、これは先に原作を読んでから観ようと思ってまだ未見。映画のあらすじを読むとキャラクターシフトなど、相応に原作からの潤色がされているようではある。いい意味で白紙の気分でそのうち、観てみよう。


No.1495 6点 あなたの罪を数えましょう
菅原和也
(2022/05/15 02:49登録)
(ネタバレなし)
「逸脱種探偵」の異名をとる、自分の好きな不可能犯罪しか引き受けたくない、その私立探偵。その探偵の助手を務める大学生の亮太は、探偵とさらにその依頼人の青年・三浦秀人とともに、山奥の廃工場に向かう。三浦はひと月前に海外から帰国したらしいが、その間に彼が所属するサークル「日曜会」の面々がこの山奥の周辺に集結し、そこでキャンプ中に行方を絶ったらしかった。そして亮太たちは、その廃工場の周辺に、無残な連続殺人の痕跡を見つける。


『あなたは嘘を見抜けない』に続く「逸脱種探偵」シリーズ第二弾。

 本作はビル・S・バリンジャーみたいに、二つの別の流れの物語が並行して語られる構成で、とある集団の面々が次々と殺されていく物語が先行してスタート。
 それと交互に絡み合う形式で、亮太と探偵たちのストーリーが同時に進行する。

 悪趣味なまでに残虐な描写がたっぷりの内容だが、その中にちゃんといくつもトリッキィな仕掛けを設けてあるのは、なるほど菅原作品らしい。
 最大の大ネタはどこかで読んだような気がしないでもないが、他の中小のネタとの掛け合わせで、なかなか読ませるものには仕上がっている。
 ただし全体としては秀作や優秀作には至らず、佳作どまりという感じ。細かいツッコミをしたい部分もない訳でもないし。
 それでもひと晩、フツーに楽しめた。シリーズ第三弾がしばらく待たされているので、そろそろ出てほしいとは思う。


No.1494 9点 黒い罠
ホイット・マスタスン
(2022/05/14 06:25登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のその年。一月後半のある日。メキシコ国境に近いカリフォルニア州のランドフォール岬で「リネカー木材鉄器」の社長ルーディー・リネカーが自宅にいたところ、ダイナマイトで何者かに爆殺される。地元の警察署長ラッセル・ケールドは引退したかつての敏腕警部ローレン・マッコイ(マック)を復職させ、現職時代のマッコイの部下だった部長刑事ハンク・クインランととも捜査に当たらせる。やがて名タッグとして知られた二人のベテラン捜査官は、リネカーのオールドミスの娘テーラの2つ年下の恋人で靴屋の店員の若者デルモント・シェイヨンが、自分たちの結婚をリネカーに反対されたのを恨み、さらにリネカーの財産を狙って犯行に及んだのだと結論を下した。だが地方検事補で検事局の特別捜査官である35歳のミッチェル(ミッチ)・ホルトは、マッコイ警部たちの判断に違和感を覚えて、独自の捜査を開始。やがてホルトはデルモントとは別に、真犯人の嫌疑が濃厚な人物を探り出す。だがホルトが見つけ出した真実は、それだけではなかった。

 1956年のアメリカ作品。
 オーソン・ウェルズが主演男優の一人だったノワール・サスペンス映画『黒い罠』の公開に合わせて翻訳された原作で、地方検事補のホルトを主人公にした捜査もの&社会派ミステリ。

 評者はウェルズの映画は10年ほど前にCSで放映された際に観た覚えがある。映画の技法的には評価の高い作品らしいが、正直、お話はさほどお面白いとは思えなかった。
 それで原作を読むのが映画の後先になったが、映画版の細部はほとんど忘れてるので、ちょうどいい。
 しかし読み始めると、すぐに小説のストーリーは映画とほとんど別ものではないかと思えてきて、実際に小説を読み終えたあとでWikipediaで映画の方の話を再確認すると、やはりほとんど完全に別の内容になっていた。いや部分的に原作の要素を抽出してはあるのだが。
 
 というわけで、あまり個人的に評価できない映画の件はひとまず置いて、純粋に小説だけの感想を言うなら、これがメチャクチャに面白かった&良かった。

 独自に社長殺人事件の捜査を進めたホルトがいったいどんな事実に遭遇したのかは、ここではナイショにするが(割と早く判明するけど)、それ自体はもしかしたら、割とよくある主題かもしれない。
 ただし評者個人としては、話がそっちの方に行くとは思ってなかったこともあって、かなり驚かされた。

 後半の展開も正に王道中の王道という感じではあるのだが、小説の細部にワンシーンのみの印象的な脇役を次から次へと配し、物語の臨場感とリアリティを高めていく作者たち(周知のように、作者のマスタースンは合作コンビ~のちに単独執筆)の手際が素晴らしい。
 50年代のアメリカ社会派ミステリの直球・剛球のような歯応えで、とても充実感を抱いた。

 まあ20世紀の後半~21世紀に、本作のような王道の作劇セオリーに則った感のある作品も多く出ているとは思うので、今さら読んで新鮮味はないと不満を抱く読者もいるかもしれないが、それでも評者などはこの手の作品の新古典らしい、ストレートにど真ん中の剛速球を放り込むような本物の力強さを感じた。
 いちばん近いところで言えば、やはりマッギヴァーンのヒューマン・ハードボイルドドラマ路線か。ただし細部のうまさでは、もしかしたら場面場面によっては、そちらよりもさらに上かもしれない?

 こういう作品に出合えるから、フリで思い付きで古いポケミスを読むのは楽しい。評者ひとりだけかもしれんが? とても満足度の高い一冊。


No.1493 6点 二つの脳を持つ男
パトリック・ハミルトン
(2022/05/12 03:45登録)
(ネタバレなし)
 世界大戦の暗い影が次第に濃くなる、1938年末のロンドン。「俺」こと34歳の太目の大男ジョージ・ハーヴェイ・ボーンは、かなりの美人だが売れない若手の映画女優ネッタ・ロングドンと知り合う。失業中だが、母の遺産や戦時債権で食いつないでいた遊民のジョージは、飲み仲間で恋敵であるミッキーやピーターを警戒し、意中のネッタの気を惹くために、彼女に折あるごとに金を貢いでいた。だがジョージを金づるとしか思っていないネッタの真意が透けてみえてきたとき、ジョージの心のなかで、またも、もう一つの人格がはじける。

 1941年の英国作品。
 ポケミスに収録される、ちょっと小味の佳作『首つり判事』の作者ブルース・ハミルトンの弟で、ヒッチコックの映画『ロープ』(例の、全編がほぼワンカットのみのカメラワークの作品)やバーグマン主演のサスペンス映画『ガス燈』、それら双方の原作となった戯曲で知られる劇作家&小説家パトリック・ハミルトン、その第10番目の長編小説。
 ちなみに作者の小説すべてがミステリ系というわけでもないらしいし、一方で自分のメインフィールドとして当然ながら、戯曲も数多く書いている。

 二重人格めいた精神分裂の主人公ジョージが、野心と欲望全開の美人だが、さほど才能もなく大した努力もしない、ほとんど無名の若手女優ネッタに入れあげる。そして彼女と距離を置いてはまた接近するという、その振幅の繰り返しの果てにクライシスに向かう、サイコスリラー兼クライムノワール。
 
 主人公ジョージは第二人格の出現を待たずとも、時折頭が冷えて、タカリ悪女のネッタにもう近づかないようにしようとするが、何かあると物事を自分の都合の良いように考え、お花畑の気分で寄りを戻そうとする。俯瞰的に見れば十分にダメ男だが、その辺は小説がうまいので、ギリギリ読み手も、そんな主人公の弱い心の流れを受け入れてしまう(肯定も共感もしないが)。

 グレアム・グリーンやシモンズが絶賛というのは、例のサンデータイムズのベスト99に選ばれたことも踏まえてのことだと思うが、まあ、読み手をイライラさせながらもなかなか捉えて離さないある種の迫力はある。
 少なくともこの邦訳が出た20世紀の末にも、まだ原作は英国でロングセラーの現役本だったみたいだから(もしかしたら、絶版になったり復刊されたりの繰り返しかもしれんが)、この手のニューロティック・スリラーの名作として殿堂入りしているんだろう。

 主人公ジョージを囲む周囲の登場人物のなかには、相手の真意(ネッタにミツグくん扱いされるジョージを憐れんでいるのか、同じ男として不甲斐ないと思っているのか、あるいは親切そうに見せて実はバカにしてるのか)がはっきりしない者も現れ、その辺の読解は受け手(読者)の観測に託される部分もある。そういう面も含めて、ある種の普遍さが保持される作品でもある。
 
 リアルタイムの大戦前夜~初期の空気が疑似体験できる作品でもあり、こっそりファシズムに憧れ、ヒットラーと寝てもいいなどとうそぶくヒロイン、ネッタの造形はなかなかインパクト。とはいえ、したたかにこずるく美貌と女の武器で泳ぎ回っても、なかなか目指すものに届かないネッタの描写には読み手が、どこか切なさと共感……? めいたものを覚える部分もあり、そこらのペーソス味も本作が長らく読み継がれる所以かもしれない。

 決して、読んで楽しいとか面白いとかのエンターテインメントミステリじゃないんだけど、ある種の充実感は得られた。評点は7点に近い、この点数で。 


No.1492 6点 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集
評論・エッセイ
(2022/05/10 07:31登録)
(ネタバレなし)
 『虚無への供物』の文庫化を為すために編集者に転職し、その後は講談社文芸図書第三出版部の部長として活躍。長い編集者時代に、綾辻、法月、我孫子、摩耶そして京極などの才能を発掘、さらに「ショート・ショートランド」の創刊、メフィスト賞の設立や、叢書ミステリーランドの発刊など、多くの実績を残しながら、2006年に急逝した「新本格の生みの親」「新本格の仕掛け人」「新本格の父」の異名をとる伝説的編集者・宇山日出臣氏。そんな同氏に捧げられた、業界関係者諸氏による、没後16年目の追悼文集(企画そのものは没後15年目の昨年夏に始動)。

 本文記事の追悼文集では70人弱もの作家、出版界関係者の長短の追悼文(それぞれの思い出エッセイ)が並び、さらに逝去直後の弔文の再録、関係者の対談(座談会)などの企画記事が続く。
 
 あまりに情報量が多くて、一読しただけでは消化不良を起こすこと請け負いの一冊だが、ミステリというジャンルを愛し、そして書籍や雑誌の編集作成と、新人作家の育成に精魂を傾け、そしてそんな作業を楽しんだ(苦労された)故人のお人柄と実績は、門外漢の当方にもじわじわと伝わってくる。そんな内容。
(もうひとつ大事なこととして、そんな故人に向ける関係者の方々の思い入れと哀悼の念の集積の場でもある。)
 
 編集者は黒子ですらない、作家性の前で唖(おし)であれと言ったという故人。もちろん職務を放棄し、原稿の推敲や是正をするなという意味ではなく、不要で無意味な編集者の自己主張をするな、という主旨だが、評者などが読んでいて特に心に残ったのは、故人のこの姿勢であった。

 なお宇山氏の並外れた酒豪のほどは、今回はじめてしっかり伺った。
 評者がいちばん強烈だったのは、椹野道流氏が明かされた逸話(本書の239ページ)。唖然としつつ爆笑、そしてそのあと、実際の現場にもし居合わせたら……と余計なことまで考えて困惑の念を深めた。関心があったら、いつか本書の現物を手にとってください。
 
 人生の上で、新本格ムーブメントにはまったく中途半端にしか付き合っていないアレな評者だが、それでも非常に有意な一冊であった。改めて故人のご冥福を、ミステリファンの末席からお祈りいたします。

 とても良い本だったが、ただひとつ不満は巻末の複数の座談会記事の活字の級数があまりにも小さいこと。キャプションみたいな小さい文字が合計40ページ近くも並んでいて、読んでいて目が痛くなった。
 追悼文の本文の級数の大きさをある程度確保しつつ、ページ数総体をそんなに増やせない制約のなか、紙面の割り付けに苦労したのかもしれないが、いずれにしろ、この読みづらさでは元も子もない。
 現状では紙媒体でしか刊行されてないようだけど、いずれ活字を大きく出来る電子書籍の形で出すつもりかね? (それでも紙の本として、これでは困るが。)
 誠に恐縮ながら、この点で減点させていただきます。
(もちろん、故人への不敬の意などは毛頭ないし、本書の企画刊行そのものには、深く厚く感謝いたしますが。)


No.1491 7点 ナイトメア・アリー 悪夢小路
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
(2022/05/10 05:57登録)
(ネタバレなし)
 1930年代のアメリカ。地方巡回のカーニバルショー一座に参加するマジシャンの卵、スタントン(スタン)・カーライルは、年上の読心術師で人妻のジーナとひそかな不倫関係に陥る。占星術師のジーナはハンサムで優しい夫ピートを愛してはいたが、アル中のピートは不能になっていた。だが予期せぬ出来事がスタンとジーナの周辺に生じ、さらにスタンは土地の保安官助手に目を付けられた一座を、修得したばかりの読心術の極意で救ったことで仲間たちの英雄となる。そんなスタンは美貌の芸人の娘モリー・ケーヒルと恋人関係になるが、やがて彼らの前には劇的な明日が待っていた。

 1946年のアメリカ作品。
 2021年に公開の新作映画『ナイトメア・アリー』の原作ということで、日本には映画の公開に合わせて発掘翻訳された旧作クラシックノワール・スリラー。
 翻訳権がすでにパブリック・ドメインになっているということだろうが、2020年に扶桑社から、2022年に早川文庫からそれぞれ別の邦訳が出た。版権フリーの旧作の新訳が別々の出版社からほぼ同時に出るのはさほど珍しいことではないが、ズレが生じたのはたぶんコロナの関係で映画の製作~公開時期の予定が変わったためだろう(つまり結果的に、扶桑社の方が映画の公開に比べてフライングの刊行になり、早川の方がちょっとだけ遅めの刊行になったわけだ?)。
 物語の中盤からは、恋人モリーを内縁の妻として一座を飛び出したスタンの野心と欲望が暴走し、持ち前の読心術を悪用した霊媒詐欺師として悪事を重ねていく、ピカレスクノワールとなる。

 評者が読んだ扶桑社文庫版では500ページ以上の紙幅で、結構長い作品である。スタンの詐欺師遍歴が始まるまでもけっこう長いが、開始されてからもまた長い。
 ただし翻訳は平明な上に、ストーリーは小さいエピソードが波状的に語られる流れなのでサクサク読めてしまう。
 途中、メインキャラ同士の関係性に相応の変化があり、状況が変わるまでには彼らの内面で何かそれなりの事情や変遷があったはずなのだが、その辺はたぶんわざとすっ飛ばして話が進む。それでも読み手としてはあれこれ想像で補えるし、そしてそういう小説との付き合い方もまた、独特の味わいに転じる。うーん、ハイスミスの『太陽がいっぱい』の中盤みたいな作りだ。

 主人公スタンがこれではまともな決着は迎えはしないだろうと思いながら読んでいたが、ラストは、ああ、そう来たか、という感じ。うまいこと小説としてまとまっている。
 広義のイヤミスみたいなドロドロ感もたっぷり味合わさせる作品だが、一方で端正な仕上げぶりを見失わなかったところが、いかにも、本国では殿堂入りしていたという名作クラシックノワールの感じ。

 こないだ亡くなったばかりの藤子不二雄Ⓐ先生(ご冥福をお祈りします)の、ブラック系作品みたいな趣もある。
 とにもかくにも、これはこれで面白かった。
 まあ21世紀の新作で、わざわざこういうものを読みたいとは正直、思わないけれどね。発掘された長らく未訳だった旧作ミステリとしては、こういうのに出会うのもまた楽しい。
 なお今回の新作映画のずっと前の1947年に、邦題『悪魔の往く町』のタイトルで、最初の映画化されていたらしい。主演はあのタイロン・パワー。どっちかと言えば、映画なら先にそっちの方から、観てみたい気もする。


No.1490 7点 赤死病の館の殺人
芦辺拓
(2022/05/09 14:22登録)
(ネタバレなし)
 外出したので、電車の中で読む。
 表題作は、「宝石」時代の新人パズラー作家の野心作を思わせる外連味とときめきがいっぱいで、実に魅力的な一編。トリックやギミックも正にそんな感じだった。(犯人の隠し方は、けっこうギリギリな気もするが、サプライズ効果としては真っ当ではあろう。)

「疾駆するジョーカー」はシンプルな組み立てながら、完成度の高い作品。読者(評者のような)のある種の盲点をついた狙いが効果を上げたといえる。

「深津警部の不吉な赴任」
 これもトリッキィな一編。ただしネタの一角は、これに先行する新本格の某有名作を想起させる。まあこういう形で再使用? するのもアリか。

「密室の鬼」
 いちばんオーソドックスな短編(中編?)パズラーで、手堅く? まとめた印象(フィクションのパズラーとしての強引さは感じないでもないが、そこはご愛嬌の範疇)。これはこれで楽しめた。

 以上4編、評者が作者の中短編集を読むのはこれが初だと思うが、予想以上に面白かった。
 カッパ・ノヴェルズ版のあとがきで、中編パズラーというミステリの形質について語る作者のご意見はいちいちごもっとも。このメイキング記事も含めて、この評点で。


No.1489 7点 夜の訪問者
リチャード・マシスン
(2022/05/07 05:38登録)
(ネタバレなし)
 カリフォルニアでレコード店を経営する30歳代の青年クリス・マーティンは、愛妻ヘレンと6歳の娘コニーとともに平凡だが幸福な日々を送っていた。だがある日、一本の電話が入り、回線の向こうの相手はクリスの名を「クリス・フィリップス」と呼んだ。クリスが封印していた15年前の記憶が、悪夢のような現実のものとなる。

 1959年のアメリカ作品。
 マシスンの第四長編で、スーパーナチュラルな要素は皆無のサスペンス・スリラー。
 日本では、本作をベースにしたチャールズ・ブロンソン主演の映画『夜の訪問者』(テレンス・ヤング監督)の公開に合わせて邦訳された。
 Amazonのデータ表記がまた不順だが、たぶん1971年に初版が刊行。たぶん、というのは評者が読んだハヤカワ・ノヴェルズは再版で、この時期の同叢書は重版の場合、奥付に初版の刊行日を記載しないため。その再版は71年の10月31日に刊行されている。

 物語の設定は、主人公のクリスが15年前のハイティーン時代に出来心で加わった宝石強盗に端を発する。そのクリスの預かり知らないところで殺人事件が生じ、仲間3人が捕まった。クリスひとりはずっと逃亡していたが、逮捕されて終身刑を食らっていた仲間たちが数年前に脱獄。そのうちの一人が、一人だけ捕縛を逃れていたクリスのもとに、お前だけ自由でいやがってと、半ば逆恨みで報復に来るのが、序盤の流れである。

 クライシスが波状攻撃風に連続し、しかし目次を見ればわかるように、わずか(中略)という短い時間の中で終焉するサスペンスストーリー。
 一気読みで二時間もかからず、読み終えてしまう(まあページ数が200ページ強と短めの上に、活字の級数も大きい体裁だし)。

 訳者の小鷹信光(映画公開に合わせるため、片岡義男に本文の半分、翻訳の実働を分担してもらったらしい)が解説で語るように、平凡な市民の家庭のささやかな日常が瓦解していく「ドメスティック・スリラー」の一編で、とにもかくにもページタナーの作品なのは事実。

 ただ細部についてこだわるなら、15年前に捕まった仲間の3人がひとりだけ逃げのびた仲間クリスについて警察にどう話していたのか、そしてクリス自身は警察の捜査をどのように考えていたのか曖昧なので、この辺はきちんと叙述しておいて欲しかったところ。

 とにかくあっという間に読んでしまう一冊で、読者の鼻面を掴んで引き回すマシスンの剛腕ぶりは改めて実感した。
 主要登場人物もほとんどクリス一家と悪党トリオの、計6人だけだが、その周辺で些細な事態のこじれ具合(夫婦の絆のひずみ、悪党側の意識のズレなど)を積み重ね、テンションを巧妙に高めていく手際がさすがである。
 
 なお評者は映画版は未見だが、小鷹の解説によると大設定のみ借りて、相当に別もののアクション編になっているらしい。まあ素直にこの原作を読んで、ブロンソンのイメージはまったく浮かばないね。
 一時期は古書価がけっこう高かったが、最近ではやや落ち着いてきたようである(それでもプレミア価格だが)。お安く出会えたり、図書館で借りられたら、興味ある向きはどうぞ。

 評点は0.25点ほどオマケ。

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