蜃気楼 |
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作家 | ハワード・ファースト |
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出版日 | 1965年01月 |
平均点 | 7.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 7点 | 人並由真 | |
(2023/01/02 22:52登録) (ネタバレなし) その年の3月のマンハッタン。「私」こと36歳の独身デイビィッド・スティルマンは、職場「ギャリスン商会」で原価計算係を担当する職務についていた。そんなデイビィッドの勤める職場がある高層ビルの22階から墜落死した者がいた。男は「最後の貴族」の異名をとる名家出身の弁護士で、50歳代末のチャールス・キャルヴィン。直接はデイビィッドに関係ないことのように思えたキャルヴィンの死だが、ビルの階段でデイビィッドが謎の美女に出会ったことを契機に、彼は次第に自分が事件に深く巻き込まれていくことを意識する。やがてデイビィッドは、彼自身の重大な秘密に向かいあうことになった。 1952年のアメリカ作品。 カーク・ダグラス主演の歴史スペクタクル映画『スパルタカス』などの原作で知られる歴史小説家の作者ハワード・ファースト(ファスト)が別名義「ウォルター・エリクソン」で著した、半ば巻き込まれ型の都会派サスペンススリラー(ポケミスの翻訳は、ファースト名義で刊行)。なお作者ファーストは、ほかにE・V・カニンガムの筆名で「ヒロインの名前シリーズ」などのミステリ路線を執筆した実績もある。 本作は1965年にグレゴリー・ペック主演で映画化。たぶんこのポケミスは、その映画化に合わせて翻訳されたものと思うが、よくありがちな映画のスチールなどを使ったジャケットカバーなどは、見た覚えがない。ポケミス巻末の解説は(N)こと、たぶん長島良三の執筆で短い文章ながらかなり情報量の多いものだが、映画化についての話題にも触れられていない。この辺の当時の事情をわかるなら、ちょっと知りたいと思ってしまう。 それで評者は、大昔の少年時代に、淀川先生の「日曜洋画劇場」で本作のテレビ放映を視聴(たぶん、『ローマの休日』でペックが好きだった母親に付合って観た、そんな流れだったと思う)。 今から思えば映画化のためのアレンジもあり、さらに全編108分という映画はもしかしたら当時のテレビ枠のため部分カットされていたのかもしれないが、とにかくこれがエラく面白かった! そんな印象だけが、ずっと残っている。 その後数十年、映画の再見の機会をなんとなく探しているが、少なくとも日本語版では再会の僥倖を得られない。 そんなこんなしている内に、たぶん1980年代にポケミスでこの原作に出会い、この原作小説を先に読むか、あるいは映画を再視聴するかどっちになるかはわからないにせよ、当時のあの日に観た映画の面白さを再賞味できればいいなあと思いつつ、ずっと大事にポケミスを寝かしておいた。 しかしソフトや配信での旧作映画の発掘が進んでも映画の方とは一向に出会う機会もなく、グレゴリー・ペックレベルの俳優の主演作でもこの扱いかね? という思いであった。 (ちなみに世界ミステリ全集のどこかの巻の座談会だったと思うが、ペックは「大根役者」と評されており、個人的には、そんなもんかな? という感じだ。有名作でもまだまだ観てない作品も多いので、自分ではなんとも言えない。) で、今回、正月だ、勢いで読んじゃえ、という感じでページを開き始める。紙幅そのものは、ポケミス本文だけで170ページ弱とかなりショート。まさか抄訳ではないと思うし、話の流れにも特に不自然なところはない。 物語の前半で主人公の設定にあるキーワードにからむ(ここでは曖昧にする)素性が明かされ、そこから加速度的にサスペンスフル、見せ場の多い物語が転がっていく。人物描写の面では、苦境の主人公デイビィッドを支援する大小の脇役に味があり、特にメインキャラクターで、主人公の相棒格となる私立探偵キャセルの存在感は絶品。ほかにも、キンブル先生の『逃亡者』チックに、ピンチのデイビィッドを庇ってくれる小市民などの描写も印象的で、ここらは50~60年代のアメリカ風ヒューマンドラマを芸にできる職業作家の手際という印象。 物語の流れにある種の仕掛けがあり、それが明らかになってからのストーリーの勢いはなかなか。あまり詳しくは書けないが、こういうシフトのキャラクターならこういうポジションの役割だろうという定石をいくつか覆してゆくあたりも、読み手にミステリドラマとして、なかなか強い印象を残す。 終盤はほんのちょっぴり、まとめ方に力業めいたものを感じないでもないが、全体としては十分に佳作~秀作。 ちなみに本作は、邦訳が出た1965年度の「SRの会」のベスト投票(この年から、現在のように会員による10点満点方式の投票の平均点システムとなった)で、海外ミステリ部門の第6位。3位にはロス・マクの『さむけ』などが入っている年度のこと。まあ本作については、順当な好評価と思える。 なおポケミス裏表紙のあらすじは、実にアレやコレや余計なことを書いてあるので、本書に興味がある人は、絶対に事前に読んじゃダメ。 |