人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2107件 |
No.1667 | 7点 | オデッサ狩り テッド・オールビュリー |
(2022/11/22 07:32登録) (ネタバレなし) 1980年、パリの一角。両親から愛情も得られず成長した27歳のドイツ女性アンナ(旧姓ボルトマン)は、優しくハンサムなユダヤ人の30歳の学者ポール・サイモンと結婚。彼の新妻として、ようやく幸福を掴もうとしていた。だがその幸せは、ある日いきなり夫ポールを爆殺され、妊娠中の我が子を流産させられたことで砕け散った。やがてアンナは、夫ポールがひそかに、ナチスの残党組織オデッサの活動を暴く運動に関わっており、それゆえに殺害されたのだと知る。ポール殺害の主犯格の元ナチス将校たちは4名。ポールの父で老富豪のピエールから託された生活の支援金を元手に、アンナは元CIAの戦闘教官ヘンリー(ハンク)・ウォーレスに接触。我が身に戦闘術を短期で叩き込みながら、4人の標的をひとりずつ抹殺していこうと動き出す。 1980年の英国作品。オールビュリーの第16番目の長編。 「スパイ小説」でもナンでもねえ、これはまちがいなくナチもの版『黒衣の花嫁』。 (というより、主人公の復讐の動機や事情が最初からわかってるのだから、むしろジェンダー違いのナチスもの版『喪服のランデヴー』か)。 読み始めてすぐ、ソノことに気が付いて、ぶっとんだ発想というか、この趣向自体に大笑いした(ストーリーそのものは、まったくシリアスなのに)。 いや、作者がどこまで本気でウールリッチを意識していたかは、ぜんぜん知らないが。 アンナ(1953年生まれ)の父は、大戦時の戦傷で心がひずんでしまった人間であり、それゆえ娘に冷淡。そんななかで親から愛情を期待できないと幼心に察したアンナは心の逃げ場として一心に勉強だけはよくしており、かなりの秀才。しかし親の無軌道で大学を辞めさせられてしまった苦い過去がある。その辺の設定が、欧米のあちこちに散在する仇どもを追いかける際に、語学も堪能というキャラクター描写で活きて来る。さらにアンナがポールの死後に、改めて夫や義父たちユダヤ人の戦時中の悲劇を再認識し、そのショックと怒り、悲しみがドイツ国を狂わせた旧ナチス、今のオデッサ許すまじ、の義憤に変わっていく。 いささか大味な気もしたが、まあ明快でよくもわるくもわかりやすいプロットではあろう。 でもってアンナの復讐行のなかで出会った元CIAで戦闘教官のハンクが実質的なオトコ主人公になり、彼との関係性も後半の物語に深く関わっていく。 そもそも復讐ものなんてのは、主人公がそれを遂行する叙述で読者にカタルシスを与える一方、その復讐成就の対価として支払わさせられる<なんらかのひずみ>を描くのが作劇セオリーだが、本作も後半のテーマは正にソレ。 もちろんここでは具体的には(ハッピーエンドに終わるか否かもふくめて)書かないが、この作品はしっかりとそういった<復讐の対価>という主題に向き合い、なかなか余韻のあるクロージングまでを提示している。 (なんかちょっと、日本の民話というか、アノ昔ばなしを思い出すような締めであったけど。) 先にも書いたように、全体に大味な感触もある一方、ところどころに小中のサプライズや、印象的な見せ場などを用意してあり、なかなか面白かった。 ストーリーの流れが滑らかすぎてウソっぽい部分もなきにしもあらず、だが、エンターテインメントとしてはそれなりに楽しめる。 佳作~秀作(……の一歩手前くらいかな)。 でも評点は、これくらいあげたいんだよな。なぜか(笑)。 |
No.1666 | 6点 | 拝啓 交換殺人の候 天祢涼 |
(2022/11/21 08:00登録) (ネタバレなし) 職場のパワハラに心をすり減らし、退職した25歳の独身青年・秋本秀文。彼は無為に過ぎていく日々の中で絶望を感じ、神社の桜の木で首を吊ろうと考えた。そんな秀文が木の枝の周辺で見つけたもの。それはその木の枝で自殺を図ろうとする者の出現を見越して書かれていた「交換殺人」の提案書だった。秀文は、その書面の書き手と思える女子の存在を認め、とにもかくにも年若い娘に殺人をさせたくないと文書での交信を始めるが。 1950~60年代の当時の新時代の海外ミステリにありそうな? 設定で開幕。なかなか洒落た序盤だと思いながら読み進めると、相手向けの書面を交わす二人の主人公の間になんとも奇妙な絆らしきものが築かれていく? もしやこれは新本格版『愛の手紙』(フィニイ)か⁉ とワクワクドキドキしながらページをめくると、段々と作者が仕掛けた物語の流れが見えてくる。 で、まあ、トリッキィなのはいいんだけど、正直、ひとことで言えば世界が狭すぎるよね? これ。 終盤のサプライズには確かに驚かされたが、数秒後に冷静に考えてみると、主人公と(中略)が(以下略)。 人工的に組み上げたお話世界の居心地の良さはそれなりに認めるものの、今回はけっこう大きな部分で、無理筋を感じて仕方がない。 まあ、そういう(中略)もあった世界での物語として納得、了承するしかないのではあるが。 気恥ずかしさを意識して照れないようにまとめたクロージングそのものは悪くはないが、切れ味はあまりよくない。 作者としては下位の方の作品で、佳作の中というところか。 |
No.1665 | 8点 | 幕が下りてから ウインストン・グレアム |
(2022/11/20 16:05登録) (ネタバレなし) 1960年代半ばのイギリス。「私」こと元医者で今は劇作家として活動する32歳のモリス・スコットは、創作を始めて6~7年の歳月を経て、ようやく欧州でこの分野での売れっ子といえる人気作家になってきていた。それもみな、7年前に添い遂げて以来、何度もくじけそうになるモリスを、資金面と前向きな言葉で支え続けた7歳年上の妻ハリエットの献身があればこそだった。だが近年は病身となったハリエットは持ち前の明るさを失わないものの、それでも愛妻の病気という現実はスコット夫婦の生活に薄暗い影を落としていく。そんなとき、モリスは、ハリエットの友人ファイヤール伯爵夫人の秘書である、20歳代初めの美しい英仏ハーフの娘アレキサンドラ(サンドラ)・ウィルシャーに出会い、彼女と互いに愛し合うようになるが。 1965年の英国作品。 近々、新潮文庫から旧作の発掘として、ウインストン(ウィンストン)・グレアムのCWAゴールデンダガー賞受賞作『罪の壁』が刊行の模様。1955年に初めてゴールデンダガー賞が設置された年の受賞長編で、受賞を競った相手が、リー・ハワードの 『死の逢びき』、マーシュの 『裁きの鱗(オールド・アンの囁き)』、マーゴット・ベネットの『飛ばなかった男』というクセのある? 作品ばっかなので楽しみである(おお! その三冊、全部読んでるぞ! と自分ボメ・笑)。 とはいえ評者、肝心のグレアムの作品は、邦訳長編が(ヒッチコックが映画化した『マーニイ』を含めて)4冊もあるのに、まだどれも読んでない(汗)。 つーか、気が付くとこの本サイトにもまだ作家名の登録もなく、旧世紀半ばに活躍した、レギュラー探偵も持ってない? 英国作家なんてこんな扱いだ? という感じだ(涙)。 ということで、たまたま少し前に、古書市の帰りに少し離れた駅のブックオフの100円棚で買った本ポケミスを読んでみる。 物語の前半はまだ青年といえるオトコ主人公を軸にした、三角関係の逆よろめきメロドラマという感じで進行。 しかしモリス視点で妻のハリエットは悪妻でもなんでもなく、むしろ親の遺した財産を使って窮乏時代の夫婦の生活を支え、さらに劇が不評で落ち込むところを励ましてくれた基本的には良妻というところがミソ。とはいえ完全な聖女などではまったくなく、本当に普通の世間の夫婦のスタンダードイメージ程度には、夫とケンカもするし仲直りして愛らしいところも見せたりする。つまりは人柄的には本当にどこにでもいる、普通の、それなりによく出来た女性。 とはいえ本作がミステリに転調するからには、この夫婦と愛人の娘、三角関係の一角がどこかで何らかの形で瓦解する流れに突入するのだろうな? と予期しながら読んでいくと……(中略)。 かくして物語は、後半の二部に雪崩れ込む(ここまでは本レビュー内での言及、ご容赦を)。 前半の積み重ねたジワジワ感を経たあとだけに、コトが起きてからの後半第二部の緊張感もまた格別で、なるほど筆力がある作家は、こういう(中略)なネタでもグイグイと読者を引き込むのだなと実感。 作者が何をやりたい、というかミステリという枠内でどういう方向の小説を書きたいのかはおのずと見えてくるのだが、それを承知の上で確かにストーリーテリングは地味ながらうまい。 ある種のグレイゾーンに置かれたメインキャラクターの心の変遷が渋い、しかしかなりのハイテンションでページをめくるこちらの手と目を捕らえて離さない感じだ。 まあ意外に読み手を選び、ヒトによっては(中略)などとか片づけられてしまいそうな雰囲気もないではないが、評者的には予想以上に面白かった、というか読みごたえがあった。 なお読了後にポケミス巻末の作品解説(編集部のH、とあるから太田博=各務三郎か?)を読むと「サイコロジカル・スリラーの傑作」と書かれており、う~ん、そのヒトコトで言いきられると何か大事なニュアンスを掬いきれない。7割は正しいが、あとの3割はどうだろ? という気分が生じ、その後者にどこまでもこだわりたい感じだ。 またやはり読了後にネットの感想を探ると『(中略、本サイトにもそれなりのレビューがある文学史上に残る名作)』を思わせたという主旨の見識もあり、ああ、それはわかるよな……と実感。後半のメインキャラが、ある目的のためにあちこちを徘徊する図など、正にソレであろう。 いずれにしろ、読んでよかった、という秀作~優秀作。 これ一本だけでも、それなりに作家グレアムの実力はわかった気がする? まあ新作の前に一冊読んでおくと読んでないとじゃ、大違いだ。 新刊『罪の壁』の刊行をそっと心待ちにしよう。 |
No.1664 | 7点 | ロング・アフタヌーン 葉真中顕 |
(2022/11/19 06:30登録) (ネタバレなし) 中堅出版社「新央出版」の書籍部に勤務する30代半ばの女性編集者・葛城梨帆。2020年の歳末、彼女は一通の封書を受け取った。中には小説「長い午後」が同封されていたが、それは7年前に梨帆と縁があった小説家志望の中年女性・志村多恵の久々の新作であった。「長い午後」を読みふける梨帆は、やがて作品のなかに引き込まれていくが。 3年前の『Blue』以来、久々に葉真中作品を読んだ。 読者は主人公の女性編集者、梨帆の視点との同一化を求められ、さらに同時に小説家志望の女性、志村多恵の書いた二編の小説(本作の中の劇中作)である旧作短編「犬を飼う」と新作中編(短めの長編?)「長い午後」の内容に付き合わされることになる。 ある種の技巧的な長編ではあるが、トリッキィというよりは独特のムーディさを感じさせる作品で、評者のか細いミステリ遍歴の中からあえて類似作をあげるなら、中期の泡坂妻夫の諸作にかなり近いのではないか。(あるいは日下圭介の作品あたりかも?) 終盤まで読んで読者の受け取り方によって、物語の着地点が変わるような種類の作品という気もして、その意味ではなかなかユニークな作品(ミステリ)である。 実際、読後にAmazonのレビューをざっと見ると「わけわからん」という声もあれば、「ひさびさに小説らしい小説を読んだ」と賛辞する人もいるようで、さもありなん、という感じ。 ちなみに評者の場合は、巻頭の劇中短編「犬を飼う」(これは志村多恵が7年前に書いた作品)を読んだ際は(中略)という印象で、いささかヘキエキしたが、しかしそういう思いは先に小説の作中で一部の登場人物が先に代弁してくれて、それでこちらの荒んだ感情がかなり鎮まった。たぶんそういう流れも、作者の計算のうちなのだろう(笑)。 それでそのまま、梨帆視点の現実のストーリーと、さらに新たに今回送られてきた新作「長い午後」を読むことになるが、気が付いたら長編一冊、二時間前後で読了。 300ページ弱、一段組の本文で、紙幅そのものはもともとそんなでもないが、とにかく読み手を引き込む求心力は、かなりのものといえる作品だ。 (なおサイド部分? の叙述だが、2020年の出版界が舞台の作品だけに、コロナ禍の話題や、出版不況の中での送り手の生々しい現実、そして……などなど、その辺の雑多な? 興味でもなかなか読ませる。) 秀作とも佳作ともダイレクトに言い難いが、いずれにせよ読んで良かった、面白かったとは思えるので、やはり良作なのではあろう。ある意味、読み手を選ぶ作品かもしれないが? |
No.1663 | 7点 | あの墓を掘れ 生島治郎 |
(2022/11/18 05:57登録) (ネタバレなし) 兵庫県警を退職し、妻子とも別れた「私」こと志田司郎は、東京に上京。安アパートで無為の日を過ごしながら、そろそろ何か仕事を始めようと考えていた。そんな時、兵庫県警の本部長で司郎の元上司だった草柳啓明から長距離電話で、失踪人を捜索する仕事の紹介がある。捜す相手の名は、天野コンツェルンの現社長・弥一郎の娘の真沙子。親から政略結婚を設定されていた真沙子が家をとびだしたようだった。だが司郎は、昨夜たまたま自宅の近所の酒場で出会った娘が、その当の真沙子だったのではと思い当たる。 「週刊アサヒ芸能」1967年11月から翌年4月まで連載、6月に徳間書店から刊行された長編で、『追いつめる』に続く志田司郎シリーズの二作目。刑事を辞めて上京し、しかしまだ私立探偵として開業もしていない時期の事件である。 評者はそれなりに長い付き合いのシリーズキャラクター・志田司郎だが、こういう境遇のシークエンスがあったことはこのたび初めて知った。今回は、一昨日、古書で入手したばかりの、集英社文庫版で読了。 物語の序盤で出会ったメインヒロインのひとり、天野真沙子と短い縁で一度別れた司郎は、改めて彼女の周辺の人間関係からその足取りを追うが、事態はハイテンポで新たな局面を矢継ぎ早に迎えることになる。この辺は毎回の見せ場を作る雑誌連載作品らしい。 で、このサイトでも何度もこれまで述べてきたように、評者は世評の高い『追いつめる』がそんなに好きじゃなく、その理由をあえて今の気分での言葉で整理するなら、作品全体のロマンや格調は確かに認める一方、どこか既存の海外ハードボイルドからの借りものっぽさが、かなり強すぎるからだと思う。その「どこか」については、実作を読んだ人には、もしかしたらわかってもらえるかもしれない? さて、シリーズ二作目のこちらは、けっこう乱暴というか雑な部分も多く、特に集英社文庫版の139~146ページの描写などは、これが本当にあの志田司郎? 当時の作者は「ハードボイルド」を勘違いしていた? いやもしかしたら、ここまで割り切って冷徹に考えていたのか? と相応のショックを受けた。いずれにせよ、良くも悪くも、安定してからの志田司郎では見られない叙述であった(詳しくは書かないが)。 後半は事件のなりゆきから、(現実で事実上、トヨタの自治地区になっている豊田市みたいな)とある地方都市に司郎が乗り込んでいくが、それ以降の展開は終盤に至るまで、意外なほどに読み手(評者)の予想を裏切っていく感じでなかなか面白い。 先に『追いつめる』を借りものとクサしたが、そういう意味ではこちらは色々と粗削りながら、作者のオリジナリティを感じる(もちろん、昭和の同時代のなんらかの作品や現実の事件から影響を受けていて、21世紀の今ではその辺が見えにくくなっている、そんな可能性は見過ごせないものの)。 あと、思わず「うっ」と唸ったのは、集英社文庫版265ページの某メインキャラとの司郎の関わり。 そうだ、自分が読みたい、出会いたい「ハードボイルド」の心というのは、こーゆーものなんだよ! という刹那の煌めきがある。これだけで、自分なんかはこの作品をスキになれる。 志田司郎サーガにおいての、そして生島の多数の著作の、これはたぶんそれらの黎明期ならではの輝きなのだろう、という感じ。作者も主人公キャラクターもまだ若い、熟成してないときだからこそ、こういうのが似合う、ハマる感じだ。あ、もちろんここでは、その辺については具体的に書かないが。 終盤に暴かれる事件の様相も、はあ、そういうビジョンのものを……といささか驚嘆。昭和の社会派ミステリを意識して取り込んだ気配はあるが、生島がこの時期にこういう文芸ネタに目を向けてるとは結構、意表をつかれた。 クロージングはやや舌っ足らずだが、そこは却って余韻をもたらす効果を上げている。 前半のうちは、もしかしたら、シリーズ前作の高評の上に胡坐をかいた悪い意味でのチェンジアップ編か? という思いもまったくない訳ではなかった(汗)が、全編を読み終えてみると、むしろシリーズ二作目という名探偵の事件簿連作のポジションを十全に活かした作品という気もする。 ただし完成したものはまとまりが悪い部分もないではないので、評点はあえてこの位で。でももちろん『追いつめる』よりはずっとお気に入り(笑)。 志田司郎シリーズ、長編も悪くない。……というより、これはまあ、先に書いたとおり、シリーズ二作目でこんなのが来た! 的なオモシロさだという気もするけど。 |
No.1662 | 6点 | 赤虫村の怪談 大島清昭 |
(2022/11/17 14:46登録) (ネタバレなし) 愛媛県の山間にある「赤虫村」。そこは廃寺の周辺に現れる黒い顔面(というより無貌)の女性?「無有(ないある)」ほかいくつもの妖怪譚が今もひそかに確認される地だった。「私」こと女性怪談作家の呻木叫子(うめききょうこ)は、作品の取材のためその村の怪異の記録や噂を探求するが、その地で不可思議な不可能犯罪が続発する。 帯にも堂々書いてあるし、読者も「無有」ってのはアレだね、と誰でも連想することからわかる通り、クトゥルー神話世界の世界観で起きる不可能犯罪パズラー。 ただしこの小説の作品世界は、われわれ読者の世界とはまた別のパラレルワールドらしく、クトゥルー神話は少なくとも読み伝えられる文学の形では存在していません。 主人公の怪談作家やその同業者たちが当然のごとく妖怪学や民俗学に詳しく、だったらそれっぽい名前の続発のなかで連想しないのはヘンだろと思っていたら、そもそもこの世界ではラヴクラフトやダーレスたちが存在しない、あるいはクトゥルー神話を書いていない、または書いていてもそうは人々に認知されてない、ようです。 そんな妖しいものたちが跋扈する世界観のなかで、合理的に? あるいはやはり邪神やそのほかの異界のものがらみで? 不可思議な殺人が続発する。 この趣向はなかなか楽しいと思うものの、呪いを受ける警察なども段々とオカルトの方を信じていき、不可能犯罪を暴こうとする意欲がいろんな意味で減退(身の危険を感じてこれ以上事件に介入したくなくなったり、神や妖怪の仕業じゃ手が出せないと思ったり)。 読者の方も実はそのへんは同じで、不可能犯罪の謎解きに関しては、もっと「あやかしのものが確かにいる世界でも、これは人間の仕業では?」という作中人物の意識を固めるべきだったと思います(そうした部分が皆無とはいいませんが、演出として全体的に弱い)。 なにしろ不可能犯罪の続発と並行して、怪異の情報もあとからあとから出て来るので、相殺感がたまりません。 それでもトリックに関してはネタ的に楽しいもの(ミステリとして出来がいい、ではない)もあり、なかなかキライになれないけれど、終盤で明らかになる真犯人と密室トリックは、ふーん、そうなの、くらいであまりインパクトもサプライズもありません。あとの方のトリックなども、どちらかといえばチョンボでしょう。 で、そのあとにつづく最後のサプライズに関しては作者の狙いはわかるものの、正直、あちこちの作品(国内ミステリが多い)で読んできたようなものですし、さらにキーパーソンのそれまでの存在感が薄いのであまり盛り上がりません。 クトゥルー神話が伏在する世界での謎解きパズラーという大きな趣向そのものは、決してキライではないもの、全体的に随所の狙いの効果がいまひとつなのは残念。 【追記】 作中人物や怪異のものたちのネーミングから、評者がもう少しクトゥルー神話に詳しく、神々たちやその眷属たちの関係性に知悉していたら、もうちょっと面白いものも見えたのかもしれない? そのあたりはファンの方にお任せしよう。 |
No.1661 | 8点 | 加賀美雅之未収録作品集 加賀美雅之 |
(2022/11/15 17:48登録) (ネタバレなし) 評者の場合、2013年に50代前半という若さでご逝去された作者のことは、亡くなられてから意識した。 今からすれば苦笑ものではあるが、90年代後半から2010年代の前半くらいまでは、自分(評者)の年間のミステリ読書数は新旧作品あわせても、多くてもニ十冊程度。少ない年にはヒトケタの冊数しか読んでない時期もあったので、本書の作者・加賀美雅之先生のご活躍はまるで視界の外だったのである。 最初にお名前が評者の気に留まったのはSRの会の会誌「SRマンスリー」のいつかの年(たぶん2014~15年くらい?)の年間ベスト発表号で、ベスト投票に参加されたどなたかのコメント「今更ながらに、加賀美雅之の早逝が惜しまれる」といった主旨の物言いであった。 それから少しずつ、90~2010年代の国内ミステリの動向や歴史を探求してゆくうちに、この作者の高名と高評は自然と目についてくる。一時期は本サイトでも、代表作らしい『監獄島』が国内ベスト5にランクインしていたこともあり、そのときは目を瞠った。 そういう意味で、加賀美雅之先生という人は、私にとってある意味で大きくすれ違ってしまったとても貴重で凄そうな作家、という強い思いがある。それゆえ遺された長編や短編集は少しずつ買い集めてあり、今もすぐそこにあるが、永遠にその著作がもう増えることはないのだと思うと、なかなか読めない。読むのがもったいない。 (いや、倉田英之の『R.O.D.』の中で登場人物が言う通り、本というものは、まず読み手に読まれてそこから存在価値が生まれるものだということは重々、わかっているのだが……。) そんなことを数年感じていたら、思いがけず未書籍化の、あるいは一冊の本にまとまっていない中短編ばかりを集めた本が今年出た! もちろん、これがおそらく最後の作者の新刊で、著書となるであろう(今後、新編纂の個人全集などが出る可能性はあろうが)。 ならば加賀美雅之作品を新刊で読み、SRの年間・新刊ベスト投票にも一票を入れられる、自分にとって最初で最後の機会! これこそ神が与えてくれたチャンス! という思いで手に取った。 ちなみにこれまでの述懐の流れで、大方、察してもらえるともらえるとは思うが、これがマトモに読む本当に最初の作者の一冊(なにかベルトランものの短編は大昔に一本くらい、どこかで読んだような気もするが、勘違いかもしれん)。 ミステリや書物に妙な思い入れを抱く自分の性癖は十分に自覚してる(?)が、こういうケースもなかなかないことだとは思う。 で、本書の内容に言及すると、10本の狭義~広義のパズラー中短編を収録。そのうちの大半が、作者の構築したパスティーシュ的な世界観によってカーのバンコランものの物語世界に繋がっていく趣向で、物語の舞台や時代、登場人物は変遷するが、何かしら既存作と接点のある連作になっている。ほかに純粋なバンコランもの、フェル博士もののパスティーシュや、作者自身が生み出した名探偵ベルトランものなども収録。 一部のものを除いて不可能犯罪のトリッキィな作品ばかりで、感触でいえば昭和の「宝石」時代から新本格の時代にまで受け継がれていくような「パズラーの心」みたいなのが通底するようなのがとても愛おしい。 機械トリックも多く、さらに「実は(中略)でした」パターンの趣向も多いが、作者自身もこういう形で作品集を組まれるとは予期しておらず、いずれもっと複数の中短編集にバランスよく配置する可能性もあったので、似た話が多いという文句は酷というものだろう。 それぞれどれも楽しい作品ではあったが、個人的には巻末の最後の3本(アレキサンドラ、首吊り判事~、マールの追想)がお気に入り。特に収録作で最も長い『マールの追想』は犯人も仕掛けも先に読めるが、それでも作者のミステリ愛を改めて実感した好編。 現在もご健在で国内ミステリ界の一角におられたら、たぶん青崎有吾の「アンデッドガール・マーダーファルス」シリーズとか横目に、俺も負けないぞとそっちの方面の健筆をふるわれたんだろうなあ、と夢想する。いやもしかしたら、青崎先生の「アンデッドガール~」の方が、加賀美パスティーシュ作品のスピリッツをどこか継承して生まれたものなのか……? 企画に大きく関わってくださった二階堂先生ほかの関係者には、深く感謝。加賀美ビギナーの自分にもとても楽しい一冊でした。 遺された著作は、改めまして今後、少しずつ楽しませていただきます。 評点は企画に感謝の意味を込めて、この点数で。 |
No.1660 | 6点 | マフィアへの挑戦 3 ドン・ペンドルトン |
(2022/11/15 06:52登録) (ネタバレなし) 両親と妹をマフィアによって死に追いやられたベトナムからの帰還兵マック・ボランは「死刑執行人」として、全米いや世界中に伏在する犯罪組織との果てしなき戦いを続けていた。ボランはマフィアの大物ボスのいるロスアンゼルスに、ベトナムでともに死線を潜り抜けた9人の戦友を集めて「抹殺部隊」を結成。同地の激戦でボランは大事な戦友たちの大半を失ったが、逃げおおせた敵の大ボスを追ってカリフォルニアに向かう。そんなボランは、別のかつての戦友で優れた外科医であるジム・ブランツェンの手を借りて、すでに広く敵の犯罪組織の知るところになった自分の顔を整形。ベトナムで5年前に戦死した美青年の戦友フランク・ランプレッタのものに変えるが。 1970年のアメリカ作品。ウン十年を経て、大昔に呼んでいたシリーズ第二巻の続きを読了(笑)。 前巻のクライマックス、ボランの作戦を成功させるためあえてみずから貧乏くじを引く抹殺部隊の仲間たちの泣ける図や、次々とボランの視界に入ってくる仲間たちの最期の描写とかは、今でも割としっかり覚えてるのだな、これが。 というわけで予想外にすんなり、この物語世界に帰還できた。(ソロモンよ、私は帰ってきた、というところか。) でまあ、ボランがシリーズ3冊目にして整形して顔を変える趣向は、序盤のシリーズ2冊目で顔を変えてしまった悪党パーカーの前例にならう感じ(向こうは1963年の作品でソレをやってる)なのだが、さすがにそれだけじゃ後進の作品は心もとないと考えたのかなんだか、別の見せ場や趣向もそれなりに用意している。 第1作では家族の直接の復讐の対象にもけっこう冷静に引き金を弾いていたボランが、本作では側杖を喰って殺された者が出てしまった事態に心を乱され、初めて激情に駆られて敵を殺すとか、過去のベトナム戦争で善行を積んでいた事実(体を張って、戦火に巻き込まれかけたベトナム人の子供を救ったり)が語られるとか、のちのちの「フェニックス」路線に連なる、政府側のひそかな支援者の登場(になるのか?)とか。 あと、せっかく顔を変えたということで、敵組織の懐に潜り込んでかき回すあたりは、良い意味でお約束の展開、というところ。 憎いマフィアの連中でも、直接の銃の標的として抹殺していくばかりではなく、ときには同士討ちに誘導したり、あるいは今後の破滅の未来へと導いたり、割といろいろな料理法を(あれこれと、そのときそのときのボラン自身の内面を覗かせながら)見せていくあたりは職人作家という感じで飽きさせない。 なかには敵の陣営ではあるが殺すまでもないキャラクターも登場してくるが、最終的にどういう扱いで終えるんだろと思っていると、意外にソノ辺は作者もちゃんと準備していたり、王道の大衆小説的な仕上げはさすが。いや、ホメてるぞ、念のため。 思っていたよりも、結構オモシロかった。 正直なことを言えばいささか雑なところもあるが(ボランは作戦遂行上、ひとつ大きなスキを見せているが、劇中でその件に関する反省などもないし)、まあ半世紀前のペーパーバック・ヒーローという前提から始めれば、なかなか悪くない出来である。 評点は7点にはいかないが、この点くらいは確保ということで6点。 さて次はそのまま『マフィアへの挑戦4』……と思いきや、そーではない! 創元文庫版の3と4の間に、のちの長期計画も考えず一冊だけお試しでポケミスで先に翻訳されてしまっていたマイアミ編『マイアミの虐殺』が入るので、ちゃんと順番通り読むのなら、まずはそっちからなのである。 実は本作のラストの方で、予告編的にこのマイアミでの大敵の存在が匂わされているんだよな。このあともずっと、この手の読者向けの次巻へのフックが用意されているのであろうか。 |
No.1659 | 5点 | 首切り島の一夜 歌野晶午 |
(2022/11/14 18:46登録) (ネタバレなし) 某県にある共学校・永宮東高校。その卒業生の男女と恩師が、40年後の同窓会を開いた。会場は東海灘の離島で「星見島」の別称がある弥陀華島(みだかじま)。かつてそこを修学旅行の行き先とした一同は、同じ島の民宿「千江浪荘(ちえなみそう)」に宿泊し、三泊続けて旧交を温めあった。そんななかで、参加者のひとり、久我陽一郎が、かつて母校や自分の生活に不満があり、現実の周囲の者たちをモデルにした殺人ミステリを書きかけていたことを、話題にする。そして悪天候に閉ざされた島のなかで、実際に殺人が? 特に歌野作品ファンでもなんでもないつもりの評者(さすがに『葉桜~』くらいは呼んでるが、ほかの代表作らしいものはほとんど手つかず)で、この数年、評者自身のミステリ熱がぶり返してからの新刊を何冊か読んだくらいの浅い読者だが、今回の新作は数年ぶりの、そして著者最大の紙幅の長編、十年ぶりの書き下ろし……とか色々と鳴り物入りなので、イソイソと手にとった。 島に集まった元生徒の男女(みんな今は五十代の末か)や老教師、そのなかの十人弱の連中が高校時代からこれまでの半生を回顧し、それが順番を追うごとに少しずつ読み手の情報を増していく半ば連作? 短編の寄せ集めみたいな構成。ちょっとウールリッチの『聖アンセルム923号室』や『運命の宝石』とかを思わせる作りで、割とお気に入り。語られる挿話のなかにはダークなものもあれば、意外に(少なくともそのエピソードを読み終えた時点では)しんみりとハートウォーミングする話もあり、個人的には二つほど、好みの話に出会えた。 で、ミステリとしては……うん、まあ……これはいわゆる<(中略)型>の長編でしょうね。評者もそうだったが、読み手の大半がたぶん(中略)するのは必至だと思う。 (年季の入った歌野ファンが読むなら、また違うかもしれんが。) そう考えるなら、大仰な惹句も、このボリューム感もすべて作者の思惑通り、なんだこれはといって怒るにあたらな……どうしよう(汗)。 良くも悪くもかなりシンプルな裏技作品で、これでもし、作者や本書の編集者、営業などが、話題作続出、群雄割拠の今年の国内ミステリのなかで上位を狙おうとホンキで考えているのならかなりズーズーしいが、単品で読むなら、まあ無数にあるミステリのなかでタマにはこんなのもいいんじゃないかと。評点はこんなもんしかあげられないが、キライな作品ではない。 |
No.1658 | 7点 | 無慈悲な鴉 ルース・レンデル |
(2022/11/13 15:13登録) (ネタバレなし) レジ(レジナルド)・ウェクスフォード主任警部の自宅の隣家、ウィリアムズ家の主婦で40代半ばのジョイが、ウェクスフォードの妻ドーラに相談を願い出た。大手塗料会社の上級外交職である夫ロドニーが、行方不明だというのだ。ウェクスフォードが同家に赴いて事情を聞き、捜索を始めると、やがて何ものかに殺されたロドニーの死体が見つかる。だが驚いたことに、少し離れたところに暮らす30代初めの美女ウェンディ・ウイリアムズもまた、被害者は自分の夫でふたりの間には娘もいるのだと訴えてきた。事件の周囲には、ウーマンリブ活動の関係者が続々と登場。そしてロドニーの事件と前後して、当の地域では謎の女性ヒッチハイカーによる男性を狙う傷害事件が起きていた。 1985年の英国作品。ウェクスフォード主任警部の第13作目。 先日、ブックオフでたまたま購入した一冊で、久々にレンデルでも、と読み始める。 ポケミスで280ページちょっと、そんなに長くないし、吉野美恵子の翻訳は快調なので読みやすいが、とにかく登場人物が多く、名前のある者だけで80人以上、名前が出ないがちょっと劇中の叙述に関わるものを入れれば90人前後になった。 なお本作ではレンデル、いつものウェクスフォードもの以上に? 警察小説っぽい書き方をしている感じで、メインの事件の合間の別件の詐欺事件などの話題などもとびこんでくる。リアリティ、アクチュアリティは物語の厚みに寄与はしているが、読むのにそれなりにカロリーを使った。 二重生活していた夫という、クイーンの『中途の家』を思わせる被害者像(前半それなりに早めにわかるし、ポケミスの帯やあらすじにも書いてあるので、ここまでは書かせてほしい)の一作だが、その上で、英国ではまた80年代半ばに盛り上がったらしいウーマンリブ運動(日本でその話題をするなら、70年代の後半という感じだが)も話に大きくからみ、並行する案件である謎の女=ヒッチハイカー通り魔事件との関連性も討議される。 さらにウェクスフォードの相棒であるマイク・バーデン警部の妻ジェニーの近づく出産(これもまた、くだんのウーマンリブ問題にからむ)もサイドストーリーとして相応に読者の興味を刺激し、とにかく小説としてはこってり。 本気出したらイカれまくるレンデルの著作のなかではウェクスフォードものは基本的にそれなり口当たりがいいとは思っていたが、今回は結構ヘビーだ。 とはいえ真相はかなりの意外性で、中盤から仕掛けられた大技も最後に炸裂。気が付くヒトは気がついちゃうかもしれないが、評者はまんまと乗せられた。最後の最後のドンデン返しで露わになる犯人像の異様さも、なかなかのショッキング。 ……と書くとけっこうホメているのだが、いっぽうで何しろ前述のように劇中キャラが膨大、あとで事件の真相の主軸から逆算していくと、雑駁とも思える叙述も多くなってしまうので(むろんそのなかには、読者をふりまわすミスディレクションの意味合いもあるわけだが)その辺をどうとらえるか……が本作の印象や評価につながる。 秀作だとは思うが、もうちょっと整理しても良かった? いや、この分量や叙述の累積は、伏線や手掛かりを忍ばせるために意味があるだろ? との思いが相半ば。 まあ力作だとは思うけれど。 |
No.1657 | 6点 | 平和を愛したスパイ ドナルド・E・ウェストレイク |
(2022/11/12 15:16登録) (ネタバレなし) 1960年代半ばのニューヨーク。朝鮮戦争時代に徴兵反対を掲げて発足した平和団体(実はそれを口実にしたセフレ探しの集団)「市民独立連合」は現在、「私」こと32歳のJ・ユージーン(ジーン)・ラクスフォードが代表を務めていた。17人のメンバーの大半は会費も払わない幽霊会員で、ジーンの周辺には連合の会員だかなんだか微妙な立場の恋人(で、死の商人を父に持つ、美人でいささか頭の弱いお嬢様)のアンジェラ・テン=マークと、友人の弁護士で非会員のマレー・ケッセルバーグがいるだけだ。そんなジーンのもとに、怪しい中年男モーティマー・ユースタリーが来訪。思想や信条を問わず、国内の少人数の政治活動団体に声をかけまくっているというユースタリーは、そんな小規模な組織の力の結集で、何かことを起こそうと考えていた。ジーンは、ユースタリーに誘われるまま、アンジェラとともに、ジーンが主催する集団「新たなる始まり同盟」の集まりに参加するが。 1966年のアメリカ作品。 今年、新訳発掘されたウェストレイクの旧作(嬉)の二冊目(さらに嬉)。ユーモアミステリ路線への転換をはかっていた時期の作者が、スパイ小説ブームの渦中のなかで書いた、同ジャンルをからかったような戯作。 とはいえそれなりにフツーのエスピオナージュ、またはスパイ活劇ものらしい見せ場もふんだんに盛り込まれ、その辺は良いバランスで作品全体が仕上がっている。 (あえていえばジョン・ガードナーのボイジー・オークスものみたいな雰囲気……といってもいいが、それよりは、のちに定型化したウェストレイクのユーモアミステリ路線の原石をスパイ小説の枠内で……というのが一番いいような。) 巻末の解説でも指摘されているように、読者目線(一人称主人公のジーンの視線)で、物語の興味を牽引する大きな謎(誰が真のスパイか、とか秘密のマクガフィンの所在は? など)は特に用意されていない(あえていえば謎の組織の目的だが、それはそれなりは早く明かされてしまう)。 物語の大筋は、謎の集団「新たなる~」との接触を経て、さらにまた別の事由からテロ組織? への潜入スパイとなっていくジーンの成り行きの方に重点が置かれる。 アマチュアのジーンが即席のスパイとなるため特訓を受けるくだりなど、いかにもウェストレイクらしいギャグが豊富(やや薄口だが)で、ここでのちのちの伏線なども張られている。 登場人物はそれなりに多いが、ジーンが出会うメインキャラの出し入れや運用などは達者で、それなりのサプライズも用意されている。 ただしのちにケン・フォレットとかクィネルあたりなら、この倍の紙幅で書いただろうなあ、というシークエンスをかなりシンプルに書いちゃってる感じもあり、その辺は読みやすい一方で、物足りない印象もなくもない。 評者がこれまで読んだウェストレイク作品と比較するなら、個人的には『我輩はカモである』と同程度の佳作、というところか。 フツーにじゅうぶん楽しめるが、ドートマンダーもの初期編のあの、これでもかこれでもか感を期待すると、ちょっと裏切られるかも。作者が作者だけに、評点は7点に近いこの点数で。 もちろん翻訳発掘してもらって良かった一冊ではある。 |
No.1656 | 7点 | バッファロー・ボックス フランク・グルーバー |
(2022/11/11 15:07登録) (ネタバレなし) 1942年のハリウッド。蔵書家でアメリカ史に詳しい元弁護士の私立探偵サイモン・ラッシュは、助手の青年エディ・スローカムに、依頼人を追い返せと命じた。それは、いかにも採掘師風の外見の赤毛のヒゲの老人である依頼人が「ランスフォード・ヘイスティングス」と名乗ったからだ。ランスフォード・ヘイスティングスとは、西部史に残る大規模な遭難事件で飢餓のなかで仲間の死肉まで食したという、1846年に起きた悲惨な「ダナー事件」の重要関係者の名前であった。それでも強引に事務所に押し入ってきた男は、複数のバッファローの細工が表面にある箱を持った男を捜してほしいと依頼を請うが。 1942年のアメリカ作品。 第二次世界大戦の序盤の時期に刊行された作品で、さる件から日本のことも話題になるが、もはや行き来が難しいような叙述がある。戦争の影はその程度に匂わされるが、出兵してる者がいるとかそういう話題も特にない。当時のアメリカ国内の雰囲気の一端が窺えるかもしれない。 グルーバーにしては珍しく純粋な私立探偵の主人公、しかもインテリでそれなりに行動派のラッシュのキャラクターはなかなか魅力的。 事務所の経営者としての立場ゆえか、外注の探偵を使ったり、小者から情報を得るためなどのお金をギリギリまで出し渋るのも、いかにも、作者自身が安い稿料で働く創作者である苦労人グルーバーの生み出したヒーローという感じ。 物語はかなりテンポがいい反面、数十年単位のアメリカ近代史に話が広がっていき(あらすじに書いた「ダナー事件」は現実に生じた悲劇だそうな)、主要関係者の何世代も前の人物たちとの関係性まで話題が及ぶので、とても錯綜している。 読むつもりなら絶対に、最低でも登場人物メモ、できれば家系図を複数作る心構えでのぞんだ方がいい。 (逆にいうとRPGゲームなどでマッピング作業をすること自体が楽しめるタイプの人なら、なかなか楽しめそうな作品かも。) さらに現在形1942年のミステリとしてもそれなりに複雑で、物語の中心といえるダナー事件がらみの大きな謎と並行して、殺人事件の真犯人探しがあるが、こちらはちょっと気を抜くとごちゃごちゃしそうな気配がある一方、最後の意外な? 真相も正直、あまり面白くない。 いや、作者グルーバーが作りこんでミステリ的なサプライズを読者向けのサービスとして盛り込んでいるのはとても感じられるのだが。 ちなみに読後に諸氏の本作の感想を拾うと、Twitterなどでは川出正樹が「既訳フランク・グルーバーの中でも一頭地を抜いて面白い作品」と賞賛。一方で小林信彦などは「地獄の読書録」で、前半は面白いが後半はオソマツ、と評価(100点満点で75点だから、そんなに悪くないんだけど)。 評者的には、力作で楽しめた部分も少なくないんだけど、謎解き部分が高めのファールという感じでそこはイマイチであった。 川出評のほかにもどっかで本作をホメていた感想を以前に読んだ記憶があり、グルーバーの未読の作品のなかではそれなりに期待していたが。 でまあ、サイモン・ラッシュがシリーズキャラクターになったのかどうなのかは知らないが、その絶大な機動力と、古書マニアで読書家という人物造形はかなりスキになったので、もし他に主役編があるなら長短編問わず読んでみたい、とは想う。 そういえば本作はたしか、パシフィカの名探偵読本シリーズの「ハードボイルド」編にも記載、紹介されていたと記憶する。いや、まったく異論はないね。 好き勝手なライフスタイルにこだわり、経費をケチりながら、おのれの求めるままに事件の謎を追うラッシュのキャラクターは完全にハードボイルド私立探偵じゃ。 【2022年11月13日追記】 おっさん様からのご指摘で、サイモン・ラッシュはシリーズ探偵で、本作は二番目の長編ということもご教示いただきました。ありがとうございました(嬉)。 |
No.1655 | 7点 | 嫌われ者の矜持 新堂冬樹 |
(2022/11/10 05:47登録) (ネタバレなし) スキャンダル記事を売り物とする写真週刊誌「スラッシュ」。その主力記者である35歳の立浪慎吾は、業界では肉食獣「リカオン」の異名で知られる辣腕編集者だった。人気タレントや有名人のスキャンダルを飽くなく追い続ける立浪だが、その胸中にはかつて芸能人の醜聞を追い求めながら表向きは自殺の形で殺された同業の父・正藏の復讐をしたいという強靭な思いが潜んでいた。立浪は、仇と目する芸能界最大の大物で、政界や暴力団とも密な関係のある「帝都プロ」の二代目代表・大河内に挑むため歩を進めるが、その前には予想を超えた事態がいくつも待っていた。 「文春砲」だの「忖度による報道自主規制」などのワードが幅を利かす21世紀の現実を背景に、復讐の念から自らの手も汚しながら巨悪に挑む主人公の物語。 新堂作品は5~6年くらい前から、適当にその年その年の新刊のみ、つまみ食いで読んでいて、たしかこれで4~5冊目。 人間の裏切りに恐怖とバイオレンス、しかし最強のストーリーテリングぶりで、どれもおおむね読み出したら止められない。まあ通俗小説なんだろうけど、二転三転の話の転がし方には、ミステリファンが読んで楽しめる部分もあるし。 でまあ、今回もお話の捻り具合や転がし具合は見事だが、ドギつさに関しては意外に地味でおとなしく(これまでちょっとだけ齧った新堂作品に比べれば、で、あるが)、あ、ラストもそういうまとめ方? という印象。 なんかお話をまとめるために(中略)という概念を盾にとったようで、ちょっとコシャクだ。 一方で、自分が読み始める前の前世紀~2010年代前半の全盛期? の新堂作品は、近作とは比べ物にならないくらいドス黒かった、とは、よく新堂ファンの述懐で聞くところなので、たぶん今回の作品など、それなりにバイオレンスな場面があろうと、トータルではさほど大したことはないのであろう。 しかしその程度の薄口の分、ドギツさに頼らずに二転三転するお話の方をしっかり楽しませてもらった感触もある。 新堂作品の旧作は、こわいものみたさでいつか手にとってみたいとも思うが、自分のような読者には、この程度に作者らしさが希釈? された仕上がりの方がいいのかもしれない。 いずれにしろ、読んでる間はフツーに面白かった。佳作~秀作。 |
No.1654 | 7点 | 殺し屋テレマン ウィリアム・ハガード |
(2022/11/09 06:40登録) (ネタバレなし) 1950年代の後半。地球の裏側にある英国の植民地で、地図にも載ってない小島セント・タリー島。そこに巨大な石油鉱脈が発見され、英国の石油会社「ユニバーサル社」が油田の設置を進行していた。だが島の隣国ララモンダの独裁者クレメンチは、セント・タリー島は本来は我が国の領土なのだと主張。小国ララモンダの背後にはその黒幕となる大国の影もちらつき、英国政府は島に派兵するか否かの緊張を高めていた。そんなさなか、国際的に有名なテロリスト、テレマンが、ララモンダ側の工作員として島に上陸。テレマンは油田設置に協力する現地人に揺さぶりをかけて開発計画を妨害する一方、36歳の英国人石油発掘技師デイビッド・カーの暗殺までも請け負っていた。だが裏の世界のなかで、あくまで彼なりの騎士道的な流儀を尊ぶテレマンは、標的であるはずのデイビッドに親近感を抱いてしまう……。 1958年の英国作品。渋くて地味な(でもソコが面白いかもしれない、そうでないかもしれない)チャールズ・ラッセル大佐シリーズで世代人ミステリファンには有名(?)なウィリアム・ハガードの著した二冊目の長編で、完全なノンシリーズ編。 どっかのなんかの描写や設定で、作者の別作品の世界とリンクするかもしれんが、少なくとも本書を単品で読む限り、ラッセル大佐ものとも特にカンケーはない。 国際紛争の火種になりそうな新興油田がある孤島を舞台に、そこを蹂躙しようとする凄腕テロリストと、成り行きから防衛戦に臨む主人公の青年石油技師(と彼と親しい現地の部族)とくれば、かなり正統的な(半ば巻き込まれ型の)冒険小説である。 ただし本書の場合、この手のアウトロー(テロリスト)としては、フェアプレイを重んじ、人間的なマトモさを堂々と表に出す副主人公テレマンのキャラクターがあまりに個性的すぎて、なんかオカシイ。主人公デイビッドの前に最初に顔を出しておのれの立場を述べるくだりから、前もって標的の素性を調べていたら、殺すのは惜しい人のようなので、できればこの場から立ち去ってほしい(大意)、である。 ……いや、こーゆーキャラはスキだが、しかし作中のリアルからするなら、お人好しの甘ちゃんすぎて、とても裏の社会で一流のテロリストなんかになれそうもないよな。その辺はよほどうまく書き込んでキャラ造形をしないと説得力がないが、実際にはかなり大雑把。 (最終的にテレマンとデイビッドにはある種の因果があったらしいことは暗示されるが、その辺もまたもうちょっと詳しく教えてよ、という感じであった。) 中盤でデイビッドが複数の刺客の奇襲を受けて窮地に陥り、負傷した際も、その直後にテレマンが顔を出し、こういう目に合わせるのは自分の本意ではないと釈明。デイビッドの方もそんな相手の言葉にウソがないと認め、たしかにこういう頭数に頼って相手の隙をつくのは「テレマン流」じゃないんだな、とフォローまでしてあげる。 なに、この殺す側と殺される側の、温和な関係!? ちなみに本作の原題「The Telemann Touch(テレマン流)」はココに由来。 それでもお話そのものは、デイビッドの実兄でメインキャラのひとりエドワードが当時の英国内閣の国務大臣という設定で、英国内閣内に巧妙に根回しし、政治的・経済的価値がある(そして弟がいる)セント・タリー島に英国軍の派兵を促すあたりとか、そのデティルの積み重ねにおいてなかなか読ませる。この辺が正に、のちのラッセル大佐シリーズに繋がっていく感じ。 さらに現地でも半ば対立しかける二つの現地部族との関係を整え、一方の親しい方の部族の長の娘ジャラと恋人関係になる(さらにそういう関係がクラマックスにつながっていく)主人公デイビッドの描写なども非常に面白い。 巻末の解説で厚木淳も書いているが、本書は評者がこれまで読んだハガードの数冊のなかでは最も直接的なアクション、戦闘描写の豊富な長編でもあった。 山場で銃弾の雨のなか、さらっとデイビッドが目的の行動を完遂しちゃうあたりの軽い描写はちょっと苦笑したが、本作のタイトルロールである異色の敵役キャラ、テレマンとデイビッドの最終的な対決までふくめて、物語のノリそのものは意外に悪くない。300ページちょっとの物語を、テンションを落さずにイッキに読めた。 たぶん、くだんのテレマンというキャラクターをクセのある敵役として愛せるまたは受け入れられるか、はたまたそれとも、ナニ、この、いくらフィクションでもありえないトンデモキャラ! と見なしてたじろぐか、その辺で大きく評価が割れそうなところ。 評者の場合は……なんつーか、1950年代当時のリアルな国際的な力関係の場にまぎれこんできた、オーパーツのサムライ(または騎士道)キャラという感じで、ぎりぎり微笑んで(といつつ若干だけ苦笑して)読み終えたけどね。 とにもかくにも変わったモノを読めてそれなりに楽しめたのは、マチガイない(笑)。 あー、もしかしたら、人気のイケメン声優とかにボイスドラマでデイビッドとテレマンを演じさせ、もうすこしBLもの風に脚色したら、21世紀の新規のお客さんを釣れるかもしれん(笑)。そーゆー可能性のある作品でもある。 |
No.1653 | 7点 | 連鎖犯 生馬直樹 |
(2022/11/08 06:11登録) (ネタバレなし) 新潟県の一角で、32歳の美人シングルマザー、戸川尚子のふたりの子供、中一の娘・凛(りん)と、小六の翔が誘拐された。謎の誘拐犯人の要求する500万円の身代金を払う当てもなく尚子が困惑していると、やがて誘拐されたふたりは無事に解放された。だが事件の周辺は、さらに意外な方向へと展開してゆく。 初めて読む作者だが、平明かつどこかリズミカルな文章は非常にリーダビリティが高い。 捜査陣、被害者家族、謎の誘拐犯、そして……とそれぞれにキャラクターも立っている。語りたいテーマについてはこの場ではあえて伏せておくが、21世紀の我が国では非常に切実なもので、その主題への踏み込みの深度はともかく(ことさら悪いとも浅いとも思わないが)、少なくともメッセージ性を作品の軸にすることには成功している。 終盤の強烈な意外性はかなりのもので、捜査のなかで伏在していた謎がほぐされてゆく辺りは、ヒラリー・ウォーの諸作とかに近いものを感じた(評者の主観だぞ)。 ただし真犯人の思惑は傍から見ると相応にリスキーなものでもあり、万が一の場合を想定してないのではないか? という気にもなった。まあここではあまり詳しく書けないが。 言い換えるなら、なかなか面白いミステリ的な着想で捻り具合だが、いささかの強引さを見過ごせないというところ。それでも登場人物たちはそれぞれ、まともな人間はもとより、悪役や場合によってはイヤな奴にまで、妙なキャラクター的な魅力があり、この作者はそういう部分がうまいのだと思える(味のある脇役はそれなりに登場する)。 重い昏いテーマを扱い、きびしい叙述も散見するが、それでも読後感がどこかさわやかなのもいい。 一見で手に取ってみた作品だが、佳作~秀作。これからこの人の作品も、ちょっと注目していこう。 |
No.1652 | 6点 | 緑の無人島 南洋一郎 |
(2022/11/08 03:26登録) (ネタバレなし) 昭和初期。世界的な真珠の産地である、オーストラリア西海岸の町ブルーム。そこで9年前から現地人や日本人を相手に雑貨商を営み、成功を収めていた日本の実業家・山田正造(45歳)。彼の家族は妻の春子(36歳)、そして「僕」こと15歳の長男・康男をはじめとする三男一女の子供たちだ。正造は今後のことも考えて、幼い娘・玲子(8歳)を除く三人の息子を祖国にいる父母(康男たちの祖父母)のもとに預け、日本で勉強させようと考えた。山田家の6人は、雑貨店の店員でマレー人の青年トミーとともに客船で太平洋を渡航するが、途中で大嵐に遭い、避難が遅れた山田家は難破船と化した客船に乗ったまま、近隣の孤島に接近。島でのサバイバル生活を始めることになった。だがその島は、数メートルの体躯を持つ巨大な爬虫類「巨竜」が何匹も棲息する世界でああり、さらに島にはまだ大きな秘密が秘められていた。 昭和12年に「少年倶楽部」に連載された、ジュブナイル秘境冒険譚。本作登場の前年昭和11年の「少年倶楽部」では、あの遠藤平吉さんもデビューしており、これやそれやの少年少女向けエンターテインメントがいくつも掲載されていれば、そりゃ当時の国民的な雑誌になるわけだわな、という感じである。 家族そろって孤島での生活を始める山田家は「ロビンソン・クルーソー」譚に倣ってサバイバルの日々を送るが、山田氏が話題にしたデフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719年)は、すでに江戸時代の幕末から日本に紹介されていたようで、60年以上経過した当時の昭和初期ならすっかり日本人になじまれたものになっていたのだと、本作の読了後に改めてざっと再確認した。 なお評者と本作『緑の無人島』の最初の接点は、少年時代に読んでいたミステリマガジンの石上三登志の連載エッセイ「男たちのための寓話」の冒険小説を語る回で。そこで戦後版の本作の書影が紹介され、それが密林のなか、二本足で直立する恐竜めいた怪獣(つまりは本作の「巨竜」だ)の表紙画で、怪獣ファンとしてエラく心を惹かれたこと。 しかし実際の本作の作中に登場する「巨竜」は実のところ、どのような恐竜なのかどのような生態系で生きていたのかの観測もされない、とても地味で大雑把な扱いでしかも最後には、ほとんど登場人物たちの念頭から忘れられてしまう。……まあ、いいか(苦笑)。 それでも細かいイベント(今の目で見れば、おおむねのどかなもの。一~二件だけ悲痛な箇所はあるが)を続発させていく作者の手際は、なるほどのちの南洋一郎ルパンの作者だけのことはあり、後半の展開など、良い意味で秘境冒険ジュブナイルのお約束要素を並べた印象。 登場人物同士の内面のわずかな機微の動きで、主人公一家が窮地に陥ったり、また逆の流れになったりする辺りは、ちょっとだけながらテクニカルな作劇の妙を感じたりもした。 物語の舞台となったこの島の最終的な扱いは今の目で見るとなんだかな、ではあるが、昭和初期の日本の見識からすれば、ソンなもんだったのだろうとは思うので、文句には当たらない? あくまで当時の国風なども踏まえながら、楽しむべし。 クラシックジュブナイルなのでお話そのものが古いのは当然として、もうちょっと(中略)のキャラクターは描き込んでほしかった感じはある。 その点、何のかんの言っても乱歩の少年探偵団シリーズは全般的にキャラ立てがうまいので、時代を超えて読まれるのだとも思う。 評点は、少しだけオマケして、この点数くらいで。 まあ戦前からの少年小説の体系をごく大雑把にでも探る気があるなら、一度は読んでおいて無駄ではない作品だろうとは思うけど。 |
No.1651 | 6点 | ヨーク公階段の謎 ヘンリー・ウエイド |
(2022/11/07 14:50登録) (ネタバレなし) 第一次大戦を経た英国。「フラットン銀行」の頭取で金融界の大物ガース・フラットン卿は、旧友の元陸軍将校ハンター・ローン卿から相談を受ける。その内容は、ハンター卿が会長を務める金融会社「ヴィクトリー・ファイナンス」の重役に就任してほしいというものだった。一度は応じたガース卿だが、その後、今度の話を再考。ガース卿は友人の銀行家でユダヤドイツ系のレオパルド(レオ)・ヘッセルにどうすべきか意見を求める。ふたりはロンドンの名所「ヨーク公階段」の近くを歩くが、そのとき速足の若い男がガース卿に接触。若者は最低限の詫びを残すとそのまま立ち去った。だがしばらくしてガース卿は近隣の場で急死。もともと心臓が悪かったガース卿は、先の接触事故もあっての病死と思われるが、やがて徐々にその死の周辺に事件性が浮上する。ロンドン警視庁の若手ジョン・プール警部は、この案件を捜査するが。 1929年の英国作品。 ウェイド(ウエイド)はこれで3冊目の評者だが、ようやく日本でもやや知られたシリーズキャラクターのジョン・プールものに対面した。 本作でデビューのプールは、オックスフォード大学を卒業した元苦学生で弁護士の経験もある独身の若者。ちょっとだけキャラクターに存在感を見やる。本作では、事件の関係者の女性にほんのりと胸をときめかせてしまう描写もあり、モース警部や評者の大好きなあのアメリカの警察官のようで、その人間味に好感が持てる。 お話は、とにかくそのプールが事件関係者の間から足で証言をかき集めていく描写にほぼ徹しており、丁寧な捜査警察小説なのはいいのだが、正直、退屈さと紙一重というところ。会話が多めの文体と、翻訳がとても良いことでけっこう救われている。 それでも事件の最大容疑者が浮かび上がり、それをフックに読者の興味をひき、後半のさらなるいくつかの仕掛けにもっていく手際などよく出来てはいる。 結局は、終盤で、こういうトリックというかミステリ的なネタまで用意していたか! と軽く驚かされた。 巻末の丁寧な解説によると、有名なミステリ同人誌「ROM」基幹の加瀬氏(故人)や小林氏がウェイドの大ファンだというが、なるほどこういう方向の作品が多いというなら、それもわからなくはない。 といいつつ評者などは『死への落下』はそれなりに面白かった、『リトモア』はやや期待外れだった、という感じで、まだそんなにウェイド作品が面白い、とは思えない方なのだが。 トータルな楽しめ度でいうなら、今回の作品は『死への落下』と同じぐらいかな。良作だとは思うが、とにかく中盤の冗長な感じ(それなりに楽しめるのだが)でちょっと減点して、7点に近いこの評点というところで。 |
No.1650 | 7点 | 由仁葉は或る日 美唄清斗 |
(2022/11/06 16:13登録) (ネタバレなし) 目の不自由な人たちがメンバーの多くを占める文芸サークル。参加メンバーは随筆や俳句、短歌や小説などそれぞれ関心の向く分野で活動し、一部の者は公的な文学賞・文化賞を受賞の栄誉に輝いていた。そんななか、「私」こと外科病院でベテランの物理療法士(マッサージ師)を務める42歳の明石馨は、サークル仲間で同じ盲人学校の友人だった末畑淳一が事故に遭い、耳が損傷したかもしれないという悲報を聞いた。それと前後して、サークルは晴眼者(視力の健常な人)である20代後半のOL・苦瓜由仁葉(にがうり ゆには)を、仲間に迎えるが。 第五回鮎川哲也賞で、最終選考にまで残った作品。ちなみにそのときの受賞作品は、愛川晶の『化身』で、のちに愛川は本書の作者・美唄清斗(びばい さやと)と合作作品を著している。 眼の不自由な方(盲人、蔑視的な意図はまったくなく、その呼称を使わせていただく)が登場、あるいは主役探偵や主人公を務める作品はいくつかの類例があるが、本書は盲人の方々が集う(健常者の仲間もいるが)文芸サークルを舞台にしたかなり特異な長編ミステリ。実は作者ご自身も若い時から眼が不自由だそうだが、それでも努力されて東西のミステリを含む無数の文学作品に接し、創作者としての力量を育てられたそうである。 聞くところによると当時の鮎川哲也自身は『化身』よりも本作を受賞作品に推挙されたそうで、その辺の興味もあって、本書を手にしてみた。 物語は、ある作中作(短編小説)を全文紹介するプロローグを経て「私」こと主要人物のひとり、明石の述懐で開幕。以降は章ごとに話者が交代しながら、ストーリーが進んでいく。 非常に平明でかつ起伏に富んだ文章と筋立てで、ある種のキーパーソンとなるタイトルロールのヒロイン・ゆには(劇中でも次第に、ひらがな表記で名前を記述)に自然に重点が置かれていく。 人との親和テクニックが巧みな一方で、どこかファム・ファタール的なゆにはのキャラクターは物語をある部分で牽引するが、全体的には群像劇的な性格も強い作品で、中盤で殺人事件が発生。 後半は加速度的にいくつかの謎を織り交ぜながら、クライマックスに向けて物語が進行する。 いくつかの中規模な(大技っぽいものもある)ミステリギミックと、読ませる小説的な活力を兼ね備えた作風は、昭和でいえば新章文子あたりに近いものを感じたが、終盤の反転の構図とその切れ味、さらに何とも言い難い殺人の動機(というか事件の形成の経緯)はなかなかの手ごたえ。 ラストのエピローグ、小説そしてミステリとしての仕上げぶりまで踏まえて、相応のミステリセンスを十二分に感じさせる良作だったと思う。 御当人のご事情か、本作のあとは、前述の愛川との共著を残されたのみで文壇から去られてしまったようだが、実は第五回鮎川賞以前にも最終選考に残った別の長編を執筆されていたようで、本書のレベルからするなら、可能ならそちらも読んでみたいとも思わされた。秀作。 |
No.1649 | 7点 | 録音された誘拐 阿津川辰海 |
(2022/11/05 06:27登録) (ネタバレなし) 資産家である実家を離れ、大学の後輩である美女・山口美々香たち二人の助手と、しがない事務所を営む28歳の私立探偵・大野糺(ただす)。その糺が誘拐され、実家の大野家に3000万円の身代金の要求がある。誘拐計画には、裏社会の謎の犯罪コンサルタント「カミムラ」が関わっていた。超人的な聴覚の主として周囲に知られる美々香は山口家に赴き、捜査陣とともに大野救出のため尽力する。だが、そんな大野家には何か秘密が潜み、そして同家の周囲で殺人事件が生じた。 評者は短編集『透明人間は密室に潜む』はまだ未読なので、この探偵コンビとは初対面。もともとシリーズキャラにするつもりはなかったものの、生みの親に愛着が生じて再登場させたのだという。よきかな、よきかな。 誘拐される(された)名探偵という設定を聞くと、ホントーならいくつか類似の趣向の作品が思い浮かぶハズだが、なぜか現状でぱっと頭にタイトルが出てこない。すぐ出てくるのは未訳長編で、ドラ・マールに救われるポール・ベックくらいだな。 あー「囚われたポール・ベック(未訳)」どこかから翻訳して出してくれ! (※註釈) でまあ、例によって非常に練り込まれた作品で、最後に明かされるサプライズのてんこ盛りと、そこに至るための膨大な伏線の数々には唖然としました。 でもまー、文生さんのおっしゃるとおり、フーダニットパズラー的には犯人は丸わかりですな。このミスディレクションにひっかかる読者はそうそういないだろうし。というか作中で(中略)が、ソレをそのままスイスイ受け取り、念入りに裏もとらないのが、なんだかなあという感じであった。 とはいえたぶん作者も、ソコは弱いとわかっていたからこそ、終盤にゲップが出るほど、アッチの方向での仕掛けのカベを厚塗りしたんだと思う。その量感と熱量には、まちがいなく感服。 ただ、この主役探偵が誘拐されるという設定、もうちょっとシリーズが進んで、読者にしっかりキャラがなじまれてから御馴染み路線の変化球として放った方が良かったんでないの? とも考えた。 まあ葛城シリーズでも二作目から「名探偵の実家で起きる連続殺人」というオドロキの趣向を採用し、劇中の名探偵のポジショニングには実にクセのあるところを見せる作者なので、その辺はさっさとやってみたかったのかもしれない。 さらに重要なこととして、美々香のキャラクター設定をミステリファンに十全に浸透させるためには、大野の誘拐~大ピンチという趣向は実に都合がよかったであろうし。 前述の、とにかく犯人当てとしては弱い、というウィークポイント以外は、いろいろと盛り込まれた秀作。 なお作者の阿津川先生、Twitterで日々のご近況を窺うとお体の御具合があまりよろしくないようなので(詳細は明かされていないが)、どうぞくれぐれもお大事にと、ファンの末席からひとこと述べさせていただきます。 【註釈】……レビューを一回書いた直後、国内とか海外とかで、長編の該当作品をいくつか思い出した。ネタバレにはならんものが多いと思うが、あえて作品名はどれもあげないでおく。東西で五つ以上あるよネ。 |
No.1648 | 5点 | 鬼の都 西村寿行 |
(2022/11/04 14:41登録) (ネタバレなし) その年の夏。新宿の市街で、体を6つにバラバラにされ、そして局部を切除された男性の死体が見つかる。凄惨な凶行は繰り返され、謎の犯人者は「鬼」または「情鬼」と呼ばれた。警視庁の刑事・中丘記文(きふみ)、検見(けみ)保行たち捜査陣は犯人を追うが、恐怖と狂気に包まれた関東の周辺では「鬼」の模倣犯らしき犯罪が登場。さらにレイプや殺人、強盗などの事件が続出し、人の心を失った犯罪者は「マン・イーター」と総称される。そんななか、公安の幹部・左岸高則は、とある可能性に着目。そして「鬼」を標的「第20号」と定めた、政府も半公認の闇の自警団「私設刑事裁判所」の「特別処刑人」たちも殺人鬼狩りに乗り出すが。 光文社文庫版で読了。 最初の1ページ目から世にも陰惨なバラバラ死体の登場で開幕。フツーならヘキエキするところだが、こっちはもう、あの『わが魂、久遠の闇に』も『峠に棲む鬼』も読んでるのである。猿の軍団、猿の軍団、いや西村寿行の作品、何するものぞ、という感じで読み進む。 寿行作品としては、あとの方の一作。 謎の殺人鬼「鬼」(劇中には当人が結構、早く登場するが)の連続凶行のなか、無数の民衆たちの人心が失われていく文明的な荒廃の描写、さらにけっこう早めでのかなり予想外の展開(文庫の解説でネタバレされてるので読まない方がいいよ)など、中盤まではなかなか面白い。 しかし主人公コンビの捜査が「鬼」捕縛に向けて実を得ないうちに、別の力関係の公安や「私設刑事裁判所」などが劇中に台頭。特に後者は、元・法務大臣やら法曹界の大物連中が幹部を務める「法律で裁けない悪を自ら裁いて殺す」、仕置人もしくはワイルド7みたいな闇組織で、作者はそっちの方を書く方が面白くなったのか、作品全体が段々といびつになってくる。 でもって「鬼」の正体と扱いは、たぶん後期の寿行作品にありがちなよくも悪くもスピリチュアルな方向にいってしまう感じで、よく言えば読者にあれこれ想像を任せる仕上げ、悪く言えばしごく適当な叙述で済まされてしまった思い。そして、主人公の文芸設定は……なんでしょうな、コレは。 それなりにネタも用意され、書き込まれているのだけど、もはやこの時期の寿行は手慣れたものを書き飽きたのか、中盤以降が全体に緊張感がなく、情報は多いけれど、ゆるい感じの一作であった。 もちろん評者なども未読の寿行作品は山のようにあるけれど、これほど当たりはずれが大きいとは……まあ十分に予想内の範囲ではあるな(笑)。『白骨樹林』みたいに、世の中の高評と自分の評価がまるで一致しない作品なんかもあるし。ま、傑作も駄作もひっくるめて、寿行の世界ではある。 |