人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.1979 | 6点 | 悪女イブ ハドリー・チェイス |
(2024/02/23 05:56登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと現在40代初めの作家クライブ・サーストンは若い頃に、同じアパートで結核で死んだ同世代の劇作家の卵ジョン・コールスンの遺稿を盗み、自作として世に出した。その戯曲『レイン・チェック』は大評判となり、クライブはその後、自分自身の真の創作として数編の小説を著述。それらはそれなりのヒット作となるが、決して『レイン・チェック』を上回る作品ではなかった。クライブは恋人の女優キャロル・レイ、献身的な執事ラッセル、そして敏腕女性文芸エージェント、マール・ベンシンジャーたちの応援のなかで次作にとりかかろうとするが、自身の才能の限界を覗いた彼の筆は大して進まなかった。そんな焦燥の念と前後して、クライブは読書家の娼婦イブ・マーロウと出会う。 1945年の英国作品。 近所のブックオフが閉店したので、およそ一週間前の全品50円セールの際に購入した文庫本(旧訳・93年の20版)である。これも絶対に、すでに買ってあるのが家のなかにあると思うが、すぐに出てこないので、まあいいや。 大設定となる故人の原稿の盗作の件を除けば、事件性や犯罪要素などはとことん希薄な話で、そういう意味ではこれまで読んだチェイス作品のなかで最も普通小説に近い。味わいは、アルレーでシムノンで、ハイスミス、それら全部の作風のミキシングで、ミステリ要素の少な目な感じだ。 タイトルロールにしてキーパーソンのイブは悪女というより、まんま主人公クライブの運命を変えていくファムファタル。kanamoriさんも指摘しているように、実はさほど悪いことはしていない。 イブの魔性でクライブが蟻地獄に落ちていくというよりは、単にイブを触媒にしてクライブという物書き&男性としてのダメダメが浮き彫りにされていく流れ。 正直、クライブはここ数年で出会ったなかで、最大級に読んでいてイライラを募らせられる、そんな男性主人公であった。 うむ。チェイスの狙いがそこにあるのなら、まさにこの作品は見事に成功している。 最後のエンディングはややナナメ上にまとまり、はーん、という感じ。まあある種の余韻はなくもないが、これこそオフビートな感覚のクロージングであった。 1945年の刊行というが、第二次大戦の影はあまり感じられない。明確な時代設定の年数とかは出てこなかったと思うけど、もしかしたら戦前の設定のストーリーだったのだろうか。P155にまだボガートが健在で、最近作を観に行く描写があり、ちょっとしんみりさせられた。読みごたえとしては7点でもいいけど、あまりに主人公が××なので、一点減点。 いや、だから前述のとおり、ソコこそが、この作品のミソなのかもしれんけど。 |
No.1978 | 8点 | バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵 真門浩平 |
(2024/02/23 02:40登録) (ネタバレなし) 連作短編集でもあるし、あらすじは省略。 ノーチェックだったが、文生さんのレビューで気を惹かれ、一読してみる。 ……………………………………………………………………………………(絶句)。 謎解きミステリとしての練度の高さでも十分に評価できる作品だが、その輝きを認めた上で、自分にとっての求心力のコアは、別のところにあった。 一番近い既存のものでいうなら、最後の余韻は、アメリカの1950年代デビューの、あの作家の持ち味にかなり近かった。 良い意味でかなりとんがったものを読ませてもらったという意味で、評点は高めにつけておきます。 一方で本サイトでも、今後、評が割れそうな気配もあるし、さらに言うならこの作者、これ一冊で消えそうな気もしないでもない。 まあ、思うことはあれこれ。 |
No.1977 | 5点 | 殺人狂株式会社 若桜木虔 |
(2024/02/21 18:30登録) (ネタバレなし) 警視庁捜査一課の青年刑事・工藤裕之は、上司の石岡一仁警視から奇妙な指示を受ける。それは港区に在する株式会社「殺人狂」の内偵で、同社は各方面に殺人を代行するとのダイレクトメールを郵送の文書で送っていた。工藤が同社に赴くと、代表と称する妙齢の美女・土門江利子が現れ、彼女は、人道的に正当な理由さえ確認できれば一件1000万円の報酬で報復殺人を行なっている、依頼人が困窮している場合は保険金の操作で報酬をひねりだすとうそぶいた。工藤は直接の逮捕もできない一方、江利子にひそかに一目ぼれしてしまうが、やがて「殺人狂」の犯罪とおぼしき奇妙な変死事件が発生する。 トータルとしては、若桜木センセ、天藤真あたりのオフビートな(そしてうっすらダークな)ユーモアミステリ路線を狙ったか? という感じ。 全十二章の各章の見出しがいずれも「殺人狂~」で始まるちょっとしたお遊びなんかは、クイーンの国名シリーズっぽい。 「殺人狂」組織とその主軸らしい人物・江利子の情報は、捜査本部が共有。犯罪を計画・実行・演出する「殺人狂」と捜査陣との対決の構図になり、その上でいかにアリバイなどの壁を崩せるのか、どの実行犯がどのように実際の犯行を為したのか、のミステリ的な興味が築かれかける。ここらはちょっと謎解きの要素が前に出て、なかなか面白い。 ただまあ、最後まで読むと割とありがちな解法で決着されるし、それ以前に対極する両陣営のうち、捜査陣の側からしかほとんど描かないものだからイマイチ話も盛り上がらない。こういうのって、悪の主人公側の描写もそれなりに(肝心の部分はギリギリまでシークレットのまま)叙述を連ねて、対決ものを期待する読者の緊張感を煽るのがセオリーだと思うのだが。 それなりの意気込みは感じるが、最終的にやっぱりいまひとつホンモノになりきれなかったB級半作品、という印象。ただ作者が意外に「書ける」作家だという認識は、改めて感じた。この評点の上の方で。 |
No.1976 | 5点 | 殺人は展示する マーティ・ウィンゲイト |
(2024/02/19 08:45登録) (ネタバレなし) 数年前に逝去した英国の巨匠ミステリ女流作家ジョージアナ・ファウリング。彼女の遺産と蔵書を母体に創設された文芸団体「初版本協会」で「わたし」こと40岱後半の離婚女性ヘイリー・バーグは、蔵書のキュレーター(鑑定士)を務めていた。協会は外部向けのイベントとして、ジョージアナの生涯と英国ミステリ界の大家たちとの交流を紹介する催事を企画。ヘイリーはその計画の準備を担当し、外注スタッフとして、知己である売れっ子の催事マネージャー、ウーナ・アサートン女史に協力を求める。だがその催事の準備の最中に予想外の殺人事件が発生した。 2020年の英国作品。ヘイリー・バーグを主人公にしたシリーズの第二弾。 前作はかなりメチャクチャにけなしたが、今回は割と面白かった。 nukkamさんがおっしゃっている、楽しめる人はその辺が楽しめるのでは? という催事の準備プロセスでの主人公の奮闘、彼氏の双子の娘との対面ドラマ、その辺りが正にドンピシャでキャラクタードラマとしてなかなかオモシロイ。 (ただしセイヤーズの初版本探しのくだりは、現状で特にセイヤーズという作家に強い思い入れもなく、さらにモチーフの作品『殺人は広告する』も未読なので、あまりココロに響かなかった~汗~。) 犯人と事件の真相に関しては、まあ無難でフツーな線だね、という感じ。動機がらみのとある文芸(P448で明かされるそれに至るまでの伏線)はちょっとだけ面白かったかも。 いずれにしろ、前作よりは全体的にずっと楽しめた。少なくとも前回のような、スーダラな登場人物たちの言動てんこ盛りでイライラさせられることはない。 それでもトータルとしては、依然まだ「まぁ楽しめた」なので、この評点で。 |
No.1975 | 6点 | 警官ギャング ドナルド・E・ウェストレイク |
(2024/02/18 16:56登録) (ネタバレなし) マンハッタン第15分署の「わたし」こと、34歳の三級刑事トム・ガリティー。そして「おれ」ことパトロール警官で32歳のジョー・ルーミス。住宅街で隣人同士であり、ともに家族ぐるみの交流がある二人は、NY市警中に汚職が蔓延し、人間の暗い面、哀しい面を直視する日々の職務にうっすらと疲れを感じていた。そんななか、トムは偽警官の強盗犯罪に着目し、自分たち本職が<ニセ・偽警官>の強盗を演じて行えば誰よりも<本物らしい>犯行ができるのではと考える。折しも署内ではマフィアの大物アンソニー(トニー)・ヴィガノが一時的に逮捕され、保釈されたが、トムはそれを縁にマフィアを故買先に選び、彼らの求める物品を市内から強盗しようと思案した。 1972年のアメリカ作品。 1974年の邦訳刊行時、少年時代にリアルタイムで読んでいるが、しばらく前にネットオークションのノベルズまとめ買いでもう一冊手に入ったので、それを機会に再読してみようという気になる。ウエストレイクの邦訳のなかでもレア本の部類のようで、Twitter(X)を覗くと捜していたとか、見つかって嬉しい、とかの声もチラホラあるが、本サイトでもまだレビューはない。 もともとはユナイト映画から、オリジナル映画の原案を求められたウェストレイクがプロットを提供したストーリーだったが、原書の版元エヴァンス社の編集が、だったらメデイアミックスで小説化して刊行しよう、と声をかけ、原案者自身がその小説版を書いた。これが本作で、要は映画の企画先行という意味では、フレミングの『サンダーボール作戦』などと似通う面もある。 ちなみに評者は、映画はいまだ未見。配信とか映像ソフトとかで、どっかで日本語で観られるのだろうか? 気づいたらあまり意識したことなかった。 なお本作は邦訳刊行当時、SRの会のその年・1974年度の海外ミステリ・年間ベスト(75年の春に実行)のベスト5内にもランクイン。少年時代の評者はフツーに面白く読んだ覚えがあるが、SRの会誌「SRマンスリー」の当時の年間ベストの総評で、「ウェストレイクの中では決してできがよくない作品なのに、ちゃんとベスト入り。やはり概して翻訳作品のレベルは、国内作品より高いのだ!」という主旨のコメントがあり、はて、これで出来が悪いのかな? とも考えたりしていた(まあ、当時の自分は当然ながら若年だったこともあって、まだウェストレイク名義の作品はそんなに読んでなかったが)。 で、改めて再読してみると、う~ん。当時のSRのくだんの会員氏の感慨も、今さらながらにわからないでもないなあ……という実感。 いや決して出来が悪いとは思わないし、フツーに二時間ちょっと楽しめるのだが、なにせもともとが二時間前後の映画用のプロット。意識的にお話をあまり広げず、シンプルにまとめた感じが強い。ギャグやユーモアも全編にうっすらとあるけど、作者のノリの良いときの過剰な暴走感はほとんどないし。 主人公コンビの一人称の切り替え、さらに三人称の混交、など、小説的な技巧はそこそこ感じるんだけどね。 本作はある意味で、作者(映画の原作原案者)自身による公式ノベライズという立場で書かれた一冊ゆえ、小説は小説で別もの、的にできなかった面もあるのかとも考えた。 これが他人の創案、創作のプロットや別人の原作の映画をあらためてさらに別の作家がノベライズするなら、編集者や版権元ほか関係者の許可の範囲で、かなり大幅にいじくることもあったのじゃないか、とも考えたりする。そういう場合の方が、小説の書き手が「小説は小説で別の面白さを感じさせてやる」と気概を見せることも多いでしょ? よく言えばコンデンスにまとまった、悪く言えば曲のない話で、小説単品を読んでの感想を語れば、トータルとしては佳作の上、という感じ。今後古書にそれなりのお金を払う人は、そのつもりで購読されるのがよいと思う(一方で、決してつまらない作品でも凡作でもなく、フツーにそこそこ楽しめはするが)。 ちなみに劇中で被害にあうNY市内の大手商会の要人の名が「レイモンド・イーストプール」。当時、翻訳が出る前にミステリマガジンの連載で、原書を先に読んだ(映画をすぐ観た、だったかな?)アメリカ在住時の木村二郎さんが、「ウェストレイク(西の湖)」のセルフパロデイのネーミング(東の沼)だと大笑いしていたのを思い出したが、今回改めて読んで、商会そのものの名前が「パーカー、トビン、イーストプール商会」なのに気づいてさらに笑った。「悪党パーカー」や「刑事くずれミッチ・トビン」ファンには説明は不要であろう。その辺の地口ギャグは、さすがウェストレイク。それっぽい。 |
No.1974 | 8点 | アトランティスのこころ スティーヴン・キング |
(2024/02/17 10:09登録) (ネタバレなし) 1960年のコネティカット州。幼い頃に父ランダルと死別した11歳の少年ボビー・ガーフィールドは、地元の不動産会社に勤務する未亡人の母リズとアパートに暮らしていた。だがそこにテッド・ブローディガンと名乗る60歳代の老人が入居。テッドと親しくなったボビーは彼から読書の楽しみを教わるが、そんなテッドにはある秘密があった。 1999年のアメリカ作品。 上下二冊で合計1000ページを超えるいかにもキングらしい長編だが、二日で一冊ずつ読了した。例によって読み出すと止められない。 2002年に映画化もされているみたいだが、評者は未見。脚本がウィリアム・ゴールドマンだそうで、同人は以前に『ミザリー』の原作の良さを引き出せなかったシナリオを書いているので、いささか不安である。 で、その映画版もあるので本作の大ネタはけっこう未読の人にも知られているかもしれないが、一応ここでは黙っておく。ちなみに評者は別筋で、一番の大きな趣向については知っていたが、それでも十分に面白かった。 以下、ギリギリまで書いていいだろうということのみ語るが、文庫版の上巻一冊が1960年を時代設定にした第一部で、これだけで十分に優秀作の長編小説。少年の日のある種のときめきが主題なので素直に『スタンド・バイ・ミー』を想起してももちろん良いが、個人的にはまんま、フレドリック・ブラウンのエド・ハンター&アンクル・アムの世界をキングが書いたらこーなる! であった。つまり私にとって主題と作者の最強最高クラスのマッチングで、本当に面白い。 で……(以下略)。 それで後半、文庫版の下巻は、少しずつ時代が現代に近づいていく設定の中短編が連作的に並べられ、上巻の長編第一部とあわせて全部で5パートの物語の流れが本作『アトランティスのこころ』というひとつの小説世界を築く。 順当に長ければ長いほど良い、面白いという感じで第一部、第二部に関しては文句ないが、第三部の短編は、一見すると「ん?」という感触。ただまあ最後まで読むと、短い短編小説風のパートの役割もわかる。単品としてはそのパートはあまり面白味はないが。 (それでも第四パートは、ちょっといいかな?) 話をまとめにかかる最終パートは良くも悪くも、ああ、そう来るのね、という感じで大きな驚きも感銘もないが、それでもしみじみとした情感と余韻のなかで決着。 ちなみに映画は第一部とこのエピローグ的な第五部だけで構成してあるらしい。そんな話を聞く限り、順当な作りというか、構成上のアレンジなんじゃないかな、とは思える。 1960~70年代にベトナム戦争の波及をリアルタイムで実感した当時のアメリカ人にこそ直球、という作品だが、作者キングの筆遣いは普遍性を込めて全世代に「他人の人生は共有なんか絶対にできないが、互いの接点のわずかなつむぎ合いにこそ意味がある、価値がある」という主題を訴えている感じ。その意味で、特に読者を限定する作品ではなかった。繰り返すが、第一部も第二部も、実にキングらしくて読みごたえがあり、そして心に響いて面白い。 ……で、その上で、この作品を本当に楽しむには(以下略)。 またいつか<そういう興味とそういう視座>で、この作品を読み返すこともあるのかな? そこに行くまで、かなり長い道筋になりそうだけど(汗)。 |
No.1973 | 7点 | 人類法廷 西村寿行 |
(2024/02/15 13:27登録) (ネタバレなし) 1983年9月15日。長野県の山中を運行中の観光バス三台が、いきなり謎の狙撃者から連続で銃弾を浴び、運転手が死亡した先行車が崖の下に落下。急停車した後続のバスから逃げる乗客や乗務員も射撃された。現場は死者105人、負傷者54人の大惨事となるが、犯人の「東洋スポーツ」元社長・沼田光義は、近隣のホテルに押し入り、若妻を凌辱している最中に逮捕された。だが沼田は長野地裁の公判では、アルコール酩酊で心身鈍弱状態だったとして刑法39条による無罪が宣告された。これを不服とした被害者たちは、老いた両親を殺された政治家・柿丘五郎をリーダーに被害者同盟を結成。沼田の実家の会社・東洋スポーツに損害賠償を起こそうとするが、母と妻子を殺された雑誌編集者・真琴悠平は加害者の家族もまた苦しんでいると反対。真琴の意見に賛同した、両親を殺された女子高校生・岩波直美ほか数十名の声をまとめる形で、妻と孫を殺された老資産家・神崎四郎は法規ではなく人類の名において沼田を裁く有志団体「人類法廷」を結成する。だが事件の真実を、そして沼田の内面をさらに探ろうとする人類法廷の活動の向こうで、何者かが沼田を警察病院から連れ去った。 徳間文庫版で読了。 主題から、寿行版『法廷外裁判』(実はまだ未読)か『七人の証人』(こっちはさすがに読んでる)みたいなハナシかと思っていたら、序盤の展開を経て謎の? 第三勢力が登場。その素性はすぐにわかるが、ストーリーはあらぬ方向へと転がっていく。 司法組織やときにマスコミ、そして犯罪者たちと対抗しながら事件の奥にある真実を追い詰めていく「人類法廷」の面々だが、彼らもまたあくまでメインキャラクターの一角にすぎず、小説の描写は多彩な三人称視点を活用しまくり、自在にあちこちの場面を転々とする。途中から人類法廷側のメインキャラの増員も行なわれ、直接、被害者の仲間ではないが、人類法廷の活動に関わったことから中盤以降、大活躍する左脚が義足の元・新潟の刑事・念沢義介は特に印象に残るキャラ。人類法廷内のメンバーで、荒事を担当する元自衛隊員・雪江文人の敵陣での潜入工作の描写もなかなか強烈。 寿行らしいおなじみのエロバイオレンスは冒頭の若妻への暴行シーンをはじめ随所にあるが、それでも全体的には多数の寿行作品のなかでは、独特の風格を感じさせる内容。良くも悪くも、最終的な物語の到達点には、軽く唖然とさせられた。 つづら折りの物語を剛腕でドライブさせる作者の筆力はさすがで、冷静に考えればさすがに強引な箇所も各所にあるのだが、読んでいるうちはさほど気にならない。 独特なテーマへの接近、読み手の予想を裏切って話を転がしていく寿行らしいパワフルな作劇さなど、相応の手ごたえは感じる一冊で、佳作~秀作。 |
No.1972 | 5点 | カラス殺人事件 サラ・ヤーウッド・ラヴェット |
(2024/02/15 02:54登録) (ネタバレなし) その年の8月25日。英国の片田舎ベンドルベリーで、まだ26歳の新妻で荘園領主のソフィ・クロウズが何者かに殺害された。地元警察のヴァル・ジョンソン女性警部、そしてジェームズ・クラーク巡査部長は、事件当日に被害者と面談する約束をしていた33歳の生態学博士でコウモリ研究が専門のネル・ワードに疑惑の目を向ける。だがその一方で、ジェームズは美人のネルに内心で一目ぼれしてしまった。 2022年の英国作品。 邦題にカラスとついていて、主人公が生態学者(本作では動物学者と同意)というから鳥類のカラスが事件の主題かモチーフになる内容かと予期したら、とんでもない。被害者の名前がクロウズ(複数のカラス)だから、それだけの話だった。 2020年代に甦ったキーティングの『パーフェクト殺人』(完全殺人ではなく、パーフェクトという名前の被害者が殺されかかる)か(笑)。 単純に? 美人生物学者というだけではなく、あるパーソナリティを持った女性主人公ネルのキャラクターが掘り下げられ、同時にジェームズ刑事やネルの同僚のインド系学者アダム・カシャップとかの三角関係に筆が費やされる。そのほかにも総数50人以上のネームドキャラの動向が語られるが、一応は事件や捜査の方の進展もあるのでミステリ要素が忘れられたわけではない。 ただまあ演出としてミステリの結構やサプライズ、伏線なんかにあまり重きを置いてる作品とは思えず、キャラ描写やコウモリ関連の理系トリヴィアで読み手を楽しませようとしている感触。 正直、評者にはあんまりノレなかった。主人公ヒロインのネルのキャラは良くも悪くもない、まあ普通という感じ(それでもキモの文芸の部分だけは、さすがにちょっとキュンとなったが)。 ぶっちゃけ、Amazonでの総じての高評の獲得ぶりが理解できない。犯人もなんというか、実に普通だったし。すでに原作シリーズは6作まで書かれ、邦訳も第二弾が近々に出るみたいだけど、実際のところ、あんまり食指は動かないのであった(汗)。 |
No.1971 | 6点 | はじめて話すけど… 小森収インタビュー集 評論・エッセイ |
(2024/02/14 15:51登録) (ネタバレなし) 新刊の文庫版で読了。 「~傑作である。」小森収のことは、書評家&ミステリ研究家としてはそれなりに評価している(実作者としては、残念ながらダメダメだったが・汗)。 なのでどーにも、このヒトのインタビュー集ならと、事前の期待値が爆上がり。その結果、全体的に良くて当たり前。物足りないところや興味の接点がないところを減点する部分が強調されるという、あまりよくない読み方をしてしまった。 各務三郎(太田博)に関しては、なんで世界ミステリ全集の話題を聞いてくれなかったんだろう。 ほぼ満足したのは石上石上三登志くらいであった。あと三谷幸喜は『スパイ大作戦』談義の箇所がケッサク。これは同番組ファンなら必読のインタビューだと思う。 松岡和子あたりに関しては、インタビュアーが会いたかったのはわかるが、ちょっとこのまとまりのインタビュー本、インタビュー企画路線のなかで取材するのは人選ミスではないか? と、狭量で無教養な自分などは思ってしまった。とはいえいきなりトクマノベルズ版の87分署の話題などが出てくると、ミステリファンとしてコーフンする。 で、小森、なんでそこで、当時いきなりなぜ2冊だけ、87分署の翻訳権を徳間が横取りしたのか、ファンなら誰もが当時驚いて気になった裏事情を訊かない? 聞いてインタビュイーが答えられない(事情を秘匿したい)場合はその旨の会話を書いてあることも多いんだから、そーゆー記述ができるハズだ(まあ、個々の取材対象側の方のチェックで削除した可能性もあるが)。 得点的にはもちろん幅広い世代のミステリファンが読んでおいてソンはない一冊ではあるが、一方でその随所の中途半端さゆえ、アレコレとフラストレーションがたまる面も無きにしも非ず。 |
No.1970 | 7点 | おかしなおかしな大泥棒 テレンス・ロア・スミス |
(2024/02/13 05:57登録) (ネタバレなし) 1966年12月。アメリカのイリノイ州。高給取りの会社員で31歳のブ男ウェブスター・ダニエルズは、突然脱サラした。かたや大学時代からの恋人だった彼の妻リーナも現在のウェブスターが男性として退屈だと言い放ち、強引に離婚する。だが実はそんなウェブスターにはゆるい日常から抜け出て、上流階級の金品を狙う怪盗という第二の人生を歩むというひそかな目標があった。ウェブスターは盗みに入った不動産界の大物ユージン・ウォーカーの自宅から、かなり大量の汚職の証拠を発見。ウォーカーを脅迫して仲介役を求め、地元の上流階級の面々に仲間入りする。こうしてさらに金持ちたちの情報を得るウェブスターは、盗みの現場にチェス関連のアイコンを残していく謎の「チェス泥棒」として、どんどん活動の幅を広げていくが、ひょんな縁から「シカゴの社交界の魔女」と称する24歳の美女ローラ・デヴローが彼の恋人、そして盗みのパートナーとなる。荒事をギリギリ避けながら順調に怪盗稼業を重ねていくウェブスターとローラだが、そんな彼らの前に、52歳の辣腕保険調査員デイブ・ライリーが立ちはだかった。 1971年のアメリカ作品。 作者テレンス・ロア・スミスに関しては、本邦にこれ一冊しか翻訳されていないし、しかも本作も1973年の映画化&日本での公開に合わせてその流れで翻訳刊行されたもの。角川文庫版は昭和48年1月10日の初版。 原題「The Thief Who Came to Dinner(夕食に来た泥棒)」で英語のウィキペディアを検索すると、作者の生年は1942年。1988年12月7日に自動車事故で46歳の若さで亡くなったらしい。 (ところで父親がチャールズ・メリル・スミスというが、まさかあの「ランドルフ師」シリーズの作者か?! だとしたら、初めて知った! ←すでにどっかでその情報読んでいて、すっかり忘れてる可能性も大だが・汗。) 内容はかなり軽妙なクライムコメディ(70年代前半、ポルノ解禁後の~21世紀の今となっては、明るくゆるい~セックス描写も横溢)で、評者の狭いミステリ読書遍歴の中からあえて近いタイプを探せば、エヴァン・ハンターのケッサク『ハナの差』辺りか。あと、ウェブスターとローラ、主人公カップルの関係はジェラルド・A・ブラウンの秀作『ハロウハウス11番地』なんかも思わせる(向こう程シリアスではないが)。要はね、青木雨彦さんの「夜間飛行」「課外授業」のネタ本の世界だよ……といって、世代人以外に通じるだろうか。まあいいや(笑)。 主人公ウェブスターの怪盗稼業がホイホイうまくいきすぎるのは、正に、これはそういうリアルファンタジーだから、で済むハナシで、ここで怒ってもしょうもない(それでも終盤にそれなりのピンチに陥るが)。 むしろこの時代のエンターテインメントノワール・ミステリとしては、あっけらかんとしたポルノ描写(盗んだ宝石を欧州の故売屋に届けに行くセスナ飛行機のなかで、ローラとエアセックスをするくだりに艶笑)とか、ほかの主要人物もふくめて、男女たちのくっついたりくっついたりの連続とか、どこかオフビートなノリの良さに心地よさを感じる。 くわえて中盤から登場する敵役の保険調査員ライリーが後半には第三の主人公といえる比重になっていき、その枯れた中年キャラクターもなかなか魅力的。ウェブスターとライリー、最終的にどっちがどう勝つの? 結局主人公は捕まるの? 死ぬの? という興味で順当にグイグイ引っ張っていく。 ラストがどう決着するかはもちろんここでは書かないけど、まあね、うん、という感じに落着。個人的には不満はない。 まあヒトによっては軽い読み捨て娯楽作品、程度の一冊かもしれないけど、細部の随所の小説的な味わいもあって、こーゆーのも評者はスキだったりする。 ちなみにウェブスター主役の続編は1975年にもう一冊書かれたらしい。もちろん未訳だけど(うー)。 なお映画は主人公の名前を「ウェブスター・マッギー」に変えて美男ライアン・オニールの主演で映像化。 原作では序盤からブ男と何度も自他ともに連呼されて(ハゲでもみあげでヒゲの男だ)、盗みで儲けたカネで植毛したり、小規模な整形をしたりして容姿を少しずつ整えていく主人公のキャラなので、まるでイメージが違う。評者は映画はまだ未見だけど、先に映画から観てそのイメージでこの原作を読んだヒトはかなりアレだったのではないかと。 (まあローラ役が、黄金期のジャクリーン・ビゼットというから、今からでも観たい! という気には改めて、なってきた。ただし日本語版DVDもまだ出てないらしいが。) あと翻訳はフォーサイスの篠原慎なので一流の座組だが、本当に地の文までちゃんと全部訳してくれているのか? と思うくらい、省略法の効いた(一応いい意味で)叙述で、ポンポン弾んでスイスイ流れるように話が進んでいく。のちの「超訳」めいたことだけはしてないことを願いたい。いやまあ、まったく疑う根拠はないんだけど。 最後に、小説は冒頭からレン・デイトンやスタウトの引用で始まり、各章の最後に当時の現代ミュージックの曲名をイメージ的に入れるなどけっこうオシャレな演出。洋楽の方は全然詳しくない評者だけど、そっち方面がスキな方は機会があったら覗いてみてください。 |
No.1969 | 7点 | 孔雀屋敷 フィルポッツ傑作短編集 イーデン・フィルポッツ |
(2024/02/13 03:10登録) (ネタバレなし) 意外にも巨匠フィルポッツの、初の日本語での短編集だそうである。内容は独自に編集。そういえば確かにこの人の邦訳の単独書籍は、長編しか見たことなかった。 6編を収録。 以下、簡単に感想&メモ。 ・「孔雀屋敷」(1926年の短編集に収録) ……35歳の独身の女教師ジェーン・キャンベルは、デクオン州に住む彼女のゴッドファーザーで亡き父の友人だった85歳の古老ジョージ・グッドナイフ将軍の家で、休暇を過ごす。だがジェーンは近くの「孔雀屋敷」で世にも不思議な状況に出会う。 オカルト要素を仕込んだ奇譚風のミステリ。骨組みのしっかりした話で、なかなか。良い意味でおとぎ話っぽい。 あーそーいえば、確かにこれ、旧訳が「日本版ヒッチコック・マガジン」に載ってたな。たぶん読んでなかったけど(汗)。 ・「ステパン・トロフィミッチ」(1926年の短編集に収録) ……ロシア文学の短編風の物語。終盤でミステリに転調するが、それがなかなか鮮やかというか心地よい。猫への虐待描写が不快。 ・「初めての殺人事件」(1921年の雑誌初出) ……運命はふとしたことから……テーマのミステリ。なんかこれも、苦いおとぎ話を読むような面白さがあった。 ・「三人の死体」(1921年の雑誌初出) ……乱歩のアンソロジーに収録の「三死人」の新訳。そーいや、たぶんこれも読んでなかったなあ。「初めて~」路線の、当人は一本筋を通したつもりで、周囲に迷惑がかかる話……というか。足で調べまわり、真相に迫る主人公の描写と、終盤の(中略)。これもイケる。 ・「鉄のパイナップル」(1926年の短編集に収録) ……イカれた男のイカれた話。狙いはわからんでもないが、本書中では一番つまらなかった。フィルポッツのおなじみの主題っぽい? そうといえばいえるかもね。 ・「フライング・スコッツマン号での冒険」(1888年) ……小冊子の形で単独刊行された短編(短めの中編)だそうで、フィルポッツのいちばん最初の著作(著書)といえるものらしい。ディッケンズの世界のコンデンス版みたいな内容で、なかなか面白かった。 書籍一冊のジャンル的には「三人の死体」だけが、まあ「本格」といえるかで、これ(短編集まるまる一冊)なら「短編集(分類不能)」が適当だと思えます。 総じて、少年時代に学習雑誌の別冊付録で、ジュブナイルにリライトされた海外の名作に出会い、ああ、ミステリって面白い! と感じたころの初心的なトキメキに再会するような作品ばっか。 そういうのに何を今さら、的に価値を見出さない人(それはそれで健全だと思うが)にはあまり意味のない一冊かもしれん。でもね、私にはこの原石ゴロゴロみたいな感触が、とても心地よかった。 というわけで個人的には、予想以上に楽しい中短編集でした。100点満点で70点とか80点の意味合いでの7点じゃなく、二重丸とか花マルという意味での7点かもしれんけど、とにかくこの評点で。 同じ作者のこの路線の続刊も出てくれればいいなあ。 【2024年2月13日21時追記】 ジャンル分類の投票で、[ 短編集(分類不能) ]への改訂にご協力くださいました有志の方、ありがとうございました(大感謝)。 無事におかしくないジャンルになったので、本文を部分的に改訂いたしました。御了承のほどをお願いいたします。 |
No.1968 | 8点 | 地雷グリコ 青崎有吾 |
(2024/02/11 19:51登録) (ネタバレなし) 前半は、悪くはないが、そんなに評判ほどにイイかな……? という感触。 だが第3話で<ソッチ>の方向に舵を切ってから、ハジけた。 そして星越高校(&絵空)との対決編である山場の第4・5話は、怒涛の勢いであった。 クライマックスは、青春ドラマとしてのまとまりの良さにも涙が滲む。 でもベスト編は第5話と僅差で第4話。 勝負が決まる瞬間の真兎の、地味にサディスティックな物腰がたまらない。 当然ながら青崎先生は続編シリーズを書く構え満々のようで、これは楽しみ。今後は異性の恋愛からみのライバルとかも出て来るんだろうなあ。 |
No.1967 | 5点 | ゴア大佐の推理 リン・ブロック |
(2024/02/11 09:50登録) (ネタバレなし) 1922年秋の英国。第一次世界大戦に従軍後、中央アフリカの現地で民俗学の調査に加わっていた探検家「ウィック」ことワイカム・ゴア大佐は、9年ぶりに母国に戻った。43歳の彼は少年時代から妹のように接していた女性で、今は30歳の人妻バーバラ・メルウィッシュの住む住宅地リンウッドを訪問。バーバラと再会したのち、彼女からその年の離れた夫で医者のシドニーを紹介される。さらに多くの知己と旧交を温め、そしてそこから交流の輪を広げるゴアだが、リンウッドの町にはある秘密が潜んでいた。やがて事態は、一人の人間の急死へと連鎖し……? 1924年の英国作品。ちょうど丸々一世紀前の、長編ミステリ。 名のみ聞く(一応、長編はすでに一冊、訳されているが)作者リン・ブロックの代表作で、ヴァン・ダインやセイヤーズが(たしか乱歩も)話題にした「ゴア大佐」シリーズの第一弾。 ワセダ・ミステリクラブ出身(森英俊などと近い世代らしい)の翻訳家で、近年はヴァン・ダインの新訳改訳などを精力的に行なっている白石肇が自費出版の形で、まったく新規に発掘翻訳したこれまで未訳の一冊。 こーゆーものを半ば同人出版(でもAmazonで買えるぞ)で日本語にしてくれる企画力は本当に頼もしい、素晴らしい、嬉しい。評者は本シリーズの既訳作『醜聞の館』はまだ手付かずだったので、これはラッキーと、このシリーズの1冊目から読んだよ。いや、前述のとおり、少年時代から正に名前のみは聞いて、あちこちで(?)タイトルは見ていた作品だったんで。 ただまあ、正直、中味は良いところと、う~ん……な部分が相半ば。 こなれた翻訳の流麗さはあってお話そのものはスイスイ進むが、一方で随所で、え、そっちの方向に行くの? とか、さらには、またその話題というか案件にこだわるの? というジグザク&足踏み的な筋運びがどーも気に障る。 で、巻末の訳者による解説を本編の通読後に読むと、ヴァン・ダインも、大枠では作品をよく書けている、犯罪も工夫されてる、とホメる一方、話が重たくてくどい、と苦言を言ってたそうで、自分の感想も正にソレ(笑)。 いや、正直、最後に明かされる真犯人の設定というかアイデア自体は、かなり驚かされました! ただまあ、それが伏線や手掛かりを追い求めていくフーダニットのパズラーの醍醐味になってるかというと、う~ん……。 あと、バイタリティたっぷりに飛び回る主人公ゴア大佐のキャラクターはいいんだけど、この設定、題材なら、もっと敷居の低い庶民派メロドラマベースにしてほしかったなあ、という気分。これを読むとフリーマンとかクロフツとかが、同じ地味系でも、ちゃんと全般的にエンターテインメントしてるのがよくわかった。 つーわけであまり高い評点はあげられませんが、それでもそれでも、とにもかくにもこんな何十年ものあいだ日本のミステリファンにとってマボロシだった作品、引っ張り出して翻訳してくれたこと自体が感動で偉大な成果です。 しかも既訳の第三作『醜聞の館』に続くシリーズ第二弾の方も白石氏は翻訳を考えているというから、やっぱりウキウキしてくる。 今度はもうちょっと、ミステリとしてお話として、楽しめればいいなあ、というトコで。 |
No.1966 | 7点 | 抜け首伝説の殺人 巽人形堂の事件簿 白木健嗣 |
(2024/02/10 07:13登録) (ネタバレなし) 三重県四日市。その年の冬、一人の女子中学生が、老人の首が夜間に空中を飛翔する怪異を目撃した。それから少しして市内の老舗の酒蔵・加賀屋をまだ22歳のからくり人形師・巽(たつみ)藤子が訪れる。人間国宝だった人形師を亡き祖父に持つ藤子は、加賀屋の当主で当年70歳の蔵之介から頼まれ、からくり人形「現身(うつしみ)」を修理しに来たのだ。加賀屋の中年女性の従業員・早川が藤子を迎え、その夜、加賀屋では藤子や近隣の同業者を交えた宴が開かれるが、惨劇はそのあとに起きた。 確かにあまり新しいものはないのだが、本文一段組・約200ページ前後の程よく短めの紙幅は心地よいリーダビリティに直結し、最後まで楽しく読めた。江戸時代の故事にまで広がる物語の組み立て具合は、現在形の殺人劇と危ういバランスの一歩手前で、独特の均衡感を抱かせる。 思い付きで言葉を選ぶなら、昭和のB級パズラーの佳作の器のなかに一級半の2010年代以降の新本格を押し込めた感じ。 名探偵役の藤子の軽妙かつ陽性のキャラクター(でもちゃんとシリアスな奥行きも作者が計算的に設けてある)は、いかにも映像化栄えを視野に入れた感じだが、それら全部を見やった上で、なかなか魅力的。カリカチュアされた性格設定のワトスン役・早川の造形もよい。 この副題&最後のまとめ方から当然シリーズ化はするのだろうが、ちょっと楽しみにしておこう。 |
No.1965 | 7点 | 案山子の村の殺人 楠谷佑 |
(2024/02/09 15:53登録) (ネタバレなし) 2022年の初め。「僕」こと創桜大学の学生・宇月理久は、同い年の従兄弟、そして学友でもある篠倉真舟と合作し、高校時代からミステリ作家「楠谷佑」として商業出版で活躍していた。そんな二人は同じ大学の友人・秀月旅路の誘いで、彼の実家である秩父の「宵待村」にある温泉宿「宵待荘」に2月4日から8日まで投宿することにする。宵待村は秩父の山奥にあり、吊り橋のみで外界と繋がる、案山子製作で知られた場だ。そしてそんな山村で理久と真舟を待っていたのは、世にも不可解な<密室殺人>だった。 たまたま作中の物語の大筋と、ほぼ同じ日付で読んだ(笑)。こーゆーことも、タマにはあるもんである。 SRの会でのウワサで、クイーン(ロジック)、カー(密室殺人)、さらにクリスティーを思わせる趣向「あの(中略)の意味は?」まで全乗せというので楽しみにしていたが、さすがにもう著作も多い書き慣れた作者ゆえ、それなりに厚めの話をスラスラ読ませる。登場人物も紙幅に比例してちょっと多めだが、各キャラクターのくっきり感がかなり明快なので、読者的にもストーリーへの密着感がかなり高い。 トリックは昭和30年代の旧「宝石」の新人作家を思わせるようなもの(具体的に前例のあるものに類似とかじゃなく、センスの意味合いで)だったが、被害者を誘導するあたりの手際にからむロジックとかはなかなか面白かった。前述のクリスティーっぽいところもそこそこうまくいっているとは思うが、一番の得点部分はその辺の名探偵コンビの思考のありようだろう。 最後に明かされるホワイダニットの真相は思う所も多く、それこそ三大巨匠の一角にも通じて余韻も大きい。まああれこれ語るのは控えるが、ここも本作の勝負ポイントのひとつであったろう。 弱点……といえるか、気になったのは、結局は(中略)の件など、要はただの偶然? めいたものだったこととかな。まあミスディレクションの仕込みとしてアリか。作者もお約束を自嘲する余裕もあったみたいだし。 作中の随所で出て来るミステリのトリヴィアも楽しく、まずは良作。SRのベストで昨年の5位までには入らなくてもいいが、10位までには入ってほしい、そんな一冊。シリーズ化ももちろん希望。 |
No.1964 | 7点 | 死者を鞭打て ギャビン・ライアル |
(2024/02/08 08:02登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと元英国陸軍情報部少佐で、今は保安コンサルタントの身であるジェームズ(ジェイミー)・カードは、フランスの田舎町で海上保険会社「ロイズ」の重役マーチン・フェンウィックを護衛していた。だが何者かによって依頼人フェンウィックを射殺され、後には一冊の絵本が遺された。依頼人を守れずプロの矜持を傷つけられたカードはフェンウィックを殺した犯人と、そして事件の実情を探ろうとするが。 1972年の英国作品。ライアルの第6長編。 冒頭の場面、カードが重傷を負ったフェンウィックを抱えて救急車を大声で英語で呼びかけ、慌ててフランス語に切り替える場面は強烈に印象に残っており、あれ? この作品、一度、読んでいたかな? とも思ったが、途中まで読むころにはたぶん完全に、やっぱり未読、と判明する。数十年前にはポケミス版で序盤だけ読んで、何らかの事情で中途でストップしていたのだろう。 今回は一年ほど前にブックオフの100円コーナーで見つけて買った、帯付き初版のHM文庫版で、最後まで通読。文庫版で500ページ以上の大冊(ライアルでも最長)で二日かかったが、後半は300ページをほぼ一気読みであった。 (つーわけで、我が家のどっかには未読のままのポケミスがまだどっかに眠ってるな。そっちの旧刊、すまん。) この時期の英国冒険小説界はマクリーンがそろそろ盛りを迎え、一方でフランシスやヒギンズ、バグリィなどが盛況。もちろん巨匠イネスも健在な上、さらに日本読者目線ではジェンキンズやカイルやアントニー・トルーあたりも続々紹介という、正に極楽カオスな状況。 言い換えれば、謀略に挑む冒険という大枠のなかで、良くも悪くも作家性が平均・均質化されていってしまった部分もあり、悪く言えば、とにかく内容が(一冊一冊はそれぞれ面白いものの)似たりよったりの側面も感じないでもない。はっきりブランドを持ちえたのは、競馬スリラーのフランシスと、ほぼ最後まで自然派冒険小説作家だったイネスくらいではないか? (いやまあ、この辺ももっともっと子細な観測が必要ではあるんだけど。) つーわけで本作も、長尺をダレずに読ませる筆力の勢いこそあれど、死んだ依頼人が遺した絵本というマクガフィンをネタに牽引される謎の興味とか、正体の見えない敵との抗争のなかでの立ち回りとか、マクリーンみたい、バグリィみたい、フランシスのプロ主人公系作品みたい……という感慨でいっぱい。 いや『深夜プラス1』も『もっとも危険なゲーム』もあるのだからライアル=航空ものという単純な等号じゃないのはわかっているし、この『死者を鞭打て』の前の『拳銃を持つヴィーナス』がハードボイルド系の秀作(あのクロージングの余韻は今も大好きだ)だったんだから、作風のふり幅の広さはわかっているんだけどね。 いずれにしろ物語としては大ネタが中盤で明らかになってから加速度がマシマシ。キャラクターシフトも適度に整理され、適度に読者を欺き、いい感じに転がっていく。ノルウェーに二回にわたって向かう描写の丁寧さなど、いささか書き手の饒舌感もないではないが、キツくなる寸前で筆のノリを切り上げる匙加減はなるほどうまい。 まあ他の作家だったらフタケタくらい冊数を書いて、この辺の手慣れぶりに行きそうな感じだが、まだ? 6冊目でこの円熟感なんだからやっぱりライアルってスゴイ、のかもとも思う。 この時期のライアル作品での心への引っ掛かり度では『ヴィーナス』の方が今でもずっとスキだけど(まあ現在、もう一度読み直したらわからないけどな)、ライアル調ハードボイルドのエンターテインメントとしては、本作も十分に佳作の上~秀作。 劇中で何回か、お前は私立探偵か? と訊かれて、あくまで保安コンサルタント(のしくじった仕事のケジメ)だ! と言い返してるカードの図に微笑む。 あ、あと弾十六さんがスキそうな描写として、拳銃のライフルマークを変えるため、弾丸を五十発連続発射して条痕を変化させる、という描写があった(文庫版P279)。こーゆーの本当にできるのだろうか? まあ作者もウソは書いてない? と思うけど。 【追記】 そういえば終盤に結構な? サプライズが用意されていたが、原書の刊行年、また英国冒険小説スリラーの系譜を想うと、ちょっと ん? となるものであった。他の作品もふくめてネタバレになるから詳述はできないが、少し記憶に留めておきたい。 |
No.1963 | 5点 | 贖いの血 マシュー・ヘッド |
(2024/02/06 03:11登録) (ネタバレなし) その年の春。「僕」こと25歳の新鋭画家で美術研究家のビル・エクレンは、ハーバード大学の学友だった英語講師トム・シェーンの紹介で、カリフォルニアにある大邸宅「ハッピークロフト」の敷地の一角にある私設美術館の管理人となる。ハッピークロフトは、莫大な資産を有する70歳代の未亡人ジムソン夫人が女主人だ。ビルは夫人の孫娘アン・ベスや夫人の友人の取り巻き連中などとともに、屋敷に住み込みの生活を始めるが、次第に、売れない詩人オジー・メイソンの妻で、40歳代ながら若々しいバーバラと惹かれ合っていく。そしてやがて、予期せぬ惨劇が。 1943年のアメリカ作品。 なかなか事件(殺人)が起きず、主人公ビルの一人称での視点から語られるハッピークロフトに集う者たちの群像劇、そしてメインヒロインといえる? バーバラとビルの関係性の叙述などにかなりの紙幅を費やす。そういう作りそのものは別にいいし、部分的にはなんかチャンドラーっぽい修辞も出てきて、ちょっと読み手をくすぐる(具体的には、P75の「(あなたは)給料日のハンサムな自動車修理工みたいに粋がっている」とか)。 ただし一方で全体的にかなり地味な筋運びでもあり(殺人そのものは結構ショッキングなビジュアルで起きるが)、小説の滋味で勝負しようとしている作品なのはわかるが、実際のところ、冗長なオハナシでツライなあ……というのもホンネ(汗)。 終盤の殺人者の内面というか、動機のありようはこの作品のもうひとつのポイントだとは認めるが、それはそれとして、この決着でいいの? と思わないでもなかった。 (微妙に許せるというか容認したい部分がまったくない訳ではないが、いくばくの葛藤の末に選んだ結末ならともかく、その辺の<あるべき摩擦感>が薄いように思えるので。) ヒトによってはもしかしたら相応にシンクロするかもしれないが、評者にはいまひとつ心に響き切らなかった作品。いや、引っかかる部分は確かにないわけではないんだけどね。 【2024年2月28日追記】 この作品、サンド―の「図書館に入れるべき名作ミステリ」のオススメリストにも入ってたのね。あとから気が付いた。 あと、なんかネットのウワサでは、創元の「世界推理小説全集」の「刊行告知の予告だけされて結局出なかった(別の作品に配本がすげ変った)」作品の一冊でもあったらしい。そっちの方は評者は未確認だが、たとえばもし「世界推理小説全集」のどの作品(どの巻)の巻末リストとかで、見られるのか? とかすぐに分かる方がいたら御教示ください。よろしくお願いいたします。 |
No.1962 | 7点 | 十二月の辞書 早瀬耕 |
(2024/02/03 14:27登録) (ネタバレなし) その年の2月。札幌の大学に所属する30歳代半ばの教員でAI研究者の南雲薫は、15年ぶりに連絡を受けた元彼女で、現在は東京で人気イラストレーター「リセ」として活動中の栗山から、ある依頼をされる。それは栗山の母を愛人にしていた「函館銀行」の元頭取で、栗山の実父でもあった故人・深島清史郎の遺した別宅から、彼が描いたはずという娘=栗山の絵を探しだすことだった。実質的には書庫または書斎といえる、函館にある深島の別宅に乗り込んだ南雲は、ひょんな縁からそこに現れた同じ大学の女子大生で面識のある佐伯衣理奈に再会。栗山の了解を得た上で、佐伯と二人で捜索に当たるが。 早瀬作品は10年前の新刊刊行当時に、長編『未必のマクベス』を読んだのみである。 『未必の~』は独特の癖がある作品で、全体を楽しみ切ったとはなかなか言い難い一冊だったが、全編に漂うある種の詩情めいた感触、そしてミステリとしてのかなりの大技の向こうに覗く、とある劇中人物の内面に、強い手ごたえを受けた記憶だけは今でも相応にしっかり覚えている。 その早瀬の8年ぶりの長編が2022年の末に出たというので読もう読もうと思いながら、一年以上経ってしまった。 ちなみに本作は、SFマガジンに2018年に掲載された同題の短編の長編化らしい。 というわけで、いつものように評者が軽く一念発起して読んだ、半ば積読の一冊だが、久々に再会した、いかにも……な文体(流麗で言葉の選び方も丁寧、かつ会話も適度なバランスで読みやすいが、情景描写や人間描写の冴えも踏まえて繊細な世界を築き上げていく)で読み手のこちらをぐいぐいと捕獲。 主人公・南雲の青春時代の回想と現在の捜索パートを往復しながら、じわじわと物語の先へ先へと描写を重ねていく。その一方で南雲ともうひとりのメインヒロインである佐伯との互いの距離感の推移からも目を離せない。 隠されていた? 絵の真相に関しての真実はそれなりの意外性ではあるが、しかしそれが分かる頃には、それは読み手にとってあまり大きな眼目ではなく、重要なのは南雲、佐伯、栗山の主人公トリオの関係性の決着(いわゆる三角関係の幕引きというのとはちょっとニュアンスが違う)であった。少なくとも評者にとっては、そう。 クロージングの余韻までを含めて『未必の~』以上に敷居の低い、しかし煌めき度では決して負けない早瀬作品を読めた、という満足感であった。 が、読後にAmazonのレビューを見ると、南雲と佐伯の出会いの物語はすでに本書の数年前に連作短編集『プラネタリウムの外側』として語られているとのこと。そういえば本作の随所に、思わせぶりな叙述があった。 本当だったらそっちから先に読めば良かったかもしれないが、実働としてこっちを先に読んでも単品の作品として全然問題はなく(二冊読んだ時点で、またその感慨は変るかもしれんが)、むしろ現在はまだもう一冊、この主人公たちの物語をまたいつか読めるのかと、軽い幸福感を認めている。 シリーズ第三冊? このまま終わってもいいとも思うけれど、またいつか納得のゆく形での後日譚が書かれるなら、それはそれでいいなあ、と。 (そーいや、改めて、本作の原型だという短編版の作りも気になるね。) 末筆ながら、ごくさりげなく読者との共通言語で「ハルヒ」ネタを無造作に放り投げているのが笑う。まあ、大体の人が気づくとは思うが。 これも8点に近いこの評点で。 【2024年2月4日追記】 短編集『グリフォンズ・ガーデン』もこの二冊と同じ世界観の内容だったと本日、気づいた。時間的にはそれが一番前日譚になるらしいので、読むのならそこからか。 |
No.1961 | 7点 | 誰が為に爆弾は鳴る トニー・ケンリック |
(2024/02/03 04:07登録) (ネタバレなし) ニューヨークを騒がす、連続予告爆破事件。爆発によって生命を失う被害者が生じたのち、巧妙な手口の謎の爆破魔「アルカ・セルツァー」は、NY市に100万ドルを要求してきた。一方、さる事情から数年前に警察を追われた元敏腕刑事で、今は流行らない税金コンサルタントとして糊口をしのぐ中年男ジーン・チャーターズは、警察官時代の捜査能力を見込んだ謎の男「フリードマン」から脅迫され、命と引き換えに爆弾魔を見つけ、100万ドルを横取りするように命じられた。チャーターズは、同性の恋人を爆殺された未亡人ジャニス・スタンリーや旧知の友人たちの協力を得ながら爆弾魔を捜索し、同時に脅迫者フリードマンへの反撃の方策を練るが。 1983年のアメリカ作品。 ケンリックの第10番目の(?)長編作品。 70~80年代の我が国での大人気はいずこへ? 当サイトでも全然読まれなくなったケンリックだが、まあ時代の趨勢で仕方がないか。たぶん『リリアンと悪党ども』を『SPY×FAMILY』のパクリだと思ってる21世紀現在形の読者も多いだろうし?(笑) で、ケンリック作品もこの時期になると、初期のギャグコメディ味はかなり鳴りを潜め、お話としてはそれなりに面白いんだけど、往年のあの楽しさを想起すると何か物足りない。栄養と歯応えはあるんだろうけれど、調味料が効いてなくて旨味を引き出せていない肉料理を味わってるような気分……というのが中盤までの感触。 いや正直、そんな感じのややアンダーな気分で読み進めていたら、後半は見事な「ハードボイルド」ミステリになってゆくので(スピリット的な意味で)、軽く驚き、これはこれで……! と嬉しくなった。 ミステリとしてのシークレット要素はある程度早めに、カードの裏面がおおむね表を向くが、そこからの主人公チャーターズの足捌きがなかなか骨っぽい。ケンリック、こういう方向で一皮むけてたんだね。今まで後期作品をやや敬遠していたのを、少し反省した。 20~30代に、ほぼリアルタイムで読んでいたら、きっともっと心にうっすら傷を残していたであろう。 まとめ方はやや無責任というかゆるい気もしないでもないが、その辺はケンリックの先行作アレやアレを読んでいるこっちからすれば、まだマトモなもんよ(笑)。 評点は、8点に近いこの数字ということで。 ちなみに読後にTwitter(現・X)で本書の他人様たちの感想を探ると総じて意外に? 評価が高い感触。まあ裏ベスト的に好かれているケンリック作品、というのはなんとなくわかる。 そーいえば、オレの現状のマイベストケンリック作品ってなんだろ? あらためて、結構迷うなあ。少なくともたぶん『スカイジャック』が一位になることはちょっと考えにくいんだけど。 |
No.1960 | 7点 | もしも誰かを殺すなら パトリック・レイン |
(2024/02/01 12:57登録) (ネタバレなし) 米国のペンシルバニア州で、5年前に慈善家の大富豪、実は悪党のジェームズ・フルトンが殺された事件。殺人容疑者として逮捕された新聞記者ロバート・リンデンは死刑になったが、その審理に臨んだ陪審員たちはそのときの縁を継続して、一年に一度は大半の者が集う交流の場を設けていた。だがそんな集いの場の周辺に毎回、恨みがましい視線で出没するのは、ロバートの未亡人エルサだった。「わたし」こと盲目の犯罪心理学者パトリック・レインは、友人で陪審員の一人であるアーサー・コナットに誘われ、今年の集いの場である雪の山荘に、ゲストとして参加。隣人でガールフレンド、そしてやはり陪審員のひとりだった故人ティム・オハラの娘でもあるディアドリ(デリー)を伴って、山荘を訪れる。だがそこでレインたちを待っていたのは、5年前の事件に関わる意外な情報と閉ざされた山荘での惨劇だった。 1945年のアメリカ作品。 今回が初紹介となるシリーズキャラクターの盲人探偵(マックス・カラドスやダンカン・マクレインの系譜の)パトリック(パット、パディ)・レインものの一本。 (翻訳書の解説では明記してないと思うが、nukkamさんのご説明によるとこれが第一弾らしい。) 本文230ページちょっとという短めの紙幅の中で、クローズドサークルものの連続殺人劇を展開し、ちゃんとその時点その時点ごとで随時、生きている連中同士による推理の仮説を交換。話のテンポも密度感もなかなかで、リーダビリティも満腹感も申し分ない。 さらに一人称の主人公探偵レインが目が見えないという大設定もストーリー内のギミックにちゃんと活かされ、一級半の長編フーダニットパズラーとしてはなかなかの出来である。最後の意外性も、自分などにはそれなりのインパクトがあった。 その上で、ネタバレにならないように気を使いながら、あえて苦言を言えば、第三章で明かされる<意外な真実>を登場人物の誰も、そんなの虚言でしょ、悪意のある嫌がらせのウソでしょ、の類のツッコミをしなかったこと(評者の見落としでなければ)。 あとお約束の作劇に文句つけるのもヤボだが、あまりにも連続殺人がスイスイ進行されすぎること。後半に行くに従って生き残り連中の警戒心は加速するはずだし、いくつかの殺人に関しては、いやそこまでスムーズにはいかんだろ、実行犯の方もリスキーだし、と思わされもした(作者がそこら辺についてまったく工夫していない訳でもないのだが……)。 優秀作や傑作とはいいがたいが、佳作~秀作クラスの高評なら十分にオッケー。 創元文庫あたりで出ていたら、昨年内の新刊でのかなりの注目作になっただろうね。 シリーズは続いて訳されるみたいなので、楽しみにしたい。 |