パメルさんの登録情報 | |
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平均点:6.12点 | 書評数:692件 |
No.672 | 5点 | 四日間家族 川瀬七緒 |
(2025/06/14 19:25登録) 物語は夏美が自殺を決意し、ネットで知り合った三人とともに車で山へ向かい、山中で練炭自殺を試みようとするところから始まる。四人はそれぞれに複雑な背景を持ち、当初は互いに反発し合う。夏美は「サークルクラッシャー」と呼ばれ、コミュニティを破壊してきた過去を持つ。長谷部は会社を倒産させ、借金に追われた元経営者。千代子はコロナ禍でスナックを営み、クラスターを発生させた責任を負っている。陸斗は謎めいた高校生で、冷静な策略家。 やがて、彼らのいる山中の近くに車が現れ、しばらくして去った後、森の奥から赤ん坊の泣き声が。赤ん坊を発見した四人は、自殺を先送りし小さな命を助けようと考える。ところが母親を名乗る女性が、SNSに赤ん坊を誘拐されたと投稿した動画により、誘拐犯の汚名を着せられる。 本作はSNS社会の危うさや「正義」の暴走を描きながら、人身売買組織の闇にも迫る。四人は単なる被害者ではなく、逆にSNSを利用して反撃するなど、知恵と機転で戦う姿勢が痛快。終盤の組織の正体が明かされる展開は、伏線が巧みに回収されている。 自殺という重いテーマを扱いながら、赤ん坊という「生の象徴」を通じて、人間の再生を描いた作品。本のタイトル通り、短い期間ではあるものの、疑似家族的な絆が生まれ、いくつもの逆転が起きるところに魅力がある。このように読ませはするのだが、後半の展開と結末は意外性がなく予想していた通りで、ミステリ的には物足りなさを感じてしまった。 |
No.671 | 6点 | 北斎殺人事件 高橋克彦 |
(2025/06/11 19:13登録) 日本で最も有名といっていい浮世絵師の葛飾北斎の隠された秘密と、現代の殺人事件を絡めた二重構造の物語。 本作の核心は、「北斎が隠密だったのでは」という大胆な仮説。貧乏だと思われていた北斎が、実は金持ちだったかもしれないという仮説に始まり、引っ越しが多いことや、頻繁に画号を変えて名前を弟子に譲っていたのもアリバイ工作の可能性が高いという仮説が、次から次へと登場する。 物語は、ボストン美術館で起きた日本人画家殺人事件と、日本国内での北斎研究を巡る陰謀が交錯する。未発表の北斎作品を巡る偽画騒動や、美術商の策略など美術界の暗部が描かれる。 北斎の生涯に新たな光を当てる幕末の歴史ミステリと、美術史を掘り下げた知的興奮に満ちた作品。本作は「写楽殺人事件」のネタバレをしているので、読む予定のある人は、「写楽殺人事件」を先に読むことをお勧めします。 |
No.670 | 6点 | 出雲伝説7/8の殺人 島田荘司 |
(2025/06/07 19:39登録) 吉敷竹史シリーズ第二弾で、鉄道を舞台にしたトラベルミステリと神話を絡ませた本格ミステリ。 警視庁捜査一課の吉敷竹史は、帰郷も兼ねて山陰地方に旅行に出掛けたが、鳥取駅に到着した時に猟奇殺人事件の発生を知る。山陰を走るローカル線と大阪駅に、七つのパーツに解体された女のバラバラ死体が流れ着いたのだ。首はどこからも発見されず、指紋は硫酸で焼き消され身元を知るための手掛かりは完全に抹消されていた。しかも胴体の入っていた旅行バッグからは、なぜか大豆と麦が十数粒発見された。 本書の主眼はアリバイ崩しであり、犯人が誰であるかは、かなり早い段階で判明する。しかし、バラバラ死体を七つの路線に載せて山陰中に撒き散らすという作者ならではの奇想により地味な印象は受けない。ただこの作品において真の奇想と呼ぶべきは、昔の伝説や歴史が犯罪の形を借りて現代の日本に復活するという「八岐大蛇」と「五穀の起源」の見立てであるというところ。古事記の「ヤマタノオロチ退治」の解釈を巡る学術論が関わっており、神話と現実の犯罪が見事にリンクしている。犯人の動機には、学問的対立や女性同士の激しい確執が絡んでおり、作者らしい「怨念」をテーマにした心理描写が光る。 本書では事件関係者の多くが歴史学者だということもあって、記紀や古代史に関する知識が全編を覆っているが、それは単にペダンティックな彩りにとどまらず、異常な犯人像に深みを添える効果も果たしている。大学講師の波地由紀夫がラストで明かす真意が、この殺伐した犯罪の物語に大きな救いをもたらしている。アリバイトリック自体に無理はあるが、神話や歴史に興味ある人には十分楽しめるのではないか。 |
No.669 | 6点 | ダック・コール 稲見一良 |
(2025/06/03 19:30登録) 自然と人間の関りを深く描いた鳥にまつわる連作短編集で、「6つの夢」という形で展開される。各編独立しているが、野生の鳥や狩猟がキーワードとして繋がっており、プロローグとエピローグで全体がまとめられている構成となっている。 「望遠」三年がかりの記録映画のショットを任された若手カメラマンは、目の前に現れた幻の鳥にレンズを向けてしまう。心理描写を極力抑えた筆致で、主人公の行動を淡々と描いている。最後のシーンは、哀しくも一種の清々しさを感じさせる。 「パッセンジャー」山の中でサムは、大空を駆け抜けるハトの大群に遭遇する。リョコウバトの絶滅のことは聞いたことがあるが、このような強烈なワンシーンとして描かれると事実として実感する。結末は「望遠」と似た手触りがある。 「密猟志願」これまで消極的に生きてきた男は、密猟に愛着を感じ始めていた。そんな時に、一人の少年と出会う。このような経験が出来る人生というのも幸せなのかもしれないと思わされた。 「ホイッパーウィル」保安官のアルらと共に、脱獄囚を追って山中に入ったケンが見たものとは。マンハントをモチーフにした欲望や軋轢、闘争を描いたハードな冒険小説。クライマックスは、美しく深い哀しみを宿した味わい深い作品に仕上がっている。 「波の枕」船の火事で、大海に投げ出された源三は陸を目指す。漂流中の男と亀の交流が幻想的に語られる。とてもファンタジー色が強い作品で、淡い恋を描いたラブストーリーとしても読める。 「デコイとブンタ」鴨猟に使われる模型=デコイが、一人の少年に拾われる。ジョブナイル風のファンタジーで、少年の陥る危機とそこからの脱出劇は、爽やかで美しい。 |
No.668 | 6点 | 夜の道標 芦沢央 |
(2025/05/31 19:39登録) 二年前に評判の良かった塾経営者が、なぜ殺されたのかという謎を中心にして物語は進む。 バスケットボールの才能に恵まれながら、父親から利用されている小学生、その彼に親愛の情を抱く同級生、地下室に正体不明の男を匿う女性、傍流に追いやられながら事件を追う刑事。この四人が視点人物となって群像劇を形づくっていく。 登場人物たちの複雑な心理描写、それぞれが抱える過去や葛藤が丁寧に描かれており、彼らの心情に深く共感させられる。児童虐待、障害者差別、貧困など現代社会が抱える様々な問題が織り込まれており、深い問いを投げかけている。単なるミステリとしてではなく、社会派小説としての側面も持ち合わせている。 予想を裏切る展開の連続で、結末で真実が明かされ各ピースが収まるところに収まり、納得感が得られる。タイトルの「夜の道標」とは、登場人物たちが暗闇の中で見つけようとする希望の光、あるいはそれぞれの人生を導く指針のようなものを象徴しているように感じた。 |
No.667 | 7点 | 神薙虚無最後の事件 紺野天龍 |
(2025/05/27 19:12登録) 作中作である謎解き小説の真相を複数の人間が推理する、いわゆる多重解決もの。語り手の大学生・瀬々良木白兎と彼の所属する名探偵倶楽部の面々は、ある一作の推理小説と出会う。それは、実在する名探偵・神薙虚無の活躍を記録し、ベストセラーとなるものの捏造の疑いをかけられて炎上して表舞台から姿を消したミステリ作家・御剣大、その最後の著作「神薙虚無最後の事件」であった。怪盗王の住まう城に呼び出された神薙虚無とその仲間は、密室状況で当の怪盗王・久遠寺写楽と思しき人物の死に遭遇する。完全に閉ざされ、何人も近づけなかったはずの状況は果たして誰が意図したものなのか。 提示される推理はどれも完成度が高く、強固な密室を推理でこじ開けようとする大学生たちの行動は、やがて人を不幸にするやもしれぬ真相、あるいはそうなることを阻止する推理といった対立軸をんはらんでいく。そういったところからも、推理や名探偵の在り方を問い直す作品でもある。作者がライトノベルの分野で培った明朗活発が推理に自由な広がりを与え、推理そのものが固有の意志を持つかのような読み心地が特徴的で魅力的。 |
No.666 | 4点 | ほねがらみ 芦花公園 |
(2025/05/23 19:41登録) 語り手の「私」は、大学病院に勤務する男性医師。ホラーマニアで、怪談蒐集を趣味とする彼が、これまで見聞きしてきた不気味な話の数々を紹介するスタイルで綴られる。 第一章の「読」は、漫画家の木村沙織が、オフ会で知り合った癖のある女性・由美子から提供されたという、四つの怖い話が収められている。一見独立しているように見えるが、実は互いにリンクしており、沙織もおぞましい怪異の当事者となる。 第二章「語」は、出版社に勤める友人の頼みで、「実話系怪談コンテスト」の応募原稿を読むことになった佐野道治。土俗的な恐怖を扱った原稿を読み進むうちに、怪異は取り込まれてしまう。 第三章「見」は、喘息の持病がある娘とともに田舎に移住してきたシングルマザー・鈴木舞花の手記。移り住んだ洋風館の家で、次第に奇妙なことが起こり始める。 不条理な呪い、伝染する怪異、土俗の闇と生々しい手触り。作品後半は、いわば考察パート。これらの記録を読み終えた「私」が、その背景にある真相を探っていくというミステリ的な展開になる。見え隠れしているのは、「橘家」という旧家の存在と、蛇にまつわる奇怪な伝説。 オチは、ホラーの手管としては割とよくあるという印象。途中からモキュメンタリーの描き方ではなくなり、ほとんど一人称の小説になったところが不満。 |
No.665 | 6点 | 占い師はお昼寝中 倉知淳 |
(2025/05/20 19:20登録) 大学に通うために上京した美衣子は、渋谷で占い師を営む叔父・辰寅のアルバイト助手として働くことになった。ところがこの辰寅は、怠け者で宣伝ひとつすることもなく寝てばかり。霊感のかけらもないが、特殊な才能に恵まれていた。辰寅のもとに、持ち込まれた奇妙な謎を、辰寅が聞いた話だけから解くという安楽椅子探偵ものの6編からなる連作短編集。 「三度狐」では、家の中から忽然と姿を消すゴルフクラブや本の謎、「水溶霊」では、ポルターガイスト、「写りたがりの幽霊」では、心霊写真、「ゆきだるまロンド」では、ドッペルゲンガー、「占い師は外出中」では、血まみれの幽霊、「壁抜け大入道」では、タイトル通り壁抜けする大入道といった具合。こういった不可能、怪奇趣味たっぷりの謎を臆面もなく解いていくところが痛快。 占い師ならではの人間の心理(願望や欺瞞)を探る描写が秀逸。人々が占いに求めるものへの洞察が、単なる謎解きを超えた深みを生んでいる。依頼者の些細な言動から真実を読み解く過程は、人間観察の面白さが凝縮されている。 そしてもう一つの魅力は、語り口の巧みさ。この作品では、アルバイト助手の美衣子の視点から物語られる。この美衣子がなかなかのキャラクターで、筋金入りの怠け者・辰寅に対して繰り広げるツッコミのテンポの良さが、展開に軽快感を与えていて実に小気味よい。ひとつひとつのトリックは小粒ながら、設定、キャラクター、文体が魅力的な作品。 |
No.664 | 6点 | ウツボカズラの夢 乃南アサ |
(2025/05/16 19:31登録) 主人公の斎藤未茉由は母親の死後、東京に住む叔母の鹿島田久子に引き取られることになる。都内の一等地で暮らす裕福な親戚の存在を知った未茉由は期待に胸を膨らませ上京するが、冷え切った夫婦関係や痴情のもつれ、親子間の行き違い、陰湿な争いなど決して幸福とは言えないものだった。未茉由はそんな中で生き抜くために、したたかにそして狡猾に立ち回ることを覚えていく。タイトルにある「ウツボカズラ」とは食虫植物であり、獲物を捕まえて養分を吸い取る性質がある。このタイトルに主人公の未茉由が周囲の人々を利用して生き抜いていく様を象徴していると言えるでしょう。 何気ない日常が巨大迷路のように襲いかかる恐怖。この作品は人間の欲望、嫉妬、孤独、そして心の闇をリアルに描き出している。登場人物たちの複雑な心理描写には、心を大きく揺さぶられた。また、格差社会、家庭内の不和、人間のエゴイズムなど、現代社会が抱える問題点を鋭く批判している作品でもある。特に富裕層の家庭で繰り広げられる人間関係の歪みは強い衝撃を与える。主人公の未茉由は決して共感できる人物ではないが、生き抜くための執念は、ある意味で人間の本質を突いていると言えるかもしれない。 |
No.663 | 7点 | メドゥサ、鏡をごらん 井上夢人 |
(2025/05/12 19:28登録) 小説家の藤井陽造は、「メドゥサを見た」という言葉を残し、自らコンクリート漬けになるという奇妙な方法で命を絶った。彼の娘・菜名子の恋人でフリーライターの「私」は、藤井の残したメモ帳を手掛かりに調査を続ける。メドゥサとは、美女であったが故に妬まれ、蛇の頭髪を持つ恐ろしい姿に変えられたギリシャ神話に登場する怪物の名前である。 「私」は化学工場で起きた事故、その事故で負傷した高瀬充、「石町」という町と藤井の行動を辿りながら、彼の死の真相を追うようにミステリ的に展開していく。しかし、その一方でホラー的シーンがところどころに挿入され、ミステリとホラー、さらには心理的サスペンスを融合した独特の世界観を持っており強烈な印象を残す。 そして突如、物語世界が反転する。反転した世界でもさらに世界が崩壊していく。時系列や人間関係が混乱し、「何が真実か」を見失うような構成が特徴的である。ホラー的な不気味さや自己認識の崩壊をテーマにした実験的な作品で、叙述トリックを用いての読者の認識を揺さぶる手法が効果的。鏡に映るものは、必ずしも真実とは限らないというメッセージは、現代社会に生きる私たちにとっても示唆に富んでいる。 アマゾンなどのレビューを見ると、結末がスッキリしないという意見が多いようだが、この未解決感こそが作品のテーマであり、現実と虚構の境界が溶けていく恐怖を体感させる仕掛けとなっているので、個人的にはこの終わり方が気に入っている。 |
No.662 | 6点 | 名探偵 木更津悠也 麻耶雄嵩 |
(2025/05/08 19:15登録) 香月実朝が木更津悠也を「名探偵」として演出するために、自らの優れた推理力を駆使して事件の真相を解き明かす4編からなる短編集。 「白幽霊」戸梶産業の社長・戸梶康和が自宅で殺される。康和の長男の未亡人・美智子が容疑者となる。最後の視覚的な効果にインパクトがある。 「禁区」御殿通りに白い服装の若い女性の幽霊が出ると聞き、牧園知耶子は失踪中の坊津夏苗が化けて出ているのではと考える。白幽霊と呼ばれる存在をギミックとして使い、幽霊すらも生かしたロジックを組み立てていくところが巧妙。 「交換殺人」平山勝は酔った勢いで見知らぬ男と交換殺人の約束をし、しかも自分が殺すはずの男が殺されたというのだが。終盤に明らかになる構図が素晴らしく、長編で読みたかった作品。 「時間外返却」鉄道展望ビデオがきっかけで、橘鈴子の死体が発見される。木更津の告白は衝撃的で、物語全体の印象を大きく変えるものを持っている。 |
No.661 | 6点 | 記憶の中の誘拐 赤い博物館 大山誠一郎 |
(2025/05/03 19:20登録) 警視庁付属犯罪資料館「赤い博物館」を舞台に、冷徹な天才探偵・緋色冴子と助手の寺田聡が未解決事件の真相に挑む連作短編集シリーズの第二弾。冴子は証拠品の声を聴き、当時の関係者に新たな問いを放って真相を見抜いていく。 「夕暮れの屋上で」卒業式前日の放課後、校舎の屋上で少女が殺された。教室のワックスがけをしていた清掃業者が「先輩のことが好きなんです」という声を聞いていた。青春の切なさを味わえるが、真相は予測がつきやすい。 「連火」住人に「火事だ逃げろ」と電話する連続放火魔。「現代の八百屋お七」という斬新な設定。犯行の背景に潜む悲劇性に共感するが、動機にリアリティがない。 「死を十で割る」10個の部位に切断されたバラバラ死体。その死亡推定時刻と同じ頃に、被害者の妻が電車に飛び込み自殺をしていた。切断理由に驚き。解剖学の知識を応用したトリックに感心させられた。 「孤独な容疑者」殺された被害者は、同僚に高利貸しのようなことをしていた。残されたダイイングメッセージは偽装である可能性が高いと見られたが、その後浮かび上がってきた容疑者にはアリバイがあった。典型的な倒叙ものと思わせてのラストの捻りに唸らされた。油断ならない作品。 「記憶の中の誘拐」幼い頃に誘拐された記憶を持つ少年。誘拐犯は彼を捨てた実母と見られたが、犯人は土壇場で身代金の受け取りを放棄していた。あるものの臭いが苦手という情報だけで誘拐事件のからくりを見抜く冴子の推理に脱帽。 |
No.660 | 8点 | 凍てつく太陽 葉真中顕 |
(2025/04/28 19:27登録) 舞台は昭和二十年の北海道・室蘭。特高警察の刑事・日崎八尋が、軍需工場関係者の連続毒殺事件に巻き込まれ、冤罪で網走刑務所に投獄される中で真相を追う物語。 特高警察や軍部の横暴が、正義の名の下に正当化されている様子、アイヌ民族・朝鮮半島出身者への差別、陸軍の軍事機密「カンナカムイ」を巡る陰謀など、戦時下の複雑な社会構造が背景にある。特に、アイヌ出身の主人公が「皇民化政策」の中でアイデンティティの葛藤を抱える描写は、歴史の中の暗部を浮き彫りにしている。 当時の北海道の労働環境や、濡れ衣を着せられての投獄、そして脱獄、思わぬ人物との出会い、網走刑務所の脱獄王・白鳥由栄の史実を織り交ぜた描写がリアリティを生んでいる。軍の陰謀、血文字の暗号、登場人物の過去が複雑に絡み合い、最終盤で一気に収束する構成が光る。戦争という特殊な状況のもとで生まれたトリックに、作者のミスリードが加わってラストは全く想像もしていなかった事実が明らかになる。 単なるミステリを超え、戦時下の「人間の尊厳」を問う作品で、戦争の愚かさや差別の根深さを痛感させられる。作者の筆力で、暗い時代の中でも希望を失わない人物像が力強く描かれ、読後には歴史から学ぶべきことを強く考えさせられた。重厚で骨太という評判通り、民族、国家、人間といったテーマが掘り下げられており、社会問題への問題意識を同時に喚起する一冊となっている。 |
No.659 | 6点 | ツミデミック 一穂ミチ |
(2025/04/24 19:40登録) 第171回直木賞受賞作で、コロナ禍という異常な状況下で直面する倫理的ジレンマを、ミステリと人間ドラマの両面から切り取った6編からなる短編集。 「違う羽の鳥」繁華街で客引きのバイトをしている主人公に話しかけてきた女性が、中学生時代に死んだはずの同級生の名前を名乗る。救いのないようでいて、かすかな光を感じさせる。 「ロマンス☆」近所でイケメン配達員を見かけたことから、彼が来ることを期待してフードデリバリーにはまる女性の話。破滅に向かっていく恐怖が味わえる。 「憐光」幽霊となって故郷に戻ってきた女性が、意外な真実を知る。語り口が魅力的な悲しい物語。 「特別縁故者」失業中の調理師の男が一人住まいの資産家老人に料理を届けるようになり、特別縁故者になる期待を抱くが、意外な成り行きが待っている。主人公の内面の変化と社会の歪みを絶妙に表現している。 「祝福の歌」母が一人で暮らすマンションの隣人の様子がおかしいという話。隣人の謎と同時に、主人公が自分に関する秘密を知る展開に胸を打つ。 「さざなみドライブ」ネットで繋がり集団心中のために集まった男女数人が、山中に向かう車内で自殺を望む理由を語り合う話。パンデミックの影響で人生を壊された人もいる中、主人公の動機があまりにも意外。 作中には、日本の4人組ロックバンド・スピッツの楽曲を連想させるタイトルや台詞が散りばめられているので、ファンにとっては嬉しい仕掛けではないだろうか。全体的に「罪とは何か」という問いを投げかけながら、最終的には人間の再生可能性に光を当てる構成になっている。 |
No.658 | 7点 | 朽ちゆく庭 伊岡瞬 |
(2025/04/20 19:44登録) 朝陽ヶ丘ニュータウンという新興住宅地を舞台にしている。かつては富裕層が住むための高級住宅地として有名だったが、バブル崩壊やリーマンショックの余波を受け、次第に変わってきた。初期住人たちは、そうした新参者たちに白い目を向けているのである。この街に山岸家は引っ越してきた。 山岸家の夫婦共通の悩みは、中学受験の失敗が尾を引いて不登校気味の息子・真佐也。裕実子自身は、それよりも夫がこの問題に正面から向き合わないことに不満を抱いている。本書では家族が互いに向き合わないための食い違いが、ところどころで起きるが、真佐也の視点になった途端、違和感を覚えるようになる。そして山岸家のそれぞれの秘密を抱えた中で発生した少女殺人事件。後半では、死角の多かった山岸家の、それまで見えなかった部分が詳らかにされていく。全てが明らかになる瞬間まで、緊張感が途切れることがない。 起きる事件はもちろん、山岸家のそれぞれを掘り下げていくだけでも十分なサスペンスだが、彼らを取り巻く人たちがどう動くか分からない怖さがある。家族のありようについて、そして人と人との繋がりについて考えさせられる作品。誰の心の中にも人には見せられない部分があり、それに執着したり他人から隠そうとしたりすることで愚かな振る舞いに出てしまう。そうした行為の連鎖が生み出した悲劇の物語で、思わず自分自身はどうなのかと顧みてしまう。足元が崩れ落ちるような感覚を味わうことが出来る作品。 |
No.657 | 7点 | MISSING 本多孝好 |
(2025/04/16 19:17登録) 日常に潜む喪失感や、人の奥底にある孤独を繊細に描いた5編からなる短編集。 「眠りの家」「私」が自殺しようとした理由を助けてくれた少年に語り始める。主人公が話す自殺に至る経緯を聞いただけで、少年がその話の手掛かりから事件を再構成するという安楽椅子探偵ものだが、その謎解きよりもラストで明かされるもう一つの仕掛けが本編の魅力となっている美しくも切ない物語。 「祈灯」幼い頃、目の前で妹が事故死した少女は、以来自分をその妹であると思い込む。主人公の妹が抱え込んでいるトラブルとトラウマを巧みに共振させながら、静謐なエンディングに持っていくところがいい。 「蝉の証」老人ホームにいる祖母より、一人の老人について調査を頼まれる。死を目前に控えた老人の企みを明らかにしていく物語だが、その企みを巡る主人公と祖母との対峙が主眼となっている。二つの世代に対する目配りの良さが光る。 「瑠璃」従姉のルコは「僕」にとって憧れの存在だったが。主人公の目を通して描きだされる、一人の女性の短い生の軌跡そのものが一つの謎となっている。そしてその謎は決して解かれることのない類のものなのだろう。 「彼の棲む場所」十八年ぶりに再会した友人が、「僕」に語った奇妙な話とは。爽やかで健全な日常の顔の背後に隠された闇。サトウ君という幻想的なキャラクターを介在させることで、その闇を象徴させている。過去と現在が交錯する中で、自分自身と向き合い再生への道を歩み始める。 それぞれ、喪失を通して見えてくる人間の強さや優しさが描かれている。明確な解答を与えぬまま閉じる構成が、かえって現実の不確かさを反映しているかのよう。これは安易なカタルシスを拒否する作者の美意識の表れと解釈した。 |
No.656 | 5点 | さえづちの眼 澤村伊智 |
(2025/04/12 19:27登録) 人間の深層心理に迫るテーマ性が際立つ3編からなるホラー中編集。 「母と」様々な事情から親元を離れることになった少年少女を預かり、日常を取り戻させる活動を行うという男・鎌田の元に、不良少年の琢海が訪れるところから始まる。彼が鎌田との暮らしに居心地の良さを感じつつあった夏の晩、琢海は鎌田が正体不明の存在と対峙する様を目の当たりにする。怪異との攻防にその存在の正体を巡る謎解きの要素を密接に絡めた密度の濃い一編。 「あの日の光は今も」かつてセンセーショナルに報道された二人の少年がUFOを目撃した事件とその前後に起きた人間の死が時を経て異様な関連を帯びていく。昭和という時代が生み出したオカルトブームやタガの外れた事件を現代の地点から解体する手つきに妙がある。 「さえづちの眼」旧家に住み込みで働くことになった家政婦が目撃する怪異が手記のかたちで語られる前半と比嘉琴子が登場しその真相に迫る後半という作者の得意とする二部構成が効果的な作品。 三作とも「眼」を軸にした設定が物語全体に張り巡らされているのが特徴で、ホラーの要素を十全に活かすことで謎解きに独特の意外性を生む手腕が冴え渡っている。加えて、人間存在を射抜くシニカルで透徹した視線とそれでも人間を信じる覚悟のようなものの両者を行き来するアンビバレントな感覚が詰まっている。総じて、物理的な恐怖と心理的な不安を絡ませた作品集と言える。 |
No.655 | 6点 | プレゼント 若竹七海 |
(2025/04/08 19:27登録) フリーターの葉村晶と刑事課警部補の小林舜太郎の二人を主人公として、ブラック要素満載の8編からなる連作短編集。 「海の底」作家の赤月武市が、ホテルの部屋に血痕を残したまま忽然と消えてしまった。ホテルの従業員は誰も彼がホテルを出て行くのを見ていなかった。丁寧に伏線が張られており、ラストには感心してしまった。 「冬物語」一年前に自分を裏切った友人に復讐を果たした主人公のもとに刑事が訪れる。ストーリー展開に少々、強引さを感じる。 「ロバの穴」葉村晶がアルバイトするテレフォンサービスの仕事で、九カ月で自殺者が三人も出たという噂が。人間関係に潜む闇の部分、さらにその闇を操るものの姿を描いた不気味さを味わえる作品。 「殺人工作」大学の助教授・片倉忠の家のバスルームで、片倉忠と塩川春美の死体が発見される。心中事件のように見えるが。小さな疑問から発して、論理的に真相を明らかにしていく小林刑事の推理が小気味いい。 「あんたのせいよ」葉村晶は大嫌いな南佳代子から一方的な呼び出しの電話があったがそれを無視する。すると翌日、葉村のもとに刑事が訪れる。ブラックな味わいが楽しめるホラーミステリ。 「プレゼント」一年前に起きた佐伯里梨の殺人事件。その現場である「デザインオフィス・佐伯里梨」にその時の関係者が再び集まる。連作短編集という体裁を巧みに利用された作品だが、それ以上に伏線の巧みさに驚かされる。 「再生」部屋に缶詰状態になっている作家と隣室の編集者。アリバイ作りのため、ビデオをセットして出かけた彼は、帰ってきてからビデオを再生すると映っていた光景に驚く。やられた感があるトリッキーな作品。 「トラブルメイカー」雪山で頭が割られて意識不明の女性が発見される。彼女の胸ポケットには、葉村晶名義のクレジットカードがあった。葉村と小林刑事がここで共演する。アクロバティックなオチを期待していたが、正直物足りなかった。 |
No.654 | 6点 | 踏切の幽霊 高野和明 |
(2025/04/03 19:25登録) 一九九四年十二月、月刊女性誌の記者の松田法夫は、大物政治家の収賄事件の取材から外され、読者投稿の心霊ネタ取材に回される。 都会の片隅にある踏切で、偶然撮影された心霊写真。この踏切では、ここ一年列車の非常停止が多発していた。踏切に現れる幽霊について取材を始めた松田だったが、その日の深夜、不気味な無言電話があった。 元社会部の敏腕記者が日常に発生した心霊現象に対し、あくまで調査報道の手法というこの世の理で丹念に真相に迫っていく展開は、怪異が日常に生じさせる不条理な裂け目を因果によって押し広げ続け、信じさせるための手続きをする。その描かれる調査に、主人公が妻を喪った虚無を抱え続けていることが重なって、鎮魂のための怪談というような作品となっている。 心霊現象とその背後にある現代社会の闇や人間の業を描いた社会派ドラマとしての側面も持ち合わせている。幽霊という題材を借りながら人間の内面や社会の脆さを問い掛けている。踏切が生と死、過去と現在、そして異なる世界を繋げる象徴として機能している点が印象的。結末は死生観が胸に落ちてくる戦慄とともに温かな救いが共存し、読後に余韻が残る仕掛けがされている。 |
No.653 | 7点 | 硝子細工のマトリョーシカ 黒田研二 |
(2025/03/30 06:57登録) 物語は、人気推理作家であり女優の美内歌織が、脚本・主演の生放送のミステリドラマ「マトリョーシカ」を中心に、歌織の恋人である森本晋太朗の視点で語られる。 映画監督・大海司の首吊り自殺、報道番組に爆弾が仕掛けられたという予告電話という体裁のサスペンスドラマは、しかし番組中に主演の歌織が飲んだ麦茶に毒が入れられるという現実の事件が発生したことから、次第に現実と虚構が混交していく。 タイトルにあるマトリョーシカはロシアの郷土玩具で、胴体が二つに分かれ中から同じ形をした少し小さな人形が複数、入れ子式に入っている人形だ。一体どこまでがドラマで、どこからが現実なのか、「現実」と思われたシーンが実は「ドラマ」であり、「ドラマ」と思われていた部分が「現実」でと作品世界はマトリョーシカ人形のように多重の入れ子構造となっている。その複雑な構造は、眩暈感を醸し出すことに成功している。 一見些細な描写や会話が、後半で重要な意味を持つ仕掛けが随所に散りばめられている。特に過去と現在の交錯が謎を深め、最後まで引き込まれる。そしてラストの意外性と伏線の回収の鮮やかさに唸らされた。緻密な構成と、人間の闇に光を当てる視点が秀でた一作。 |