パメルさんの登録情報 | |
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平均点:6.12点 | 書評数:647件 |
No.647 | 6点 | 火神を盗め 山田正紀 |
(2025/03/06 19:25登録) 中国との国境に近いヒマラヤ山中に建造された原子力発電所(火神・アグニ)。極右派の工作員たち(フラワーチルドレン)によってアグニに爆弾が仕掛けられていることを知った日本商社のセールス・エンジニアの工藤篤は命を狙われることになる。一旦帰国した工藤は、爆弾を撤去することが生き残るための唯一の道だと知り、数人のサラリーマンとともに鉄壁の要塞であるアグニに潜入を試みる。 落語家になり損ねた桂正太、英語コンプレックスで影の薄い仙田徹三、女を口説くことに全精力を傾ける左文字公秀という、無能と烙印を押されたサラリーマンが勇気を持って潜入しようとするのだから痛快。この原発は、周囲を触圧反応装置で囲まれ、ドーベルマン付き鉄網錠、熱廃水用水路にはワニがいる。おまけにフラワーチルドレンの冷酷無比な殺し屋リリーとローズが彼らをつけ狙うという念の入れよう。 このウルトラ級難度の障害を、あの手この手で突破しようとする過程が読みどころだが、それとともにそれに至る経緯、平凡なサラリーマンがなぜ危険を冒すのかというところも魅力の一つとなっている。また、ダメ社員とされるメンバーが、困難を乗り越える冒険小説を超えた人間ドラマとして爽やかに描かれている。確かにご都合主義的な部分はあるが、スパイ小説の緊張感とコメディ要素が融合した極上のエンタメ作品に仕上がっている。 |
No.646 | 6点 | ファンレター 折原一 |
(2025/03/02 19:35登録) 絶大な人気を獲得した作家・西村香は、性別・年齢を一切不明な覆面作家だった。そんな西村のもとに送られてくるファンからの手紙など、全編が手紙やファックス、留守電などの文書形式で構成され、それらが西村を奇妙な事件に巻き込んでいく9編からなるブラックユーモアが光る短編集。 「覆面作家」西村香の熱烈なファンの大瀬ななみは、西村と何度か手紙でやり取りするようになる。身勝手で思い入ればかりが強い大瀬ななみに反感を持つが、それを上回る悪意が明かされるラストになると彼女に同情してしまう。後味はとても悪い。 「講演会の秘密」西村香のもとに舞い込んだ講演会の依頼。西村はそれを断るのだが。トリックの仕掛け方が面白い小技が効いた作品。結末はほろ苦い。 「ファンレター」西村香の下の階に住む西村薫は、西村ファンの手紙を誤って開封してしまう。じわじわと文面から伝わるファンの狂気が、リアリティがあって怖い。全てがひっくり返るラストは見事。 「傾いた密室」ファンの女性から密室殺人の謎を解いてほしいという依頼がはいる。ファックスのやり取りだけで物語は進行する。トリックもオチも見当がつきやすい。 「二重誘拐」西村香は土砂降りの山中で遭難してしまい、ファンだという女性に助けられる。ミザリーのパロディ。状況だけ見ると悪夢だが、西村の悪い本性が炸裂していて痛快。 「その男、凶暴につき」西村香に温泉の紹介記事を依頼される。設定が違うだけでトリックは同工異曲といった印象。 「消失」西村香は編集者が紛失した原稿を書き上げるためにホテルに籠る。皮肉たっぷりでイヤミス好きにはたまらないラストとなっている。 「授賞式の夜」西村香は新たに設けられた文学賞を授与されることになったが。ラストでの意外な展開に。その大げさな仕掛けにツッコミを入れたくなる。 「時の記憶」探偵事務所に記憶喪失の男が訪れ、「自分は西村香らしいのだが」と告げたが。オチ自体は見当がつきやすいが、この次のエピソードとの合わせ技がいい。単なるパロディに終わっていないところもいい。 |
No.645 | 7点 | てのひらの闇 藤原伊織 |
(2025/02/26 19:29登録) 主人公の堀江雅之が勤めるのは大手飲料食品会社。商品企画や宣伝制作、マーケティングなどが丹念に描かれていて、このように戦略を立てて製品を売るのかと首肯させられるところが多くある。その堀江は自主退職を間近にしており、会長や同僚とその周辺の人々との関わりが描かれていく。またリストラが吹き荒れるサラリーマンの世界の描写が物語にリアリティを与えている。その堀江が恩義を感じている会長の自殺を機に一転してハードボイルドタッチになり、あとは終結まで息もつかせぬ展開が続く。 主人公が超人過ぎるきらいはあるが、無駄な装飾がそぎ落とされ、なんとも言えない洒落た味がある。物語は錯綜し、至るところに伏線が張ってあるから油断ならない。舞台はどんどん広がって、経済界から政界、企業舎弟、暴力団まで巻き込んでいく。それらが堀江の過去と繋がり、少しずつ解きほぐされて伏線が一本に収束されるのだが、その収束の仕方が無理にこじつけがなく、張り詰めた緊張感が持続して、リアリティを損なうことがない。ハードボイルドを基調としながらも、企業小説やミステリさらに心温まる人間ドラマと多層的な作品となっている。 |
No.644 | 5点 | 無明 今野敏 |
(2025/02/21 06:47登録) 警視庁強行犯係。樋口顕シリーズ第七弾。 ある日、樋口は東洋新聞の女性記者・遠藤に相談を持ち掛けられる。三日前に荒川の河川敷で発見されたのだ高校生の水死体が自殺と断定されたことに両親は納得していないというのだ。しかしそれは千住署の担当であり、その決定に対して今さら口を挟めるはずもなかった。だが、樋口は気になり藤本由美巡査部長とこの事実を慎重に洗い直していく。その行動に対し、石田理事官からは激しく叱責され、懲戒免職もほのめかされる。組織の秩序と真実の追求の狭間で苦悩する様子は、現代社会における個人の倫理観を問うテーマとして深みを与えている。 誤認逮捕、冤罪を生む要素はいつだって潜んでいる。そういうことを絶対に許してはいけない。また同様に、他殺の痕があるにもかかわらず、それを無視したり間違った捜査をしたり、あるいは無かったものとして隠蔽したりという行為も許せないと樋口は心の底から思っている。 本書では、個人として絶対に譲れないその正義を敢然と貫こうとする樋口の姿が何とも凛々しく描かれている。また娘に対し父親としての対応を妻の恵子に迫られる場面が各所に散見できる。本シリーズならではの家族の団欒、理想のひとつの家族形態がある。不満な点は、事件の解決が急展開過ぎる点と、敵対するキャラクターの動機描写がやや物足りないところ。 |
No.643 | 7点 | プラスティック 井上夢人 |
(2025/02/17 19:25登録) ネタバレしています。 2024年本屋大賞の発掘部門「超発掘本!」に選ばれた作品。 この作品は、54個の文書ファイルが収められたフロッピーディスクを中心に物語が展開される。(フロッピーディスク懐かしい!若い人は分かるかな?)専業主婦の向井洵子、作家志望の奥村恭輔、暴力的な雰囲気を漂わせる藤本幹也、気の弱い若尾茉莉子、そして第三者的なスタンスの高幡英世の複数の人物の記述により物語は進む。 冒頭では、向井洵子が夫の出張中に書いた日記が紹介され、その日記が次々と謎を呼び起こす。物語はファイルごとに語り手が変わることで次第に真相に近づいていく。奥村による調査は各人との証言とは矛盾し、背反する。事態は混迷し錯綜していき、どれが正しいのか分からなくなり、この不安感が堪らない。 この物語の核心は、アイデンティティの脆さと多重人格というテーマにある。展開は衝撃的で人間の自我や記憶の不確かさについて深く考えさせられる。全ての証言が重なり合う時、真相が明らかになるが、それは途中で気付く人が多いかもしれない。ただ、ラストで描かれる数奇な運命に弄ばれた一つの決着のつけ方や、雰囲気はとても好み。 結末は、「自分とは何か」という問い掛けが投げかけられ、深い余韻を残す。単なる謎解きを超えて、人間の内面の複雑さを描いた実験的で不思議な味わいを持った作品。 |
No.642 | 5点 | 或るエジプト十字架の謎 柄刀一 |
(2025/02/12 19:26登録) カメラマンで名探偵の南と法医学者のエリザベスのコンビが事件を解いていく。タイトルが示す通り、クイーンの国名シリーズへのオマージュを捧げる4編からなる連作短編集。 「或るローマ帽子の謎」多くの帽子が飾られたトランクルームで、頭部を激しく殴打された死体が発見される。現場への出入りが防犯カメラに録画されていた。ある先入観から真相を遠ざけるミスリードが光る。 「或るフランス白粉の謎」麻薬密売組織の幹部とみられる老女が扼殺された現場は、床一面に白粉が撒き散らされていた。意外な犯人と意外な犯行動機に驚かされた。 「或るオランダ靴の謎」大槻忠資は大病院の院長、妻の未華子は木靴のコレクションをしていた。大槻邸に多くの客や親族が泊まった翌日、忠資の撲殺死体が発見される。殺害現場の離れと母屋との間の靴跡が事態を複雑化させる。クイーン風の論理性を保ちつつ、現代的な解釈で再構成されている。 「或るエジプト十字架の謎」芸術大学の学生たちが訪れたキャンプ場で首のない死体がT字型の掲示板に括られた状態で発見される。トリックのための事件というようなご都合主義が感じられた。 全体的に回りくどい文章で読みづらく、状況が分かりにくいところが難点で、展開も淡々としている。ただし、いわゆる「後期クイーン問題」への目配せが随所に散りばめられ、その命題への回答として興味深く読めた。 |
No.641 | 6点 | プリンシパル 長浦京 |
(2025/02/08 19:23登録) 関東最大級の暴力団の組長の娘として生まれた水嶽綾女が主人公で、戦後日本の闇を虚実取り混ぜる形で克明に描いたノワール小説。 教師だった綾女が、父が亡くなり不本意ながらも後継者となった直後に起きた凄惨な事件で腹を括る。暴力団組織間の抗争、GHQの思惑と不良軍人の思惑、政治家たちの欲と陰謀といった闇のなか、己の死をどこかで願いつつ突っ走っていく。戦後の動乱期における国の政界と裏社会の癒着ぶりが実によく調べ上げられているし、女の身で暴力団組織を継がざるを得なかったピカレスクロマンとして読み応え十分。 フィクションであるにもかかわらず、ここに描かれたようなやり取りが実際にあったのではないかという錯覚すら覚えてしまうのは、綾女が過酷な世界を生き抜く生身の女性として物語の中で息づいているからだろう。綾女の報復手段は、卑劣なもので彼女に感情移入することは難しいが、その存在感は説得力を持っている。 |
No.640 | 6点 | 令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法 新川帆立 |
(2025/02/04 19:32登録) 舞台は令和ならぬ「礼和」、「麗和」、「冷和」などの架空の元号(読み方はすべて「レイワ」)が使用されている法律がテーマの6編からなるパラレルワールド短編集。想像もつかないような法律が出来てしまったら、社会はどうなってしまうのか、思考実験を具現化した作品が並んでいる。 「動物裁判」では、あらゆる動物に人間同様「命権」が認められるという考え方が浸透している。 「自家醸造の女」では、歴史も現実と異なっており、戦後すぐにGHQの主導で日本に禁酒法が導入されている。 「最後のYUKICHI」では、現金が廃止され、地方や反社の間だけ流通し、マネーロンダリングの手段になっている。 「接待麻雀士」認知症予防に効果があるという建前で、賭け麻雀が合法化され賄賂の授受に利用されている。 その他の作品も含め、すべての作品が奇妙なアイデアに基づいている。いずれも架空のレイワ社会を細部まで設定することでリアリティを演出しつつ、「令和」の現実への風刺にもなっている。法律が定めたことで、新たな同調圧力が生まれ、そのしわ寄せが人々の生活に歪つな影響を及ぼすことになってしまうのだ。 思いがけない反転や皮肉と戦慄に満ちた展開など、さまざまな作風を披露しつつ、社会を見据える鋭い眼差しで統一された意欲的な歴史改変SF短編集。 |
No.639 | 6点 | かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 宮内悠介 |
(2025/01/31 19:19登録) 舞台は明治末期。登場人物の多くは木下杢太郎、北原白秋、吉井勇など実在の人物である。彼ら若き芸術家たちは、ベルリンの芸術運動の会名にちなんだ「牧神の会」を結成する。彼らは、隅田川沿いの西洋料理屋「第一やまと」に集い、そこで語られた事件を巡り、推理合戦を繰り広げる。 「菊人形遺文」公衆の面前で菊人形が日本刀を突き立てられた。白秋の一言を皮切りに、あれやこれやと推理する。作者はアイザック・アシモフの「最後家蜘蛛の会」の形式に倣ったという。つまり参加メンバーが、推理をぶつけ合い、様々な可能性をロジカルに排除した上で意外な真相に着地するパターンである。この作品の場合、店の給仕・あやのが鮮やかに謎を解き明かす。以降もこの様式美に則って謎解きが展開していく。 「浅草十二階の眺め」は、関東大震災で崩れた凌雲閣が舞台。「さる華族の屋敷にて」は、実際に起きた当時の猟奇事件をモチーフにしている。「観覧車とイルミネーション」は、夏目漱石が登場し、東京勧業博覧会を舞台にした殺人事件。「ニコライ堂の鐘」は、東京に現存している聖堂が舞台。「未来からの鳥」は、いくつもの暗示的な鳥と謎、パンの会の面々の先行きが折り重なりながら、大胆な趣向によって芸術が孕む危うさも浮き彫りにされていく。本書の全体を通じての趣向や、あやのの秘密も明らかになる。明治ロマンをたっぷり纏った謎と事件の先に待ち受ける真相と青春小説としても読ませる。 |
No.638 | 5点 | パラレル・フィクショナル 西澤保彦 |
(2025/01/27 19:44登録) 久志本刻子と甥の有末素央は、予知夢の能力を持っていた。本作の特殊設定は未来に起こる出来事を夢で見る能力の存在である。いわゆる予知夢の設定を活かしたいくつかの妙があって、その一つが血族二名に同じ能力が現出している点。互いの認識を補完し合う過程に妙味がある。冒頭で明かされる夢の内容は、資産家一族が集まった別荘で次々と惨殺されるというものなのだが、さらにややこしいのはその事件が起こらなかったのはなぜなのかという問題が発生していること。つまり本作は、現実には存在しない事件の犯人の動機に迫るという奇妙な目的から始まるわけである。 起こらなければそれでいいとはならないのが設定の妙。悪意の所在を推理する過程で、異能力を逆手にとったツイストが幾重にも仕掛けられ、物語はますます複雑さを増していき、全ての関係者が特殊状況に飲み込まれていくラストに背筋が凍る。この構成が巧い。西澤作品を読み慣れている人は、仕掛けに気付くかもしれないが、そこにさらに捻りを加えているところが作者らしくていい。 |
No.637 | 6点 | 鴉 麻耶雄嵩 |
(2025/01/23 19:25登録) 何者かに殺された弟の襾鈴の失踪と死の謎を解くために珂允が辿り着いた村は、四方を山に囲まれ、外界との連絡が全くと言っていいほどなく、歴史から取り残されたような村だった。その村には、絶対的権力で村人の生活の隅々まで支配する神・大鏡がいた。 その異世界な設定が単なる飾りに留まらず、ミステリとしての作品世界そのものに奥深く結びついている。特にその村に伝わる殺人者に関する言い伝え、殺人者の腕に必ず浮かび上がる痣や時折、村に生まれるという鬼子などが効果的に使われている。また襲いかかる鴉の大群が禍々しさと相まって怪しげな雰囲気を出しており魅力的。 この物語は、主人公・珂允の行動と推理を追う一方で、橘花、朝萩、啄雅の三人の少年の行動を描写していく。珂允が村にくる半年前に起きた変死事件を村人たちは自殺と断定するが、橘花だけは殺人事件だと疑う。そして起こる新たな殺人事件。三人の少年は、この二つの事件に何か関係があるのではと調査を始める。 珂允と少年たちが合流する時、カタストロフへ向けて加速していく。嫉妬と憎悪と偽善。村内部でのカタストロフ、村そのもののカタストロフ、そして物語そのもののカタストロフへと。この二転三転のラストに翻弄される感覚に酔いしれた。しかし真相については、あまりにも突飛すぎて好き嫌いが分かれるかもしれない。 |
No.636 | 4点 | 沈底魚 曽根圭介 |
(2025/01/19 19:30登録) 現職の国会議員が中国に機密情報を漏らしていると、中国人外交官が証言したと新聞記者がすっぱ抜いた。警視庁公安部の刑事である不破は、警視庁外事情報部の凸井理事官が率いる捜査班に組み入れられた。やがて潜伏中のスパイ(スリーパー=沈底魚)である国会議員が、政界のサラブレッドであり将来の首相候補と評判の芥川健太郎であるという情報が伝わってきた。そんな折、不破の秘書を務めていた伊藤真理が失踪してしまう。不破はスパイ摘発と、各組織の思惑が絡み合う複雑な事件の渦中に巻き込まれていく。 地味なプロットを支えているのが、抑制の効いた文体と簡潔で的確な会話である。また個性的な刑事たちをはじめとしたキャラクターの造形にも秀でている。その堅牢な枠組みの中で、二転三転するプロットが展開されるのだが、結局は芥川がスパイであるか否かという、表裏一体の謎が反転するだけなので驚きが持続しないのが残念。選考委員の一人が指摘しているように「物語の進められ方が後出しじゃんけん的すぎる」と言いう評はごもっとも。都合の良すぎる展開は、やはり腑に落ちない。 |
No.635 | 6点 | 仮面 伊岡瞬 |
(2025/01/15 19:44登録) どんな人でも違う一面がある。他人には見せない素顔、心の奥の触れられたくない領域。そんな仮面の内側に迫るクライムサスペンス。 三条公彦は、中学時代に交通事故に遭い読字障害(ディクレシア)になってしまう。このハンディキャップを抱えながらも、アメリカの名門大学に留学した経歴を持つ作家で評論家。帰国後に出版した自叙伝がベストセラーとなり、現在テレビ番組のコメンテーターとして人気を集めている。整った顔立ち、落ち着いた物腰、そこに波乱万丈な生い立ちを武器に、三条はマネージャーの久保川克典と二人三脚でスターに成り上がっていく。だが、秘書の南井早紀から見ても、三条はミステリアスで捉えどころがない。明白な理由はないが、ただ何かが匂うのだ。仮面を被っているのではないか。 三条は、仮面の下にどんな素顔を隠しているのか。物語が進むにつれて、彼の実像が浮き彫りにされていく。三条の動向と並行して複数の事件も描かれていく。三条はこれらの事件と関わりがあるのかが、章ごとに視点人物を変えながら、事件の深奥に迫っていく。しかも興味深いのは、被害者たちも仮面をまとっていることだ。 誰もが仮面をつけているように、誰もが犯罪者になる可能性を秘めている。作者は彼らを理解できない怪物やサイコパスとして遠ざけるのではなく、誰でもそうなりかねない存在として描いている。題材としては平凡で、作者としては問題提起をしていると思うのだが、当たり前のことを言っているだけとしか感じられない。とはいえ、七人の視点から語られる群像劇は読み応えがあった。 |
No.634 | 6点 | アリアドネの声 井上真偽 |
(2025/01/11 19:29登録) 健常者も障害者も住みやすい新都市は、国土交通省と民間企業が共同で開発した地下都市「WANOKUNI」。その未来の幕開けを予感させる希望に満ちたオープニングセレモニーを巨大地震が襲う。 大地震により死傷者、遭難者が多発する中、要救助者は一名に留まっていた。その一人は、「目が見えない、耳が聞こえない、話せない」という三つの障害を抱えた市長の娘・中川博美だった。死と隣り合わせの現場から、尊い命をシェルターへと誘導する困難なミッションに挑む。 容赦なく刻まれる水没までのカウントダウン。災害救助用のドローン「アリアドネ」を操縦する主人公・高木春夫がこれでもかと直面するピンチの連続。さらに緊迫したその過程で、中川博美に対し疑惑の目を向け始める。 物語の中で繰り返しされるのは、「無理だと思ったら、そこが限界だ」という言葉である。本作はスリリングな救出劇であるとともに「無理」という困難な状況との向き合い方、限界を感じた人間がその壁を乗り越えるためにとるべき行動をミステリとして、勇気を与えてくれる人生哲学までもが伝わってくる。 フェイク動画が蔓延し、事実とかけ離れたところで真実が作り上げられていく今の時代、惑わされてしまう人が多くいるのも事実。光と闇、生と死、嘘と真実、希望と絶望などの要素が鮮やかに表現され、終盤の強烈な驚きとともに明かされる真相に胸が熱くなる。 |
No.633 | 7点 | ルパンの消息 横山秀夫 |
(2025/01/07 19:52登録) 十五年前に自殺と処理された女性教師の死は、実は殺人だという情報が警察幹部よりもたらされ、溝呂木刑事たちによる事件の再捜査が始まる。時効まであと一日。捜査の中で浮かび上がってくる重要参考人の高校時代には、ルパン作戦という名のもとに行われた期末テストを奪う計画があった。 物語は、今まさに時効を迎えようとしている現在と、重要参考人の供述によって明らかとなる十五年前が交互に描かれている。現在の部分は、迫り来る時効との戦いに挑む警察小説としての面白さが、そして十五年前の部分は、重要参考人・喜多、竜見、橘の高校生活が描かれ青春ミステリとしての面白さがある。さらにそこに昭和の未解決大事件、三億円事件が絡んでくる。 たった一日しかない捜査の時間、難航する取り調べ。そんな中、最後に事件は予想もつかない解決を見せることになる。時効直前という事件に三人の落ちこぼれ高校生のやり取りやその時代の雰囲気、ルパン作戦の内容とその実行、錯綜し複雑になっていく人間関係と、どれを取ってもいい味を出していて、デビュー作とは思えない出来栄えである。 |
No.632 | 7点 | 魔女の原罪 五十嵐律人 |
(2025/01/03 19:31登録) 和泉宏哉は、週に三回人工透析を受けている鏡沢高校の二年生。同校は校則のない自由な校風で知られている。校則がない代わりに法律がそのまま校内のルールとして適用され、違法でさえなければ何をしても許される妙な高校だ。夏休み明け早々、一年生の男子生徒がスーパーで母親に万引きを強要されているのを目撃、正義感の強い宏哉は校長に直談判するが、その生徒は自主退学してしまう。そうこうしているうちに、街全体が奇妙であることが分かってくる。そしてさらなる大事件が起きる。 宏哉は人工透析患者だが、父は腎臓専門医、母は臨床工学技士で、なぜか中世の魔女狩りを研究に勤しんでいる同級生の水瀬杏梨とともに自宅で治療を受けている。その水瀬がこのところ治療をさぼりがちだったことや、40年前にニュータウンとして建設された鏡沢町が古くからの住民と新住民との間に対立があることなどが並行して明かされていく。 物語のメインは、一見自由闊達な高校の秘密とその謎解きにあるのでは、と思わせたところで思いも寄らない殺人事件が起きる。ありがちな学園ミステリから家族、学校に地域までひっくるめた大胆にして緻密な謎設定に唸る。後半には意外な弁護士も登場し、リーガル色が強まっていく。そして本書で扱われているテーマがコロナとコロナ後の世界のあり方にもつながっていく。捻じれた発想の不気味さや、それがもたらす恐怖、あるいはその先に待つ惨事を絵空事としてではなく、明日は我が身として体感できる。前向きながらも議論がありそうな結末も味わい深い。 |
No.631 | 5点 | 祈りのカルテ 再会のセラピー 知念実希人 |
(2024/12/27 19:22登録) 医療国家試験に合格した新米医師は、二年間の臨床研修を経験することになっている。研修期間中は、内科、外科、小児科、産婦人科、救急など数カ月ごとにローテーション。幅広い知識と技術を身につけたうえで、将来の専門科を見定めるとともに、医師にふさわしい人格を育む大切な二年間となっている。そんな研修医・諏訪野良太を主役に据えた医療ミステリで、配属される科によって診療内容はもちろん、病院の裏側を覗き見するような楽しさが味わえる。 「救急夜噺」意識混濁状態で救急搬送された元ヤクザの秋田は、原因不明のけいれん発作を二度も引き起こす。強く入院を訴える彼は一体何を企んでいるのか。サスペンス色が強めだが、少々強引か。お涙頂戴に持っていったような作者の思惑が感じられる。 「割れた鏡」美容手術を要求する女優・月村空良。すでに何度も手術を重ねているため、これ以上はリスクが大きいと先輩医師は判断するが、空良は一歩も引こうとしない。なぜ彼女は手術を強く望むのか。空良のあまりにも屈折した考え方に唖然。現実離れしすぎている。 「二十五年目の再会」患者の心身の苦痛を和らげ、最期を看取る緩和ケア科。諏訪野は顔見知りの患者・広瀬秀太の心の内に迫っていく。広瀬の過去を調べるが、それは諏訪野自身の人生にも大きな影響を及ぼす。 三編に通底するのは、家族愛。読後には胸に静かな感動が広がっていく。初めの二編が4点、最後の一編が7点でトータルで5点といったところか。 |
No.630 | 6点 | ダブルマザー 辻堂ゆめ |
(2024/12/23 19:22登録) 馬淵温子は、一人娘の鈴が駅のホームから列車に飛び込み自殺をしたため、深い悲しみに沈んでいた。遺品のバッグを調べていた温子は、見慣れないスマートフォンと財布を発見する。財布の中には、鈴と同じ年頃の柳島詩音という女子大生の学生証があった。連絡を受けて駆け付けた詩音の母・柳島由里枝は、馬淵家に飾られていた鈴の遺影を見て、あれは私の娘の詩音だと声を上げる。二人は瓜二つだった。 二人の母親が、死んだのは自分の娘だと主張し合うという、通常では考えられないシチュエーション。しかし鈴も詩音も二年ほど前、自分の顔が気に入らないといって整形手術を受けていた。温子と由里枝の胸にある疑惑が浮かんでくる。もしかして、どちらかの娘が二重生活を送り、二つの家庭で娘として振舞っていたのではないか。 二つの家庭環境は対照的だが、共通しているのは二人の母親とも娘としっかり向き合っていないし、父親も娘への興味が薄い。しかし二人とも自分たちの子育ては正しかった、と思っている点だ。母親視点のストーリーと併行して、鈴と詩音の高校時代を描いたパートも進行していく。物語が進むにつれ次々に新しい情報が開示され、事件の印象が目まぐるしく変化する。その構成の巧みさに思わず唸る。序盤は荒唐無稽の設定に半ば呆れていたが、徐々にあり得るかもと思えてくるから不思議だ。 ライフスタイルも性格も対照的な二人の母親が、娘の素顔を探るという辛い作業を通して、無二のバディとなっていく。いくつかの捻りを加えて予想だにしないその展開の皮肉な面白さ。ある情報を手掛かりに娘たちの足跡を辿った二人は、やがて慟哭の真相に辿り着く。二重生活が意味するもの、複数の手掛かりが一つに繋がり、人の心の複雑さを露にするクライマックスの展開には、ミステリの醍醐味に溢れている。恐るべきアプローチで真の家族のあり方を問いている衝撃的な物語。 |
No.629 | 5点 | 夜想 貫井徳郎 |
(2024/12/19 19:44登録) 妻子を事故で亡くし、絶望中の男・雪藤と不思議な力でその悲しみを感じ取った少女・遥。不幸という名の引力に誘われて二人は出会う。 遥の能力は何人もの人々を癒し、やがて信奉者が集まり教団を形作るまでになる。新興宗教を題材にした小説は多いが、中でもこの作品は人を救おうとする者が引き受けなければならない傷みがとても丁寧に描かれている。ヒロインを教祖に仕立て上げる宗教集団の顛末を追う部分で、極めてオーソドックスに語られこの物語の半分以上を占める。さらに二人の愛の間には「救いとは何か」という問いが常にある。 ある種の妄想に取りつかれた人物が、その妄想の逆転に立ち会わされる。雪藤はひたすら教団を維持し、教祖を盛り立てようとする。この不自然なまでの献身ぶりは何なのか。エンターテインメントとしての面白さと、傷ついた人間の再生のドラマが融合した後半の衝撃的な展開は圧巻。ミステリ的カタルシスをもって閉じられる結末には、本当の救いが訪れるため絶望の果ての希望が最も尊いのだという作者の思いが伝わってくる。題材としては悪くはないが、ミステリとしては弱い。 |
No.628 | 6点 | エンドロール 潮谷験 |
(2024/12/15 19:23登録) 新型コロナウイルス蔓延後の風景を反映させて描いた謎解き小説。学生が数年にわたって学習や部活動の機会を奪われるなど、若者たちもコロナ禍から大きな負の影響を受けたが、彼らに注がれる世間の視線は冷たかった。そんな社会に対し、若者の一部は自殺という方法で抗う道を選ぶ。彼らの中には、死ぬ前に自伝を国会図書館に納本する者たちがいたが、それは哲学者の陰橋冬の影響だった。支持者たちとともに集団自殺した彼の厭世的な思想は、若者の間にウイルスのように拡散してゆく。 この動きに対し、高校生にして新人作家の雨宮葉が立ち上がる。五年前に病死した彼の姉・雨宮桜倉はベストセラー作家だったが、その遺作「落花」の登場人物のモデルたちが陰橋の影響で自殺したことから、桜倉の想いが踏みにじられたと感じていたからだ。病状が悪化する中、特別な想いをこめて姉が執筆したはずの「落花」が、陰橋たちのせいで不吉な書物として受け止められている。葉はネットテレビで、自殺を肯定する「生命自立主義者」たちと議論で勝負をつけようとする。 こうして自殺否定派と肯定派、三人対三人の論戦が始まるのだが、ここから先の展開は前作「時空犯」同様、予測不能の振り回す展開でサプライズが多く、刻一刻と物語の様相が変化して驚かされる。かなりアクロバティックな論理に基づく謎解きだが、アクロバティックではあっても奇を衒いすぎた印象を受けないのは、現実の社会を襲った災厄を背景にすることで、登場人物ひとりひとりが背負う死生観に説得力が付与されているからだろう。一見違和感を覚えることなく読み逃してしまいそうな彼らの言動に秘められた真意が明かされる時、作中で軽く扱われている人物など誰もいないということが判明するのである。 葉をはじめとする登場人物たちが、最後に辿り着くのは絶望か、それとも希望か。謎解きの形式でポスト・コロナ社会における死と生を描くことに挑んだ意欲作。描かれるテーマは重いが、全体の雰囲気は暗くない。 |