パメルさんの登録情報 | |
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平均点:6.12点 | 書評数:653件 |
No.653 | 7点 | 硝子細工のマトリョーシカ 黒田研二 |
(2025/03/30 06:57登録) 物語は、人気推理作家であり女優の美内歌織が、脚本・主演の生放送のミステリドラマ「マトリョーシカ」を中心に、歌織の恋人である森本晋太朗の視点で語られる。 映画監督・大海司の首吊り自殺、報道番組に爆弾が仕掛けられたという予告電話という体裁のサスペンスドラマは、しかし番組中に主演の歌織が飲んだ麦茶に毒が入れられるという現実の事件が発生したことから、次第に現実と虚構が混交していく。 タイトルにあるマトリョーシカはロシアの郷土玩具で、胴体が二つに分かれ中から同じ形をした少し小さな人形が複数、入れ子式に入っている人形だ。一体どこまでがドラマで、どこからが現実なのか、「現実」と思われたシーンが実は「ドラマ」であり、「ドラマ」と思われていた部分が「現実」でと作品世界はマトリョーシカ人形のように多重の入れ子構造となっている。その複雑な構造は、眩暈感を醸し出すことに成功している。 一見些細な描写や会話が、後半で重要な意味を持つ仕掛けが随所に散りばめられている。特に過去と現在の交錯が謎を深め、最後まで引き込まれる。そしてラストの意外性と伏線の回収の鮮やかさに唸らされた。緻密な構成と、人間の闇に光を当てる視点が秀でた一作。 |
No.652 | 7点 | 名探偵のままでいて 小西マサテル |
(2025/03/26 06:47登録) 第21回「このミステリーがすごい!」の大賞受賞作。 主人公は小学校教師の楓で、探偵役はその祖父が務める。祖父はレビー小体型認知症を患っており、症状の一例として幻視がある。 そんな祖父に楓は日常の中で遭遇した気になる謎や不可解な事件を話して聞かせる。祖父は日常と幻視の狭間で解き明かしていく連作の形をとりながら、終章で壮大な伏線を回収する大きな結末に辿り着く構成となっている。天才的な推理能力というう属性を持ちながら、同時に人間らしい脆さを併せ持つ描写が秀逸。 最初の一編は、故・瀬戸川資の著作に氏の訃報の新聞記事が挟み込まれているのが謎となる。それ以降も、密室、人間消失、「幻の女」のモチーフ、リドル・ストーリーと、ミステリの伝統的な意匠を意識し、先行作の古典作品にも言及している。そして決め台詞の「楓。煙草を一本くれないか」と口にして巧みに謎解きをする。 各章で古典の数々が引き合いに出されるだけではなく、それらを髣髴とさせるギミックを駆使した独自の本格ミステリが繰り広げられるという古典名作への心憎い目配り、認知症の祖父を思いやる孫娘の優しさと切なさ。このバランス感覚が生み出す心地良さが魅力的。作者のミステリ愛も感じられるし、推理小説としての完成度だけでなく、人間ドラマとしての厚みを求める人に強くおすすめしたい。 |
No.651 | 5点 | 鷺と雪 北村薫 |
(2025/03/22 19:19登録) ベッキーさんシリーズの第3弾。第141回直木賞受賞作で昭和9年から11年までの出来事が3編収録されている。 別宮みつ子ことベッキーさんは、学者の家に生まれアメリカの大学を卒業したが、帰国して花村家のお抱え運転手になった。花村家の当主は財閥系商事会社の社長。娘の英子はベッキーさんの運転する車で学校に通うという絵に描いたようなお嬢様。 「不在の父」多くの人でごった返す伯爵邸から弟子の子爵が忽然と姿を消た。この行方不明になった謎を追う。この作品全体のラストを予感させる終わり方。 「獅子と地下鉄」中学受験を控えた和菓子屋の息子が深夜の上野公園で補導されたが、本人はその理由を明かそうとしなかった。親の子供への愛、そして子供の親への愛にしみじみとさせる。 「鷺と雪」子爵令嬢が服部時計店でカメラを買って試し撮りしたところ、外国にいる許婚者の姿が写っていた。ちょっとしたからくりと当時の写真機を知った上でのトリック。 日常的でしかも奥深い事件の謎が、ベッキーさんの推理によって鮮やかに解明されていく過程の面白さもさることながら、背景となる上流社会の描写に精彩があり、当時の文化や風俗もしっかり織り込まれている。特に表題作は、2・26事件を扱っておりラストは切ないばかりの痛みが鮮烈。 |
No.650 | 7点 | 七人の中にいる 今邑彩 |
(2025/03/18 18:48登録) ペンション「春風」のオーナー・村上晶子の結婚パーティに招かれた七人がペンションに集まった。そんな折、晶子に届いた一通の手紙と写真。それは彼女の二十一年前の犯罪を告発し、復讐を予告するものだった。復讐者は七人の中にいるのか、復讐の予告日クリスマス・イヴは刻一刻と近づく。 二十一年前に仲間と起こした事件をプロローグとし、物語は二つの流れで展開する。ひとつはペンション「春風」で晶子の周囲で不可解な出来事が続発し、疑心暗鬼に陥り復讐者に怯える。二十一年前の事件現場にあったオルゴールが効果的な小道具として用いられている。もうひとつの流れは、晶子の過去を知った元刑事・佐竹治郎を中心に、わずかな手掛かりを元に二十一年前の生存者のその後を追う。彼の調査によってペンションに逗留する客に疑惑が持ち上がる。 誰が犯人なのか断定できない、誰が犯人でもおかしくないといった状態で主人公の不安や恐怖が徐々に増幅されていく心理描写が圧巻。作者らしい細やかな伏線が随所に散りばめられ、二転三転しながら最終局面での逆転に至るまで、論理的な矛盾はほぼ見られない。そして意外な犯人が明かされるが、「脅迫状」に隠されていた仕掛けが明らかにされるところなどは巧み。事件の根底にある動機が、単なる悪意ではなく過去のトラウマや経験が現代社会においても人々の行動や心理に大きな影響を与えることを示唆するなど、社会的テーマに結びついている点に深みを感じた。 |
No.649 | 7点 | 宿命と真実の炎 貫井徳郎 |
(2025/03/14 19:22登録) 「後悔と真実の色」の続編で、前作の主人公・西條輝司が登場するが、警察を辞めた西條は安楽椅子探偵的役割に留まり、新たな主人公として所轄署の女性刑事・高城理那が中心に据えられている。高城は関連がない思われた警察官の連続死に意外な繋がりを見つけ出し、連続殺人事件ではないかと独自に捜査をする。 物語は警察側の捜査と、犯人側の復讐劇の二つの視点から展開される。冒頭で犯人の素性が明かされる倒叙形式でありながら、動機や真の目的は最後まで伏せられるため、ホワイダニットを追う緊張感に引き込まれる。警察官連続殺人事件の背景に隠された冤罪と組織の隠蔽体質が、社会派的テーマとして重くのしかかる。冤罪を扱いながらも、単なる批判に留まらず正義感と組織の矛盾を描き出している。 ラストは救いのない展開だが、高城と西條の成長、そして犯人たちの哀しみが交錯する様子に深い余韻を残す。警察組織の闇と個人の正義をテーマに、複雑な人間模様を緻密なプロットを組み合わせ「真実とは何か」を問いかけた力作。 |
No.648 | 6点 | 倫敦時計の謎 太田忠司 |
(2025/03/10 19:31登録) 天才時計作家・弥武大人が、ロンドンのビッグベンを模して建造した巨大時計。そのオープニングセレモニーで、弥武大人の死体が発見される事態を皮切りに、時計を舞台にした連続殺人が展開される。 探偵役は小説家の霞田志郎と妹の千鶴。千鶴は素人の視点で事件に関わるため、専門的な推理よりも直感的な行動が物語に緊張感と親近感をもたらす。作者の筆致は軽妙でおどろおどろしくすることなく、悲惨な事件現場との対比が際立っている。特に千鶴の視点で通じた日常会話やユーモアが重いテーマのなかでもリズムよく物語を進める役割を果たしている。 密室やからくり時計の仕掛け、事件の背後に潜む子供じみた悪意が物語の軸となっている。緻密な伏線と最後まで驚かせるラストが特徴的で、ホワイダニットよりハウダニットに焦点が当てられ、本格ミステリの醍醐味が味わえる。最後に明かされるある秘密には、なるほどと感心させられた。 |
No.647 | 6点 | 火神を盗め 山田正紀 |
(2025/03/06 19:25登録) 中国との国境に近いヒマラヤ山中に建造された原子力発電所(火神・アグニ)。極右派の工作員たち(フラワーチルドレン)によってアグニに爆弾が仕掛けられていることを知った日本商社のセールス・エンジニアの工藤篤は命を狙われることになる。一旦帰国した工藤は、爆弾を撤去することが生き残るための唯一の道だと知り、数人のサラリーマンとともに鉄壁の要塞であるアグニに潜入を試みる。 落語家になり損ねた桂正太、英語コンプレックスで影の薄い仙田徹三、女を口説くことに全精力を傾ける左文字公秀という、無能と烙印を押されたサラリーマンが勇気を持って潜入しようとするのだから痛快。この原発は、周囲を触圧反応装置で囲まれ、ドーベルマン付き鉄網錠、熱廃水用水路にはワニがいる。おまけにフラワーチルドレンの冷酷無比な殺し屋リリーとローズが彼らをつけ狙うという念の入れよう。 このウルトラ級難度の障害を、あの手この手で突破しようとする過程が読みどころだが、それとともにそれに至る経緯、平凡なサラリーマンがなぜ危険を冒すのかというところも魅力の一つとなっている。また、ダメ社員とされるメンバーが、困難を乗り越える冒険小説を超えた人間ドラマとして爽やかに描かれている。確かにご都合主義的な部分はあるが、スパイ小説の緊張感とコメディ要素が融合した極上のエンタメ作品に仕上がっている。 |
No.646 | 6点 | ファンレター 折原一 |
(2025/03/02 19:35登録) 絶大な人気を獲得した作家・西村香は、性別・年齢を一切不明な覆面作家だった。そんな西村のもとに送られてくるファンからの手紙など、全編が手紙やファックス、留守電などの文書形式で構成され、それらが西村を奇妙な事件に巻き込んでいく9編からなるブラックユーモアが光る短編集。 「覆面作家」西村香の熱烈なファンの大瀬ななみは、西村と何度か手紙でやり取りするようになる。身勝手で思い入ればかりが強い大瀬ななみに反感を持つが、それを上回る悪意が明かされるラストになると彼女に同情してしまう。後味はとても悪い。 「講演会の秘密」西村香のもとに舞い込んだ講演会の依頼。西村はそれを断るのだが。トリックの仕掛け方が面白い小技が効いた作品。結末はほろ苦い。 「ファンレター」西村香の下の階に住む西村薫は、西村ファンの手紙を誤って開封してしまう。じわじわと文面から伝わるファンの狂気が、リアリティがあって怖い。全てがひっくり返るラストは見事。 「傾いた密室」ファンの女性から密室殺人の謎を解いてほしいという依頼がはいる。ファックスのやり取りだけで物語は進行する。トリックもオチも見当がつきやすい。 「二重誘拐」西村香は土砂降りの山中で遭難してしまい、ファンだという女性に助けられる。ミザリーのパロディ。状況だけ見ると悪夢だが、西村の悪い本性が炸裂していて痛快。 「その男、凶暴につき」西村香に温泉の紹介記事を依頼される。設定が違うだけでトリックは同工異曲といった印象。 「消失」西村香は編集者が紛失した原稿を書き上げるためにホテルに籠る。皮肉たっぷりでイヤミス好きにはたまらないラストとなっている。 「授賞式の夜」西村香は新たに設けられた文学賞を授与されることになったが。ラストでの意外な展開に。その大げさな仕掛けにツッコミを入れたくなる。 「時の記憶」探偵事務所に記憶喪失の男が訪れ、「自分は西村香らしいのだが」と告げたが。オチ自体は見当がつきやすいが、この次のエピソードとの合わせ技がいい。単なるパロディに終わっていないところもいい。 |
No.645 | 7点 | てのひらの闇 藤原伊織 |
(2025/02/26 19:29登録) 主人公の堀江雅之が勤めるのは大手飲料食品会社。商品企画や宣伝制作、マーケティングなどが丹念に描かれていて、このように戦略を立てて製品を売るのかと首肯させられるところが多くある。その堀江は自主退職を間近にしており、会長や同僚とその周辺の人々との関わりが描かれていく。またリストラが吹き荒れるサラリーマンの世界の描写が物語にリアリティを与えている。その堀江が恩義を感じている会長の自殺を機に一転してハードボイルドタッチになり、あとは終結まで息もつかせぬ展開が続く。 主人公が超人過ぎるきらいはあるが、無駄な装飾がそぎ落とされ、なんとも言えない洒落た味がある。物語は錯綜し、至るところに伏線が張ってあるから油断ならない。舞台はどんどん広がって、経済界から政界、企業舎弟、暴力団まで巻き込んでいく。それらが堀江の過去と繋がり、少しずつ解きほぐされて伏線が一本に収束されるのだが、その収束の仕方が無理にこじつけがなく、張り詰めた緊張感が持続して、リアリティを損なうことがない。ハードボイルドを基調としながらも、企業小説やミステリさらに心温まる人間ドラマと多層的な作品となっている。 |
No.644 | 5点 | 無明 今野敏 |
(2025/02/21 06:47登録) 警視庁強行犯係。樋口顕シリーズ第七弾。 ある日、樋口は東洋新聞の女性記者・遠藤に相談を持ち掛けられる。三日前に荒川の河川敷で発見されたのだ高校生の水死体が自殺と断定されたことに両親は納得していないというのだ。しかしそれは千住署の担当であり、その決定に対して今さら口を挟めるはずもなかった。だが、樋口は気になり藤本由美巡査部長とこの事実を慎重に洗い直していく。その行動に対し、石田理事官からは激しく叱責され、懲戒免職もほのめかされる。組織の秩序と真実の追求の狭間で苦悩する様子は、現代社会における個人の倫理観を問うテーマとして深みを与えている。 誤認逮捕、冤罪を生む要素はいつだって潜んでいる。そういうことを絶対に許してはいけない。また同様に、他殺の痕があるにもかかわらず、それを無視したり間違った捜査をしたり、あるいは無かったものとして隠蔽したりという行為も許せないと樋口は心の底から思っている。 本書では、個人として絶対に譲れないその正義を敢然と貫こうとする樋口の姿が何とも凛々しく描かれている。また娘に対し父親としての対応を妻の恵子に迫られる場面が各所に散見できる。本シリーズならではの家族の団欒、理想のひとつの家族形態がある。不満な点は、事件の解決が急展開過ぎる点と、敵対するキャラクターの動機描写がやや物足りないところ。 |
No.643 | 7点 | プラスティック 井上夢人 |
(2025/02/17 19:25登録) ネタバレしています。 2024年本屋大賞の発掘部門「超発掘本!」に選ばれた作品。 この作品は、54個の文書ファイルが収められたフロッピーディスクを中心に物語が展開される。(フロッピーディスク懐かしい!若い人は分かるかな?)専業主婦の向井洵子、作家志望の奥村恭輔、暴力的な雰囲気を漂わせる藤本幹也、気の弱い若尾茉莉子、そして第三者的なスタンスの高幡英世の複数の人物の記述により物語は進む。 冒頭では、向井洵子が夫の出張中に書いた日記が紹介され、その日記が次々と謎を呼び起こす。物語はファイルごとに語り手が変わることで次第に真相に近づいていく。奥村による調査は各人との証言とは矛盾し、背反する。事態は混迷し錯綜していき、どれが正しいのか分からなくなり、この不安感が堪らない。 この物語の核心は、アイデンティティの脆さと多重人格というテーマにある。展開は衝撃的で人間の自我や記憶の不確かさについて深く考えさせられる。全ての証言が重なり合う時、真相が明らかになるが、それは途中で気付く人が多いかもしれない。ただ、ラストで描かれる数奇な運命に弄ばれた一つの決着のつけ方や、雰囲気はとても好み。 結末は、「自分とは何か」という問い掛けが投げかけられ、深い余韻を残す。単なる謎解きを超えて、人間の内面の複雑さを描いた実験的で不思議な味わいを持った作品。 |
No.642 | 5点 | 或るエジプト十字架の謎 柄刀一 |
(2025/02/12 19:26登録) カメラマンで名探偵の南と法医学者のエリザベスのコンビが事件を解いていく。タイトルが示す通り、クイーンの国名シリーズへのオマージュを捧げる4編からなる連作短編集。 「或るローマ帽子の謎」多くの帽子が飾られたトランクルームで、頭部を激しく殴打された死体が発見される。現場への出入りが防犯カメラに録画されていた。ある先入観から真相を遠ざけるミスリードが光る。 「或るフランス白粉の謎」麻薬密売組織の幹部とみられる老女が扼殺された現場は、床一面に白粉が撒き散らされていた。意外な犯人と意外な犯行動機に驚かされた。 「或るオランダ靴の謎」大槻忠資は大病院の院長、妻の未華子は木靴のコレクションをしていた。大槻邸に多くの客や親族が泊まった翌日、忠資の撲殺死体が発見される。殺害現場の離れと母屋との間の靴跡が事態を複雑化させる。クイーン風の論理性を保ちつつ、現代的な解釈で再構成されている。 「或るエジプト十字架の謎」芸術大学の学生たちが訪れたキャンプ場で首のない死体がT字型の掲示板に括られた状態で発見される。トリックのための事件というようなご都合主義が感じられた。 全体的に回りくどい文章で読みづらく、状況が分かりにくいところが難点で、展開も淡々としている。ただし、いわゆる「後期クイーン問題」への目配せが随所に散りばめられ、その命題への回答として興味深く読めた。 |
No.641 | 6点 | プリンシパル 長浦京 |
(2025/02/08 19:23登録) 関東最大級の暴力団の組長の娘として生まれた水嶽綾女が主人公で、戦後日本の闇を虚実取り混ぜる形で克明に描いたノワール小説。 教師だった綾女が、父が亡くなり不本意ながらも後継者となった直後に起きた凄惨な事件で腹を括る。暴力団組織間の抗争、GHQの思惑と不良軍人の思惑、政治家たちの欲と陰謀といった闇のなか、己の死をどこかで願いつつ突っ走っていく。戦後の動乱期における国の政界と裏社会の癒着ぶりが実によく調べ上げられているし、女の身で暴力団組織を継がざるを得なかったピカレスクロマンとして読み応え十分。 フィクションであるにもかかわらず、ここに描かれたようなやり取りが実際にあったのではないかという錯覚すら覚えてしまうのは、綾女が過酷な世界を生き抜く生身の女性として物語の中で息づいているからだろう。綾女の報復手段は、卑劣なもので彼女に感情移入することは難しいが、その存在感は説得力を持っている。 |
No.640 | 6点 | 令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法 新川帆立 |
(2025/02/04 19:32登録) 舞台は令和ならぬ「礼和」、「麗和」、「冷和」などの架空の元号(読み方はすべて「レイワ」)が使用されている法律がテーマの6編からなるパラレルワールド短編集。想像もつかないような法律が出来てしまったら、社会はどうなってしまうのか、思考実験を具現化した作品が並んでいる。 「動物裁判」では、あらゆる動物に人間同様「命権」が認められるという考え方が浸透している。 「自家醸造の女」では、歴史も現実と異なっており、戦後すぐにGHQの主導で日本に禁酒法が導入されている。 「最後のYUKICHI」では、現金が廃止され、地方や反社の間だけ流通し、マネーロンダリングの手段になっている。 「接待麻雀士」認知症予防に効果があるという建前で、賭け麻雀が合法化され賄賂の授受に利用されている。 その他の作品も含め、すべての作品が奇妙なアイデアに基づいている。いずれも架空のレイワ社会を細部まで設定することでリアリティを演出しつつ、「令和」の現実への風刺にもなっている。法律が定めたことで、新たな同調圧力が生まれ、そのしわ寄せが人々の生活に歪つな影響を及ぼすことになってしまうのだ。 思いがけない反転や皮肉と戦慄に満ちた展開など、さまざまな作風を披露しつつ、社会を見据える鋭い眼差しで統一された意欲的な歴史改変SF短編集。 |
No.639 | 6点 | かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 宮内悠介 |
(2025/01/31 19:19登録) 舞台は明治末期。登場人物の多くは木下杢太郎、北原白秋、吉井勇など実在の人物である。彼ら若き芸術家たちは、ベルリンの芸術運動の会名にちなんだ「牧神の会」を結成する。彼らは、隅田川沿いの西洋料理屋「第一やまと」に集い、そこで語られた事件を巡り、推理合戦を繰り広げる。 「菊人形遺文」公衆の面前で菊人形が日本刀を突き立てられた。白秋の一言を皮切りに、あれやこれやと推理する。作者はアイザック・アシモフの「最後家蜘蛛の会」の形式に倣ったという。つまり参加メンバーが、推理をぶつけ合い、様々な可能性をロジカルに排除した上で意外な真相に着地するパターンである。この作品の場合、店の給仕・あやのが鮮やかに謎を解き明かす。以降もこの様式美に則って謎解きが展開していく。 「浅草十二階の眺め」は、関東大震災で崩れた凌雲閣が舞台。「さる華族の屋敷にて」は、実際に起きた当時の猟奇事件をモチーフにしている。「観覧車とイルミネーション」は、夏目漱石が登場し、東京勧業博覧会を舞台にした殺人事件。「ニコライ堂の鐘」は、東京に現存している聖堂が舞台。「未来からの鳥」は、いくつもの暗示的な鳥と謎、パンの会の面々の先行きが折り重なりながら、大胆な趣向によって芸術が孕む危うさも浮き彫りにされていく。本書の全体を通じての趣向や、あやのの秘密も明らかになる。明治ロマンをたっぷり纏った謎と事件の先に待ち受ける真相と青春小説としても読ませる。 |
No.638 | 5点 | パラレル・フィクショナル 西澤保彦 |
(2025/01/27 19:44登録) 久志本刻子と甥の有末素央は、予知夢の能力を持っていた。本作の特殊設定は未来に起こる出来事を夢で見る能力の存在である。いわゆる予知夢の設定を活かしたいくつかの妙があって、その一つが血族二名に同じ能力が現出している点。互いの認識を補完し合う過程に妙味がある。冒頭で明かされる夢の内容は、資産家一族が集まった別荘で次々と惨殺されるというものなのだが、さらにややこしいのはその事件が起こらなかったのはなぜなのかという問題が発生していること。つまり本作は、現実には存在しない事件の犯人の動機に迫るという奇妙な目的から始まるわけである。 起こらなければそれでいいとはならないのが設定の妙。悪意の所在を推理する過程で、異能力を逆手にとったツイストが幾重にも仕掛けられ、物語はますます複雑さを増していき、全ての関係者が特殊状況に飲み込まれていくラストに背筋が凍る。この構成が巧い。西澤作品を読み慣れている人は、仕掛けに気付くかもしれないが、そこにさらに捻りを加えているところが作者らしくていい。 |
No.637 | 6点 | 鴉 麻耶雄嵩 |
(2025/01/23 19:25登録) 何者かに殺された弟の襾鈴の失踪と死の謎を解くために珂允が辿り着いた村は、四方を山に囲まれ、外界との連絡が全くと言っていいほどなく、歴史から取り残されたような村だった。その村には、絶対的権力で村人の生活の隅々まで支配する神・大鏡がいた。 その異世界な設定が単なる飾りに留まらず、ミステリとしての作品世界そのものに奥深く結びついている。特にその村に伝わる殺人者に関する言い伝え、殺人者の腕に必ず浮かび上がる痣や時折、村に生まれるという鬼子などが効果的に使われている。また襲いかかる鴉の大群が禍々しさと相まって怪しげな雰囲気を出しており魅力的。 この物語は、主人公・珂允の行動と推理を追う一方で、橘花、朝萩、啄雅の三人の少年の行動を描写していく。珂允が村にくる半年前に起きた変死事件を村人たちは自殺と断定するが、橘花だけは殺人事件だと疑う。そして起こる新たな殺人事件。三人の少年は、この二つの事件に何か関係があるのではと調査を始める。 珂允と少年たちが合流する時、カタストロフへ向けて加速していく。嫉妬と憎悪と偽善。村内部でのカタストロフ、村そのもののカタストロフ、そして物語そのもののカタストロフへと。この二転三転のラストに翻弄される感覚に酔いしれた。しかし真相については、あまりにも突飛すぎて好き嫌いが分かれるかもしれない。 |
No.636 | 4点 | 沈底魚 曽根圭介 |
(2025/01/19 19:30登録) 現職の国会議員が中国に機密情報を漏らしていると、中国人外交官が証言したと新聞記者がすっぱ抜いた。警視庁公安部の刑事である不破は、警視庁外事情報部の凸井理事官が率いる捜査班に組み入れられた。やがて潜伏中のスパイ(スリーパー=沈底魚)である国会議員が、政界のサラブレッドであり将来の首相候補と評判の芥川健太郎であるという情報が伝わってきた。そんな折、不破の秘書を務めていた伊藤真理が失踪してしまう。不破はスパイ摘発と、各組織の思惑が絡み合う複雑な事件の渦中に巻き込まれていく。 地味なプロットを支えているのが、抑制の効いた文体と簡潔で的確な会話である。また個性的な刑事たちをはじめとしたキャラクターの造形にも秀でている。その堅牢な枠組みの中で、二転三転するプロットが展開されるのだが、結局は芥川がスパイであるか否かという、表裏一体の謎が反転するだけなので驚きが持続しないのが残念。選考委員の一人が指摘しているように「物語の進められ方が後出しじゃんけん的すぎる」と言いう評はごもっとも。都合の良すぎる展開は、やはり腑に落ちない。 |
No.635 | 6点 | 仮面 伊岡瞬 |
(2025/01/15 19:44登録) どんな人でも違う一面がある。他人には見せない素顔、心の奥の触れられたくない領域。そんな仮面の内側に迫るクライムサスペンス。 三条公彦は、中学時代に交通事故に遭い読字障害(ディクレシア)になってしまう。このハンディキャップを抱えながらも、アメリカの名門大学に留学した経歴を持つ作家で評論家。帰国後に出版した自叙伝がベストセラーとなり、現在テレビ番組のコメンテーターとして人気を集めている。整った顔立ち、落ち着いた物腰、そこに波乱万丈な生い立ちを武器に、三条はマネージャーの久保川克典と二人三脚でスターに成り上がっていく。だが、秘書の南井早紀から見ても、三条はミステリアスで捉えどころがない。明白な理由はないが、ただ何かが匂うのだ。仮面を被っているのではないか。 三条は、仮面の下にどんな素顔を隠しているのか。物語が進むにつれて、彼の実像が浮き彫りにされていく。三条の動向と並行して複数の事件も描かれていく。三条はこれらの事件と関わりがあるのかが、章ごとに視点人物を変えながら、事件の深奥に迫っていく。しかも興味深いのは、被害者たちも仮面をまとっていることだ。 誰もが仮面をつけているように、誰もが犯罪者になる可能性を秘めている。作者は彼らを理解できない怪物やサイコパスとして遠ざけるのではなく、誰でもそうなりかねない存在として描いている。題材としては平凡で、作者としては問題提起をしていると思うのだが、当たり前のことを言っているだけとしか感じられない。とはいえ、七人の視点から語られる群像劇は読み応えがあった。 |
No.634 | 6点 | アリアドネの声 井上真偽 |
(2025/01/11 19:29登録) 健常者も障害者も住みやすい新都市は、国土交通省と民間企業が共同で開発した地下都市「WANOKUNI」。その未来の幕開けを予感させる希望に満ちたオープニングセレモニーを巨大地震が襲う。 大地震により死傷者、遭難者が多発する中、要救助者は一名に留まっていた。その一人は、「目が見えない、耳が聞こえない、話せない」という三つの障害を抱えた市長の娘・中川博美だった。死と隣り合わせの現場から、尊い命をシェルターへと誘導する困難なミッションに挑む。 容赦なく刻まれる水没までのカウントダウン。災害救助用のドローン「アリアドネ」を操縦する主人公・高木春夫がこれでもかと直面するピンチの連続。さらに緊迫したその過程で、中川博美に対し疑惑の目を向け始める。 物語の中で繰り返しされるのは、「無理だと思ったら、そこが限界だ」という言葉である。本作はスリリングな救出劇であるとともに「無理」という困難な状況との向き合い方、限界を感じた人間がその壁を乗り越えるためにとるべき行動をミステリとして、勇気を与えてくれる人生哲学までもが伝わってくる。 フェイク動画が蔓延し、事実とかけ離れたところで真実が作り上げられていく今の時代、惑わされてしまう人が多くいるのも事実。光と闇、生と死、嘘と真実、希望と絶望などの要素が鮮やかに表現され、終盤の強烈な驚きとともに明かされる真相に胸が熱くなる。 |