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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1396件

プロフィール| 書評

No.676 6点 負けた者がみな貰う
グレアム・グリーン
(2020/03/30 20:57登録)
グリーンやらなきゃ、と思っても、意外に古本が転がってないんだね。もうちょっとリキ入れて探そうとは思ってるんだが....「密使」とか「おとなしいアメリカ人」とか「ハバナの男」とか、早くやりたいよ。で、転がっていた本作を手に取った。
まあこれ、グリーンでも純文じゃなくてエンタメで、コミカルでシニカルな恋愛喜劇。こんなのも書けるんだなあ。中年会計係の「ぼく」はケアリーとの結婚を控えていたが、勤め先の「大物」の気マグレに付き合わされて、モンテカルロで結婚式を挙げるハメになった...その「大物」はなかなか二人のもとに来ない。豪華リゾートでお金に困りだした二人は、一発逆転を狙ってカジノに赴くが、「ぼく」の意外な数理の才?が発揮された「システム」によって、大儲けをしてしまう。しかしそれが「ぼく」と新妻ケアリ―のスレ違いの始まりだった!金持ちになった「ぼく」なんて、ケアリーにとっては魅力ゼロなのだ....二人ともアテつけるように別な男女を寄せ付ける。そのころようやく「大物」がモンテカルロに到着し、年の功で「ぼく」にあるアイデアを授ける...
という話。まあセンチメンタルで陽気な上出来なオハナシ。「大物」の策はなかなか気が利いている。「カトリック作家」というのを意識しすぎるのも何かもしれないんだが、やはり賭博というものには形而上学的な味わいがあるものだ。賭博狂のパスカルの話がよく引き合いにだされるわけだけど、「神の存在を賭けによって問う」護神論を連想するのは仕方のないことだ。神なしに自身の才知で「システム」を作り儲けた「ぼく」は、それを通じて「本来のぼく」=ケアリ―からずっと離れてしまい、帰ってきた「神」=「大物」が授けた「賭け」を逆用した「策」によって自分と和解する話、とか読んでもおかしくなんだろうね。賭博にハマる、こんなバカな「ぼく」に可愛げがあるしねえ。
まあ、それにしても、気が利いた話には違いない。「大物」の策がなかなか秀逸だから、それでもトンチの効いた最広義の「ミステリ」に入るかな。


No.675 5点 公園には誰もいない
結城昌治
(2020/03/30 20:24登録)
昔は真木三部作どれもそれぞれ好きだったんだけどなあ....今回読み返して、やはり「暗い落日」が突出していい、という印象になりそうだ。本作は犯人が仕掛けたことになるトリックにあまり意味がない、というか、小説的に「効いて」いる部分がないので、「ふうん、犯人かわいそうね」という程度の感想になっちゃうのが一番まずいあたりだと思うんだ。

(カンのイイ人はバレると思います)
だからね、評判の悪い賭けの話だって、ホントは一種の対比を作るような仕掛けを考えていたんだろうけども、犯人を最後まで隠したかったから...で対比が不発になっちゃったんだろうね。被害者の行動を通じて「今」の刹那的でケーハクな若者風俗(60年代末だが..)を描く、というのもどうも成功しなくて、被害者がただ無考えでエゴイスティックなだけみたいに見えちゃうのが、やっぱりまずいと思うんだ。結城昌治って中年女性を描かせると上手な作家と思うんだけどねぇ、若い女性は難しいよ。当時のゴーゴー喫茶とか映画に出てくる限りでは、どうも70年代風のディスコとは雰囲気が違うようで、もう一つ評者もよくわからないんだけどね...まあそういう描写を期待するのはムリだなあ。

というわけで、どうも本作、ロスマク風ハードボイルドがあまりイイ方向に作用しているといえなくて、「遠い落日」の二番煎じみたいなことにしかならなかったという印象。逆に「炎の終り」は中年女性の無残さみたいなものがあるから、世評とは逆に面白い、かも?


No.674 7点 火星年代記
レイ・ブラッドベリ
(2020/03/28 16:55登録)
まだ書評がないんだ....意外。まあSF作家だから、手が回らないか。
たぶん本作大好きな人多数だと思う。甘く詩的な文章に、センチメンタルな懐旧の味をまぶした上等な砂糖菓子のような小説。ミステリ色はないけども、抒情SFとしては大名作としての定評ある作品だ。文章というと、

夜の明け方、水晶の柱のあいだからさしこんできた日の光が、睡眠中のイラを支えていた霧を溶かした。イラが身を横たえると壁から霧が湧き出て、やわらかい敷物になり、その敷物にもちあげられて、イラは一晩中床の上に浮いていたのだった。音を立てぬ湖の上のボートのように、一晩中、イラはこの静かな河の上で眠ったのである。今、霧は溶け始め、やがてイラの体は目ざめの岸に下りた。

と、火星人の睡眠を描いたSF的な奇想が、そのまま詩的比喩に直結し、しかもギリシャ神話のレーテー(忘却・死・眠り)を響かせるという見事なもの。精神優位の文明を築き、テレパシーに長けた火星人が、地球からの侵略をテレパシーを使った策略で退けたのもつかのま、水ぼうそうによって火星人はほとんど斃れ、野蛮な地球人たちが火星を蹂躙することになる....アメリカの黒人たちも差別を逃れて大挙として火星に飛び立つありさまが、黒人霊歌そのままの宗教的な叙事詩のようだ。しかし、地球で最終戦争が起きると、火星に植民した地球人たちはこぞって地球に戻ろうとする....
こんな火星の年代記が明かすのは、地球人の独善と気まぐれな身勝手さである。まあここらへんの描写に、ブラッドベリの二面性みたいなものを評者は感じる。詩的で精神的なポオの血をブラッドベリは受けついているのはもちろんなのだが、同時にアメリカ人的な性格としてのトム・ソーヤー的なものと、ほぼ相いれない相克があるわけだ。アメリカ人独特の粗野で田舎者を自慢する傾向は、もちろんヨーロッパの洗練に対する対抗アイデンティティなのだけど、ブラッドベリ自身もこういうアメリカ人的な粗野さを悲しみつつも、自身の一面として捉えざるをえない...といういう矛盾を抱えたあたりが、面白いといえば面白いのだが、なんかうっとおしい部分でもある。
すまん、評者そこらへんにどうもノリきれないのを感じがちだ。なのでブラッドベリは苦手、の印象は変わらないなあ...けど、名作だと思います。ハマる人はかなり多いでしょうね。


No.673 7点 死刑は一回でたくさん
ダシール・ハメット
(2020/03/25 20:21登録)
さて評者もハメット短編をそろそろやらなきゃ...けど難度はチャンドラーやロスマクの比じゃない。どこまでやれるか?といろいろやり方を考えてみたのだが、どうしてもデジタル書籍のお世話にならざるを得ない、というのが結論である。で、この本、各務三郎編、田中融二訳の講談社文庫のハメット短編集だが、グーテンベルク21の同題の電子書籍はこの講談社文庫をそのまま電子化したものだ。収録と他の短編集とのダブりをまずまとめよう。

1.ダン・オダムズを殺した男 創元「スペイドという男」と重複
2.十番目のてがかり 立風「コンチネンタル・オプ」と重複
3.一時間 創元「スペイドという男」と重複
4.パイン街の殺人 重複なし
5.蠅とり紙 重複なし
6.赤い光 創元「スペイドという男」と重複
7.死刑は一回でたくさん 創元「スペイドという男」と重複
8.両雄ならび立たず 重複なし

というわけで、やや創元「スペイドという男」とダブる傾向があるにせよ、3作この本でしか読めない作品がある。とくに「蠅とり紙」は、たまに鮎哲とかパズラーで採用されることのあるトリックを巡っての話。それを実際にやってみたらパズラーみたいにスンナリ行くわけじゃなくて、予想外の方向に事態が転がって「ミステリ」を作り出すことになる...そう読んだら、同じトリックでもパズラーでの予定調和でスタティックな扱いよりも、ずっとずっと「ミステリの本旨」に沿った使い方ができる、なんてハメットが嗤ってるように思えるんだ。読む価値あり。
ちなみにグーテンベルク21の「スペイドという男」は創元同題の稲葉ハメットとは全然別編集で、文庫未収録がかなり入ったものだから、これはかなりお買い得。同じく「コンティネンタル・オプ」は六興出版~ポケミス586の「探偵コンティネンタル・オプ」(砧一郎訳)がそのまま。

こうやってまとめてみると、全短編61作あって、雑誌掲載のみで文庫などに収録の無い作品が11作、創元稲葉ハメットが17作+グーテンベルク21なら13作がプラスで30作。やっと半分...
ふう、遼遠である。

後記:ちなみに「蠅とり紙」は木村二郎(仁良)氏が「ハードボイルド/私立探偵小説ジャンルのベスト短篇」と称賛して、自分の訳をHM2006/3 に載せたそうだ。確かに名作。木村氏(ジロリンタン)のHPになかなか面白いエピソードがあって、原作と「別な」犯人を指摘している(苦笑)。一読の価値があります。


No.672 7点 魔群の通過
山田風太郎
(2020/03/22 08:30登録)
風太郎でもこれは歴史小説。この人も「負け組」が好きだなあ。「風来忍法帖」が一番の典型だけど、自分たちは全滅しつつも守るべきものは守って目的を果たし、そうそう安易な悲壮には流れずに笑って死んでいく人々の群像みたいなものに、風太郎は結構執着しているようにも思えるんだよ。だから風太郎はモブだからって侮れない。「明治断頭台」の邏卒たちや「魔界転生」の弟子たちが、主人公たちのために捨て石になって死んでいくのを、ゲームなんだけどもゲームに還元しきれない「思い」のように受け止めるべきなんだろう。
そういう「負け組」として水戸天狗党を扱ったのが本作。天狗党事件は「水戸藩から維新有為の人材を根こそぎした」悲惨な事件だから、本作では悲惨さから風太郎は目をそらすことはない。この悲惨さを回避しようととくに女性たちが策謀するのが風太郎らしいが、女性の知恵をもってもこの「戦を好む男たち」と相互報復の嵐を防ぐことはできない...風太郎の筆も、天狗党の長征を悲壮ではあっても、結果的に無益な苦難でしかなかったと描いているかのようだ。「明るくゲーム的な風太郎」の特異な死生観の裏にあるであろう、対極のニヒリズムを本作は例外的に明かしているようにも思える。
なので忍法帖しか読まない風太郎読者に、ぜひとも読ませたい作品と思わないわけではないが....ヘヴィで無益で悲惨で、救いようのない話である。辛いなあ。


No.671 6点 世界短編傑作集2
アンソロジー(国内編集者)
(2020/03/22 08:10登録)
懐かしの短編傑作選である。今となってみると、とくにこの巻は短編黄金期の名探偵顔見世興行みたいなものだ。雑誌連載の短編がベースのもの中心なので、一つ一つにはあまり話のふくらみがなくて、名探偵のキャラも「もうわかってるでしょ」くらいで描写は最低限くらい。ルーチンな事件の中でも、個別の事件で面白いものを選んだ、という感覚。
アブナー伯父の「ズームドルフ事件」にはそれでもタダの有名トリックものじゃないだけの、宗教的な側面をうかがわせる小説らしい面白味がある。またソーンダイク博士の「オスカー・ブロズギー事件」には、複雑な機械がスムーズに動いて巧妙な結果が出てるようなメカニカルな美があってなかなか、いい。
逆にダゴベルトの「奇妙な跡」は、探偵役も奇矯な変人で、事件もリアルと言うのか馬鹿馬鹿しいというのか...で、描写もそっけなく「これでイイの?」と思うくらいのヘンテコな作品。ホームズ譚の「奇妙な受容」というくらいに思って珍重するのがいいのかもしれない。
そうしてみるとトレントの「好打」とかカラドスものの「ブルックベンド荘の悲劇」とかウィルスン警視の「窓のふくろう」は、探偵役のキャラもあまり話として効いていないし、面白味のない機械トリックだし...と思うのは仕方がないのかもしれないが、この「機械的」というあたりに、二十世紀初めの「大衆社会 meets (家電を象徴とする)電気」のショックを感じて、「電気の詩」を歌った時代の証言と読むのがいいのかも。
まあ何というのかね、このシリーズは「過去のある時代」が凍結して保存されているような懐かしさを感じる。評者の感傷かな。


No.670 8点 探偵青猫
本仁戻
(2020/03/22 07:23登録)
さて久々に漫画でミステリ。「探偵青猫」というくらいだから、主人公の青猫恭二郎は太正か照和の初めの男爵様、かつ道楽で探偵をつとめ、燕尾服だろうがタキシードだろうがバッチリ決まる男前である。

だからだ、虎人君 山ほどの依頼のうち僕が手掛けるに値する知的な事件がどれだけあると思う? 心底僕の知的好奇心を慰めてくれるものじゃなきゃイヤだよ 例えばコナンドイルと江戸川乱歩と横溝正史を足して、夢野久作と中井英夫で割り、モンキー・パンチをかけたようなヤツ

とまあ、こんな我儘なノリ。要するにBL探偵である。
考えてみると意外に男性向けで名探偵モノってウケづらいのだ。オトコは一般に、頭のイイ系のヒーローが嫌いなんだな。逆に女性向けだったら自分と比較しないから、男爵ボンボンで名探偵で男前はアピールポイントだ。なので本作徹底的に「女性の嗜好」に合わせて仕立て直した名探偵モノ、でしかもゼロ年代にBLがナミの少女漫画を超えたくらいに充実したドラマを生み出していった中で登場した作品である。作者は本仁戻。BLの枠を超えたアクションやバイオレンスを描いてショックを与え、しかも今風のライトさでなくて古式ゆかしき耽美の香りのする、BLの中でもヘヴィな異端作家。アクションも描ければビアズリーな黒ベタの美学も備えた、華麗な画風...と結構なコア向け作家の代表作になる。
今のところ6巻まで出て止まっているが、別に完結、というわけではないそうだ。内容はシリアスなミステリの回もあれば、能天気なギャグの回、恋愛主体の回、それから青猫の過去を巡る話など、バラエティに富んでいる。小林少年を巡って明智先生と怪人二十面相が恋の角逐を繰り返す乱歩オリジナルの裏設定を察するのは珍しいことじゃないが、本作だと青猫の宿敵である怪盗硝子蝙蝠は、青猫を「仕込んだ」親代わりの恋人で...という過去がある。
今のところの最終話になる「ネペンテスの袋」では、さらに硝子蝙蝠の元愛人の女賊ネペンテスが絡んで、明智vs二十面相vs黒蜥蜴の三つ巴で、命懸けのラブゲームを展開する、なんて豪華な話になる。しかもこのネペンテス、「老いを感じた黒蜥蜴」であり、食虫植物のように自らは動かずに男を惑わして自らを捧げるかのように財宝と命を奪う..というオリジナルも三島も超えた脚色がある。青猫も硝子蝙蝠もこのネペンテスに惑わされ、あるいは惑わされたフリをしつつ、互いを虜にしようと角逐する。ここではもはや性別も攻め×受けも、生も死も流動的な耽美界のドラマとしか呼びようもない世界になる。
「ネペンテスの袋」は極端にヘヴィな作品になるけども、助手の虎人少年との出会いを描いた2巻の「贋作家族」、4巻で歌舞伎の女形を巡って舞台上で起きた心中事件の謎を解く「鵺狐」、3巻で失踪から帰ってきた青猫が叔父に奪われた男爵家を取り戻す経緯を描いた「青少年」など、ミステリ的興味もなかなか本格的。
けどね、BLだからね、男同士の絡みももちろん呼び物のひとつだからね(苦笑)オーケーならどうぞ。


No.669 6点 青の時代
三島由紀夫
(2020/03/20 10:54登録)
「青」四連発の予定です。2発目は三島由紀夫なんだけど、まあ広義の犯罪小説、ということでいいのかなあ。終戦直後に東大生高利貸として名を馳せた山崎晃嗣をモデルにした小説。もちろん当サイト的には、高木彬光「白昼の死角」の導入部のモデル。主人公に「事件なき名探偵」といった分析的なキャラの雰囲気があるのが、三島らしさ。妙な意地とダンディズムが、いい。

敗戦によって戦前の価値観が崩壊する中で、「末は博士か大臣か」な東大の学生が、高利貸なんて低俗な商売を始めて...と世の中を慨嘆させた挑発的な部分を、今読むならまず頭に入れておかないとね。三島の狙いは、この主人公の川崎誠を「現代の英雄」として描くことなのだ。こういう挑発もだし、その事業のイカサマさ卑俗さに至るまで、すべて一挙に「現代の英雄」性として高めなければいけない...この使命を三島はアタマでは分かっているんだけども、どうも筆が進まなくて中途半端に終わってしまった。なので失敗作の部類である。そりゃ宣伝だけで資金を集めて食いつぶすだけの、蛸配当同然のイカサマな事業が続くわけがない。形式的な「物価統制法」で追い詰められて自殺する、というのが実際の「光クラブ」の末路なんだけど、そこまで小説は書けなくて、何か中絶したような終わり方である。
三島自身が山崎を大学時代に個人的に知っていたらしい。けどどうも、人間的にソリが合わずに好かなかったような雰囲気が、この小説から大いに立ち上る。いや三島が観念的に共感する部分も多々あるんだよ。それでもこの「英雄」がどうにもこうにも気に入らなかったんだろうね。なので三島自身の人間的な嫌悪感で作品が失敗するという、はなはだ「三島らしくもない」面が逆に面白い。

人生は、これをわれわれが劇的に見ようと欲するとき、まず却ってわれわれに劇を演ずることを強いる。そこでますますわれわれは人生を劇と見ることが困難になる。なぜなら演ずることなしに一つの劇を生きることは不可能であり、それが可能であるかのような幻想を、われわれは人生と呼んでいるからだ。

まあ、言いたいことは、わかる。けどね、これは三島の弁解だ。どうも弁解がましくなったことが、作品としてはダメでも、韜晦を通じて平岡公威の素顔が珍しく透けて見えるようで、面白いと思わないかい?


No.668 7点 天上の青
曽野綾子
(2020/03/16 23:44登録)
曽野綾子というとねえ...エッセイを読むかぎりでは愚論家・暴論家としか思えないのだが、いや小説家としては上出来。そもそも良い小説を書く能力と、時事に対して公正で洞察に富んだ発言をする能力とは、全然別、というかひょっとしたら反比例するのかも?と評者は思うくらいだから、小説が面白いことを認めるのにやぶさかではないな。で本作は新聞連載されて当時評者面白く読んだこともあって、今回再読。
湘南の海辺の町に和裁で生計をたてるオールドミス雪子の家に、一人の男が訪れた。「きれいな青だなあ」と男は雪子が育てた「ヘブンリー・ブルー」という品種の朝顔の花をほめた。これをきっかけにその男はしばしば雪子の元を訪れては、とりとめもなく話をして帰るような交流が続いた。この男、宇野富士夫は詩人を自称して、両親に寄生して仕事もせずぶらぶらと暮らす一方、女性をマイカーに誘って殺して埋める殺人鬼だった...
1971年に発覚した大久保清事件をもとにして書かれた小説である。ヒロインのオールドミスの雪子が、富士男に狙われるか...というと全然そうじゃないあたりにこの小説の面白味がある。なのでいわゆるサスペンスはゼロ。この雪子は作者らしくカトリックの信仰があるが、自然体で「のほほん」とした、普通の生活者だがどこかしら超俗的な女性。富士男は小説中で3人の女性と1人の少年を殺し、2人の女性を遺棄して結果として死に至らしめるなど、欲望と歪んだ復讐の念から勝手気ままな蛮行を尽くすのだけども、何というのかな、妙に「人がいい」。ガールハントした女でも、話を聞いてやって食事をおごってそのまま帰した女もいて、必ずしも殺人が目的というわけでもないのだ。行き当たりばったり、「適当でいい加減な殺人鬼」だというあたりにリアルさがある。
こんな富士男と雪子の交流が小説の主眼になる。雪子は「のほほんとした聖女」といえばその通りで、富士男も雪子を殺そうという気には少しもならない。しかし、雪子の人格や信仰が富士男に何か影響を与えたか...というとそういう話でもない。浅いと言えば浅い付き合いだが、それでも雪子は逮捕された富士男の運命を気遣って、弁護士の手配やら手紙のやり取りやら、かかわりを持ち続ける。この浅くて淡白な関係性が、なかなかユニークで、いい。
この二人の関係については特に事件らしい事件も起きないのだが、それでも最後まで雪子は富士男の運命を見つめ続ける。そこに批判も非難も、ましてや愛による弁護があるわけでもない。センセーショナルな題材をまったくセンセーションなしに描こうとした、立ち位置のうまさがこの小説の持ち味。いいじゃないか。


No.667 6点 ニコラス・クインの静かな世界
コリン・デクスター
(2020/03/15 11:40登録)
パズラーというものに、「フェアに読者が犯人を当てることができる」を要求しちゃうとすると、本書みたいなのは失格、ということになるのかもしれないね。ややアンフェアに感じるあたりもあるんだよ。二転三転するモース警部の推理に引きずり回されて、その都度絵面が切り替わっていくのを愉しむのを主体とするタイプになるのだが、本作はそれほどこの「切り替わり感」が強くないので、まあ普通?というくらいの評価。まあ丁寧に組み立てられてはいるのだが、スタジオ2のあたりの話は、他の入場者が分かるのか?とか今一つピンとこない。

けどねえ

「警部さんは?彼のクリスチャン・ネームは?」
ルイスは眉をよせて数秒考えた。まったく、おかしなことだ。モースにクリスチャン・ネームがあるなんて考えてもみなかった。

と書かれるくらいにモース警部はパズラーの推理機械なんだけど、ポルノ映画を見たがるとか妙に俗っぽいな.....バランスが何か変なキャラだと思う。


No.666 8点 オセロー
ウィリアム・シェイクスピア
(2020/03/14 14:46登録)
ハムレットとマクベスがあるのに、本作がないのはよくないな。
クリスティもクイーンも「究極の犯人像」はイアゴーだ、で一致しているのだもの。「カーテン」でも「十日間の不思議」でも「日本庭園」でも、本作がなければありえないというくらいの、ミステリ史的超重要作だと思うんだよ。
シェイクスピアだし戯曲だし、舞台の上でしっかりイアゴーは自分のプランを独白してくれるから、「倒叙/クライム」でジャンルは問題なし。オセローの猜疑心・嫉妬心を煽って、とんでもない殺人をそそのかすイアゴーのその動機は...というと、表面的には姦通疑惑の罠にかけるキャシオーへの嫉妬心、ということになるのだろうけども、読んでいてそういうのはタダのきっかけのようにも思えるのだ。
他人の運命をわざと捻じ曲げるという、隠蔽された権力意識みたいなものが見えて、イアゴーはなかなか悪魔的なキャラなのである。愛情は美しいから汚したいし、信頼も裏切るから戦慄するような喜びがある。そんな陰性の悪として、イアゴーが描かれているあたり、さすが「人殺し~いろいろ」なシェイクスピアの面目躍如。イアゴーと比較したらリチャード三世もマクベスも良心的なくらい、じゃない?
というかねえ、英米の翻訳小説を読んで楽しむんだったら、シェイクスピアは全作読んでおいてもムダにならない、と評者は思うくらいだよ。まあ1作1作さっと読めるからね。たまにはいかが。


No.665 6点 ウォリス家の殺人
D・M・ディヴァイン
(2020/03/14 14:12登録)
反核デモとか話が出てたから、出版年度を確認したら1981年だそうだ。ディヴァインでも最後の作品か。作品舞台は1962年のようだから、20年も前の時代設定で書いていることになる。何か事情があるのかな。
歴史学者の主人公は、血縁はないが兄弟同然で育った流行作家の招待に応じて、その家を訪れた。主人公は成功した天才肌の流行作家ジェフリーに対して、劣等感のようなものを感じて疎遠だったのだが、その息子とジェフリーの娘とが結婚する話が持ち上がり、その収拾とジェフリーの抱える別な問題を相談したい、という思惑をジェフリー夫人のジュリアは持っていたようだ。ジュリアは結婚には大反対、しかもジェフリーのトラブルは兄ライオネルがジェフリーの秘密を握っていて、恐喝などをしているようなのだ...はたして、ライオネルの家で格闘の跡と銃弾・血痕が見つかり、ジェフリーとライオネルは姿を消した!
と古典的ファミリートラブルの話。狭い範囲の人間関係で事件が展開するからフーダニットにおあつらえ向き。でディヴァインらしく人間関係を丁寧に膨らませて描いているので、小説としての読みごたえがある。別れた妻に引き取られて、元妻にあることないこと吹きこまれた息子に対する、主人公の対応などなかなか小説的な興趣がある。また作家ジェフリーの過去を追う調査小説としての展開の妙のあって、少なくとも退屈はしない。でその中に、細かい矛盾を突いて犯人を抽出するようなフーダニットが仕込んである。
しかしそれでもね、この小説的な仕掛けとフーダニットがちゃんと連動する、という話ではないので、そこらへんで印象が地味になっているようにも思う。地味で篤実なのはいいのだが、それ以上の「すごい・面白い」がないのが芸風なのかな。


No.664 8点 第三の皮膚
ジョン・ビンガム
(2020/03/12 23:16登録)
ある意味大変「有名な」作品。けど何か皆さん誤解しているようにも思う。評者が思うに本作は、1980年代までずっと現役として創元のカタログに載り続けていながらも、新本でも古本でも全然お目にかからない「創元の珍獣」みたいな本で有名だったんだ。まあだから誰も読んでない、のはそうなんだが、それは本が手に入らないからなんだよ。とはいえね、評者中学生の頃に、市の図書館で借りて読んだことがあるんだ。ただしその図書館でお目にかかったのも借りたその一度きり。評者にも何か幻のミステリなのである。
でもね、今回わざわざ注文で古本を入手して読んだんだが、本当に筋立てとか描写とか思い出すんだよ。それほどにインパクトが強かったな。この作者の「ダブル・スパイ」も評者はかなりツボな作品だったこともあって、実際お気に入りの作品になることは、分かってたんだけどね。やはり「ジョージ・スマイリーのモデル」のビンガムだけあって、リアルで洞察に富んだ人物造形はさすがなもので、気弱なダメ息子を抱えて奮闘する、冷徹なほどのしっかり者で聡明な母親アイリーンの造形が実に秀逸。きわめて理知的で苦々しく自己省察をするような女性で、タイトルの「第三の皮膚」もこのアイリーンの人間観に由来している。

人間には「第一の皮膚」というのがある。それは人々が、表面は世間に対して示しており、それで世間をあざむいたと思っている、性格の特性によって成り立っている。
つぎに「第二の皮膚」がある。それは「第一の皮膚」によって隠されている欠点とか弱点とかで構成されている。自信なさそうにしていながら、その裏にかくした己惚れ、積極性をみせかけながら、その裏にかくした臆病さ。温厚さをよそおいながら、その裏にかくした狡猾さや打算性などのことである。
多くの人は「第二の皮膚」を認めて、得意になっている。そして「第三の皮膚」の存在を知っているものはほとんどいない。(略)「第三の皮膚」とは、善人悪人にかかわらず、すべての男女が持っている基本的な子供らしさである。(略)歳月によって生じたかさぶたのようなもの、犬儒主義、利己主義、挫折した希望に起因する冷淡さなどがひっぱがれると、彼らは、自分たちが真に希求しているものは、幸福になるための基本的なもの、愛情を与え受け入れるための、絶対に必要なもの、お互いの親近感であることを悟る。

とやや長い引用になってしまったが、こういう省察が実にスパイマスターのビンガムらしい。修羅場に直面した人間が、どういう風にその本質をあらわにするか...というのが、本書のテーマなんだよね。こんな省察をする女性が、本作の実質上の主人公なのである。それに引き換え、事件を起こす息子のレスといえば、アイリーンからみれば「年齢以上にこども」な「弱い」人間としか見えなくて、「育て方を誤った」とも思う。レスは愚かなゆえに悪い仲間に誘い込まれて犯罪の片棒をかつがされることになるが、この過程を通じて、自我が脆弱なレスは「第三の皮膚」をさらけ出しているようにアイリーンには見えてしまう。それでも家族を守るために、アイリーンはレスの尻を叩いて、あくまでもシラを切らせ続ける。この母親のキャラのユニークさがすべて。アイリーンの「第三の皮膚」はお世辞にも....
とはいえ、結末はわりとあっけない。アイリーンからすれば苦々しいハッピーエンド?なのも、ビンガムらしいといえば、らしいのだが、もう少しこだわってさらにアイロニカルな結末があったら、とは思う。結末が凄かったら、ホント評者は「愛の10点」なんだろうけどね。

実家に1987年の創元のカタログを見つけたので確認したら、まだ載っていた。重版が1971年だから、15年以上売れ残っていたんだろう...1987年でも定価は200円で格安。


No.663 5点 諜報作戦/D13峰登頂
アンドリュウ・ガーヴ
(2020/03/10 22:15登録)
ガーヴでも1969年の作で創元推理文庫から出た唯一の作品。評者ブックオフで拾った。こんなの転がってるんだ...欲しがる人の顔が見たいような本だから、重版なら100円で転がっていても不思議はないか。
NATOの実験機がソ連のスパイにハイジャックされて、トルコ/アルメニア国境の山岳地帯に墜落した。NATOは著名な登山家ロイスに、実験機に搭載された軍事機密のカメラの破壊を依頼する。墜落地点は未踏峰のD13峰の尾根。垂直に切り立った岩壁とクレバスだらけの危険な氷河に守られた、未知の山である。ロイスはアメリカの軍人登山家ブローガン大尉と共に出発する。未踏峰の危険にさらに加えて、山上ではソ連側も同様なパーティを組織してカメラを回収しようと狙っているだろう....
とまあ早い話、山岳小説である。ミステリ色は極めて薄くて、

ここではほかのクライマーたちじゃなしに、山がわれわれの敵なのだ

という冒険小説。ややバレだけど、ソ連側の登山隊に女性がいて、著名な登山家ロイスのファンだったりして....うん、ロマンス色あり。下山後に東西冷戦を絡めて、乙女のピンチとかベタに展開するけど、とってつけたみたい。山での自然の脅威の部分は、登山用語は評者全然わからないけど、わからないなりに読ませる。
評者もガーヴだから読んだんだけど、どうでもいい部類の本。


No.662 6点 ポンド氏の逆説
G・K・チェスタトン
(2020/03/09 20:58登録)
20世紀前半というのは「逆説の時代」だったと評者は思うんだ。科学を見たって相対性原理やら不確定性原理やら不完全性定理やら、どうみても逆説にしか見えない「科学的事実」がいろいろと明らかになった時代でもあるし、文学はといえば逆説の大家みたいなカフカやベンヤミンやオーウェルといった人らが「逆説でしか語りえない真実」を語ろうとしていた...そんな具合に感じているんだよ。
だから本作の「逆説」というのもそのまま時代の逆説、ということになる。チェスタートンだから、その根底にあるのはイギリス的なコモンセンスなので、作中で提示される「逆説」について、それが「こういう特殊ケースでは成立する」というのを示していくことになる。逆説が思考を刺激し、流動化させることを作者は目指すのである。この特殊ケースに「道化師ポンド氏」とか「目だたないノッポ」だと、チェスタートンらしいファンタジックな趣が出る作品は成功するし、あるいは「愛の指輪」も作者らしい道徳性の寓話として、うまくオチがついている。
とはいえね、逆説は相矛盾する言明がそのまま解決不能に噛み合う姿で、それがそのまま真実であるようなさま...そう考えてみたときには、「逆説」が実は「正説」であることにさほどの意味はないのだ。さらに言えば、「逆説」が解かれてしまえば、そこに蓄積された緊張がほぐれるだけ、それだけ「真実」からは遠ざかるのかもしれない。これが「逆説の逆説」ってものなのかもしれないね。


No.661 8点 乱れからくり
泡坂妻夫
(2020/03/06 07:41登録)
前作の「11枚のトランプ」が小粋なテーブルマジックの連鎖、といった作品だったとすると、本作は馬鹿馬鹿しいくらいの大掛かりな、それこそデヴィッド・カッパーフィールドみたいなド派手イリュージョンだと思うんだよ。そういうマジック上の対比を誰も指摘してないみたいだ。
評者かなり前に読んだのの再読で、一部内容を憶えていたが、トリックとか忘れてた...そういう評者がこう言うのフェアじゃないかもしれないが、それでも読んでてこれ、犯人わかるんじゃないかな(初読の時も見当がついたような...)。どっちかいうと「推測がついても、いい」というくらいの見切りで作者は書いていると思うんだ。隕石とか物理トリックとかを、「リアリティとかフィージビリティがない!」とかお怒りになるのは、大人気のない話。大ぼらがどんどん形になって「壮大なイリュージョン」を形成していくさまを見守る、そういう面白さを感じながら読むのがいいように思うんだよ。
ただ文章とかキャラ造形とか、やや上滑ってる印象がある。それでもね、

芸術家から見れば、からくり人形師たちは、いかにもうさん臭く見えるでしょう。最高のからくり人形でも、彼等は絶対に芸術だとは認めませんね。―反対に、純粋な科学者たちからは、自動人形などは児戯に等しく見えるでしょう。(中略)だが、からくり師の目からは、芸術も科学もまるで駄目、であるんです。判りますか?

うん、この宗児の問いかけが、作者の「ミステリ論」なんだよ。判りますか?


No.660 8点 エラリー・クイーン 推理の芸術
伝記・評伝
(2020/03/03 22:57登録)
「推理の芸術」によると...なんて評者、クイーンの作品評についつい書きがちだったわけだが、やはり長編を扱ってる部分を拾い読みしちゃってて、しっかり通読したことがなかった。それも失礼なので今回通読。
評者年寄りなんでつい「王家の血統」の増補改訂...というイメージがある。確かに「王家の血統」というか「エラリー・クイーンの世界」というかは、その昔日本のマニアの評価が中期重視の英米の評価と大きくズレていることを明白に指摘することになっちゃって、日本のマニア界隈にショックを与えたんだよね。クリスティでも自薦ベスト10が日本のマニア評価と大きくズレていることも評者は知ってたから、自分の好みが日本のマニアの好みとズレていても、海外評価と妙に合致しているあたりを面白く思ってたんだ。まあネヴィンズの作品評価は当然、「王家の血統」から本質的に変わるわけがない。宗教的にきわどいテーマの「十日間の不思議」に信心深いバウチャーが反発した...なんて反応を書いているも、英米での受容を直接伝える情報として貴重である。
とはいえ、決定版のこの本は、第二期のラジオドラマに関する話(ラジオドラマの梗概が戦後の短編の原型になっているケースがかなり多い)、存命だったダネイに遠慮して書けなかった代作物の「ペーパーバック・クイーン」の真相、著者が生前に直接知友を得たほどではなかったリーに関する資料(とくにリー&バウチャー書簡が貢献度大)を集めて、明らかになったリーの人柄とダネイ&リーの合作の実際、それからアンソニー・バウチャーの隠れた貢献...と、エラリー・クイーンの小説以上に、「エラリー・クイーンというビジネス」について舞台裏を赤裸々に明かしている労作である。
実際、本を書く、というのも特に商業的な小説の場合には、それ自体一つのビジネスであって、いろいろな外的状況にも左右されれば、あからさまにお金や契約によって束縛されることも往々にしてある。そういう舞台裏の臨場感が伝わる評伝、というあたりに本作の意義もあろうというものだ。


No.659 6点 メグレ警視のクリスマス
ジョルジュ・シムノン
(2020/03/01 21:00登録)
「溺死人の宿」は「殺し屋スタン」とか「ホテル北極星」と同じ1938年作だから、第二期に中短編中心に書いていた頃の短編。「メグレのパイプ」は「メグレ激怒する」と合本で出たものだそうなので、第三期の開幕を告げる作品になる。「メグレのクリスマス」は短編のメグレ物としてはほぼラストで、最後から2作目、とこの短編集は日本独自編集とはいいながら、節目節目の作品を集めた、という印象がある。
「溺死人の宿」を含む1938年の短編集は「メグレ夫人の恋人」「メグレの退職旅行」に相当するから、短編としては充実していたあたりからの選択、と見ていいだろう。陰鬱な話で、ややひねった真相がある。けどしょーもない男だな。
「メグレのパイプ」は、後年の「老婦人の謎」に冒頭の設定を転用しているが、あっちの殺される老婦人の方がずっと可愛げがある。こっちは息子に抑圧的なタダの嫌な老女。息子の大冒険は....あれ、「激怒する」に似たような場面がなかったっけ。合本で出てるはずだけど、いいんだろうか。でもメグレのパイプを盗んだ理由が秀逸。こういうの、ファンは大喜び。
「メグレのクリスマス」は言うまでもなくクリスマス・ストーリーで書かれたものだが、サンタクロースの訪問を本当に受けちゃった療養中の少女の話。けど、その裏には..とこの少女の複雑な家庭環境に絡むあまり後味の良くない真相がある。おめでたくはないが、メグレ夫人の母性を感じさせるところが読みどころだろうか。
個人的には「メグレのパイプ」が好きだが、それぞれのレベルは高い。


No.658 6点 死ぬときはひとりぼっち
レイ・ブラッドベリ
(2020/02/29 16:10登録)
何と言ってもタイトルが秀逸。これほどハードボイルドらしいタイトルなんて、あるもんか。作者は...抒情的SFの第一人者ブラッドベリである。これは、不安材料だ(苦笑)。
若い日の作者を投影した売れない作家の主人公は、閉鎖間際の海上遊園地のそばを走る深夜の路面電車の中で、自分の後ろに立った酔漢が語り掛けるのを聞いた...「死ぬときは、ひとりぼっちだ」。面倒を避けようと主人公は振り向かなかった。そして、海上遊園地の海に捨てられたサーカスの檻の中に、主人公は老人の死体を見つける。次々と奇妙な失踪や死を遂げる孤独な人々。主人公はこれらの孤独で奇妙な人々と知りあい、彼らが深夜の悪夢のような訪問者を戸口に迎えていることを知る...
という話。ハードボイルドってさ、いつの間に「主観的」な小説になっちゃったんだろうね。チャンドラーだって三人称で書いているうちは、タイトでシビアな客観性を保っていたんだけどね、と毒づきたくなるくらいに、主人公が主観的。そりゃブラッドベリだもんね。ハードボイルドと言うよりも、ちょっと揺らすと崩れちゃう温泉卵みたいなものだ。まあだから、事件に論理性とかリアリティとか、そういうものを期待する小説ではなくって、あくまでもノスタルジックでファンタジックなあたりを楽しんで読むべきだ。能動的に事件を追っていく..なんてアグレッシブさはまったくなくて、出会う奇妙な人々の奇矯な行動に、主人公が過去を刺激されて、思い入れたっぷりに独白していく...というのの連続で小説ができている。主人公のパッシブな感受性がすべてだから、一般小説にかなり近い読み心地。
まあだから、体重170キロの元オペラ歌手とか、無声映画のスターだったがコテージに隠れ住む元女優(でも運転手に変装してロールスロイスをかっ飛ばす!)、世界一下手な床屋などなど、印象的だがどこかウラさびれて哀しげなキャラたちを楽しみ、ブラッドベリ一流の気の利いた文章を楽しむのがよろしい。

「あんたは、いつになったら泣くんだろう」と、やがて私は言った。
「馬鹿ね」と女は言った。「今泣いてきたのよ。海でなきゃ、プールも泣くのに便利よ。プールでなきゃ、シャワーでもいい。どんなに泣きわめいたって人の迷惑にならないし、だれにも聞こえないでしょ。こういうシャワーの使い方、知ってた?」

なるほど。勉強になります。


No.657 6点 白い僧院の殺人
カーター・ディクスン
(2020/02/27 21:30登録)
ひさびさになったけど、カーもやらないとね。で本作有名作だけど未読だった。「雪の密室」というシチュエーションは知ってたけど、当たるかな?
ごめん、密室トリックはこれしかないだろ、で早々と見当ついちゃった。けど犯人当てるのはかなり難しいと思う。こういう傾向ってカーはあると思うんだよ。不可能興味のトリックはまあ推測が付くけど、真相自体の推理は手がかり不足で困難....屋敷の構造とかわからなきゃ、ちょっと無理。
でこの作品は重苦しくて読みづらく、キャラ立ちもイマイチ。ブーン兄弟とかエキセントリックさを出そうとしても、今一つピンとこない。まあそれに、本作での「尋問の構造」に大きな偏りがあって、全体像がなかなか間接的にしかわからない、と歯がゆい構造になっている。重要人物になるはずのカニフェストはほとんど場面に登場しないし、レインジャーとエマリー、ルイーズなどまともな尋問さえされないんだよ。事件記述の客観性が薄くて、人の出入りなどちゃんと整理して理解するのが難しい....この状況で錯綜した関係者の行動を読み解こう、というのだから、読者の能力に余るものがある。
というわけで、密室トリックは王道だと思うから、加点したいくらいだけど、もう少し整理して書き直したらいいのでは...と思うんだ。でもヘンリー卿ヤンチャ小僧みたいでなんかカワイイ。フェル博士より好き。

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