クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1451件 |
No.731 | 6点 | ラヴクラフト全集 (4) H・P・ラヴクラフト |
(2020/09/03 21:00登録) SF色の強い作品を集めた感がある巻。 やはり「宇宙からの色」が出色の出来。「識別も不可能な宇宙的色彩」「異界的でこの世のものならぬあの虹」と形容される「色」が、野中の一軒家を破滅に導いた怪異について、人間が感知しうる唯一の現象だ、という発想が素晴らしい。怪異も「怪物」というかたちを取ってしまえば、何か馬鹿馬鹿しいものなんだけども、「色」という捉えどころない現象でしか知覚できない、というのが「語らずに、感じさせる」ラヴクラフトの面目躍如。 「狂気の山脈にて」だと、地球の超古代史を創作して、その遺跡に遭遇した南極探検隊の恐怖を描くのだけども...「旧支配者」(というか、混同を避けるなら『古のもの』の方がいいか?)は例の円錐型でいろいろ触手が出ているあれ。想像すると何かかわいい。ぬいぐるみにしても、そう違和感ないような(実際にあるようだ。おそるべし日本人!)...しかも あわれな<旧支配者>たちよ。最後まで科学者だったのだ...もしわたしたちが彼らの立場に置かれたら、わたしたちとてしたようなことしか、彼らもしなかったのに。なんと知的で我慢強い存在なのだろう。 と主人公も「彼らは人間だったのだ」と共感してしまうような存在なんだよね。これじゃ、絶対に怖くはならない。悪役はポオの「ゴードン・ピム」から鳴き声「テケリ・リ」を借りたショゴス、ということになるんだけど、逆に知性をほぼ欠いていて大した存在ではない。SF冒険小説、と見た方がいいんだろうけど、ラヴクラフトだから冒険の爽快さはなくて、中途半端に「恐怖」があるから、扱いに困る。 あとは「ピックマンのモデル」。グールたちのおぞましい行動様式と、それを嬉々として絵に画くピックマンの異常性が面白味で、例のオチは読めるし衝撃的なわけでもない。過大評価だと思うけどねえ....分かりやすい作品ではあるか。後の4作は短くて習作みたいなもので、取るに足らない。 というわけで評者満足、はこの巻は「宇宙からの色」のみ。ちなみに「色」というのは人間の外部にある「物理現象」じゃなくて「心理的現象」、いいかえると人間の感覚受容器官の上で起きる現象、で今は落ち着いているから、純粋に心理的な現象の「ホラー小説」との相性は抜群、ということにもなるように思う。さすがはラヴクラフト。 |
No.730 | 9点 | 半七捕物帳 巻の一 岡本綺堂 |
(2020/09/01 23:30登録) 「半七捕物帳」のタイトルで登録はすでにありますが、評者本当に大好きなシリーズで、現行本の光文社文庫版全6巻の各巻についても、ぜひぜひ書きたいと思うようになりました。反則かもしれませんが、1巻全14編について独立項目として取り上げさせてもらいます。弁解するとすでに書評済みの「半七捕物帳」は講談社大衆文学館の...ということにでもさせてください。 各巻は番外編の中編「白蝶怪」を除いて執筆順で収録されているようなので、「巻の一」は半七初登場から初期の大正6~7年発表の初期作品になる。もちろん江戸川乱歩だってデビュー前だ。 最初の「お文の魂」は導入みたいなもので、「わたし」が直接半七老人と知り合う前に半七の活躍を「わたし」の叔父から聞かせてもらった話だ。最初から怪談の合理的解決になっているのが、怪談仕立ての多い半七らしいといえば、らしい。 「石灯籠」からは半七老人から直接「わたし」が思い出話を聞きだす体裁。半七捕物帳の大部分は半七の手柄話だが、中には半七が聞いた話をそのまま語るものもあって、事件の背景も文化文政から慶応年間まで、土地柄も江戸だけではなくて、奥州の城下町の話もあれば、下総の田舎、あるいは「山祝いの夜」のように半七が小田原に出張して出くわした事件もある。岡っ引きだから町人の事件が本職だけども、半七はその腕を見込まれて、内密に武家や寺社の事件を調べることもあり...と、バラエティが実に豊かで、しかもそれぞれのリアリティが半端なくリアルな「江戸」を体験できるのが信じられないほどである。 まあ、どの話も落ち着いた雰囲気で、デテールの描写に「江戸時代ってこんな生活だったんだ」と驚かせるような時代風俗の面白さがあり、しかもそれがミステリの軸になっていることも多い。しかもそれが考証知識、というようなものではなくて、生活実感として追体験しているようにすら感じさるわけで「江戸に浸る」のと同時に「江戸の謎」を半七の眼に導かれて解き明かす、ミステリの面白さもたしかに実感できる。 そういう意味で評者お気に入り、というと1巻だと「朝顔屋敷」かなあ。大身旗本の子息が御茶ノ水の聖堂で毎年行われる「素読吟味」を受けにいく途中で失踪した事件を、半七が特に同心に頼まれて解決した話だ。武士の子供がその勉強ぶりを公的に試験される、というのが何より面白いことであるし、子供たちながらに御家人の子供の「烏賊組」と大身旗本の子供の「章魚組」が対立する、なんて世知辛い事情が背景にあって...と、考証知識だけでは思いつくわけがないような、江戸の生活の肌触りに基づいた「謎」なのだ。 あるいは「春の雪解」。按摩がお得意先ながら「ぞっとする」、入谷田圃の廓の寮。歌舞伎の河内山にある直侍と三千歳の逢引の話を下敷きに、隠された陰惨な殺人を半七が嗅ぎつける。按摩と蕎麦を食べるのが歌舞伎の通り。怪異はあるが、ミステリの邪魔にならずに、非合理と隣り合わせに生活する江戸人のリアルを強く印象付けることになる。 「湯屋の二階」となると、武士でもとんだ腰抜け侍で、おどろおどろしいのも単に馬鹿馬鹿しい思い違いだったりする...変なユーモアがあるのだが、こんなダメな侍もいるもんだ、というのが面白いところ。 と、いわゆる「捕物帳」が実際にはコスプレで、「侍ならステロタイプな侍」だし「町人なら町人のステロタイプ」で、それから外れたら「らしくなくなる」のに対して、綺堂のリアリティは「ステロタイプから外れても、そんな奴もいそうだ...」と思わせる説得力があるわけである。そこにユーモア感が出るのだから、「江戸のリアル」のレベルが違う、としか言いようがない。 どれもこれも、読めば読むほどに「江戸のリアル」に没入し、「江戸ならではの謎」を「江戸の論理」で解明するのが楽しくなる。真の「スルメ本」の部類である。 |
No.729 | 8点 | 花夜叉殺し 赤江瀑 |
(2020/08/30 22:24登録) 赤江瀑は、本当に書きたいと思います。なのでリハビリの一環で。 赤江瀑の本領は長編じゃなくて短編にあるのだけども、雑誌掲載~単行本化の本来の短編集は、単行本も文庫も絶版久しくて、何度も編まれたアンソロも手に入りにくい...という状況も、電子書籍化で最近は救われた感があります。まあだったら、アンソロでも一番作品が完備した光文社文庫の三冊の傑作選を読めば、赤江瀑のアウトラインが掴めることにもなると思う...なので、まずは<幻想編>。 といえ赤江瀑だからどの作品も<幻想>で<情念>で<恐怖>なんだから、サブタイトルに大した意味はない。どっちかいえば京都奈良の古寺にちなんだ話をまとめた印象。でこの本は「花夜叉殺し」「獣林寺妖変」「罪喰い」と代表作級3作で始まり、話の筋立てからすればミステリ以外の何物でもない「正倉院の矢」で終わる10作品を収録。 「ミステリの祭典」なので一番ミステリらしさのある「正倉院の矢」を例に取ろう。主人公はかつて姉とその婚約者と故郷の村を沈めたダム湖に遊び、その時にボートの事故で姉を喪った過去があった。十五年後に正倉院御物の「投壺の矢」の写真を見て、それがボートの事故の際に拾った木切れのものだということに気づいた主人公は、故郷の街を再訪して、その事件の真相を知る...まあこんな話。で、この矢はボート沈没の仕掛けに使われたものだから、トリック?みたいなものでもある。うん、形式的には完璧にミステリ、なんだけど、読後感は全然そうじゃない。これが何というか、赤江瀑らしいんだよね。 事件の動機はこの婚約者の家に連綿と伝わる、投壺の矢を使った秘密の性戯にあって、その異様な性戯の呪縛から逃れようとする婚約者と、その呪縛を払うためにその犠牲に捧げられた姉、そして姉の妊娠とその子の真の父親...とミステリとしては明らかに余計な「異様なモノ」とそれを巡る情念のドロドロに作品の力点があるわけである。まあだから「ミステリとは完全に地続きなところ」に赤江瀑の世界はあるんだけども、その実、ミステリ...じゃないと、評者は思う。 でこの「異様なモノ」の「モノ語り」として、赤江瀑の作品は強烈なのである。「モノ」という言葉に鬼や神霊を畏怖して言う用法があるわけで、「花夜叉殺し」なら花の匂いで性欲を刺激して人間を虜にする麻薬のような庭、「獣林寺妖変」なら古寺の血天井とルミノール反応で怪しく光る新しい血痕、「罪喰い」なら新薬師寺の伐折羅大将像の怒り顔に似た木彫りの像、その像の背後には「都美波美黒人」=「罪喰み黒人」との墨書が....というような、「異様なモノ」と、それに執着する人間の情念の結晶が作品の動力なのであって、その結末は大概殺人やら自殺に終るのだけど、それは結果に過ぎなくて、どうでもいいのである。この「モノ」が覗かせる「人間の生の裏側の世界」にどうしようもなく魅せられてしまい、その中に引きずり込まれるプロセス自体が、読者を魅了するのだから。 なので小説としては常に赤江瀑は過剰で、ストーリーに必要な要素、と見たときには余分で余計な心情やエピソードが、これでもかと盛り込まれる。それは作品の論理でも割り切れない、異様な執着にしか見えないのだ。この過剰さが赤江瀑の作品の捉えどころのない印象につながっているようにも思う。しかし、この過剰なエピソードが、いつまでもいつまでも読者の心に傷を残すことになる。「罪喰い」なら死者の体を餅でぬぐって「死者の罪」を移して、それを食べる葬送儀礼を強いられる黒衣の被差別民「罪喰い」のイメージなんぞ、本当に悪夢的としか言いようがない...このイメージの暗黒さが、ミステリ以上にミステリな、と言いたくなるような魅力に満ちている。 というわけで、赤江瀑、というのは「ミステリの兄弟」のような一つのジャンルだと思う。未体験の人は試しにいかが? でも魅せられても、知らないよ。 (個人的には「刀花の鏡」も好き。ちょいとBLっぽい味あり) |
No.728 | 8点 | 魔界転生 山田風太郎 |
(2020/08/30 21:20登録) 恥ずかしながら復活します。最近「書評のために読んでる」感が強くなってしまって疲れてしまっていたのですね。なので「どう読んでも絶対に面白い保証付き作品」なら、リハビリにいいのでは....と選択は本作。 うん、その通りでしょう。これ読んで退屈だと思う人がいるはずがない。剣豪スパロボ大戦である。全盛期がズレた剣豪たちがベストコンディションで戦うドリームマッチ、山風らしい本歌取りも随所に顔を見せるから、鍵屋の辻で荒木又右衛門と戦うし(荒木の刀も折れる)、巌流島で武蔵と戦い武蔵を待たせちゃう。大枠の「ゲームの規則」を提示してそれを巡って細かい駆け引きも....と凝ったゲーム性+人気キャラのあのシーンこのシーンを思い出させる演出の数々、というわけで、本作、ホントは上出来の「ゲーム」なんだよね。だから柳生十兵衛はプレイヤーキャラとして、安心して感情移入をすれば、いい。それこそ何も考えずに「あ~面白かった」と無責任に読めるエンタメの極致である。 考えてみれば「忍法魔界転生」は全然忍法じゃないわけだ。術でも何でもなくて「メタに『世界』を可能にする仕掛け」のわけで、この今風に言えば「同人っぽい」ワガママさが、時代に大きく先駆けている。今でも風太郎人気が衰えない最大の強み、がコレなのである。 なのでこの使い勝手の大変にナイスな「忍法魔界転生」だから、映画でもマンガでも、いいように使えてしまう。「原作に忠実でないから傑作」な「二次創作」がいろいろあるのはご承知の通りだろう。マンガなら石川賢の「ゲッターな魔界転生」も凄くて一読の価値があるし、81年の角川映画なんて今じゃカルトの名作だ。いいんだよ天草四郎がラスボスなオカルト時代劇でもね。炎上する江戸城で炎の中からゆらりと現れて編み笠を取ると梵字をカラダ一面に画いた千葉真一がドスの効いた声で「情けなや親父殿」..な映画は衝撃的なほどに美しい。 つまりね「魔界転生」というのは、山田風太郎の一大発明、なのである。 |
No.727 | 7点 | 夜のオデッセイア 船戸与一 |
(2020/06/15 07:43登録) 派手な筋立てのアクション・ロードムービー(映画じゃないが)。 コネチカット~ニューヨーク~マイアミ~ニューオーリンズ~アリゾナとワゴン車「オデッセイア」で流れ流れる同行7人。注射試合をしくじってアメリカに逃げた日本人ボクサー(おれ)、そのマネージャー兼トレーナー、おれの元愛人でストリップまがいに出ていたのに再会して同行する女、その女の甥っ子の黒人ハーフの少年、ベトナム帰りのプロレスラーコンビのウィスキー・ジョー&ブランデー・ジョー、それに謎の男。 このクルーの個性がすべて。ウラさびれた哀しい野郎ども。とくにウィスキー・ジョー&ブランデー・ジョーのコンビが出色。まあだからプロットよりもキャラとオデッセイが通過する「1980年のアメリカ」の騒然とした世相がお楽しみ。黒人暴動あり、ホメイニ革命あり、キューバ情勢あり....マフィア・CIA・モサド・ホメイニ派・ゲバリスタなんでもあり過ぎなのはご愛敬(苦笑)。あ、そういえば宝さがし。宝物はマクガフィン。「そいつは夢でできている」から、結末はつねに永劫回帰。 でも思うんだが、ウィスキー・ジョーのお気に入りはウィスキー、ブランデー・ジョーのお気に入りはブランデー、「おれ」のお気に入りはアブサン、ということになっている。度数は強いけど、あんな甘ったるい酒をよくラッパ飲みするなあ...(いや評者も好きだけどね、デザートみたいに飲むものでしょう?) |
No.726 | 6点 | 好色いもり酒 人形佐七捕物帳 横溝正史 |
(2020/06/14 17:22登録) 五大というか七大(+顎十郎、安吾)捕物帳の制覇もしたくなった。残りは佐七と右門だもんねえ。横溝捕物帳の表看板人形佐七に参戦。おっさんさまも高評価の春陽文庫の短編集。 評者のお気に入りは、プロットの綾に変化の大きい「敵討ち走馬灯」。昔何かのアンソロで読んだ記憶がある。これは犯人にしゃれっ気があるのがナイスで、心ならずも罪を犯した人を見のがす捕物帳のお約束をうまくアレンジしてあるのもいい。「花見の仇討ち」はもともと古典落語のネタで、銭形平次に同じ設定の「花見の仇討(1937)」があるから、たぶん競作(横溝は1955)みたいにしたものだろうな。というか、横溝正史って考証は弱い(ちゃぶ台とか出て苦笑)から、レギュラーのお粂・辰五郎・豆六の掛け合いも落語調で、豆六が「民主的やない」って笑わせるような語り口の参考がそもそも落語なんだろう。そういう来歴を考えると、「花見の仇討ち」なんて絶好のネタになるのもわかる。 「捕物帖の百年」でも横溝・城昌幸の二人はミステリ禁圧の時代に、ミステリの「かわりに」捕物帳を書いた、と指摘されるくらいのもので、トリックのある作品は多いけど、解明のフェアさとかはあまり拘らない傾向がある。「たぬき女郎」とか「恋の通し矢」とか仕掛けは面白いんだけどね。で、やはり考証弱めの銭形平次の理想主義と比較すると、どうも横溝正史はサービス精神旺盛で、エロや残虐を盛り込みすぎて品がない傾向がある。まあ達者で器用な作家なのはよく分かってはいるんだけど、評者は佐七より闊達な若さまの方が好きだなあ。 さて、五大残りの右門も頑張るか。昔読んだけど、全部読んでも量的にはそう辛くないし。 |
No.725 | 8点 | バスカヴィル家の犬 アーサー・コナン・ドイル |
(2020/06/14 13:31登録) ホームズ失踪中に思い出話スペシャルみたいに書かれた作品、ということになる。ドイル本人はたぶん自分を「冒険小説家」だと思ってたんじゃないかな..となるくらいに、ホームズ長編はアドヴェンチャー色が強いんだが、本作だと、冒険+ゴシック怪奇+メロドラマ+推理少々、という配分だと思う。それはそれで大衆小説のツボを押さえまくった作品なんだから、面白く読めるのは間違いないところ。舞台となるダートムアの荒涼とした荒野の描写が何より、いい。この舞台装置さえ魅力的なら、小説の成功も約束されたようなものだと思う。そういえばクリスティでも「シタフォードの謎」が同じ地域だし、クリスティ自身の出身もあのあたりの港町。 そういう「荒野」が舞台だから、脱獄囚、先住民の史跡、底なし沼、魔犬伝説..と冒険小説的なガジェットを満載した小説だと見た方がいい。それこそ、ホームズも冒険小説の狂言回しだった先行2長編からもう一歩踏み込んで、冒険小説のヒーローにチャレンジした、というのが、本作の人気の根底あるのでは...なんて思ってた。 まあ今回はワトソンも単独行動が多いから、ワトソンも単なる相方・記録係の域じゃない生彩もある。頑張るワトソン、奇怪な人影を目撃、追跡....と真打ちホームズ再登場に至る流れとか、小説としては、文句のつけようがないといえばその通り。 子供の頃学年誌の付録で本作のマンガ化作品を読んだ記憶があるんだけど、Wikipedia によると漫画家は「ワースト」の小室孝太郎だったみたいだ。もし取ってあったら本当にお宝の部類だったなあ。最後に犯人がズブズブと底なし沼に落ち込んで果てる...なんて原作では描いてないシーンがあった記憶がある。底なし沼が怖くて覚えてるんだろうね。 |
No.724 | 5点 | マギル卿最後の旅 F・W・クロフツ |
(2020/06/14 12:58登録) クロフツ苦手だ...の評者。それでも子供の頃ジュブナイルで読んだ記憶があるから何か懐かしくなって購入。 フレンチ警部がイングランドの北部と北アイルランドを行ったり来たりする話。でもあまり旅情とか感じない。地名がやたらと出てくるけど、最初の方のページに登場する地名がちゃんと網羅された地図が付いていて親切。古本で買ったけど、その地図のページに前の所有者の付箋が貼ってあった(苦笑、ありがとうございます)。 クロフツって話を追っていくだけの作家だから、キャラの味付けもないし、描写細かいだけで、あまり「絵」として迫ってくるようなこともない。ひたすら謎を追って関係者・目撃者の話を聞いて回るので話ができている。その中で薄皮を剥ぐように真相が見え隠れ..というあたりが小説の狙いになるんだけどね。いやだったらさ、もう少しフレンチが「こう考えた」を出して、ストーリーを積極的に引っ張ってもいいように思うんだ。フレンチの推理も実験まで内容を伏せて書いてあるわけで、ここでの「びっくり」と「仮説検証サイクルの試行錯誤の面白さ」を天秤にかけたら、評者は「試行錯誤の面白さ」が出た方が小説として面白いのでは..なんて思う。クロフツを読むとどうしてもガーヴのが..なんて思ってしまう評者は、クロフツのイイ読者じゃない。ごめん。 (少しバレ) 本作共犯者アリ・犯行時刻の立証なしだから、ここまで凝った工作をしなくても....と思わなくもない。いいところは距離×時間のタイムテーブル管理がしっかりしているあたりのリアリティ、かなあ。 |
No.723 | 7点 | 探偵コンティネンタル・オプ ダシール・ハメット |
(2020/06/12 19:14登録) コンチネンタル・オプの通常営業回。でもユーモラスなファンタジー①とかアクションの面白味のある⑤とか、バラエティに富んでいる。 ①「シナ人の死」はやはりねえ「秘密暴き手閣下」「ナゾ解き皇帝陛下」「狩人の王子」「人狩り大公殿下」「スパイの王さま」「謎解きの名人」「探偵国の皇帝陛下」「ドロボー退治の王子」だのオプを褒め殺そうとするチャン・リン・チンのおだて文句が素敵。ゴテゴテしたヘンテコな話だが、ファンタジーと思って読めばいいだろうな。 ②「メインの死」は、これ「セールスマンの死」か。リアリティのあるトリックでナイスだと思う。こういうのに評者はハメットらしい「ミステリ」を感じる。 ③「金の馬蹄」人探しモノでティファナまで出張。少々話がロスマクっぽいか(苦笑)。臨時でオプが雇うエキストラの使い方が結構笑える。オチの付け方がハメットらしい因果応報。 ④「だれがボブ・ティールを殺したか」後輩殺しを追求するオプ。冒頭の「おやじ(オールド・マン)」の描写がすべてじゃないかな。アリバイ工作としてなかなかナイスなアイデアがあるから、意外にトリッキーな作品としても面白いと思うんだが。 ⑤「フウジス小僧」まあ「小僧」という柄じゃないから「フウジス・キッド」の方がカッコいいや。後半の密室劇でドンドンと野郎どもが片付いていくさまが非情。後先考えずに猪突猛進するフウジス・キッドのイケイケなキャラに妙な迫真性がある。悪党たちの個性もバラけていて、よく書けた作品。 なかなかナイスな短編集。でも短編集5冊でやっと 30/61。まだまだ道のりが遠い... |
No.722 | 6点 | 闇に蠢く 江戸川乱歩 |
(2020/06/10 13:07登録) どうも今の人らは、本作とか「盲獣」とか読まずに済ます人も多いみたいだ。評者が初講評なのは、そのせいかもね。ま、分からなくもないんだけど、ここらを読まずに、「乱歩とは」とか語るのはおこがましい、と思うんだが...本作とか「盲獣」とかに口を噤んで乱歩を語る人を信用しちゃ、いけないよ。 本作は、乱歩の最初の連載小説というか長編小説になる。なので作家論としての重要性は極めて高い作品になるんだが....明智もでなけりゃ、話も大したことはなくてシチュエーションだけがある作品、と言っていい。乱歩ってプロットの作家じゃないからね。例によって本作は連載を投げだして、全集に入れるときに結末を書き足して....で乱歩本人は韜晦がキツイから「恥ずかしい」のなんの並べているわけでね。 素人画家の野崎三郎はモデル兼愛人のお蝶と信濃のS温泉に夜逃げすることにした。三郎はS温泉の「籾山ホテル」に猟奇の血を騒がせる気配を感じていたのだった。でっぷりと太った主人は、温泉客に自らトルコ風という触れ込みのマッサージを買って出る奇妙な習慣があった。子守歌を歌う奇怪な女の影、お蝶と因縁があるらしい男の到着...その男に怯えるお蝶は、果たして底なし沼に落ちたのか、失踪を遂げる。お蝶の幻影に囚われた三郎は、ホテルの主人が隠す重大な犯罪を、地の底の牢獄で知ることになるのだが、三郎自身もその罪に耽溺するように成り果てる.... と婉曲に書くと、こういう話。いや実に前半、抑えた雰囲気描写がなかなかイイ作品なんだよ。で、後半の凄惨な地獄絵図と、木乃伊取りが木乃伊になる結末まで、一気に読ませる力はあるから、決して退屈な作品じゃないことは、評者が保証しよう(苦笑)。 え、何があるのかって? うん、言わぬが花、ということにしておこうか。エログロの帝王乱歩の「猟奇」の極点の一つになる作品である。 |
No.721 | 4点 | 捕物帖の百年 事典・ガイド |
(2020/06/09 10:20登録) ミステリ史を通説した本なんて腐るほどあるけど、捕物帳を通説した本って希少価値だ。評者最近捕物帳づいてるから、参考資料として読んでみた。 本著は二部構成で、前半は半七・右門・平次の三大捕物帳を40ページ弱ですっとばし、佐七・若さま・顎十郎・安吾、それに夢野久作と周五郎が「捕物帳を書けなかった」考察で出来ている。後半は戦後の捕物帳をとにかく数を紹介する、というかたちで33シリーズを紹介。 まあ評者が本著を「事典・ガイド」に分類したことからも推察できるだろうけど、1章使って論評している佐七・若さま・顎十郎・安吾でも、評論としては中途半端でかつ全体的な一貫性がなくて、キママなエッセイくらいのものでしかない。そもそも半七・右門・平次の三大捕物帳を40ページ弱ですっ飛ばそう、というのだから、本格的に歴史を書こうという気はサラサラなくて、著者が「自分が書ける(得意な)内容程度で」書いたくらいのものと見た方がいいようだ。面白味があるのは夢野と周五郎が「捕物帳を書けなかった」考察の2章くらいなので、とってもじゃないが通史とも評論集とも呼び難い。なので、最低「事典・ガイド」くらいにはなるよね?ということで、このカテゴリ。 野崎六助って読んだことなかったが、評論家としてはあまり出来がいいようには思えないな.....求むマトモな捕物帳通史。 |
No.720 | 5点 | 謎の紅蝙蝠 横溝正史 |
(2020/06/06 19:02登録) 横溝正史と言っても、金田一とは違って、捕物帳はちょっとした魔界のようだ。人形佐七なんて1938~68年までの30年間書き続けたわけで、由利先生より金田一より活躍期間は長い。しかも戦前は人形佐七だけじゃなくて、朝顔金太だの服部左門だの鷺坂鷺十郎だの左一平だの緋牡丹銀次だの多士済々きわまりないし、しかもこれらの主人公作品をのちにちゃっかり人形佐七モノに書き直していたりする....と実際、わけがわからない。最近では捕物出版からオンデマンド本で出たり、論創社からレア物が出たりとかして少しは整理されてきたようではある。 でこのお役者文七は戦後生まれなので、身元は他の時代ヒーローよりはっきりしている。1作目の「蜘蛛の巣屋敷」以外はすべて「週刊漫画Times」連載というのが面白い。「週刊漫画Times」は今もあるね(オヤジマンガ誌だ...)。週刊漫画雑誌の草分けで、初期のナンセンス漫画中心だったころに連載されていたようである。主人公の文七は、旗本大身のご落胤でありながら、訳あって歌舞伎役者の養子になったが身を持ち崩し、今では岡っ引きの居候。役者修行をしたからには女にだって化けれる美男(佐七も美男だしなあ)。町奉行大岡越前や与力の池田大助の信も厚く..という設定。岡っ引きでなくて遊民で、フリーの江戸の冒険者みたいな立場。長編4作、中編3作で活躍。第1作は映画化。 4作目の本作は養父の一座に新たに加わった加賀出身の役者菊之助に彫られた紅蝙蝠の隠し彫りと、十七年前に御金蔵を破った紅蝙蝠一味との因縁の話。その千両箱の隠し場所を示した地図を巡って、稀代の毒婦「御守殿のお美代」が菊之助を騙すところから始まり、次第に紅蝙蝠の残党が絡んでくる...養父の一座の役者を守るために文七が事件に介入して宝の地図の奪い合いに一枚噛むことになる。 そういう話なので、ミステリ色は薄いです。悪女お美代のキャラが一番立ってるな。で、このお美代を巡ってエロ描写は濃厚。横溝正史が達者に書き飛ばした時代劇スリラーで、通俗と言えばまあ、通俗の極みみたいな作品だ。 |
No.719 | 9点 | 炎に絵を 陳舜臣 |
(2020/06/06 18:01登録) 評者がこのサイトを見始めた頃、本作が国内ベスト5に入っていた記憶があるよ。評者とか「見識、だね」と思ってた...その後沈んじゃったのはもったいない。 誰だったかの戦後ベスト20に入ってるのを見た記憶があるし、協会賞を「風塵地帯」と最後まで争ったこともあって、評者は本作「隠れた名作」とは思ってないなあ。地味かもしれないが、歴史ロマンとどんでん返しを両立させた陳舜臣のミステリ代表作だと思っていたよ。この人の「受賞作」だって地味と言えば地味で、ドラマがしっかりし過ぎているので損してるのか?というくらいの、そういう作風じゃないのかな。 大掛かりな仕掛けがあるけども、その動機は家族愛から発する納得のいくものであるし、産業スパイ話も目くらましとしてうまく絡ませていると思うんだけどね。というか、殺人も最後の方にやっと出るわけで、ミステリの「話の作り方」として、「型にはまったやり方」ではない、市井人の生活の中で遭遇する話として、巧妙に作られているように感じる。評者に言わせれば、「ミステリの話の作り方のお手本」じゃないかと思うくらい。 本作を「隠れた名作」なんて呼ばなくて、「60年代の大名作」として今の読者の間でも有名であってほしいと願う。 |
No.718 | 6点 | 銭形平次捕物控傑作選1 金色の処女 野村胡堂 |
(2020/06/04 17:40登録) 文春文庫の傑作選から。「櫛の文字」みたいな「ミステリな平次」もいいんだが、それでも「銭形の親分らしく」ないや。で、少し不満が溜まったから、ふつーの傑作選から。 表題作は平次のデビュー作で伝奇スリラー風な作品。将軍家光の鷹狩りの危機を平次が救うなんて、まあファンタジーだけど、キリシタンバテレンな邪法の儀式とか、怪奇色もあり。お静さんとはまだ交際中で、偵察を頼んだら拉致されて悪魔の生贄に...そういう話。アタマを空っぽにして読むといい(苦笑)平次だからね、「悪魔の生贄」でもアザトくならずに品がいい。 まあ、平次は半七じゃないから、時代考証は今一つだけど、絵になるシーンは多い。「お珊文身調べ」は刺青自慢大会が登場。親分も背中に六文銭の刺青を入れて...(ホントかな?)十二支を彫った粋な姉御と白蛇の男との因縁は? ミステリだとどうしても商家の殺人ばっかりになりがちだが、武家が絡んだ話も多いわけだ。家宝の紛失を解決する「名馬罪あり」や、諸藩の軍事機密扱いの「兵糧丸」を巡って本草学者が誘拐されて殺される派手な事件の「兵粮丸秘聞」、子供の誘拐事件に絡む「迷子札」など、武家を相手に回しての、庶民の味方平次親分の心意気を楽しめばそれで充分。 とはいえ「お藤は解く」がこの本だと一番ミステリらしさあり。殺人事件の容疑者多数状態で、それぞれに容疑が深まると、この家に「行儀見習い」に来ている少女お藤が、その容疑をすべて晴らしてしまう。平次親分もお藤の推理にしてやられているのだが...という話。この名探偵少女の趣向がナイス。 でオマケとして胡堂のエッセイ「平次身の上話」を収録。 われわれの範とするのは、やはりボアゴベ、ガボリオ、ポー以後の外国探偵小説であるが、これは、コナン・ドイル以前の古典に属するものほど面白く、精緻巧妙にはなっても、近代のものに私は心惹かれない。それは、トリックに嘘が多く、筋も拵え過ぎて、人物が浮き彫りにされていないからである。 とまあ、ホームズのライバル世代に多かった、科学応用の物理トリックへの反発心から、こういう見解になったようだ。 従ってトリックもまた人間の心の動きの盲点を利用したものや、感情の行き違い、注意のズレと言った、心理的なものになりやすく、そのトリックは、時代や文化によって、動き易いものではない。つまりは、明日は変わって行く器械的なトリックではなくて、千古不易の心理的本質的なトリックになることが多いからである。 ね、マトモなミステリ論をしているよ。捕物帳だからって、バカにしたものではないからね。 |
No.717 | 1点 | ダ・ヴィンチ・コード ダン・ブラウン |
(2020/06/02 22:52登録) 昔街歩きをしててついつい映画が見たくなって、その時封切してた映画は見たな。見終わったあと呆れまくってた。 なので大体内容は把握してたが、原作読む気にはまったくならず。「フーコーの振り子」をやったから、まあそれでもやろうか?とも思ってブックオフ百均棚で購入。上中下と百均でも300円になるのがもったいない。 要するにね、炎上商法。今回通読して、それでもソフィーの両親はヴァチカンに暗殺された(と少なくとも祖父が思わない)ことには、話のつじつまが合わないように思うよ。やはりカトリックにあらぬ疑惑をかけていることには間違いないのでは? なんやかんや言って、実在の宗教団体に所属する設定の修道僧が、大量の殺人を犯したことになるわけで、カトリックに対する攻撃の意図がない、とするのはどう見ても無理。 まあ純粋にミステリとしてはアンフェアだし、後半のつじつまが合ってなくて馬鹿馬鹿しい。暗号もソニエールが準備したものを解くだけで、それもタダのアナグラムのレベル。頻繁なカットバックがなければ、実際単調な一本道のスリラーで、登場人物はあたかも紙人形のごとし。小説家としては無能な部類に入る。いろいろ主人公に教えてくれる大貴族のティーピングに至っては、品格皆無で下賤な人物。とっても貴族に見えないんだがな....貴族がサッカーのファンとか階級意識の強いヨーロッパじゃそもそもありえないから、柄の悪いオッサンみたいだ。で「聖婚」の名のもとの乱交パーティとか、主人公にミッキーマウスの時計をはめさせて「カッコイイ」と思うような著者だから...と何となく腑に落ちるのが情けない。センスがすべてお安いのに閉口。 で、ウンチクに関しては、もちろんトンデモ。テンプル騎士団なんて「フーコーの振り子」によれば、「テンプル騎士団を持ち出す人間はすべて陰謀論でオカシくなった奇人」だそうだ。で、本作の呼び物であるマリア福音書やらピリポ福音書やらのグノーシス福音書だけど、これらは実際には、ナグ・ハマディでの発見から1970年代に研究が進んで、評者も80年代の学生時代に、ペイゲルスの本の翻訳書なんかで知ってたな。日本にも荒井献という有名な研究者がいるから、日本語のマトモな一般向けの本だって、ずいぶん昔から出ているんだよ。なのでそもそもネタの鮮度は悪い。でしかも、この本の中ではしれっとグノーシス福音書を、具体的な説明もなしにマタイマルコルカヨハネと同列に扱っているけど、そんなもんじゃ、全然ない。2世紀の教父たちもグノーシス福音書の内容を知っていて、異端反駁の中で徹底的にやっつけているわけだ。伝統に取り入れられずに完全に排斥された内容なので、今更テキストが発見されたからといって、現在のキリスト教に与える影響があるかというと、あまり、ないというのが現実的なあたりになる。 グノーシス福音書の内容が史実か、といえば、逆に正統的な福音書の内容だって、史実かどうか確認する手段がそもそもあるわけではない。イエスの結婚がピリポ福音書にあるからといって、それが史的イエスとの関連を肯定できるか、といえばそんな証拠もない。この説はキリスト教の教義にはまったく取り入れられなかったから、せいぜい証明不可能で無関係な説にしかならないわけだ。グノーシス主義は自分の宗教的な「悟り」を創作で示す、という傾向があったらしいから、実に多様な主張をする「福音書」が作られて氾濫したらしい。「ユダの福音書」とかホント二次創作みたいなものだよ。そうしてみると福音書と名乗るからっていって、そもそも史的イエスを伝えるか?さえアテにならないよ。 ま、誰もが指摘するけど、シオン修道院はオカルトマニアによる有名な詐欺だし、古びたネタをパッチワークしてでっちあげた安手のスリラーを、カトリックを攻撃する炎上商法で売りつけただけのことである。「フィクションだから、いいじゃないか」とするご意見には、ちょっと反論したいな。評者は「遊びには他人に迷惑をかけない」のが大前提だと思うんだ。実際この本は、カトリックとキリスト教全般に多大な迷惑をかけた本である。「遊びだから他人に迷惑をかけてもいい」のは傲慢極まりない...と思うんだが、反論のある方、いるかな? というわけで、本書の行き先は決まってる。ゴミ箱直行、である。 |
No.716 | 7点 | 心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿 アルジャナン・ブラックウッド |
(2020/06/01 09:45登録) ミステリ以外に「名探偵」がいるジャンル、としてもう一つ「ゴーストハンター物」があるわけだけど、本作のジョン・サイレンスとかカーナッキとか、時代的にも「ホームズのライバル」世代なんだから、ちゃんと名探偵、している。 まあ、サイレンスもカーナッキも作品総数が多くなくて短編集一冊に収まるのがいいのか悪いのか。なので、ジョン・サイレンスも国書刊行会ドラキュラ叢書での訳→角川ホラー文庫も、創元の新訳も収録作は全く同じ。全6編なんだが、どれもこれも、出来がいい。 考えてみると、ゴーストハンターの場合の「犯人」というのは「霊」ということになる。そういう意味じゃ、ミステリの犯人が誰かわからないのに対して、ちょっとハンデがあるわけだ。だから小説としては、ミステリよりも読者をがっかりさせずに納得させるのが難しいことになる。作者のブラックウッドは伝説的な「黄金の暁」教団にいたこともあって、オカルト知識は正統的なんだけど、小説の中ではそういうオカルト業界ジャーゴンを振り回すことなく、「霊現象に直面した人がどうそれを感覚するか?」をしっかり叙述することで、一般性のある「小説」として成立させている。そのうえに、表面的な事件から推測される「真相」よりも、もう一歩捻った真相を用意するとか、「技あり」な短編集である。文章もかなり上手で、安っぽさはまったく、ない。主人公のサイレンス博士も、温厚篤実なタイプで、ケレンなしの直球派。王道ゴーストハンターである。 ①「霊魂の侵略者」は、いわゆる「幽霊屋敷」モノで、依頼されたサイレンスが一晩泊まって怪異と直面してそれを祓う。お供は犬と猫で、猫が二股膏薬なふるまいをする(苦笑)。怪異の描写がしっかりしていてナイス。 ②「古の妖術」は、ある旅行者がフランスの田舎町に吸い寄せられた。その町は「猫の街」のような...と、朔太郎の散文詩とか「河童の三平」の終盤みたいな「猫町」を連想する話。雰囲気重視の作品で、さすがのサイレンス博士も手の打ちようがない? ③「炎魔」はサイレンス博士とワトソン役の「私」ハバードが、炎魔に取りつかれた家の秘密を暴く話。炎魔の正体とかミステリ的風味がなかなか効いている。中編規模で重厚な読み応えあり。 ④「秘密の崇拝」は自分が学んだギナジウムを再訪した商人が、今では廃墟になったギナジウムでの悪魔崇拝の犠牲になりかかるのを、偶然遭遇したサイレンス博士が救出する話。純粋にホラー味で勝負した話で、紹介しやすさではサイレンス物でも一番だろう。 ⑤「犬のキャンプ」はバカンスで北欧に、キャンプに出かけた牧師一家を襲う「人狼」の事件を、サイレンス博士が裁いて見せる話。これも中編規模で読み応えあり。 ⑥「四次元空間の虜」は短い短編だが、四次元に陥ちこんだ依頼人をサイレンス博士が救おうとする話。SF的な面白味がある。 というわけで、ミステリ読者が違和感なく楽しめるゴーストハンターとしては「カーナッキ」と双璧。毛嫌いせずにどうぞ。 |
No.715 | 7点 | 毒猿 新宿鮫II 大沢在昌 |
(2020/05/27 23:33登録) 評者鮫の旦那は奇数番が好きだ。本作のド派手な劇画調はやや苦笑しながらも楽しんだのは否定しないよ...超人的なプロの殺し屋、それを執念で追う刑事、刑事に友情を感じてサポートする鮫島、殺し屋に恋して同行する女、と話の骨格はこれ以上のないくらいのベタ。まあこのベタをうまくカバーするのが作者の腕前、ということにはなるんだけどね。 なので、骨格に肉付けした要素が何か、というのが大きなポイントだと思うんだ。本作が画期的だったことがあってね、それは、 ・東洋人(非日本人)のヒーローとアンチヒーローを造形した という時代に大きく先駆けた要素がある。これが一番の評価ポイントになると思うんだ。もう手垢がついちゃったので何だけど、発表は1991年だから平成が始まったばかり、バブルと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の余波がまだあった時期なんだ。いやなかなか感度のいいアンテナをお持ちのようだ。 でまあ、こういうベタな男の友情話なので、本作とか評者は腐った読み方をしたいのではあるけども....まいいか。そういう読みは大いにアリな作品だからね。 (中華系ヒーロー像の日本のパイオニアは池上遼一×小池一夫「クライング・フリーマン」だと思うんだよ。1986~1988年連載だから、5年こっちが早い。マンガに負けているんだよね....池上遼一というと、カッコイイ東洋人を描ける、というので東アジア全体で人気&影響力絶大だそうだよ) |
No.714 | 8点 | シャーロック・ホームズの回想 アーサー・コナン・ドイル |
(2020/05/27 09:35登録) 皆さん点がカラいなあ(苦笑)。「冒険」がベーカー街221Bに腰を据えたホームズの元に持ち込まれる事件を、見事に推理して解決する、いわば「ホームゲーム」な話でほぼ統一しているのに対して、「回想」はそうじゃない「アウェイ」な話でまとめた印象を受けた。 巻頭の「シルヴァー・ブレイズ」だっていきなりダートムア旅行で始まるわけだね。普通にベーカー街で始まる次の「黄色い顔」はホームズ失敗譚だし、ホームズの回想を書き留める「グロリア・スコット号」「マスグレーヴの儀式」、ホームズが健康を害して休暇旅行した先の「ライゲートの大地主」、マイクロフトとディオゲネス・クラブで会う「ギリシャ語通訳」、で締めはホームズと同行してヨーロッパに舞台を移す「最後の事件」...と、「冒険」が作った話のパターンを「回想」は突き崩してやり直したような印象を受けるんだ。 ホームズがみごとな分析的推理の腕をふるって、その独特の調査方法の価値を示した事件でも、事件そのものがひどくつまらかったり、平凡だったりして、世間に発表するほどのものでもないと思えることもよくあったからである。また一方では、きわめて驚くべき、劇的な性格の事件の捜査に関係していても、その事件の解決にホームズが果たした役割が、彼の伝記作者として私が望むほど大きくはないということもしばしばあった。 とワトソン君が悩むのが、この「回想」の本音みたいなものなのか。まあだから、「回想」読んでいると、実のところファイロ・ヴァンスよりも、コンチネンタル・オプの方がホームズの直系の子孫のような気がしてくるのだよ。ホームズだって探偵商売を通じて、奇妙な人々の繰り広げるヘンな事件の狂言回しとして立ち会うこともあるわけで、悪党とカモの入り組んだ事件を裁き分ける「機械仕掛けの神」だとしても、十分エンタメとして成立するわけだ。 まあだから「回想」はあまりホームズが「推理」しないんだよね。皆さんが評価下げたがるのも分かるんだけど、評者は逆に「冒険」だけだったら「名探偵シャーロック・ホームズ」がここまで代名詞にならなかったんじゃないかと思うんだ。「回想」は「冒険」が作ったパターンを壊して、新たに「名探偵ヒーロー」の活躍の幅を広げる大きな役割を果たした、と思う。どうだろうか? |
No.713 | 8点 | フーコーの振り子 ウンベルト・エーコ |
(2020/05/26 17:54登録) 「薔薇の名前」よりも長くてヘヴィだから、落ち着いて読める時期に..とは思ってたけど、頑張って再読。これも出てすぐに買った本。 主人公の「わたし」はテンプル騎士団についての学位論文を書いているときに、インテリが集まるバーで編集者のタルボと知り合う。タルボはテンプル騎士団を扱った持ち込み原稿の扱いに、主人公を顧問として協力を求める。原稿の主はオカルトに狂った「猟奇魔」の畸人で、出版社は固い学術出版社のウラに、自費出版を営んでおり、「原稿を預かる」という名目で、自費出版に誘導するのが狙いだった....しかし、その原稿の主は殺人を疑われる状況のもとに姿を消した。真相が不明のまま、卒業した主人公はブラジルに渡り、そこでサンジェルマン伯爵を連想させる紳士と知り合う。ミラノに舞い戻った主人公は、その出版社でタルボたちと一緒に働くようになるが、その出版社では頻繁に持ち込まれるオカルト原稿にヒントを受けて、自社でオカルト書籍シリーズを出すことを検討していた。サンジェルマンを思わせるアッリエ侯爵も、その顧問に加わることになるが、主人公とタルボ、ユダヤ人でカバリストのディオッターレヴィの三人組は、失踪した男が「テンプル騎士団の秘密を記したメモ」とする暗号文書から、ありとあらゆるオカルトを一まとめにしたような、西洋史を貫く大陰謀「計画」を冗談半分にでっちあげて、世の中の鼻を明かそうとたくらんでいた。 この「計画」を女をめぐる張り合いで、タルボがアッリエ侯爵に漏らしたことから、ただならぬ事件が動き出す.... うん、まあこういう話。本書の10のパートがカバラのセフィロトの木になぞらえて作られているとか、三人組の一人がカバリストで、カバラ用語が頻出するとか、読むにあたって西洋史というか宗教・オカルトあたりに一定の知識があった方がいいと思う。カバラだったらショーレムの「カバラとその象徴表現」とか、薔薇十字ならイェイツの「薔薇十字の覚醒」とかマトモな本を読んでおくといいんじゃないかな。まあインテリ向けのエンタメだから、意味が解らなくて流して読んでもそうそう困りはしないんだが。 で、作者は記号学者のエーコである。評者も80~90年代あたりの記号学の流行りの中で少しくらいはかじったか。この記号学、「記号には隠された意味などまったくない」というのが、大前提というのか信条というのか、そういうモノなんだ。記号学というのは、オカルトの反対の極にあるものになる。だから本書は「記号学の大家による、反=記号学の遊戯」みたいなもの。オカルト=象徴表現というのは、「表面的に現れた意味の背後に、隠された意味があって、その隠された意味に到達するのが【奥義】」ということだから、記号学はオカルトの悪魔祓いの役回りなんだよ。「表層以外は何も信じない」80年代スタイルvs「表面的な意味は完全無視」なオカルトだから、そもそも正反対。 まあエーコは当然ここらを百も承知の上で、オカルトと戯れてみせているわけだ。実際、オカルトって本当に引き写しばっかりで極めて創造性を欠いたジャンルのようなんだよな...しかし、三人組はテキトーに類推からありとあらゆるオカルトを蒐集し、勝手に関連付け、架空の大陰謀を編集的に「創造」してしまう。そうすると、それが「ウソ」ではなくなって...というのが終盤の展開になってくる。自らの嘘に復讐されるわけだ。主人公の妻のリアはウソにのめりこむ夫の姿を見て、出発点のテンプル騎士団の秘密メモが、花屋の配達伝票に過ぎないのを暴露するけど、もう遅すぎる。 「神の書」の文字を調合するためには、それ相応の慈悲を覚悟しないといけないが、僕らにはそれがなかった。どの本も神の名で編まれているのに、僕らの場合は、祈りもせずにすべての物語をアナグラムにして変換してしまった。 この報いを得て、カバリストのディオッターレヴィは「僕の細胞は他の誰のものでもない自分だけの話を作り上げ」る病気である、ガンで死ぬことになる。まあ、本書はマジメというよりも、アイロニカルでシニカルなコメディみたいに読むものではあるんだけどね。だからさ、同じくテンプル騎士団のオカルトを扱っても、例の「ダ・ヴィンチ・コード」とかとは全然レベルの違う話。本書読んでりゃ、いかに「ダ・ヴィンチ・コード」の創造性が皆無なのかが、分かろうというものだ。 最後に本書の主人公が「知のサム・スペード」を気取るのは、これはこれでウラの意味があってね、要するに「マルタの鷹」は、最後には宝物が模造品で一文の価値もないことが判明する、という本書の先達みたいな話なんだ。逆に言えば、宝物とか秘密とか陰謀とか奥義とか、こんなのはヒチコック流に言えば「マクガフィン」であって、球技で奪い合うためのボールに過ぎないものなので、どんな無価値なものでも「宝物の奪い合い」の宝物になる、という「ゲームの規則」を示しているだけなのさ。 |
No.712 | 6点 | 蝶の骨 赤江瀑 |
(2020/05/24 08:37登録) 赤江瀑は、ミステリと完全に地続きなあたりで書いている作家なんだけど、どうも類型にハマらない独自ジャンルという感覚だ。本作だって、エンタメで、殺人はなく(強姦と自殺はある)、超常現象もなく、エロスはテーマだけど格調高い。こんな感じ。この文章に魅力を感じるなら、読んでもいいと思うよ。 陽だまりが、流子の目の前にもある。濃い肉のくさむらが、その光をすっている。 英寧の首が、動いている。 海の匂いが、たつ。 オオルリが、また鳴いている。 スナキビソウがもみしだかれる。 空が、動く。 ときどき、傾く。 丘が、しずむ。 林がひしめく。 樹木が、折れる。 陽が、なだれる。 ヒロインは学生時代に、同級生男子の「花形」の三人組が、体育館倉庫で行きずりの女性を拉致して強姦するのを目撃した。この美形三人組に人知れず恋情を燃やしていたが、相手にされない自身の容姿の醜さに絶望するヒロインは、自身が強姦されたと大学当局にこの三人組を訴えて出る。三人組は大学除籍。ヒロインは卒業後、整形手術を受けて「蝶」に変身していた....デパートの催しで「爪に彫画」するネイリストをする三人組の一人を見つけたヒロインは、身元を隠して男を誘惑する。男はヒロインとのかつての因縁にまったく気が付かないようだ。これをきっかけに、ヒロインはかつての三人組全員を誘惑する「復讐」に酔いしれる。 まあこんな話。だからヒロインの「復讐」の動機のヒネクレ具合とか、無理を重ねたヒロインの復讐の結末とか、そういうあたりの興味で読んでいく話。悪くないけど、カテゴライズ不能なタイプの話で、恋愛小説にしては主人公が屈折しすぎで、官能小説かというと格調が高すぎる。女性視点で女性が読んでも大丈夫で、解説も皆川博子。「暗黒のハーレクイン」と言ったらピッタリか。 赤江瀑は短編の方がずっといい、というか「長編イマイチ」な人なんだけど、本作は長編の3作目。中盤ヒロインが鉄の処女で自殺を図るとか、ヘンなエピソードもあるけど、まあ一応文庫300ページを持たせている。 |