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ミステリの祭典

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マルタの鷹
サム・スペード

作家 ダシール・ハメット
出版日1954年02月
平均点6.65点
書評数17人

No.17 8点 YMY
(2023/06/25 22:17登録)
鷹の彫像を巡る緊迫した駆け引きが素っ気ないほど乾いた文体で綴られる。心理描写が徹底的に排除されているため、読者は登場人物の内面をちょっとした会話や仕草から推測するしかない。
ストーリーが複雑なうえ、微妙な行動の描写にも伏線が張られているので、一読しただけでは素通りしてしまうかもしれない。それだけに本作は純粋な謎解きよりも、こうした深読みを促す文体が大きな魅力となっている。

No.16 9点 弾十六
(2022/01/31 21:25登録)
1930年出版。初出Black Mask 1929-9〜1930-1(五回連載)。ハヤカワ文庫の改訳決定版(2012)で読みました。
スペードってオプと全然違うキャラかと思ったら、ハンサムになっただけで中身は全然違わない、というのが意外でした。私はずっと前にボギー主演のヒューストン映画(1941)を観てたので話の筋は覚えてたのですが、新しいことやろう、という最初の方の凝った文体が微笑ましかったり、途中の淀みない流れが素敵だったり、ああ、またやってるね、という作者のお馴染みの感覚だったりが嬉しくて、非常に満足。この作品単体で味わうより、オプものをじっくりと読んでから、あらためて賞味するのが良いのでは?と思いました。
ラスト・シーンは、続きを妄想した例の記事を知ってると、とても面白い。
トリビアは拳銃に関するものを一個だけ。(気が向いたら付け足します…)
珍しいWebley–Fosbery Self-Cocking Automatic Revolverが登場。英国のWebley社のユニークなリボルバー、1901-1924に約4750丁が製造されたようだ。普通のリボルバーと違い、発射の反動でコッキングするのが非常に珍しい。こんな有名作品に、こんな珍品が堂々と登場してるとは知らなかったので、ガンマニアとしてはお腹いっぱいです!(日本Wikiには登場作品にきちんと言及されている)

(2022-2-2追記)
本作で登場するWebley–Fosbery revolverは、さらにレアもので38口径の八連発仕様。市場に出回ったのは僅か200丁ほど(通常のものは.455Webley弾、六連発)。良く調べると、使用銃弾も珍しく、リボルバー用のリムのある弾丸ではなく、自動拳銃用の.38ACP(全長33mm、1900年開発)をクリップを使って装填する。しかも、この銃弾、普通38口径自動拳銃で使う.380ACP(全長25mm、1908開発)とは違う珍しいもの。なお「38口径」という名称は、他の多くの銃弾(22、25、32、45口径など)とは違い、弾頭の直径ではなく薬莢部分の直径で、実際の弾頭の直径は種類により多少違うが.355-.357インチ。なので欧州でいう9mm弾丸と同等である。(『マルタの鷹』講義p376の注408.9(22.14)で誤解した記載がある)

(2022-2-6追記)
トリビアは大抵「『マルタの鷹』講義」に載ってるので省略。でもそっちには無い価値換算には言及しておこう。本書にはドルとポンドが登場して、1ポンド=10ドルで換算している(p146など)。「講義」によると作中年代は1928年12月。1928年の交換レートを調べると£1=$4.86、金基準でも£1=$4.87とほぼ同じ。1920-1930の変動を見てみたがあまり変わっていない。あっそうか、舞台を考えると香港ドルとの換算かも?と見てみると1928年のレートは$1=HK$1.996。ならば£1=HK$9.70となって本書の換算に近くなる。登場人物たちも米ドルだと誤解してるわけだが、そうではなくてブツがブツだけに過大なふっかけた換算レートを提示したのかも。
なお米国消費者物価指数基準1928/2022(16.30倍)で$1=1858円、英国消費者物価指数基準1928/2022(66.94倍)で£1=10445円。
「講義」では、小説の私立探偵の報酬が日給20〜25ドル(3万7千〜4万6千)が相場(ソースは小鷹『ハードボイルドの雑学』p87)のところ、二百ドル(37万円)をあっさり出す、と驚嘆してるけど、換算してみると、より生々しい印象になると思う。

以下は「講義」で触れられていないトリビアを拾ってみた。
p3 献辞 ジョウスに捧ぐ(To Jose)♠️下の娘Josephineのことだろう。
p27 黒のガーター(black garters)♠️ああ、男でも使うんだ。
p30 ウェブリー・フォスベリー・オートマティック・リヴォルヴァー(Webley–Fosbery Self-Cocking Automatic Revolver)♠️「講義」の注は突っ込みどころあり。W. J. Jeffrey & Co.は「販売元」だろう。数百丁の販売だから「価値がありすぎる」としているが、単に不便で売れなかっただけ。サイズが大きすぎて携帯に向かない、とあるが1.24kgで280mmだから確かにコルトM1911(1.10g, 216mm)よりかなり大型だが「1フィート(304mm)を超えるはず」ではない。
p35 犯罪の成功に(Success to crime)♠️乾杯の文句。
p43 四四口径か四五口径♠️似たようなものだが44口径はS&W(プロ仕様)のイメージ。45口径はコルト社(ありふれた型)のイメージ。
p43 ルガー(a Luger)♠️正式にはPistole Parabellum、通称P08。38口径(=9mm)。ヨーロッパの洒落たイメージ。
p56 ナッシュのツーリング・カー(a Nash touring car)♠️1924年のSaturday Evening Post広告でNash Six 4-door Touring CarはOnly$1275というのがあった。
p73 『タイム』を読んでいた(reading Time)♠️1923年創刊。
p78 銃身の短い、平たい小さな拳銃(a short compact flat black pistol)♠️「黒い」が抜けている。このキャラが持ってるなら25口径のFN M1905(M1906ともいう)がピッタリだが、32口径(p134)らしいので、ベストセラーのFN M1910なのか。
p81 数種類のサイズの合衆国紙幣で365ドル、五ポンド紙幣が三枚(three hundred and sixty-five dollars in United States bills of several sizes; three five-pound notes)♠️1928年に米国紙幣はサイズを小型に変えた(187×79mmから156×66.3mmへ)。なので、旧札と新札が混じってるよ、という意味だろう。
p106 シアトルにある大きな私立探偵社で働いていた(In I was with one of the big detective agencies in Seattle)♠️スペードもコンチネンタル探偵社出身なのか。
p143 サンドウィッチ♠️こういう食事のシーンが良い。
p153 エン・キューバ(En Cuba)♠️元はEduardo Sánchez de Fuentes(1874-1944)作Habanera “Tú”。それをFrank La Forgeが1923年にCuban folk song として編曲し訳詞をつけたもの。
p173 サイフォン
p198 こけおどしの台詞♠️誤解されているが、ハメットがヒーローに喋らせるワイズクラックはチャンドラーの軽口とは違い、必ず目的がある(人を怒らせたり、話を逸らせたり)。実生活で利口ぶったマーロウが吐くセリフを聞いたら、必ず、やな奴、と思うはず。ハメットのヒーローたちはそんなセリフを吐いていない。
p199 重いオートマティック拳銃(a heavy automatic pistol)♠️スペードの背広ポケットに収まるサイズなのでコルトM1911(45口径)あたりか。
p231 ここにも食事のシーン。
p233 その拳銃から発射されたものだ(came out of it)♠️1925年にゴダードが銃弾の旋条痕から発射拳銃を特定する技術を確立してから数年経過しているが、まだ一般的な知識にはなっていないようだ。有名になったのは1929年2月のバレンタインデーの虐殺の鑑定からだという。
p246 大陪審とか検死審問に呼ばれてしゃべらされる(be made to talk to a Grand Jury or even a Coroner's Jury)♠️ここはニュアンス違いあり。大陪審には証言の強制力があるがCoroner’s Jury=inquestには強制力は無い。弁護士が「検死審問は裁判じゃない」p73と言ってる通り。なのでここは「大陪審でしゃべらされるって言っても、検死官陪審にすら呼ばれてないんだがな」という趣旨。
p256 スペードはいるか(Where’s Spade?)♠️ここは「スペードは?」くらいで良い。とにかく言葉を省略して。
p271 ここでも食事。
p271 黒いキャディラックのセダン

クリスティ再読さまは『赤い収穫』と『恐怖の谷』の繋がりを見抜いたが、私も真似して『デイン家』は宗教がらみなので『緋色の習作』、『マルタの鷹』は宝の物語なので『四つの署名』という説を唱えておこう。そうすると『バスカヴィル』は未読の『ガラスの鍵』あたりかなあ。

No.15 8点 Kingscorss
(2020/11/14 03:10登録)
少し前にチャンドラーの『大いなる眠り』を読んだので、その流れでハードボイルドの古典ともいうべき今作を初読了。割と最近の翻訳版で読んだので読みやすかったです。

まずはじめにこの作品は探偵小説ですが、推理とか謎解きみたいなミステリーはほぼ皆無です。最後少しどんでん返し的なことありますが、基本ただのハードボイルド活劇とも言うべき小説です。主役である探偵、サム・スペードのキャラクターを満喫するための小説なので”推理”小説を望んでいるならあまりおもしろくないかもしれません…

さて、それを前提にして、最初から最後まで謎に満ちた依頼人とそれを取り巻く悪党どもから探してほしいと依頼されているお宝を見つけ出して取引するというエンターテイメント活劇で、まるで一本の映画をそのまま活字にしたような作品です。70年近くたった今でも全く色あせない骨太なつくりで、当時ハードボイルド旋風を巻き起こし、日本でもやたらとこのスタイルが流行ったのも納得です。セリフから所作までとにかくかっこいいですもん。

内容的は類似作品が多発したおかげで今では特段珍しいものではないですが、ハードボイルド御三家、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドの有名所は読んでおきたいですね!それぞれの作品での探偵のハードボイルド度を比較したいです。(*´ω`*)

No.14 6点 ◇・・
(2020/03/20 16:23登録)
一人称ではないが、すべてがサム・スペードの視点から書かれている。秘宝の行方、殺人事件の犯人探し、そして、スペードとブリジッドの男と女の駆け引きとが融合したプロット。ミステリとしても構成が見事で、しっかり読まないと伏線に気づかない。男はどこまで非情を貫く通せるのか。
スペードが巻末近くで犯人に言った言葉に納得できるかどうかが、この作品の評価のポイントだろう。

No.13 8点 クリスティ再読
(2020/01/11 22:00登録)
さてハメットのレジェンド。いや実に味がある。映画的に会話と客観描写だけで綴られる小説なのだが、心理描写を完璧に欠いているために、逆に会話に読者が読み込むような「読み」を誘うことになり、これがため心理的な綾がたっぷりとノることになる。スペイドとブリジッドの会話なんて、ブリジッドの大ウソをスペイドはからっきしも信じてなくて、喋らせてうまく誘導しようというのがよく見えるんだよね。ここらへんの「化かしあい」がコミカルでもあり、シリアスでもある。
というか、ブリジッドもそうだが、「血の収穫」のダイナ、「影なき男」のミミといったハメット特有の「嘘つき女」は、チャンドラーもロスマクも真似しようってマネできる代物ではない。オプやスペイド以上に、ハメットは「ワルい女」を描かせたら天下一品なのだと思うよ。
だからね、「マルタの鷹」の奪い合いなんてタダのマクガフィンのワケなのさ。ガッドマンやらカイロやらが右往左往するのはタダの煙幕なので、どうでもいい。実のところ事件はアーチャー殺しなのだし、スペイドとブリジッドの関係に話が絞られて、話はそっちに収束することになる。愛するがゆえに互いに騙しあい、裏切りあう皮肉な「アンチ・メロドラマ」として本作は読むといいんだろうね。
ま、なんか最近皆さんエフィ萌えが多いようなんだが、実のところ話の決着はバカ女のアイヴァが着けるんだろう。マルタの鷹事件の後でアーチャー未亡人アイヴァがトチ狂ってスペイドを撃ち殺す...そんなオチを何かで読んだんだけど、忘れた。何だっけ。

追記:おっさん様のご教示によると、アイヴァがスペイドを射殺した話はエスカイヤー誌の「ハードボイルド探偵比較表」のヨタ記事で、それを『推理小説雑学事典』(広済堂 1976年)が採用して...という経緯を各務三郎氏の『赤い鰊のいる海』(読売新聞社 1977年)や小鷹信光氏の「サム・スペードに乾杯」(1988年、東京書籍)で解明しているようです。もう一度言いますが、でっち上げの嘘記事です。さすがのおっさん様です。私の記事で「犠牲者」をさらに出さないように追記します。みなさま、ありがとうございます。
(中原行夫氏のメールマガジン「海外ミステリを読む(25)」でこの話をやはり扱っていて、いろいろ考察してます。ありえない結末ではないとは思いますよ)

No.12 7点 蟷螂の斧
(2020/01/01 13:12登録)
(再読)「東西ミステリーベスト100」第36位。<英10位、米2位>

(ネタバレあり)「赤い収穫」より本作の方が全体的にスマートな感じを受けました。この作品でハードボイルド系の探偵役の姿が確立したように思います。更にその後に続く○○○○が犯人という基本形も・・・。 「うまくいけば終身刑。二十年たてば出られるということだ。きみは天使だよ。ずっと待っていよう」「もしきみが首を吊られたら、忘れずにいつまでも憶えていてやる」「愛していると思うよ。だからどうだというんだ」ハードボイルド系愛の言葉集です(笑)。

これで以下(参考)の英米人気作品の上位10冊を読み終えることになりました。
(参考)本ランクは『史上最高の推理小説100冊』(1990年英国推理作家協会)と『史上最高のミステリー小説100冊』(1995年アメリカ探偵作家クラブ)の順位を単純に合算したもの。()は(英)(米)の順位。≪≫<>「東西ミステリーベスト100」《2012年》〈1985年〉の順位。点数はマイ評価と本サイト平均点(本日現在)
1位 『時の娘』ジョセフィン・テイ(1)(4)《39》〈44〉6点 6.23点
2位 『寒い国から帰ってきたスパイ』ジョン・ル・カレ(3)(6)《-》〈33〉8点 7.29点
3位 『大いなる眠り』レイモンド・チャンドラー (2)(8)《-》〈43〉5点 6.15点
4位 『マルタの鷹』ダシール・ハメット(10)(2)《36》〈19〉7点 6.09点
5位 『レベッカ』ダフネ・デュ・モーリア(6)(9)《—》〈68〉9点 6.40点
6位 『月長石』ウィルキー・コリンズ(8)(7)《67》〈51〉7点 7.43点
7位 『アクロイド殺し』アガサ・クリスティー(5)(12)《5》〈8〉10点 7.91点
8位 『ホームズ・シリーズ』アーサー・コナン・ドイル (21)(1)《3》〈10〉8点 8.17点
9位 『学寮祭の夜』ドロシー・L・セイヤーズ(4)(18)《—》〈—〉6点 7.38点
10位 『ポー作品集』エドガー・アラン・ポー(23)(3)《34》〈36〉6点 6.14点                                     (*)「ホームズ・シリーズ」は「シャーロックホームズの冒険」「ポー作品集」は「モルグ街の殺人」を代用 

No.11 7点 斎藤警部
(2019/06/08 21:27登録)
「そんなやつは死んじまってるさ」

本作への評価を押し上げた神髄はその最終章に在るや在らずや。スペードも良いが敵役ガットマンが最高だ、ファンキーガッツマン(m.c.A・T)を思い出す。激烈にして爽快無比な最終章と、そこで生まれた一瞬の弛緩を二段構えで締めに締める、ラストシーン。だがやはり、ミステリ軌道の深い抉りは感知出来ない。冒険のきらめきや拡がりも無い。SFの街も迫って来ない、坂道を感じない。それでも長い短篇の様な鮮やかな蠢きの連続が引き摺り込んでくれる、痛快なる一篇。ヘイ、ヨウ、そっちの、命を賭けて追い求めた幻は、こっちの、無理に叩き出して結局棄てる事になった幻よりも、価値があるのかい?

「用心してりゃよかったものを」 

マイルズ。。。。 お前は本当にクズ野郎だったのかい?

No.10 3点 Akeru
(2017/08/13 10:33登録)
推理小説的に褒めるべき点は全くないように見受けられます。
どんでん返しの欠如が一つ、犯人の必然性(絶対にその犯人でなければならないという作中での指摘)の欠如が一つ。
この二大要素を欠いている以上、イマイチという評価以外は難しいですねえ。 犯罪に関しては完全に解決したとはとても見えませんし。 伏線回収無視しすぎでは?と。


推理小説的でない部分の話ですが、大別すればハードボイルド的側面と、恋愛的な側面があると思います。
私はそもそもハードボイルド的な小説が好きではないので前者についてはノーコメントです。 主人公は悪漢をぶん殴り、女性には子猫を扱うように接します。ハードボイルドってのはそれだけの記号です。 少なくとも作中では。
恋愛的な側面ですが、主人公が恋愛する相手の話なんですが、正味嘘八百どころか嘘八千もいいところの女で、
作中でも主人公に「おれの前で30分も正直でいたことがない」などと言われます。 こんな女に恋する理由が全く不明で…。 いや、恋ってそういうものではないのはわかりますけど、ヴィジュアルの良し悪しは紙面から出て来ませんしねえ。


結局総括をすれば、のちのハードボイルド全盛時代に先鞭をつけただけが存在意義のように見えてしまいます。 つまり(歴史的意義を考慮に入れれば)傑作とかその手の類です。
「彼が何故そうしたのか、そうせざるを得なかったのか、それをした人間がいるのならば彼以外にあり得ない」とか、そういう側面を気にされない方にオススメです。 本書ではその辺りがほぼ完全にオミットされますので。

まあ、読んだのが旧版の村上訳なので、このような評価に至った可能性は大いにあるのですが。

No.9 5点 いいちこ
(2016/10/19 16:48登録)
リーダビリティの高さや、読者を引っ張っていく求心力は感じるのだが、殺人事件の底が浅く、「マルタの鷹」を巡る駆け引きともうまく噛み合っていない等、ミステリとして高い評価は難しい

No.8 4点 青い車
(2016/05/27 19:58登録)
 ハードボイルドの巨匠ハメットを読んでみたものの、相性が悪かったのでしょう、正直どこを面白がればいいのかわかりませんでした。とにかくサム・スペードという人物がまったくカッコいいと思えません。男はすぐ殴り、女にはキスをする単細胞で、クールさの欠片も感じられず読んでいて厭でしょうがなかったです。タフガイという言葉でそれを正当化しているあたりもちょっと……。これで既存のミステリーを単なる謎々と下に見る神経も理解できません。これまで極端な酷評をするのは避けてきましたが、本作はそれだけ合いませんでした。

No.7 9点 おっさん
(2015/12/31 16:14登録)
ひさしぶりにハメットを読もうと、ハヤカワ・ミステリ文庫の『マルタの鷹』〔改訳決定版〕を手にした直後に、訳者の小鷹信光氏の訃報に接しました(12月8日、逝去。享年79)。
ハードボイルドの“鬼”であり、何より海外ミステリの研究者・紹介者として、筋金入りのプロでした(氏が編まれたアンソロジーを、一冊でも読まれた人なら、実感されるでしょう)。
筆者は一度だけ、あるパーティでたまたま小鷹氏とお話する機会があり、『コンチネンタル・オプの事件簿』のレヴューのなかに、そのときのエピソードを記しています。
寂しいなあ。

今回読んだ「改訳決定版」(2012年 発行)は、このところ早川書房が押し進めている、いささか無節操な感のある「新訳」とは性格が異なります。1988年6月にハヤカワ・ミステリ文庫から刊行された旧訳版『マルタの鷹』の訳者である、小鷹氏自身の手になる改訳なのです。
新たに付された「あとがき」によると、アメリカ文学研究者の諏訪部浩一氏が2009年から《英語青年》のウェブサイトに連載された〈『マルタの鷹』講義〉(のち、紙の本としてまとめられ、第66回 日本推理作家協会賞の評論部門を受賞)に接し、「きびしい英語教師の添削に身をすくめる生徒の気分」となり、旧版の翻訳時の「辞書の不備、検索の不徹底さ、深読みのいたらなさ、安易な誤読、単純な校正ミスなどを思い知らされ」、その反省から改訳を決意されたようです。これはしかし、なかなか出来ることではありませんよ。頭が下がります(筆者などは、ミステリがアカデミックな研究材料となることへの抵抗があり、諏訪部氏の本に目を通す気にもならずにいたのですが……料簡の狭さを、いま反省しています)。

はからずも、追悼のための読書、といった感じになってしまいました。あまりのタイミングに、いささか運命的なものを感じたりもしています――って、我ながらオーバーな表現ですね。
でも、たまたまそういう偶然があった、というだけのことなのに(そして、世界が恣意的であるなんてことは、人生五十年も生きてくれば、当然のように分かっているはずなのに)、ついそこに特別な意味を見出したくなるのが、人間というもの。
『マルタの鷹』第7章で、主人公の私立探偵サム・スペードが、ヒロインたる、一筋縄ではいかない依頼人・ブリジッド・オショーネシーに語る、有名なフリットクラフトのエピソード(まるで問題の無い日常を送っていた男が、あるとき、オフィスから昼食をとりに外に出たまま、忽然と行方をくらましてしまうが……その原因は、たまたま建築中のビル工事現場から彼の近くに落ちてきた、一本の梁にあった)のように。

筆者は中学生時代に、創元推理文庫版(村上啓夫訳)でいちど『マルタの鷹』を読んでいますが、そのときは、随所に印象的な場面や描写があるとは思いながらも(とりわけ第二章で、スペードが警察からの電話で眠りを妨げられ、起きだしてパートナー殺しの現場に向かうくだりの、客観的なナレーションは、忘れがたいものでした)、肝心のお話は、どこがどう面白いのか分からず、前述の「フリットクラフトのエピソード」も、なぜスペードが突然、当面の事態とは無関係に思えるそんな話を持ち出したのか、理解不能でした。
あらためて読み返してみれば、ああ、これは愛の告白だよなあ、とピンとくるわけですが(こちらも、それなりに年をとったということです ^_^;)。ブリジッドと何やらつながりがあるらしい、怪しい男を呼びつけ、両者を激突させることで局面の更新をはかる前に、「きみは、おれの人生に落ちてきた梁なんだ」というメッセージをブリジッドに伝えようとした――でも、まったく伝わらなかったんですね。
そして……そんな、人生を変えるような恋と冒険(お宝の争奪戦。いってみれば、このお話はオトナ版の『宝島』なんです)をしたはずのスペードは、でも最終的に、フリットクラフトと同じような“日常”に吸収されていってしまう。あとに残るのは、宴のあと――たとえそれが、狂乱の宴だったとしても――のような虚脱感。ああ、これはやっぱり名作だわ。
表面上の設定や部分的な要素を、後続の作家たちは模倣・流用しまくったわけですが、本書は本来、ハードボイルド・ミステリへの葬送曲ともいうべき作品であり(その意味では、探偵小説のパロディとして執筆されたはずなのに、結果として“黄金時代”を先導する役割を担うことになった、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』と近いものがありそうな)、ジャンルの創始者たるハメットが、これを書いてしまったことに、ある感慨を覚えます。
似たようなことは、『赤い収穫』の再読時にも感じました。主人公を徹底的に使い切って、搾りかすみたいにしてしまったら――そりゃハメット、シリーズものとして続きを書くのは楽じゃないよぉ。

そして。
真相を知ったうえでの再読で明瞭になるのは――
本書が、じつはミステリとしていったい何が“謎”なのかを、巧みに隠している、きわめて技巧的な作品であったのだなあ、ということ。ごく初期の段階で、その謎は提示されているにもかかわらず、初めて読む人は、事件の連鎖(ミスディレクション)に気をとられ、何が中心となる謎なのか把握できず、まったく別な興味で読み進めるでしょう。それが、最後になると……
という、その“仕掛け”を可能にしているのが、ハメットが本書で採用した、探偵役の三人称客観描写(その行動に密着しながら、しかし内面にはまったく踏み込まないという、作者の視点)なのです。
探偵役の一視点で展開するハードボイルド・ミステリが、露呈しがちな弱点は、主人公の内面描写をおこないながら、作者の都合で謎解きに関する思索を選択してオミットする不自然さです。かりに、調査の過程で、手掛かり自体はフェアに提示されていたとしても、主人公の内面から、推論を組み立てるプロセスが欠落していては、本当の意味でフェアとは言えないでしょう。往々にして、ハードボイルドの名探偵は、いつのまにか全部お見通し――か、でなければ、急に閃いて全部分かりました――になってしまう(ような気がする、というのが本当ですね。あんまりハードボイルドを読んでない人間なので、アテにしないでください w)。
『マルタの鷹』も、一見、そんなふうに見える。
ですが、クライマックスの対決場面でスペードが開陳する謎解きは、それまでの混沌とした状況のなかにあって、段階的に得られたデータを総合したものです。その指摘を念頭において、最初からお話を振り返れば、スペードのなかで疑惑がじょじょに確信に変わっていったプロセスを、それがじっさいには書かれていないにもかかわらず、読者は紙背に読み取ることが可能になる、そしてそれは、スペードという陰影のあるキャラクターの肖像を、あらためて浮かびあがらせることにもなるのです。
とまあ、本書のきわめて実験的な三人称記述を、筆者はそんなふうに理解したわけですが……本当は、もっとブンガク的な意味(ヘミングウェイの影響とか?)があるのかも知れません。そのへんは、いずれ諏訪部先生の「講義」で勉強させてもらうつもりですw

『赤い収穫』のパワーと『マルタの鷹』のテクニック、前者の破天荒さと後者の完成度、どちらを上に置くかは、これはもう、個々の評者の好みでしかないでしょう(『デイン家の呪い』なんて無かったww)。
あえて差をつけるため、本書の採点を9点としましたが(レヴュー登録済の『赤い収穫』は10点です)、これは、最後のほうの、スペードの告発(二段階に分かれており、第一の告発が、必然的に第二の告発に繋がる)の、警察に対する有効性にやや疑問を感じたためで、一介の私立探偵のコトバだけで、裏付けなしに簡単に警察が逮捕に向けて動くものか? という、その甘さをマイナス要因としたことによります。
あと、小説としてさらに欲を言えば――
舞台となるサンフランシスコが、随所に細部描写はあるものの、それが細部描写にとどまって、主人公サム・スペードの「おれの町」として立ち上がってこないウラミがあります。町と、そこで生きる人々のポートレイトに、もう一工夫欲しかったと思います。
やがてカリフォルニアを舞台に、ハードボイルド・ミステリのそうした潜在的な魅力を引き出したのが、フィリップ・マーロウの創造主・レイモンド・チャンドラーということになるのでしょうが、それはまた別な話。

No.6 6点
(2014/04/21 10:02登録)
伝説のマルタの鷹像の分捕り合戦。
たしかに伝説のエンタテイメント作品とはいえる。でも、ハードボイルドというよりも、なぜかお笑い作品に見えてしまう。感覚がずれているのだろうか。映画版の印象が強すぎたのかもしれない。

個人的には、いまでは古臭すぎるようにも感じる「赤い収穫」のほうが好みかな。とはいってもあまり差はなく、もっとも好きな「ガラスの鍵」にくらべれば、両者は似たり寄ったりかな。
ただ、本作はテーマ的には、時代が変わっても楽しまれる作品ではないだろうか。しかもプロットがシンプルなのもよい。
そういう意味では、子どもが読んでも楽しめるだろうし、ハードボイルド嫌いでも受け入れられそうです。いろんな人に読んでもらい感想を聞かせてほしいような気がします。

No.5 6点 mini
(2012/09/07 09:57登録)
本日27日に早川文庫から「マルタの鷹 改訳決定版」が発売される
新訳じゃなくて改訳、という事は早川だから旧版と同じ小鷹信光訳になるわけじゃな
え?、旧小鷹訳って何か問題が有るように言われてた訳だったっけ?、単に小鷹センセ本人が完璧を期したいという意向なんでしょうかね

ハメットを代表するキャラはコンチネンタル・オプである
ハメットは長編数が少なくしかもそれぞれに特徴が有るが、短篇群ではノンシリーズ以外ではやはりオプものの短篇は多い
それに比べてサム・スペードの登場する短篇は少なく数編しかなくて、唯一の長編が「マルタの鷹」である
オプとスペードとの決定的違いは、オプが探偵社に勤める組織の一員という立場だという事だ
作者自身も元探偵社社員だっただけに言わば勝手知りたる世界であり、オプみたいのは他の作家ではおそらく書けないだろうし後続の作家に真似が出来ないという事は元祖にならないという意味でもある
「マルタの鷹」の意義はここに有るのではないだろうか、戦後に大量に書かれた私立探偵小説のプロトタイプとして、正統ハードボイルドの礎を築いた作品という意味で
事件や人物以上に舞台となる街が主役みたいな感覚も、後続のハードボイルドに影響を与えているのではないか?
作者らしくない作とも言えるのでハメットの代表作とは見なせない、しかし歴史的意義では相応の評価をされるべき作だと思う

それにしても当サイトでの私の書評が5件目って、有名作な割に読まれてねえんだなぁ

No.4 6点 E-BANKER
(2011/05/15 21:23登録)
私立探偵サム・スペードが活躍する伝説のハードボイルド作品。
大昔にジュブナイル作品で読んだ記憶が・・・でもほとんど忘れてた!(当たり前か)
~私立探偵スペードは、若い女性からある男の尾行を依頼された。だが、その仕事を買ってでた相棒は何者かに撃たれ、問題の男も射殺される。その嫌疑はスペードにかけられたが・・・黄金の鷹像をめぐる金と欲の争いに巻き込まれたスペードの非情な行動を描く、ハードボイルド不朽の名作~

本作が発表された年代(1930年)を考えれば、"異例”な面白さを持つエンターテイメント作品だと思いますね。
21世紀の現在では当たり前のように書かれているハードボイルド作品の原型というか、「雛形」がここにあったという感じです。
確かに、他の方の書評どおり、プロット的には首を捻る箇所が多いのも事実で、「鷹像」を巡る攻防戦も緊張感に欠けてますし、事件の中心人物としてスペードを振り回すオショーネシーの行動も意味不明?な気がしてなりません。
ただ、何ともいえない「雰囲気」があるのも事実。
スペードの「この街(サンフランシスコ)は俺の街だ」的セリフが何ともカッコいい!
この後、チャンドラーやロス・マクにつながるハードボイルドの系譜の始まりとして一読する価値は十分ありと断言しましょう。
(登場後、すぐに殺される相棒アーチャーは気の毒。でも、こんな艶っぽい作品をジュブナイル作品として出していいんでしょうか?)

No.3 6点 kanamori
(2010/07/18 17:48登録)
私立探偵を主人公としたハードボイルドという点と、「マルタの鷹」の争奪戦というプロットがちょっとミスマッチだという印象。
文体は新しいのに、物語が旧いタイプの小説と言う感じです。
主人公にもあまり魅力を感じなかった。

No.2 7点
(2009/09/26 13:18登録)
「マルタの鷹」と呼ばれる宝物の争奪戦という粗筋だけでは、ほとんどインディ・ジョーンズとかの世界をも連想しますが、それが現実的なサンフランシスコの街中でリアルに展開するのが微妙に違和感を覚えさせる作品です。
いや、小説としてはやはり非常におもしろかったのですが、終ってみると上述のことも含め、何となくアンバランスな感じが残るのです。第2章で起こる殺人の犯人が誰かということに関する推理の根拠は早い段階でわかっていることばかりで、その後の鷹をめぐる騒動とのつながりがうまくかみ合っていないようにも思えます。
危険をほとんど舌先三寸で切り抜けていくサム・スペードのキャラクターは、マーロウやアーチャー(もちろんスペードの相棒のではなく、リュウです)ほど共感を持てないというのも正直な印象でした。推理の後のスペードの立場・考え方の披瀝は、かなりの分量で、読みごたえありましたが。

No.1 8点 Tetchy
(2009/04/06 21:44登録)
エラリー・クイーンやエルキュール・ポアロ、さらにHM卿が活躍していた時代にサム・スペードのようなリアルな探偵が出てきたことは正に衝撃だったろう。
事件を解決して自らの何かを失う探偵なぞ当時の本格派の探偵にいただろうか?
社会の裏側で生きる者たちに対抗するには探偵それ自身がその手を、その身を汚さなければならない。
己が生きるためにはかつて愛を交わした女でさえも売らなければならない、こんな探偵は存在しなかったはずである。

生きることのつらさと厳しさ、そして卑しさをまざまざと見せ付けた本書は、自身が探偵であったハメットでなければ描き得なかった圧倒的なまでのリアリティがある。
故に本書の軸となる黄金の鷹像の存在が妙に浮いた感じを受けるのである。

マルタの鷹は何かの象徴か?
マルタの鷹は存在したのか?
私にはマルタの鷹が誰もが抱く富の憧れが生み出した歪んだ幻想だと思えてならない。

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