home

ミステリの祭典

login
Tetchyさんの登録情報
平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.1631 7点 熱病の木
ルース・レンデル
(2025/08/08 00:28登録)
『カーテンが降りて』に続くレンデルの第2短編集が本書だが、実は第3短編集である。第2短編集である“Means of Evil”は未刊行。

私の印象としてはこれまでのレンデル作品はこすっからい小悪党がちょっとしたミスやいつものルーティーンから外れたことが起きることで自身の悪事が露見し、罰を受けるような物語が多かったように思うが、本書ではむしろそれら悪意ある人物がうまく立ち回ることで生き長らえるといった結末が多かったように思う。
それは罪を犯す側に軍配が上がる結末が5割もあるからだ。

また偶然かもしれないがカードの裏と表のような対になっている作品があるのも特徴的だ。
例えば「私からの贈り物」と「女を脅した男」や「悪魔の編み針」と「思い出のベンチ」は対称的な作品である。

そしてやはりレンデルは実に人間らしいテーマを扱い、我々を物語の渦中に引きずり込む。
表題作はいわゆる成田離婚と呼ばれる、旅行中に起こる夫婦の不和を扱ったもの。
発達障害の仕事仲間をいつも馬鹿にしている男たち。
女にもてることを鼻にかけて、自分の思いのままに振舞っていた男と散々尽くしたのに捨てられる女。
地味な姉と華やかな魅力を持つ対照的な姉妹。
人間誰しも聖人君子ではなく、それぞれが生まれながらの性癖や思考に嗜好、そして生活環境によって形成される性格があり、それらは千差万別であるがゆえに、それらが合わさった時に生じる不協和音を違和感なく語り、そして時にブラックに、時に爽快に物語を結ぶのだ。それは時に共感を伴う。

本書における個人的ベストは本書中最長の「毒を愛する少年」だ。
毒を作るのを趣味にしている少年が自分の部屋の整理中に預かった親戚の子が昔作った朝鮮朝顔の毒を飲んでしまい、大騒ぎになるが、結局無事に終わる。そして子供を預けた母親は再婚相手から婚約指輪を貰って満面の笑みで病院に迎えに来る。彼女は誤って毒を飲ませてしまったことを詫びる少年に対して単に色付きの水を飲んだだけだと判っていたから心配してなかったと歯牙にもかけない。
この台詞に隠された真意は誰もがあることに思い至るがレンデルは敢えてそれに触れずに少年の意味深な台詞で締め括るのだ。この引き算が実に上手い。こういう作品こそが印象に残り続けるといういいお手本の作品だ。

次点は「メイとジューン」を挙げる。いわゆる月とスッポンのような姉妹の一人の男を巡った半生記であるが、一般並みの容姿とこれといった特技もない平凡な姉が容姿と頭脳に恵まれた妹に最愛の恋人を奪われたことをずっと恨んでいる陰湿な物語である。
内容としては実にありふれたものだが、レンデルに掛かるとそれは何とも皮肉でピリッと辛さと苦さの残る結末になる。最後の台詞は警察には強盗に入られたショックについて話したように聞こえるが、読者にとっては最後まで妹に彼氏を盗られていたことを知ったショックだと判る、何ともうまい締め括りだ。この台詞も印象に残る。

レンデルは長編もさることながら短編も名手であることは既に証明済み。従って第2短編集が今なお訳出されていないのはもったいない。
鬼籍に入り、もう長らく訳出が途絶えている作家だが、やはりこの味わいは捨てがたい。ヘレン・マクロイのように再評価が始まり、未訳作品の訳出がいつか進むことを期待したい。


No.1630 7点 屍島
霞流一
(2025/07/31 00:34登録)
本書は奇蹟鑑定人シリーズ2作目にして現時点でシリーズ最終作。奇蹟鑑定人の魚間岳士と天倉真喜郎が世間で起きた不可思議現象を科学的に解明するために全国を駆け回るシリーズである。

今回の舞台は瀬戸内海で赤穂の沖に浮かぶ鹿羽島である。戦国時代に瀬戸内海をのさばっていた水軍がこの島で1匹の毛並みの美しい雌鹿を生け捕られたときに大きな翼が生えた鹿が飛んできて雌鹿を取り戻したという伝説に由来しているという霞節溢れる設定である。

まず私にとっては馴染みの瀬戸内海だが、鹿に纏わる伝説が多いのは本書で初めて知った。菅原道真が海を渡る鹿の詩を詠んでいて、その伝説は厳島神社にも残っているとのこと。確かにあの島は鹿が多い。
更には牡蠣で有名な日生町の鹿久井島では漁民が鹿を食べていたことに名が由来していたり、姫路市にも我馬野では鹿狩りをしたが失敗して鹿が海を渡って逃げたという逸話、神戸市の兵庫区の夢野にも氏かに纏わる伝承があったり、更に兵庫の赤穂が舞台の1つとなっていることもあり、自分が住んでいる場所や知っている場所が多く出てくることもあっていつもよりも親近感が増した。

さてその2人が鹿羽島に赴いて解き明かそうとする奇蹟は鹿の頭の生えた樹が現れたというもの。しかもその鹿の頭は発見者が転倒して目を離した隙に消え失せてしまったという。
しかし物語はこの奇蹟の鑑定よりもその島に住む医者諸生博士こと諸生陽平がゲノム操作によって生み出したと云われる馬と鹿を合わせた馬鹿という怪物が逃げ出した後で起こる連続殺人事件の捜査へと発展する。

また霞氏のブログを読んでいる方は知っていると思うが、霞氏はいわゆる言葉遊びの達人である。従って本書にはそんな彼の遊び―駄洒落とも云う―が、散りばめられている。
気付いたもので挙げてみると天倉のことを40過ぎても本能のままに動く子供のようだとして本能児と魚間は呼ぶがこれはまさに織田信長が最期を遂げた本能寺から来ており、舞踊家の竜宮嬢も浦島太郎の竜宮城である。
また島の医者、諸生博士はウェルズの作品に登場する、自身の島で動物と人間を掛け合わせてミュータントを作っていたモロー博士に由来しており、アートファクトリー『24の畳』は小豆島を舞台にした壷井栄の小説『24の瞳』が元ネタである。その他にも色んな言葉遊びが含まれていると思っていいだろう。

たった220ページのボリュームながらこの物語のために盛り込まれたガジェットの数はかなり多い。しかもそれらを過不足なく配置し、ドミノ倒しのように全てが謎解きに寄与して、大団円を迎えるのだから、霞氏の本格ミステリの技量は実に高い。
厚いだけがいいわけではないという好例でもあるし、また島田荘司氏ばりの奇想に満ちている。

さてこの奇蹟鑑定人シリーズだが、この2作目以降書かれていない。
実は解説を読んで知ったのだが、本書の馬の首が樹から生えている奇蹟は1作目の最後に触れられていたのだった。そして本書の最後にも彼らが次に相対する奇蹟は屏風絵から抜け出した火を吹くニワトリ…。なんとも気になるではないか。

バカミスの匠として知られている霞氏だが、実は純粋な本格ミステリ作家としても有栖川氏や綾辻氏らビッグネームとは全く引けを取らない、いや寧ろこれだけ謎を拡げながらも簡潔に収まるべきところに収める実力はもっと評価されていいのではないか。
彼の著作数に比べて文庫化作品が少ないのが非常に気になるところだ。今後彼がブロックバスター的な作品で一躍有名になり、旧作の文庫化が進むことを大いに期待したい。


No.1629 8点 ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
J・K・ローリング
(2025/07/29 00:29登録)
今回は終始「怒り」がテーマだったように思う。とにかく今回のハリーはエゴが前面に出ていて、なんとダンブルドアまでにも歯向かうことになる。

この辺はこのシリーズの隠された仕掛けが見えてきたような感じもするのだが、逆に云えばお行儀のいい主人公を据えるよりも、こうした現代の15歳の子供が見せる傲慢さをきちんと描く作者の姿勢に感心する。

とにかく今回は先の読めない展開だった。今までのシリーズの定型を壊す物語の運び方で、こういうプロットだと作者のストーリーテリングの技量が試されるのだが、この作者は色々なロジックを仕掛けており、ところどころで目から鱗が落ちる思いをさせてくれた。

まず一番印象に残ったのは、ハーマイオニーの知略の冴え。
憎きアンブリッジを出し抜くための数々の謀略の見事さには舌を巻いた。特に魔法省に黙殺されていたヴォルデモートの復活に対して、ゴシップ紙「ザ・クィブラー」にわざとハリーのインタビューを載せて、アンブリッジに「ザ・クィブラー」禁止令を出させた時の、「記事を読んだ事を認めることが出来ないがためにヴォルデモートの復活に対するハリーの意見に反論できない」という論理などはチェスタトンの逆説を髣髴させるほどだ。

他にはセストラルという動物がなぜ特定の人物しか見えなく、さらに今までハリーの目に見えなかった理由にも驚いた。
こういう細かい仕掛けがこの作者は本当に上手いと思う。

そしてシリーズの後半に差し掛かった本書でも大きな別れがあった。今まで愉快なサブキャラとして物語に彩りを加えていた双子のフレッド&ジョージ・ウィーズリー兄弟の退学、それとシリウスの死。そして敵役であったマルフォイ親子がもはや敵として眼前に出てきた事も物語が佳境に近づいている事を気付かせてくれた。

今までこのシリーズの読者が抱いていた「ダンブルドアはハリーをひいきしていないか?」という疑問に今回はきちんと明示して答えているのが驚いた。また前作の感想でハリーを特別扱いする件について理由を示した事を書いたが、今作ではさらに突っ込んで、作者が意識的にハリーに英雄癖(物語中では「人助け癖」と語られている)があることをハーマイオニーの口から指摘しているのも斬新だ。
これで前回以上にハリーを特別な人物として描いていた事が自覚的であることを示唆し、またこれをハリーが過ちを犯すファクターとしているのも興味深い。
こういうシリーズで主人公がトラブルに陥る(首を突っ込む?)のは常套手段であるのだが、こんな風にあからさまに登場人物の口から提示するのを見た(読んだ)初めてだ。

かてて加えてハリーの父親が聖人君子、ヒーローの如く描かれておらず、むしろ自分の魔法使いとしての優れた資質を鼻にかけた嫌な人物として描いた事にも驚かされた。
それを息子であるハリーに見させて、アイデンティティーを喪失させるなどは、現実の思春期を迎えた青少年・少女が直面する苦悩を用意させ、単なる娯楽読み物として終わらせていない。
こういった細かいエピソードを筆惜しみをせずに書くこの作家が単なるファンタジー作家と一線を画していると強く感じた。


No.1628 3点 パーフェクト・スパイ
ジョン・ル・カレ
(2025/07/26 01:35登録)
一筋縄ではいかないと云われているジョン・ル・カレの作品の中でも飛び切り難解だと称されるのが本書。襟を正す思いで臨んだが確かにこれは難しかった。

これまでのル・カレ作品でも時制が現在パートと回想パートが混在してしばしば混乱を招いたが、本書ではそれが更に拍車をかける。かてて加えてものすごい数の登場人物が登場し、登場人物表にも記載されていないキャラクターたちが大勢、しかも高頻度で登場する上、名前も同じ人物が複数登場するため、理解するのにかなりの時間を要した。
いや果たして十分理解しているのか読後の今も正直自信がない。

これまで以上に混乱を招く、この取り留めのなさは本書がル・カレの自伝的小説とされているからだろうか。主人公マグナス・ピムの父親リックは詐欺師であったことが彼の筆によって明かされていくのだが、その肖像は自身の父親そのままらしい。つまりマグナス・ピムはル・カレであり、父親リックは彼の父親がモデルなのだ。
そしてマグナスがスイスに留学していたようにル・カレもまたスイスに留学しており、リックが詐欺師だったように彼の父親もまた詐欺師だった。しかも訳者あとがきによればリック以上の詐欺師でル・カレ自身も生前はかなりの迷惑を被ったらしい。
つまり本書自身が作者にとって父親への鎮魂の書であるように思えるのだ。

上下巻に亘って語られるのは英国情報部員のマグナス・ピムが父親の死の知らせを聞いて葬儀に立ち会った後、忽然と姿を消し、英国の片田舎の下宿屋で自分の半生と父親のことを書き綴っていく彼の回想とマグナスを探し出そうと躍起になって足取りを探る上司ジャック・ブラザーフッドの捜索行の一部始終だ。

通常の世界に生きる我々は仕事で付き合いのある上司や同僚、部下や後輩たちがそれぞれの私生活を熟知することはまずない。公と私それぞれのテリトリーを護っているからで、無論家族ぐるみの付き合いをしているのであればその境界線はもっと私的な領域に食い込んでくるだろうが、それでも家族もしくは自身しか知り得ない領域と云うのは存在する。
しかしスパイ、諜報の世界となれば話は別だ。情報部はスパイ候補の人間やスパイする側の身辺を徹底的に洗い、家族構成から生い立ち、日常生活のルーティーン、趣味嗜好などを徹底的に調べ上げ、プライベートを丸裸にするからだ。
マグナスもまた彼の素性や政治思想などがあらかじめ調べられた上で英国情報部員としてスカウトされるのだが、やはりそれでも1人の人間の全てが知られるわけではない。一介のスパイが決してインテリジェンスを生業とする英国情報部でも知ることのできなかった生い立ちと秘密裏に親交を進めていたある男との交流が語られていく。そしてなぜマグナス・ピムが父親の死の瞬間にやっと自由となったと妻に吐露し、そして突如姿を消して自分の半生を文章に綴ることになったのか、その真意を探る物語でもあるのだ。

マグナスは不動産業で詐欺師のように金を集めていた父とは異なる道を進んだが、彼は諜報の世界に身をやつし、妻を、人を、そして国をも欺いてきた、いわば父と同じように国を相手に詐欺を働いてきたような男だ。
彼の半生記は常に息子トムに向かって語りかけるように書かれている。それはつまり自分が辿ってきた道を詳らかに残すことで息子には同じ過ちをしてほしくないという父親からのメッセージという意味を込めて書いたのだ。

本書の題名『パーフェクト・スパイ』は原題も“A Perfect Spy”とそのままだ。作中でも彼の友人アクセルが述べるようにこの「完全なスパイ」とは主人公マグナス・ピムを指す。
なぜ彼は「完全なスパイ」と云われたのか?

私は彼が「完全なスパイ」だと思うのはスパイであることを最後に息子に明かし、そして記録として遺して同じ過ちを起こさぬように、いわばスパイの愚かさを知っていたからこそ「完全なスパイ」だったのではないかと思う。そして潔く自分の死で以てピリオドを打った、真の意味でのスパイであったのだ。

しかしこれもまた私という一読者の受け取り方に過ぎない。本書は実に様々な視点と時制から描かれ、十全にその内容を理解することが難しい作品である。ル・カレの本心が、特に父親に対する本心が最も色濃く表れているからこそ、最も主観的な作品であるがゆえに、とめどなく溢れる思いに満ちて纏まりに欠けるように思えるのだ。

いやはや本当に手強い作品だった。訳者自身もあとがきで難解な代物だったと述べているほどだ。読了後も何か腑に落ちたわけではなく、マグナス・ピムの真意、即ちル・カレの真意について色々と思いを巡らされる作品である。それは上手く理解できなかったからであり、そしてそれは今後ずっと完全に理解できぬままであろう。

完全なスパイは完全な詐欺師でもある。
そしてマグナスは詐欺師である父親を厭い、自分の血を呪った。しかし父親よりも子が先に死ぬことは罪深きことである。父親が亡くなることでようやく彼はその呪縛から解き放たれ、自由になり、そしてその命を絶つことが許されたのだ。

それはつまりル・カレもまた本書を書くことで父親からの呪縛に解き放たれたかのように。

しかしこれもまた解釈の1つにしか過ぎない。
とどのつまり、スパイを理解すること自体が不可能であるならば、確かに本書こそがパーフェクトであると云えるのではないだろうか。


No.1627 7点 第四解剖室
スティーヴン・キング
(2025/07/17 00:34登録)
本書は短編集“Everything’s Eventual”を二分冊で刊行したもののうちの1冊。
なんと今回キングは収録作の順番をトランプで決めたそうだ。出版社から送られたリストに振られた番号に基づき、エースからキングまでの1~13までのカードにジョーカーを加えた1枚を14番としてシャッフルし、出てきたカードの順番で決めたとのこと。いやはや何とも変わったことをするものだ。ある意味収録順番で悩むよりもこういうやり方の方がすっきりするのかもしれない。ちなみに次の短編集の際はタロットカードで収録順を決めるらしい。

全6編。その内容はいつものことだが実にバラエティに富んでいる。
生きながら解剖される危険に直面する男の恐怖を描いた表題作。
少年時代に遭遇した悪魔との邂逅が「黒いスーツの男」。
心神喪失状態のセールスマンの自殺までの迷いを語った「愛するものはぜんぶさらいとられる」。
20世紀初期のギャングスタ―、ジョン・ディリンジャ―のある事件を描いた時代小説「ジャック・ハミルトンの死」。
麻薬密売人との癒着を疑われた新聞記者が密室で拷問を受ける「死の部屋にて」。
最後は〈暗黒の塔〉シリーズの外伝「エルーリアの修道女」。

サスペンス、ホラー、前衛小説、時代小説にダークファンタジーとたった6編の作品でありながらこれだけのジャンルが詰まっている。モダンホラーの帝王と呼ばれるキングだが、彼の多彩ぶりが窺えるのが短編集だ。

ところでキングの短編集には長い序文がつきものだが、今回彼が本書を著した動機が実に面白いので紹介しておこう。
キングは実は地元バンゴアで2つのラジオ局を経営しており、1つはスポーツ中継専門局でもう1つはクラシック・ロック専門局だ。しかしそれら2つのラジオ局の経営状態はよろしいとは云えず、毎年赤字状態である。
キングはこの状態をどうにか解消したいと考えたのがラジオドラマを自ら書いて放送してリスナーを増やそうというアイデアだった。自分の局で話題になればその評判から全国のラジオ局へ展開し―これは『ブラック・ハウス』に登場したDJヘンリー・ライデンが持ち掛けられた話でもある―、その収入で赤字を補填しようというものだった。
しかし小説とドラマシナリオは別物であることを悟り、結局短編小説を書くことにしたのだと云う。

そしていつもキングは短編集の市場が縮小の一途を辿っていると述べているが本書でも同じだ。しかしこの2002年に刊行された本書では、キングの意向によって本短編集に収録できなくなった「ライディング・ザ・ブレット」が電子ブックで刊行されたとき、いつもは空港のラウンジに座っていても無視されるのにその時は周囲に人だかりができたり、テレビ出演依頼が来たり、タイム誌の表紙を飾ったりととにかく注目されたらしい。
しかし小説の内容ではなく、電子ブックという出版形式でこれまで以上に売れたことに対する興味に話題が集中したことに対して作者はある種複雑な思いを抱いているのが滲み出ている。この頃は電子書籍が新たな出版の形式であり、将来は紙の書籍を圧倒するのではと思われていたがキングはあくまで作品を届ける手段の一つだと云うに留めている。

さて本書には珍しく各短編にキング自身のあとがきが付けられている。そこには各短編のアイデアの素となった彼の原初体験や元ネタが明かされている。
キングはデビュー作からそうだが、今まであった、古来の物語のモチーフや映像作品を彼の天性のストーリーテラーの才能で以て脚色する。それは単に恐怖だけでない、読者の心情になにがしかの爪痕を残すのだ。そこがキングを他の作家たちとを分ける要素だと云えよう。

さて冒頭にも述べたように、本書は短編集“Everything’s Eventual”を二分冊で刊行したもののうちの1冊である。原題は『なにもかもが究極的』という意味で、序文によればこれは収録された短編の作品の題名でもあるらしい。
しかし本書を読んだ限りでは究極的というほどのものではなかった。トータル的に見ればキングとしては標準レベルの作品といったところだ。

また初期の短編集と異なり、いわゆる超常現象や怪異を扱った作品が明らかに減っている。悪魔が登場する「黒いスーツの男」と〈暗黒の塔〉シリーズ外伝のダークファンタジーの2編しかない。
今回は二分冊のうちの1冊だから総合的な判断は次の『幸せの25セント硬貨』を読んでの判断となるが、6作中2作はこれまでの打率から考えてもかなり低く、単なるモダンホラー作家からの脱却、いやあらゆるジャンルへの挑戦の意欲が窺える。
前半戦は上記のような評価に留まった。後半の巻き返しに期待したい。


No.1626 7点 ゾラ・一撃・さようなら
森博嗣
(2025/07/08 00:40登録)
森作品にしては珍しい私立探偵小説である。ただ従来よくある人捜しではなく、物探しであることとそれを所有する著名人の邸宅から盗み出さなければならないと依頼は一風変わっている。

通常私立探偵ならばそのような依頼は犯罪行為であり、断るだろう。寧ろアウトローな犯罪者が受けるべき依頼だ。しかし主人公頚城悦夫はターゲットである天使の演習の所有者法輪清治郎の甥洋樹と友人である優位な立場であり、接近しやすい。それに加え、彼には若い頃に内戦地で暮らしていた過去があり、そこで知り合った女性を戦争で喪っていた。直接的に戦争には関わってはいないものの、死と隣り合わせの状況の中に身を措いていたことで犯罪に関する抵抗力が一般人よりも薄い傾向にあるようだ。

ただ今回の作品の依頼を森氏がどのように受けたのか解らないが、どこか借り物めいた人物設定が目立つ。
例えば依頼人のターゲットである天使の演習の所有者、法輪清治郎はタレントで司会業で名を馳せた後、政界に進出して都知事を務めた人物である。これだけでモデルは青島幸男が想起される―しかし何となく石原裕次郎と石原慎太郎を合わせて2で割ったような設定のように感じられる―し、また彼と繋がりを持っている元総理吉田護は名前からでは吉田茂を想起するが、若い頃は射撃の元オリンピック代表選手だった設定から麻生元総理を想起させる。しかし実はこの後者の設定が最後に物語に寄与していることが解るのだから侮れない。

さて本書は森作品の主軸となるS&MシリーズやVシリーズとは関係のない作品だが、微妙にそれらのシリーズとのリンクがある。
まず物語の焦点が天使の演習、そうエンジェル・マヌーヴァと呼ばれる装飾品の短剣であることだ。この装飾品は確かVシリーズ『捩れ屋敷の利鈍』で保呂草が熊野御堂氏の捩れ屋敷から盗み出したのが最後だったように思うが、本書はその後の話をしているのだろうか。
そして法輪邸に居候している盲目の詩人簑沢素生はS&Mシリーズ『夏のレプリカ』に萌絵のユジン簑沢杜萌の義兄として登場している。しかし今回は大した役どころではなく、例えば爆発物を仕掛けられたDVDデッキの異常音に気付いたり、頚城の来訪が今回の事件を引き起こしたと詰るだけに留まっている。

物語はしかし当初想定されていた厳戒態勢の強固な警備の屋敷の中に潜む天使の演習をいかに盗み出すかという不可能興味から実にソフトランディングに展開していく。
法輪清治郎に纏わる全ての過去のしこりが一気に解決する展開で、読んでいる最中は非常に清々しい思いがするが、小説として考えると何ともツイストのない展開ではある。

一撃必殺の殺し屋ゾラ。日本では知名度が低いが世界的に有名でロンドンでロシアからの亡命者が殺された事件、アメリカの上院議員が殺された事件もその殺し屋による手口だと判明している。彼は特殊な銃を使い、必ず1発でターゲットを仕留めるがその正体は誰も知らない。
そんな謎めいた殺し屋の正体は作中の時折挟まれる女性の一人称文章から頚城悦夫の依頼人の志木真智子ではないかと推測されるが、私はそれは森流のミスリードだと思い、彼の友人の赤座都鹿だと推測した。つまり挿入される文章はゾラとは関係のないものだと認識したのだ。
しかしこれは半ば当たり、半ば外れた。

本当に惚れた女性とは一緒になれないのだなぁと自分の過去を想起させるような結末だった。
コナリー作品では運命の相手のことを一発の銃弾というが、本書のタイトルにあるゾラの放った一撃とは実は恋という銃弾であり、その恋に別れを告げたというのが本来の意味だろう。だからこそ頚城はゾラの指示に従って天使の演習を渡した車から“from Zola with a blow and goodbye”というメッセージを受け取ったのだろう。

こういう銃弾は重過ぎる。
私も経験あるだけに頚城の気持ちが解ってしまう。
今なお私にも同じような銃弾の傷が心には残っている。こんな作品を読むと再びそれが痛みだすからイヤなんだよなぁ。


No.1625 8点 リトル・ドラマー・ガール
ジョン・ル・カレ
(2025/06/22 01:10登録)
イスラエル人とパレスチナ人との闘いはハンムラビ法典の復讐法の有名な言葉“目には目を、歯には歯を”そのままの歴史だ。いわゆるシオニストと呼ばれるユダヤ人がパレスチナへの移住をはじめ、1948年にイスラエルの独立を宣言してから、盗った盗られたの恨みつらみの戦いを繰り返している。
パレスチナにしてみればイスラエルはシオニスト運動を掲げて自分たちの祖先の地としてパレスチナに押し入り、勝手に国を作って領土を分捕った盗賊である。そのために彼らの民族は国外に追放され、難民になることを強いられた被害者である。
一方イスラエルもまたユダヤ人の国で彼らも迫害の歴史を積み重ねた民族である。彼らはどの国、文化でも順応でき、更に商才に優れていることから移民先でも成功する傾向にあるが、第二次大戦ではドイツのナチスの標的となって大量虐殺され、その犠牲者数は600万にも上ると云われている。
この世界で虐げられた歴史を持つ2つの民族の闘争、即ちイスラエル・パレスチナ問題はエスピオナージ作家ル・カレとしては決して避けられない題材であったのだろう。

さてそんなイスラエルとパレスチナの闘争にル・カレはとても魅力ある設定を持ち込んだ。それはイギリス人女優をスパイとして仕立て上げ、パレスチナに潜入させ、テロリストのボスの居所を突き止め、殲滅させるというものだ。
スパイとはその国の文化や風習を頭と身体に叩き込み、生活に溶け込み、そして発覚しないように重要な情報を自国に漏洩させる職業である。つまり本当の自分を偽って、24時間、自分ではない他人を演じなければならない過酷な職業である。ではそれを演技を職業とする俳優にさせればいいではないかと、至極当たり前な発想から来ているのだが、この誰も思い付きそうで思い付かなかった設定を持ち込んで一流のスパイ小説を紡いでいるのがル・カレの着想の凄いところだ。

アラブ人テロリスト、ハリールの居所を突き止め、制裁を加えると云うのが物語の本筋である。その居所を突き止めるためにイスラエル側が放つのがイギリス人女優チャーリィである。
設定としては実に面白いが、正直乱暴な話である。彼らが白羽の矢を立てるのはユダヤ人でもない、イギリスの売れていない女優である。
そしてイスラエル情報機関の審美眼が正しかったこと証明するかのように選ばれたチャーリィは素晴らしい演技力と記憶力を備えた女優であることが次第に判ってくる。

私が感心したのはル・カレはしかし決して一方の立場に立って物語を描いていないことだ。彼はイスラエル側もパレスチナ側双方の立場の物語を描く。実にフェアだ。
例えば今回主人公のチャーリィ側のイスラエルも決して彼らの正義が正しいことではないと読み進むうちに気付かされる。
一方敵側のパレスチナ・コマンドのキャンプに行ったチャーリィの日常を描くことで彼らの窮状も判明する。
年端の行かない子供たちも武器を持ち、戦闘の場に立つ。彼らもまた次に会えるか解らないと、そんな年齢で自分たちの人生が先行き短いことを悟っているかのように。

作戦の成功に大いに貢献したチャーリィは莫大な報酬を得たが、それによって喪う物も大きかった。
彼女はもはや演じることが出来なくなったのだ。ジョゼフがハリールを撃った時、彼女もまたその時に死んだのだから。女優である彼女はそこで亡くなったのだ。なぜなら彼女は命を賭けた一世一代の演技をしたためにもう演じることが出来なくなっていたのだ。
長い心神喪失と情緒不安定を経て、悲劇の役どころばかりをオファーされたが、演技の途中で感情が崩れてしまうのだ。それはイスラエルとパレスチナの過酷な状況下に長く置かれたために西側の平穏な社会に適応するのが難しくなってしまったのだ。

目には目を、歯には歯を。冒頭にも書いたがイスラエルとパレスチナの戦いはまさにこれに尽きる。やったらやり返す。しかも徹底的に、容赦なく。
そのいずれもが血を血で洗う復讐を行うがために連鎖が止まらない。テロを受けたイスラエルが行った復讐もまた同じテロ行為である。
「世界で最も手に負えない紛争」と呼ばれるこの2者の戦いは世界の歴史に学ばない者たちの争いの歴史だ。話し合いで解決しようとしない2者を愚かに思うだろう。しかしそれが彼らの性(さが)なのだ。


No.1624 7点 悪夢の宿る巣
ルース・レンデル
(2025/06/07 01:42登録)
レンデルにはいくつかダメ男の話があるが、本書もその系譜に連なる作品だ。

今回登場するダメ男スタンリー・マニングはいわばヒモである。
労働意欲に欠け、何をしても長続きせず、本書でも最初はガソリンスタンドの接客係をしているが、それも辞め、花屋にも勤務するが、それも自分に合わないと云ってすぐに辞める。
そんな彼が嵌っているのはクロスワードパズルで、いつも頭には単語のことを考えており、新聞のクロスワードを解くのみならず、クロスワードメイカーとなることを夢見て、タテのカギとヨコのカギとなる単語を考えている。
ちなみに本書の原題“One Across, Two Down”はクロスワードパズルでは「横の1番、縦の2番」という意味である。
そして彼はそのネタを仕入れるのにクイズ番組を観ることを習慣にしているが、同居している義母のモードが観たい連続ドラマと被っているため日常的にチャンネル争いをしている、40歳の男である。

しかし欲望がないわけではない。金に対する執着はすごく、過去に会社の金を横領して刑務所に入った経験もある。しかも妻が不在の時にはコートのポケットをまさぐって小銭をせしめようとまでする。またモードが2万ポンドもの貯えを持っていることを知ると、彼女を持病の高血圧で早めにポックリ逝くよう彼女の薬を入れ替える工作を行うようになる。
基本的に面倒くさがりだが、自分の好きなことや目的のためなら労を惜しまない、自分の利益を常に追求することを最優先にして他者への貢献や援助の心が薄い人物である。

このダメ男を支えるのが妻のヴィーラ。
彼女はドライクリーニング店で働き、マニング家の生計を担っている。かつては昔馴染みの男性で今は銀行の支店長をしている身持ちのしっかりした男がいたにも関わらず、なぜか自堕落男のスタンリー・マニングを選んで結婚したのだ。
しかも彼女の母親モードによればスタンリーの風貌は性格の欠点を補うような容姿の持ち主ではなく、背も低く、彼女はおろか読者でさえもなぜこの女性がこんな男と結婚したのか理解に苦しむ。彼と結婚したきっかけは彼との間に子供が出来たことで大急ぎで結婚式を挙げたからだったが、結局その子は流産して子のない夫婦として今に至っている。

そして物語が進むにつれて42にもなってレストランの予約や飛行機のチケットの取り方、旅行のプランの立て方などが解らない、世間知らずなお嬢様であることが次第に判ってくる。
更に彼女はスタンリーが彼女の金を使い込んだり、職場をすぐに辞めたりしても、彼が自分を愛していると知ると全てを許してしまうのだ。
つまり世間慣れしていない女性だが、清廉潔白な男性よりも少し影があるような男性に惹かれ、愛情に飢えている女性、それがこのヴィーラなのだ。

しかし傍目から見れば彼女は正直仕事も頑張れば家庭も家計も一人で切り盛りし、更に夫のやることに干渉しない実によく出来た女性である。またまともに化粧すれば男性の目も引く容姿もある。唯一の欠点が男性を見る目がなかったこと。
いわゆるダメンズ好きな女性なのだ。

そしてその母親モードは娘を不憫に思って脳梗塞で入院した後に強引に同居してきたのだった。
彼女はなぜスタンリーのような男性と娘が結婚したのか理解できないでおり、早く離婚させて自分の貯金を使って新しい家を買って2人で一緒に暮らすことを考えている。従って娘婿のスタンリーを嫌悪しており、いつも彼との間に口論が絶えない。一方彼が前科者であることから虎視眈々といつか自分の命と遺産を奪おうと狙っていると思っている。

献身的な妻とヒモのような夫、そしてそれをよく思わない母親が一つ屋根の下で暮らしている、決して雰囲気がいいとは云えない家庭がマニング家だが、ただどこにでもある家庭ではあり決して特別ではない。

世間を知らないダメ男と同じく世間を知らない真面目女。世間を知っていたのが妻の母親だったが、彼女は性格が強すぎ、あまりに露骨な態度ゆえに実の娘さえも嫌悪感を抱いてしまう。
歯車が噛み合わない家族の物語はレンデルの筆に掛かれば人生喜劇ではなく人生悲劇でしか終わらない。

しかし毎回思うがレンデルはクズ男を書かせると上手い!実にリアルである。本当にこんな身勝手なダメ男がいるよなぁと思わされる。
しかもこういう男はこういう風に考え、そして行動するだろうと違和感なく思わされるのだ。本書のスタンリー・マニングは上述のように労働意欲のない、クロスワードパズルに熱中する、いわば楽して趣味に没頭したい、あるいはその趣味を職業にしたいと思っている、どこにでもいる男だが、この後もレンデルは様々なダメ男を登場させて色んな物語を紡ぐ。よほど男性に対して辛い目に遭ってきたのだろうか。いつも彼女の彼らに対する筆致は痛烈である。

しかし初期の作品であるせいか、レンデル特有の運命の皮肉風味が薄かったように思う。
云わば収まるべきところに収まった結末だ。クズにはクズらしい結末を望んだ読者には溜飲の下がる思いがするが、ミステリの女王となったレンデル作品を読んだ身としてはやはり物足りない。
もっと痛烈な仕打ちを期待したかった私はちょっと危険な考えの持ち主なのだろうか。

クロスワードパズルに没頭した男は自分の人生においては大金を手に入れて悠々自適な生活を送ると云うタテのカギと骨董商という新商売で生活を豊かにして妻と幸せに暮らすヨコのカギをうまく繋げることが出来なかった。

本書の趣向に沿ってこんな風に纏めてみたがいかがだろうか。


No.1623 3点 ブラック・ハウス
スティーヴン・キング & ピーター・ストラウブ
(2025/05/30 00:43登録)
キングとストラウヴの共著第2弾。第1弾が『タリスマン』だったが本書はその続編。前作も1,000ページを超える大著だったが、本書もまた上下巻合わせて1,200ページ越えで前回を上回るボリュームだ。
『タリスマン』の主人公ジャック・ソーヤーは当時12歳だったが本書では35歳になっている。つまり23年後の世界が舞台。

第1作の時もそうだったが今回も正直どこをキングが書いてストラウヴが書いたのか解らない。しかし私は冒頭の世界を俯瞰して物語の舞台を飛び回る視点で描いているパートをストラウヴが書いたように思った。このような手法はキング作品ではあまり見られないからだ。

さて今回の物語はウィスコンシン州の田舎町フレンチ・ランディングに少年少女ばかりを襲う連続殺人鬼フィッシャーマンの正体を探るうちに町の外れにひっそり佇む黒い家(ブラック・ハウス)に行き当たるというもの。
前作『タリスマン』でも黒い館(ブラック・ホテル)がタリスマンを手に入れるこの世とテリトリーの両方に存在する建物だった。この“タリスマン”の世界では黒い建物は異世界とこの世を結ぶ象徴になっているようだ。

さてこの“テリトリー”だが前作からやや趣が変わっている。
1作目の『タリスマン』は1984年に書かれたが、その後キングが『暗黒の塔』シリーズを書きだしたからか―但し1作目は1982年刊行で2作目が1987年―、本書では“テリトリー”が“暗黒の塔”の世界と繋がりがあることが明かされる。いや寧ろテリトリーが暗黒の塔の世界と融合していることが判明する。テリトリーは境界地(ボーダーランド)でありその彼方に中間世界(ミッド・ワールド)が存在する。
従ってテリトリーの住民たちはガンスリンガー、ローランドも知っており―ちなみに放浪の黒人ミュージシャン、スピーディ・パーカーが拳銃使いとなっているがガンスリンガーではないと話す―、そしてあの謎解きが大好きな歪んだ超高速モノレール、ブレインの名も登場する。既にブレインは“自殺”した後であることから、本書の時制が『ダーク・タワーⅣ 魔術師と水晶球』の後の話であることが解る。そしてタイラーをアッパラーの許に連れて行くミスター・マンシャンことマルシャンが訪れるのがこの超高速モノレールである。

そしてこれまで断片的に語られてきた“暗黒の塔”を破壊しようと企む“深紅の王(クリムゾン・キング)”の企みが関係していることが解る。暗黒の塔を破壊するためにそれを支える〈ビーム〉を破壊する破壊者を探しており、その手下が“ミスター・マンシャン”ことマルシャン卿で彼は世界中のサイコパスを使って破壊者の素養のある子供たちを攫わせている。

これまでその名のみ知られていた“深紅の王”の名がラム・アッパラーであることが本書で判明する。『暗黒の塔』シリーズの設定が『アトランティスのこころ』やシリーズ以外の作品で補完されていくのだ。
そして最後にフィッシャーマンに攫われた少年タイラー・マーシャルこそが最強の破壊者になり得る存在であることが判明する。そして『アトランティスのこころ』に登場したブローティガンの存在も仄めかされる。彼は筆頭破壊者でこの作品ではまだテリトリーにいることになっている。
またローランド達ガンスリンガーは“暗黒の塔”と〈ビーム〉を守る存在だ。つまりタイラー・マーシャルとブローティガンはローランド達と敵対する存在であることが判明するのだ。

ところでジャック・ソーヤーの設定が1作目と変わってしまっていることに気付かされる。彼はリリー・キャヴァノーという女優の息子であり、その血を受け付いたが如く想像力と演技力で周囲を巻き込みながら度重なる苦難を乗り越えてきたのだが、本書では傾聴する能力に長けており、数々の事件を解決してきた凄腕のロス市警の元刑事という設定だ。物語の舞台であるフレンチ・ランディングの署長デール・ギルバートソンをしてエルキュール・ポアロやエラリイ・クイーンのような名探偵だと云わしめる。

このようにある意味それまでのキング・ワールドを盛り込んだオールスターキャスト的な作品だが―さすがにキャッスルロックやデリーの住民は出てないが―、本書でも前作のウルフに匹敵する、非常に印象強いキャラクターが登場する。
それは盲目のDJ、ヘンリー・ライデンだ。
彼は複数のDJネームを持つが誰もその正体を知らない。いや彼の甥でフレンチ・ランディング署の署長デール・ギルバートソンとその友人で主人公ジャック・ソーヤーぐらいである。
彼の演じるDJの1人ジョージ・ラスバンはフレンチ・ランディング一の人気DJであるが、何よりも彼は盲目でありながらまるで目が見えているように行動できるのだ。周囲の空気の流れや匂いを鋭敏な四感で感じ取り、車の運転さえもできると豪語する。そして何よりも耳が良く、彼はジャック・ソーヤーの声と話し方から彼の母親が女優のリリー・キャヴァノーであることを云い当てる。
その彼もウルフ同様、悪人の凶刃に斃れてしまうのは何とも哀しい限りだった。よくもまあキングはこんなカッコいいキャラクターを創り出すものだ。どれだけ彼の頭の中にはこんな魅力的なキャラクターが住み着いているのだろうか。

あと最近のキング作品に鳥が象徴的に登場するが共作の本書でも同様で、例えばジャック・ソーヤーが“テリトリー”からの啓示めいたメッセージを受けるのは駒鳥の卵であり、また駒鳥の羽根と思わしき赤い羽根が部屋の中に舞う。また本書のキーを握るフレッド・マーシャルの息子タイラーが誘拐された跡に残されていたのがカラスの羽根、と『ダーク・ハーフ』のスズメの大群や『骨の袋』に出てくる数々の鳥とキングは何かと鳥は凶兆を知らせるメッセンジャー的な役割として用いる。
まさかとは思うが当時ジョン・ウー監督映画が鳩が羽ばたくシーンが印象的に使われているが、それに触発されたわけではない、よなぁ。

それに加えてこの頃のキング作品にはやたらと独特な怪物が登場する。『デスペレーション』や『レギュレイターズ』では、『アトランティスのこころ』でも下衆男たち(ロウ・メン)という黄色いコートを着た男たちのように見えるが、その正体は鋭い牙と鉤爪にどす黝い舌を持ったドラゴンのような怪物が、そして『ドリームキャッチャー』ではバイラムという手足のない、しかし身体のほとんどが鋭い牙をたくさん生やした口である鼬のような怪物が登場するように本書でもブラック・ハウスの守護神のように巨大な犬もどきの怪物が登場する。それはそれまでの作品に比べて巨大な狼のような風貌をしているのみで特異な風貌をしているようではないが、その犬に噛みつかれるとやがて液体のようにドロドロに溶けてしまう恐ろしい性質を持つ。

あともう1つ気になるのが黒い家に侵入しようとするジャック達が襲われる毒気の影響だ。彼らは黒い家に近づいていくと上に書いた大きな犬ような化け物に襲われると同時に鼻血を出したり、目から血を出したり、唾と一緒に歯を吐き出すほど身体が侵されていくが、これが『トミーノッカーズ』や『ドリームキャッチャー』でも同様の描写が見られた。そして私はこれが放射能汚染を象徴しているように感じたのだが、これほど複数の作品で同様の描写を扱っていることを考えると彼は放射能、原発反対派なのかもしれない。また私は『タリスマン』の感想で強大な力を得られるタリスマンが核爆弾を象徴しているように思えると述べているが、それもここで繋がってくるのかと感じ入った。キングが核反対派であるのは間違いないのではないか。

しかし物語の結末は何とも皮肉だ。誰もが万人に愛されるわけではないことを思い知らされる。タリスマンの力を得たジャック・ソーヤーもまた例外ではなかったことを。

このキングとストラウヴが織り成す『タリスマン』の世界の続編は今後書かれることはない。しかし恐らくはテリトリーが今回『暗黒の塔』の世界と繋がっていることが判明したことから、今度はそちらでジャックのその後が解るかもしれない。
その時ジャック・ソーヤーは『暗黒の塔』シリーズでローランド達とどのように関わってくるのか。再登場するかどうかも解らないが、このジャック・ソーヤーとスピーディ・パーカー、そしてソフィーという人物たちの名前はその時のために心に刻んでおこう。


No.1622 7点 このミステリーがすごい!2022年版
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2025/05/23 00:52登録)
この年の『このミス』から投票対象作品が2020年11月から2021年9月末までに変更がなされた。これまでは前年の11月から10月末が通例だったが、今年は1カ月早まっている。そして翌年からは10月から9月末までと変更された。

杓子定規的に考えればその年のミステリを対象に選ぶならばやはり1月から12月末までの作品を対象にするのが妥当だろう。しかしそうなると恐らく刊行は2月になり、既に新年を迎えて1月以上は経ってしまっているので今更感は拭えないだろうことは想像に難くない。

また年末年始の休みに各種ランキング本で選出された作品が購入され、そして読まれることを期待しての12月刊行を狙っているようにも思われる。

正直昨今のこの年末イベントの出版レースは過熱化してきており、例えば本書もそれまでは12月の10日前後に出版されていたのだが、早川書房のミステリマガジンや週刊文春が先んじており、またもう1つの『本格ミステリ・ベスト10』も『このミス』に先んじようとしている節が見られる。

また一方で働き方改革で残業時間管理が厳しくなっており、恐らく会社で寝泊まりが常識化している出版業界にもその影響が出ているのだろう。
つまり限られた時間でデータを纏め、デザインし、そして各識者にコラムを依頼してそれらを校正して纏めなければならないのだから、いくらIT化したとはいえ、至難の業なのだろう。ゆえに編集作業を延長するために〆切を繰り上げたようにも思える。

ただ個人的には12月から11月末を対象にして1月に刊行するのがベストだと思うのだが年末年始休みを挟むため、印刷所の手配等で〆切が早まることになり、これもなかなか難しいと云ったところか。
なのでベストなのはもう1月出版にすると割り切って従来通り前年11月から当年10月末までの期間にするのがいいと思うのだが、どうだろうか?

とにかく9月末は早すぎる。まだ残暑の季節ではないか。年の瀬が訪れるまで3ヶ月もある。1つの季節分の期間が余っているのだ。

前置きが長くなったが、今回ランキングを制したのは国内が米澤穂信氏の『黒牢城』、海外はアンソニー・ホロヴィッツの『ヨルガオ殺人事件』となった。米澤氏もこれで3冠である。更にこの作品で米澤氏は直木賞も受賞した。これまで数々の話題作を出してきた著者の真の代表作となった。

そしてホロヴィッツはそれを上回る4冠。しかも4年連続だ。海外の現代ミステリ、しかも本格ミステリの復興を担っている感がある。

まず国内から触れると2位は佐藤究氏の『テスカトリポカ』。初ランクインで2位である。そしてこの作品は直木賞も受賞する、まさに現時点での作者の代表作となった。そう、この年の『このミス』は1,2位が直木賞受賞作なのである。日本で最も権威のある文学賞が『このミス』と連動するようになるとは、感慨深い。

そして3位は今や日本を代表する近未来警察小説のシリーズとなった月村了衛氏の機龍警察シリーズ第7作目の『機龍警察 白骨街道』がランクインした。
そして4位は今村昌弘氏の『兇人邸の殺人』が続く。彼もデビュー以来、常に5位圏内に作品が入っているクオリティの高さを誇っている。よほどこのシリーズの内容が素晴らしいかが推し量れる。ただノンシリーズや新たなシリーズを著したときにも高評価が期待できるのかがカギだろう。
そして5位も新人でありながらも昨今のランキングで上位に位置している阿津川辰海氏の『蒼海館の殺人』がランクイン。文庫書き下ろしでしかも講談社タイガというラノベ系のレーベルからの出版でありながらも前作『紅蓮館の殺人』同様、ミステリ評論家たちのお眼鏡に止まり、高評価を得た。4位の今村氏同様に今まさに脂の乗った新進気鋭の若手本格ミステリ作家と云えるだろう。
6位以下も昨年1位を取った相沢沙呼氏の『medium』の続編『invert』、三津田信三の刀城言耶シリーズの最新作『忌名の如き贄るもの』や道尾秀介氏の作品が並ぶがそこに割って入ったのが浅倉秋成氏と知念実希人氏の作品だ。両者もまた本格ミステリ作家であり、なんと10位圏内に道尾秀介氏も含めて本格ミステリが8作もランクインしたことになる。ただ残り2作の本格ミステリ外の作品が2,3位を占めているところに多ジャンルのミステリの意地を感じる。
そして11位以下はまたバラエティに富んだランキングとなっている。例えば竹本健治氏、東野圭吾氏、小池真理子氏、皆川博子氏というレジェントとも云うべき作家たちが並べば、更には若竹七海氏や麻耶雄嵩氏といった新本格のベテラン世代と最近連続してランクインしている冲方丁氏も並び、そして伊吹亜門氏、青崎有吾氏、方丈貴恵氏らのランキング経験者に加えて新人の榊林銘氏が加わるという新人ミステリ作家群が入っており、ミステリのジャンルの広がりを感じさせるランキングとなった。
個人的には小池真理子氏が1998年版の『欲望』以来、なんと24年ぶりにランクインしたこと、竹本氏が長らく書き続けていた『闇に用いる力学』が完結してランクインしたこと、そしてネットでは話題になっていた探偵ガリレオシリーズ最新作の『透明な螺旋』が20位圏外にもランクインしていなかったことが驚きだった。こういう新旧織り交ざったランキングは観ているだけで胸が躍る。そして20位圏内まで目を向けると本格ミステリはなんと15作。本格ミステリの勢いはいささかも衰えていない。

さて海外は上にも書いたようにホロヴィッツの4年連続1位という圧巻の結果となったが、それ以外のランキングはもうこれまでのランキングはほとんど関係ないほどバラエティに富んでいる。
2位は初登場作家のホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』は他のランキングでも上位を占めているようで妥当な線だが、3位のジョゼフ・ノックスのマンチェスター市警エイダン・ウェイツシリーズ作品『スリープ・ウォーカー』は全くのダークホースだった。4位もハンナ・ティンティの『父を撃った12の銃弾』もまた然り。ただ5位の華文ミステリ、紀蔚然氏の『台北プライベートアイ』はネットや雑誌の書評でも評価は高かったが、まさか5位になるほどとは思わなかった。また5位にディーヴァー作品がランクインしているが、なんと物語が終章から逆行する『オクトーバー・リスト』の方だった。これは正直意外。確かに面白かったがこれほど評価が高くなるとは思わなかった。
とにもかくにも海外ミステリランキングは新参者ばかりで常連作家やランキング経験作家は1位のアンソニー・ホロヴィッツ、5位のジェフリー・ディーヴァー、9位のデイヴィッド・ピース―彼も久々である―、13位の陸秋槎氏、14位のD・M・ディヴァイン、16位のレオ・ブルースの計6作家のみ。あとは初顔ばかりである。このバラエティの豊かさはコロナ禍の影響だろうか?

確かにコロナ禍での海外作品の出版状況はかなり苦しいと感じており、コロナ禍以前では4,5ページはあった巻末リストがたった3ページ強のボリューム、しかも新訳版も含まれての冊数のため、新作はさらに少ないこと、そしてコロナ禍で本が売れないことが拍車をかけており、海外ミステリ作家の版権料高騰に追従できてないことなど諸条件が影響しているのかもしれない。
しかしそれがゆえに作品の選出も玉石混淆ではなく、目を詰めた検証がなされるようになり、まだ見ぬ作家に傑作が潜んでいることが判ってきたことの表れなのかもしれない。

さて今回の企画では先ほど挙げた新人ミステリ作家たちの座談会が面白く読めた。
今村氏、岡崎琢磨氏、斜線堂有紀氏、知念氏、方丈氏の5氏が参加されていたが、特に面白かったのは館物に付きまとう建築基準法の絡みだ。知念氏は意識しており、今回ランキングした『硝子の塔の殺人』では建築基準法に違反しているときちんと述べていると話していたのがおかしかった。
今村氏も同様で建築士に見てもらって特に『屍人荘の殺人』では不適合にならないように平面図を作ったとのこと。あと斜線堂氏はかなりのミステリマニアだというのが解った。彼女ともう1人のコアなミステリマニア阿津川氏の対談を読んでみたいものだ。

また今回1位を獲った米澤氏のインタビューで『黒牢城』の創作について語られているが、きちんと時代考証を重ね、また当時の言葉遣いなども調べて、矛盾がないようにしながらも読みにくくならないように堅苦しさを排除した記述を心掛けたことや当時は時計がないため、時間の表現に苦労し、工夫をしたことなどが書かれていた。その内容は直木賞を受賞して当然だと思わせる納得のいくものだった。

コロナ禍2年目の1年間だった2021年。それでもミステリは書かれ、そして訳出されたことが素直に嬉しかった。
確かに出版状況は厳しく、特に海外作品のエージェント交渉などが渡航できないために難しくなっており、それが訳出に繋がらなかったとも聞く。そしてそれを裏付けるかのように本の価格は文庫でさえ年々高騰しており、もう2,000円で3冊も買えないくらいになっている。

それでもやはりミステリは面白い。だから応援したくなる。
そしてこのようなその年のミステリ作品について語り、ランキングを付けることでその年の世相も見えてくる。21年はコロナ禍であったがミステリの内容にはまだその影響が見られない。この苦難を乗り越え、そして日常を取り戻してまたミステリを愉しみたいものである。


No.1621 7点 新本格ミステリを識るための100冊 令和のためのミステリブックガイド
事典・ガイド
(2025/05/18 02:02登録)
これまでミステリガイドブックは数々買ってきたが、ここ最近はご無沙汰していたが、このあまりに正統的なミステリガイドブックが発刊されたことで思わず手を取ってしまった。

というのも私が今ミステリを中心に読書ライフを始めたのが大学時代の友人が貸してくれた島田荘司氏の『御手洗潔の挨拶』がきっかけだった。そこから島田氏のミステリ作品を読み、そして彼が綾辻行人氏や我孫子武丸氏、法月綸太郎氏ら京都大学ミステリ研究会の諸氏の新進気鋭のミステリ作家たちのデビューを手掛けていることを知り、そして彼らのミステリが当時講談社の編集者宇山日出臣氏によって新本格と名付けられた一大ムーヴメントであることを知り、彼らの作品からどんどんミステリの輪を拡げていった。
私が島田氏のミステリに最初に触れたのが1992年なので綾辻氏のデビューから5年後だが、私のミステリの歩みは新本格の歩みと同じであると云える。
しかしこの本格再興ブーム、本書では復興探求運動(ルネッサンス)と名付けられているが、まさかこの21世紀も22年を経ってまで続くとは思わなかった。
いやまだ当時はムーヴメントがあるとはいえ、年末のミステリランキングでは冒険小説やハードボイルドが上位を占めているのが通例だった。
しかし現在ではミステリランキングには本格ミステリが席巻しており、今なお新たな作家が続々と出ていることに驚愕を覚えてしまう。現在は綾辻氏らの新本格ミステリを読んで育った作家たちが新たな本格ミステリを紡いでいるのである。

かつて本格ミステリのネタは出尽くしたと云われていたが、それから数十年経った今でも、21世紀になってもまだその灯は消えず、寧ろ更に輝きを増しているのだ。

挙げられている作品に対して眉を潜めるような物がなかった。タイトルにあるようにこれらを読めば新本格ミステリを識ることが出来る作品群であると云えるだろう。
ただ中には今では手に入らない作品もあるため、このガイドブックを読んで興味を持った読者もまた全ての作品を網羅することが出来ないのは残念だ。

またこれまでのガイドブックと異なるのは著者の佳多山氏が私と同い年であるため、その内容に同時代性を強く感じることだ。
これはかなり大きい。
これまでのガイドブックは北上氏、新保氏や瀬戸川氏、香山氏といった年上の膨大な読書量を誇る、いわば先生的な書評家によるガイドブックが主だったが、彼のガイドブックは私の当時の思いが蘇るような砕けた雰囲気で語られるため、共感する部分が大きかった。そして出版社でのパーティーのエピソードなども交えられ、裏話も含まれているのが他のガイドブックと異なって新鮮だった。

ところで1987年を起点に2020年を終点とした対象作品と34年間という実に中途半端な期間で切り取ったことに著者自身も疑問を覚えたと前書きに述べられているが、それは2020年が新型コロナウイルスの世界的大流行という、世界情勢と価値観の一大変換期を迎えたため、発刊に踏み切ったとある。そしてこのガイドブックは“コロナ禍以前の新本格ベスト・ブック・セレクション”という意味をも持っているのだと述べている。
そう、世界が変わる前の新本格ミステリ作品群。

今やネットが発展し、動画やSNS、そしてゲームまでウェブで楽しむようになった世の中になり、かつて読書のライバルだったテレビもまた衰退の途にある。
その中で娯楽の1つであった書物の衰退もまた深刻な状況だが、いやいやそんな世の中でも読まれるべき面白い傑作が生みだされている、
または今なお読み継がれているのだぞと、声高に主張するためにもぜひともこういったガイドブックはこれからも刊行されてほしいものだ。


No.1620 7点 ハリー・ポッターと炎のゴブレット
J・K・ローリング
(2025/05/11 01:31登録)
今回は三大魔法学校対抗試合がメイン。ホグワーツの他にもダームストラングとボーバトンなる魔法学校が存在しているのが今回で明らかにされ、それら3校対抗で代表選手を選び、3つの課題をクリアして優勝杯を競い合うというもの。冒頭のクイディッチ・ワールドカップが行われる事自体、魔法学校というものが世界中にあることが予想されたが、これは本当に予想外だった。

それでその3つの課題というものが、ドラゴンの守る金の卵を奪うこと、水中人から自分の一番大切な人を救うこと、そして迷路を通り抜け、優勝杯を手にすること。
正直、最初の課題が一番難しいと思った。心理描写も他の2つの課題に比べて緻密だし、臨場感溢れる風景描写も壮大な感じがした。その後の課題の淡白な処理の仕方を見るとこの課題を最後に持ってきた方が物語も盛り上がったのではないかと思う。

そしてとうとう「例のあのお方」の登場である。早くもハリーとの対決が繰り広げられるが正直、前哨戦といったところ。しかしまだ14歳のハリーに気圧されるようではヴォルデモートもたいしたことがないなぁと思った。

勿体無いのは3校それぞれの代表選手として選ばれたキャラクターにさほど魅力がないこと。セドリックは悲運の最期を迎えるのに、その人間性を深く掘り下げていないからそれほど喪失感が得られなかった。

良くも悪くもエンタテインメント性が濃く、前回までに見られた知的好奇心をくすぐるミステリ的手法はなりを潜めているかのようだ。
それはクラウチの真相やムーディの正体の暴露シーンなどをとっても、知的ゲームというよりは通俗小説のあざとい演出にしか思えなかった。
最後に明かされるリータ・スキーターのスクープ取得の謎はなかなかだったが、文中にはっきりと布石が配されているようには思えなかった。
他にもなぜクラムが3つ目の課題のときにセドリックに魔法を仕掛けて倒そうとしたのかなど細かい事件の詳細が語られなかった理由が棚上げにされた。が他にもこのようなストーリー、設定が見受けられたので今後は気をつけてほしいと思う(次作以降からの布石なのかもしれないが)。

ただ今回改善されたのは3巻までに見られた主人公ハリーが困難に打ち勝つ時の御都合主義に変化が見られたこと。
例えば1巻での闘いのときに組み分け帽子から剣が現れたり、不死鳥が現れたり、更には時間を遡る時計が現れたり、シリウスからファイヤーボルトがプレゼントされたりとハリーを身贔屓するような設定があり、正直、納得行かないところがあった。
今回はそれを逆手に取って物語の仕掛けに上手く融合させているのがよかった。
ハリーが三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれた事、ムーディがハリーに第1の課題をクリアするヒントを与えた事、ドビーが鰓昆布をハリーに与えた事、ルード・バグマンがやたらとハリーを助けたがる事、これら今までハリーに対する特権のような書かれ方がされているのみだったのが、きちんと理由があったことに感心した。恐らく作者へのファンレターにもこの件が書かれており、作者なりに改善したのではないだろうか?

今回はダンブルドアが魔法省大臣のファッジと決裂したり、シリウスとスネイプが共同戦線を張ったり、シリーズの大きなターニング・ポイントとなる作品だろう。いよいよヴォルデモートとの全面対決が始まりそうな感じである。
次作で気になるのは、ヴォルデモートとの全面対決の準備期間ならばどのように魔法学校生活と対決の準備の模様を書くかである。頑ななまでに当初の設定を今後も持っていく作者の手腕が楽しみだ。


No.1619 4点 ηなのに夢のよう
森博嗣
(2025/04/09 00:33登録)
Gシリーズ6作目の本書は連続首吊り事件。しかも通常の首吊り死体と異なるのは高さ12mの高さから吊るされた状態だったり、池の中にある小島の木に吊るされていたりとどうやったらそんな状況で首を吊られるのかという不可能興味にそそられる…のだが。
これら上に書いた不可能趣味的な首吊り状況については加部谷、山吹、海月の3人達の間で交わされる井戸端会議的な推理合戦で触れられるだけで確たる手段は明かされない。一連の首吊り死体は全て自殺事件だったということだ。つまり連続自殺事件。

つまり本書の主眼は死ぬ手段にあるのではない。本書を含むGシリーズ、即ちギリシャ文字に纏わる事件のメインは真賀田四季が背後に見え隠れするテロ組織による、但し無差別大量殺人を意図していない、信奉者たちによる事件であることが次第に判明していくことにある。本書でも新たな情報が提示されている。

真賀田四季と西之園萌絵の両親の事故が繋がっていることが今回判明するのが大きな収穫か。S&Mシリーズからこの構想はさすがに考えてはなかっただろうが、四季が自分が仕掛けたテロのターゲットが萌絵の父親であり、そして彼女が森氏デビュー作の『すべてがFになる』で舞台となった妃真加島の真賀田研究所で対面したが殊更ながら重みを増してきたのは確かだ。

そしてなんといっても本書のビッグゲストは瀬在丸紅子だ。彼女は沓掛の依頼により妃真加島の真賀田研究所に招かれる。最初の首吊り死体発見者の数学者深川恒之とアメリカのGF社の医療部門の主任研究員の久慈昌山と共に。つまりVシリーズの主人公がS&Mシリーズ第1作の舞台に立つのだ。ちょっとこの展開は感慨深いものがあった。

これまでの登場人物が登場し、次第に真賀田四季への関与がうっすらながらも判明してきているが、それでもそれぞれの事件ではすっきりとした解が得られないが非常に座りが悪く、本書もまた同様の思いを抱いた。
以前より森氏は事件の手法については言及はされていたが、犯人の動機に関してはあまり重視していなかった。Gシリーズはその傾向に拍車が掛かっていることは既に述べているが、本書には12mの高さでの首吊りや池の中にある小島での首吊り、更には反町愛のマンションのベランダでの首吊りといった異常な状況の首吊り死体の手段についてまで言及されない。
ミステリであり、しかもこのような不可能状況を扱いながらも謎解きがなされない、この何とも収まらない気持ちについて西之園萌絵が読者代表と云わんばかりに代弁しているが、その訴えに対して犀川創平が作者の代弁者のように受け応えているシーンがある。
萌絵が事件の真相を知りたいのは真実を知りたい、いやそうではなく納得のいく理由が欲しいからだと犀川に話す。
しかし犀川はどんな理由でもでっち上げればいいのでは、寧ろ面白いからやった、殺したいからやったという動機の場合もあるではないか。だから動機なんてものはあまり意味がないと話す。
しかし萌絵はそんな理由では犯罪から身を護れないから納得のいく理由ではないと答える。そして今回の連続首吊り事件が自殺でなかった場合、もし理由もなく殺されていたと思ったら実は自殺だったという方が納得し、そして不安にならないのではないかと犀川は話す。

この問答はしかし当時はモヤモヤしながらも論破されただろうが、コロナ禍を迎えた今ならば犀川の自殺だったという理由で納得するという論理はそぐわない。
コロナ禍の初期、有名人の自殺が相次いだ。それは到底死とは無縁の30代、40代というまだ若い年齢の男女が突然自殺したことで世間が不安に襲われた。その時我々は自殺した理由が解らないことに不安を覚えたのだ。
有識者たちによってそれぞれの自殺の理由にそれまでの当人の過去の言動を引き合いに憶測が重ねられたが、結局本当の理由は死んだ本人しか解らないのだと痛感した。
つまり本書の自殺者たちの死のメドレーはこのコロナ禍の連続自殺事件と非常に似通っているように思える。突き詰めれば不可解な死の真相が自殺であれば納得解を期待するミステリは太刀打ちできないのではと突き付けられたような思いがした。
なんだか当時の社会的な不安を連想させるような読後感になった。今ではそれらはもう過ぎ去ったものとして消化しつつあるが、やはり思い返すと喪失感が蘇ってくる。それは即ち本書が、いやGシリーズがもたらす遣り切れなさ、割り切れなさと実に似ている。

さて今回はこれまでのシリーズキャラが登場し、それぞれに転機が訪れたが、西之園萌絵にも例外なく訪れる。彼女は国枝助教授を通じて東京のW大の助手のオファーを受けるのだ。
そしてそれがトリガーになったかのように彼女の愛犬トーマが老衰のため、亡くなる。そこで彼女は初めて愛する存在に対して哀しみの涙を流すのだ。
両親の死の時にはそのあまりに唐突で大きな喪失のために心を閉ざした彼女が初めて愛するものとの永遠の別れに心を悼め、涙を流す。
別れを知り、そして死の哀しみを知った西之園萌絵。
新天地東京で彼女はこれまでと違った事件への向き合い方をするのだろうか。


No.1618 7点 ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
J・K・ローリング
(2025/04/05 00:30登録)
ハリー・ポッターシリーズの最大の特徴は何といっても最後の対決シーンで明かされる真相である。それらは常に驚きを与えてくれていた。
1作のハリーを襲った犯人、2作目の怪事件の犯人しかり。
しかもそれらがかなりショッキングな驚きを持っていたために印象強く残っているのだが、今回は題名にもあるアズカバンの脱走囚こと、シリウス・ブラックのハリーへの襲撃とシリウスがアズカバンに収容されることになった過去の事件の内容に焦点が置かれている。

シリウス・ブラックがヴォルデモートの手先であり、ハリーの父親を殺害するのに手を貸したという過去の事件の真相は、またも英国本格ミステリらしいミスディレクションで今回も堪能できた。特に今回はロジックがひっくり返るというところに力点があったように思う。

この作者が巧いなぁと感じさせられるのは、巧みに事実の断片を散りばめていること。読者の思考を勘違いさせる方向へ持っていくその手腕は今回も健在。
恐らく世の少年少女、ファンタジー好きの大人は作品に出てくる面白い道具、授業、空想の動物などに興味を持っているのだろうが、私はこの作者のミステリ・マインドに大いに興味があるのだ。

ロジックに力点があった点、最後の対決、クライマックスシーンはなんとも薄味だという気がするのは、やはり映画で観たとき同様であった。
そして難問をタイムスリップして過去に戻ってから解決するのは非常にアンフェア、いやミステリ作品ではないので非常に浅慮だ。
これだと何でもありになってしまうからだ。
作者はタイムスリップ中は誰ともあってはならないなんて制約を持たせることで一応常用性が低いことを訴えているようだが、それもまた空しい響きである。

とまあ、やはり今までのクオリティ、特に第2作の複雑さに比べるとご都合主義が散見されて、評価自体も低くなってしまうのだが、本作には1つ特徴があることも忘れてはならない。

1・2作で設定していたキャラクターを大いに活用し、しかもその1つを敵役にしている点。これはシリーズ小説の強みだが、よほど注意して書かないと矛盾を起こす恐れ大なのでかなりの技巧がいる。ハリー・ポッター世界を彩るだけの設定で設けていたであろうキャラクターが今回は実に有機的に働く。この辺のカタルシスは堪らなかった。

暴れ柳の理由、スネイプがハリーを目の敵にする理由も今回明らかになるのだが、しかし何といってもやはりロンのペット、スキャバーズの正体が白眉。
この設定は実に天晴だと思う。ウィーズリー一家がこのネズミを飼いだして12年かどうかは1・2作を読み返さないと判らないが、これに持ってくるのがすごい。
今回の隠れテーマである『動物もどき』を思いついた時点での創作かもしれないが、素直にびっくりした。
こういう過去の設定の消化が始まると、物語も1作ずつではなくシリーズとしての動きを感じる。


No.1617 9点 警告
マイクル・コナリー
(2025/04/02 00:44登録)
最近はハリー・ボッシュとレネイ・バラードの2人のコンビのシリーズ作品を発表しているマイクル・コナリーが久々にジャーナリストのジャック・マカヴォイを主人公にした作品を書いたのが本書だ。そしてマカヴォイにとって運命の銃弾と云える相手レイチェル・ウォリングを登場するが、ボッシュそしてそのシリーズの登場人物は今回登場しない。

今回マカヴォイが対峙するのはDNA産業の暗部とそのデータを悪用して連続殺人を行う百舌と呼ばれる殺人鬼だ。
ところでこの作品の前に読んだ新宿鮫シリーズの『暗約領域』の感想でコナリー作品からの影響が垣間見えることについて述べたが、一方でかつてハリー・ボッシュシリーズに新宿鮫との共通点についても述べたが、やはりこの殺し屋のネーミングを考えると逢坂剛氏の百舌シリーズを想起させることから、コナリーは日本のミステリを読んでいるのではないかと思われる。

いやもしくはコナリーには創作のためのブレイン集団がいると思われるのでその  中の誰かが日本のミステリを読んでいる、もしくは映像作品を観ているのかもしれない。その真偽は解らないがもし日本のミステリがこの現代アメリカのミステリの雄に影響を与えているのだとしたらこれほど嬉しいことはないだろう。
話がそれたが、本書で描かれるDNA犯罪は殊更に恐ろしい。個人的なDNA情報が漏洩することでその人物の趣味嗜好が手に入れられ、そして欲望を満たすために利用されることが容易になるからだ。そしてそのDNA情報を容易に提供するのが消費者というのもまた恐ろしい。自分たちのルーツを知るために安価にDNA分析を行うGT23社―23ドルという値段で分析を請け負うことから社名が付いている―から全てが始まる。

連続殺人鬼百舌がターゲットとするのはDNA情報を基にした女性たちだ。今ではDNA研究もかなり進んでおり、本書ではアルコール依存症、病的肥満、不眠症、パーキンソン病、喘息やその他多数の病気や不調を遺伝子情報から得られると書かれている。そしてそれらの情報を薬物療法や行動療法に活かしたり、製薬会社や健康食品会社、更には化粧品会社まで入手し、商品開発に活用して莫大な利益をもたらしているようだ。そんなDNA情報の中にはダーティー・フォーと呼ばれるDRD4遺伝子を持つ男性や女性は危険行動とセックス依存症の傾向が見られることも解っており、百舌はこのふしだらな女性たちに制裁を加えることを至上の悦びにしているサイコパスだった。

このような個人情報の漏洩がまかり通っているのはDNA技術がまだ早熟の分野であり、確とした法整備がなされていないことによる。アメリカでは遺伝子分析産業の規制を食品薬品局(FDA)に委ねられているがほとんどスルーだという。多分彼らにしてみればどこにも回せようにないことを専門外でもあるのに自分たちに押し付けられた思いがあるのではないだろうか。
なので上に書いたように気軽に自分のDNA情報を提供したりすると匿名であってもその他の情報から個人を特定できることが容易であるという。その被害を被ったのがマカヴォイが容疑を掛けられることになった犠牲者ティナ・ポルトレロで、彼女はハモンドによって流出された自分のDNA情報から、いわゆるセックス依存症の気があるとみなされ、バーで声を掛けた男がまるで自分のことを知っているかのように振舞われて怖い思いをしていたのだった。
今回衝撃的なのは警察でDNA分析をしている人間がその情報を悪用してセックス依存症女性たちを紹介する出会い系サイトを設営していたことだ。更にハモンドはレイプ犯の容疑を掛けられていたオレンジ・ナノ研究所の設立者ウィリアム・オートンのDNA情報をすり替えて彼の容疑を晴らす手伝いをしていた。
情報を使用する者は私欲に塗れず聖人でなくてならない。まさか法の番人である警察を信用してDNA情報を提供したのにそのように悪用されていたとは何も誰も信用できない世の中になったものだ。

本書によればDNA技術が発達したことでそのデータバンクを活用することで自分のルーツを探るビジネスがあり、そしてそれを利用する若者が増えているらしい。本書の犠牲者たちはそれぞれ生き別れの姉妹や遠縁の親戚を辿り、再会してSNSに挙げている。またどこから来た移民の子孫なのかを知るのに関心があるようだ。一方でその行為は両刃の剣であることも書かれている。犠牲者ティナの母親は娘が生き別れの姉を探し出したことで夫にも秘密にしていた若かりし頃の過ち、即ちその姉は彼女が未婚の時に産み、養女に出した娘が知られることになり、今は別居に至っている。世の中には知らなくてもいいことがあると思い知らされる話である。

確か90年代終わりから2000年代初頭にかけて自分探しが日本でひところブームになったが、アメリカでは2020年代の今、そのブームが来ているらしい。しかしその手法は20年前と全く異なり、実に科学的だ。しかし考えてみれば今NHKで『ファミリー・ヒストリー』というルーツを探る番組が放映されていることを考えれば日本も同じなのかもしれない。流行は20年で回ると云うがそれを象徴するようなエピソードだ。
そしてそのブームによって自分のDNAを提供する人々が増え、そしてそれを悪用する人々が現れる。行っていることは一昔前とは変わらないがネット社会になってからはそれは更に複雑化し、巧妙化されていることを思い知らされる今回の事件である。

それはつまり今はネットを無視してはリアルな犯罪小説、警察小説は書けないことを意味している。

そしてマカヴォイシリーズで忘れてならないのはレイチェル・ウォリングの存在だ。彼女はFBIを辞め、私立探偵業をしている。但し刑事事件は扱わず、身元調査などを主に行って経営は順調のようだ。
しかしマカヴォイがもたらした百舌事件が彼女のプロファイリング技術を呼び起こし、かつてのヒリヒリしたスリルに身を委ねた自分を思い出し、マカヴォイに協力を申し出るのだ。
新天地で新たなビジネスに踏み出し、そして成功したレイチェルも根っからの捜査官だったということだ。
そしてこの2人は運命の銃弾とお互いが認めているように付いては離れを繰り返す。私の経験上、結婚もしていない男女は一度仲たがいをすればそこからはそれぞれの人生を歩み、その後交わることはない。ふと思い出したように連絡を取っても未練の無い方は―主に女性の方だが―過去を懐かしみこそすれ復縁は望まない。
しかしレイチェル・ウォリングは違う。彼女はマカヴォイと何度も修復不能なまでの諍いを起こしながらも、本書では4年前のロドニー・フレッチャー事件でマカヴォイが情報源を明かさずに留置場に拘留されているのを彼女が明かして釈放されたエピソードがあるが、再会すればまたくっつく。今回もマカヴォイの家に何度も泊まり、愛を交わすぐらいだ。
これはお互いが独身であるからだろうか。正直自分の記事に固執し、周囲を不快に思わすほど自己顕示欲の強い彼をこれほどまでに愛する彼女の真意は解らない。いや周囲が理解できないからこそ2人は運命の銃弾という関係なのだろうか。

さてマイクル・コナリーがジャック・マカヴォイを主人公にした作品を定期的に著しているのは自身がやはり元新聞記者であることが大きな要因だろう。
かつては花形職業であった新聞記者がインターネットの普及で斜陽産業になっていることが悔しいからだろう。情報を簡単に得られる一方でしっかりとした裏付けや根拠を取らないまま、情報が垂れ流しにされ、フェイクニュースが蔓延し、それがゆえに誠意あるジャーナリストも含めてマスコミは十把一絡げで胡散臭い眼で見られていると本書でも述べられている。それは受け取り側の我々もキャッチーなニュースに飛びつくのではなく、その情報を咀嚼して真贋を見極める鑑定眼や思考力が問われているとも云える。

またマカヴォイの移ろいはそのまま新聞記者の現在を示しているように思える。
ジャック・マカヴォイはフェアウォーニングというニュース・サイトの記者になっているが、これもまた新聞記者の選択肢の1つだろう。そしてそのサイトの創業者マイロン・レヴィンはかつてLAタイムズ時代のマカヴォイの同僚だ。
ところで今回マカヴォイが所属するニュース・サイト、フェアウォーニングは作者あとがきによれば実在し、創業者のマイロン・レヴィンは実在し、そして作者は取締役会の一員だとのこと。やはりこのことからもマカヴォイシリーズはコナリーの新聞記者へのエールだ。

しかしこのサイト名は本書の原題でもある。“まっとうな警告”という意味であるこのサイト名をそのまま小説の題名に持ってくることで読者への宣伝をもしているのだ。コナリーのやることは本当に卒がない。

更にこのシリーズのコナリーが示すのは今後のジャーナリストの新たな道筋の1つだ。
今回の百舌事件でニュース・サイトのフェアウォーニングを退社し、百舌逮捕のための情報を募る『マーダー・ビート』というポッドキャストを立ち上げたマカヴォイはそこで11年前に誘拐され、殺害された姉妹の事件の調査を依頼してきたことをきっかけに未解決事件にレイチェルと組んで再調査に取り組むビジネスを提案する。ネット社会の情報の波に押しやられた新聞記者の、ジャーナリストのある意味逆襲と云えるだろう。
そして事件捜査という新たなフェーズに活路を見出したジャック・マカヴォイのシリーズは今後も続きそうだ。


No.1616 8点 暗約領域 新宿鮫XI
大沢在昌
(2025/03/18 00:27登録)
新宿鮫第11作目。正直私は10作を以てこのシリーズは終わるかと思っていただけに意外だった。
巻を重ねるごとにシリーズの主要人物が1人また1人と幕引きしていき、10作目ではとうとう長らく付き合っていた晶との別離と、孤高の鮫島の唯一の理解者である上司の桃井課長が殉職するに至っては全てが終わった感じがしたものだが、11作目が出た。そしてこの11作目は新たな新宿鮫の幕開けとなった。
新宿鮫Rebootといった感じだ。

ヤミ民泊施設でたまたま出くわした殺人事件が捜査を進めるうちにどんどんスケールが大きくなっていき、そして利害関係者が雪だるま式に増えてくるストーリー展開は大沢氏の構想力の凄さを思い知らされる。しかし大沢氏は結末までを決めて書くのではなく、書きながら結末を考えるスタイルであるらしい。最後まで読むとその複雑さにゆえに本当に書きながら考えたのかと再度驚かざるを得ない。

ところで本書はある意味、人生を考えさせられる物語でもあった。悪事に手を染め、もしくは詐欺に嵌められ人生の転換を余儀なくされた者たちのオンパレードだ。しかし不思議と彼らの人生は没落者の末路といったような悲惨さを感じさせない。
詐欺麻雀に関与していた元構成員保富武はラーメン屋で修業し、独立して行列のできるラーメン屋としてまっとうな堅気の人生を歩んでいる。
石森芳範は賭け麻雀詐欺を働いていた遠藤と癒着して「袖の下」を貰っていることがバレそうになって四谷署から赤坂署を移り、そして退職した元刑事だが、広域暴力団の田島組の元若頭の権現の世話で運転代行業に身をやつし、キャバクラ嬢の『宅送り』をして生計を立てている。
その石森と癒着していた遠藤はスナックの店長から高額カジノの店長を経て、今や女性に薬中にし、一俵海という暴力団の組長に回すスケコマシで高級外車を乗り回す身分だ。
そして遠藤によって詐欺麻雀で多額の借金を抱え、自前のマンションをそのカタに取られた呉竹宏はそのマンションが権現によってヤミ民泊施設に仕立て上げられているのを知らずに暴力団の名が表ざたにならぬよう建物の名義だけは残されているが、自身は横浜の桜木町で権現によって与えられた雀荘のマスターとして生計を立てている。家族は既に離縁しているがその生活に満足し、自分が詐欺に遭って資産を騙し取られたことを知っても、その主犯である権現らを恨まず、むしろ感謝までして現在の生活に満足している。
つまり通常であれば犯罪に手を染め、もしくは詐欺に嵌められ借金のかたに私財を略奪された人生の落伍者たちなのに、なぜかその人生には悲壮感が漂うわけでなく、逆にそれまで自分の身に余る派手な生赤津を一旦リセットしてそれなりに自分の身の丈に合った生活をしているように感じられるから不思議だ。
一方で東大に入りながらも中退し経済やくざの道を歩んだ浜川は高級マンションと高級外車、そしてブランド物に身を固め、一見成功した実業家のように見える。敢えてセレブな生活をすることで一般人に紛れて警察の目から逃れている。暴対法により目を付けられ、行動を制限され、泥棒や強盗に手を染めるチンピラのような者もいれば優雅な生活を満喫しているのが暴力団の世界だ。
本当に色んな形の人生を見せられた思いがした。

そして前作でも感じたが、最近の新宿鮫は国内外のミステリの本歌取りをしているように思える。
前作『絆回廊』はチャンドラーの『さらば愛しき女よ』を彷彿とさせるし、今回は向かい側のマンションの録画に殺人シーンが映っていたことからアイリッシュの短編「裏窓」だろう。
あとやはり新宿鮫とマイクル・コナリーのハリー・ボッシュシリーズとの共通点が見られることに作者自身も自覚的のように思える。
ハリー・ボッシュはよくニーチェの格言「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」を引き合いに出すが、本書の最後、鮫島も自分が見張っていたKSJマンションの「402」から自分が監視をしていた向かい側のマンションを見つめて、そこの闇の中に自分を見返す目があるような錯覚を覚える。ハリー・ボッシュの方が後発だが、やはりボッシュと鮫島はお互いローンウルフで通常の捜査方法から逸脱して事件を解決する傾向があることなど共通点が多い。新宿鮫も英訳出版されているが、コナリーがそれを読んでいるかは不明だ。しかし少なくとも大沢氏はコナリー作品を読んでいるのではないだろうか。両作のシンクロニシティの高さから考えるとそう思いたいが、果たしてどうだろうか。
いやミステリだけではない。今回神田の古本屋「栄古堂」の主人で元公安の黒井によってお膳立てされた鮫島と宿敵香田との会見は薩長同盟の一幕を想起させる。

前作『絆回廊』に登場した陸永昌と鮫島の因縁はまだ続くようだ。かつての仙田こと間野総治のようにしばらく鮫島のライバル的存在になるようだ。
いやそうではない。鮫島は陸永昌を筆頭に祖国を持たないがゆえに警察官を殺す事も厭わない無頼派集団「金石」を相手にこれまで警察という庇護が効果を持たない戦いを強いられることになるのだ。
ともあれ新生新宿鮫の幕開けだ。腐れ縁の鑑識の藪と、そして鮫島の強引な捜査方法に眉をひそめながらも彼の実力と状況分析能力の高さを認める新上司の阿坂景子とのチームで今後鮫島は宿敵陸永昌との戦いと警察組織の軋轢と戦っていくことになるだろう。
彼の友人が遺した爆弾文書についても今後明かされる機会があるかもしれない。
まだまだ鮫島の眠れない夜は続きそうだ。


No.1615 8点 スマイリーと仲間たち
ジョン・ル・カレ
(2025/03/09 01:27登録)
いわゆるスマイリー三部作の掉尾を飾るのが本書。英国情報部“ケンブリッジ・サーカス”にもぐらビル・ヘイドンによって壊滅的な大打撃を与えたソ連情報部の工作指揮官カーラとスマイリーとの戦いに終止符を打つのが本書である。

実に読みやすい。そして物語の流れが実に頭に入りやすい。今までの難解さは一体何だったのかと思わされるほどその展開はストレートであるように思えた。

冒頭の一介の老いたるロシア人女性から元英国スパイへ繋がり、そして彼が殺されることでスマイリーの復活へと繋がる。まさに映画を観ているかのような展開だ。この一連の流れが実に素晴らしい。

諜報の世界で生きてきた人々は運よく任務中で命を喪うことなく生きながらえても年を取れば厄介払いされ、決して悠々自適な生活が約束される者ではないことを思い知らされる。
それはスマイリー自身もさることながら彼の仲間や同僚も同様でそれぞれの境遇に変化がある。三部作の第1作で中心人物の1人だったトビー・エスタヘイスは既に引退し、ベナティと名乗って画廊を経営している。しかし彼はスマイリーの要請で今回カーラとの戦いに一役買うことになる。
彼はどんな人物に対しても決して自分の腹の内を明かさない。質問に対して沈黙で答えることが多々ある。しかしその沈黙こそが彼を一流と呼ばわしめる特質だろう。例えば元工作員ウラジーミル殺害事件の主任警部はスマイリーの沈黙に対して不愉快には思わず、寧ろ彼には沈黙の才があり、更には様々な顔を持つ修道士団であると評するほどだ。
そして彼の言葉もまた含蓄に満ちている。諜報の世界で永らく過ごしていた彼は怖いのは敵ではなく、味方だと呟く。この世界の厳しさと無情さを肌身に感じさせる言葉だ。
常にのめり込まず、冷静に身を引いて客観的に物事を見つめ、そして必要でないことは決して声に出して云わない。私は彼にプロ中のプロの姿を見る。

インテリジェンスを操り、英国政府や米国政府を撹乱させ、決して尻尾を掴ませなかった男が娘への愛情という理屈や論理で割り切れない感情によって正体を現わさざるを得なくなったというのは何とも皮肉だ。情報を操るのも利用するのも細工するのも結局は人間がやること。つまり人間の感情や欲望を揺さぶることが諜報の世界では実に有効打となるのだ。

諜報の世界は国のため、任務のためには自分の命さえも顧みない非情の世界だが、このスマイリー三部作を読むと全てスパイは女性への思慕にほだされ、自滅している。実は人間臭い世界なのだということをル・カレは語ってみせたのだ。
しかし長きに亘って繰り広げられたその戦いの結末は実に静かだ。カーラとスマイリー、2人の宿敵は相まみえても一言も交わさず、カーラは連行される。カーラが昔彼から奪った妻アンから自分への愛のメッセージが入ったライターを持参していた。そのライターは確保の瞬間にそれが路上に落ちる。スマイリーはそれを拾おうとするがしかし結局そうはしなかった。そのライターこそが全てを語っていたのだろう。

最後スマイリーはピーター・ギラムに「あんたの勝ちだ」と云われるが、彼は「うん、そうだな、そうかもしれない」と応えて終わる。彼は本当に自分が勝ったのか解らなかったのだ。
20年前にインドのデリーの刑務所でこちらの側に着くよう説得したゲルストマンというソ連の捕虜が後のカーラだった。その時にいつの間にか奪われたライター。彼は説得に応じず沈黙で応え、そして本国に送還されたが通常裏切り者として粛清されるはずがされずに現在に至った。そのライターから当時凄腕のスパイだった男の弱点を握り、そしてビル・ヘイドンという男をスパイとしてサーカスに潜り込ませたのだった。
その時からスマイリーはもう既にカーラに負けていたことを自覚していたのかもしれない。そしてカーラが捕獲されるその時までそのライターを持っていた事実を知り、スマイリーはずっとカーラの掌の上にいたのではないかと思ったのかもしれない。だから自分が勝ったことに確信が持てなかったのではないだろうか。
また別居中の妻アンはビル・ヘイドンとの愛人関係が終わった後も他の男の許で暮らしているが、実は彼女はスマイリーと寄りを戻したがっていることが作中でもたびたび出てくる。全てが終わった今、スマイリーは彼女との寄りを戻すのだろうか?
彼女との思い出の品であるライターを拾わなかったことがその疑問の答のように思える。
3作に亘ったスマイリーとカーラの対決は諜報戦という試合には勝ったが、アンを巡る勝負には負けた、そんな風に思えた結末だった。


No.1614 7点 ドリームキャッチャー
スティーヴン・キング
(2025/03/02 02:16登録)
4分冊で1,400ページを誇る本書はいわば21世紀の、いや、0年代の『IT』と云えるだろう。というのも本書の主人公たちは4人の少年達であり、かつて5人目の発達障害の仲間からそれぞれ特殊な能力を得た男たちだ。この構成が“IT”に立ち向かった7人の男女という構成と似ている。

その5人の仲間たちが今回立ち向かうのは宇宙人。しかもよくミステリー雑誌やオカルト雑誌、UFO特番などで引き合いに出されたグレイ、そうあの吊り上がった大きな目をした華奢な手足を持つ小人のような宇宙人である。

しかし本書は『IT』とは違い、この4人組+1名が力を合わせてグレイと立ち向かうかと思えばそうではない。この5人のうちビーヴァーとピートは物語の前半で早々と姿を消す。

最初私はなぜこのようなキングにしては珍しく、人口に膾炙するグレイという宇宙人やUFOを今回採用したのかと疑問を持っていた。
その答えは本書を読み進めていくと腑に落ちた。本書は長きに亘ってその存在が噂されていたグレイとの地球の支配権を巡る最終戦争の物語だからだ。
しかしその攻防は単なる宇宙人と人間という単純な戦いの図式ではない。ジョーンジーはなんとミスター・グレイに憑依され、身体を乗っ取られる。そのミスター・グレイはカーツの部隊によって壊滅状態になり、たった1人の生き残りとなった宇宙人だった。
このミスター・グレイは生存を賭けて犬の体内に宿らせたバイラムを貯水池に放つことで水中で菌を繁殖させ、それを飲料水として人間に飲ませて彼らの仲間を繁殖していた。

さて題名になっているドリームキャッチャーはそもそもアメリカの先住民の装飾品で円い輪の中に蜘蛛の巣が張っているような意匠で羽で装飾されたもので日本でも雑貨店で売られているからご存じの方も多いだろう。その形は蜘蛛の巣で悪夢を捕らえて防いでほしいという願いが込められている。

あの「ペニー・ワイズはまだ生きている!」のメッセージは『IT』再来の予兆なのか。25~30年周期で蘇るIT。1985年に斃されたIT。さて彼が蘇るのがこの周期によれば2010~2015年である。次の『IT』は既にもう書かれているのだろうか。
しかしそれよりも『IT』を上梓した時点でキングは作家生活11年目。それから25~30年と云えば36~41年であり、それを既に超えても旺盛な創作活動を続けているこの作家の凄さに圧倒されてしまう。そしてリアルタイムで25~30年以上のブランクのある設定の話を書けること自体が驚きを禁じ得ない。
凄い作家に手を出してしまったなぁ。っこは腹を括って全作品読んでいくことにしよう。


No.1613 7点 ブラック・スクリーム
ジェフリー・ディーヴァー
(2025/02/27 00:42登録)
リンカーン・ライム、イタリアへ!
しかしこれがライム初の海外出張ではない。『ゴースト・スナイパー』で一度バハマに行っている。ただその時は一時的なものだったが、本書では開巻後80ページ弱で舞台はイタリアへと移る。そこからほぼ全編イタリアが舞台となる。

イタリアでは同じ先進国でもあり、捜査技術はアメリカと遜色なく、対等に渡り合う、いや最初は海外の捜査官が事件捜査に携わることは例外的だと云って警部のロッシはやんわりと、検事のスピロは厳格に断る態度を見せる。
特にスピロは自身のテリトリーを余所者に荒らされたくないとばかりに、現場に行こうとするサックスに対する風当たりを強くする。

しかし読み進むうちになんとイタリアの警察がライムが書いた書物を研修で教科書として使用しており、実はライムを尊敬している捜査官、特に鑑識員が多いことが判ってくる。
更に面白いことになんとライムシリーズ第1作の『ボーン・コレクター』がイタリア語に翻訳出版されており、そのファンであるレストラン夫妻からサインを頼まれるシーンがある。イタリア語訳版があるのは本当でこれは作者ディーヴァーが経験した事だろうが、まさか主人公本人がサインに担ぎ出されるとはディーヴァーも憎い演出をするものだ。

なんといっても一番キャラが立っているのはエルコレ・ベネッリだろう。元々は森林警備隊巡査だが、たまたまトリュフ泥棒の取り締まり現場がイタリアで最初のコンポーザーの被害者拉致現場に近かったことで目撃者に駆り出される。この事件捜査を足掛かりにナポリ警察への転属を果たそうと意気込んでいる。
有能ではあるが、情報マニアの傾向があり、知っていることを話さずにはいられない質でそれが時にライムや検事達をイラつかせたりもする。我々の周囲に1人はいる、いい人なんだけどちょっと面倒なタイプである。

さて今回ライムがこれらナポリ警察の面々と共に相対する異常犯罪者はコンポーザー。英語で作曲家を意味するこの犯人は被害者を捕まえて拷問にかけ、苦悶に歪む声をクラシック音楽にサンプリングしてそれをBGMに拷問の様子を動画サイトに挙げて公開する異常者だ。

彼は常に〈漆黒の悲鳴(ブラック・スクリーム)〉に悩まされている。それは歯医者のドリルのような甲高い悲鳴らしい。彼が人間の悲鳴で奇妙な音楽を作曲することでこの悲鳴から逃れられることができるのだ。
ちなみに邦題は彼を悩ませるこの謎の悲鳴から取られている。

さて本書の真相は実に意外だ。これまでのシリーズを覆す展開を見せる。
今回のコンポーザーによる一連の拷問はなんとISISのテロリストを炙り出すためのフェイクだった。
ターゲットの連続殺人鬼が実は政府側の工作員だったのがこれまでとは違う結末だが、さらに面白いのはコンポーザーが残りのテロリストの炙り出しの捜査に多大なる貢献をするところだ。音のエキスパートである彼は過去の携帯電話の通話の録音から背後の音を聴き取り、場所の特定のためにかなりの材料を提供する。標的が味方に転じてライムたちの捜査に協力するのは今までになかった展開である。

しかしこのシリーズもこれほどまでにスケールが大きくなったとは感慨深いものがある。これまでは連続殺人鬼対四肢麻痺の鑑識の天才という悪対正義の勧善懲悪の単純な図式で展開していたのに、本書ではとうとう自身の携わった捜査でアメリカ政府の秘密機関まで接触することになり、その組織が超法規的組織ゆえにこれまでのように物的証拠を基に犯行を暴いても、隠密裏に抹消されてしまう。
さてもはやこれまでの警察捜査が通用しない相手にまで到達し、そして逆にライムはその組織からスカウトされるまでにもなる。今私はル・カレ作品を並行して読んでいるが諜報の世界ではそれぞれの政府の、国際社会のイデオロギーで判断が下され、複雑化し、どれが悪でどれが正義か判らなくなっている。ライムシリーズもとうとうその領域に達してしまったのかと思うと、正直気持ちは複雑だ。

さて本書には最後に「誓い」という短編が特別収録されているが、これは『ブラック・スクリーム』の物語の最終で彼らが挙式を行うことになったコモ湖が舞台となっており、式を挙げたその後が描かれている。
さて本書で長きに亘るパートナーの関係からめでたく結婚に至って夫婦の関係となり、より絆を強めることになったアメリアとライムの2人。そして前述のように本書の最後には存在しない諜報部門AISから科学捜査チームの顧問としてスカウトされるに至った。
何事にも始まりがあれば終わりがある。そして本書ではその兆しとしてシリーズファンが望んだアメリアとの結婚が成就した。つまりは1つのゴールに達したわけだ。まずは素直におめでとうと云って結びたい。


No.1612 7点 スクールボーイ閣下
ジョン・ル・カレ
(2025/02/07 00:30登録)
スマイリー三部作の2作目の本書は上下巻820ページ弱の大著だ。そして1作目もなかなかにハードだったが、本書はさらに輪をかけて難しい。

物語は前作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』から引き続いて始まる。前作でビル・ヘイドンというソ連の二重スパイの存在によって大打撃を受けた英国情報部“サーカス”は立て直しを図るべく、引退したジョージ・スマイリーを復職させる。
スマイリーが着任後、即手掛けたのはサーカスを崩壊の危機に陥れたソ連情報部の重鎮カーラへの復讐だ。彼はビル・ヘイドンが携った諜報活動の記録を遡行してカーラの弱点を探ろうとする。
スマイリーはその任務のために半ば組織から追い出されるように引退していた車椅子のソ連調査の専門家コニー・サックスを呼び戻し、更に中国調査の専門家ドク・ディサーリスを仲間に加え、カーラ復讐への第一歩である“ドルフィン”作戦を立ち上げる。それはビル・ヘイドンの過去の足取りを遡行することでカーラの攻撃開始点を突き止める作戦だ。
そして執念の調査の結果、スマイリーたちはパリから東南アジアへ通ずる送金ルートを発見する。そしてその金の受取人が香港の実業家のドレイク・コウ。そこへスマイリーが調査のために臨時工作員ジェリー・ウェスタビーを派遣するのだ。
そしてこのジェリー・ウェスタビーこそが本書の題名となっている“高貴なる”スクールボーイなのだ。ロンドン臨時工作員課程を受けながらも正式採用されず、そこをスマイリーに拾われた野心あるお坊ちゃまである。

さて今回の舞台は香港だが、中国人の残酷さを存分に思い知らされるかの如く、報復の連鎖が続く。ウェスタビーが核心に迫るほど屍の山が築かれる。
ジェリー・ウェスタビーの任務はやがてこれら既に死者として扱われていた人々の足跡を辿り、モスクワが援助した麻薬による国家撲滅計画の詳細と隠された金の流れとドレイクを隠れ蓑にして暗躍するソ連の“もぐら”ネルソンを捕らえることになった。

しかしやはりル・カレは難しい。物語の骨子を理解することとそれぞれのエピソードを繋げることがなかなか頭の中でピースが嵌るが如く埋まっていかない。
そして上の物語の流れを書くために内容を振り返るに至って、そこここに伏線が書かれていることに気付かされるのだ。

物語の後半はこのジェリー・ウェスタビーによる単独行が中心となる。ジェリーはやがてリカルドとコンビを組んで麻薬密輸を行っていたチャーリー・マーシャルという男の存在を突き止め、香港からベトナムに渡る。

私は本書がゴールド・ダガー賞を受賞した要因の1つはこの戦下のベトナムを見事に活写したからではないかと思っている。それほど本書におけるジェリーのベトナム行は迫力とリアリティに満ちている。
例えば最初に空港に民間機で降り立つシーンでのジャングルからの小火器の乱者を避けるために旋回コースを取りながら着陸する内容にまず度肝を抜かれ、現地に派遣されたマスコミの特派員は臨時の通信員を雇っているが1週間の1人の割合で死んでいるとのこと。
また外交官によって催されたパーティーでは参事官の公邸が会場でありながらも近いところで機関銃の銃声が轟き、ロケット弾が着弾し、遁走する単発機の爆音が鳴り響く。そんな中を“高貴なる”人々はそれらを肴に美味しい料理とお酒を愉しむ風景が描かれる。もはや彼らは正気なのか狂気なのか判らない。いや寧ろタイタニック号に乗っていながらいつ沈んでもその運命を受け入れる乗客のように見えるのである。

しかし何よりも一番謎めいているのが主人公のジョージ・スマイリーだろう。ずんぐりとした小男で決して目を引くような存在でない―即ちスパイにとって最良の外見を持っているわけだが―この男はしかしこれまで歴戦の諜報戦を渡り歩いた凄腕スパイであることがその口から出る言葉の端々から窺える。
しかし作者ル・カレはあまり彼の心情を描かない。特にサーカスでの会議や今回作戦を協同して行うことになったカズンズとの会議では沈黙を以て接し、なかなか発言に至らない。

諜報の世界は男の世界だと思われるが、実はそれに携わる工作員たちは女性によってその身を滅ぼす。
ル・カレはフレミングが創造したジェームズ・ボンドのようなスーパーヒーロー的なスパイから脱却し、スパイもまた1人の人間であり、その任務が辛く、長いものであることを自身の経験を加味して実状をリアルに描き、国家間のイデオロギーによって運命を左右される哀しき存在として描いたとされているが、ボンド作品に毎回彼と行動を共にするボンドガールがいるように、ル・カレの小説にも毎回そこには女の影がある。特に存在感が顕著なのはイギリス人女性リジー・ワージントンだ。本書の主人公ジェリー・ウェスタビーは香港のソ連のパイプ役ドレイク・コウの愛人である彼女に魅了され、彼女を欲するがあまりに任務を逸脱し、最終的にはその身すら滅ぼしてしまった。

しかしスマイリーのカーラへの復讐はまだ続く。本書の結末はまだ途上に過ぎない。再び一線から退けられたスマイリーがいかにソ連の大物カーラと対決するのか、気になるところだ。

1631中の書評を表示しています 1 - 20