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ミステリの祭典

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死との抱擁

作家 バーバラ・ヴァイン
出版日1988年08月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 7点 Tetchy
(2025/10/30 00:40登録)
バーバラ・ヴァイン名義の1作目。ヴェラ・ヒリヤードという女性がなぜ殺人の罪を犯し、絞首刑に処されたのかをじっくりと描いた作品。

その内容はかなり重厚。見開き2ページが真っ黒かと思われるほどびっしりと文章が詰まった内容は―特に本書は昔の文庫だから今のそれよりも文字が小さいため、1ページ当たりの文字数も格段に多いのだ―、1時間に50ページ読むのがやっと、つまり1ページに1分以上掛かってしまった。これほど時間が掛かったのも久しぶりである。
それだけの文章量を用いて語られるのは濃密に書かれた物語の中心というか本書の謎の核心となるヴェラ・ヒリヤードと彼女を取り巻く人々、家族、親戚、一族の面々の生い立ちと関係性である。

ヴァイン名義の作品は家族史を描く作品だと私は判断する。じっくり丹念にイギリスのどこかにいる一族や血縁の物語を入念に描く、即ちファミリードキュメントの手法を用いて事件を描く、それがヴァイン名義作品の特徴だというのが私の個人的見解である。

物語は殺人の罪で絞首刑に処されたヴェラ・ヒリヤードが起こした事件に至るまでを彼女の家族や親戚、または彼女と交流のあった関係者にインタビュー、もしくは回想文を書いてもらうことで一冊の本にしようと取材しているノンフィクション作家ダニエル・スチュアートがヴェラ・ヒリヤードの姪に当たる女性フェイス・セヴァーンにも同様の依頼と彼が著した著書ならびにヴェラの事件の草稿を定期的に送られることで、彼女も当時の記憶を掘り起こす形で語られる。
そう、即ちヴァインの立ち位置は即ちこのダニエル・スチュアートと同じといえるのではないだろうか。

最初に沸き起こる疑問符に答えるかの如く“その時”に至るまでを読者も作品の世界にどっぷり浸れるように濃厚に描く。
ただ、本書は実に読みづらかったことを正直に告白しておこう。今回登場するヴェラ・ヒリヤードを筆頭にしたロングリイ一族の家族構成が複雑で、更に実に多くの関係者が関わっているからだ。
一大家族絵巻をヴァインはドラマ『渡る世間は鬼ばかり』のように、それぞれの家庭との関係や軋轢、当時の世相が及ぼした家族の状況の変化などを織り込んでファミリードラマのように語っていく。

薄いヴェールを破れないように慎重に剥ぎ取るかのようにじっくりと時間をかけてヴァインは犯罪の裏に隠された動機に至る秘密を解き明かしていく。
人に歴史ありというが、誰しも家族の歴史というものを持っている。
一般人であるこの私でさえ祖父・祖母には複雑な歴史があったし、自分のアイデンティティを揺るがす過去があったことを知ったこともある。つまり誰しも人には知られていない家族の秘密というものを抱えているからこそ、本書もまた更に胸に響くのだ。
しかし物語はこのヴェラの妹殺しに至った後に更に様々な貌を見せる。いやロングリイ家の様々な貌というのが正解だろうか。

事件の真相、いや事件にまつわる様々な事実や情報が明らかにされると本書の時代設定を第2次大戦時の1930年代から40年代に設定したことが実に巧みであったことが知らしめされる。
シングルマザーや同性愛は今では、広く認められているとまでは云えないにしても一定の認知が為され、社会的理解が深まってきている。しかし本書の時代、第2次大戦時の世相では未婚の女性が妊娠して子供を持つこと、男性が1人の男性を愛することはタブーであった。従って彼らはいつも秘密裏に行動し、本当の自分を偽らざるを得なかったのだ。また本書にはいわゆる上流、中流、下流と云った階級を重視する風習にどっぷり漬かっていた時代である。
プライドの高い家庭の見眼麗しい女性が複数の男性と関係を持ち、おまけにどこの誰とも知らない相手の子供を妊娠していたことは決して世間に知られてはならないタブーでもあったのだ。
どんな家族にも歴史があり、秘密があるというのは即ち社会で普通に暮らしていくには家族が抱えたタブーは隠しておかねばならなかったからなのだ。

さて本書の邦題『死との抱擁』だが、これは正直よく解らない。この最後の真相、つまり有耶無耶となったジャミーの本当の母親とは誰かという問題をヴェラとイーディンはそれぞれの死を以て墓場まで持って行ったという意味での邦題なのだろうか。
一方原題はというと“A Dark-Adapted Eye”という。これは暗順応した眼という意味である。暗順応とは暗いところに眼が慣れること云うのだが、これもまた意味がよく解らない題名である。
これまで隠されていた家族の秘密が明るみに出たこと、即ち家族の暗部に眼が慣れたことを指すのか。

とにかく様々な謎を孕んだ物語であった。
案外家族のことは家族でも判らないかもしれない。所詮は他人同士で構成されるのが家族なのだから。

No.1 6点 人並由真
(2019/09/15 20:53登録)
(ネタバレなし)
 1980年台の英国。「わたし」こと弁護士の妻フェイス・セヴァーンは、ノンフィクション作家ダニエル・スチュアートの要請に応じて彼が送ってきた資料と草稿に目を通し、在りし日の自分と周囲の人々の記憶に思いを馳せる。スチュアートが完成させようと構想している物語。それは、先に死刑囚として断罪されたフェイスの叔母ヴェラ・ビリヤードを主軸とする関係者たちの物語であった。

 1986年の英国作品。本書はレンデルがバーバラ・ヴァイン名義で刊行した長編の第一作目で、さらにジェイムズ、ゴアズ、フリーマントル、R・L・サイモンなどの錚々たる面々の諸作と争って同年度のMWA長編賞を獲得したという、なかなか鳴り物入りの一冊。

 日本ではくだんのヴァイン名義をふくめて邦訳が40冊以上出ているレンデルだが、評者は現状で一番最後に刊行された『街への鍵』(2015年のポケミス)まで数えても、そんなに読んでいない。まだ10冊足らずだと思う。
 今回は三日前に近所のブックオフに、かなり状態の良い本書が108円で出たので、久々にレンデルもいいかなと思って購入。早速、読み始めてみた。

 しかしこれはなかなかシンドイというか。よく言えば、歯ごたえがあるのは確かなのだが、素直なエンターテインメント成分なんか絶対に提供してくれない、黒い方のレンデルらしさ(と現時点で評者が思っている感覚)を十二分に味わった。
 物語の冒頭で実質的な主人公というよりはキーパーソンの叔母ヴェラが何らかの重罪(まちがいなく謀殺であろう)を犯してすでに処刑された事実が提示されるので、物語の構造は「じゃあ、その犯罪とは一体どういうものなんだ」という興味の訴求に向かうわけだが、しかし、さすがは? レンデル、ここで焦らす焦らす。
 大昔に体感した『ロウフィールド』のあの触感も、おそらくこんな味わいだったんだろうな、と思う。

 フェイスの実家ロングリィ家には腹違いの関係をふくめてヴェラの四人の兄姉妹がおり(その中の長男ジョンの娘が語り手のフェイス)、その四人それぞれの家族や恋人、結婚相手などが広義のロングリィ一族となっておよそ二十年以上にわたる物語を紡いでいくが、この挿話の積み重ねがとにかくヘビーである。
 いや、レンデルの小説作りそのものは決してヘタじゃない訳だし、この作者(の黒いサイドの時)らしいビターな人間観も随所で良い刺激となってどんどんページをめくらせるから退屈はしないのだが、一方で読み手の目線的には「いったいヴェラは何を為したのか」という大きなニンジンを最後まで鼻の向こうにぶら下げられたままなので、イライラと焦燥が蓄積。一読するのにすごくカロリーを使った。まあこの感覚こそが黒い時のレンデルの真骨頂なんだろうけど!?
 
 そう考えればクライマックスに明かされる事実が意外に(中略)なのも当初からのこの作品の狙いどころなのではあろうな。大山鳴動してなんとかとか決して言ってはいけない、勝負所はそこではない、作品だと思う。
(ただし21世紀の文明国の法務の観点で言うとこの犯罪、実刑は仕方ないし、厳罰はやむなしとも思うが、そこまで……(後略)。)
 
 MWA賞本賞の受賞については、納得できるような、なんかストンと呑み込めないザワザワ感が残るような……。Webのどっかで見かけたような気もするが「受賞のポイントが第二次大戦前後の銃後の英国市民の生活をリアルに描いてある」とか何とかいうのが評価のポイントなのだったら、それなら理解はできる。
 まあミステリマニア的には、この時期のMWA賞受賞作の傾向を探るようなそんな意味で読んでみるのもアリだとは思う。
 それで何が得られるかは、わからないけれど(汗)。

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