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ミステリの祭典

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ηなのに夢のよう
Gシリーズ

作家 森博嗣
出版日2007年01月
平均点4.50点
書評数6人

No.6 4点 Tetchy
(2025/04/09 00:33登録)
Gシリーズ6作目の本書は連続首吊り事件。しかも通常の首吊り死体と異なるのは高さ12mの高さから吊るされた状態だったり、池の中にある小島の木に吊るされていたりとどうやったらそんな状況で首を吊られるのかという不可能興味にそそられる…のだが。
これら上に書いた不可能趣味的な首吊り状況については加部谷、山吹、海月の3人達の間で交わされる井戸端会議的な推理合戦で触れられるだけで確たる手段は明かされない。一連の首吊り死体は全て自殺事件だったということだ。つまり連続自殺事件。

つまり本書の主眼は死ぬ手段にあるのではない。本書を含むGシリーズ、即ちギリシャ文字に纏わる事件のメインは真賀田四季が背後に見え隠れするテロ組織による、但し無差別大量殺人を意図していない、信奉者たちによる事件であることが次第に判明していくことにある。本書でも新たな情報が提示されている。

真賀田四季と西之園萌絵の両親の事故が繋がっていることが今回判明するのが大きな収穫か。S&Mシリーズからこの構想はさすがに考えてはなかっただろうが、四季が自分が仕掛けたテロのターゲットが萌絵の父親であり、そして彼女が森氏デビュー作の『すべてがFになる』で舞台となった妃真加島の真賀田研究所で対面したが殊更ながら重みを増してきたのは確かだ。

そしてなんといっても本書のビッグゲストは瀬在丸紅子だ。彼女は沓掛の依頼により妃真加島の真賀田研究所に招かれる。最初の首吊り死体発見者の数学者深川恒之とアメリカのGF社の医療部門の主任研究員の久慈昌山と共に。つまりVシリーズの主人公がS&Mシリーズ第1作の舞台に立つのだ。ちょっとこの展開は感慨深いものがあった。

これまでの登場人物が登場し、次第に真賀田四季への関与がうっすらながらも判明してきているが、それでもそれぞれの事件ではすっきりとした解が得られないが非常に座りが悪く、本書もまた同様の思いを抱いた。
以前より森氏は事件の手法については言及はされていたが、犯人の動機に関してはあまり重視していなかった。Gシリーズはその傾向に拍車が掛かっていることは既に述べているが、本書には12mの高さでの首吊りや池の中にある小島での首吊り、更には反町愛のマンションのベランダでの首吊りといった異常な状況の首吊り死体の手段についてまで言及されない。
ミステリであり、しかもこのような不可能状況を扱いながらも謎解きがなされない、この何とも収まらない気持ちについて西之園萌絵が読者代表と云わんばかりに代弁しているが、その訴えに対して犀川創平が作者の代弁者のように受け応えているシーンがある。
萌絵が事件の真相を知りたいのは真実を知りたい、いやそうではなく納得のいく理由が欲しいからだと犀川に話す。
しかし犀川はどんな理由でもでっち上げればいいのでは、寧ろ面白いからやった、殺したいからやったという動機の場合もあるではないか。だから動機なんてものはあまり意味がないと話す。
しかし萌絵はそんな理由では犯罪から身を護れないから納得のいく理由ではないと答える。そして今回の連続首吊り事件が自殺でなかった場合、もし理由もなく殺されていたと思ったら実は自殺だったという方が納得し、そして不安にならないのではないかと犀川は話す。

この問答はしかし当時はモヤモヤしながらも論破されただろうが、コロナ禍を迎えた今ならば犀川の自殺だったという理由で納得するという論理はそぐわない。
コロナ禍の初期、有名人の自殺が相次いだ。それは到底死とは無縁の30代、40代というまだ若い年齢の男女が突然自殺したことで世間が不安に襲われた。その時我々は自殺した理由が解らないことに不安を覚えたのだ。
有識者たちによってそれぞれの自殺の理由にそれまでの当人の過去の言動を引き合いに憶測が重ねられたが、結局本当の理由は死んだ本人しか解らないのだと痛感した。
つまり本書の自殺者たちの死のメドレーはこのコロナ禍の連続自殺事件と非常に似通っているように思える。突き詰めれば不可解な死の真相が自殺であれば納得解を期待するミステリは太刀打ちできないのではと突き付けられたような思いがした。
なんだか当時の社会的な不安を連想させるような読後感になった。今ではそれらはもう過ぎ去ったものとして消化しつつあるが、やはり思い返すと喪失感が蘇ってくる。それは即ち本書が、いやGシリーズがもたらす遣り切れなさ、割り切れなさと実に似ている。

さて今回はこれまでのシリーズキャラが登場し、それぞれに転機が訪れたが、西之園萌絵にも例外なく訪れる。彼女は国枝助教授を通じて東京のW大の助手のオファーを受けるのだ。
そしてそれがトリガーになったかのように彼女の愛犬トーマが老衰のため、亡くなる。そこで彼女は初めて愛する存在に対して哀しみの涙を流すのだ。
両親の死の時にはそのあまりに唐突で大きな喪失のために心を閉ざした彼女が初めて愛するものとの永遠の別れに心を悼め、涙を流す。
別れを知り、そして死の哀しみを知った西之園萌絵。
新天地東京で彼女はこれまでと違った事件への向き合い方をするのだろうか。

No.5 5点 虫暮部
(2019/08/30 09:57登録)
 やろうと思えばなにがしかの方法で実行可能なのだから、実際にどうやったのかは問題ではない、と言わんばかりの態度だが、だったらこんな“高い死に場所”なんてギミックを付加する必要は無い。シチュエイションの無駄遣いだ。
 その点を除けば悪くない(除いていいのか?)。

No.4 3点 まさむね
(2018/08/26 22:53登録)
 うーん、「F」以来読み続けて来た読者にとっては、コレはコレでいいのかもしれないけれども、もはやミステリーとは言えないのではないか?そして、正直、ファンに甘え過ぎなのではないか?
 ちなみに、私は、萌絵嬢はもとより、犀川も紅子も四季も好きになれないタイプなのに、何故にこのシリーズを読み進めているのだろうかと、今さらながら悩みだしています。

No.3 4点 yoneppi
(2012/10/18 21:37登録)
首吊り死体の発見で始まり、トーマの心臓が止まって終わった。
このシリーズは全12作のようだが、ラストの描写は前から決まっているのだろうか。

No.2 5点 ムラ
(2011/09/01 09:01登録)
Gシリーズというよりは「四季」の番外編な気がする。「秋」の前後に入りそう。若い久慈博士とかいろんな登場人物が出てきて面白かった。
個人的に抱いている自殺感とはちょい違うけどそれでも楽しめた。
しかし、全然トーマ出番なかったのに、出た瞬間お迎えが来るとは……。
あと、これもうミステリではもう無い気がする。トリックとか無いし。そもそも事件も無い。そういう意味で四季の番外と位置づけたのだが。
犀川先生の出番が多くて嬉しかったが、もう少し真賀田博士も見たかったのが唯一の不満。

No.1 6点 VOLKS
(2007/12/24 12:46登録)
Gシリーズ、最終章。
結局このGシリーズというのは、それ自体が確立されているようで確立されたものではなく、他のシリーズに付随した作品だったわけで、確立されることをわずかに期待しながら6作品目まで到達した自分としては「あー結局ソコに行き着くのか」とやや投げやりな気持ちに・・・(汗)
トーマとの別れには胸が熱くなった。

で、赤柳の今後は?

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