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ミステリの祭典

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悪魔の手毬唄
金田一耕助シリーズ

作家 横溝正史
出版日1961年01月
平均点7.60点
書評数40人

No.40 8点 みりん
(2023/06/18 20:17登録)
なんだこれ重要そうな人物がどんどん湧いてきて覚えられないぞ。 そうだ!このくらい有名な作品なら人物相関図くらいネットにあるだろう 『悪魔の手毬唄 相関図』ポチ
はい身から出た錆とは言え作品の核となるネタバレ食らいました。未読の方は気をつけましょう。

正直いうと読み終わった時は「ん?これ見立て殺人する意味あったの?」となりましたがここのレビューを見て納得いたしました。里子の心情を考えると本当に切ない…これ今のところ横溝作品ベストです。

No.39 7点 ひとこと
(2023/05/28 18:24登録)
ラストシーンが印象的。

No.38 7点 バード
(2022/09/13 08:53登録)
(ネタバレあり)

見立て殺人物にありがちな、インパクト重視で見立てる意味がないという大味な作品ではない。
犯人が殺人を手毬唄通り見立てた意図は(金田一の推測ではあるが)本文中に明記されており、お庄屋さんのキャラ描写が十分だったため私は納得できた。その動機を許容できるかは個人の感性によると思うので、そこが本作評価の分岐点になる気がする。

個人的にはその他にも物語をかき回す要素がふんだんで、例えば下記のような素晴らしい工夫がある。
・途中で嘘の手毬唄を出す
・三番目のすずめのミスリード
・件の一人二役

淡々と殺しが進み、読み物として起伏が弱いという点は少し残念だが、昔の作品だからと侮るなかれ、非常に精巧な作品である。

No.37 6点 じきる
(2021/01/16 23:35登録)
長所と短所が混在しているような作品だと感じた。
相変わらず雰囲気は良いのだが、そこで誤魔化してる所があるような気がしないでもない。

No.36 9点 雪の日
(2020/04/10 14:34登録)
八つ墓村同様、横溝らしい雰囲気で面白かった。

No.35 7点 虫暮部
(2020/02/15 12:18登録)
 文章が良い。美文名文ではないが、読者を作品に踏み込んで行く気持にさせる力がある。刀自が手毬唄を聴かせる場面はゾクゾクした。歌詞自体はプロローグで既に提示されているのに改めてそんな気分になるのは凄いことだ。
 真相解明によって全てがピタリと嵌った感じは正直あまり無いが、本作に於いてはさほどマイナス要素ではない。
 登場人物が多くて混乱するので、フルネームでの表記をもっと多くして欲しかった。

No.34 9点 蟷螂の斧
(2019/11/09 15:38登録)
「東西ミステリーベスト100」の第75位。「不連続殺人事件」以来の相関図を作っての読書でした(笑)。

【ネタバレあり】

本作における「見立て殺人」の意義は著者による読者へのレッドへリングであると思います。冒頭に「手毬唄」を載せることで「何故、あるいはどのように見立て殺人が行われるのか?」と読者の注意をひきます。メインの動機などから目をそらす目的ですね。「見立て」自体は、犯人にとって重要な意味もなかったし、次の被害者たちに恐怖を与えるものでもなかったし、さらに探偵側も真剣に謎を解こうとすることもなかったわけですから。やはり対象は読者ということになるのでしょう。白眉は複雑に絡み合った動機ですね。まったく予想もできませんでした。完敗。

No.33 8点 mediocrity
(2019/11/02 04:21登録)
著者の他の超有名作のエッセンスを贅沢に詰め込んだような作品、ではあるが、かなり薄まってしまっているように感じた。読んでいてあまりストーリーに引き込まれなかった。ただし、最終節、犯人の意外さと謎解きで盛り返したので8点はキープ。
とはいえ現状の上位6作中から5作選べと言われれば、他と毛色が違う6位『悪魔が来りて笛を吹く』は残して本作を外すだろうなあ。

No.32 8点 ALFA
(2018/11/28 17:57登録)
(少しネタバレ)
書評がなかなか盛り上がっている(揉めている)ようなので、面白くなって数十年ぶりに再読。内容もやはり面白かった。それほど凝ったトリックやアリバイ工作はないのだが。お得意の閉ざされた空間、過去の事件がカギになる重層的な時間の流れ。複雑な人間関係。重苦しい動機など。満腹感の味わえる長編です。
さて例の論争だが、
見立てに意味はあるか?もちろんある。現に作中でミスリードとして効果が出ている。読者、登場人物、各々がどこまで情報として持っているかどうかは些末なことで、あとから「あの人ならやりかねない・・・・」くらいで十分。(なお、情報の区別がついてないなどと他の読者を軽んじるのは厨二病的思い上がりだろう。ほとんどの読者はそんなことはわかって読んでいると思うよ)
そもそも「見立て」は①単に作者の趣向(あまり意味のない)②犯人の趣向(犯人のキャラに沿った設定)③構成上の必然、などいろいろあっていいのだ。クリスティを例にとると③の典型は「ABC殺人事件」。ここでは「見立て」は構成上抜き差しならない仕掛けになっている。一方「誰もいなくなった」は②の好例。狂信的な犯人のキャラ立てに効果的に使われている。
この作品では③といえるが、①の要素も強いため評価が分かれるのだろう。
あえてこの作品の欠点を上げれば重要な地理的情報が不親切なこと、そして登場人物が多く複雑なこと。それぞれに意味はあるのだが、それにしても多い。
特に例の「老婆」と「おりん」抜きで構成できなかったか。手紙の件が偶然に頼りすぎていて、構成が弱くなっている。
犯人のミスディレクションは一本に絞ったほうが真犯人の鮮やかな手口が冴えると思うが。
一方、映像的には峠で金田一とすれ違うシーンは非常に効果的だろうな。
ともすれば絢爛たるディテールの中に構成が埋もれてしまうこともある作者だが、ここではサービス満点のギミックに負けない骨太の構成で読みごたえがある。

No.31 9点 青い車
(2018/11/27 02:22登録)
 横溝正史の真骨頂が出た傑作。見立て殺人、消えた男の謎、犯人側のドラマなど読者を引きつけるポイントが多いです。そして、まさに映像化向きの名シーンが数多いのも特徴と言えると思います。登場人物が多すぎて整理が大変なきらいがあるのだけが欠点。

No.30 8点 りゅう
(2018/06/20 15:07登録)
※令和2年9月13日編集

(以下ネタバレ注意)

「容疑を押し付ける意図であれば、犯人が見立て殺人である事を公開していないのは矛盾」と書いている人がいるが、犯人が見立て殺人である事を公開しなくても、殺人を続けることで村人の誰かが気づき、関連性を指摘すると思っていたからであり、何ら矛盾していない。実際に第3の事件の後で五百子が指摘して、捜査当局は関連性に気づくことになる。なお、それでも気づかない場合は、犯人側から捜査当局にヒントを与え、気づくように働きかけていただろう(たとえば、手毬唄が掲載されている『鬼首村手毬唄考』をさりげなく、目のつくところに置くなど)。また、あまりに早い段階で気づかれると、次の殺人がやりにくくなるので、早い段階でヒントを与える必要はない。
さらに、村人は、庄屋であればこのような犯罪をやりかねないという認識を持っていた。

「手毬唄の発覚とそのタイミングは犯人の手の内にはなくて偶然」と書いている人がいるが、手毬唄の発覚のタイミングはヒントを与えるという形で犯人側から調節可能。

「容疑を押しつけるつもりなら、最後に自殺するのは何故」と書いている人がいるが、最後に自殺したのは、金田一耕助らに追いかけられて、もはやこれまでと観念したから。いざという時のために服用する農薬を用意していた。

「見立て殺人によって犯人がバレている」と書いている人が複数いるが、何を言っているのか、全く意味不明。

「作者、読者、犯人、その他登場人物それのぞれが持っている情報と持っていない情報の区別がついていないため勘違い」と書いている人がいるが、勘違いしているのはそっちの方。「他人を疑う前に自分を疑え」と言いたい。こんな低い読解力、想像力、推理力しか持ち合わせていない、くるくるパーのノータリンのくせによく他人の書評の批判をするよ。

「見立て殺人に理由が無い」と書いている人が結構いるが、失踪した人物に罪をなすりつけるためのものであり、『獄門島』よりも理由は明確。「見立て殺人に理由が無い」と書いている人は、こんなことにも気づかない、読み取れない自分の愚かさを嘆くべきだ。『そして誰もいなくなった』の方が、もっと見立てに理由がないと思うが、誰も指摘しないのはなぜ?

※このサイトのアドミニストレーターとメールで連絡を取ったところ、個人名を出さず、コメントの直接引用をしなければ良いとのことなので、書き直した。これ以上訂正するつもりはない。

No.29 7点 レッドキング
(2018/06/16 16:27登録)
何故に犯人は連続殺人を起こさねばならないのかのホワイダニットと、過去の「顔無し殺人」の被害者トリックが綿密に結びついている構成が見事。これが横溝の最高作かもなあ。 
残念なのは、小説上は最も魅力的な場面の「童謡見立て」の必要性に、あまり説得力がないことだ。

No.28 5点 ねここねこ男爵
(2018/05/18 19:09登録)
この書評が個人攻撃である、との指摘を受けていますが、特に他の方の書評に対して難癖をつける意図はありません。正直かなりびっくりしました。
「~という人は」という部分なのかなと思うのですが、この見立て殺人に意味がないことは個人や作家の評論等でも指摘されていること、それに対して意味がある!という意見もあちこちにあって、その意見に対して「~という人は」という表現を使い自分の意見を書いたのですが。本サイトはもちろん特定の書評や個人を名指しするものではありません。こう書いても信じてはいただけなさそうですが…。
また、今回の件で自分の書評を書き直すつもりはありません。サイトのポリシーに反するようでしたら管理人さんの方で本書評の削除をお願いします。

また「ネタバレがあることを書け」とのご指摘なので追加しました。
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タイトルを変えて、見立て殺人じゃなくしたら相当の名作だったかと…。


以下ネタバレ含みます。

最大の欠点は、見立て殺人にその理由が無い事でしょう。単に読者の興味をひくためだけのものになってしまっています。連載作だったので次回へのヒキのためやむを得ないかもしれませんが、作者のコメントを見るにノリノリだったようですし。無意味にリスクを犯し見立てた結果犯人バレするわけですから…。
「獄門島」も見立てそのものは無意味なのですが、あちらは別方向から必然性をもってきているので名作たり得ています。「獄門島」は見立てである事がずっとふせられており、あとがきによると作者はそこが不満だったようで、「連続殺人中に村人たちが見立てに恐れおののく話が書きたい!」というのが本作の執筆動機。つまり、必然性に関しては最初から頭になかった様子。
「容疑を別の人間に押し付けるためなので意味がある!」という人は作者と同じで、作者と読者と犯人とその他登場人物それぞれが持っている情報と持っていない情報の区別がついていないため勘違いをしています。
長くなるので書きませんが、「容疑を押し付ける意図があるなら、犯人が見立て殺人である事を公開していないのは矛盾」「手毬唄の発覚とそのタイミング、伝承と記録の改竄は犯人の手の内にはなく偶然」「容疑を押し付けるなら、最後に自殺するのは何故?」と言えば破綻しているのが伝わるでしょうか。読者は冒頭で手毬唄を知らされるため勘違いしやすいのです。
他に、「第一殺人で血を残すメリットなし」「老婆登場のメリットなし」「見立て殺人により犯人バレ」「影絵意味なし」などなど、ウケ狙いで不気味な事を書くのが目的で理由を後付しているためかなり苦しい。特に影絵のくだりは『作者がやりたかった』以外の理由が全くない…
作者は「クイーンはつまらない。カーが好き」「クイーンのような型が決まったものはトリックさえ思いつけばいいが、カーは小説全体のスタイルも考えないといけないので難しい」と言っていることから、作者はカーのスタイルと共に欠点も継承してしまっている事が分かります。カーは「可能性が大事で必然性は二の次」と言ってしまっている人ですから…

事件の真相や意外性などはとても素晴らしいので、見立てさえなければ…

No.27 7点 斎藤警部
(2017/04/20 23:23登録)
現代(いま)となってはコージーに過ぎる序盤と中盤、ところが思いのほか深い穴に何段も落とされる終盤、ケロッと爽やかなエピローグ。まるで「長過ぎる、人物多過ぎるブラウン神父」のような疾風の結末は読み応え大いに有り。現在(いま)となっては「青池リカ」が「青酸カリ」に見えて仕方ない、老眼ヨキカナ。それにしたって何やら因縁有り気な人物群が矢継ぎ早の大盤振る舞い桜吹雪で、こりゃ登場人物一覧表を敢えて付けないのが叙述トリックの一部ではないかと疑いも挟まずにはいられませんですのう。どことなく往年のチョン・ジヒョンを思わせるグラマー・ガールさんの専門がシャンソン歌手ってのは。。不思議な時代性を感じますのう。。 このわた、からすみ、のりの佃煮、きゅうりの酢揉みと来ましたか。。ワシゃったらノレソレ、赤貝ひも、ギバサ、月見ってとこかい。

No.26 6点 tocky
(2017/04/01 17:41登録)
文句あり過ぎだがなぜか面白い小説だ。
で、その文句というか疑問点の数々だが、それを述べるとどうしても事件の核心部分をバラす結果になるものばかりなので、残念ながら投稿は控えざるを得ない。ただ一つ、これは大丈夫そうなのがある。それは毒草「お庄屋ごろしこと沢桔梗」についての記述である。

先ず金田一耕介等が多々良方庵の草案でそれを見つけた時、「それは桔梗の花のようである」と状況説明があるが、沢桔梗の花は桔梗にまったく似ていないのだ。ちなみに葉の形もかなり違い、学会にはキキョウ科から分離独立させるべきだとの意見もあるらしい。
次に、同場面で金田一がその草を手に取ると、彼に随行した総社の旅籠井筒の女将おいとが突然金切り声を上げて触っちゃだめだと注意する。しかし、沢桔梗は確かに毒草のようだが、実際のところ「触るな危険!」(例えば鳥兜のように)というほど猛毒の草でもないようで、山野草図鑑でも特に毒草表示をしていないものが一般的と見受ける。
第3は2番の延長線になるが、「本当にあれで人を殺せるの?」という疑問が必然的に湧く。だからこそ犯人は毒を盛った上で絞殺したんじゃないかとも考えられるが、後日の検死結果によれば、「絞殺するまでもなかった」とのこと。こうなると沢桔梗はやはり猛毒なのかという疑念が再び湧くが、そこでふと我に返る。
そうだ、小説の世界では、鯨だって自由に空を飛べるのだ(笑)

優れたストーリー・テラーはしばしば読者を幻惑し、現実と非現実の境を曖昧にさせる。私は、この小説で起こる一切の惨劇を生んだ元凶は多々羅方庵に他ならないと思っているが、村人達が口を揃えて「きょうとい(怖い)」と評するこの人物も所詮作家の創造物に他ならない。その点に思いを致せば、本当にきょうといお方は、彼を生んだ横溝正史氏その人と言ってもよさそうだ。

No.25 8点
(2016/09/06 21:54登録)
言わずと知れた横溝正史の代表作のひとつ。久々に再読したところ、最初に読んだ時以上に楽しめました。いや、楽しめたというより、じっくり味わえたという感じがします。
プロローグで放庵による「鬼首村手毬唄考」を紹介し、読者にだけは連続殺人の見立ての意味をあらかじめ知らせておくという構成がとられています。以下、少々乱暴な私見ですが…その古い唄に出てくる3人の娘がちょうど犯人が殺したかった3人に一致したというのは、あまりに偶然すぎるように思えます。しかし、これは放庵が書いたものですから、途中で五百子婆さんが歌うものと違った部分があることを考えると、3番は実は1・2番で歌われる娘の偶然を利用した、放庵の創作かもしれず、だとすると偶然性はかなり軽減されます。五百子婆さんは実際には放庵の文章全体を自分では読んでいないのですから、この説も否定できないと思われます。

No.24 5点 風桜青紫
(2016/02/11 16:33登録)
本格読みを自称するかたにはなぜか評価が高いが、個人的には「衝撃」もなければ「必然性」も大してないような真相だった。見立て殺人の意図についてはりゅう氏が指摘している通りなのだろうが、いかんせんメリットに対してリスクが大きすぎたのではないかという印象が拭えない。というかそれが原因で犯行がばれちゃってるのだから犯罪者失格じゃないの(犯罪者合格が何かと問われれば困るけども)。手鞠歌という魅力的な道具で雰囲気を盛り上げるのは横溝らしいといえば横溝らしいのだけれどと、どうもこの作品は「謎のためのトリック」という部分が大きく出すぎたように思えた。もちろん、舞台のおどろおどろしさや、複雑な人間模様、過去の事件、耕介と磯川さんの友情(?)ストーリーなど、見るところは多いし、それなりに楽しめたのは確かなのだが……。私の周りにもこれをベスト横溝にあげる人間が多いのだけども、どうも納得できない。たぶんそこらへんは趣味の違いなのだろう。

No.23 10点 谷山
(2014/09/14 11:31登録)
個人的に横溝作品ではこれが一番好きです。見立て殺人、顔の無い死体、出生の秘密、舞台が岡山と、横溝作品で連想される代表的な要素が全部つまってます。
そして極めつけはいわゆる「峠のおりん」のシーン。初読ではただ単に不気味なシーンなのですが、読み終わった後にあのシーンを思い浮かべて涙が出ました。非常に哀しくて印象的なシーンです。

ところで、最近つのだじろうによる漫画版をブックオフでちら見したのですが、原作ではシャンソン歌手として成功して村に帰ってくる「大空ゆかり」がおっぱい丸出しで悪魔的な歌を歌っていて笑ってしまいました。確かに原作でもグラマー・ガールと書かれてはいましたがw

No.22 7点 ボナンザ
(2014/04/08 15:44登録)
これに関しては映画のほうが好きだが、原作もかなりおもしろい。
なんと言ってもタイトルが秀逸だが、それをこけおどしにしない内容が素晴らしい。

No.21 9点 メルカトル
(2013/03/19 22:24登録)
個人的に横溝作品の中で『本陣殺人事件』に次いで好きな作品。
本作も人間関係がかなり複雑だが、それだけに読みごたえもあり、手毬唄の全容が少しずつ明かされていく辺りは、なかなかのサスペンスぶりを発揮している。
メインとなるトリック、と言うか仕掛けは単純なものであり、わざわざ金田一が神戸まで出向かなくても良いのではないかと思うが、当時としてはやむを得なかったのかもしれない。
犯人にとって動機はまさに真に迫るものであり、やむに已まれぬ事情があったわけだが、冷静に考えると、もう少し穏便にことを済ませる方法もあったのではないかとも思うのだが。
しかし、やはりこの隠された動機に繋がる裏事情は他言できるような種類のものではなかったのだろう。
それだけに、真相が明らかになった時、犯人の苦悩が浮き彫りにされて悲哀が漂う結末になっており、とても印象に残る。
多少の瑕疵はあるものの、横溝の代表作のひとつであることは間違いないであろう。

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