海外/国内ミステリ小説の投稿型書評サイト
皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

人並由真さん
平均点: 6.35点 書評数: 2257件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.2237 7点 リンガラ・コード- ウォーレン・キーファー 2025/07/14 08:48
(ネタバレなし)
 1971年。テヘランに在住のアメリカ大使マイク(ミシェル)・ヴァーノンは、NY在住の恩師ハロルド・グロスマン教授に向けて、ヴァーノンが1960年代初頭、コンゴ(のちの一時期ザイール)に表向きは大使館員、実はCIA局員として勤務していた時の記録を書き綴った。そこにはコンゴの地で、大使館付きの武官であり、同時にヴァーノンの朝鮮戦争以来の戦友(親友)であったテッド・スターンズの殺害から始まる1962年の事件の経緯が、仔細に語られていた。

 1972年のアメリカ作品。同年度MWA最優秀長編賞受賞作品。

 なんか大技を使っていると、以前からウワサの作品なので(幸いにもそれが具体的にどういうものなのかは知らない~あるいは聞いたか読んだかしても、今は都合のいいことに失念している・笑&嬉)、思い立ってこのたび読んでみた。

 ベルギーやフランスなどの植民支配を受け、さらにアメリカやロシアの干渉、さらには国連の関与もあって内政が揺れまくる当時の現地の描写はなかなかの臨場感。
 現代史に無教養な自分は、当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドの惨死(謀殺らしい)なんか初めて知った。

 おなじみ池央耿の翻訳は快調で、リーダビリティは最高。ネームドキャラの登場人物は60人以上に及び相応だが、メモを取っていけばまったく混乱はない。出張先の地方でヴァーノンを含むアメリカ政府の人間が暴徒に襲われるシーンの緊張感など、相応のものである。
 あと、CIA側で使っていたコンゴ在住のとあるスパイがいささかヤクザ者なのだが、その彼がこれが最後と重要な情報をくれたことを恩義に感じ、そのスパイ当人を、あるいはせめてそのスパイの妻子だけでも優先的に国外に逃がしたいと考える主人公ヴァーノンの造形(人間味)なんかもいい。

 ミステリ的なギミックはなかなか見えてこない(途中でいくつか仮想を考えるが、いや、たぶん違うんだろうな……と、思い付いた仮説の却下を繰り返すパターン)まま、お話そのものが結構、面白いね、と読み進む。で、クライマックスで、事件というか秘められていた策謀は意外なほど順当に解決……と思いきや……ああ、こういうことね。
 まあ、確かに<思いついて>も良かったけれど、これはスキを突かれた。この作品で原体験的にその手のサプライズを味わった人には、かなりインパクトのある作品だったと思う。
(ちなみにAmazonの本作のレビューでは、どこぞの〇クチ野郎が余計なネタバレをしてるので(←〇ね!)、これは見ない方がいい。Twitter(Ⅹ)も見ない方がいいだろうね。)

 なお今回読んだ翻訳本は、元版のハードカバー。図書館で借りて読んだが1976年7月の第9版と、角川の海外ベストセラーズ初期分のなかではかなり売れた方だと思う(そりゃフォーサイスにはかなわないだろうが)。たぶん『ジャッカル』以来の「全米探偵作家クラブ最優秀長編賞受賞」の惹句がものを言ったのだろうな。
 逆に言えば当時読んだ世代人は結構いると思うのだが、21世紀にはほとんど忘れられ切った作品のようで、本サイトでも現状、16年前のこうさんお一人のレビューしかない(涙)。
 関心と機会があったら、余計な情報を入れないうちにさっさと読んでしまうことをお勧め。

 ただまあ、その後の本サイトへのレビューのご投稿の際には、ちょっとだけ想像力を働かせて<あれこれ必要十分なご配慮>を戴けると幸い(汗・笑)。

No.2236 8点 ゾンビがいた季節- 須藤古都離 2025/07/13 18:12
(ネタバレなし)
 1969年。ネバダ州にある人口50人弱の小さな町ジェスロー。都市部の出版エージェント、ダン・ウェイクマンの勧めで執筆した通俗スリラー「悪人」シリーズがヒットして映画化もされた作家トム・オーショネシーはその町の一角に住むが、自作のヒットの収入をギャンブルにつぎ込む。一方で当人的には意に沿わない作品が当たったトムは、執筆のモチベーションを著しく減退させていた。そんななか、ウェイクマンのエージェント業事務所から、女性職員のケイティがトムのもとに来訪。一方、トムの視界の外では、とある計画が進んでいた。

 帯にあるあらすじのネタバレの件ですが、第一章の見出しで底割れ(暗示)してるので、別にいいのでは、と。少なくとも自分は本作の仕様に限っては、特にストレスなく読めた。

 前作『ゴリラ』とは違う方向性で、非常に面白い。
 勝手な受け取りかもしれないが、作者の狙ったのはスティーヴン・キングあたりの系列の作家、その諸作によく見られる、登場人物多数、場面モザイク構築の大作、そんなスタイリズムの借款と咀嚼だと思う。

 登場人物は、名前が出てきてメモを取ったのが約75人。あーこれはワンシーンだけかそれに近いモブキャラだな、と類推してメモ書きをスルーした登場人物も加算すれば、たぶんネームドキャラは優に100人を超える?
 うまい、と思ったのは、登場人物の年齢設定をほとんどあえて記述しないことで(例外は二人の男子くらいか)、そのおかげで<実はあのキャラとこのキャラは同世代であった><このキャラとそのキャラは学友だった>など、ちょっとだけ予想外の関係性が、あとからあとから少しずつ、あれこれ明かされる構造になっていた。この辺はその徹底ぶりからして、作者の意図的な演出だろう。

 帯で大森望は「~コメディ」という修辞を用いてるが、個人的にはあまりその言葉は読んでる間、意識しなかった。いや別に異論があるわけじゃないんだけど、どっちかというと「スラプスティック」ではあってもコメディとはちょっと違うような……まあ、いいかな。地方の町を引っ掻き回す大騒ぎをどういう視座で眺めるか、の問題だろうし。

 書き手のセンスや才気は十二分に認めるが、それ以上に筆力と書き込みの量感がそのまま(キング的作品という)スタイリズムに転じた、結構、オモシロイ(と思える)形質の一作。

 もしも作者が一冊一冊、違うものを書こうとしてるのだとしたら(まあ『ゴリラ』も再読すれば、本作と通底する部分が何か見えてくるかもしれんが)、次にどんなものが来るのか、なかなか楽しみである。

No.2235 8点 白い恐怖- フランシス・ビーディング 2025/07/11 06:52
(ネタバレなし)
 第一次大戦終結からしばらくした欧州。ロンドンの医学校を卒業して医師の免許をとった、社会的自立を志す26歳の女性コンスタンス・セッジウィックは、20年前に物故した彼女の父の旧友だった医師ドクター・エドワーズの斡旋で職を得る。エドワーズが経営する金持ち相手の精神病院兼療養所「シャトー・ランドリー」はフランスの山中にある古城を改装したものだが、コンスタンスはそこの女医スタッフに迎えられたのだ。だが当の院長エドワーズは長期出張中で、その間の院長代行はコンスタンスの少し前に病院に着任した青年医師エドワード・マーチンスンが担当という。山村トノンの奥にある予想以上に巨大で荘厳な病院を訪れたコンスタンスだが、そこで彼女を待っていたのは思いもよらぬ体験だった。

 1927年の英国作品。
 つい最近これまで未訳だった作品『イーストレップス連続殺人』(1931年)が発掘翻訳された作者フランシス・ビーディングの出世作……というか、ヒッチコックの映画『白い恐怖』(1945年)の原作(というより原案に近い作品)として、欧米でベストセラーになった長編。
 なお早川ポケミスの本書のAmazonでの公式紹介は完全にネタバレしてるので、未読の人やネタを知らない人は見ない方がいいよ。
 
 映画はヒッチコックの初期作品のなかでは比較的メジャーな方だと思うし、評者も何度か観る機会はあったが未だに未見(汗)。
 この小説版を読んだあと、比較としてそのまま映画もAmazonプライムとかで観てみようかとも思ったが、ポケミス巻末の長谷部史親氏の解説によると、いくつかのネタだけ拾ってかなり別ものの内容というので、じゃあ急いで観なくてもいいか、という気分になった(←こーゆー時は、たぶんしばらく観ないな・汗&笑)。

 そーゆーことなので、原作小説本編をあくまで単体で読んでの感想、レビューになるが、当時のモダンゴシックロマン的、サスペンス・スリラーとして、フツーに十分面白かった。
 こういう設定のお話なんだから<そっちの方向>かな? ……と予期しながら読み進み、それで(中略)という展開。いずれにしろその辺の話の狙いのポイントが、クラシック作品としての枠組内で、結構ゾクゾクさせてくれる。

 まず達者に思えたのは冒頭からのギミックで、これはやっぱり……(以下略)。その辺を起点に、小説全体のまとめ方がなかなかエンターテインメントしていて良い。最後まで読むと作者がミステリらしい仕掛けの用意を楽しみながらも、お行儀のいい小説作法を採用してるのがよく感じられる。

 あと、半ばクローズドサークル状態になる(?)物語の舞台「シャトー・ランドリー」を賑わす病院側スタッフや複数の患者たち、そんなサブキャラ勢の描き分け。
 作劇上での役割の大きい少ないの濃淡はあるが、その辺はむしろ自然なリアリティで、どことなくコリンズの『月長石』あたりのキャラ配置に似てる。ゴシックロマン系のスリラーとしては、正に最適の叙述だろう。
 正直、同じ精神病院ものでも、その辺の面だけに限れば、後発のクェンティンの秀作『迷走パズル(癲狂院殺人事件)』よりこっちの方が上だと思った。(ま、双方を比較するのは畑違い、という面も無きにしもあらずなのだが。)

 一方で事態が進んでからのクライシスの打破に関しては、もう少し何か手を打てなかったのかな? とも思ったりもしたが、大方の疑念はまあ、こちら受け手の解釈も踏まえて了解・納得できる流れではある(1920年代半ばの話だしね)。そんな意味でも、まとまりの良い作品ではあった。

 大筋はまあ良くある話、といえばそうなんだけど、それを認定した上で、色々とある種の風格を随所に感じさせてくれた作品。
 今年の『イーストレップス』の発掘があったから、そんじゃまあこっちから先に読もうと思った一冊(本サイトにまだレビューも無いし)。逆にいうとそんな状況でもなければ、いつになってから読んでいたのかわからない作品ではあるのだが、とにもかくにもなかなか楽しませてもらった。

 評点は0.3点くらいオマケ。

No.2234 6点 暗黒街道- 生島治郎 2025/07/09 15:39
(ネタバレなし)
「ヤモリ」こと、マル暴の悪徳刑事・野守一造(のもり いちぞう)は、トイレを借りに入った新宿のスタンド・バー「サニイ・サイド」で、トラブルに巻き込まれてるらしい青年を見かける。だがその青年「ラット」こと岩切完二は暗黒街の末端にいる、ムエ・タイの心得がある若者。彼は、バーのママで20代後半の美女「ダンス」こと阿部舞子とともに、因縁をふっかけてくるヤクザものをあしらおうとしている所だった。成り行きに介入し、半ば強引にラットとダンスに貸しを作ったヤモリは、妙に気の合う三人組を結成。ヤクザやワルたちを相手にしながら、熱い金を稼いでいく。

 気が付いたら生島治郎を二年も読んでない。とりあえず何か軽そうなものでも読もうと思い、これを手に取った、ノワール系の連作短編集。「週刊小説」に不定期に92~94年の間、掲載された、新規の主人公トリオのシリーズ短編が7編収録されている。
 正確に確認した訳じゃないが、たぶんこの時期(80年代後半~90年代初頭)の翻訳ミステリ分野ではロス・トーマスとレナードの二大巨頭が幅を利かしていたんだろうと思うし、生島が弟分の大沢在昌から「アニキ、最近またトーマス、面白いっすよね」とか何とか言われて(改めて?)読み始め、なるほどなー、じゃあ、オレもいっちょ……とか何とかという流れで書いてみた、和製・陽性ノワール連作がコレじゃないか、という気がする。
 知らんけど。

 各編、お話が好テンポで転がり、その淀みなさにさほど物足りなさを覚えないのは、すでに大家の円熟のベテラン芸、という感じで快い。90年代に非・私立探偵小説系の通俗ハードボイルド連作を良い意味でのスタイリズム優先で書いたらこんなのになるかな、という感触もあるし。これはこれでいいでしょう。
 このシリーズはこれ一冊で終わっちゃったのかな? 続きがあるなら、もうちょっと読んでみたい。

No.2233 7点 覚悟- フェリックス・フランシス 2025/07/08 07:28
(ネタバレなし)
 競馬界の辣腕調査員として名を馳せたシッド・ハレーは二度目の結婚をし、今は愛妻と6歳のおませな愛らしい娘と、幸福な家庭を築いていた。だが現在46歳のハレーは、悪人からの報復で家族や元・義理の父チャールズ・ロランド提督(すでに83歳)が身の危険に晒されることを警戒し、調査員稼業を引退。現在は日々の好調な金融取引で、順当に生活費を得ていた。そんな時、英国競馬統括機構(BHA)の会長リチャード・スチュアートがハレーを訪ね、スチュアート自身が不審に思ったある案件を持ち込んでくる。同件はBHA保安部でも審議されたが特に問題なしとされたもので、だが尚も疑念が残るスチュアートはハレーに状況の洗い直しを願いたいようだ。ハレーは調査職からは引退したと答えつつも、この話に関心が生じていく。だがその直後、局面は新たな展開を見せた。

 2013年の英国作品。「競馬シリーズ」の創始者・父ディック(小説執筆の実働は奧さんメアリだったと21世紀になってからウワサされるが)の逝去後、今は息子フランシスが執筆する、親子二代にわたるシッド・ハレーものの通算・第5弾(フェリックスの担当作としてはこれがシリーズ内での1冊目)。

 当方はシッド・ハレーシリーズは、『大穴』『利腕』は順当に消化。3作目『敵手』も読んでいるハズだが、ほとんど記憶にない(実は、あのシーンが『敵手』のものだったのかな? と、思い浮かぶような場面もあるのだが、本当にそれが正解かは心もとない)。で、あまり評判のよろしくない第4弾『再起』は確実に未読で、そんな前提のなかで、今回の、日本語で読める久々の新訳作品に付き合う。

 それで正直、途中までは面白いことは面白いんだけど、主人公ハレーが半ば巻き込まれるように事件に関わり、調査を続けていくうちに競売界のならず者から脅しを受け、自分と家族に迫る脅威に恐怖&警戒~でも克己、の完全なおなじみパターン。いくらなんでもこれはね、とも感じたりもした。
 が、中盤辺りからの悪党のやり口がどんどんエゲツなくなり、そっからはなかなか、加速度的に盛り上がってくる。うん、やっぱり結構、楽しめる(笑)。なんのかんの言っても4時間弱で、イッキ読みではあったし。

 とはいえレギュラーキャラのハレーだと、あんまり羽目を外した大技での対抗・決着はできないだろ、反則技やダーティプレイでの反撃もしにくいだろと予想してしまい、その辺は良い面もあれば良くない面もあったり。
 父親ディックの後期正編・競馬シリーズの中では、単発で一回こっきり、悪く言えば使い捨てで、後先を考えないからこそ<そーゆー種類の決着>もできた、という感じの主人公もタマにいたんだけど、今後も続投するであろうハレーはそういう自由度はないだろうしな、と観測しちゃったりする。
(でもそういう風に考えてみるなら、それなりにちょっとギリギリぽい面がないでもないクライマックスかな、今回は。)
 
 あとサイドストーリーとしてハレーの隻腕設定についてかなり大きな進展があり、その辺の流れがどうなるかは読んでのお楽しみ。もちろんここではあまり詳しくは書かない。
 かたや一方、ある案件についての説明がちょっと不足してんじゃないの? と思わせるところも見受けられ、その辺は息子が筆の勢いのノリのなかで、ついうっかりしちゃったんかいな? という感じもするが、まあ、読み手側の解釈で補える範疇かな。

 いずれにしろ、10年ぶりの息子版「競馬シリーズ」の新訳、ありがとうございました。
 とりあえずあと2冊は続いての翻訳が内定してるみたいだけど、できるなら未訳分全冊の邦訳を、ぜひともお願いいたします。

No.2232 7点 過去ある女 プレイバック - レイモンド・チャンドラー 2025/07/05 08:58
(ネタバレなし)
 カナダの国境に近い、ヴァンクーヴァーの港町。列車の中でハンサムなジゴロの青年ラリー・ミッチェルは、20台半ばの金髪の美女に出会う。彼女ベティ・メイフィールドのちょっとした窮地を機転で救ったミッチェルは、彼女をヴァンクーヴァーのホテルに案内。そこではミッチェルの顔なじみの男女がたむろし、現れたベティに関心を向けた。だがそのホテルで、やがて一人の人物が死亡する。

 マーロウものの最後の完成長編『プレイバック』(58年)の原型になったオリジナルストーリーの映画シナリオは、第一稿が1947年から書かれ、その後、推敲して練度を高めた第二稿が1948年に完成した。結局、当該の映画は作られなかった(なぜか)が、埋もれていた第二稿シナリオは本国で1985年にチャンドラー作品の研究家によって発掘され、陽の目を見た。そのシナリオ第二稿の翻訳が本書である。評者は今回、何十年前か前に買っておいたサンケイ文庫版の方で初めて読んだ。

 マーロウが出る方の小説『プレイバック』は大昔に高校生の頃に読んだきりで、細部のいくつかの印象的なシーン、セリフを覚えているものの、一方で今では、話の流れも事件の構造もまったく忘れてしまっている。
 それで久々に再読しようと思ったが、どうせなら原型のこちらの方から先に読もうと思い、数年前から文庫を書庫から出しておいたが、思いついて今夜ようやく読んだ。
(というわけで現段階では、小説『プレイバック』との比較はまったくできない。そのうち? 『プレイバック』を読み返したときに、本書(『過去ある女』)の内容をその時点で忘れていなければ、そちらからの視座での比較は可能であろう。)

 で、ほぼ完全に素の状態で物語の流れや登場人物の配置、事件の結構、セリフやト書きを楽しんだ本シナリオだが、作者が映画メディアを意識したビジュアルイメージで用意したのであろうシーンが随所にあり、その意味でもなかなか興味深い。
 商業映画でどういうサービスを観客に向けてすべきか、チャンドラーなりの心構えがところどころに覗くようで、良い意味での商品性を感じさせるプロの映画シナリオといった印象である。

 とはいえ実のところ、メインヒロインで広義の主人公であるベティ・メイフィールドを軸にした複数の男性キャラたちの配置は、部分的に「え!? そっちの方向に行くの?」と思わされた面もあり、今度はそういった意味で、チャンドラーが映画メディアでのエンターテインメントをどのように捉えていたか、が、何となく見えてくるような趣もある。その意味でもまた興味深い。
(ちなみにこっちが思いついた感慨のいくつかは、サンケイ文庫版の巻末に収録されたR・B・パーカーの解説で、同人が似たような主旨のことを語っていて、ニヤリとした。まあ、そうだろうね?)

 特にチャンドラーの名前を意識しなくてもフラットに相応に面白い筋立てで、良い意味でのメロドラマ&ノワールもの(……かな? だな……)でもあったが、一方でト書きの随所やセリフ回しなどに、とにもかくにも少年時代からチャンドラー作品につきあってきた受け手として、なんか引っかかるものも少なくない。その意味でも、やはり重層的な愉しさがあるシナリオである。
 うん、あとは前述のように小説版『プレイバック』との読み比べまで済ませれば、本書(本シナリオ)の賞味は一応フルコースだな(読み込みの浅い深いは、とりあえず置いておいて・笑&汗)。

『ブルー・ダリア』もそうだったけれど、なじんできた作家のシナリオを読む作業はなかなか楽しい。
 チャンドラーが脚色したシナリオ『深夜の告白』の翻訳は持ってるからそっちもいつか読んでみたいが、あとはシナリオ版『見知らぬ乗客』の翻訳とか出ないかね(どっかのシナリオ専門誌とかにすでに翻訳されているのかもしれないが)。
 映画版『見知らぬ』の映画オリジナルのクライマックスの場面とか今でもよく覚えてるけど、改めて脚本で読んでみたら、もしかすると望外に楽しめるかもしれない。

No.2231 9点 ささやく街- ジャドスン・フィリップス 2025/07/02 07:50
(ネタバレなし)
 1960年前後のある年の10月。アメリカのどこかの地方都市「ロック・シティ」。その夜、かつてさる失敗から法曹界を追われ、社会的な立場も減退した64歳の元判事セイヤー・ウッドリングは、いつものように馴染みの店で自分を憐れみながら酔いどれていた。そんな彼による酔っ払い運転は、公道で接近した別の自動車の大事故の遠因となる。事故車には4人の男女の若者が乗っていたが、セイヤーは自分の酒酔い運転の責任を問われるのを恐れて現場を去り、結果4人の高校生の男女のうち3人が死亡した。だがその事故車の乗員が男女4名・計2組のカップルだったことから、事故の責任の所在を問う追及の矛先は、彼ら若者たちの恩師である20代末の女性教師アナベル・ウィンターズに向けられた。攻撃の論拠は、生物教師であるアナベルが授業で頻繁に性教育を行ない、それがひいては夜間の暴走を含めた若者たちの非行に繋がったというものだった。さる事情からアナベルに逆恨み的な遺恨があるセイヤーは、彼女を糾弾する世論の尻馬に乗り、己の咎をうやむやにしようとする。だがこの案件でロック・シティ全体が揺れるなか、ある夜、予期せぬ殺人事件が生じた。

 1960年のアメリカ作品。
 20世紀アメリカミステリ界の巨匠の一人で、数多くのシリーズキャラクターの産みの親ながらなぜか日本では定まった評価がなかなか得られないヒュー・ペンティコースト。そのペンティコーストが本名であるジャドスン・フィリップスの筆名の方で書いた7番目の長編(共作含む)。
 
 1960年代のフリーセックス時代の前兆といえる時勢の社会問題を主題にした、ある種の風俗ミステリの趣がある作品。本サイトのジャンル分類でいうなら、国産ミステリの「社会派」に相応する内容である。

 ポケミスで本文180ページちょっととやや短めの長編だが、ネームドキャラだけでも登場人物は70人前後に及び、しかしてキャラクター描写の交通整理が実に達者でリーダビリティの高さは申し分ない。

 序盤から登場するメインキャラのひとりである老人セイヤー・ウッドリングは、かつて、今で言う「やらかし」の結果、人生をしくじったろくでなしだが、一方で無器用に生きてきた半生の一端も語られ、単純に悪役ともいえないキャラクターになっている(「半悪役」くらいなら認定してもいいかも)。
 そんなキャラクターの造形が巧みで、セイヤーが人間的な弱さに負けて、咄嗟に対応していたらもしかしたら何人か若者を救えたかもしれない事故現場から逃げ出してしまうあたりのしょーもなさ、切なさ、痛々さが説得力のある筆致で語られる。そしてそこから、さらに話がとんでもない方向に転がっていき、地方都市ロック・シティ丸ごとが、21世紀現在のネット世界の「炎上」を思わせるような騒乱になるのが、本作の前半の読みどころである。
 そしてそういった小説の勢いでぐいぐい読ませる一方、途中で予期せぬ殺人事件が発生し、これまでの叙述を踏まえながらミステリとしての骨格が浮かんでくるのが、中盤~後半の本作の醍醐味。

 前述のように紙幅的には短めの一冊だが、確かな筆力に支えられた群像劇、そしてかなり端正な結構のミステリとしての歯応えは十分で、非常に面白い。そこまで期待して読み始めた訳ではないので、正に拾い物の一冊であった。
 邦訳されたペンティコーストの長編はまだ少し読み残しはあるが、自分が読んだ中では間違いなく本作がベスト。

 あえてケチをつけるなら、ポケミスの巻頭の登場人物一覧は、前述のように総勢・約70名のネームドキャラの中から主要と思える24人を選抜して並べてあるが、そのチョイス自体が一種のネタバレ……かもしれないこと。あまり詳しくは言えないが、できるなら巻頭の登場人物一覧はあえて見ないまま、自分なりの登場人物メモを作りながら読み進むことをオススメする。

 それにしても改めて、ペンティコーストって底が見えない作家だとつくづく思い知った。長編・短編集ふくめて未訳がまだまだ何十冊もあるわけで、きっとそれなりの秀作がまだまだ日本に紹介されず眠ってるんだろうね。どなたか発掘してくれる翻訳家や編集者はいないものか。

No.2230 6点 殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス- 五条紀夫 2025/06/30 05:04
(ネタバレなし)
 太宰治の名作『走れメロス』の大筋と本文の一部を借款しながら謎解き要素を導入して、全5話の連作ミステリ集にしたパロディ作品。
 作者は舞台となった古代ギリシアの史実も探求したようで、ちゃんとその時代にいたはずの意外な歴史上の人物も登場する(一方で、メタギャグ的なキャラクターも用意されている)。

 原典の『走れメロス』(大昔に読んだ)を青空文庫で確認すると、1万字強、400字詰め原稿用紙にして、改行・余白込みで26~30枚と短い短編だと改めてわかる。そのため原典ではメロスが自分とセリヌンティウスの命をかけて結婚式を祝いに行く妹の固有名詞などはネーミングされていないが、パロディの本作では「(妹だから)イモートス」と命名。さらにとある事件の目撃者は「ミタンデス」(ガトランティスの監視役ミルかい)、ある事件の被害者は「キラレテシス」……などなど、総じて愉快なネーミングで登場する。この趣向だけで笑える。

 各編のトリックやミステリ的な創意は、現代ミステリとしてはまあ、中の中~上といったレベル。たぶん作者が一番の自信作でヤマ場にもってきたらしいアイデア(トリック)は、惜しいかな評者がこの10年の間に読んだ作品のなかに先例めいたものがある。
 むしろ個人的には、第3話のバカバカしいアイデアが最もオモシロかった。もしかしたら作者の一番の自信ネタは、こっちかも?
 
 著者の作品を読むのは、デビュー作に次いでまだ二冊目だけど、書き手本人が楽しみながらミステリを組み立てているような気配があり、その辺がよろしい(いや実際には、余人にはわからぬ苦労のほどが、きっと色々あるんだろうけど)。
 未読の作品もおいおい手に取っていこう。

No.2229 8点 麻倉玲一は信頼できない語り手- 太田忠司 2025/06/28 08:26
(ネタバレなし)
 36歳の独身フリーライターだが、いまだまとまった実績もなく、実業家の父とも距離のある青年・熊沢克也は、さる企画を受けて外洋の島に渡る。そこは28年前に死刑が廃止されたこの日本で、刑期の短縮は絶対にありえない終身懲役囚が収監されている島だった。克也はその島で「最後の死刑囚」麻倉玲一への取材を始める。

 先日のミステリ初心者さんのレビューが目にとまり(その時点では、ネタバレあり、ということで評の中身は拝見していませんが)インパクトのある題名から関心が湧いてネットで作品の情報を探ると、なかなか面白そうである。で、ネット経由で古書を安く入手。さっき思いついて読み始め、2~3時間で読了した。

 太田先生の作品はほとんど縁がなく、2014年のノンシリーズ長編『死の天使はドミノを倒す』を刊行の少し後くらいに読んだきりだと思う。ちょうどその頃からまたミステリを積極的に読み始めたが、同作の大ネタはいまだに覚えており、結構面白かった。だがシリーズものが多いため、どうにも気構えがついていかず、本作までほとんど手付かずであった。

 で、本作だが近未来SF(あるいは現実と若干の相違の並行世界もの)の設定をもとに、トリッキィなストーリーが展開。
 最後まで読み終えて「ああ、これは(中略)だな」と、作品の範疇ジャンルを認定したくなるが、その一言を言うとネタバレにまではならないにせよ、ある種の予断を未読の人に与えてしまいそうなのでソレは控える。

 ただ、作品の中身は、かなり面白かった。
 実は「(中略)」という作品の形質は前例のないものではないが、その先にあるホワイダニットというか作中人物の動機の真相に感心。
 終盤は残りページがどんどん少なくなる中で、ぎりぎりまで底を割らないお話の組み立てにも感銘。最後のクロージングの余韻もいい。

 現時点の大雑把な感覚で言うなら、次にどういうものが来るかわからないと思いながらも、毎回の新刊をリアルタイムでワクワクしながら手に取っていた1980年代前半の泡坂の長編、あの辺みたいな感じ。
(具体的にミステリのギミックとして、既存の泡坂作品と類似性があるとか、そーゆー意味ではまったくない。その時期の泡坂の各作品の、次々と異なるオモチャ箱を開けるようなドキドキの楽しさを、本作は読み終わったあとに想起させてくれたという、非常に観念的な話である。)

 このレベルの作品がまだまだゴロゴロしてるなら、太田作品、ほとんどこちらの視野になかった鉱脈ということになりそう。
 また評判の良さそうな作品を、近くそのうち読んでみよう。

No.2228 7点 名探偵たちがさよならを告げても - 藤つかさ 2025/06/28 02:07
(ネタバレなし)
 建築業界の大物で「怪物」と呼ばれた現在90歳の資産家・三条友道が設立し、今は車椅子生活の彼が現役で理事長を務める私立「比企学園」。20歳代半ばの青年・辻玲人は、少し前に重病で逝去した恩師・久宝寺肇の遺志を受ける形で、同校の国語教師兼司書の職に就いた。兼業作家でもあった久宝寺は、しばらく休止していた人気ミステリ「左近瑞穂」シリーズの再開を企図していた節があり、担当の編集者・煙ケ谷武司はその遺された創作メモの発掘を求めていた。だがそんななか、校内でとある人物が変死する。

 結論から言うと、かなり面白かった。
 後半~終盤にかけての幹となるサプライズは、こちらが油断していた部分をつかれた感じだが(だからしっかり注意している人なら気に留めるかもしれない)、反転の仕掛けとしては十分に効果を上げている。

 ロジックが屁理屈めいている部分はやや弱点だが、主要人物がとったとある行動についての意外性は、海外古典の名作短編ミステリの驚きを思わせる、非常に人間の心の機微に通じたもので、ココが個人的に本作の一番のお気に入りポイント。

 読後にAmazonのレビューを初めて覗くと、現状、おおむね好評ななかでひとりだけクソミソな方がおり(完全にネタバレしてるので、今の段階で本作を未読な人は見ないように)、その意見そのものには60~70%くらい、まあ成程なあ……という感じ。そういう情報は確かにどっかで聞こえて……いや、ギリギリなのか?

 いずれにしろ、脇の甘いところはあるかもしれないが、個人的には十分に楽しめた。
 メルカトルさんのレビューを読んで興味が湧いて、初読みの作家だが、ほかの作品も少しずつ手にとってみたい。

No.2227 8点 月蝕島の信者たち- 渡辺優 2025/06/20 06:46
(ネタバレなし)
 怒涛のごとき展開に、ミステリを読む原初的な楽しみを改めて実感。読んでる間はすごく面白かった。
(しかしこの設定とこの筋立ての作品で「探偵不在」を売りにするのは、この上なく無意味な気がする。)

 先が読める部分も多いが、サプライズの波状攻撃も存分に堪能。なにより書き手が楽しんで物語(ミステリ)を作ってる気分が伝わってくるのが、とてもよろしい。
 で、動機のぶっとび具合はホメるべきなんだろうが、ここまで行くともっとクレイジーな前例を想起してしまい、ソノ辺に比べれば存外にマトモかもしれない、と思ったり!?
(虫暮部さんの「犯人はああいう行為の継続を(今後も)望むのではないだろうか。」というご指摘には、なるほどね、と思わされました。さすが。)

 良い意味でコテコテの謎解きサスペンス。
 これをイッキ読みして、心地よいひと晩であった。

No.2226 5点 うしろにご用心!- ドナルド・E・ウェストレイク 2025/06/19 05:13
(ネタバレなし)
 プロの犯罪者ジョン・ドートマンダーは、馴染みの故買屋アーニー・オルブライトからの情報を得て、ニューヨーク在住の大富豪で女好きの57歳の投資家ブレストン・フェアウェザーの住居から高価な多数の美術品を奪う計画を練り、仲間と準備を進めようとしていた。だがドートマンダー一家がいつもアジトに使っている「OJバー」でトラブルが生じ、彼らはその事態への対応を強いられる。一方、マイアミに観光旅行に赴いていたフェアウェザーは思わぬトラブルに。

 2005年のアメリカ作品。ドートマンダーものの長編・第12弾(全14長編。あと未訳4本)。
 シリーズの翻訳は2009年に訳出された短編集以来、16年ぶりだそうで本当なら大喜びしなきゃならんのだが、なんせ評者はまだ未読の既訳の長編が5冊もあるので(さらに前述の短編集も手付かずだ)、正直あまり飢餓感も生じていなかった。
 数年前に何十年ぶりに読んだシリーズ作品『天から降ってきた泥棒』は結構面白かったけど、気が付いたらそれから5年間、本書まで未読のドートマンダーものを一冊も消化してなかったし(汗)。

 で、とにもかくにも本作だけど、3つの流れの話(そのうち2つにドートマンダーたちが直接からむ)が同時進行で少しずつ進行し、最終的にそれらのストーリーの脈流がどうなるか、は、もちろんここでは言わない。
 ただし登場人物がネームドキャラだけで60人ちょっとで全500ページ以上。細部に愉快なシーンや緊張感を誘う場面はソコソコあるのだが、全体的にストーリーがそれそれ弛緩してる感触が強く、今回はどうもイマイチのれない。
 遠い昔の記憶のなかのシリーズ初期三部作はどれも面白かったが、今回はなあ……う~ん、というのが正直なところ(汗)。
 ひとことで言うなら、後期のマクベイン辺りにも通じるが、スティーヴン・キングやクーンツあたりの大部作品を意識しすぎて、紙幅が(本作の場合、それこそムダに)ありすぎて冗長。
 
 久々のシリーズ未訳作の発掘を喜び、残りの作品の翻訳もぜひとも応援したいのは紛れもないホンネだけど、すみません、一方で本作は、読んだドートマンダーシリーズのなかでは、正直、一番つまらなかった(大汗)。

 それでも終盤、ようやくマイアミ編の方で、メインキャラの一角ブレストンのドケチぶりギャグを含めて、いくらかギアが入った感じはあり、そっからはクライマックスまでそこそこ楽しめた。ヤマ場のまとめかたもああ、こういう流れね、と納得。良くも悪くも王道、悪い方で言えばいささか古い感じもしないでもないけれど、一方でこーゆークロージングがまったくなくなってしまった21世紀の新作ミステリ界はそれはそれで寂しいか、とか思ってみたり。

 しかし12作目の長編だというのに、警察ってドートマンダー一家をまったくマークしていないのね? その辺はこっちが未読のシリーズ作品のなかで、何らかのイクスキューズなどがあるのだろうか? その辺りは、しつこいようで結局はお約束のポジションを保つおなじみのレギュラー警官キャラを配置している泥棒バーニィシリーズ(ブロックの)の方が、ずっとうまい気がする。

 残念ながら今回はちょっと個人的にはハズレっぽいけど、既訳シリーズをしっかり消化しているファンが読めば、もっと楽しめるかもしれない? できましたら読んで応援してやってください。シリーズの翻訳完走そのものは、もろ手を挙げて賛成なので。

 最後に、初期編では基本的にトラブルメイカー(というかお笑いボケキャラ)のはずのケルプが、今回は意外に有能なのに驚いた。パソコンに強いという新時代にあった設定も追加されてるし。長期シリーズのうちに、キャラの成分が多少変わったのかしらん。

No.2225 6点 私の殺した男- 高木彬光 2025/06/18 23:13
(ネタバレなし)
 たぶん角川文庫オリジナル(山前譲さんの編集・選出)の短編集じゃないかと思うが。下の書誌データも、巻末の山前氏の解説が出典。

①「私の殺した男」(「宝石」1957年2月号)
②「謎の下宿人」(「探偵倶楽部」1954年2月増刊号)
③「大食の罪」(初出不明 1960~61年ごろ)
④「青チンさん」(「読切雑誌」1957年4月増刊号)
⑤「ある轢死」(「サンデー毎日」1960年12月25日号)
⑥「はったり人生」(「読切傑作集」1956年5月号)
⑦「月は七色」(「講談倶楽部」1951年11月号)
⑧「赤い蝙蝠」(「探偵実話」1951年11月号)

……の8編を収録。
④は、神津恭介のワトスン役・松下研三のみが登場する『刺青殺人事件』の後日譚設定の話。
 ほかは全部ノンシリーズで、特にレギュラー探偵たちとの接点もないと思う。

 以下、簡単に各編のメモ&感想。

①東京郊外で白骨死体が発見され、その死体は過日の大型詐欺事件の容疑者の者と思われるが?
 ……ちょっとトリッキィな短編で、トリックは当時ならではこそ成立した、という種類のものだが、まあまあ。

②夫の商事会社が経営不振な妻は、自宅に下宿人を置いて副業として収入を得ようとする。だがその下宿人には不審な点が?
 ……途中で急にショッキングな展開になり、起伏感の高い一編。ミステリ的には①と同質の弱点を備えるが、こちらもそれなりに楽しめた。

③元来の大食漢ながら、健康上の理由から粗食に耐える実業家。そんな彼の前で同居を許した親戚の青年はマイペースな食事を。
 ……メインのアイデアはのちに、別の高木作品に流用。というかこの時点でそのアイデアをこういう使い方をしていたのかと軽く驚いた。佳作。

④『刺青殺人事件』を経て、刺青という分野に学究的な興味を抱いた松下研三。そんな彼の知り合いは少年時代から刺青に傾倒し、ついに自分のチ〇ポコにまで彫り物を入れた和田金吾青年だった。その和田青年は、男性のシンボルを誇示し合う会員制サークル「チンチンクラブ」の代表でもあった。
 ……確かに『刺青殺人事件』の後日譚ながら、名探偵・神津の出る幕もないちょっと猟奇的な艶笑譚。のちの小林信彦のドタバタ作品(唐獅子シリーズとか)に通じる興趣もある。なお松下研三が奧さんと結婚しているので『死を開く扉』の前後の時期の話かな。ところで奥さんの名前は「滋子(しげこ)」でいいんだっけ?
 最後に、本作は別題「青チン倶楽部」だそうで(笑)。

⑤轢死された被害者と轢いた加害者の間には、何か関係があった?
 ……①②に通じる、日本版ヒッチコックマガジンか70年代前半のミステリマガジンに載りそうな、どこか妙にミステリとしてのギリギリ感を感じさせる作品。佳作。

⑥大口を叩く男に夫婦はかねてから振り回されるが、今回の話は少し違っていた?
 ……本書のなかでは一番、普通小説に近い話。ただし一冊の短編集のなかでは、良いアクセント的な一編にもなっている。

⑦画家のわたしは、心のなかに秘めた殺人衝動が伏在し、それが発露しかけると月が七色に変幻して見える。
 ……サイコサスペンス的な趣で始まり、途中からとあるキーパーソンの登場を経て、別の方向のミステリへと話が転がっていく。佳作。

⑧酔っ払い、死にかけた青年は自殺志願者だった? 当人の事情を聴いた刑事は、職務を超えた温情で彼を自宅の同居人とするが。
 ……昭和のB級白黒青春犯罪映画を観るような趣で、映像的・ビジュアル的な名場面を散りばめながら、転がっていく話の勢いに惹かれる。作者が、これはこれでノって書いたのであろうことが感じられる佳作。最後の幕切れにしんみりとした余韻。

 全8編、トータルしてどれもそれなり~なかなか面白い。突出したものはないが、作者の筆の広がりを感じさせる一冊だった。

No.2224 7点 幽霊の死- マージェリー・アリンガム 2025/06/15 08:47
(ネタバレなし)
 1930年。英国のリトル・ヴェニス。異才の画家として業績を遺した故人ジョン・セバスティアン・ラフカディオ(1845~1912年)を偲ぶレセプション(展示会)が、現在70歳の未亡人で亡き夫の資産を管理するベル主催で開かれた。ラフカディオは死後10年経ったら一年に一枚ずつ公開する(市場に出す)ようにと指示して複数の絵画を腹心の代理人サマンに預けていたが、そのサマンもラフカディオ没後の数年後に死亡。いまはその業務はサマンの弟子筋の美術評論家で、サマンの画廊を継承した40歳のマックス・ファスティアンが引き継いでいた。ベルの邸宅の周辺には、かつて若い頃にラフカディオの常連モデルだった今は老女たちや彼が後見していた後続世代の芸術家、美術分野での技術を教えた使用人などが集い住んでおり、レセプションに招かれた私立探偵アルバート・キャムピオンは彼らとも対面する。だがそんななかで、予期せぬ殺人事件が。

 1934年の英国作品。脇役ポジションをふくめて、アルバート・キャンピオン(本書はキャムピオン表記)登場の第6長編。

 タイトルの意味がよくわからないと空さんのレビューにあるが、なるほどよくわからない。最後まで読んで牽強付会に解釈するなら、故人ラフカディオの(中略)ということか?
 
 なお初期のポケミスは裏表紙にあらすじを載せず、作家の紹介や作品の書誌的な立ち位置を書いて終わることが多い。
 で、本書もそのパターン。しかしどういう話で設定か、事前に簡単に知っておきたいとは思ったので、HMM2013年11月号の「ポケミス60周年記念特大号」を引き寄せ、(この号用に、あるいは以前の同系列の特集の際に)新規に書き下ろされた本作のあらすじを読むと

「リトル・ヴェニスの邸では、世にも奇怪な殺人事件のおきる前日、有名な画家ラフカディオの未亡人ベルと名探偵アルバート・キャンピオンは、亡きラフカディオの奇妙な遺書を読んでいた。遺書には12枚の画を封印しておくから、自分の死後11年めから、毎年1枚ずつ指定通り発表しろと書いてある。そしてその展示会の夜に、ヴィクトリア女王に似た老婦人が来たら、それは変装した私の幽霊だと思え、というのだ! デリケートな描写と円熟した筆致で英探偵小説界の三女傑の一人と目されるアリンガムの代表作。」
 ……とある。

 だが実は、本文を全部読んでも、どこにもそんな
<そしてその展示会の夜に、ヴィクトリア女王に似た老婦人が来たら、それは変装した私の幽霊だと思え、というのだ!>
 ……などという展開など、ありゃしない!(笑・怒)

 どうせHMM編集部が外注のライターかどっかの大学のミステリ研とかのバイトに書かせたあらすじなんだろうが、どこぞのキチ〇イの妄想を文盲ハ〇チの編集部がそのままノーチェックで載せたか、あるいはあまりの安い原稿料に怒ったライターが「どうせ今のHMM編集部じゃ、デタラメ書いてもわからないだろ(笑)」とバカにして大ウソを書き、ミステリにも自社の出版物に対しても愛情も素養もない編集部がまんまとその悪計通りに騙されたか、そのどっちかであろう!? 見よ! この世の地獄がここにある!!

 いや21世紀のミステリマガジンって、2002年にセイヤーズ(&ユースタス)の『箱の中の書類』がポケミスで出た際<今まで創元推理文庫で出ていたセイヤーズがポケミスで出るのは初めて>という主旨の書評をそのまま載せてしまうくらい、本・当・に・ダメだから(涙)。これでもしHMM編集部が、いまもまだその当該のライターに仕事を回していたら爆笑ものだな。

 つーわけで、アホな別途の記述でぶち切れそうになったが、作品の中身そのものは期待以上に面白い。
 解説で乱歩は美術界の内幕ものとして楽しめる、トリックもある、という主旨の本作の魅力を書いているが、殺人トリックはともかく確かに業界ものミステリとしてはよく出来ているし(斯界の関係者の描写をしながら、各美術分野の情報を読者に呈していく叙述が鮮やか)、伏在していて終盤に明かされるとある悪事の方にもちょっと唸らされた。
 ただしまともなフーダニットパズラーというよりは、ひと時代早い英国の先輩作家たちのある種のスリラー的な興趣に繋がっていき、その上でソコがかなり盛り上げてある。アリンガムという作家の資質や軌跡を考えるなら、その作風のグラデーション的な推移のなかで、こういう作品が出てきても至極当然ではあろう、といった感じの内容だ。もちろん詳しい具体的なことはナイショだが。
 第二の殺人の経緯(というか細部)がやや説明不足な気もするが、まあ円盤獣もしくはベガ獣ギリギリ。 

 いずれにしろこれまで読んだアリンガムの作品のなかでは、実のところ筆頭クラスに楽しめた。アリンガムの著作は、本サイトに来てから読んだものが大半だが、再確認してもたぶんこれがイチバン面白かった。個人的にはアリンガムって、当たりはずれのメチャクチャ大きい作家だけどね。

No.2223 7点 四つの終止符- 西村京太郎 2025/06/12 05:52
(ネタバレなし)
 昭和中期の江東区。量産玩具製造会社「北見玩具工場」に勤務する、耳が不自由な19歳の青年・佐々木晋一。彼は2年前から寝たきりの40歳代の母・辰子とともに、貧乏長屋「ハーモニカ長屋」に暮らしていた。工場の側にあるバー「菊」の二人の住み込み女給のうちの片方で20歳の石母田幸子は、さる事情から店の客である晋一に親身だ。バーの女将の坂井キクやもう一人の女給で三十女の松浦時枝は、幸子が晋一に気があるのかと勘繰るが幸子はそれを否定した。やがて彼らの周囲で一人の人物が急死し、警察はその死が他殺らしいとの見方を固めた。

 600冊以上(wikiの現行の記述によると単行本カウントで647冊)の作品を上梓した、国産ミステリ界の巨星・西村京太郎御大の記念すべき第1冊目の著作(1964年作品)。このあと次作『天使の傷痕』(1965年)が乱歩賞を受賞し、出世作となる。

 評者は大昔に古書店で、1973年刊行のサンポウ・ブックス版(出版社「産報」の新書サイズの叢書。現在Amazonにデータ登録なし)の本作を250円で入手。中に徳間の「赤川次郎読本」のチラシが挟まっていたから、1983年以降の入手だろう。
 その時点ですでに『天使の傷痕』は読んでおり、同作のラストの余韻に惹かれていたから、同じ西村初期作品であるこっち『四つの終止符』もそのまま購入後に読めばよさそうなものだが、何しろそのサンポウ・ブックスの裏表紙に書かれたあらすじがかなりヘビーで(今回、評者がまとめたあらすじとは全く別物。サンポウ版のあらすじは、かなり後々の展開まで書いてある・汗)なんとなく敷居の高さを感じてしまい、気が付いたら、今になるまで読まないでいたのだった。

 で、本サイトでも、評者が本作を読むその前までの時点で『天使の傷痕』はレビュー数が9、こっちは2、とかなりの差がある。
 いや乱歩賞受賞作で『天使』の方にアドバンテージがあるのは当然だが、ここまでの書評数の違いが出たのには、やはりもしかして、あまりにシンドそうな真面目な社会派テーマの本作が敬遠されてるのか? と勝手に思ったり(まあ実際のところは知らんけど)。

 いずれにしろ今回、数年前に水上勉の『海の牙』を、作品の存在を知ってからウン十年目に初めて読んだ時のような<この作品にはケイチョウフハクな態度で接してはいかん>的な気構えでページをめくり始めた。いささか大げさだが、まあそんな気分もほぼリアル(本音)。

 で、作品全体を読み終えて、いまだなぜ、作者がここまで真摯な主題の作品を書いたのかは、あとがきの作者の言葉以上には知らない。
 だけど、さすがに作者を見る目は相応に変わった。イヤミや皮肉でなく、真面目な人(作者・の作品)の前では頭を垂れるタイプの読者だから、自分は。

 ミステリとしても適度にトリッキィで面白く(素朴な複数のミスリードの向こうに潜む、やはり武骨な反転の構図がかなり心地よい)、さらに小説そのものが醤油と味噌で味付けした和製ウールリッチみたいなペーソス感でしみじみと情感に染みて来る。ラストのクロージングも、若い頃の作者のセンスというか筆の冴えを感じる(中盤のサブキャラ、室井弁護士センセイの熱弁の真剣さもイイネ)。

>この哀しさは沁みる。 義憤を湛え、ほの暗く静かな空気感で進む、美しい物語。

 まったくもって同感です。斎藤警部さん。

 そんななか、ちょっと雑……とまでは言わんが、ノリで済ませちゃったのかなと思うのは、二人目の主要人物の死亡の状況の描写とか。普通ありえないでしょう? いくら昭和とはいえアレは? 
 まあ細部ではいくつか気になる綻びも目につくものの、全体の熱さと種々のパートの得点ぶりでは十分に、西村初期作品のなかでも佳作の上~秀作の中にはカウントできる出来ではある。

 やっぱ、初期の西村作品はいい。最終的にはトータルとして、一冊単位で読んでよかったという充足感がほぼ必ずどっかにある。 
 今回はこの作品のおかげで、もう少し、人間として悧巧になれればいいな、と本気で思った。

No.2222 5点 ばけてろ 成仏って、したほうがいいですよね?- 十文字青 2025/06/11 11:27
(ネタバレなし)
 巨乳美少女高校生の天然娘・島原千代子は、友人で唯我独尊な性格の巨乳美少女・兎我野(とがの)メルカとともに、母校の大本山高校から徒歩20分の古い大屋敷を訪ねる。屋敷には女子たちと同年代ながら高校に行かない少年・刑天文院景敦(けいてんもんいん かげあつ)だけが、黒猫の「オヤジ」と住んでいた。母校の怪異「首吊り少年の幽霊」に遭遇した千代子は、優れた霊能者と評判の高い景敦に対処を願うが。

 ホラー風味のオカルトコメディ(2~3割ほどシリアス)のラノベ。霊感能力は乏しいくせにオカルトにはマニアックなほどに興味があるツンデレ美少女メルカが、景敦からいやらしい施術を受けると霊感が高まるというお約束の趣向(というか文芸設定)で、話も紙幅の割にさほど広がらない。
 大きなエピソードが2つ、小さなエピソードが1つあり、あとの方でもうひとり変化球のエロいヒロインが出てきて、本当によくある内容のネタだけで一冊もたせた、という気もする。
(アクションホラーとしては特記することはなく、後半は実質、男子の隠し持っていたアダルトソフト発見、きゃー何これ、ネタだし。)
 ただし主人公3人はそれなりに(ラノベキャラとして)魅力があり(景敦との距離感に繊細に気を使うメルカが可愛い)、景敦が背負うつもりになっている、彼自身の宿命についての覚悟も地味に重い。

 本サイトで扱わなくてもいいんじゃないの? と我ながら思うが、一応はローファンタジー(現実と地続き)的なホラー作品だし。それにあとがきで作者も「年齢、性別、国籍問わず、いろいろな方に楽しんでいただきたい」と書いてるし(笑)。
(まあ作者の読者想定内に、シャーリィ・ジャクスンの『山荘綺談』連載終了直後からミステリマガジンをリアルタイムで読んでいたジジイが含まれているかは疑問だが……。) 

 2009年の旧作で、数年前に購入した古書を本の山のなかから見つけて読了。後半でメインヒロインのひとりが半裸にされるが、この時期のラノベでは珍しく? 下着の呼称にパンツでなくパンティという言葉を使ってるのに軽く驚いた。2010年代のラノベではほぼ絶滅してるよな? いや、さすがに広い視野で確認したわけではないが(汗)。

 ほかにヒットシリーズを何作か出してるらしい作者だが、評者はこれが初読み(テレビアニメ版の『灰と幻想のグリムガル』は観てた)。本シリーズは2冊で打ち止めになってあと一冊だけのようだがちょっと残念なような、まあ仕方ないような。2冊目は古書を安く買えたら購読するであろう。

No.2221 7点 明日の雨は。- 伊岡瞬 2025/06/08 16:40
(ネタバレなし)
 あらすじ(というか大設定)は、猫サーカスさんのご紹介の通り。
 改題された角川文庫版(表紙が教室内の図柄の、明るめの方)をブックオフで購入後、しばらくこれを長編作品かと誤認していた。蔵書のなかに未読の伊岡作品がまだあったな、と改めて手に取って、ここで初めて実は連作短編集だったと気づく。目次で全6話の構成と判明。

 中身の方は伊岡作品らしい、人間の陰の部分も弱い部分も見つめたヒューマンドラマミステリで、途中には、意外な真相が明かされたのち、ミステリというよりは普通の学園ドラマっぽい、と強く思えるような話もある。
 ほかの長編ミステリを読む合間に少しずつ消化し、最初の話を読んでから二週間くらい経っていると思う。それでも最後の二編は主人公の去就の面での決着が気になって早めにまとめて通読した。

 そのジャンルとしては少し主人公の年齢が高めの青春ミステリの趣もあり、伊岡作品としては全体的に手堅くまとめた印象。ベストは第4話の「家族写真」。キーパーソンの荻野先生の屈折した(中略)は、正に伊岡キャラの典型だと思える。

 ラストまで読み終えて主人公の森島との別れが少し名残惜しく、その辺はフランシスの各長編のうちシンクロ度が高い作品を読了する時の感慨に似ていた。ただ伊岡作品って、登場人物の運用がかなり自在で器用なので、なんかいつかどっかの伊岡ミステリで、この森島、ひょこっと重要なサブキャラポジションで再登場しそうな気もするが(もうすでに実際に再登場とかしていたら、すみませんが)。

 最後に、角川文庫版の解説があの北上次郎。へえ、こんな作品の解説も書くの、と軽く驚いたが、考えてみれば昭和作品でも佐野洋の諸作とかのマニア読者だし、21世紀に伊岡作品を読んでいても全然、不思議ではない。
 ちなみに解説でその北上が、昔から読んだ作品のことをどんどん忘れるという自分の弱点を白状しており、すでに何冊も伊岡作品を読んでレビューまで商業誌に書いておきながらその事実を忘れていた経緯を説明している。
 自分(評者)も読んできたミステリの冊数ばかりは多いため情報のオーバーフローで印象的なサプライズ(の作品)を数ヶ月もすれば忘れてしまうことなんかはザラだが、北上の述懐の実情(読んだ作品の忘却ぶり)はそれにしてもかなりヒドイものだった。
 以前に晩年の北上が21世紀に犬ミステリのオールタイムベスト10を選んでおきながら、当時あれほど激賞したアルベアト・バスケイス・フィゲロウアの『自由への逃亡』を一顧だにしていないのをかなり呆れたが、今回の解説を読むといろいろ腑に落ちるものがある(汗)。
 以上、伊岡作品とは直接関係のない余談でした。

No.2220 7点 戦車兵の栄光 マチルダ単騎行- コリン・フォーブス 2025/06/06 07:41
(ネタバレなし)
 1940年5月。第二次大戦前半のベルギーの戦場。英国軍海外派遣部隊に所属する34歳のバーンズ軍曹を指揮官とする4人の戦車兵は、歩兵戦車マークⅡマチルダで、前線斥候の任務に就いた。だが空襲を逃れて退避したトンネルが陥落。マチルダは懸命に閉所からの脱出を試みるが、その間に前線は移動。戦車はドイツ軍の占領下のなかに取り残されてしまう。バーンズと仲間たちは火力を満載した単騎のマチルダで、友軍との合流を目指し、長い険しい道中に就くが。

 1969年の英国作品。
 そして海外ミステリの旧作発掘に奮闘する現在の新潮文庫、その昨年暮れの目玉作品(書店での実売が遅かったらしいので、SRの会のベスト区分では2025年の新刊扱いになったが)。

 80~90年代に20冊以上? もの作品が邦訳された(ただし本サイトではまったく読まれていないが)、英国冒険小説新世代実力派の一角コリン・フォーブス、なんと31年ぶりの未訳の新刊の翻訳出版だそうである。
 ちなみにこれ以前は複数の別名義でシリーズものを5冊ほど書いていた作者が初めて「フォーブス」名義で著した作品が、本書だそうな。
 ここで評者も万歳三唱したいが、なにせフォーブス作品はまだ『アバランチ・エクスプレス』しか読んでないので<ああ、懐かしの作家の作品に久々に会えた!>的な感慨はそれほど伴わない。
(それでも客観的な事実として、未訳の面白い旧作が関係者の目にとまって初紹介されること自体は実に結構なことだが。)

 内容は、欧州の戦場を舞台にした主人公たちの戦車のサバイバル・ランを描く直球の陸路ロードムービー風冒険小説で、矢継ぎ早に起こるイベントの連続でスイスイとページをめくらせる。翻訳は、本作同様の戦争冒険小説のほか、ロジャー・スカーレットやJ・D・カーまで手掛けている守備範囲の広い中堅~ベテランの村上和久。第二次大戦の史実分野にも詳しいみたいでその辺りの臨場感やデティルは、シロートのこちらが読む限り、特に違和感なくスムーズな感触であった。

 ちなみにAmazonの紹介文では
「大自然との闘い、敵軍との遭遇。襲い掛かる試練をはねのけ、戦車はたった一輛で英仏海峡を目指す。」
 なんてあるけど、少なくとも大自然との闘い云々は、実はほとんど関係ない(湿地帯でピンチになるシークエンスはあるが)。イネスの諸作とかマクリーンの『北極戦線』とかの線を期待するとちょっと違う。
 
 それでもこなれの良いサービス精神ゆたかな作品で、序盤から終盤までおおむね物語のベクトルが透けて見える筋運びをグイグイ読ませる筆力はなかなか。
 ただ一方で、この手の作品にタマにあることだけど、よく出来た全体のバランスの安定感がかえってどこか何か食い足りなさを感じさせない気分もないではない。実を言うと、先に読んだ『アバランチ~』も正にそんな感じだ。英国冒険小説の主幹にどっか汗臭さや泥臭さを求める側からすると、いささか洗練され過ぎて小気味良すぎるというか。
 いや劇中の登場人物たちはまさに決死の逃避行なんだけどね。

 ここではあえて評点7点。実質は8点でもいいので、ほぼ一年後のSRの会のベスト投票ではその8点で評価(投票)すると思う。

No.2219 7点 人狩り- 大藪春彦 2025/06/05 05:08
(ネタバレなし)
 四谷二丁目に地味な事務所を構える、30歳前後の水野雅之。裏社会の一匹狼の彼は暴力団「三光組」の男・小野寺から、同組織と敵対する「大和興行」に潜入して内部工作を起こすよう依頼を受けた。水野は大和興行が経営するキャバレー「ベビー・ドール」に乗り込み、荒事師としての腕前を披露。自分を殺し屋「藤野昇」として、大和興行の代表・張本に雇用させる。

 巻末に池上冬樹の詳細な解説が掲載される、光文社文庫版で読了。

 双葉社の雑誌「実話特報」に1962年の3~8月にかけて連載された、大藪の初期長編。正確な書誌は再確認しなければ未詳だが、たぶん10作目前後の長編作品だろう。
 あらすじを見れば歴然とするように『血の収穫』、ウェストレイクの『殺しあい』風の組織壊滅内部工作もので、さらに主人公が完全に裏社会の人間な分、ノワール度も高い(その意味ではハメットよりもウェストレイク寄りだ)。
 池上の解説によるとこの時点ですでに、大藪には先行の同系列作品(組織内部工作もの)もあるらしいが、そっちは評者は未読。
 例によってブックオフの100円棚であらすじや解説に触れ、面白そうだとフリで買った大藪の初期作品。で、期待通りに楽しめた。
 
 小説は全編が三人称で綴られ、その大半が水野を主軸としたほぼ一視点で進行。水野の内面描写はあることはあるが、感情の機微に関する叙述はかなり抑制されているので腹が読めない。たとえば犯罪計画に巻き込まれた一般市民を水野がどう扱うのか(気絶させただけで済ますのか口封じのため冷徹に殺すのか)読者は即座に見極められない(どちらもありうる)ので絶えず小説には相応の緊張感が堅持される。
 わかりやすい意味で実に大藪ハードボイルドらしい。

 機転と謀略と裏切りと血臭と硝煙で全編が形作られた小説。そういうものを読もうと思ってページをめくったので、前述通りに十分に期待に応えてくれた作品である。
 
 池上の解説によると<ラストは唐突という声もあるが、私(池上)はこのラストに痺れた(大意)>ともあり、評者はそのどちらにも共感できる(笑)。
 正直、水野の狂気行を長々と書くのに飽きてきた作者が放り投げたんじゃないの、あるいは次の連載か書き下ろしの仕事に関心が移って、こっちはこんな感じで幕を下ろしたんじゃないの? という気もしないでもないが、とにかく出来たもの(ラスト部分)は、これはこれでまたソリッドな大藪ハードボイルドに仕上がっているとは思う。
(昭和三十年代のリアルタイムでこれを十代で読んだ当時の若い連中は、どう思ったんだろうな。)

 いずれにしろ、久々にたっぷりと大藪成分は補充。
 またそのうち、なんか読みたくなるだろう。
 肩の力が抜けた中期以降の作品もそれはそれで味があっていい。

No.2218 7点 弔いの鐘は暁に響く- ドロシー・ボワーズ 2025/06/03 07:53
(ネタバレなし)
 第二次大戦終結後、その年の前半。英国のレイヴンチャーチ地方にあるロンググリーティング村の周辺で、わずかふた月の間に首吊り、川への身投げ、銃弾での絶命……など4件で5人もの自殺者が続発した!? そんななか、村では事件に関する匿名の怪文書が飛び交い、やがて施錠された屋内で今度は明確な他殺による死体が発見される。スコットランドヤードのレイクス警部は、地元の警察と協力して捜査に当たるが。

 1947年の英国作品。ボワーズ最後の長編。

 探偵役がこれまでのレギュラーのダン・パードウ(パルドー)警部ではなく、30代後半のハンサム、レイクス警部に交代したのが軽く意外だった。
 とはいえマーシュのロデリック・アレン風の紳士捜査官風のレイクスはなかなか魅力的な探偵キャラで、正直パードウよりも印象がいい。たしかに作者が早逝しなければ、ボワーズの第二のシリーズ名探偵になったんだろうな。これは相応に惜しまれる。

 nukkamさんもご指摘だが、論創の巻頭の登場人物表には総勢18人しか名前が出ていないが、例によってネームドキャラのメモを作りながら読むと名前が出て来る人物だけで60人以上を数えた。
 あんまり翻訳ミステリの巻頭にズラリと登場人物の名前が並んでいると、それだけで妙な満腹感が生じ、読書欲・購読欲が減退するというのは評者自身よくわかるが(イネスの『ハムレット復讐せよ』とか、正にソレね)、あまり割愛しすぎても、実作の内容に沿っていない編集側の不見識を疑われるのではないか。
 今回の場合ざっと見ても、物語のリアルタイムでの開幕以前のくだんの「自殺者」連中をふくめて、あと15~20人は登場人物一覧には必要だろう。

 でもお話の方は、とても面白かった。
 評者の場合、前述のように私的に登場人物メモを作りながら読んだことが幸いしたかもしれんが、舞台となるロンググリーティング村の住人たちの情報が続々と積み重なりながら、物語がテンポよく進み、そろそろ……という辺りで中盤の殺人が起きる呼吸も心地よい。
(ただし論創のハードカバーの表紙に書かれたあらすじの3行目はダメ。これ書いた編集、中味を読まずに翻訳者から口頭で梗概とか聞いて、実際の内容も確認しないで記述したんじゃないの?)
 
 真犯人もかなり意外ではあったし、それが残り少なくなったページの最後の方でわかる演出もいい。カントリーものの英国旧作フーダニットパズラーとしては非常に楽しめた。

 ただし出来がいいか? と言われると、ちょっと、う~ん……となる仕上がり。真犯人の決め手となる情報は後出しで、せめてもうちょっと早めに伏線とか欲しいし、何より肝心の(中略)。あれ、説明してないよね?
 
 読んでる間はすごく面白かったので、この評点だが、本当のところは0.3点くらいオマケ。<そのポイント>をうまく捌いて決着づけてくれていたら、十分に8点だったんだけど。
 確かにまだまだ、作者のミステリ作家としての伸びしろは感じるなあ……。
 ライスやジョセフィン・テイほどじゃないけれど、当時の若い才能の喪失を、今さらながらに惜しむ。

キーワードから探す
人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
好きな作家
新旧いっぱいいます
採点傾向
平均点: 6.35点   採点数: 2257件
採点の多い作家(TOP10)
笹沢左保(32)
カーター・ブラウン(24)
フレドリック・ブラウン(19)
アガサ・クリスティー(18)
生島治郎(17)
評論・エッセイ(16)
高木彬光(15)
草野唯雄(14)
佐野洋(13)
ジョルジュ・シムノン(13)