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[ サスペンス ] 過去ある女 プレイバック シナリオ |
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レイモンド・チャンドラー | 出版月: 1986年06月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 2件 |
![]() サンケイ出版 1986年06月 |
![]() 小学館 2014年04月 |
No.2 | 7点 | 人並由真 | 2025/07/05 08:58 |
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(ネタバレなし)
カナダの国境に近い、ヴァンクーヴァーの港町。列車の中でハンサムなジゴロの青年ラリー・ミッチェルは、20台半ばの金髪の美女に出会う。彼女ベティ・メイフィールドのちょっとした窮地を機転で救ったミッチェルは、彼女をヴァンクーヴァーのホテルに案内。そこではミッチェルの顔なじみの男女がたむろし、現れたベティに関心を向けた。だがそのホテルで、やがて一人の人物が死亡する。 マーロウものの最後の完成長編『プレイバック』(58年)の原型になったオリジナルストーリーの映画シナリオは、第一稿が1947年から書かれ、その後、推敲して練度を高めた第二稿が1948年に完成した。結局、当該の映画は作られなかった(なぜか)が、埋もれていた第二稿シナリオは本国で1985年にチャンドラー作品の研究家によって発掘され、陽の目を見た。そのシナリオ第二稿の翻訳が本書である。評者は今回、何十年前か前に買っておいたサンケイ文庫版の方で初めて読んだ。 マーロウが出る方の小説『プレイバック』は大昔に高校生の頃に読んだきりで、細部のいくつかの印象的なシーン、セリフを覚えているものの、一方で今では、話の流れも事件の構造もまったく忘れてしまっている。 それで久々に再読しようと思ったが、どうせなら原型のこちらの方から先に読もうと思い、数年前から文庫を書庫から出しておいたが、思いついて今夜ようやく読んだ。 (というわけで現段階では、小説『プレイバック』との比較はまったくできない。そのうち? 『プレイバック』を読み返したときに、本書(『過去ある女』)の内容をその時点で忘れていなければ、そちらからの視座での比較は可能であろう。) で、ほぼ完全に素の状態で物語の流れや登場人物の配置、事件の結構、セリフやト書きを楽しんだ本シナリオだが、作者が映画メディアを意識したビジュアルイメージで用意したのであろうシーンが随所にあり、その意味でもなかなか興味深い。 商業映画でどういうサービスを観客に向けてすべきか、チャンドラーなりの心構えがところどころに覗くようで、良い意味での商品性を感じさせるプロの映画シナリオといった印象である。 とはいえ実のところ、メインヒロインで広義の主人公であるベティ・メイフィールドを軸にした複数の男性キャラたちの配置は、部分的に「え!? そっちの方向に行くの?」と思わされた面もあり、今度はそういった意味で、チャンドラーが映画メディアでのエンターテインメントをどのように捉えていたか、が、何となく見えてくるような趣もある。その意味でもまた興味深い。 (ちなみにこっちが思いついた感慨のいくつかは、サンケイ文庫版の巻末に収録されたR・B・パーカーの解説で、同人が似たような主旨のことを語っていて、ニヤリとした。まあ、そうだろうね?) 特にチャンドラーの名前を意識しなくてもフラットに相応に面白い筋立てで、良い意味でのメロドラマ&ノワールもの(……かな? だな……)でもあったが、一方でト書きの随所やセリフ回しなどに、とにもかくにも少年時代からチャンドラー作品につきあってきた受け手として、なんか引っかかるものも少なくない。その意味でも、やはり重層的な愉しさがあるシナリオである。 うん、あとは前述のように小説版『プレイバック』との読み比べまで済ませれば、本書(本シナリオ)の賞味は一応フルコースだな(読み込みの浅い深いは、とりあえず置いておいて・笑&汗)。 『ブルー・ダリア』もそうだったけれど、なじんできた作家のシナリオを読む作業はなかなか楽しい。 チャンドラーが脚色したシナリオ『深夜の告白』の翻訳は持ってるからそっちもいつか読んでみたいが、あとはシナリオ版『見知らぬ乗客』の翻訳とか出ないかね(どっかのシナリオ専門誌とかにすでに翻訳されているのかもしれないが)。 映画版『見知らぬ』の映画オリジナルのクライマックスの場面とか今でもよく覚えてるけど、改めて脚本で読んでみたら、もしかすると望外に楽しめるかもしれない。 |
No.1 | 7点 | tider-tiger | 2016/09/16 15:11 |
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アメリカからカナダに逃げ出して来て早々に変な男につきまとわれるベティ・メイフィールド。しかも、その男がホテルの自分の部屋で射殺された。ヤケッパチになりかけたベティだったが、彼女に同情的な警視や彼女を救おうとしてくれる紳士もいる。しかし、ついに彼女には逮捕状が出されてしまったのだった。
暗い過去を振り払おうとアメリカからカナダへやって来たベティ・メイフィールドだったが、ここでも過去起きたことが繰り返されるのであった。 小説ではなく映画のシナリオです。 諸事情あって映画化されず、お蔵入りになっていたチャンドラーのシナリオが発掘され、翻訳出版の運びになったようです。こんなものまで日本語で読めるなんて、日本人が英語が苦手なのはこういう恵まれた環境も理由の一つなんでしょうね。 まあそれはさておき、このシナリオ、けっこう面白いです。 シナリオですからチャンドラーの文章に浸るというわけにはいきませんし、人物造型も深みや説得力に欠ける部分あり、そうした物足りなさはありますが、チャンドラーにしてはプロットは上出来、会話の切れは相変わらず。映画で完成形を見たかった。 ただ、余計な修飾がない分、チャンドラーの文章力を別の角度から再確認できるというマニアックなお楽しみもあります。 基本的には簡潔明快な文章で綴られておりますが、なかには『水夫の踊りっぷりの優雅さは犀にひけをとらない』こんなサービスもありました。こんなん言われても役者はどんな演技をすればいいのか悩みますわ。 これ、実は副題のとおりチャンドラーの七作目の長編『プレイバック』の原型だそうです。ところが、小説版プレイバックにおいて、シナリオはその原型を留めていません。 チャンドラー大金貰ってシナリオ書く→自信作だったのに映画化されず→怒った(かどうかは不明)チャンドラー得意の自作再生利用癖を大いに発揮して小説化。と、このような流れだったそうです。でも、これ、かなり大きな問題があります。 その1 主人公は女性であり、マーロウは不在。 その2 どう考えても三人称多視点で小説化すべき作品。 これをチャンドラーは意地でもマーロウ視点の一人称小説に仕上げるべく努力しましたが、45回転のレコードを33回転で回すようなもんです。「プレイバックは奇妙な作品」というような評を目にしましたが、こうした歪みにもその原因がありそうです。 チャンドラーファンならこの強引な小説化の過程に想いを馳せるというマニアックな愉しみ方も可能でしょう。 それにしても、自信のあったプロットなわけです。なぜそれを活かすような書き方をしなかったのでしょうか。なぜ、そこまでマーロウに拘ったのでしょうか。頑固頑迷こうしたチャンドラーのメンタリティがそのままフィリップ・マーロウのメンタリティと直結しているように思えてなりません。 チャンドラーは一人称へらず口文体が得意でしたが、実は生み出すプロットは三人称多視点向きで、こういうところが超一流の文体……文体に一流も二流もないですね……超一流の文章と二流のプロットという落差に繋がったのではないかと、そんなことまで考えてしまいました。 察しの良い方はお気づきかもしれませんが、『プレイバック』の謎の一つとされていたタイトルの意味、本作を読めば疑問は氷解します。 私が持っているサンケイ文庫版にはロバート・B・パーカーの解説が収録されておりましたが、残念ながら数年前に出た小学館版には収録されていないようです。 入手借り受け可能ならサンケイ文庫版をお薦めします。 |