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クリスティ再読さん
平均点: 6.41点 書評数: 1327件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.37 7点 無実はさいなむ- アガサ・クリスティー 2015/11/03 21:57
本作は「ねじれた家」の続編だと思う...「ねじれた家」では家族にとって都合のいい人を生贄の羊として差し出して、家族をムリに再回収しようとしていた話だったが、じゃあそれが一旦成功していたら?という疑問で描かれた作品のわけだ。

評者的には本作の一番イイところは、抑制的な渋い文体である(現行版も小笠原豊樹訳だ...名訳だと思う)。アリバイが判明したことによって、家族内での犯人探しになるわけだが、これは別に論理的な手がかりがどうこう、というものではないので、凍りついた家族のそれぞれの疑心暗鬼を丁寧に追っていけばいい。そうすれば最終的に性格的に納得のいく「意外な真相」は手にはいるが...

評者的には本作が、中期クリスティがずっと追求してきた親子関係の最終的な結論のように感じる。「わたしが憎んだのは、お母様がいつも正しいことばかりしていたからよ...いつも正しい人間なんて、こわくない?」という登場人物の言にあるように、母権による抑圧と反抗の物語を、クリスティはずっと紡いできたわけだが、その母権の「正しさ」が本作で最終的なテーマに浮上してきている。母性の権化は報いられず殺され、その他の母性に捉われた女性が何人も登場するが、皆最終的に母性の対象を喪失する....

というわけで、本作はミステリを期待して読むよりも、ディープでヘヴィな親子相克のドラマを読む覚悟で読んだ方がいい。それでも本作はある意味クリスティという作家の到達点の一つである。
(本作の評はそんなに多くないけどほぼ皆7点をつけてるのが印象的。それだけの読み応えのある力作です。)

No.36 8点 五匹の子豚- アガサ・クリスティー 2015/11/03 21:03
本作にはいろいろ美点があるが、最大のものは形式的・幾何学的な均整美だろうね...5人の容疑者それぞれを均等に扱って、前置きのあと(法曹関係者も5人で揃えてある..)それぞれのインタヴュー/手記/質問1つ、で全員集合という構成の美が素晴らしい。

でその中である夏の一日に絡み合う群像が再現されていくわけで、それぞれがそれぞれの視点で記述していくために、微妙にニュアンスが変わって聞こえていく..その多面的で立体的な再現感がいい。なので、評者なんぞは「5人のうち誰が犯人でも、もったいない...」とまで感じていたよ。

まあ真相が5段構え...ではないのが残念だが、それでも第1段目の真相までは結構楽に推測できるだろうと思う。二段腰の真相の方は...まあ、こういう解決もあるよね、くらいのつもりで読むつもりだ。ある意味、ポアロのしていることは解釈に次ぐ解釈でしかないわけで、こうなってくるとどんな到達点も「相対的に一番収まりのいい(暫定的な)解決」でしかないのでは...と思わせるところがある。ちょっとオープンエンドな「藪の中」的な迷路を示唆するが、本作はそれが狙いではない。そういう多面的な描写が作り出すリアリティの中によって、悲劇的な人物像を際立たせるのが狙いだろうね...ジャスミンの香りの件はすばらしいな。

本作芝居にしたら素晴らしいだろう(実際本人が芝居にしてる「殺人をもう一度」)。演出が目に浮かぶよう。完全にネタバレるので引用したいけどやめとくが、ポアロの絵の最終的な評言がクリスティらしいクールな恐怖感があって極めて印象的。評者だったらこのポアロの言でカーテン静かに閉まる、かな。

No.35 6点 マギンティ夫人は死んだ- アガサ・クリスティー 2015/10/31 22:45
本作の被害者は家政婦+下宿経営で生計を立てている未亡人...しかも、ポアロ自身が自分の活動を「下手な鉄砲も数打ちゃあたる」と評するくらいに「考える前に動いて」いる、ハードボイルド?な作品。だから直接の物理的襲撃を受けたことを方針の正しさを証明する「すばらしいニュース」と言ったりする...あれこの人ホントにエルキュール・ポアロなんだろうか??

初期のクリスティっていうとセレブ・金持ちワールドでの殺人、というシチュが普通だったんだが、戦後で作家的にも成熟してくると、そういうのにリアリティを感じなくなってきたんだろうね。だから、いろいろと私立探偵小説としての試行錯誤をしているわけで、たとえば「複数の時計」はウルフ=アーチー方式をやってたりするわけだが、本作だと真相がどうもロスマクの某作を連想させるところがあって、なおさらハードボイルドっぽく感じたりもする....まあロスマクでも人間関係のトリックが軸だし、ホントはロスマクがクリスティの後継者だったのかも、と妄想をたくましくしてもいいかもね(最近そう読むのが流行だそうだね)。

とりたてて大きな狙いとかトリックはないんだけど、細かいミスリードは多くて、緻密にできているのがGood。登場人物にそれぞれの決着をつけるなど、きめ細かい小説になっている。ある意味クリスティ「らしくない」かもしれないし、小説としては小粒かもしれないが、それでも「みんなの知らないクリスティ」って感じで妙に気になる....

No.34 2点 複数の時計- アガサ・クリスティー 2015/10/13 21:41
死体の周りに時計がいくつも...というと往年の「七つの時計」とシチュエーションが共通するんだが、あっちも駄作でこっちも駄作。
でしかも、まずいところが「七つの時計」と共通してもいる。真相がどうにもショボくて、エンタメとしてどうよ、というレベルなんだよね。まあリアリティ重視の警察小説だったら、解決しない謎が多少残ったりしてもリアリティのための小道具で許せちゃうわけだが、本作は本格ミステリらしくどうだ!と謎を提示しておくにもかかわらず、その謎を魅力的に解決する、というミステリというよりも娯楽小説の肝心カナメを外しているわけだ...これはどうしようもない。

評者は「七つの時計」と連続してこれを読んだんだけど、クリスティの初期作の「七つの時計」と晩年の本作だと、約35年の時間が流れているわけで、「七つの時計」の舞台である侯爵の豪邸チムニーズ館から、本作の新興住宅街に至る、イギリスの郊外風景の歴史みたいなものにちょっとした感慨を受けるのである....本当はクリスティって、こういう郊外風景のクロニクルを描けた作家じゃなかったのかなぁ、と思うんだよね。クリスティの代名詞である「村の噂話」が開発によって希薄化していくさまを描いたら、本当に凄い小説になったのでは...

あ、あとポアロによるミステリ評は雑談レベル。本質的に批評家的センスのないクリスティだから、まともに取り上げる価値はないと思うよ。あと本作、ポアロ長編では唯一のウルフ=アーチー方式採用作だよね....(そういや「パディントン発4時50分」か)ミステリ評があるのは他人のやり方を借りてみました、ということかなぁ?

No.33 3点 七つの時計- アガサ・クリスティー 2015/10/13 21:22
バトル警視その5。
本作わりと面白く読めた「チムニーズ館の秘密」の続編っぽい作品で、登場人物も5人くらい共通する作品だが...「チムニーズ」の好いところが続編のクセに全然なくなっちゃってる。

「チムニーズ」はこれでもか!と丁寧にミステリ的な伏線を引いて、バレても笑って許せる力感とスケールがあったけど、本作は悪馴れした感じのタダのキャラ小説。昔MGMの社是が「大きく正しく上品に」だった、という有名な話があるけど、この真相だとエンタメのキモである「大きく」が実現できないんだよね。「チムニーズ」は大甘のロマンスだけどしっかり「大きく」は押さえていたわけで、それがあるから「バレてもいいじゃないか」と笑って許せたわけだが、本作の真相は意外かもしれないが、ハッキリとショボい。これじゃ学芸会というものだ。

評者本作で一番面白かったのが、俗物官僚がヒロインの策の副作用で、ヒロインにプロポーズする勘違い。これじゃあ仕方がない...クリスティでも底辺に近い作品だと思う。

No.32 1点 フランクフルトへの乗客- アガサ・クリスティー 2015/10/06 23:12
ヴァーグナーの毒に中ったクリスティ。
厨二の帝王ヴァーグナーは、天才も否定できなければ同時に詐欺師であることも否定できない19世紀の生んだ最強最悪の魔物としか言いようのない存在なんだが、それをナチと絡めてスパイスリラーしようってのが、そもそもキッチュの判らないクリスティじゃあムリというものだ。

まあそれでも出だしは悪くないし、コンサートで再接触するあたりの抑制的な描写はいいのだが...第二部の若きジークフリートはロッキーホラーショーかいな、という悪趣味だし、第三部に至っては主人公コンビさえどっかに消えてしまい、オチらしいものもロクにない。というわけで、何を読めばいいのか..と困惑するしかないハメに陥る。第三部の雰囲気に一番近いのは、セラーズとかニーヴンとか出てた「カジノ・ロワイヤル」のキッチュな大混乱かしら。あれよりも何がしたいか不明なので、読者は本当に置いてきぼり。クリスティのコンプしたい人はともかく、一般には読む価値のある作品ではない。
まあ60年代末のフラワーチルドレンとか大学紛争とかを、思いっきり理解なく陰謀史観で描いたらこうなるかもしれないんだが、およそ洞察を欠いているからどうしようもない。で、一番オソロしいのはこういうことなんだよ。

セックス・ピストルズが「アナーキストになりたいんだ」と歌ったのが、この作品のわずか6年後で、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」の発売とクリスティの死は同じ年だ...(残念ながら死は1月で発売は11月だから期間はカブってない)

いやはや。

No.31 6点 チムニーズ館の秘密- アガサ・クリスティー 2015/09/29 21:51
バトル警視その4。
これクリスティ流の「ルリタニアン・ロマンス」じゃないかなぁ。
「ゼンタ城の虜」みたいな、架空の小国での冒険ロマンスをそういうんだけど、「ゼンタ城」みたいな雰囲気が結構濃厚に感じられる(クリスティが読んでないわけないね)。

作品的には「秘密機関」的な垢抜けなさが解消し、いろいろめまぐるしく展開するが、趣向がそれぞれ違って退屈な感じはない。伏線をきっちり丁寧に張りすぎてるおかげで、真相はサプライズだけどまあこれ、ヨメるよね。しかし、オトメのツボは充分心得たオチなので、そこらは合格。
バトル警視はナイスなオジさまだけど完全脇役。ヒロインのヴァージニアはあっけらかん美女で素敵。

ま、後年のバトル警視モノみたいなクセモノ作品じゃなくて単なるキャラ小説で、展開が速いから少女マンガにしたらハマると思う...と思ったらあるみたいだね。それも「忘れられぬ死」「ゼロ時間へ」と一冊になってるそうだ。よりによって激シブいノンシリーズだけで集めたものだなぁ。評者とあるマンガのあとがきにあった「クリスティはマンガ化が契約上難しい..」というのを真に受けてたが、芦辺拓氏によるとどうやらそんなことはないらしい。まそれでも権利は高いだろうから、編集の言ったテキトーな言い訳を真に受けたのかな。

No.30 7点 象は忘れない- アガサ・クリスティー 2015/09/22 00:17
晩年のポアロというと「クラシックな私立探偵」のイメージにクリスティ自身がリアリティを感じなくなっていったことに加え、クリスティの作家的成熟を通じてどんどんとサタスウェイト氏に近づいていくわけだが、評者は晩年の方が初期のエキセントリックな空威張りの外国人よりもずっとイイと思うのだ。

でこれはそういう晩年の典型作。これの次が筆力が衰えてしまって何が書きたいのか判然としない最終作の「運命の裏木戸」だから、「最後の読みがいのある作品」になる。結局のところ「真相を知っている人を探し出してその人に真相を語ってもらう」作品なので、ほとんど本格ミステリ的な興味はないが、さまざまな噂話から徐々に浮かんでくる手がかりを追っていく、捜査小説としては面白い上に、いろいろなデテールの妙もあって小説としてはちゃんと成立している。実際大詰めで最後の「象」がポアロの推理を聞くにあたっての会話で評者は結構感動していたりする...さりげない文学的明澄さがあっていいんだよね。

で真相は少しホロー荘風味。でもこっちのがずっと自然で悲劇的。だから小説として読むんだったら文句なし。
でだが、本作はたぶん今のネット環境に合わせて書き直したら凄い作品になるのでは...と思う。互いに矛盾しあう書き込みから、真実を語ってくれそうな「象」を探す電脳の旅...よさそうでしょ!

No.29 7点 ひらいたトランプ- アガサ・クリスティー 2015/09/22 00:13
バトル警視その3。
まあポアロものなんだけどね、バトル警視だと他のレギュラー探偵との共演でもオッケーだから、本作は実はバトル警視モノ=クセモノ作品じゃないかと思うのだ。
というのは、本作、意外にヘンなミステリなのだ。

一見、ポアロが心理主義的にブリッジの勝負から犯人を割り出して..のカナリア風の話に見えるんだけど、実はそうじゃない(まあそういう風にも読めなくないが)。枠組みは過剰なまでにフーダニットしていて、序文で犯人は4人のうちにしかいないと宣言までしちゃうわけだけど、これ自体を一種のミスディレクションと捉えるのがいいのでは?と思うわけだ。

で実際、本作は一見スタティックなパズラーとして中盤まで地味に展開するわけだが、後半怒涛の展開を見せる。4人の容疑者はそれぞれ別の殺人の犯人かも、というわけで、それぞれいろいろな思惑でポアロと対峙し、それぞれが自滅していく....あれ、これ心理主義フーダニットだったっけ??いやいや、ゲームにかこつけた心理戦小説でしょ。だからスリラー風にめまぐるしい展開を追っかければお腹一杯。
というわけで、ウラをかいた意外な趣向に加点。ロリマー夫人の造形がナイス。

No.28 5点 殺人は容易だ- アガサ・クリスティー 2015/09/21 23:51
バトル警視その2。
バトル警視ものに共通するのは、作品の形式的な狙い(これがどういう小説か?)が「謎」になっているところだと思う。表面的な話の進行は、ホイットフィールド卿を指し示す方に強く流れていくけども、まあ読者はダレもそんな流れを信用したり、あるいは実は別の人が犯人とダマされて満足、という風に素直に決着しないのを期待してしまう。なので、読んでいるうちに「作者の狙いはいったいどこに??」というのを探すようになる...
まあポアロだったら本格ミステリのフォーマット重視を期待されるから、クセモノ小説だとポアロの居場所はないわけだ。透明な器のようなバトル警視ならば、こういう狙いの特殊なクセモノ小説用の脇役的探偵としてうまく使える...ということだろう。

とはいえ、本作はこの流れがABCとか「ゼロ時間へ」とか「死との約束」で扱われる心理操作に行き着くようなんだが、しっかり流れ着いていないためにどうも中途半端な印象を受けてしまう...これが作者の狙いとしてのどんでん返しとして狙われているようなんだが、あまり効果的には感じない。

どちらか言えば本作で一番印象的なのは「ネコの耳の××...」というような、ひんやりした即物的な気色のワルさだ(実は筆者この手の気持ち悪さがクリスティのオリジナリティのように秘かに思ってる)。そういうあたりでまさに「殺人は容易」であり、一番成功しているのがそういうリアリティだろうね。あとヒロイン、クリスティでは珍しい若干ツンデレ(苦笑)。
まあ本作の要素は後の「動く指」とか「蒼ざめた馬」に転用されて、そっちがうまく出来ていると思うから本作よりオススメ。

No.27 6点 ゼロ時間へ- アガサ・クリスティー 2015/09/21 23:24
誰も指摘してないけども、本作は実は隠れたクィン氏ものじゃないかと思う...クィン氏の「海から来た男」からの自作引用風部分もあるし。
まあその引用部分の他にも偶然の絡ませ方とか、トレーヴ老弁護士がサタスウェイト氏ぽいキャラ(殺されたのが意外)の上に、バトル警視が登場しないポアロのことを想いながら捜査するあたり、サタスウェイト=クィン関係を結構彷彿とさせるものがあるわけで、本作を読む上ではぜひぜひクィン氏を事前に読む事をオススメする。
評者はクィン氏大好物なんだが、それでも本作の評価はそれほど高くはないなぁ。その原因は「ゼロ時間」という趣向はわかるんだが、その趣向はあくまで作者と読者との間でのメタなレベルでの趣向でしかなくて、小説的な内容に直接かかわるものではない(まあ関らないわけでもないんだが、極めてありきたりなものなので...)ところにあると思う。
とはいえ、バトル警視の娘から始まる「やってもいない犯罪を認める心理」は納得の内容。冤罪ってこういうことなんだよね。まあそんなところで、評価は「惜しい!」くらいの感じ。ていうか、クリスティってアリバイトリックを考えさせると何かモッサリした垢抜けなさが出るんだけどなんでだろう?
で「なぜバトル警視?」という問題が一連の作品にあるように思うので、ちょっとそれを追求することにしよう。「殺人は容易だ」に続く。

No.26 2点 秘密機関- アガサ・クリスティー 2015/09/06 17:54
トミー&タペンス強化週間その3。
さてトミー&タペンスの長編の評としては最後になるが、第1作..というかクリスティ自身でも第2作という初期作なんだが...
要するにナイーブ。
でしかも、そういうナイーブさが微笑ませる方に働いているか...というと、そこまでも至ってない感じ。似たような展開が続いてはっきりダレるし、「敵」も何かガチ保守的な人が妄想する「サヨク」なイメージだけを膨らませたようなヘンテコな敵で、リアリティは皆無(まあこういう妄想が爆発した晩年の迷作があるなぁ)。解説では「政治音痴」とまで書かれても当たってるから仕方がない。この手のファンタジー政治学を分かってやっている「木曜の男」とは雲泥の差がある。

評者クリスティ・スリラーへの耐性が付いたつもりでいたけど、本作ははっきりダメです。ミステリ的興味もほとんどなし。敵の首領は二人のうちどっちかで、どっちでも大差ないじゃん....という感覚だから、ホントどうでもいい。「茶色の服の男」がいかにナイーブを装った小説としての巧妙さを潜ませているかが今になって分かる...と思うくらい。ふう。

No.25 7点 親指のうずき- アガサ・クリスティー 2015/09/06 17:41
トミー&タペンス強化週間その2。
トミー&タペンスというとスパイ小説...ということになるかもしれないけども、本作は違うよ。これは「第三の女」とか「象は忘れない」とかと同様の「いったい何が謎なのか?」を探すクリスティ晩年の独自形態のミステリである。実際本作、ジャンル分けすればサイコ・スリラーである。

傑作「終りなき夜に生まれつく」でも出た主題の変奏で、タペンスが「夢の家」(まあ作中では偶然相続した絵の中の家だが)を追う中で、どうやらそれが現実の隠れた犯罪と何か関係が...という展開なので、いわゆる本格ミステリ的な「出題」はなくて、曖昧な噂話の中からいろいろな推測が浮かんでは消えていくような構成になる。

サイコスリラーな真相も結構インパクトが強いし、これって「もし●●●が認知症になったら?」というホラーコメディ調の話かもしれない(それは斬新だなぁ)。まあ一筋縄でいくような話ではないので、変化球好きの読者ならば楽しめると思う。主人公カップルの明朗さと事件の暗さが、薄明のような雰囲気を漂わせているあたり評者は好き。考えてみれば「蒼ざめた馬」あたりに近い内容かもしれないね。

No.24 7点 NかMか- アガサ・クリスティー 2015/09/06 17:26
クリスティという作家は、今までほぼ30年間途切れなく文庫で全作品が読める..という特別な立場にある作家なんだけど、これはありがたいと同時に恐ろしいことでもあるよね。ありがたいは当たり前だが、恐ろしいというのは、面白い作品が不人気だったら、それはとりもなおさず批評の怠慢だ、ということなのだから...
ちょっとイヤミを書いてしまったが、本作が本当に「注目度が極めて低いにも関わらず、面白い作品」なんだよね。まあクリスティのスパイスリラーはつまらない作品も多いのだが、これは別格。戦時中のノリノリの時期に、ミステリのノウハウをこれでもか、と盛り込んだ作品だから面白くないわけがないんだよ。

スパイ探しが目標になるのけど、これが本格ミステリの犯人探し同様にいろいろと巧妙に煙幕が焚かれている。しかもスリラーの逆転に次ぐ逆転の面白みまであるわけで、ポアロ物のB級作なんかよりずっとオススメである。クリスティ流スパイスリラーのほぼ唯一の成功作だと思う。

現況で評者のコメントが2件目という情けない状況なので、特に本作は推薦するものである。霜月蒼氏も最終的なベスト10に本作を入れている。これは本当に読まないと損である。

No.23 5点 満潮に乗って- アガサ・クリスティー 2015/08/16 22:12
この作品ほど「ポアロ、あんた邪魔!」って思えたものはないなぁ...

前半の終戦直後の混乱期を舞台にしたメロドラマが、結構「風と共に去りぬ」調で面白く読めていたのに、第二篇でポアロ登場となると、ありきたりの探偵小説になってしまう....表面を取り繕いながら相互に陰険な闘争をしかける2つの陣営の中で、対立を越えて結ばれる恋愛感情。メロドラマ視点で「どうなるの?」って思っていると、殺人によってメロドラマがストップしてしまうのが評者はすごい不満だ。
戦後のクリスティの小説的な充実に向けての試行錯誤なんだろうけども、探偵小説としての部分と小説の部分の乖離が激しくて、ミステリが大ブレーキとしか思えない失敗作だなあ...

デイヴィッドとローリィの間で揺れるヒロインって構図はそもそも「イノック・アーデン」の前半の関係だから、戦後の帰還兵について「イノック・アーデン」(しかも性別逆で)をしようとして、それに重ねて、あたりが当初の狙いだったのでは。
あ、ミステリとしてはまあまあ。証言は嘘だと対決すればいいのに?というあたりのロジックは素敵。だけど大枠の仕掛けと、殺人などの真相があまり密接に結びついていないので、殺人の真相が「軽く」感じられてしまう。名探偵よりもリン主人公で動くうちにわかってくる、あたりの話で充分だったのでは?

No.22 7点 死との約束- アガサ・クリスティー 2015/08/16 21:07
クリスティで一番プライヴェートな作品ではないだろうか。
中期の作品を見ていると、強権的な親に抑圧されていじけた子供たちが頻繁に登場するのに気がつかないだろうか?「ABC殺人事件」「ポアロのクリスマス」「死が最後にやってくる」「ねじれた家」などで繰り返しこのテーマが登場するし、「動く指」でも親とうまくいかない子供がヒロインになるわけで、この傾向の頂点になるのがこの作品だと思う。
この原因は...というと、もちろんクリスティ自身のかかえた問題にあるのだろう。この作品の真相では強権的な親に対するほとんど意趣返しに近い状況が、スポイルされた子供のイノセンスと同時に明らかになる.....これがおそらくクリスティ本人の復讐なのだろう。がこういう「黒さ」がこの作品の妙な魅力と迫力になっているような気もする。ミステリとしては、時間割や箇条書きについてのメタな言及があって、これの裏をかく力技が結構すごい(アクロイドを連想する)。「被害者を呼びに行かせた理由」など良い点がいろいろあって、良くできた作品だと思う。

ABCとか「カーテン」での主題になったように、今でいう「マインドコントロール」にクリスティは強い関心を持っていたようで、この作品では家族に対する被害者のマインドコントロールの他にもう一つのマインドコントロールを持ってくるなど仕掛け充分。今の視点で見ると「尼崎連続変死事件」ってこういう一家なんだろうなぁ...

評者は狙いもあって実は「皇帝のかぎ煙草入れ」と本作を続けて読んだ。やはり「皇帝の~」は本作へのオマージュとしか思えないような共通点が多すぎるが、この点については「皇帝の~」での評ですることにしよう。本サイトで「皇帝の~」の人気がすごいけど、それならもう少しこの作品も注目を集めていいのでは?

No.21 4点 オリエント急行の殺人- アガサ・クリスティー 2015/08/16 21:01
この作品を読み直すのはほぼ40年ぶりである...こんな企画をしようと思わなければ、本作を読みなおそうなんて考えなかっただろう、と思うくらいに本作の再読性は悪いんだよね。で実際に読み直した印象は「長い短編」である。とくに戦後のクリスティは小説的な充実度が高まるけども、本作にそういうものを要求してはいけない。
まあこういう真相だと、中盤の各乗客への尋問もあまり意味のある内容がないし、多すぎる乗客の個性を追及もできないし...と、中盤の興趣がかなり削がれている上に、ポアロも急に真相に気がついてしまったりして、真相へ迫る紆余曲折もないんだよね。「長い短編」ってそういうことだ。

でまあ背景がリンドバーグ誘拐事件を下敷きにしているのは有名な話だけど、要するにこれ「アメリカ」がテーマ。で「民族のるつぼ」アメリカなので....というあたりで、単なるエスノジョーク風のステロタイプの展覧会に堕しているあたり、評者に言わせるとクリスティの限界なんだよね。趣向を思いついて無理に書いたのだろうか....リンチとか陪審裁判とかアメリカ的なニュアンスは明白だよね。

まあだからこれは有名作だけどただの「長い短編」。長編作家クリスティの本領発揮というわけではまったくない。

(完全ネタバレ)やはり評者の判断は、どうしても真相に納得がいかない...という点にある。雪の中で停車した静かな列車の中を、大人数がウロウロしているのに、隣室の耳さとい老人であるポアロが全然気が付かないのは不自然だ。部外者が乗っており、かつ雪で停車している想定外の危険な状況なのだから、計画は中止するのが大人の判断ってものでしょう?

No.20 9点 そして誰もいなくなった- アガサ・クリスティー 2015/08/16 20:51
みんな大好き大古典をやっつけることにする。まあ、これ「オリエント急行」のペア作品なことは言うまでもない(共通項がすごく多いよ。互いに見知らぬ人々が閉鎖空間に集められるとか、裁判のメタファーとか)のだが、退屈なオリエント急行と違って、生々しい迫力が今でも失せていない。

考えてみれば、これ以外の真相はすべてアンフェアなものしかないんじゃないだろうか。論理的に考えれば真相とかなり高い確率で犯人も指摘できるのでは...と思うが、ほとんどの読者は迫力に呑まれてしまって、犯人推理しようなんて考えるよりも、一刻も早く真相が知りたくてエピローグを読んじゃうと思う。

この迫力の由来を考えてみると、誰もいなくなる不可能興味以上に、サバイバルと謎解きを結び合わせたアイデアにあるのだろう。そういう意味では冒険小説的な興味に近いかもしれない。で、こういうサバイバルと謎解きの結びつき、という面では、実は「そして誰もいなくなった」は「汝は人狼なりや?」に今では転生してしまっているのではと評者は思うのだ。「議論を仕切りたがるキャラの○●は?」とか、経験的な人狼セオリーベースの推論も可能なんだろうね。

というわけで、これは今でも十分生命力のある古典だ。すばらしい。第1章の描写は結構ギリギリで読みようによってはアンフェアかも...

No.19 5点 メソポタミヤの殺人- アガサ・クリスティー 2015/08/02 01:03
中期のクリスティって、強い個性で周囲の人間を操り倒すカリスマ風なキャラを巡る話が多いと思うんだが、これも実はその一つ。
準密室あたりの純ミステリ的興味で語られやすい作品だけど、評者が一番気になったのはそこらへんで、まあこの作品のあとによりエグくこのテーマを扱った(しかも中近東モノもカブる)「死との約束」があったりするので、やはりこれは何となくクリスティも不完全燃焼な作品だったのではなかろうか。

一番興味深いのは最後のエピローグで、手記筆者(看護婦だからクリスティ本人が自分を重ねているよね)が、被害者の印象を自分の叔母に重ねて語る部分があるけども、その叔母のイメージが実はミス・マープルも連想させるところがある...結構トラウマだったんだろうね。

とはいえ、被害者のキャラを理解させるのに読んでいた本を手がかりにするのは悪いアイデア。評者でもさすがに「メセトラに還れ」くらいしか知らないよ(読んでない...)。

Howの部分では実質1ネタでシンプルな構成。ネタがわかれば真相はもうこれしかないような、どっちか言えば短編っぽい内容を被害者キャラ分析で伸ばしたような作品である。犯人に関して説得力がないのは、これはおそらく被害者の恐怖症の描写が中途半端になったせいではなかろうか(ネタバレを恐れたのか?)。恐怖症の内容をうまく設定すれば今風サイコスリラー調の話になったかもね。
いろいろ考えてはいるんだが全体的に「不発」な作品だと思う。中期のいろいろな試行錯誤の作品というあたりの評価でよいのでは?

No.18 4点 ポアロのクリスマス- アガサ・クリスティー 2015/08/02 00:28
いろいろと至らないところの多い失敗作だと思う。
1. さすがにメイントリックは発表当時でも法医学的にギリギリくらいじゃないだろうか(時間がたっても...)。ましてや今の読者だと「何でそんなのわかんないの?」になると思う。
2. 犯人指名(というか他の容疑者の排除)が「心理学的探偵法」。けどこれ思い込みとか偏見の部類じゃないの?と言われたらそれまでだと思う。「心理的」とか付いてるとありがたがるのはもう止めにしたいね。
3. あとこれは評者が気がついたことだが、そもそものどを切り裂かれて悲鳴が上がるものだろうか??
4. クリスマスストーリーとしては、悔い改める息子たちが揃いも揃って小市民的なセコい奴らで、悔い改めてもカタルシスがない....だから「古きよきイングランドのクリスマス」のお国自慢小説みたいなものにしかなってない。

というわけで、実はこれクリスティ本人も心残りが多かったのではなかろうか。ほぼこの作品の人間関係をそのままに採用して、「ねじれた家」が書かれているように思う。そう思うと結構共通点も多い...
で「ねじれた家」は上記の反省が結構入っていて、ほぼ狂人に近いシメオン老人に代えて強い個性で子供たちを抑圧するけども、それでも邪悪ではなく魅力もあるアリスタイド老だし、ひねくれる子供たちも類型的な本作よりずっと陰翳が深い。「ねじれた家」は「その後」の家族の再構築に向けてを強く意識しているあたり、クリスティの作家的(というよりも人間的な)進歩が見えるように思う。

一部でバカミス的な扱いを受けていたりとか、意外な犯人の話だけが話題になりがちな作品だけど、そういう読み方って評者はかなり?である。単なる失敗作で、より改善された作品があるんだから、そっちをちゃんと取り上げるべきだと思う。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.41点   採点数: 1327件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(99)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(45)
ジョン・ディクスン・カー(31)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(24)
アンドリュウ・ガーヴ(19)
エリック・アンブラー(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
アーサー・コナン・ドイル(16)