海外/国内ミステリ小説の投稿型書評サイト
皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

クリスティ再読さん
平均点: 6.40点 書評数: 1313件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.593 6点 サロメ- オスカー・ワイルド 2019/10/23 22:00
「黒蜥蜴」も乱歩&三島でやった余勢を駆って、「美的殺人」という面では先駆者であり最大のアイコンである本作はいかが。20世紀の初頭あたりには、全世界的にサロメが大ブームになったわけで、「世紀末、病んでる」の代名詞みたいなものである。もちろん日本にだってすぐに入ってきて、初めての訳は森鴎外だし、松井須磨子がサロメ演じてたりする。最近でこそ知名度が落ちているけども、唯美とか耽美とか、その手に憧れるなら必須科目である。岩波ならビアズリーの、アール・ヌーヴォーの代名詞の挿絵も同梱。挿絵を肴に頽廃感の相乗効果を味わえばいい。
で、本作をミステリとして読むなら、「異様な動機」というのがまずポイントだと思う。サロメはヨカナーンに恋するがゆえに、口づけを拒まれたがゆえに、その首を刎ねて生首にキスをする....ネクロフィリアといえばそう、サディズムといえばそう、女性自身による主体的な性欲のアカラサマな主張なのも当時では刺激的なわけだし、もちろん黒蜥蜴だってこのサロメの子孫のわけだ。ならば明智はヨカナーンとして、サロメの接吻を拒み続けて、黒蜥蜴に首を刎ねられてから、接吻される...評者どうもサロメと黒蜥蜴がごっちゃになっているようである(苦笑)。そういう読み方も、いいじゃないか。殺人物語に美とポエジーを求めるのならば、一度は読んでおく必要のある作品であることには、間違いない。

No.592 7点 黒蜥蜴- 江戸川乱歩 2019/10/20 22:37
三島の戯曲の方は評者は別途書いているので、今回は乱歩原作側について書くことにしよう。まあ出版だって戯曲側は「三島由紀夫作」だしね、筋立ては借りてても文章も作品力点も全然別物なんだもの、一緒にするのは乱暴というものだ。
戯曲と原作の一番の違い、というのは、戯曲が「恋」を中心に描いているのに対し、今回読み直して感じるのは、原作は「エロス」が主題なんだと思うんだよ。まあ乱歩というと、幻想短編だろうと明智通俗物だろうと、とにかくエロスに満ち満ちた独自の文章が最大の魅力のわけだけど、たぶん通俗長編でのエロス充実度では本作が頂点に立つのではないかと思う。

軽蔑するわね、僕だって車くらい動かせるさ。

これである。今の萌えジャンルとしての「僕っ娘」の言葉遣いとは全然別の、女言葉と不良少年スタイルの蓮っ葉さとが混在してモザイクとなったような、黒蜥蜴の言葉遣いに、まずヤられる。男かとおもえば女、女かと思えば男、といった性を超越した、ではなくてジェンダーもセックスも未分化な両性的なエロス、というものを黒蜥蜴は体現している。三島の戯曲には、美と恋はあっても実はエロスがない。乱歩の黒蜥蜴はセックスを欠いたエロスなのだろう。だからその恋は、ゲームとマゾヒズムによってのみで、表現されるのだ。船中での黒蜥蜴と明智の会話でも、三島では恋の策略、というニュアンスが強く出るのに対して、乱歩では黒蜥蜴のサディズムとそれを受け止める明智のマゾヒズムの方を、評者なぞは強く感じるのだ。
まあここらへんの事情は雨宮の扱いの差にも出ている。三島の黒蜥蜴は雨宮の美に目を止めて犠牲にしようとするのだが、あまりに醜く命乞いをする姿を見てシラケて手下にするのに対して、乱歩では雨宮のマゾヒズムを認めて手下にするのだ...だからこそ、乱歩では恋の成就ではなくて、サド=マゾ関係の逆転によって、結末がつくわけである。
乱歩と三島、それぞれの「黒蜥蜴」の観点が大きく異なることが、今回の再読では最大の読みどころになった。まあ同じようでも、全然違う、というのが結論。それぞれがそれぞれに、独自の面白味があると思う。
(そういえば早苗さん眼鏡っ娘だ...乱歩は萌えの先駆者かしら)

No.591 6点 ロセアンナ- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 2019/10/19 21:23
87分署は言ってみれば「両さん」のわけで、キャラさえ把握していれば、どの巻から読んでもそうそう支障はない。マルティン・ベックは大河ドラマなので、やはりこれは第1作から順次読んでいくことにしようか。大昔に大流行したときに、本作・バルコニー・笑う・消防車くらいは読んだ記憶があるが、としてみると過半数は未読になる。ちょうどいいお楽しみになるだろう。
大昔スウェーデンというと、ススンでる、というジョーシキがあったことは、もう年寄りしか知らないんじゃないかな。異常性犯罪を扱った本作はそういう意味じゃ、宗教関係で性に厳しいアメリカでは出づらくて、スウェーデンらしいススンだ警察小説、ということにもなるだろう。60~70年代の性解放という時代背景を頭に入れて読むと、本作の意義とか見えると思うよ。
湖から全裸死体として見つかった、アメリカから来た奔放な娘ロセアンナの性生活と、犯人との接点を探っていく話である。手がかりを得ては行き詰まり、得ては行き詰まりの繰り返しで徐々に捜査が進むさまが堅実。最後の罠もそういう仕掛けだから、本当に本作はアメリカじゃ書けないなあ。
本作は第一作というのもあってか、ベックもコルベリも何か若々しいイメージ。ベックの心気症気味はすでに登場しているが、本作だとコルベリに「ベックの相方」以上の個性と、ベックからの信頼感を強く感じる。バディ萌えしそうだ。まだアクの強いラーソンなど登場しないしね(するけど、別人だ)。ステンストルムも尾行名人で活躍するのが、数作後のアレを知ってると感慨がある。当時から思っていたことなのだが、旧訳だとフツーの刑事たちも「警視」と訳されてて、えそんなにエラいの??だったのだけど、やはりこれはそんなにエラいわけではない(新訳は「警部」になってるみたいだが、「警部」は管理職だから違和感が..)。単に Inspector の訳語で、それが各国の警察制度の中でいろいろな意味に使われているからだけのことのようだ。タダの捜査官とか刑事くらいの意味で捉えるのが適切だろう。「バルコニーの男」で Chief Inspector にベックが昇進して、これが「警部」相当くらいだと思うんだ。だから本作ではまだ管理職ではなくて、ベックも実働部隊である。
とはいえ、イマドキのニッポンでも、婦警がシングルマザーというのはいまだ実現できてないだろう。スウェーデン、ススンでるなあ!

No.590 6点 花田清輝全集 第八巻- 評論・エッセイ 2019/10/19 16:54
そういえば評者同様に、権田萬治氏も花田清輝に心酔したことを書いているね。花田清輝は折に触れてミステリ論とかミステリ評論とかもしているし、「あべこべに、わたしは、およそ四半世紀以前、その困難を身をもって痛感し、心ならずも推理小説家になることを断念して、それよりもはるかに容易な批評家という職業をえらんだ、いわば、一種の落伍者にすぎないのです(「推理小説のモデル」)」と書いていたりするくらいだ。まあ韜晦のキツい花田のこと、どこまでがホントかわかったもんじゃないが、少し前に評者が評した「鳥獣戯話」の材料でミステリを書こうというプランもあったらしい。なので本サイトでは、読書ガイドくらいなつもりで紹介するのもいいだろう。
花田清輝だと、短文の時評とか評論が主体なので、本で見たときにはミステリ関連の評論が散らばっている。「自明の理(1941)」に収録されている「探偵小説論」と、「時の娘」を論じた「ジョセフィン・ティ」と「ハードボイルド派」を収録した「乱世をいかに生きるか(1957)」を別にして、講談社の全集8巻が一番「ミステリ濃度」が高いだろう。しかもミステリ趣味の強く出たシナリオ「就職試験」も収録している。この第8巻は「近代の超克(1959)」を中心に、単行本未収録のこの年の評論を収録した本なのだが、「探偵小説日本の傑作九篇」(内容は完全犯罪安吾捕捕物帖二銭銅貨不連続黒死館人生の阿呆刺青本陣D坂)「無限の皮肉―ケネス・フィアリング『大時計』」「救済と採算―ガードナー『最後の法廷』」の書評3本、「推理小説のモデル」「推理小説の余分」の2つの評論がまあストライクだし、周辺的なものでは「ヒッチコックの張扇」「科学小説」それに読書日記の「日録」で1か月の間に読んでいる狭義のミステリを挙げると「犬神家の一族」「リスとアメリカ人(有馬)」「透明怪人(乱歩)」「源氏物語殺人事件(岡田鯱彦)」「エジプト十字架の秘密」、となる。関心のほどがうかがわれる。短評のレベルでも「ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』のおもしろさは、原子物理学者の眼で、フォークロアの世界をながめている点にある」なんて、実にイイ点突いている。それ以外にもハードボイルドやチャンドラーを引き合いに出して論じてる箇所もいろいろ、ある。
まあ「推理小説のモデル」は柳田国男に名探偵の資質を見出したり、「推理小説の余分」がロブ=グリエの「消しゴム」論からアンチ・ロマンにひっかけて書いたものなので、はぐらかされたような印象もある。しかし、花田のミステリへの注目は、花田独特の「大衆芸術論」から来ているので、かなり本質的なものだと思うのだ。花田の論の特徴として、対立しあう2つのカテゴリを、対立しながらも相互の往還させるようなダイナミズムがあるのだけども、アヴァンギャルドと大衆芸術とを、相互に往還するサイクルの中に、ミステリという都市のフォークロアに重要な契機を認めているからである。だからかなりマジメに系統的にミステリ、読んでいるんだよ。
なので、花田のミステリへの本音みたいなものをそれでもうかがわせる評論は、やはり「自明の理(1941)」収録の「探偵小説論」ということになる。この年代のものにしては、意外にパズラーに代表されるミステリの「論理」を「論理的なロココ趣味」と読んで否定的で、それよりもポオからハードボイルド派に直接つながるような内容で興味深い論である。

したがって、今日の探偵小説の世界に新しいいぶきを吹きこむためには、我々は「偽計」と絶縁し、ふたたび「古き惨虐性」に帰る必要がある。それは論理を捨て去ることではなく、逆に論理本来の機能を回復することであり、デ・クィンシーのいったように、殺人の構成に不可欠の要素として、さまざまな企み、光と影、群集、詩、感情といったようなものを、懐疑と神秘の雰囲気の中に置いてみることである。

ほぼチャンドラーの「シンプル・アート・オブ・マーダー」に匹敵する内容だと評者は思うんだよ。花田の立論としては、花田らしく「論理」と「非合理な現実」の往還を基礎において、その両者を粉砕する激越な運動を待ち望んでいるのだ。
まあ今回改めて花田の評論をまとめて読んで、左派を代表する論客であったにもかかわらず、倫理的ではなくて論理的であり、固定した対立ではなくてその対立が互いに相手側に変換されるような運動の中に、新しいアヴァンギャルドを花田は夢想している。この花田のスタンスが、実に一所不住の自在さを感じさせて、時代に寄り添いながらも時代を超えた面白さを感じる。評者のスタイルも強く花田に影響されていると思う。まあ、そんなことは、どうでもいい。

No.589 5点 喪服のランデヴー- コーネル・ウールリッチ 2019/10/15 17:40
「黒」シリーズでは本作で最後になるわけだけど、どんどんとマニエリスティックな方向に走ってる印象がある。ウールリッチ耽溺者ならハマれていいのかもしれないが、情緒過多になりすぎてて、若干シラケる部分も今回は感じているよ。
もちろん女性主人公復讐話の「黒衣の花嫁」の方がウケやすいし、映画化も狙いやすい(トリュフォーの名作もある)。男主人公だったら一般ウケしづらいかもしれないが、作者が自己投影しやすいのは確かだ。本作は作者が自分に溺れてしまったような印象なのは、やはり失敗、ということなんだろう。
要するに「うまいなあ」と思わせる部分がウールリッチらしく、この人にしか書けないような...であるまさにそのことが、既視感を強く感じるというあたりに、本作のデッドエンドっぽさを感じる。まあ仕方ないことなんだけどね。それにしても主人公、改めて振り返ると相当凶悪...と思ってしまうあたりが、ウールリッチの魔法にも限度はある、ということなのかもね。
(刑事のカメロンくん、無精キャラで何か評者コロンボみたいなキャラにイメージしてた。防御率悪いから、名刑事じゃあない。あと余談。上村一夫の語り口ってウールリッチを研究したんじゃないか?と気が付いた。どうだろう)

No.588 7点 スイート・ホーム殺人事件- クレイグ・ライス 2019/10/14 10:29
高校生の頃に読んだときには、退屈で退屈で...でその後敬遠していた作品なんだけど、逆に言うと「今再読して自分がどう感じるか?」ということの方が実に興味深かった。こういうのが、再読の醍醐味なんだろうね。ミステリとしては「密度」が低いし、ダメな人は本当にダメな作品なのは、他の皆さんの評をみればその通りな作品である。
まあ本作、子供が大活躍する作品であるにもかかわらず、まったく子供向きじゃないし、本作の幸福感とかユーモアなんて、高2病真っ盛りの高校生ゴトキにゃわからないよ。本当に「大人向けの童話」と思って読むべきなんだろう。推理作家の母親よりもしっかりした子供たちが、母親の小説の宣伝のために事件を解決しようと奮闘し、あまつさえナイスガイの警部と母親をくっつけようとするんだもん。こんな子供たちいるわけない。けども、この「いるわけない」に作者の愛と夢のすべてを注ぎ込んだ小説なんだよね。本作の幸福感がライスの悲惨な人生から生まれたものだ、と思ったら、かなり粛然とするものがあるよ。人生経験を重ねてからにこそ、読むべき小説だろう。
あと、子供の突飛な思い付きで出てる発言に、時々訳者がとまどっているような印象を受ける個所がある。だから訳は意外なくらいに読みづらい。これは訳者が合ってないのだと思う。それこそ小泉喜美子に頑張って訳してもらいたいようなものだ。

No.587 7点 屍体七十五歩にて死す- 小栗虫太郎 2019/10/12 21:12
桃源社の小栗虫太郎全作品は、テーマ別編集になっていることもあって、テーマ外の「その他作品年代別」が789巻になっている。7巻は「その他」の昭和2年~12年発表作を収録、ということになる。黒死館とも並行する時期だから、結果的に「ミステリ」に入る作品の比重が高いことになるけども、いや、ホントいろいろ書いてます。明朗少女小説風の「折鶴物語」、パロディ風の「魔氷」、バカミス風の「W.B.会奇譚」さらに「青い鷺」で見せるような洒脱な江戸趣味が強い作品がいくつも....

「紅毛傾城」西洋伝奇のハシリで「二十世紀鉄仮面」にも設定を再利用している。千島列島に盤踞する海賊兄弟のものとなった緑色の髪の女と、黄金郷エルドラドの謎を巡る伝奇ロマン。
「源内焼六術和尚」三重入れ子小説で未解決暗号があるので一部で有名。福音書のパロディを含んでいて面白い。虫太郎の江戸趣味が強く出ている。
「地虫」元検事が自ら堕落して加わった犯罪組織の中で、復讐者と対決するハードボイルド風作品。
「石神夫意人」レズビアン+シャム双生児趣味。「白蟻」に近い観念的なテイスト。
「国なき人々」最後の法水もの。スペイン内戦を舞台に、ドイツ人の義勇軍が乗っ取った潜水艦に、法水一行のヨットが拿捕されて...と海洋冒険小説。

とバラエティありすぎである。大概の作品に暗号があったり、あるいはかなりヘンな医学的知識とか双生児趣味、レズビアン趣味...と虫太郎らしい味付けはどの作品にもあるけども、題材の広さは驚くほど。
「爆撃鑑査写真七号」はスパイ小説不毛の日本では、トップクラスの本格スパイ小説だと思う。アンブラー風巻き込まれ型でしかも主人公女性。スイスで療養中のベルギー大使館員の夫を持つ宣子は、夫の元へか、不倫相手の元へか決めかねながら旅立とうとしたところだ。ところが、駅で宣子は中国南京政府が派遣した特使の秘書と間違われて....

ニオン・ロオザンヌ・ミラノ行き--。
電鈴(ベル)が鳴ってリヨン停車場(ガル・ド・リヨン)の待合室が急にざわめき立ってきた。接吻や、急き立てる声や、尾錠の音が入り乱れる。
(行こう。思い切ってモントルウへ。夫のところへ行こう)
宣子は、手携げを握りしめたが、腰は立たなかった。

で小説は始まる。虫太郎、こういう文章だってちゃんと書けるんだよ。ヨーロッパの政治関係などのデテールもしっかりした、「欧州のリアル」があるスパイ小説としてきっちり成立している。暗闘はあってもアクション味はゼロで、互いに互いの背景がわからなくて、腹の探りありに次ぐ探り合いに終始している地味リアル・スパイ。これかなり凄いことだ。当時の日本の立場からも、英仏は敵方設定なのが時代を感じさせる。

No.586 6点 帽子収集狂事件- ジョン・ディクスン・カー 2019/10/12 20:18
乱歩が褒めた有名作。都筑道夫流でいえばモダン・ディティクティブで評者的には印象がいい作品である。とはいえ、道具立てが、1)陰気な伝説満載のロンドン塔、2)ポー未発表原稿で第4のデュパン物?3)アリスのマッド・ハッタ―で、そりゃ「カー好きそうだね」はわかるんだが、それぞれの関連性が薄いのが難点、というものでしょう。どれも面白いネタなんだから、もっと掘り下げればいいのに。小説としては欲張りすぎて散漫になっていると思う。
というかね、ロンドン塔だけでもちゃんとやれば、異議のない代表作だったかもしれないよ。本作のミステリとしての一番の難点は、地理的関係が日本人にゃよくわからない、ということだからね。それぞれの塔や門の由来を丁寧にやるだけで、雰囲気も盛り上がれば位置関係もよくわかって、うまくトリックを埋め込めれたかも。というわけで、評者は「なんとなく惜しい感の強い作品」というのが結論。
(そういや本作、朝にロンドン到着したランポール君がフェル博士らと一杯やって死体を検分して、その深夜に事件が解決してる、という詰め込み過ぎの時系列なんだよね...いっくらなんでも一日の出来ごとにしちゃ、多すぎないかな。さて、手持ちのカーも尽きた...どっかで補充しないと)

No.585 7点 007/オクトパシー- イアン・フレミング 2019/10/11 00:10
二冊ある短編集の後の方のもの。たぶん007の小説で一番入手性が悪い本だろう(「007号世界を行く」の2冊の旅行記はどうも簡単に手に入りそうにない..)。短編3作にフレミングによるエッセイ「スリラー小説作法」とO.F.スネリングの「007/ジェイムズ・ボンド報告」から抜粋して構成した「007号のすべて」を収録。なので水増し本である。しかし、短編3つがどれも素晴らしい。
「ベルリン脱出」は原題「リビング・デイライツ」で映画のタイトルに使われている。東側に潜入したスパイの脱出をボンドが援護する話で、スナイパーとしての駆け引きが見どころ。ハードボイルド色が強くて、タイトな良さがある。
「所有者はある女性」(旧題「007号の商略」)は、イギリス情報部に潜入したソ連スパイの報酬として、カール・ファベルジェ作のロシア皇帝所縁の工芸が譲られた。現金化のためサザビーズで競売にかける機会を利用して、ソ連スパイの地区主任を見破ろうとする話。舞台はスノッブで派手で、007らしいがボンドの仕事内容は地味。でもこの意外な地味さが、いい。
「オクトパシー」(旧題「007号の追及」)は、戦争末期のドサクサにナチの金塊を強奪した元情報部員を捕らえるのに、ボンドが一役買う話。ボンドは狂言回しで内容的には元情報部員の回想と、ジャマイカで隠棲するこの男の現在の暮らしぶりが主体。冒険者の諦念めいたものを感じさせる。この主人公、ボンドのB面の人生みたいなものだろうな。
というわけで、3作の短編がそれぞれ独自の味わいで、面白く読める。評者長編よりも好きなくらいだ。タダの冒険アクション作家ではないフレミングの懐の深さを楽しもう。
(さて007コンプはあと「ドクター・ノオ」だけ。「007号世界を行く」はちょいと厳しい。「チキチキバンバン」どうしよう?)

No.584 6点 死後の恋- 夢野久作 2019/10/08 21:48
夢Q地獄系短編集。この本は社会思想社「異端作家三人傑作選」の1冊で、田村文雄の白目狂女のカバーイラストがグロい。収録は「人の顔」「死後の恋」「鉄槌」「斜坑」「幽霊と推進機」「キチガイ地獄」「押絵の奇蹟」「瓶詰の地獄」。必読有名作も多いけど、前にやったちくま版全集第8巻とやや作品がカブる。仕方ないな。今回マイナー作の「鉄槌」を面白く読んだ。
実父が「悪魔」と罵った株屋の叔父に、父の死後引き取られた主人公は、電話の声から相場をアテる奇妙な才能を発揮して、「悪魔」な叔父にも一目置かれるようになる....父の仇を討つ気もなくて怠惰に雇人を続けていたのだが、叔父は小悪魔的な情婦に篭絡されてその言いなりになってしまった。しかもその情婦は主人公にも粉をかけてくる始末。情婦はどうやら叔父の毒殺を狙っているらしい。主人公はどうするか?
というような話なんだけど、この主人公がきわめて怠惰でヤル気ないのが、いい。このキャラが実に夢Qらしい。「アンチ復讐小説」と言いたくなるような意外な儲け作。
「死後の恋」は浦塩(ウラジオストク)が舞台のグロテスクロマンで有名作。「アナスタシア内親王殿下」とか、そういや湊谷夢吉の漫画作品もここらをネタしてたなあ...(夢Qも70~80年代にガロ系に影響があったよ)
であと中編「押絵の奇蹟」かなあ。これ「ドグラ・マグラ」の中盤あたりの舞台装置に近いし、ウェットな情感でも共通する。「先夫遺伝」ってオカルトがベースにあるけど、小栗虫太郎の「白蟻」もこのネタ。きっとこの時期に流行ったんだろう。

No.583 7点 死の接吻- アイラ・レヴィン 2019/10/05 16:24
「アメリカの悲劇」をやったこともあって、本作を取り上げることにする。クライド・グリフィス君の名誉のために言うけど、本作の犯人、クライド君よりワルい奴だよ。最初っから狙いに狙って計画を立ててるわけで、伊達邦彦の方がずっと近いや。非情で良心ゼロで几帳面なほどに計画的....まあそれでも伊達邦彦みたいな超人じゃないから、特に第一部で計画が思い通りにいかなくてヒヤヒヤするのが読みどころではあるんだけどね。
で第一部で「彼」でやる叙述の手口はさんざん模倣されて目新しさはもうないんだけど、本作の良さ、というのは「ミステリ」というものをデザイナー視点で眺めて、編集しなおした「編集感覚」みたいなものなんだと思う。そういう意味で「新しくない」けど「新しい」、一風変わったポジションにあるのが強みだ、第一部の倒叙風、第二部のエレン視点の素人探偵ぶり、第三部の「追い詰める」サスペンス....「編集感覚」の冴え、というものだろう。
それにしても文章、上手だな。23歳でこれだけ書けるのはオカシイようなレベルだよ。本作のあと期待され続けたのがわかるけど、期待ほどには...と思うのは厳しい見方かな。

No.582 6点 大盗ジョナサン・ワイルド伝- ヘンリー・フィールディング 2019/10/03 08:37
戯曲と小説をきっちり区別するのも意味がないのかもしれないが、本作は現代の「小説」に直接つながるイギリス近代小説の発祥期(1743年出版)のもので、タイトルの通り実在した「暗黒街の帝王」を主人公にした「小説」なので、「ミステリ小説」の守備範囲に、一応、入る。きっと最古の「ミステリ小説」だろうね。
作者はヘンリー・フィールディング。この人は「イギリス小説の父」と呼ばれる一方、政治家としても活躍し、それまで無給で非専門家による運営だったロンドンの警察機構を改革して、「ボウストリート・ランナーズ」と呼ばれる専門の警察官による常勤の組織を作り上げた。つまりスコットランド・ヤードの原型を作った政治家でもあるわけだ。それこそ本作は、アンタッチャブルによるアル・カポネ伝みたいなもの...
のはずだが、実のところ、作者のフィールディングは辛辣な政治評論家でもあって、表向きはタダの故買屋だが、陰ではカモの情報収集・実行犯の編成・盗品を持ち主に買い取らせる交渉・売却・逮捕された場合のアリバイ提供・判事や陪審の買収など、一貫した「企業」として「犯罪組織」を作り上げて運営したジョナサン・ワイルドを主人公としながらも、さらにワイルドをフィールディングの政敵ロバート・ウォルポールに見立てて「物陰から攻撃する」怪文書的な役割まであったりする。トンデモない小説である。

実際、偉大性が、権力、高慢、傲岸、人類への加害を旨とする限り、また、―歯に衣きせずに申し上げるが―大人物と大悪人とが同義語である限りは、ワイルドこそ並ぶものなき偉大性の絶頂を独占すべき男でござる。

と、価値観をひっくり返すのは、そのウラに首相ウォルポールを標的とした「ホメ殺し」とかそういうイヤミな手口が潜んでいる。しかし、善と悪がひっくり返った、価値の転倒を本作は徹底的に行っているので、社会の裏側にある「裏返しの世界」が妙にリアルなものとして浮かびあがることになる。ワイルドは犯罪者の世界ではカエサルやアレクサンダー大王に匹敵する偉大な英雄であり、大政治家であり、大経営者なのである...とこれにヒントを得たのがブレヒトで、本作と「ベガーズ・オペラ」に取材して「三文オペラ」を書いたわけだが、「三文オペラ」の辛辣な陽気さは本作から立ち上るものだろう。
一方、ドイルはこのワイルドの犯罪組織にヒントを得て、モリアーティ教授とその組織を作り上げている。というか、その旨を「恐怖の谷」でワイルドの名前を出して刑事に講義するシーンがあるくらいだ。だから、「最初期の犯罪小説」で「影響力絶大」で「きわめてアイロニカルな語り口が面白い」怪文書みたいな快小説である。「トリストラム・シャンディ」風の脱線とかギリシャローマ古典的な観念操作とか読みづらい部分はあるのだが、こういう小説は、他にはなかなかない。

No.581 6点 女には向かない職業- P・D・ジェイムズ 2019/10/01 14:07
本作を「ハードボイルド」と呼ばれると、評者は忸怩たるものを感じるのだが....まあ今時ハードボイルド文なことを要求もしないし、カッコつけなくてもいいし、ましてやオトコじゃないと...とか言う気はさらさらにない。それでも、御三家に向けられた「意識」とか「まねび」みたいなものがないと、評者はハードボイルド、とは呼びたくないな。本作は強いて言えば、エリンの「第八の地獄」をベース(たとえば前所長に対する想い)にしているんだろう。なので、これは「ハードボイルドとは別な流れから来たリアリズム私立探偵小説」だと思うんだ。そのくらい、「第八の地獄」がミステリ史上の重要作だと思うんだけど、過小評価されているのが残念だ。
で、言うまでもなく、女性私立探偵コーデリア・グレイ初登場。つまり、女性が書いて、女性に共感される、女性私立探偵という意味では画期的、と言っていいだろう。事件は有名科学者の息子の自殺の真相を解明して...という依頼。ケンブリッジの学生たちの間をコーデリアが回って調査するわけだから、そりゃ年も近くて当りの柔らかな女性の方が向いてるに決まってる。たとえば今「私立探偵」をググってごらん、結構リアルの女性探偵ひっかかるから。相談しやすくて頭ごなしな態度をとったりしないから、実はリアルじゃ「女に向いた職業」なのかもしれないよ(苦笑)。だから関係者の女性たちと、いろいろ共感しあうあたりが、一番の読みどころになる。そうしてみると、小説としては実に王道になるわけで、大鉱脈を掘り当てたようなものだ。ミステリとしては小粒だけど、しっとりした読み心地がある。
で...実はね、評者のジャンル投票は「クライム/倒叙」にした。このオモムキは読んだ人にはわかると思う。どうだろう?

No.580 6点 見えないグリーン- ジョン・スラデック 2019/09/26 09:17
70年代にもなると海外では珍しい純パズラーで、日本でいう「新本格」テイストの作品。というか、本作は本当にパズルに徹していて、逆に「それ以外の要素」が皆無、というのが珍しいようにも思うが、いかがだろうか(たとえば「ホッグ」ならスリラー要素も強い)。それでも軽くユーモラスな雰囲気はあるから、読みやすさは十分。パズルだから動機は軽いものだし、フィージビリティとかいうのは野暮。それでも「黄金期パズラー」に対する過剰な思い入れみたいなものはなくて、軽妙でカラフル、だからポップ。アメリカの「新本格」の手品趣味に寄ったマニアックさもないし、イギリスの「新本格」の教養主義でもない。「新本格」ってのがもともとタダの宣伝文句なのを割り引いても、日本の「新本格」に近いタイプなんだろうな。
趣向として面白いのは、容疑者たちのアリバイの理由が逆密室になっている、というあたりだろう。そんなに長い作品でもないのに、連続して3つの殺人が起きるくらいで、動きがあって興味を引っ張るが、探偵役はその中で目立たない手がかりを拾い出して...というタイプの謎解きだから、漫然と読んでるとすぐ終わっちゃう印象。軽い口当たり。
というかねえ、この手の作品だったら何を基準に作品の良し悪しを判定するのか、って「論」的な部分で難しいようにも思う。ロジックがアクロバティックなわけでもない、トリックが派手というものでもないし、真相からドラマが立ち上がるわけでもないし、だったら、かなり読者で差がありそうなパズルで言う「解き味」? 「フェア」はまあ前提だろうしねえ。ミスディレクション中心のものだったら「経済性」はダメだろうしね...本作ある人物がパズルとしては浮いたピースになると思うよ。「難度」高きゃいいってものでもないだろうし、難しい。

No.579 6点 緋色のヴェネツィアー聖マルコ殺人事件- 塩野七生 2019/09/22 22:07
現在は副題に「殺人事件」が入っているが、当初「聖マルコ殺人事件」で出版されている。ヴェネチアの聖マルコ寺院の下で見つかった刑事の死体で始まって、小説の最後で犯人が判明するけど...まあ犯人当て興味はない。16世紀初めのヴェネチアを中心に主人公アルヴィーゼ・グリッティの愛と野望を描いた歴史小説、になるんだが、時代が古いだけのことで、内容はほほ国際スパイ・国際陰謀物だから、本サイトの守備範囲だと思う。この主人公の知名度は日本じゃないに等しいし、この時期のヴェネチアとオスマントルコを巡る政治情勢は、まず馴染みがないだろう。だけどハプスブルク家カール5世の野望に抗して、自らの恋と野望のために散るこの主人公の立ち位置が極めてユニーク。大変ナイスな主人公で、よくぞ見つけたねえ、と褒めたくなる。
アルヴィーゼはヴェネチアの元首の私生児で、庶出ゆえにヴェネチアの貴族社会には受け入れられないのだが、ビジネス上の付き合いの深いイスラム教のコンスタンティノープルではハンデではなく、ヴェネチアとオスマン・トルコの同盟関係を保証する「元首の息子」の要人として、スレイマン大帝にも信任される...というんだもの。国家も宗教も軽々と乗り越えて活躍する主人公に、ハメられる枠なんぞない。ヴェネチアでは名門の令嬢と恋しながらも、貴族外の私生児と結婚したら貴族から除外される規定があるので、自ら一旦身を引くんだが、オスマン・トルコの後援でオーストリア牽制を目的として、ハンガリーの征服とその王位を狙う...愛する人をハンガリー王妃として迎えようというアルヴィーゼの野望は実現するか?とまあロマンの極みみたいな主人公である。
なので話は、大変面白い。けどこの低評価は...妙に説明調が強く出ていて、小説らしい面白さとはちょっと違うんだよね。素材はもちろん極上なんだけど、語り口が生硬でやや興を削いでいる。何か惜しいなあ、という印象。塩野七生って小説家とも歴史家ともつかない微妙な人なんだな。それでも、当時の男性ファッションのきらびやかなあたりもちゃんとチェック入っている。こういうあたりは、いい。
でこのロマンの極みな主人公を、宝塚歌劇が放っておくわけない。で「ヴェネチアの紋章」(1991)になったわけだ。脚本・演出は今年7月に亡くなられた柴田侑宏で、主演も若くして亡くなった大浦みずき、その退団作品。というわけで柴田センセの追悼で本作を取り上げることにした。柴田センセというと、ファンの間ではベルばらの植田紳爾よりも尊敬されてた大ベテランなんだが、評者も好きな作品が数多い。本作もかなり原作に忠実なんだけども、作中でアルヴェ―ゼが恋人と踊るモレッカのシーンなんぞ、ヅカのダンスの教祖大浦みずきである。極めつけのカッコよさだ。これを受けて、アルヴィーゼが戦死を覚悟して遠く離れた恋人を想ってハンガリーの城で独り踊るモレッカをオリジナル・シーンとして追加しているし、幕切れもヴェネチアの「海との結婚」の祭りに、アルヴィーゼと恋人が転生(ヅカのラストシーンはよくある)して、語り手のマルコがそれを眺める、泣かせるラストになっている。
どうも大浦みずきの主演作で唯一のDVDが本作らしい。ちなみに後にトップスターになっただけでも安寿ミラ、真矢みき、森奈みはる、愛華みれ、真琴つばさ、紫吹淳、匠ひびき、姿月あさと、月影瞳...だけでなくて、研一で安蘭けい、花總まり、春野寿美礼まで出てたりする。古き良きヅカを楽しめる作品だ。

No.578 6点 ペトロフカ、38- ユリアン・セミョーノフ 2019/09/18 23:15
旧ソビエト警察小説である。ハヤカワの世界ミステリ全集にも収録されていたな。で....大変トッツキの悪い話である。会話と行動中心の文章だが、ハードボイルド、というものでもない。結構スカスカな文体で、児童向けを読んでいるような....それでも刑事や関係者の心理描写も結構入ってるが、昔風の神視点で、あたかも19世紀の小説を読んでいるかのよう。と「こりゃ、参ったなあ」と我慢して読んでいると、慣れてくるのか何となくの愛着も湧いてくる。キャラが立ってる、という感覚でもないんだが、生暖かい目で見守っていると、ふいにモスクワの街に犇めく無名の市民たちの肖像が浮かび上がってくるようにも感じられて、やはり警察小説とは「都市」がテーマである。だから今の小説とはポイントがズレているだけで、決して成功していないわけでない。6点は甘目だがついつい...
警官のピストルを奪って強盗する二人組とその黒幕を追う刑事たちの活動と私生活を、手堅くリアルに追った作品である。政治的背景はなくて、不良青年物に近いかなあ。登場人物は多くて、しかも長ったらしいロシア名前である(当たり前だ)。パズラー的な興味はほぼないが、事件に巻き込まれる詩人志望の少年を刑事たちが気遣ったり、強盗たちのターゲットが判明して救助が間に合うか?のスリルがあったり、これはこれでお国は違えど「大衆小説」の面白味が徐々に立ち上がってくるものである。
モスクワは涙を信じない、と小説の中でも繰り返し口にのぼる言い回しがあるんだが、それが言い得て妙な都市小説である(このタイトルの映画があったなあ。ちなみにアチラでは国民的名画で、主題歌も名曲)。

No.577 8点 火神を盗め- 山田正紀 2019/09/16 21:48
70年代の山田正紀の冒険小説じゃ「謀殺のチェスゲーム」と並ぶ名作だと思う。

大企業に温情主義は通用しないと言いながら、社員には忠誠を期待している...冗談じゃないですよ。会社が利益のために平然と社員を切り捨てるのなら、社員だって生命のために会社を切り捨てて当然じゃないですか

よくぞ言った!社畜根性をひっくり返す過激さが素晴らしい。今こそ見習わなくっちゃね。上出来のアンチ企業小説(なんてあるのか?)である。
インドのアグニ原発の中心部に爆弾が仕掛けられているらしい...総合商社の傍流社員の工藤がこれに気づいたとき、アグニ原発に派遣されていた同僚たちは事故にみせかけて殺されていた。帰国した工藤は専務を脅すまでして、この原発に侵入してトラブルの根源である爆弾を解除するプロジェクトを強引にスタートさせる。しかし集まったメンバーは社内でも指折りの無能社員たちばかり。対するアグニ原発は中印国境沿いにあることから、軍事施設級の重警戒が施されていた。プロも匙を投げる「不可能」なミッションにひるむことなく、無能社員たちを率いる工藤は奇想天外な手段でアグニ原発を攻略する...
とまあこんな話。こりゃサラリーマンのロマンが詰まった小説、じゃないかね。で、無能とされていた社員たちも、このプロジェクトの中で、それぞれがそれぞれのコンプレックスを克服していくのがお約束とはいいながら感動的。評者は桂の独演会が、泣けたなあ。劇画調でSFチックだが、シンプルでストレートな良さがある。まあ、大人の童話と思って読みたまえ。

サラリーマンを馬鹿にするんじゃない。スパイはカスだ、カスが真っ当に生きている人間に勝てるわけがない

No.576 7点 アメリカの悲劇- セオドア・ドライサー 2019/09/16 21:20
二十世紀の有名な人殺しの小説、というと後半の「異邦人」はもうやったが、二十世紀前半代表はコレでしょう。本サイトで取り上げても問題ないと思うんだよ。考えてみりゃ、ヴァン・ダインというかW.H.ライトの文学グループのトップ作家だし、アメリカン・リアリズムという点じゃハードボイルドを用意したようなものだ。しかも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」だって本作のリライトみたいな気もしてくるし...と「死の接吻」を引き合いに出さなくてもアメリカのミステリにいろいろと縁の深い作品なことは間違いない。
ま、実際主人公クライド・グリフィスの生い立ちと最初のホテルのベルボーイ稼業を扱った第一部はともかく、伯父のワイシャツカラー工場に勤めて女工ロバータとイイ仲になるけど、土地の令嬢ソンドラに気に入られてオモチャにされて...でロバータを殺すことになる第二部、その裁判から死刑に至る第三部はなかなかミステリ的な興味は大きい。しかもね、クライドは悪人というよりも優柔不断というか、野心と性欲が強いくせに、問題先送りタイプで、にっちもさっちも行かなくなって、グダグダな計画でロバータを殺そうとする。で、実際いろいろと足跡を晦ます工作をしながらも、いざロバータを殺そうとすると、何か気の毒になってついついためらってるうちに、事故みたいな恰好でロバータは溺れ死ぬ。しかし、クライドが策を弄したたために、今さら「殺してない」とはとってもじゃないけど主張できない....というはなはだ喜劇的な状況に陥る。裁判で無罪を主張しても、貧乏な女工から令嬢に乗り換えようと、女を殺す冷酷無残なプレイボーイ、というパブリック・イメージにハマってしまって、市民の憎悪の的になるだけ。社長と血縁があるだけで、タダの貧乏説教師の子だから貧乏から這い上がりたい、と思っているだけなんだけど、美男のせいもあって、色悪扱いされてしまう。
というわけで、「アメリカの悲劇」というタイトル自体が、狙って付けたようなアイロニカルなタイトルになっている。主要人物すべての心理をこれでもか、というくらいに細かく追って、重厚というかクドいというか、喜劇的なタッチはまったくないのだが、それでも鳥瞰すると喜劇でしかない、というのが実のところ一番「悲劇」的なポイントなのかもしれない。まあ、作者も結構主人公に批判的に突き放して描写しているしね。だから、死刑になるまでクライドは、自分がロバータを殺したかどうか半信半疑だし、母の愛に触れて獄中で悔い改めたことになってても、今一つ他人事みたいである。要するに未練がましく、したいことが徹底しない情けない男なのである。映画化の「陽のあたる場所」じゃ二枚目モンゴメリー・クリフトだったけど、カッコ悪さが本質だし、卑小なあがきがナサケなければナサケないほど、喜劇であり同時に悲劇になる。とすると「青春の蹉跌」のショーケンが一番「クライドの息子」らしさがあったのかもなあ。「えんやっとっと」だもんね。
あと文章なんだが、心理描写が丁寧というか、会話をしている二人の会話と同時にその内心を描写するするような、「作者は何でも知っている」スタイル。とにかもかくにも、何でもかんでも作者が説明したくて仕方がないような、とてつもなくクダクダしい文章である。ある意味、凄いのだが、ヘミングウェイやハメットの簡潔なハードボイルドスタイルが、ドライサーへの批判じゃないか、と勘ぐりたくなるような代物。

No.575 7点 黄色い犬- ジョルジュ・シムノン 2019/09/15 17:50
さて「黄色い犬」で評者の手持ちシムノンが尽きる。何となく手持ちがあるうちは図書館本とか借りづらくてね....初電子書籍で「港の酒場で」とかもチャレンジしたいな。
ジャンルが何となく「本格」になってるようだ。最後で関係者全部集めてメグレが謎解きするから、かもしれないが、論理的な...とは言えない解決というか、一般的な「推理」じゃないから「本格」はムチャだと思う。
というか、評者に言わせると「シムノンらしい」のは、短い小説なのに、登場人物の「行動原理が変わる」ところにあるように思うんだ。本作だとある人物「復讐」がベースにあるんだけども、結局復讐する意味がなくて復讐を止めてしまうし、いろいろな事件が必ずしも犯人の狙い通りの結果、というわけでもない。だから実質「推理不能」な部類の事件だし、シムノンの狙いもそんなところにはない。
じゃあ本作で何が印象的か?というと、それはやはりホテルの酒場の女給エンマ、

エンマは、もどって来ると、その場のようすにはいっこうに無頓着に、勘定台のうえへ顔を出した。目にくまのある面長な顔だ。くちびるはうすく、ろくに櫛もいれていない髪のうえから、ブルターニュふうの頭巾をかぶっているが、それが絶えず左のほうに落ちかかり、そのたびごとにかぶりなおしている

と描写される「幸薄さ」満開のもう若いとは言えない女性の肖像だったりする...田舎町の有力者たちのお手軽な愛人として無残な年を重ねていく、希望のない女。そしてホテルに腰を据えてエンマを召使みたいに扱う、自堕落で心気症な非開業の医者であるドクトル。うらぶれた行き場のない中年男女の運命が、「黄色い犬」を象徴とする事件によって変わっていくさまが見どころなわけだ。実際初登場で

メグレは、勘定台の下にねそべっている黄色い犬に目をとめた。さらに目をあげると黒いスカートにつやのない顔がみえた。

とエンマと黄色い犬は内密に結託しているかのようなのである。この黄色い犬が媒介するささやかな運命の時を、メグレと共に目撃することにしよう。

No.574 7点 幻の女- ウィリアム・アイリッシュ 2019/09/12 20:43
もし「名作」が後続の作家の「お手本」となるような作品のことだとしたら、本作は全然「名作」じゃない。本作は長編ミステリとしては弱点が多い作品なんだが、短編名手のウールリッチらしく、実のところ「サスペンス短編」としての珠玉の名作をいくつも「内包」した作品なんだと思う。だから本作の良さ、というのは本当に「ウールリッチだからこそ」なのであって、他の作家がやっても駄作にしかならない。ウールリッチだから、弱い部分もファンタジーみたいに許せるだけのことだ。
とくに「若い女性」の2つのパートなんて、奮いつきたくなるくらいの名作だと思う。評者なんて心臓バクバクでちょっとアテられるくらい。女性を能動的に動かしたら、ウールリッチのロマン味全開だもの。凄い。短編として独立して読んでもいいくらいだと思う。
長編として読んだときに、なかなかいいのは被害者マーセラのキャラクター。屈折した悪女、といった振舞いがいい。というわけで、やはり女性を描かせたら最強でしょう。女性は「化ける」というのをウールリッチは判っている。
あとやはりね、稲葉明雄の旧訳だけど、この人のセンチメントを隠したクールな明晰さと合った作品なのがベストマッチだと思う。というわけで、死刑ネタが「二都物語」と連続することになった。しまったな、次が「黄色い犬」の予定だったが、「男の首」にしたらよかった。
(死刑三連発は「アメリカの悲劇」になりました...)

キーワードから探す
クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.40点   採点数: 1313件
採点の多い作家(TOP10)
アガサ・クリスティー(97)
ジョルジュ・シムノン(96)
エラリイ・クイーン(45)
ジョン・ディクスン・カー(31)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(22)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
エリック・アンブラー(17)
アンドリュウ・ガーヴ(16)
アーサー・コナン・ドイル(16)