皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1313件 |
No.853 | 6点 | ピエール・リヴィエールの犯罪- ミシェル・フーコー | 2021/05/03 14:10 |
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フランス現代思想が一世を風靡したのはもうずいぶん前になってしまった。ここらの人々で一番「名探偵らしい」思想家を選ぶとしたら、評者は断然、ミシェル・フーコーだ。「狂気の歴史」やら「監獄の誕生」やらで、司法行政と精神医学が絡み合う歴史を読み直した歴史家だから、ミステリとも重なる領域がずいぶんあるには違いない。
本書はフーコーが主催したコレージュ・ド・フランスでのゼミナールの共同研究だ。七月王政期の1835年にノルマンディーの農村で起きた、母と妹・弟を鉈で殺害したピエール・リヴィエールの事件についての、訴訟資料と本人による手記、そしてこの事件をめぐるフーコーをはじめ7つの論評を1冊の本にしてある。だから、本当はこの本は「ミシェル・フーコー編」なのだけども、題材をゼミナールの主題として選択したフーコーが、全体の「編集的な作者」とも見えるから、とりあえず、フーコーの名前で登録はしておこう。 自白もあれば犯行の背景・動機を詳述した手記もあり、また直接の目撃証言もあって、犯人はピエール・リヴィエールであることに紛れはない。ではフーコーが何を「謎」と捉えたのだろうか。それはこの「親を含む家族殺し」が、「狂気」として草創期の精神医学の対象とされて、市民的な陪審裁判の結果「尊属殺人による死刑」が宣告されるのだが、国王による恩赦によって無期懲役に減刑されるプロセスを通じてあらわになる、この司法と医学が「狂気」を扱うその諸相である。 ピエールは人嫌いの変人であり、周囲からは半ば白痴として扱われてきたのだが、犯行後に独力で書いた手記は、詳細な記憶に基づく描写力豊かな記述が見受けられて、独学者とは思えないほどの内容があって、精神鑑定に当たった医師や司法官を驚かせている。逮捕直後は「わざと狂気を装っていた」ことを本人が認めるほどであり、「ピエールの狂気とは?」が本書の大きなテーマになる。 これを「詐病=演技」と捉えるには、事件までのピエールの変人ぶり、好人物の父をトラブルメイカーの母の意地悪から救うための殺人とするその動機、および仲の良かった弟も殺したことを「母殺しによって自分が罰を受けることで、父が悲しまないように、父に憎まれるため」と述べた不可解さなどから、直接に反証されることになる。ではピエールの「何」が「どの部分が」狂気なのだろうか? 正気だったり狂気だったりするのか、あるいは正気/狂気が混在しているのだろうか。そしてこの事件が、「尊属殺人」を「国王に弑逆」に比喩する国家理論と重なり、当時の大事件である国王暗殺未遂事件との関連で大きな社会的問題となっていく.... この様相をフーコー以下の7人の論者が、それぞれの立場から、論考していく。だから構成としてはほぼそのまま「毒入りチョコレート事件」風の推理合戦もののような本である。 いやこれ、ミステリ、でしょう? |
No.852 | 6点 | 神狩り2 リッパー- 山田正紀 | 2021/05/02 13:08 |
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言うまでもなく日本SF史上の傑作「神狩り」の続編である。評者は「神狩り」が大好きなこともあって、珍しく新刊で出た単行本を買って読んだよ...夜中2時までかかって読み終えた記憶がある。懐かしい。
そのくらい、ノンストップで読める小説。作者は「カッコいいSFに回帰したい」という思いで書いたそうである。いや、実にシーンシーンがカッコいいのである。オトコ3人が笑って死んでくあたりとか、老残の島津圭介が満を持して登場するあたりとか、 幅一ミリ秒、高さ百ミリボルトほどのパルスが軸索小丘から末端まで電気的に伝播される。それが第一次視覚野に集中されて異常発火(バースト)を作為的に起こす。 バースト! バースト! バースト! ああ あああぁううぅゥルルルル! 実にロックンロール!な覚醒描写! でこの結果「理亜は『神』をキックした。いわば『神』の後頭部に回し蹴り」を入れちゃうわけだ。 だから「カッコいいシーンを繋いで書いたら、カッコいい小説になるか?」というのが最大の問題。いやさすがにそれ、無理でしょう。いろいろ風呂敷は広がるんだけど、話がダイナミックに動いていく面白さが、ないんだなあ...「神」に恨みが数々ある「神狩り」の島津圭介のカタキを娘の理亜が討ち果たす...んだが、意外に感慨とか感動とか、ない。ふつうにオチがついているくらい。 残念。でもサクッと読めて、読んでるうちはほんとにカッコイイ。アニメの「機神兵団」で真空管が吹っ飛ぶバンク、カッコよかったな~ なんかそんなことを思い出す。 |
No.851 | 9点 | 密室- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー | 2021/05/01 15:43 |
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極めて底意地の悪い小説である。こんなエピソードに出くわすとは思ってもいなかった...だから、マルティン・ベックの代表作ではありえないが、最高傑作には評者は認定したい。
考えてみればこのシリーズ、警察小説とは言いながら、ベックをはじめ登場する刑事たちがヒーロー像からは逸脱気味で、「警官をヒーローとする小説」とするとどうも収まりが悪いシリーズなんだが、本作は悪ふざけ的なアイロニーが充溢していて、せっかく復帰のベックもとんだ役回りになる。タイトルからして「密室」で、ちゃんと「密室」で殺害された被害者がいて、それなりの密室トリックがあり、ベックがそのトリックを暴くのだが....いやそれがまったく何の実も結ばない。別に密室トリックはフザけたようなトリックではなくて、「マルティン・ベックらしいリアルで手堅い」もので複合技として一応オリジナリティを認めてもいいんじゃないかと思う。でもある意味「つまらないトリック」。だからパズラーマニアが喜ぶか、というとそういうものでもないだろう。 「密室トリック」が一応ちゃんとしたものではあるからこそ、「密室」を比喩として使うこの作品の狙いが、際立つともいえるだろう。だから、「密室を出たら、そこもまた密室だった」というような、言い換えると福祉社会を築き上げて公正で民主的な国家を作った...と一応の成功モデルとして捉えられがちなスエーデン社会が、まさにその成功によって疎外される人々を生み、軽薄で躁病的な「ブルトーザー」オルソン検事やら、権力志向の上司マルム警視長やらが、権力の座を握りしめる。どこかしら今のニッポンを思わせるような「成功ゆえの失敗」を絵に書いたような皮肉な状況が、この作品のテーマそのものだともいえる。 この「密室」の合わせ鏡の中に、ベックは囚われてしまう。とんだお笑い種である。 前作「唾棄すべき男」がこの矛盾した社会に押しつぶされた男の、キマジメな悲劇の話だったとすれば、今回はそれを顔をしかめながら笑い飛ばすような話である。 だからこそ、すばらしい。 |
No.850 | 6点 | 鍵孔のない扉- 鮎川哲也 | 2021/04/29 07:58 |
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評者は30年くらい前に一度きり読んだだけと思う...初期作は何度も読んでたりして、トリックが頭に残っているが、本作は内容完全に忘れていた。けどね、意外に定石どおりだから、トリックは両方推理完璧。としてみると、逆に評者は評価がしづらくなる....
パズラーの場合、「さっさと真相の推測がついた作品」=「易しいからバツ」という評価をするのは、評者はどうかと思うんだ。フェアだから「解ける」は想定内のわけだからね。もう少し別な視点がないものか、という風にはいつも感じている。 そう思うのは、おそらく本作に時刻表が一枚も入っていないからなのかもしれない。もちろん、蔵王温泉から軽井沢、と旅情はあるから「鮎哲アリバイ崩し マイナス 時刻表」な作品、という見方ができるだろう。そうしてみると、やはり鮎川哲也の「時刻表」というものが、「作品のアンカー」として働いていたようにも感じるんだ。 いや「時刻表アリバイトリックは辛気クサいだけ」とか「時代が変わっていてもう時刻表トリックが成立する余地はない」というご意見はごもっとも。評者も老眼が進んで、時刻表をツラツラ眺めるのがツライ(苦笑)。いくら鮎哲でも時刻表が載ってるからって、時刻表ベースのトリックではない、ということだってよくある。 でも、やはり作品の重心とかリアリティの根源とか、そういう役割を時刻表が果たしているのでは、と思うんだ。どうだろうか。 というわけで、皆さまの高評価にあえて逆らいたい。 鮎哲アリバイ物には時刻表が、それでも欲しい。 |
No.849 | 7点 | ニューロマンサー- ウィリアム・ギブスン | 2021/04/27 22:01 |
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ハードボイルドというは、何より文体だと、評者は思う。サイバーパンクというSFの流行を作った本作だけど、当サイトだからこそ、ハードボイルドの新しい展開みたいに捉えてみるのも一興。
実際、本作のプロットは悪党パーカーみたいなケイパー物であり、それ以上でも、それ以下でもない。また、サイバースペースやらカウボーイやらサイバーパンク特有のガジェットだって、インターネットの元になったARPAネットをベースに空想されたものと解釈可能でもあって、これらを執筆時点でさえも「誇張された現実」と見るのもいいかもしれない。さらに言えば、もちろん本作の「未来予測」はかなりのところ当たっていたわけだから、「今」で考えればまさに「SFではなくて現実」である。 いや言いたいのは、ハードボイルドとは「男の感傷のダダ漏れるナニワブシ」ではなくて、「現実の捉え方」だ、ということ。そうしてみると、本作は確かに「現実の見え方」を変えて見せたのだろう。そして「リアル」と「ヴァーチャルなリアル」の区別が付きづらくなった「今」、まさにそれに直面して「リアル」の捉え方を「フリップ」してみせた本作の意義、というのをSFに限定する必要はない。 港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。 「別に用(や)ってるわけじゃないんだけど―」 と誰かが言うのを聞きながら、ケイスは人込みを押し分けて《チャット》のドアにはいりこんだ。 「―おれの体がドラッグ大欠乏症になったみたいなんだ」 《スプロール》調の声、《スプロール》調の冗談だ。 まあだから、固有名詞やジャーゴンが説明後回しで飛び交う、読みづらい小説であることは確か...でもこの読みづらさを「(新しい)SFっぽさ」と捉えるべきだし、「新しい現実」に急に放り込まれた感覚が作品のテーマそのものなのだとも思う。 |
No.848 | 7点 | モッブー死神ー- 池上遼一、滝沢解 | 2021/04/25 10:17 |
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池上遼一というと、付く原作者が誰であったとしても、ジャンルはハードアクションに違いないし、ヘンに衒った超人思想とそれを絵として説得できる美麗な画力...なので、一応本サイトでも作品によっては「ミステリ」枠で捉えていいんじゃないかと思ってます。というわけで本作。1981年に創刊したてのビッグコミックスピリッツに連載。これの後継連載がヒット作の「傷追い人」なんだけど、打ち切り臭くて小学館から単行本が出ずに、初出版はスタジオ・シップから(1984)。「怪作」の誉れ高き漆黒のノワール。
いや本作というね、第一部「青春は錆びているか」で展開するヤクザ皆殺し襲撃事件に突っ走り自殺的な最後を遂げる早瀬新八の話、第二部「水晶の野獣」でその弟銀八が乗り込んだ「暴力というバス」を支配する美少年ガスマンの話、そして謎解かれる第一部の兄の死の真相が、本当に辻褄が合っていない。「整合性皆無」と評されるのがふつうなのだから、「謎解き」に拘泥する読者は「はあ!?」というものなんだろうけども、評者なんかは、この整合性を無視して、アチラの方向へジャンプして果てている姿が、実に「奇書」という感じで肯定的に捉えたいと思うのだ。いや、そうしたくなるくらいに、本書のデテールは奇怪にして美麗な奇観の連続、めくるめくジェットコースターのようなオージーを見ているかのよう。 ・端午の節句のお祝いの品を身につけて帰ってきた幼稚園児が、その母を騙して凌辱する新八の背の「鯉の滝登り」の刺青を凝視する ・この幼稚園児が新八に一矢報いたあとに、新八が襲撃の一斉射撃で散る死にざま ・視界すべてを強烈に歪ませるゴーグルを常に装着、コンピュータに打ち込んだ哲学者・思想家・文学者のアフォリズムだけをガイドにして、5人のボンテージの「軍隊」を引き連れ、夜の街に無意味な暴力衝動を発散する「地獄の美少年」ガスマン。 なので、シーンシーンのノワールとしての「強烈さ」は類をみないほど。それが池上遼一の絶頂期の流麗な絵で描かれている....デタラメと言わばアナーキー、キッチュと言わば幻怪。奇書好みがある場合に限っての、おすすめのマンガ。 おたくはんら大人(オジン)とちがって 短いんだ青春は!! とこれが捨て台詞。80年代初頭で辛うじて花開けた暗黒の青春。「整合性皆無」を肯定的に表現すると「刹那的な魅力を湛えた」になるらしい。確かに、当たってる。 |
No.847 | 6点 | 八兵衛捕物帖- 比留間英一 | 2021/04/24 10:57 |
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「八兵衛捕物帖」といっても、時代劇では、ない。半七・佐七・伝七とか岡っ引きには「七」の字が似合うが、それを上回る「八」はリアルの昭和の警視庁捜査一課の名物刑事である。
人並由真さんの三好徹「ふたりの真犯人 三億円事件の謎」のご書評の中で、昭和の名物刑事平塚八兵衛氏に触れられているのを読んで、ついつい懐かしくなって探したら図書館にありました。著者は毎日新聞の社会部記者で、三億円事件の時効が迫る1975年の夏に毎日新聞夕刊の連載読物として掲載されて、本になったもの。いや中学1年生の評者、すっかり新聞を読むのも習慣づいて、この連載を愛読してたんだ。なので、本当に懐かしい本。 なので、内容は八兵衛氏全面協力の「生きた戦後事件史」。八兵衛氏を読み物仕立てで主人公にして、誘拐事件でもトップクラスの知名度を誇る「吉展ちゃん事件」、松本清張「黒い福音」で有名な「スチュワーデス殺人事件」、三億円事件など、八兵衛氏が活躍した著名事件に大きくページが割かれるほか、知名度は低いが「面白い」事件の話もある。あるいは「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」など終戦直後でまだルーキーだったころに実際の現場を見て捜査にかかわった有名事件を「あのときはこうだった」と1章に。 八兵衛氏というと「落としの八兵衛」と異名をとった、取り調べ名人だからその取り調べのさまがとくに「吉展ちゃん事件」でうかがわれる。供述のウラを綿密に取って、その矛盾を丹念に突くことで、容疑者を心理的に追い詰めるプロセスが興味深い。けど外国人神父が容疑者だった「スチュワーデス殺人事件」はそれが通用しなったみたいだなあ... まあ、本当は八兵衛氏の取り調べは強引なこともあって、たとえば「大森勧銀事件」のように裁判でひっくり返ることもあるし、帝銀事件の平沢死刑囚の犯人説を主唱したのが八兵衛氏だったようだし...と功罪がやはりある刑事である。 で、時効が迫る三億円事件にもう一度注意を喚起するために、あえて八兵衛氏は定年退職を選んで、メディア露出をしていたのも思い出されて、懐かしい。「昭和」に浸れる本だから、「捕物帖」なのがある意味正鵠を得てる、かも(苦笑)。 平塚八兵衛氏を扱ったノンフィクションとしては、他に佐々木嘉信「刑事一代 - 平塚八兵衛の昭和事件史」がある。そっちも読んでみようかしら。 |
No.846 | 7点 | 唾棄すべき男- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー | 2021/04/23 19:34 |
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シリーズ中で一番シンプルな話なのではないのだろうか。
「やつは最低の種類の警官、権威を笠にきた、無頼漢も同然の男だ」とコルベリが酷評するニーマン主任警部が、入院中の病院で惨殺された。いやそれなりに優秀な警官ではあるのだが、権威的に他人に振る舞うマチズムの権化であり、治安維持にかこつけてサディスティックに暴力をふるう制服警官である。1950年代末にスウェーデン警察にも民主化の波が訪れて、軍隊調の組織運営が廃されたことでこのニーマンは出世の糸口を喪ったのだが、それでもしぶとく警察内に勢力を養っていた男だ。 だから市民とのトラブルも多く、ニーマンを恨む人は多い。しかし、捜査の中で明らかになるのは、よき夫であり、古風で父権的ではあるがよき父である普通の市民としての肖像である。しかし、ニーマンは私的には一切同僚とは交際せず「警察官にはおいそれと友人はできないものだ」と口癖のようにいって「警官の孤独」を漏らす。 これを聞き出したベックも、わが身に引き比べて耳が痛い。ベック自身の孤独と、ニーマンの孤独、そしてニーマンに人生を狂わされて復讐に走った犯人の孤独...これらが重なり合って、クライマックスの派手な銃撃戦のさなか、ベックはある「愚かな」行為をすることになる。ベック自身も犯人の復讐リストに載っていたのである。 というわけで、一気に派手な結末まで走り抜ける。ベックの良心も、世の暴力の中では役に立たないとするのなら、やるせない孤独と、暴力に満ちた、なんとも救いがない話になる。 (ちなみに準レギュラーの一人が殉職する。合掌) |
No.845 | 8点 | カブト虫殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン | 2021/04/22 17:32 |
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今更ヴァン・ダインというのも、やはり「どう読むか?」という問題になってきていると思うのだ。いやね、「グリーン家」「僧正」「カブト虫」「ケンネル」というあたりは、戦前の日本でもリアルタイムで熱狂的に歓迎され、模倣者続出だったことは言うまでもない。というか、ニッポンの(評者に言わせればかなり偏った)ミステリ受容の中には、ヴァン・ダイン自身のルサンチマンを背景に作り上げた「理論」も作品同様に影を落としている、という風にもみるべきなんだろう。
でその模倣者であり、かつヴァン・ダインを完璧に超えて見せた作家が小栗虫太郎だ。「黒死館殺人事件」自体が、ここらへんのヴァン・ダイン作品のリミックスだと言っていい部分があるんだけども、あの「黒死館」の主要な「タッチ」がどうも本作みたいな気がする。法水の語調やらちょっとしたタイミングが、どうも本作のヴァンスの振る舞いに強く既視感を憶えたりするんである... いや実は「カブト虫」はかなりキッチュな作品なんだ。1922年のツタンカーメンの王墓の発掘、25年には石棺からミイラと黄金のマスクが取り出され..と1920年代の話題をさらい続けたのが、このエジプト趣味だそうだ。もちろんこれには、都市伝説としての「ファラオの呪い」のオマケもついていて、ヴァン・ダインもこのエジプトの神秘と怪異に便乗しようと書かれた作品であることは、まあ間違いない。しかし、ヴァン・ダイン特有のペダントリがなかなか頑張っていて、「エジプトの神秘と怪異」の小説になっているあたり、キッチュなんだがそれでも雰囲気が独特な作品と言ってもいいだろう。 そしてこのヴァン・ダイン、いわゆる「小説」は下手というか、突き放したような会話劇なこともあって、本作あたりは「探偵の所作事」のようにも見えることがある。 「君の最初の手がかりについての読みは、まさに犯人の思う壺にはまったものだった」 マーカムは、ヴァンスを、鋭く見守っていた。 「君には、犯人の計画がどんなものか、考えがあるんだね」マーカムのことばは、質問というよりも事実の断定に近かった。 「うん、そりゃ、そうさ」ヴァンスはたちまち超然とした態度にかわった。「考え?そりゃある。しかし、目もくるめくほどの啓示と呼びうるようなものではない。僕は陰謀があることはすぐ疑った。」 こんな具合のシーンを、役者が「型」をつなげて「見得を切る」ように「演じている」さまを脳裏に描くだに、具体的な「謎」は単なる媒介であってその実、「陰謀」に対峙してその周囲で舞う夢幻能のようなヴァンスの一挙手一頭足に奪われるような体験をした... ヴァン・ダインでも、こんな印象を受ける作品は少ない。せいぜい「僧正」と本作だけじゃないのだろうか。こんな読み方は評者だけかもしれないけども、虫太郎を通じて魔法にかかっちゃったかな。 |
No.844 | 7点 | 宇宙戦争- ハーバート・ジョージ・ウェルズ | 2021/04/19 23:19 |
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SF大古典だけど、予断をなくして読むと、これは「戦争」の小説のように思われる。
突然の脅威と、それにパニックを起こして逃げ出す人々。軍隊は時折一矢報いるように見えるが、初めて目にする兵器に手も足も出ず、圧倒的な戦力差に蹂躙される都市.... いや、この小説を読んでいて、脳裏に浮かんだのは、なによりもゴジラ第1作だった。あの映画も、遅ればせながらの「戦争」の映画であり、ゴジラの猛威という「架空」によって、あらためて戦災の理不尽を噛みしめなおした映画のように感じられる。しかしこの「宇宙戦争」とはベクトルが真逆なのが、面白い。「宇宙戦争」は普仏戦争以降50年近くヨーロッパに平和が続いたそのただ中で、来るべき第一次世界大戦を幻視していたようにも感じられるのだ。毒ガスと戦車、飛行機、ロケット弾による戦争が作家の空想の中から、現実化していった...と思うと、実にこれが「SFならざるSF」のようにも思えて、文明評論家ウェルズの面目躍如のようにも感じられる。 そういう、戦争と難民の小説である。 |
No.843 | 7点 | 黒い白鳥- 鮎川哲也 | 2021/04/18 23:48 |
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中学生の頃に読んだときには、「なんて重厚な...」というイメージだったのだけど、今読むと全然そんなこと、ないな。けど、本当にトリックよく憶えてる。長岡側は内容忘れてたけど、すぐにピンときちゃうのは、やはり無意識で憶えていたのかなあ....
なんてのは「嘆き」になるんだろうか。「鉄道にしっぺがえしされる」風のオチがナイスなのはいうまでもないが。 なので今回は、とくに「世相」が目に付く。事件自体が下山事件を思わせるものだし、近江絹糸争議やら璽光尊やら終戦直後の混乱期のネタなので、この本の出版が「所得倍増」の1960年というのが、評者はちょっと不思議に感じる。もちろん鮎哲は「社会派」じゃないんだけども、執筆時点で10年くらい前の話をモデルに書いていることになる。だからこういうナマな事件を扱っても、フィルターかかったような、ファンタジックな印象を受けるのかな。 だからこんな緻密なトリックの小説でも、「重厚」ではなくて「ファンタジックな軽さ」みたいなものが出るのが、鮎川哲也、なんだろう。やはり「ペトロフ」「黒いトランク」のタッチは「スペシャル」で、本作あたりから「鮎川哲也」が確立したと見るべきなんだろう。 (ネタばれ) でも鳴海くん後味悪いから殺さないでおくれよ。それにしても、被害者の社長ゲスだなあ... そういえば本作だと堅物の鬼貫が飛田を訪問するのが「らしく」なくて面白い。まだ遊郭営業している時代。 |
No.842 | 7点 | 殺しの一品料理(ア・ラ・カルト)- アンソロジー(国内編集者) | 2021/04/18 23:18 |
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いわゆる推理小説年鑑の1973年度。昔は「推理小説年鑑」、最近は「ザ・ベストミステリーズ」で、「ミステリー傑作選」とか「推理小説代表作選集」とか銘打たれて、日本推理小説作家協会編で、講談社で刊行される年度別短編選集。名前が何度も変わってるし、文庫になるときに年ごとにキャッチーなタイトルが付くから、こういうサイトだと、分かりづらい。「日本推理小説作家協会編」で判別するしかないかな。けど、作品は当然粒ぞろい。一応全作短評しよう。
小松左京「待つ女」 人間消失だけど、奇譚風の話。「おクラさま」と古風なのを揶揄される女性の暮らしぶりが、「昔の庶民の生活」を体現していて、評者なんぞはすごく懐かしさを感じる。好き。 山村正夫「気になる投書」 人生相談を巡るアイロニカルな仕掛け話。ふつう。 三好徹「不確かな証人」 意外にリアルなトリックあり。ふつう。 海渡英祐「酔っぱらった死体」 吉田茂はゲスい。まあそれがウリのシリーズだけど。ふつう。 陳舜臣「宝蘭と二人の男」 神戸の中国人専用の娼婦宝蘭の数奇な人生と、彼女を巡り殺し合った二人の男の話。庶民の歴史、といったあたりの面白さに惹かれる。 夏樹静子「暗い玄界灘に」 婚約者がヘルニア手術中に急死した真相の話。雰囲気がいい。 戸板康二「明治村の時計」 中村雅楽ではない単発の、アララギ派歌人と無頼派詩人の因縁の話。いやこんなのフィクションでやるのかな? 都筑道夫「九段の母」 タイトルは戦時歌謡だけど、戦前の靖国神社の例大祭の縁日では見世物小屋や香具師がわんさかと...という猥雑な市井の「噺」という印象の作品。雰囲気が面白い。「なめくじ長屋」の昭和版?かしら。 松本清張「理外の理」 時代遅れの考証家が雑誌ラインナップから外されたことを復讐する話。書痴な話で、そこらへんに妙な味がある。 鮎川哲也「竜王氏の不吉な旅」 三番館でアリバイ崩し話。鬼貫物風の話で、不吉な名前の地名を回る旅行がアリバイ(死の島=篠島はw)。だけど、安楽椅子探偵のバーテンだから、どうも名探偵過ぎて、逆につまらない。 佐野洋「猿の証言」 ふつう。 土屋隆夫「泥の文学碑」 「盲目の鴉」の冒頭部分で事件が少しだけ違う。確かに「盲目の鴉」でこの部分、浮いてるもんね。「盲目の鴉」読んでると、モヤモヤする。 森村誠一「殺意の造型」 美容室でよろけた客がヒゲ剃り中の美容師を突き飛ばし、客は喉を切り裂かれて...単純な事故と思われた事件に、刑事は疑いを持つ。当時全盛期でベストセラー連発していた森村誠一。この頃まだかなりパズラー寄りでそれを社会派とミックスした作風....評者今まで1作もやってないけど、実は大の苦手。文章が嫌いだから、たぶん取り上げないんじゃないかと思う。けど、この作品、妙にバカミスな味があって、実に面白い。この本のベスト。 戸川昌子「裂けた鱗」。 パリにロケに出たTVクルーの一行は、独裁的なディレクターの独断で、「足の裏を切り裂く」ことで恍惚となる女をヒロインに据えた、「パリで蒸発する女」のセミドキュメンタリーな話を取ることになる....猟奇性高し。ナイス。 いやこの頃、社会派全盛末期くらいだけど、「ジャンル感が薄い」何が飛び出てくるか予測がつかないような面白さがある。レギュラー探偵もヒーロー性が薄い吉田警部補と三番館のバーテンだけだし、「ポストモダン」にならない「モダン」というあたりでは、一番典型的な時期のようにも思う。だって土屋隆夫だって戸板康二だって、古典的なパズラーとは言い難い作品を収録だし...意外に三好徹・夏樹静子がパズラー寄りかなあ。 |
No.841 | 6点 | 事件の核心- グレアム・グリーン | 2021/04/18 22:06 |
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グリーンでも純文学側。
第二次大戦中、アフリカの英国植民地で警察の副署長が主人公で、妻がいる。本人は職に満足しているが、その妻は熱帯の気候に嫌気がさして、気候のいい南アフリカに脱出したがっている。しかし資金的な問題でかなわない。本国から来た男ウィルスンは、主人公の妻に一目ぼれするが、どうやらこの男は情報部の仕事で植民地に来ているようだ...ウィルスンは仕事と恋と両方から、主人公を敵視する。主人公はシリア人商人のユーセフの便宜を結果として図ってしまったことから、ユーセフからの借金で妻を南アフリカに旅立たせる....近海で潜水艦に襲われて難破した客船の脱出ボートが救出される。そのボートで救出された若妻ヘレンは夫を亡くしており、憐れんだ主人公と密通することになる。南アフリカに向かった妻は引きかえし、弱みを掴んだユーセフの主人公への要求はエスカレートしていく。 こんな話。悲劇に終わるが、この「人を憐れむ警察官」の主人公を巡って、カトリックの信仰が問われる作品。まあ、本来のこの作品のテーマ、狙いについては、訳者伊藤整の解説が、コンパクトにまとまっていて、 人間がその愛において純粋になり、神と等質化することは、人間の破滅であり、破滅の実践としての自殺、即ち神の救いの否定という最大の罪を犯すことにしか、その人間の救いがあり得ないことになる としているわけだけど....いやさ、21世紀の極東の異教徒のジャップとしてはさ、こういう「読み」だと、本当に読む意味がなくなるんだよ。なのでここでは、ちょっと頑張って、そうじゃない読みをしてみるべきなんだと評者は思うんだ。 というわけで、あえてこの作品を「警察小説」と読んでみようと思うんだ。主人公は警官・副署長だからね、こう読んでいけないかい? 警察官というのは言うまでもなく「秩序を維持」するための公務員である。主人公は賄賂を貰ってダイヤ密輸の方棒を担がされる、あるいは妻の不在の中で、保護対象の縁がある女性と密通するなど、「悪徳警官」みたいなことになってしまうわけだが、実際そういうハメに陥った理由というのは、主人公が周囲の人を「憐れんだ」ためなあたりがオリジナルな面白さ。 共感によって抜き差しならぬ状況に追い込まれたのだから、実際主人公は周囲からは人間的な敬意を払われる、「まともなイイ人間」なのが、根底にある。しかし、共感が強いことは、「弱い」ことでもある。警察官が犯人にいちいち同情していたら、職務の執行は、難しい。だからこの主人公は、「ありえない警察官」として、寓話劇の主人公となる。実際、主人公の「憐れみ」は何の役にも立たないし、その「友情」につけこむ商人ユーソフに操られて、忠実な召使が死ぬことにもなる。だからディックの「電気羊」とちょっとテイストが近い話だとも思う。 この「ありえない」状況の中で、逆に主人公は「死ぬ」ことで自身の矛盾の決着をつける。その姿が、どこかしらイエスの処刑につながってみえるのが、作者のダブルイメージなのだけど、それはカトリックの大罪である「自殺」の形をとるしかないものになるから、その死自体も「矛盾」したままなのだ。 というわけで、これは「義なる人」としての、理想的な警察官の話なのだ。 |
No.840 | 8点 | 天上天下 赤江瀑アラベスク 1- 赤江瀑 | 2021/04/13 08:33 |
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最近では赤江瀑の作品はもっぱら電子書籍しか手に入らない...となっていたのだが、今までご縁がなかった創元推理文庫から、全3巻のアンソロが出ることになった。この第1巻がエッセイ「海峡―この水の無明の眞秀ろば」、長編最終作の「星踊る綺羅の鳴く川」、赤江瀑の長編としてはまとまりのいい「上空の城」の豪華3本立てに、故郷下関と歌舞伎と桃源郷を語ったエッセイ、それに編者とのロングインタビューを収録。
編者の東雅夫が以前学研M文庫の「幻妖の匣」のタイトルでまとめた本が、「海峡」「上空の城」+短編で構成されていてお買い得本だった。その本が今手に入りづらいから、拡大強化版のような企画である。 赤江瀑というと、長編作家じゃないから、どうしても「企画」が必要だ。この本は一応「長編3作」合本になるのだけど、それぞれが130ページほどしかない。「上空の城」あたりは特に、赤江瀑の「長編作家」らしからぬところも出ていて、短編に親しんでいると名作短編の引き延ばしのような印象も受けてしまう。まあ、そういう弱点もある作家、というのは念頭に置いておいた方がいいようにも感じる。実際、長編らしさがあるのは未完で著者らしくなく駄作の新聞連載小説「巨門星」くらいだし。 「海峡」は傑作だ。けどそれでも、それぞれの章が「破片」として、AからHの8つの断片からなる、エッセイ仕立てで「フィクション」ではない。統一したストーリーはなく、海峡をキーワードにして、さらに著者の名作短編で扱われたそれぞれの奇想の核を敷衍するような幻想世界が8つ。それを貫いて、若くして発狂して「海峡を越えた向こう岸の住人」と化した親友への追憶が芯になっている。なので、この「海峡」を赤江瀑入門に読むのはまったく勧めない。短編名作に親しんだあとに、「海峡」を読むと、赤江瀑の発想の核にある幻想がさらに広がって味わえて、赤江瀑を立体的に楽しむことができる。 水中でしか咲かないその人造花が、人間の肉体の花に擬せられてすこしも不自然ではないどころか、じつに適切な比喩となり得てわれわれに人間の花についての或るあざやかな展望をもたらし、説得力をもつというこのことは、恐ろしいことがらなのではあるまいか。 「役者の花」といういい方は世阿弥以来、クリシェとなっているのだが、この「人間の(宿命の)花」という比喩で赤江瀑の登場人物の運命を形容すると、なかなかオモムキの深いものがあるようにも感じられるのだ。 で、最後の長編となった「星踊る綺羅の鳴く川」は、江戸歌舞伎の役者が体現する「歌舞伎の精霊」と、鶴屋南北の戯曲に憑りつかれて死んだ劇作家を慕う女優たちとの間での、幻想の対話劇みたいなもの。「赤江瀑の「平成」歌舞伎入門」という新書での歌舞伎エッセイが赤江瀑の遺作になるようで、晩年の歌舞伎をめぐる幻想を展開した「歌舞伎論」のような芝居仕立ての「小説」である。観念劇だから、歌舞伎など演劇に関心が薄いと、つまらないんじゃないかな。 トリの「上空の城」は内容的には赤江瀑らしい話で、「城のイメージ」に憑りつかれた女性と、彼女に恋した青年のラブロマンスである。まあだから、小説としては意図的に「ふつう」を「当社比」で目指したような印象もある。いやこれを短編、と読んだら、引き延ばされて、赤江瀑らしくない日常描写の混じった作品、になるんだろうけども、長編と読むとやや食い足りないようにも感じる。赤江瀑入門編には最適かもしれないが、赤江瀑を「短編だけ」の作家に捉えざるを得ない、そんな残念さも感じるのだ。 東京創元社のサイトには4月末刊行の「魔軍跳梁 赤江瀑アラベスク2」の内容が出てますね。「幻妖の匣」収録作+後期作品なので、ほぼ光文社3巻アンソロとはカブらない、といううれしい内容! 買いです。 それでも3巻あたり長編「ガラ」は収録しないかなあ.... |
No.839 | 8点 | 11枚のとらんぷ- 泡坂妻夫 | 2021/04/07 18:59 |
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角川文庫の解説は松田道弘氏、というのが愛だ。20年ぶりくらいの再読だが、作中作のマジックのネタは頭に残っていたのだろうか、結構ピンと来たなあ(すまぬ)。だから今回はかなり客観的に読めたようにも思う。
そうすると、前半のマジックサークルのてんやわんやの発表会、後半の世界国際奇術家会議のマニア味溢れる面白さでなかなか満足してしまった。著者のマジックへの愛がこれでもか、というくらいに溢れているあたりに評者は感動していた... だからというか、意外に不評な犯行状況の真相だが、これは著者のミステリへの愛をマジックへの愛が上回った結果のように思うのだ。評者は悪い印象はないよ。 どうなんだろう。昔って「ミステリとマジックは、ファン層が重なっていて..」とよく言われていたのだが、言うほどには「カブって」いない印象があったのは事実だ。評者でもミステリマニアは昔からだが、マジックは最近に別方面で必要に迫られて、参考のためにいろいろ知識を仕入れた、という程度の話だ。今はマジックの動画もネットで色々見ることができて、ショーとして楽しんでもいるわけだが...いや、皆さんのお書きになられたご書評を見るかぎり、泡坂氏や松田道弘氏みたいなミステリ&マジックという方は、やはり少数のようにも思われる(空さんはご造詣が凄そうだが..) マジックの要諦は「不意打ち」にあるからね、「もういちど演じて!」と観客に要求されても、絶対に応じちゃいけない。読み終わった後で再度分析して書評を書くなんていう行為自体が、マジックから見ると愚の骨頂かもしれないよ。 |
No.838 | 7点 | 怪奇クラブ- アーサー・マッケン | 2021/04/05 22:48 |
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本作の原題は「三人の詐欺師」だから、「怪奇クラブ」という訳題は訳者の平井呈一の意図的な意訳みたいなものなんだが、意外に原題「三人の詐欺師」はネタバレに近くて、百物語をするような「怪奇クラブ」というクラブがあるわけでもない。スティーブンスンの「新アラビアンナイト」風の連鎖的奇譚集という体裁の作品なんだが、怪奇か?というとタダの詐欺話みたいな「小さな酒場での出来事」やらスリラー風の「暗黒の谷」もあって、恐怖・怪奇というよりも「奇譚」というやや広いカテゴリで捉えた方がいいのだろう。
それでも有名な「黒い石印」と「白い粉薬」の二大怪奇編は、ラヴクラフトが研究し模倣したのがよくわかる。「描写せずに感じさせる」ラヴクラフトの流儀はマッケンに源があるのだ。でしかも、この話の鎖は最後で一まわりまわって最初の場面につながる。そして、最初の場面の「三人の詐欺師」が何をしようとしていたのかが理解できて、「詐欺師」であるのと同時に理に落ちた詐欺ではない、おぞましい秘密結社の神秘が読者の脳内に具体的な「描写」なしに想像され、この「恐怖の円環」が完成する。 評者ネタバレしちゃったんだけども、これは理に落ちた「オチ」ではないから、ラヴクラフトの「描写せずに想像させて感じさせる」同様に、実際に体験してみないと絶対わからないと思うんだ。大概の読者は最終章を読んだ後に、冒頭を読み直し、登場人物の整理表を作って、もう一度浚いなおすだろう。まさにマッケンの術中にハマっている。このループの魔術が空前絶後だと思う。 創元だと短編「大いなる来復」を収録。こっちは「聖なる」方の神秘の話。ユイスマンスもそうだけど、世紀末悪魔主義者って、悔い改めちゃうのが定石みたいなものなのか。 |
No.837 | 7点 | 幽霊狩人カーナッキの事件簿- W・H・ホジスン | 2021/04/04 09:37 |
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ミステリ以外に名探偵がいるジャンルなのが、ゴーストハンター物なんだけども、一番ホームズに近いテイストがある「名探偵」はカーナッキだと思うんだ。時代的にもこの連作が書かれたのが1910年頃で、ホームズも引退してサセックスの田舎で養蜂業を...で「獅子のたてがみ」事件を解決していたあたり。
で、このカーナッキの一番の特徴というと、誰もが指摘するし評者なんぞ「カーナッキ主義」とパターン化して呼んでるくらいのもので、事件が本当にオカルト的な原因で起きているケースもあれば、オカルトを装って人間が起こしているケース、あるいはその両方の複合のことも...という融通無碍な解決なことである。いやこのカーナッキ主義、実のところホラー系では今では結構常套手段になっている手法で、その先駆者、というあたりでも「大古典」と呼ぶべきだと思っている。 このカーナッキ最大のライバルであるブラックウッドのサイレンス博士が純オカルトなのは、作者のブラックウッドが真面目なオカルティストだからなんだろうが、逆にこのホジスンのカーナッキが「なんでもアリ」なのは、ホジスンがオカルティストと言うよりも「エンターテナーだから」という風に見ていいと思うんだ。だから、ホームズ譚のガジェット性を意識的に取り入れて、真空管を活用した「電気式五芒星」やら「ネクロノミコン」の先輩格の魔導書「シグザンド写本」「サアアマアア典儀」、あるいは「語られざる事件」の数々...と、ホームズに学んだ優等生ぶりを発揮している。しかも、霊現象を待ち受ける描写に、たとえば「まだらの紐」や「赤毛連盟」での暗闇での待機のホームズ譚の息詰まる描写のイメージが重なるなぞ、「オカルトのホームズ」の期待通りの姿を見せる。 ホームズと違うのは、ワトスンは居らずに、友人4人に体験談を一人称で語る語り口である。意外にこの語り口を「臆病」「ヘタレ」と評価する方もいるようだが、評者はどっちかいうと、一度だけ勝てばいいアマチュアと、負けられないプロの違いをうまく描写しているようにも思うんだ。どんな仕事でも「負けるわけにはいかない」ゆえの、慎重さと危険への備え、それに想定外の危険がある場合の潔い戦術的撤退、といったあたりの「プロの仕事の妙味」が描写できているようにも感じる。自身の恐怖心を危険度へのアンテナとして客観視するとか、なるほどと思わせる描写がある。 「ホームズの面白いアレンジ」として、ミステリファンほど、カーナッキを読むといいようにも感じる。実際この「カーナッキ主義」、ホラーの常識になっていると言っても過言でないくらいに、影響力の強いものだからね。 |
No.836 | 5点 | 背いて故郷- 志水辰夫 | 2021/04/02 16:36 |
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協会賞受賞作。北の海が常に背景にある。自分が譲った船長職を得た友人が、船内で殺された件を追求する中で、元部下の船員たちの間を回って主人公がいろいろ危ない目にあう話。一言で印象をまとめたら「ウェットで陰鬱」。主人公に自責の念が強いというよりも、そもそも破滅型。だから極めて日本化されていて、ハードボイルドと言っていいのか、評者は微妙だと思う。「弱い男の強がりの話」を主観的な思い入れたっぷりに...って、強烈に日本的な解釈だと思うんだよ。やはり現実の客観性としっかり切り結ぶ部分がないと、評者はハードボイルドとは思いたくないなあ....
まあだから、ディック・フランシスのヒーローあたりに近いような印象を受ける。冒険小説の方にニュアンスが近いと思うんだよ。で、この作家の特徴というか、話の進行がゆっくりで、意外に出来事が少ない。それを主観的思い入れでたっぷりと語るタイプだ。 「裂けて海峡」ほどヘンではないけど、最後のどんでん返しは前半で描かれた人物像から見ると、強い違和感がある。なんか最後でシラケた... 本作読むなら、たとえば「拳銃は俺のパスポート」とか、ハードボイルドに寄った日活アクションを見た方が満足感があるような気もするんだよ。要するに、小説だから、主観ダダ洩れになる部分が、どうも気に入らない。文句多いな、すまぬ。 |
No.835 | 6点 | モロー博士の島- ハーバート・ジョージ・ウェルズ | 2021/03/31 08:13 |
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旺文社文庫「改造人間の島」で読了。この本は「改造人間の島(モロー博士の島)」「魔法の園(塀についたドア)」「王様になりそこねた男(盲人国)」「怪鳥エピオルニス(イーピヨルニスの島)」の1中編+3短編を収録。以前創元の「タイムマシン」を読んだが、この本と「塀についたドア」「イーピヨルニスの島」がカブるので、論評からは除外。
メインはもちろん表題作の中編「モロー博士の島」。いやこの作品、枠組みにあたる最初の難破と救助~モロー博士の島からの脱出、の比重が意外に重くて、クラシックな「海洋冒険小説」の枠組みを重視しているのがよくわかる。この語りの枠組みが、作品が負っている「ロビンソン・クルーソー」と「フランケンシュタイン」の2作品へのレファレンスみたいに見えて、その2作についての、19世紀末という時代からの鋭い批判があるようにも見受けられる。 いやね、ウェルズというと独特の批判主義というか警世家という側面があるわけで、「フランケンシュタイン譚」として、本作の「動物を向上させて人間にする」テーマを見れば、やはりモロー博士の傲慢が復讐される話なんだし、逆に「ロビンソン・クルーソー譚」の破綻と見れば、虐待されたフライデーの復讐、という風にも読めるわけだ。だからモロー博士に代表される西洋的な「知性」が、実のところ植民地主義の別名でしかない、という大英帝国の実像を告発する小説、という風にも見えてくるのも仕方がないことでもある。 しかも末尾でこれを逆転させて、ほかならぬ大英帝国の住人たちの中に、モロー博士の島で体験したような「獣性」を感じて、文明の化けの皮が剥がれる描写さえも含むわけである...大問題作。発表当時世論を刺激した、というのはもっともな話。 で「王様になりそこねた男」は、そういえば似たような話が落語の「一眼国」だ(苦笑)。目の見えない住人ばかりが暮らすアンデス山中の秘境に迷い込んだ男が「王様」になろうとして失敗する話。ウェルズの「相対化」みたいなアイデアが仮借ない。 というわけでアイデアストーリーなんだが、両方とも仮借ない批判性が面白い。 |
No.834 | 7点 | 囲碁殺人事件- 竹本健治 | 2021/03/30 17:27 |
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評者は、ヘボい。それでも中盤の暗号の盤面は「何がどうヘンか?」は分かるくらい。まあ周辺ファンくらいのものか。だけど一番碁に関心を持ってた時期が、本作の舞台の時期なので、なかなか懐かしいんだ。槙野棋幽は梶原武雄がモデルだろうし、挑戦者の氷室七段は小林光一あたりだろう。いや梶原武雄というと口の悪い先輩は「超一流のレッスンプロ」なんて悪口を言ってたが、「梶原の碁」とかね、技術書がアマチュア上級者にもてはやされていた時期だ(さすがにこのレベルは評者はチンプンカンプンだったから、情けない。梶原ドリル戦法!)。本作の槙野のタイトル保有の設定がファン感情を揺さぶられる。
そんな感じで「懐かしい!」という感情が先に立つからか、甘目の評価? いやいやなかなかスッキリしたいい作品で、碁とミステリの両方への愛が漏れ出している。純粋にミステリとしてのキーワードは、さすがに今はわりとわかりやすいか。だから逆に囲碁初心者の脳生理学者が事件に絡むのが、なかなかの工夫。でもその設定自体で槙野棋幽のキャラに面白味が出ているのが何より。で、碁のルールの曖昧なあたりを、さらに囲碁の象徴性に重ね合わせて... 両劫に仮生ひとつ。 軽い嘔吐感と一緒に、その言葉がぽっかり浮かんだ。何?何なの?目の前の平行線は、ぐるりとさかさまになる。石畳が天上に持ちあがる。 月光の活。 と幻想シーンもなかなか結構で、中井英夫風の味が出ている。やはり少年には幻想がよく似合う(少年愛っぽくはないんだが)。うん、好感が大きい作品である。 眼科医とかけて、棋士と解く、そのココロは? ―どちらも眼で苦労する なるほど。座布団一枚。 |