皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1382件 |
No.982 | 6点 | 浴槽の花嫁- 牧逸馬 | 2022/05/01 10:25 |
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まだ書評がないんだ。新青年趣味の最たる作家なんだけどもねえ。全米放浪から帰って森下雨村に見いだされ、わずか10年の作家生活の中で、谷譲次で「めりけんじゃっぷ」、林不忘で「丹下左膳」、そして牧逸馬で「世界怪奇実話」...八面六臂で追いつかない戦前の怪物作家。この教養文庫の解説で「怪物度」ではおさおさ劣らない松本清張さえも脱帽している。
この世界怪奇実話シリーズは、格式がちゃんとある高級総合雑誌「中央公論」の連載。要するに、それまでだって犯罪実録系の怪奇実話なんて、いくらでもある。それらと一線を画す情報量とリアリティ、小説的興趣で今読んでも古びない凄愴さが感じられる。ネタは本書収録のものに限っても、今でも有名なものが多い。ジャック・ザ・リッパー、新妻連続保険殺人で有名な「浴槽の花嫁」、マタ・ハリ、ハノーヴァーの人肉肉屋ハーマン...さらには「タイタニック号」「クリッペン事件」などなど、読者のいわゆる「猟奇事件のジョーシキ」を確立したのがこのシリーズと言っても過言ではないだろうね。 事件が事件だから、なかなかアザトい。でも初出の人名だとアルファベットで表記して、その後はカタカナ、とかそういう小技でリアリティというか臨場感を与えたり、わざと時系列を入れ替えて効果を与えるとか、実話でも作者の「技あり」な部分が目立つ作品である。 が、珍しい美人だったことは伝説ではない。これだけは現実だった。丸味を帯びて、繊細に波動する四肢、身長は六フィート近くもあって、西洋好色家の概念する暖海の人魚だった。インド人の混血児とみずから放送したくらいだ。家系に黒人の血でも混入しているのか、浅黒い琥珀色の皮膚をしていて、それがまた、魅惑を助けて相手の好奇心を唆る。倦い光を放つ、鳶色の大きな眼。強い口唇に漂っている曖昧な微笑。性愛と残忍性の表情。 凄惨なものではなくて、キレイな方(マタ・ハリの容姿)で、文章の実例。ぶっきらぼうに単語を投げ出すようにして、畳みかける独特の迫力のある文体である。筆圧が高すぎて、コレクションだと胸やけしそうだ(苦笑)。 評者的にはパリの社交界に20年にわたって君臨した「詐欺師の女王」ウンベルト夫人の話がナイスだったなあ....いやこの件、凄惨な猟奇事件でもなくて埋もれてしまった話だけど、なるほど、と思わせるリアルな「詐欺のコツ」みたいなものを感じる。ちなみに、ウィリアム・ル・キューをこの話の狂言回しみたいに牧逸馬は使っている。 |
No.981 | 6点 | カルディノーの息子- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/29 14:54 |
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ハヤカワの世界ミステリ全集の座談会で、都筑道夫が「シムノンは紹介しても売れない..」ってボヤいた回想をしてたんだけど、この本も都筑主導でポケミスで出したもの。本書のあとがきだと「ベルの死」で文句付いたのがコタえた様子で、主客の対話仕立てで
客「それを探偵小説として出すのは、おかしいんじゃないかな?」 主「これはやっぱり探偵小説の土壌から生まれた文学なんだよ」 と釈明しているあたりに弱気が見える(苦笑)。まあ、実際、評者もポケミスのシムノンの未読はあとチビ医者モノの「死体が空から降ってくる」だけになってきた。意外なくらいに、出てないんだよ。 で、本作は妻を寝取られた男が、その妻の行方を捜す話。いやはや、何とも不名誉な話のうえに、主人公のカルディノーがまた微妙な立場にいる男なのだ。タイトルの「カルディノーの息子」が、この主人公に対する町の人々の呼び名、なのである。労働者階級の出身だが、小才が効くことで保険会社で出世して主人のお気に入り、と自分の家族や昔馴染みからはヤッカミの目で見られるタイプの小市民なのだ。だから妻に逃げられた話、というのも誰もが喜劇的な感想を持ちがちで、そんな状況下でも誠心誠意、妻を追う....いや、笑っていいのか、いけないのか? 集英社のシムノン選集の解説にあるんだけど、シムノンは、労働者階級も、小市民も、ブルジョアも、まるで書けない、なんて言ってるフランスの評論家がいるようだ。シムノンが得意とするのは、まさに本書の主人公のようなキャラなのである。労働者階級から這い上がりながらも、旦那衆からは疎外され、負い目を持ちながらも、社会階級の転落に怯える男....まさに、本書の主人公のピンチはそれを強烈に戯画化したようなものである。 (ちなみに本書、打ってある最終のノンブルは p.122。92ページの「明日よ、さらば」には及ばないがね..ページ以上の読みごたえは、あります) |
No.980 | 6点 | 緑のダイヤ- アーサー・モリスン | 2022/04/29 09:05 |
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「スパイ入門」で出くわしたリチャード・ハーディング・デイヴィスにがぜん興味が湧いて調べたら、この世界大ロマン全集の巻に「霧の夜」が収録されていたんだ。昔読んだ....改めて読み直して、内容を何となく憶えている。う~ん、こんな再会もあるもんなんだね。
もう少し説明すると、R.H.ディヴィスはドイルやモリスンと同世代のアメリカのジャーナリスト。戦争特派員として世界の戦場を股にかけたという猛者なんだが、少し小説も書いていて「ダブル・スパイ」(1911)という短編が、グリーン編の「スパイ入門」に収録されていて、読んだら評者ビックリ級の名作。それに違わず、ミステリマガジンの第601号(要するに50周年記念号)でジャンル別オールタイムベスト短編を選んで新訳している中に、「スパイ」のタイトルで採用されている。まあ、スパイ小説の短編、というのは数が少ないのもあるけども、堂々のオールタイムベストである。1911年作品だから、第一次大戦前の「クローク&ダガー」時代の作品でも、テイストはモダンなスパイ小説を先取り。「アシェンデン」より17年も早いし、短編小説的充実感も負けてない。「スパイ小説のオーパーツ」と呼びたい。 この「スパイ」の他には、「フランスのどこかで」という作品が丸谷才一編の「世界スパイ小説傑作選1」に、そして「霧の夜」がアーサー・モリスンの「緑のダイヤ」を表題作にしたこの本に収録されていた。 で「霧の夜」。三部構成でいわゆるイギリスの「クラブ」に集まる紳士の座談と悪戯、そしてその座談の中で3人の紳士が語る、霧の夜に出くわした二重殺人と、勅使帯行官の密命と女スパイの攻防、意外な殺人犯人の指摘...と中編規模ながら凝った構成で、霧の夜に彷徨うような着地点がなかなか見えてこない不思議テイストがある。著者がアメリカ人、というのが信じられないほどにイギリス風味のよく効いた佳作。ジャンルからは完璧にハミだしている。 「霧の夜」は「短編ミステリの二百年」にも収録されているようだ。年月に埋もれないデイヴィスの実力に感服。こうなったらぜひ「フランスのどこかで」も読んでみたい。 すまぬモリスンの「緑のダイヤ」は駆け足。そういえば乱歩の「海外クラシック・ベストテン」に本作入ってたから、戦前には名作評価があった作品。時代がかっているけども、のんびり読めるし、一儲けを企んで介入するボーイ長やら俗物たちの右往左往も妙に面白いところもある。一ダースの古いワインの瓶のどれかに希少なダイヤが隠された、ということから争奪戦が始まるのだが、便乗組はあたかも仕手戦の提灯連中みたいなもので、仕手は売り逃げ・提灯は大損、というそのままの構図。 でもアメリカの石油成金の言葉遣いをヘンテコな関西弁?で訳しているのが何か気持ち悪い...訳者の延原謙の経歴だと関西プロパーな出身でもないみたい。 まあ要するに、この世界大ロマン全集のこの巻は、延原謙の裁量で編んだ巻、ということなのだろう。あとがきでも「新青年の専属翻訳家だった」ということを書いていて、「新青年」という雑誌自体が、若い翻訳家たちの積極的な作品発掘の情熱に支えられて、賑わっていたのが窺われる。「緑のダイヤ」は森下雨村の依頼だったそうだが、本書にもう一品収録の「ある殺人者の日記」は、延原が海外注文した雑誌で見つけた作品から。だから著者のマルセル・ベルジェは完全に正体不明。でもそこそこ面白い。 |
No.979 | 6点 | 十三妹- 武田泰淳 | 2022/04/27 21:43 |
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「第一次戦後派」というと、戦争が題材で、文体は「実存文」という奴。「暗い重いニッポン文学」の代表みたいなものなのだが、武田泰淳はずっと茫洋としてロマン寄りのところがあるから、評者高校生の頃愛読したなあ。例えばアイヌの青年と女流画家の恋愛と闘争を描いた「森と湖のまつり」やら、食人事件を扱った「ひかりごけ」やら、スケール感のある作品を書ける珍しいタイプの作家だったわけだけども...亡くなったら本当にすぐに本を見かけなくなった。ブンガクってイバっても「商品」なんだ、というのを思い知らされたよ。
で、この人、評伝の「司馬遷」がそもそも出世作だし、戦中~戦後の時期上海で過ごして、その時代をネタに「風媒花」を書いたりで、中国に縁の深い作家である。1966年に新聞小説として書かれたのが本作なんだが、主人公が十三妹(しいさんめい)。伴野朗の「五十万年の死角」に登場する藍衣社(国民党)の女スパイがこの名前を名乗るわけだけど、中国清末の武侠小説「児女英雄伝」のバトル・ヒロインで有名なキャラだ。 武侠小説も最近は翻訳もあるし、マンガのネタにも使われて知名度が上がっているわけだけども、泰淳昭和の御代からネタにしている。とはいえキャラを借りて、さらに別の武侠の「三侠五義」の人気者の白玉堂や名裁判官包拯(中華ミステリの名探偵、かも)も登場のオリジナル・ストーリー。和製武侠小説の先駆というのもあって、解説を田中芳樹が買って出ている。 ...なんだが、結構お話はとっ散らかっている。場面場面は楽しいんだけどねえ。続編を書くつもりが実現しなかった、という事情もあるようだ。十三妹も白玉堂も「忍者」だそうである(苦笑)。それこそ風太郎忍法帖みたいな面白さがでるところもある。この白玉堂のスネ者、屈折ぶりがなかなか、いい。それに対し、十三妹の亭主の安公子が、劉備とか三蔵法師を思わせる無能キャラなのは中華のお約束。なぜ十三妹が頑張って保護するのか理解不能。それでも白玉堂ともども美形設定。 中華モノは、たとえば安能「封神演義」とか読むと、「中国人って理解不能...」なんて思う箇所もいろいろあるわけだけども、本作は日本人が書いているから、ちゃんと日本の読者に伝わるように書けて、しかも異文化の話、というのがきっちり伝わる。バランスのとり方がさすが泰淳ではあるんだけどね。 |
No.978 | 7点 | 三文オペラ- ベルトルト・ブレヒト | 2022/04/23 09:35 |
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そいから鮫だ、鮫にゃ歯がある
その歯は、つらにあらァ そいからマクヒィスは、どすを呑んでる だがそのどすを、見たやつァねえ どすのマクヒィス(マック・ザ・ナイフ)はいなせなギャングだ。マクヒィスは物乞いを組織化した商売人のビーチャムの娘ポリーを親から奪って結婚するが、ビーチャムはマクヒィスを警察に密告する。しかし、警視総監のタイガー・ブラウンはマクヒィスとは戦友で腐れ縁の仲だったが、居場所を娼婦たちから密告されたマクヒィスを裏切って逮捕する.... 登場人物はすべて暗黒街の住人たちで、裏切りは日常茶飯。いやこれ、本当に「ワルいヤツらばっかり」の通俗ハードボイルドの世界なんだよ。それこそカーター・ブラウンとかハドリー・チェイスの世界そのまま。「ワルくなけりゃ生きていく資格がない」のが、この世界の実相なのであり、道徳だって常識だって、一皮むけば成功したギャングに他ならない「エラい奴ら」の道具に過ぎない。だったら「ハードボイルドに、ワルく生きようぜ!」 ...今だったら、こんな風に読む方のが、実は生産的なんだと思うんだ。もちろんブレヒト、サヨクのブンガクシャで、新劇じゃ神のように崇められてた劇作家なんだが、もうそういう読み方から離れても、いいんじゃない? 実際、アヴァンギャルドな唐突さで挿入される「ソング」によって、読者は物語に「立ち止まる」。演出も「これみよがし」に麗々しくやれ、と指示している。「自然な感情が盛り上がって歌になる」というミュージカルとは正反対に、パフォーマンスがウケればウケるほど、話の寓意性を「物語に流されることなく、自分の話としてピンとくる」ことを要求されるのだ。 これって、実はきわめてモダンなことなのである。わざと仕掛けたギクシャクに立ち止まって、主体的に「愉しむ」という「観客の態度」が求められるのだ。今風の「ネタ消費」だってこの客観性に近いものがあるのではないのだろうか? そんな「冷酷でハードボイルドな観客」というものを創造したことが、ブレヒトの芝居の最大の功績なんだとも思う。 いや、ハードボイルドはアメリカだけじゃなくて、同時期のドイツの「即物主義」にも強く表れていると、評者は思うんだよ。 ブレヒトだって、実はハードボイルドだ。 |
No.977 | 8点 | スパイ入門- アンソロジー(海外編集者) | 2022/04/20 11:02 |
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原題は「The Spy's Bedside Book」で「スパイ枕頭の書」。いやグレアム・グリーンの翻訳作品集成でこれを見つけて、その大量の収録作品にびっくり。一体これは何の本なんだ?という興味で図書館で探してみたらあった。
計38作、しかも名前だけしか聞いたことのない、ウィリアム・ル・キューが9本、オッペンハイムも1作収録されていて、興味がそそられるじゃあ、ありませんか? 実物は、というと... 要するに、グリーンとその実弟のヒューが編んだ、さまざまなスパイ小説のサワリを抜き出して、「スパイの心得の必携書」といった体裁のシャレの効いた本である。グリーン本人もル・キューが好きだったようで、そんな献辞も入っている。 だからいわゆる「アンソロ」と言うよりも、グリーンの「エディトリアルな作品」という風に見た方がいいだろう。収録作品について軽く説明すれば、 ・ジョン・バカン「だた一人で」 「緑のマント」の冒頭 ・サマセット・モーム「すごく面白い小説」 「アシェンデン」の導入部 ・グレアム・グリーン「I spy」 同題のグリーンの短編の結末部分 ・ジョセフ・コンラッド「なぐるコツ」 「西欧の眼の下に」のクライマックス ・アーサー・モリスン「盗まれた設計図」 「ディクソン魚雷事件」をフル収録 ・エリック・アンブラー「推理小説を書く」 「ディミトリオスの棺」のハキ大佐のエピソード こんな感じで、「スパイ入門(勧誘)」「スパイの受難(ピンチ!)」「スパイの余暇」「スパイのトリック」といったテーマを立てて、それに適切なスパイ小説やら本当のスパイの体験談、あるいは公文書などのサワリを抜粋収録して組み立てた本になる。 じゃあ、「本当のスパイ」というとどんな人か?といえば、たとえばロバート・ベイドゥンポウエル(ベーデン=パウエルのが馴染みがある、ボーイスカウトの創設者)、T.E.ロレンス(「アラビアのロレンス」)の回想からエピソードを拾っていたりするのだけども、 わたしたちがこのアンソロジーに筆者の名前を出さなかったとしたら、果たしてどれだけの読者に実話と創作の区別ができるか、わたくしは疑問に思う と「プロローグ」で編者のグリーンに言わしめるように、虚実の曖昧なまさにそのあわいで「スパイ」というものが成立するのでは?という洞察さえ示すのだ。いや実際、「スパイ活動の成果」のどれが本当の情報か、あるいは敵が仕組んだニセ情報なのか、二重スパイが自分の食い扶持を稼ぐためにでっち上げたものなのか、それとも誤解・思い込み・妄想のタグイなのか...どうやって検証するのだろう? なのでそういう「虚実のあわい」をユラユラと揺れるような話が、やはり面白い。リチャード・ハーディング・デイヴィスの「ダブル・スパイ」はおそらくフル収録(HMM601号に別訳が載っている?)で、何が本当かよくわからないダブル・スパイの肖像を描いて極めて面白い。このディヴィス、戦場ジャーナリストのハシリみたいな人物だそうだから、本職のスパイでも別に不思議でもないし、実話めいた真相不明の面白さを感じる。 まあ、スパイなんてものは、「スパイ・ノイローゼ」(ベジル・トムソン:第一次大戦下のロンドン警視庁CID責任者)に描かれたように、緊張下の庶民が抱く妄想の産物であることも極めて多い、という事実を冷静に指摘もする。そういう「スパイ」を巡る虚実をエディトリアルなかたちで示してみせたグリーン兄弟の手腕が光る本である。 スパイの心は人間の精神の実験室である。 と訳者の北村太郎は総括する。まさに「スパイとは文学」。 (ちなみにル・キューはギャグ・マンガみたいな豪快さが面白い!) |
No.976 | 6点 | 神曲地獄篇- 高木彬光 | 2022/04/18 21:18 |
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今年は「あさま山荘50周年」で特集とかいろいろあったこともあるから、本作やろうか。高木彬光と連合赤軍、なんかわかったようなわからないような取り合わせ。笠井潔みたいにモロ「世代」なわけでもないし、「なんで?」という疑問も大きいわけだが、まあこの人「社会派」系作品も「人蟻」とか「破戒法廷」とか「追跡」とかあるわけで、そういう興味だと思えばいいのだろう。
評者はあさま山荘はテレビの中継を見た覚えがある程度。でも学生時代には「連赤の総括くらい済ませてるぜ」とウソ吹く活動家がまだいたなあ...評者在学中に各セクトが軒並み崩壊した世代だ。やや上の世代で連赤と東アジアの二本立てでヤル気なくした方々とか、お付き合いがないわけでもなかったが。 で、この本は連赤の「総括」、リンチ殺人をコレでもか!と念入りに小説仕立てにしたもの。「あさま山荘」はちょっぴり、それよりもプロローグ的な印旛沼事件(脱落者を謀殺した事件)の方がウェイトが高いくらい。なので、永田洋子の異常性に力点がおかれていて、思想やら社会状況やらそういう話題には明白に関心がない。閉鎖空間の中で、サディスティックな人物が独裁的な権力を振り回す話としてまとめている。 だから、オウム事件とか、イジメとか、ブラック企業とかと共通するミクロな「権力」構造の問題になるから、左翼運動自体への予備知識とかあまり要らない。要するに被害者の側からして、異常な権力に迎合してしまう「スタンフォード監獄実験」みたいなことになった...ということでもある。 それはそうなんだが、もう一つ別な面もある。一連のリンチ殺人に先立って、合体以前の京浜安保共闘が真岡事件で入手した銃というものに、グループ全体が「呑まれて」しまったのではないか?という面だ。毛沢東が「政権は銃口から生まれる」なんて言ったこともあって、毛沢東主義の影響が強い連合赤軍だからこそ、「銃による戦いができるか?」というのを「真剣に」考えすぎてしまい、「銃で戦える戦士に変わらなければ!」とそれに呪縛された、と見るのはどうだろうか。 やはりあんな異常な「権力」というものは、犠牲者の側の協力がないと絶対に確立できないものである。そういう意味ではいかにも人徳のない永田洋子の「鬼婆っぷり」ではなくて、理論家肌の森恒夫のきわめて観念的な「共産主義化」の理論が果たした役割の方が重要のように評者は感じる。 いや、「総括」のベースを作るような精神主義、献身とか自己犠牲とか自己改造とか、今までの自分を投げ捨てる「自分イジリ」は端的にキモチがいいのだ。そういうキモチの良さを正当化する「共産主義化」理論と、それを悪用して権力を振るうのを楽しむ人物と、両方が揃ったことで、ああいう陰惨な事件が起きるものなのだろうな。 高木彬光自身がそういう「異様な雰囲気」に呑まれているような印象も受ける。この人も妙な精神主義に波長があうタイプだからねえ。そう捉えたら、高木彬光が一見無縁なこの事件に関心を持ったのも、なんとなく、頷ける。 |
No.975 | 8点 | 真説 金田一耕助- 伝記・評伝 | 2022/04/18 09:31 |
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これは本当に懐かしい本。1976年の9月から一年間毎日新聞日曜版に連載された横溝正史のエッセイである。この時期、というのが実に凄い。まさに横溝ブームまっ盛りなのである。ブームをリアルタイムで、そのご本尊が体験したことを書いているエッセイなのだ。さらに単行本化で尺が足りないこともあって、この期間の横溝の日記を収録した本である。
この連載中に起きたこと ・東宝「犬神家」撮影~公開。横溝もカメオ出演。 ・叙勲。勲三等瑞宝章。「若者にもらった勲章のようなものだから誇りに思う」 ・旧友で、金田一耕助のモデルの一人でもある城昌幸、それにカーの死去で寂しい思いをする。 ・映画化は「悪魔の手毬唄」と「八つ墓村」「獄門島」が続く。 ・古谷金田一のテレビシリーズ開始(犬神家を本人がかなり褒めている) ・松方弘樹で人形佐七もテレビシリーズ開始。 ・「野性時代」に連載していた「病院坂の首縊りの家」を脱稿。金田一耕助アメリカへ旅立つ.. このとき正史74歳。健康状態もあまりよくない中で、老いの身に降りかかった一大ブームのドキュメントとして、きわめて興味深い本でもある。日記側にはすさまじい頻度でかかる重版通知をこまめに記録しているし、一躍文壇長者番付第三位に浮上し、税金対策に苦慮するあたりも窺われる。 もちろん、軽妙でユーモアにあふれた筆致で、自作や海外ミステリに触れている個所も多いし、執筆当時の思い出話なども豊富に収録。よく文庫の解説に「著者は...」で狙いを説明したものの出典がこの連載にあることも多い。横溝正史論だと外せない貴重な資料である。 評者も本当に懐かしい本、というか、新聞の連載を楽しみにしていた。新聞に載っていた和田誠のイラストも本に収録されていて、当時の雰囲気がまざまざと思いだされる。 今にして思うと、この70年代は、戦前の「新青年」世代がまだ存命で、プレゼンスのあった最後の時代でもある。横溝もそんな生き残りの「戦友」たちである水谷準、西田政治、乾信一郎ともしきりに交流しているのが記録されている。この時代が戦前と今とをつなぐジョイントの時代のようにも回想される。この横溝ブームも一翼となる70年代の異端作家ブームによって、「ミステリの戦前」が埋もれることなく継承された、という印象があるのだが、いかがだろうか。(延原謙の訃報も日記にある...「新青年」歴代編集長は、長命な人が多い。「高森」と延原の通夜の日記に名前が出ている人は、おそらく「新青年」最後の編集長高森英次なんだろうね) ちなみにバレンタインデーに「金田一耕助様」宛てでチョコが届いて、正史も金田一になりかわって頂くのだが、翌日の新聞で「青酸チョコ事件(オコレルミニクイニホンジンニ...ってあれ)」の報道を見て慄然とする....いやそんな時代。青酸コーラ事件も結局未解決だったなあ。 |
No.974 | 7点 | 料理人- ハリー・クレッシング | 2022/04/16 16:11 |
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大人の寓話、というものである。
召使が主人に、主人が召使にいつのまにかすり替わってしまう話。しかも嬉々として。で、この悪魔的なコックのコンラッドに妙に魅力があるのがナイス。コンラッドは外面描写オンリーで描かれるから、ハードボイルドな悪漢小説、という雰囲気(ライバルのコックをやっつけるシーンとかね)もある。天才的、というか魔術的な料理の腕で、入り込んだ一家を篭絡し、長男は料理の技を仕込んでコックに、父親は執事に、母親は家政婦に変えてしまい、長女と結婚して「城主」になる...そんな話。胃袋掴まれちゃあ、ロクな抵抗のしようもないのか(苦笑)。お高く止まったブルジョア一家でも、家事に「生きがい」みたいなものをうまく意味付与したら、嬉々として「没落」していくのかしら。 ハヤカワ・ノヴェルズの初期ラインナップにあったから、映画?と思って調べたが、映画は確かにある(Something for Everyone,1970)。アタらなくて日本未公開なんだろうか...原作はブラックユーモアの作品で、面白いのは確かである。ハヤカワ・ノヴェルズは常盤新平路線だからねえ。 映画、といえば召使が主人と逆転する話って有名作はジョセフ・ロージーの「召使」だ(ダーク・ボガード渋い)。あっちはシンネリムッツリしたアイロニカルなシリアス劇(ブレヒトの弟子らしく「階級闘争」w)だけども、「料理人」はずっとファンタジーに振っているから、カラーはずいぶん違う。 |
No.973 | 6点 | 亜愛一郎の逃亡- 泡坂妻夫 | 2022/04/15 19:59 |
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亜愛一郎も最後の短編集。
やはり息切れを感じる。逆説にこだわったこのシリーズなんだけども、逆説をそれ単体で提示してしまうと、奇妙なくらいに効果が薄いものなのだ。「トリックのためのトリック」という言い方もされるけども、「逆説のための逆説」というのも、興ざめなものだ。手品同様に、逆説も不意打ちをするからこそ、効いてくるわけで、「逆説が、来るぞ~」と待ち構えてしまうと、意外なくらいに貧相さが見透かされるものなのかもしれない。 本書だと「火事酒屋」がベストだと思う。人間消失に必然性がない弱点はあるけども、これは「奇想」という表現に値する仕掛けだし、意外なロジックも含まれている。思わず吹き出すような絵じゃないかしら。 いや、絵面のよさ、というのは作者の長所かも。最後の「亜愛一郎の逃亡」でも、雪に閉ざされた旅館の火の玉騒動の、絵になる面白さ、というものを感じる。やはり3冊の短編集を順に読んでいって、この結末だと、なかなか「うるっ」とするものがある。同窓会効果、といえばそうなんだけどもね。 ある結末につまづける亜 なるほど。これならシリーズの結末にふさわしいね。 |
No.972 | 6点 | 影の巡礼者- ジョン・ル・カレ | 2022/04/14 13:30 |
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ベルリンの壁が崩れたら、スパイもスパイ小説も一気に日陰の身に落ちぶれた...まあ、実際そうだし、そうするとル・カレのような作家も「今後どうするか?」が難しい問題になるわけでもある。本作は壁崩壊後の状況をスマイリー引退後のスパイ養成所での特別講義(それに「ロシア・ハウス」に登場するネッドの引退も)にひっかけて、新人養成所での「今後のスパイの心得」講義の形式で小ネタを披露する短編集(大体11話収録)。ネタは小規模なものが多いから、雰囲気はル・カレ版「アシェンデン」。
なので、ヘヴィなネタの場合には、ツッコミが不十分かな...なんて思う話もある反面、小ネタの話は切れ味がよくて楽しめたりもする。ル・カレってオーソドックスな小説作法は上手だから、「息子の秘密活動の成果は?」と退役軍人の父がスマイリーに尋ねる話とか、なかなかイイ人情話に仕上がってたりもする。 まあ、短編での切れ味を云々するつもりなら、やはりル・カレお得意の「スパイ官僚」直球ネタよりも、アシュンデン的な「斜めから見たアイロニカルな話」の方が、出来がいいに決まってる。「実は馬鹿馬鹿しい話」というのが短編だと生きるのである。アラブの王族の妻の買い物を監視する話とか、教授とラッツィの漫才コンビの話とか、変人の暗号係への誘惑の話(これはやや長い)とそういうのが、いい。 逆に明らかに力が入っている、ネッドと兄弟のように訓練を受けたベンの職場放棄の話やら、クメール・ルージュの地獄を切り抜けたハンセンの話とか、もう少しツッコめるのでは...なんて思う。 たとえば、ベンの父は第二次大戦の暗号解読で業績を上げて、で、このベンの職場放棄にはネッドに対する同性愛感情が下地にある。フィルビー事件にも同性愛関係が使われていたわけだけども、暗号解読となるとやはりどうしてもアラン・チューリングの一件を連想する。チューリングが自殺に追い込まれたのは、ケンブリッジ・ファイヴの二重スパイ事件で風当たりが強くなって..とかいう事情があるようだ。アンブラー・グリーン・フィルビー・フレミングの世代の、左翼思想と同性愛を巡る問題というのは、世代論とからめてなかなかややこしい問題もありそうだ。でもル・カレの本作はまあ、そういうことは突っ込めない。あまり上の世代への理解がないんじゃないのかなあ(ティンカー・テイラーでも同性愛の件はツッコめてないし)。 ちなみに、スマイリーの初期設定もこの世代(1900年代生まれ)だったのだが、三部作あたりでこれが10年ほど繰り下げられたようでもある。まあそうじゃないと、本作の講義時点でのスマイリーの年齢が80歳を超えてしまう。「スクールボーイ閣下」がベトナム戦争終結を背景にしているから、この時70歳なら定年とか言わなくても、スパイ機関のトップだと激務過ぎるからねえ。 で、クメール・ルージュの地獄を生き延びたハンセンの話は、「地獄の黙示録」とか「ディア・ハンター」みたいなハリウッドのシリアス文芸系に通ずるものが大きいように感じる。アジアの論理に飲み込まれる西洋人、と秘境小説の一種みたいに捉えているようにも感じるのだ。これって悪い意味でのオリエンタリズムみたいに評者は思うのだが、いかがだろうか?(ちなみにベトナムをソ連が支持したことから、英米はクメール・ルージュを支持しているんだよ....いやいや、スマイリーの手だって、汚れてるさ) スパイ小説と言っても、たとえばアンブラーだったら冷戦に依存する部分がほとんどないから、ソ連が崩壊しても作品にも困るようなこともなかったのだろうけども、ル・カレのスパイ小説はやはり冷戦に依存する部分が極めて大きいように思う。スマイリーも「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」でもあろう。(そのつもりだったんだろうけども、「スパイたちの遺産」で再登場してミソつけちゃったようだね) |
No.971 | 7点 | 犬神博士- 夢野久作 | 2022/04/12 22:19 |
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夢野久作というと「ドグラ・マグラ」が代名詞すぎて、他の作品が埋もれる傾向はあるんだけども、本作は数少ない長編の一つで、しかも面白い。未完なのが惜しまれるけども、これはこれで据わりが悪いわけでもない。
大道芸人夫婦に連れられたおカッパ頭の少女...と思いきや、実はトンデモない異能の悪ガキの主人公(7歳)。少女のフリをして親の三味線・鼓に合わせてエロ踊りをすればおヒネリも雨霰と飛び、ついには風俗紊乱で警察に捕まる、けども癇癪屋の知事の前でも大胆不敵な、その胆力を逆に知事に見込まれる。イカサマ賭博にハマった親の窮地をそれを上回るイカサマの才で救うが、火事を起こして遁走...さらには因縁の知事と玄洋社の炭鉱を巡る抗争に割って入る大活躍。息をもつかせぬ異能の活躍ぶりを、夢Q一流の饒舌体で綴る。 時代背景は日清戦争前夜の筑豊。時代もそうだし、土地柄も荒っぽい。でもこの「荒さ」が日本人だって野性を備えていたんだよね、と思わせるようなある懐かしさを備えている。角川文庫の解説だと「女装の少年神」なんて民俗学的な話にもっていきたがってるけども、ずっと猥雑でカオスな、沸騰するようなエネルギーの時代を、飄々と駆け抜ける無軌道っぷりに魅かれる。しいて似た作品を探すと、コクトーの「山師トマ」が近いかな。 夢野の父の杉山茂丸が玄洋社の中心人物の一人だったわけだから、当然夢野自身も内情に詳しいわけだ。玄洋社がもともと自由民権運動にルーツがあり、さらに西郷隆盛贔屓な九州の土地柄もあって、反権力・反体制的なカラーも強いのが作中にも反映している。作中での日清戦争をめぐる知事との談判でも、国策と庶民の利害、それに権威と反抗の一筋縄ではいかない関係をうかがわせる。一口に「大アジア主義」と言っても、さまざまな位相があって単なるイデオロギーで片付かない、縺れ合った内実があるのだ。在野で孫文や金玉均を支援をするロマンティシズムと、日本軍の謀略の手先を務めるマキャベリズムの両面が玄洋社の「大アジア主義」にはある。そういうややこしさをややこしいままに、「無垢な少年」が悪戯半分に局面を切り裂いて見せた、そんな断面が興味深い。 |
No.970 | 6点 | メグレとかわいい伯爵夫人- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/11 17:39 |
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なんとなくタイトルに萌えて(苦笑)。
いや、普段と雰囲気が違うハイソな舞台背景で、結構面白い。シムノンというと、たとえ陽光さんざめくコートダジュールでも、裏通りのシケたバーとか、小ぢんまりの個人経営の宿屋とか、ビンボ臭いストリップ小屋とか、そういう界隈が普通なんだもん。ヨーロッパ指折りの金持ちが集うホテルが舞台の事件で、メグレもいきなり空路ニース、そしてジュネーヴ・ローザンヌと飛び回って、ハイソな世界を垣間見る。だから原題は「メグレ、旅をする」 まあだからアウェイの事件といえば、メグレは今までいくつも経験しているわけだけども、一味違う。大金持ちたちもメグレを見下すとかはなくて、紳士的に対応するわけだが、やはりメグレでも「飲まれてる」のが面白い。でもメグレだから、その「世界の雰囲気」に身を任せ、浸ることで、次第に主導権を握りなおすのを丁寧に描いているのが、なかなかお楽しみなあたり。第7章の現場のホテルをアテもなくメグレが彷徨うのが、いかにもメグレらしくて魅かれる。場違いな姿を、ホテル従業員たちからヘンな目で見られても、軸の据わったメグレはもう平気。ホテルバーでいつも飲むようなカルヴァドスを頼んじゃう。お洒落なイメージがあるカルヴァドスだけども、何も言わずにナポレオンが出てくる世界じゃ、田舎臭い庶民の酒なんだな。 そういう話。問題の「かわいい伯爵夫人」は、貴族・大金持ちたちの間で結婚したリ離婚したリの、もう若いとはいえない女性なんだけども、 ルイーズはきれいで面白く、それどころか、人を夢中にならせるようなかわいい動物だ。 と元夫が評するようなキャラ。いやシムノンだって功成り名遂げて、世界を股にかけて遊び倒した豪傑なんだけどもね。 |
No.969 | 6点 | 吸血鬼カーミラ- シェリダン・レ・ファニュ | 2022/04/10 21:05 |
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「ドラキュラ」「フランケンシュタイン」は書評済なんだけど、まだ本作やってなかった。「ドラキュラ」と並ぶ吸血鬼モノの真祖である。
でも「カーミラ」は中編。創元文庫のこの本は、レ・ファニュ傑作選のカラーも強くて、「白い手の怪」「墓堀りクルックの死」「シャルケン画伯」「大地主トビーの遺言」「仇魔」「判事ハーボットル氏」の6編を収録。 ホラーとミステリの違い、というと、ミステリは最後には謎をすべて解明することで結末になるわけだが、ホラーの場合には謎が謎のままで残ってもいい。というか、全部解明したりせずに、多少は謎のままで残っていた方が、よりホラー「らしい」。それでも20世紀のホラーでは「謎を解き明かす」ことに力点があることも多い。ゴーストハンターが名探偵の変形になるわけでもある。なら解明重視は「ホラーのミステリとの交雑現象」と見てもいいのかもしれない。 でもレ・ファニュは19世紀的なホラーだから、「解明」のウェイトが薄いんだよね。だから「なぜ」が語られないケースが結構、多い。そこらへん、ミステリ読者のニーズをやや外している印象がある。 それでも超越的なモンスターなら、「なぜ」はあまり重要じゃないか。「悪魔」を思わせるキャラが登場する作品も多いから、民話みたいなカラーも出てしまうこともある。「大地主トビーの遺言」は親の意固地な遺言で対立しあう兄弟の話で、その親が憑依したブルドッグが...という展開になるんだが、訳者は平井呈一で洒脱かつ下世話な東京弁で訳されるので、あたかもシュール系落語を読んでいるかのような読み心地。いや「らくだ」とか不気味ネタ落語ってあるし、怪談噺も落語のうちだからねえ。 なので、今一つピンとこない作品も多いのだが、さすがに「カーミラ」は面白い。生きて動く死体、という側面はあるのだけども、具体的なカーミラの描写ではエキセントリックで悪魔的な女性、という印象。物理的な怖さとかおぞましさではなくて、メンタルな部分での怖さが強い。レズビアン色が強いしねえ。やはりカーミラに誘惑された女性の体験譚として語った語り口の勝利、というものだと思う。 (どうでもいい話。本当はジョセフが名前で、シェリダン・レ・ファニュが姓らしい。「白い手の怪」みたいな手の幽霊、だと評者オススメはつげ義春の「窓の手」) |
No.968 | 4点 | 現代夜討曽我- 高木彬光 | 2022/04/09 10:06 |
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さて、墨野隴人4作目。なんだけども、前作「大東京四谷怪談」が1976年作品で本作が1987年。間が11年も空いているのは、言うまでもなく作者が脳梗塞で倒れてリハビリに苦闘したことがあるためである。
なんだけども....いや、出来はよくない。曽我兄弟の仇討を連想させるような「見立て」があるんだけども、いわゆる「見立て殺人」というほどでもないし、狙いが散漫で、謎にも真相にも魅力が薄い。何か義務的に書いているような印象さえ感じる... 1969年の世相がいろいろ描写されていて、結構評者は懐かしい。アポロの月着陸、大学紛争、大阪万博...墨野が「国際化の時代」とか宣う。いやそうなんだけどもね。 (ネタバレごめん) 実は作者病気で長期中断した件が、作者のシリーズの狙いに悪影響を及ぼしてもいる。このシリーズ全体が比較的短期間に起きた事件でないと、最終的な辻褄が合わないので、わざわざ出版から18年も前の「1969年の事件」を強調することになったのだろう。シリーズ伏線で「張り残した」要素があるから、オチである次作「仮面よ、さらば」のために、わざわざ1作品挟む必要がある、との判断ではないか。作者の気力・体力以上に、「シリーズ構成で必要」だからで無理して書いた作品のように感じる.... 執念、といえばそうかもしれないが、急いで書いたような「薄さ」の方が目立つ。悲しいし、残念。 |
No.967 | 8点 | 五人対賭博場- ジャック・フィニイ | 2022/04/06 22:54 |
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大好きな作品。青春、だなあ。
評者でもね、学生時代って「悪いこと」をしたことがないわけじゃない。やはりヨノナカに対してスネる妙な意地みたいなものも出てくるから、ちょっとばかりはヨノナカにも噛みついてみたくなるものだ。今考えたらオトナになりきれなくて、ジタバタしているようなものなんだが、そういう青臭いテイスト満開の「ケイパー小説」である。 とくに、思い付きで始めた現金輸送車襲撃計画がすぐに通報されて叱られ...以上に「ガキどもに何ができる!」と嘲われたのにムカついて、リノのカジノの襲撃計画にのめり込む主人公グループに、感情移入しないでいられましょうや(苦笑) 遊びといえば遊びな部分が最後までついて回るから、良い意味で「地に足のついてない」ファンタジックな色合いが出ることで「救われる」。いやそういうホロ苦なアイロニーと、主人公アルの恋がなかなかの読みどころ。 ティナが体重を片足にかけて、フォークに手をのばす。薄いすきとおるストッキングの下でふくらはぎが、かたく、強く、緊張し、その繊細な足首がくっきりと見える。やがて、彼女があとずさりすると、ふくらはぎはまた柔らかくなり、腱は再びストッキングの下で分からなくなる。 カメラアイ描写でそれを見ている男の恋心を語る描写の魔力! 文章は全然気取ったところがないのにもかかわらず、ポエジーが漂うのが、いい。これは天性。 青春ミステリ、って本作のためにあるようなジャンルだと思う。 |
No.966 | 5点 | 奇人怪人物語- 黒沼健 | 2022/04/04 09:27 |
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「野獣死すべし」「幻の女」「十二人の評決」「検屍裁判」...こうしてみると、大名作を多数翻訳した翻訳家なんだけども、すべて改訳がなされて黒沼訳のプレゼンスは今はない。出版社が改訳を出すときには、前の翻訳者の許可が必要、というのが慣例だそうだから、前の翻訳者が亡くなってから改訳が出るのが普通なんだけども、黒沼健に限っては1985年の没年の前から改訳が普通に出ていた。翻訳にも悪い評判はあまり聞かないんだけどもね。翻訳者廃業、というような気持ちがあったのかしらん? 推理作家協会でも理事まで務めたが、一風変わった立ち位置だったようにも感じるのだ。
で、評者あたりの世代だと、黒沼健といえばオカルト系実話やら怪獣モノ、円谷でも大名作の「空の大怪獣ラドン」の原作だしね。高木彬光「吸血の祭典」のやりついでで、ちょっと道草したい。実際、怪奇実話というものも、牧逸馬の昔から、広い意味で「探偵小説」の一分野だったと捉えることができる。これが70年代になると「ムー」に代表されるオカルト業界として独立してミステリとは縁が切れることになるのだけども、もともとはSFも含めた「猟奇(奇を猟る)」なジャンルだったわけだ。 本書で扱われるのは心霊手術・交霊術・エメラルドタブレット・宝探し・空飛ぶ円盤....雑多な内容を雑多なままに羅列し、それぞれに特に「オチ」みたいなものがない独特のスタイルが何か懐かしい。たとえば「00作戦」のように第二次大戦下のスパイスリラー風なものも含まれるし、超常現象とその科学的な推測と並べたもの、あるいは単に「奇譚」としかいいようのない皮肉な話... 評者が一番面白かったのは、「悪魔を瓶詰めにした男」。19世紀前半の悪魔学の研究者で「真正なる悪魔学百科事典」という本を出したベルピギエという奇人の話。悪魔を捕えて瓶詰にした、とベルビギエはするんだけども、ノミやシラミの大群に変身してやってきた....わけだから、悪魔といってもタダのノミやシラミだったりする。「彼自身は最後まで悪魔の征服者たる誇りを捨てなかった」けども「征服者、実は被征服者という皮肉な結果になった」。 一口にビリーバーというけども、「信じて信じない」、プロレスを愉しむような微妙なスタンスの取り方がやはりオリジネーターの一人である黒沼健にもうかがわれるのが、妙に面白いあたりである。 ラヴクラフトだって「全然信じていないからこそ、怪奇なものに心惹かれ、精緻に描写できる」って言ってるじゃないの。実話と創作の境界の曖昧模糊としたあわいで戯れるのも一興。 |
No.965 | 7点 | 吸血の祭典- 高木彬光 | 2022/04/03 16:34 |
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「刺青」とか「人形」とか「白昼の死角」とか置き去りに、ゲテモノ系ばっかり評者はやっている....けどね、70年代に高木彬光を読んでいた読者のリアルな作家の「空気」みたいなものも、やはり伝えるべきものではないか、と思うのである。
で、大体70作くらいある怪奇実話系短編が、15冊ほどの短編集にそれぞれ重複しながら収録されているわけだが、その中で一番収録が多くてしかも出版が新しくて入手しやすい便利な本なので、これをやることにした。 (だからすでに書評がある「猟奇の都」と一部内容がカブります。) ミステリ色の強い「ロンドン塔の判官」もあれば、西洋講談といった趣の「ダンチヒ公の奥方」「マタ・ハリ嬢の復活」もある一方、「ムー」的なオカルトの「空飛ぶ円盤」もあれば、それこそ中岡俊哉みたいな「スマトラの妖術師」といったショートショートくらいの怪異譚もある...と、結構多彩な「世界の怪異」をコレクションした短編集である。 いや「ムー」だって学年誌でのオカルト記事が好評だったことで70年代末に創刊したしたわけで、こういう「ムー」的要素と高木彬光、というのもけして無縁ではないわけである。ホントかウソかわからないなりに、オカルトを「消費」する下地のようなものが、この時代に商業的に成立し、その流れを作り出した人々の中に、高木彬光も含まれることになるわけだ。 で、評者はこの中の一編「王国を手にして死んだ乞食」が記憶の片隅にずっと引っかかっていて、それを確認できたのが個人的には大変うれしい。「最後には、ソロモン王以来、それ以上の富は世界にないというぐらいの金を掌に握りながら、乞食になって餓え死にする」という奇怪な予言を受けた男、ジョン・サッターの話。サンフランシスコという街自体が、そもそも不法占拠によって成立したことを裁判所さえも認めたからにはサッターに「法的権利」はあるのだが、その「権利」を誰も認めないことで餓死する今様ミダス王の話。 |
No.964 | 6点 | 霧の港のメグレ- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/03 10:18 |
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瀬名氏は本作がお気に入りのようだけども、そこまでいいか?という感想。シムノンらしい北の港町の事件で、「海の男たち」と町の旦那衆との相克めいた関係が背後にある。もちろん、メグレは「海の男たち」贔屓。
でも海の男たちもメグレに対して結束して全部だんまり。記憶喪失でパリで発見された元船長をメグレがその地元に送り届けたら、その晩に毒殺された...というのが本書の「事件」だけど、メグレがメインで解明するのはやはりその船長の記憶喪失を巡る暗闘の話で、筋立てがごちゃごちゃした印象。 でもね、メグレが問題の船に乗り込んで事情を聴いている嵐の夜に、油断したメグレを縛り上げてウィンチで岸壁に置き去り(でも船は座礁)....なんて「メグレ、お疲れ」なシーンがあったり、リュカが一晩中背伸びをして村長の家の中を覗き込んで監視するお疲れ場面、あるいは「砂丘のノートルダム」と呼ばれる廃墟の礼拝堂やら、船長の女中で本作のヒロイン格のジュリーとその兄の船員グラン=ルイとのメグレの場面(第九章)やら、なかなかいいシーンがある作品でもある。 |
No.963 | 7点 | ハバナの男- グレアム・グリーン | 2022/04/02 13:31 |
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「国際諜報活動」というものは、それ自身「秘密」であるがゆえに、それが実際何の役に立つのか、は検証しようのないものなのである。だから実際のスパイとそれをコントロールする官僚たちというものの実像は、とんでもなく醜悪きわまりないものなのだ..というアカラサマでロマンはゼロな実態を、告発する「スパイ小説」を、アンブラ―とグリーンはそれこそ1930年代から書き続けてきたわけである。だからこの「スパイのバカらしさ」を風刺劇として捉え直すアイデアは本当にそのままストレートな視点だ、といえばその通り。変化球でもなんでもないのである。
とはいえ、グリーンなので、喜劇であるのと同時に、思わぬシリアスな「刃」が覗く瞬間が仕込んであるのが、一番の面白味だろう。 もしあたしたちが国家に対してではなく愛に忠誠をつくしていたら、世界はこんなにひどい混乱に陥っているでしょうか? 道化芝居の道化が、思わぬ牙を剥く、そんな瞬間が確かに、ある。主人公の娘に恋する現地の警察幹部セグーラは「人間の皮で作ったシガレットケース」を愛用するが、この眉を顰めさせる悪趣味にも「愛」ゆえな理由がある。 現代の御伽噺だからこそ、最後に「愛は勝つ」。そうでなければ、世界に意味はない。 (というか、こういうタイプの作品って、アンブラーだと「真昼の翳」とか「インターコムの陰謀」が頂点になるんだろう。ル・カレは「鏡の国の戦争」でこれをやってみるけども、スマイリーをイイ子にしてしまって徹底しきれない。スパイの本質に馬鹿馬鹿しさをみる視点は、逆にフレミングの方に見え隠れするように評者は感じる) |