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[ 時代・歴史ミステリ ] 悪霊 |
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フョードル・ドストエフスキー | 出版月: 1964年01月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 1件 |
平凡社 1964年01月 |
新潮社 1971年01月 |
日本ブッククラブ 1971年01月 |
新潮社 1979年03月 |
新潮社 2004年12月 |
光文社 2010年09月 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | 2022/08/26 11:16 |
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本サイトでドストエフスキー扱うのって、妙な教養主義みたいなカラーが出がちなので、評者もちょっと考えちゃう。そんな嫌味が出ないように頑張ろう。
一応本作、殺人事件が2件ほどあるわけで、「罪と罰」「カラマーゾフ」を扱っていいなら、当然オッケーの作品である。もちろんドストエフスキーの独特の宗教観がベースにあって、過激な思想を抱いた人々がそれぞれの思惑で陰謀を企み、またそれに翻弄される作品であるのだから、一種の「思想小説」みたいに読むのが普通(埴谷雄高「死霊」が本作の影響を強く受けている)なんだけども、いや、どっちか言うと作者の目がそういう「思想に振り回される人々」に対してちょっと引いていて冷淡と言っていいくらいの視点である、というのを軸にした方がいいんじゃないか。 実際、この作品の主人公はスタヴローギンというよりも、ピョートルである。まさに「悪霊」に憑りつかれて平和な地方都市を大混乱に陥れ、多くの人々の運命を捻じ曲げたのは、一切の価値を拒絶するニヒリズムの「政治的詐欺師」のピョートルなのである。ピョートルと言えば一番印象的な場面は、陰謀家たちの秘密集会で観念的な過激主義をブツ一同を目にして、 「爪を切るのを忘れていたんです。三日前から切ろうと思っていて」長くのびた汚い爪をのんびりと眺めながら、彼は答えた と宣うような、冷笑的なマキャベリズムなんだよね。陰謀を企みそれを一手に収めながらも、陰謀自体を信じずそれを嘲笑する「スパイの心性」みたなものが、このピョートルの肖像に強く表れていて、その悪党っぷりと比較すれば、ピョートルにいいように操られる「思想家」たちなどというものは、現実から浮き上がった極楽トンボどもなのである。言いかえるならば手もなく死の床で回心してしまう、ピョートルの父、無力なインテリでしかないステパンの同類なのだ。 それに比べたら、ピョートルが担ぎ上げようとする超人スタヴローギンだって、挫折したイエス、というか磔刑にマゾヒスティックな喜びを覚えて、自ら醜悪な罪に溺れる聖者といったものでしかない。ニヒリズムも信じないニヒリズムといえばそうだろうか? だからこそ、ピョートル一味の行為は最初から「何かを成し遂げる」ものではなくて、「破壊のための破壊」といったニヒリスティックなものでしかないわけだ。 ヘンな熱に浮かされたように、漠然とした空気に流されて、自ら嬉々として社会を破壊する「奇怪な祝典」に人々は取り込まれてしまうものか! というわけで、この作品が描き出す世界がいかに悲惨であり、その理屈に宗教やら哲学が捏ねられていたとしても、この作品の基調は「喜劇」である。まさに現実から遊離したインテリたちの「喜劇」として、読まれるべきなんだと、思っているよ。 |