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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ] 暗い国境 別邦題「夜の明ける前に」 |
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エリック・アンブラー | 出版月: 1973年01月 | 平均: 6.33点 | 書評数: 3件 |
東京創元社 1973年01月 |
No.3 | 6点 | 斎藤警部 | 2020/12/21 16:11 |
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第二次大戦前、デスパレートな架空の東欧小国を舞台とした、ユーモア政治サスペンス、面白スパイスリラー、そこへ来て革命家や権力者の魅力的なシリアス演説が言葉力も高らかに絡み、独特のメタパロディ味が滲み出して来ます。公言された一人二役に覆い被さる、語り手チェンジの妙。恋愛要素を引き摺りそうで引き摺らないのも好感触(このあたりもパロディの一環か?)。何かが元に戻ってのエンディング(エピローグ前)が妙にセンチメンタルですね。エピローグも締まっています。あの原子科学者がもう少し熱く語ってくれたら良かったかな。 |
No.2 | 7点 | 人並由真 | 2020/11/14 05:10 |
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(ネタバレなし)
193×年4月。英国はコーンウォール地方のロールストン。休養旅行に来ていた40歳の物理学者ヘンリイ・バーストウ教授は、そこで一人の男から接触を受ける。男は死の商人「ゲイター・アンド・プリス社」の一員ゲイター・グルームだった。グルームは欧州の小国イクサニア(仮名)が新型原子爆弾を開発中、同国がいずれそれを盾に国際関係の均衡を崩すという予見を語った。世界平和の大義と武器商人としての利益追求から、くだんの研究を自社の管理下に置きたいと主張するグルームは、技術顧問の協力をバーストウに要請する。この提案を辞退するバーストウだが、彼はその直後、自動車事故で精神の平衡を失い、自分が先に手にした娯楽スパイ小説『Y機関員 コンウェイ・カラザス』の主人公「コンウェイ・カラザス」だと思い込む。いまの自分が任務で物理学者バーストウに変装しているのだと認識した「カラザス」は、状況の導くままにイクサニアに乗り込むが……。 1936年のイギリス作品。 今回が初読であるが、例によって創元文庫版は何十年も前に初版を買って積ん読。その前後に本作を一挙掲載した「別冊宝石」(そちらの邦訳題名『夜の明ける前に』)の方も古書で買っていた。 でもって、今回はじめて、そして改めて<これがアンブラーの処女長編>という意識のもとにじっくり読むが、なんというか……限りなくいろんな複雑な思いに駆られた作品(ただし悪い意味で、ではあまりない)。 そもそも諜報戦にはまったく素人の物理学者が頭を打ち、自分がフィクション上のスーパースパイ(地の文でカラザスは、前もってホームズやリュパンやラッフルズやブルドッグ・ドラモントやニック・カーターみたいだ、と称される)だと思い込む設定からして「あのアンブラーが第一作目から、こんな破格なお話を作るか!?」という感じ。ほぼ半世紀早く、スパイスリラー界に登場した『俺はレッド・ダイアモンド』だ(笑)。 とはいえ物語の舞台となるイクサニアにひとたび「カラザス」が赴くと、以降の彼は実に優秀なプロスパイ&工作員として行動。本来の身の丈に合わない失敗などを重ねる、お約束の展開などにもならない(序章的なパリの場面でのみ、おかしな奴? 的に、あしらわれる描写はあるが)。 ……いや、事故による思い込みだけで、それまでまっとうな体術のトレーニングもスパイとしての訓練も受けてなかった人間がそのままスーパースパイになっちまうのはヘンだろ、とも思う。 だがまあその辺は、そもそもこの作品自体が、今後、二作目以降は地に足をつけたエスピオナージュを書いていきたいと思ったアンブラーが、この一回だけのつもりで、筆のすさびに綴ってみたおとぎ話のようなものだと思えば、いろいろと腑に落ちてくる。 先に名前が挙がった先輩ヒーローたち(ホームズやリュパンほか)の事件簿みたいな冒険スリラーを書いてみたい、さらにバカンのリチャード・ハネイみたいな巻き込まれ型のヒーローも創造してみたいと、当時のアンブラーは一度は希求したのだろう。 しかし二つの大戦の狭間で、でももうそういう時代じゃないんだな、と現実を見つめ直した同人が「一回だけ」と自分へのお許しの枠内で「頭を打って登場した幻のヒーロー」として生み出したのが、この「コンウェイ・カラザス」だったんじゃないか。 そういう小説の構造の証左として、主人公「コンウェイ・カラザス」のスーパースパイぶりが常にずっと浮き世離れしている一方、そんな描写としっかり対比するように、物語の場となる小国イクサニアの叙述は徹頭徹尾リアリスティックだ。 イクサニアのリーダーシップをとる伯爵夫人マグダが、異端の天才学者カッセンを抱え込んで(良くないことだとは知りながら)新型原子爆弾の開発に躍起になるのも、観光も特産物での利益もそうそう見込めない貧しい自国の経済論理を考えてのことだし(それはそれでのちに、また別の登場人物に思考の隙を問われるのだが、少なくとも経済的な富国を意識した必要悪という一定の説得力はある)。 かたや第二勢力として事態に介入してくる死の商人「ゲイター・アンド・プリス」側も清濁あわせた原動から新型爆弾の機密を狙う。 さらにイクサニア国内では旧弊な貴族階級を駆逐したいと思う革命派が活動、しかし一方でそんなリベラル派もまた、ある程度は貴族たちに政府内にいてもらわないと国際関係で不都合が生じると、結構、都合のいいことを考えたりもしている。 主人公の設定と事件の主題はおとぎ話っぽいけれど、それを取り巻く世界像はあくまでリアル。 これは評者の勝手な思い込みかもしれないけれど<かねてより王道スパイスリラーのファンであった><でも今の時代のなかで実作者として今後「リアル」なものを書いていきたい>と思った若きアンブラーが処女作のなかで折り合いをつけた作品。それがこの『暗い国境』だと思うよ。それゆえアンブラーの第一作目は、先行するロマン派スパイスリラーへのレクイエムという形をとったんだろうね。 言い方を変えれば、アンブラーはここでかねてから英国スパイスリラーの系譜に対してかかえていた想いを吐き出し、自分がこれから没入していく分野への禊ぎを済ませたのだろう。 とはいえ、創元文庫版が新刊で出たとき、当時のミステリマガジンに「この作品の主題は、経済という「暗い国境」なのだ」とかなんとかでまとめたレビューが載った記憶があるのだが、それは真理を突いていると同時に、あくまで真部分的な見識だとも思う。 というのも、この作品の主題のひとつはたしかにそういった「リアル」ではあるんだけれど、もうひとつの核となった要素は、物理学者バーストウからスーパースパイのカラザスへの変身という<手続き>のなかで語られた、冒険への憧れとときめきだとも信じるので。 ただそれが常態化してはいけないという創作者の意識が、この作品にこんなややこしい? スタイルを取らせたのだと見る。 まあ話をアンブラー個人に留めず、大局的に英国ミステリ界を俯瞰するなら、濃淡の程度を変えつつ、いつも英国エスピオナージュと英国冒険小説の底流には、一般市民たちの心にくすぶる<スリルと冒険への憧憬>が絶えることなく潜みつづけるのかも。その辺りの真情はフランシスの『興奮』の終盤で、ダニエル・ロークの<あの一言>が思い切り語っているし。 最後に、邦題は原題から考えて創元版のものでいいと思うが、「別冊宝石」版のタイトル『夜の明ける前に』もすんごく味はある。なんというか、大事が終焉して、また元の本名と意識に戻るカラザスのことを暗喩した、ダブルミーニングみたいで。 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | 2017/08/15 23:57 |
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アンブラーの処女作だが、どっちか言うと2作目の「恐怖の背景」がアンブラー流巻き込まれ型スパイスリラーを確立した作品とされることが多くて、本作は「不遇な処女作」の部類になる。主人公はアマチュアとも読めるし、プロフェッショナルなスパイ(もしくはそのパロディ)とも読めるような、ちょっと評価に困る小説だったりする。
本作の主人公・核物理学者のバーストウ教授は、仕事に疲れて休暇を取るの。旅先で「Y機関員コンウェイ・カラザズ」が活躍するスパイ小説を手に取るのだが、その教授にスーパースパイであるカラザズが憑依した!東欧の小国イクサニアの天才科学者カッセンが独力で開発した核兵器の秘密を巡り、イクサニアの影の支配者シュヴェルジンスキ伯爵夫人、核の秘密を奪おうとする死の商人グルームに抗して、人類のためにならない核兵器の秘密を隠滅しようとバーストウ教授=カラザズは立ち上がった! という枠組みで話が展開する。で、主人公はスーパースパイ・カラザズのようにも読めるし、バーストウ教授が必死に頑張っているようにも読める..というはなはだ多義的な小説なのである。アンブラーが結果的に大家に成長したこともあって、どうも「初期の扱いに困る作品」っぽい扱いを受けている印象がある。 アンブラーの作品にしては主人公の活躍度が高くて、漫画的ではあるけども、どうもそれはわざと狙ったキッチュのような気がしてならないのだ。訳者の菊池光によると、文体も他の作品よりも派手で「overstatement」で「パロディとして気楽に書いたのでは?」とも推測しているのだが、評者はちょっと別な見方もしてみたい。本作は1936年出版だが、この頃というと、ドイツはナチの支配が確立して、再軍備~ラインラント進駐、それからスペイン内戦と第二次大戦前夜の緊張が高まっていた時期である。ナチスドイツの勢力伸長に対して、ヨーロッパの各国も手をこまねいていた時期になるわけだ。国家が組織がアテにならないのならば、それこそ個人がスーパーマンになるしかないのだよ。ややヤケクソな奇蹟への祈りとしての「サブカルヒーロー召喚」という側面もあるような気がする。そういう絶望の果ての陽気なニヒリズムといった感じで評者は読んだのだが、いかがだろうか。 タイトルの「暗い国境」はイクサニアの暗い国境以上に、そういうバーストウ教授とカラザズの間の、教授の頭の中にある不分明な境界地帯を示している。けど調べてみて驚いたが、1936年時点では、核分裂は理論上可能性を示唆されているが、核分裂も連鎖反応はまだ未実証だった時期である...カッセンのモデルはハイゼンベルクでしょ。最初からアンブラーってカンがいいなぁ。 (あと読んでいてどうも類似性を感じるので指摘するが「ゼンタ城の虜」に近いものを感じる。主人公がヒーローとしての仮面をかぶり、自己像とヒーローとしての自我と葛藤するあたり) |