猫サーカスさんの登録情報 | |
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平均点:6.19点 | 書評数:419件 |
No.359 | 6点 | 未来 湊かなえ |
(2023/07/30 18:29登録) 未来の自分に手紙を書いて地中へ埋めたり、海へ流したりする話なら聞いたことがある。でもある日突然、二十年後の自分から手紙が届いたとしたら。主人公の章子は未来の自分に返事を書く。十歳からの四年半に書き綴った手紙を通して、彼女の身に起こった出来事を知り心模様をたどる。少女にありがちなコンプレックス、いじめ、家族の不幸など。悩み傷つき、未来からの手紙など誰かのいたずらで、それに対して返事を書いていた自分の馬鹿さ加減にあきれながらも、前向きに行こうと自分を鼓舞する。だが一方で、未来は多感な少女を操り、悲惨な事件へと導いてゆく。後半は別の三人の視点からそれぞれのエピソードが語られる。未来からの手紙とは何だったのか、と章子を取り巻く因縁と事件の真相が綴られていく。綿密に組み立てられたこの作品は、唸らせ戦慄させる。悪意のない一通の手紙が、さながら呼び水のように大人たちの記憶の底に沈殿する悲劇までも甦らせる。未来とは過去の集積から生まれてくるものだと、思い知らされる。幻想でしかありえない「未来」に翻弄され続ける私たちへの、諦観か警鐘か。作者の叡智に満ちた目は冷徹に問いかけている。 |
No.358 | 7点 | ペテロの葬列 宮部みゆき |
(2023/07/30 18:29登録) あるグループ企業の広報室に勤める杉村三郎は、取材の帰りに乗り込んだバスで思わぬ凶悪犯罪に巻き込まれた。拳銃を持った老人がバスジャックをしたのだ。事件はわずか三時間で解決っしたものの、あとに大きな謎が残った。老人は何者か。一体何のために騒ぎを起こしたのか。やがてかつて世間を騒がせた集団詐欺事件との関係が浮かび上がる。本作のテーマは「悪は伝染する」というもの。嘘がより多くの嘘を新たな悪を生み出していくのである。主人公とその家族や職場の人間、そんな集団の中で生まれた悪意やトラブルが増幅し、周囲を巻き込み展開していく。そこに今の日本のゆがみが如実に映し出されている。この物語を読んでいると、単なる傍観者ではすまされない思いがしてくる。自分が主人公と同じ立場だったらどうするか、突き付けられているようだ。何より、わが身可愛さのあまりに嘘をついたり、自分の嘘に気が付かなかったりする浅ましさが描かれていて身につまされる。 |
No.357 | 5点 | 残花繚乱 岡部えつ |
(2023/07/11 18:37登録) 不倫相手である上司の妻から見合い相手を紹介された、西田りか。外資系の大手証券会社で職場結婚したものの、夫が会社をリストラされた滝本泉。インテリアコーディネーターとして、男性と対等に渡り合って仕事をしている、シングル志向の桐山麻紀。三人は、ある書家が主催する書道教室で知り合い、親しく付き合っている。年も職業も背景も違う三人は、書道仲間という互いにちょうど良い距離感を保った関係だったのだが、りかが結婚式の準備を二人に手伝ってもらったことから、その関係性に少しずつ綻びが出てくる。三十代前半のりか、三十代後半の泉、四十代前半の麻紀。もう若さを言い訳にできない三人の女たち、三者三様の愛。さらには、りかの不倫相手の妻で、母としても女としても常に完璧であろうとする美津子と、そんな美津子を嫌悪する高校生の娘・美羽。女たちが心に抱える昏い感情を、それぞれの視点からじっくりと炙り出していく。女という性、女という生き方に真正面から向き合い、多角的に描くことでその狡さも悪意も切なさも可愛らしさも、ありのまま描いた物語だ。その根底にあるのは、生き辛さを抱える女たちへの、熱いエールである。 |
No.356 | 7点 | 厭魅の如き憑くもの 三津田信三 |
(2023/07/11 18:37登録) 舞台は、神隠しの村・案山子村・憑き物村などの禍々しい別名を持つ神々櫛村。この村には、代々巫女の役割を務めてきた憑き物筋の「黒い家」と非憑き物筋の「白の家」が混在し、陰湿な対立を繰り広げている。この迷信と因習で塗り固められたような山村を訪れた刀城は、奇怪な変死事件に遭遇する。そしてこの事件を皮切りに、変死体が村のあちこちで次々と見つかった。本書で発生する事件のうちいくつかは不可能犯罪であり、死体に施された装飾とともに不気味さを演出している。しかし、物語全体の充満する不気味さの真の源は、神々櫛村という舞台そのものにある。現実にはあり得ないほどに誇張された因習の積み重ねと、登場人物たちを襲う怪異の描写は、人間による犯罪なのではないのかもという不安を感じさせる。ラストで解明される真相は、本格ミステリではお馴染みのトリックのパターンを巧みに三種類組み合わせることで、抜群の意外性を演出している。 |
No.355 | 7点 | 悼む人 天童荒太 |
(2023/06/19 18:43登録) 死者が出たある事件の現場を、一人の旅姿の青年が訪れる。左膝を地に着け、頭上に上げた右手を胸へ運び、何かを唱えている。見とがめた人が何をしていたかを問うと「いたませていただいていました」と答える。これが「悼む人」である。報道で知り得た死者の情報を記録したノートと共に、彼は全国の死の現場を旅しているのだ。死者を知る者と会えば必ず「誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたことがあったか」を尋ねる。その生前の故人を偲んで「悼む」。この奇妙な男を、癌を告知された彼の母親、嫌われ者の事件記者、夫殺しの女、三人の視点から本書は語っていく。なぜ彼はこのような行為にとりつかれたのか。単純な善意ではない。宗教行為でもないという。気味悪がられ、迷惑がられることもある。とにかく周囲に違和感と疑問を刻みつける存在だ。そんなことをして何になる、偽善だ、自己満足だ、などと疑問や反感をぶつけずにおれない者たちの目を通して、彼「悼む人」は描かれているのである。事件の報道には頻繁に死が伴う。悲惨な死、愚かな死、不可解な死、あまりにも多くの死がある。だが事件は記憶されても、死者の名前や人柄には注意を払われない場合が多い。あらゆる宗教と哲学、そして文学の根源である死を、しかし「悼む人」は恐ろしいほど律義な歩行と、聞き届きる耳によって具体化していく。その行為によって、重苦しい死がふと救いに変わる。抽象に逃げない強靭さが、深く心に残る作品である。 |
No.354 | 7点 | 小暮写眞館 宮部みゆき |
(2023/06/19 18:43登録) 全四話で構成される本書の謎は、一枚の心霊写真から始まる。撮影時にはいなかった人物が、写真では顔だけぽっかり浮かんでいるといったあり得ない状態で写っている。そんな写真を押し付けられ、謎を解くことになるのが主人公の高校生、花菱英一だ。さびれた商店街の真ん中に位置する「小暮写真館」に引っ越してきた直後の出来事だった。彼は写真に写っている人たちを知る人がいないかを探し、近所の家を一軒一軒訪ね歩くことから始める。その結果、写真の謎はすべて解明される。しかし、謎を解いただけでは物事は終わらないことを思い知ることになる。例えば、こんな形になってまでも写真に写り込み、何事かを訴えたかった幽霊たる人の思いとは、果たしていかばかりのものであったのか。誰かに何かを伝えるための手段としても、これではあまりにも悲しすぎた。相手に直接言葉を使って伝えることが叶わない、独りぼっちの苛烈な状況が思い浮かぶからだ。決して声高ではないが、ここには物言わぬはずの写真が、かくも多くの言葉を持っている驚きと、その言葉を口にできない、もの言えぬ環境の現実がさりげなく描かれている。著者は、そこから言葉と会話による人と人のつながり、結びつきの大切さを主人公の成長具合と合わせるように、ゆっくりと慎重に語っていく。この柔らかさは宮部みゆきならではだろう。 |
No.353 | 6点 | マカリーポン 岩井志麻子 |
(2023/05/31 18:11登録) いかにも慣れた手つきでこしらえた凡庸なホラーとは全く違う。もっと根源的な人間の業や、この世界に満ちている違和感を鮮明な輪郭で描いた作品である。私小説的なスタイルで語られるために妙な既視感が伴う。かつてアダルト業界に身を置き、人間のおぞましさに関するオーソリティーみたいな編集者が狂言回しになるところが「ここまでヒトはとんでもない存在なのか」と実感させる装置として機能し、リアルさを高めている。ストーリーは、近所に住む奇妙な姉妹との出会いから始まり、やがてタイ国の闇の空間へと広がる。実際に起きた事件との関連も示唆され、不穏なトーンが次第に高まってゆく。短編小説が各章に挟み込まれ、物語を紡がずに入られないは著者の欲望が人間の「あさましさ」とシンクロしていくところが怖い。書名のマカリーポンとはタイに伝わる半人半植物の妖精。木からもいだそれを男たちは妻にするが、七日の内に男は気を失い、マカリーポンは萎んで死ぬ。死ぬ間際に「ワクワク」という声を上げるという。いったいどんなイントネーションで、どんなトーンで「ワクワク」と叫ぶのか。その叫びを想像し、可憐で不気味でたまらないと書く。まさにそんな動揺と妖しさが本書には満ちている。 |
No.352 | 8点 | 暗色コメディ 連城三紀彦 |
(2023/05/31 18:11登録) 冒頭で提示される四つの謎が強烈。人妻の古谷洋子は出かけたデパートで、夫が同姓同名の女性と逢引きしているのを目撃。画家の碧川宏は、自殺するつもりでトラックに飛びこむが、なぜかそのトラックが消失した。葬儀屋の鞍田惣吉は、妻から「あんたはこの前の晩、死んだのよ。新宿の交差点で乗用車にひかれて」と言われ死者扱いされる。外科医の高橋充宏は、自分の妻が別人になっていると確信する。次々と描かれる四つの謎だけで、ページをめくる手が止まらない。さらに精神科の病院では都内でも一、二を争う藤堂病院だが、物語の重要な舞台として登場。幾人かの登場人物の動向が判明するのだが、さらに奇妙な謎と事件が増殖していき、物語の行方がさっぱりわからない。作者の手練主管によって、迷宮を夢中になって歩いていると、やがて驚くべき真相が明らかになる。幻想的な謎が、全て合理的に解かれる。しかも全体の構成が精緻極まりない。その一方で、人の心の不可思議さに複雑な思いを抱いてしまう。これもまた本書の大きな魅力となっている。 |
No.351 | 6点 | パラダイス・ロスト 柳広司 |
(2023/05/05 18:37登録) 大日本帝国陸軍の内部に秘密裏に作られたスパイのエリート養成学校「D機関」の活躍を描く「ジョーカー・ゲーム」シリーズの第三作。魔王と呼ばれ、過去の経歴が一切謎の包まれた男、結城中佐がたった一人で作り上げたD機関、とにかく能力が半端ない。いずれも一流大学の秀才であり、運動力や戦闘力にも優れ、語学もおそろしく堪能、さらには完璧な変装と、演技で別人になり切り、人身掌握術の達人であるという、ほとんど出来ないことはないのではとさえ思えるほどすごい連中なのだ。この超人的というべきD機関の若きスパイたちが、毎回様々な事件に遭遇したり、自らひき起したりする、それがこのシリーズの醍醐味である。それと同時に忘れてならないのは、この短編連作がミステリとして実によく出来ているということである。「死ぬな。殺すな。とらわれるな。」これがD機関の戒律である。すべて頭脳戦であり、意外性に満ちたスパイミステリである。 |
No.350 | 5点 | あなたが愛した記憶 誉田哲也 |
(2023/05/05 18:37登録) 乳児を殺害、自ら110番通報して逮捕され、裁判が進行中の曽根崎という男を、弁護士が訪ねるシーンから物語が始まる。冒頭の数章で、異常犯罪に関わる正体不明の男や、事件を追う複数の刑事、あるいは独特の雰囲気を持つ女子高生・村川民代などが順次紹介され、ストーリーの行く手が示される。本書は、難しく言えば遺伝医学的な現象、簡単に言ってしまえば、オカルト的現象をテーマにするものだが、超常現象以外のディテールが、現実感豊かに書き込まれているため、何の抵抗もなく読める。多視点で描かれているものの、基本的には曽根崎を中核に据えた、私立探偵小説といってよい。キャラクターの一人一人が行間から立ち上がる存在感を持ち、この小説を支える骨格をなす。ことに曽根崎の事務所の下にあるスナックの店主・吾郎と美冴の兄妹がいい。プロローグから、途中である程度結末が予測できるのは惜しいが、読後に独特の余韻を残す。 |
No.349 | 7点 | フィルムノワール/黒色影片 矢作俊彦 |
(2023/04/10 18:30登録) 凝りに凝った描写、気取り倒した文体と作者の拘りが張り詰めている。その拘りの中核部分をなすのは映画への愛情であり、古今東西のおびただしいフィルムへの言及が、はちきれんばかりに詰め込まれている。主人公の元刑事・二村は、スクリーンの幻想をそのまま現実として生きる男なのだ。だから口を開けば、大向こうを唸らせる名台詞のような言葉ばかり飛び出す。そんな二村が、ある女優の頼みで失踪した若い男優を追って旅立つ。向かう先は映画の都・香港。女優の父が亡くなる前に撮った幻のフィルムを巡る謎が絡んでくる。さらには、香港ノワールに影響を及ぼした六十年代日活映画の輝ける星、「エースのジョー」こと宍戸錠本人まで登場する。ただ、映画が輝いていた時代へのオマージュなどというのんびりしたものでは毛頭ない。徹頭徹尾、自らの愛してやまないものだけど、どこにもない世界を建立してしまおうとする作者の執念の産物であり、全体が他に類のないような言語実験ともいえる。 |
No.348 | 6点 | プラハの墓地 ウンベルト・エーコ |
(2023/04/10 18:30登録) 集大成ともいえるこの小説には、十九世紀に流行した新聞連載小説への著者の愛が充ちている。十九世紀のパリを取り巻く出来事や人物がふんだんに詰め込まれ、いわば史実の網の目をつくっていて、その結び目に密かに一人だけ虚構の主人公を編み込む。主人公はパリのモベール小路で骨董屋を構えながら、警察や教会の秘密の結社から依頼され、偽の遺言書や手紙や書類を本物と区別できないほど巧妙に作る男である。その秘密の仕事が、やがては偽物そのものの作成にまで男を関わらせる羽目になるのだが、その長いプロセスこそがこの物語の読みどころだ。そこに殺人事件が絡み、ドレフェス事件をはじめ、ユダヤ人問題やイエズス会、フリーメーソンといった事柄が織り込まれる。歴史を紐解く面白さも物語を読むワクワク感も、存分に楽しめる著者ならではの小説である。 |
No.347 | 7点 | さよならの手口 若竹七海 |
(2023/03/20 19:09登録) 物語は、女性探偵葉村晶が、元女優に頼まれて二十年前に失踪した娘の行方を追ううちに、関係者が次々と闇に消えていることに気づく内容である。巧緻なプロットが素晴らしい。冒頭の白骨死体発見からラストの別の事件の解決まで、メインとなる女優の娘の失踪事件にいくつもの小事件を絡ませて飽きさせない。複数の事件が多発的に起きて、私生活も賑やかになりやがて暗転する。何よりも魅力的なのは探偵像だ。四十過ぎて人生に迷っている葉村は、様々な人々を訪ね歩き、人生の辛苦を垣間見、皮肉を言い、権力者の脅しにあいながらも事件追求を止めない。人生を熟達している良き観察者であり、同時に臆せずひるまず敵に向かう行動者でもある。葉村がバイトする古書店でのミステリに関する蘊蓄も愉しく、ミステリファンにはたまらない。多くの人が共感できる等身大のヒロインであり、満足できる小説だろう。 |
No.346 | 6点 | 海峡を渡る幽霊 李昂 |
(2023/03/20 19:09登録) 政治や歴史、性など多様な主題が時に叙情的に、時に土俗的ほら話風に描かれる。台湾の歴史と風土が結晶化したような作品には、複雑な味わいと重厚な読み応えがある。表題作は奇妙な幻想譚だ。漢方医が大陸から台湾にやってくる。何か事情があるらしく険しい山奥に居を定めるが、やがて女の幽霊が彼の元に現れる。騒動を起こす女幽霊を追い払おうと人々がするのが、台湾の土着の神様だ。物語は両者の対決とあいなるが、その構図に台湾の現代史と重ねずにはいられないだろう。コミカルな物語に深い含意が込められている。国民党政権による政治弾圧のトラウマを描く「花嫁の死化粧」、数百年にわたる台湾の歴史を幽鬼の視点で語る「谷の幽霊」も忘れ難い。奇想天外なイメージを駆使しながら、壮大な時空をまるごと語ろうとする作者の力技に圧倒された。 |
No.345 | 7点 | ラブカは静かに弓を持つ 安壇美緒 |
(2023/03/04 18:15登録) 音楽著作権の管理団体に勤務する橘樹は、上司から大手音楽教室への潜入調査を命じられる。生徒としてレッスンに通い、楽曲の違法使用の実態を探るのが目的だ。入社してまだ数年、20代の橘に命令が下ったのは、彼にチェロの演奏経験があったからだ。しかし少年時代に習っていたものの、とある事件に遭遇して以降、彼は悪夢に悩まされ、チェロだけでなく人とも距離を置いて孤独に生きてきた。気が進まないまま赴いた教室にいたのは、同年代の青年チェロ講師、浅葉。気さくな彼の的確な指導の下、橘は少しずつ音楽に触れる喜びを取り戻していく。二人の間には温かな師弟関係が育まれていくが、それだけでなく教室の生徒たちとの交流も生まれ、友人すらいなかった橘の日常に光が差し込んでいく。しかししょせん、彼は浅葉たちをだましている身なわけで、任務が終われば裁判で証人として出廷する予定なのである。ラブカとは深海魚の名前だ。作中、架空のスパイ映画のタイトルに使われているが、2年間も潜伏する橘のコードネーム的な意味合いもあり、彼が長年苦しむ深い海の悪夢の象徴でもあるといえるだろう。終盤には意外な事実が明かされ、さらに橘が大胆な行動を起こすなどスリリングな展開が待っている。だが、本作の読みどころはやはりサスペンスというより、人間ドラマの部分だ。嘘から生まれた信頼関係、師弟関係を、だました側、だまされた側がそれぞれどう受け止めるのか。葛藤と向き合った後の最終場面は胸を撃つ。音楽著作権の説明は分かりやすく、音楽に関する描写もこまやか。練習場面などささやかな場面にもリアリティーが宿っており、作者の力量がたっぷり味わえる一作である。 |
No.344 | 7点 | 誰かがこの町で 佐野広実 |
(2023/03/04 18:15登録) 岩田喜久子法律事務所に現れた若い女性は、望月良子の娘・麻希と名乗った。亮子は喜久子の友人だったが、19年前に夫と二人の子供とともに失踪していた。乳児だった麻希だけが、何者かに連れられて、養護施設に預けられたという。岩田弁護士から依頼を受けた調査員の真崎雄一は、望月一家が暮らしていた鳩羽地区に向かう。かつてこの土地では小学一年の男児が拉致された翌日に遺体で発見される事件があったが、20年以上たった今も未解決のままである。わが子の事件がきっかけで、自治会がカルト化していく様子を、被害者の母である木本千春は、流されるように見つめていく。事件直後には、地区の防犯係が扇動し、他地区に住む外国人を犯人と決めつけ、自首を求めて大勢で押し掛けたこともあった。有力者への忖度も加わり、安全な街という理想が、監視の強化、異分子の排除へと変容し、住民の間で同調圧力が強まっていったのだ。真崎はすぐにこの地区の異様さに気づく。彼も同調圧力に加担したことが遠因で、仕事も家庭も失っていた。そのため過去の嫌な記憶がよみがえり、悔恨が胸をよぎるのだ。私立探偵小説を彷彿させる真崎と麻希による調査と、拉致事件で一人息子を失った母親の視点によるパートが交互に配されているのが本書の特徴だ。過去と現在の二つのパートが互いに補完し、関連していくことで、未解決事件と望月一家の失踪の真相が、徐々に浮かび上がってくる。全体主義国家の縮図のような一地域の物語は、決してフィクションの中にとどまるものではない。コロナ禍によって、より鮮明になった現代社会が抱える問題点を浮き彫りにする、時宜を得たミステリなのである。 |
No.343 | 6点 | ガラパゴス 相場英雄 |
(2023/02/11 19:09登録) 日本の労働現場に広がる底知れない闇を覗き込み、背筋が凍る思いがした社会派ミステリ。警視庁継続捜査班の刑事・田川信一は、団地内の一室で見つかり自殺として処理された若い男性の遺体写真から、他殺だったことを見抜いた。田川は不明だった男性の身元を割り出し、彼が派遣労働者として在籍していた各地のメーカー工場を訪ね、一歩ずつ事件の真相に迫っていく。やがて不正を隠蔽する大掛かりな企みが殺人の裏にあったことが浮かび上がった。この小説が描き出すのは、家電、自動車などの工場で働く派遣など非正規雇用労働者の実態だ。募集時とは異なる低賃金、長時間労働でぎりぎりの生活を強いられた末、企業側の都合でのたれ死にしても構わないという態度の大企業、人材派遣会社の田川が出張を繰り返し、地道な捜査を進めて事件構図を明らかにしていく過程は、松本清張の「砂の器」を思い起こさせる。ミステリが謎解きの面白さだけではなく、時代を切り取り活写するのに有効であることを改めて気づかせてくれた。 |
No.342 | 7点 | 血の弔旗 藤田宜永 |
(2023/02/11 19:09登録) 日本の戦後とは何かを問う壮大な物語である。貸金で財を成した原島の運転手をしている根津謙治は、裏金11億円の強奪をもくろむ。1996年8月15日、謙治は学童疎開の時に出会ったという希薄な関係性しかない川久保、岩武、宮森と計画を成功させる。唯一の計算外は、屋敷を訪ねて来た女を射殺したことだった。謙治たちは大金で派手に遊ぶのではなく、金を元手に表の世界で成功するため実業界へと進む。そのため自分たちを疑う刑事も、金の奪還を進める原島や裏社会の人間も力で排除することができない。頭脳戦から生まれる静かな息苦しいまでのサスペンスには圧倒される。執拗な追っ手をかわしていた謙治たちが、時効直前に見つかった戦争の遺物により新たな事件に巻き込まれる。この展開は、戦中と戦後が断絶していないことを教えてくれる。何より、手を血で汚した事実を遠くに追いやった成功者になろうとした謙治たちは、他国の戦争によって平和と繁栄を維持した戦後の欺瞞を暴いているように思えてならなかった。 |
No.341 | 7点 | 機巧のイヴ 乾緑郎 |
(2023/01/25 18:00登録) 幕府がある天府には十三層の大遊郭があり、天帝家は女系で継承され、人間と見分けがつかない機巧人形が存在するもう一つの「江戸」。魅惑的な舞台を用意した本書は時代小説、SF、推理小説の要素がすべて詰まった贅沢な連作集である。物語は、凄腕の機巧師・釘宮久蔵と、美しき機巧人形の伊武を狂言回しにして進んでいく。なじみの遊女を身請けして好きな男と添い遂げさせ、自分は遊女の機巧人形と暮らそうとした男が、久蔵に制作を依頼する表題作は、どこで騙されたか分からない仕掛けに圧倒された。伊武が久蔵に、ヤクザに腕を切られた力士に人工の腕を作ってほしいと頼む「箱の中のヘラクレス」は、異形の恋愛譚。久蔵の調査を命じられた隠密が陰謀に巻き込まれる「神代のテセウス」は、壮絶な騙し合いになっているなど、収録作は一作ごとに趣向が凝らされている。微妙なつながりを持っている各章の挿話を、最終話「終天のプシュケー」で収斂させる手法も鮮やかで、最後まで先の読めない展開が楽しめる。驚異的な想像力を使い、人間のように思考する機械が出来たら、何が人と機械を区別するのかや、技術の発達は人類を幸福にするのかという普遍的な問題を掘り下げたのも見事である。 |
No.340 | 6点 | 雨と短銃 伊吹亜門 |
(2023/01/25 18:00登録) 幕末の京都。長州藩士が切りつけられ、その傍らにいた薩摩藩士は逃走して姿を消した。薩長同盟を成立させようと奔走する坂本龍馬は、事態の収拾を図るため、尾張藩公用人の鹿野師光に調査を依頼する。薩摩、長州、そして新選組の策略が渦巻く中、人の命が軽く扱われる状況での探索が語られる。前作同様、実在の人物と架空の人物を織り交ぜて、史実とフィクションを巧みに重ね合わせている。この時代ならではの手掛かりに基づく謎解きもまた鮮烈。史実に対し、現代の私たちが抱くイメージを利用した仕掛けに驚かされっる。その先に広がる人々の思惑と、真相を突き止めた鹿野の味わう、達成感とはかけ離れた思いも記憶に残る。 |