小原庄助さんの登録情報 | |
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平均点:6.64点 | 書評数:267件 |
No.167 | 6点 | 炯眼に候 木下昌輝 |
(2019/06/05 10:05登録) 本書は七つの短編で構成。冒頭の「水鏡」は、長島の一向一揆との戦いを背景に、馬廻衆が恐れた姿見の井戸の怪異を、信長が合理的に解釈する。まるで名探偵のような信長が愉快だ。 続く「偽首」は、桶狭間の戦いで起きた、今川義元の首を巡る騒動がつづられる。本書の信長は主役になることがないが、謎や騒動の真相を見抜く炯眼の持ち主であることが、鮮やかに表現されているのだ。 また、九鬼水軍の造った鉄甲船の秘密を通じ、なぜ羽柴秀吉が信長の後継者たりえたのかを明らかにした「鉄船」、長篠設楽原の戦いにおける鉄砲運用の謎に絡めて、明智光秀が叛意を固めた瞬間を捉えた「鉄砲」など、どれも読み応えがある。 そしてラストの「首級」では、本能寺の変の最中に信長が、自分が死んだ後の時代の動きを見通す。この話も主役は、信長に仕えた実在人物だ。しかし本を閉じた後は、先が見えすぎる覇王の肖像が浮かび上がってくるのである。このような手法で信長を描いてのけた作者も、炯眼の持ち主といっていい。 |
No.166 | 7点 | 言葉人形 ジェフリー・フォード |
(2019/05/27 08:52登録) 町まで車を走らせる道中にある古い家。作家の私は、ある日、その家の敷地内の茂みに隠れていた看板を発見する。<言葉人形博物館>。好奇心を抑えられずに訪ねてみると・・・。 SF系、幻想文学系の名だたる文学賞を多々受賞しているアメリカの作家の短編集。 表題作は主人公が住んでいる農業地域に、19世紀の一時期、存在した不思議な儀式についての物語になっている。文化人類学的、あるいは民俗学的に興味深い虚構から入った物語が、徐々に不穏な空気をまとうようになり、やがて昏い恐怖譚へと移行していく展開が見事な一編なのだ。 収録作品は13編。比較的リアルな感触を残すものから本格的な幻想小説へと順に配置されているので、フォード作品未体験の読者でも入っていきやすいはずだ。 |
No.165 | 8点 | セミオーシス スー・バーク |
(2019/04/22 10:18登録) 他者を理解するのは難しい。それが他の天体の生物との「ファーストコンタクト」だったとしたらなおさらだろう。 この作品は、環境破壊で荒廃した地球に見切りをつけ、別の惑星に入植した数十人の人間たちとその子孫、7世代100年に及ぶ年代記だ。平和を意味するラテン語「パックス」と名づけられたこの星には、多様な植物が繁殖し、動物も存在した。 当初、人類は地球同様に生態系の頂点に立とうとするが、地球より10憶年前に誕生したこの星の植物は、高い知能を持っていた。彼らは果実に有毒物質を生じさせ、人類を排除しようとする。やがて人類は彼らと戦うことから、共存を目指す方針に転換していく。 パックスでは、「共和国」の精神に共感し、その目標を共有する生物はすべて市民と認める方針をとる。だが、知的植物と人類は、共生と平等を重んじつつ、互いに警戒を怠らない。相手を尊重しながら、より多くを得ようとする。いわば相互に「家畜化」をもくろみ続けるのだ。 両者の関係性をはじめパックスのありようは、国民統合や政治文化における米国的な価値観や行動原理を想起させる。これはSF化された米国の精神史でもあるのだ。 高度な知性を持ち、人類とも意思の疎通可能な「竹」のスティーブランドは、長い寿命と巡らされた根と茎を持っている。歴史を俯瞰する彼の言葉が、時に「旧約聖書」の神と人類の契約のように響くのも興味深い。 |
No.164 | 7点 | 機巧のイヴ 乾緑郎 |
(2019/04/06 09:32登録) 人間と見まがう機巧人形・伊武と、当代随一の機巧師・釘宮久蔵を通して、江戸時代に似ているが根本から何かが違うもうひとつの世界で起こるさまざまな愛憎劇、事件を描く連作短編集だ。 幕府の膝元・天府には13層の大遊郭がそびえ、多彩な遊芸や技巧技術が爛熟していた。なじみの遊女を模した機巧人形に理想の女を求める男を描いた第1話の表題作や、腕を失った刺青力士のために人口の腕を作ろうとする「箱の中のヘラクレス」など、前半には時代小説の市井物の雰囲気が漂う。 それが後半に進むに従い、”世界”の謎の姿を現す。「神代のテセウス」では、久蔵に関する調査を命じられた思い込みの激しい隠密が、陰謀に巻き込まれていく。やがて女系で継承されてきた天帝家の秘密や幕府の思惑も見えてくる。 心を持った「機械」は人間と違いがあるかというデカルト的命題を踏まえたSF的思考をベースに、ミステリや時代小説の楽しみまで満載した贅沢なエンターテインメントだ。 |
No.163 | 7点 | ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち 仁木稔 |
(2019/03/24 10:37登録) 情報社会の閉塞と混迷をテーマにしている。この世界では”妖精”と呼ばれる人工生命体を奴隷的に使役することで、「絶対平和」を確立している。だが、そんな繁栄にも陰りが兆す。 異質な存在に憎悪を向ける人々。ポピュリズムの下、かえって原理主義や差別感情が人々の心に巣くい、情報社会は陰謀論と反知性主義の温床と化していく。 いうまでもなく、これは現現代会が抱える現在進行形の問題にほかならない。 社会変革への意志を帯びた政治小説はSFの源泉のひとつだったが、この作品は間違いなくその正当な後嗣といえる。 |
No.162 | 5点 | 謀略空港 シェイン・クーン |
(2019/03/12 09:50登録) 前作の皮肉なユーモアに彩られた殺し屋の物語「インターンズ・ハンドブック」とは、全く毛色の異なる物語だ。 ケネディは航空保安警備の専門家。9・11のテロで妹を失い、この道に進んだ。コンサルタントとして世界各地の空港を飛び回る彼を、CIA(中央情報局)のテロ対策チームがスカウトする。あるテロリストが、複数の空港を狙った大規模なテロを企んでいるというのだ。かくしてケネディは、テロとの戦いに巻き込まれる・・・。 前作で見せたユニークな語り口、凝った人物描写といった強みをすべて封印して、どんでん返しの連続する謀略スリラーに徹している。 人物描写も語り口も控えめで、小説というよりは長いあらすじを読んでいるような気分になるかもしれない。だが、意外な展開の連鎖で形作られた物語は、ぐいぐいと読む者を引っ張っていく。 後半は逆転劇の連続。ひたすら読者を驚かせる展開に特化した、極端に振り切った作品である。 |
No.161 | 6点 | 零號琴 飛浩隆 |
(2019/03/06 09:41登録) どんな理屈や説得よりも、人を強く突き動かす力が、ある種の音楽にはある。宗教音楽や軍歌、行進曲、あるいはラブソングだって理性に反する行動に人を駆り立てることがある。この作品は、音楽や音色が大きな意味を持つ世界を舞台にしている。 惑星「美縟」の首都「盤記」には、大都市をすっぽり覆うほど巨大な楽器「美玉鐘」が建国の際に秘曲「零號琴」を奏でたという伝説があった。建国500年を目前に控え、この楽器の部品が出現し始めたのだ。人々は楽器を再建し、秘曲を奏でようとする。 こう紹介すると王道の神話風ファンタジーのようだし、実際、ストーリーは壮大で深遠だ。けれども登場人物は、神話のイメージからは程遠い。やたらと騒がしく、軽々しく、悪のりしやすく、ついでに美少年だったりする。ライトノベル的というか、荘重さの対極にあるのだ。 おまけに、建国500年に合わせて上演される、全市民参加の野外劇の演目は、少女向け人気アニメのタイトルによく似た「仙女旋隊 あしたもフリギア!」なる番組の最終話をアレンジした作品だという。 こんなドタバタ要素満載の設定が織りなす、世界改変の物語、笑いと衝撃と感動で読者を振り回す著者には「悪ふざけがすぎる」という称賛の言葉を贈りたい。 |
No.160 | 6点 | 凡人の怪談 工藤美代子 |
(2019/02/26 11:28登録) 怪談の肝は語り口にある。これは小説だけでなく、実話怪談や怪異を扱ったエッセイでも同じだ。いや、むしろ小説ではない方が、書き手の文体や言葉選びで、その怪異の怖さや不思議さ、切なさやほのかなユーモアの味わい・・・つまりその怪談の旨味に大きな差がついてくる。実話は創作と違って明快な起承転結がないし、怪異の正体や因果がはっきりわからない=謎解きがないことも多いので、出来事の経緯を描く文章に味がないと、何か中途半端だなあという消化不良感が残ってしまいがちなのだ。 また実際に起こった出来事を書く場合は、それが書き手の体験談であるか、第三者から聞いた話であるかで、その怪異との距離感が変わってくる。この距離の計り方が上手な人の手にかかると、「ホテルの客室に幽霊(らしきもの)が出た」とか、「不動産探しで事故物件に当たったらとても怖い思いをした」等々のありふれた話でも、まったく読み心地の違う新鮮なものになるから面白い。 本書の著者の工藤美代子は、語り口も怪異との距離の計り方も絶妙な怪談エッセイの名人だ。 |
No.159 | 6点 | 一刀流無想剣斬 月村了衛 |
(2019/02/20 10:02登録) 戦国末期を舞台に、剣豪として名高い神子上典膳が、家臣の謀反で国を追われた美しき澪姫と小性の小弥太を守って、追手の刺客と死闘を繰り広げる展開は、まさに剣豪小説の王道パターン。 異能の剣を使う黒蓑兄弟と戦う追加のチャンバラがあるかと思えば、澪姫たちが逃げ込んだ山の自然が行く手をはばみ、それを乗り越える冒険小説の要素もあるので、血湧き肉躍る興奮が満喫できる。典膳の活躍を通して、困難を克服する勇気、悪と戦う強い心を持つ重要性というテーマをさりげなく描いたところも、強い印象を残す。 一刀流の祖、一刀斎は典膳と善鬼を弟子にしたが、残酷な善鬼でなく典膳を後継者にしたとされる。この伝説を踏まえたどんでん返しを読むと、著者の時代小説への愛もよくわかるだろう。 |
No.158 | 6点 | 新・二都物語 芦辺拓 |
(2019/02/13 10:18登録) 近代史を背景に、2人の男の人生が活写されている。 東京で貧乏書生をしている柾木謙吉は、関東大震災をきっかけに、別人に成りすました。イギリスへの留学を経て、内務省に採用された彼は、映画の検閲係となる。 一方、大阪の銀行家の息子の水町祥太郎は、震災後の東京に行き、救護活動に従事した。だが故郷に戻ると、取り付け騒ぎで銀行が業務停止。やがて彼は、映画産業に身を投じるのだった。 震災後に顔を合わせた謙吉と祥太郎は、その後も人生を交錯させながら、東京と大阪で、それぞれの道を歩む。後半になると、新京と上海に舞台が広がる。冒険・ロマンス・サスペンス・・・。二つの都市を背景に、2人の男が繰り広げる、骨太のドラマが堪能できるのだ。 また、映画が重要な題材になっている点も見逃せない。庶民の娯楽として発展した映画が、国策の道具になっていく様子が描かれている。波乱万丈のストーリーと、真摯なテーマが融合した作品なのだ。 |
No.157 | 8点 | 日本ミステリー小説史 評論・エッセイ |
(2019/02/06 11:59登録) ミステリーとSFはいずれも米国の文豪エドガー・アラン・ポーが創始したジャンルだが、正統的文学史からは長らく排除されてきた。近年ようやく、こうした周辺ジャンルを含めた新たな文学史の構築が始まりつつあるが、本書もそうした試みの一つだ。 尾崎紅葉の「金色夜叉」が米国小説の翻案であったことを突き止めるなど、著者は比較文学の視点から日本文学に新たな光を当てる研究を行ってきた気鋭の研究者。本書では、ミステリーというジャンルが日本の近代文学と密接に絡み合いながら発展してきた歴史を解き明かす。 まずミステリー史を「大岡政談」から語り始める視点が興味深い。同作に代表される、「裁判もの」が、「時間を遡り事件を再構成する」というミステリー小説のプロットに日本の読者をなじませ、後のミステリー大国への地ならしをしたのだ。また「大岡裁き」の有名なエピソードの多くが中国の裁判記事の翻案だったことなど、意外な事実も明らかにされる。 明治に入り、成島柳北や仮名垣魯文、黒岩涙香らによる翻訳や翻案でミステリー文化が開花し、1893年を頂点とする最初の探偵小説ブームが到来する。泉鏡花もデビューにミステリー小説を選んだほどの人気だったそうだ。その後一時衰退するが、岡本綺堂の「半七捕物帖」や谷崎潤一郎の犯罪小説をきっかけにミステリーは息を吹き返し、「新青年」創刊と江戸川乱歩の登場によりジャンルとして自立する。 こうした数々の挿話と共に、「デカ(刑事)」という呼称の起源や、2時間ドラマのクライマックスはなぜ断崖絶壁なのか、などの身近な話題も随所にちりばめての日本ミステリー史は、読者を倦ませない。 さらに本書で言及される鉄道小説(鉄道ミステリーとは別物)や毒婦物、家庭小説などは、近年の英米文学研究でも注目されている重要な話題である。まさに最新の研究成果と一般読者を橋渡しする知的エンターテインメントとして、お薦めの一冊だ。 |
No.156 | 8点 | 凍てつく太陽 葉真中顕 |
(2019/01/30 09:04登録) 葉真中顕は、次にどんな小説を書くのか楽しみにしている作家だ。心を躍らせ読み始めると、期待を裏切られることなく、一気に引き込まれた。 舞台は1944~45年の銃後の北海道。特高警察の巡査でアイヌの血を引く日崎八尋が朝鮮人になりすまし、室蘭の軍需工場の「飯場」に潜入する。もう、この設定だけで、わくわくしてくる。 小説の楽しみのひとつに、未知の世界を知る、というものがある。恥ずかしながら、アイヌや戦時中の北海道についての知識が希薄だったので、たいへん興味深かった。 殺人事件が新たな殺人事件を呼び、ページをめくる手が止まらない。軍需工場から網走刑務所、アイヌの集落、南方の戦地まで、物語の世界が重層的に広がっていく。膨大な資料を読み込み、綿密な取材を重ねたことが、行間から伝わってくる。この小説では、戦前の日本の皇民化政策の影響が色濃く描き出されている。日崎八尋が皇国臣民としての誇りを持つ一方、民族のアイデンティティーを堅持しようとするアイヌもいる。そのグラデーションは、朝鮮人労働者の内部でも同様だ。 大和人がアイヌを、日本人が朝鮮人を、つまりマジョリティーがマイノリティーを描くのは難しく、勇気がいる。当事者からの厳しい評価にもさらされる。だが、そんな懸念はいらないだろう。俯瞰の視点と想像力を駆使して登場人物に寄り添う姿勢の両方が見事に生きていた。アイヌや朝鮮人の心理は、畳みかけるように連なる骨太なエピソードによって巧みに描かれる。日本人に過剰適応する彼らの姿や朝鮮人の間のヒエラルキーは、被差別民族の悲哀をさらけ出し、戦争の愚かさを炙り出す。 小説にとって大事なのは、書く側の「まなざし」だと思う。著者の社会への問いかけは、物語のなかに、あまたちりばめられている。もちろん、エンターテインメント小説に欠かせない驚きもしっかりとある。細やかな伏線と鮮やかな結末には、思わず唸ってしまった。 |
No.155 | 7点 | 数字を一つ思い浮かべろ ジョン・ヴァードン |
(2019/01/23 08:33登録) 不穏な冒頭から、意外な着地を見せる結末まで、提示される不可解な謎を解明する楽しさで一気に読ませる。 元刑事のガーニーは、学生時代の友人メレリーから相談を受ける。彼のもとに届いた奇妙な脅迫状。そこには、千までの数字を一つ思い浮かべるように記されていた。それに従ったのち、メレリーは同封された小さな封筒を開いて驚愕する。そこには、彼が思い浮かべていた数が記されていたのだ。 得体の知れない脅迫はやがて殺人事件に発展し、ガーニーは検事の要請を受け、特別捜査官として犯人を追うことになる。 事件はいくつもの謎で彩られている。犯人はどうやってこれを成し遂げたのか?なぜ意味の無さそうな奇妙な行動をとったのか?一つの謎の解明が新たな謎を生み、その連鎖が物語を織りなしている。 主人公ガーニーの造詣も印象深い。頭脳明晰な元刑事として知られる一方、妻の考えが分からず思い悩む日常。そんなサイドストーリーも、時に思わぬ形で謎解きに絡んでくる。鮮やかな手品を見たような満足を味わえる小説である。 |
No.154 | 8点 | ランドスケープと夏の定理 高島雄哉 |
(2019/01/14 10:08登録) ワクワクしたいし、難しい作品にも挑戦したい。そんな欲張りな本好きにおすすめな一冊。 第5回創元SF短編賞を受賞した表題作と、続編2作からなる短編集で、宇宙や時間を巡る難解な理論が随所で展開されるのに、すこぶる読みやすい。 小惑星から採取した謎の物体「ドメインボール」を研究していた天才物理学者テアは、その内部に、自分たちの宇宙とは物理法則を異にする別の「宇宙」が存在していることに気づく。 好奇心に駆られたテアは、10兆個もの自身の情報クローンを作った上で、それらをドメインボール内に転送し、「彼女たち」を通じて未知の「宇宙」の探査を始める。内向的な秀才である、弟ネルスも、姉に呼び出され手伝うことになる。 抜群の頭脳を持ち、気が強い姉に振り回されてばかりの弟だが、いざとなると知恵と勇気を振り絞って難局に立ち向かう。そんなライトノベルのようなドタバタ劇と、彼らが語り、解き明かそうとする、「あらゆる宇宙に共通する普遍的な知能」の存在という壮大なテーマとのギャップに驚かされ、また魅了される。 情報量が多いので、本来はじっくり取り組むべき内容なのだが、作中人物の行動や会話が面白いので、十分に理解しないうちに、読み進んでしまうかもしれない。 あとがきで著者は、収録された3作はそれぞれ「真・善・美」が通奏低音だったと記している。それは知性・信頼・希望と言い換えてもいいだろう。最終話「楽園の速度」を読み終えれば、宇宙の見え方がガラリと変わるはずだ。 |
No.153 | 7点 | 動きの悪魔 ステファン・グラビンスキ |
(2018/12/14 07:53登録) 「ポーランドのポー」の異名をとる19世紀末生まれの作家なのだけれど、一読、その才能のユニークさに驚嘆必至だ。 夢遊病のように目的のない鉄道の旅に出てしまう性癖の持ち主が、車内で出会った鉄道員に奇妙な自説を開陳するという、一見、狂気小説かと思わせて、超自然ホラーのようなオチでゾッとさせる表題作。汽車を単なる移動手段としか考えていない乗客を侮蔑している車掌を主人公にして、表題作の姉妹編のような構造を持つ「汚れ男」。神出鬼没の幽霊列車に翻弄される人々の姿を迫真の筆致で描いた「放浪列車(鉄道の伝説)」。 恐怖小説が中心だけれど、幻想やミステリ、SFのタッチを加味した作品もあって飽きがこない、どころかアイデアや想像力の独自性にワクワクしっぱなし。マスターピースといっていい14編なのである。 |
No.152 | 6点 | 蝶のゆくへ 葉室麟 |
(2018/12/14 07:53登録) 明治の群像ドラマだ。進行役は明治女学校に通う星りょう。後に夫と共に、新宿中村屋を開業した相馬黒光である。 新しい時代の生き方を模索するりょうは、男女の恋愛や夫婦の問題など、さまざまな騒動と関わる。やがて結婚し、毀誉褒貶のある人生を歩んだ彼女は、自分が何を求めていたのか理解するのであった。 本書は全7章で構成されているが、第5章までのりょうは脇役に近い。章ごとに詩人や作家など実在人物が登場して、興味深いストーリーが展開していくのだ。なかでも、勝海舟の子の妻である、梶クララことクララ・ホイットニーが、名探偵ぶりを発揮する。第4章が愉快であった。 さらにストーリーを通じて表明される、作家論が素晴らしい。作中で、斎藤緑雨がいう、樋口一葉評には感嘆した。多数の注目ポイントをもつ、読み応えのある作品だ |
No.151 | 8点 | ある夢想者の肖像 スティーヴン・ミルハウザー |
(2018/12/04 09:56登録) 「夢見がち」という言葉から連想するのは、なんだかボーッとした風情だったるするのだが、この作品の登場人物の夢見る力はもっと輪郭がくっきりとしている、というか気配が濃い。 29歳の<僕>アーサーが、6歳からハイスクール時代までを回想したというスタイルの作品だが、その文体もまた(訳文から判断するしかないのだけれど)圧倒的に濃厚で濃密なのだ。 何かにつけて<退屈>を連発する少年時代から思春期にかけてのアーサーは優れて精妙な観察者であり、彼の目を通して濃厚濃密な文体で描かれる退屈なあれこれは、だからといって読み手にとっては退屈とはならない。その逆で、あまりに生き生きと描かれるために、その光景を引き金に、自分の子供時代までもが呼び戻されるほどなのである。 夢想家で、何かと出会う前にもっと素晴らしい何かをくっきりと思い描けてしまうがゆえに、必然的に生じる失望。夢想よりも世界を退屈と断じる少年がある日、自分とよく似た宿命の友人ウィリアムと出会う。でも、作者はこの二人の少年の交流を、よくある青春小説のように甘い友情としては描かない。 夜中に家を抜け出して、互いの部屋を訪問しあうアーサーとウィリアムが経験する深い闇は、心の奥底で静かに主の訪れを待つ底なしの井戸に他ならず、夢想とはそこに降りていった者だけに許される昏い才能なのだということを示す結末が痛々しい。 |
No.150 | 7点 | 老いの入舞い 松井今朝子 |
(2018/12/04 09:56登録) 新米同心の間宮仁八郎と、大奥出身の尼僧、志乃のコンビが難事件に挑む捕物帳。 結婚間近の娘が消え、300両を要求する手紙が届く「巳待ちの春」は、何気ない一文が解決のヒントになる伏線が鮮やか。火事で死んだ隠居の娘が、原因は付け火と訴え出る「怪火の始末」と水茶屋の看板娘が殺され、容疑者として大店の息子が浮上する「母親気質」は、犯人が誰かよりも、事件で傷ついた人たちをどのようにフォローするのかを主眼としているので、推理と人情のバランスが絶妙である。 そして最終話となる表題作では、武家の奥向きで働く女の死体が発見された事件と、赤坂で起きた心中が、意外なかたちでリンクしていく。 事件の背後には、付きまといや不倫、母と息子の複雑な関係など、普遍的な男女の問題が置かれている。謎が解かれるにつれ、明確な解答が無いテーマが浮かび上がるので余韻も残る。 |
No.149 | 6点 | ISOROKU 異聞・真珠湾攻撃 柴田哲孝 |
(2018/11/22 09:48登録) 日米開戦の幕開けとなった1941年の真珠湾攻撃を描く謀略小説である。できるだけ実名を用い、物語に関連する挿話も実際の出来事に基づき、人物団体も実在のモデルや事例が存在するが、「概念としてフィクションである」と前書きで作者は断っている。 しかしノンフィクション「下山事件 最後の証言」をさらに小説化した「下山事件 暗殺者たちの夏」を見ても虚実の間を鋭く突いて真実を浮かび上がらせるのが得意だ。 真珠湾攻撃の謎、つまり、①攻撃当日にホノルルのラジオ放送から突然日本の曲が流れた②奇襲なのに真珠湾には空母は1隻も無く旧式艦ばかり③太平洋艦隊の生命線というべき燃料タンクを一切攻撃しなかったのはなぜなのか-を追求する。 もしかしたら日米間に密約があったのではないかという疑問を山本五十六やルーズベルト大統領、スパイたちの視点を交えて解き明かしていく。 柴田哲孝には「下山事件」以外にも、大震災の謎を追う「GEQ(グレート・アース・クエイク)大地震」や戦争の裏側に迫る「異聞太平洋戦記」などの秀作がある。本書は「日本の黒い霧」「昭和史発掘」などの松本清張路線を継ぐ異才の新たな注目作だ。 |
No.148 | 8点 | 文字渦 円城塔 |
(2018/11/22 09:48登録) 文字には呪術的な力がある。ただの線と点の組み合わせが特定の意味を持つこと自体が神秘だ。 この作品は文字にまつわる12編の短編からなるが、圧倒的なイメージの広がりと論理の展開が心地よい一方で、読み進めるうちに思考の迷宮に迷込んでいくような困惑を覚える。 川端康成文学賞を受賞した表題作は、漢字が生まれた古代中国が舞台。自身の統治が死後も永遠に続くことを望んだ始皇帝は、壮大な陵墓の副葬品として「兵馬俑」など秦の人々や動物を写した像を作らせたが、そこには、未知の漢字を含む3万もの文字を記した竹簡も埋められていた。主人公である俑を作る職人は、始皇帝が定めたシンプルな字体に違和感を抱きつつ、神秘性をも感じ取る。俑と文字がそれぞれに映し出す姿とは何か・・・。 というと、いかにも伝統的な文字の枠に収まりそうだが、そう単純に象徴性や寓意に還元されない。捉えどころのない虚無が、この作品にはある。空虚なのではなく、意味ならぬ「虚味」をはらんだ作品というべきか。 それは、印刷された文字が星のように宇宙に浮かび、文字が島となって浮かぶ「緑字」や、本文に付されたルビが自立して語りだす「誤字」などで、いっそう顕著だ。円城作品には、読者を安易に「分かった」気にさせず、考え続けることの快楽を体感させる「虚無」がある。 |