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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2111件

プロフィール| 書評

No.571 5点 バカンスは死の匂い
モニック・マディエ
(2019/06/15 19:57登録)
(ネタバレなし)
「わたし」ことローランスは、パリの服飾会社で社長秘書を勤める24歳のブロンド娘。ローランスは夏期休暇を利用してコルシカ島へのひとり旅に出たが、宿泊予定のホテルの宿代が予想以上に高く、仕方なく観光案内所でたまたま出会った女性・トゥサント夫人の民宿に泊まることにする。民宿には夫人の義母である老婆レスティチュードがいるだけで他の客はおらず、しかも隣は墓地という辺鄙な場にあった。宿泊した最初の夜、ローランスは室内に現れた幽霊と対面。翌朝、早速、宿を退去しようとするが、女主人のトゥサントは妙な噂を流して宿の評判を落とすなと、ローランスを鍵のかかる部屋に閉じ込めてしまう。窮地のなか、ローランスのことが気になった観光案内所の青年パスカルが民宿を訪れ、ローランスは囚われたままで彼に事情を語り、救出を願い出る。救助の用意をするために束の間の猶予が欲しいと一旦、退去したパスカルだが、二時間しても彼は戻らない。しびれを切らしたローランスは必死に独力で民宿を脱出し、地元の憲兵隊の詰め所に駆け込む。だがそこで彼女が聞かされたのは、青年パスカルがほんの少し前に刺殺死体で見つかったという驚愕の事実だった。事態の流れに驚くローランスは、憲兵隊を訪れていたパリ警察の刑事見習いの美青年ジャン・クリストフ・アラールとともに、この事件の捜査を始めるが……。

 1975年のフランス作品で、同年度のフランス推理小説大賞受賞作。ラブコメ風の設定とストーリーの梗概にある「幽霊屋敷」のキーワードに惹かれて手に取ったら、2時間もかからずに読み終わった。主人公(ヒロイン)が男子主人公のアラール刑事に出会う24歳まで恋もしたこともない美少女のパリジャンという文芸設定もアレだが、全体的にライトな作り。当時、赤川次郎の諸作が人気を呼んでいたから、翻訳もの&フランスミステリで似たようなものがありませんかと編集者に言われた長島良三が、ホイホイとこれを持ってきたんじゃないかという感じである。

 幽霊出現の事由や秘められた犯罪の実体には終盤に一応の説明がなされるが、そのすべてがスーダラで、真犯人の意外性も予想の範囲内。
 まあ小学生高学年か中学一年生くらいがはじめて肩慣らしに読む翻訳ものとしてはいい……かも? しれん(一方で、なんだ翻訳ミステリってこのレベルか! と誤解が生じる危険性もたぶんにあるが)。
 コージーもの? のライトミステリとしては大きな破綻もないし、昭和30~40年代の少女漫画の一系譜みたいな作品と思って読む分には、まあオッケーか。 

 とはいえなんかもし、21世紀にこれが初めて刊行されていたとしたら、その手のラブコメ・コージー旅情ミステリのあるあるパターンを寄せ集めてでっちあげた冗談パロディ作品みたいに見えること間違いなしの一編でもある。
 評点は、天然で憎めない作品ということで、0.5点オマケ。 


No.570 6点 トマト・ケイン
ナイジェル・ニール
(2019/06/11 20:12登録)
(ネタバレなし)
 1960年代から70年代にかけてミステリマガジンなどに何作か短編が紹介された、英国(正確にはマン島~あのクリスティーの『マン島の黄金』の)生まれの作家ナイジェル・ニールによる、ノンセクション短編集。
 一冊の本に29編とそれなりの数の短編が収められただけあって、大半は一本一本がショートショートと呼べる長さのもの。書かれた時期は1940年代のものが主体のようで、内容はバラエティに富んでいる(悪く言えば節操がない)が、多くの作品のなかに「人生の孤独」という主題への傾倒は見やることができるような気がした(まあその趣を外れた作品もいくつかあるけれど)。
 
 たぶんニールの短編の中で最も日本人に知られた作品は、ミステリマガジンにはじめて翻訳され講談社の『世界ショートショート傑作選1』(各務三郎編)にも収録された、ひとりの青年がカカシと友人になる話『風の中のジェレミー』だと思う。本書にも当然収録されており、この本『トマト・ケイン』が刊行された当時のミステリマガジン誌上でも書評子が、収録作のなかでもっとも好きな一本とか書いていたのを思い出す。ちなみに評者は記憶の中でこの話がかなり美化され、メランコリックながらも孤独な心をカカシとの交流で癒やすセンチメンタルストーリーだと思っていたが、前述の『世界ショートショート~』と本書で改めて読み直すと、かなりイカれたサイコ編だと認識が書き換えられた。コワイよ。

 本書収録の29編すべてをここで語るつもりはないが、印象的な作品についていくつか触れると
『おお、鏡よ、鏡』は、人間の美と醜の観念を他者が外から操るという思考実験に基づいた嫌な話。
『フロー』は、老いた愛犬への接し方を致命的に間違ってしまった男の話。本書の諸作の底流にある「孤独」というテーマが最もよく出た話の一つ。
『写真』は、死を逃れられない難病の男児の生前の写真を残そうとする家族とその男児当人の話。本書内での上位作の一本。
『カーフィーの子分』は、文字通り「みにくいアヒル」に出会い、そこから……を迎える男の話。
『トゥーティーと猫の監察』は、田舎町の秩序を守るための奇妙な味の話。ひねたユーモアが印象的。
『ペダ』は戦災で死に、冥界に行くこともできずに現世をさまよう幽霊少女の話。柴田昌弘の短編コミックを思わせる。
『ザカリー・クレビンの天使』は、天使に会ったと主張する男を囲み、その事実を肯定するか否かで二分される人々の話。どっかダールっぽい。
『だれ? おれですか、閣下』は戦時中、盲人たちを相手に詐欺を働こうとした男たちの失敗談。この辺はコリア辺りの味わいに近い。
『池』はミステリマガジンにも先に翻訳掲載されたはず。割と分かりやすい動物もののホラーストーリー。
『自然観察』は児童たちを連れて屋外実習に出た女教師の話。まんまコリアみたいな筋立てで、起承転結が明確な感じが却って目立つ。
『小さな足音』は幽霊屋敷を舞台にした、オフビートなホラー編。

 とにかく一本一本が短いので、すぐそのまま続けて読みたくなるが、そのために却って印象が相殺されてしまうきらいもある。一日一本か二本くらいのペースでゆっくり読んだ方がいいかもしれない。
 ちなみに評者は中盤で少し読み疲れてきたが、最後の方になるともう終るのか……と惜しい、もったいない気分になった。まあこの手の短編集ではよくあることだけど(苦笑)。

 ところで作者ニールは1950年代には英国BBCのスタッフとして活躍。オーウェルの『1984』のラジオドラマ版を構成担当したり、50年代SF映画の大傑作(と評者は信じる)『原子人間』に始まる「クォータマス博士シリーズ」(テレビ版を起源にのちに映画化)なんかの原作・文芸の提供もしている。特に「クォータマス博士シリーズ」はニール名義での小説版も刊行されている(もちろん未訳)ので、今からでもどっかから翻訳出版してくんないかな。興味のある奇特な版元とか編集者とかどっかにおらんかな。


No.569 7点 虚構推理短編集 岩永琴子の出現
城平京
(2019/06/10 17:54登録)
(ネタバレなし)
 さすがに長編『鋼人七瀬』ほどの剛球感はないものの、全体的に一定以上の変格パズラーとしての魅力が味わえる連作ミステリ。
 どれも相応に面白かったが『ギロチン三四郎』はよくある大ネタ(スレッサーの某短編を思い出した~これだけ書く分には、そっちともども、双方の作品を読み終えるまでネタバレになる人はいないと思う)ながら、話の転がし方で一番の結晶感を認めた。
 なお最後の『幻の自販機』は、最終的に大事にならないだろうと予見されているものの、岩永さんの下したこの決着のつけ方じゃ、相応に人生を狂わされてしまう関係者も出てきそうだな。まあその種の小市民的な規範や倫理に捕われない辺りも、この作品&主人公たちっぽいとは言えるのか。
 ところでおひいさまって、ちゃんとコミック版(いわゆる原作版)『人造人間キカイダー』を読んでるんですな(笑)。なんか嬉しくなりました。


No.568 7点 狂った弓
南部樹未子
(2019/06/09 02:09登録)
(ネタバレなし)
 短大を卒業して大手事務機会社「東洋堂」に就職した木元久美子。20歳の彼女は職場で女子社員たちの憧れの的である年上の上司・浜名健一郎青年に出会うが、彼はおよそ10年前に若妻に自殺されたという悲劇の過去の噂が聞えてきた。だがそれから1年後、成り行きから健一郎との距離を狭めた久美子は彼の後妻となり、さらに数年を経た今は、浜名家の26歳の主婦として過ごしている。だが浜名家には結婚当初から息子をまるで恋人のように溺愛する姑の貞(さだ)が同居しており、久美子は自分をあたかも恋敵のように見やる貞の陰湿な仕打ちにもずっと耐え続けてきた。しかしそんな中にも、浜名家の周辺の地獄模様はひそかに開放の時を待っていた。

 昭和33年に「婦人公論」の第一回女流新人賞に佳作入選し、作家デビューした南部樹未子(初期は「南部きみ子」の筆名表記も使用)の書下ろし長編ミステリ。それなりの数の作品は書いている作者だが本サイトではまだ一本もレビューがなく、さらに中島河太郎の「推理小説事典」などでの作家項目でも話題にされた長編の諸作がそれぞれ推理要素は薄い、ミステリ的な興味は多くない、などといった主旨の、低めの? 評価をされている。
 じゃあ実際のところどんなかな、と興味が湧いて、比較的あとの時期の作品である本書を読んでみたが、個人的にはこれがなかなか面白かった。
 湿度が高く描写が精緻だが、そのくせ平明な文章が実によく、しつこい叙述で紡ぎ上げられていく登場人物たちの錯綜図はレンデル、ジェイムズ、はたまたシムノンかグレアム・グリーンあたりを思わせる。

 実は、70年代に書かれた旧作なので、当初の評者は本作の内容について<息子離れできない姑のゆがんだ愛情に、息子の方の健一郎もマザコン的に応じ、その爛れた愛情の中で久美子が苦しみ悩む>ふた昔前(もっとか)のテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』風の世界かとも予期していた。
 だが相応の紙幅を費やして語られる健一郎の内面描写は意外なほどに健全で、うっとおしいばかりの母の偏愛にもまともな感覚での嫌悪感をきちんと抱いている。けれどもこの一方で物語は、そんな健一郎にまだ、読者には開かされない秘密があることを終盤まで暗示し続けており、その意味でなかなか底を見せようとはしない。そのかたわらで久美子にも貞にも、実はそれぞれの思惑や秘密があるらしいことが匂わされていく。この緊張感の盛り上げ方が絶妙で、作者の筆力はその大半がこのテンションの獲得のために奉仕されているといっていい。
 一見、一般小説のような流れの筋運びに触れ、他所の家庭の内側を覗き込む背徳感さえ覚えながら、一方でいつか最後にはこの物語はきちんとミステリとして着地することを約束されているような盤石の安心感……そんな心地よさがこの作品にはあった。
 終盤の二転三転の逆転劇、そして「(中略)」のパターンに居を定めるストーリーの落着具合もかなり鮮烈で、これは作者の格段の筆力ならばこそなし得た秀作であろう。
 他の作品がそれぞれどのくらいミステリとして楽しめるかはまだまだ未知数だが、この作品を読む限り、南部樹未子侮りがたし、である。

 なお評点に関しては、読み応えから言ったら8点あげてもいいかな、とも思ったけれど、小説の構造上、あとの方まで秘匿されているある事項が、一部の登場人物同士の間で話題にもならないのはどうなんだろ? と思えた箇所があったので1点というか0.5点くらい減じてこの点数に。充実感があったのは確実だが、疲れるので少しまた間を置いてから読みたいようなタイプの作家&作品でもあった。

 ちなみに題名の「狂った弓」とは巻頭から引用の出典が記載されているが、もともとは旧訳聖書の一節。人間は本来は誰もが正しい行為をしようと思って狙う的に矢を放つものの、弓=人間そのものにそれぞれの何らかのひずみがあるから、的を外してしまう(しまいがちな)悲しい生き物だ、そんなような意味だと、作中で登場人物の口を借りて説明されている。


No.567 6点 追跡―チェイス
リチャード・ユネキス
(2019/06/08 20:03登録)
(ネタバレなし)
 その年の7月。シカゴの一角の農業地帯の側で、大手チェーンストアを狙う強盗事件が起きる。実行犯の2人の若者、計画立案者のフロイド・レイダーとその相棒で超一級の運転テクニックを誇るグロッツォのコンビは、奪った大金を乗用車に積んで逃走。二百マイルに及ぶ農作地帯に逃げ込む。丈の長いトウモロコシ畑が密生するそこは、天空から見れば大きなマス目状に区切られたチェス盤のような様相を呈していた。ハイウェイ・パトロール隊の指揮官・ブリーン警部補は、車を乗り換えながら巧妙に逃亡を図るレイダーたちの追跡を開始。ブリーンは前歴である海軍大佐としての戦術を捜査にも応用し、十数台のパトカーさらにはヘリコプターまで動員して賊の捕縛を図るが……。

 1962年のアメリカ作品。邦訳は、ピーター・フォンダ主演の映画化作品『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』が1974年に公開(日本でも同年10月に封切り)されたのにあわせて当時のミステリ&SF翻訳誌「(旧)奇想天外」の初期号に連載されたのち、それをまとめる形で書籍化された。
 ちなみに翻訳担当の野村光由はかの小鷹信光の盟友だったが、若年のうちに早逝。後年の小鷹のいくつかのエッセイなどの中にも、何度か本書とこの人の話題が出てきていると思う。

 翻訳書は、ハヤカワノベルズ(ソフトカバー・一段組)の仕様とほぼ同一(先行する叢書の造形をスタンダードなものとして、それに倣ったのだと思う)。総頁は200頁弱と紙幅はそんなに厚くはないが、その本文が全部で43章とかなり細かく分割され、メチャクチャテンポがよい。というか、リズム的にかえって読みにくさすら感じないでもなかったが、その辺も含めて独特の乾いた作風になっている。
 作者がやりたかったことは、普通車の車高なら隠しうる高さの農作物に覆われた地上での、一種の対・潜水艦戦のバリエーションのようであった。
 実際にはそれほど数多くの捜査上の戦略が導入されるわけでもないが、狙いとしては、山田正紀の初期の佳作『謀殺のチェス・ゲーム』の<ステラジズム理論>を想起させる部分もある。

 いかにも<当時の読み捨てペーパバックの中で個性を発揮した一作>という読み手の勝手な印象が芽生えそうな作品という気もするが、実際には原書のオリジナルは当初はハードカバーで出ていたようで(ウォーカー社)、当時の新人作家としてはそれなりに評価・期待された好待遇の一編だったのだろう。
 少しのちの「悪党パーカー」などの先駆となるドライなケイパー小説としての風格もあり(バイオレンス描写はほとんど無いが)、読んでる間のテンションは高い。一方でラストは(中略)だが、それもまた作者の意図したところだろう。小説の評価は7点に近い6点ということで。
 
 ちなみに本作の場合は大昔に先に映画版を観ているが、そちらで印象的だった主人公トリオの一角のヒロイン(タイトルロールのメリー)が実は原作小説に登場せず、まったくのオリジナルキャラクターだったのを今回あらためて知った。余談ながら、映画のラストは長い時を経た今でも記憶に鮮明で、あれはあれで映像化の脚色として良かった……とは思う。


No.566 6点 追われる警官
スティーヴン・キャネル
(2019/06/08 18:15登録)
(ネタバレなし)
 ロスアンジェルス市警南西署の巡査部長で37歳のショーン・スカリーはその夜、自宅にいたが、以前に男女の仲だった人妻バーバラ・モラーからの救いを求める電話で呼び出される。バーバラの夫レイはショーンの先輩で元相棒の警部補だが、最近は疎遠。ショーンが彼らの家に急行すると、そのレイがバーバラを一方的に警棒で連打して怪我を負わせていた。制止しようとするショーンにレイは拳銃を向け、ショーンはやむなく彼を射殺する。妥当な正当防衛のはずだが、レイはロス市長の警護役兼運転手の役職にあり、市の要人や市警上層部から目をかけられていたため、ショーンへの嫌疑と外圧は険しいもので、ついにはバーバラと共謀したあらぬ殺人容疑までが彼に掛けられてしまう。冤罪を晴らそうと躍起になるなか、レイの秘められた怪しげな言動の痕跡がショーンの目にとまり、やがて事態はロス全体を巻き込んだ重大な陰謀劇の露見へと発展していく。

 2001年のアメリカ作品。作者スティーヴン・キャネルは1995年に作家としてデビューする以前は『ロックフォード(氏)の事件メモ』『アメリカン・ヒーロー』『特攻野郎Aチーム』などのヒット作テレビシリーズを手がけた辣腕プロデューサー。世代人の評者は当然、全部観ている(『ロックフォード』のまともな日本語版の映像ソフト商品、そしてノベライズの翻訳とか出ないものかなあ)。
 さらに『サンセット77』の原作者(テレビ企画の文芸担当)ロイ・ハギンズとも交流があり(そもそも『ロックフォード』がそのハギンズとの共同企画だ)、本書『追われる警官』も「仕事仲間にして師、ゴッドファザーであるロイ・ハギンズに捧げる」と冒頭の献辞が贈られている。これで読まないわけにいられようか。
 内容は本文530頁以上に及ぶ大冊で、そのボリュームに応じた読み応え(ただし名前の出てくる登場人物は40人オーバーだから、紙幅の割にはそんなには多くはない)。さすがテレビ屋さんの書いたエンターテインメントだけあって筋運びに停滞はなく、物語の前面へのキャラクターの出し入れも潤滑なハイテンポな作品。主人公ショーンの窮地とその反撃の流れを数回にわたって揺り戻しながら、最後までほぼ一気に読ませる。
 ちなみに一部のキャラクター配置がいかにもマス視聴者(というか本書のこの場合は読者)の目線を意識した実力派プロデューサーの作品という感じで、物語の前半に出てくる某キャラクターが「あー、後半、このキャラは主人公とこういう関係性になるんだろうな」と予期していると、まんま期待に応えてくれたのには笑ってしまった。いや馬鹿にしてるのではなく、ちゃんと定型の作劇のツボとその演出を心得ているとホメているのである。

 終盤に明かされる事件の真相の奇妙な? リアリティをふくめて全体的によく出来た快作だとは思うが、難点を言えばよくまとまりすぎている感触がいささか小癪なところ。
 ただし一方で、主人公ショーンのサイドストーリーとして語られる(事件にもそれなりにからんでくる)、ある事情から彼が自宅で後見している不良少年チャールズ(チューチ)・サンドヴァルとの絆の物語など、スペンサーものの『初秋』路線のような趣の文芸性で印象に残る。合間合間に挿入される、ショーンが彼の父親宛に書き続ける心情吐露の私信も効果を上げている。

 Wikipediaを見るとショーンを主人公にした作品は本書を第一弾として、その後もシリーズが数作品書き続けられたらしいがどれも未訳。何らかの弾みで日本で邦訳紹介が再開されることでもあればイイのだが。 


No.565 5点 フレームアウト
生垣真太郎
(2019/06/04 03:20登録)
(ネタバレなし)
 ……これこそは、あらすじも書きにくい作品だな(汗)。
 文章は全体的に読みやすく、主題となる映画関係の蘊蓄も、随所に差し込まれるミステリ映画の話題も普通に楽しめた。

 しかしラストは狙いはわかるものの、こなれが悪くてもうひとつ。よくあるAというネタと同じくBというネタを組み合わせて本作の意外な真相を見せようとした意欲は買うものの、結果的にその双方で相殺しあってしまった感じがする。
 これをどうとるか迷うエピローグの仕掛け(やっていることは理解できるつもり)を含めて、いかにもメフィスト賞らしい作品だね。
 もしかしたら、作者が設けているのに、こっちが見落としているギミックがいくつかあるかもしれない。


No.564 8点 こんな探偵小説が読みたい―幻の探偵作家を求めて
アンソロジー(国内編集者)
(2019/06/04 03:09登録)
(ネタバレなし)
 同じ鮎川による<マイナーな探偵小説作家の業績を発掘する、インタビュー&実作アンソロジー>の先行書『幻の探偵作家を求めて』に続く第二弾。
 前巻は雑誌「幻影城」での連載記事&発掘作品が主体だったが、今度は雑誌「EQ」での同系列企画の記事をベースにしている。

 対象作家と再録作品(短編)は以下の通り。なお一部の再録作品は、「EQ」連載時のものと異同がある。
①今様赤ひげ先生・羽志主水(はし もんど)/『監獄部屋』(「新青年』1926年3月号)
②実直なグロテスキスト・潮寒二(うしお かんじ)/『蚯蚓(みみず)の恐怖』(「探偵実話」1955年11月号)
③夭折した浪漫趣味者・渡辺温(わたなべ おん)/『可哀相な姉』(「新青年」1927年10月号)
④ただ一度のペンネーム・独多甚九(どくた じんく)/『網膜物語』(「宝石」1947年2・3月号)
⑤初の乱歩特集を編んだ・大慈宗一郎(だいじ そういちろう)『雪空』(「探偵文学」1936年新年号)
⑥『Zの悲劇』も訳した技巧派・岩田賛(いわた さん)/『里見夫人の衣裳鞄(トランク)』(「探偵クラブ」1952年6月増刊号)
⑦「宝石」三編同時掲載の快挙・竹村直伸(たけむら なおのぶ)/『風の便り』(「別冊宝石』」1958年2月号)
⑧草原(バルガ)に消えた郷警部・大庭武年(おおば たけとし)/『牧師服の男』(「犯罪実話」1932年5月号)
⑨名編集長交遊録・九鬼紫郎(くき しろう)/『豹助、都へ行く』(「ぷろふいる」1947年4月号)
⑩薬学博士のダンディズム・白井竜三(しらい りゅうぞう)/『渦の記憶』(「別冊クイーンズマガジン」1960年7月夏季号)
⑪「宝石」新人大貫進(おおぬき しん)の正体・藤井礼子(ふじい れいこ)/『初釜』(「宝石」1960年2月臨時増刊号)
⑫「めどうさ」に託した情熱・阿知波五郎(あちわ ごろう)/『墓』(「別冊宝石」1951年12月号)

 渡辺温や九鬼紫郎は本書刊行の時点でも、ミステリマニアにはそれなりにメジャーだったと思う。
 いかにも鮎川のエッセイらしい朴訥なミステリへの愛情と、始終からかいながらも深い信頼のほどが覗える山前譲さんとの連携ぶりもあって、それぞれのインタビュー(本人またはご遺族の方)記事が実に楽しい。そのせいか、併録された実作短編にもある種の立体感が見受けられて、今回は12編全部がそれなり~かなりに面白かった。
 
 いくつか再録された実作に際して、寸評&感想。
『監獄部屋』は今となってはよくあるパターンだが、この作品が作者の代表作でさらに世の中にも特に有名な一編だったということは、のちに書かれた多くの模倣作品のこれこそが原点なのだろう。そういう意味では間違いなく傑作。
『蚯蚓(みみず)の恐怖』はグロさに加えて、スレッサー風のオチが効いた秀作。
『可哀相な姉』は再読だが、なんともいいがたいイヤミスの先駆で、これも傑作。
『網膜物語』は名のみ知っていたが、ああ、こういう話だったのね。
『雪空』は文芸味がしみじみと来る、本書の中でも個人的に惹かれた秀作。
『風の便り』は、本書で素ではじめて読んだ作品の中では、これが一番良かったかな。二転三転する筋運びの凝縮感に満足。
『渦の記憶』は医学ミステリ……というより、これはもう綺譚風のSFだな。医療の見識がかなり現代的だと思ったら、初出誌を知って納得。本書の中では比較的後年の一編だった。
『初釜』ホワットダニットとホワイダニットの組み合わせから浮かび上がる、人間の切なさ。佳作。
『墓』エリン……というよりはもうちょっと泥臭い、ボーモントあたりの筆致で書いたロバート・ブロックのような奇妙な味。悪酔いしそうな後味がいい……かもしれない(笑)。

 なお前巻にあたる分は「幻影城」誌上でつまみ食いした覚えはあるが、まとめて一冊で読んだ覚えがない。こういう楽しさならそっちもそのうち改めて読んでみよう。とはいえ21世紀の今だと、発掘・再評価が進んだ作家も多くて、結局はこの二冊目の方が新鮮に楽しめる、というオチになりそうな気もするが(笑)。


No.563 8点 パイド・パイパー―自由への越境
ネビル・シュート
(2019/06/04 02:23登録)
(ネタバレなし)
 1940年の後半。戦時下のロンドンの社交クラブで「私」は、70歳くらいの現役を引退した元弁護士ジョン・シドニー・ハワードの談話を聞く。それは彼がこの夏、ドイツの侵攻を受けたフランスで体験した、子供達を連れての逃亡の旅路の冒険譚であった。

 1942年のイギリス作品。作者ネビル・シュートは終末SF映画として名高い『渚にて』の原作者。
 本作は、第二次世界大戦の前半、ヨーロッパのジュラ山脈を物語の起点に、なりゆきから知人の2人の子供を預かって母国・英国への逃亡行を続ける主人公の老人ハワードの姿を語る。旅路のなかで彼の周囲には、さらにいくつかの事由から保護しなければならない子供たちが一人、また一人と増えてゆき、その経緯と現実がハーメルンの笛吹き男を連想させるので、この題名(原題「PIED PIPER」)となる。
 時にスリリングに、時にユーモラスに紡がれる物語の基調には、敵味方を問わず多くの人民から平穏な日常を、そして心の理性とモラルを簒奪する戦争への嫌悪感があり、さらに力強い人間賛歌があるのだが、もちろん人間の善性ばかりを都合良く並べ立てたストーリーではない。大半の登場人物は、終盤に登場するこの物語の中の一番の危険人物っぽいキャラクターまでも、完全な悪でも善人でもなく描かれる。また21世紀の作品なら悪い意味で作中の苛酷なリアリズムを追い、ひとつふたつぐらい子供たちにも容赦のない場面を挿入したくなるきらいもあるのだが、本作は戦場の残酷さ、苛烈さをしっかり語りながらも、子供や老人に直接的な残忍な仕打ちを与える、扇情的な作劇に書き手が酔うような愚は犯さない。語るべき主題の軸を抑えながらも、ちゃんと品位をわきまえた作品だ。

 忍耐と誠実さを武器に戦場の中の旅路を突き進む主人公ハワードの姿は実に魅力的。彼に匹敵するフィクション上の高齢男性ヒーロー(主人公)といえば、評者の知る中では、山田風太郎の『幻燈辻馬車』の干潟干兵衛くらいのものか。個性を書き分けられた子供たちのキャラクターも、物語後半に登場する某重要キャラクターもとても良い。終盤、ハワードとその当該キャラの別れの際のセリフは、前向きな未来を展望するという意味で、クリスティの『茶色の服の男』のあのシーン(レイス大佐へのアンのあの一言の場面)までも思い出した。
 物語は回想形式ではなく、全編をハワードの視点を軸にしたリアルタイムで語った方がすっきりするのではないか、という感じもないではないが、たぶんその辺は現実に大戦が継続中の状況で、この冒険行を一歩引いた半ばメタ的な足場から見つめたかった作者シュートもしくは出版関係者の思惑であろう。だったらこちらは特に何も言うこともない。
 老若男女、多くの人に読み継がれていってほしい名作。


No.562 6点 死者の殺人
城昌幸
(2019/05/31 02:59登録)
(ネタバレなし)
 その年の4月はじめ。静岡県奥津の××村にある洋館作りの屋敷に、20歳の若者から初老の年代まであわせて7人の男女が集まる。彼らはみな、屋敷の主人である山座仙次郎の招待を受けた者だが、当の仙次郎は一同に顔を合わすこともなく別の場で危篤状態のようだった。ここで仙次郎の遺言執行役と称する土地の医者・川田が言うことには、仙次郎は総額700万円以上の遺産を用意してあり、それを参集した者に分配するつもりだが、そのためには川田が許可を下すまでこの屋敷にいなければならず、退去した者は相続権を失うとのことだった。だがそんな中、屋敷の周囲には謎の白い幽霊の影がちらつき、さらに本当は全員で10人呼ばれていた仙次郎の招待客のうち、屋敷に来ることのなかった人物・御厨(みくりや)の縊死死体が屋敷の周辺で見つかる。さらに屋敷の中からは突然の急死、恐怖におびえての逃亡などで、招待客がひとりまたひとりと減っていき……。

 長編第1作『金紅樹の秘密』の5年後に刊行された、作者の長編の第二弾(書下ろし作品)。クローズドサークルというわけではないが一種の舘ものといえる趣の作品の上、7人の招待客(本当は10人呼ばれていた)がどういう共通項で集められたかは、終盤まで読者にははっきり明かされない。その意味ではミッシング・リンクものといえる要素も兼ね備えている。

 そもそも評者が今回、本書を手に取ったのは、少し前に読んだ『金紅樹の秘密』の独特な印象もさながら、中島河太郎の「推理小説事典」の中の本作についての記述(城昌幸の項目の中にアリ)「その解明が風変わりで『有り得ないとは云えない線ギリギリのところ』を描いた異色編である」という文言にすごく興味を刺激されたからだった。こんなことを聞かされれば「何ソレ読みてぇー、どんなモンが待ってるのか、ワクワク♪」となるのが、健全なミステリファンだよね(そうか?)。
 でもって実作の中身は、本文の活字の級数は大きめだわ、会話は多いわ、登場人物はメインキャラだけ固有名詞表記で、モブ的な警官とか近所の旅館の番頭や仲居なんかは具体的な名前すら一切書かないわ……と割り切った作法・本の仕様でとても読みやすい。280頁前後の作品をメモを取りながら、二時間もかからすに通読できた。さらに読んでる間は、大小のイベントが続出でまったく退屈しない。これで最後にどんなものが……と思っていたら、とんでもないものが来た!(汗)。もちろんここでは、何も書かないけれど。

 ……いや、当事者の思考として<そういうこと>を真剣に考える人がいたというのは、小説作中のリアルとしてアリであり、実を言うとその思考ロジックは80年代以降の<ある新本格作品の印象的な一編>と一脈、通じるものがある……ような気がする。

 個人的にはすごくぶっとんだ発想でオモシロかったけど、いくらでも怒る人がいても止められないような作品でもある。少なくとも河太郎はウソは言っていなかった。気になった人、いつか読んで笑うなり喜ぶなり、怒るなりしてください。古書で1000円以下なら、酔狂なものを楽しむつもりで安いとは思います(笑)。

【2019年5月31日9時頃・追記】
 ……と、一回は割と褒めるように? 書いたけれど、少し間を置くと、また考えが変ったのでそれを追記。
 悪く言えば本作の度外れた着想は子供の思いつきのようなもので、たとえばこれが当時、ロジックや伏線、トリックを真面目に考えている推理作家文壇のなかで半ば総スカンを喰ったとしても、やむをえない面もある。このアイデアがOKならば、かなりのことがアリになってしまう、その手の趣向だといえるからだ。作者が長編ミステリを二作で止めたのは、それも自然な流れだったのかなとも思う。
 ただしインパクトがあったのは事実だし、物語の話術にそれなりの快いテンポは今でも認めるので、評点は当初のままに。


No.561 7点 白昼堂々
結城昌治
(2019/05/31 02:18登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年代の半ば。前科7犯の元スリで、今は堅気になってデパートの保安係として働く富田銀三は、生まれ故郷の九州は筑豊の村に帰参する。かつては炭鉱として賑わっていた村は、今では石炭が不要になった時勢につれて過疎化。そこは、銀三の旧友で前科6犯の「ワタ勝」こと渡辺勝次ほか、スリを生業とする人々の温床になっていた。勝次に再会した銀三は、スリではなくもっと安全で効率がよく、そして人様を泣かすことも少ない仕事、つまりデパートの万引きを集団でやらないかと申し出た。こうして結成された万引き団は各地に飛ぶが、かつて銀三の更正を応援した警視庁のスリ係の刑事・寺井、そしてその上司でスリ係24年の古参刑事・森沢が銀三や勝次たちの前に立ちはだかった。
 
 1965年6月4日から12月31日まで「週刊朝日」に連載された、昭和クライム・コメディの名作。以前から面白そうという評判は聞いており、読むのを楽しみにしていたが実際に頗る快い一冊であった。物語の背景には、炭鉱の町の衰退などをひとつの事例に掲げた昭和の不景気事情があるが、それでも生きるためにスリや万引き稼業に乗りだしていく登場人物達のバイタリティが陽性のギャグユーモアに転化されている。特に、個人から財布や現金をスリ取るのは被害者の人生に多大な迷惑をかけてしまうおそれもあるが、大企業で(この昭和30年代当時)上り調子で繁盛しているデパートから万引きするなら罪が軽い、と実に手前勝手なことを真顔で語る主人公・銀三の物言いなど笑わせる。世の中の経済感覚が変った21世紀の今なら、とても通用しない思惟だが、良くも悪くも昭和という時代の緩みのなかで生まれた作品である(高度成長の時代の中で振り落とされていく人がいて、その事実に盤石の対応がされていないことへの社会風刺的なスパイスも感じられる)。

 作品の前半は、万引き団の面々それぞれの素描とチーム結成の経緯、さらには万引きの実働に出てからの現場を語り、途中からは警察側の動きも交えたさらなる群像劇になる。加えてそこに、小悪党たちを弁護して金を稼ごうとする年季の入ったしたたかな爺さん弁護士などもからんできて、さらに人間関係の機微がスリルと笑い、そして相応のペーソスに変る。
 万引き犯罪と故買の流通、さらには逮捕された際の泣き落とし作戦など、それぞれのデティルの積み重ねが実に面白い。

 謎解きミステリ味などはほぼ皆無だし、読者の予見を利用したどんでん返しの類などもほとんどないと思うが、それでも最後まで丸々一冊面白く読めた。こんなのミステリじゃない、という人ももしかしたらいるかもしれないが、ストライクゾーンの広いつもりの評者などは、たまにはこういうのも良いという前提の上で多いに楽しんだ。(ただしラストだけはマンガチックな演出が過ぎる気もしたが、まあその辺は、作者がノリのなかで物語を振り切ってまとめた気分が覗えるようで悪くはない。)

 ちなみに渥美清主演・野村芳太郎監督で映画になっているらしいが、さもありなん。この原作の時点から映像にしたら面白そうなシーンが山積みで、もし自分が昭和30年代当時の映画人で企画に関われる立場だったら、すぐさま映画化の企画書を書いていたろう。そのうち当の映画も観てみよう。


No.560 7点 グリュン家の犯罪
ジャックマール&セネカル
(2019/05/29 14:29登録)
(ネタバレなし)
 フランスは「小ベニス」の異名を取るプチット・フランス地区。その週の金曜の朝、猫の餌を集めていた老婦人ディクボーシュ夫人の悲鳴が上がる。市街を流れる河川・イル川に若い女性の死体が浮かんでいたのだ。近所の住人十数人がその死体の存在を認め、一同は警察に通報したあと、近所の居酒屋で土地の人々と懇意の警官、30代前半のルシアン・デュラック警視の到着を待つ。だが警視が着いた時には死体は水面から消えていた! 目撃者たちの証言から、死体は近所の名士である稀覯本の装丁職人ヴォタン・グリュンの息子ドニの恋人で、現在はグリュン家の面々とともにその邸宅に暮らしている娘ディアナ・パスキエではないか? と推察される。早速、知己の一家であるグリュン家を訪ねるデュラックだが、その邸内の一室で、川にあったはずの娘の死体が発見される!

 総ページ数170頁前後、目次を見るとその週の金曜から翌週の木曜にかけての短期間の物語、さらに本文は会話も多く、読みやすいことこの上ない。デュラックとその部下ホルツ警部補の捜査は、グリュン家の家族周辺、さらにはヴォタンをガキ大将的に敬う(ように無言の内に強いられる)近所の人々の集い「サークル」の参加者各人へと広がっていくが、この辺もそれぞれのキャラ立ちがしっかりしていて退屈しない。さすがは劇作家出身の作者たちである。
 終盤の三段階のどんでん返しはなかなかの迫力で、事件の真相には強烈な作中のリアリティがあり、さらにラストにはしみじみとした小説的な余韻を実感させられる。ミステリとしての細部を埋めていく随所のセンスの良さも印象的。手がかりがちょっと後出しっぽい部分がないでもない気がするが、まあ許容範囲であろう。
 推理に行き詰まった末に、ホルツ警部補に向かってある事件関係者の名をあげて「一番怪しくないからあいつが犯人だ」と暴言を吐いてしまうデュラックのキャラクターも笑える。しかしクライマックスの彼は堂々たる名探偵ぶり。シリーズ未訳の作品があるのなら、もっと読みたいぞ。


No.559 6点 乱歩先生の素敵な冒険
高原伸安
(2019/05/28 02:08登録)
(ネタバレなし)
 半世紀の時を経た現在、「私」こと探偵小説作家(本名・上野一平)は、昭和7年、自分がまだ22歳だった時に起きた殺人事件の記録を整理し、小説の形にまえとめた。それは一平の当時の学友・田辺洋が書生として奉公する、何かと評判の悪い実業家・三垣剛造の邸宅で起きた連続密室殺人事件であった。その頃の一平は探偵小説作家の卵で、田辺から秋田県の田沢湖畔にある三垣家の近辺にあの江戸川乱歩がお忍びで宿泊しているという情報をもらい、憧れの大先輩に会えることを期待して現地に向かった。そこで同家に殺害予告状が届いていることを知った一平はやがて、同地に来ていた乱歩とともに、連続殺人事件の捜査に乗りだすが……。

 乱歩の死後、数十年経って公開されたドキュメントフィクションという、半ばメタミステリ的な形を取っている。作者はそれなりに資料を読み込んだらしく、乱歩ファンをくすぐるネタは相応に盛り込んであるが、総じて具をそのまま使った、工夫のない料理の仕方という感じである。
 そもそも「遠藤平吉」の名前を重要な登場人物のひとりに与えるのはいいとして、それが最後まで読んで「だから何?」という思いに駆られてしまった。フツーならこの事件を踏まえて乱歩先生の、あのキャラクターのネーミングは……とかの流れになるハズだよね。その辺はいいのだろうか。

 ひとつの殺人トリックを説明するために連続で6枚もの図版を使ったというのも前代未聞だと思うが、真相はそれに相応しい大仕掛けな馬鹿トリックで、これで本当にまったく痕跡が残らないものかと大いなる疑問が湧く。最後の殺人トリックもなんとも言いがたい豪快さで、ツッコミどころが山のようにある。形ばかりのクローズドサークルの演出もどうもおかしい(連続殺人の場から逃げ出そうと登場人物があがく描写などまったくなく、ちっとも緊張感が出てないので)。
 面白いことをやろうとして、ポイントとなるいくつかの局面で滑りまくった作品という印象。そもそも真犯人の一番大きな行動も……(以下略)。
 まあある意味ではかなりオモシロかった。ダメな作品だとは思うけれど、前述のおバカトリックを主軸に妙な熱量は感じられて、キライになれない。その辺を買って1点オマケ。

【ネタバレ警戒注意報】
作中で堂々と『アクロイド』と『孤島の鬼』のトリックをバラしている。まあその2つを読んでもいないでこんな作品に手を出す人は、かなり変わっているとは思うけれど(笑)。


No.558 6点 轢き逃げ人生
アーナス・ボーデルセン
(2019/05/27 16:36登録)
(ネタバレなし)
 デンマークの自動車会社アウトノールが、ドイツの同業企業との合弁組立て工場の設立計画に乗りだす。事業拡張の中、新工場の工場長の内定を受けた三十代半ばのアウトノール社員、ヘンリック・モルクはこの世の春の気分だった。そんな彼は成り行きから町で見知らぬ若者たちと知り合い、彼らのハシッシュパーティに誘われた。本名を名のることもなく一時の饗宴に参加したモルクは、アルコールも入ったほろ酔い気分で若者たちの仲間の車を借りて帰宅するが、路上でひとりの老人を跳ねて死なせてしまう。そのまま現場から逃亡した彼は、車を若者たちから指示された場所に置き、自分の痕跡を消して去る。やがて轢き逃げ事件が報道されるが、モルクは人相を変えて万が一若者たちに出会っても分からないようにと偽装。注意深く過ごし、その後しばらく官憲の手が彼に及ぶことは無かった。だがある日、ひとりの若い男がモルクの前に現れて……。

 1968年のデンマーク作品。ボーデルセンの邦訳長編はこれと角川文庫の『殺人にいたる病』だけだと思うが、そっちの作者名はアーナス・ボーデルセン、本書の邦訳本は「アネルス・ボーデルセン」と和名表記されている。
 内容は、不慮の過失致死を起こしてしまった勝ち組の小市民がおのれの罪科におびえるサスペンススリラーだが、中盤にある重要人物が物語の前に出てきてからは、モルクを行動の主体としたクライムノワールドラマ的な趣も強くなる。翻訳の岩本隼という人はよく知らないが、訳文がめっぽう読みやすく一方で特に不順や不備も感じない、いい仕事をしていると思う。おかげで二段組で文字ぎっしり、230頁前後というやや長めの物語をほぼ一気に読めた。
 新工場長(合併事業で世間的にもウワサになっている企業の重役)という立場でテレビ出演してのスポークスマン役を担い、そんな本来は望んでいない役回りの中で、ノルクが当日にあった若者や警察の目をごまかそうとプロのメーキャップにあれこれ指示するあたりのデティルなんかも面白い。
 ちなみにここでテレビ局のメーキャップ役の女性スタッフがくだらないスリラーだと口でばかり馬鹿にしながら実際には熱心にハドリー・チェイスの「金にまさるものありや?」という作品を読んでいるが、これって題名から察して『暗闇からきた恐喝者』(原題:What's Better Than Money?)であろう。
 さらにこの本には、作者はよく知らないが、と言われながら『見知らぬ乗客』の原作も出てくる。
 ラストはちょっと意外なまとめ方で、全体としてはなかなか面白かった。良くも悪くも心に軽い澱を残して終る佳作。


No.557 8点 断頭台(角川文庫版)
山村正夫
(2019/05/24 20:55登録)
(ネタバレなし)
 作者の1959年から1970年まで約10年にわたるノンシリーズ中短編を6本まとめた一冊。元版カイガイ・ノベルスの巻末には、青山大学系列の後輩作家で交流の深い森村誠一との対談を付加。

 カイガイ・ノベルス版の表紙には「異常残酷ミステリー」なる惹句が表示されていたが、本書もまたその通り、特殊・異常な心理ゆえに実行された逆説に満ちた犯罪=ホワイダニットのミステリを主軸にまとめた一冊。
 文庫版の収録作は以下の通り。

「断頭台」(初出:「宝石」1959年2月 以下同)
「女雛」(「宝石」1963年3月)
「ノスタルジア」(「推理文学」1970年10月)
「短剣」(「推理ストーリー」1965年12月)
「天使」(「宝石」1962年5月)
「暗い独房」(「宝石」1960年3月)

 表題作は、フランス革命の首切り役人を演じる役者の入れ込み具合が主題だが、個人的にはこれが一番フツーの出来。巻末の対談で森村はある種の深読みをしているが、評者にすればその見解はいささか観念遊戯が過ぎると思う。
 それで次の「女雛」は、この作者はこういうものを書けるのか!? と驚かされた秀作。事件の真相への迫り具合に不満な人もいそうだが、個人的には余韻があって良いと思う。のちの、雑誌「幻影城」の新世代作家たちの何人かが目指した方向の、その先駆となるような作品だとも実感(現実にどのくらい影響を与えていたかは、もちろん知る由もないのだが)。
「ノスタルジア」が連想させるのはあの手塚治虫作品、または……と、これ以上書くとネタバレになりそうなので止めるが、本書中では、この短編集の主題のフィールドに一応はとどまりながら、一方でギリギリの枠内……ともいえる一本。悪くはないが、これと表題作が本書中では下位の方だろう。
「短剣」は風俗描写などに現代との相応の違和感はあるが、これこそ正に「幻影城」新世代作家群とリンクするような、そういった種類の意外な逆説に支えられた真相。キーパーソンの心理を考えると、それがどこまでもいびつながら同時に限りなく切なくもあり、しみじみと印象に残る。
「天使」は収録作品中、最も長い一編だが、舞台装置、登場人物の配置、主題、真相の意外性、物語の余韻……その全部において実に鮮烈な優秀作。これもまた「幻影城」系の某作家の<あの名作>を思わせる。これ一本読めただけでもこの本を手にして良かった。
「暗い独房」常識・倫理の基準の誤差を主題とした逆説テーマ。ただし本書の収録作品中、一番時代に負けてしまった作品かもしれない。1990年代から21世紀の現代までの現実なら、こんな人間どこにでもいるしねえ。それでも話の転がし方は巧妙だと思うし、あくまで半世紀前の旧作という勘案の上で秀作。

 前述の通り評者としては今回この本の「女雛」でかなり驚かされ、「短剣」で軽く唸り、そして「天使」で本気で止めをさされた。
 これまで実作者としては三流とまではいかないが、一流半~二流くらいに思っていた作者(すみません……)をかなり見直した一冊。国産ミステリのノンシリーズ短編集としては、個人的に上位クラスである。
 
 余談ながら本書は元版も角川文庫版もAmazonの古書価あたりはメチャクチャ高いみたいだが、数ヶ月前に赴いた、たまに利用するブックオフで角川文庫版を108円で買えた(嬉)。しかし、これで今年の運を使い切ったんで無ければいいけれど(汗)。

【2023年6月26日】
 メルカトルさんの本日の山村作品のレビュー『断頭台/疫病』を拝読して、当方の書いた書誌情報に誤認かあったようなので、改訂しました。ご迷惑をおかけしました。メルカトルさん、ありがとうございます。


No.556 5点 影よ、影よ、影の国
シオドア・スタージョン
(2019/05/24 18:17登録)
(ネタバレなし)
 日本で4冊目のスタージョンの短編集。仁賀克雄の監修のもとに幻想・怪奇系を主体に独自の編集・セレクトで、7編の中短編を収録している。
 以下、収録作の備忘メモ&寸評・感想。

『影よ、影よ、影の国』
義母グエンママと暮らす年少の少年ボビー。その奇妙な友人とは? オーソドックスな<子供と魔性もの>の幻想ホラー
『秘密嫌いの霊体』
青年エディが出会った美女マリアには、あるものが憑いていた。中小のアイデアを盛り込んだ幽霊トラブル譚。本書の中では上位のひとつ。
『金星の水晶』
ときは23世紀。かつての宇宙飛行士の老人が、60年前の金星での冒険を語る。最後の「そっちかい」のオチを含めてまあまあ面白い。
『嫉妬深い幽霊』
おれはある日、何者かにつけられているという若い娘に出会う。そして……。『秘密嫌いの霊体』に似た設定だが、適度に差別化されていて面白い。どっちもTV『ミステリーゾーン』の1時間枠路線とかに似合いそう。
『超能力の血』
常人と違う超能力を秘めたぼく。だがそのぼくよりもずっと脅威の超能力者がいた。それは……。話法がひねりすぎて読みにくい。本書中ではスタージョンの悪いところが一番出た作品だと私見するが、人によってはコレが最も彼らしいと言うかもしれない?
『地球を継ぐもの』
人類が滅びかかった未来の地球。人類は自分たちの種の属性あるいは存在意義を、ラッコに託すが……。オフビートな感覚の未来SF譚。最後のオチはアルジャーノン・ブラックウッドの某作品を思わせた(たぶんネタバレにはならないと思う)。
『死を語る骨』
機械工のドンジーはあるものを製作。その効果を友人の警官で試すが……。ドタバタ劇っぽい不条理SF。最後のオチが素直にオチらしいのが、いいのか悪いのか。

 ……中にはまあまあ面白いのもあったが、総評としては、作者らしい(?)しつこい話術が面白さとしてこっちに伝わってこない感じ。特に『超能力の血』は夜中に読んでいて、睡魔と戦うのに必死であった。
 あと読んだあと、内容が記憶からさっさと薄れてしまう話も少なくない。
 日本語版ヒッチコックマガジンのバックナンバーで大昔に読んだ『それ』なんかも、印象深いことは印象深いが面白さがいまひとつわからないし(まあアレはそもそもそういう作品なのかも知れないが)。私はスタージョンと、自分自身でこれまで思っていた以上に、実は相性が悪かったのかもしれない(汗)。
 ……あ、『盤面の敵』は大好きです~笑~。


No.555 5点 アッカの斜塔
須知徳平
(2019/05/23 20:44登録)
(ネタバレなし)
 その年の夏休み。「ぼく」こと英彦と推理小説好きの妹・夏子の兄妹は、母の末弟である学者の卵にしてアマチュア冒険家・「カクさん」こと寺坂格造とともに、岩手県北東部の山村に向かう。同地にはアッカ洞と呼ばれる広大な奥行きの鍾乳洞があり、カクさんは以前にそこであるものを見つけ、今回また再調査に赴くのだ。だがそのアッカ洞の中で、地元の変人「こじき松」が何者かに殴打されて倒れており、さらにカクさんが以前に発見した特異な形状の鍾乳石「アッカの斜塔」が部分的に損壊していた。事件性を認めた英彦と夏子は、土地の中学生、洋介・定八・忠太郎・キエコ・咲子の五人と少年少女探偵団を結成。アッカ洞に遺る長慶天皇の伝説も鑑みながら、事件の真実を追うが……。

 同じ作者のジュブナイル不可能犯罪パズラー『ミルナの座敷』に続く、英彦&夏子兄妹シリーズの第二弾。ただし劇中では特に前回の事件は話題になっていないハズ。解釈としては純然たる前作の後日談(本作では2人は中学生に進学しているようである)と見てオッケーだと思うが、もしかしたら当時の作者的には、設定を初期化した、今で言うパラレルワールド設定のつもりだった? かもしれない。ちなみにまだ今回でも、兄妹の苗字はわからない(笑)。

 本作は「毎日中学生新聞」編集部からの1963年夏の「少年少女向けの推理小説を」という要請に応じて執筆され、翌64年3月20日の奥付で東都書房から単行本として書籍化されている。本文は全176ページ。定価360円。あと1~2年すれば、当時のマルサンの怪獣ソフビ人形が一体買えるお値段だ。
 特にどの叢書の中の一冊という仕様ではなかったようだが、巻末の広告を見ると当時の東都はこの手のジュブナイル書籍の刊行に積極的だったみたいである。

 今回の本作の内容は、一応は密室からの盗難事件という不可能犯罪を扱った前作に比べて謎解きミステリ味が薄いということは前もってwebのウワサなどで聞いていたが、それでも現実に存在する鍾乳洞アッカ洞(正式な漢字表記は「安家洞」)は国内でも最長の奥行き(全長23㎞という)を誇り、その中での探検・冒険ジュブナイルミステリというのはそれなりに楽しくはあった(怪しい大人たちの人物配置が前作から続けて読むと、ちょっとムニャムニャ……な感じはしないこともないけれど)。
 まあ21世紀の現在、ジュブナイルミステリとしての書誌的な素性を知らないで本当に一冊の作品として素で読んだら、かなり素朴すぎる物語ではある。

 ちなみに元本しか刊行されていない上に、その書籍がかなりの稀覯本で、くだんの安家洞が存在する岩手県岩泉町の図書館もぜひとも蔵書に加えたいと思いながら、近年(2014年)まで入手できなかったようだ。評者も今回、運良く借りられたボロボロの本を、これ以上痛めないように注意しながら読了した。東都書房は講談社の系列だから、『ミルナ』の再刊とあわせて青い鳥文庫の名作復刻路線にでも入ってくれればいいんだけれどね。


No.554 7点 わが懐旧的探偵作家論
評論・エッセイ
(2019/05/23 04:12登録)
(ネタバレなし)
 戦後の昭和推理小説文壇のど真ん中にいた作者による、先輩や同年代、一部後輩の同業作家たちを語った貴重な述懐・証言集。大半の記事は「幻影城」誌上や元版で読んでいるが、改めて今回は初めて(文庫版で)丸々一冊通読した。他のミステリその他を読む合間合間に読んでいたので、最初に文庫版を手に取ってから完読するまでに、1年以上かかったが。

 作家それぞれの人間的な地の顔を著者目線で語りつつ、一方でそれぞれの作家の代表作ややはり著者目線での印象的な作品にも積極的に言及している記事の作り方がとても楽しい。
 一部、巧妙に、書きにくい話題を避けているところもあるようにも思えるが、昭和の国産ミステリ全域に濃かれ薄かれ関心がある人(評者のような)なら一度は読んでおくべきだろう。
 何より昭和の探偵小説・推理小説の文壇の世界の形成がなんとなく見えてくるような感覚が実に心地よい。


No.553 6点 フィリップ・マーロウの娘
喜多嶋隆
(2019/05/23 04:02登録)
(ネタバレなし)
 場所はハワイ。「あたし」こと21歳の日本人・鹿野沢ケイは3年前に母国で問題を起こし、親の指示でハワイに追放同然の身になった。現在はパシフィック語学学校に学生として一応の籍を置きながら、観光客相手にマリファナを売って生活費を稼いでいる。そんなケイはホノルル市警の囮捜査で摘発され、ハワイ在留の日本人関係の事件を扱うセクション「日本人対策特捜蚊」のアンダー・カヴァー(秘密捜査官)になることを条件に釈放された。最初にハワイ市警が押しつけてきた案件は、数日前から行方不明になっている日本の大手企業の令嬢・五島広美の捜索。奇しくも広美はケイの友人のひとりであった。ケイは警察の情報と自分で得た手がかりをもとに、広美の行方を追うが……。

 文庫書下ろし作品。喜多嶋作品は初めて読むが、思った以上に、あるいは思っていた通りにそれなり以上に楽しめた。いかにも80年代後半(本の刊行は90年だが)の青年向けフィクションっぽい、独特なドライ感が妙に心地よい(サバサバしたくせに饒舌な文章がなんか居心地良い)。まあリアルタイムで読んでいたらどうだったかな、とか余計なことはあんまり考えないが(当時そのときは、やっぱり自分なりに好き勝手なことをしていた自覚はあるので)。

 謎解き作品としてはそんなに捻った部分はないものの、キャラクターミステリ(国産青春ハードボイルド)としては充分に味がある。読者に背を向けるわけでも馴れ合う訳でもない、主人公ヒロインの造形はなかなか魅力的だ。
 結局シリーズ化はされなかったのかな。続編がもしあれば、いつか読んでみたい。


No.552 7点 燃える導火線
ベン・ベンスン
(2019/05/23 03:34登録)
(ネタバレなし)
 その年の9月下旬。アメリカのマサチューセッツ州のケープ・ゴッドで、工事現場から25本分のダイナマイトが盗まれる。同じ犯人と思われる人物はこれと前後して土地の「ヤーマスガゼット新聞社」に匿名の電話をかけて、無軌道な観光客に蹂躙されているこの土地(ケープ・ゴッド岬の周辺)に、義憤ゆえの爆破テロを決行すると宣言してきた。マサチューセッツ州州警察の若手刑事部長、ウェイド・パリス警視は、所轄であるヤーマス駐屯署の署長フランク・キャフーンたちと連携して捜査に当たるが、そんな彼は爆発物盗難事件の周辺で何者かにより命を奪われた大学副教授アーサー・グインドックの殺害事件に遭遇する。パリスはそのまま殺人事件と爆破予告事件を並行して追うが、謎の爆破魔が告げたクライシスの期限は少しずつ迫りつつあった。

 1954年のアメリカ作品。50代の若さで早死にし、創作者としての短い活動期間の間に19編の著作を遺しながら、日本ではわずか5作品しか翻訳されてないベン・ベンスン。邦訳のある作品はみんなマサチューセッツ州州警察の若手刑事部長ウェイド・パリス警視を主人公とするもので、未訳の処女長編も同じキャラクターが主役のはずである。
 評者は翻訳されたその5作品の中では、だいぶ以前に一番原書での刊行時機の早い『あでやかな標的』を読了。これがエラく大好き(以前にオールタイム翻訳ミステリのマイベスト10の一つに選んだこともある)で、残り少ない翻訳作品はゆっくりチビチビ読もうと思っていたのだが、先日たまたま部屋の中からこれが出てきて、結局、気の向くままに今回すぐ読んでしまった。
 幸いなことに本書は、すでに読んでいる『あでやかな標的』に続く順番で原書が刊行された、ウェイド・パリス警視ものの一冊だったようである。
 つーことはこの作中のパリスは、あの『あでやかな~』のラストの直後の彼なのか……といささか感無量な思いにも陥る。(『あでやかな~』のネタバレになるかもしれないから、これ以上は言いませんが。)
  
 それで本作『燃える導火線』だが、やっぱりいいなあ……このシリーズ。創元文庫版220ページ強の紙幅の中に名前の出る登場人物は50人前後とかなり多いが、メインキャラとサブキャラの配置が明確な上にストーリーの流れもハイテンポで頗るリーダビリティは高い。一方で『あでやかな』同様に地味で真面目なところが却って魅力の青年警視パリスのキャラクターは今回もすんごく人間臭くて魅力的だ。殺人事件の関係者である、妖艶な30代半ばの大物女優オリーヴ・ドネア。その彼女にハンサムな若い警視だと翻弄されかけるパリスは一瞬だけ心を惑わしそうになるが、そんなオリーヴは「朝鮮戦争に出征する直前、私に最後に愛の告白の手紙を書いていったのよ」と在りし日、一人の若者がその生涯の最後を自分に傾けて戦死してしまったことを自慢する。パリスはオリーヴに、ではあなたはその戦場に行く若者に別れと無事を祈る返事を書いてあげたのかと問い、相手がそういう気配りをまったくしていなかったことにいっぺんに失望する。こんなやりとりで語られるパリスの、実に普通の人間らしい誠実さと、さらに今回の事件のメインキャラの一人であるオリーヴの、あまりにいびつなしかし一方でその情けないところがどこか切ないキャラクター描写がすごくいい。オレが50年代の往年の、そして21世紀のミステリの、小説の部分に求めるもののひとつはこういう感じの描写なのだ。
 ミステリ的には、殺人事件、爆破事件、そしてさらに別の案件……を並行的に組み合わせた、ごく素朴なモジュラー式の警察捜査小説としての立体感もさながら、それらそれぞれで、犯人と事件の真相の意外性(……かな)、タイムリミットサスペンスと生命の危機に瀕する捜査陣の職業的な矜持など、別々の味わいの妙味を見せている辺りもステキである。読了後に「地獄の読書録」を確認すると小林信彦は本書を「パリスものでは下位の方」と評しているけれど、コレで下位なら残る未読の邦訳3冊も相応に面白いのであろうな。んー(まあ最終的にはいつもながら、自分の目と心で確かめることではあるのだが)。

 ……あー、パリスものの未訳作品、今からでもどっかからか出ないかな。論創さんか、はたまたウワサの山口雅也センセが陣頭指揮の原書房の新規の叢書とかで、ヒラリー・ウォーあたりと併せて発掘してくれないだろうか。

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