人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.659 | 6点 | 007号/孫大佐 ロバート・マーカム |
(2019/09/28 03:26登録) (ネタバレなし) 英国情報部の精鋭諜報員ジェームズ・ボンドは、同じ部局の幕僚長で友人でもあるビル・タナーと休日のゴルフを楽しんだのち、持病の咳の発作で静養中の上司「M」ことサー・マイルズ・メッサヴィを見舞いに、彼の自宅に向かう。だがそこでボンドが出くわしたのは、「M」に薬物を注入して拉致を図り、さらにボンドまで連行しようとする謎の一味だった。ボンド自身も薬物を注入されるが、彼は断腸の念で「M」を敵の手中に残しながら、どうにか単身逃亡する。ボンドの急報を受けてタナーや地元警察の面々がメッサヴィ邸に急行するが、敵はすでに「M」を連れ去った後だった。現場の遺留品から、敵一味の手がかりがギリシャにあると認めるボンド。彼はそれが自分自身をおびき出す罠という可能性も考えるが、他に選択肢はなかった。 1968年の英国作品。1964年にフレミングが他界したのちに、007の研究でも知られる英国文学者キングズリイ・エイミスが「ロバート・マーカム」の名前で書いた「公式007パスティーシュ長編」。 それまでにも、非公式に(だろーな)ボンドが客演したアニメ版『エイトマン』第20話「スパイ指令100号」(脚本・半村良)やリスペクト精神いっぱいのパロディ長編、イ※ン・フ※ミ※グの『アリゲーター』(1962年)などの楽しい事例はあったが、フレミングとボンドのコンテンツを版権管理する面々が公認した正編そのままの世界観とキャラクター設定を継承する公式なパスティーシュ作品では、これが史上初になったはず。 それで評者は、本作『孫大佐』については何十年も前から「地味だ」「お行儀良すぎる」とかの世評を聞いていたので、そのつもりであまり多くを求めないように読んだのだが、かように期待値が低かったためか、なかなか楽しめた。 ボンド版のシャーロッキアン的な研究読本『ジェイムズ・ボンド白書』にも参加し、正編シリーズの各編を展望、分析しているマーカム(エイミス)だけに、良くも悪くもソツはない。事件の時制は、スカラマンガ事件(『黄金の銃を持つ男』)の翌年ときちんと本文の序盤で叙述されるし、作中のボンドの記憶に日本からソ連に渡った悪夢の日々、といった主旨の描写(もちろん『007号は二度死ぬ』~『黄金の~』の流れ)もちゃんと出てくる。 一方で発端の事件そのものはやや微妙で、「M」の誘拐はもちろん非常事態だが、読者視点&ファン視点的には、こんな「007」世界の大物キャラをエイミスが勝手に殺したりする権限なんかないと察しがつくし。その意味じゃ精神的にタフな爺ちゃんひとりさらわれたからといってどーだってんだという、緊張感があまり湧かない心境になってしまう。 むしろ読み手の興味は、「M」の誘拐を経てさらに同じように連行されかかったボンドの方に、一体どういう利用価値があるのか? そっちの方に比重が傾くことになる。 結局、終盤に明らかになる悪役・孫大佐たちの本当の狙いの方(もちろんココでは書けない)が、やっぱり、スパイスリラーの事件のネタとしてはずっと面白い。ただまぁ、この敵の策謀を初めから読者に明かしていたら、ずいぶんと薄っぺらい物語になってしまうから、その辺がもったいつけられるのは仕方がないのだが。 それと、孫大佐の歴代悪役に匹敵するサジスト描写はなかなか強烈な一方、悪人キャラクターとしてはややスケールが小さいとか、ボンドの窮地からの脱し方が……とか、いろいろ思うところはあるが、個人的にはまあ許容範囲。 特にピンチからの脱出の流れに関しては甘いなーと思う一方、ボンドの長い諜報員人生の中にはこんなこともあるんじゃない? 的な、作中世界での妙なリアリティを感じないでもなかった。 あと個人的に印象に残ったシーンでは、敵陣に乗り込む際、知り合った現地の事情に詳しい男の子を連れて行けばそれなり以上に役に立ちそうなところ、相手の子供のこれからの心の成長のために、今回の事件に深く介入させるのは決して良いことではないとして、その子を強引に引き返させるボンドの良識ぶりがステキ。作者エイミス(マーカム)は、基本はモラリストで英国紳士の地顔を忘れないボンドのキャラクターをよく理解している。 ぶっ殺された敵の死体を前に、自分もいつかこうなるのだなと内心でしみじみするボンドの、どっか山田風太郎忍法帖的な叙述もよい。 しかし結局のところ、本作『孫大佐』はあまり読者の支持を得られず、小説世界のボンド再生計画は映画のノベライズを別にして後年のジョン・ガードナー路線まで間が空いちゃうことになってしまう。 それでも今回、本作を初めて読んで、後年の新作映画版のオリジナルストーリーにも影響を与えてるんじゃない? と気がついた。ここではネタバレになるから言わないけれど、本書を読み、映画の主立ったところを観ている007ファンなら、まあ大体、何を言っているかわかるでしょう。 最後に、ハヤカワミステリ文庫版の登場人物表(表紙の折り返しや本文の巻頭)は、前半に出てくる一部のキャラクターの(当初は秘密の)所属陣営を明かしてるので、厳密にネタバレ回避したい人は見ない方がいいです。 まー、中盤にははっきりする情報だから、別に、ミステリの本筋的などんでん返しの類とかは、まったく無関係な案件なんだけど。 |
No.658 | 4点 | 偽装特急殺人旅行 斎藤栄 |
(2019/09/27 10:09登録) (ネタバレなし) 大企業GNEを経費の乱用ゆえに馘首された相馬正男、師匠から破門された奇術師の卵・小森貞夫、無免許医療が発覚した下城照明、自称催眠術師の神原国平、特急「みずほ」の食堂車の美人ウェイトレス・宇津木かおり、日本交通センターのOL・村上美登里。私立「栄胞高校」の元学友だった6人の若者は、相馬の提案を受けてGNEが開発した画期的な新技術のデータを強奪。一億円払わなければこの情報をライバル企業に渡すと恐喝した。作戦は障害を乗り越えて成功しかけたに見えたが、奪った一億円の現金を一時的に預かった小森を、正体不明の男女が奇襲した。自分が死んだように敵を欺いた小森は地中に埋められかけるが、その際に頭上をそっと見あげると、顔の見えない謎の女の尻肌に小さな黒子があった。九死に一生を得た小森は、奪取を逃れた半額の五千万だけを携えて逃走。その金の一部で外見を大きく変貌させた小森は、一億円の横取りを企み、自分を殺そうとした真犯人たちの正体を暴くこと、そして復讐を誓う。 題名だけ聞くと西村京太郎のトラベル・ミステリみたいだが、実際にはむしろ同じ作者(西村京太郎)の『ダービーを狙え』みたいな、エロ通俗要素の濃厚な、若者たちを主人公にしたクライムストーリー。 途中から突発的な殺人が生じ、形ばかりフーダニットの要素も導入されているが、全体的に下世話な展開。 <自分を殺そうとした謎の女の尻に黒子があったので>というのを作劇上のエクスキューズにしながら、小森が疑惑の目を向けた仲間の女ふたり、そして友人の男どもの本妻や情人たちを次々とあんな手段やこんな手段でひん剥いていくいやらしい描写にも、こちらの求めるトキメキがあまりない。もしかしたら本作は矢上裕の『エルフを狩るモノたち』の元ネタか?(たぶん違う。) 途中までは、久々に本当にしょーもない作品を読んだかという気にもなったが(いや読了後の今でも少なからずそう思っているが)、最後まで付き合うと、とにもかくにも一本の長編にまとめた作者の力業はまあ認める。しかし捜査陣の名前ばっか数名出てくる警察は、本当に無能であった。 たまたま書庫にあったから気が向いて読んでみたけど、実のところ作者・斎藤栄はこれまで特に守備範囲でもなかった作家だし、この本も買った覚えがない。なんでこの本(トクマノベルズ版)、家にあったんだろ? 家人の蔵書とも思えないが。ある日窓から飛び込んできたのか。 |
No.657 | 5点 | オペレーション/敵中突破 ダン・J・マーロウ |
(2019/09/26 16:53登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと、変装の名人の犯罪者アール・ドレーク。彼は時折、米国の秘密機関「ワシントン作戦部」の要員カール・エリクソンの依頼で、表沙汰に出来ない政府の作戦にも協力していた。今回、ナッソーに乗り込んだドレークとエリクソンは裏社会の集団「組織」から機密の書類を奪取するが、逃走の最中にエリクソンはドレークを庇う形で、別件から地元の警察に捕まってしまう。ナッソーでの旧知のギャンブラー、キャンディ・ケーンとその恋人チェン・イーに一時的に身を匿ってもらったドレークは、母国アメリカにいったん帰国。「組織」の追撃がエリクソンに及ぶ前に、彼の救出をワシントンの関係者に要請しようとするが、接触した相手の反応は、揃って冷ややかだった。ドレークは自分の恋人で、エリクソンとも旧知である美貌の未亡人ヘイゼル・アンドリューズの支援のもと、独力でエリクソンの救出を図る。 1971年のアメリカ作品。ダン・J・マーロウの看板シリーズで「千の顔を持つ男ドレーク」シリーズの第三作目(日本では本作から紹介)。 作者マーロウは、21世紀の日本では完全に忘れられた作家だと思うが、このドレークシリーズの一篇で、MWAペーパーバック賞を受賞。さらにあのスティーヴン・キングも、かの『コロラド・キッド』(読みたいぞ)の巻頭で献辞を捧げているらしい。 評者はこのたび別の本を探しに書庫に行ったら、今回レビューしたこのポケミスにたまたま遭遇。そういえばコレ、昔「ミステリマガジン」の読者欄「響きと怒り」に投稿が載った際、献本でもらった一冊だったんだよなあ、しかし当時はそんなに興味も湧かない作品だったのでウン十年も放って置いたんだよなあ……と、いろんな思い出が甦ってきた(笑)。 それでちょっと気になってwebで検索したら、マーロウは、キングの評価する、またはリスペクトする作家という前述の情報が判明。じゃあ読んでみるかと、頁をめくり始めた。 でまあ、感想だが、内容はとりたてて秀作とも傑作とも思わないものの、それなりに面白い。 調べたところ主人公アール・ドレークのデビューは1969年で、政府の秘密作戦に協力する犯罪者ヒーローという設定は、60年代スパイブーム(シェル・スコットやらエド・ヌーンまでもそちらに傾いた)の余波プラス「悪党パーカー」のヒットの影響、その辺のミキシングだと思うが、この作品『敵中突破』の場合は、戦友のエリクソン(かつてドレーク、ヘイゼルの3人で、ともに死線をくぐり抜けた仲でもあるらしい)を助けようと本気の友情と義侠心から懸命になって奔走するものの、しょせんおまえは外注の非合法応援要員という扱いで、政府筋からはまともな応対も得られない。中盤の部分はかなりその辺の描写に費やされ、正直、活劇アクションとしてはどうにもスカッとしない流れではあるものの、作中のリアリティとしてはそういう事態もあるであろう事をつきつめる意味で、読み手のこっちにはなかなか興味深い。 そんなセミプロ工作員の情けなさが、物語の後半の反撃のスプリングボードとなるわけで、全体のラスト3分の1の展開はかなりコンデンスでスピーディだが、これはこれでよかったとは思う。 ただ不満が二つあり、ひとつは敵対する「組織」の強大さがさほど演出されていないこと、あとは物語の序盤でドレークとエリクソンが狙った書類の素性が最後まで明かされずに終ること。 もちろん後者に関しては作劇上の扱いは単なるマクガフィンの小道具なんだから曖昧に終ってもいいのだが、少なくとも作中で おれ(ドレーク)「結局、あの書類はナンなんだ?」 エリクソン「……それについては聞かない方がお互いのためだ」 おれ「そうだな」 くらいの叙述はあって良かっただろう。そうすれば小説的な凄みも出ただろうに(まあ、すでに何回もこの手の任務はこなしてるんだから、いまさら何も言わない同士なのも、ソレはそれで、リアルではあるのだが)。 全体に過剰なほどにベッドシーン&明るいセックス描写が多いのは、この時期の読み物アクションミステリらしい。 2~3時間で読み終えられる佳作。ただこの一冊だけだと、キングがどこに引っかかったのかは今ひとつ見えない。キングが推薦しているという『ゲームの名は死』(もともとは別の主人公として出版されたが、ドレークシリーズのヒットを前提に、主人公をドレークに改訂した作品。翻訳はドレーク主人公版)の方を、そのうち読んでみようか。 |
No.656 | 6点 | 虹のような黒 連城三紀彦 |
(2019/09/25 23:09登録) (ネタバレなし) 聖英大学の大学院生で美人と評判の麻木紀子は、妻帯者の大学教授で自分の恩師でもある41歳の矢萩浩三と肉体関係を結んだ。紀子は、1年以上前から付き合っていた恋人で大学の先輩でもある沢井彰一に、別れ話を切り出す。彰一はその申し出を了解するが、最近、妙なものが送られて来ていると、あるものを見せた。それは全裸の男女が絡み合う手描きのイラストで、紀子は直感的にそれが自分と矢萩の情交の図だと察した。さらに聖英大学の周辺には、類似のイラストが乱れとび、そんな折、大学内の暗闇の密室の中で、ある凌辱劇が発生する……。 2013年に他界した連城三紀彦の、書籍化されずに残っていた最後の長編。初出は2002年~2003年の「週刊大衆」で、彰一、紀子、矢萩、それに矢萩の妻の綾子の四角関係を主軸に、さらに大学ゼミ内の学生たちをも巻き込んだ濃厚な劣情のドラマが展開する。 面目ない事に評者は連城作品とのこれまでの付き合いは1980年代までのものとこの近年に発掘されたものが主体で、90~00年代の作品群はまったく読んでいなかったので、これが作者の全域の作品群の中でどのような位置を占めるかはよく分からない。性愛描写も掲載誌の要請に合わせたのであろう感じで実に露骨だが、それでもどこかに妙な品格が漂っているのがこの作者らしい。 よく知らないが、聞くところによる渡辺淳一の世界? ってのは多分こんなもんなのかなー、という感じで読み進んでいき、生前に本にならなかった、ミステリ味も希薄な作品なのかな、という予断もあったが、はたして後々には、いかにも連城らしい(前述の通り、若い頃しか知らないが)「××の××」が終盤にちゃんと用意されている。それを機会に徐々に実相を変えていく物語世界の危うさは、スリリングで心地よい。 ただしそんな一方、少なくとも本作に限っていえば、結構ノープランで書いちゃったんじゃないか? と思える感触もあった。特に物語序盤には印象が薄いどころか、影も形もなかった大学周辺の若者キャラたちが、あとあとになって、いかにも最初から物語のメインの場にいたような感じで比重を増していたのになんか違和感を覚える。 本気で作者が生前に了解のもとに刊行されていたら、もうちょっと改稿・推敲されて、その辺のバランスはよくなっていたかもしれない。まあ無いものねだりではある。 今はとにかく、幻の作品を発掘して書籍化してくれた関係者に感謝。 ちなみに本作は、雑誌連載中に作者自身が小説本文に沿った挿し絵イラストを描き添え、一回二葉、全36回の連載で合計72枚の画稿を執筆。今回の単行本には、そのイラスト全72枚が完全に収録されている。画稿の主題の大半は物語の流れに応じたエロチックなもので、ヘタウマというかウマヘタというか、それなりに上手いもののどっかアマチュアっぽい画風が奇妙ないやらしさを感じさせる。本書はこのイラストも込みで賞味される作品ということで。 |
No.655 | 6点 | カリ・モーラ トマス・ハリス |
(2019/09/25 12:25登録) (ネタバレなし) マイアミ。コロンビア移民で複数のバイトをしながら、獣医を目指して勉強に励む25歳の美女カリ・モーラ。彼女はバイトの一環で、20年以上前に死亡した麻薬王パブロ・エスコバルの遺した大邸宅の管理人をしていたが、実はその屋敷の周辺には、莫大な価値のある金塊を納めた金庫が巧妙に隠されていた。そしてその金庫の存在を知った裏社会の各方面の人間が金塊を狙うが、肝心の金庫はヘタに扱うと大爆発を起こす仕掛けに守られており、誰も手が出せないでいた。だがこの金庫の秘密を知る老人ヘスス・ビジャレアルに複数の裏の世界の人間が接近。緊張の事態は、何も知らないカリを巻き込んで動き出す。だがそのカリもまた、日常の顔からは窺い知れない凄惨な過去を秘めていた。 本年2019年のできたてホヤホヤのアメリカ作品。巨匠ハリスの13年ぶりの新作だそうで、世の中はあのハリスにしては物足りない、とか非難囂々だが、本書がたしか初めてのハリス作品となるこっちには、普通にじゅうぶん面白かった。 いやハリスは『ブラックサンデー』のハードカバー版から、ちゃんと新刊で買っていたんだよ。ただしその際にはなんとなく積ん読で歳月が経ってしまい、その後の話題作群も十二分に守備範囲ながら、なぜか全く読んでない(笑・汗・涙)。まあレクターものは、シリーズが進む内に、どうせなら最初から読もうと思ってそれが枷になり、引っ張られた感じなんだけど。評者の場合、似たような関係性の作家って、少なくないし。 それで本書の話題に戻って、裏表紙には「傑作サイコサスペンス」と書いてあるが、実際には金庫を狙う悪党どものクライムノワール+半ば巻き込まれ型の女××もの。ただし確かにサイコサスペンス要素もあり、その辺は金庫を狙う悪党の中で一番の外道筋で、本業は臓器密売人の全身無毛男ハンス・ベーター・シュナイダーのキ○ガイぶりに甚だしい。グロくて残虐で悪趣味な描写が続出する(こいつと取引する客も同等かそれ以上のキチ○イ)。まあ乾いたブラックユーモア的な筆致はさすがにこなれているので、胸糞が悪くなる程度で済むけれど。 次第に明らかになる主人公カリの過去、少女時代の彼女がアメリカに逃げ込むまでの描写(助けてくれる某キャラがとてもいい)、さらに悪党ではありながら、そこそこ仁義を守る(けどかなりおぞましい事もしている)暗黒街のボス、ドン・エルネストと、その部下の一味の描写など、それぞれがフツーにエンターテインメントとして巧みでひと息に読ませた。特にエルネスト一味の末端の部下、アントニオ青年とベニートじいちゃんとカリの交流の図などは悪くない。(さらに終盤にもうひとり、もうけ役のキャラが出てくるが、これはナイショ。) 良い意味で、シリーズ化はしてもしなくてもいい感じではある。 |
No.654 | 6点 | フラックスマン・ロウの心霊探究 E&H・ヘロン |
(2019/09/24 18:39登録) (ネタバレなし) ミステリマガジンや各種・英国クラシックホラーのアンソロジーなどにこれまで四篇のみ邦訳があるオカルト探偵(表稼業は心霊学者)フラックスマン・ロウの事件簿、全12篇の連作短編を初めてまとまった形で翻訳した一冊。 作者E&H・ヘロンは、英国の小説家ヘスキス・プリチャード(1876-1922)とその母、ケイト(1851-1935)の合作ペンネーム。息子の方は単独で、ホームズのライバルたちのひとり=カナダの狩人探偵ノヴェンバー・ジョーを主人公に据えた連作『ノヴェンバー・ジョーの事件簿』の創造主としても知られる。 評者的には、本当にスーパーナチュラル要素が存在する世界観での小説分野でのオカルト探偵の最高峰は、昔ならカーナッキ、後年ならサイモン・アークである(糞面白くもない、あまりにもフツーすぎる定番の観測&評価だが)。 それで本作の主人公フラックスマン・ロウの雑誌デビューは1898年、全12篇が完結して本になったのが翌1899年だそうだから、1910年に雑誌デビューのカーナッキなどよりずっと活躍時期は早い。その辺が、このフラックスマン・ロウが、オカルト探偵キャラクターの始祖的存在としてもてはやされる所以らしい。 シリーズの中身は基本的に、各地の幽霊屋敷の怪異を探求、事態の解決のためにロウが乗り込んで行くパターン。 謎の異形の幽霊、見えざる何か、神出鬼没の小人、包帯を巻いた幽霊、瞬時に被害者を絞殺する謎の殺人魔、突如現れる巨大な幽霊の顔、燐光人間……とオバケのネタは豊富だが、基本的に似たパターンの同工異曲の話の流れではあるので、その辺がちょっと倦怠感を呼ばないでもない。 レギュラーのワトスン役も用意されておらず、本当ならその手の相棒との掛け合い芝居的な、ヌカミソサービスでもあればいいんだけどね。 ただし(あまり詳しくは書けないが)後半になっていくらか変化球っぽい話も飛び出し、この辺は作者コンビもいつまでも似たような話じゃダメね、チェンジアップを効かせましょ、とシリーズ構成の工夫を試みたフシは伺える。最後の二篇は前後篇で、ミステリファンにはおなじみのあの大悪役を思わせるキャラクターが登場してくるのもちょっと楽しい。 個人的にホジスンの『カーナッキ』のどこが好きでどこが優れているのかと問われれば、ひとえにあの鮮やかなシリーズ構成にあるのだけれど、作者ホジスン、当該ジャンルの先駆作として、この『フラックスマン・ロウ』から素直な先輩としても、また反面教師としても、学ぶところが多かったんじゃいないかな、と思う。 そういえば『ドラキュラ紀元』には、このフラックスマン・ロウは客演してたんだったかな? 名前だけでも出てきたかな。今度そのうち確認してみよう。 |
No.653 | 5点 | 頭が悪い密室 水原章 |
(2019/09/24 04:19登録) (ネタバレなし) 先日のヤフオクで、本書を複数の入札者が競りあっているのを目撃。 全然知らない作家で、さらにちょっとインパクトのある題名、それに帯の「密室殺人・人間消失・透視術・謎・謎・謎」という惹句に気を惹かれて、図書館便りで取り寄せて読んでみる。 なお現状でAmazonに登録データはないが、本は2006年1月30日に早稲田出版という版元からハードカバーで刊行されている。本文は全294頁(奥付含まず)。 内容は短編集で、収録作品は4つのパートに分類。 全部の作品の題名と、その初出データは以下の通り。 第一部 白い檻(「雪」1963年6月号) 世界をおれのポケットに(「雪」1963年12号) 人間消失(「雪」1970年9月号) 血の掟(「雪」1970年11月号) 死者からのラブレター 蛸人 第二部 けものが眠るとき(「新大阪新聞」1960年7月15日) あたしは夜が怖い(「新大阪新聞」1961年6月23日) 死を賭けろ(「新大阪新聞」1959年8月14日) 頭が悪い密室(「新大阪新聞」1961年1月20日) 仮面をかぶって殺せ(「新大阪新聞」1960年10月21日) 謎を解いてちょうだい(「新大阪新聞」1961年7月14日) 断崖(「新大阪新聞」1961年5月26日) キッスで火を点けろ(「新大阪新聞」1961年9月8日) 第三部 色彩学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 解剖学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 生物学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 確率論教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 物理学教程(「デイリースポーツ新聞」1955年1月) 第四部 日の果て(「別冊宝石」33号/1953年12月15日号) 殺意(『密室』28号/1960年8月15日号) 以上、本書の巻末の記載から。「雪」というのはどういう雑誌(同人誌?)か全く知らない。デイリースポーツ新聞系の初出データが大雑把だったり、『世界をおれのポケットに』のデータを本当はたぶん12月号と書くべきところが変になっているのは、単純に誤植か、あるいは作者の手元に残っていたメモとかが不正確だったからか。 なお『死者からのラブレター』『蛸人』の2つはデータの記載がない。本書で初めて日の目を見た、未発表作品だったのかも知れない。 いずれにしろこのデータを見れば分かる通り、2006年の新刊のくせに、実はかなり古い作品ばかり。(実を言うと先にwebでその旨のうわさを目にしており、ソレで興味を惹かれた面もある。) なお作者・水原章に関しては、奥付の手前の頁に「大阪生/関西学院大学卒/日本推理作家協会会員」とごく簡素な紹介があるだけ。いまだもってそれ以上の情報はないが、同人誌「密室」に、本書の一番最後に収録の作品『殺意』を載せている事から、たぶん老舗ミステリーサークル「SRの会」の一員だったのだろう。あー、つまり評者の先輩だね(笑)。 それで肝心の作品の内容は実に幅広い作風で、第一部には比較的フツーの短編ミステリっぽいものが並んでいるが、その中身は軽パズラーもあれば、スレッサー風のツイストを利かせたショートストーリーまで様々。出来はいろんな意味で総じてまあまあ。最後の『蛸人』は一種のホラーSFである。 曲者なのが第二部の「新大阪新聞」系の作品で、例えるなら日本版「マンハント」でのゲスト日本作家による、洒落たパロディ・ハードボイルドのような傾向のものが主体。このセクションの作品群が、私見では一番、本書の個性を打ち出している。中では特に「仮面をかぶって殺せ」がインパクトあった。21世紀の今では、絶対に商業誌に載らない種類の作品。 第三部はミステリクイズ風のショートショートで、各編の解答は別立てになっている。 最後の第四部はちょっと腹応えのある、長めの短編というか短めの中編が二本。『日の果て』は密室、毒殺、アリバイ崩しとパズラー要素の強い作品だが、いかにも「宝石」の長い歴史の中に埋もれた作品っぽく、狙い所の定まらない印象。『殺意』は男女の三角関係を巡って二転三転するトリッキィな内容だが、あまり小説そのものがうまくないせいか、ちょっと退屈。 しかしどういう経緯で、こんなマイナー作家の旧作群が、40年以上も経って本になったのか不思議(1960年代辺りに一度本になったものの再刊行……ということはナイよね?)。 版元の早稲田出版の名もあまり聞かないので、老境に入った元作家の卵&ミステリファンが、昔の手すさびの作品を自費出版したのかとも思った。が、この出版社は特に自費出版物の版元という訳でもなく、webで検索すると経済・経営関係のセミナー書? の類などを出しているようである(他のジャンルもいくつか。ただし文芸書は少ない)。 同版元の経営者か編集者とかが、個人的に作者と旧縁でもあったかも。 昭和のマイナーミステリのマニアは、安く出会えたら話のタネに買っておいてもいいかも。ただしあまり高い値段で購入する必要はまったくないでしょう。 |
No.652 | 5点 | みどり町の怪人 彩坂美月 |
(2019/09/19 04:13登録) (ネタバレなし) 埼玉県の県庁所在地から電車で30分ほどのY市。そこのみどり町では、20年前に若い奥さんとその子の赤ん坊が不思議な怪人に殺されたという都市伝説があった。そしてその後も現在まで、怪人は町のどこかに潜んでいるという。FM放送の番組「ミッドナイト・ビリーバー」は、今回もその怪人について送られてきた情報のハガキを読み上げるが。 関東の一角、辺鄙な住宅地を舞台にした連作ミステリ。全7本の事件がまとめられているが、別のエピソードの主要人物が他の話のサブに回ったり、またはその逆だったり、この辺はよくある趣向。 評者は連作短編集の場合、人物メモを取らずに読み進めることが多いのだが、今回はたぶんキャラクターが前述の形で絡み合う事が予想されたので、当初から白紙とペンを用意。登場順に名前と情報を書きこみ、また後の話で再登場したらそのたびにデータを書き加えて整理していった。今回はこの作業がちょっと楽しかった。 ただしミステリの出来としては、まあ、よくない意味でそこそこ。 帯に「都市伝説×コージーミステリ」と謳っており、それって直球のパズラーでもなくトリッキィな仕掛けもなく、とにもかくにも今回は、都市伝説をネタにしたライトな連作ミステリを読んでくれ、ということなのか、という感じであった。 実をいうと自分はいまだもって「コージーミステリ」の定義も形質もいまひとつピンと来ない人間なんだけど、少なくともその言葉って、こういう風に「歯ごたえのあるミステリではございませんよ」といった言い訳に使う類のものではないと思うのだが。 それで7本の話の中には、人間ドラマ的な意味ではちょっといい話はいくつかあって、まあその辺が読みどころというか、この本の価値なのかな、と思う次第。 一方で前述のようにミステリ的には全体的にどうってこともない話ばっかなので、うーん、まあ……積極的に悪口を言う気もないけれど、褒めるところにも困るよね、という感じであった(汗)。 都市伝説としての怪人の正体、文芸の方は、作者のやりたいような事は見えるようなんだけど、それもまた「ふーん」という感じで終了。 総括するなら、水で割った豆乳みたいな作品。栄養やうま味が皆無ではないが、良くも悪くも(どっちかというと後の方で)薄いよなあ、という食感。 電車やバスの中での時間つぶしとかには、まあいいかもしれません。 |
No.651 | 7点 | ある朝 海に 西村京太郎 |
(2019/09/18 19:21登録) (ネタバレなし) 1970年前後の南アフリカ共和国。そこは人口の約2割の白人にのみ社会的な特権と優先権が保証され、残り8割の黒人を主とした有色人種が虐げられる暗黒世界だった。「名誉白人」の日本人として同国を訪れた28歳のカメラマン、田沢利夫は警官から理不尽な暴行を受ける黒人少年を庇った結果、窮地に陥りかけるが、英国系の元弁護士の白人青年ロイ・ハギンズに救われた。ハギンズは黒人の政治運動家エンダパニンギ・シトレのもと、この国の惨状を嘆く各国出身の若者たちとともにさる計画を練っており、そこに田沢を誘う。その計画とは、南ア共和国の現状解決にいつまでも本腰を入れない国連に嘆きの声を響かせるための、アメリカの大型客船の無血シージャック作戦だった。 元版は1971年3月20日にカッパ・ノベルスから書下ろし刊行された作品。内容的にはいろいろな意味を込めて完全にミステリの範疇の一冊だが、推理小説と言い切って売るのには当時は逡巡があったのか「長編小説 書下ろし」の肩書で発売された。 60年代~70年代半ばの躍動期~安定期に気合の入った作品を多数書いていた西村京太郎だが、本書は正にそんな感じの一冊。読後にTwitterでヒトの感想を覗くと「生まれてから読んだ小説の中でいちばん面白かった」とか「西村作品のベストワン」とか絶賛の声も乱れとんでいる(!)。 個人的には流石にソコまで褒める気はないが(笑)、昔からいつか読もうと思い続けてウン十年、そんな何となく温めていた期待は裏切らなかった一作。スピーディな展開の中にサスペンスクライムストーリーとしての、またポリティカルフィクションの妙味をからめた社会派メッセージ作品としての、多様なエンターテインメント要素が盛り込まれていて実に面白い。 さらに終盤、客船内を事件の場にした、フーダニットのパズラーの趣向まで飛び出すのには度肝を抜かれた。ジージャック計画全体に仕掛けられた(中略)にもうならされる。 これまであまり考えたことはないが、たぶん評者の場合、西村作品は30~50冊前後は読んでると思うが、これがその中のトップということはないにせよ、5本の指に入れてもいいような感触はある。 主人公チームのメンバーがややコマ(駒)的だとかの不満はあるし、なにより21世紀のいま、若手の作家が同じようなネタで新規に書いていたらこのプロットの枝葉のあちこちを大きく膨らませて、倍ぐらいの分量にするだろうなあ、そういうボリュームで書かれても良かったのに、コンデンスにスマートにまとまってしまうのが勿体ないなあ、という思いもある。特に後者のそんな残念感は正直な気分で、評点は8点にしようか迷ったところ、7点にとどめた。 ただまあ、こんなほどほどの長さで、秀作・優秀作を続発していた当時の作者はやっぱ只者ではなかったのだなと思うし、この一冊が当時の相応にハイレベルな西村作品群の中のワンノブゼムでしかないのも、逆説的にスゴイところでもある。 この時期の西村作品は、タイミングを見ながら時たま読むのがとても楽しみだ。 |
No.650 | 7点 | よそ者たちの荒野 ビル・プロンジーニ |
(2019/09/17 17:55登録) (ネタバレなし) カリフォルニア州北部にある人口がわずか一万で、さらに過疎化が進む田舎町のポモ。そこはネイティヴ・インディアンほか人種間の偏見がまだ残る土地でもあった。そんな町にある日、旧式のポルシェに乗った醜男の巨漢ジョン・C・フェイスが現れる。威圧的な雰囲気のフェイスに町の住民は警戒の目を向けるが、一部の人間は彼の知性的で細やかな言動に気がついた。夫を亡くして町の多くの男性と関係を結ぶ心寂しい美人の未亡人ストーム・キャリーは、そんなフェイスを家に誘うが。 1997年のアメリカ作品。名無しのオプシリーズの作者プロンジーニが著したやや長めのノンシリーズ作品で、質の方もそれに見合った腹応えがある。 物語のキーパーソンで実質的な主役はくだんのジョン・フェイスなのだが、小説の手法としてただの一度も彼自身の内面描写は無く、大きく分けて本文は一日単位で、5つのパートに分割。その本文の全部を、町の住人数十人による、交代する一人称の視点で叙述。語り手の内面を読者に覗かせると同時に、ジョン・フェイスの人物像もその叙述の積み重ねの中から浮かび上がっていく。 実験小説的で面白い構成(既存のものになにか似たようなものはあるかもしれないが)だが、実はここに(中略)。かなりの大技が用意されていて、語り口のトリッキィさに埋め込まれてそれが気がつかないようになっている。ジョー・ゴアズのあの作品みたいだ(これくらいの言い方ならネタバレ警戒としてよいだろうと判断します)。 そもそも流れ者を迎えて化学変化を起こす地方の町、というのは西部劇ジャンルなどにも連なる王道パターンだろうが、実際に本作もアメリカがいかに近代化して表面上は希薄化? しても根底から解決されることのない人種問題、貧富による格差、州や国単位の開発が進んだなかで見捨てられる地域の町……などの「よく見る」社会派テーマが山盛りで、それがストーリーの流れやキャラクター描写に溶け込み、小説のうま味になっている。プロンジーニって、やればまともなもの普通に書けるんだね。見直した。 ちなみに本書は1998年のMWA最優秀長編賞候補。受賞はジェイムズ・リー・バーク の『シマロン・ローズ』なる作品に持ってかれたそうだけど、個人的には充分に力作と評価したい。 まあプロンジーニにMWA最優秀長編賞の本賞なんて、どうにも似合わない感じもしますし。 |
No.649 | 6点 | 死との抱擁 バーバラ・ヴァイン |
(2019/09/15 20:53登録) (ネタバレなし) 1980年台の英国。「わたし」こと弁護士の妻フェイス・セヴァーンは、ノンフィクション作家ダニエル・スチュアートの要請に応じて彼が送ってきた資料と草稿に目を通し、在りし日の自分と周囲の人々の記憶に思いを馳せる。スチュアートが完成させようと構想している物語。それは、先に死刑囚として断罪されたフェイスの叔母ヴェラ・ビリヤードを主軸とする関係者たちの物語であった。 1986年の英国作品。本書はレンデルがバーバラ・ヴァイン名義で刊行した長編の第一作目で、さらにジェイムズ、ゴアズ、フリーマントル、R・L・サイモンなどの錚々たる面々の諸作と争って同年度のMWA長編賞を獲得したという、なかなか鳴り物入りの一冊。 日本ではくだんのヴァイン名義をふくめて邦訳が40冊以上出ているレンデルだが、評者は現状で一番最後に刊行された『街への鍵』(2015年のポケミス)まで数えても、そんなに読んでいない。まだ10冊足らずだと思う。 今回は三日前に近所のブックオフに、かなり状態の良い本書が108円で出たので、久々にレンデルもいいかなと思って購入。早速、読み始めてみた。 しかしこれはなかなかシンドイというか。よく言えば、歯ごたえがあるのは確かなのだが、素直なエンターテインメント成分なんか絶対に提供してくれない、黒い方のレンデルらしさ(と現時点で評者が思っている感覚)を十二分に味わった。 物語の冒頭で実質的な主人公というよりはキーパーソンの叔母ヴェラが何らかの重罪(まちがいなく謀殺であろう)を犯してすでに処刑された事実が提示されるので、物語の構造は「じゃあ、その犯罪とは一体どういうものなんだ」という興味の訴求に向かうわけだが、しかし、さすがは? レンデル、ここで焦らす焦らす。 大昔に体感した『ロウフィールド』のあの触感も、おそらくこんな味わいだったんだろうな、と思う。 フェイスの実家ロングリィ家には腹違いの関係をふくめてヴェラの四人の兄姉妹がおり(その中の長男ジョンの娘が語り手のフェイス)、その四人それぞれの家族や恋人、結婚相手などが広義のロングリィ一族となっておよそ二十年以上にわたる物語を紡いでいくが、この挿話の積み重ねがとにかくヘビーである。 いや、レンデルの小説作りそのものは決してヘタじゃない訳だし、この作者(の黒いサイドの時)らしいビターな人間観も随所で良い刺激となってどんどんページをめくらせるから退屈はしないのだが、一方で読み手の目線的には「いったいヴェラは何を為したのか」という大きなニンジンを最後まで鼻の向こうにぶら下げられたままなので、イライラと焦燥が蓄積。一読するのにすごくカロリーを使った。まあこの感覚こそが黒い時のレンデルの真骨頂なんだろうけど!? そう考えればクライマックスに明かされる事実が意外に(中略)なのも当初からのこの作品の狙いどころなのではあろうな。大山鳴動してなんとかとか決して言ってはいけない、勝負所はそこではない、作品だと思う。 (ただし21世紀の文明国の法務の観点で言うとこの犯罪、実刑は仕方ないし、厳罰はやむなしとも思うが、そこまで……(後略)。) MWA賞本賞の受賞については、納得できるような、なんかストンと呑み込めないザワザワ感が残るような……。Webのどっかで見かけたような気もするが「受賞のポイントが第二次大戦前後の銃後の英国市民の生活をリアルに描いてある」とか何とかいうのが評価のポイントなのだったら、それなら理解はできる。 まあミステリマニア的には、この時期のMWA賞受賞作の傾向を探るようなそんな意味で読んでみるのもアリだとは思う。 それで何が得られるかは、わからないけれど(汗)。 |
No.648 | 6点 | 血の色の花々の伝説 日下圭介 |
(2019/09/14 13:40登録) (ネタバレなし) 父親の会社が倒産して学費が払えず、退学の危機に瀕する大学生・泰道邦彦。さらに恋人・水木梨恵子に捨てられた彼は12歳年上のソープ嬢・藪原しづえと肉体関係を持ち、彼女の貯金に助けられた。だが梨恵子が復縁を願い出た事から邦彦はしづえに別れ話を求めるが、諍いの果てに彼女に怪我を負わせてしまう。現場から逃走した邦彦だが、その後しづえのアパートがガス爆発。しづえを含めて7人の死者が出るが、そのしづえは邦彦の退去後に何者かに刺殺されていた。一方でガス爆発が自分の過失に起因すると自覚した邦彦は、その日、現場で出会った少女・折原陽子の事を気にかける。やがて、しづえの殺人事件は未解決、邦彦の罪科も明かされる事もないまま歳月が過ぎていくが、およそ10年の時を経た現在、再び、関係者を囲む事態は劇的に動き出す。 日下圭介の長編第五作目。 日下作品の初期諸作は、アイリッシュ(ウールリッチ)のノワール系を醤油味にした感じでその辺がなんとなく好きだった。久々に読んでみたくなったので確かこれは未読? と思って講談社文庫版を手に取ったが、読み進めている内にさる印象的な叙述(というかダイアローグ)からすでに講談社ノベルズ版で大昔に既読と気づく(汗・笑)。 それでもプロットも犯人もトリックもほとんど忘れていたので、初読のように最後まで付き合えた(さらに途中、別の作家の作品の描写だと思っていたあるシーンが、実はこの長編のものだったと気づく事もあった)。 本文は全部で12の章に別れ、序盤の二章が起点の過去編。グラデーション的な第三章を経て本筋といえる約10年後の現代編に移行する。主要キャラは過去の罪科の発覚をおそれる邦彦、その妻となった梨恵子、邦彦を事件の日に目撃し、今は成長した陽子、さらにガス爆発に巻き込まれて家族を奪われた中年実業家・木暮清次、その清次に当時救われたのちに大学生となる少年・南原茂樹……この5人がそれぞれ主人公的なポジションに就く。 今回手にした文庫版でも460ページ以上というボリュームで、名前のある登場人物だけで40人前後に至るかなり長めの一編。 ミステリ的には中盤、主要人物の何人かが「彼が」「彼女が」犯人では? と疑惑を傾けあう(あるいは罪をなすりつけようとする?)辺りになかなかの読みごたえがあり、一方で各主要キャラの内面描写もアンフェアにならない程度に踏み込んでいるので、その辺もテンションは高い。 序盤の殺人の真相の明かされ方、そしてその真実そのものに曲がなかったり、最後の決め手となるアリバイトリックがやや強引な感じがするのはナンだが、全体としてはそれなりに楽しめる力作ではあろう。 (しかし、こんなに登場人物が多くって、場面転換も多い、入り組んだ話、ウン十年前に読んだ記憶から忘却していても仕方がないよな~汗~。) ちなみにタイトルの「血の色の花々」の表意は、細分化すれば全国に数百種類もあるというサクラソウの事で、物語の序盤から色々な形で劇中に登場。10年余のドラマを繋ぐキー的なビジュアルイメージになっている。 |
No.647 | 5点 | クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない 越尾圭 |
(2019/09/13 15:13登録) (ネタバレなし) 都内で祖父の代から獣医を営む30歳の遠野太一は、その夜、幼なじみのペットショップ経営者・小塚恭平からの着信で眠りを妨げられた。電話の雰囲気にただならぬものを感じた遠野は小塚のマンションに向かうが、そこで彼が見たのはワシントン条約で国際取引が禁止されている毒蛇ラッセルクサリヘビに襲われて絶命しかける親友の姿だった。遠野はやはり幼なじみで小塚の2歳下の妹、今は税関職員として動物の密輸事件にも携わる利香とともに、小塚の変死の謎を追うが。 第17回「このミステリーがすごい!大賞」の「隠し玉」(受賞には至らなかったが、編集部の推奨を受けて推敲ののちに刊行される作品)。 ワシントン条約違反、その延長にある動物虐待事件などを主題にした社会派スリラーで、下馬評(大賞選考時の講評や、Amazonなどでの刊行後のレビューなど)のとおり、400頁以上のやや厚めの物語をひと息に読ませるリーダビリティの高さには、新人離れした筆力を感じる。 ペットショップで売れ残り、殺処分される動物の現実など、評者のような愛玩動物好きには読むのも辛い話題にも最低限触れ、ペットとの交流は心地よい事ばっかじゃないよと受け手全般に釘を刺す姿勢はまっとうではあろう。 (一方で、飽きた動物を身勝手に捨てる、よくいそうなタイプの飼い主の無責任ぶりには、ほとんど触れられない。その辺は、あまり説教の成分が多くなると読者が鼻白むからか?) それでミステリとしては良くも悪くも昭和のB級長編っぽい大味感があって、そこがお茶目で愛せるような、21世紀の作品でコレかよ、と言いたくなるような。 とりあえず警察がかなり本格的に動き出した中、主人公を含む関係者を奇襲して事件に深入りするなという犯人側の行動もいささかアレだが、一回だけならともかく二回も毒蛇による面倒な殺人を行う犯罪者側の心理がなー。 最後の真相暴きの段階で、この件に関するホワイダニットへの相応の回答があるのだと期待していたら、あまりにもスカタンでフツーでがっかりしました。 犯罪の実態にもうひとつ奥があることはまあサプライズで良かった。 あと、もうけ役ポジションキャラの運用に関しては、良い意味で赤川次郎的な読者サービス感を認めて、その辺は結構、キライではない。 全体的になつかしい感じの、昭和40年代作品風の一冊。 この作者の次作は、面白そうな趣向だったら、また読むかもしれない。 |
No.646 | 9点 | レイディ トマス・トライオン |
(2019/09/13 10:41登録) (ネタバレなし) 1930年代の初め。アメリカのニューイングランド。そこで未亡人の母と5人の兄妹、弟とともに暮らす「ぼく」こと、ウッドハウス家の三男フレドリック(フレッド)。8歳の彼は近所に暮らす、40代初めの美しい未亡人「レイディ」ことアデレイド・ハーレイと知り合いになる。実家はドイツ系の移民で、名門で莫大な財産を持つハーレイ家に嫁いだアデレイドは、先に傷痍兵として帰還した夫エドワードに先立たれ、今は西インド諸島出身で高い知性の黒人の家令ジェス(ジェシー)・グリフィンと、その妻でユーモアを解する陽気な女中エルシーと三人で暮らしていた。階級意識を持たずに町の人誰とも明るく付き合い、しかし動物への無益な虐待などには毅然と怒りを見せるレイディ。そんな彼女とフレッドは、年齢の差を超えた深い友情を抱き合う。だがそんなレイディを時たま見舞う昏い影。それは謎の赤毛の男「オット氏」の訪問に関係するようであった。 1974年のアメリカ作品。『史上最大の作戦』ほか多くの名画に出演した実力派俳優で、1971年から小説家に転向した作者トライオンの作品は日本では4冊の長編が紹介され、21世紀の現在ではそのうちのホラー系の二冊『悪を呼ぶ少年』と『悪魔の収穫祭』のみが特化して高名。評者は大昔に『収穫祭』を読んで以来、数十年振りに思いついてこの作者の未読の一冊を手に取るが、期待と予想を遙かに超えて実に良かった。 一言で言えば青春時代に初めてフィニイの『愛の手紙』を読んだ際の切なさと心の完全燃焼感を、キングの『11/22/63』に近いボリューム感で授けてもらったような、そんな感興である。 物語は全編が語り役で主人公の一方「ぼく」ことフレッドの視点から綴られ、時局は30年代の初頭から第二次世界大戦の終結、さらにその先のエピローグまで進んでいく。スト-リーは基本的には、もうひとりの主人公で本作のタイトルロールであるメインヒロイン「レイディ」の挙動を軸としたエピソードを延々と連ねていく形質で語られるが、少年主人公の視界に入るレイディ自身、そして彼女の「家族」や周囲の人々、さらにはフレッド自身の家族や友人たちをも含む作中の日常世界を紡ぎ出すその筆致は、瑞々しいほどのリリシズムとふんだんなユーモア(そして適度な苦さ)に満ちて読む側を飽きさせない。 それでも前半までは、ひとつひとつのレイディからみの挿話に感情を揺さぶられながらも物語の大筋が見えてこない事に若干のじれったさを感じない事もないが、謎の人物オット氏の出現を経て、さらに中盤でのある展開に触れた以降は、もう怒濤の勢いで読み手を引きつける。二段組みのハードカバー、この時期のハヤカワノベルズ版の小さめの級数で350頁の分量は決して軽くはないが、それでも実質一日でいっきに読み終えてしまった。 若さと成熟、成長と老い、生きることの矜持と他人に覗かせたくない心の本音、さまざまなものを対照させながら第二次大戦の終息と時期を呼応させたクライマックスに向かってゆく物語の作りはあまりにも堅牢で、そこまで行けば、物語の前半、ほんとうにほんとうにわずかな倦怠感ばかりを覚えたあのレイディとともに過ごしたごく平穏な日常の日々にどれだけ多大な価値があったのかと改めて振り返らせられる。すべてが時間の流れのなかに過ぎていき、それでも主人公フレッドのそして読み手の心の中に何かが残るこの余韻と充実感。これこそが、小説を読む幸福だ。 なお本作のミステリ要素は決して文芸性優先でおろそかにされている訳ではなく、的確にポイントを抑える感じで小説としての結構に見事に融合している。そんな創作上の技巧の鮮やかさもまた、この作品の完成度と充実感をさらに押し進めている。 死ぬまでにこのレベルの本が20冊読めれば、まちがいなく自分の人生は相応に充実したものになるだろうという、そんな思いさえある優秀作~傑作。 |
No.645 | 6点 | 猫河原家の人びと 一家全員、名探偵 青柳碧人 |
(2019/09/11 02:30登録) (ネタバレなし) 「あたし」こと猫河原家の次女・友紀は、進学したばかりの女子大生。自宅暮らしの友紀は、早く家を出て一人暮らしがしたかった。なぜなら現職刑事の父、通いの家政婦として他人の家庭の秘密を窺う母、アマチュア民俗学者にして探偵小説の新人賞を狙い続ける万年作家志望の長兄、そして紅茶専門店で働きながら「日常の謎」を追う姉、と、家族が揃いも揃って変人クラスの「探偵」たちばかりだからだ。まともなのは理系に強い勤め人の次兄くらい。今日も我が家では、銘々が持ち寄った事件の謎をもとに「捜査会議」が開催され、名探偵らしい推理を披露しないとご飯ももらえない。こんな日々がイヤでイヤでたまらない友紀だが、事件と家族の絆は向こうの方から追い掛けてきて。 シリーズ作品を複数抱える作者が開始した、新路線の連作パズラー集の第一弾(初出は雑誌「yom yom」に連載)。本は文庫オリジナルで発売。 一冊目の連作短編集には全5本のエピソードが収録されていて、最後の二本はひとつの事件を分割して綴る前後編なので、猫河原家の向き合う4つのミステリということになる(さらに各話のメインストーリーの合間合間に、作中で一家が接した事件の話題が、何回か断片的に語られる)。 なお「探偵家族」の設定では他にもM・Z・リューインなどにも該当のものがあるようだが、すみませんが評者はそっちはまだ未読。 まあ本作を読む限り、家族の各自が事件にそれぞれの探偵スタイルで別の角度からアプローチして軽妙な多重推理を連ねていくという、そんなシチュエーションの狙い所も明確で、たぶんこの作品独自のオリジナリティは獲得してるんじゃないかと思う? その上で、いちばん推理の実働に積極的でない主人公の友紀が最終的に名探偵になってしまうというのも『黒後家蜘蛛の会(『ブラックウィドワーズクラブ』)』のヘンリーみたいなお約束シフト(それっぽくない真打ちポジション)ながら、安定した面白さに繋がっている。 ミステリとしての本書は、第1話の奇妙な殺人現場の状況の謎、第2話の準密室的な殺人の謎がそれぞれ良い感じでウォームアップしてくれて、第3話のかなり練り込まれたプロットとキャラクター配置が特に面白い。 (第4・5話も悪くはないが、これは事件の大筋は、比較的早く見当がつくだろう。) 一冊のキャラクターもののミステリ+連作パズラー短編集としてはなかなかのレベル。「日常の謎」担当の長女かおりのメイン編などがまだ登場してないが、その辺は今後のシリーズの伸びしろとして期待できるだろう。飽きが来ない限りに、良い意味でまったりと続いて欲しい路線になりそうである。 |
No.644 | 5点 | 赤い氷河 笹沢左保 |
(2019/09/09 22:39登録) (ネタバレなし) 昭和30年代。ある年の2月。東京地検の34歳の検事・江藤昌作は、かつて思いを寄せたひとつ年上の女性、瑤子と15年ぶりに、地検の近所の喫茶店で偶然に再会する。瑤子は戦争中に17歳の若さで5つ年上の学生・根岸に嫁いだが、今は6年前に夫を失い、忘れ形見である16歳の美少年・竜一と二人暮らしだった。だがそんな瑤子に再婚の話があるという。相手は数億円の資産を持つがすごい吝嗇家で、先に6人もの妻と死別もしくは離縁した経歴のある、58歳の事業家、伊集院鉄次だった。言い知れぬ不安を感じる江藤を他所に伊集院家に入籍する瑤子だが、結婚前のまともそうな紳士の仮面を脱ぎ捨てた鉄次は新妻に折檻を加え、さらに竜一とは親子の縁組みもせずに、朝から晩まで下僕のようにこき使った。我慢に我慢を重ねたのち、ついに鉄次の殺害を企てる竜一。やがてある日、伊集院家で……。 1963年2月に文芸春秋新社から刊行された書下ろし長編。本文を読むと登場人物の説明が重複していたりする箇所があるから、連載作品かと思った。 憎まれ役である鉄次の、いかにも昭和のケチでイヤなオヤジといった描写が強烈で、小説の前半は本作の主人公の一方である竜一がこいつにいじめられる苦労話。笹沢左保、花登筺の世界にチャレンジか、という趣である。 (なお本作は、前半序盤のプロローグ部分のみ、江藤が一人称で担当。ほかはすべて三人称という変則的な形式。) 二部構成の本文の後半冒頭で事件が起きてからは、叙述の視点がまた江藤に戻り(ただし三人称)そのまま犯罪の真相に挑む流れとなる。 正直、謎解きミステリとしてはナンという事もない一作(犯人が何を狙ってるのか気づかない読者は、元版の刊行当時も21世紀の今も、まずいないだろうし)。 でも一度読み始めたら最後まで一気に読ませてしまうリーダビリティの高さと、瑤子に託された笹沢作品の多くに通底するメインヒロインの妖しい濃さ、それに竜一をメインにした青春クライムストーリー的な一面などは、まあそれぞれがこの作品の存在意義となっているかも。 しかし一番この作品で印象的だったのは、本作の題名が表意するもの。一体何がこの話で「赤い氷河」なんだろうかと思いながら最後まで読むと、確実にラストでズッコけて(死語)大笑いするだろう。いささか強引すぎませんか(笑)。 |
No.643 | 6点 | バハマ・クライシス デズモンド・バグリイ |
(2019/09/09 17:19登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと、バハマ諸島で財を為した白人たちの血筋で、本人は複数のリゾートホテルやレンタカー会社を経営する42歳のバハマ人の実業家トム・マンガン。そんな彼のもとに、ハーヴァード・ビジネス・スクール時代の旧友でテキサスの大財閥カニンガム一族の息子ビリーが来訪。大規模な事業の提携の話題を切り出す。好条件で話をまとめたマンガンだが、そんな時に思いがけない悲劇が見舞い、彼は心に大きなダメージを負った。やがて傷心の状態から一応の回復が叶ったマンガンだが、バハマ諸島の周辺には大小の不穏な事態が続発。そんな中でマンガンは、過日の悲劇に関わるらしい人物がふたたびこの近辺に現れた事を知った。 1981年の英国作品。刊行された順番としては、バグリイの13番目の長編。 初期からは傑作、秀作を続発していたバグリイが、後年はだんだんとダメになっていったというのは現在ではほぼ定説のようで、評者も大枠としてはそれに同意(長編はまだあと3冊だけ、読んでない後期の作品があるけど)。 私見で言えば1971年の『マッキントッシュの男』あたりまでが好調な時代。1973年の『タイトロープ・マン』あたりからおかしくなっている気がする。 (『スノー・タイガー』なんか、たぶん一番、自分的にはダメだった。『サハラの翼』などは読んでいるハズだが、まったく記憶に残っていないし。) バグリイの後期作品がおおむねダメなのは、好調な時代に正統派冒険小説としての直球を使いきってしまい、のちのちに先行作と差別化のために趣向優先のストーリーに比重が傾き、その結果いびつなものが多くなってしまった、そんな事が原因の一つのように思える。 それでもまあ、腐ってもナンとかでしょと、残っているバグリイの未読の作品を今回、久々に一冊手にとったが、……うん、これはまあまあ、かな。 現状で文庫版の方にひとつだけついているAmazonのレビューなどでは、ものの見事にケチョンケチョン(笑)だが、当時の作者バグリイの書く側の心情を、こっちが勝手に仮想するなら、大金持ちの主人公という、あんまり冒険小説には見られない(全く例が無いわけではないが)珍奇な設定でとにもかくにも勝負してみたかった気概が覗えるし。 (なお、もともと実業家の主人公マンガンが、さらに格上の大財閥カニンガム一族のなかに食い込んでいくステップアップドラマなど、たぶん執筆の背景にはシェルドン(シェルダン)の『華麗なる血統』の影響あたりがあったんじゃないかとも思う。) 金持ちが、復讐に反撃に、さらに窮地からの脱出のためにと、財産と人脈を惜しげ無く使いまくり、それでもその万能感が通用しないいくつかの局面でジタバタするのも、これはこれで冒険スリラーの正しい文法には叶ってはいる。 後半、かなり重大な窮地からの逆転図も安易といえば安易かもしれんけど、そこで(中略)にちょっとひねったキャラクター設定を与えてフツーじゃないなんとなく凝った食感にしているあたりもウマイとは思う。 まあ主人公マンガンが一番最初の悲劇をもうちょっとあとあとまでメンタル的に重く受け止めていてほしいのは、読んでいての不満ではありますが。 後期の中では『敵』と同じくらいには、ストーリテリングのツイスト、細かい山場の盛り込み具合で、それなりに読ませる方ではないでしょうか。 (ちなみに私『敵』の方は、面白い、よく出来てるとは認めながら、愛せない作品です。まあ読んでいる人で、共感してくれる方はそれなりにいると思う。) なお本作『バハマ・クライシス』の事件の真相というか、悪役側の狙いの実態は、やや拍子抜け。 本当はバグリイ自身ももっとあっと読者を驚かせるものを用意したいと思いながら結局のところ最後の最後で力が尽きて、ごくフツーな説明で済ませてしまった感じもしなくもない。 個人的にはなかなか面白かったけど、あれこれ引っかかる部分で厳しい評価をする人がいても、それはそれで仕方がないかなという、そんな一冊。 |
No.642 | 7点 | 失踪者 ヒラリー・ウォー |
(2019/09/08 02:22登録) (ネタバレなし) アメリカのコネティカット州。晩夏のある朝、ストックフォードの町にある遊泳場リトル・ボヘミアの周辺で、絞殺された若い美しい女性の死体が見つかる。ストックフォード警察署のフレッド・C・フェローズ署長は、側近のシドニー(シド)・C・ウィルクス部長刑事以下の署員とともに捜査に乗り出した。まもなく近所の写真屋でたまたまポートレートが撮影されていた事から、被害者の名前は、近所の旅館に寄宿するエリザベス(ベティ)・ムーアと判明。さらに旅館の女主人の証言から、エリザベスの夫ヘンリーが三か月前に交通事故で死亡し、彼女はその亡き夫の友人に言い寄られていたらしいという情報が入ってくる。しかしフェローズたちが調べても、最近ヘンリーという夫を失ったエリザベス・ムーアという女性の実在も、ヘンリー・ムーアという交通事故死亡者の記録も確認できなかった。一方で、事件当夜の海水浴場にいた者たちの中から気になる証言がもたらされてくる。 1964年のアメリカ作品。全11冊の長編が書かれたフェローズものの8本目の作品。今回の謎はシリーズ第1作『ながい眠り』を想起させる、被害者は(本当は)誰なのか? さらに彼女が生前に話題にした「夫」は本当に実在するのか? という興味。 例によって実にゆったりした丁寧な叙述で捜査が進み、しかしあるポイントにフェローズが着目してからは、物語に弾みがついて強烈な加速感でクライマックスをめざしていく。じれったさの果てに実感する、長いトンネルを抜けるような快感。これこそ正にウォー作品の魅力。 なお、ここではあまり詳しく書けないが、本作では主要登場人物の関係性というか一方が一方に傾ける感情が重要なドラマ上のファクターになっており、その構図が貫徹されることにものすごいカタルシスを感じる作劇になっている。ある種の情念が勝利を納める物語でもあり、その意味でも実に手ごたえのある一作だ。 反面、細部の描写などには、シリーズを重ねた作品ならではの余裕も感じた。特にフェローズが聞き込み捜査に赴いて、その家のむずかる赤ん坊に悩まされながらも仕事を完遂する場面など、50~60年代のアメリカテレビドラマ風のコメディチックな叙述ですごくゆかしい。 終盤の犯人が露見する際の意外性の演出も、その直後の事件に関わりあってしまった人々の情感ある描写も印象的。 ラストは、50年代のあの〇WA賞受賞作品を思わせる(シナリオの流れは違うのだが、(中略)という共通項ですごいシンクロニティを感じた)。 事件そのものは地味目なんだけど、全体としてはフェローズシリーズの中でも悪くない方じゃないかな。 創元なんかは今年の『生(ま)れながらの犠牲者』の新訳(改訳)もいいけれど(個人的には同作をけっこう評価している)、しかしそれよりは、まだ日本語になってないフェローズもの5冊の発掘紹介の方を優先してほしい。 残りの全作が秀作かどうかは知らないけれど、少なくともこのシリーズで5作も未訳があるんなら、そのうちの2~3冊以上には十分以上に期待できるよね? |
No.641 | 4点 | 時喰監獄 沢村浩輔 |
(2019/09/06 22:00登録) (ネタバレなし) 明治維新から20年余の歳月を経た時代。北海道の原生林の中にある、極寒の大気と野棲の狼の群れに囲まれた陸の孤島、それが「黒氷室」こと第六十二番監獄だった。重罪人ばかりを収容した同施設からその冬、一人の囚人・赤柿雷太が脱獄する。だが彼は追撃の銃弾を受けて重傷を負いながら、大事もなく蘇生? した。一方、逃走中の赤柿を救ったのは謎の青年。逃亡補助を問われた彼は黒氷室に拘留されるが、その青年の記憶の一切は失われていた。怪事が続く黒氷室は、さらにまた新たな囚人たちを迎えようとしていた。 評者は沢村作品はまだ二冊目。先行する2015年の長編『北半球の南十字星(文庫版で『海賊島の殺人』に改題)』しか読んでないが、これが海賊海洋冒険小説+クローズドサークルの不可能犯罪ものというハイブリッドな組み合わせで、エラく面白かった。ネタのコンビネーションこそ違うが、大好きなニーヴン&パーネルのハイブリッドミステリ(ミステリ+SF+体感ゲームパーク)の『ドリーム・パーク』に匹敵する快作がついに国内に登場した! と快哉を上げたほどだ(笑)。実を言うと北半球の南十字星』は2015年度の国内新刊ミステリ(ちゃんと100冊以上読んだぞ)の五本の指に入るくらいスキである。 まあ一般的に評価されている沢村作品は処女短編集の方みたいだし、そっちはいつか読めばいいや、それよりまた変化球設定の新作長編ミステリが出ないかな、と思っていたら今年になってコレが刊行。それでいそいそと手に取り、明治時代の北海道の監獄(山田風太郎の『地の果ての獄』か!?)を舞台にしたタイムトラベルのSF要素をはらんだ謎解きミステリ? すごくオモシロそうじゃん、と期待した。 そしたら、まあ……う~ん。ちょっと、いやかなり今回は当てが外れたか(汗・涙)。 謎解きの要素は皆無ではないんだけど、どちらかというと今回は予想以上にミステリというよりSF寄りだし。まあそれはそれでいいんだけど、全体的に話の狙いが散漫。あえてミステリの文法に整理するならホワットダニット、フーダニット、ホワイダニットに類する読み手の興味を刺激しそうなものが散りばめてはあるんだけど、それがどれも焦点を結んだ求心力にならない。キャラも多様だけど、この物語にここまでややこしい配置や設定が必要かと疑問を覚える一方、主要人物が一体どのような罪状のもとにこの監獄に送られてきたのかという、かなり重要なはずの文芸設定が触れられていない。 概してバランスが悪い作品で、誠にもって勝手な想像で恐縮ながら、これは作者が物語を紡いでいくうちに、編集者やら周囲の人やらがこの設定とギミックならあーだこーだと好き勝手な意見を言い、その結果、まとまりを欠いたものが出来てしまった感じ。 (いや、実際のメイキング事情はもちろん全く知りませんが、いかにもそんな感じに思えるような一作という意味合いで、受け取ってもらえれば幸いです。) Twitterを覗くとけっこう評判もいいみたいなので、こっちの読み方がよくないか、はたまた単純に相性が悪いとかもあるかもしれませんが。 また次回の面白そうな趣向の作品に期待します。 |
No.640 | 7点 | コロサス D・F・ジョーンズ |
(2019/09/06 14:32登録) (ネタバレなし) 北アメリカ合衆国がロッキー山脈の内部をくりぬいて建造したスーパー・コンピューターの「コロサス」。12年の歳月と3000人以上の技術者を動員して生み出されたそれは、西側社会の平和と世界の均衡を守るための、ヒューマンエラーを完全に排した、独立自律思考型の恒久的な防衛システムだった。だが起動したコロサスは、ソ連側にも同様の防衛システム「ガーディアン」があることを知覚。コロサス計画のリーダーである科学者チャールズ・フォービン博士を介して大統領に半ば強制的な要請を出し、もうひとつの巨人頭脳とのコンタクトを図る。やがてガーディアンと一体化し、人間の現代文明の百年以上先のインテリジェンスにまで瞬く間にたどり着いたたコロサスは、アメリカとソ連の国防システム=広域を狙える核ミサイルを利用して全人類を支配し始める。 英国の1966年作品。Amazonには現時点で翻訳書の登録データがないが、ハヤカワのSFシリーズ(ポケミス仕様の銀背)から1969年5月31日に刊行。本文は解説込みで約270頁。定価は350円。 アメリカの職人監督ジョセフ・サージェントによる映画作品『地球爆破作戦』(Colossus: The Forbin Project・1970年)の原作でもある。くだんの映画は公開から少し後にミステリマガジン誌上で石上三登志が「本当に優れた作品」(なのに大して世間から注目されないうちに、場末の二番館に追いやられた映画!)として激賞。 さらに何年かのちにHMMのバックナンバーでその記事を読んだ自分(評者)は東京12チャンネル(今のテレビ東京)のお昼の洋画劇場か何かで初めて視聴してショックを受けた。同じように、何回か繰り返されたらしいテレビ放映で本作に惹かれた世代人のSFファンは少なくないようで、今ではカルト的な名作映画として、ある程度の評価が確立しているようである。 そういえばあの映画、ちゃんと原作あるんだよな……と先日なんとなく思い、このたび、まったくの思いつきで本を取り寄せて読んでみた。 半世紀も前の新古典だし、人類が科学文明のいびつな先鋭化を進めた果てに自分たち自身を支配する神を作ってしまうという主題そのものはもう珍しくもないが、当時の現実の少し先の地続きの世界がじわじわと<恒久の平和>という形の絶望に向かって進んでいく緊張感には、時代を超えた普遍的にして妖しい蠱惑感がある。 大筋は映画と同じだが、一方で映画が原作の要所を抑えながら、ビジュアルの効果を考えた面白い潤色をあれこれしていたのも実感した。かたや小説ならではの細部の展開や叙述も散見し、これは双方をともに楽しむ事ができる好ましいサンプル。 なお小説の終盤には映画にはなかった、コロサスの提示するさらに奥へと向かっていく(中略)のビジョンがあり、原作を読むならそこがキモのひとつ。ロボットテーマSFのひとつの変奏ともいえる一編だろうが、新古典作品としていま読んでも面白い。 ところでコロサス+ガーディアンのこの設定は、ゲーム「スーパーロボット大戦」シリーズのオリジナルの敵に設定して、並行世界からやってきたおなじみのヒーローロボットたちに粉砕させたら、スカッとするだろうなあ。 |