大時計 |
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作家 | ケネス・フィアリング |
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出版日 | 1954年04月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | 人並由真 | |
(2020/01/03 11:45登録) (ネタバレなし~少なくとも後半の顛末は) 大手出版社「ジャノス社」で犯罪実話雑誌の編集長を務めるジョージ・ストラウド。彼は愛する妻子がある身ながら、なりゆきから、自分の会社の社長アール・ジャノスの美しい愛人ポーリン・ディーロスとW不倫関係になる。密通を続けるストラウドだが、その夜、彼が帰った直後、愛人に別の男の影があることに気付いたジャノスがポーリンを詰問。口論の果てにジャノスはポーリンを殺してしまった。ジャノスから事実を打ち明けられた腹心の編集局長スティーヴ・へーゲンは、会社の存続のため犯行の隠蔽を示唆。当夜、その現場にいたらしいポーリンの愛人=謎の男をまずは探して何らかの口封じを考える。口実を設けて会社の人間を使い、マンパワーで謎の男を探そうと考えるへーゲン。だがその役目は、その<謎の男>の当人ストラウドに託されるのだった。一方でストラウドは犯行の夜、ジャノスを見かけたことから彼が真犯人だと確信。だが警察に通報することは自分の不倫関係を明らかにするため、二の足を踏んだ。ストラウドは、自分が率いる調査チームを誘導し、彼らの視点からジャノスの犯行が暴かれるようにとも考えるが……。 1946年のアメリカ作品。評者が本作の存在を最初に知ったのは、今からウン十年前の少年時代、中島河太郎の名著『推理小説の読み方』の中。そこで新時代のサスペンススリラーとしていかにも面白そうに、他の近代の名作と並べて書いてあった。それでそれから数年内にそこそこのお金を払って、絶版かつ当時は稀覯本のポケミスを古書で入手。だがなんとなく積ん読のうちに、例の新作映画版(ケビン・コスナー主演の『追いつめられて』)にあわせてミステリ文庫版が出てしまう。やがて、そっちで読んでもいいかと思って同文庫を古本で買ったが、いざとなるとあまりにイメージの違う映画ビジュアルの表紙に抵抗を感じ、今日まで放って置いた(同じ作者の『孤獨な娘』は3年半前に読んだ)。そういう面倒くさい流れである。 ちなみに翻訳はポケミスもミステリ文庫版も同じ長谷川修二の訳文だが、後者は1980年代の編集部の方で大幅に手を入れたらしく、ずいぶんと言葉づかいを改訂。ずっと読みやすくなっている。 今回の評者は当初、大昔に大枚はたいて買った、風情のある訳文のポケミスで読もうと思ったが、並べて紙面を見るとさすがにリーダビリティはミステリ文庫版の方が格段に良い。そういうわけで割り切って、ミステリ文庫版で読んだ。もちろん手製の紙のカバーをかけて(笑)。 それで内容の話だが、本作のミステリ的な眼目は言うまでも無く「ほかならぬ自分を探すように指示された主人公」であり、ほとんどこの着想ひとつで勝負の作品と言って良い。 個人的には、クリスティ再読さんが指摘している詩人ならではの文章の妙というのは、長谷川修二プラス新世代ハヤカワ編集者の訳文を介してはあまり感じなかったのだけれど(すみません)、くえない女流画家ルイーズ・パターソン相手の二度にわたるやりとりや、最後の物語的な決着など、物語上の印象的な場面状況の方の叙述の面白さは、十分に感じる。 総体的には、妙に背徳感の忍んだ文芸性を感じさせる都会派サスペンススリラーだろうし、そういう意味では最後までサスペンスフル、ハイテンションで楽しめる。 ただし「自分を見つける使命」という窮地にあってうろたえる主人公ストラウドだが、不倫の発覚と、殺人容疑者の冤罪を着せられるあるいは真犯人から口封じさせられる、という危険性を天秤にかけるなら、どうしたって後者の方が重いわけで。ミステリ文庫版の巻末で瀬戸川猛資が指摘した問題点も踏まえて、実は本作の大設定には相応に無理がありすぎる。 これはたぶん本作の趣向の着想が、(ポケミスの巻末で乱歩も話題にしている)あのサスペンスミステリの大名作の変奏から生じたためであって、そう考えるとそのアイデアの面白さに気を取られ(実際にストラウドの周囲に、彼の部下たちが集めた証人たちが集まってくるシーンのサスペンスなど絶妙である)、脇の甘さを固めなかった弱さがあるだろう。 【以下数行、ややネタバレ】 とはいえ、不倫の事実を妻子に知られないように貞淑さを装うべく躍起になっていたストラウドだが、実は奥さんの方は、旦那の以前の浮気事実を知っていた(夫なんかその程度の人間だと、もともと見ていた)という、主人公の行動原理を一瞬で無意味にするどんでんかえしなどはけっこうキツイ。 さりげないが、こういう残酷な皮肉こそ、作者が書きたかったポイントのひとつかもしれない。 【ネタバレ解除】 ……というわけで得点的に見れば7~8点、一方でいろいろもっとやりよう、作劇のしようはあったんじゃない? という減点を勘案して評点はこのくらいに。 ただまあ『孤獨な娘』とあわせて、作者フィアリングが、ちょっと変化球の気になる設定のミステリを書く作家ということは思い知った。実際のところミステリの著作はそんなに多くはないみたいだけど、乱歩の紹介記事の時代からちょっと海外でも話題になっていた未訳作「心の短剣」とか読んでみたい。こういうのも論創あたりで出ないかな。 |
No.2 | 7点 | クリスティ再読 | |
(2017/03/26 18:37登録) 本作、ちょっと読む人を選ぶタイプの小説だ。 評者のように、奇抜な状況と奇抜なキャラが妙に皮肉で喜劇的な状況になるのをヨロコぶタイプの読者だったら、本作はマンゾクな1冊になるはず。評者は女流画家と主人公のにらみ合いをニヤニヤしながら読んでたよ...でまあ、全体の構図とか本当に皮肉なもので、自分のプロジェクトをそれとなく失敗させるために奮闘する主人公、というのがいい。プロジェクトが絶対に失敗するような人選で困難に挑む、山田正紀の「アグニを盗め」はこれにヒントをえたのかな。狩の指揮官=狩の獲物(まあこれはミステリとしては普通の真相)なのを、本人視点で描いているのが斬新だ。けど皆指摘する設定の弱さがないわけじゃない...ここでノるタイプってつかこうへい的キャラかも。 ...でもね、本作は作者が詩人で、しかもひねくれた編集者の世界を描いているために、会話がひねりすぎだとか、描写が凝りすぎだとか、ここらを楽しめるだけの素養が要るようなタイプの小説だ。 ぼくたちは長い部屋を横切り、大いなる政治的動乱の脇を通り、神が明日は助けないであろう初期の移民の一群の間をまっすぐに分け、どうにもならなぬ激怒に顔だけは微笑しているがにわかに黙ってしまった男女の一組を注意深く避けた。 この手の文章がオッケーなら大丈夫(カクテルパーティの状況だよ)。 |
No.1 | 5点 | mini | |
(2013/06/17 09:55登録) * 4作連続私的読書テーマ、時計シリーズ第3弾は、ケネス・フィアリング「大時計」 おそらくこの「大時計」1作のみで知られるケネス・フィアリングだが、「大時計」はシモンズ選サンデータイムズ紙BEST99にも選ばれていて、映画化もされているらしい たしかにいかにもシモンズ好みな感じのサスペンス小説である 主人公は偶然に、所属会社の社長が後に殺人が起こる部屋に入るのを目撃してしまうのだが、それを公表出来ない個人的事情が有った ところが社長から内密に、愛人を殺した犯人を探してくれと相談を持ちかけられる もちろん捜すべきその対象人物とは自分自身である つまり主人公は自分で自分を捜査する羽目になったのだ、もちろん捜査対象の人物は犯人ではなく目撃者に過ぎない事は何より自分自身が承知している といった皮肉の効いた状況設定である、なかなか面白そうなのだが、よく考えるとこの基本設定には無理と言うか主人公がそれほど切迫する理由が無いというのが弱点だ もちろん警察には言えない事情が有るのは社長同様に主人公もそうなのだが でも調査依頼をしたのがいくら社長といっても殺人犯だと主人公は確信しており、主人公は単なる目撃者に過ぎない 適当に言い繕って捜査を断るか、今一所懸命捜査しておりますと言い訳だけして実際は何もせず誤魔化してしまえば済むわけで、深刻に悩む問題じゃないかも知れないのだ だから本来なら大したサスペンスは発生しない感じも有るのだよねえ |