人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.35点 | 書評数:2257件 |
No.937 | 8点 | 失踪当時の服装は ヒラリー・ウォー |
(2020/08/23 02:45登録) (ネタバレなし) 1950年3月3日のマサチュセッツ(マサチューセッツ)州。女子大「パーカー・カレッジ」の学生寮「ラムバート寄宿寮」から、18歳の美人学生マリリン・ロウエル・ミッチェルが姿を消す。外出届もなく深夜になっても帰宅しないため、学内で捜索が行われたのち、自宅と警察に通報される。地元ブリストル警察の警察署長フランク・W・フォードと、同署の巡査部長バートン(バート)・キャメロン以下、多数の捜査員がマリリンの行方を追うが、その去就は杳として知れなかった。マリリンの失踪が世間の耳目を集めるなか、彼女の父で高名な建築家であるカール・ベーミス・ミッチェルはフィラデルフィア在住の有名な私立探偵ジョン・モンローの応援を求めるが。 1952年のアメリカ作品。 言わずとしれた警察小説ミステリの歴史的な名作だが、評者はウォー作品といえば『ながい眠り』ほかのフレッド・C・フェローズ警察署長シリーズや、他の単発作品をこれまで先に読了。大物(本書)を読むのが、ずいぶんと後先になってしまった。 それでそれなりに腰を据えて読み始めたが、期待通りに面白い。地味な捜査の手順を克明に綴りながら、その積み重ねでこれだけグイグイ読ませるのはかなりの筆力だと改めてウォーの力量に感服した。 マリリンの死体があるのではと仮説立てて湖水を干す辺りのサスペンスも、夜中の女子寄宿寮に不審な侵入者が出現するところも、それぞれ物語の本筋に繋がっていくかどうかはリアルタイムの描写ではわからないが、その局面ひとつひとつを実にワクワクハラハラさせながら読ませる。 もちろん作中の全部のシークエンスが事件の捜査上の必要要素となることは結果的にも絶対にありえないのだが、下手な作家ならそういう、単にムダな描写になりかねないところを、それぞれ捜査陣と読者の関心を重ねた見せ場として楽しませる。 (前のレビューでクリスティ再読さんが言っているのは、そういうことだね。) 物語の終盤に向けて、容疑者が残り2人までに絞られていく辺りはやや強引な感じもあるし、のちのフェローズもののなかで随時披露されるような、パズラー分野に接近していくミステリ的な趣向などはあまりないが、正統派ストロングスタイルの警察捜査小説としての読み応えは非常に大きい。 もしかしたら邦訳されたウォーの諸作の中でも、その意味ではやはりこれがベストということになるのではないか? (まあその辺は、邦訳のあるもう一つの初期作『愚か者の祈り』を読んでから言った方がイイね。) キャラ描写もところどころ良いが、中でもやっぱり、たたき上げの警官である58歳のフランク署長と、大卒の中年刑事キャメロンの主人公コンビが最高。 特に前者フランクが「娘を案じる父親の気持ちもわからない冷徹な捜査官」と周囲から揶揄されながら、その実、自宅のなかで自分の16歳の娘マリーが健勝であることにほっとする描写なんかすごく良い。フランクの不器用な人間味がよく出ている。 しかし作者ウォーはなんでこのマサチューセッツ州の主人公コンビを一回きりで? 使い捨てにして、別の物語の場のフェローズ警察署長をレギュラーに据えてしまったんだろう? 正直、フランク署長とフェローズのキャラってそんなに大きな差異を感じないので、そのまま続投させても良かったと思うのだが。 もしかしたら1959年前後から版元とかが変わって、当時の新作『ながい眠り』から物語のロケーションを変えなければいけないとか、新たなレギュラー主人公を創造しなければならないとか、その手の執筆・契約上の事情だったかもしれん? いやまぁ、現状ではまったくの仮説ですが。 |
No.936 | 5点 | 寝室に鍵を ロイ・ウィンザー |
(2020/08/21 22:00登録) (ネタバレなし) 「僕」こと新婚の大学助教授スティーヴ・バーンズは、年上の友人である元大学教授の名探偵アイラ・コブに招待されて食事を楽しんでいた。そんなコブたちのもとに、知人である富豪の老婦人アディ・ヒルから呼び出しがある。彼女の用件は、年下の夫エリス・ヒルとそのエリスの友人ロビー・ピアソンの行動に不審があり、エリスの利益にならないように遺言書を書き換えたいというものだった。コブたちはアディの希望通りに遺言書の公証人となる。が、その遺言を預かった直後、何者かがスティーヴを襲って気絶させ、懐中の封筒を盗んだ。そしてヒル家では、殺人事件が発生して。 1976年のアメリカ作品。学者(&作家)探偵アイラ・コブシリーズの第三作目。 本シリーズを読むのは、大昔に手に取った第一作『死体が歩いた』以来二つ目(ということでシリーズ二作目の『息子殺し』は、まだ未読)。 ……つい最近、まったく似たような言い回しをしたような気がするが、まあいいや。特に狙ったつもりはない(笑)。 動きのある話と、殺人の凶器を重視した捜査の手順は決して悪くないのだが、それでもどうも話が全般的に地味……というのとも、ちょっと違うな。 序盤から展開される(中略)殺人の趣向とかなかなか結構だし、主要人物のひとりエリス(エリー)・ヒルなんかキャラクター造形がそれなり以上にしっかり書き込まれていると思う。ワトスン役のスティーヴの体を張った見せ場(一種のヌカミソサービス)もあるし……これでなんで、いまひとつ退屈というか、盛り上がらないんだろ? (ひとつ考えられることはあるが、それは後半の展開のネタバレ? になる可能性もあるので、とりあえずナイショにしておく。) 第一作目の内容も完全に忘れているし、そっちも特に面白かったという記憶もない。 この作家ウィンザーが21世紀に完全に? 世のミステリファンから忘れられているのは、仕方がないかもしれん。 とはいえwebを調べていたら、このシリーズ(邦訳の3本)「土曜ワイド劇場」で翻案されて愛川欣也主演で「考古学者シリーズ」と銘打って2時間ドラマ化され、そのシリーズの第四作目以降はオリジナル脚本で展開。最終的に、なんと第19作目(!)まで作られたらしい。大ヒットですな。 世の中、何があるかわからないもんだと、つくづく思うのであった。 |
No.935 | 6点 | 消えたタンカー 西村京太郎 |
(2020/08/21 13:26登録) (ネタバレなし) 少し前からそろそろ読みたいと思い、大昔に購入したはずのカッパ・ノベルス版を家の中から探していたが、見つからない。 それで一昨日、たまたま足を向けた大型の中古雑貨屋で、まあまあ状態のよい講談社文庫版を見つけ、他の本とのまとめ買いで安く(一冊税抜き60円)入手した。 それで早速読んでみたが、期待がそれなりに大きかったためか、フツー以上に楽しめた反面、いまひとつの部分もないではない。 なぜ夫婦ものの奥さんの方まで丹念に殺していくのかという大きな謎の解法などはよかったが、ここまで目立つやり方というのは……まあ、それも一応のイクスキューズはあるとはいえるのか。 得点要素が豊富な反面、他にもツッコミどころは多々ある感じがするし。ウン十年前に、期待値がそんなに高まらないころに読んでいたら、もっと評価は上がったかもしれない。 あと題名について。5分くらい、すでに読み終えた方を相手に、モノを言いたい。 最後に講談社文庫版の解説の香山二三郎さん、『ある朝、海に』は十津川ものじゃないですよ。 |
No.934 | 5点 | 殺人ウェディング・ベル ウィリアム・L・デアンドリア |
(2020/08/20 06:04登録) (ネタバレなし) 「私」ことニューヨーク在住のマット・コブは、30歳前後のネットワークテレビの特別企画部担当副社長。業界でも異例の若手重役であり、番組企画に際してのトラブル対応が主な業務だ。マットはケーブル・テレビ契約に関するトラブルに対処するためシアンカの町に向かうが、同地では折しも、彼の大学時代の学友デビイ(デブラ)・ホイットンが挙式を迎える予定だった。マットは奔放でわがままなデビイが昔から苦手だったが、それ以上に悩みのタネはマットの親友ダン・モリスが長年デビイを追いかけ、そして彼女に振り回されながら、いまだに相手への執着を捨てていないことだった。そして挙式が三日後に迫るその夜、殺人事件が起きて。 1983年のアメリカ作品。ヤンエグ(死語)探偵マット・コブものの第三作。 本シリーズを読むのは、大昔に手に取った第一作『視聴率の殺人』以来二つ目(ということでシリーズ二作目の『殺人オン・エア』は、まだ未読)。 ハイテンポで話が進むライトパズラーなのはいいが、犯人もハウダニットも当初から見え見えで……。 あー、これは、0.5ランク高いアメリカの赤川次郎。良くも悪くも、そんなレベルのものでしかない。 ただしHM文庫版(といってもそれしかないけれど)299ページ、物語の最後の最後でマット・コブの胸中をよぎるひとつの内省の念だけは、ちょっと読み手のこちらの心にも染みた。一級半以上のハードボイルド私立探偵小説の情感みたいな感触で、わずかだけ主人公の株が上がる。マット・コブ、いい奴。 しかし調べたら、このシリーズの未訳作品ってまだ結構あるのね。とはいえ謎解きミステリとしては、このレベルでは、翻訳&発掘してほしい、と今さらあえて強く言い出しにくいところではあります(汗)。 まあそれでも、今からでも出してくれたら、ちょっとは嬉しいかも。 |
No.933 | 6点 | 死への落下 ヘンリー・ウエイド |
(2020/08/19 04:20登録) (ネタバレなし) 1952年2月の英国。入念に準備を進めて自分の持ち馬に賭けながら、レースで大敗を喫した40歳の馬主チャールズ・ラスサン大尉。破産寸前の苦境に陥った彼に支援の手を差し伸べたのは、8歳年上の未亡人で富豪のケイト・ウェイドールドだった。ケイトの持ち馬の競馬監督の職を得たチャールズは、やがて彼女と愛し合うようになって結婚。チャールズはケイトの大邸宅の主人となる。だがある夜、その邸宅で惨劇が……。 1955年の英国作品。 その惨事は事故だったのか? 殺人だったのか? の見解を巡って、警察内部でも意見が対立。適宜な客観的叙述を活用して、読者の興味を煽る作劇の狙いどころは、なかなか面白い。 とはいえそれはつまり、殺人? という前提が、とにもかくにも作中でなかなか確立・公認されないわけで、その分、物語はやや地味。 だから、(キャラクターの書き分けが達者なので救われてはいるが)中盤はちょっとだけ退屈さを感じないでもない。 むしろ、本作の場合は「事故か? 殺人か?(あるいは自殺か?)」わからないという謎の提示を前提に、どうやって最後のサプライズにもっていくのかという作者の思惑の方がスリリングで、それゆえに読み手のこちらとしては、後半~ラストの展開をあれこれ想像するのが楽しかった。もちろん最後の着地点については、ここでは書かないけれど。 最後まで読み終えて、そこでまたいろいろ言いたいことはあるが、それなりに楽しめた。前述の読み手側の想いにもまたからむが、この作劇フォーマットをベースに、さらにもうひとつふたつひねったものも構想してみたい思いもふくらんでいく(それもまた、すでにもうどっかにあるかもしれないけれど)。 創元の旧クライム・クラブあたりに収録されていたら、結構似合うような感じの作風である。 (そーいえば、実際に旧クライム・クラブの一冊だった同じ作者の『リトモア少年誘拐』はどんな出来なんだろう? そのうち読んでみることにしよう。) |
No.932 | 7点 | 頼子のために 法月綸太郎 |
(2020/08/18 04:52登録) (ネタバレなし) 元版の講談社ノベルス版で読了。30年近く前にどっかの古書店で状態のいい初版を250円で買い、その後ずっと、自室の蔵書の山の中で寝かし続けていた本であった(笑・汗)。 重厚でシンドそうな物語を予期していたが、あに図らんやリーダビリティは最高級。あれこれ考えつつメモを取りながらも、3時間ちょっとで読了できた。 遅れてきた読者(他ならぬこの筆者のこと)が一冊ずつ事件簿を消化していくごとに、そのキャラクター像の陰影が深まっていく名探偵・綸太郎。そんな姿は、たしかに新本格版エラリイ。 とはいえこの作品に関しては最後まで読んで、クイーンだのブレイクだのロスマクだのというよりも、素で一番、シムノンの影を感じたよ。本サイトのレビューを遡って拝見しても、そんなことどなたもおっしゃってはいません? が。 個人的にはこういう作品、いくらでもウェルカムです。謎解きミステリとしても小説としても、フツー(以上)に面白かった。 ただまぁ、ボンボンさんがおっしゃっている2つめの疑問は、大いに同感。つーか、それ以前に(略)。 |
No.931 | 7点 | 巡礼のキャラバン隊 アリステア・マクリーン |
(2020/08/17 03:54登録) (ネタバレなし) 東西の陣営を超えて中央ヨーロッパを横断する、ジプシーのキャラバン隊。その集団の一員である青年アレクサンドルが、隊の指導者チェルダとその息子フェレンクたちによって何らかの理由で殺害され、死体は秘密裏に葬られる。キャラバン隊には数名の民間人が同道。取材のために同行する英国の女流作家で友人同士のセシル・デュボアとリラ・デラフォントは、それぞれ風来坊風の青年ネイル・ボーマンと、大食漢の中年実業家チャールズ・クロワトール公爵を、旅の間のお伴としている。が、くだんの男性二人の折り合いはよくないようだった。やがて、ひそかにキャラバン隊を調査しようとするボーマンは、アレクサンドル殺害の事実を察知。キャラバン隊に潜む秘密に、肉迫していく。 1970年の英国作品。マクリーン第15番目の長編で、すでに幾つも代表作と呼べる作品を上梓している、著者の円熟期(といっていいだろう)の一冊。 読者視点で主人公ボーマンの素性(あるいは立場)が終盤まで不明、キャラバン隊内部で進行している悪事または謀略の子細も未詳なままに物語が進んでいく。それでもストーリーの各局面では、見せ場や中小の山場が綿々と設けられて……というのは、同じマクリーンの優秀作『恐怖の関門』などでもおなじみの(または、そちらでも類似の)作法。 同作などに馴染んでいるファンからすれば「ああ、マクリーン、またおなじみのパターンをやっているな」なのだが、こういう作劇に慣れてない読者にはキツいかもしれない? ある意味、クライマックスで物語の全貌が見えてくるその瞬間のために、長いトンネルをぬけるまでを耐える作品、という一面もある。 (なお恐縮ながら、先行するTetchyさんのレビューは、本作の最後に明らかになる大きなどんでん返しをはっきりと書いてしまっているので、本書を未読の方は、まずその点で、注意。) 物語全体のロードムービー的な面白さに加え、各地のロケーションに沿った危機的状況のシチュエーションなどに工夫があり、英国風冒険小説(スリラー)として、フツーに楽しめる。 中でも圧巻は、第8章における、ボーマンが見舞われる、あるクライシスの状況というか趣向。 (ただし一方で晩年のマクリーンは<こういう方向>でのみの、エンターテイナーになっていったから、全体的に作風が軽くなっていったような印象もある。) 個人的にちょっと感心したのは、中盤~後半で、某・登場人物があまりに不如意に物を言うシーンがあるので軽く呆れたら、最後になってその件には、ちゃんと? イクスキューズが用意されたこと。 もちろんここでは詳しくは書けないけれど、マクリーンは<その辺り>は、自覚的に描写していたのかしらねえ? |
No.930 | 6点 | クレイジー・クレーマー 黒田研二 |
(2020/08/16 14:27登録) (ネタバレなし) 大型スーパーマーケット「デイリータウン」の緑が丘店で、電機商品を扱うエレクトロ課のマネージャーを務める「わたし」こと袖山剛史。そんな袖山は、巧妙に正体を隠す謎の万引き「マンビー」(当人は「大かいとうX」と自称して犯行予告を逐次置いていく)と、陰険で粘着質の中年クレーマー・岬圭祐の両人に、日々、悩まされていた。岬の悪質な行為に対してついに憤り、実力行使に出た袖山だが、相手は逆恨みの報復を始める。やがて、袖山の周囲で慄然とする惨劇が……。 2012年に刊行の実業之日本社文庫版(現時点で本サイトに未登録)にて読了。 2003年の作品でパソコン環境やIT技術の話題などがいささか古く、またミステリとしても大ネタはおおむね読めてしまった(さらにその向こうの仕掛けには、ちょっと軽く驚かされたが)。 まあ、あんまりここで、あれこれ書かない方がいいね(実はこのあとのレビューも、一度書きかけて消した)。 個人的にはトータルで、まあまあ面白かった。もっともっと言いたいことがあるけれど、広義のネタバレまで警戒して、この辺で。 |
No.929 | 7点 | 孤独な場所で ドロシイ・B・ヒューズ |
(2020/08/14 21:06登録) (ネタバレなし) 第二次大戦が終結し、世間が落ち着きかけた時分。カリフォルニアでは若い女性ばかりを凌辱して殺害する、切り裂きジャックの再来のごとき絞殺魔が出没していた。そんななか、大戦中にアメリカ空軍のエースパイロットとして活躍したディックス・スティールは、今は、金持ちの伯父ファーガス老人に生活費をたかるばかりの自称・作家(見習い)として日々を過ごしていた。そんなディックスは大戦中に戦友だったブラブ・ニコライに再会。彼から新妻シルヴィアを紹介される。ブラブの今の仕事はロス・アンジェルス市警の刑事だった。ニコライ夫妻と交流を深めるディックスは、現在、居住するアパートに住む赤毛の美女ローレル・グレイと親しくなるが。 1947年のアメリカ作品。「ポケミス名画座」路線の一冊で、1950年にボガート主演(ディックス役)で相応に脚色して映画化されたらしいが、その映画はまだ観ていない。 したがってあくまで原作のみのレビューになるが、できれば映画の情報も仕入れず、ポケミスの裏表紙のあらすじも見ないで読み始めるのをお勧めする。(とはいえ……まあ、むずかしいだろうな。) 薄皮を剥ぐようにじわじわとある事実が透けてくるが、一方でまあ、素で読んでも、その事に気づかない読者はまずいないだろう。 が、少なくとも作者の方は演出的に、あえてまわりくどく書いているし、それゆえの座りの悪さ、居心地の悪さが奇妙なサスペンスを感じさせることにもなっている。 主要キャラは主人公とニコライ夫妻、ヒロインのローレル、さらにブラブの上司のロス市警殺人課のボス、ジャック・ロホナー警部あたりだが、決して多くないメインキャラの頭数で260ページの紙幅をもたせる小説的技量はなかなか。夜中に読み始め、深夜に途中で一回、中断して明日に回そうかと思ったが、結局ハイテンションのままに、最後までいっき読みしてしまった。(おかげで、あー、眠い~汗~。) ウールリッチのクライムノワール系から、もうちょっと水気を抜いたような感触だが、フツーにミステリ小説として面白い。 まあ70年以上前の鑑識技術で司法捜査だったから、成立した話、という面はあるが。 ヒューズはこれで3冊目だけど、どれも一定以上に読み応えがある。「別冊宝石」に訳載されている長編も、そのうち引っ張り出してきて読んでみよう。 |
No.928 | 6点 | 遠い砂 アンドリュウ・ガーヴ |
(2020/08/13 22:56登録) (ネタバレなし) うーん。読み終えて、後味が良かったとも悪かったとも言えないタイプの作品だな、こりゃ。それで一種のネタバレになってしまうので(笑)。 というわけで大ざっぱな言い方のみするのなら、それなり以上に面白かった(3時間でイッキ読み)が、中盤からの展開は力技すぎる。 いやたぶん作者も、その辺の強引さは百も承知で、だからこそ前半~中盤にかけて、仮説のトライアル&エラーの積み重ねを前もって丁寧にやって、のちのちのための布石を張っておいたのだろうが。 黄金期のヒッチコックが映画化していたら面白いものができたろうな。いや、映画独自の潤色であんまり付け加えるものがないから、ヒッチの食指が動かなかったかもしれない。 ハヤカワミステリ文庫版271ページ目(最後の最後の方)の一幕は、とても良かった。 評点は実質6.5点というところで。 追記:同文庫版209ページに登場する脇役の名が、ジャック・フィニイw そして本書(このガーヴの『遠い砂』)の翻訳者はズバリ福島正実であった。なんか笑った。 |
No.927 | 6点 | 霧の中の虎 マージェリー・アリンガム |
(2020/08/09 14:09登録) (ネタバレなし) 第二次大戦の終結からしばらくしたその年。美しい25歳の戦争未亡人メグ・エルジンブロットは、婚約者である実業家の青年ジェフリー・レベットと、新たな人生に踏み出そうとしていた。だがそんな11月の上旬、戦争で5年前に死んだはずの夫マーティンらしき人物が群衆の中に写る写真が数枚、彼女のもとに送られてくる。差出人はメグに、ロンドン駅周辺で会いたいとの簡単な指示のみを出していた。メグはジェフリーとともに、従兄弟の間柄である名探偵アルバート・キャンピオン、そしてその知己であるスコットランド・ヤードの捜査陣の協力を願うが。 1952年の英国作品。亡き夫の健在を示す写真が目の前に、という佐野洋の長編『砂の階段』みたいな導入部で開幕。 以前から題名がカッコイイので気になり、そしてパズラーではなく名探偵VS犯罪者の対決ものという内容も予期していたが、実際に読んでみたらなんかその辺は微妙に違っていた。 (ポケミス裏表紙のあらすじ最後のまとめには「霧のロンドンに展開される一大マンハント。キーティング、シモンズら斯界の達人が絶賛した、黄金時代の傑作!」とあり、「おお、なんかわからんがとにかくスゴイ、見よ! 電子レスラー・デンジマン」という感じなのだが。) そういえばキャンピオンが完全に脇役だってことも、すでにどっかで見ていたような気もする。 そもそも肝心の悪役側の人物造形がそんなにとんがったキャラクターではなく、近代ミステリの作法ならよくも悪くもそこにもっとエッジをきかすだろうという箇所が今の目で見ると結構ゆるいので、その分、中盤はやや退屈。 ただし最後の3分の1で、作者が仕込んでいたとある人間関係の綾が見えてくると、いくらか緊張感が高まってくる。 中でも特に白眉といえるのはキャンピオンでもなく悪役でもなく、後半以降に語られる、ある登場人物ふたりのそれぞれの内面で、ひとりはその気高い精神性に、またひとりは切ないまでに煮詰まったその屈折の念にそれぞれ、読んでいて強い感慨を抱いた。キーティング、シモンズ各人の評もまだ読んで(読み返して)いないが、二人のどっちかあるいは双方とも、こういう文芸味というか小説的な部分の輝きで引っかかったのではないか? まあ実際のところは、両人のレビューをしっかり読んでみないとわからないが。 クロージングは作者がこういうイメージ、ビジュアルでまとめたいという思いが先行しすぎた感じでやや強引だが、その分、効果は上げている。 アリンガムの長編を読むのはランダムな順番でまだ4冊目だが、小説としての得点部分だけカウントすれば、これが一番良かったかも。 (一方で、ポケミス版50ページ下段のルーク主任警部の物言いなど、これがアリンガムの地だとしたらかなり不愉快だが。) |
No.926 | 7点 | わたしを深く埋めて ハロルド・Q・マスル |
(2020/08/08 14:46登録) (ネタバレなし) 「ぼく」ことニューヨークの青年弁護士スカット・ジョーダンは、マイアミでの休暇を切り上げて早めに自宅のアパートに帰参する。だがそこで待っていたのは、黒い下着のみをまとう見知らぬ美女だった。美女は勝手に酒に酔いつぶれ、旅行帰りで疲労しているジョーダンは流しのタクシーに10ドル渡して彼女を預け、目が覚めたら自宅を聞いて送り届けてほしいと依頼。ようやく眠れると思ったジョーダンだが、またも初対面の面々が来訪。さらにしばらくして警察と先のタクシー運転手が現れ、あの美女がタクシーの中で毒によって絶命した、と告げる。驚くジョーダンだが、事件はさらに大きく広がりを見せていく。 1947年のアメリカ作品。日本にも来訪したことのある弁護士作家マスル(マスゥール)の作品で、20年の活躍期間のうちに全10冊と意外に冊数は少ない、弁護士探偵スカット(スコット)・ジョーダンものの第一弾。 手にしたポケミスの初版はどうも厚めに見えるが、実際の総ページ数は本文280ページちょっとで、そんなでもない。いつものポケミスとは違う、斤量の多い紙を使っている感じだ。 毒殺された美女ダンサー、ヴァーナ・フォードは、ある目的のためにジョーダンの留守中に自宅に侵入。しかしその行為とは別に、別の大きな案件に関わっていたことが次第に明らかになり、ストーリーの裾野が広がっていく。ちょっとややこしめに見えるプロットだが、作中の登場人物が多い割にそのほぼ全員が実にくっきりしたキャラクターとして書かれて、物語を理解させるリーダビリティはかなり高い。また話造りも実に面白い。 ポケミスの解説によるとこの処女作の原書(サイモン&シャスターから刊行)は本国で100万部売れた(!)上に六か国語に翻訳されたそうで、ホントかよ!? とも思ったが、まあ第二次大戦を経て平和になった時代に登場したイキのいい&よくできたルーキー作品として好評を博したのだろう。 殺人事件の真相は「あ、そっち?」という感じの意外性。nukkamさんがおっしゃるように確かに必然的なロジックはちょっと弱いんだけれど、一方で、真犯人の意外な動機については、とある形で読者に前もってインスピレーションが働くように示唆が与えられているように思う。そういう意味で、謎解きミステリとしてもよく出来た作品ではないか。 このシリーズも少しずつ読み進めていこう。 |
No.925 | 6点 | ウェンズ氏の切り札 S=A・ステーマン |
(2020/08/07 04:11登録) (ネタバレなし) 『ウェンズ氏の切り札』 犯罪者フレデリック(フレディ)・ドローが黒幕と思われる、人身売買や麻薬犯罪、強盗事件の報道が日々の新聞を賑わしていた。そんな中、そのドローと交流のある犯罪者ジョルジュ・ダウーが頓死。当初はダウーの自殺かと思われたが、殺人の可能性が浮上する。容疑者はドローを含む4人の犯罪者たちと、そしてダウーの美しい妻のカトリーヌ(カティ)。ダウーの情婦だった娘クララ・ボナンジュの依頼を受けた名探偵「ウェンズ氏」ことヴェンセラス・ヴォロペイチクは事件の調査に乗り出すが、事態は次の惨劇へと移行していく。 『ゼロ』 「わたし」こと若手の新聞記者ミシェル・アドネは、予知能力者ムッシュー・ハッサンから、自分の周囲で近く人死にがあることを宣告された。悲劇に関連するというキーワードも告げられ、それは「サリー」という女性の名前。やがてミシェルは、老境の探検家H-J・ドナルドソンの取材に赴く。だがその取材直後に老探検家は、出立先から持ち帰った手斧にて顔を叩き割られて絶命する。そんなミシェルは惨事と前後して旧友の「シャルルカン」に再会。そのシャルルカンの現在の彼女が他ならぬドナルドソン老人の娘であり、彼女の名前がサリーだと知る。 ベルギー作家ステーマンの著作。教養文庫の日本語版は表題作である短めの長編と、中編『ゼロ』を一冊にまとめて刊行。巻末の書誌情報によると表題作は1932年の初版を経て、1959年に改稿版が出版。一方で中編『ゼロ』は1920年代の著作のようだが子細な初出年は不明。 表題作の探偵役は元ロシア貴族のウェンズ氏だが、ステーマンのもうひとりのレギュラー探偵マレーズ警部も(ほぼ)相棒として登場。マレーズ警部は中編『ゼロ』の方にも登場する。 作者があのステーマンなので何か仕掛けてくるだろうと思いながら、まず表題作を読むが、残念ながら真相は完全に予想の範疇。実はこちらはもうひとつ斜め上の下らないオチまでも予想して、いい感じにバカミスになってくれるのを期待していたが、そこまでもいかなかった。大方の人も先は読めるだろう。 教養文庫版の84ページで、映画版『殺人者は二十一番地に住む』の上映ポスターが登場するメタギャグがあるのは、ちょっと楽しい。 個人的には中編『ゼロ』の方がずっと拾いもので、ちょっとウールリッチの『夜は千の目を持つ』を思わせるようなフシギな導入部から開幕。 私的には、少なくとも後半の三つ以上のギミックの相乗で楽しませてくれた。こちらは良い意味でステーマンらしさが全開。ラストのなんともいえない余韻もなかなか良い。 ステーマンの未訳の中にはしょーもない作品も多いんだろうけれど、それでも何か楽しめるものももうちょっと残っていそうな気配もあるので(いやまったくの適当なカンだが)、またそのうち折を見て、発掘紹介してほしい作家ではある。 |
No.924 | 7点 | ハニーと連続殺人 G・G・フィックリング |
(2020/08/05 03:00登録) (ネタバレなし) ロサンジェルスで開催される国際美人コンテスト「ミス20世紀ペイジェント」。その優勝の有力候補者と目される「ミス・カリフォルニア」ことジョセフィーン・ケラーの、殺害された水死体が上がる。だがコンテストの主催者モーソン・ローレンスは、この死体はジョセフィーンではなく別人だと主張。ローレンスは金の力でゲスな検屍官ワトキンスを懐柔し、事実をごまかそうとしているフシがあった。一方で地元の保安官事務所の殺人課警部マーク・ストームは、かねてからローレンスの裏の顔(売春シンジケートのボス)に探りを入れていた。ストームのGFで、成り行きからこの事件に関わり合うのは「わたし」こと女性私立探偵のハニー・ウェスト。ハニーはまず美人コンテストに参加する各国各地の美女たちに接触し、被害者の身元を改めて検証する。だが事件は、さらなる広がりを見せていく。 1959年のアメリカ作品。ハニー・シリーズの第四弾。 評者は本シリーズは大昔に何か1~2冊、読んだ覚えがあるが具体的にどの作品だったかは、まったく失念。じゃあ改めて、シリーズ第一作(『ハニー貸します』)から読もうと思ったが、確実に持っているはずの蔵書が見つからない。しばらく数か月ほど探していたが出てこないので、まあいいやと思って、適当に手にしたのがこの作品である。 まあ、コレから読んでもほとんど問題はないみたいね(笑)。ハニーのキャラクターの大設定(4年前にやはり私立探偵だった父親ハンクを殺され、今もその正体不明の犯人を追っている)はこの作品中でも改めておさらいされるし。(ただ、マークがハニーに向けて、何かどうも以前のエピソードのことらしい話題をチラリと出してはいるが。) 事件の関係者を訪ね回ってあちこちとび回り、その間に主人公の予期しない形で死体の山が積み重なっていく流れは、ものの見事に50年代の王道ハードボイルド私立探偵小説。それで中盤ではハニーが女性としての弱点をつかれる、かなりショッキングな場面もあり(直接のレイプなどではない)、その辺の緊張感にも事欠かない。 さらに某登場人物の、あれよあれよと変幻するキャラクターも強烈で、見方によってはかなり強引にご都合主義的にいろんな文芸設定を押し付けられた感もあるが、その辺のキャラ描写のある種のダイナミズムも、独特なハイテンションさを感じさせる。 ちなみにハニーとマークの、仕事の上ではライバル関係、しかし男刑事の方が女私立探偵にホレている、というのは、先日読んだ後輩格の女私立探偵シャロン・マコーンそのままで、こういう明快なキャラシフトに、女私立探偵もののひとつのトラディッショナルを改めて実感する。 ミステリとしてはかなり錯綜した物語をかきわけて、最後の3~4分の1で、なんとも斜め方向に驀進。しかし意外なほどに伏線は張られていて、そこから手がかりをひろいまくる丁寧さを見せつけてくれる。 なんかWebでチラチラ、ミステリファンの感想を見たところ、ハニー・シリーズって、おおむねこういういびつなパズラー志向みたいだね? 特にこの作品は、かのクイーンが後期の某長編でやった趣向を先取りしており、あわわわわ……といささか驚かされた(笑)。いやもちろんここでは詳しくは言わないけれど、その辺の仕掛けが見えてくるあたりの軽いゾクゾク感は、ちょっとしたもので。 ただ弱点は、真犯人がわかってもさほどのミステリ的なトキメキがないこと。この辺は(中略)ゆえにまあ、仕方がないか。 とはいえ思った以上に、楽しめた一作。ワイズクラックのてんこ盛りも、いかにもこの時代のB級ハードボイルド私立探偵小説らしくっていい(彼氏のマークの方が、ハニーに負けず劣らず、減らず口を叩きまくるのが笑えた)。 またそのうち、このシリーズは、順不同を気にしないで読みましょう。評点は0.5点オマケ。 |
No.923 | 8点 | 完全試合 佐野洋 |
(2020/08/04 17:37登録) (ネタバレなし) 「ユニヴァーサル・リーグ」(この物語世界の球団リーグの一翼)がその年のペナント・レースを迎えようとしていた、ある秋の日。銀座の大竹デパート内から2歳の幼女・有川珠美が姿を消した。彼女は、ユ・リーグの優勝候補チーム「明星プレヤデス」のエース投手・有川紳の一人娘。そして間もなく、有川家、そして各報道機関に「有川のペナントレースへの登板を禁じる。断れば珠美の無事は保障しない」という意の連絡が届いた。球界、警察、報道機関がこの状況にそれぞれの対応を見せるなか、事件の実態についてさまざまな可能性が取りざたされるが、事態はさらに予想外の展開を見せていく。 元版のカッパ・ノベルスで読了。一段組で紙幅もそんなに多くないので、これはサラッと読めるだろうと思ったが、いや、トリッキィな誘拐サスペンスミステリとして、予想以上の傑作であった。 とにかく、あれやこれやと詰め込まれた野球ネタからのミステリ分野への置換が手際よく、現実のプロ野球観戦なんかにまったく興味がない(アニメや漫画での野球ものは大好きだが)自分がこれだけ面白く読めたのだから、昭和の野球ファンにはたまらないのではないか。 中盤の報道陣の暴走のあたりも、(もちろん現在の目では望ましいことではないが)社会規範の固まる昭和の過渡期の時局なら、こういうことがあったとしてもおかしくないというリアリティを実感する(倫理的な視点の部分は、警察側の憤りの叙述でクリアされていると思うし)。 野球の試合経過になぞらえた章見出しのお遊びも、その流れに即した終盤の二転三転ぶりもあっぱれ。それとは別に、第10章の3パートあたりの描写なんか、すごく印象深い。 佐野洋はおそらく大のプロ野球ファンだったのであろうが(すみません。現状でよく再確認してない~汗~)、筆の立つ作家が好きな題材(たぶん)をネタにして、しっかり成功した一作。 最後の最後の「ああ、佐野サンらしいなあ……」という苦笑いを呼ぶクロージングまで含めて、とても作者の良い持ち味が出た作品ではないかと。 個人的に、今まで読んだ佐野作品のベストワン。 |
No.922 | 7点 | 犠牲者は誰だ ロス・マクドナルド |
(2020/08/03 17:53登録) (ネタバレなし) 麻薬犯罪取締の法律委員会に雇われた私立探偵リュウ・アーチャーは、サクラメントにある同組織のもとに向かう途上、銃撃されて重傷を負った男を道脇の溝の中に見つけた。男を助けてとりあえず最寄りの自動車ホテルに駆け込み、同ホテルの主人ドン・ケリガンとその妻ケートに協力を求めるアーチャー。だが病院にかつぎこまれた男はそのまま死亡した。アーチャーは、死んだ男がトラック運転手のトニイ・アクィスタで、彼が先の自動車ホテルの女性マネージャー、アン・メイヤーと縁があったことを知る。アンの父親のメイヤーは、運送業者の社長で、トニイの雇い主でもあった。だがそのアンは一週間ほど前から行方をくらましており、そしてホテルの主人ケリガンも不審な動きを見せる。アーチャーはアンの父親メイヤーに接触し、トニイ殺人事件の調査とアンの捜索を仕事の形で請け負うが。 1954年のアメリカ作品で、アーチャー・シリーズの第六作。 評者は2010年代の半ばに『ブラック・マネー』を読んで以来、本当に久々に紐解く本シリーズである。後年に成熟していくロス・マクらしい作風の香りを感じさせながら、物語の大筋はいかにも1950年代の王道私立探偵ハードボイルド調。円熟期のチャンドラーからの影響を実に良い感じで継承しながら、だんだんと一皮剥けていく過渡期の一編という感覚で、そのグラディーションぶりが本当に快い。 事件に関わる主要キャラはもちろん、お喋り好きの中年女サリイ・デヴォーアとか、孤高の老人マッガヴァンなどの脇役もしごく存在感豊かに描かれている。その部分だけのデティルの鮮やかさで言うなら、本気で『さらば愛しき女よ』にも『長いお別れ』にも匹敵するくらい。特に物語の表面になかなか出てこないキーパーソンのメインヒロイン、アン・メイヤーの扱いは格別で、後半でのその初登場シーンには深い感慨を覚えた。 アーチャー本人の書き込みの程合いも、先のレビューでクリスティ再読さんが語る通り。とりあえずそれに付け加えることはない。 なお、かつて日本語版「マンハント」誌上で、当時のミステリ作家、翻訳家たちがおなじみのハードボイルド名探偵たちのそれぞれの述懐(的なパスティーシュ短編)の形で、各人のプロフィールを語る連載企画があり、当然、アーチャーもその連載の中に登場。たしかその執筆担当者が本作の翻訳者・中田耕治であり、アーチャーの心情吐露のネタの大部分を、今にして思えばこの作品『犠牲者は誰だ』から採取していたようだったと気がつく。つまりこの作品は、そういう一編なのであった。 ミステリ的にはややこしい事件のほぐれ具合がかなり自然で、その点では本シリーズ中でも、かなり上位の方ではないかと思う。余韻のあるクロージングも最高で、これはアーチャーものとして、高めの評価でいい、とも一度は思った。 が、し・か・し、アーチャーと本作中のとあるキーパーソンとの関係性。これをあえて最後まできちんと書かずに、事実上の未決着にしたのが、う~ん……。 いやまあ、シリーズ名探偵もののお約束パターンのひとつだとも、そこは言わず(書かず)が花だとも、いえるかもしれない……のだけれど、正直、実にもったいない、「そこ」のドラマが(どんな形であれ)見たい、読みたい、というのが、どうしようもない本音。 ロスマクが存命中に「なんでこの作品は(中略)だったのか?」と聞いてみたかった(どっかで語っているのか?)。 その点にこだわって、あえて1点減点。 いや、優秀作なのは間違いないです。 |
No.921 | 5点 | ドリームダスト・モンスターズ 眠り月は、ただ骨の冬 櫛木理宇 |
(2020/08/02 15:18登録) (ネタバレなし) 他人の夢の世界に入り、問題を抱えた相手の心を救う「ゆめみや」の老女・山江千代。とある事件を経て千代の不思議な能力と温和な人柄に救われた女子高校生・石川晶水(あきみ)は、彼女に想いを寄せる学友で、千代の孫でもある少年・壱とともに、ゆめみやの仕事に関わっていた。だがそんな3人の周囲で、蛇と妖しい老女に関係する悪夢に苦しむ者が続出。晶水たちは、事態の解明と解決を図ろうとするが。 シリーズ3冊目。2015年の新刊(文庫書き下ろし)。 今回は連作短編集っぽい仕様で、実際には本書の最後のエピソードで事件の真相がわかる長編作品。 ラブコメ要素はシリーズ初期より薄くなったが、その分、巻を重ねて付き合ってきたこちらは登場人物たちといい具合になじんでいるので、キャラクターミステリとしてのバランスは悪くはない。 ただしなんかシリアスで緊張感のありげな主人公コンビの問題が、最後で拍子抜けだったのはなんとも。まあ作者は、シリーズに緩急をつけるためのお約束でやっているところもあるんだろうけれど? ホラーミステリとしては、ちょっとしたトリック(ギミック)を使用。その切なさとグルーミーさはいかにも櫛木作品っぽくて、このシリーズのなかではギリギリのところであろう。あんまり主人公トリオが辛い目に遭わされるのもなんだし。 しかし覚悟の上で読んだけれど(参考:ラノベ『エロマンガ先生』のいやがらせ)、このあとの続きが5年間書かれてないので、いったんここでシリーズは休止なのね。こういうのって、どういうことを機会に再開するのでしょうか? いや、そんなのが千差万別なのは百も承知ですが(笑・涙)。 |
No.920 | 6点 | 謀殺の弾丸特急 山田正紀 |
(2020/08/02 14:39登録) (ネタバレなし) 東南アジアの小国アンダカム。そこで日本の二流ジャーナリスト、大塚良介は軍事秘密基地らしき施設を撮影した。だが実はそこは独裁者の大統領が政敵などを拘禁する秘密の強制収容所で、大塚の動向を知った対ゲリラ部隊の冷酷な指揮官デイヴ・オル大佐は、日本人スパイと見なした相手の口封じに動き出す。旅行会社「ゴールデン・トラベル社」のパッケージ旅行者に紛れて国外に出るつもりだった大塚は軍の追求を察知すると、美人添乗員の吉岡晶子、そして老若男女6人の旅行仲間を強引に巻き込み、日本から何十年も前にこの国に輸出されていたいまだ現役の蒸気機関車C-57で隣国タイへの逃走を図るが。 山田正紀1980年代冒険小説路線の一編。舞台がエキゾチシズム満点の異国で、大道具(陰の主役)となる蒸気機関車も初刊の時点ですでにレトロチックだったため、作品の大枠そのものは21世紀の今でも逆説的に? 古びた感じがしない。 ただし作者がここで楽しませよう、と思ったのであろう、一般人旅行客チームによる軍の迎撃場面の一部などは、さすがにどっかで見たようなものも目立つ。これはこの作品の罪ではなく、35年も経ってから遅れて読んだこっちが悪いのだろうね。 あと気になったのは、敵がテロリストや犯罪組織ではなく、とにもかくにもれっきとした公的機関なんだから、無線や何かを用いて軌道のはっきりしている蒸気機関車の先回りをすればいいような気もするのだが、ほとんどそういう種類の戦略が描かれていない。極端な話、一時間後にそこを通るであろう線路の上に廃棄してもよい大型廃車とか置けば、それで(主人公たちには悪い意味で)「勝負あった」だよね? あと、婆ちゃん・加賀佳美さんの後半の活躍はともかく、彼女の病院院長の母親という設定が死に文芸だったのもちょっと残念。実は、玉の輿に乗った元看護婦とかなんとかで、久しぶりに救護の腕をふるうとか、そういうのを考えていたが、この辺は仕込みだけしておいて、ネタを使う間がなかったのか?(連載作品を加筆・改訂したとのことだから、いくらでもやりようはあったとは思うが。) たしかに本作は、先行する『火神を盗め』の系列ではありますが、満足度も感興のほども、あの大大・傑作の向こうには遠く及びません。まあ当初から、あそこまでのものがまたもう一度読めるなどと夢のようなことは毫も期待してはいませんでしたが。 まあ和製『高い砦』プラスロードムービー的な冒険小説としては、そこそこの佳作。悪くないけれどね。ヒロインの晶子は、ちゃんと見せ場はこなしてくれたし。 |
No.919 | 5点 | 弱った蚊 E・S・ガードナー |
(2020/08/01 12:30登録) (ネタバレなし) その年の春先。ペリイ・メイスンの事務所は、中年の鉱山師ソルティ・パワースの訪問を受ける。本当の用向きがあるのはパワースの相棒の鉱山師バニング・クラークだが、彼は心臓がよくないので代理で来たとのことだった。秘書のデラ・ストリートとともに、クラーク当人の屋敷に向かうメイスンだが、砂漠での生活を愛するクラークとパワースは庭でキャンプ生活を営み、屋敷にはクラークの亡き妻エルヴィンの兄ジェームズ・ブラディスンや、その兄妹の実母(つまりクラークの義母)リリアンたち雑多な人間が居住。しかもその面々のなかの一部は、クラークの鉱山の所有権にも密接な関係があった。同家に宿泊して事態に関わるメイスンとデラだが、やがて予期しない殺人事件が……。 1943年(第二次大戦中、真っ盛り)のアメリカ作品。 評者が本当に久々に読んだメイスンシリーズだが、この作品は大昔の少年時代に少しだけ中身を齧りかけて、そのときは物語の主題の鉱山業のことがよくわからず、放り出した記憶がある。 長年の宿題を片付けるつもりで改めて読んでみると、先行の方のレビューにあるように、いかにもガードナーらしい砂漠&探鉱生活への憧憬がそこかしこの叙述に見受けられ、その辺は正に本作の味であった。昔はこういうところが、まだコドモで分からなかったのだな。 メイスンとデラがとんでもないピンチに遭遇したり(詳しくは書かないが、このシリーズで<こういう趣向>があったのか! とギョッとなった)、妙にイカれた登場人物(自称二重人格者で、自分に不利益な責任はぜんぶ、その第二人格の方に押し付けようとする)が登場したりと中盤まではなかなか面白い。 が、ストーリーが錯綜する割に、前述の特化されたキャラクター以外の登場人物の書き分けが平板で、正直、ミステリとしての狙いどころをしっかりと楽しむにはかなりキツイ。 いや、珍妙なトリックとか、斜め方向の事件の真相と犯人の意外性とか、それなりに凝ったことをしようとしていることは理解できるのだが(とある被害者が被った、かなり特殊な状況の殺人についての法律的見解なんかも、興味深いといえば興味深い)。 なお、終盤、メイスンとデラが互いの関係性を確かめ合うくだりは、ちょっと感じるものがある。評者みたいな本シリーズをつまみ食いする読者じゃなければ、もっとさらに思うところも多いだろうね。 |
No.918 | 6点 | 金蝿 エドマンド・クリスピン |
(2020/07/30 19:26登録) (ネタバレなし) オクスフォード大学周辺の施設「オクスフォード・レパトリー劇場」。そこで今回、30台後半の中堅劇作家ロバート・ウォーナーの作品『詩作狂』が、原作者自身の演出で上演されることになった。だが主演女優のひとりヘレン・ハスケルの腹違いの姉で同じく共演予定の女優イズーは、皆の嫌われ者。かつてロバートの彼女だった自己中心的な性格のイズーは、現在は別の恋人レイチェル・ウェストがいるロバートに復縁を求め、その無軌道ぶりはますます周囲の不興を買う。そんななか、演劇の関係者一同の周囲では、いささか不可解な殺人? 自殺? 事件が発生して。 1941年の英国作品。 クリスピン作品はまだ『玩具屋』『愛は』の二作しか読んでなかった評者だが、本作に関してはまだ処女作だけあって、このあとの諸作に見られるファース味が薄いといった噂は聞きおよんでいた。 というわけでこちらもそのつもりで読み始めたら、順を追うように各自の素性を語られながら登場してくる劇中人物とか、その人間関係のからみ合いがやがて迎える殺人事件の助走になっていく作劇とか、ものの見事にクリスティ風味。さらに薄味とはいえ、主人公探偵ジャーヴァス・フェンの指示で、自殺の真似事をする彼の奥さんドリーの天然な描写とか、地味に笑えるところはしっかり笑える。(しかし、フェンって奥さんや子供がいたんだな。なんとなく独身だと勘違いしていた。) 事件発生後、人間模様がさらにゆるやかに錯綜していく流れもふくめて英国ミステリ小説としては十分に練熟した感じの作風で、これを作者はハタチの時に書いたのか! やっぱり天才っているんだな……! と軽い衝撃を覚えた。 ミステリとしては1941年という旧作であることをさっぴいても、ちょっとトリックに傷があり、犯人が使ったこの手段は当時の警察の鑑識レベルでもバレてしまうのでは? とも思う。そもそもこのトリックの要点に関しては、アメリカの某作家が1930年代にちゃんとその件にこだわった描写をしているので、当時のクリスピンはそっちは読んでないか忘れていたんだろうね? そんなことを考えたりした。 とまあ、減点要素はちょっと見過ごせない部分はあるものの、堂に入った小説の仕上げぶりは本当にスゴイです。正に栴檀は双葉より芳し。佳作~秀作。 ※余談がいっぱいある作品なので、以下に思うままに(もちろんネタバレを警戒しながら)箇条書き。 ・35ページ(ポケミス版・以下同)で登場人物のひとりが『ミス・ブランディッシュの蘭』(このポケミス内では「ブランディッシュ嬢に蘭は無用」表記)を読んでいる描写があり、当然、のちに発禁になった元版バージョンであろう。ニコラス・ブレイクの『旅人の首』の作中でも読まれていたけれど、いかに同作(の元版)が当時の英国のミステリ文壇に衝撃を与えたかが伺える。 ・そのニコラス・ブレイクだが、本作『金蠅』の作中に登場する主要キャラ(中年ジャーナリスト)の名前が「ナイジェル・ブレイク」(!)。劇中では名探偵フェンのワトスン役的なポジションとして動く面もあり、「ナイジェルは~」「ナイジェルが」と書かれるたびに、いまオレが読んでるのはクリスピン作品だよな、ニコラス・ブレイク作品じゃないよな、と何度も混同しかけた(汗)。わざとやってんのか、クリスピン。カンベンしてくれ。 ・第一章の最後のとあるメタ的な記述は、物語を盛り上げる演出として「おおっ!」と思わせるものだが、一方で他のクリスピン作品にからめてちょっと思うこともある。この辺はいつかクリスピン作品を全部読んでいる人を限定・対象にくわしく語り合いたい。(これくらいならネタバレにはならないだろう。) ・92ページ、「蠅」を「ハイ」とカタカナ表記。そもそも本作の題名の金蠅とはエジプト製の装身具で、蠅をかたどった指輪のこと。「ハエ」と「ハイ」の混用・混同なんて乱歩の『宇宙怪人』を思い出した。 ・123ページ、翻訳の本文に「年に二百万円」。こういうの、なんかイラっときます。 ・153ページ、本作の事件は広義の密室殺人といえる状況でもあるのだが、「ギデオン・フェル」の名前も登場。 とりあえず思いつく限り(メモに残したくなった限り)に、そんなところで。 |