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ミステリの祭典

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失踪当時の服装は

作家 ヒラリー・ウォー
出版日1960年11月
平均点6.44点
書評数9人

No.9 8点 人並由真
(2020/08/23 02:45登録)
(ネタバレなし)
 1950年3月3日のマサチュセッツ(マサチューセッツ)州。女子大「パーカー・カレッジ」の学生寮「ラムバート寄宿寮」から、18歳の美人学生マリリン・ロウエル・ミッチェルが姿を消す。外出届もなく深夜になっても帰宅しないため、学内で捜索が行われたのち、自宅と警察に通報される。地元ブリストル警察の警察署長フランク・W・フォードと、同署の巡査部長バートン(バート)・キャメロン以下、多数の捜査員がマリリンの行方を追うが、その去就は杳として知れなかった。マリリンの失踪が世間の耳目を集めるなか、彼女の父で高名な建築家であるカール・ベーミス・ミッチェルはフィラデルフィア在住の有名な私立探偵ジョン・モンローの応援を求めるが。

 1952年のアメリカ作品。
 言わずとしれた警察小説ミステリの歴史的な名作だが、評者はウォー作品といえば『ながい眠り』ほかのフレッド・C・フェローズ警察署長シリーズや、他の単発作品をこれまで先に読了。大物(本書)を読むのが、ずいぶんと後先になってしまった。

 それでそれなりに腰を据えて読み始めたが、期待通りに面白い。地味な捜査の手順を克明に綴りながら、その積み重ねでこれだけグイグイ読ませるのはかなりの筆力だと改めてウォーの力量に感服した。
 マリリンの死体があるのではと仮説立てて湖水を干す辺りのサスペンスも、夜中の女子寄宿寮に不審な侵入者が出現するところも、それぞれ物語の本筋に繋がっていくかどうかはリアルタイムの描写ではわからないが、その局面ひとつひとつを実にワクワクハラハラさせながら読ませる。
 もちろん作中の全部のシークエンスが事件の捜査上の必要要素となることは結果的にも絶対にありえないのだが、下手な作家ならそういう、単にムダな描写になりかねないところを、それぞれ捜査陣と読者の関心を重ねた見せ場として楽しませる。
(前のレビューでクリスティ再読さんが言っているのは、そういうことだね。)

 物語の終盤に向けて、容疑者が残り2人までに絞られていく辺りはやや強引な感じもあるし、のちのフェローズもののなかで随時披露されるような、パズラー分野に接近していくミステリ的な趣向などはあまりないが、正統派ストロングスタイルの警察捜査小説としての読み応えは非常に大きい。
 もしかしたら邦訳されたウォーの諸作の中でも、その意味ではやはりこれがベストということになるのではないか?
(まあその辺は、邦訳のあるもう一つの初期作『愚か者の祈り』を読んでから言った方がイイね。)

 キャラ描写もところどころ良いが、中でもやっぱり、たたき上げの警官である58歳のフランク署長と、大卒の中年刑事キャメロンの主人公コンビが最高。
 特に前者フランクが「娘を案じる父親の気持ちもわからない冷徹な捜査官」と周囲から揶揄されながら、その実、自宅のなかで自分の16歳の娘マリーが健勝であることにほっとする描写なんかすごく良い。フランクの不器用な人間味がよく出ている。

 しかし作者ウォーはなんでこのマサチューセッツ州の主人公コンビを一回きりで? 使い捨てにして、別の物語の場のフェローズ警察署長をレギュラーに据えてしまったんだろう? 正直、フランク署長とフェローズのキャラってそんなに大きな差異を感じないので、そのまま続投させても良かったと思うのだが。
 もしかしたら1959年前後から版元とかが変わって、当時の新作『ながい眠り』から物語のロケーションを変えなければいけないとか、新たなレギュラー主人公を創造しなければならないとか、その手の執筆・契約上の事情だったかもしれん? いやまぁ、現状ではまったくの仮説ですが。 

No.8 7点 クリスティ再読
(2018/06/23 21:19登録)
「S/N比」という言い方があるが、要するにシグナル(意味のある情報)とノイズ(意味のない情報)の比率を数値で出す指標のことである。本作の「S/N比」が極めて低いのが最大の特徴だろう。事件が起きることをきっかけに、その周囲の出来事がすべて事件に集約する「情報」として解釈しなおされることになるわけだが、必ずしもすべての出来事が事件に結びつくわけではない。無関係・無駄な情報の方が圧倒的に多いのがリアルというものだ。
この現実のS/N比は、はっきり言って「小説にならない」。この小説にならないS/N比を、そのムダを無駄として、無関係を無関係として、しっかりと描ききってしかも面白く読ませたのが本作の手柄である。地方都市の警察署長にフォーカスを据え、ほぼ一切の心理描写を排して忠実なカメラアイとして追った視点が極めてクールである。カメラアイであるからこそ、主観的なシグナルとノイズの意味づけにこだわることなく、ノイズもシグナルも等価に扱う独特な視座を示しているように感じる。ノイズもシグナルもすべて包括した「事件の全体像」を、読者が目撃できたような読後感を得ることにつながるのだ。

おれは彼のことを、なにもかも知りたい。彼は独身だ。性の衝動をなんらかの方法で処置しなければならんわけだ。どういうふうにしていた、知りたい。彼が海兵隊にいたときの女関係を知りたい。彼の日常生活の習慣を知りたい。十二月十六日以後の彼のあらゆる行動を、髪をくしけずることからトイレットに行くことにいたるまで、ことごとく知りたい

よしんばそのほとんどが、無意味なノイズであるにせよ、である。ノイズを「聞く」ことができるかどうかで、本作の面白みを感じれるかどうかが決まるだろう。ミステリのノイズミュージック、かしらん?

No.7 7点
(2016/12/08 22:55登録)
2014年に出た新訳版で読了。巻末解説の最初にデクスターの『キドリントンから消えた娘』の一節が引用されていたのには、にやりとしてしまいました。なぜかは、miniさんのレビューをご参照のこと。しかし、解説の川出氏、当然そのことは知っていたと思えるのに、なぜそれを引用したのかは書いていません。わかる人がわかればいいということなのか…
後年の『冷えきった週末』についての評ではデクスターにも近いと思えるほどの推理が展開されると書きましたが、本作ではそんなことはないまでも、やはり謎解き捜査小説という印象がかなりありました。クロフツも好きな自分としては、楽しめました。もちろん結末にクロフツほどの意外性はありませんが、捜査過程の部分は、クロフツを本当の警察による捜査らしいリアリズムで書いた感じです。2/3あたりで手がかりをつかむところが謎解き的にはおもしろい部分。

No.6 7点 あびびび
(2015/09/21 17:04登録)
ミステリのベスト100を見ると、どこにもランクインされている。大学の寮から突然消えた女学生を巡る捜査は、地味だが、そのレベルの内容はあると思う。

警察署長と部下との皮肉の応酬は外国ならではの辛辣さ。最初は耳障り?だったが、進行的になくてはならないやり取りになって行った。全体的にそつなくまとまった作品だと思った。

No.5 2点 斎藤警部
(2015/09/03 16:19登録)
こりゃ私にはダメでした。全く面白い所が見つからない。
地味な捜査の物語は好きですけどね、この本はなんだか、捜査の模様を物語興味度外視でつらつら並べてる文書みたいで。
私にとってはブランドの「ハイヒールの死」に通ずる上滑りの退屈感でした(作品のタイプはまるで違うけど)。
中身とはまったく別の経緯で、想い出深い本ではあるんですけどね。

No.4 6点 E-BANKER
(2015/02/10 23:07登録)
1952年に発表された作者の代表作。
各種ミステリーランキングにも必ずといっていいほど入ってくる「警察小説の嚆矢」的作品。
今回は創元文庫より最近出された新訳版にて読了。

~1950年3月。アメリカ・マサチューセッツ州にあるカレッジの一年生ローウェル・ミッチェルが失踪した。彼女は美しく成績優秀な学生で、男性との浮ついた噂もなかった。地元の警察署長フォードが、部下とともに搜索に当たるが、姿を消さねばならぬ理由も彼女の行方も全くつかめない。事故か、他殺か、自殺か? 雲をつかむような事件を地道な聞き込みと鋭い推理・尋問で見事に解き明かしていく。巨匠が捜査の実態をこの上なくリアルに描いた警察小説の里程標的傑作!~

ミステリー史上では価値のある作品・・・ということになる(のだろう)。
何となく歯切れが悪いのは、素直に「面白い!」とは思えないということ。

もちろん「警察小説」とは本来こういうもので、警察官の地道な捜査過程を綴っていくジャンル。
本作でもフォード警察署長を中心に、刑事たちの“あーでもない、こーでもない”という捜査がコミカルに描かれている。
とにかくフォードたちのやり方は徹底していて、たったひとつの物証をきっかけに、湖の水をすべて抜いてしまうほどなのだ。
(「そこまでやるか?」というこの行動が最後になって効いてくるのはさすがだが・・・)
ただ、意外な犯人や巧妙なトリックといった派手な展開は最後まで登場せず、サプライズ感も皆無に等しい。
やっぱり丁寧な捜査過程をじっくり楽しむというのが正しい読み方なのだろう。

昨今の国内警察小説は、今野敏や横山秀夫、佐々木譲など多士彩彩で、作者の熟練したプロットや筆使いを堪能できる。
それもこれも、本作の登場により「警察小説」というジャンルが確立されたお陰なんだろうなぁと感じた次第。
そういう意味では、やはりミステリーランキングに必ず登場するというのも頷ける話ではある。
でも、「中盤はちょっとダルい・・・」ていうのが素直な感想にはなるし、評価は・・・こんなもんかなぁー
(フォード署長の強引な捜査に毎回付き合わされるキャメロン巡査部長・・・大変だわ!)

No.3 6点 mini
(2014/12/10 09:57登録)
先月28日に創元文庫からヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は」の新訳版が刊行された
ウォーは数年前に未訳だった初期の「愚か者の祈り」が同じ創元文庫から出ており、中期の代表的シリーズであるフェローズ署長ものも何作か翻訳され、中後期のノンシリーズ作も出ている
「失踪当時」は中古市場のタマ数は豊富に有り入手容易だが、創元文庫のウォー作品の中でこれだけが古い訳で取り残されてた感も有るので、一応意義が全く無いわけではない、世の中は絶版マニアだけ喜ばせれば良いわけじゃないからね

大雑把な区分だが、戦後40年代をサスペンス小説とハードボイルド派の興隆期だとすれば、50年代は上記の2大ジャンルも引き続いて好調では有ったが、50年代を1つのジャンルで表現すれば”警察小説の時代”である
ハードボイルド派に比べて警察小説の隆盛に10年のズレが生じてしまったのには事情が有る
40年代に先駆者としてローレンス・トリートが登場はしていたのだが、ジャンルとしてイマイチ人気を得るところまではいかなかった
ところが50年代に入るとあるきっかけが警察小説に追い風となった、TVでの警察ドラマのブームである
またハードボイルド派が40年代と比べて50年代には大きな変化が無かった事でやや飽きられたのだろうか、一部の読者層が新しい警察小説という分野にシフトしたのかも知れない
実際に今でも名を知られる古典的な警察小説作家の多くが50年代前半にデビューしており、前半には間に合わなかったが56年に決定版とも言える作家がデビューする事になる、言うまでも無くエド・マクベインである
ただしマクベインは警察小説デビューは50年代後半だが、別名義の他ジャンルでのビューは50年代前半である
50年代後半はマクベイン1人に席巻されてしまった為、50年代前半デビュー組はやや影が薄くなってしまった感が有るのは残念だ
トマス・ウォルシュ、ベン・ベンスン、さらには通俗ハードビルド派の合作作家として50年代前半に別名義でデビューしたが50年代後半に警察小説作家を書き出す際の別名義ホイット・マスタースン、
これらの作家達は復刊などするなりして、再び陽の目を見るようになって欲しいと願う
しかし1人だけ忘れられずに名を残している50年代前半デビューの警察小説作家が居る、もちろんそれがヒラリー・ウォーなのだ
特にウォーは大都会ではない地方都市を舞台にするという独自性を持っていた
53年のデビュー作「失踪当時の服装は」はそういう背景を考えれば警察小説の歴史に燦然と輝く里程標なのである

ただし「失踪当時の服装は」は、地道な捜査という警察小説本来の魅力は充分有り無難に纏まってはいるものの、終盤に意外性があるでもなく、正直ってそれほど面白くは無いと感じる読者も居るだろう
また警察小説らしさでの初期の代表作は今では「愚か者の祈り」だと私は思うし、本格派しか興味の無い読者にとってはウォーで読んでみたいのは意外性に溢れた中期のフェローズ署長シリーズだけだろうし、読者によっては警察小説から逸脱した人間ドラマ的ノンシリーズ作を採るかも知れない

しかし内容ではなく後続作家への影響とか歴史的意義を重視するなら、ウォーでこの1作といえばやはり「失踪当時」になるのだろう
警察小説とはちょっと違うし国籍も違うが、コリン・デクスターの「キドリントン」も原題は同じなんだよね

No.2 7点 あい
(2013/03/28 01:43登録)
事件の輪郭が掴めず進んでいくストーリーは、読んでいて面白かった。地道に捜査が進展していく様は非常にリアリティーがあった。

No.1 8点 測量ボ-イ
(2009/08/02 17:58登録)
(多少ネタばれ有)

存在と評判はずっと以前から知っていましたが、ようやく本を
入手して読みました。
スト-リ-展開にリアル性があって、なかなか面白かったで
す。この小説のモデルとなるような現実の事件がかつてあっ
たのかも知れませんね。
不満点といえば、ヘアピンが遺棄されていたところの川に死
体を投棄しても、発見地点へ流れつくことはないという推理
・検証の過程が図に書いて説明していないので判りにくかっ
た事くらいでしょうか?
でも捜査をすすめる巡査部長は、さながら鬼貫警部(鮎川氏
の)の米国人版のようだったですね。後年の作家の作品に対
する影響力も大きかったであろうと推測します。
採点7点or8点で悩みますが、翻訳ものにしては読みやすい
文章でしたので8点としました。

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