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ミステリの祭典

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ハイスクール・パニック
バックマン・ブックス

作家 スティーヴン・キング
出版日1988年11月
平均点7.00点
書評数2人

No.2 7点 人並由真
(2020/08/25 14:49登録)
(ネタバレなし)
 その年の五月のある日。「ぼく」ことプレイサーヴィル高校の男子生徒チャールズ(チャーリー)・デッカーは、父カールの拳銃を校内に持ち込み、教室でいきなり数学の女性教師ジーン・アンターウッドを射殺した。次いで歴史教師ピーター・ヴァンスを射殺したチャールズは、そのまま24人の級友を人質にして教室に立てこもる。

 1977年のアメリカ作品。もともとはキングが高校在学中の1966年に書きはじめた長編だそうで、中断を経て5年後にまた執筆を再開して完成。ただし出版には至らず、『キャリー』以降の初期作の大反響を経て、さらに推敲されてパックマン名義の方で77年に刊行された。

 すでに本サイトではTetchyさんによる熱筆レビューがあるので作品の背景や解題について評者などが付け加えることはそうないが、強権的な力の行使によって、その場にいる複数の登場人物の内面や関係性の実状が暴き出されていく物語の構造には、内陸版・高校内版の『蠅の王』みたいな気配を感じた。もちろん本作の主人公チャールズの立ち位置は、そちらの作品の主題とはまた別のところにあるとは分かってはいるのだが。

 この劇的な舞台装置と24人のクラスメイト、さらに周囲の大人たち、というキャスティングを使ってキングが書いてつまらなくなる訳はないのだから、それはいい。
 あとは本作固有のオリジナルな魅力をここに認められるかどうか、だが、まあ、刊行時期までも踏まえて決して悪くはない。ポイントとなるクラスメイトのキャラ配置と叙述、主人公チャールズ自身の者をふくむそれぞれの内面の述懐、必ずしも新鮮ではないが、普遍的に読ませる訴求力がある。
 あえていえば某キーパーソンキャラの扱いがいささか定番というか良くない方で王道すぎるという感慨も湧いたが、最後まで読みおえてその思いもなんとも(中略)。
 いずれにしろ、紙幅の割に読み応えのある作品なのは間違いはない。

 ところで177ページ目でゴジラ、ギドラ、モスラ、ラドンと並んで名前があげられている日本産の怪獣「トゥカン」って何でしょう? 文脈からすれば東宝特撮映画の怪獣のはずだが、特撮ファン歴ウン十年のこちらも聞いたことない。気になって、夜っぴいて家人とふたりで本作の原書内の英語表記まで追っかけて調べたが分からなかった(Twitterでも2人だけ話題にしているが、やはり未詳なようである)。どなたか詳細をご存じの方がいたら、ご教示ください。

No.1 7点 Tetchy
(2016/11/15 00:02登録)
スティーヴン・キングがもう1つの筆名リチャード・バックマン名義で発表した作品。これがバックマン名義での第1作となる。
つい先日もオーランドのナイトクラブで銃乱射事件が発生したようにアメリカのハイスクールでの無差別銃乱射事件は多く、一番有名なのは映画にもなった1999年に起きたコロンバイン高校の銃乱射事件だろう。本書はそれに先駆けること1977年に発表されている。これは1966年に起きたテキサスタワー銃乱射事件を材に取ったと思われるが、その後コロンバイン高校の惨劇を想起させるということでキング本人が重版を禁止した作品でもある。過激な内容を扱いながらも無差別銃乱射事件を美化したような内容が逆に同様の事件を助長させていると作者自身が懸念したからかもしれない。
そう、美化したような内容というのはいわゆる銃社会アメリカでたびたび起きているような無差別殺人を本書が扱っていない点にある。ライフルを持った一人の頭のおかしい生徒が同級生たちを人質にして教室に立て籠もる。そう聞くと息詰まる警察と狂人の駆け引きと、1人、また1人と生徒たちが亡くなっていくデスゲームのような荒寥感を想起させるが、本書はそんな予想を裏切って、籠城状態の教室という特殊空間の中で高校生たちの日常生活に隠された仮面を次第に剥がして本音をさらけ出して語り、もしくはぶつけ合うという実に意外な展開が広がるのだ。
正直この発想は全くなかったため、非常に驚いた。

とにかく色んな読み方の出来る小説だ。
読了後まず想起するのはスクールカーストの変転を扱った実に特異な小説と読めることだ。
一見銃を手にした一生徒の反逆の物語と見せかけながら、彼の行った籠城行為によって生徒たちが大人への反発心を開花させる物語でもあるのだ。原題の“Rage”は主人公チャールズ・デッカーの反逆だけでなく、彼の同級生全ての大人に対する反逆心の芽生えも指している。
また学校一の人気者が、同級生による銃を持った立て籠もりという異常な状態ゆえに、日常的に抑えてきた感情が非日常によって解放されたことで通常ならば触れるべきでないことを告白しだす。それは彼らの両親が行っているクラスメイトの両親に対する噂話だったり、初体験の告白だったり、
そんな秘密の暴露がされる中で学校一の人気者が丸裸にされ、その地位が陥落する様は実に面白い。ハンサムで落ち着きがあり、フットボールの花形選手でありながら突然辞めたという絵に描いたようなヒーロー。そのミステリアスな雰囲気は想像が想像を呼び、クラスメイトそれぞれの心にある偶像を形成させていたのだろうが、それが彼の秘密を知る生徒たちによって偶像が壊れていき、次第に普通の生徒へ、いやそれ以下のクラス全員の反感を買う存在となってしまう。

このテッドの凋落は我々の世界で得ている地位や名誉という物は実に不確かなもので、ちょっとした特異な状況で容易にひっくり返されてしまうのだという警句と受け取れる。
一方、変わり者としてみなされていた主人公チャールズ・デッカーはいきなり銃を持ち込んで先生を2人撃ち殺し、降伏するよう説得を試みる校長先生、学校担当の精神科医、そして駆け付けた警察署長らを見事に出し抜くことで人質である生徒たちの尊敬を集めていく。
そういう意味ではストックホルム症候群を扱った小説ともいえる。この症候群の名の由来となったストックホルムで起きた銀行人質立てこもり事件が1973年。そして本書が発表されたのが1977年だから当時キングがこの起きたばかりの事件に由来した新たな症候群を知っていたかどうかは疑わしい。もし知らなかったとすると同様の状況を扱った本書の、いやキングの先駆性は驚くべきものがある。

鬱屈した高校生の反逆の物語。スクールカーストが無残にも崩れ去る物語。犯人に同調する集団意識の変転の恐ろしさを描いた物語。
そのどれもが当て嵌まり、どれもが正解だろう。
しかし私はここからさらに次のように考える。
これは意味のないところから意味を生み出した物語なのだ、と。
つまりチャールズの行った籠城には何の意味もなかったのだが、クラスメイト達が思い思いに胸の内を打ち明け、それぞれが抱えていた秘密を暴露することで共通の敵を見出すという意味を持ち、それに復讐する目的を確立する。

たった300ページ足らずの、しかも舞台は高校の教室内で繰り広げられるというのになんとも中身の濃い小説ではないか。但し現代のような銃立て籠もり事件が頻発する昨今、犯人であるチャールズ・デッカーを反逆のヒーローとして描く本書は確かに読んだ者の心に危うい発想を生み出す危険性を孕んでいることは頷ける。
現在絶版であるのは非常に惜しいと思いながらも、それを決断したキング本人の想いもまた理解できる、読んでほしいにも関わらず復刊することには躊躇を覚えるジレンマに満ちた作品である。

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