人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.33点 | 書評数:2110件 |
No.970 | 7点 | 船富家の惨劇 蒼井雄 |
(2020/09/27 20:58登録) (ネタバレなし) 昭和×年10月10日。和歌山県は海辺の山腹にある旅館「白浜荘」の一室で、大阪の実業家・船富隆太郎の年上の妻・弓子の惨殺死体が見つかる。現場の状況から、ともに宿泊したはずの夫もやはり殺され、何らかの理由から死体はどこかに遺棄、もしくは隠された、と思われた。容疑者として検挙されたのは、船富夫妻の娘・由貴子の元婚約者の青年、滝沢恒雄。滝沢は元恋人との復縁の了解を夫妻に願うが断られ、逆境して殺害したのでは? との大筋が捜査陣の見解となる。だが無実を訴える滝沢の抗弁のなかには、確かに事件の状況となじまないものもあった。一方、滝沢の兄・敬一郎に依頼された弁護士・桜井英俊から協力を要請されたのは、元警視で40代の私立探偵・南波喜一郎。南波は、滝沢の友人で助手役におしかけてきた青年・須佐英春とともに、船富家の殺人事件に関わりあうが、事態はさらに二転三転の様相を見せていく。 1936年3月(奥付記載)に、春秋社から刊行された書き下ろしの長編パズラー。 戦前の日本探偵小説出版界は書き下ろし作品の事例が比較的少なく、その事実は日本ミステリ界の発展において必ずしもよいものではなかったという見識をどこかで読んだような気がするが、なるほどこういう作品がさらにもっと輩出されていたら、往時の国産ミステリ文壇はさらにもっと百花繚乱になっていたかもしれない。 評者は今回、本作を「別冊幻影城」の蒼井雄特集号で読了(大昔に買ったはずだが見つからず、一年ほど前に仕方なくもう一冊、廉価な古書を購入した)。 実は少し前に別のミステリ感想サイトで蒼井の文章は読みにくい、という意見に触れていたので、そのつもりで覚悟していたら、それほどひどくはなかった。この数十年、見たこともないような言い回しや熟語が何回か登場するが、時代を考えればまあ平明な方ではあろう(一方で格段味のある文章だとも、リズミカルな文体だとも思わないが)。 しかしながら肝心のミステリ要素・趣向は、今の目で見てもかなり盛りだくさん。中には悪い意味でやはり戦前の作品だと失笑したくなるものもあるが(事件にかかわりあった女中への犯人の処遇など)、そのゴージャス感にはなかなか引き込まれる。特に犯人が主人公の探偵に(中略)は、当時にしてこういう発想があったのか! と少なからず仰天した。21世紀のいま、そのまま使える奇手では決してないだろうが、どこか半世紀のちの本邦ミステリ界に花開く新本格ジャンルの先駆のような香りすら認める。 終盤で炸裂する探偵側の立体的なキャラクターシフトもかなり痛快で、発想のベースはたしかにかの海外作品ではあろうが、ロジックの検証の応酬という機能性においてはこちらの方がずっと面白い。むしろ浜尾の『殺人鬼』のクライマックスに近いものを感じた。 クロージングのまとめかたは、読者の視点を意識して、本当の犯人像を揺さぶる、という意味で実に味わい深い(あまり詳しくは言えないが)。 あえて本作の弱点を言えば、戦前のパズラーの作劇になれていると、たぶんかなり早めに犯人の見当がついてしまうこと。しかしながら作者はある程度、そういうウィークポイントを自覚したうえで、前述のような悪役像の掘り下げを行ったフシも窺える。 これが登場したとき、さぞ日本の探偵小説界は沸いただろうなあ。 なおくだんの「別冊幻影城」巻末の島崎博の述懐エッセイ(および蒼井の未亡人へのインタビュー)を読むと、1975年に初めて当時まだ健在だった作者の消息を探し当てて初の連絡をとり、電話で「別冊幻影城」の蒼井編の刊行の了承をいただき、さらにいくつかの情報を拝受、さらにまた実際にお目にかかって詳しい回顧をお尋ねするつもりでいたら、その電話の2週間後に他界されたという(大泣)。 ご当人の口からまだまだ語られるはずでかなわなかった積年の逸話を惜しむべきか、それとも神が島崎博に与えた最後の機会に感謝すべきか……。感無量。 【2020年11月16日追記】 上の本文中で、本作の登場による日本のミステリ界の反響をイメージしたが、雑誌「幻影城」1977年8月号の中島河太郎の書誌研究記事によると、当時は大した騒ぎにならず、春秋社の企画「長編探偵小説募集」の審査に当たったプロ作家たち以外で、本作に好意的な評を寄せたのはあの井上良夫くらいだったそうである(……)。本作を主とする蒼井作品の本格的な(再)評価が固まったのは、戦後になってからだそうだ。うーん。 |
No.969 | 9点 | アラスカ戦線 ハンス=オットー・マイスナー |
(2020/09/27 04:59登録) (ネタバレなし) 1942年6月18日。日本軍はアリューシャン列島の一角アッツ島に侵攻。島を占拠した。その事実はアメリカ本国にも知られるが、大戦の主戦場が太平洋方面のなか、さしたる警戒ははかられなかった。それから2年、日本軍はアッツ島を拠点にアメリカ首都部への爆撃を行う作戦に着手。突貫工事で島にひそかに空港が建造されるのと並行して、爆撃機の飛行ルートであるアラスカ山中の気候を逐次確認・連絡する特殊部隊が派遣される。かくして元オリンピック選手で海外にもその名を知られた31歳の日高遠三大尉率いる全11人の選抜チームはアラスカ山中に潜入し、居住用の環境を整えながらアッツ島空港の完成を待つが、米国のアラスカ方面軍司令官ハミルトン将軍はふとしたことから日本軍の秘密作戦を察知。将軍の腹心の部下フランク・ウィリアム大尉は、遭難者の救助や野生動物の生態系保護に務める「アラスカ・スカウト」の第一人者アラン・マックルィアとその仲間12人に協力を要請。かくしてアメリカ本土攻撃作戦の捨て石となる覚悟の日本軍人たちと、彼らを追撃する地元アラスカの精鋭勢の戦いが開始された。 1964年のドイツ作品。作者ハンス=オットー・マイスナー(1909~1992年)は1936年から39年まで日本のドイツ大使館に勤務。日本の瑞宝章を受けたほどの親日家。 そんな作者による本作は、ヤマトダマシイを持つ日本軍軍人をこの上なく勇壮に描いた戦争山岳冒険小説の名作として、1970年代前半からすでに日本でも高い評価を受けていた(その辺の事実は、当時の「ミステリマガジン」の書評そのほかを探求すれば、21世紀の現在でもすぐわかる)。 評者も少年時代にそんな世評に触れて興味を抱き、高校生の頃に旧版の文庫版を購入。そのうちいつか読もう読もうと思いながら、実際に楽しむのは数十年後の今日になってしまった(まあ評者の場合、よくあることだが~苦笑~)。 ちなみに往年のミステリマガジンなどでは、マクリーンの『シンガポール脱出』(評者はまだ未読だが)でのステロタイプな悪役日本軍軍人キャラなどと本作を比較。その上で、まあ一般の欧米の第二次大戦ものの日本軍人の扱いならマクリーンなんかの方がスタンダードであり、本作『アラスカ戦線』みたいな立派で高潔な日本軍軍人の描写の方が希少なのだ、と語る文章を見た覚えもあった。 そんな背景もあって、たぶん本作はおそらく十分以上によくできた作品なのではあろうけれど、あまり軽い気分では読めないと敷居が高くなってしまった面もあった。それゆえ作品現物を味わうまでにあまりにも長い時間がかかった……ということもある(まあ、何やかんやではある)。 でもって実際に読むまでは、日高大尉、いかに立派な武人とはいえ、あくまでライバルキャラなんだよね? 主人公は別にいるんだよね、と踏んでいたが、現物を紐解くと、押しも押されぬ完全な主人公! これにはちょっとビックリした(アメリカ側にももうひとりの主人公といえるキャラがいるが、誰がそのポジションになるのかは、ここではナイショ←まあ、読めばすぐに大体わかるとは思うが)。 それでミッション遂行もの戦争冒険小説としての本作の妙味は、主人公の日高大尉の立場からすれば常に作戦の目的が流動的であること。 というのは、首都攻撃飛行ルートの本拠であるアッツ島の空港建設がアラスカ潜入と同時進行で続いているものの、まだ未完成。 空港がさっさと完成して、その上でアラスカから送られてきた情報をもとに爆撃機の発進が叶えばベストなのだが、戦争が激化するなかで空港の建設はなかなか予定通りにいくわけはない。それゆえ、日高の一行はアラスカ山中での無期限在留=サバイバル生活を強いられることになり、さらにそこにアメリカ側の追撃が迫る。二重三重の立体的な設定のお膳立てが、実に効果的である。 さらに、日本側、アメリカ側双方のチーム、それぞれ十数人ずつのキャラクター描写はもちろん均一に語られているわけではなく、ほとんど名前だけ登場して……の面々も何人かいる。その辺のキャラシフトを留意しながら読むと、物語の進行にかなりの緩急があって唸らされる。この辺もあまり詳しく書かない方がいいだろうけれど、すごく自然な感じで定石を外しにくる作者の作劇がすこぶる鮮やかだ。 (詳しくは、興味が湧いたら現物をぜひ。) しかし本作の本当の真価は後半ラストの4分の1であろう。思いも寄らない、しかしあまりにもドラマチックな物語の流れには一種のトリップ感さえ覚えた。というより最後の(中略)はドラマというより、完全に一級のロマンであった。 なおラストに関しては道筋が読めてしまう部分もあるんだけけれど、むしろ<そこ>に着地するまで、作者はとにかく安易な作劇だけはしまいと描写を積み重ねた、そんな手応えがある。 言い換えるなら、読者のためにも、そしてなにより作中の登場人物たちの長い重い辛苦を軽んじないためにも、極力イージーな物語の組み上げは最後までしたくない、という作者の気概を見た。そういう意味で、すごく誠実な作品。万感の思いのクロージングに関しては、ここでは、あえて何も言わない。 かねてより評判の良い名作と聞きおよんで読んで、さらにその世評を上回る傑作ってやっぱりあるんだと、そういう感じの一冊であった。 |
No.968 | 5点 | 造花の蜜 連城三紀彦 |
(2020/09/24 03:48登録) (ネタバレなし) 長さに比例して、倦怠感が相応に募る作品。 だいぶ前にブックオフで200円で買った元版(ソフトカバー)は2009年3月の第6版で、帯には、初版の刊行以降に各方面で絶賛されたらしい本書の書評の引用や賛辞が書いてある。 (たぶん自分もそんな景気のいい物言いに気を引かれて、しばらく前にこの本を買ったのだろう。) それで先日、部屋の中からその本が出てきたので、後期(晩年?)の円熟の境地の連城を期待して読んだ。そしたら実際の現物はダラダラと長い、くわえて魅力もない登場人物ばかりの筋立てで、いささかゲンナリ。 帯に書いてある「どんでん返しの、信じられないほどの連続技」に関しては、初弾のネタがなかなか。続く2つめが本作の一番のキモだろうと思えるし、自分もちょっと面白いと感じた。けれど読了後、一時間も経たないうちに「数十年前の某・国産パズラーの大技の焼き直しじゃないの?」と気がついて、そこで評価が変わった。 でもって最後のアレは事前に真相が読めたし、プロット全体の構造からいえばオマケみたいな部分だものね(いいちこさんのおっしゃる「ボーナストラック」「蛇足」という修辞がかなり的確か)。まあそれでも、うまく物語の流れに組み込んであるとは思うけれど。 後期の連城長編は正直、あんまり読んでないんだけれど、自分がよく知ってる80年代のこの作者だったら、同じ物語を3分の2~4分の3の紙幅で書いたようにも思える。その意味でもあまり楽しめたとは言い難い。 というわけで評者はまだまだ未読の連城作品は多いのだから、きっと、もっとずっと面白いものにも出会えるよね? |
No.967 | 8点 | 暗闇へのワルツ ウィリアム・アイリッシュ |
(2020/09/22 04:46登録) (ネタバレなし) 1880年5月のニューオリーンズ。37歳のコーヒー輸入業者ルイス(ルー)・デュランドは多額の財をなしながら、15年前に恋人マーガレットと結婚直前に死別した辛い過去があった。心の傷を抱えたまま独身を貫いてきたルーだが、ついに彼は一念発起。結婚斡旋所が紹介したセントルイスの年増女ジュリア・ラッセルと数回に及ぶ文通をへて、婚約を果たした。かくしてニューオリーンズの港に、花嫁となる女性を迎えに行くルーだが、手紙で写真を送ってきた女性は姿を見せない。かわって、私がジュリアだと名乗る、謎の美しい若い娘が現れた。 1947年のアメリカ作品。 評者が未読でとっておいた、残り数少ないアイリッシュ=ウールリッチの長編の一本(……と思いきや、少し前に再確認したら、手つかずのウールリッチの長編は、まだそれなりに残っていた・汗&笑)。 少年時代(まだHM文庫版も刊行されていない時分)に、どっかの古書店で買ってそのままだった、当時絶版のポケミスで本日、読了(おしりの方の遊び紙に鉛筆で170円という古書価が書かれている)。 そのポケミス版は370ページ以上の厚みで、ウールリッチ=アイリッシュ作品としては比較的長めの方だと思う。それゆえにこっちも読むのを気構える面もあり、ついに今日までウン十年間手つかずのままにしていた。が、実際に読み始めるとやめられず、一晩で読み終えてしまった(笑)。 いや、評判が高いことは聞いていた作品だが、とにかくメチャクチャ面白い。 内容についてはそのポケミスの裏表紙のあらすじも、本当にかなりごく最初の展開だけを記述。前半からストーリーが弾みまくる作品なので、なるべくネタバレにならないように、ポケミス初版の刊行当時から書きすぎないように心がけた編集部の気遣いがうかがえるような気もする(だからこのレビュー冒頭のあらすじも、なるべく序盤だけ記述)。大体、どんな方向に流れるか語るだけで、ある種のネタバレになってしまうような内容だ。 (とはいえポケミス巻末の解説で、ツヅキは「この作品はどーのこーの」とそれなりに具体的に作品の性格を語ってしまっている。まあツヅキのその解説は、本文の読了後に目を通してくれという意向かもしれないが。) というわけで、本作はウールリッチ(アイリッシュ)長編のなかでもかなり(中略)の趣が強いもの。 しかしそれでも「黒シリーズ」の一環たるノワールサスペンス味は強烈で、いつもの作者の作風を期待して裏切られることはない。 そして長丁場の物語を起伏豊かに、そして大きな破綻なく読ませる筆力の面だけ言うと、これは何というかシェルドン、キング、クライトンあたりのA級職人作家みたいな大衆小説っぽい面白さを感じた。 そんな一方で前述の(中略)ジャンルらしいミステリ味、ウールリッチらしい作風も兼ね備えているのだから、つまらない訳はない。 ファンによってはウールリッチのベスト作品に推す人もいるみたいで、ああ、さもありなん、という感じ。 評者も『喪服のランデヴー』の不動1位はゆるがないものの、ウールリッチの長編ベスト3候補なら、この作品を十分に勘案したい。 後半で絶えず微妙に変遷し続ける主人公コンビの関係性、テンポよく読み手をあきさせない劇中イベントのつるべ打ち、最後の二転三転を経た余韻のあるクロージング、随所にとびだす警句の妙。 すべてが骨太な、大衆小説なサスペンスミステリの風格を築き上げていく。印象的な名シーンも実に多い。特に後半。 最後に、1940年代後半の作品なのに、なんで作中の時代設定が半世紀近くも前なんだとも思ったけれど、読んでいくうちになんとなく分かってくる。なにしろ男の心情が純朴すぎて、これは「むかしむかしあるところに……」的な大人のお伽話っぽいデコレーションを設けなければ、照れ臭くってやってられない。たぶんそれは、読む方も書く方も。 とはいえ、ウールリッチがこんな球を放るのか、と驚愕したほどの豪速球。 たとえばスティーヴン・キングなら『IT』がもし内容的に成功していたのなら、きっとこんなボリューム感と作品の完成度の足並みが揃った名作になっていたんだろうな、と思わせる作品である。 (実際の『IT』は、とてもそんな高みに及んでいるとは思えないけれど。) もし誰かがこれを「ウールリッチが生涯にただ一本だけ書いた、本気でボリュームを武器に勝負した一冊」というのなら、自分は黙って頷くでしょう。9点にかなり近い8点。 |
No.966 | 5点 | 二つの顔 リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンク |
(2020/09/20 14:15登録) (ネタバレなし・ただしあくまで小説=ノベライズ版のレビューなので、原作ドラマ版の前もっての鑑賞もしくは復習は推奨。) 広域スーパーマーケットチエーン店の社長で55歳の大富豪クリフォード・パリスは、はるか年下の美人リザ・チェンバースと婚約。これに慌てたのが、彼の甥である29歳の一卵性双生児のパリス兄弟、弱気な兄・銀行副支店長のノーマンと強気な弟・料理研究家タレントのデクスターだった。婚姻後にクリフォードが死亡すると莫大な財産が新妻のものになると考えた甥は、独身最後の夜に心臓発作に見せかけて伯父を殺害するが……。 原作ドラマは「コロンボ」第二シリーズの一編で、シリーズ通算第17話のエピソード。 原作ドラマ「二つの顔」は名優マーティン・ランドー(『スペース1999』や『スパイ大作戦』、映画『メテオ』ほか)が双生児の兄弟役をひとりでこなしており、倒叙ものながら双子の実行犯がどちらかわからない、変化球のフーダニットでもあるのがミソ……とよくいわれている。 しかし実際にドラマを見ると実行犯は、強気な弟デクスターで、少なくとも画面を観ればこれはキャラクター描写で一目瞭然。 となるとこれは 1:実行犯はそのままデクスターである 2:ノーマンが弟に罪を着せる、あるいは自分の嫌疑を逃れるため、作中の関係者はおろか視聴者まで騙そうとしている ……のどちらか、ということになる(実は三つ子以上だったオチでもないかぎり)。 だが肝心のドラマは<2>の方に視聴者の興味を誘導するべきシナリオも演出も中途半端で、本来は面白いものになるハズの趣向がまるで生きていない。 でもって今回、家の中から何十年もの間に買い貯めた「コロンボ」のノベライズが山ほど出てきたので、そういえば「二つの顔」のあの映像でしか見せられない仕掛け(マーティン・ランドーの二役によるミスリード? あるのかないのか)は、地の文で実行犯の名前を書かなければやりにくいノベライズはどうなっているのであろう? と思い、本当に久々に小説版「コロンボ」を読んでみた。 そうしたら小説版では実行犯ははっきりと、客観的な神の視点(三人称)描写でそのまま(中略)と書いてあり、これはいろんな意味でムニャムニャ。本作の小説版の実執筆(公称は翻訳者)は本シリーズのメイン作家のひとりである野村光由だが、この方は原作ドラマのその辺の妙味(倒叙にして変革フーダニット)という側面はあまり重視しなかったようだ。まあ正にノベライズしにくい部分だから、無造作に放り出してしまったんだろうね。 ちなみにこの小説版ではドラマにないハズのオリジナルな脚色(もしかしたら原典ドラマの脚本にはあったけれど、映像化されなかったシーン?)として、堅物の初老メイド、ミセス・パメラに対してコロンボが「あまり厳しい物言いはいい加減にしてください、私だって人間なんだ(大意)」という感じで激昂、それを見たパメラ夫人がそれまでただのダメ男と思っていたコロンボを異性として意識するという、じつに愉快な描写がある。感情をむき出して憤怒するコロンボの図といえば、原典ドラマシリーズの後年のあの話が有名だけど、小説版ではこういう描写がすでにあったんだね。奥が深い。ちなみに準メインキャラであるミセス・パメラは、その内面描写の掘り下げもふくめて小説版でなかなか厚みのあるキャラになっているようで、たしか小説オリジナルのラストのコロンボとのやりとりも泣ける。 いや、この辺の小説のみの味わいを普通に楽しんでこそ「コロンボ」ノベライズ世界の賞味というものです。 【付記】 ・今回のレビューは直前には原作ドラマを再観賞せず(過去には最低2回は観ている)、宝島社のムック「刑事コロンボ・完全事件ファイル」を参照しながら執筆。 (ほかに「コロンボ」のファンサイトのこの回のレビューもいくつか参照。) もちろん、小説版はしっかり読んだ。ここはミステリ小説サイトですので。 ・小説版のキャラクター名のカタカナ表記は一部に日本語ドラマ版と異同があるようだが、本レビューは小説版の表記に準拠。 ・先行の江守森江さんのレビューは、原作ドラマ(および本小説版)の、最後にわかるミステリ的な趣向を思い切りネタバレしているので、注意。 |
No.965 | 5点 | Nのために 湊かなえ |
(2020/09/20 03:53登録) (ネタバレなし) 数年前、さる流れでブックオフの100円均一で購入し、そのままだった本を思いついて読む。 でまあ、感想は、うーん……。 なるべく曖昧に書くように心掛けるつもりで言うけれど、こういう作品は主要キャラの大半に、シンクロは無理にしてもせめてその心情の理解くらいはしたほうがいいと思う。 しかし実際にはその辺りがものの見事に難しい作品で、題名の「Nのために」がほとんどまったくこっちに染み込んでこない。まあ(中略)でもあるのだが。 トリッキィなミステリとかじゃなくって、味噌醤油味のシムノンの普通小説みたいな感じの作品であった。しかしシムノンのその手の作品のアベレージほど、心に響かないけれど。 人気番組になったらしいドラマは観てないんだけれど、出来はどうだったのであろう? もしかしたら脚色のやりよう、キャラ同士の距離感の改変によっては、この原作よりもずっと面白くなったかもしれんね。そういう可能性だけは認める。 作者がどういうものをやりたかったかは、なんとなく見えるような気はする。しかしできたものは、あれこれ踏み込み方に狂いがでてしまった感じ。 (シャープペンシルの辺りだけは、ちょっと連城ティストみたいで良かったかも。) 湊作品はとにもかくにもこれまで10冊近くは読んでいるけど、そのなかでマイ・ベストといえば、原状のところ、断トツで『望郷』です。なかなか、あれに張り合える1冊には出会えません。 |
No.964 | 7点 | 雪だるまの殺人 ニコラス・ブレイク |
(2020/09/19 17:16登録) (ネタバレなし) 世界大戦の影響が強くなる1940年の英国。名探偵としてすでに高名なナイジェル・ストレンジウェイズとその妻ジョージアは、ジョージアの従姉妹の老嬢で歴史学者クラリッサ・カベンディッシュから相談を受ける。その内容は、クラリッサと親交の深い一家、退役軍人ヒヤワド・レストリックを当主とする「イースタハム荘園」で、飼い猫が奇矯な行動をとるなど不穏な気配があるというものだ。早速、幽霊の伝説も残るくだんの荘園に乗り込むストレンジウェイズ夫妻とクラリッサだが、訪問して宿泊したその夜のうちに家人の一人が変死。しかも自殺のように見えたその死体には、他殺の疑惑が浮上する。 1941年の英国作品。番外編をふくめて、ナイジェル・ストレンジウェイズものの第七長編で、ナイジェルの最初のヒロイン、ジョージアの最後の活躍編(涙)。 物語の冒頭、雪だるまの中から(誰かとはわからない)死体が見えかけるところで第一章が終了。第二章の冒頭からは、クラリッサの依頼でナイジェルとジョージアが動き出す物語の流れが語られ、これが本編の90%前後を占めたのち、最後の最後で第一章に戻る。そこではじめて、結局、誰が殺されて雪だるまの中に押し込められていたのか、そして事件全体の真相までが明かされるという、なかなか凝った構造。 当然、雪だるまの中の死体の該当人物としての可能性があるものは物語の進展に応じて絞られてもくるが、ある意味で「被害者は誰か?」的な側面もある作品で、そういう興趣も加算してかなり面白かった。 nukkamさんがお怒りになる<「前半で死体が全裸だった事実」が謎解きの要素としてまったく無意味>だというご指摘には返す言葉もないけれど(汗)、その辺はもしかしたら作者ブレイクの単純な軽い猥褻描写だったのかも? 生涯の著作を読み進めるとわかるけれど、このヒト、けっこうエッチだったから(笑)。 冒頭のインパクトで全体の緊張感を堅守しながら、物語の実質的な流れは、幽霊伝説の怪談もちょっとからむ館もの(カントリー・ハウスもの、というべきか)として展開。主要キャラも全体にくっきり書き分けられていて、まったく退屈しなかった。 あと、被害者の陰影のある過去像が次第に浮かび上がってくる流れは、ほぼ10年後のガーヴの『ヒルダ』に影響を与えているかもしれない? 戦時下の地方の灯火管制の描写や、ナチスの台頭の話題など、この作品が生まれたリアルタイムの時代色も味わい深いし。 最後の意外性……という点ではそんなでもないけれど、普通に書いたら佳作程度で終わるところを、ちょっとトリッキィな仕掛けをいくつか設けて秀作に格上げした感じ。 ナイジェルシリーズのなかでは、個人的には上位の方に推したい。 最後に、最後までおしどり夫婦探偵のベストパートナーだったジョージアに花束を。 自分が翻訳ミステリファンである限り、あなたのことはずっと忘れません。 追記:翻訳が、あの斎藤数衛。このヒト、1980年代のHM文庫の新設時代にカーの旧訳を訳し直したこと、さらにはあの個性的な箇条書き風の訳者あとがきで印象深いけれど、もうこんなころからミステリを訳してたんだね。ちょっとビックリした。 翻訳は全体的に平明だったけれど(一部のカタカナ言葉に時代的な違和感はあったが)、ナイジェルがジョージアを「あんた」と呼ぶのだけは閉口でした。普通に「きみ」じゃいかんのか? |
No.963 | 6点 | メグレとルンペン ジョルジュ・シムノン |
(2020/09/18 05:07登録) (ネタバレなし) その年の3月25日。セーヌ河の河岸で年配のルンペンが何者かに襲われて重傷を負った。彼は元医者らしくそのまま「お医者さん」と呼ばれ、近所の一部の住民にそんな身の上ながら敬愛されていた。誰が何の理由で、わざわざルンペンなど襲ったのか? 部下のラポワントを伴ったメグレは捜査に着手するが。 1962年のフランス作品。久々にメグレものの長編を読んだ。実のところ手元近くに何冊か河出の「メグレシリーズ」はあったが、みんな変化球っぽい内容みたいなので、どうせ久しぶりに読むならシリーズの正統派風のものがいい、と思ったのだった(それで家の中から未読のこれを見つけるのに、ちょっと時間がかかった)。 でもって本作の内容の方だが、地の文に、フランス国内を騒がす大事件なみに、(たかが……と言ってはいけないが)初老のルンペンの傷害事件に躍起になるメグレを揶揄するような、囃すような文章が出てくる。とはいえ読者のこちらは、メグレがそんな被害者の社会的格差を理由に捜査ぶりに差をつけるような人間だとはハナから思っていないから、こんな煽りめいた叙述も大して心に響かない。 そんな意味では、どこまでいっても全体に地味な一編ではあったが、メグレ夫人の積極的な内助の功、「お医者さん」の仲間のルンペンや彼のもとの家族たちの描写など、シムノンのメグレものの世界を普通に築いて快い。ミステリとしては、後半になって物語の比重がある側からあるサイドにがらりと切り替わる瞬間がミソか。まああまり詳しくはここでは言えない。 クロージングはちょっとひねった、変化球の終わり方を迎えるが、それなりの余韻があるのは良い。たぶんなんとなく、物語の先に来る、とある展開を読み手に想像させようとしている雰囲気もあり、そこもまたこの作品の味。 突出した部分はそう多くはないが、メグレものの長編としては普通に楽しめる佳作でしょう。 |
No.962 | 6点 | 疑問の黒枠 小酒井不木 |
(2020/09/17 10:50登録) (ネタバレなし) その年の10月の名古屋。実際にはまだ健在な金持ちの死亡告知記事が、相次いで新聞に掲載される。しかし怪事の三人目の被害者で大会社「村井商事」の社主である当年60歳の村井喜七郎は、この珍事を面白がり、菩提所・東円寺の住職の協力をとりつけながら実際に葬儀を行おうとする。喜七郎は葬儀の場に奇術師・旭日斎松華を招いて趣向も考えるが、そこで生じたのは当人も予期しない出来事だった。 昭和2年の作品で、オリジナルの創作物としては日本最初の長編ミステリという見識もある一編。浅学の評者でも作者・小酒井不木については本当にわずかばかりの知識はあり、以前から関心はあったが、このたび「別冊幻影城」の小酒井不木編で読了した。 一読、これが本当に本邦最古の長編だったのか!? と驚かされるような仕掛けと趣向に富んだミステリで、その豊潤な内容に感嘆した。作品の方向としては謎解きの興味がそれなり以上にあるスリラーという趣だが、起伏の豊かな展開、特に中盤以降の登場人物の意外性のあるポジショニングに独特な感興を覚える。 前述のように評者の不木観はまだまだ貧弱なものだが、それでもこの一編を著するに至ったこの時点の作者の海外ミステリをかなり読み込んだ確かな素養は実感する(実際、物語の冒頭はソーンダイクの探偵法に触れる法医学者・小窪介三の会話で開幕。物語の中盤にはチェスタートンの『知りすぎた男』の話題も登場する)。 終盤に至る意外性や物語のテンションを求めるあまり、多少の無理筋、さらに伏線の張り方やものの考えの詰め方の甘いところは見受けられる気もするが、とにもかくにも昭和最初期に書かれた、全ての国産長編ミステリの先駆という事実を考えればエレガントな出来だという評価をするにやぶさかではない。 登場人物もそんなに多くないし、文章も時代を考えればかなり平明。国産ミステリファンは、趣味を楽しむ上の素養として機会を見て触れておくのもよいと思う。 |
No.961 | 6点 | 8の殺人 我孫子武丸 |
(2020/09/16 05:46登録) (ネタバレなし) 初刊から30年以上経って、初めて読んだ(汗)。 ユーモアミステリとしてのゆかしさについては、三つ昔前ならこちらももっと純朴に楽しめたはずが、平成に豊潤をきわめたキャラクターミステリの爛熟を経て、今となってはすんごく地味になってしまった感じ。 とはいえ最後に明かされた犯人のキャラクターは、個人的にはなかなか鮮烈だった。第二の殺人の(中略)という事象も結構面白い(なお○○○というキーワードから、同時代? の某・新本格作品を連想したが、厳密にはどっちが早かったんだっけ?)。 あと、死体を動かしたホワイダニットの謎解きもよろしい。 割とホメるところも多いが、全体的には、昭和ミステリみたいな枠のなかに落とし込んでカビ臭くなってしまった平成初期の新本格、というあたりが正直なところ。 それと巻末にまとめたとはいえ、こうも堂々と品のないネタバレのオンパレードをやっているのは、悪い意味で若さだなあ、という印象。 『三毛猫ホームズの推理』のメイントリックをさも革新的なもののように書いているけど、作者は本書の執筆後にミステリの知見が増えてからさぞ早まった、と思ったろうね? そのくらいの天罰はあってもいい。 |
No.960 | 6点 | 女豹―サンセット77 ロイ・ハギンズ |
(2020/09/15 04:31登録) (ネタバレなし) 1944年のロスアンジェルス。「私」こと私立探偵スチュアート・ベイリーは、40歳の広告会社社長ラルフ・ジョンストンのオフィスに招かれ、依頼の相談を受ける。相談内容は、ジョンストンは先週、24歳の若妻マーガレットの秘密を握るという男から匿名の電話を受け、恐喝の事前連絡めいた物言いをされた、まだ直接の実害はないが妻の秘められた過去について調査してほしいというものだ。早速、マーガレットの母校などを訪ねて回るベイリーだが、やがて彼女が1938年に喜劇役者バスター・バフィンと駆け落ちしていた? という情報を入手。ベイリーはバフィン当人に接触を図るが、やがて予期しない殺人事件に遭遇した。さらにこれ以上調査を続けないようにと、ベイリーにも脅迫の手が伸びてくる。 1946年のアメリカ作品。 作者ロイ・ハギンズ(1914~2002年)は若い頃は小説家として活躍。本作を含む数冊のミステリを著したのち、1950年代にはテレビ業界人に転向。あの『逃亡者』『ロックフォード(氏)の事件メモ』など多くのヒット作にプロデューサーとして携わるが、その中のひとつが本書『女豹』を原型に1958年からアメリカで製作放映されたTVシリーズ『サンセット77』である。 邦訳ミステリ『女豹』は1962年5月にポケミスから刊行される前に、日本語版「EQMM」に1961年12月号~62年5月号にかけて連載。 これは日本でも当時、前述のTVシリーズ『サンセット77』が1960年10月から放映されて人気を博していたため、その原作(原型)小説を発掘する趣旨で翻訳紹介された流れだったようである。 ちなみに評者などは外国テレビ史上にて『サンセット77』が50~60年代にかなりの人気番組&話題作だったことは、あちこちで聞き及んでいる。が、1980年代からずっと自分なりに機会があれば観たいと網を張っていても、ほとんど日本語版の再放送や映像ソフト化の機会もなく、現物に触れるチャンスもない(数エピソード分、20世紀の末に、地上波で傑作選を放映したこともあったような覚えもあるが、その時には視聴がかなわなかった)。 とはいえ原型小説『女豹』とTVシリーズ『サンセット77』の内容がかなり乖離していることは自明のようで、スチュアート・ベイリーという同じ名前の私立探偵(主人公)はそれぞれに登場するものの、そのキャラクターはだいぶ違っているらしい(要はコミック版&東映動画版『ゲッターロボ』とか、松田優作の主演TV版&小鷹信光版『探偵物語』とか、ああいう感じなんだろう)。 それでまあ、評者は前述のように(興味は十分あるにせよ)TV版『サンセット77』は現在まで全く未見。従って今回のレビューはあくまで小説単体の感想ということになるが、正直、良かったところと不満点が相半ばという感じ。 ところでポケミス巻末の訳者あとがきで稲葉由紀(明雄)は、本作が正統派ハードボイルドである論拠として、 1:私立探偵の一人称による叙述スタイル 2:口語体の文体 3:内面描写の徹底した排除 4:作者の都合によらない、あくまで作中の時系列による叙述 ……をあげており、その観測はおおむね正確ではあろう。だが一方で正統派ハードボイルドの形質に沿っていれば、できの良いハードボイルドミステリになるという訳ではないよね? と不満のひとこともいいたくなる(苦笑)。 それくらい、よくいえばストーリーに起伏があるし、悪く言えば話がとっちらかっている作品なのだ。 作品のタイトルも原題は「The Double Take(喜劇役者が「ぎょっ」と驚く際の仕草の意、のようなもの)」で日本語にしにくいから、ひとくせありそうな女性ばかり登場する作品とのいうことで『女豹』という邦題にしたそうだ。 が、これがまた意味深。実際に、物語にからむメインヒロインっぽい女性が4人も登場してきて、その役割の配置が散漫。特にそのうちの2人のヒロインは、ひとりにまとめればいいんじゃないか? とも思える。 まあ、作者ハギンズ、のちのプロデューサー気質をすでにこのころからしっかり備えていて、きれいどころの女優をバンバン登用するような気分で、作中ヒロインだけは多めに用意していた、という印象だ。 一方で、かなりややこしい複雑な事件の流れが、終盤になって実は(中略)という物語の構造の判明と同時にいっきにわりきれるのは、ミステリとしてはなかなかよくできているかもしれない。 ただまあ見方によっては、一種のHIBK派ともいえそうな仕掛けでもあり、まあここではこれ以上は書けない。 全体に骨太っぽい作風は悪くはないが、エンタテインメントミステリとしても、文芸性に頼る傾向のハードボイルドミステリとしても、それぞれ良くも悪くも中途半端(繰り返すが、良い面もそれなり、にはある)。 ある意味では、のちにこれをもとにしたTVシリーズなんか作られたのも不幸だったかもしれない。クラシック・ハードボイルドが好きな好事家があくまで本作を単品の作品として鑑賞して、40年代の後半にこんな佳作? があったんだよ、と折に触れて語りつげばいい、もしかしたら本当はそういった作品になるはずだったようにも思えてくる。 |
No.959 | 7点 | 被害者を捜せ! パット・マガー |
(2020/09/13 15:00登録) (ネタバレなし) 1944年のクリスマス。アリューシャン列島(アラスカからロシアに向けて伸びる列島)に駐屯するアメリカ海兵隊員たちは、娯楽、特に読むものに飢えていた。そんななかで「ぼく」ことピート・ロビンズは慰問品を梱包していた新聞紙の切れ端から、地元のワシントンでの勤務先の会社「家事改善協会」の総代表ポール・ステットソンが、会社の幹部の誰かを殺したという事件を知る。だが新聞記事の紙片は中途半端に破れ、誰が殺されたかが不明。ヒマを持て余すロビンズの仲間たち十数人は、ロビンズのワシントンでの数年間分の述懐を聞き、殺された可能性のある10人の幹部の中から<いったい誰が被害者なのか>を当てる、賭け金込みの推理勝負を始める。 1946年のアメリカ作品で、作者マガーの処女長編。 いまさら改めて紹介するまでもない、ミステリ史に輝く革新的な作品(厳密には類似の前例はあるようだが)。 評者は大昔の少年時代に、中島河太郎の「推理小説の読み方」で本作の存在を初めて認知。そんなぶっとんだ趣向の作品があるのかと思って数年後に当時まだ絶版のポケミス(『被害者を探せ』)も入手したが、実際に読み終えたのはそれからウン十年後の今日になった(もちろん創元文庫版)。 ……なんだ評者の場合、『七人のおば』(『怖るべき娘達』)と、ほとんど一緒の作品との付き合い方だな・笑(向こうは「推理小説の読み方」はカンケーないけど)。 それで本作の中身ですが、まず開幕の描写がケッサク。活字に飢えて梱包用の詰め物の婦人用ドレスの広告まで読み漁る悲喜劇の描写は、味噌蔵に閉じ込められためぐろ・こうじ(北上次郎)か、無人島に放り出された読子・リードマンかという図でいきなり爆笑させられる。でもってあまりにも(うまいこと&作者と読者に都合よく)肝心のところだけ破れている新聞記事。その欠損具合のわざとらしさにも腹を抱えて大爆笑。いやこの序盤だけなら、本題の「被害者捜し」という趣向まで踏まえて10点あげたいぐらいであった。 とはいえそのあとはさすがにちょっとクールダウン。いや一本の小説、そして企業内の人間模様ノベルとしては十分以上に面白く(特に中盤で、ドラマを弾ませるカンフル剤みたいな女丈夫、ロレッタ・ノックスおばさんが出てくる辺りとか)、ミステリとして要求される結構にもよく応えているのは本当によくわかる。だけど出だしのインパクトがあまりに強烈すぎて、一種の出オチ的な側面が生じてしまったのは仕方がない(汗)。 あと創元文庫の解説では折原センセイは本作を「カットバック手法」と書いているけれど、ロビンズのワシントン時代の回想が始まってからは、最後の最後にアリューシャン列島での場面に戻るまで一本調子の描写だよね? こういうのってカットバック手法って言わないと思う。 実は個人的にやってほしかったのは、このカットバック手法の技巧で、ロビンズの述懐の合間合間に2~3回ほど、アリューシャン列島側の短い叙述をつっこんで海兵隊員たちのキャラクターをそれぞれもうちょっと事前に見せておけば、最後の推理合戦の部分も「おお、あの海兵隊員は、あの被害者を推すのか!」的にクライマックスとして盛り上がったのではないか。その辺はぶっとんだ革命的な作品ながら、さすがにまだまだ習作っぽい処女作という印象もあった。あと、最後の決め手の手がかりは、もうどうしたって後年の日本人にはわからないよね。 そんなこんな、さらにはわざと趣向を曖昧な感じにしたタイトルまで含めて、個人的にはやはり『七人のおば』(『怖るべき娘達』)の方がより完成度の高い作品という思いではある。 ただし本作の奇想的なインパクトとそれを支える舞台設定の叙述のパワフルさは、ゆるぎのない普遍的なものだと今でも信じる。そしてラストのくすぐったい(どっかにラブコメティストを感じる)クロージングも素敵。素晴らしい作品なのは間違いはないでしょう。 マガー初期作5本の、残りの未読の3冊も楽しみじゃ。 |
No.958 | 6点 | THE QUIZ 椙本孝思 |
(2020/09/11 15:24登録) (ネタバレなし) 大学生・笠間翔太は、学友で恋人の添川陽奈とともに、応募倍率数百倍というクイズ番組に回答者として参加した。彼らを含む回答者10人は相応に優れた頭脳の若者ばかりで、人気の司会者・萩尾康平の進行で企画がスタートする。だがこのクイズは、一問ごとに不正解の者が順々に振り落とされ、その失格者は殺されるという恐怖の趣向だった。 この作品の味わいを例えるなら、さだめし、流行りものということは聞いてはいるが、自分(評者)からはまず手を出さないタイプの青年漫画みたいな感じ。そんな感覚で語られる、ホラーミステリ。 途中の展開はこの手のものとしては及第点は取っていると思うし、中盤の山場のイヤンな感じもそれなりに鮮烈ではあろう。 2時間で読み終えられる内容だが、こんなイカれた設定なのでラストはさぞ投げっぱなしで終わるかと思いきや(中略)。まあよくあるオチの変種ともいえるが、妙な余韻を残すのは評価。たまにはこういうのもいいです。 |
No.957 | 5点 | その死者の名は エリザベス・フェラーズ |
(2020/09/10 12:56登録) (ネタバレなし) 1930年代の後半(たぶん)、その年の1月。英国の片田舎チョービーの村。ある夜、そこに住む40代前半の未亡人アンナ・ミルンが、自分の車で人を轢き殺してしまったと青年巡査のセシル・リートに訴える。路上の死体は村で見かけない中年の男で、やがてその死体と現場の状況にはいくつかの不審な点が露見。そして肝心の死体の身元が判然としなかった。土地の警察の巡査部長サム・エッグベアは捜査を進めるが、そこに現れたのは彼の旧友で元事件記者のトビー・ダイク、そしてトビーの相棒のジョージだった。 1940年の英国作品。評者はフェラーズ作品は、この数年内に翻訳されたノンシリーズものはいくつか読んでいるが、トビー&ジョージものはこれが初めて。一応、読む順番を選ぶことができるのでシリーズ第一弾(作者のデビュー長編)の本作から入ったが、読み終えての全体の感想は、面白いような、そうでもないような……といったところ。 被害者の素性が半ばで一応は見定められたもののまだ疑義が残り、そして……(中略)の流れとか、終盤の(中略)とか、ミステリの作法として処女作からそれなりに高いハードルをこなそうとしている意欲は評価したい。ただし肝心の真相の相応の部分の明かされ方が(中略)というのは、ちょっとイージーに思えたりする。最初の事件(人死に)に至る事情の流れなんかは、なかなか面白いとは思ったんだけれどね。 ちなみに主人公探偵コンビのトビー&ジョージの実質どっちがホームズでどっちがワトスンかわからない? という趣向は、なんかノックスを思わせる感覚で笑ったけれど、訳者あとがきななどで「迷探偵」と称されているのがわかるような、いまひとつピンとこないような……。この辺は本書の翻訳刊行の時点で、すでにのちのシリーズ作品を先に読んでいた当時の現在形ファンならわかる感触だろうか? 個人的には翻訳はおおむね悪くはないと思うが、一部の人物名の表記で妙なこだわりがあるのが、ちょっとひっかかった(エメライン・マクスウェル→ほぼ一貫して「奥方」とか)。ただしこれは、役者があえて原文のクセを拾い上げたのかもしれないけれど。 あとジョージが自分の苗字で延々と人をケムにまくのは、これは今後シリーズを読み進めれば、事情が見えてくるんだよね? それなりには楽しめたけれど、期待したほどではなかったかな、という感じ。評点は実質5.5点というところで。 |
No.956 | 7点 | 危険な未亡人 E・S・ガードナー |
(2020/09/09 14:18登録) (ネタバレなし) 『吠える犬』事件の公判でメイスンの戦果を認めた、富裕で若々しい68歳の未亡人マチルダ・ベンスン。そんなマチルダはメイスンの事務所を訪れ、賭博船「豊角(ホーン・オブ・ブレンディ)」にてギャンブルでの負債を抱えた孫娘シルヴィア・オックスマンに関するトラブルを訴える。富豪のマチルダがシルヴィアの負債を払うこと自体は可能だが、シルヴィアの夫でブローカーのフランクがさる利権上の理由から離婚を画策。それで離婚時に自分を有利にするべく、妻がだらしないギャンブル依存症という証拠となる、胴元からの借用書を入手したがっている。だからメイスンにそれを阻止してほしいと願うのだ。かくして相棒の私立探偵ドレイクを連れ、賭博船に乗り込むメイスンだが、船上では予期せぬ殺人事件が。 1937年のアメリカ作品。メイスンものの第10作目(長編限定?)ということで、割とシリーズ初期の作品だと思うが、洋上の大型ギャンブル船という閉鎖された舞台に二回に渡って乗り込んでいくメイスンの実働が、40~50年代私立探偵小説っぽくてステキ。 特に第二回目の乗船では相棒のドレイクとも別働し、そこで心身ともに機転の利いた動きを見せる(公的で客観的な記録をわざと残させるため、半裸になって自ら身体検査を受けるあたりの見た目のみっともなさも、逆説的にカッコイイ)。メイスンものでこういう趣の楽しさを感じるのは本当に久々、いや初めてかもしれない。 メインゲストキャラのマチルダばあちゃんは、メイスンの事務所を訪問早々「私は別に殺人を犯したわけではない」と軽口ジョーク。いや、作中のリアルでメイスンが何度も殺人事件に関わり合い、それが世の中にも広く報道されていることを前提にしたジョークだろうが、素で読むと<弁護士の事務所に入室して、いきなり自分は殺人犯ではない、と主張するおかしなばあさん>である。しかもポケミスの裏表紙あらすじでは、そんな冒頭の一幕をいかにもいわくありげに書いてあるものだから、なんかオカシイ。大昔からポケミスのこの記述は、妙に心に引っかかっていた。 殺人の謎ときがやや複雑でせせこましいという難点はあるが、一方でサブストーリーとして語られる、ドレイクが使う外注のフリーの探偵稼業の面々の挿話なんかも興味深い。今のハムラアキラみたいな苦労話って、昔からあったんだよ。 これまで読んだメイスンシリーズの中でも、割と面白い方でしょう。 |
No.955 | 7点 | 北アルプス殺人組曲 長井彬 |
(2020/09/08 13:02登録) (ネタバレなし) 躍進中の若手画家でアマチュア登山家の植垣達雄が、北アルプスで死亡する。植垣の友人でピアニスト、そして登山の心得がある竜泉寺純は死体が発見された山地の近隣にいたが、その植垣の死の状況にはいくつかの不審点があった。独自の調査を進める竜泉寺は、植垣の家族、そして植垣が登山時に同行していたという女性教師・藤原美佐に接触するが。 長井作品は大昔に読んだ『原子炉の蟹』以来だが、本サイトでのnukkamさんの諸作へのレビューが良い感じなので、興味が湧いて手にとってみる。(今回の本作は先日出向いた先の古書店で、帯付きだがあまり状態のよくないカッパ・ノベルス(本作の元版)を50円で買った。) ストーリーに必要な情報だけをポンポンと並べてくれる感じの文章(文体)はややそっけないが、それだけに非常に読みやすい。 主な舞台の一角となる北アルプス南岳についても、ちゃんと現地の山岳図が掲載されているし、特に地形のややこしさが読む側の負担になることもない。実は読む前はそのへんがちょっと面倒臭そうかなと危ぶんでいたが、幸いに杞憂に終わった。 冒頭の怪死? の謎、中盤の変死の謎、そして後半の密室殺人の謎、どれも小粒感が漂うのはナンだが、さらにこれらにアリバイの謎? をからめて、かなり意外な真相が待っていた。いや、nukkamさんやパメルさんのおっしゃるように犯人そのものは大方の察しが付くのだけれど、こういう大技を仕込んでいたか、という驚きではある。 それともうひとつ、(中略)トリックはかなり豪快で、第三者に犯行進行中に何らかの形で露見してしまう危険性を考えたら、かなりコストパフォーマンスの悪い行為だったとは思う。まあフィクションでエンターテインメントだから良いのだが。 評点は0.5点オマケ。 |
No.954 | 8点 | ふくろうの叫び パトリシア・ハイスミス |
(2020/09/07 14:35登録) (ネタバレなし) 悪妻ニッキーと別れ、ニューヨークからペンシルヴァニアに転居・転職してきた29歳の商業デザイナー、ロバート・フォレスター。精神的に疲れきっていたロバートは、通勤中に見掛ける住居に暮らす美しい若い娘を眺めるのが、日々の心の安らぎだった。だがある冬の日、思いが嵩じたロバートはその娘ジェニファー・ティーロルフの家の敷地に踏み込んでしまう。心の過ちを恥じて謝罪して退去しようとするロバートだが、ジェニファーもまた数年前のさる悲しい事情から心に傷を負っており、彼に何か似たものを感じた。ロバートに自ら接近していくジェニファー。しかし彼女の婚約者の青年グレッグ・ウィンターズはそんな二人の関係を許すわけもなく、やがてグレッグはニッキーとも結託。ジェニファーの求愛に慎重な状況のロバートを、半ば力づくで追い詰めていく。 1962年の英国作品。 メインキャラ4人の立ち位置の微妙な変遷が読みどころのサスペンスミステリで、この妙味はなかなかつたえにくい。それでもそれぞれの主要人物の基本軸は、最初から最後まで一貫してるのだが。 とにかく溜息が出るくらいに鮮やかな技巧で、かつ作家なりの思弁がつまった一冊。特に大小の役割のキャラクターを無駄にしない作法が見事。数時間、ハイテンションで一気に読み切り、最後には読み手としての強い燃焼感に包まれる作品である。 読後感の方向性すらある種のネタバレになるおそれがあるので、詳しくは言えないが、とにもかくにも一冊のよくできた心理・群像ドラマに付き合った疾走感は大きい。 特に後半、主人公ロバートの苦境のシーンでとんでもなく(中略)なキャラクターが出てきて、ここまで主人公を(中略)したところで、<こんなタイプ>のサブキャラを出すなんて、ハイスミスおばさんずるいよ、と一瞬だけ思ったら、さらにまた(中略)。 ハズレがまったくないとは言わないけれど、読むたびに唖然とさせられるハイスミス作品。本筋? のリップレー(リプリー)ものとあわせて、どんどん楽しんでいきましょう。 |
No.953 | 7点 | ポンスン事件 F・W・クロフツ |
(2020/09/06 20:53登録) (ネタバレなし) その年の7月。ロンドンから少し離れた田舎町ハーフォード。屋敷ルース荘の主人で引退した鉄工所の社主ウィリアム・ポンスン卿が、ある夜、姿が見えなくなった。気がついた執事バークスと使用人イネスが捜索を開始。やがてウィリアムの別居している息子オースチンにも知らせが行くが、当の老主人は近所の川で死体となって発見された。当初は事故死と思われたが、ウィリアムの友人の医者ソームズは他殺の可能性を指摘。スコットランドヤードのタナー警部が捜査に乗り出すが、主だった関係者たちにはそれぞれアリバイがあった。 1921年の英国作品。 少年時代に購入して数年前から読みたいと思っていたが、家の中の本が見つからない。そうしたら昨日ひさびさに出かけた古書市で、家の中にあるはずのものとほぼ全く同じ装丁の創元文庫(1974年の第10版)を発見。ちょっと迷った末に、売価300円+消費税で買ってきた。 それで帰宅してからすぐに読み始め、二日間で読了。 例によってパズラーというより地道な警察捜査小説だが、容疑者の揺れ動くアリバイ、ほぼ同格に数を増していく被疑者たち、とミステリ的な趣向でも普通に面白い。海外にまで懸命に容疑者を追跡するタナーの奮戦ぶりも盛り上がる。 しかし創元文庫のトビラにはずいぶんとトリッキィな作品のごとく書いてあるので、それでかねてより興味を煽られていたが……ああ、こういう意味合いで、ね。いや、今となっては素朴な感じもあるけれど、謎解きミステリとしての狙いどころは21世紀の現代でも、時代を超えて微笑ましいと思う。告白による真相解明の部分がちょっと長過ぎる気はするけれど、こういうのはまだまだ好きですよ。 ちなみに最後まで忘れていたけれど、どっかの雑誌か評論本かなんかの記事で、この作品の大ネタ((中略)は(中略)は(中略))を教えられていたんだったよな。 最後になるまでそのことは完全に失念していた。ジジイになってから初めて旧作ミステリを読んだおかげゆえの僥倖ってのも、タマにはある(笑)。 評価は、これを当時ドヤ顔で書いたのであろう? クロフツの茶目っ気を微笑ましく思って、0.5点オマケ。 |
No.952 | 6点 | 被害者は誰? 貫井徳郎 |
(2020/09/06 01:03登録) (ネタバレなし) 連作中短編の4作を一冊にまとめつつ、各編のボリュームはものの見事に不均一。 軽めの技巧派ミステリの連作ながら、その辺の長さの件も含めて、なんか予め思っていたものと違うものを読まされた感じ。ただしそれはそれで、各編、悪い印象ではない。 一番長い最初の話の大ネタはおおむね読めたが、まとめ方はこちらの予想の上をいっていた。 第二話の妙な舵の切り方もちょっと面白い……かな。 器用な作者だから、こういうややライトな技巧派ものも書いていたのは十分に予期の範囲だったけれど、評者が実際に読むのはたしかこれが初めて。 フツーに楽しめました。 |
No.951 | 7点 | 安楽死 西村寿行 |
(2020/09/05 05:29登録) (ネタバレなし) その年の9月8日。静岡県・石廊崎の海中で、26歳の美人看護婦、佐藤道子がスキューバダイビング中に死亡した。死因は呼吸装置の操作を誤っての事故と判断されたが、その十日後、警視庁に、道子の死は事故ではなく殺人だという匿名の通報があった。そして9月20日、新宿の雑踏のなかで一人の記憶喪失の男が見つかり、身柄を一時的に保護された。やがてこの二つの事件は、一つの流れに繋がってゆく。 ガチガチの社会派ミステリ(体裁は警察小説)だが、海底の自然描写、病苦の果てに絶命する老犬や海中の生き物などの動物描写に作者らしい筆づかいが感じられる。 初期作で、のちのちの作風とはかなり趣を違えるとはいえ、ああ、西村寿行の作品だという実感に変わりはない。 登場人物では、主人公の二人(鳴海と倉持)も良いが、独自の倫理と矜持を最大限まで冷徹に追い求めることにロマンを感じる医師会の大物・九嶋のキャラクターが出色。初期の寿行はこういう、味方にすれば心強いが敵に回したらコワイ、タイプのキャラも書いていたんだねえ。 殺人トリックへの執着は、いかにも寿行の初期作品らしい組み立てぶりだけれど、被害者に向けて仕掛けた、(中略)まで利用するという発想にはニヤリとした。寿行作品のなかではたぶんトップクラスにマトモなミステリっぽい作品だとは思うけれど、それでも<こういうイカれたファクター>を混ぜ込んでくるあたり、やっぱりこの人だなあ、という思いを強くする。 扱っている社会派ミステリ的な主題は、とにもかくにもマジメなもので、この一冊でたぶん、当時の時点で作者が抱え込んでいた、この方面へのルサンチマンは、すべて吐き出したんだとは思うよ。 エンターテインメントとしてはちょっとこなれのよくないところも感じたものの、読み応えは十分にあった。 |