人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.1059 | 7点 | 私が殺した少女 原尞 |
(2021/01/04 14:39登録) (ネタバレなし) その年の初夏。「私」こと私立探偵の沢崎は、電話で依頼の呼び出しを受けて、目白にある作家、真壁脩(おさむ)の自宅を訪れる。だがそこで沢崎を待っていたのは所轄の刑事たちで、彼らは真壁家の長女で11歳の天才バイオリニスト少女・清香(さやか)の誘拐事件に乗り出していた。沢崎は自分が謎の誘拐犯人から、高額の身代金の受け渡し役になぜか選ばれたと認め、捜査官の不審の視線を受けながら、犯人の電話の指示どおりに行動する。だが事態は被害者の少女の状況も見えないまま、次の局面に移行していく。 沢崎シリーズの長編は第一作と3年前の最新作を読んだのみ。個人的には、ミステリマガジンに載った短編「少年の見た男」の終盤で沢崎がすごい好きになったつもりだが、気がつくと作品そのものはそんなに読んでなかった(汗)。というわけで昨年10月に、ブックオフの100円コーナーでとても状態のいい早川文庫版を購入。昨日から読んでみる。 一人称の私立探偵小説のスタイルをとりながら、主人公・沢崎の心情吐露はさほど饒舌にせず、その言動主体で彼の人間くさいキャラクターを語っていくスタイル。そこには作者なりのハードボイルド観がうかがえて、これがとても心地よい。 沢崎自身も、第30章の最後の方で読み手の隙を突くように覗かせる強面ぶり、終盤の決着の付け方なども踏まえて、改めてとても魅力的な主人公探偵だと実感。 作者が自分の叙述スタイルに酔うこともなく、ストーリーはハイテンポで読み手を牽引するようにかなり計算された組み立てだと思えるし、本家チャンドラーを意識したような小説細部の厚みも面白い(清和会や渡辺関連など)。 後半の展開は途中で「?」となり、最後はやや狐につままれたような気分で読了したが、作者が多かれ少なかれ考え抜いた、葛藤した末に物語にこの決着を与えたのではないか、という工程は見やる。実際のところはどうか知らないが、メイキング事情などを明かすエッセイなどあれば読んでみたいところ。この真相に関しては、個人的には肯定6割、グレイゾーン3割、というところか。 いずれにしろ読み応えは期待通りに十分であった。短編集をふくめて未読の3冊もいずれ楽しませてもらおう。 |
No.1058 | 8点 | Xの悲劇 エラリイ・クイーン |
(2021/01/03 07:12登録) (ネタバレなし) 評者の<こんなものもまだ(マトモに)読んでませんでした>シリーズのひとつ。それも最高クラスの大物の内の一本(笑&汗)。 そもそも評者の場合、少年時代に近所の新刊書店で、当時売れ残っていたらしい山村正夫のミステリクイズ本『ぼくらの探偵大学』(朝日ソノラマ)を購入。その中で<名作ミステリダイジェスト問題>のひとつとして本作冒頭の殺人の謎が扱われ、大ネタは早くから知っていたのだった。 結局、くだんの書籍『ぼくらの~』は当時、何十回読み返したかわからないくらい愛読したが、当然ながら本作『X』の犯人は完全にバラされてしまう。それで自然と『X』実作への興味が薄くなったコドモは、そのまま『X』を未読のままウン十年、今のジジイになったわけだった(笑)。 (しかし思えば「悲劇四部作」って『Y』以外、全部、前もってネタバレ食らっていたな~(涙)。なかでも『レーン最後の事件』なんか、中島河太郎のとある文章での暗示だけで、十分に作品の狙いに気がついてしまった)。 それで一昨日、また自重で本の雪崩を起こした蔵書の山(汗)を積み直していたら、だいぶ前に購入したままだったHM文庫版を発見。それで、あーいい機会だからそろそろ読むか、とページをめくり始めた。そんな流れであった。 しかし一日かけて読んでみると、犯人がわかっていても、いやわかっているからこそ「あれ?」という感じで楽しめる。 なにせ途中のミスリードにもスナオに乗っかって、それじゃあ……と、あらぬ方向に頭が動いてしまった(まあこの辺は、あんまり詳しく書けないが)。 正直、中盤はレーンの強烈なキャラ立てに筆を費やしすぎた感が強く、それゆえやや退屈。しかし第二の事件以降の加速感は、相当に痛快であった。物語後半の流れも前もって聞き及んではいたが、それでもとにもかくにも最後の犯人判明の瞬間にはスリルで体が震える(ただしHM文庫版の宇野訳の叙述は、まだまだ工夫の余地があるような……。続々と出ている昨今の新訳ではこちらの意識した箇所がどうなっているか、ちょっと気になる。) 終盤の推理ロジックの量感には圧倒。その緻密さよりも、全体に論理の目の付け所の妙で、心に響いた。 あえて本作の弱点をあげれば、tider-tigerさんが<ネタバレ注意>の枠内で指摘されている件かな。自分なんか前述のとおり前もって犯人がわかっているだけに「あれ? その件の追求はそこまで?」と、いささか腑に落ちなかった。 【以下、一件だけ犯人やトリックとは別に、ネタバレ?】 ……結局、ジーンって、ドウィットが修道院から引き取って養女にした、ストーブスの実の娘なんだよね?(肌の色とかが伏線なんだろうし。) なんでそのことを明確に書かない、あるいは事実の暗示を、レーンやサム&ブルーノの視点でしなかったんだろ? いや、クイーンがわざと明言を避けたというのなら『Y』のラストみたいにもうちょっと意味ありげな演出をすると思うんだ。 |
No.1057 | 7点 | 変人島風物誌 多岐川恭 |
(2021/01/02 06:18登録) (ネタバレなし) とある病院施設の一室から「私」こと塚本春樹は、事実上休筆中の作家、栗林冬彦の秘書として瀬戸内海の小島・米島で過ごした日々の事を回顧する。変人が集い住む事から「変人島」の異名で知られる米島だが、そこは不可解な密室殺人を端緒に、相次ぐ惨劇に見舞われた……。 1961年の国内書き下ろし作品。評者は2000年の創元文庫版で読了。 作品の巻頭に島全体を俯瞰した地図が掲載され、さらにその前に「これは犯人当てゲームをめざした小説」「フェア・プレイだけは、できるだけ努力したつもり」との作者の前説が掲げられる。正にガチガチの謎解きフーダニット。 創元文庫版は別長編『私を愛した悪党』との合本ゆえ、本作『変人島』の紙幅は実質230ページ弱とそんなに長くないが、なかなか中身は濃い。 多岐川作品に通底する(と思える)、ある種のクセの強さと洒落っけが混じり合ったような感触は、この作品では程よいユーモアに転じており、特に語り役の「私」こと塚本の、次第に透けてくる人物像のいかがわしさが最後までいい味を出している。 終盤の解決も、かなり元版刊行の当時としては技巧的だったと思うし、犯人もなかなか意外ではあった。 が、動機が結局は(中略)な点と、大きなトリックのうちの一つとそれにからむ手がかりに対する登場人物(=探偵役)の事前の踏み込みぶりには、やや疑問が生じる。 とはいえ密室殺人の真相は、良くも悪くも昭和ミステリっぽい謎解きで、個人的には割と好み。乱歩の類別トリック集成の一項目に加えたいようなアイデアだ。 前述のいかにも多岐川作品っぽい諧謔でまとめられるクロージングも味わい深くてよし。 Aランクのフーダニット作品と認定するには、あちこちの部分で色々としょぼいんだけれど、それでもケレン味に富んだ1.5級パズラーとしての魅力はいっぱい。 評価は多少オマケして、この点数で。 |
No.1056 | 6点 | 魔の淵 ヘイク・タルボット |
(2021/01/01 15:12登録) (ネタバレなし) 北アメリカのハドソン湾周辺の山林部。伐採場が減衰してきた材木業者フランク・オグデンは、自分の妻アイリーンが所有する山林に目をつける。だがそこはアイリーンの先夫グリモー・デザナが、あと20年は伐採しないことを条件に妻に遺贈した土地だった。オグデンは霊媒師でもあるアイリーンに頼んでデザナの霊を呼び出し、伐採の承認を得ようと考えて、雪の山荘で降霊会を開く。だが予想もしなかったことに、実体を持った死霊が出現!? さらに山荘の周辺では人間技とは思えない怪異が相次ぐ。やがて不可解な状況の中で殺人が。 1944年のアメリカ作品。 ポケミス版でようやくこのたび読了。 ジジイの評者は、本作の高い評価が初めて日本に聞こえた80年代の初頭からミステリファンの末席にいたし、その直後に本作を分載連載した時期のミステリマガジンも購読していたが、HMM版で読むのはスルー。 理由は以前にも書いたかもしれないが、実は当時80年代のミステリマガジンの翻訳分載(の一部?)は、のちの書籍刊行版の価値を残すために一部抄訳であり(たとえばウィリアム・H・ハラハンの『亡命詩人、雨に消ゆ』なんか、食通の主人公の食い道楽の描写という、大筋には関係ないが小説の旨みともいえる部分をミステリマガジン分載時にはカット)、読み手視点からすれば「なんだかなあ……」という思いを抱くような企画だったため。 だからそのことに気づいてから、この『魔の淵』を含めてHMMの長編分載企画はほとんど読んでない。まあ商売人としてのハヤカワの思惑は分かるが、いまこれをやってバレたら、Twitterで炎上だろうな。さらには抄訳版でしか読んでない読者と、きちんと完訳で読んだファンとのミステリマニア格差も生じるだろうし。 (まあそういっても、当時のHMMの長編分載でいまだ本になってない一部の作品なんかは、結局はそのうちソコで読まなきゃならないんだけど)。 でまあ、ポケミスは21世紀の初めに刊行。評者はそれからずっとあとにどっかのブックオフで消費税5%時代に105円で買っておいたのを、このたびようやっと読んだ。ゲラゲラ、長い道のり。 で、ミステリとしての中味ですが、そんな肝要の部分にスナオに期待していたからこそ大晦日~元旦の第一冊めとして読んだワケだけど、うーん……。 亡霊の出現、人間の手が届かないはずの場から移動される凶器の謎、数回におよぶ足跡の謎、と、インディアンのインディゴ(作中ではウィンディゴ)伝説を背景にした怪奇描写と不可能興味の波状攻撃は正にウハウハ(笑・嬉)だが、中盤3分の2まででほぼ高値止まりに盛り上がった分、個々の怪事についての解決のしょぼさがツライ。 まあそりゃそうなるよな、というものが大半だが、単に合理的な(一応は)説明をつけられても、先立つワクワク感に見合うトキメキもサプライズもないし。 解説で貫井先生がおっしゃる、作品全体のある種の独特な構築はちょっと面白いと思うけれど、このポケミスが出てその解説が書かれたのがほぼ20年前だもんね。その後、国内の新本格ジャンルとかなどで(この作品『魔の淵』を意識したのかどうかはしらないが)、さらにその着想の先を行ったものが出てしまっているような……。まあそれでも、<その構想>自体は、本作のひとつの普遍的な評価ポイントではありましょうが。 たぶん「カーではなくロースン(ローソン)だよ」というのが、一番わかりやすい観測かな。ロースンの長編をまだ一つしか読んでない自分がそんなこと言うのも不遜だけど、感覚的になんかしっくり来る。 ちなみに、これシリーズものだったのね。まあ探偵役のキャラはこの作品を読むかぎり、役割をこなすだけで魅力のない人物でしかなかったけれど。 |
No.1055 | 7点 | 闇からの声 イーデン・フィルポッツ |
(2020/12/31 20:53登録) (ネタバレなし) その年の11月。つい先日、引退を表明したばかりの55歳の名探偵ジョン・リングローズは、イギリス南部の「旧荘園荘ホテル」で休養を楽しむ。だがある日の深夜、恐怖におののき何かとの対面から逃れたいと叫ぶ子供の悲鳴が聞こえてきた。数日後、同様の悲鳴をまた耳にしたリングローズは、ホテルの長期宿泊客で彼が懇意になった富豪の未亡人ベラーズ夫人とその侍女スーザン・マンリーにだけ、この怪異をそっと打ち明けた。はたしてリングローズは、その悲鳴はほぼ一年前に死亡した13歳の少年ルドヴィック・ヒューズのものだと聞かされる。 1925年の英国作品。フィルポッツの数少ないレギュラー探偵のひとりジョン・リングローズものの、二つある長編のうちの第一弾。 この数ヶ月、いまだ読まずにほうってあるのがなんか無性に気になってきたが、大昔に買った創元文庫が見つからず、仕方なくweb経由で講談社文庫版を古書で買った。荒正人の翻訳は若干かたいが、丁寧な訳文、それに精緻な解説のようで信頼がおける。 名探偵対(中略)という主題は前もって聞いていたし、フィルポッツならさもありなんという感じであった。 しかし物語の図式がわかっていても、ストーリーテリングの面白さでグイグイ読める。悪い意味でなく、大人向けのおとぎ話を楽しんでいるような感触の興趣でいっぱいだ。 さらに言うなら、リングローズを事件のなかにひきずりこむきっかけとなった<闇からの声>の真相は(ある程度は推察がつくとはいえ)最後まで謎の興味としてひっぱられるし。 しかしこれ、クリスティ再読さんも指摘している通り、英国名探偵もののマンハントノヴェルとして『ハマースミス』の先駆だろうね。さらにこの系譜がのちに、フリーマントルのあの初期の傑作(そっちはノンシリーズだが)に連鎖していくと思うけれど。 (というかそのフリーマントルの作品は、この大系の諸作に向けてのサタイアであり、またそのカリカチュアだったかもしれないが。) それで名探偵が追いつめて倒すべき悪党があまりにもあからさまなので、なんかヒネリがあるんじゃないか? 実は本当は(中略)とかあれこれ思った。結局(中略)でしたが。まあそういう単調さを避けるために、リングローズの捜査&追求の対象を(中略)にした構成は、当時としてはなかなか考えてあったと思います。 小説としては、標的を追い込むためひたすら外堀を埋めていくリングローズの行動の軌跡を楽しめるかどうか、で評価がだいぶ変わるだろうね。 1925年に刊行された作品なんていう時代を考えると、まだアメリカではハメットの長編作品なんかも刊行されていないんだけれど、どっかでその辺にも一脈相通ずるものを感じたりする。まあ本来の源流は、英国の19世紀冒険スリラー作品の諸作の方だろうけれど。 個人的には第17章で、リングローズが青年医師アーネストに悪人を(中略)ための協力を求め、本意でない手紙を書かせようとして、アーネストがそんなの嫌ですと駄々をこねるところで笑いました。こういう小芝居の面白さは、弟子筋のクリスティーがしっかり継承しているように思う。 大綱としてはシンプルな話ともいえるし、謎解きミステリとしては同じリングローズものの『守銭奴の遺産』の方がずっと面白いと思うけれど、これはこれでやっぱり読んで良かった。肝心の悪役キャラの、いろいろと(中略)な面もスキ。 かえすがえすもリングローズの登場作品が少ないのが惜しいわ。英国の並み居る紳士探偵のなかでも、けっこういいキャラだと思うのだけれど。 |
No.1054 | 6点 | スタンフォードへ80ドル ルシール・フレッチャー |
(2020/12/29 06:27登録) (ネタバレなし) その年の10月16日。20代後半の青年教師デイヴィッド・マークスは愛妻フランと夜道を歩いていたが、いきなり暴走車に跳ね飛ばされる。フランはそのまま死亡し、重傷を負ったデイヴィッドは意識を失う寸前、轢き逃げした車の車内に片目の男の顔をはっきりと見た。やがて退院したデイヴィッドは二人の幼い子供、そして義母ローズとの生活を送るが、知人の好々爺ジョゼフ・カーンの計らいで、悲しみを紛らわすため夜間のタクシードライバーの副業につく。だがある夜、一人の金髪の美女が彼のタクシーに乗り込み、奇妙な願いを申し出た。 1975年のアメリカ作品。 作者ルシール・フレッチャーは1940年代から活躍したサスペンス系の古参作家で、ミステリ洋画の名作『私は殺される』や『夜をみつめて』などの原作者としても知られる(前者は最初はラジオドラマとして執筆され、のちに戯曲化&小説化)。 『私は殺される』の小説版は中編作品として1980年のミステリマガジンに一挙掲載されたが、長編の完訳ではこれが唯一の作品(「リーダーズ・ダイジェスト」系では、何か抄訳の翻訳があるようだ)。 ポケミスの裏表紙には「大都会を舞台に、罠にはまった男の孤独な追走を描いた、『幻の女』に迫るサスペンス・ミステリ」とあるが、正にその通りの巻き込まれ型&冤罪窮地もののサスペンススリラー。 3時間でいっきに読めるが、さすがは本作執筆の時点で作家歴ほぼ30年のベテラン作家、読んでいる間は退屈しない。 たぶん読み手のミスリードを狙ったんだろうけれど、途中での(中略)あたりも、ちょっとニヤリとさせられる。 問題なのは、良くも悪くも感覚がなんか古い点で、特に後半、第19章以降の主人公を迎える(中略)な状況はウソでしょ? これじゃ1950年代の作品だよね、という感じであった。 まあベテラン作家がなんの衒いもなくこういう(中略)な描写をしたからこそ、タマにはこういうのもいいよね、と70年代のアメリカの読者にウケたのかもしれないが。 (ただまあ、これじゃ後進のM・H・クラークあたりに次第に取って代わられてしまったのも無理はないよなあ……という思いもしきり。) それでも終盤のどんでん返しはなかなか驚かされたが、一方でポケミスの編集ぶりにも、また作品の内容そのものにもいろいろ言いたくなる面がある。 とはいえ何のかんの言っても、それなりに楽しませてくれた一作なのは確か、ややしょぼいところも味と思えるワタシのような読者としては、もう1~2冊くらい、この作者の未訳の長編もできれば読んでみたい気もしてきてはいる。 特に本作での、ややあざといくらいにクライマックスで、主人公のデイヴィッドを振り回す視覚的なサスペンス描写なんか、ああ、映画や演劇の演出をうまく小説メディアに取り込んでいるな、という感じだし。 まだ夜が浅いうちに何か一冊くらい翻訳ミステリを読み終えたい時には、手頃な作品だとは思うよ。 |
No.1053 | 8点 | 深夜ふたたび 志水辰夫 |
(2020/12/28 15:06登録) (ネタバレなし) 1980年代の後半。その年の9月。「わたし」こと45歳の裏の世界に通じたドライバー、川久保治之は、旧知の弁護士、磯部雅人から一件の極秘の仕事を受ける。それは新型レーダーの機密データを持つ元自衛官を、京都から根室に搬送し、ソ連側に亡命させてほしいというものだった。川久保は当人の今津祐輔、それにナビゲーターかつ護衛役の神谷丈夫、看護婦の篠原匡子とともに北上するが、彼らの前に謎の敵、そして予想外の事態が立ちはだかる。 徳間文庫版で読了。何十年ぶりかで、志水作品を読んだ。 設定とそれっぽい題名から明白なとおり、ライアルの『深夜プラス1』へのオマージュ、またはリスペクト作品。物語の大枠を原型に倣いながら、ストーリーの見せ場や登場人物の関係性には存分に独自の要素を盛り込んである(要は換骨奪胎の手際が鮮やか)。 従って、当然のごとく細部が面白い作品ではあるが、中盤以降の大中のツイストの方もなかなか。例によって(中略)な感覚で迎えるクロージングの余韻もよい。 1970年代半ばまで「日本では本格冒険小説が育たない」と言われていた(厳密にはそんなこともないのだが、そういう見識が発生する余地はたしかにあった)が、80年代になって船戸、北方、そしてこの志水などが登場。いっきに新世代国産冒険小説ジャンルのルネッサンスに突入したのだけれど、本作は正にそんな熱気の中で書かれた一冊なのだろうな。 まだまだ未読の志水作品は多いので、そのうちまた読んでみよう。 本作の評価は0.25点ほどオマケ。 |
No.1052 | 6点 | シタフォードの秘密 アガサ・クリスティー |
(2020/12/24 05:13登録) (ネタバレなし) 1930年代初頭のイギリス。ダートムアのシタフォード山荘では、借主のウィレット夫人とその娘ヴァイオレットが、近所の人々とともに降霊会を催していた。その最中に、一同のよく知る人物が殺される? とお告げがある。そして実際に殺人が発生。エクセター地方の敏腕刑事ナラコット警部はこの殺人事件の捜査に当たり、やがて一人の容疑者が逮捕されるが。 1931年の英国作品。クリスティーの第11番目の長編。 メイントリックは少年時代から、どっかの推理クイズ本で図入りで教えられていた。それで興味が薄れたこともあって読むのが今まで後回しになったが、まあそれでも直接、犯人を知っているわけでもないし……と思って、なんとなく読んでみたくなり、このたび手にとってみる。 (なお、その少年時に購入したはずの本が見つからず、しかたなくweb経由で創元文庫版『シタフォードの謎』の安い古書を買い直した。) しかしながらメイントリックを前もって知っていてもそれに関連する描写がなかなか登場せず、おかげでかなりギリギリまで犯人がわからない。これはある意味でウレシイ誤算ではあったが、一方で真犯人が明かされると事前の叙述の一部が、どうもアンフェアに思える(前述のように、今回は創元の鮎川信夫訳で読んだが)。あまり詳しくは書けないが、こちらも一応は疑念を浮かべたので、なんか裏切られた気分。 プロ探偵のナラコット警部、さらに登場するアマチュア探偵……と複数の探偵役の競演は楽しく、最終的に誰が推理のトリをとるのかという興味はなかなか面白かった。中盤から登場するメインヒロインのエミリーは、その劇中ポジションをふくめてクリスティの某・先行作の<彼女>を思い出した。なんとなくこちら(『シタフォード』のエミリー)の方が先行のプロトタイプで、もうひとつのくだんの作品のヒロインの方が完成形だと思っていたが、実際には逆である。ちょっと意外。 謎解きミステリとしての興味や結構の部分だけ絞り込めば、もっともっとコンデンスに作り直せる感触はある。 しかし一方で、全編にクリスティーらしいギミックが満ちており、そういう意味では結構、満腹感のある作品。 ちなみにナラコット警部って、この作品だけの単発キャラかと思っていたら、数年前に発掘された<クリスティー執筆のオリジナルラジオミステリドラマ>の中でも再登場していたと聞く。 登場作品は少ないとはいえ、めでたくクリスティーのレギュラー探偵のひとりに公然と昇格したわけで。 ……で現在の「ミステリマガジン」はこの数年、何回もクリスティー特集をやりながら、いつになったらそんなおいしいネタのラジオドラマを訳載するのだ? 編集部にやる気がないのがよくわかる。 |
No.1051 | 6点 | 二巻の殺人 エリザベス・デイリー |
(2020/12/23 05:39登録) (ネタバレなし) 1940年6月5日。ニューヨーク在住の古書研究家で34歳のヘンリー・ガーマジ(本書での和名表記)は、初老の婦人ロビナ(ロビン/ロブ)・ボールガードの訪問を受ける。ロビナの大叔父で当年80歳のインプリーは隠居した不動産業界の大物で資産家であり、1827年に建てられた旧邸宅に住んでいた。だがその屋敷ではちょうど100年前の1840年、庭の東屋(あずまや)に入った若い美女リディア・ワグナーが、バイロンの著作全集の第二巻を手にしたまま消えてしまった? という怪異の伝承があった。そして現在、古老インプリーの同屋敷では、その100年前の美女が当時の姿のまま、そしてくだんのバイロンの全集の第二巻を携えて暮らしているという!? しかも老境に入ってオカルト研究に傾倒し、四次元の存在も信じるインプリーは、今はリディア・スミスと名乗るその美女が一世紀前のリディア・ワグナーと同一人物だと確信しているようだ? この特異な事態を調査、対処してほしいというロビナの依頼に、古書への関心もあって応じるガーマジ。だがやがて屋敷では、思わぬ殺人事件が。 1941年のアメリカ作品。 <四次元世界から戻って、若いままの姿で現世に出現した一世紀前の美女?>というオカルト的な怪異の謎。『ウルトラQ』の怪鳥ラルゲリュース(ラルゲユウス)みたい(笑)で、この趣向だけでもうワクワク。 なおポケミス(世界探偵小説全集)の裏表紙の解説では、訳者の青野育が「(この手の謎の設定は)類型のものがいくつかあるが」と謙遜めいた防波堤を先に張っている。しかし評者などは寡聞にして、こんな<不老の女性の不思議な帰還>という趣向まんまな海外ミステリのクラシック~新古典作品などは、あまり聞いたことない。むしろ国内の近作『鉄鼠の檻』とか『死なない生徒殺人事件』とかの方が近しい感じがする。 (まあ広い視野で見れば『火刑法廷』あたりも近い……のかも。) 評者はデイリイ作品はこれで3冊目だが、人間関係の交錯を軸にした謎解きミステリとしてどれも一定以上に面白い。登場人物の配置と個々のキャラの書き込みのバランスが適度に心地よく、クリスティーが期待の後輩として評価したというのもよくわかる。先輩に通じるものをこの作品でもなんとなく感じるし。 売りの趣向といえる<四次元から帰ってきた不老の美女の謎>の真相解明はややあっさり気味だが、とある登場人物の心理を思いやるなら、それなりに説得力のあるもので、個人的には(ミステリとして、お話として)一応の納得はいった。 一方で殺人事件の推理の方はもう少し整理してほしいが、(中略)を入手して保管する手がかりなど、それなりの工夫は感じた。まあ本当にもうちょっと言葉を足して説明してほしいのは(中略)。 あと、古書という趣向に関しては、う~ん……。 最後に、本サイトやAmazonのレビューなどあちこちで、訳が古くて読みにくいと言われているが、個人的には当初からその心づもりで取り組んだのでそんなにシンドくもなかった。この翻訳家の訳書は数年前に、ミルドレッド・デイヴィスの『葬られた男』とか、まあまあフツーに楽しんでいるし。 これで邦訳されてまだ未読のデイリイの長編はあと一冊。未訳作の発掘、もうちょっとされないものだろうか。 |
No.1050 | 6点 | 下北の殺人者 中町信 |
(2020/12/21 20:13登録) (ネタバレなし) 「私」こと三添知子は、ミステリファンの人妻。夫で35歳の明彦は出版社勤務の雑誌編集者だが、社内の同郷の面子と「県人会」を結成。そのメンバーと近親者が下北への観光旅行に行くことになった。だが本来の幹事役だった総務のOL、中津けい子が事前に変死。そして旅先の地でもさらなる惨事が……。 謎解きミステリとしての大ネタと中ネタを用意し、さらに手がかりの配置とロジックの妙でもしっかり練り上げた作品。 講談社文庫版で読んだが、事件の起こるごとにポイントに挿入される克明なビジュアルの現場見取り図などの趣向も、とても楽しい。 ある登場人物に設定された大きな仕掛けは、なんかクイーンの国名シリーズとかにありそうな感じ(具体的にはどの作品とアイデアやトリックが同一または類似ということではなく)で、そういった意味でもなかなかゾクゾクした。 弱点は登場人物の描写や書き分けが本当に平板で、フェイクの解決の際にも本当の真相があかされても、サプライズもときめきもないこと。一方で<あっちの仕掛け>は軽く驚いたが、それはまあ普通の意味での驚愕とは少し違う。この場ではあんまり言えないが。 力作だとは思うが、作者の小説づくりと物語の演出の弱さを、改めて実感した一作でもあった。 |
No.1049 | 6点 | イマベルへの愛 チェスター・ハイムズ |
(2020/12/20 14:15登録) (ネタバレなし) 1950年代のアメリカ、ハーレム。葬儀店の従業員で28歳のジャクソン青年は、内縁の美人妻イマベル・パーキンスのため金儲けを企む。だが彼の虎の子の1500ドル、さらに店から盗んだ200ドルを南部から来た3人組の詐欺師チームに巻き上げられてしまった。ジャクソンの双子の兄ゴールディは普段は修道尼に女装して寄付金詐欺を行う男だが、よそ者の犯罪者たちに対抗。さらにハーレム警察の凄腕刑事コンビ、墓掘りジョーンズと棺桶エドもこの事態に絡んでくる。 1957年のアメリカ作品(ただし先行して同年に? フランスで出版)。エド&ジョーンズものの第一弾。 あくまでアメリカの大都会の一角ながら、イカれたことがごく日常的に頻繁しそうな異郷ハーレムの描写っぷりは、すでにこの作品のなかでほぼ確立。ジャクソンは親のおかげで地元の大学まで卒業した一応の学士で、いくら50年代の話とはいえケチな詐欺に引っかかるにはあまりに世知がなさすぎるとも思ったが、当時の作者&読者の視点ならこれはこれでリアルなのか? ほぼ全編が小悪党たちによるすったもんだのバーレスクという感触で、主人公はあくまでジャクソン。エド&ジョーンズの出番はそれほど多くないが、彼らが悪徳刑事でもダーティコップでもなく、ただのワイルドな捜査官だというキャラ設定はきちんと一貫している。 シリーズ第一弾ということで、エドが顔に硫酸を浴びる有名なシーンも登場。実にあっさりした叙述が、妙に逆説的に凄惨である。 やや悪趣味なノワールコメディという趣も強く「87分署」の変化球的な一編みたいなストーリーを、いきなり初弾に持ってきた感じだ。 評者は本当にたまたま本作の直前に、カーの1958年作品『死者のノック』を読んだが、この2つがほぼ同じ時代に同じアメリカで書かれたのか。なんか笑う。 ブラックなジョークで全編を彩りながら、ときどき人間の普遍的なほっとする一面を見せてくれる物語の心地よさ(本作で言えば、逃走中のジャクソンにちょっとやさしくしてくれる屑屋のじいちゃんの言動など)は本作にも登場。ただシリーズの出だしのせいか、ちょっと話のこなれがよくない印象もある。評点はこのくらいで。 【追記】本書のポケミスの人物一覧では 墓掘りジョーンズが「墓掘りジョンソン」 棺桶エドが「棺桶エド・ジョーンズ」 とそれぞれ表記。愉快……でもない間違い。 |
No.1048 | 6点 | 死者のノック ジョン・ディクスン・カー |
(2020/12/19 20:23登録) (ネタバレなし) 1948年のアメリカはバージニア州。そこのクイーンズ大学の学舎で奇怪な悪戯が繰り返され、70過ぎの警備員と、その孫で祖父のかわりに見回りにきた孝行者の16歳の少年が相次いで生命の危機に晒された。そのころ、同大学の英文学教授で39歳のマーク・ルースベンは、19世紀の英国の小説家の巨匠ウィルキー・コリンズ関連の貴重な資料を確保。英国の学者ギデオン・フェル博士もその噂を聞きつけてやってくるが、そんなマーク当人は、結婚5年目の美貌の妻で32歳のブレンダと離婚の危機に瀕していた。ワシントンの年下のボーイフレンド、フランク・チャドウィックのもとに走ろうとするブレンダ。彼女は自分の言い分として、先にマークが近所の多情な美女ローズ・レストレンジと浮気したと指摘するが、それはマーク当人には身に覚えがないことだった。だがそんな夫婦の騒ぎの直後、彼らの周辺で密室殺人事件が発生した。そしてその被害者は……。 1958年のアメリカ作品。HM文庫版で(とりあえず)読了。 <フェル博士、海を渡る>の設定で、コリンズの幻のミステリ作品もメインプロットにからむ。しかも序盤から、どこかあの『連続殺人事件』を思わせる男女コンビの痴話ゲンカや、大学でのイタズラ事件などもお話に動員されてケレン味は十分。 オカルト要素はまったく皆無だが、後期カーらしい<読みものミステリ>としては、読んでいる間じゅう、たっぷり楽しめた。 まあフェル博士の渡米については、作者カー自身がすでにアメリカに来て10年以上で、そろそろ自分のレギュラー探偵を、第二の故郷で活躍させたくなったというところであろう。 登場人物はやや少なめ、会話も多くてすごく読みやすい。 これが、あの(オレがこれまでの生涯で最悪に読みづらいと思ったミステリのひとつ)『盲目の理髪師』(井上一夫翻訳版)と同じフェル博士シリーズか!? と思ったほどだ。結局は、作者の創作時期と、翻訳の訳文によってシリーズものの感触なんてまったく変わってしまうんだよという、きわめて当たり前の話だが(笑)。 でまあ、予想外にシンプル……しかしいまひとつ細かいところが分からない密室トリックに関しては、読後、webの噂を参考にうかがうと、やはりみなさんひっかかってたようで(笑)。 「死者のノック」「密室」「(中略)」の三つのキーワードを入れてGoogle検索したら、すぐ例のサイトに行った。おかげで、脇に一応、持ってきておいたポケミスの旧訳版までリファレンスするはめになった。 ……でもこれって、できればビジュアルによる説明が欲しいな。 登場人物の頭数が限られていながら、犯人当て&フツーのミステリとしては、まあまあフツーによく出来ているとは思う。カーのB~C級路線としては<そのリーグのなかでの>佳作~秀作といえるんじゃないかと。 キャラ描写にしても、最終的に(中略)という決着もスキだし。クロージングもこれはこれで、作者がやりたかったことなんだろうから、まあいいんでないの(笑)。 最後に、HM文庫の新訳、高橋豊訳は期待どおりに読みやすかったけれど、フェル博士の話言葉がどうもね~。やっぱりその辺は、旧訳版の村崎訳の「わっはっは、わしは……」調の方がずっと楽しいぞ。 |
No.1047 | 5点 | リトモア少年誘拐 ヘンリー・ウエイド |
(2020/12/18 04:40登録) (ネタバレなし) 1955年のイギリス。地方都市のハーボロー市。そこでは地元紙「ハーボロー・ポスト」が、風紀粛清のスローガンを掲げる。だが4月のその夜「~ポスト」発行者ハーバート・リトモアの長男で、10歳の少年ベン(ベンジャミン)が何者かに誘拐される。捜査が長引くなか、スコットランドヤードはベテラン刑事のヴァイン主任警部を同市に派遣。やがて走査線上に、意外な容疑者の名前が浮上してくる。 1954年の英国作品。評者は創元の旧クライム・クラブ版で読了。 いつもお世話になっているミステリのデータベースサイト<aga-search>によれば、本作は1952年の『Be Kind to the Killer』に続く2作目のヴァイン警部もののようだが、本シリーズはこれしか翻訳がないので、この名探偵の詳しい実績は知らない。たしかに作中には、何か過去の事件簿っぽい話題は出てくる。 被害者の少年の父親で主要人物のひとりハーバートが社会正義に邁進する完全無欠な聖人かと思いきや、現在は更生しているが、過去に小切手横領を働いた前科者だったりする。この辺のちょっとひねったキャラ設定とか、序盤のうちはなかなか面白そうに思えた。 が、正直、多人数の警察官を動員した捜査の軌跡を子細に語るだけの話で、かなり退屈。 途中の山場で「え?」と思わされる展開がひとつあるが、そこを過ぎると、あとのストーリーは丁寧な描写の積み重ねながらほとんど曲はない。 ゆったりした叙述を崩さない作法にある種の格調は認めるが、作品全体のミステリとしてのトキメキは薄く、これまで評者が読んだ旧クライム・クラブ収録作品のなかでも、やや~相応に下の方だろう。 一応はフーダニット作品だが、残念ながらパズラーとも言い難く、悪い意味で<手堅く地味すぎる警察小説>という感じだ。 そもそも旧クライム・クラブ巻頭の登場人物一覧表には17人しか名前が載ってないが、評者がメモったら端役までふくめて名前のあるキャラの総数は70人近くに及んだ。そんな数の多さに比例して、捜査官も人海戦術でどんどん事件に駆り出される。そういった流れはリアルかもしれないが、謎解きミステリにはなりにくい。 この作品は作者の遺作らしいが、最後の微笑ましいクロージングは、存命ならまだまだこのシリーズを続けるつもりだったのでは? とも思わせた。結局、ヴァイン警部はいろんな意味で不遇なシリーズキャラクターだったみたいで、ちょっと気の毒かも。 ごく細部には、まあまあ面白い箇所もあったので、評点は0.5点ほどおまけして、この点数で。 |
No.1046 | 9点 | 罪なき血 P・D・ジェイムズ |
(2020/12/16 13:41登録) (ネタバレなし) 1978年のイギリス。社会学者モーリス・ポルフリーとその妻ヒルダの養女であるフィリッパ・ポルフリーはケンブリッジ大学への進学が決まり、18歳になったのを機会に、自分の本当の出自を調べる。まもなくフィリッパは、自分の実父マーティン・ジョン・ダルトンが12歳の少女ジェリー・スケイスに性的行為をして逮捕され、すでに獄死した犯罪者であり、実母がそのマーティンの妻で、くだんのジェリーを殺した女囚メアリだと知った。しかも無期懲役の受刑者ながら10年間、模範囚だったメアリは、この夏に釈放される予定だという。モーリスが自分を<殺人者の娘>というサンプルとして引き取ったのだと認めたフィリッパ。彼女は進学のために家を離れると同時に、実母メアリの身柄引受人となり安アパートで自活して同居を始める。だがそんな母子に、ジェリーを殺された親族の復讐の妄執がひそかに迫っていた。 1980年の英国作品。 ジェイムズファンが、彼女の最高傑作とも噂しているみたいな、ノンシリーズのサスペンスもので人間ドラマ。 元版のハードカバーで読了。大昔に、知人の年上のミステリファンから、面白かったから読んでみてと進呈されながら、ダルグリッシュものでも、コーデリアものでもない、なんか重そう……と思って敬遠し、そのまま戴いたことすら半ば忘れていた一冊であった(ああ、申し訳ない)。 少し前に部屋の蔵書を引っかき回していたら出てきたので、改めて当時、本をくれた方に感謝してこのたび読み始める。 今なら、シリーズものだろうがそうでなかろうが<ジェイムズならじっくり詠めば面白いだろう>との確信があるし。あとは読みたいという気分と、ゆっくり本が読めるまとまった時間を掴むタイミングがあればいい。 それでページをめくりはじめてから、ほぼ丸一日で読了。いや期待どおりに面白かった&読み応えがあった。 予期しない事態、初めての経験に次々と遭遇しながらおおむね器用に理性的にこなしていくフィリッパのキャラクターは<現代っ子>的な逞しさを感じさせ、その周囲あるいは遠景でそれぞれの立場にもとづいた動きを見せるメインキャラ&主要サブキャラたちの描写もいい。 本作は三人称、多視点描写の形式。 文章は意外に会話も多いが、やはり主体は登場人物の行動や状況と情景、それに適度にそれぞれの人物の内面をのぞき込む地の文。重厚というよりは緻密さで、読者に迫る。ほかの英国女流推理作家との比較でいうなら、レンデルの文芸スリラーのときの三割増しという感じ。 とはいえ母メアリを迎えて(中略)な同居を始めたフィリッパの本当の腹の底は、けっこうギリギリのところで明かされず、大枠としてかなり特異な状況を彼女なりに消化していくその内面で、本当に何を考えているかはわからない? むしろ途中から登場してくる<もう一人の主人公>といえる復讐者の方が、読者視点では裏表がないくらいだ。 小規模な見せ場を重ねていくストレートノヴェルに近い感じだが、後半~終盤ではちゃんと(やや広義の?)ミステリに転調。(中略)も(中略)されて、読み手にフィリッパをふくむそれぞれのメインキャラクターへの雑駁な想いを残しながら、物語は潮が引くように幕を閉じる。細部の決着のなかには、本当に一部、読む者の心に淀みを宿すような軽いひっかかりがあるのも、この作品の場合、なんとなくよろしい。 十分に面白く手応えがあり、ジェイムズの代表作とよぶに、たぶん相応しい出来であろう(まだそんなに冊数を読んでない内から、こんな物言いも不遜だが)。 ちなみにハードカバー版の訳者あとがきで、このあとに作者がまたコーデリアものを書くらしい、と予告されていた。これが1982年の『皮膚の下の頭蓋骨』だったわけだな。さすがにそっちはもう読んでるが。一瞬、勘違いして本作をもっと晩年のジェイムズの作品と誤認し、構想だけで結局は書かれないで終わったコーデリアものの第三長編でもあったのか? と夢想してしまった(汗・苦笑)。 評点は0.5点ほどおまけ。 |
No.1045 | 8点 | ジェゼベルの死 クリスチアナ・ブランド |
(2020/12/15 15:07登録) (ネタバレなし) 1940年のロンドン。20代前半の青年将校ジョニイ・ワイズは、知人で性格の悪い年上の娘イザベル・ドルーに誘導されて、自分の婚約者パーペチュア(ペピイ)・カークが中年の俳優アール・アンダーソンに抱きしめられている図を目撃する。度を失ったジョニイは自ら命を絶った。やがて大戦を挟んだ1947年のロンドン。ペピイ、イザベル、アールの三人は7年前の惨事を記憶に留めたまま、死亡したジョニイの友人や知人たちも仲間にしてセミプロの劇団を運営していたが、そんななか、何者かがペピイたち三人に殺人予告状を送ってくる。ペピイの故郷ケント州の警察官コックリル警部は彼女の依頼で怪文書の主を探そうとするが、相手の正体は不明。やがてページェント(屋外演劇)の公演中、舞台上で密室状況といえる、奇妙で不可解な殺人事件が起きる。 1949年の英国作品。こんなものも、まだ読んでませんでしたシリーズ。HM文庫版で読了。 ブランドの最高傑作にあげる人も少なくない一冊なので、二日間はかかるかなと思いきや、深夜に手にとって結局は途中で止められず、4時間でいっき読みしてしまった(笑・汗)。 ステージ上の密室殺人(広義の、の修辞をつけた方がいいと思うが)や(中略)という趣向は前もって聞いていたが、事前の殺人予告状、しかもそれが(中略)にまで……というケレン味にはゾクゾクしてシビれた。 『ハイヒールの死』の主役探偵チャールズワースが登場してコックリルものと世界観がリンクすることも、これまでのコックリルの事件簿が噂として口頭に上ることも知らなかったので、この辺のファンサービス? もすごく嬉しく楽しい。 人によっては読みにくいといわれ、評者自身もかつてそのような感慨を覚えたこともないではないブランドの高濃度な小説だが、今回も自分で登場人物一覧表を作りながらページをめくったので、特に不順などは感じない。むしろ各キャラのデータが増えていくたびに、読み進めながらワクワク感が高まっていく。 主要登場人物の総数が少ないことも、ブランド、これでどうやって最後に盛り上げるんだ? という逆説的な期待に繋がった。 (しかしHM文庫版133~134ページの正義と良識を気取ってその実、人の心を(中略)してしまう無神経な人間の描写、さすがだねえ。正にブランドの意地の悪さ炸裂だ。) 最後までアンコが詰まった鯛焼きのような娯楽パズラーで、後半は続発する(中略)という異常事態にも、二転三転する犯人の指摘にも堪能させられたけど、やはり決め手はあの大トリックでしょう。なるほどこれは萌える(笑)。 ちなみに、以下、極力、本作とその該当作品のネタバレにならないように気をつかいながら書くけれど、20世紀のある国産作品で、その作者が「この新作のトリックの独創性には自信があります」と豪語したものの、当時のSRの会のメンバーの一部から「いや、前例があるじゃん」という主旨の指摘を受けたことがあった(もちろん当時、その新刊を話題にしながらくだんの指摘をした人は、その該当作品の実名を出すような無神経で無思慮な真似などはしていない)。 評者は当時、その作者のその新作(のそのトリック)にスナオに感嘆していたので、そんなSRの同志の指摘を認めてビックリ。その前例の作品ってなんだろ? とウン十年ずっと思い続けていたのだが、ようやく胸のつかえがとれておりた。ああ、コレ(本作)だったのね! (これだけ曖昧に書けば、本作とくだんの国内作品、その双方を実際に読みおわるまで、ネタバレになることはないね?) まあ<その作者>は<その作品>を書いた時点では、たぶんまだ本作を読んでなかったのだろうし、パクリの類ではないと推察するけれど。 さらにそのトリック自体も<完全新規のすごい創案です>といいきるなら<いや、これ(本作)があるでしょ>と言われても仕方がない。 しかしながら、21世紀現在の時点で単発作品としてそれぞれ白紙の状態で別々に読めば、ファンが双方の類似を意識しない……ということもありえるかもしれない。 何せ(中略)という行為のホワイダニットは、時代が進むのと同時にさらに分母が広がり、普遍化が加速しているはずだから。 何にしろ、いろいろ得るものは多い一冊であった。 しかしこれでブランドの未読の大物(らしい)作品がまたひとつ減ってしまったなあ(涙)。内容を忘れている人気作&代表作も、また再読してみようかしらん。 【余談】HM文庫巻末の山口雅也先生の解説。ミステリマガジンの人気連載「プレイバック」で本作を取り上げた実績ゆえの起用だろうし、文章の内容そのものは作品と作者への愛情があっていいんだけれど、自分が読んだ初版では『疑惑の霧』を『疑惑の影』と書き間違えて? いる(一瞬、素で、なんでここでカーの話題が? 不可能犯罪がらみで何か引用したいのか? と思ってしまった)。 誰の責任か知らないけれど、いずれにしろ山口先生の、そしてハヤカワ編集部のコケンに関わるよね(汗)。以降の再版ではここ、直っているのでしょうか。 |
No.1044 | 7点 | 殺しのデュエット エリオット・ウェスト |
(2020/12/14 19:09登録) (ネタバレなし) 1970年代前半のロサンジェルス。その夜、「わたし」こと49歳の私立探偵ジム・ブレイニーは、秘書で恋人の24歳の美女ベデリア・ベリーとのデート中の路上で、麻薬の売人と警官との銃撃戦に遭遇する。負傷した警官を支援して犯罪者を射殺したブレイニーは時の英雄となり、その評判を認めた裏社会の大物ジョン・コルビーが依頼を申し出てきた。コルビーの頼む案件とは、総額10万ドルほどの宝石を持って愛人のもとに走った妻クレアの所在を探し、その宝石を奪回すること。だがクレアの恋人とは、ラスベガスの大物ギャング、マックス・ガンナーだった。ブレイニーはベデリア、そして助手の青年ドン・プライスとともにラスベガスに向かうが、事態は血臭ただよう殺人事件へと発展してゆく。 1976年のアメリカ作品。 ハードカバーの叢書「アメリカン・ハードボイルド」の方で読了。 翻訳される前から1970年代後半のミステリマガジン誌上で小鷹信光が熱く語っていた一冊で、当時の世代人ならこの作品の現物を読んだことはなくても、その小鷹の記事内で語られた(中略)のインパクトはなんとなく頭に残っているかもしれない(かくいう評者がそうであった)。 そんなレジェンド的な当時の話題作、衝撃作といえる一冊だが、ようやくこのたび読んでみると……。 なんというか、北方謙三の格調で書かれたハドリイ・チェイス風の勢いの私立探偵小説、みたいな内容。 ノンシリーズものという強みを盾にとった作劇がイケイケで、つまりこの主人公ブレイニーが最終的にどこに行くのかわからない(くたばるかも知れないし、悪に堕するのかも知れない)。そんな種類の先の見えない緊張感を、ほぼ全域にわたって読み手にバシバシとぶつけてくる。 こいつはリュウ・アーチャーやマイケル・シェーン、シェル・スコットとの付き合いじゃ得られない(まずたぶん)感興だ。 山場の(中略)シーンは、作品紹介のポイントにされただけあって、さすがに今読んでもスゴイし。 ミステリとしては先が透けてしまう部分もないではないが、真犯人に向けてブレイニーが指摘する決めてのロジック(一番最初の)はなかなか鮮やか。明快でよろしい。 終盤は様式に流れた? セオリーを守った? 感触もあるが、随所の文芸ポイントをひとつふたつ押すことで本作の個性を獲得しようとした作者の本気さは認める。 大半の作家の立場で、ハードボイルド私立探偵小説はシリーズものにしないで、本当に自分を出し切ったものを生涯でただ一冊書いちゃえばいいんでないの、というような一面があるようにもかねてより思うのだけれど、これはまさにそんな方向で培われたタイプの作品のような。 ラストはもうちょっと若い頃に読んでおいても、良かったかもな。10~20代に読んでいたら、もっと鋭敏に心に刺さっただろう。 読み応えから言えば8点を十分にあげたいんだけれど、作者の奮闘や完成度とは別の部分で(中略)という弱点を感じてこの評点。実質7.75点くらいで、でもそれでも8点はあげにくい、そんな気分の作品。 あ、断片的に語られる、メインヒロインたちの(中略)な恋愛観と、その顛末は、なかな味のある描写であった。 |
No.1043 | 5点 | 透明な同伴者 鮎川哲也 |
(2020/12/14 14:28登録) (ネタバレなし) 1988年に刊行の集英社文庫。 ブックオフの100円棚で購入。 就寝前にベッドでもうちょっとミステリを読みたいときや、病院の待合室でのお供などに重宝した、ノンシリーズの倒叙謎解き短編集。 ・以下、簡単に全6編の感想&メモ書き 「透明な同伴者」 ……主人公(殺人者)が女流推理作家という設定のみ興味を惹く話。結末はなんというか……本当にフツー。 「写楽が見ていた」 ……読んだ直後はちょっと面白いと思ったような気もしたが、この本を最後まで読み終えるころには、どんな話でトリックでオチだったか忘れてたいた。実はそれだけ地味な内容だったということか。 「笑う鴉」 ……被害者の女流作家のキャラクターがな~(笑)。ネタは子供向きのトリッククイズ本レベル。伏線も張り方が難しかったかもしれないが、もうちょっとなんとかならなかったかと思う。 「首」 ……主人公のややこしい発想は、ちょっと楽しかった。『恐怖劇場アンバランス』みたいな系列の一時間枠番組のなかでのミステリ路線として映像化してほしいかも。 「パットはシャム猫の名」 ……殺人のために(中略)。腹の立つ犯人だな。その点を抜きにすればアホなトリックは微笑ましいかも。 「あて逃げ」 ……編集部から頼まれた規定の原稿の枚数に尺が合わなくて、話を足しましたという感じ。後半のキーパーソンの行状に無理がありすぎだよね? 文句もつけたけど、トータルとしては、この手の作品が久々だったこともあってそんなに悪い印象はない。巻末の山前さんの書誌情報と鮎川作品への研究考察はさすが、という感じ。 |
No.1042 | 5点 | 見たのは誰だ 大下宇陀児 |
(2020/12/14 01:36登録) (ネタバレなし) 終戦からしばらく経ったその年の2月上旬。T大学の法学部に在籍する桐原進は、彼を「兄キ」と呼ぶ学友の古原昌人とともに、昌人の叔父で元外交官の古川敏行の屋敷に物取りに忍び込む。進は秀才の苦学生だったが、恋人でK大学の学生、木田紀美(きみ)を妊娠させてしまい、彼女と所帯を持つためにまとまった金が必要だった。当初、進は、敏行が戦時中から自宅に秘匿している金塊を穏便に盗み出すつもりだったが、計画の歯車は狂い、犯行現場は惨状となった。「任侠弁護士」俵岩男は、この事件の弁護を引き受ける が。 昭和30年11月に刊行の元版で読了。 主人公の進を主軸とした窃盗計画とその顛末をストレートに(?)綴って、物語の紙幅の5分の2くらいを消化。金が欲しくて犯罪を行い、それがうまくいかなかっただけ。裏も表もないお話が語られ、残りの内容をミステリとしてどう読ませるつもりなんだ、コレ、と思っていたら、妙な方にストーリーが膨らんでいく。 でもって読了後、数年前に復刊された文庫の感想をAmazonやTwitterで探ると、結構、みんなの評判はいいみたいね。 まあ作者が用意した後半の展開のぶっとび具合がさらに一回りして、意外に時代を感じさせないものになってしまった、という印象もある。 ちなみに小説の細部では、当時の若者気風の批判なども横溢。しかしその辺も21世紀の現代に通じる部分もないではないから、面白いといえば面白い。 全体的に小説としては意外に読ませるというか『石の下の記録』レベルには面白かった。前半の犯行に至るくだりの軽い緊張感に加えて、後半のメインキャラとなる俵弁護士の描写もなかなか独特の雰囲気がある。 自分が人情家であることを客観視した俵がなるべく冷静になるように務め、不当に被疑者に肩入れせずに事件に向かいあおうとする。そんな心構えの描写も(それは法に携わる者としては当たり前の態度ながら)ちょっといい。 ミステリとしては、先述の<話が膨らんでいく後半の部分>をどう取るか、だな。これで作品の独自性が出たと評価するか、とにもかくにも後半の物語を盛り上げて最後にまとめるため、強引な趣向を動員したと見るか。……うーん、個人的には、双方の思いが相半ば、かな(笑)。 罪もない家畜が冷酷に殺され、その実行者がくだんの件で反省もしない、明確なお咎めもなし、という点では、悪い意味で昭和作品。 もろもろの感慨をまとめて、評点はこのくらいで。 |
No.1041 | 6点 | ロウソクのために一シリングを ジョセフィン・テイ |
(2020/12/13 14:43登録) (ネタバレなし) ある夏の朝、イギリス海峡の海岸で女性の死体が見つかる。死体は国際的な人気の映画スターで、30歳のクリスティーン(クリス)・クレイと判明。クリスは貴族である夫エドワード・チャンプニズの外遊中、海岸のロッジ「イバラ荘」に宿泊していたらしい。スコットランド・ヤードのアラン・グラント警部が出馬し、イバラ荘の客となっていた青年ロバート(ロビン/ボビー)・ティズダルの証言が求められる。ティズダルはおじの遺産を浪費した無一文の若者だが、妙な愛嬌からクリスに気に入られ、男女の関係なしに世話になっていたようだ。クリスの死が事故でなく他殺と認めたグラントは、ティズダルも含めて周辺の容疑者を洗うが、やがてティズダルにきわめて不利な状況証拠が見つかった。 1936年の英国作品。作者がジョセフィン・テイ名義で書いた初の長編で、先行して別名義でスタートさせていたグラント警部シリーズの第二弾となる。 広義のパズラーの要素はあるが、グラントの捜査の軌跡を追っていくクロフツ的な作劇はシリーズ前作『列のなかの男』同様、警察小説の作法に近い。ただしキャラクターの書き分けや場面場面の見せ方などに前作よりも進歩が感じられ、大ざっぱな印象では『列のなかの男』よりもずっと面白く読めた(3~4時間でいっき読み)。 中盤は嫌疑をかけられたティズダルの逃亡と、彼の無実を信じて支援する某キャラの行状にも紙幅が費やされ、とにかく読んでいる間はなかなか楽しめる。 終盤の真相=意外な犯人は「え、そっち!?」という感じで、伏線や手がかりの薄さも含めてほとんどチョンボだが、とにもかくにも作者のサプライズ狙いは評価……したいなあ(笑)。 ただ一方で、一体それまでの(中略)というところも生じてしまってはいるけれど。 まあ出来がいい作品とはいいがたいよね(苦笑)。 本作をベースにした映画『第三逃亡者』はいまだ観ていないけれど、容疑をかけられたティズダル青年をはっきり主人公にした作りなのであろう? なるほどこの原作の映画なら、ヒッチコックが映像の素材として存分に料理の腕をふるえそうな感じはする。 最後に、翻訳は近年も活躍の直良和美。日本語としては全体的に読みやすかったが、初出の登場人物名を素性の情報も添えないでいきなりほうりだしてくるパターンが多く、かなり辟易した。原文もそういう雰囲気なのかもしれないが、その辺は翻訳の範疇で許される演出として、もうちょっと読者視点で読みやすくしてほしかったところ。 評点は前述のチョンボな謎解きは結構気に入ってるんだけれど……7点をつけるにはちょっと引いてしまって、この点数で。 |
No.1040 | 6点 | 溺れるアヒル E・S・ガードナー |
(2020/12/12 04:26登録) (ネタバレなし) 世界大戦の緊張が高まる40年代の前半。秘書デラとともにカリフォルニアに来ていた弁護士メイスンは、土地の大農場主ジョン・L・ウイザースプーンから相談を受ける。実は、農場主の一人娘で21歳のロイスには、近々出征が決まっている同じ年齢のマーヴィン・アダムズという恋人がいるが、そのマーヴィンの母で未亡人のサラーが先日死亡。サラーは死の間際に、実はお前マーヴィンは本当の子ではない、私と亡き夫ホレイスが赤ん坊の時に誘拐してきた子だと言い残したという。娘の婿候補のマーヴィンにかねてより好感を抱いていたウィザースプーンは、この話に驚愕。私立探偵に過去の詳細を洗わせると、さらにもっと驚く事実が判明した。実はマーヴィンの父ホレイスは18年前に殺人の罪で死刑になっており、母サラーは実父が重犯罪者という事実を息子から隠蔽するため、誘拐云々の話をでっち上げたらしい。マーヴィンへの好感はさておき、殺人者の息子を娘の婿にしたくないという本音を告げたウィザースプーンは、メイスンに18年前の事件の再調査を願う。だが、現在のカリフォルニアでまたも新たな殺人事件が? 1942年のアメリカ作品。メイスンシリーズの長編、第20弾。 ……いや、真剣に悩んだすえにその行為に走ったのであろう作中の当事者には本当に申し訳ないが(汗)、触れてほしくない過去(夫=息子の父が殺人罪で処刑された)を秘匿するため、さらにまた突拍子もないややこしいウソ(お前は実は私たちとは他人の、誘拐事件の被害者だよ)をついて世を去ったおっかさんのサラー。このトンデモな序盤の設定には、爆笑してしまった。世の中には本当にいろんな人がいるもんですねえ、という感じ(笑)。 薬品研究をする秀才マーヴィンの探求から、アヒルが溺れるという奇妙な事象が発生。その事実が事件にとりこまれていくが、これってミステリとしての構造にはそんなに深い意味はなかったような(一応の説明は用意されているが)。 過去と現在の事件の反復のなかで、ちょっとわがままなウィザースプーンや、これからの人生があるマーヴィンとロイス、それぞれの社会的な立場まで考えながら事件をこなそうとするメイスンの言動はかなり頼もしい。 さらに今回は初めてメイスンが弁護士としてではなく、当初、あくまで傍聴人のひとりとして法廷に入り、新鮮かついらだたしい体験だとする愉快な場面もある。大戦の空気が高まる時勢にあって、リベラルな物言いを放つメイスンのキャラクターもなかなかステキ。 ミステリとしてはおおむねソツがないとは思うものの、真相が割れても(中略)がもともとあまり書き込まれていなかったため、驚きも謎解き作品としてのトキメキも希薄なのが残念。 容疑者の範疇に入ってくるキャラクターたちの書き込みがうすいな~と、ときどき思わせるのが、ガードナー作品にしばし見られる弱点だと思う。比べても仕方がないんだけれど、クリスティーはその辺がやはりずっとうまかった。 物語の掴みは最高、話は好テンポ、ミステリとしての組み立てもなかなか……なんだけれど、それなりの重要度のハズの一部のゲストキャラたちのつまらなさで失点。評点はこんなところで。 |