人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2194件 |
No.1314 | 6点 | 電話の声 ジョン・ロード |
(2021/10/07 15:32登録) (ネタバレなし) その年の1月の英国。ある夜、地方のミンチングトン市で、代理販売業者ウィリアム・リッジウェルの妻ジュリアが、夫の留守中に自宅で何者かに惨殺される。事件の前の晩、リッジウェルの行きつけの地元の会合所「駅馬車ホテル」に「R・M・デイムハフ」なる未知の人物から、その場にいないリッジウェル宛に電話がかかっていた。電話の内容は、少し離れた町で翌晩仕事の相談をしたいので、リッジウェルに来てほしいというものだった。電話に出たホテルの主人トム・グロソップを介して、デイムハフからのメッセージを受け取ったリッジウェルは出かけていくが、実際には指示された場所も人物も実在せず、その夫の不在中にジュリアは殺されたようだった。謎の人物「デイムハフ」とは何者か? 彼が犯人か? いや、あるいは夫のリッジウェルが巧妙な偽装工作をしながら妻を殺したのか? スコットランドヤードのジェームズ(ジミイ)・ワグホーン警視は、名探偵プリーストリ博士の後見を受けながら捜査を続けるが。 1948年の英国作品。 nukkamさんのレビューを先に拝見して、ワグホーン警視の方がメイン探偵ということは聞き及んでいたが、まんまその通りであった。ワグホーンの仕事ぶりは、クロフツのフレンチ警部の定番の捜査、あれに一番近い。 それでまあ確かに間違いなく、地味な謎解き捜査ミステリなんだけど、個人的には結構楽しめた。途中で30分ほど仮眠を取ったが、一晩で読破することができた程度には面白い。 何より、ワグホーンやワトスン役の地元警察の捜査主任ケンワース、さらにはロンドン在住のプリーストリ博士とその仲間たち全員がもっぱら捜査のことにしか目を向けず、とにかく話がブレるスキがない。 評者が読んだロードの作品って別名義のものを含めてこれで6冊目だけど、この作者は一時期からそういう硬派? なところがあって、そこがまた独特の味わいで楽しめる。 ただし謎解きミステリとしては割と最後の方で初めてある情報が明かされ、そこで、ああ、この人物が犯人だなと察しがついて正解であった。作者的にもたぶん、ややチョンボは自覚した作りではあろう。しかしこの犯人のキャラクター、いろいろ思うところはあった。 個人的にはロードらしい面白さは満喫できた佳作。まあ若い頃だったら、絶対に面白くは思わなかったであろう種類の作品だが(あくまで個人の見解ですが)。 |
No.1313 | 5点 | 新学期だ、麻薬(ヤク)を捨てろ 夏文彦 |
(2021/10/06 07:09登録) (ネタバレなし) 1970年代後半のある年の春。都立N高校に在籍し、新学期から3年生になる「メイ」こと水島明は、アパートを経営する未亡人の母・明子、15歳年上で雑誌ライターの兄・一郎とともに平凡な日々を送っていた。そんな年の3月26日、明は一郎から頼まれてテレビ局に赴き、26歳の美人女優・北村真穂へのメッセンジャー役を務めた。詳しいことは知らない。だがその日から明の周囲では、自宅が荒らされたり、恋人の「ケイ」こと坂口恵子が何者かに誘拐されたり、さらには爆弾による殺傷事件が起きるなど、予想もしない事件が続発する。いったい何が起きているのか? 作者の夏文彦は1944年生まれ。多くの職業を体験したのち、広範なジャンルの文筆業に変転。黒木和雄監督の映画『竜馬暗殺』の製作にも参加している人物。 本作のことは少年時代から珍妙なタイトルとして意識していたが、特に読む機会もないまま経年。しかし最近になってネットなどで<大昔に気になった小説タイトル>という趣旨の話題の場で俎上に挙げられている。そこで、そういえばそんな作品あったなあ、改めてどんなんだったんだろ? と興味が湧いて古書をネット注文して読んでみた。 大筋の主題から言えば、事件の概要が見えないホワットダニット(といいながら、もこのインパクトのある題名から、麻薬がらみの事件で犯罪だろうとの見当はつく)。その大枠のなかに次々と生じる不穏な事態の連続がサスペンスを高めていく……はずの作りではあるのだが、描写が散発的なためか、あるいはキャラクター描写が弱いためかあんまり盛り上がらない。 というか男子高校生主人公の視点で、しかも複数のヒロインにそれなりにドラマ上のウェイトがある話のはずなのに、せめて主要ヒロインの2人は中盤くらいまでにもっと魅力的にキャラを立てておいてほしかった。その流れで本当は甘々のハズのラブラブ模様も最後までイマイチである。 後半になってちょっとしたサプライズが浮かび上がってきて、この部分はなかなか面白くなりかけた。 が、最終的にはそこも、いい狙いをしながら、打球が高めで長打のファールに終わった感じ。なんかもったいない。 残念ながら、全体的にこなれも悪く、たのしみどころも定まらない出来。作中のリアルでいうなら結構な事件が次々と起きているのに、司法警察の活動がほとんど書かれないのも変だった(一部の主要人物が逮捕される展開などはあったが)。 良かったのは作者が妙にミステリマニアらしく、主人公・明の学友になかなか当時の時代風にそれっぽいミステリ狂らしい友人が登場したり、さらにはまた別の登場人物もそっちの趣味があり、植草の「雨降りだからミステリでも勉強しよう」をボロボロになるまで読み返してる、というキャラ設定がされていたりしたこと。 肝心のストーリーとミステリギミックはいろいろアレなのだが、それでもこういうお遊びをのほほんとジュブナイル作品のなかでやっているマイペースぶりがなんか微笑ましい。評点はその辺も加味して。 |
No.1312 | 8点 | すげ替えられた首 ウィリアム・ベイヤー |
(2021/10/05 15:52登録) (ネタバレなし) その年の8月。マンハッタンの東と西で、女性教師アマンダ(マンディ)・アイアランドとコールガールのブレンダ・サッチャー・ビアードが相次いで殺害され、そしてその両人の首が切断されたのちに整然と挿げ替えられているという猟奇的な事件が起きる。NY市警のデール・ハート刑事部長は、50代初めのベテラン刑事フランク・ジャネック警部補に捜査を委任。ジャネックは、初動捜査のミスで相応の混乱が生じていた事件の渦中に飛び込んでいく。だがその一方で、ジャネックは、先日、自殺した彼の恩師格の老刑事アル・ディモーナの葬儀の場で知り合った美人カメラマン、キャロライン・ウォーレスと関係を深めていった。そしてそのキャロラインとの関係は、ジャネックをもうひとつの大きな事件のなかに導いてゆく。 1984年のアメリカ作品。 フランク・ジャネック警部補シリーズの第二弾。 日本でも刊行当時に相応の話題を呼んでいたのはうっすら覚えているが、あらためて調べてみると1986年の「週刊文春」年末ミステリベスト10で海外部門の6位であった。ちょっとした評価と反響だとは思うが、本サイトにこれまでまったくレビューもなかったのは、なんだろう。 文庫本で本文およそ490ページ。かなりの大冊で、その分みっちりと子細に猟奇的な連続殺人事件を追うジャネックとその部下や仲間たちの捜査が語られる。 なお本作の読後にAmazonのレビューで、たまたまこの作者ベイヤーの別の著作につけられたコメントを目にすると、シナリオライター出身の作家らしく筆が軽いといった主旨の評があったが、少なくとも前作『キラーバード』とこれに関してはそんなことはない。 殺された若い被害者ふたりのそれぞれの人となりを探って事件の糸口を見つけようとするジャネックが、娼婦のキャロラインに素直な親近感を抱き、一方で聖職者アマンダの心情に当初の嫌悪感を経てようやく接点を見だすくだりなどとても印象深い。ここらへんなどは、細かい情報を描写の緩急をつけながら語れる小説の叙述ならではこその感慨だろう。 メインストリームの殺人事件のかたわらで、もうひとつのサイドストーリーがどのようなパーツを築いてゆくかは、ここではもちろん書かないが、そちらもまた大変な読み応え。瞬間的にはメインとサブの主従が逆転しかけるようなきわどいバランス感まで読者に抱かせながら、独特の形質で双方の物語が接点を求め合ってゆく。本作のキモは間違いなくここ。 なお前作『キラーバード、急襲』ではあくまで副主人公的な立場だったジャネックだが、今回は完全にど真ん中の主役ポジションを獲得。現場での職務第一主義のベテラン刑事にして、同時に法の正義をぎりぎりまで現実世界の枠のなかで信じたい矜持を備えた人物として改めて語られている。そんな彼が恋人となったキャロラインとの関係、さらにそこから派生するドラマ、そして彼自身がかねてより抱えていた心の痛みに苦悩し、そして克己してゆく図も非常に読ませる。 ミステリとしては謎解き要素やサプライズがさほどなく、堅実な捜査の果てに光明が見えてくるあたりはもうちょっと何か欲しかったところがないでもないが、小説としての読みごたえは、終盤に明かされる犯人像の相応の鮮烈さもふくめてかなりのもの。 さすがに一晩では読了できず(途中で目が疲れて痛くなった)二日かかったが、結構な満腹感ではあった。秀作の評価をするには問題ない。 webで確認するとジャネックシリーズは全部で4作と意外に少なく、しかし一方で全作がちゃんと翻訳されているようなので、おいおいまた読んでみよう。 【余談】 ふた昔前の1997年に、扶桑社から出たミステリガイドブック「現代ミステリ・スタンダード」。当時の現在形の翻訳ミステリ界の作家たちをかなり幅広い裾野で網羅した良書だと思う。が、あらためて同書のベイヤーの項目を読むと、池上冬樹が執筆を担当。そこでジャネックはこの『すげ替えられた首』から登場と、とんでもないポカを書いてある。ちゃんと処女作でMWA長編本賞受賞の『キラーバード』からメインで活躍しているっていうの。 旧聞ながら、池上レベルの研究家や評論家でもこういう杜撰なことをするのかと軽く暗澹たる気分になった。商業原稿の執筆の上で、膨大な刊行数の翻訳ミステリを完全に精読することは不可能だろうが、せめて担当する作家の主要作ぐらいは、商業記事を書く際には図書館から借りてきてリファレンスするだけでもしてほしかった(それだけでもレギュラー探偵の初登場がどの作品かは確認できる)。 御当人からすれば、ナニヲイマサラ……かもしれないが、あえてここで苦言。 |
No.1311 | 7点 | 密告者 高木彬光 |
(2021/10/03 15:50登録) (ネタバレなし) 昭和39年。元・やり手の証券マンでその後、起業するが失敗した20代末の瀬川繁夫は、昔の彼女の山口和美に再会。良い勤め口として、30代半ばの男・酒井幹雄が社長の商事会社「新和商会」を紹介された。それと前後して、瀬川にはかつての恋人・室崎栄子の妹・俊子が接近してくる。いまの栄子は、瀬川の親友で中堅企業「七洋化学」の若手常務となった荻野省一の妻であった。だがその荻野が実はサディストで栄子をSMプレイで苦しめているので、姉に会ってほしいと俊子は言う。栄子のことを気にしながらも荻野に借金のある瀬川は、二の足を踏んだ。しかしそこで酒井が、実は産業スパイという秘めた顔を現した。酒井は瀬川にこの機会を利用して荻野家にあらためて接触し、七洋化学の企業秘密を探るように指示する。 1965年5月10日にカッパ・ノベルスから書き下ろし刊行された、青年検事・霧島三郎シリーズの第二弾。前作でいろいろあった霧島三郎は、現在も東京地検の所属ながら、部署が変わっている。 1961~62年頃から作者・高木彬光は、戦後の昭和30年の著名な殺人事件「丸正事件」から派生した<弁護士・正木ひろしの名誉棄損事件>の特選弁護人を担当。足掛け4年におよぶ同件の審理のかたわらで、さすがに多作の作者もやや執筆活動が少なくなった(それでも相応の作品を世に出しているが)。そんな事情も踏まえて、本作は高木が4年越しの正木弁護士の案件を終えて久々に本腰を入れて放つ作品、といった主旨のメッセージがカッパ・ノベルス版の巻末に書かれている。(評者は今回、そのカッパ・ノベルス版で読了。) 作品の前半はあらすじの通り、当時のムーブメントだった「産業スパイもの」「人妻よろめきもの」の興味を前面に展開。達者な語り口とある種の業界もの、昭和風俗などの興味で、かなり読ませる。 だが中盤でいきなり某・メインキャラクターが殺害されて、サスペンス要素も込めたフーダニットの謎解きパズラーに転調する。 こういうある種の二部構成は、昭和のミステリ作家たちや1940~50年台代の欧米の当時の新世代パズラー作家を思わせるが、けっこう鮮烈な効果を上げている。 ただしミステリとしては割と早めに仕掛けが見えてしまう面もあり、さらに途中で気になったいくつかの箇所もスルーされたまま終わった。 これでは凡作とまではいかないにせよ、普通なら相応に評価は下がるところだが、一方で最後の方で、欧米の某大家がよく使いそうなネタが導入され、それなりに失点を回復。 前半の当時の読み物ミステリっぽい面白さも踏まえて、佳作~秀作くらいには見てもいいだろう。いずれにしても一晩じっくり楽しめた。 たぶんこれが独身時代の最後であろう霧島三郎の描写も、等身大の青年名探偵キャラクターの素描として、なかなか味がある。 評価は0.25点くらいおまけ。 次のシリーズ第三作はそれなりに評判がいいようなので、たのしみ。 |
No.1310 | 7点 | 月見月理解の探偵殺人2 明月千里 |
(2021/10/02 05:32登録) (ネタバレなし) 「僕」こと高校二年生の都築初(うい)は、副部長を務める校内の放送部に、1年生の入部希望者を迎える。彼女、星霧交喙(ほしぎりいすか)は、初の妹・遥香の級友だったが、その交喙は、先に初の父親を自殺に追い込んだ人物を知っていると告げた。そしてそれは他ならぬ交喙当人の姉・花鶏(あとり)だが、彼女は現在、行方不明。そしてその交喙こそ、悪意と興味の赴くままに他人や組織の内情を探り、関係者を破滅に導く、変幻自在の変装能力を持つ人物「ドッペルゲンガー」だという。そんな交喙は、妹の交喙にとってもまた、親友を殺害した仇であり、交喙は初にともに「ドッペルゲンガー」の抹殺を提案する。当惑しながらも現実に向かい合おうとする初だが、そんな彼の前にあの「月見月家の探偵」こと性悪の美少女、月見月理解が現れた。 シリーズ第二弾。 理解に対抗する新ヒロイン、交喙の登場編で、ジャケットカバーの長い髪の美少女が彼女。少なくとも本作では完全にメインヒロインで、タイトルロールの理解のお株を奪っている。 変幻自在、もしかしたらスーパーナチュラルなレベルでの変身能力を持つ? ドッペルゲンガーは誰なのか(誰に化けているのか)、そもそも……? ……というのが大きな謎の興味だが、中盤からクローズドサークル的な状況(特殊施設)の中で、本作独自のゲームルールに基づいた生き残り脱出ゲームも展開。そこではさらに、異常な連続殺人劇が展開されてゆく。 かなり込み入ったオリジナルルールでの作中ゲームにはついていく(理解する)のがやっとで、最後の方になるともう思考も放棄してストーリーの流れだけをどうにか追った。ガッツがあり、オツムに自信のある方は、挑戦してみればいいかも? それで終盤の二転三転のサプライズ&ロジックの積み重ねは、う・うむむ……(ため息&冷や汗)という感じでまっこと圧倒されたが、コレは新本格の幅広い裾野の中でもグレイゾーンというか、反則ぎりぎりのギミックかもしれない。というか、こういう種類の作品じゃなければとても許されないね。 ある意味では、作者の狙いと作品の形質がしっかり合致している。 しかし例によって、ラストでの初くん……(以下略)。 ちなみに前作(シリーズ第一作)を読み終えたあとは、なるべく早くこの2冊目を読むつもりだったんだけれど、気が付くと3年以上経っていた(汗)。 次(シリーズ3冊目)はもうちょっと早めに手に取りたい。まあしばらくは、お腹いっぱいだろうけど(汗・笑)。 |
No.1309 | 7点 | 六月はイニシャルトークDE連続誘拐 霧舎巧 |
(2021/10/01 13:36登録) (ネタバレなし) 六月下旬の私立霧舎学園。高校二年生の羽月琴葉とその彼氏の小日向棚彦は、校内図書館で奇妙な二冊の本を目にする。それは彼らが四月と五月にこの学園で遭遇した、ふたつの怪事件を語った内容だった。さらにその本には続巻があり、そこには誘拐を題材にした六月の事件が描かれていた。そんなとき、まさにその本に呼応するように誘拐事件が発生。しかもその被害者のなかには琴葉たちも含まれていた。 シリーズ第三弾。 相変わらずの読みやすさでスラスラ頁がめくれるが、中身の方の仕込みはかなり入り組んでおり、現状まで評者が読んだシリーズ初期3冊の中では一番の手ごたえを感じた。 (なお誠に恐縮ながら、本サイトの先行のレビューのうち、505さんと江守森江さんの投稿はそれぞれいささかネタバレなので、注意されたし~汗~。) それで自分もまた、これから本作を楽しまれる方のネタバレを気にかけながら書くが、本作は作者の著作の別路線で、世界観を共有する「あかずの扉研究会シリーズ」の某作品と相応にリンク。 本作単品でも読めるように一応以上の配慮はされているが、それでも興趣を満喫するなら、絶対にそちらのシリーズも嗜んでからの方がよい(これ以上は詳しいことは言わない方がいい)。 しかし技巧派の新本格ミステリ作家としてこういう趣向(自分の別作品とのリンク)をやりたかった気持ちはなんとなくよくわかるし、前述のように本作単独でも楽しめる用意はされているのだが、一方である意味、読者を選ぶ作品ともいえる。この辺はまったく痛し痒しだ(ここまで、本作の犯人やメイントリックなどの興味には、まったく触れてないハズ)。 とはいえそれでも終盤で明かされる本作独自のぶっとんだ大技には、拍手喝采であった。いや前二作に引き続き、本シリーズらしいギミックなんだけれど、ある意味で(中略)的といえる発想には爆笑した。昭和30年代の某国産ミステリの、あの仕掛けも連想する。 シリーズの残りは9冊。まだまだ先は長いが、かなり楽しめそうである。 |
No.1308 | 6点 | エデンの妙薬 ジョン・ラング |
(2021/09/30 19:28登録) (ネタバレなし) 1968年のロスアンジェルス。大手「メモリアル病院」の28歳の内科医ロジャー・クラークは、暴走族の急患アーサー・ルイスこと「リトル・キリスト」の尿が青色だと知って驚く。原因は不明で、クラークは同僚や他の病院と臨床例の情報交換を行うが、真相は曖昧だった。そんな騒ぎのなか、新人女優で人気が出始めた21歳のシャロン・ワイルダーがクラークの患者となり、彼女もまた青い尿を排出する。シャロンが別の病院で服用した薬物に手掛かりが? と見当をつけたクラークは独自の調査を進行。だがそんなクラークを待っていたのは悪夢の迷宮のような現実だった。 1970年のアメリカ作品。 マイクル(マイケル)・クライトンのラング名義での第6長編。 評者はラング名義の作品はこれで4冊目だが、それぞれ一応の面白さは担保しながら各作の方向性や作りはバラバラで、掴みどころがない。広義のスリラーという共通項もあるが。 本作では青年主人公のクラークが、ファム・ファタール的なヒロインのシャロンと会ったあたりから流れが転調。さらにうさんくさい組織との接触を経て、蟻地獄にはまるように、立場を転落させていく。後半にはクライトン名義の『ターミナル・マン』の筋立てを裏側から語るような趣の展開も披露。 なんというか暗闇の出口が見えない迷宮の中を徘徊するような気分は、チェイスかボワロー&ナルスジャック、それぞれの一部の作品に通じる息苦しさであった。 ラング(クライトン)が、こういう種類のダークトーンの物語を書くとはね。 ラストの組み立てについてはもちろんここでは書かないが、余韻がある一方で息苦しさが抜けず呼吸が整わないまま放り出されるような気分で、かなり独特な後味。 多才な作家の実験的な小説としては、その意味で成功しているのかもしれない。 佳作~秀作未満。 |
No.1307 | 8点 | 鑢 フィリップ・マクドナルド |
(2021/09/29 15:56登録) (ネタバレなし) 第一次世界大戦を経た1920年台の英国。時の大蔵大臣で50歳代のジョン・フード卿が、自宅の邸宅「アボッツホール」で、何者かに殺害された。凶器とその手段は木工用の棒鑢(ぼうやすり)で撲殺という、ちょっと変わったもの。新聞「梟(オウル)」紙の発行人兼編集長のスペンサー・ヘイスティングスは、秘書マーガレット・ウォンが早速、聞きつけてきた事件の情報を入手。さらに詳しい事件の調査記事を書かせようと思い、「梟」新聞の出資者で嘱託の執筆者でもある友人アントニイ・ゲスリン大佐を、アボッツホールに向かわせる。すでにアマチュア探偵として幅広い才能の一端を発揮していたゲスリンは現場で再会した知己の面々とも旧交を温めながら捜査にかかるが、そんな彼には邸宅の近所に住む魅力的な未亡人ルーシア・ルメジュラーとの出会いが待っていた。 1924年の英国作品。 作者フィリップ・マクドナルドのミステリ処女作で、もちろんゲスリン大佐シリーズの第一作。 評者は少年時代に、当時まだ稀覯本のポケミス版の古書を入手。自分で読みもしないうちにSRの会の会員仲間に貸してやったりしていたが、なんとなく興味が湧いて読むのは、これが初めて。 当然のこと(?)今回は創元文庫の新訳版で読んだが、これは買ってあるかどうか記憶になく蔵書も見つからないので、古書をAmazon経由で安めに購入した。 小林晋さんの長大で精緻な巻末の解説によると、もともとマクドナルドは本作のみでミステリ執筆を打ち止めにする気もあったそうで、そんな作品に主人公探偵の恋愛ドラマがからむので『トレント最後の事件』(1913年)を連想したりする。(こう書いても双方のミステリとしてのネタバレにはなっていないハズ。) 黄金時代全盛期の<大邸宅で起きた殺人もの>だが、ほどよいバランスでかき分けられた登場人物の配置、主人公ゲスリン大佐やほかのキャラクターたちのどこかラブコメチックな恋愛模様などが功を奏して、サクサク楽しめる。ミステリファンとして、自分をデュパン、ルコック、ホームズ、フォーチュン氏(おお!)、ルルタビーユになぞらえる青年探偵ゲスリンの口上などもイカす。 予想以上にハイテンポな作劇と楽しい登場人物たちの描写に惹きつけられていっきに一晩で読んだが、ある部分のホワイダニットなどは予想がついたものの(大体あたった)、犯人に関してはこちらが推理を組み立てる前に先にゲスリンに暴かれてしまった。しかしその段取りが、なかなかのエンターテインメント! 名探偵キャラの劇中での大技としては、1960年台のある後進の英国作家に継承されているような感じがある。いやゲスリンの作戦はかなりトンデモなんだけど、そのあとの展開が……(中略)。 あとは犯人のキャラクターの鮮烈さ。小林さんの解説では動機に説得力が……とやや批判的だが、これはこれでまた別の60年台の英国作家のアレの先駆ではないだろうか。そういう意味では、かなり攻めの姿勢を感じたりした。 真犯人の発覚後のゲスリンの解説はかなり長いが、ロジックを整理するボリューム感と、笑っちゃうようなコワイような(中略)トリックの実態がそれぞれなかなか強烈。 トータルとしての結論は、文句なしに、予想以上に面白かった! 先行のミステリ分野の諸作を踏まえた、そういう意味での処女作ゆえの勢いがプラスになった、という意味ではジェイムズの『女の顔を覆え』に似た手ごたえも感じたりする。 しかしP・マクドナルド、気が付くと翻訳されたものはいつの間にかほとんど読んでしまったな。まだまだ未訳があるみたいだから、どんどん出してほしい。多少の凡作でもたぶんそれなりに楽しめる自信はあるぞ(本作は秀作だと思うが)。 |
No.1306 | 5点 | その灯を消すな 島田一男 |
(2021/09/28 14:59登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと37歳の刑事弁護士の南郷次郎は、鬼怒川の「蚊太(かぶと)の里」から、旧友の那須正彦の訃報を受け取る。蚊太の里はもともと平家の落ち武者の隠れ里であり、10年前に南郷と那須は現地に赴き、土地の旧家・小松家の美人三姉妹、濯子(すぎこ)、浪子、都と親しくなった経緯があった。その長女の濯子が那須とそのまま結ばれて、那須夫婦は現地で事業を営んでいた。南郷は早速、当地に向かうが、そんな彼を待っていたのは、予想もしない連続殺人事件であった。 先行作の『上を見るな』に比べて連続殺人ミステリ、フーダニットとしての練度は格段に上がったが、一方でその分破天荒さが薄れて、全体に地味になってしまった感じ。 南郷と旧知の三姉妹を軸にして広がっていく人間関係の綾や、細密なアリバイの検証、土地の食わせ物の捜査官、石橋刑事(南郷はイヤミというか半ばからかって、名前を忘れたふりをして「土橋」と呼び続ける)などの要素で、小説、ミステリとしての楽しみどころはそれなりにあるのだが、どうも今ひとつ、マジメすぎて心に響かない印象だ。 ちなみに題名の「その灯」とは、序盤の事件の被害者の周辺で不自然に? 照明やライトが消えていたことに由来。さらに南郷がたまたまラジオで聞いた古典落語「死神」の、生命の炎を灯した蝋燭のイメージにも連なっていく。 最後に明かされる真犯人の動機はこの作品のキモで、もしかしたら当時としてはかなりのサプライズであったかも知れない。ただし21世紀の現在の視点では、ある意味で新本格的な発想に寄ってきたような感覚もあり、逆にそっちの尺度で受け取るとインパクトが弱いように思えた。むずかしいところだ。 残念ながら個人的には、あまりシンクロできなかった感じ。もしかしたら違うT・P・Oで読んでいたら、もうちょっと面白く読めたかもしれない。 あ、斎藤警部さんが引用している箇所は、評者もインパクト絶大でした(笑)。 金丸京子女史、いいねえ。 |
No.1305 | 8点 | 凶鳥の如き忌むもの 三津田信三 |
(2021/09/27 08:26登録) (ネタバレなし) シリーズ第二弾、クローズド・サークルもの、人間消失ネタ、モンスターまたは妖怪は鳥の属性、という程度の予備知識で読み出す。 中盤の仮説&ロジックの討議合戦はやや手ごわかったが、それでも気が付くとあっという間に200ページ以上になり、そのままクライマックスまで一直線であった。それで迎える、サプライズの連続の果ての最後の真相……。 いや、文句なしに度肝を抜かれました!!! こういう方向の意味でのリアリティとか、こんな考えする人間いるか!? とか言ってもまるで無意味で、ある種の狂気の域に達した当該キャラクターの(中略)に、ただただ畏怖するのみ。 腹が立つというか不愉快な描写が細部にあったから減点しようかとも思ったが、これだけパワフルで破格なパズラーを読ませられては、それもしにくい。 それでもあえて言えば、18年前の事件の方の形成でちょっとひっかかる気もしないでもないんだけど、まあそれも解釈のしようでイクスキューズ可能な範疇ではあろう。 個人的には第1作目よりもさらに面白かった。 評価が割れるのもわからないでもないが、このシリーズをこれからまだまだ楽しめるのは非常にウレシイ。 しかし本シリーズの長編は、まずはみんな原書房のハードカバー版が元版と思っていたんだけど、これは講談社ノベルスが先だったんですな。 たまたまその講談社ノベルス版で読んだけど、あとから改めて意識して軽くびっくりしました。 |
No.1304 | 5点 | フランス式捜査法 サン・アントニオ |
(2021/09/25 16:01登録) (ネタバレなし) 自分を「警察のスーパーマン」と「謙遜」する「私」ことサン・アントニオ警視は、友人で部下の「デブ」ことベリュリエ警部とともに、とある所轄の警察署に立ち寄った。そこには知己のサルモン警視がおり、若いオランダ人、ヴァン・クノッセンを取り調べていた。クノッセンの妻コルネリアはホテルで何か異物を口にしたまま昏睡状態にあり、事件性があるので事情を問われているようだ。そんな中、デブがクノッセンから煙草を分けてほしいと願うと、そのままクノッセンは隠していた小型拳銃で自殺した。クノッセンの紙巻き煙草の紙の裏側には何か怪しげな文言が書かれており、さらなる犯罪の匂いを感じたアントニオとデブは、クノッセン夫婦の故郷のオランダに向かうが。 フランスの1959年作品。 フレデリック・ダールが別名サン・アントニオ(EQと同様に作者と探偵が同名の趣向)で書いた、全部で184作あるらしいサン・アントニオ警視シリーズの一本。 生前の小泉喜美子が本作をやたら推していたのは覚えているが、日本ではまるでウケず売れなかったそうで、そのことは小泉自身も慨嘆している。ちなみに本シリーズの邦訳も、この一冊だけだ。 まあちょっと冒頭を齧るだけで、主人公としてか作者としてか判然としないサン・アントニオのものらしいマイペースなくっちゃべりが滔滔と始まり、しかもその笑いを取るネタがどうやらフランス文化の些末な歴史や風俗にちなむらしいものばっか。これはもう絶対に日本でウケるわけないね。 さらに翻訳は「中村智生」という東大仏文科卒の仏文学者の人が担当しているが、聞きなれない名前なのでAmazonで検索すると、確認できたほかの訳書は、フランスホラーの『マドモアセルB』一冊のみ(この作品も、小泉は好きだったらしい)。 いや、最後まで読むとそんなに日本語としてヒドくはないのだが、一方で固有名詞の表記はブレるし、前述の続発するフランスの文化ネタに注釈をつける気などもまるでないし、最初はかなり読みにくい訳文であった。特になんだろうなと思ったのが、警察の階級としては下位のはずのデブ(ベリュリエ)警部の方が、警視のアントニオとタメ口、いやところどころ警視よりエラそうな物言い。 もしかしたら原作の文芸設定で何か、そういう翻訳にした方がいい理由があるのかもしれないが、特に訳者あとがきでもそれについてのイクスキューズはないし、この不自然さはダメだろ。 早川の編集部は当時は長島良三がメインで、校閲(そんなものがあればだが)もかなり甘かったのでは? と思わせる。 とはいえ舞台がオランダに移ってからは、独身らしいサン・アントニオと妙にいい仲になるゲストメインヒロイン・ヒルデガルデも登場。事件の内容も(中略)にからむ悪党たちの犯罪計画と判明して、まあまあ読めるようになる(その、汚い身なりで登場してくるがどこか品のあるヒルデガルデのキャラクターには、ちょっと萌える)。 ただしリアリティとかアクチュアリティとかは不問にした方がいい世界観で、なんというか一番近いイメージでは、あれほど話が弾まない、ナンセンスにならないルーフォック・オルメスみたいな感じ。 最終的にはまあまあ楽しめたけれど、21世紀のネットで感想を探してもレビューなどはほぼ皆無。ちょっとだけ、語られざるユーモアミステリの収穫みたいに言っている人もいるみたいだけど。 まあみんな序盤だけ読んで逃げ出してるんじゃないかと。 本サイトの中にも、本書を手に取るだけ取った方はいらっしゃいますか? ツマンネー、ワケわからない、と最低の気分でページをめくっていた時は2点か3点つけてやろうかとも思ったが、最後まで読むとまあまあこの評点くらいはあげてもいいかな、というくらいの気分にはなる。 ただしもし万が一、21世紀のこれからこのシリーズを発掘翻訳・再紹介したいというあまりにも奇特な出版社がいるとしたら(120%いないだろうが)、よほど腰を据えて翻訳と編集に気を使い、シリーズの中でも面白そうな、そして日本人にも通用しそうなものをしっかりセレクトしてくださいね、というところで。 |
No.1303 | 5点 | トリックスターズL 久住四季 |
(2021/09/25 04:34登録) (ネタバレなし) 魔術研究が「魔学」として、一般にも公認された世界。魔学を学究する学舎「城翠大学」の一年生で「ぼく」こと天乃原周(あまのはらあまね)は、恩師である美青年魔術師・佐杏冴奈(さきょうしいな)やほかのゼミ仲間とともに、世界有数の魔術師の訪日を迎える。二人の魔術師の邂逅の目的は高度な魔術の実験であり、そのために一同は城翠大学の特別実験室に閉じこもる。だがそこで不可解な殺人事件が発生し、現場はさながら「嵐の山荘」ミステリを模したような状況であった!? メディアワークス文庫の改定版で読了。 こういう特殊設定でのシリーズ第二弾だから、どうしても前作のネタバレになるものかと思いきや、実にうまいこと、はぐらかしてある作者の筆さばきには感心する。そういう意味では、前作を読まないでコレから読んでもたぶん大丈夫です(基本的には順を追って読んだ方がいいが。) 密室殺人ミステリとしては、前作よりもちょっと面白かった。 ただしいくつか仕掛けてある大ネタ小ネタのうち、かなり大きなものが当初から予想がつく。悪い意味で、定石どおりに過ぎる感じだ。 中盤で語られる密室の謎解きトリックの真相は良い意味でバカバカしくて結構、と一瞬思ったが、よくよく考えてみれば数十年前に新本格で似たようなギミックの先例がある。アレのバリエーションとして見ればまあまあ、かな。それに気づいたところで減点。前例を思い出していなければ、割と高く評価していたかもしれない。 メディアワークス版初版の帯には「掟破りの連続にまどわされ、その結末にあなたは必ず驚く!」と大小の級数のフォントでメリハリをつけながら仰々しく読者を煽っているが、正直、そこまでのものでは決してない。 それでも前作の「ナンダ21世紀ニ今サラ、コンナネタデ勝負スルノカ!?」と思わされたあの手の失望感のようなものはなく、ソコソコは楽しめた。 前作は純粋に5点だが、今回は6点に近い5点。 さてシリーズ第3作はどうしよう? 少なくとも、慌てて読まなくてもいいな。 |
No.1302 | 7点 | トロピカル・ヒート ジョン・ラッツ |
(2021/09/24 04:42登録) (ネタバレなし) その年の6月のフロリダ。元警官で45歳の私立探偵フレッド・カーヴァーは、魅力的な女性エドウィナ・タルボットから仕事の依頼を受ける。エドウィナは不動産関係のOLだが、彼女の同業で別の会社に勤務する恋人ウィリス・デイヴィスが、一週間前に身投げ自殺を思わせる状況で姿を消していた。恋人がまだどこかに生きていると信じたいエドウィナはカーヴァーに、ウィリスの捜索を願う。だがカーヴァーが調査を進めると、ウィリスについて意外な事実が判明。やがて事件は予想もしない方向へと広がりを見せていく。 1986年のアメリカ作品。 作者ラッツの看板キャラ、アロイシアス・ナジャーと並ぶもう一人のレギュラーキャラの私立探偵ヒーローがこのカーヴァーだが、「臆病者」という属性を与えられたナジャーに対し、こちらのカーヴァーは性格的にはもう少しコワモテ。 (といいつつ、しばらく前に読んだナジャーものの長編『稲妻に乗れ』では、ナジャーがそんなに弱虫にも見えなかったりしたが)。 カーヴァーに与えられた個性というかキャラ付けは、半年前に押し込み強盗に左ひざを射抜かれ、左脚が半ば不自由になったこと。この重傷がもとで退職し、今は水泳などで全身を鍛えてはいるが、歩行の際に左脚を庇う杖は手放せない。 こんな設定に触れると、日本版「マンハント」に慣れ親しんだ自分などは、一昔前の、片足が義足の私立探偵マンヴィル・ムーン(リチャード・デミング)などを思い出す。ムーンはとうとう日本では、長編は一本も紹介されないままで終わった。 読み終えたあとに訳者あとがきに接すると、作者ラッツの「一度読み始めたら途中でやめられない作品を書く」という自負の言葉が紹介されている。 うん、確かにストーリーのテンポは良く、主人公カーヴァーを中心にした登場人物たちの配置も明確でいい。 小説の形態としてはカーヴァーを物語の軸とした三人称一視点のスタイルだが、途中で読者にカーヴァーの視界の外で危機が迫っている状況を伝える際には、あまり形式にこだわらず自由に視点も変える。そういう小技を本当に必要最低限やっているので、メリハリがつく感じで、これはこれでいい。こんなのは、あまり多用されると散漫になりそうな、小説テクニックだが。 調査の進行で事件の様相が変遷するととともに、登場人物同士の関係性も進展してゆくキャラクター小説の趣もある作品。 そういう意味であまり具体的に感想を書かない方がいいと思うが、最後の1行がある種類のフィニッシング・ストロークになっており、これはやられた、という思い。作者ラッツ、後半のカーヴァーと某メインキャラのやりとりも含めて、意地悪で硬派だね。 でも80年台ネオハードボイルドのカオスななかで、これはあり、だとも思う。時代のなかであちこちに目配せしながら、それでも隙を窺うように骨っぽいハードボイルドを書きたいという作者の気概はしっかり実感した。 ミステリとしては後半でやや唐突に飛び込んでくる事件のパーツに違和感を覚えながら、クライマックスまで読み進めて……そう来たか!? という感じ。 ちょっと少し思うところもないでもないが、紙幅が残り少なくなっていくなかで事件の全貌が見えないサスペンス、そして最後に明かされる意外性のサプライスは結構なものではある。いやどちらかというと、事件の真相は「そっちかい!?」というヤツか。 (で、それでも、なんのかんの言っても、結局は前述の「最後の1行」が全部もって行った思いもあるのだが。) トータルとしては普通以上、期待以上に十分、面白かった。 ただあえて不満を言えば、なんか全体にあれやこれやの余剰の部分さえ踏まえて、優等生っぽい作品の感じが気に障らないでもないところか。 ちなみにコレは作者のお遊びだろうけど、カーヴァーはR・B・パーカーのスペンサーとも知り合いらしい。名前が出ないで、ボストンの食通の私立探偵とも面識がある旨の叙述がある。 シャロン・マコ-ン&名無しの探偵&ヘイスティングス警部、DKAとあちらやこちら、みたいにこの時代のアメリカミステリ界は作中でリーグを組みまくってるのかもね。結構なことである。 |
No.1301 | 6点 | #指令ゲーム 明利英司 |
(2021/09/23 04:45登録) (ネタバレなし) 大学卒業後、ずっとフリーター生活を送る25歳の福山鞆広(ともひろ)は、一年三か月働いた居酒屋のバイトを、店側の人件費削減という理由で辞めることになる。恋人のOL・稲取鈴香の前で、今後の展望を語る鞆広。そんな彼は、大学時代の先輩で金持ちの令嬢である27歳の美女・城之内祥子と数年ぶりに再会した。鞆広の失業を聞いた鈴香は、父の後援を受けて自分が社長を務める新会社の幹部社員に、鞆広を誘った。祥子の語る業務とは、何かを客に売る商売だという。鞆広は祥子の指示で、ルームシェアをしている友人・山口遼太の出社を見送ったあと、マンションでその商品のサンプルらしきものが届くのを待つが……。 文庫書き下ろしの昨年の新刊。久々にこの作者の作品を読んだ。 (今日びの若手作家の水準からすれば、もともとそんなに著作が多い方でもないが。) どこがどう面白いかも、あまりここで語らない方がいい種類の作品で内容。変遷する事態のなかに放り込まれる主人公・鞆広の対応は傍から見ると、ちょっとあまりに考えなし、という局面もいくつかあるが、ジェットコースター的なお話の流れを進めるためには、まあギリギリ許容範囲……かな。 ホワットダニットテーマのミステリとしては実はそんなに練りこんだものでもない気もするが、終盤で見えてくる作者のやりたいことというかこの作品の狙いが了解できれば、その意味では一応の成果はあげている。 ただしネタバレになりかけているので、巻末の作者あとがきは本文より先には決して読まないように。 2時間ほどで読み終えて、ちょっと古いタイプの技巧派フランスミステリ、その和製版に触れたような味わい。 小品の佳作ぐらいには、なっていると思う。 |
No.1300 | 7点 | 快傑ゾロ ジョンストン・マッカレー |
(2021/09/22 16:02登録) (ネタバレなし) 19世紀初頭。スペイン統治下にある当時のカリフォルニアの一角、サンファン・カピストラノ。そこはスペインの総督のいい加減な治世のもと、悪徳役人や不良軍人が一般市民や原住民を泣かせていた。だがそんな悪徳の地に、謎の仮面の義賊「ゾロ」が出没。ゾロは殺生を嫌うが、卑劣な権力者や金持ちには容赦なく処罰を下し、悪人の財産を奪っていた。そんななか、政争に巻き込まれて没落した大農園主ドン・カルロス・プリドは、美しい18歳の娘ロリータを、別の権勢を誇る大農園主ドン・アレハンドロ・ベガの一人息子で24歳のドン・ディエゴ・ベガと婚姻させて、ベガ家の財産と権力を頼りに家の立て直しを図る。だが肝心のロリータは、自分に想いを寄せる若者ドン・ディエゴの、人は悪くないのだろうがまるで男らしくない態度に業を煮やしていた。そんなロリータそしてプリド家の前に、あの仮面の青年ゾロが登場。ロリータは毅然とした言動で紳士的な義賊に、瞬く間に心惹かれてしまうが。 1920年(1919年説もあり)のアメリカ作品。 先日、本サイトに投稿された同じ作者マッカレーの『仮面の住人』レビュー(空さんがご執筆された)を拝見。評者もそちらは数年前に新刊刊行時に読んでいたが、そういえばこの作者の一番の代表作をまだ読んでなかったと思い、ネットで古書を注文して一読してみる。 評者が読んだのは、角川文庫の平成10年の改版初版。当時の新作映画『マスク・オブ・ゾロ』の公開に合わせたもので、訳者が『ファイヤフォックス』(早川の新訳の方)の広瀬順弘だから、1990年台後半の新訳かと思ったら、1975年の元版の訳文がベースだった。広瀬サンって古かったのね。おかげで21世紀になりかかった時代の改版初版ながら平気で「インディアン」なんて言葉がポンポン飛び出してくる。手を入れないのかい。2000年前後当時の角川の編集部。 内容の方は<謎の仮面ヒーロー>の大きなひとつの源流となる名作活劇だから、さすがに面白い。21世紀の今読めば、もちろん旧作として時代のズレもあるのだが、逆に「この頃からもうこんなことを!」的に感心・感銘ずるところも多々ある。 ポイントは謎の仮面ヒーロー「ゾロ」の正体(もちろん読む前から知ってるが)がどのように小説(広義のミステリ)の技法として隠されているか。そしてゾロ、ドン・ディエゴ、ロリータの<お約束のあの種の三角関係>はどうなるか、だ。 前者に関しては主要キャラクターの内面描写の抑制、噓を書かないが省略法は活用する技法など、ある種の叙述トリックに接近するような趣が面白い。後年のミステリ作家たちも少なからず影響を受けた連中はいるのではないか、と。 ついでに言えば、ゾロの設定は言うまでもなくのちのクラーク・ケントやブルース・ウェイン、さらには中村主水あたりにまで影響を与えて、彼らの先駆かつ広義の生みの親になっているともいえるのだが、ヒロインのロリータのラブコメチックな苦悩っぷりもまんまロイス・レーンのソレだ。 ゾロ以前にさらに、この謎のヒーローの系譜の原型キャラクターがいなかったわけでもないだろうが、ゾロ以前と以降の活劇&ミステリフイクションのありようの変化などいつか何らかの形で確認してみたい。 (なお「必殺シリーズ」ファンには有名な話だが、1990年代に日本の朝日放送と松竹映画のテレビ部は当時のアラン・ドロンを招き、同じ「二つの顔を持つヒーロー」同士として中村主水と何らかの舞台装置のなかで共演させるスペシャル編の企画を進めていたが、ボツになっている。返す返すもこのとんでもない企画の頓挫が惜しまれる。) 閑話休題。 改めて本作のこのメイントリックといえる(?)文芸設定は、もちろん一世紀も前の旧作、ロマン活劇だから許せる、という面も多いのだが、ミステリの叙述的な技法の面から読んでもちょっと興味深いものではあった。 お話そのものの旧作ロマン活劇、そのあっけらかんとした楽しさを存分に味わうと同時に、そういう当時の小説テクニックの辺りにもちょっと意識を向けて読んでみてもいいかとも思う。 |
No.1299 | 6点 | 武蔵野殺人√4の密室 水野泰治 |
(2021/09/21 15:30登録) (ネタバレなし) その年の3月中旬、警視庁捜査一課に所属する26歳の美人刑事・鮎川阿加子は、上司の課長で48歳の宮脇岩友とラブホテルで濃厚なセックスを楽しんでいた。その情事の最中、宮脇にポケットベルの呼び出しがある。東京と埼玉の県境の朝霞で、数百億円の資本金の大企業「徳永興業」の会長で77歳の未亡人・徳永志保が殺されたらしい。しかも彼女の邸宅「土筆庵」の敷地内の殺人現場は密室状況だった。濃密な人間関係を巡って憎悪の念と欲望が渦巻くなか、やがて事態は徳永興業の母体である八雲一族周辺での、連続密室殺人事件へと移行する。 nukkamさんのレビューを拝見して興味を惹かれて、ネットで注文した講談社文庫版の古書で読了。 冒頭のポルノ描写は笑いながら読んだが、中身の方はいろんな意味で破天荒というかパワフルな作りのパズラーで、途中から襟を正してページをめくる。 特に中盤の展開はなるほどショッキングで、nukkamさんのおっしゃる通りに文庫版の裏表紙のあらすじは見ちゃダメ。評者はせっかくのご注意を失念しておりました(すみません)が、なんとか回避して本文を読了しました。 読んでいる最中に、あ、ココは伏線だな、という箇所が二つ三つ目につくのだが、そのあとのジェットコースター的な展開に目を奪われているうちに忘れていた。こちらがうっかり屋さんなのはたしかだが、ある意味ではよくできている? といえるかもしれない。 密室状況がバラエティに富んで、しかも一部はかなり特殊な構造というか屋内施設でのもの(ちゃんと主要なものには図面入り)。 さらに20数年前の故人の幽霊騒ぎなどもからんで外連味は十分だが、肝心の密室を作る意味がもうひとつ見えないような……。 あと最後のサプライズは、作者的にはちゃんと当初から構想はしていたものなんだろうが、うーん、これはアリか? まあオモシロかったが。 とにもかくにもいびつなパワーは随所に感じさせる一作。水野作品はこれが初めてだが、もうちょっと読みたくなってまた古書を購入してしまった。評点は7点にかなり近いこの点数で。 |
No.1298 | 6点 | 正直者ディーラーの秘密 フランク・グルーバー |
(2021/09/20 15:31登録) (ネタバレなし) その年の7月。ラスヴェガスから少し離れたデスバレーで、実用本の行商セールスマン、ジョニー・フレッチャーとその相棒サム・クラッグは、重傷の男に出会う。介抱する余地も名前を聞く余裕もなく、男は「ニックに渡して欲しい」と懐中のいくつかの小物を預けかけて息絶えた。ジョニーたちは男から託された小物を携えてラスヴェガスに向かい、途中でヒッチハイク中のブロンドの美人ジェーン・ラングフォードとも出会う。ジョニーは、死んだ男から接触を頼まれた「ニック」がラスヴェガスにいると考えて捜索する一方、人のいい警官マリガンから買ってもらった本の売上1ドルを元手に、カジノで強運に憑かれたように勝ちまくるが。 1947年のアメリカ作品。 評者がこのシリーズで前回読んだ『ゴースト・タウンの謎』に続くシリーズ第9弾で、今回はうまい具合にシリーズの順番とこちらの読む順番がシンクロした。 論創のハードカバーで本文は200ページほど、シリーズの中でも短めの方だと思うが、見せ場はそれなりに多くて、いつもどおりこのシリーズとして普通に楽しめる。 年中素寒貧のジョニー(とサム)がツキまくって、カジノのギャンブルで連勝。ラスヴェガスのいくつかの胴元を破産の危機? に追い込みかけるという逆転の趣向が笑いを誘うが、事態の決着のほどは読んでからのお楽しみ。 ミステリとしては冒頭に、ジョニー&サムの三人称一視点から乖離したなんか技巧派っぽい叙述のプロローグがあり、これが今回の仕掛けか? と期待したが、これも詳しいことは書かない方がいいだろう。まあなんにせよ、ちょっと緊張感を抱かせる導入部で悪くはなかった。 クライマックスの謎解きはやや書き飛ばした感じだが、一応の意外性はあってそれなりに楽しめる。 地元のお金にガメツイ夫婦探偵とジョニーとの連携や、元ハンターでかなりややこしい結婚歴&離婚歴の警官「生け捕りのマリガン」などとのやりとりもポイント。 当然、ギャンブル小説としての興味も豊潤で、山場のカード勝負はなかなか熱が入っている。 これまで読んだシリーズの中ではそんなに上位の方に行く感じではないが、それでも十分に面白かった。未読の分が楽しみ。このあとの未訳の分に期待。 |
No.1297 | 6点 | 仮面の祝祭2/3 笠原卓 |
(2021/09/19 06:18登録) (ネタバレなし) その年の12月28日。鎌倉の路上の車内で、29歳のフォークソング歌手・緒方信大(のぶお)の殺害された死体が見つかる。実際の犯行現場は自宅のアパートと思われるが、殺人が行われたと思しいクリスマスの当日、そのアパート周辺でサンタクロースの衣装を着た女性が目撃された。ちょうどその頃、近所の商店街では3人の女子大生がサンタの衣装と濃厚なメイクで宣伝活動をしている。神奈川県県警と警視庁捜査一課の捜査陣は、3人の女子大生のひとりが実行犯で、ほかの二人が共謀してアリバイを仕立てている、あるいは捜査を攪乱しているのでは? と仮説を立てた。だが捜査陣の前には、さらなる事件の展開が生じる? 創元文庫版で読了。 1970年代に「週刊少年チャンピオン」に連載された闇の処刑人ものコミック『カリュウド』(原作・日向葵、作画・望月あきら)の連作エピソードのひとつで、主人公の少年・良がその事件でのゲスト殺人犯と対峙。しかし相手は双子で、最後までそのどちらが本当の殺人者か不明であり、良が翻弄されるようにしながら終わる回があった。 (今から思うと、元ネタはマッカレーの『双生児の復讐』かもしれない?~ネタバレにはなってないハズ~) 本作の趣向というか序盤の展開を聞いたときに思い出したのは正にソレで、3人のサンタコスのJDの中に真犯人がいるらしいのだが、それが誰か特定できない、というのはなかなか興味をそそる謎の提示である。 さらに加えて、その攪乱行為自体が結局は犯人側にとってもいろいろとリスキーなハズで、なんでそんな犯行手段をとったのかというホワイダニットの謎も付随する。 これはなかなか面白そうと思ってネットで購入した古書を読みだしたが……長い、長いよ。 本文は460ページ弱とそれなりに厚め。まあそれだけならまだしも、創元文庫の巻頭には25人前後の登場人物の名前が並んでいるが、実際にメモを取ると劇中キャラクターはその4倍のおよそ100人。名前が出るキャラだけで90人前後いる。 とにかく良くも悪くも、描写が丁寧で細かい。捜査の手順ゆえに、こうなって、ああなって……を、作者がなるべくリアルに語ろうとするため、それぞれの捜査の局面での捜査陣の右往左往がいちいちつぶさに描写される。当然のごとく、モブキャラの総数も膨大な数になる。 だからかなり重要なはずのキャラクターの名前も、巻頭の登場人物一覧リストから、ボロボロ落ちてるしな(汗)。 でもって、これはネタバレになりそうなのでなるべく言いたくないが、その460ページのうちの300ページ過ぎてから、作者はかなり序盤にちょっとだけ登場させておいた人物を思い出すことを、読者に要求。そんなのが結構あって、送り手はどこまで読み手の記憶力に依存しているんだよ、という感じだ。 評者は例によって、登場人物メモを取りながら読んだからなんとかなったけど、たぶんそれをしないと相当にキツイぞ。 (というわけで、この作品にこれから挑戦してみようという人は、絶対にメモを取りながら読み進めることを、お勧めします。) 読了後にTwitterなどで感想を拾うと「冗長」という声もチラホラ目についたけど、個人的にはソコまでしんどくはなかった。場面場面の並べ方や筋立てそのものは、まあまあ円滑な流れで楽しめる。問題なのはとにもかくにも前述の細かい丁寧な叙述の累積であって。 逆に言えば、それでも一応は退屈はしなかったのだから、それなりに読ませる作品だともいえるのかもしれない。 でもってこの作品、たしかに大枠のジャンルとしてはフーダニットのパズラーだけど、手がかりや情報が警察の捜査の流れで順々に出てくる面もあるので、フツーに読者が謎解きにチャレンジするのはややシンドイです。とはいえ最大の手がかりそのものは、一応は中盤には閃く人は閃くようにしてあるのかな? まあそのためにはさっき言った、登場人物全体のかなり俯瞰的な把握が必須ではあるが。 小技を組み合わせたトリックは、なんかいかにも昭和的だったな。 この作品で印象に残ったのは真犯人の動機とその背景、これは小説的な意味で、かなり心に響いた。 力作だとは思うけれど、すでに新本格の隆盛が始まりかけていた時代には、まったく合わなかった形質の一冊。いま読むとその辺は一回りしてオールドファッション的に楽しめるか、それともやはりキツイか、微妙なところ。 重ねて力作ではあることは認められて、そしてそれなりに好感を持てる作品、ではある。 で、一方で、ヒトに勧められるかというと……うーん……。 【2021年9月26日追記】 あとから思い出したが、この手の<どっちかがやったはずだが、どちらが真犯人か判然としない>設定のものでは西村京太郎の『殺しの双曲線』などもあった。 (もちろん、こう書くからには、同作のネタバレにも本作のネタバレにもなってはいない。) まだ何か忘れてる類作が、あったかもしれないが。 【同年10月9日追記】 有栖川作品『マジックミラー』も該当みたいですな。 (これもネタバレにはなってないハズ。) これもそのうち読んでみます。 |
No.1296 | 7点 | 海の秘密 F・W・クロフツ |
(2021/09/17 15:46登録) (ネタバレなし) その年の秋。ウェールズの洋上で釣りをしていた工場長のモーガンとその息子エヴァンは、大きめの木箱を引っ掛ける。海岸まで係留したその箱の中には、腐乱しかけた顔を潰された他殺死体が入っていた。スコットランドヤードのジョセフ・フレンチ警部が捜査陣に参列し、やがて綿密な調査の末に木箱は、ダートムア周辺のアシュバートンにある「ヴィダ事務用品製造会社」から出庫したものとわかる。検死の結果、死体は発見された時点での死後5~6週間のものと推定。フレンチはアシュバートン警察に協力を求めると、ちょうどそのひと月半ほど前にダートムアの底なし沼で、ヴィダ社員の二人の男性が行方不明になっていることが判明した。フレンチはダートムアの底なし沼事件とウェールズの殺人事件の関連を調べるが。 1928年の英国作品。フレンチ警部シリーズの長編第四弾。 先に本サイトで空さんからも教えていただいていたが、本編の序盤でフレンチが 「数年前に私の友人のバーンリー警部が担当した事件を、思い出しますね。彼はもう退職しましたが。それは、こういう事件でした。一個の樽がフランスからロンドンへ送られたが、その中には若い結婚したフランス婦人の死体が詰めてあった」 と語る。 1920年の処女長編で、クロフツの著作としては一応はノンシリーズ長編であった『樽』が、この時点で公然とフレンチシリーズの世界観の一角に迎えられたワケで、この趣向に拍手。 【ただし本作の方で『樽』のネタバレを相応にしているので、そこは注意のこと。】 フレンチ不在の『ポンスン事件』の主役探偵タナー(タンナー)警部も本作にも登場するが、こちらはすでにどっかでフレンチ世界とリンクしていたっけ? まあクロフツの頭の中では同一の世界線のスコットランドヤードに、手持ちの探偵キャラたちが並存して群雄割拠していたんだろうけれど。 (さらに本作では、少し前のこととして『スターヴェル』の事件もフレンチの脳裏に浮かぶ。) 物語の方は、なかなかショッキングな序盤から、箱の経路を追いかける地味で細密な捜査に突入。この辺はのちのヒラリイ・ウォーあたりの系譜に連なってゆくパズラー風警察小説の趣で実に面白い。 とはいえ皆さんおっしゃっているけれど、あんまり「海の」秘密じゃないね。 いやまあ、フレンチが実直に海流の動きを調査するあたりなどはソレっぽいけれど、それ以上にダートムアの底なし沼での行方不明事件に犯罪性があったかの検証にかなりの紙幅が費やされている。これじゃ「沼の秘密」だ。 ひとりひとり容疑者を検分し、そのあとでようやく事件の真実が?……という流れは、いかにもクロフツらしくて良かった。終盤の展開もああ、そうくるか、なるほどね、という感じ。 最後のフレンチと犯人との描写など、クロフツが商業作家として良い意味で書き慣れてきた感じがする一方、初期作品らしい若々しい感じもあって心地よい一編。8点あげてもいいけれど、面白さのポイントが少し散らばった感触もあるので、この点数で。もちろん十分以上に秀作です。 |
No.1295 | 6点 | 太陽と砂 西村京太郎 |
(2021/09/16 15:27登録) (ネタバレなし) 21世紀を直前に控えた時代の日本。26歳の才能ある技師・沢木哲也は、アフリカの砂漠に大規模な太陽発電所を建造する国連のプロジェクトに参加した。沢木は、恋人の女子大生・井崎加代子と大学時代からの友人で若手能楽師の前島世良(セーラ)に送り出される。高名な能楽師・前島徳太郎(観世新栄)の息子で、亡き母ヴェラがアメリカ人だった出自の前島は21世紀が迫る時代にあって能のありようを模索して苦悩。一方で沢木は前島には友情の絆を感じながら能はもはや衰退する文化だと諦観していた。やがて3人の若者は、20世紀の最後の日々のなか、おのおのの現実に向かい合う。 1967年作品。西村京太郎の第四長編で、当時の総理府が主催した懸賞企画「二十一世紀の日本」の作品募集(創作の部)で総理大臣賞(最優秀賞)を受賞した作品。 すでに『四つの終止符』『天使の傷痕』などごく初期の秀作ミステリを刊行していた作者だが、懸賞の趣旨は21世紀の日本を展望した内容の小説ということだったようで、特にミステリ要素を意識しないまったくの普通小説(当時の時点での近未来設定)ではある。 ただしこのあとさらに加速的にミステリ界で大成してゆく西村の作家性はすでに随所に感じられ、その意味では西村ファンや作者の名前を意識して諸作に接するミステリ好きの読者にも、やはり重要な作品といえるだろう。 評者は今回、昭和46年8月に刊行の春陽文庫の初版で読了。この版は現状のAmazonの登録にない。 アフリカに渡り大自然の脅威と葛藤、その一方で母国の文化を鑑みる沢木の描写は悪い意味で余裕がありすぎる気もしないでもないが、読んでいる間はこれがそんなに気にならない。加代子が外地で読んでくださいと託した松尾芭蕉の俳句集も小道具として効果を上げている。現地で沢木が接する技師仲間たちの言動を介して語られる、諸国と日本文化の比較も意味がある。 とはいえ本当に切実なのは、日本人の能楽への関心が薄れて観客が外人(外国人)ばかり、しかも表層の物珍しさでしか接していないことに危機感を覚えるもう一人の主人公・前島の方で、彼の見せる苦闘と逆境からの反転のドラマはかなり読み手の心を捉える。本作の軸のドラマは前島の方に比重がある。 そして沢木の恋人ながら、日本で彼氏の友人として縁ができた前島に接するうちに、次第に彼にも惹かれていき、そんな心の分断に純粋に苦悩する加代子の描写はやや図式的だが、のちのちの諸作のなかで広がりを見せていく西村の女性観の原石のひとつをうかがうようで興味深い。 沢木と前島の学友で今は新聞紙の学芸記者のレズ女性・市橋雅子や、日本の文化を相対化しながら見やる役割で登場するサブヒロインたちなどの脇役の使い方もうまく、(昭和風俗的な意味もこめて)すらすら読めるが、後半で予想を外れた展開が生じる。そこでその現実に対するある主要人物の内面の叙述は、いささかショッキングだ(というか、ある種のハードボイルドといっていい)。さらにそれをまた相対化し、緩和するアフリカ現地の無名の警部がいい味の芝居を見せている。 ラストは非常に絵になる感じで、しかもこれ以上なく余韻のある終わり方を見せる。良い意味で、よくまとめた、という感慨が湧き上がる。 一部の登場人物のものの考え方が20世紀とか昭和的というのではなく(いや、そういう面もやはりあるかもしれないが)、あまりに古風なところもあり、それに21世紀の今接すると摩擦感を覚えないでもない。だがそれはそういう選択肢を取った当該の人物の心の決着でもあろう。 いずれにしろ、のちの量産作家という印象を改めて初期化させる、創作者としての黎明期の力作ではある。 |