人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.33点 | 書評数:2109件 |
No.1229 | 7点 | 黒の捜査線 クリス・ストラットン |
(2021/07/10 06:55登録) (ネタバレなし) アメリカのドリーン郡。37歳の白人の地方検事デイビッド・ロウは末期癌に冒されて死にかけていたが、年長の友人でもある名医ブルース・ケルマン博士の手術によって、脳組織を頭部を損傷した他人の肉体に移植して甦る。しかし肉体を提供した事故死者のラルフ・ディクスンは同年代の黒人であり、青年検事デイビッドは黒い肌で職務に復帰することになった。地方検事の事務所の中にはデイビッドの帰還を素直に喜ぶ者もいる一方で、黒人の下で働けるかと辞表を出す者もいた。そしてデイビッドの愛妻マーガレット(メグ)は、理性では受け入れようとしながら、黒い肌となった夫にどうしようもない抵抗感を覚える。そんなデイビッドの担当する大きな案件、それは25歳の美人の黒人女性の殺害事件で、しかもその容疑者として、デイビッドにとっても因縁の人物が浮上してきた。 1969年のアメリカ作品。ミステリ界を含むアメリカ文壇全般が、ブラックパワーブームだった時期のたぶんど真ん中に、書かれた一冊。 ヒット作『夜の大捜査線』のタイトルにあやかった邦題の映画が本邦で公開される機会に、その映画の邦題そのもので邦訳出版された作品。医学SFの興味と人種差別問題の社会派テーマを擁しながら、ミステリの山場は法廷もののジャンルに向かう内容。 ちなみに評者はくだんの映画はまだ観たことがないが、主人公デイビッド(黒人ラルフ)役は、棺桶エドか墓掘りジョーンズかのどちらかを演じた黒人俳優レイモン・サン・ジャックが、担当したらしい。 もちろん医学SF設定の部分はあくまで人種差別テーマを浮きだたせるための便法で、中身そのものは良くも悪くも直球の社会派ヒューマンドラマになっている。 愛と友情、理性と生理的な摩擦感、建前と本音の相克がそれぞれ登場人物たちの試練となるドラマは生硬とも旧弊ともいえる王道な作りだが、まあこれはこれで骨っぽいオーソドックスな作劇として楽しめた。 レイシストの敵役との対決になだれ込む法廷ミステリとしての山場はそれなりの熱量。ただし謎解き作品としての興味はほとんどない。それでも最後は、こちらが油断していたこともあったが、もうひとつ「押し」てきてなかなか楽しめた、というか読みごたえがあった。 書かれた時代も勘案して、こういう作品はこれでいいのだ、という決着点を迎える。 ヒューマンドラマとして、登場人物たちの偏差値が全体的に高いのが、ちょっと(中略)という感じもしないでもないけれど。 これも6~7点と迷ったところで、この評点で。 |
No.1228 | 8点 | 殺人よさらば ジョン・ラックレス |
(2021/07/09 15:56登録) (ネタバレなし) 1970年代の後半。CIAの秘密暗殺工作員チーム「Oグループ」に所属する38歳の技術者エドワード(エディ)・マンキューゾは、もともと天才発明少年だった才能を評価されて、18歳の時から諜報活動の裏世界に入り、Oグループの暗殺者のために無数のトリッキィな暗殺道具を考案してきた。そんなエディはそろそろこの世界からの足抜けを考えるが、長年の機密に深入りしすぎた自分の順当な勇退など、認可されないと認識。自分がこの世界から去るには、Oグループの主幹5名の抹殺が先に必須だと考える。だがCIAのスーパーコンピューター「サイバー」は、エディのこの思惑を察知。Oグループの面々に事態の緊急性を伝えて、先手を打つようアドバイスした。そんな一方、ソ連では、KGB内部の40代後半の技術者でエディとほぼ全く同様の職務につくワシーリイ・ボルグネフが、同じように所属組織からの足抜けを考えていた。ワシーリイは、自分とそして実はエディの共通の彼女である謎の女性「チャリス」を介して、メキシコでエディに接触。互いの標的を交換すればそれぞれの暗殺はスムーズにいくとして、CIAとKGBを股にかけた計画的な交換殺人を提案する。 1978年のアメリカ作品。集英社文庫版で読了。 エンターテインメント(広義のミステリ)のガイド本として秀逸な「100冊の徹夜本」(佐藤圭)の中でホメられている一冊で、もともと翻訳刊行当時にもミステリマガジンだったかEQだったかの書評でもそれなり以上に高評を授かっていたような覚えがある。 要は都筑の『飢えた遺産(なめくじに聞いてみろ)』みたいな外連味豊かな殺人テクニック(またはデバイス)の羅列を、スパイ小説の枠内でしかも交換殺人という趣向を加えて語るという、かなりキテいる作品。末端の個人(たち)が諜報組織を翻弄という意味で、ガーフィールドの『ホップスコッチ』みたいな趣もあるかもしれない。 (なお主人公コンビの殺人手段は、かなり毒殺のバリエーションを重視している~そればかりではないが。) 文庫版で400ページとちょっと厚めだが、2人の主人公が、合算10人前後の標的を相手にして、さらに側杖を食うもののアクシデントや敵側の増援なども登場して、消化しなければいけないイベントのタスクは多いので、お話はこれ以上なくサクサク進む。一晩でいっきに読み終えてしまった。 ストーリーの流れがマンネリになりかけた時、CIA側の前線に某重要人物が参戦してきて、展開に明確な弾みをつけるのも実によろしい。 謎のヒロイン「チャリス」の正体は見え見えで、さすがに読んでいてこの素性(本名)を察しない読者はいないだろうと思うが、その辺は作者たち(コンビ作家だ)も重々承知のようで、適度なタイミングで底を割ってさらに奥のドラマへと移行させる(もちろんあんまり書けないが)。このあたりの呼吸も実にヨロシイ。 翻訳の田中融二が文庫のあとがきで語る通り、シリアスに見えて戯作性の強い異色スパイアクションだが、それでも核となるキャラクタードラマの一部には相応の手ごたえがあり、終盤でさらに明確になる某メインキャラの内面の描写にはずっしり重いものもある。それでもそれらを全部ひっくるめて、エンターテインメントにしてしまう奇妙な器の大きさを感じさせる作品でもあるのだが。 評点は、テンポの良さがとても快いし、不測の事態などのイベントも相応に用意して緩急もつけてある達者さも認めるのだが、どこかよろしくない意味での軽さも拭えないでもない。もしかしたらこちら読む側のある種のないものねだりかもしれないが。 評点は0.25~0.5点くらいオマケかな。 |
No.1227 | 6点 | 陽光の下、若者は死ぬ(角川文庫版) 河野典生 |
(2021/07/08 14:58登録) (ネタバレなし) 角川文庫(昭和48年6月30日初版)版。 以下の全7編の(まあ初期の)中短編を収録。 「陽光の下、若者は死ぬ」(1960年・日本版ヒッチコックマガジン) ……時代の空気に満ちた過激派のテロ模様を、技巧的な叙述で語る一編。読みながら(再読しながら)掲載誌の印象的な扉ページの挿絵をなんとなく思い出していた。 「溺死クラブ」(1959年・宝石増刊号) ……裏世界の一角に集合した殺し屋たちの人間模様。ハードボイルド小説のパロディと自称する作品だが、渇いた感覚と凄絶なまとめ方は照れるにおじず、という感じ。 「憎悪のかたち」(1962年? 宝石) ……黒人とのハーフの不良少年を主人公にした青春クライム・ノワールで、本書中でも筆頭に骨っぽい中編。終盤、加速度的な燃焼を実感させる。ねじくれた抒情ぶりがたまらない。 「ガラスの街」(1967年・推理界) ……若者を主題にしたドキュメンタリー番組を手掛ける中年のTVディレクター「わたし」を語り手にした一編。昭和の映像文化もの、業界ものの興味を備えたハードボイルドミステリの趣があり、実質的な主人公(ヒロイン)といえるズベ公娘ミミの肖像、そして彼女を取り巻く男女の大人たちの素描が心にしみる。 「カナリヤの唄」(1969年・週刊サンケイ) ……バイクを駆る不良少年少女たちと訳ありの中年との邂逅を、独特のベクトル感覚で語る話。やがて明かされる中年男の文芸設定が理に落ちすぎている気もしたが、これはこれでいいかも。メインキャラの娘、順子(ジュン)は、ああ、こういうのが河野作品のヒロインだなあ、と思う。 「新宿西口広場」(1969年・オール読物) ……デパートガールの村田沙子が接点を持った、とある非日常的な、それでも日常の話。執筆された時代の都会の乾いた空気を感じるような一編で、ラストの余韻もよい。 「ラスプーチンの曾孫」(1970年・別冊小説現代) ……酒場で働くロシア系の娘が、怪僧ラスプーチンの血脈だと暗示を与えられて(……といっていいのか)、だんだんと暴走してゆく短編。ほかのエピソードとは明らかに毛色が異なる方向性なのだが、それでもどこかに河野作品らしい、この作者らしい個性を感じる。このクロージングもかなり余韻があってよい。 「殺しに行く」(1971年・オール読物) ……ヤクザ組織の抗争のなかでとある事態の深みにはまっていく、在日朝鮮人の青年の話。先の「憎悪のかたち」同様のマイノリティの日本人設定の主人公で、先行作と読み比べるのも興味深い。およそ10年の時を隔てて、作者の意識のなかで何が変わって、何が変わってないかが何となくながら見えるような気がしないでもない。 以上7編。ゆっくりちびちび読むことを推奨。評者は後半、さる事情からほぼいっきに読んで、少し胃にもたれた(汗)。 【追記】 1960年刊行の、同じ書名の荒地出版社の短編集は内容は別もの。 以下に参考のために、そちらの荒地出版社版の方の収録作品を列挙しておく。 「狂熱のデュエット」 「腐ったオリーブ」 「溺死クラブ」 「ゴウイング・マイ・ウェイ」 「日曜日の女」 「かわいい娘」 「殺し屋日記」 「陽光の下、若者は死ぬ」 あとがき |
No.1226 | 7点 | 夕ばえ作戦 光瀬龍 |
(2021/07/08 13:27登録) (ネタバレなし) 目黒区の大岡山中学の一年生・砂塚茂は、ある日、古道具屋の店先で奇妙な円筒状の機械を見つけ、500円で購入する。だがその機械が作動すると茂は江戸時代の荏原村(現在の目黒、品川、大田区ほか)にいた。そこでは幕府公儀の隠密に召し抱えられる約束で土地を差し出しながら、その実、理不尽に冷遇されていた風魔忍軍が、幕府直下の伊賀忍軍、そして荏原郡の一般人を相手に、無差別テロの凶行を働いていた。事情を知った茂は風魔の逆境に一縷の憐憫を覚える一方で、罪もない人々への殺戮は、やはり許せないと考える。やがて茂は謎の円筒がどうやら素性不明のタイムマシンで、自在に江戸時代と20世紀を行き来できると確認。20世紀の科学技術を導入して、風魔に苦しめられる荏原群の代官・小泉右京大夫や伊賀忍軍の精鋭・地虫兵衛たちを支援する。だがそんななか、たまたま江戸時代へのタイムリープに巻き込まれた茂の担任の女性教師・田中敬子が風魔の人質になってしまう。 角川文庫版で読了。 元版は、1967年の盛光社(後に鶴書房盛光社)の「SFベストセラーズ」。初出は、1964~65年の「中一時代」「中二時代」に『夕映え作戦』の題名で連載。 昭和の名作ジュブナイルだが、21世紀の今読むと、ほとんど異世界もののラノベ風というか「なろう」系のノリというか。 まあ20世紀と江戸時代前半の過去世界を自在に行ったり来たりできるというその一点だけでも、主人公(とその仲間たち)には科学技術的、物量的なアドバンテージがあり、それこそ星の数ほどもある<異世界に行ったっきり(来てしまったきり)>のSFまたはファンタジーよりは有利である。 それでもソコは現実の中学生がそうそう過去の戦乱にのみ没頭できないというリアリティなども加味されて、恵まれた主人公のサイドのズルさなどはあまり感じさせない。 むしろあえて気にするなら、中学生がいくら非道な敵忍者とはいえ、安易に相手を殺傷しすぎること。まあ昭和の作品だから、いいんだけれどね(いいのか)。 中盤から敵の風魔側に、男なら全軍の指揮官になれたはずと評価される天才的な戦士の資質の、美少女くノ一の風祭陽子が登場。本作の実質的なヒロインで、この娘が活躍してからはいっきに今風のラノベというか深夜美少女枠アニメっぽくなる。これはこれで、時代を超えたこの手のジャンル作品の普遍的な興趣を覗くようでよろしい。 当然、茂とも絶妙な距離感で後半のドラマを築いていき、連載当時は男子、女子、双方の読者ともに、さぞ盛り上がったろうなあ、と思われる。 大設定の(中略)の部分があえて(中略)に済まされたまま終焉するところとかは、ジュブナイルながらも作者の割り切ったSF観を実感する。 というか、敵役の風魔忍軍、一面では傲慢な幕府の被害者でもあるとする文芸とか、やはりウマイよね。 余韻のある(あえて饒舌に語らなかったともいえる)クロージングも鮮烈で、一番近い食感で言ったら、1960年代の石森章太郎漫画(それも短中編~コミックスで2冊分以下の短めのもの)あたりであろう。 1974年の「少年ドラマシリーズ」版は、評者も本放送も再放送も観たことがない。映像(ビデオ媒体)は現在では完全に幻になってしまったようだが、今更だけどちょっと観てみたい気はする。まあ奇跡でも起きて発掘されるのを待ちましょう。 2008年のコミカライズ版の方はそのうち。 なお小説の続編が最近同人誌の形で復刻されたようなので、勢いで買ってしまった。結構高い値段ではあった(涙)が、もしかしたら買わずに放っておくと、後悔するかもしれないので(汗)。 評点は0.5点くらいオマケで。 |
No.1225 | 7点 | オレンジ色の屍衣 ジョン・D・マクドナルド |
(2021/07/06 07:17登録) (ネタバレなし) その年の5月。「わたし」ことトラブル・コンサルタントのトラヴィス・マッギーは体調も懐具合も不調だったが、そこに友人のアーサー・ウィルキンソンがほぼ一年ぶりに現れる。アーサーは成功した実業家の父の遺産を受け継いだ資産家で、危険な気配の美女ウィルマ・ファーナーと結ばれたはずだが、今では以前の好人物の面影もなく、やつれきっていた。マッギーはアーサーの元カノだったダンサーの「チューキー(チューク)」マッコールを呼び、二人でアーサーを介抱する。どうやらアーサーは、ウィルマを含む本格的な詐欺集団の餌食となり、全財産を巻き上げられたらしかった。マッギーは奪われたアーサーの金を奪回すべく、行動を起こすが。 1965年のアメリカ作品。トラヴィス・マッギーシリーズ第6弾。 Amazonの書誌データ登録は不順だが、ポケミスは1059番で昭和43年12月15日の刊行。 尾羽打ち枯らしたアーサーがマッギーとチューキーの世話になりながら、当人がどのような手口で詐欺一味に騙されて、その後数か月、どん底の中でどのような流転の日々を送ってきたかを、滔々と語る。これが(不謹慎ながら)実に(下世話に)面白い(笑・汗)。 筆の立つ作家は、こういうところでも読者を存分にエンターテインするものだと改めて思い知った。 とはいえ悪人の詐欺集団もまた一枚岩ではなく、多様なワル度の悪党が混成した一過性のチームであり、どこの誰がアーサーの金を実質的に現在おさえているかの探求もふくめて、マッギーは悪人ひとりひとりに対峙。そんなストーリーの流れから、また次のお話が転がっていく。 しかしマッギーの目的は、悪事を暴くことでも悪人たちを法で裁かせることでもなく、半ば非合法な手段をとろうとも、とにかくアーサーのカネの奪還にあり、それゆえ割り切ったドライな行動を辞さないあたりも面白い。 普通のミステリの名探偵はおろか、私立探偵小説の事件屋キャラの枠さえも踏み出している。 その結果、本作は通常の、それも広義のミステリの範疇からも外れたかなり変化球的な展開をとるが、それがまた読み手を飽きさせず、テンションも高くなって面白い。 後半3分の1~4分の1ほどの加速度的な展開は、さらにそこに行くまでの興趣を上回る盛り上がりを見せる。悪役もこのシリーズらしく、かなりキャラが立っている(まあ一番印象的なキャラは、某・美人の人妻ヒロインだが)。 評者はこれでシリーズ4冊めだけれど、これはかなり出来のいい方ではないかと。 ちなみにポケミスの裏表紙のあらすじだけど、下からおよそ5分の2ほど(「やがてマッギーは~」以降)は頗るいい加減。 類似の場面はないこともないけれど、お話の流れは微妙に違うし、そもそも(以下略)。 いつかのR・S・プラザーのシェル・スコットものの『消された女』の裏表紙あらすじもヒドかったけれど、こっちはもっとスゴいんでないかい。 当時の早川編集部は5人ぐらい間に入って伝言ゲームしながら、締切間際の印刷(写植製版)所に入稿して、校正もナシだったのかとさえ思った。 あーいつかやってみたい、ポケミスのインチキあらすじベスト(ワースト)10の選定(笑)。 |
No.1224 | 7点 | 蜜の森の凍える女神 関田涙 |
(2021/07/05 18:08登録) (ネタバレなし) 「僕」こと横浜の風夏学園中等部3年生の男子・菊原誠は、同じ学園高等部2年の姉「ヴィッキー」そして姉の友人の同級生・森下吉乃とともに、その年の冬、群馬県にある父の知人の別荘に泊まりに行く。3人だけの宿泊の予定だったが、吹雪の中で遭難しかけた大学生たち、栄京大学サッカー同好会の男女6人が救いを求めて現れる。かくして9人の若者たちは、閉ざされた雪のなかで推理ゲームなどをして過ごすことになった。だがそこで、本当の殺人事件が発生した。 第28回メフィスト賞受賞作品。 本サイトでも、パズラーの鬼(もちろん褒め言葉です)のnukkamさんを除いて誰もレビューしていないマイナー作品で、自分もこの作者の著作は以前から気にはなっていたが、このたび初めて手にとってみた。 探偵役のヒロインJK「ヴィッキー」は、本名は不明(苗字は菊原だろうが)。この物語世界中の人気ファンタジーミステリシリーズの主人公の魔女探偵「ヴィクトリア・ウィッチスプーン」にあやかって「ヴィッキー」と自称して(周囲にそう呼ばせて)おり、すでに難事件も解決しているアマチュア名探偵らしい。 さて、大仕掛けのひとつは自ずと見え見えだが、さらにその奥があるのであろうと思いながらページをめくったが……そう来たか! いかにもメフィスト賞らしい大ギミックで、ほとんど反則技ギリギリ、という気もするが、一方でとにもかくにもコレを最後まで貫徹した力業は評価したい。いやまあ振り返れば不自然な叙述、リアリティの希薄な描写は山ほどあるとは思うが、ウソは書いてないでしょう、たぶん。 謎解きと同時のドラマの決着は賛否を呼びそうだが、これはこれで真相の解明と渾然一体になった終焉だということはよくわかる。だから文句には当たらない。まあ部分的な描写だけ取り出すと、いろいろ思うところもあるけれどね。 ただまあ、この大技はある意味ではコロンブスの卵ではあったよなあ。個人的にはそれなり以上にホメておきたい。 8点にかなり近い、という意味で、この評点で。 |
No.1223 | 6点 | 英国風の殺人 シリル・ヘアー |
(2021/07/03 12:01登録) (ネタバレなし) 第二次世界大戦から(おそらく)数年。英国のマークシャー地方で、土地の老貴族ながら病身で老い先短いトーマス・ウォーベック卿がクリスマスパーティーを開催しようとしていた。だがトーマスは病床のため、主賓はトーマスの息子でファシスト集団「自由と正義連盟」のリーダーであるロバートに任された。来賓のなかには、ファシストのロバートに反感を抱いたり距離を置く者も多かったが、やがてそのクリスマスパーティーの場で、ひとりの人物が殺される。 1951年の英国作品。 舞台となる屋敷にいる主要人物がひとケタ。雪に閉ざされた中でのクローズドサークルもの、で、ひとりひとりの描写をほぼ章単位で語ったのちに集合させてから事件が起きるという、トラディショナルな謎解きパズラー。帯付き、月報入りの美本の古書を500円で入手できたのは、安い買い物だった。 大きめの級数の活字でハードカバー240ページほど、翻訳も全体的に読みやすく、いっきに読了してしまった。 話題となっている動機の意外な真相はなるほどね、と思わせるものの、一方で探偵役の推理が思い付きの仮説を述べているだけのような……。そういう意味では、これほどもやもやしたのは久々かもしれない。評者は割とそういうのは気にしない方なんだけどね。まだ裏があるとして、次の多重解決的な推理につなげられそうな気がする。 それでも大ネタ、舞台設定、登場人物と、トータルとしてはそれなりに楽しめた。あ、シリル・ヘアーは初読である。『風が吹く時』は蔵書が見つからない。『法の悲劇』は本が入手できていない(ハズ)。 |
No.1222 | 6点 | 貧乏くじはきみが引く ハドリー・チェイス |
(2021/07/02 15:16登録) (ネタバレなし) カリフォルニアのパーム・シティ。「わたし」こと「ヘラルド」紙の記者ハリー・バーバーは、地元に進出する大手暴力団がらみの汚職の事実を掴み、賄賂と引き換えに沈黙を要求された。だが自社の社長J・マシュー・キュービットを含む悪党たちの要求を固辞したハリーは、警官を過失致死させた冤罪を着せられて3年半の懲役をくらった。その年の7月ようやく出所したハリー(30~31歳くらい?)は愛妻ニーナ(25~26歳)、そして幼なじみで警部補のジョン・レニックに温かく迎えられるが、一方でキュービットの嫌がらせでなかなかまともな職業につけないでいた。そんななか、大富豪フェリックス・マルルーの後妻の美女リアが、ハリーに接近。リアは彼女の継子である16歳の美少女オデットを紹介し、このオデットが誘拐されたように見せかけて、母子共謀でマルルーから50万ドルの身代金をせしめたいので、ハリーに5万ドルの報酬で計画の協力者になるように要請するが。 1960年の英国作品。 純朴(愚直)な正義漢ゆえに思わず人生が狂った主人公が、さらに今度は人間的な弱さから深みにはまっていくサスペンス・ストーリー。 なお創元推理文庫版の巻頭のあらすじには、このあとの中盤のイベントまでネタバレで書いてあるので、これから読む人は警戒した方がいいかもしれない(本レビューのあらすじでは、もちろんそこら辺までは触れていない)。 思わぬ事態のなかで自分と身内を守り、さらに逆境から脱しようとあがくハリーの一挙一動がスリリングかつサスペンスフルに語られ、今の目で見ると良くも悪くもお約束のクライシスの連打という感じもするが、さすがにその分、全編のテンションは高い。 良い意味で一時期の2時間枠ドラマにぴったりハマりこみそうな、中粒のエンターテインメント。 後味の良い悪いを言ってしまうとクロージングの方向性が透けてしまいそうなので、そういう感想は控えるが、3時間みっちり楽しんで、適度に充実した読後感でページを閉じられた一冊。この時代のサスペンスもの(ちょっとだけノワール風味込み)としては、教科書的な佳作~秀作であろう。 ところで翻訳の一ノ瀬直二ってあんまり聞かない名前だな? って思ったら、奥付の訳者紹介のところに、ほかの翻訳担当書でクリスティーの『ひらいたトランプ』とかある。あれ? あれって加島~ラニアン&ラードナーの~祥造でしょ? と思ってWikipediaを調べたら、加島と一ノ瀬直二、それぞれの記事項目に、当人の死後、実は同一人物と判明したという主旨の記述がある。 ……いや、死後もなにも半世紀も前からこうやって半ば公然の秘密、お約束程度に正体バレバレでの別名義を使っていただけじゃないの?(たぶん版元か何かへの、形ばかりの仁義でかなにかでか?) といいつつ当方も、これまで知らなかった訳ではあるが(汗)。 |
No.1221 | 8点 | ラット・シティの銃声 カート・コルバート |
(2021/06/30 14:43登録) (ネタバレなし) 1947年11月23日。元海兵隊員で、汚れた我が町シアトルを「ラット・シティ」と呼ぶ「おれ」こと私立探偵ジェイク・ロシターは、事務所にいきなり拳銃を持った謎の巨漢の襲撃を受ける。やむなく応戦して相手を射殺したジェイクはやがて、その初見の襲撃者の正体が町のギャンブルの胴元「ビッグ・エド」ことエドワード・アームストロング・テラーだと知った。エドが末期に口にした女の名前「グロリア」が、事情も不明の襲撃事件の鍵と見たジェイク。彼は、捜査中の仕事=失踪した黒人青年リンカーン・タイヤーの捜索を気にしながらも、事務所を24歳の探偵志願の愛らしい秘書ミス・バーバラ・ジェンキンズに任せてグロリアの情報を追うが、やがて事件はさらに意外な方向に広がっていく。 2001年のアメリカ作品。 私立探偵ジェイク・ロシターシリーズの第一弾。 なにげなく、たまたまwebで見かけ、現代ミステリながら過去(戦後すぐ)設定の私立探偵もの? 可愛い秘書? これは楽しめそうだと古書を注文して購読した一冊だが、うおおおお、期待以上に面白かった。しかし一方で、こんなお好みの作品を長らく(邦訳刊行から15年も)ノーマクークのままでいたのかと、マヌケな己にいささか自己嫌悪を覚えた(汗・涙)。 1947年という時代設定、愛らしい秘書に微妙な関係のなじみの警部補、なによりいきなり始まる事務所での銃撃、と、内容が40~50年代の私立探偵小説(それもいわゆる軽ハードボイルド)オマージュなのは明らかだが、向こうの新世代作家がセンス、スタイル、そしてスピリットを自分なりに消化した上で、現在形の新作としてこういうものを書いているのか、と嬉しくなった。 紙幅は文庫で400ページ以上とやや厚め(特に前述の軽ハードボイルドの系譜を意識するなら)だが、展開は淀みなくまた登場人物が無駄に過剰になることもなく、非常に良いバランスで、謎解き捜査ミステリとして、また私立探偵小説として組み立てられている。 特に中盤の見せ場となる、ジェイクが巨漢の警官オール・オランソンと互いのメンツと意地をかけてボクシングの勝負を行うあたりは、これほど充実した小説の脇道部分はそうはない! と熱い感慨を覚えた(笑)。 脇役も悪役もそれぞれ存在感があるが、やはりなかでも一番の魅力キャラクターは秘書の「ミス・ジェンキンズ」で、初々しい娘ながら本格的なプロの私立探偵に憧れ、ひそかにそのための訓練も積んでいる。途中でそのやる気と素養を認めたジェイクは彼女を「アメリカで最初の女性探偵」と認定。 読みながら、マイク・ハマーの秘書ヴェルダがちゃんと彼女自身も私立探偵の免許を持っていたことを想起したが、読後に本書の解説(中辻理夫氏)に接すると、ちゃんと本作の2人の関係をハマーとヴェルダになぞらえていて、ニヤリ。わかっている人はわかっているようである。 ちなみに実は本作の時代設定の1947年って『裁くのは俺だ』の刊行年=ハマーとヴェルダのデビュー年なんだよね。作中ではジェイクはサム・スペードの名前も口にする(フィクションとしてか、あるいは一種のパスティ-シュ的に同じ世界観にいるかは不明)が、もしかしたら同じ世界? にいるにせよ、ぎりぎりまだハマー&ヴェルダの存在を知らなかった可能性もある? ミステリとしては前半からあちこちに張ってあった伏線(というか情報)がクライマックスで加速度的にかき集められ、汚濁の町ラット・シティ、それもこの時代に似合った真相が浮かび上がり、なかなかの手応え。しかし一方で、世界観の軸にはマッギヴァーンの秀作『ビッグ・ヒート』を思わせるような、善と悪との対峙の構図があり、そのなかでけっこうなもうけ役となる某キャラクターの運用なんかも心地よい。 とても満足した21世紀の作品。ぜひとも続きが読みたい……と思いながら、邦訳はこれ一作だけなのだな(大泣)。まあ前述のとおり、自分自身もまったく知らなかったわけだし、AmazonやTwitterなんかでのレビューも現状でほぼ~まったく皆無で、15年前の日本では(現在もだが)まったく反響を得られなかったのであろう。原書では、この邦訳が出た時点で、すでにシリーズが3冊目まで出ていたらしいが。 デイヴィッド・ハウスライトの『ツイン・シティに死す』なんかも(向こうは遅めのネオ・ハードボイルドだったが)あとからその面白さに気づいて、邦訳が一冊ぽっきりの現実に悲しんだりしたが、こっちも同じだね。 とはいえリアルタイムで読みもしなかった、当然ながらその時点で、面白い、と、ただのひと声もあげなかった自分にもまた、このシリーズ、この作者の本邦での不遇の責任の一端は、あるわけでしょうが(汗)? 評点は、かなり9点に近いこの点数で、ということで(嬉)。 |
No.1220 | 6点 | 大宇宙の魔女 C・L・ムーア |
(2021/06/28 19:44登録) (ネタバレなし) 地球人のみならず、亜人姿の金星人や火星人がひしめく、未来の(もうひとつの)太陽系。宇宙パトロールに目をつけられるアウトローガンマン(密輸船の船長らしい)のノースウェスト・スミスは、火星の植民地の一角で「シャンブロウ」と呼ばれる褐色で赤毛の美女に出会う。なぜか町の連中に処刑されかかっていたシャンブロウを気まぐれに救ったノースウェスト・スミスだが、そんな彼女にはとある秘密があった。 (「シャンブロウ」) かのヘンリイ・カットナーの夫人でもあったC・L・ムーアの手による、スペースオペラ・プラス・ホラーヒロイックファンタジーの連作「ノースウェスト・スミス」シリーズの初期短編4本をまとめたもの。 1933~34年にかけていずれも「ウィアード・テールズ」に掲載された。 早川SF文庫版は、第一次アニメブームや70年代後半の本邦SFブームのなかで、松本零士の美麗なジャケットアート&挿絵で当時の若い連中を牽引して(というより改めて幅広く注目されて)、当然ながら評者も買うだけは買っておいた。ただでさえ、ノースウェスト・スミスの名前は、当時のヲタクの必修ワードのひとつみたいな感じさえあったし。おかげで気がついたら当家には、同じ早川SF文庫版が2冊ある。 とはいえそんな世代人には有名な作品で、往年のSF&スペオペ&ホラーファンには広く親しまれているはずのタイトルなのに、本サイトにはまだレビューがないどころか、作者ムーアの登録すらない。 (ムーア&カットナー夫妻って、ロバート・ブロックやフランク・グルーバーともパルプマガジン時代からの盟友だったというじゃないの。) というわけで例によって、本を購入してから数十年目にまた一念発起して初めて読んでみたけれど。う~ん。 まず前提として評者は、本シリーズが、スペオペ設定(とはいえあんまりあちこちには飛び回らない)の中での折竹孫七(小栗虫太郎)もの、あるいは人見十吉(香山滋)もの、みたいな秘境冒険ものまたは妖女もの、みたいな作風なんだろうなという観測があり、それは実際に当たらずとも遠からずではあった。 ただし実作に触れてみると、各編の印象は結構バラバラで、正直、かったるい話は予想以上にキツイ。ファンの人、あるいは昔から本シリーズに思い入れのある人、ゴメンという感じである(汗)。 以下、4エピソード各編の一口コメント(寸評&感想)。 「シャンブロウ」 ……なんのかんのいって、今となってはベーシックでオーソドックスな宇宙美女怪談。しかし物語の冒頭でいきなり作者の方からネタバラシってのは、良かったのであろうか? 「黒い渇き」 ……話の導入、舞台設定、SFホラーのポイント、そしてヒロインの魅力、後半に登場する大物、クロージングの余韻、と、これが一番面白かった。良かった。ちなみに本書の表紙にいる色白の半裸の美女はシャンブロウではなく、本話のメインヒロインのヴォディールの方だろうね。こういうのが、当方が期待した<スペオペ版人見十吉もの>のスタンダードということになる。 「真紅の夢」 ……第二話をシリーズの定形フォーマットに見定めた上で、チェンジアップを効かせた一編。悪くはないが、「黒い渇き」のあとでは見劣りがする。 「神々の塵」 ……2~3話との差別化のためか、異世界(秘境冒険)ものながら、ホステス役のメインゲストヒロインが登場しないという残念な話。その分、スペオペSFから、荒廃したファンタジーっぽい世界に変遷する感覚はかなり際立ってはいるんだけれど、一方で延々と情景描写を紡いでいくだけではかったるさは拭えない(汗)。正直、読んでいて眠かった(大汗)。 ……なんかこういう、秘境冒険ものまたは妖女ものジャンルの連作ヒーロー譚として読んで、改めてこの手のシリーズをどう書きついでいくのがセオリーか? いろんなものが見えてくるような気がしないでもない? 第5話以降も、いつか機会を見つけて目を通してみよう。 |
No.1219 | 6点 | 灰色の仮面 折原一 |
(2021/06/28 03:52登録) (ネタバレなし) 徳間文庫の「オリジナル版」で読了。 わかりにくいと定評? のバージョンだそうだが、事件の真相そのものは理解できないこともない。 (こういうものだから、多少のアレさは感じはしたが。) そういう大枠を見やった上で、ある程度の予想もついた部分もある。 たぶん、不評? なのは、ラストの(中略)の方なんだろうね。 まあこれだけなら、わかるようなわからないような。 (中略)に書き直したという改訂版も、そのうち読んでみよう。 トータルとしては、躍進期の作者のいつものお家芸、という印象です。 |
No.1218 | 6点 | 朝比奈うさぎは報・恋・想で推理する 柾木政宗 |
(2021/06/27 16:16登録) (ネタバレなし) めでたくシリーズ化で、第二冊目である。 とはいえ、少ししばらく前にすでに刊行されていたのね。誰も教えてくれないから気がつかなかった。 おかげでブックオフで美本を200円で買えましたが。 当て馬的なポジションの新レギュラーヒロインが登場。お約束の再会クラスメイトで、元カノ(正確にはそれ未満)である。 しかし本書の連作(5つの事件簿)の一角となる、売りの新規メインヒロインなのに、ジャケットカバーにもビジュアルがないというのはなんなのか。 おかげでアレコレ考えてしまったではないか。 ミステリとしては全体的に小粒だし、真犯人にたどりついていく消去法の段取りもラフだけど、一方でこの作者らしく、妙にイカレたことを(毎回ちょっと)していて面白い。その力技に好感を覚えるので、評点はちょっと0.25点くらいオマケして、この点数で。 |
No.1217 | 6点 | B・ガール フレドリック・ブラウン |
(2021/06/27 15:56登録) (ネタバレなし) 1950年代のロサンジェルス。その年の夏。「おれ」ことシカゴの高校で教鞭をとる28歳の高校教師ハワード・ベリー(愛称「ハウイー」)は、夏休みを利用してLAに来ていた。ハウイーの目的は大学教授(講師)になるべく、改めて大学院に入学して修士課程をとるための準備の勉強と、そして生活費稼ぎのバイトをするためだ。そんなハウイーはシカゴに来るやいなや、通称「ビリー・ザ・キッド」こと26歳の美女ウィルヘルミナ・キドラーと、親しい男女の仲になっていた。ビリーの仕事は「B・ガール」、つまり酒場で客をとる娼婦だ。近所のレストランで皿洗いのバイトをしながら就学の準備を整えるハウイーは酒も適度に楽しみ、町には多くの飲み仲間もできていた。だがそんなある日、突然、ビリーがハウイーに向かい、とんでもないことを口にする。 1955年のアメリカ作品。 フレドリック・ブラウンのノン・シリーズで、邦訳は創元文庫にも入っていないため、この「世界名作推理小説大系」でしか読めない。 小林信彦の「地獄の読書録」のなかで、一風変わった作品、具体的には「本来ならアマチュア探偵になるはずのポジションの主人公が、なにも推理も犯人さがしもしない怪作」という趣旨の物言いでわりと面白がっていたのがコレである。 (なんかそれだけ聞くと、都筑道夫の、デビュー時点での物部太郎みたいだ?) 評者的には、まあ作者がフレドリック・ブラウンなので、そーゆーのもあるであろう、くらいに思っていたが、実際にその通りの作品。 主人公ハウイーの周辺で序盤から殺人事件が起きるが、当人が特に容疑者にされたり、恣意的に事件に巻き込まれたりするわけでもない(警察との接触はちょっとある)のをいいことに、フツーの意味でのミステリの主人公みたいなことはほとんど何もしない。 なんかやや薄口のデイモン・ラニアンの世界みたいな、のんべえや町の女たちの喧騒めいた日常生活がゆるゆると続いていく。 それはそれで語り口としては面白いし、評者などはこういうものだろうとある程度の予想もついていたので、気楽に楽しんだが、人(ミステリファン)によっては軽く怒るかもしれない。 もちろん1950年代のアメリカ大都会の裏町の気分は、満喫できるんだけれど。 しかしよくこれを数あるブラウンのミステリ諸作の中から、代表作? 的なポジションで「世界名作推理小説大系」に入れたよ。いや、ある意味ではフレドリック・ブラウンという作家の側面をひとつ、よく表した一作ともいえないこともないか。 物語はラストで急転直下、ミステリらしくなり、意外な犯人も判明。さらに(中略)。この荒馬に乗って田舎道を歩いていたと思えば、いきなりハイウェイに出るような感覚はまあなかなか面白い。 クロージングに関しては、評者はフレドリック・ブラウンの都会派ミステリに、ときたまウールリッチにどこか似たような詩情やペーソス、あるいはちょっとだけいびつなユーモアを感じるようなことがあり、そういうところもスキなんだけれど、これは正にそんな感じ。どういう方向で決着するかは言わないけれど、余韻を感じながら読み終えられた。 評点はむすかしいなあ。7点あげるとちょっとアレなので、とても好意的な意味でのこの点数ということで。 【余談1】 本作の原題は「THE WENCH IS DEAD」で、田舎娘(または女中、娼婦)は死んだ、の意味だけれど、これはデクスターの『オックスフォード運河の殺人』のソレといっしょだな。そっちはまだ読んでない(買ってはある)が、なんか笑う。 【余談2】 物語の後半、事件のなりゆきのなかで、諧謔を込めておのれをスーパーヒーローのなりそこない的に自虐したハウイーが上げる名前が順番に、スーパーマン、ディック・トレーシー、セイント(サイモン・テンプラー)、ペリー・メースン、ファントマ。この辺も楽しかった。 |
No.1216 | 6点 | 死の序曲 ナイオ・マーシュ |
(2021/06/26 15:50登録) (ネタバレなし) 第一次大戦後の、英国の片田舎ベン・クックウ。地主ジョスリン・ジャーニガムは、できれば自分の23歳の息子ヘンリを、彼よりずっと年上(40代後半)のオールドミスで資産家のアイドリス・キャンパヌウラと婚姻させようと思っていた。だが当のヘンリは、中年の貧乏牧師ウォルタ・コープランドの娘で19歳の美少女ダイナアと恋人同士だ。さらにアイドリス、そして彼女の友人かつジョスリンの従妹で48歳のエリイナ・プレンティスは、ハンサムな男やもめのコープランド牧師をめぐる恋仇でもあった。彼ら6人に土地の医師ビリイ・テンプレット、そしてその不倫相手の未亡人シイリア・ロスを加えた8名は村の教会のホールでアマチュア演劇を行おうとするが、やがて予想外の殺人が発生する。 1939年の英国作品。ロデリック・アレン首席警部シリーズの第8長編。 主要キャラはそんなに多くないが、とにかくカントリーものの定型のなかで大小の役どころの登場人物が丁寧に描きこまれる。翻訳もいいのであろうが、なんにせよまったく退屈しないで、一晩で読み終えた。地方ミステリ小説としての面白さは、P・D・ジェイムズかレンデルあたりの出来のいいときの食感にかなり近い。 中盤でちょっと凝った状況、殺人方法による人殺し事件が起きるが、そこに行くまでも特にかったるさは覚えない(個人的な感想かもしれないが)。惨劇の発生後は、さらにテンションが高まる。 事件発生後に、おなじみアレン警部(首席警部)が部下を連れてロンドンから来訪。 この直後に、(たぶん)容疑者をふくむ主要登場人物の内面を作者が神の視点での客観的描写で覗いてまわるという、英国ミステリの大家の何人かがやっているような外連味も導入。ここらのゾクゾク感はたまらない。終盤にはアレンが、ロンドンにいる恋人でレギュラーヒロインの美人画家アガサ・トロイへの手紙を書いて事件&関係者の情報を整理。名探偵はかなりのことがわかっているハズだが、その手紙の中身はかなりデリケート(もちろんここではまだ真相は明かされない)で、作者の不敵な趣向にもういちどワクワクする。 ……とまあ、こう書いていけば謎解きフーダニットの剛球パズラーとしてかなりの秀作、面白そう、なのだが、最後の真相&真犯人がなあ……。(中略)もなにもない(中略)な出来で。作者マーシュはどんな思いでこれを書いた、あるいはこの結末でよし、と思ったのだろ。次から自分の作品をつまらながって読者が減るとか、危機感を覚えなかったのかしら。だとしたらかなり天然だね。 気になって、読了後に近くにあった「世界ミステリ作家事典・本格派編」のマーシュの項を読んでみたら……そうでしょう、そうでしょう。まったく同感。 まあ最後の最後で腰砕けの感が強い一作だけど、それでもクライマックスまでは十分に楽しめた。そんなに悪い印象もない。評点はこんなところで。 ※ポケミスの100ページ目で、事件関係者がなにげなくホームズの名を口にした際に「わたしの面前では誰にもホームズを馬鹿にはさせません」と先輩名探偵への敬意を語るアレンが凛々しい(あくまで作中でもフィクション上の人物として、接しているのだろうが)。いいキャラクターだよね。 |
No.1215 | 6点 | 銀座迷宮クラブ 生島治郎 |
(2021/06/25 19:22登録) (ネタバレなし) 「私」こと、銀座の高級クラブ「しくらめん」のフロア・マネージャーで35歳の宮路は、恋人と足抜けするホステスを助けたため、制裁を受けて失業した。そんな宮路を拾ったのは、熊本出身のママが経営する小規模なクラブ「ばっかす」(愛称「もっこす」)のオーナー一家だ。「しくらめん」の背後にいる暴力団・飛鳥組に睨まれながら、宮路は「もっこす」でマネージャーとしての業務を始めるが、そんな彼の周囲ではさまざまなトラブルが湧き起こる。 雑誌「問題小説」に連載された全6編の連作をまとめた、文庫オリジナル(「文庫封切り」と表記)の一冊。 ホステスの変死や宝石がらみの詐欺など事件性のある主題に接近するエピソードもあるが、基本は銀座の繁華街の一角での日々の変事や謎を題材とする生島版「日常の謎」的なシリーズ。 一回45分枠の連続・毎回完結形式のTVドラマを楽しむような感覚でサクサク読めるが、随所にいつもの<生島作品らしいハードボイルド感>は込められており、その意味でも安定した面白さ。 くだんの日常の謎ミステリとしては、第五話の、金持ちの囲い者になったとたん、無駄に多数のペットを飼いまくるホステスの事情などがちょっと印象深い(さる事情から迷惑な目にあう動物たちののことを考えると、いささか不愉快でもあるが)。 真っ当な謎解きミステリのフォーマットを遵守する必要がない分、各話エピソードが幅広く、話にバラエティ感があるのが強みのシリーズだった。 外出の際に車中で読んだり、病院の待合室のお供などには、最適な一冊。 |
No.1214 | 5点 | ポルノ殺人事件 黒木曜之助 |
(2021/06/25 05:14登録) (ネタバレなし) 翌年の沖縄本土返還を控えた、1971年。9月の東京では、欧米に比べてポルノ産業後進国の日本を鑑みながら、コールガール組織を運営するハーフの青年ジョージが、効率の良い利益の出るポルノ・コンビナートの構想を進めていた。そんななか、人気コールガールで25歳の美女、紺野ユカは意外な相手に再会。同時に自分が処女を失った、女子高校生時代の真実を察する。一方でユカの年下の彼氏の大学生、武本良治もまた、ある奸計を図っていた。さまざまな男女の思惑が入り乱れるなか、とある男女に唐突な死が訪れる。 現状でAmazonにデータがないが、書籍(たぶん元版しかない)は桃園書房から1971年12月に刊行。書き下ろしで、作者・黒木曜之助のたぶん第六番目の長編。 キワモノ以外の何物でもない題名に興味を惹かれて、web経由でまあまあの値段で古書を入手。 黒木作品は大昔に『暗黒潮流』(これは政界を舞台にしたミステリ。詳しい内容は失念)を一冊読んだきりであった。正直、そんなに高い評価は聞かない作家だが、一部にこだわっているらしい愛好家がいるようではある? ポルノ解禁前の性風俗商売の世界を主題に、さらに沖縄本土返還やら連合赤軍(そのままではないが、類似の組織)やらのネタをからめた当時の昭和風俗ミステリで、謎解き作品としては案の定、大したことはない。 前半は、半世紀前という意味での時代がかったレトリックの数々で、ケタケタ笑いながら読める。さすがにリーダビリティだけは申し分ない。 エロい描写が適当に断続したのち、中盤で一応はフーダニットの形をとった殺人事件が発生。ようやくいくらか話が引き締まるかに見えて、後半はちょっと意表を突かれる展開にも及ぶ。 とはいえ終盤の謎解き? は二転三転するものの、ほとんどサプライズのためのサプライズとして話の穂を継ぎ足して転がしていくような印象で、うーん。ラストの真相というか決着は、ある意味でスゴイね。 1000円前後出して買ったような気がするが、稀覯本ということを考えなければ、正直ちょっと高い買い物であった。 まあ古本屋で200円くらいまでで見つかって、気が向いたら買ってもいいんじゃないかと。 昭和のC級ミステリの猥雑な雰囲気だけは、十分に楽しめるが。 |
No.1213 | 6点 | ゆがんだ罠 ウィリアム・P・マッギヴァーン |
(2021/06/24 15:11登録) (ネタバレなし) 1950年代の初めのニューヨーク。「パブリックス出版」でミステリ雑誌の編集長を務めていた30代半ばのウェッブ・ウィルスンは、「グランパ」こと社長ソール・レヴィットの意向で、業績不振のコミック誌の路線を立て直すように指示される。これまでと畑違いのジャンルに戸惑いながらも、次第にこの仕事が楽しくなっていくウェッブ。だが人気筆頭の女流コミック作家であるケリー・デイヴィスが、彼女を中心とする新雑誌の企画にウェッブを引き抜きにきた。ケリーの独走が会社との軋轢になると見たウェッブは、やんわりと今回の話を断るが、事態は意外な殺人事件へと結びついていく? 1952年のアメリカ作品。マッギヴァーンの第五長編。 ミステリ雑誌を舞台にした処女長編『囁く死体』をベースに、主舞台をアメリカンコミック編集部に変えたセルフ・リメイクみたいな感じの作品。 先行作同様に、多かれ少なかれ、業界ものミステリみたいな味わいもあるが、その辺の面からするとこっちの方が、作者が書き慣れてきてスキルが上がったのか、あるいは直接、作者自身がいるミステリ分野でなかったから気を使わなくていいのかか、こっちの方が作家や編集スタッフ連中の描写がよりツッコンだ感じで面白い。 主人公ウェッブはアル中一歩手前の一面があり、これが原因で一時的に記憶を失い、事件のなかでややこしい面に陥るが、なんで酒に依存するようになったのか、そのあたりの事情も少しずつ見えてくる。1950年代のヒューマンドラマミステリらしくて、いい。 全体としては『囁く死体』と同系のB級都会派パズラーだが、ウェッブの友人でマトモな人物ながら不器用で強面なNY警察の警部ビル・サマーズが、マッギヴァーン本流のノワール&ハードボイルド警察小説もののキャラクターらしくて、なかなかよろしい。この作者らしい(当時のエンターテインメントミステリの枠内での)骨っぽい造形で、作品の厚みを増している。 しかし主人公のウェッブは、(真面目なところも、良くも悪くも小市民なところも、くだんのトラウマの文芸設定も)『逃亡者』以降のデビッド・ジャンセンが演じたら、実に実に似合いそうなキャラクターであった。前半からそのイメージが頭に浮かんできて、最後までそんな脳内ビジュアルの芝居や台詞回しで読み終える。 ミステリとしてはそんなに深いものではないんだけれど、クライマックスなど、この時代の小説の手際に長けた作者が独特の感覚で面白く見せた印象。 秀作『ビッグ・ヒート』の振り切りぶりには及ばないが、まとめかたもなかなかよろしい。佳作。 |
No.1212 | 6点 | メグレの拳銃 ジョルジュ・シムノン |
(2021/06/23 02:32登録) (ネタバレなし) おや、お久しぶり、パイク刑事。『メグレ式捜査法』読んだのは、絶対に20世紀だったよ(しかし同作は今さらながらに、邦訳タイトルを「わが友メグレ」にしてほしかったな~)。 全体としてはいつものメグレシリーズの世界ながら、主体の殺人事件の解決にメグレがさほど傾注せず、ゲスト主人公の若者の去就ばかり気にかけるのがなんか味わい深い。 ……しかしこれは言うのもヤボであろうが、パリ警視庁の警視が自宅から拳銃を盗まれたという事態なのに、管理不備を問いただす叱責がなさすぎるよね。フランスも、アメリカあたりと同程度の法規の枠のなかで拳銃は自由売買だとは思うけれど。 ネタ的には変化球な要素をいくつも盛り込んでいる感触があるが、妙にまとまりの良さを認めはする一作。 いろいろと勝手な思い込みができそうな余地があるのは、好ましいかも。 |
No.1211 | 7点 | ハマースミスのうじ虫 ウィリアム・モール |
(2021/06/23 01:40登録) (ネタバレなし) 大昔の少年時代に旧クライムクラブ版で読んでいて、その時は面白くないような面白いような、正直、そんな微妙な気分であった。 今の時点で、当時の心境を整理してあらためて言葉にするなら、作者が言いたいことはおそらくわかったんだけれど、あれ、これでおわっちゃうの? これがそのサンデータイムスの補完100冊目のひとつなの? というような、たぶんそんな感じ。 でまあ、その後ウン十年、瀬戸川猛資の再評価(絶賛)も、創元の新訳の刊行も横目に、あらためてもう一度トライしてみたいという気分はくすぶりつづけていたのだが、思い立ってこのたびようやっと再読。 今回は新訳の方で基本は読んで、何カ所か、脇に置いておいた旧訳の方をリファレンスした。 改めて付き合ってみて、お話そのものはかなりシンプルだよね。瀬戸川猛資の絶賛を前もって読んで、気分が高揚して、実物に接して裏切られた気分になる人も多いみたいなのは、よくわかる。 とはいえこの作品のキモは、ボヘミアンというかプチブルというか、あるいはある種のディレッタントというか、のウエメセ(上から目線)で、悪人狩りを行うアマチュア探偵キャソン・デューカー(新訳も旧訳もカタカナ表記はいっしょだ)のキャラクター、これをどう受け止めるか。その一点に、ほとんどかかっているわけだし。 だいたい、クラシック時代から黄金時代まで欧米の名探偵たちが保っていた基本的なアイデンティティ、犯罪者(悪人、ミステリの犯人)を暴く名探偵=正義の代弁者の図式にイヤミに一石を投じて「あんたたち(名探偵ども)のやっている行為って、結局は安全圏から、ときにやむを得ず、ときには事情に強いられて犯罪を犯した弱者をイジめるサディズムだよね」とうそぶいたこと。これはまあ1950年代の半ばなら、かなりのインパクトはあったと思う。 たぶん戦後の日本の児童文化でいうなら、まるまっちい描線のマンガばかり読んでいた昭和30年代の子供が、いきなり劇画の描線と演出、表現に出会ったような強烈な体験だったと思うよ。 恐喝者の悪人バゴットには感情移入する余地がない。それはそれでいい、ここで犯罪者に読者が一体化したらレ・ミゼラブルで、キャソン・デューカーは悪役ジャベールになってしまうから。 だからバゴットは最後まで悪人、しかしそれでなお、事件がどう転がろうが、どういう被害者が出ようが、結局はひとごとの事件をサカナに、金持ちの道楽探偵キャソン・デューカーが<悪人狩りの正義>をしている。当然ながら、こいつがどんどんイヤな奴に思えてくる。 しかしこれはたぶん作者の確信行為であろう。 作者モールが言いたかったことは、お道楽で探偵ゲームなんかしている遊民のアマチュア探偵なんて、本質的にみんなイヤなやつなんだよ、というミステリ界全般に対する痛烈なサタイアなんだから。 (それを思えば、この7年前にアメリカではエラリイが『十日間の不思議』事件に遭遇しているのも興味深い。実はリアリティのなかで居場所を失ったまま最初から誕生してきたアマチュア名探偵、それがキャソン・デューカーの身上だったのじゃないかと思うのだ。) だから終盤の展開、もちろんネタバレになるからここではあまり書けないけれど、そんなキャソン・デューカーだからこそ、あーゆー経験、さらにあーゆー状況のなかで(中略)というのは、よくわかる。瀬戸川猛資が泣いた(?)のはまちがいなくココだ。 なんかマリックの秀作『ギデオン警視と部下たち』の中盤で、(中略)しかけながら(中略)するジョージ・ギデオンの姿を想起させるねえ。 フィクション上の名探偵というのは、多かれ少なかれみな(あるいは大半のものを)広義のスーパーマン認定していいと思うのだけれど、コリン・ウィルソンが言っているとおり、大衆がより愛するのは完璧な超人ではなく、苦悩して葛藤する方のスーパーマンなんだよね。 【追記】 実にどうでもいいハナシだけど、あの大河内常平『拳銃横丁のダニ』ってこの作品のパロディのタイトルであろうか? これは実を言うと、評者より先に家人が気がついた。 |
No.1210 | 6点 | ノンちゃん雲に乗る 石井桃子 |
(2021/06/21 02:48登録) (ネタバレなし) 東京の四谷生まれの少女・田代信子(ノンちゃん)は5歳の時に赤痢にかかって死線をさまよい、ふた月の入院の末に、どうにか回復した。信子の両親は九死に一生を得た娘とその兄を連れて家族4人で、東京駅からおよそ一時間半の距離にある、環境の良い菖蒲町に転居。そこで健康を回復したノンちゃんは、現在8歳。小学二年生に進級し、今では、転校する同級生・橋本の後任として、担任から級長を任命されるほどの優等生になっていた。そんなノンちゃんの願いはふたたび生まれ故郷の四谷に赴くことだったが、ノンちゃんがまた赤痢になるという、万に一つもの危険性を配慮した母と兄は、ノンちゃんを残して東京に行ってしまった。母たちの胸中に思い至らず、置いていかれたと泣きじゃくるノンちゃん。彼女はやがて、得意の木登りで高い木に登るが……。 昭和児童文学界の巨星で、太宰治の思い人であったとも言われる女流作家・石井桃子(1907~2008年)が太平洋戦争中から書きためて、終戦直後の1947年に大地書房から刊行した、ファンタジー児童文学の名作。 ただしこの元版の時点ではあまり話題にならず、のちの1951年に光文社のカッパ・ブックス(初期のカッパ・ブックスは、まだカッパ・ノベルスが発刊する前だったので、小説も扱っていた)に収録されてから、改めて大反響を呼び、ベストセラー化。文部大臣賞を獲得して、鰐淵晴子主演で映画化もされた。 評者の家には以前からカッパ・ブックス版の原作もあり、さらに1980年代から録画ビデオもあったのだが、映画の巻頭をちょっとだけ覗いただけで原作にも映画にも手つかず。どっちから読むか観るか迷いながら、現在まできてしまった(結果として、先に原作を一通り完読したわけだが)。 木から落ちた(?)ノンちゃんが、不思議な世界で仙人だか神様だかのような老人と出会う、という前半の部分は知っていたし、その辺までは、たぶん作品の題名からも映画のポスターなどからも、一般にもよく知られているところであろう(ということで、普段からネタバレを気にする評者だけど、今回、ここまでは書かせてください~汗~)。 ただしそのあとの小説の中身がどのような方向にいくのかはまったく知らなかったので、実物を読んで軽く驚いた(とりあえずこの辺も伏せておく)。 しかし手元のカッパ・ブックス版の折り返しでは、あの壷井栄が、夜もふけるのを忘れて読みふけった、と激賞しているが、21世紀の目で見るとさすがに微温的すぎるし、牧歌的な読み物に思える。 とはいえ終戦直後の時代にあって、この作品の瑞々しさが(元版の刊行時点ではまだ微妙だったとはいえ)次第に広く受け入れられていったというのはわからなくもない。 そういう意味で時代の波から消えていく作品かな、とも甘く見たが、終盤の部分でなかなかのショックを覚えた。いや、これは正にわれわれミステリファンのよく知る××××トリック(広義の)ではないか!? いやまあたしかに、小癪にも作者が指摘するとおり……(中略)。 情感を揺さぶられながら、最後まで読み終えると、それまでの物語のほぼ全体で抱いていた軽い違和感も、ああ……とうなずかされることになり、同時に作品全体がいっきに時代を超えた普遍性を獲得する。 グダグダ書かない方がいい作品だとは確実に思うので、この辺にするが、オトナがオトナの目で読むファンタジー児童文学の基本図書ではあろう。 心に響く人もそうでない人もいそうな気もするし、なにより作品に出合うまでのT・P・Oが限りなく影響するような一作、という気もするけれど。 3年前に、大好きなネイサンの『ジェニーの肖像』に、あえて6点つけたのとほとんど同じような思いで、今回も6点。 |