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ミステリの祭典

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ホットサマー・コールドマーダー
私立探偵ミッチ・ロバーツ

作家 ゲイロード・ドルド
出版日1996年08月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2021/11/03 03:52登録)
(ネタバレなし)
 1950年代のアメリカ。カンザス州の工業地帯ウィチタ。「おれ」こと、30代後半の私立探偵ミッチ・ロバーツは、鉄屑屋の経営者カール・プラマーから、いなくなった息子フランキー(フランク)の捜索を頼まれる。プラマーは捜索の手掛かりとして息子のGFだった娘カーメン・グレンジャーの情報を与えるが、彼女は土地の警察の風俗犯罪取締隊長ビル・グレンジャーの亡き妻の連れ子であり、現在もそのまま養子だった。とりあえずカーメンと接触したミッチだがさしたる成果は得られず、一方でカーメンの実の姉でやはりグレンジャーの亡き妻の連れ子であるカーロッタと知り合いになる。グレンジャーはミッチに娘たちの周囲を嗅ぎまわらないよう警告するが、かたやミッチはフランキー失踪の背後に暗黒街の麻薬犯罪の気配を認めていた。そして……。

 1987年のアメリカ作品。
 私立探偵ミッチ・ロバーツシリーズの第一弾。といっても翻訳は、本書の日本語版が出てから四半世紀経った今でも、これ一作しかない(講談社文庫版のあとがきによると、本国では少なくともシリーズは4冊目までは出たらしい)。 
 内容は、時代設定からも何となく察せられる通り、1950年代の並みいるB級または軽ハードボイルド私立探偵小説の系譜にオマージュを捧げたもの(ちなみに評者のお好みの、女性秘書キャラの類はいない)。

 とはいえ、もうじき21世紀という時期にソレ(50年代リスペクト)だけで済ますにはやはり気が引けたかなんだか、けっこうなケレン味とか今風の登場人物の属性とかの<カツの衣>で食材をボリュームアップしている。
 たとえば独身男(リンダという妻がいたが離婚した)ミッチがいきなり、料理上手の乙男(オトメン)として台所に立つあたりはともかく、そのあと延々と具体的に何を料理した何を食うといった饒舌な叙述が続くのは、ああ、やっぱり中身はネオハードボイルド時代の作品だな、という気分。まんまスペンサーのフォロワーじゃん。
 
 で、ここで、あえていきなり、本作を<怪獣ソフビ人形>に例えるなら(例えるなよ)1960年代半ばの第一次怪獣ブームにマルサンが、1970年代前半の第二次怪獣ブーム時代にブルマァクが作った<当時もの>ではなく、1990年代~21世紀になってから後年のマニア派小中規模メーカーが往年のレトロ趣味にオマージュを捧げて作った<それっぽい当時もの風の新作>という感じ。
 それがいいか悪いとか、魅力があるとかないとかじゃなく、さらに奮闘や原典への探求も認めるんだけれど、やはりどっか、違う風が吹いてしまったのちの時代の影響が(技術的な部分でもスピリット的な面でも)相応に感じられてしまうというか。良くも悪くも。
 
 ただまあ、それは単にネオハードボイルド後期の作家の一人が選択した作風スタイルの問題に過ぎないわけでもある。レトロなことをやって滑ったとか、書き手が勝手に自作に制約をかけてダメにした、とかは思わないんだけれど、とにかく登場人物は少ない、事件の枠は広がらない、しかし一応以上はグイグイ読ませる、そして……となんとも奇妙な触感の作品ではあった。
 特に主人公探偵ミッチの扱いは(中略)。というか、星の数ほど先駆があるであろう私立探偵小説ジャンルの中に新しいシリーズで切り込むにはこれくらい……という<そのキャラ設定>の計算から始めて、そこを中盤の見せ場にした作品がこれか? という感じ。あんまり詳しくは言えないし、まあ前例や類例みたいなものがないわけでもないんだけどね。
 乾いた文体だけど、1950年代当時の風俗描写をサービス過剰なまでに盛り込んで(まあ大体、映画とかテレビとかラジオとか、人気スターとか、割とあとから調べやすいものも多いけど)妙に読者をもてなそうとするあたりとか、そういう職人っぽさは良し。あと、ほぼ終盤、某サブキャラの味のある運用と、犯罪事件の裏を返すと別のジャンルの(中略)ミステリになるような趣向はなかなかだった。
 (精神的な意味での)ハードボイルド度? これは結構高いとは思う。ただ、どうしても「どこか」で似たのを見たような感じが……(ネタバレにはなってないと思うが)。

 トータルとしては、7点にかなり近いけれど、そこまでホメちゃイケないという気分にとどまりたい、6.8点くらいの心情で、この評点。悪くはないです。

 ミッチのその後がちょいと気になるし、シリーズ二冊目以降も読んでみたかったが、もう翻訳が出ることは多分ないであろうな。この手の出オチ(意味が違う)した私立探偵小説シリーズって、日本の翻訳ミステリ界に、これまでどのくらいあるのであろう?

 最後に、本作は同じ作品世界に先輩の同業者としてスペードもマーロウもアーチャーもいる設定らしい?(解釈の違いはあるかもしれんが)。
 その上で本書の151ページのミッチの述懐で
「八時間前に(某ヒロインの名前)の体を抱きあげてベッドまで運んだことが信じられない。ああいうことはサム・スペードやリュウ・アーチャーのような男たちに起こることであって、フィリップ・マーロウやおれのような男には起こらないはずのことなのだ。」
 というのがあって爆笑した。ここで<御三家>を2と1に分ける意味は何なのだ!? まあ50年代のアーチャーは後年の<アメリカの父>的なキャラクターへの成熟が信じられない、マーロウよりもまだ本質がスペードに近い男だったのだとでも言いたいのか? だとしたら、それはソレで、なかなか独特な視座に基づいた「批評」になっている。いや、こういうのがあるから、私立探偵小説の系譜を探るのはオモシロイね(かなりいい加減にやっていますが・汗)。  

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