人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.1619 | 5点 | 大統領候補暗殺 B・B・ジョンスン |
(2022/10/04 11:39登録) (ネタバレなし) 「おれ」ことリチャード・スペードは、かつて「スーパー・スペード」とか「ビッグ・トレイン」などの異名で鳴らした強豪フットボール選手。現在は故郷のロスアンゼルスのカレッジでフットボールのコーチをする33歳の黒人だ。大学院を出た修士でもあるスペードはコーチの傍ら教壇に立って、人種差別ほかの社会問題にも独自の見識を披露している。そんな著名人のスペードに、42歳の白人で人種を問わず支持を得る上院議員ウェイン・グリフィンの陣営から、ボディガードを務めてほしいとの依頼がきた。グリフィンは黒人街での票田を期待しているが、そんな彼のもとには集団で護衛役を雇ってほしいという黒人の組織からの押し売りめいた話などもあるという。考えた末にこの依頼を引き受けるスペードだが。 1970年のアメリカ作品。 60年代辺りからのブラックパワーブームで、70年前後の本邦の翻訳ミステリ界にも黒人主人公ものが多くなったなか、早川ポケミスからその流れを見込んで刊行された作品。 表紙周りにはシリーズものであることを堂々と謳い、ポケミスの解説(「S」氏が他の作品のネタバレ上等な原稿を提供・怒)でも続刊予定を告知していたが、結局、日本にはこれ一冊しか訳出されなかった。 (ちなみに少年時代の評者が、この書名と主人公の名を見てサム・スペードと何か関係あるのかな、と0.1ミリ秒くらい考えたことはナイショだ。) で、まあ、この時代のペーパーバックヒーローものなのは当然として、そんな時流にブームに乗り損ねた作品(少なくとも日本では)どんなかな、と何十年も心の片隅で思っていたが、今年になってわざわざ古書を、安く購入。気が向いて昨夜から読んでみる。 主人公スペードの設定は大枠ではあらすじに書いたとおりだが、さらに12年前に当時17歳の双子の妹を同時に事故で失っているとか、近所に住む老境の父と今も親しく付き合っているとか、その辺はまあそれっぽい人間味の文芸。 しかし女性=セックス関係についてはポルノ解禁時代にあってとんでもない破天荒ぶり。某航空会社のスチュワーデスたちが4人(人種はバラバラの美女ばかり)で同じ住居に暮らしているがその全員を互いに公認のセックスフレンドとして、ハーレム状態にしている。さらに作中での情交描写はそれだけにとどまらない。20ページに一回はエロシーン(あけすけ過ぎて、読んでてもあまり楽しくない)が登場してくる。 もともとフットボール選手時代に顔に重傷を負い、整形外科手術で修復したら黒人版ケーリー・グラントみたいな美青年になったそうで……。あーこりゃ、日本のマジメなミステリファンにウケるわけないね(笑)。スーパー主人公キャラクターの造形にしても、これはなんか違う。 解説で「S」氏は、黒人版ニック・カーター(もちろんキルマスターの方)とか書いてるけど、まあそうなんでしょうな。評者はまだソッチの方のニック・カーターは、一冊も読んでないけれど。 で、この題名とポケミスの裏表紙のあらすじで、どういう事態が起きるかはミエミエなんだけど、そこに行くのはストーリーの流れがかなり進んでからで、これはなあ、ええんか……という感じ。 (やっぱこの時期の早川はいろいろとダメだ。) 行動派の政治家の選挙活動に際して、数百人単位でボディガードを雇ってほしいと押し売りめいた売り込みをかける集団があり、その対応に政治家の側近たちが右往左往するとかのリアリティはちょっと面白かった。 「意外な犯人」(ふつうの意味でのフーダニットでは決してないが)といったミステリ的な興味も、少しだけあったな。 この手のモノはスキだけど、本作に関しては悪い意味でいかにもなペーパーバック・ヒーロー作品であった。 評点は6点も……あげにくいな。 まあ実質5.5点くらい(前述のような細部でちょっとは面白いとこはあった)の5点ということで。 最後に。本書の翻訳は仁賀克雄。お小遣い稼ぎで受けたお仕事だと思うが、日本語の訳文そのものにはあまり不満はない。良い意味で軽妙で、達者な感じ。 しかしたしかこの人、この数年後に、ミステリマガジンだったか旧・奇想天外だったかのエッセイで「屠殺人」「殺人機械」だったか、この手の時流に乗ったペーパーバックシリーズキャラクターの悪口書いてたよな。ご自分も同じようなシリーズ作品の翻訳のお仕事に関わって、それがうまくいかなかったからといって(?)他の後続シリーズをdisるのは、あんまり美しくない。 |
No.1618 | 6点 | 呪縛伝説殺人事件 羽純未雪&二階堂黎人 |
(2022/10/03 17:09登録) (ネタバレなし) 1989年。「私」こと、31歳の未亡人で5歳の娘・茉奈を連れた清澄綾子は、栃木県の旧家の息子で27歳の関守和壱と婚約した。関守家は、もう一つの旧家・蓮巳家とともに、村の勢力を二分する由緒ある家柄である。村には戦国時代に「アヤ」という薄幸の女が人々を呪った伝説があり、その名を持つ者は忌み嫌われることから、綾子を嫁として迎えることに反対の声も出る。が、優しく誠実な和壱の尽力のおかげで綾子は彼の婚約者として、娘とともに関守家の一員となった。だがその夜、思いもかけない惨劇が発生する。 二階堂黎人デビュー30周年記念の新作。 共作者の羽純未雪(うずみみゆき)に関しては主だった作品として2005年の長編『碧き旋律の流れし夜に』がある寡作の作家としか評者は知らない。評者は同長編は数年前に「SRマンスリー」の記事で紹介されてすぐそのあと古書を購入したが、まだ未読のまま。今回の新作(本書『呪縛~』)を読む前にそっちから読もうと思ったが、現物がまた見つからない。しかたなくこっちの新刊から読むことにした。 (別にシリーズものでもないし、世界観が繋がってる訳でもないようだが。) 本文500ページ弱、本の重量600グラムという厚い重い一冊。一段組で文字の級数も大き目な本文はスラスラ読めるが、このボリュームのためにひたすら疲れる。 お話は、旧弊かつややこしい嫁ぎ先と因襲の残る地方に来て戸惑いながらも奮闘し、一方で劇的な事件に巻き込まれる綾子の視点で大半が語られる。まるで昭和の連続サスペンスミステリドラマ「火曜日の女」シリーズの一本を毎週観ているような味わいである。そういう意味ではまあ楽しかった。 劇中のトリックやギミックはいくつかあるが、一部の殺人トリックは「宝石」の「新人作家25人衆」に参加する一発屋作家が思いついた、トンデモトリックという感じ。そういった意味では微笑ましい。 個人的には、別のトリックで、ビジュアル的に某・戦後の国内名作長編を思わせるアイデアの方が楽しかった。 しかしマトモなパズラーとしては、真相が明かされる直前で、いきなり出てくるかなり大きめな作中の情報とか、いろいろとアレな作品ではある。 ちなみに村に伝わる「アヤの呪い」の一環で、土地の水源「アヤの泉」が凶事の前に赤くなるという伝説が語られ、この件に最後で決着がつくが、これは手塚治虫ファンの二階堂センセ、昭和30年代初めの、手塚のあの中編作品(少女漫画)へのリスペクトですな? 謎解きミステリの部分とは特に関係ないお話上の趣向で、両方読んでれば、たぶん気づくだろう、とは思う。 良い意味で、昭和のB級パズラーを現代にリビルドした印象。マトモな新本格だのガチガチの直球パズラーと思って読むとギャフン(死語)だが、ある種の趣向もののミステリだと思って読むなら、そんなに腹も立たない。 いい気分で力がぬけながら読み終えられるクロージングも、これはこれで味。 【追記】 この作品、テレビCMとかやらないのだろうか。マリリン・モンローそっくりのエロい女優が出てきて、それっぽい田舎のお屋敷の前に立って「じゅばくよん」とか甘い声で言うの。……いや、元ネタが分からなければいいです(汗・笑)。 |
No.1617 | 6点 | 真夜中の復讐者 ジャック・ヒギンズ |
(2022/10/02 20:56登録) (ネタバレなし) 1960年代の半ばのエジプト周辺。「わたし」こと20代半ばのステイシー・ワイアットは、非合法な金塊の輸送に参加し、アラブ共和国の監獄で強制労働を強いられていた。そんな私を救ったのは、かつての傭兵時代のリーダーでワイアットの師匠ともいえる巨漢ショーン・バークとその部下たちだった。ワイアットを救出したショーンは、さる富豪の実業家の令嬢を誘拐した山賊の手からその女性を救出する仕事を依頼されており、ワイアットにもその仕事に加わるように申しでる。そしてその仕事の地はシチリア。ワイアットの祖父でマフィアの最高クラスの大物ビト・バルバッチアの、直轄の土地だった。 1969年の英国作品。ジャック・ヒギンズ名義では二冊目の長編だが、作者はこれ以前にヒュー・マーロウだのハリー・パターソンだのの筆名で、のべ10冊ほどの著作を上梓しており、創作者としては油の乗ってきた時期の一冊だろう。 のちのヒギンズの諸作でも何回か主題になる、マフィアがらみの話。主人公の青年ワイアットは祖父が統括する組織からは距離を置き、傭兵として独自の生き方をしているが、マフィアそのものを嫌悪しているわけではない。その意味ではある種のプリンス、御曹司的な立場にある。 (祖父バルバッチアの方も、麻薬や売春で利益を出すことを由としない、昔気質のヤクザだが。) お話そのものは、邦訳本の帯で中盤以降の展開がバレバレ。というよりそれ以前に、本作をフツーにエンターテインメントにするにはここでこうなるんだろうな、という真っ当な物語の流れに行きつきすぎる。 いつか漫画家の五十嵐浩一(『スクラッチタイム』とか『ペリカンロード』とか)がなにかヒギンズの作品をいくつか読んで、みんな同じで、これでいいのか? と嘆いていたが、まあそういう文句も当たらずとも遠からず。 後半、逆境の主人公ワイアットと、今まで物語の背景的な要素だった(中略)はクライマックスに至ってもう少し文芸としてまとまり、熱気のある物語を紡ぎあげるのを期待したが、そこまでは行かず、残念。 ただし、本作の文芸設定ゆえの、ちょっと一風変わった筋立てや描写は用意されてはいる。 前述のとおり、実質10冊目前後の作品なので、文章はそれなりに風格が出てきて(サクサク読みやすいが)、作品のスタイルだけいえばA級作品っぽい。ただ、中味の方はまあ佳作、だろうね。某サブキャラと主人公ワイアットの後半の関係性は、もうちょっと押してほしかった気もする。 |
No.1616 | 6点 | ミステリー中毒 評論・エッセイ |
(2022/10/01 21:41登録) (ネタバレなし) 1995年から2000年、4年半かけて「小説推理」に連載された、解剖学の権威という医学者で、広範囲な趣味の文化人として知られる著者・養老孟司先生による、日々の動向といっしょにミステリ読書日記を綴ったエッセイ集。 前述のとおり文化人としてかなり有名な方らしいが、モノを知らない評者は縁があって本書(元版のハードカバー)を手にしたのち、Wikipediaなどで初めてその業績のほどを認めた。 (そういえば、宮崎駿との共著の相棒は、この方だったのだな。) 個人的にはこの時期(95~00年あたり)がもっともリアルタイムの東西ミステリから離れていた(SRの会からも一時退会していたし。毎年の「このミス」くらいは購入していたが、ベスト表とか眺めても、フーン、てなもんだった・汗)頃合いの一角だった。 だから、著者が良い意味で本当に気軽に敷居を低く、この当時の新刊や話題作(原書をふくむ)を語るのがとても楽しく、また興味深い。 リンカーン・ライムなんかがまだ登場する前、リアルタイムで初期ディーヴァー作品なんかに接する著者の反応なんかも実に新鮮に思える(と、聞いた風なことを言いながらぢつは評者はまだ、ディーヴァー作品は一冊も読んだことがないのだが……・汗&笑)。 Amazonのレビューに、自分を飾らない記述といった主旨の、本書を読んだ方の感想があったが、正にその通り。ソんな一方で、ところどころ、見識の広い視座からミステリの現代性やお国柄を覗き込むあたりなども、イヤミにならない感じでとても楽しい。 この本を契機に、何冊か読みたくなった本がまた出てきた(さらに、この本のなかで取り上げられた作品が、本サイト「ミステリの祭典」の場でどのように評価されているのか、何回もパチパチ、キーを叩いたりしている。)。 もう一回ざっと読み返して、面白そうな&興味の生じた書名のメモでも取っておこうか。 |
No.1615 | 7点 | 情無連盟の殺人 浅ノ宮遼 |
(2022/10/01 15:09登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと元・麻酔科医で、現在は献血センターの医療医師として働く32歳の伝城(でんじょう)英二は、徐々に感情が失われ、たとえば美しいものを見て素晴らしいと思ったり、不愉快なことに怒る感覚がなくなった。それは1980年代から全世界で発症例が見られる現代の不治の奇病「アエルズ」のためだった。そんな感情をほぼ失いかけた伝城に一人の女・佐川樹が接触。伝城を千葉の一角にある、アエルズ患者のための共同生活コミュニティ「情無(じょうなし)連盟」に誘い込む。だがそこで、いろいろな意味で不可解な一種の密室殺人といえる犯罪が発生する。 先に単独で二冊の著作があるミステリ作家で現役の医者でもある浅ノ宮遼が、学友で創作協力者の眞庵とともに、共著の形で書いた今年の新作長編。作者紹介を覗くと、今後はこの共作体制で行くらしい? いかにももっともらしい?が、現実には存在しない奇病「アエルズ」に罹患した登場人物たちの間で起きる不可能犯罪(殺人)を題材にした、いまはやりの特殊設定ものパズラー。 その物語はミステリの核心に踏み込む前に、専門職の現役医師による医学界や種々の病理に言及した情報小説的な側面もあってなかなか興味深い。実際のところはどのくらい正確なのかは知らないが、評者はとりあえず、架空の病気アエルズに関する部分以外はおおむねホントなんだろ? と信頼を預けながら語られる情報を読んだ。 感情を失った人間がどのように生きて生活するかというと、衝動的、情感的な行動が極力、排されて、ひたすら合理的な行為ばかりをするようになる。わかりやすく言うなら、病気にかかる前は爬虫類が嫌いで蛇を見るのも嫌だった人間が、このアエルズに罹患すると、それしかタンパク質を摂取する手段がないとするなら、平然とそのヘビを特に嫌悪感もなく食べられるようになる、評者の解釈を交えて言うなら、そんな感じであろう。 で、このアエルズ患者の生理とモノの考え方が謎解きミステリ部分に関わってくる。評者はこの特殊設定の先にあるのであろう謎解きをアレコレ予期したが、ある部分では期待ハズレな一方、別の意味合いでとんでもないロジックを読まされもした。 かように思っていたものと違う面もあったが、「なぜ(中略)は殺されたか?」と驚愕ものの真相など、とにかく面白いものは面白い(ただし……)。 こってりした作りで、縦横無尽に組み立てられたロジックの綾についていくのがキビしい部分もなきにしもあらずだが、先の得点部分をはじめとしてけっこうな満足感はある。 連続殺人で容疑者の頭数が減じていき、フーダニットの効果が弱くなるというジャンルものパズラーの構造的弱点に一石を投じたような展開も興味深い。 今年のベスト5内は無理でも、6~15位あたりのどっかには名前を連ねておきたい力作。 |
No.1614 | 7点 | 兵士の館 アンドリュウ・ガーヴ |
(2022/09/30 07:30登録) (ネタバレなし) アイルランド最大の考古学の宝庫といえる「タラの丘」。ダブリンの大学「ユニティ・カレッジ」の教授で35歳の考古学者ジェームズ・マガイアは、そこに眠る10世紀前後の遺跡「兵士の館」の発掘が悲願だった。だがそのためには相応の予算と人員の確保が必須であり、現実にはなかなか困難だった。そんなとき、地方紙「ダブリン・レコード」のハンサムな青年記者ショーン・コナーが登場。マガイアの話に関心を抱いた彼は、同紙の編集長リーアム・ドリスコルを動かして、発掘作業を後援するキャンペーン企画を提唱、推進。マガイアが夢見ていた発掘を現実のものとした。現地には資金が導入され、各地から作業員が集まる。だがそんな順風満帆に見えたマガイアには、想像もしていなかった現実が待っていた。 英国の1962年作品。ガーヴがこの名義で書いた16番目の長編。この少し前の作品群が『レアンダの英雄』(大傑作)、『黄金の褒賞』(優秀作)、『遠い砂』(佳作)とおおむね良作揃いの時期だが、個人的にはこれも当たり。 ちなみにガーヴのファン、あるいはとにかく素で本作を楽しみたいヒトは、ポケミスの裏表紙とか「ハヤカワ・ミステリ総解説目録」の本作の項とか、そういう余計なものはいっさい見ない方がいい。 とにもかくにも「あのガーヴの、面白いかもしれない? 一冊」程度の認識が生じた方は、いきなり本文から読み始めることを、絶対にオススメする。 そして読みながら思うのは、あー、これキングやらクーンツやらの後年の大冊系の作家に、この作品の話のネタで書かせたかったな~ということ。 本当なら、急転直下の展開があるまで、もっともっと地味目に地味目に話を転がし続け、いい感じまでにテンションをタメておいてから、そのタイミングでストーリーをハジけさせたかった、そんな思いがほとばしるタイプの筋立てだ。 とはいえもちろん、そういう構成の作劇では、もはやガーヴ作品の形質じゃなくなってしまうだろうし。ガーヴは2~3時間でサクサク読めて、それなり以上にほぼ一定して楽しめる職業作家。そっちでいい。 で、改めて、ガーヴ作品はガーヴ作品らしく読もうと、そういう尺度で考えるんなら、個人的には本作は(本作も)けっこう面白かった。 犯罪を企む者の思惟に関しては、当時の欧州の世相とかその手の事情が背景にあることは読み取れるが、かたや主人公マガイアとその周囲の者を動かすのは、雑駁な現実は現実として、ギリギリのところで流されかけるところを踏みとどまり、まっとうな人間として残りの人生を送りたいという、いかにも英国人の背骨めいた希求。これがいいじゃないか。 さらに中盤以降の(中略)も、あらら……ガーヴって、こういう(中略)もできるんだね。これまでの諸作でアレだのナニだの、あまりにも強烈な(中略)が印象的だから、虚を突かれた思いだった。しかしそれがとても自然に決まってる。 で、一番最後の(中略)。これがまた実に効果的な(中略)ですんごく心に響いた。某メインキャラクターの(中略)が劇的に(中略)するそのインパクトが絶大で、そしてそれが作品全体の味わいを大きく変えてしまう。 読後に試みにTwitterで感想を拾うと、ガーヴの作品の中でこれがトップクラスにスキ、と言っている人がいて、自分はソコまではいかないものの、わかりますよ、その気持ち、という心情くらいにはなる(笑)。 個人的にはガーヴの中では、けっこう上位の方だね。評点は、8点に近いこの点数で。 ちなみに本作は深町さんの、ちゃんと本人の名前(「眞理子」じゃなく「真理子」だが)が最初に出た訳書だったらしい。はあ、最初から、デキる人のお仕事は達者なものですのう、という感じであった。もちろん原語=英語はわからないので、日本語としてのこなれ具合の意味でホメてるんだけど。 |
No.1613 | 8点 | 祝祭の子 逸木裕 |
(2022/09/29 15:22登録) (ネタバレなし) 1990年。カリスマ的な青年宗教家、天谷大志を教祖とする宗教集団は、幹部となった元学生運動家の女性・石黒望の働きもあって、最大期には70人もの教徒が山梨県の一角に集う一大コミューンとなった。だが2004年のある夜、石黒はそのコミューンで養育していた十代前半の男子女子5人を率いて、30数名の教徒を惨殺する凶行「祝祭」を起こす。さらに14年後、洗脳されていた被害者、そして元殺人者「生存者」としてその後の人生を生きてきた、26歳の美女・夏目わかばたち。そんな成長した5人の「生存者」を巻き込む謎の「祝祭」が、いまふたたび始まろうとしていた? 逸木作品はデビュー以来、現在まで著作が10冊。評者はそのうち、気がついたらこの新刊で6冊ほど読んでいたが、そのなかでは本作が頭ひとつふたつ抜けたベスト作品ということになった。 500ページ強の紙幅に書かれた物語は物量だけでなく内容的にも非常に手ごたえのあるもの。インターネットで本書を読了後に目にした作者インタビューによると構想に8年かけたのち、相を煮詰めて昨年から今年にかけて「小説推理」に連載。さらに書籍化に合わせて改稿しているという。 正義とは、善とは悪とは、贖罪とは、そして人間が恒常的に抱える暴力の欲求とは、などの命題にひとつひとつ現在の作者の視点で(それぞれに相対化の事象を見せながら)訴えていくストーリーはあまりにも重い。が、同時にそれをちゃんと第一級のエンターテインメントとしてまとめてあげてある手際が素晴らしい。この厚さ、中味で、途中で一度休止はしたものの、ほとんど最後まで一気読みであった。 ミステリ的な仕掛けに関しては、作者がまず何よりこれはミステリなのだと語っている(先のインタビューから)ように、中小多くのネタが仕込まれているが、個人的にはその辺はおしなべてストーリーを読みやすく面白くするためのギミックであり(それでいいのだが)、本作の勝負所は順当に重い真摯な文芸、種々のテーマの方にある感覚だ。 いちばん心に響いたのは、この世に聖人なんかそうそういるはずもなく、相対的に自分の優しさや誠実さを切り売りできる「善人」しかいないのだ、という作者のメッセージ。だが作者はそれをむしろ最終的には(以下略)。 いずれにしろ、大変に手ごたえのある優秀作であった。船戸与一などの作品でいえば『猛き箱舟』あたりの、作家が化ける瞬間を読み手に実感させる、そういう躍進作というところ。 まちがいなく今年の収穫のひとつでしょう。 |
No.1612 | 6点 | 子供たちの時間 レアド・ケイニーグ&ピーター・L・ディクスン |
(2022/09/28 07:28登録) (ネタバレなし) カリフォルニアのマリブ海岸。そこには、テレビ&映画プロデューサーのマーティー・モスとその妻で美人女優ポーラが所有する、一軒のビーチハウスがあった。屋敷内には、それぞれ再婚であるモス夫妻の連れ子同士、9歳から4歳まで計5人の男子女子が弟妹として集っており、彼らはいつもみんなテレビに夢中だ。そしてモス夫妻が仕事のためにローマに旅行中、子供たちの世話はメキシコ人の娘「アボガド」こと、女中のグラジーラ・モントーヤに任されていたが、彼女は子供たちのテレビ視聴の時間制限と消灯に厳格で、融通がきかない女性だった。勝手気ままにいくらでもテレビを観たい子供たちは、恋人を自室に引っ張り込んだのち酒を飲んで酔いつぶれているアボカドを、大型のマットに乗せて外洋に流すが……。 1970年の英国作品。 突発的かつ衝動的な殺人ドラマを描いた倒叙サスペンススリラーだが、邦訳された当時、日本のミステリファンの一部では、主人公の殺人者たちが10歳にも満たない男女の子供、そしてその殺人の動機が「好きなだけテレビを観たいから」というぶっとんだ文芸であることからちょっと話題になった。 (まあ21世紀の今なら、尺度の違う意味でのさらにクレイジーな殺人の動機は、新本格のあれやこれやとかに散見するのであるが。) かねてから関心はあった作品だが、とにもかくにもコドモたちが人を殺す以上、ダークなノワール性は免れないな、という思いもあってやや敷居が高く、何十年も読まないで、その一方で気になって、それなりに側には置いておいた一冊(正確には以前に買った本が家の中で見つからず、21世紀になってからブックオフの100円棚で再購入した方が、つかず離れずの場にあった)。 でまあ、今夜気が向いて、まあそろそろ読んでみるかと思ってページを開いたが、キモとなる子供たちによる女中殺しのくだりは、かなりあっけらかんとした叙述。ほとんど読者にストレスを与えず、軽妙なブラックユーモアみたいな感触で受け入れられる。 (この辺は被害者の女中アボカドが、仕事が終わった自由時間内の行動とはいえ、幼い子供たちがいる主人の家と同じ屋根の下に男をひっぱりこんでセックスしたり、酔いつぶれるまで酒を飲んだりと、いささかふしだらな娘として書かれていることも大きい。ヒッチコックが某自作のメイキングなどで言った「殺されても、受け手が心をさほど痛めないタイプの被害者の造形」というのはたしかにあるものだ。) とにもかくにも犯行が遂行されてからは、犯罪の発覚を警戒した子供たちの防衛・隠蔽ドラマになり、順当に女中の恋人が家に乗り込んでくるが、以降のサスペンスやスリルもそれなりに読ませる。 まあ21世紀の新作ならゆるい、ユルい、出来ではあるが、半世紀前の作品で、さらにこういうかなり特殊な設定のオハナシなら、まあまあ合格点というところ。 (人によっては不満かもしれないネ。) 主人公の5人兄弟は9歳の長女キャシーと4歳の次女マーティの間に長男(たぶん9歳だがキャシーより遅生まれ)のシーン、8歳の次男カリー、三男のパトリックが挟まれる構成。前述のように双方の親の連れ子同士での混成兄弟のようだが、妙に仲がよくチームワークも順当なのが微笑ましい。そしてその連携ぶりが効果を上げるのが殺人の事後処理というのが、本作の狙いどころのブラックユーモアだが。 ラストがどのように着地するかは、もちろんここでは書かないが、いずれにしろ思っていた以上には、良い意味でフツーに楽しめた。 (まあそれでも、読者を選ぶタイプの作品かもしれないんだけれど。) 余談ながら角川文庫版の51ページに出てきたSF番組の話題、『スタートレック』のあのエピソード(地球の禁酒法時代を模した文明の惑星に、カークやスポックが紛れ込む話)だね? 評者の好きな回なので、ちょっと嬉しかった(笑)。 |
No.1611 | 7点 | 彼は彼女の顔が見えない アリス・フィーニー |
(2022/09/27 06:11登録) (ネタバレなし) 2020年2月。売れっ子脚本家で40代初めのアダム・ライトと、その同世代の妻で保護犬センターで働くアメリアは、うっすらと夫婦関係の不順を感じていた。そんな二人はカウンセラーの進言を受け、愛犬のラプラドール、ボブを伴って遠方までドライブ旅行に出るが。 2021年の英国作品。この作者の邦訳はこれで3冊目で、評者は昨年に翻訳された『彼と彼女の衝撃の瞬間』に次いで2冊目。 それで去年はその『カレカノ~』がちょっと心の琴線に引っかかったので、今回もまた早め? に読んでみる。 ちなみに題名の意味は男性主人公のアダムが脳の疾病で、相貌失認症(要は他人の顔が覚えられない認識障害)を負っているから。これはもう本文の1ページ目から語られるので、ネタバレでもなんでもない(笑)。 (ちなみに評者はまったくの偶然にも、同じ症状の主人公が登場する国内作品をついこないだ読んだばかりであった。あ、そっちの作品も、すぐにいきなりその設定は開陳されるので全然ネタバレにはなってないから、ご安心を。) で、このアダムのキャラクターの文芸設定で、さらに創元文庫の表紙周りにはおなじみの登場人物一覧表もない。これはもう誰だって、とにかく当初から作中に「何か」あるであろうことは、予測がつく。作品の勝負どころは、それがどのように、どのくらいの手数で、そして、どの程度に深く作りこんで、だ。 で、400ページを3時間弱でイッキ読み。 もちろんあまり詳しいことは、絶対に言えないし言わないが、大ネタの一部は先読みできる。しかし、あれもこれもの作者の手数の多さは、実にパワフル、という感じ。 とはいえあんまりホメあげる気がしない部分もあって、それはここまで作りこんでしまうと、作中のリアリティとしてどうしてもウソ臭い部分が出てしまうから。登場人物の会話やいくつかの時系列のなかでの叙述、それがみ~んなココまで(以下略)。 本文読了後の創元文庫巻末の解説を読むと、担当の村上貴史氏もその辺のフィーニーの作家的弱点について言葉を選んで触れているようで、ああ、わかってますね、という思い。 ブレーキのゆるい、しかしその分、跳ね回る感覚がハラハラ楽しい、あのリチャード・ニーリィの後継者みたいな印象だ(と言いつつ、評者はしばらくニーリィ読んでないなあ。そのニーリィの著作そのものも、片手の指プラスアルファくらいの冊数しか、読んでないかもしれんが・汗)。 まあその手のモノがお好きな人なら、あれこれと良かれ悪しかれ思いながらも、それなりに楽しめるとは思う。 どっかで読んだようなという意味で、嫌う人は出るかもしれんが。 個人的には『カレカノ~』よりは、ずっとオモシロかった。 |
No.1610 | 7点 | かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖 宮内悠介 |
(2022/09/26 07:47登録) (ネタバレなし) 宮内作品はこれまで『アメリカ最後の実験』(2016年)を新刊刊行時に読んだきり。独特の作風はちょっと印象に残ったが、今となっては内容も作品の魅力も、人に語り伝えられるほどは記憶にない。広義のミステリだったとは思うが、むしろブンガクの尺度で語られるような一冊で、そういう意味では評者などとは縁が薄い感覚もあった。 で、久々に手にとった本作だが、こちらはいささか癖のある設定で時代背景なれど、中味の方はギンギンにまっとうな連作ミステリ。 しかも大好きな「ブラックウィドワーズ・クラブ」(すまんな。もともと最初の出会いがHMM誌上だった世代人なので、この呼称の方が落ち着くのだよ・笑)の本歌取りというのがウレシイ。 第一話の本文を読み終えた直後、原典のパスティーシュ&大元へのリスペクトとして、あそこまで真似てあるのに爆笑しつつ感激した。最高じゃん、宮内センセイ(嬉)。この一冊で見直した。 ちなみにそういった独特の趣向とこの本書の書名タイトルからもうバレバレなのだが、毎回の探偵役はズバリ、そういうポジションにある女性。これも原典の形質の踏襲だが、しかしながら毎回の物語の(それぞれの事件の謎が回想されて語り合われる)場にいながら、登場人物表に名前も載っていないレギュラー探偵というのも前代未聞であろう。 (で、最終話ラストのオチも近代史に疎いこちらのスキを突く感じで、ああ、そうだったのね……という感慨。しかしこれじゃもう、シリーズ二冊目は難しいだろうな。いい意味でのマンネリで、続巻を何冊も出してくれてもいいんだけどね。) 個人的なベストは、まとまりのいい第3話と、もうちょっとうまく演出して弾みをつけて話を転がしてくれていたら、もっともっと傑作になったろうにと思える第5話。第1話、第2話も悪くない。 繰り返すが、何らかの形で、あと1~2冊くらい続けてくれんかな、このシリーズ。(中略)を交代させるといった大技をやってくれたっていいのよ。 |
No.1609 | 6点 | 下り特急「富士」(ラブ・トレイン)殺人事件 西村京太郎 |
(2022/09/26 05:56登録) (ネタバレなし) 十津川省三警部の部下だった元刑事で、さる事情から網走刑務所に服役していた青年・橋本豊は、一年の刑期を務めあげた。所内で橋本は凶悪な囚人に殺されかけ、その窮地を60歳前後の同房の囚人・宇野晋平に救われたが、当の宇野はその橋本を庇った際に生じた傷がもとで、獄死していた。網走刑務所の所長から、宇野の遺品を彼の友人の小田切正のもとに届けてくれないかと頼まれた橋本。橋本は、旧知の女性雑誌記者で彼に好意を抱く青木亜木子とともに、小田切のいる東京に向かうが。 光文社文庫版で読了。十津川シリーズの一本だが、同時に『北帰行殺人事件』でデビューした刑事(本作以降は元刑事)橋本豊が完全に主人公を務めるスピンオフ路線の第一弾でもある(前作『北帰行』を橋本ものの初弾と見てもいいかもしれないけど)。 本サイトでも結構、評判がいいので期待していたが、う~ん……。 つまらなくはないが、思ったよりは楽しめなかった、という感じ。これはこの作品の責任じゃないと思うが、実は本作のプロットの大仕掛けに関しては、似たようなものをこの5年前後くらいの新本格のなかで読んだ印象がある(具体的な作品名がぱっと頭に浮かばないので、もしかしたらデジャビューの可能性も皆無ではないが)。それゆえ、反転のサプライズとインパクトがたぶん本来の本作の効果ほど、心に響かなかった。残念。 あと、素性不明のキャラクターが多すぎて、この辺は作者が最後の方でなんとか帳尻を合わせればいいだろ、と思っていたような感じである。で、実際に、真相解明の時点になって、実は(中略)までが(中略)って……。それだったら、なんでもできるじゃないの? とプロットの安い組み立てぶりに不満を覚える。 まあ一番最後に明かされる、あの登場人物に関しての真相だけは良かった。 後半の橋本と亜木子の(中略)のためのあれやこれやの奮闘ぶりはほほえましいし、そこら辺での作者のちっこいネタをなるべく盛り込もうという、そういうサービス精神は認める。 0.2~0,3点くらいオマケしてこの評点かな。 いやたぶん、過剰期待したこちらが悪いのであろう。きっと(汗)。 |
No.1608 | 7点 | 魔王の島 ジェローム・ルブリ |
(2022/09/25 07:13登録) (ネタバレなし) <本章の第一部の途中までのあらすじ> 1986年11月。フランスの片田舎。小規模の地方新聞で働く女性記者で美人の娘サンドリーヌ・ヴォードリエは、公証人を介して、会ったこともない母方の祖母シュザンヌがノルマンディー周辺の孤島で死んだという知らせを受け取る。祖母の遺品の整理のため島に渡ったサンドリーヌは、そこで第二次大戦の後に起きた、ある悲劇を知った。やがて彼女は、当時、島に潜んでいた謎の魔物「魔王」が現在もこの島にいると知る……!? 2019年のフランス作品。今秋の文春文庫が、なにやら鳴り物入りで売っているので、気になって読んでみる。 第一部の筋立ては、なんかフランスの『八つ墓村』みたいなムードで、ふーんと思いながらサクサク読み進むが……。 ……ん、まあ……これこそ、あんまり何も言わない&書かない方がイイ作品の筆頭だわな(大汗)。 約470ページを3時間ちょっとで読んだ。とんでもない加速感だ。 で、最後まで読み終えて、ある意味じゃ限りなくアンポンタンでトンチンカンな作りと実感(笑)。 でもミステリなんていう遊戯ブンガクのジャンルの中には、本当にごく時たま、こーゆー種類の<飛距離が成層圏まで届くような、特大ファールな作品>があってもいいんだ、とも思う(笑・汗)。万人におススメは絶対にできないけれど、その意味では首肯。 気になった人は、早めにとっとと読んでしまうことを推奨。 読み終えた人同士で、確実に話のネタにはなる作品でしょう。 |
No.1607 | 6点 | ジャッキー・コーガン ジョージ・V・ヒギンズ |
(2022/09/24 16:45登録) (ネタバレなし) 犯罪者「スクワレル」ことジョニー(ジョン)・アマトは、知り合いの前科者の若者フランキーとその同輩のラッセルを仲間に、賭博場の経営者マーク・トラットマンの賭場からカネを奪う計画を進行する。トラットマンはかつて自分の賭博場で狂言強盗を働いた前歴があり、スクワレルは今回の犯行も、当人の狂言に見せかける考えだ。だがマフィア(らしいイタリア系の組織)の大物ディロンが自分の視界内の怪しい動きを察知し、彼は事態の収拾のために凄腕の部下ジャッキー・コーガンを差し向ける。 1974年のアメリカ作品。ブラッド・ピット主演の21世紀の新作映画公開に合わせて発掘翻訳された、原作の旧作のようである(評者は映画は未見)。 評者は作者G・V・ヒギンズの作品は、大昔に『エディ・コイルの友人たち』を、当時の新刊翻訳ミステリとして読んだ覚えがある。 ただし同作『エディ・コイル』の内容についての記憶はまったくない。一風変わったノワール系の作品だったという印象のみ、今ではうっすらと残っている。 それもそのはず、本作『コーガン』を読むと、たぶん『エディ・コイル』もそうだったのだろうと察せられるが、この作者の作品はプロットはシンプルな一方で、登場人物の会話は限りなく克明。かたや内面描写はほとんど? 無い。そんな独特のスタイルで小説が綴られる。こういうタイプの作品は記号的に情報を整理しにくく、おのずと記憶には残りにくくなるものだ。 本作ではヤマ場までは数名の登場人物の会話シーンがどんどん切り替えられていくが、その場その場の会話は本筋から離れようがどうしようが、作者の方で読者に向けて親切にダイアローグもしくは情報そのものを整理する気などまったくなく、とにかく劇中のキャラクターが思いついて口にした言葉はあまねく書き連ねる感じだ。 内面描写を抑止しながら貫徹されるこのスタイルは、ある意味ではノワール系ハードボイルドの神髄ともいえるかもしれない(きわめてドライな精神性も含めて)。 (ちなみにG・V・ヒギンズのこの作法にはあのレナードも強烈な影響を受けたらしく、自分の大好きな作品に『エディ・コイル』を挙げているそうな。さもありなん。) 劇中の犯罪者の多くが前科者で、逮捕と服役を神経質なまでに気にする(当然だが)一方で、警察そのものはまったく物語にからんでこないのも独特の興趣。犯罪計画の性格上、あくまで暗黒街の内側で生じて終わるノワール系ハードボイルドという閉じた世界の持ち味をよく感じさせている。 登場人物の誰にもスナオに感情移入する気の起きない一方で、事態の行く末は気になる、非常にクセの強い作品。読了後にAmazonの評価を覗くと、星の数は見事にバラバラ。まあそうだろう、そうだろう。 で、今回の評点はこんな数字で。 これは、結局、この作品、こんな評点程度の出来? というよりは、スゴ目の作品に食いつききれない、評者の器量の方に問題があるのだよ。きっと(汗・笑)。 |
No.1606 | 7点 | 灰かぶりの夕海 市川憂人 |
(2022/09/23 15:45登録) (ネタバレなし) 2021年の神奈川県。20歳の大学生で配送業のバイトに精を出す本好きの若者・波多野千真(かずま)は、ある日ひとりの少女と出会う。その少女「夕美(ゆうみ)」は、一年前に千真が喪った恋人と全く同じ顔、同じ名前だった!? 千真は記憶がないらしい「夕美」を、バイト先の上司で気の良い兄貴分の木下肇(はじめ)の了解を得て、同じ職場に雇い入れてもらい、体の関係のない共同生活を始める。だがそんな二人は、配達先のとある家屋で、すでに一年前に死んだはずの人間がまた殺害される? という、そして状況的にも不可解な殺人事件に遭遇する。 作者は今年は2冊も長編を刊行。デビュー6年目にして、ますますギアが唸ってきた感じである。 死んだはずの恋人の復活!? というありえない異常な状況。作者が作者だけに何らかのその手を使ってくるのだろうことは読者の大半が読むだろうし、書き手の方もそういう受け手の心理を心得た上で、何やら思わせぶりな「インタールード」を本筋の間に挿入してくる。だがそこに何かがあるのは何となく察せられるものの、それが実際に具体的に何なのかは終盤までわからない(よし、これならネタバレになってないハズだ)。 千真と「夕美」の青春ラブストーリー、ともに本好きという文芸も作品に独特の興趣を与えており、そしてよくある手ながら、作中で話題になる本の書名がその後の展開のイメージに繋がったり、あるいは……というギミックでも用いられる。その辺も楽しい。 広義の密室といえる、情報を整理してゆくと顕在化する不可能状況は、いかにもこの作者らしい。その部分だけでも十分に面白いが、さらに今回は評者などはアア、ナルホド、なミスディレクションの相応に大技を用いていて、その辺も印象深いものだった。 ラスト、ふたりの主人公(恋人たち)の関係がどのように結着するのかは、(ハッピーエンドに終わるのかそうでないビターエンドかも含めて)ここではもちろん書かないが、作者の思い入れを存分に感じさせたクロジーングであったことぐらいは、語ってもいいだろう。この終わり方への個人的な満足度は78%、あるいは92%くらいかなあ。数字の微妙さのニュアンスは、読んだ人になんとなく伝わってくれればうれしいが。 |
No.1605 | 6点 | ノクターン エド・マクベイン |
(2022/09/22 15:47登録) (ネタバレなし) アイソラの安アパート。何者かによって、愛猫と一緒に射殺された83歳の老婦人「ミセス・ヘルダー」の死体が見つかる。スティーヴ・キャレラとコットン・ホースたち87分署の刑事たちは捜査を開始し、凶器となる拳銃の情報から関係者を訪ねて回る。一方で町では、名門校ピアーズ・アカデミーの表向きはエリート生徒、その裏では欲望や加害衝動に禁忌のない若者たち三人組が狂気の犯行を重ねていた。 1997年のアメリカ作品。ポケミス版で読了。 ポケミス巻末のシリーズリスト(中編で未書籍化の「87分署に諸人こぞりて」を一本単位でカウント)によると、87分署ものの第48番目の作品になる。 しかし評者は本当に久々に、このシリーズを読んだ。もしかしたら21世紀ではこれが初かも。 はっきり読んでるのはシリーズ第38弾『八頭の黒馬』まで(そこまでにもたぶん30番台で1、2冊ぬけている)。で、残り分はなるべく順番を追って読んでいこうと少し前までは考えていたが、気が付いたらいつまで経っても未読分を消化していない(汗)。 もともと大昔の少年時代にはポケミス(HM文庫が出る前なので、それと世界ミステリ全集しかなかった)の手に入った分から順不同でランダムに読んでいた記憶もあるし、じゃあ……と思い直して方向転換し、近くにあった未読の一冊を読んでみた。 というわけで本当に久々の再会だが、期待通りに半世紀一日のごとく(?)、基本軸はほとんど何も変わらない安定シリーズ。なつかしい情報屋ダニー・ギンプが出てくれば、ちゃんとキャレラも見まいに来てくれた時の話題をするし、その辺のシリーズファン向けのサービスには事欠かない。ホースやクリングの女性関係に新たな動きがあったのは興味を惹かれた。 ただし80年代のニューエンターテインメントブームの波を潜ったり、ライバル視(?)しているらしい後輩作家スティーヴン・キングを意識しているせいか、20世紀末の時代らしくモブの登場人物はかなり増えて細かい挿話も増量している感はある。それでもスラスラ読めるのは、いかにもこのシリーズの通常編らしい。 (翻訳者は、井上一夫。もういい加減ご高齢だったはずだが、とても達者な翻訳というか、読みやすい訳文。ただしピーター・ローレをピーター・ロールと表記してあるのは、これでいいのか?) 地味にショックだったのはポケミスで222ページ。犯罪者を追跡する描写で、キャレラもホースも「大きくて太ってる」という修辞が出てきたこと。大柄はともかく、両人とも「太ってる」イメージはなかった。 若い頃に相応の美男だった男性俳優が、気が付いたら中年になって貫録がついていた感覚か。 先述の通りにモブキャラがとにかくべらぼうに多い作品なので、名前のある登場人物だけで80人前後。ワンシーンのみのキャラクターももちろん多い。キャレラとホース以外でも87分署の顔なじみ勢が本当にちょっとずつでも顔を見せるのは、いかにも本シリーズらしい。 人気者? の88分署のオリー・ウィルクスも割とマジメに活躍。 ミステリ的には冒頭からの射殺事件にからんでちょっと意外な真相があり(老婆と猫を射殺した犯人はいろいろな意味で、残酷きわまりない拷問の末に極刑にしていいね)、その脇のサイドストーリー的な流れにも……。これはあまり書かない方がいいか? 一部の案件は、旧作にあったような、次作への持ち越し? トータルとしては佳作、の出来。 あーあと、作者マクベインがハンター名義で脚本を書いたヒッチコック映画『鳥』ネタが三回出てくる(笑)。「ヒッチコックが書いた『鳥』」という物言いを登場人物がして、別のキャラがあれはヒッチが書いたんじゃない、とツッコミを入れる繰り返しギャグだが、現実でも作者の周辺で何かあったのだろう、あるいは読者にそう思わせたいというマクベインの作戦だろう(笑)。 |
No.1604 | 7点 | 孤独な彼らの恐しさ 笹沢左保 |
(2022/09/21 16:11登録) (ネタバレなし) 同年の友人二人と自動車修理工場を経営している32歳の三木秀彦。三木には26歳の美人の婚約者・水森麻衣子がいる。が、三木は次第に実は自分が、麻衣子の姉で35歳の和風美人・今日子の方に、内心で惹かれ始めているのを自覚した。今日子は先に、不動産業者で47歳の宇佐美勉と離婚したばかりで、当人は妹やほかの女子を社員にして女性向けの高級アクセサリー店を経営し、成功を収めていた。そんなある日、三木は訪ねた水森家で、今日子から意外な話を聞く。 1966年の長編。徳間文庫版で読了。 笹沢の比較的初期長編の一本で、この時期の諸作は出来不出来が激しいが、その実態ぶりを一冊ずつ、自分の目で確認するのも楽しい。 で、結論からするとこれはなかなか当たり。 間を置かず、スピーディに展開する作劇はいかにも笹沢作品らしいし、周囲のヒロインとの関係性のなかで主人公・三木自身のある種の自分探しめいた文芸があるのもいかにもこの作者っぽい。三木と友人たちの会社に勤める24歳の事務員で三木に片想いの好意を抱く美人・藤野雪代がなかなか魅力的。今でいうヤンデレ系のヒロインだが、本作のなかに複数登場する大小の役割の女性のなかでは、笹沢持ち前のちょっとくすんだロマンチシズムが一番投影されている。 終盤に次々と明らかになる意外な真相の一部は先読みできないこともないが、手数は多いので全部を読み切ることはちょっと難しい? だろうし、さらに本作では犯罪そのものの生成の由来と、反面、主人公の三木側の視点で不審を抱くくだりの契機(あれやこれやと段階的に疑問を抱く流れがよろしい)など、それぞれ効果的に綴られている。本作を賞賛するゆえん。 ダイイングメッセージめいた部分の真相や、とある物的証拠についての推理の甘さなど、いささか強引さを感じる面はあるものの、印象的な犯人の造形まで踏まえて、トータルとしてはそれなり以上に高く評価したい。 |
No.1603 | 5点 | 傀儡のマトリョーシカ Her Nesting Dolls 河東遊民 |
(2022/09/20 06:35登録) (ネタバレなし) 「俺」こと阿喰有史(あじきありふみ)は、県内随一の進学校「苦楽園高校」の一年生。入学直後の五月、阿喰はある思惑のもとに、自分が入部した文芸部のさらに部員を集めていた。そんななか、彼は同学年で新入生代表だった秀才の美少女・雑賀更紗(さいがさらさ)に接触するが、そんな更紗はとある苦境に立っていた。やがて阿喰と文芸部の仲間たちは、さらに事態に深く関わっていくが。 3年前に新刊が出た時点で(その強烈な表紙ビジュアルも含めて)結構、反響を呼んでいた青春学園ラノベミステリ。少し前にようやくブックオフの100円棚で状態の良い美本を見つけて購入した。 とにもかくにも以前にネットで見かけた時点での評判がよく、さらに裏表紙(表4)のあらすじ+作品紹介文の最後に「事件の結末に驚愕する学園ライトミステりー!」とあるので、かなり期待値は高かったが……。 ……う~ん、残念ながらミステリとしては完全にハズレ。 いや、実のところ、中盤では、主人公周りの設定にちょっと変わった文芸がさりげなく? 書かれていたので、これはハハーン……たぶんそういう方向の仕掛けだな、しかしなかなか綱渡りになるだろうな? 最終的に作者はどう捌くのかな? とワクワクしながら読み進めたら……(以下略・ボーゼンとしながら脱力)。 ……うぬぬぬ。実際にソレっぽい部分もそこかしこにあるので、たぶんまあ、作者は当初はそんなセンを狙いながら、結局、モノにならなくて(以下略)。 ファミコン版『ドラクエⅡ』と『Ⅲ』を続けて満喫したあとの『ドラクエⅣ』のクライマックスみたいなガッカリ感だ(例えが古いが・汗)。 評者の場合、ラノベミステリというのは、それなり以上にテクニカルな作品をその形質ゆえに楽しむか、あるいは当初からミステリとしては、たぶんほとんど期待できないと思いながらそれを承知で、良い意味でゆるい気持ちの付き合いで読んでそこそこの愛情を育むかのどっちかなので、こーゆー読む前は相応のレベルを期待して、結果、完全にうっちゃられるというパターンは、意外に少なかったりする。 まあ冊数読んでいれば、こんなのにも出会うでしょ、ということで。 ただまあ青春小説としては、それなりには惹かれたりする。特に雑賀のキャラクターと、そして(中略の)ラストシーンはなかなか良かった。だからキライな作品では決してないけどね。とにかくミステリとしてのガッカリ感が大きい。 |
No.1602 | 8点 | 異常【アノマリー】 エルベ・ル=テリエ |
(2022/09/19 15:21登録) (ネタバレなし) 2021年3月。ニューヨークに向かうエールフランスの旅客機006便。長距離航行歴およそ20年のベテラン機長が操縦するその機体ボーイング787には、200人以上の乗員乗客が乗っていたが、同機は目的地に近づいたとき、乱気流に巻き込まれる。やがて機体はニューヨークの空港に着陸したが。 2020年のフランス作品。 本サイトのtake5さんがご投稿されたレビューの高評と、Amazonのレビュー数の多さなどから感じられる話題性、さらには海外での受賞の実績、日本の書評家の推薦文などから興味が湧き、自分も読んでみた。つまりは全くのフリの読書。 級数も大き目な活字、平明な訳文でリーダビリティは高いものの、紙幅400ページ以上はちょっとカロリーを使うな、と思いながら読みすすめる。すると前半のヤマ場で、息を呑んだ。ああ、こういう作品か。 (多少なりとも関心がある方は、とにかくネタバレにならないうちに、さっさと読んでしまうことをお勧めする。) で、一晩で貪るように全編を読み終えて思うのは、まぎれもなくスゴイ作品であることを認めるのにやぶさかでない一方、そのショッキングな大ネタそのものは使い古されたものだろうということ。たとえば評者などは、すでに物故した日本の某・大人気少年マンガ家(世代を超えて今でも著作は読み続けられている)の某短編なども想起した。 要は主題そのもののインパクトや革新性ではなく、その食い込み方、扱いにおいて勝利した一冊だが、それにしても21世紀らしい新奇な作法論は特に感じられず、80年代からのニューエンターテインメントなども含む文芸観のその延長性の累積の末に生まれた作品という感触だ。 言い換えるなら古い革袋に新しい酒を盛ってそれがとても美味しかった作品だが、一方で評者のようなわがままな読者の不満をあえて語ると、この味、実においしいんだけど、なんか良くも悪くも見知った触感の集大成みたいな舌ざわりだなあ、というか。 いや、そこに行くだけでも十分以上に凄いことだとも理解はしているつもりだが。少なくとも後半の、take5さんがおっしゃるその群像劇的な構成の逸話のなかで、こちらをハっとさせたものは、確実にいくつかあったし。 評価はさすがにこの点数の下はつけられないだろう、ということで。 ただし自分の前述の好き勝手な物言いをあまり前に出すと、7点になるかもしれない。今後、評点を変える……かも。 |
No.1601 | 7点 | 桃色の悪夢 ジョン・D・マクドナルド |
(2022/09/18 17:23登録) (ネタバレなし) トラブルシューター(もめごと処理人)のトラヴィス・マッギーは、旧友で朝鮮戦争時代の戦傷ゆえの盲人、そして今は病気で重篤の身であるマイク・ギブソンから相談を受ける。それはマイクの妹で、20代半ばの商業デザイナー、ナイナのトラブルに関するものだった。ナイナにはハワード(ハウイー)・ブラマーという投資信託銀行に勤務の婚約者がいたが、そのブラマーが先日、夜間の強盗にあったらしく惨死。だが彼はナイナのもとに、素性不明のヤバそうな? 大金を残していったという。早速、自分もかつて面識のあるナイナに再会し、さらに調査を進めるマッギーだが。 1964年のアメリカ作品。マッギーシリーズの第二弾。 本サイトでは、先行する空さんの御評価が低めで、それではどんなものかな? と思って読み始めてみる。ちなみに評者はこの前後のシリーズ一冊目と三冊目はすでに既読。 ……そうしたら、個人的にはかなり面白かった。 物語前半は、物取り強盗に襲われて死んだらしいブラマー青年の件、謎の大金の件以外さしたる事件性も認められず、正直、地味目な展開を作者持ち前の筆力で読ませている印象。 ちなみに主人公マッギーについて、実は今は死んだ兄がいたが、彼は兄弟で起業しようと考えていたところ、悪人に騙されて金(または会社)を奪われて苦難の末に自殺した、というあまり聞いたことのない逸話もはじめて知った(前後の作品ではこの件、語ってなかったよな?)。マッギーはその後、どうしたんだろう。兄の仇に対して、何らかの形で復讐とかしたんだろうか。 で、後半3分の1くらいになって大きな展開があり、ようやくポケミス裏表紙の場面になる(公平に言うなら、今回のポケミスのあらすじは、後半、かなり話が進んでからのシーンを語った事実そのものはよろしくないにせよ、割とネタバレしないように気を使って書いてある?)。 こんな方向に話が行くのか!? という意味で評者が個人的に想起したのは、スティーブン・キングやクーンツあたりの作品。具体的にどの実作に似てるとかの話ではなく、良い意味で大げさになる話の弾ませ方に近いものを感じた。 以前に本サイトでもtider-tigerさんが、『黄色い恐怖の眼』のレビューでジョン・Dはのちのキングに似た作法である旨のお説を書かれているが、今回は自分も正に近い感慨を得た。 本作の作中でマッギーの年上の友人である社交界の女性コニーがやや軽佻浮薄かつ不謹慎に面白がって語る「まるでフー・マンチューもの世界だわ(主旨)」というのが実にしっくり来た。 怒涛の展開の回収ぶりは、マッギー奮闘のヤマ場を過ぎたら良くも悪くもスムーズにまとめられる感じだが、大事件を終えたあとのエピローグ。その情感たっぷりの余韻がよい。まあ、そうなるんだろうね。でも個人的には(中略)に行く方向も見たかった気もする。 最後にまとめて言うなら、改めて留意しておきたいのは、本作が1960年代半ば、欧米のミステリ界全体がスパイ小説のブームに巻き込まれた時期で、あの私立探偵のシェル・スコットやエド・ヌーンあたりの連中まで、似たようなエスピオナージめいた事件に関わっていたらしい時代の一冊だということ。 本作の内容や事件は国際的な陰謀とかその手のことにはまったく関係ない(これは書いてもいいだろう)が、重要なポイントでちょっとそういう作品がはやった時代らしいものを思わせる要素があり、この長編もそういう時の波のなかで書かれた一作だったという感触がある。 最終的にはしばらくずっと市井の事件屋で過ごしたと思う? マッギーだが、作者ジョン・Dは時代のなかで読者や編集者に向けて、この主人公の活躍はけっこう自由度があるよとシリーズ2冊目で軽く? アピールしたのではないか。そんな風にもちょっと考えたりした。 明らかにシリーズ上の早すぎる変化球だとは思うが、妙に印象に残りそうな佳作~秀作。 あーあと、これマッギーシリーズの日本紹介一冊目だったんだよね(笑)。この事件の派手さは、人目を惹くのには良かったような、シリーズの軸からやや外れたという意味でよろしくなかったような。 |
No.1600 | 6点 | 名も知れぬ牛の血 ノエル・カレフ |
(2022/09/17 07:20登録) (ネタバレなし) 「俺」ことロジェ・ケルディックはフランス系、「奇跡のキッド」の異名をとる26歳のライト級プロボクサーだ。キャリア10年のロジェは、欧州チャンピオンのペーター・ハネッセンを倒して王座につく。ロジェは、美人だが貧しい家の出で現金に強い価値を見出す愛妻エレーヌのために、これまでの拳闘生活で稼いできた貯金の大半2万5千フランを札束に変えて、祝いの席に用意するつもりだった。だがそんな矢先、ロジェは勝利直後の控室で、大人気映画女優ヴァイオレット・アミーといきなり対面して驚愕。ヴァイオレットは言葉少なく、明日の自宅への誘いを残してすぐに退散した。ロジェは妻との約束よりもヴァイオレットとの邂逅を優先して指示されたアパートに赴くが、そこでは予想もしない出来事が待っていた。 1960年のフランス作品。 いかにも観念的な響きのある(そしてどこか厨二的な感じの)邦題が、大昔の少年時代から気になってはいた。それがいつの間にか『ミラクル・キッド』なるシンプルな題名にかわっていたのに気づき、しばらく前に苦笑したものである。 で、そろそろいい加減読もうと思って、半年ほど前に安い古書を入手。評者にとっては『死刑台のエレベーター』に続く二冊目のカレフの作品として読み出したが、なんかアルレーの巻き込まれ型サスペンススリラーみたいで、予期していた以上に分かりやすい筋立てにびっくり。期待していた観念のソースめいた文芸要素はどこへ行った? なお主人公ロジェが自分の分野で十分以上の成功者(美人の愛妻との絆もふくめて)ながら、さらに図にのって、いきなり現れた映画スターの美女に、向こうもスターなら今ではチャンピオンとなったこっちもスターだとばかりの欲目を出してしまう人間臭さは悪くない。奥さんのエレーヌのことは今でも本気で愛しているのに、別腹で情欲を抱いてしまうあたりのホンネぶりが導入部になるのは、ちょっと面白かった。 中盤からの展開は、やや力業なストーリーテリングながら、さらに王道のサスペンススリラーになっていく味わい。完全に体育会系の主人公だが、ちゃんと一応はアタマを使った駆け引きも見せて、自分に害する相手と渡り合う図などには好感がもてる。 でもって、後半~終盤の展開は……ああ、(中略)も含めて、そういうことだったのね、という感じ。結局、思っていたよりストレートでジャンルの枠内に留まった(良くも悪くも)作品であった。 全体の評価としては、佳作、というところか。60年以上前の時代の作品として、とある分野の文化事情が語られるのは(ウソかホントか知らないが)ちょっと興味深くもあった。 ちなみに創元の旧題の方で読んだけど、巻頭のあらすじ~解説の最後の数行はネタバレで余計なこと? を書いてあるので、少なくともソコは読まない方がいいかも。 これも少年時代から気になっていてようやっと読んだ一冊だが、ああ、こういう話だったのねという、いつもの種類の感慨が湧く、そんな中味であった。 |