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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2107件

プロフィール| 書評

No.1747 6点 ベビー・ドール
カーター・ブラウン
(2023/03/15 11:11登録)
(ネタバレなし)
 「おれ」こと、ハリウッドのトラブル・コンサルタント、リック・ホルマンは、映画プロデューサーのアイヴァン・マッシ―から依頼を受ける。仕事の内容は、マッシーお抱えの美人女優トニー・アスターが、人気歌手のラリー・ゴールドと噂があるので事実関係を調査し、場合によっては今後の交際を止めてほしいというものだ。だが双方の人気芸能人には、ハリウッド業界人たちの思惑が絡み合う。そして以前、新婚直後の夫に失踪された経歴のあるトニーには、まだ秘めた人間関係や前身があった? そんななか、ひとりの人物が命を落とすが。

 1964年のクレジット作品で、ミステリ書誌サイト「aga-search」によればホルマンものの長編、第7弾。

 人気スターのスキャンダル騒ぎのコントロールという、ハリウッドものとしてはいかにもありそうな事件を主題にしており、いささか地味な印象。
 人死にも、終盤でちょっと荒れ事が起きるまで、殺人かどうか不明の(読者視点では、たぶんソウナンダロウ)転落死が一件だけと、かなり地味(あ、トニーの夫の失踪事件があるか。でもそっちは……)。

 とはいえ、そのメインヒロインのトニーの従姉妹で、ブロンドの美女リザのキャラクターがなかなか魅力的。
 リザの実母ネイオミは元・大成しなかったコーラスガールで、星一徹風に娘のリザに芸能界での成功の夢を託したものの、リザが音痴と判明したために失望。かわって姪のトニーをステージママならぬステージおばさんとして養育し、人気スターとなる一助に貢献した過去がある。
 で、割を食った形のリザが心に抱えるルサンチマンが、陽性かつエネルギッシュなメインゲストヒロイン像に転化されており、そんな彼女とホルマンとの関係も、一種のラブコメ風に妙にゆかしい。

 今回はこの辺で得点ポイントかと思ったら、殺人事件の真相もちょっとヒネりがきいていてオモシロかった。殺人実行のビジュアルイメージは、少しだけ不気味でこわい……かもしれない。

 事件解決後の、良い意味でウヒャッハーなクロージングも愉快で、ホルマンと仲間たち、楽しそうだな、オイ。
 佳作。


No.1746 6点 過去、現在、そして殺人
ヒュー・ペンティコースト
(2023/03/14 09:04登録)
(ネタバレなし)
 多くのシリーズキャラクターを輩出している割に、日本の読者にあまり(まったく、ではない)馴染みのない作者ペンティコーストの、シリーズものの一本。

 この作者の長編は一本だけ、中短編はそれなりに読んでいるが、本作の主人公のアマチュア探偵で、中規模の広告代理店ほかエージェント業の代表ジュリアン・クィストとはたぶん、今回、初めて出会った。

 向こうでは相当数のシリーズが出ているレギュラー探偵らしいが、その辺の有難味が正直、よくわからない。
 たぶん日本ミステリに関心のある欧米のマニアに、十津川警部ものの佳作~秀作をいきなり一本だけ英訳して読ませるようなものであろう。
 作品個体の出来不出来とは別のところで、送り手と読者のなじみきったレギュラー探偵の事件簿の一編として味わうのがまず前提という感じの、そんな作風であった。

 謎解き&行動派ミステリとしての長所や短所はすでに大方、nukkamさんが語ってくださった(たしかに犯人は当てやすい)。 
 あえて評者なりに付け加えるなら、事件の根っことなった地方都市ウットフィールドを舞台に、謎の犯罪者を憎んで狩ろうとする地元住民たちの熱気がじわじわと高まっていく断片的な描写は、ちょっとクイーンの『ガラスの村』かアイリッシュの『死刑執行人のセレナーデ』みたいな感じの独特の趣がある。
 
 日本でいうなら、前述の西村京太郎か佐野洋あたりの佳作といった触感。一冊読んでどうのこうのいう作品ではないが、そんなに高い期待値でないのなら、そこそこ楽しめる。
 あと小説的には、6年前に奥さんを殺され、本人も半身不随になった老政治家の、日々の痛ましい描写が胸に応えた。この辺りだけは、軽佻浮薄にエンターテインメントとしてだけ読むわけにはいかなかったというか。

 しかしペンティコーストってのも、長年日本の古参ミステリファン(海外ミステリは原書は読まず翻訳だけ読む評者のようなヒト)に親しまれてる割に、イマイチ作家性の掴みどころのない作家だ。
 読んだ長短編、どれもおおむねそれなり~そこそこは面白い印象があるけれど、これ、という機軸の作風やシリーズが定まらないからだろうね。
(あ、そんな観測をしてるのは、オレだけか?)


No.1745 6点 死を開く扉
高木彬光
(2023/03/13 07:07登録)
(ネタバレなし)
 昭和32年の夏。推理作家の松下研三は福井県小浜に避暑旅行し、同地に在住する東大時代の旧友で開業医の福原保の家にやっかいになる。そこで松下は福原から、インターンの若者でミステリマニアの柿原雄次郎を紹介された。さらに福原は、近隣に住む財産家で、四次元の世界に傾注し、外に何もない二階の壁に扉をこしらえた風変わりな「四次元の男」こと、林百竹の噂を語った。そしてその直後、くだんの林家で、謎の密室殺人が発生する。

 トリック自体はかなり有名で、何十年も前から知っていた。たしか小林信彦か誰かが知識自慢し、ミステリとは必ずしも関係ないジャンルのフィクションの中で同一のギミックが使われていたので、その類似を指摘し、ネタバレするという罪深いアホなことをしていたのだと記憶する。
(ちなみに現在、Twitterで本書の題名を検索すると、トリックの関連性のある&あるらしい? 別作品の題名を羅列し、得意になっている××がひとりいるので、注意のこと。)

 トリックだけの作品、という評価には特に異論はないが、昭和の時代に先行して誕生した新本格パズラーみたいな全体の雰囲気は、けっこう楽しい。
 犯人については、こういう文芸なら誰でもいいんじゃないかとも思ったが、一応の伏線は張ってあるのか? まあ必然的にそうなるというよりは、蓋然性でそういうことになってもよいのだろう、程度の絞り込みだが。

 松下研三がいきなり? 結婚していて軽く驚いたが、『白妖鬼』で付き合っていたガールフレンドとは名前が違うので、そっちとは別れたのち、こっちの奥さんとくっついたということになるのか。どっかでシャーロッキアン的な研究とかも読んでみたい。


No.1744 7点 飾窓の女
J・H・ウォーリス
(2023/03/12 10:46登録)
(ネタバレなし)
 1940年代初め(?)のニューヨーク。地元のゴサム大学の英文学助教授で、56歳のリチャード・ウオンレイは、妻アデールが旅行中ということで、羽根を伸ばしていた。そんなウオンレイは夜の街角のショーウィンドウの中の美人の肖像画に目を奪われるが、気が付くと脇に絵画にそっくりな、30代前半の金髪の美女がいた。ウオンレイは、商売女らしい美女「マリー・スミス」(本名アリス・リート)に誘われるままに彼女の自宅の部屋を訪問。そのまま初めての浮気を楽しむが、そこに猛々しい振舞いの中年男が乱入してきた。女を奪ったとウオンレイを殺しかける相手に、彼はやむなく応戦。正当防衛で殺してしまうが、ウオンレイはその命を奪った男が、ニューヨークでも高名な200億ドルの資産を持つ大実業家クロード・マザードだと気づいた。

 1942年のアメリカ作品。
 先日、『キング・コング』のノベライズを読んだ際に、そういえばこっちのウォーリス(ウォーレス?)は、まだ本サイトにもレビューがないなあ、大昔の少年時代に古書で買ったポケミスの初版で一度読んでいるが、再読してみようか、と思う。
 結局、書庫の蔵書がすぐ見つからないので、図書館にあった95年のポケミス第三版を借りてきた(巻頭に、初版の書面をもとに、新規に写真製版しましたとのお断りがある)。

 ちなみに、有名なフリッツ・ラングの映画版は未見。ただし「探偵倶楽部」か「宝石」だかに誌上フィルムストーリー記事があり、それはやはり大昔に読んだような記憶はある。まあもちろん、まったくその映画記事の内容も忘れているが。

 巻末の解説で乱歩は結構、賞賛。この時点での従来の倒叙、もしくは犯罪者が主人公のミステリは基本、自覚的に犯人が計画犯罪を行なうのに対し、本作は主人公が正当防衛で殺人、しかし娼婦のもとにいたという事実の発覚を恐れ、社会的な立場や妻への対面などから自首もできない、というリアリティが新鮮だとホメている。

 もちろん、21世紀の現在に至るまでの東西のミステリの系譜からすれば、特に別段珍しい趣向でも設定でもないが、この時期、1940年代ならそんなものだったのかな、とも思ったりする。いやそれでも何かまだ前例・先例があったような気もするが、う~ん。

 とはいえ、自分の弾み行為も踏まえてあっという間に人生の奈落に落ちてしまった主人公が、このあとの逆境を逃れようとあがきまくる図は、かなりのサスペンスとスリル感でいっぱい。
 ほっとひと息ついたら、また即座に次のピンチが生じるクライシスの波状攻撃は、なかなかテンションが高い。
 後半、いささか強引……かもしれない? という箇所は、主人公の判断において一件あったが、まあぎりぎりセーフ。

 きわめて正統派、王道のクライムストーリー、広義の巻き込まれ型スリラーで、その直球ぶりは21世紀のいまとなってはさすがに古めかしい? 部分もあるが、克明で丁寧なサスペンス叙述の積み重ねは結構な読みごたえがあった。
 クロージングがどういう方向になるかは、もちろんここでは言わない。

 しかし再読するまでは、(映画も観てないこともあって)題名の「飾窓」って都会の街灯のショーウィンドウのことじゃなく、アムステルダムの娼館の方の意味だろうと勘違いしてた。まあ、メインヒロインのアリスは中~上ランクの街娼だから、そっちに通ずるタイトリングでもあるんだけどね。

 ちなみに本作の原書のもともとの題名は「Once off Guard」(一度でも気をゆるせば)だったようだが、映画化の際に邦題通りの「(飾)窓の女」に原書のタイトルも変更されたらしい。映画化の際に一種のメデイアミックス効果で題名を変えることに際しての、当時まだそういう事例が珍しかった? のであろう、ポケミス巻末の乱歩の述懐が、評者なんかには、ちょっと興味深かったりする。


No.1743 8点 #真相をお話しします
結城真一郎
(2023/03/11 10:55登録)
(ネタバレなし)
 あの食えない長編『救国ゲーム』の作者で、しかもその下馬評の高さから、どんだけ破格のものを読まされるかと思っていたが、各編とも普通の(?)短編ミステリであった。ちょっと安心。

 中~高レベルの作品がそろい踏みで、評点は7点の上かなと思いきや、最後の「#拡散希望」が真相の強烈さ、細部の詰め方のうまさ、そしてクロージングの締め方で頭ひとつ抜けている。
 収録作のどれかが、日本推理作家協会の短編賞なんだよなとは、うっすら覚えていたが、一冊読了後に、やっぱこれ(「#拡散希望」)か、と確認して納得。

 二年に一冊ぐらいの割合で、このレベルの短編集を読ませてもらえたら幸福である。


No.1742 6点 キング・コング
エドガー・ウォーレス&メリアン・C・クーパー
(2023/03/07 06:31登録)
(ネタバレなし)
 1930年代前半(おそらく)のニューヨーク。2年前にさる筋から、海図にも載っていない東インド洋の孤島の秘境の存在を知った映画監督カール・デナムは、知り合いの老船長エングルホーンと二十数人の船員とともに、船舶「漂流者(ワンダラー)号」でその島に向かう。デナムは出航直前に、掘り出し物の新人女優の美女アン・ダーロウと契約。持ち前の勘から、彼女を活かしたヒット作を目的の島で製作できると予想していた。だが一行は、そこで信じられないような太古の世界と、そして野獣の王者「コング」に遭遇する。

 1933年のオブライエン版、白黒版の公式ノベライズ。原書は同年に刊行。
 評者は今回、創元文庫版で読了(数か月前に、ブックオフの100円棚で美本を入手)。

 この旧作映画の公式ノベライズの著者名は、映画プロデューサーのクーパーとストーリーの原案を考えたウォーレスの連名で表記されているが、実際に小説を書いたのは、当時の雑誌編集者で作家のデロス・W・ラヴレースなる人物らしい。

 モノクロ版『コング』は(映画製作の過程において昔も今もよくあることだが)、原案→脚本→ストーリーボード(絵コンテ)と、話の細部に異同が生じており、小説版は原案と脚本をベースに書かれたようである。
 実際に読んでみると映画と大筋は一応は同じだが、いわゆる髑髏島での冒険行、コングと恐竜たちとの死闘図がかなり長尺で、一方でニューヨークに来てからの描写はコンパクト。

 まあ評者も、映画そのものは数回観てるとはいえ、21世紀になってからは全編を通してはマトモに視聴していないハズなので、厳密に映画とノベライズの比較はできない。
 ただし創元文庫の巻末で、(旧版からの再録もふくめて)訳者の石上三登志が丁寧に解説しているとおり、映画にはあるがノベライズにはない、またはその逆のシーンもそれなりにある。その辺が読みどころで楽しみどころ。
 たとえばここでは具体的には書かないが、ああ、映画のあのキャラクターには、当初、こういう設定や素性が構想されていたのか? と興味を惹かれるところなどもあった(もちろん、ノベライズ担当の方でまったくのオリジナルで潤色した可能性もなきにしもあらず、だが)。

 なんにしろ一冊読み通すと、たしかにコングという主役怪獣への関心よりも、太古の恐竜が跋扈するロストワールド世界への憧憬の念の方が頭をもたげてくる。

 石上の文学史観においても、ロストワールド恐竜もの文学の先駆はヴェルヌの『地底旅行』であり、ドイルの『失われた世界』だそうだから、やっぱりまずはそっちから読んだ方がいいな。そういう方向への関心、興味を改めて強く押される一冊でもある。


No.1741 6点 恋と呪いとセカイを滅ぼす怪獣の話
さがら総
(2023/03/05 18:05登録)
(ネタバレなし)
 十数年前に太平洋に落ちた隕石の影響で、各地に特殊な能力を持つ子供たちが出生。やがてそんな子供たちは、房総半島から南に200海里の位置にある火山島、通称「星堕ち島」に設立された学園に集められた。その中のひとりで「俺」こと、人間の感情をコントロールできる17歳の御蔵真久良(みくら まくら)とその学友たちは、ある日、東京から一人の転校生を迎える。

 TVアニメ化もされた人気ラノベ『変態王子と笑わない猫。』の作者、さがら総による、昨年2022年の新刊で青春SF特殊設定ミステリ(?)。
 評者は『変態王子』は原作にもアニメにも今のところ縁がないし、実をいうと本書を読んでから、ああ、この作品の著者って、あのさがら先生だったのね、と意識したくらいである。

 題名に「怪獣」とあり、SF設定みたいなので、ガチな怪獣SFパニックもの+青春ミステリという変化球作品かと期待して読み出したが(はあ)、カイジューというのは、ほとんど作中のある事象というか概念の比喩であった。
 実際の中身は、いわゆるセカイ系のラノベだと思う。

 十人にも満たない登場人物、ほぼ全員がメインキャラのなかで大きな章ごとに話者が交代。全体に大きな(中略)という作りで、その大技は、20世紀の某、マイナーな(たぶん)技巧派長編ミステリを想起させた。
 ただしミステリ的なギミックをかなり大きな比重で活用しながら、作者の主眼は技巧的なミステリを組み立てるというよりは、それすらもパーツにした、やはりセカイ系の青春ラノベを紡ぐことにあるようで。

 もちろんそれはそれで作者の思惑だし、自由な狙いだが、このネタでもっときちんとしたミステリっぽい形にしてほしかった、という受け手のないものねだりの気分も生じる。
 まあ、このネタ自体も、おそらくは以前からどこかにあるもののバリエーションなのであろうが、それなりにインパクトは感じた。
 セカイ系青春小説と、技巧的なミステリ、その双方の側面によい距離感を見出した読者なら高い評価は与えそうで、実際、ネットではそういう主旨の賛辞の評も多いようである。
 評者個人の評点はとりあえずこんなもんだが、読んでおいて良かったとは思う。

 最後に、本作は刊行後、部分的に他作品からの剽窃? が発覚し(詳しいことは不明だが、地の文の一部を流用したらしい)、出版社の方で回収騒ぎになっているらしい。これも読後にネットで感想を眺めているうちに初めて知った。
 作品の大枠、根幹の部分はおそらく、純粋に作者のオリジナルであろうに、つまらない? 瑕疵がついてしまった形で、一見の読者ながら、いささかもったいないと思う。


No.1740 8点 黒真珠 恋愛推理レアコレクション
連城三紀彦
(2023/03/03 18:39登録)
(ネタバレなし)
 早くも今年で没後10年になる作者だが、連城研究家として知られる浅木原忍が全体を監修、作品のセレクトにも関わったらしい。
 これまで書籍化されてない短編、ショートショートが全部で24編も残っていたそうだが、その中から厳選で14編、出来の良いのを選抜して一冊にしてある。

 おそらく、これが連城の最後の新刊! という謳い文句に煽られてウハウハ気分で読んだが、なるほど、期待以上に面白い。
 巻頭に近い初期編などほとんどヘンリー・スレッサーの趣で、さらにページ数50頁前後の長めの作品から、いかにも連城作品らしい、あの独特の乾いたような湿ったような作風がうち出されてくる。

 最後の方のショートショートのなかには、いささか歯切れの悪いものもあるが、一冊まるごと総じて楽しめる。
 ひょっとしてこの人、短編の方が長編よりも良かったのではなかろうか。
(実際のところたぶんそうなのではないかと思うのだが、評者の場合、生前の著作全般に長いスパンで付き合った訳ではないので、そう言い切れるかどうか、ちょっとデリケートな面もある。)


No.1739 8点 影と踊る日
神護かずみ
(2023/03/03 08:18登録)
(ネタバレなし)
 新潟県警生活安全課の巡査部長で29歳の女性警官、鈴山澪は、地元の報道番組「夕方情報ワイド」の防犯コーナーに出演。なりすまし詐偽の対策を啓蒙する婦警として人気を集めていた。そんななか、番組の共演者で防犯、詐偽被害者市民グループの代表で80歳の老婆、山野麻子が突然、本番中に激情を高ぶらせる。一方、澪と知り合いの、人命救助に貢献した26歳の青年・沢田一平が行方不明になるが。

 乱歩賞を受賞した作者の、三冊目の長編ミステリ。
 新刊が出てることに少し前に気づいて、読み始める。

 なんだ主人公は、前二作のトラブルシューター、西澤奈美じゃないのかと、ちょっと残念だったが、本作の主人公、鈴山澪もなかなかキャラクターの造形がいい。
 さすがは女戦士萌えを自認する、作者だけのことはある。

 ネタバレにならない限りに語るなら、全編を貫く主題は、まぎれもなく「善とも悪ともつかぬ人間の二面性」であり、そんな文芸テーマに沿った登場人物それぞれの叙述が実に面白かった。
 その辺は主人公の澪自身も例外ではないが、そういった主題をときにミステリ的なサプライズとして呈し、ときに泣かせの小説的な旨味として語る作者の手際はとてもいい。
(作中のリアルでいえば、この登場人物にソコまで、できたのかな、と思わされる部分がまったく無きにしもあらずではあるが。)
 あ、とはいえ二人だけ、まったく裏表のないキャラクターがいたな。でもそれがまた……(以下略)。

 よくある、キャラクターものの警察小説の大海のなかに沈んでしまいそうな作品、という面もある(言い換えれば、良くも悪くも、記号的に特化したものは少ない)のだが、単品のポリスものとしては、十分に面白かった。
 作者は、ミステリ執筆に本格的に舵を切ってから、一冊ずつ、レベルアップしていく感じがある。たぶん。

 西澤奈美のキャラクターがそれなり以上に好きな身としては彼女の今後の再登場も望むけれど、こっちの主人公、澪の方もシリーズ化してほしいのお。
(特にあの、悪役令嬢というか意地悪お嬢様風のキャラは、次作でもっと掘り下げてほしい。作者もたぶん、好きそうな気配がある。)


No.1738 7点 罪の壁
ウインストン・グレアム
(2023/03/02 07:11登録)
(ネタバレなし)
「僕」ことフィリップ・ターナーは、カリフォルニアの航空機メーカーに勤務する30歳の英国青年。だが母国の長兄アーノルドから連絡があり、次兄で元物理学者、今は考古学者のグレヴィルが、アムステルダムで死亡したと知る。自殺の可能性が大と見なされたグレヴィルの死だが、その見解に疑念と不審が拭えないフィリップは、兄の学術調査仲間だった男ジャック・バッキンガムを探そうとするが、所在不明だ。フィリップはバッキンガムと知己という元軍人マーティン・コクソン中佐とともにアムステルダムに向かうが。

 1955年の英国作品。CWA最優秀長編賞(のちのゴールデンダガー賞)の第一回を取った作品で、昨年の歳末に出た2022年度翻訳ミステリの最後の方の目玉作品群のひとつであったが、ようやく読めた。
 物語の前半から、かなり明確なベクトルのストーリー(兄の死の真相を追う弟主人公)が築かれる。
 翻訳も良い意味で現代調に振り切った感じで非常に読みやすいが、中盤からの展開がいささか冗長。さっさと次の行動に移ればよい主人公フィリップの言動がかなり足踏み状態で、正直、眠気を誘った。

 しかし、最後の約100頁、物語の真相というか事件の骨格が見えてくるとその辺の不満を吹き飛ばすように面白くなり、最後はミステリとしてのポイントを押さえながらも、小説として練り上げて決めたな、という感慨にまで至る。
 雰囲気でいえば、旧クライムクラブの上の下か中の上といった感じ。実際、同叢書の中の某作品のニュアンスを想起したりもした(こう書いても、120%ネタバレにはならないと信じるが)。
 
 まあ21世紀に鳴り物入りで発掘するんじゃなく、リアルタイムかソレに近い1950~60年代に邦訳が出て、じわじわと読んだミステリファンが増えていってくれていた方がよかったタイプの作品だとも思うものの、それは無いものねだり。
 むしろ本作をふくめて旧作発掘路線に本腰を入れてくれている新潮文庫に感謝、感謝、感謝の念。
 
 繰り返すが、中盤はかったるかったよ。
 でも、終盤の盛り上がりは実に良かったのだ。人間描写に深みと味のある作品だと思う。
 どのくらい、他の人の共感を得られるかは知らんが(笑)。

【2023年3月3日追記】
 SRの会の年間新刊リストを見たら、本書は奥付が1月1日ということで(実売は師走の下旬だったが)、SR内でのカテゴライズでも2023年の新刊扱いということになったようである。あらら。


No.1737 6点 われら闇より天を見る
クリス・ウィタカー
(2023/03/01 07:55登録)
(ネタバレなし)
 2005年。米国カリフォルニア州の地方の町ケープ・ヘイブン。そこに、30年間服役していた45歳の男性ヴィンセント(ヴィン)・キングが、帰ってくる。ヴィンセントは30年前に、ガールフレンドのスター・ラドリーの当時7歳の妹シシーを死なせてしまい、10年間服役の判決を受けたが、刑務所(矯正施設)内で重罪を起こし、収監期間を長大に延ばされていた。そんなヴィンセントを、今はわずか3名の地方警察署の署長となったかつての友人ウォーカー(ウォーク)が迎え、そしてその帰還をラドリー家の面々が注視するが。

 2020年の英国作品。
 昨年2022年の翻訳ミステリのなかでは確実に話題作の一角だったはずで、SRの会のベスト投票が迫るなか、なんとかギリギリ読んでおこうと二日かけて読了。
 ただ、個人的には、う~ん……。
 日本アニメーション「世界名作劇場」版の『小公女セーラ』みたいで、恣意的に登場人物を逆境に追い込む話の作りが、いまひとつ受け入れにくかった。
 まあ、送り手がほくそ笑んだり、ニヤニヤ笑いながらメインキャラをイジめている雰囲気はないので、その辺に関する限りは良いのだがよいのだが、なんつーか、全体的に、昭和40年代の小学館の学習雑誌の谷ゆき子の漫画みたいで

編集者「まあ先生、これは悲しいお話ですね」
作者「ええ、私も書いていて、自分で涙が出てしまったんです(よよよよよ……)」
 という印象である。

 力作……なんだろうけれど、読むのに相当、エネルギーを使った。
 でもって、トータルとして、そこまでパワー使ったのに見合う充実感かといえば、絶対にそーでもない。

 好きなキャラクターはなあ……後半、主人公の姉弟のために精一杯尽力してくれた、ベテラン中年ケースワーカーのシェリーだなあ。このヒトだけは、本気で泣いた(あ、厳密には、泣かされたのはこの人「だけ」ではなかったか)。

 イヤミや皮肉でなく、読んでズッポリとシンクロされる方がいるというのなら、それは大変、結構なことだと思います。 


No.1736 6点 最後の鑑定人
岩井圭也
(2023/02/22 21:53登録)
(ネタバレなし)
 警察の沿革組織である科学捜査研究所を訳あって7年前に退職した「科捜研のエース」土門誠は、今は民間の科学鑑定所を開設。たった一人の文系の女性をスタッフに、それでも警視庁などから重要事件の証拠や関連情報の解析を頼まれる「最後の鑑定人」として職務をこなしていた。そしてそんなある日--。

 初読みの作者だが、伊岡瞬のホメl言葉ほか評判が良いようなので手にしてみる。
 内容はいわゆる専門技術職のお仕事プロワークもので、全4編の連作中編を収録。最後のエピソードが主人公、土門の辞職の事情にからむ、とりあえず連作のまとめ譚でそういう意味では広義の長編ともいえる作り。
 ミステリというよりは、善と悪の狭間に立った人間ひとりひとりがどう処すべきか、そして目前の相手がそうだと知ったときにどうすべきかの主題を語った小説として読みごたえがあった。
(ただ第四話の事件の形成の事情など、妙なリアリティがあってちょっと面白い。そんなに大したネタでもないが。)

 科学的客観性において首根っこを掴まれ、次第にグウの音も出なくなる犯罪者という図は結構サディスティックな感じもあるが、そんな冷徹な作劇の構造に惹かれる面もある。
 そうほいほい出さなくてもいいから、また本シリーズの続刊をいつか読みたいともおもう。

 評点は6点だけど、悪い数字じゃない。


No.1735 8点 祈りも涙も忘れていた
伊兼源太郎
(2023/02/21 16:26登録)
(ネタバレなし)
 2020年代のはじめ。「私」こと警察組織の要職で40代後半の甲斐彰太郎は、かつて自分がⅤ県でキャリア組として捜査一課の管理官であり、ノンキャリアの現場刑事たちを指揮した2002年からの事を思い出す。それは――。

 2020年9月から2022年5月にかけてミステリマガジンに連載された長編を加筆修正の上、書籍化したもの。 
 作者は2013年に横溝賞を受賞してデビューし、すでに10年近い作家歴があるそうだが、評者が読むのはこれが初めて。本サイトにもこれまで作者の登録もなかった。
 
 帯や表紙周りのいろいろな推薦文、それにいかにも昭和国産ハードボイルドミステリっぽいタイトルに気をそそられて読んでみたが、読みごたえはかなりのものだった。
 本文400ページの紙幅で、しかりした文章は結構なボリュームがあるが、それでも全体の3分の1を読んだところで、これは最後まで頑張っていっきに読みたいな、という種類の手ごたえを実感。4時間前後で読了した。

 ひとつの事件が解決しないうちにさらにまた次の事件に連鎖し、ストーリーが複雑化してゆくあたりは、後期ロスマクなどさえ思わせるが、うまいと思えたのはそういう作りのため自然と登場人物の総数はべらぼうになるものの、あくまで主要、準主要なキャラクターのみにネーミングを与え、ほかは簡略化した記号的な情報で済ませていること。いかにも21世紀の長編ミステリらしい器用さを感じた。
 その上で、キャラクターひとりひとりに味があり、特に自分の職責における立場的な若さ(26歳で30~50代のベテラン捜査陣を仕切る)を自覚しながら、酸いも甘いもかみ分けた指揮官たらんとする主人公・甲斐の描写がとてもいい。たぶん自分が昨年の新刊で出会った国産ミステリの中では、五本の指に入る、好きになれる主役キャラだろう。

 弱点は、のちのち、ある種のキャラクターシフトが悪い意味で頻繁化してしまうことで、その辺にはいろいろと思うことがあった。とはいえ一方でその辺にも作者は、リアリティを損なわない自然な形で多くの登場人物を作中に配置し、読み手の側に生じがちな不満を希釈する作法を行なっている気配もあるので、単純に謗る訳にもいかないかもしれない。
 いろいろと作りこまれた作品ではある。
 
 ほぼ全編を、現在形のプロローグとエピローグで挟む構成にしたのは、物語のリリシズムをその辺に固めておきたいと思った作者のこれもまた戦略かなと思うが、それでも20年前の事件を語る本筋のドラマのなかの随所に自然となんともいえないペーソス感がにじみ出ている。その辺もまた、適度なユーモアや全編を彩る苦みとのバランスにおいてとてもいい。

 昨年の国内の新刊はこれで通算80冊以上読んではいるが、マイベスト10には入れたいと思う優秀作。


No.1734 5点 平成古書奇談
横田順彌
(2023/02/20 20:07登録)
(ネタバレなし)

「僕」こと、小説家志望で、現在はフリーライターの25歳、馬場浩一は、創作の資料を求めて、学芸大学駅の周辺にある古書店「野沢書店」を訪れる。脱サラして古書店を営む主人、野沢氏の蘊蓄はいつも興味深いが、もう一つ、浩一が同店に通う理由は次女で女子大生のガールフレンド、令子に会うためだ。そんな彼らの周囲で、またも古書に関する奇妙な事件が。

 小学館の季刊小説誌「文芸ポスト」に2000年から02年にかけて連載された、9本の連作短編を初めて書籍化。
 「文芸ポスト」の編集部には機動力がなかったのか、あるいは当時の小学館の書籍企画営業の動きが緩慢だったのか、同誌には山田正紀の長編ミステリほか、まだ雑誌掲載のまま単行本化されてない作品がいくつか眠っているらしい。

 いつぞや読んだ、同じ作者の『古書狩り』同様の古書収集の世界を主題にした短編集だが、向こうがノンシリーズ編の集成だったのに対し、こちらはレギュラー登場人物が固定されている完全な連作もの。ただし、内容の自由度は向こうに負けず劣らずで、SF、ホラー、幻想譚、非スーパーナチュラルな古書界の秘話もの……と幅広いストーリーを見せる。
 巻末の解説で日下センセイがおっしゃるほど「傑作」だとはとうてい思えないし、もしヨコジュンのネームバリュー無しに、無名の新人作家がこれを書いていたら、たぶん活字にすらしてもらえなかったんじゃないの? と思いたくなるような出来なのもある。
 それでもサクサク読めるのは、まあよろしい。その程度にはソコソコ楽しめる、一冊ということで。


No.1733 6点 七つの裏切り
ポール・ケイン
(2023/02/20 16:16登録)
(ネタバレなし)
 登場人物の内面描写いっさいなし、ひとつひとつの叙述は明快ながら、なぜそこでその展開が? がすぐに呑み込めないのが当たり前なほど、ポンポンと、あくまでカメラアイ視点で、作中人物の言動を読者に放り投げてくる作品ばっかり。
 なるほどこれは……(汗)。

 これが本物のハードボイルド小説というのなら、今までオレが読んできた、たぶん数百冊以上の作品は、みんなハードボイルドミステリっぽいキャラクター小説でしかない、と思い知らされる(え!?)。

 木村二郎さんの解説がまた絶妙というか、要は、
・こういう作風ゆえにストーリーはわかりにくい
・複雑な物語を簡潔な文体で語り
・読んだだけで自慢? できる
 ……などなどの主旨? の予防線? 張りまくり。
 まあ、この解説文は、端的に作者の個性&作風を語りきっているとは思う。

 評者は、人物一覧メモを作るのは基本的に長編ばっかで、短編は名前や情報の書き出しをやらないんだけど、本書はこれはもうムリだ、と3作目から書き始め、おかげでいくらか、ほんのいくらか読むのが楽になった。 
 一番わかりやすいのは、その3本目の「パーラー・トリック」。まあ短いしな。
 ドライブ感を含めてそれなりに面白い? と思えたのは最後の「鳩の血」「パイナップルが爆発」の2編。

 評者は 『裏切りの街』は、十何年も買ったまま未読なのだが、そちらも気構えが要りそう? 
 まあ、なんのかんのいっても小説で、エンターテインメントだけどな。


No.1732 7点 夏休みの空欄探し
似鳥鶏
(2023/02/19 07:59登録)
(ネタバレなし)
 あとがきで、作者にとって初めて「青春小説」を意識して書いた作品とある。
 それだけ切り取って聞くと、えー、ウソでしょ、これまでいくつかそういうのあるじゃん、という感じだが、これに関しては今回はそこまで本気度の高いもの、ということで了解できる。そんなタイプの作品。

 おっさんも十分に楽しませてもらったが、やはりこれはリアルタイムで若い人、せいぜい二十代半ばくらいまでの読者が読んでおいた方が心に刺さるだろう。これからそういう出会いができる方が、ちょっとうらやましい。


No.1731 7点 二重らせんのスイッチ
辻堂ゆめ
(2023/02/18 06:38登録)
(ネタバレなし)
 21世紀のしょうゆ味風に仕立てたアンドリュー・ガーヴというか、これでもかこれでもかの二転三転のツイストぶりにハドリー・チェイスの影を感じるというか。

 いずれにしろ、どことなく全体に、50~60年代の英国技巧派サスペンスの趣がある作品。
 その意味で、期待以上に楽しめた。

 大ネタが早々と明かされるのも、ソノ後に勝負所をもってきた作者の確信行為以外の何ものでもないでしょう。
 最後まで読むと小説としての仕上げには、ちょっとだけ照れるというか、本当にごくうっすらと苦笑したくなるところもあるけれど、それでも色々と工夫を凝らした秀作だとは思う。


No.1730 5点 マーダー・ミステリ・ブッククラブ
C・A・ラーマー
(2023/02/17 08:15登録)
(ネタバレなし)
 作品そのものは結構、面白かった。
 特に、終盤で明かされる、仕掛け人側の戦略にからむある真相(詳しくはナイショ)に、ニヤリ。

 しかし腹が立ったのは、作中で特にほとんど本筋に関係なく、アイラ・レヴィンの『ステップフォードの妻たち』の話題が登場人物たちの口頭に上るのだが、そこで大きなお世話で、わざわざ翻訳での訳注らしい記述で、そのレヴィンの物語の秘められた真相は×××……とネタバレで明かしていること(評者はまだ未読である)。

 ちなみに翻訳者は訳者あとがきで、実は私もミステリファンで読書会もしているのです、とかホザいている。
 ✖でもくらえ!
 この訳者の本は、今後、要注意である。
(担当編集の責任も、あるかもしれんが。)


No.1729 7点 秘境駅のクローズド・サークル
鵜林伸也
(2023/02/16 18:19登録)
(ネタバレなし)
 5編それぞれが楽しかった。
 作風も形質もまったく違うんだけれど、連城の『変調二人羽織』辺りの初期の作品をリアルタイムの「幻影城」で読んでいたころの感触に通ずる楽しさ、そして若い作家のフレッシュさを認めた。
 ベスト編を選びたいとも思ったが、なかなかこれ一本に決められない。
 
 ネタの仕上げの面白さで「ボール」、趣向の面白さと推理の持っていき方で「ベッド」、シチュエーション(ロケーション)の魅力で表題作か。残りの二編も、ともにくっきりした魅力がある。


No.1728 9点 このやさしき大地
ウィリアム・ケント・クルーガー
(2023/02/16 18:03登録)
(ネタバレなし)
 大恐慌の災禍に全米がさらされた1932年。ミネソタのネイティブアメリカン専門の孤児院「リンカーン救護院」には、特別に二人だけ白人の兄弟がいた。その弟の方で「ぼく」こと12歳のオディ・オバニオンは、16歳の兄アルバート、スー族の友人モーゼズ(モーズ)そして6歳の少女エアライン(エミー)・フロストとともに、「黒い魔女」ことセルマ・ブリックマン院長が恐怖で治める救護院からの脱走を図るが、そんな4人の前には多くの人々との出会いと別れが待っていた。

 2019年のアメリカ作品。
 作者クルーガーの著作はこれが初めての出会いで、すでに紹介されているシリーズものなども全く知らない一見の読者の評者だが、非常に面白く、そして強い感銘を受け取りながら読了した。昨年2022年度の翻訳ミステリで自分が読んだ作品の中では、『真珠湾の冬』とともに、これが現時点でのトップ2だ。

 作者の当初の構想は『ハックルベリー・フィンの冒険』だったというが、正にその通り、主人公たち4人の旅路の軌跡は大河を下って、兄弟の縁者がいるはずのセントポールに向かうもの。その道中で実に多くの起伏に富んだ挿話が用意され、そのひとつひとつが絶妙に面白い。
 登場人物も良い意味で何ら臆することもなく、ほぼ聖人といえる善人(それでもどこかダメ意味での人間味がある)から極悪人(こちらもまた、非常に奥深い部分にではあるが、一端の同情の余地がある~それでもやっている非道の肯定はまったくできないのだが)まで惜しげなくお話を紡ぐために導入し、そんな極端ともいえるふり幅の中で、悪い人かと思ったらそうでもなかった、またはその逆、などの反転が実に効果を上げている。

 二段組で480ページ弱。最初の100頁あたりで、これはもう最後まで一気読みだなと予見し、その通りになった。翻訳も良いのだろうが、全体の美文調の文章もとても味わい深い。
 なお、およそ80年前のアメリカの一角を舞台にした作品だが、その後、この本で語られた主軸の物語の時代から、21世紀の現在に至るまでの現実の世相の推移を展望すると、さらにいろんなものが見えてくるような気もする。そういう感興を読む者の心に求めて託す、作品でもある。優秀作。

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