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ミステリの祭典

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tider-tigerさんの登録情報
平均点:6.71点 書評数:369件

プロフィール| 書評

No.249 8点 本陣殺人事件
横溝正史
(2019/01/14 00:37登録)
今年のミステリ読み初めは超有名作の再読でした。やはり面白い。ですが、再読してまず驚いたのはなんか文章がギクシャクしているような、こんなんだったっけ?

ミステリを研究し、なにか新しいことができないかと模索し、なのに時代のせいでミステリを書くことができず、それゆえの渇望があって、ようやっと時代の頸木から解放された喜びに溢れております。
「喜びに溢れて書いたものが新婚初夜の夫婦が血まみれになる話かよ」というツッコミはさておき、サービス精神旺盛なストーリーテラーにして怪奇と耽美を紡ぎ出すことも忘れない横溝御大は素晴らしい。
物語としては後年にもっと面白いものが出てきますが、ミステリとしてはこれが一番好きです。実にいろいろな要素が詰め込まれています。結果的には犯人の行動にやたらと無駄が多いことに気付きますが、読んでいる最中はその無駄が無性に面白い。
横溝御大の作品に往々に見られる欠点、御都合主義がいくつかあり、冷静に考えるとバカな話にも思えます。こんなところまでカーの真似をしなくてもいいだろうに。
作中人物にもなにやってんだおまえと言いたくなる場面がけっこうあります。
警察官をこき使う金田一とか、山から××を拾ってくる犯人とか……etc
ただ、動機に関しては、私の判定は「問題なし」です。
鈴子押しの方が多いのはわかります。自分も好きです。
さらに銀造がけっこう渋くていい感じ。
それから、三郎はちょっと調子に乗り過ぎ。

『宝石』の編集長を務めることになった城昌幸におまえの原稿が欲しいと請われて連載されることになった作品だそうで、連載一回目は『妖琴殺人事件』なるタイトルだったそうです。のちに横溝御大が『本陣殺人事件』への変更を求めたそうです。
妖琴殺人事件の方がキャッチーでありましょう。
ただ、琴は作品の彩ではありますが、事件に使われた小道具に過ぎません。事件の本質を見事に一語で置き換えている本陣こそがタイトルに相応しいと思います。 
ちなみに自分は小学生の頃に横溝正史の名を知りました。推理クイズの本で横溝正史が紹介されていたのです。その本では横溝の代表作として『本陣殺人事件』『獄門島』『犬神家の一族』が挙げられておりました(確かこの三作だったはず)。作品名のみで説明は一切なし。
小学生だった自分は本陣とはいくさの時に大将がいる場所と認識していたので、ずいぶん長いこと戦場で殺人事件が起こる話だと思いこんでおりました。


以下ネタバレ


本作は密室の作り方が極めて美しい。ぼんやりと明るい積雪の庭、中空を漂う日本刀、響き渡る琴の音、石灯籠、竹林、水車は琴糸をからめ取り、なおも回り続ける。この場面を想像するだけで陶然としてしまいそうです(非常に間の抜けた光景だと仰る方もおりましょうが、そこは感じ方の違いということで)。そして、それ以上に本作における密室の意味付けがなんともはや。せっかくここまでやったのに、作中人物は必死なのに、作者は空っとぼけております。
※日本刀の通り道に、血が付いてはいけない場所に血痕が残ったりしないのかなという疑問はあります。
当時としては挑戦的で、現代視点からもまだまだ見るべきもの多い作品ではないでしょうか。


No.248 6点 たまさか人形堂物語
津原泰水
(2019/01/03 20:45登録)
~広告代理店でリストラを食らって無職になった澪は祖父から日本人形の零細小売店を譲り受けることになった。小売りだけではやっていけないと人を雇って人形の修復も手掛けることにする。募集に応じたのは芸術家タイプの富永と職人タイプの師村。人形とそれに関わる人々が紡ぎ出す短編集。

ど素人の営む人形店に二人の天才的な職人が薄給で雇われているというのはいささか都合がよいが、キャラの魅力、人形薀蓄、話の面白さでなかなか読ませる。文章は相変わらずキレがあってよい。癖のある作家だが、本作は一般受けも狙える短編集のように思える。 
以下 収録作六篇の簡単な評を。

★毀す理由
たまさか人形堂に顔が滅茶苦茶になっている人形と、手足のもげたクマの人形が持ち込まれる。タイトルのとおり「毀れた」のではなく「毀した」わけだから、人形を修復するだけでは問題の解決にならない。富永と師村、各々が自分の担当した人形が毀された理由を考察し、相応しい修復法を模索していく。二人のキャラの違いが鮮明に描かれ、内容もなかなか面白い。ミステリとしてはホワイダニットに分類されるのか。7点
★恋は恋
富永は友人にラブドールを預かって欲しいと頼まれ、ブツはたまさか人形堂で保管されることになった。人形は人形というタイトルでもよかったかも。ミステリ色はほぼなし。現代的なフェチズムがあまり生臭くない形で描かれている。5点
★村上迷想
もっともミステリ色の濃い一篇。7点
★最終公演
人形劇の良し悪しは、その劇団の持つ狂気の度合によって大きく左右される。導入部にこのような前置きがあり、大いに期待した。話自体は面白かったが、オチが読めてしまうところ、また狂気とはあまり関係のないところに物語が着地してしまったのが残念。6点
以下二編『ガブ』『スリーピング・ビューティ』はほぼ続き物で独立した短編として個々に点数はつけづらい。普段は寡黙な師村が過去に巻き込まれた事件、たまさか人形堂の行く末などが描かれ、登場人物たちに愛着を持てた方には楽しめる内容だが、そうでない方にはどうでもいい話かも。


No.247 9点 風雲児たち
みなもと太郎
(2019/01/02 13:20登録)
おめでとうございます。
今年最初の書評は歴史ギャグ漫画にしてみました。
江戸時代とはなんだったのか。これもミステリだ! こういう視点で強引にミステリの祭典にねじこみました。
本作は幕末、維新回天を描くということで始まったようなのですが、維新の芽生えを関ヶ原の戦いに置いているのがユニークです。ただ、江戸時代の話があまりにも長くなりすぎて、坂本龍馬の上京でいったん完結してしまいました。
※続きは風雲児たち幕末篇にて
あまり知られていなかった、誤解されている、美化されている、そういった人物、事象が新たな視点で描かれている点、維新に向かっていく歴史の必然性、そういったものが愉しく学べる素晴らしい作品です。国民的な漫画になって欲しい!
また、斬新な、メタ的な手法が数多く取り入れられております。
本作によって感動的な場面にしようもないギャグを入れても感動させることができると知りました。
中学生の頃に大好きだったコミックトムというマイナーな雑誌に連載されておりました。背後に非常に資金力のある組織が控えていることが関係しているのか、売れ行き度外視のフリーダムな雰囲気溢れた素晴らしい漫画雑誌でした。執筆陣もものすごい面子が揃っていて、今さらですが廃刊が本当に惜しまれます。
書評初めなので、日本を描いたものでなおかつ明るさのある作品をと考えました。新年早々カムイ伝(物語としては傑作、史実としては???)とかを書評して鬱になりたくなかったので……。
では、本年もよろしくお願いいたします。


No.246 7点 太陽がいっぱい
パトリシア・ハイスミス
(2018/12/31 14:00登録)
~トム・リプリーはかつての同級生の父親グリーンリーフ氏よりイタリアにいる息子ディッキーをアメリカに帰るよう説得して欲しいと依頼された。ただでイタリアに行ける。魅惑的な話だった。
イタリアでディッキーと再会するも、トムは次第に彼に愛憎半ばする感情を抱くようになる。そして、とある計画を思いつくのだった。

1955年アメリカ作品
非常にハラハラさせられる作品だが、冷静に考えるとグダグダである。というのも、ハラハラの原因が主人公のあまりにも場当たり的な犯行にあるからである。そのうえ警察、関係者に至るまで総じてあまり賢くない。普通はこういう小説は面白くない。
マヌケがマヌケな失敗を繰り返して窮地に陥る話がサスペンスとして面白くなるわけがない、のだが、なぜだかとてもスリリングで面白い。
原題は『The Talented Mr.Ripley』なのに、ちっともTalentedではないトム・リプリー。だからこそ、彼への憐れみといおうか、感情移入を誘うのだろう。ゆえにあのラストが許されてしまうのだろう。
怖ろしく危いバランスでどうにか成立している話に思える。
この作品が成功したのはハイスミスの特異な才能によるところが大きいと思う。
『死の接吻(アイラ・レヴィン)』のプロットでハイスミスが書いたらどんなものになっていただろうか。想像するだけでワクワクする。
※アイラ・レヴィンはパトリシア・ハイスミスよりも下だと言いたいのではありません。あくまでハイスミスとレヴィンの才能の融合がとてつもないものを生み出していたのではないかという夢想であります。
作中ヘンリー・ジェイムズの作品について言及があるが(弾十六さんがついこの間この作者の『ねじの回転』を書評されていた)、心理小説の先駆者的な人で、ハイスミスも影響を受けていたのかもしれない。
『ジョジョの奇妙な冒険』の第一部、ディオの造型、ディオとジョジョの関係性はこのリプリーからかなりの影響を受けているのではないかと感じる。

最後にグリーンリーフ氏がディッキーの作製した船の模型についてリプリーに話す場面を引用して終わりたいと思います。
みなさま、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。

~(グリーンリーフ氏のセリフ)「骨組みの模型は見せてもらいましたか? 図面も?」
見せてはもらえなかったが、トム(リプリー)は楽しそうに言った。「ええ! もちろん。ペンで描いたものでした。何点か、すばらしいものがありましたよ」見たことはなかったが、いまはありありと思いうかべることができた。すべての線、ボルト、スクリューがきちんと描かれている、玄人はだしの正確な図面だった。ディッキーが微笑しながら、図面をかざして見せてくれている姿まで想像できた。さらに何分間か、そのときの様子をくわしく話して、ミスター・グリーンリーフを喜ばせてやってもよかったが、彼は思いとどまった。
「そう、リチャード(ディッキー)には、ああいう方面の才能があった」
ミスター・グリーンリーフは満足そうに言った。~


No.245 7点 少年たちの密室
古処誠二
(2018/12/24 08:53登録)
~親友の宮下が自殺の名所で事故死した。相良優は自殺だったと信じている。悪い奴らは今ものうのうとしている。学校はもみ消しを図ろうとしている。
担任の車で複数の生徒たちが宮下の葬儀に向かう。あの城戸を拾うためにマンションの地下駐車場に降りる。そこを大地震が襲った。出口が塞がれ、暗闇の密室に閉じ込められる少年たち。
そして、城戸が死んだ。

「少年は大志を抱き、密室は死体を抱く」というわけで、自分は改題前の『少年たちの密室』なるタイトルの方が好みです。
あらすじから多くの方はイジメ問題をテーマにした話を想起されると思いますが、もう少し深く陰湿な内容です。
物語の発端、動機、話の流れにやや無理もあり、リアリティがあるのかないのかよくわからなくなってきます。人物造型は明らかに弱い。とにかく地震がなかったら宮下の死はどのように幕引きされたんだ? という点が気になります。都合良すぎではないかと。
でも、面白い。文章は読み易く会話も違和感なし。人物造型は弱いものの、各人物の物語内での役割分担は巧妙です。
サバイバルな展開になるかと思いきやきちんとミステリを貫く。
ハウダニットはロジック重視の方に訴求力がありますでしょう。また、心理戦が好きな方にも楽しめる内容となっております。謎の焦点がハウからホワイに移行していく流れもよくできております。捻りも効いています。惜しむらくは伏線が露骨で犯人がわかりやすい。ペットボトルの謎には驚き、呆れました。
意外な掘り出し物をみつけた的な愉しみを味わえる作品です。

メフィスト賞受賞のデビュー作『Unknown』はミステリとしてはやや小粒でしたが、非常にセンスのよい小品でした。
本作は前作の美点であった軽妙さこそ鳴りを潜めてしまいましたが、確実に進化を遂げました。
そして、作者はミステリを書かなくなりました。


No.244 7点 追われる男
エルモア・レナード
(2018/12/22 10:45登録)
~面倒に巻き込まれて高飛びの必要に迫られたアメリカ人のアル・ローゼン。彼が選んだ潜伏先はイスラエル。金には不自由していないし、ときおり女性観光客を引っ掛けたりもして悲壮感はまるでなし。
ところが、女性を連れ込んだホテルで火災発生、避難誘導に大活躍したローゼンはアメリカの新聞に写真入りで紹介されてしまい、優雅な逃亡生活は終わった。

1977年アメリカ作品。
プロットはごくごくシンプル。元々は西部劇を書いていた人だが(未読)、なんとなく本作ではその流れを引き摺っているような印象がある。悪い奴らを町から追い出そうとした牧場主が逆に命を狙われる。そこにふらりと現れたガンマンと協力して……ここに逃亡劇という要素を加味したような感じ。ただし捻りは加えてある。
説明を極力排して会話と描写で物語を引っ張っていく。もちろん会話はうまい。また、場面転換による省略に独特なものを感じる(登場人物のこれからの行動を示唆しておいて場面転換、場面転換後、示唆された行動はすでになされている)。
命を賭してローゼンを手助けしてくれる人物がいるのだが、彼がどうしてそこまでローゼンに尽くすのかは遠回しにしか書かれていない。その人物の人生観とでもいうべきものなのだが、ここがどうにも納得できない方がいるかもしれない。
エルモア・レナードとしてはやや変化球気味の作品だが、読み易くて楽しいので最初に読むレナード作品としてお薦めしたい一冊。

クライムノベルの秀作を多く生み出したとされる作家だが、犯罪者をことさら特別視しないスタンスを感じる。雑貨屋を営む男、恋をする男、猫好きな男、犯罪をする男、みんな同列に描かれて、そうした中で活き活きと軽妙な人物造型がなされている。 
日本ではさほど読まれていなくて、遅咲きで、文章や筋の運びが滑らかで、作品はいかにもアメリカ的でとジョン・D・マクドナルドに通ずるところがいくつかあるが、作品の手触りはまるで異なる。(二人とももちろんセンスと技術を兼ね備えた作家だとは思うが)ジョンDマックは技術先行型、レナードはセンス先行型という印象がある。


No.243 6点 メグレと首無し死体
ジョルジュ・シムノン
(2018/11/21 01:57登録)
~サン・マルタン運河を航行する船のスクリューには男の腕がひっかかっていた。運河の底を洗うと他の部位も次々と発見された。だが、首だけがみつからない。
厄介な事件になりそうだったが、早々に糸口がみつかった。メグレは捜査の途上、電話を借りるために立ち寄った居酒屋の女主人のことが気にかかり、やがて彼女は事件に関係しているのではないかと考えはじめた。

1955年フランス。
かなり特異なミステリです。そうはいっても良い意味で、ではありません。首無し死体とくれば被害者が誰なのかが肝となります。まずは被害者が誰なのかを解き明かし、続いて容疑者の特定がはじまるのが通常でしょう。なのに、本作はとんでもない偶然から早々に容疑者が浮かび上がってしまい、必然的に被害者も特定されてしまいます。物語の序盤~中盤でほぼ事件解決のメドが立ってしまうのです。なのにメグレだけがわからないわからないと悩む。
雪さんは最初に読んだ時「なんやこれ」と思われたそうですが、かくいう私も初読時にはほぼ同じ感想でした。メグレシリーズをある程度読み込んでから再読して目から鱗が落ちるように面白さがわかった作品です。
読みどころはミステリ的な事件解決を完全に度外視して、メグレにとっての事件解決に異常に拘っている点でしょう。そこに興味が湧かなければただの駄作で終わる作品でしょう。採点は6点としますが、ミステリとしては4点以下です。
メグレは容疑者の顔が浮かんでこないことに苛立ちます。メグレと容疑者のぶつ切りの会話、なにも隠そうとしていないように思える容疑者、自分の行く末すら無関心に見える容疑者、その異常性に気付き、この容疑者に興味が湧けば、かなり愉しめる作品ではないかと思います。
最終ページや以下の文章などから、メグレの容疑者に対する畏敬の念すら感じられます。
~転落する人たち、とくに好んで自分を汚し、たえず下へ下へと転落することに夢中になる人たちは、いつの場合でも理想主義者なのだと~

邦題が原題の直訳なのかどうか私にはわかりませんが、メグレと首無し死体なるタイトルはダブルミーニングのように思えてしまいます。首無し死体とは被害者と同時に容疑者をも指す言葉ではないのかと。
「首無し死体」=「顔のない死人(も同然の女)」
名作だと思いますが、メグレ警視シリーズをある程度読み込んでから読むべき作品だと思います。


No.242 6点 見知らぬ者の墓
マーガレット・ミラー
(2018/11/13 23:43登録)
~デイジーは富裕で優しい夫に守られて何不自由のない生活を営んでいたのだが、ある日、夢の中で自身の墓を見てしまう。デイジーが没したのは1955年12月2日となっていた。四年前だった。ただの夢だったが、妙に生々しく、この夢はデイジーの不安を掻きたて、苛んでいく。
この日、自分の身になにか大きな事件でもあったのだろうか。
デイジーの記憶には特になにも残っていない。
そこで周囲の制止を振り切って、探偵の助けを借りて、デイジーは失われたその日を再構築しようと試みる。

1960年アメリカ作品。謎は魅力的だが、その解は期待はずれ(もしくは日本人には理解し難い)ではないかとも思う。それでもミラーの地力で非常に読ませる作品に仕上がっている。主要な数名のみならず作中人物の多くがこれほど立体的に浮かび上がってくる作品は珍しい。それらの人物がストーリーと見事に融合して、説得力のある人間模様が描き出されている。それほど派手な動きはないもののリーダビリティはそこそこ高い。この前書評した『殺す風』は普通小説のようなミステリだったが、本作はミステリ要素はあるものの普通小説に近い。個人的には『殺す風』よりも本作の方が好き。
※ミステリ的な面白さという点から採点は『殺す風』に軍配を上げます。
各章の冒頭に謎の文章が書かれているのだが、miniさん御指摘のとおりこの仕掛けはあざといと考える方もいるかもしれない。私はけっこう好きだが。
サプライズエンディングを志向する作家というイメージが強いが、正直なところ自分はミラー作品で心底驚いた記憶はない。驚きなくとも充分読ませる力のある作家だと思う。

精神分析学の影響が色濃い作品だが、そういった知識がなくとも問題なく読める。ただ、そのことが本作の大きな瑕疵になってしまっているようにも思える。普通に考えれば、デイジーが四年前に起きたその出来事を忘れてしまうとは考えにくいからだ。だが、精神分析学的には起こり得ることと考えられている。本作は夢の啓示に従って現状を打破し、自分の希望を叶えようとする話とも読める。

ロスマク、マーガレット・ミラー、二人とも家庭の悲劇を描くのを得意としており、嫌な話、人間不信に陥るような話も多い。そのわりに二人とも文章の端々に妙に無邪気といおうか、人間を信じたくてたまらない、そういう心性が垣間見えるのが面白い。


No.241 7点 外天楼
石黒正数
(2018/11/13 21:06登録)
漫画です。ジャンルに関してはかなり迷った末に入力を間違えてしまいました。
どなたか適格なものがあれば編集をよろしくお願いいたします。
後付け後付けの建て増しを繰り返すうちにやがては迷路のような作りになってしまった奇妙な集合住宅「外天楼」ここに暮らす人びと、周囲の人びとらを描いた連作短編集なのですが、外天楼で暮らす一家にはとある秘密があって、その秘密に向かって物語は一つに収斂してゆきます。
第一話はエロ本にまつわる最高に下らない話なのですが、まさか最終話でこんな展開になるなんて……。

『それでも町は廻っている』などの名作もあり作者本人は有名でしょうが、本作は連載していた雑誌が店頭に並んでいるのを見たことがない『メフィスト(メフィスト賞の母体)』だし、内容もけっこうマニアックだしだからマイナーな漫画なんだろうと勝手に思いこんでおりました。が、ネットでの評価は意外に高く、傑作だと評する方もけっこういらっしゃいました。
とりあえず、この作者はミステリやSFをかなり読んでいそう。マニアが自分が好きなものを咀嚼して好き勝手に吐き出したような作品です。
前半はパロディをふんだんに盛り込んだユーモアミステリ、後半はSFがかったサスペンスといった風に物語が展開していきます。いろいろな要素が盛り込まれ、ギャグも効いており、一つ一つの話も完成度が高いと思います。読んでいて、人間とそうではないものの区別がつかなくなってくるのも面白いし、未来の世界であるようで妙にノスタルジーを感じさせる世界でもあって、こうしたキャラ設定、舞台設定も個人的には大好きでした。
ただ、短編集としてみればかなり楽しめたのですが、一つの大きな話としてみると、終盤が急展開に過ぎる点、シリアスな題材を扱ってはいてもテーマの掘り下げが浅く、SFとしてもミステリとしても中途半端で、いろいろ詰め込みすぎてしまっているように思いました。
作品の主な舞台である「外天楼」は後付け後付けを繰り返すうちに迷路のようになってしまった集合住宅ですが、本作そのものにも同じような印象があります。
心情としては8点をつけたいが、まあ7点かな。

第一話 リサイクル
第二話 宇宙刑事VSディテクト
第三話 罪悪
第四話 面倒な館
第五話 フェアリー殺人事件
第六話 容疑者Mの転身
第七話 鰐沼家の一族
第八話 キリエ
最終話 アリオ

以下 独り言

「でもなあ、ああいう風に書いているってことは後付けではなくて、最初から終わりを見通して書いていたようにも思えるんだよなあ。どっちなんだろ?」


No.240 7点 殺す風
マーガレット・ミラー
(2018/11/01 23:54登録)
~ロン・ギャロウェイの別荘に四人の友人が集まることになっていた。だが、肝腎のロンがいっこうに姿を見せない。ロンはいったいどこへ行ってしまったのか。友人たちはロンの行方を探ろうとするが、その途上に浮かび上がったのはロンの信じ難い醜聞、裏切り行為であった。~

1957年アメリカ。
これはマーガレット・ミラー中期の作品になるのでしょうか。個人的には後期の幕開けとなった作品という認識でいます。
二組の夫婦の内実を中心にロンの友人の一人である大学教授ラルフが渋々ながらも探偵役を努めるといった体裁になっております。
ストーリーの展開は遅く、ロンの妻、友人のハリー、その妻セルマの希望や絶望じっくりと描かれます。そうした中に巧みに伏線が潜んでいる。読ませます。よくある話のようでいて登場人物たちの考えていることはちょっとぶっ飛んでいたりもして心理小説としてはとても面白い。
ミステリとしての基本構造は平凡だと思います。登場人物たちの心理をじっくりと描くことにより意外な結末だと感じさせる手品のような作品だと考えています。空さんも指摘されていらっしゃいますが、アンフェアな部分がいくつかあって、見事に騙されましたと心から納得はできませんでした。
また、ミステリであるならば当然書くべきところがかなり省略されているとも感じました。
サスペンスとしても『狙った獣』のような、読み進めるうちに募る不安感、焦燥感のようなものが欠けております。サスペンスとしてはやや食い足りない感じです。
また、なぜここまで力を入れるのかよくわからない部分が非常に多いのです。他の作家が一頁も使わずに済ませてしまうような場面、数行で事足りそうな端役の人物が丹念に描写されます。
本作の書評では精緻という言葉をしばしば見かけますが、自分は「執拗」という言葉が浮かびました。
違った意味でもこの執拗さは感じました。
導入部、別荘に出かけようとするロン・ギャロウェイと子供たちは会話を交わします。一家の飼い犬が花壇を掘り返すと庭師が怒っている、そんな他愛もない話です。ところが、後にこの会話がしっかり活きてきます。
ロン・ギャロウェイが行方不明になっても事実を知らされなかった子供たちでしたが、何日か後に彼らは自分たちなりになにか悪いことが起きたのだと気付きます。
~少年たちといちばん接触の多いルードルフ(庭師)は、かれらの生活の中で大きな位置を占めていた。だから、日曜の午後、犬のピーティがバラの花壇に掘った沢山の穴が、叱言一つ言われずにそっと埋められてしまったとき、二人の少年は何か事件が起こったことに気がついたのだった。~
子供の心情がなんとも繊細に描写されておりました。すごさと同時に怖さも感じました。ここでも執拗ななにかを感じました。これがマーガレット・ミラーなんだなと、そんな風に考えております。
意外な結末を迎える心理小説としてとても面白い作品だと思います。
ただ、ある意味では心理小説であることを放棄してしまっており、そのことが本作の美点を損なう大きな問題であるようにも思いました。

※うちにあるのは小笠原豊樹訳のハヤカワ文庫版です。新訳未読。


No.239 6点 魔球
東野圭吾
(2018/10/18 23:46登録)
今までの書評でさんざん腐してしまった東野圭吾ですが、本作ははっきり好きだといえる作品です。それほど多くは読んでおりませんが、東野作品ではこれが一番好きかもしれません。初期の本格志向が強い作品の方がこの作者の資質が生きるような気がします。人情話は要りません。実験的な本格、もしくはバカミスを読みたい。
本作はかなり大胆というか無茶な挑戦をしているように思います。だけど、無理やり辻褄を合わせていく。そういうところはカーの『三つの棺』のような読後感、ダメなんだけど、そんなことはもういいやというミステリならではの奇妙な充実感があります。
自分が思う本作の大きな問題点は二つ。
一つは読者を濃霧の中に放り込むような形になっておりますが、ここははっきりとした裏道作り、誤誘導をした方が効果的だったように思える点。
もう一つはダイイングメッセージ(?) あれはない方がよかったのでは。二つの事件を結びつけるために必要だったかもしれませんが、殺害された捕手の写真に書かれた言葉だけで、どうにか筋を展開させることができたのではないかと思います。
あと、おまけで「終章」はない方が個人的には好み。
動機に関しては文句ありません。『容疑者Xの献身』よりよほど納得がいく動機、手段だと思っています。想定以上の事態を引き起こしてしまい、追い込まれていくこと、この人物なら納得できます。1000人のうち1人しかそんな理由では罪を犯さない。でも、その人物が1000人のうちの1人だと読者が納得できるのなら、それは凄い動機なんだと私は考えます。感情移入できなくても構いません。
タイトル『魔球』も決まっていると思います。
瑕疵の多い作品です。文章も現在より拙く、言葉の選び方もやや疑問あったりします。でも、私はこれは好きです。点数は6点としますが、私にとって最高の東野作品候補です。

以下ネタバレ




Tetchyさんの以下のご意見に完全同意。
『東野氏はこの男に武士の魂を託し、“武士の心”という意味を込めて“武志”という名にしたに違いない』
あれは切腹でしょう。首ではなく、なによりも大切だった右腕を落とすことはすなわち介錯だったと。
感動というにはこの犯人は自己中心的に過ぎるし、幼すぎるしなのですが、潔い態度ではあったと思います。


No.238 6点 仮面のディスコテーク
ウォーレン・マーフィー
(2018/10/12 22:06登録)
リチャード・ニクソン元大統領のゴムマスクを被った学生の射殺死体がニューヨークで発見された。この学生には50万ドルもの生命保険が掛けられており、トレースは調査を命じられる。絶対にマフィア絡みの事件だから関わりたくないと駄々をこねるトレースだったが、母親がトレースのいるラスベガスに旅行に来るという。早急にラスベガスから逃げ出さなくてはならない。トレースは渋々ニューヨーク行きを承諾する。

~1984年アメリカ作品 保険調査員トレースシリーズの三作目
クリスティの『象は忘れない』に続いて、象つながりで本作を。本作のどこに象がいるのか。回答は書評の後で。
マフィアは怖いとか言いながらマフィアにも減らず口を叩くトレース。意外と男気もあるトレース。それにしても、トレースの元奥さんはかなり強烈な女性のようだが、母親も負けず劣らずということなのか。
探偵事務所を開業したのに電話帳に電話番号を掲載しようとしない父。トレースが理由を聞くと「母さんにばれるだろうが」との返答。どういうことなんだ? 探偵事務所は隠れ家なのか?
それはさておき基本のプロットは典型的なハードボイルドで一作目に比べると格段にまとまりがいい。トレースの父親も一緒に調査を行うのだが、楽しいけど父親が調査に加わる意味はあまりなかったかも。被害者がなぜニクソンのマスクを被っていたのかが謎の肝であるが、そこそこ捻りがあって面白い。タイトルの意味も最後にすっきりと解ける。
さらに楽しい会話と楽しいキャラがある。それだけで自分は充分満足。
miniさんがジョン・D・マクドナルドはB級だが一流と仰っていたことがあったが、この人も作品はB級だが、二流作家ではないと思う。
この軽薄さ、馬鹿馬鹿しさに癒される。
積極的には薦められないが、日々の読書に疲れを感じて軽いものが欲しくなったらどうぞ。

象はどこにいるのか?
クリスティの『象は忘れない』原題は『Elephants Can Remember』だった。
本作『仮面のディスコテーク』原題はなんと『When Elephants Forget』と邦題とは似ても似つかない。本作もクリスティ作品と同様に「Elephants Never Forget」なる慣用句?が印象深く使用されている。
響きがよくてかっこいいこの原題にディスコとかどうしようもない邦題を当てがったのは誰なんだ?
仮面はわからなくもないが、ディスコは許せん。邦訳の出た1986年はディスコブームの真っ只中。それだけが理由か? 穿った見方をすれば、本作はディスコブームが去った後までも読み継がれると期待はされていなかったということか。そういやプリンスの『When Doves Cry』も『ビートに抱かれて』なんてことになっていた。



No.237 5点 象は忘れない
アガサ・クリスティー
(2018/10/11 01:31登録)
~1972年イギリス
いつだったか『象は忘れない』というタイトルに魅かれて購入したものです。当時はまったく聞いたことなく、クリスティ最晩年の作品ということも知りませんでした。そんな状態で読んでの感想は「真相が陳腐だし強引だしでミステリとしては凡作だけど、リーダビリティはそこそこ高く、読み心地はよい。読んでよかった」でした。採点はこの感想に基づいたものとします。
クリスティが八十代になって書いた作品だと知って、驚いたのと同時に納得できました。ある程度の知識を入れた状態で再読すると、オリヴァが象たちを訪ねる旅は、そのままクリスティ自身が古くからの友人たちを訪ねて最後の挨拶をしているような気がしてしまいます。どうしてもクリスティとオリヴァが被ります。
ドロシー・セイヤーズはラス前の作品『学寮祭の夜』で筆を折ることをほのめかしていました。クリスティにはそういう気配は感じられませんね。年を取ってミステリを生み出す力は衰えたかもしれませんが、筆力そのものはそれほど衰えていないように思えます。強引で御都合主義に過ぎるところがたくさん目に付く作品です。それがどうでもよく思えてしまう不思議な魅力と感動があります。
高得点はつけませんが、好きな作品です。

象の中に一人キーパーソンがいて、その象がすべてを知っていたという点がどうにも不細工に見えてしまいます。『象は忘れない』ではなく、『象は知っていた』になってしまっているようで違和感ありました。
作中で少しネタバレされている『五匹の子豚』は誰かが嘘を吐く、もしくは事実を隠さなければ成立しない話でしたが、本作は全員が事実(だと信じていること)だけを話し、その断片を組み合わせることによって真相が明らかになるという結構にもできたように思えます。

以下ネタバレ



夫は妻を大切にはしていたが、本当に愛していたのは実は精神障害を患っていた姉の方だったという結末を予想しておりました。読後感は悪くなりますが、こちらの方が整合性は取れるのではないかと感じたのです。妻だけを愛していたとすると、どうしても夫の最後の一連の行動に無理がでてきます。
クリスティは両方を愛していたとしました。正直なところ、なんじゃそりゃと思う気持ちもいくばくかありました。これはバランス感覚なのか、最初からこういうオチにするつもりだったのか、あるいは私がひねくれているのか。


No.236 6点 ナイトホークス
マイクル・コナリー
(2018/10/08 00:24登録)
~1992年アメリカ作品
ようやっとコナリーのデビュー作を読む。
コナリーは六冊読んだが、絶対に真似をしてはいけないと言われそうな順番で読んでいた。
夜より暗き闇→天使と罪の街→終決者たち→シティ・オブ・ボーンズ
→ポエット→スケアクロウ→本作ナイトホークス
今のところ本作も含めてハズレはないが、『夜より暗き闇』『終決者たち』が特に良かったかなあ。
で、本作。
シリーズ第一作なのでボッシュの心の闇にかなり焦点が当てられるのではないかと想像していた。だが、やはり主体はストーリーであった。ボッシュをもっと刺々しく書いてもよかったのではないか。もっと暗くて嫌な奴にしてもよかったのではないかと思った。
トンネルネズミとブラックエコー。なんとも想像力を掻き立てられる。この二つを徹底的に掘り下げて欲しかった。ネタとしてうまく使ってはいても、切実さが足りない。
よくも悪くもキャラと作者の間に距離があって、変に力が入っているような場面がない。読者が読みたがることよりも自分が書きたいことを優先してしまう、そういう微笑ましい欠点がない。展開はまあまあ巧みだが、伏線の張り方がいまいちか。
デビュー作とは思えないバランス感覚、うまさがある。面白いネタをいくつか盛り込みながらもあまり深追いはせず、そつなくまとめたような印象。
Tetchyさんの以下の御意見に激しく同意。
>>徹底的に同種の小説のみならずエンタテインメントを研究しているのがこのデビュー作からも推し量れる。
ただ、これは美点なんだけど、悪い方にも作用してしまっているような気がする。
そんなわけで、もちろん退屈はしないし面白いんだけど、どうにも乗り切れないところがあった。AIに小説を書かせたらこういうものが出来上がりそうな気がする。
順番どおりに読むべき作家だろうが、本作ではまだ本来の実力は出し切れていないと感じた。それでも6点は付けられる。
邦題については
この話なら『ナイトホークス』の方がいいかなあ。
ただ、私としては「これは『ブラックエコー』とすべきでしょう」と言いたくなるような話を読みたかったのです。 
※エルロイとの類似が指摘されることあるが、読みどころがまるで異なる作家だと思う。


No.235 6点 オーブランの少女
深緑野分
(2018/09/29 01:47登録)
各短編それぞれ異なる雰囲気があり、そこにミステリ要素を持ち込んでいる。でも、ミステリ的な部分はあってもなくてもいいような感じ。
すべて少女の物語であるが、舞台はすべて異なる。それぞれの舞台の雰囲気がよく出ている。
他の作品で人並さんが仰っていた『たぶんこの作者は、語りたい、描きたい題材をしっかり手の中に掴み切ってから筆を動かした方がいい気がする』との御意見に同意。
この人ははったり効かせてセンスだけでガンガン書いていけるタイプではなさそう。ゆっくりじっくり時間をかけてよい作品を生み出していって欲しい。
以下 ネタバレなしの各編へのコメント

『オーブランの少女』こういう世界観からいきなりそのネタをぶちこんでくるのか! 予想外で驚いた。面白かった。リボンの秘密がやや拍子抜けだった。この作者の可能性をもっとも感じた作品。7点
『仮面』際立った欠陥はないしさらさらと読めるのだが、これといった美点もなかった。おまけの5点
『大雨とトマト』本短編集で二番目に好きな作品。オチは読めたが、この小品はセンスがいい。完成度でもこれがベスト。心理描写が楽しかった。6点
『片想い』実際のところは知らないが、昔の女学生ってこんな感じだったんだろうなとは思う。本作も登場人物の内面が面白く描かれていて引き込まれる。ミステリではないが、ミステリ要素が作品にもっともうまく溶け込んでいるのはこれだと思う。物語も面白い。6~7点 
『氷の皇国』物語の大枠はそんなに悪くない。氷の国の生活がけっこう細かく書かれていて(リアリティがあって)雰囲気があった。なのに暴虐の皇帝とその周囲にリアリティがなさ過ぎる。寒い国の生活だけではなく、暴君とはいかなるものなのかもきちんと調べてみるべきだったと思う。それから後半部分は推敲不足ではないかと感じた。これを読んでいたらガラスの仮面の作中作を思い出した。おまけで5点


No.234 6点 空に浮かぶ子供
ジョナサン・キャロル
(2018/09/29 01:43登録)
~親友であり、同業者でもある映画監督フィル・ストレイホーンは奇妙な電話をよこし、その一時間後にライフル自殺をしちまった。大ヒットした『深夜シリーズ』の最終作が完成間近だったというのに。フィルは俺(ウェーバー・グレグストン)にビデオテープを三本遺していた。うちの一本に飛行機事故で亡くなった俺のお袋の最後の数分間が映っていた。
どうやらフィルの死は完成間近だった『深夜シリーズ』に関係があるらしい。そして、フィルだけではなく他の友人たちにも異常なことが起こりはじめている。フィルは『深夜シリーズ』の製作でとある過ちをしていて、そのために友人たちの身にも危険が迫っているという。俺は親友の最後の作品を完成させるべく、歪んでしまった現実を「正常に」戻すべく奔走することになった。

1989年アメリカ作品 月の骨シリーズ三作目
ただでさえ癖が強い作家だが、本作は大好きだという人と、つまらんという人が特にはっきり分かれそう。
ジョナサン・キャロルの作品の中で私がもっとも好きな作品だが、完成度が高いとは言い難く、人さまにはお薦めしづらい。
指摘されそうな問題点は、
独りよがりな話ではないか。無駄なエピソードが多すぎる。構成が散漫。ファンタジーだからといってなんでもありというわけじゃない。映画製作に関する抽象論ばかりで具体性がない。なんか説教臭い。登場人物たちの議論が青臭いなどなど。
芸術論というのは少し大仰だが、芸術について書かれた小説である。幼い頃の経験がいかに作品に影響を与えるのか、芸術を生み出す喜びや狂気、そういったものが細切れのエピソードによって語られていく。相変わらず魅力的な人物が次々に登場する。
親友が遺した未完成の映画『深夜』を完成させる。ここにはさまざまな困難が伴う。親友の意志を尊重するのか、作品としてより良いものを目指すのか。仲間を集め議論し、少しずつ作業を進めていく。
一つ一つのシーンがオチへと収斂してはいるものの、作中作とピンスリープとフィルのメッセージが唐突に入り込んで来たりするので物語として一本の筋が見えにくい。
読者が意味ある細部を捉え、シーンとシーンのつながりを再構成していかなくてはならない。これは本作に登場する『深夜シリーズ』を意識的になぞっているのではないかと。『深夜シリーズ』なるものも、完成すると本作『空に浮かぶ子供』のような構成になるのではなかろうかと。本編が作中に登場する作品を模倣している。勘繰りすぎか?

『空に浮かぶ子供』とはなんなのか、そしてこんな物語に結末はつくのか。
伏線は充分すぎるほどに張られていた。ほぼ答えは見えていたはずである。雑多な情報のせいか注意力不足のせいか、最終盤のとある一行を読んでゾッとすることになった。
こういう結末になることをウェーバー(俺)自身も薄々気付いてはいたはず。気付いていながらもやめることはできなかった。
オチで明かされるおぞましい事実は、これから起きるであろうことではなく、残念ながら今現在、我々の世界ですでに起こっていることである。
そういった意味では真新しいオチとはいえないが、通常芸術家が無意識に行っているこの種の悪徳を自覚的に扱っている点は面白かった。
理屈っぽくも青臭い芸術論を好むような方にはぜひともお薦めしたい。
採点は本作への愛に比してかなり抑えます。


No.233 7点 上空の城
赤江瀑
(2018/09/25 20:43登録)
~夏休みを利用して城巡りをしていた大学生の眉彦は松本城にて放心したように天守閣を見上げる同年代の女性を見かけて胸騒ぎを覚える。
くだんの女性蛍子は城を探している。 
五層の大天守閣、窓はなく、黒く塗りつぶされた壁。
脳裏に浮かぶのは、いつもこの黒い城だった。
幼い頃からずっと。~

蛍子の頭の中にいつも存在し、いつしか彼女を悩ませるようになった黒い城。この城は実在するのか。この興味深い謎が話の軸であるが、眉彦と蛍子が主体的に謎を解いていくというわけでもなく、また謎解き以外の要素にも多く筆が割かれ、個人的には退屈に感じる部分もあった。ちと辛い会話もしばしば。
導入から過去と現在を交錯させる手法が使われ、読みにくさを感じさせないこともないが、こうした二重構造が最後まで貫かれ、本作のテーマ「影」をくっきりと浮かび上がらせる。
主人公の眉彦をいわゆる城マニアにはせず、行きがかり上やむなく城郭研究会なるものに所属しているという設定にしたのは良かった。不要な城の蘊蓄をなくし、それでいて眉彦を違和感なく真相に近づけることができた。
黒い城の謎とその解には大満足。タイトルの上空の城はそういうことだったのね。
物語としては決着の付け方がいまひとつ。ミステリとしては主人公が謎を解くというより、棚ぼた式解決であった点がちょっと、といったところ。
着想は素晴らしく、物語としてもう少しうまく着地できていれば名作になったんじゃないかと。ものすごく美味しく、惜しい作品だと思っている。
とても喚起力のある作品で、本作の着想から別の作品が二、三本書けそうな気がするのだが。このまま埋もれさせてしまうのは勿体なさ過ぎる。大好きな作品。
クリスティ再読さんが別の作品の書評で中井英夫について言及されていたが、耽美的な作風、ハッタリの効かせ方なんかは確かに中井英夫ばり。天空を漂う中井英夫、地を這う赤江瀑といった印象がある。
表紙裏に『妖気漂う、オカルトロマン!』などと記されているが、伝奇ロマンといった方が本作には合っているように思う。

この前書評したレイ・ブラッドベリは六年前に亡くなっているが、その数日後に赤江瀑が亡くなっている。ジョン・レノンが亡くなった時に母親が騒いでいたのが子供心になんとも不思議だったのだが、好きだった作家やミュージシャンの訃報に接することが多くなってきて、最近ではその気持ちがすごくよくわかる。


No.232 7点 黄昏に眠る秋
ヨハン・テオリン
(2018/09/23 19:17登録)
2007年スウェーデン作品
祖父宅に預けた幼い息子が家を抜け出して行方不明になって以来、ユリアは自責の念に駆られ、家族とも疎遠になり、精神的に追い詰められた状態のまま無為に人生を過ごしてきた。
そして、事件から二十年もの月日が流れての今秋になって、父のもとに息子が事件当時に履いていたサンダルが送られてくる。
これを機に事件の真相を突き止めようとする父、最初は気乗りのしなかったユリアであったが、息子の死を受け入れて、自身の人生に向かい合おうと決意する。

空さんも言及されていましたが、せっかちな方は手を出さない方がいいかもしれません。意外性あります。読後の充実感もあります。リーダビリティもそんなに低くはありませんでした。ですが、とにかく長い(文庫で593頁)。進行が遅い。
肝腎なことは書かない(悪い意味ではなく)。そんな作品でした。「最初に死体を転がせ」「キャラ立ちだ。キャラは登場した時点で印象付けろ」そういった手法とは真逆の書き方です。
文章も内容もテンポも前に書評した北欧ミステリ『極夜』とはまるで違った作品。ただ、根底にある寂寥感のようなものは似ています。極夜ではノルウェーを少し知ることができて、本作では知るというよりもスウェーデンを感じるといった風。ノルウェー人と同じようにやはり米英仏などと比べるとスウェーデン人は日本人に似たところがありそうです。
ただ、登場人物がことごとく口が重いのは国柄だけではなくて、プロットを成立させるための御都合主義という気もしました。ほうれんそう(報告連絡相談)をしっかりしていれば……という場面がかなり目につきました。
あと、じいさん(ユリアの父)に言いたい。携帯電話を使えば、というあの場面で「使い方がわからない」と、あっさり諦めるのはどうかと思うぞ。
序盤は6点くらいの作品かなという風でした。この作品はジワジワと感じてきます。最初は関わりたくないタイプのヒロインでした。なのにいつのまにか応援していました。誰にだって言えるようなことしか言わない平凡な警官、彼がとてつもなく優しい人間なんだと190頁あたりで気付きました。ここらから本気でこの作品にのめりこんでいきました。じいさんは治療的な目的もあってユリアを捜査に引き込んだわけですが、その緩やかな治癒の過程もいいのです。
少しずつですが動きも出て来て、ミステリ的な面白さも出てきます。ギスギスした人間関係からはじまって最終的には意外とみんないい人だったように思えるのです。
交互に挿入されるニルスの章は締まりがあって、動きもある。ニルスと母親の造型もよかった。この親子はどうも憎めない。「ニルスの悲惨な旅」とでも題してもう一作書けるんじゃない? 
まあとにかく本作にはやられました。
(良くも悪くも)
本当は8点つけたいけど、小学生のような理由(ネタバレにて)で7点にします。本来自分はこういう理由で減点はしない主義なんですが……途中まではこの人もジェイムズ・トンプソン同様に絶対追いかけようと思いましたが、うーんどうしようか。




以下 ネタバレの愚痴
遺体の確認をした。ニルスの死を確信している発言、遺体を確認したのだから当然ですが、これ違う意味にも取れそうだなと感じてしまいました。さらに動機は充分。嫌な予感がしたんです。でも、これだけはやめてくれと。190頁あたりでこの人物の優しさに触れて、本作に本気でのめりこみはじめたわけです。なのに『内なる殺人者』(とは全然違いますが)かい。作者の罠にまんまと嵌ったわけですか、あーそうですか。
個人的には嫌なオチだったなあ。じいさんやユリアが犯人だった方がまだましだったかも。
それにしても、主人公の立ち直っていく姿を自然に丁寧に書いていったのに、こんな顛末ではユリアさんはまた荒むんじゃないのかと心配になります。ひどい卓袱台返しのように思えてなりません。ミステリとしてはむしろ「良くやった」なのですが。


No.231 6点 ポンペイの四日間
ロバート・ハリス
(2018/09/23 19:04登録)
2003年イギリス作品
紀元前79年ごろ、日本は実在したのかどうかすらはっきりしない崇神天皇の時代。この頃、ローマ帝国にはすでに各都市に水道が敷かれていた。この水道の管理官が謎の失踪を遂げてしまい、後任としてマルクス・アッティリウス・プリムスが任命される。ところが、資本論や電気自動車とは無関係なアッティリウス氏は就任して早々にあちこちの都市が断水するという不運に見舞われる。修復のために責任病巣と思しきポンペイを訪れるが、かの地では権力者による悪事が横行、そして、水道管には理解し難い異常が発生していた。

ポンペイで起きた有名なあの災害の前後四日間の出来事を水道官の目を通して冒険小説風に仕立てた作品。
水道官というと水道局の局長みたいなものなのか? どうにも仕事内容がイメージしづらいこのお役人を主人公にしたのはやや奇抜ではあるが、妙手だった。当時としては天変地異などに最も気付きやすい職業だったと思えるし、主人公の職業として真新しくもある。
また、実在した学者にして艦隊司令のプリニウスがキレキレだったのも個人的にはツボ。
地味な展開ながらローマ時代の日常生活などが興味深く描かれ、アッティリウスと作業員たちとの確執、当時の奴隷に対する酷い仕打ち、昔の奴隷はもっと酷い扱いだったとグチる元奴隷の金持ち(俺らの頃は先輩の前で髪の毛いじったりしたらビンタされてウンヌンみたいな話)、今と変わらぬ贈収賄などなどくすぐられるエピソードも次々に繰り出されて意外とリーダビリティは高い。
前任の水道官がなぜ失踪したのか。この謎を軸に読者がすでに知っている未来に向けて物語は突き進むが、まあこのへんの謎はさほど突っ込んだものではなかった。もっともそれどころじゃないイベントが発生してしまうわけだが。
個人的な感想としては前半はよかったんだけど、終盤になるにつれて作品が悪い意味でエンタメ化していくのがちょっと残念だった。


No.230 7点 10月はたそがれの国
レイ・ブラッドベリ
(2018/09/16 12:49登録)
10月になったらこれの書評を書こう書こうと思っていて去年は忘れてしまった。
なので、思い立ったが吉日というわけで忘れないうちに。

オープニングの『こびと』はなんともいえない切なさの残る逸品。
そして、『みずうみ』の美しさ。
ミステリファンには『小さな殺人者』も外せない。
後半の諸作は怪奇寓話とでもいいたくなる。
個人的には『使者』が偏愛の対象である。キングのペット・セマタリーの元ネタではないかと思っている。

ブラッドベリはSF作家と認知されていることが多いが、本質的にはSF作家ではないと思う。中でも本作は怪奇幻想小説ばかりの初期作品集。
基本的にはいつも水準以上の作品を提供してくれる作家だが、本作には完成度に難ありの作品がけっこう含まれているように思う。
ブラッドベリを初めて読む方には『太陽の黄金の林檎』をお薦めしたいが、個人的には『刺青の男』と本作が一番のお気に入り。SFファンなら古典『火星年代記』も外せない。
ポーの衣鉢を継ぐなどと形容される。理知的という意味ではポーが上だと思うが、ポーにはない詩情がある。
この詩情というのはなんなのか。
例えば、スティーヴン・キングは映画館で無理矢理最前列に座らせられて、手足を縛られて、ポップコーンも食えないような状態で大画面に向かい合わなければならない感じ。
ブラッドベリは時速30キロくらいで走る汽車に乗って、ゆっくりと流れる車窓の景色を眺めているような感じ。
キングやスタージョンやディックの描く人間は生々しい。だが、ブラッドベリの作品には人間はいるが、それはいつも近くても遠くにいて、彼らを身近に感じることがほとんどない。ただただその物語が美しい。
中学生の時に好きで好きでたまらなかった作家だが、一時、遠のいてしまった。
人間を身近に感じられないので物足りなくなったのだと思う。
ポーの作品に人間はいない。そして、ブラッドベリの作品にも。
二人の最大の共通点はそこではないかと思っている。
そして、二人とも素晴らしい短編を数々残した。
ポーの『告げ口心臓』 ブラッドベリの『使者』ともに震えが来るほどに凄い作品だと思った。

※採点は7点としますが、本短編集は偏愛の対象です。

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