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ミステリの祭典

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太陽がいっぱい
トーマス・P・リプリー/別題『リプリー』

作家 パトリシア・ハイスミス
出版日1971年01月
平均点6.38点
書評数8人

No.8 6点 レッドキング
(2024/05/08 21:38登録)
映画「太陽がいっぱい」、サスペンスと言うよりアランドロン映画で、鬱屈した超美形青年の残酷で切ないピカレスク浪漫だった。で、この原作の方の主人公、恵まれない環境を、器用すぎる・・経理・営業から執事・ジゴロ・食客・詐欺に至る・・溢れる才覚で、乗り切って行く青年だが、ただ飽きっぽい。一方、相手方の大富豪ボンボン、映画では、如何にもな高慢俗物青年だったが、ここでは、主人公にシンメトリカルなくらい複雑な感性持った疑似アート青年。あまりにも名作すぎたあの映画が無ければ、如何にも作者らしい、屈折した同性愛悲劇として読めたろう。
※はるか昔の対談で、映画評論家の淀川長治が「この映画、史上初のホモ映画なんですねェ」とドヤ顔で自慢して、対談相手の吉行淳之介が「え?まさか・・」て感じで驚いていたが、あの頃、日本ではまだ、この作者の事は知られていなかったんだろな。

No.7 7点 ◇・・
(2022/06/30 18:02登録)
ミステリの分類上は犯人側から描く倒叙ミステリである。全体の三分の一当たりで殺人が実行される。
ただこの作品の場合、殺人で犯罪計画が完了するのではなく、その後犯人が被害者になりすまし、財産を横領する部分が計画のメインでもある。殺人がどう暴かれそうになるのかというスリルと、●●●●がどこまで通用するのか、財産横領は成功するのかといった犯罪小説としての面白さが並行していく。
その過程で、予定外の殺人も犯してしまうなど、主人公のリプリーの行動は場当たり的で、必ずしも綿密な完全犯罪とは言えないのだが、作品そのものは高度で緻密な構成のミステリである。

No.6 7点 ROM大臣
(2021/08/23 16:29登録)
主人公リプリーは殺した富豪の息子になりすますのだが、それはただ、金のためだけではなく、自己が演じる一人二役に陶酔し、関係者がすっかり騙されることに倒錯した歓びを感じているのではないかと思わせる部分がある。
こうした犯罪に隠されたセクシュアルな部分を描くのが、ハイスミスの真骨頂といっていい。ここでは、警察も探偵もヒーローとは程遠い、傍観者、観察者の役割しか果たせないのだ。たとえ事件が解決しても誰も救われない、読むものにとって永遠に続くかのような不安な世界がそこにある。

No.5 7点 tider-tiger
(2018/12/31 14:00登録)
~トム・リプリーはかつての同級生の父親グリーンリーフ氏よりイタリアにいる息子ディッキーをアメリカに帰るよう説得して欲しいと依頼された。ただでイタリアに行ける。魅惑的な話だった。
イタリアでディッキーと再会するも、トムは次第に彼に愛憎半ばする感情を抱くようになる。そして、とある計画を思いつくのだった。

1955年アメリカ作品
非常にハラハラさせられる作品だが、冷静に考えるとグダグダである。というのも、ハラハラの原因が主人公のあまりにも場当たり的な犯行にあるからである。そのうえ警察、関係者に至るまで総じてあまり賢くない。普通はこういう小説は面白くない。
マヌケがマヌケな失敗を繰り返して窮地に陥る話がサスペンスとして面白くなるわけがない、のだが、なぜだかとてもスリリングで面白い。
原題は『The Talented Mr.Ripley』なのに、ちっともTalentedではないトム・リプリー。だからこそ、彼への憐れみといおうか、感情移入を誘うのだろう。ゆえにあのラストが許されてしまうのだろう。
怖ろしく危いバランスでどうにか成立している話に思える。
この作品が成功したのはハイスミスの特異な才能によるところが大きいと思う。
『死の接吻(アイラ・レヴィン)』のプロットでハイスミスが書いたらどんなものになっていただろうか。想像するだけでワクワクする。
※アイラ・レヴィンはパトリシア・ハイスミスよりも下だと言いたいのではありません。あくまでハイスミスとレヴィンの才能の融合がとてつもないものを生み出していたのではないかという夢想であります。
作中ヘンリー・ジェイムズの作品について言及があるが(弾十六さんがついこの間この作者の『ねじの回転』を書評されていた)、心理小説の先駆者的な人で、ハイスミスも影響を受けていたのかもしれない。
『ジョジョの奇妙な冒険』の第一部、ディオの造型、ディオとジョジョの関係性はこのリプリーからかなりの影響を受けているのではないかと感じる。

最後にグリーンリーフ氏がディッキーの作製した船の模型についてリプリーに話す場面を引用して終わりたいと思います。
みなさま、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。

~(グリーンリーフ氏のセリフ)「骨組みの模型は見せてもらいましたか? 図面も?」
見せてはもらえなかったが、トム(リプリー)は楽しそうに言った。「ええ! もちろん。ペンで描いたものでした。何点か、すばらしいものがありましたよ」見たことはなかったが、いまはありありと思いうかべることができた。すべての線、ボルト、スクリューがきちんと描かれている、玄人はだしの正確な図面だった。ディッキーが微笑しながら、図面をかざして見せてくれている姿まで想像できた。さらに何分間か、そのときの様子をくわしく話して、ミスター・グリーンリーフを喜ばせてやってもよかったが、彼は思いとどまった。
「そう、リチャード(ディッキー)には、ああいう方面の才能があった」
ミスター・グリーンリーフは満足そうに言った。~

No.4 4点 ミステリーオタク
(2016/08/19 18:43登録)
映画はまぁまぁだが、原作は凡作

No.3 7点 蟷螂の斧
(2013/08/25 08:33登録)
英米ベストランクイン作品(日本の東西ベストランク外)で映画化された主なものに、「太陽がいっぱい」(本作)「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「007/ロシアから愛をこめて」「第三の男」「見知らぬ乗客」「ナヴァロンの要塞」「「ゴッドファーザー」「レッド・オクトーバーを追え」「ローズマリーの赤ちゃん」などが挙げられます。英米と日本との嗜好の差が、かなりあることがわかりますね。特に日本で人気のエラリー・クイーン氏の作品が英米推理小説ベストに1冊もランクインしていないことは驚きでした。さて、本作は映画(アラン・ドロン主演)のラストシーンに強烈な印象が残っているため、若干物足りなさを感じました。しかし、前半の、富豪の息子ディッキーとその恋人マージの間に主人公リプリーが入り込み、奇妙な三角関係が生じていく様や、心理描写は読みごたえがありました。また、後半はサスペンスフルな仕上がりになっていました。

No.2 9点 mini
(2013/07/16 09:56登録)
* 1913年生まれ、今年が生誕100周年作家を漁る、その第3弾
今回は番外編として作家じゃなくて映画監督で、仏のルネ・クレマン監督も生誕100周年である

『禁じられた遊び』などで有名なルネ・クレマン監督はミステリーとの関わりは深く、例えば『雨の訪問者』は小説が原作ではないが脚本はセバスチアン・ジャプリゾだ
しかし何と言ってもクレマン監督と言えばアラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』だろう、そしてその原作がパトリシア・ハイスミスの「リプリー」である
一度書評済なのだが例のデータ消失の時に消えた1つなので復活
ハイスミス唯一のシリーズキャラが5作に登場するリプリーで、その記念すべきシリーズ第1作目がこれ
ハイスミスの特徴である、痛い虫歯をわざと突っつくようなマゾ的快感が存分に発揮された名作だ

No.1 4点 TON2
(2012/11/05 19:51登録)
アランドロン主演の映画「太陽がいっぱい」の原作です。
主人公のトム・リプリーはホモで、無感動な殺人鬼です。
これは、映画のほうが面白かった稀有な例だと思います。

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