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ミステリの祭典

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平均点:6.71点 書評数:369件

プロフィール| 書評

No.289 7点 白昼の死角
高木彬光
(2020/01/04 02:06登録)
これだけの厚さでしかも同じようなことの繰り返し。それでも最後まで楽しく読めてしまいます。リーダビリティの高さでは高木彬光作品でもトップクラスではないでしょうか。
しようもない連中ではありますが、どこか憎めないところがあります。
特に鶴岡氏には一本筋が通っていて、不思議と嫌悪感は湧きません。
実話を基にした詐欺師の物語ということもあり、自分は今でもさほど違和感なく読めますが、手口の稚拙さを指摘されている方もいらっしゃるようで。まあ、この時代はまだまだ緩かったということでしょうか。
父親のお気に入り作品ですが、私はあまりの分厚さに腰が引けておりました。
なのに「絶対面白いから読め読め」と(当時中学生の)息子にこれを薦めてくる父親というのはいかがなものでしょうか。

追伸
>>時勢に合った悪事そのものより、悪事を時勢に沿わせる戦略がミソゆえに
そうそう! 急いで書いたので大切なことを書き忘れていました。
今もなお犯罪の歴史として興味深く読めてしまうのですよね!


No.288 6点 湖底のまつり
泡坂妻夫
(2019/12/25 23:45登録)
冒頭の情景描写からなにかおかしいと感じさせる。これは泡坂妻夫なの?
なにが飛び出すのかという期待でグイグイと読まされてしまう。
何人かの方が言及されているように無理があると思う。そのため見事に騙された感じはしない。
ただ、読んでいる最中の眩暈感はさすが。
また、話に無理はあっても、読者に対してフェアであろうという姿勢は好感(一点疑念あり)。作品に合わせて湿り気を帯びた文章を選択し、なおかつ使いこなしている点も好感。舞台背景もいい。村の祭り、官能描写などの使い方も見事だと思う。
あまりよく知らない世界のことが描かれている部分は門外漢の私にはこういうことはけっこうありそうだなと思わせたが、専門知識をお持ちの方はどのように感じるのか気になった。
ファンの間でも好き嫌いが分かれそうだが、強く推す人がいることは理解できる。かなり無理があるので結果的にはまあまあかなといった感想だったが、泡坂妻夫への好感度をさらに上げてくれた作品である。


斎藤警部殿が指摘されている執拗に繰り返される描写は私も気になっていた。また、刑事の娘が物語の中でどのような役割を与えられているのかがひどく気になったものだが……。


No.287 6点 暗殺のソロ
ジャック・ヒギンズ
(2019/12/25 23:42登録)
~当局がクレタン・ラヴァーと名付けた謎の暗殺者の正体は有名なピアニストだった。クレタン・ラヴァーことジョン・ミカリは世界各地へと演奏旅行に赴くかたわら、要人の暗殺を繰り返している。だが、イギリスでのお仕事で逃亡の途上誤って無関係な少女をひき殺してしまう。ミカリには彼女の父親が英国パラシュート連隊で名を馳せた勇士エイサ・モーガン大佐だとは知る由もなかった。~

1980年英国。本国ではハリー・パターソン名義で出版される。
コンパクトにまとめてあり、リーダビリティも高い。だが、そうしたうまさが物足りなさと表裏一体となってしまった感じ。血流は良いが、背骨が弱い。
背骨の弱さとは、ミカリが演奏会を行うと要人の暗殺事件が起きるという非常にわかりやすい事実がモーガン大佐の登場まではずっと見落とされてきたのはおかしいとか、そういうことではない。
ジョン・ミカリの過去の話なんかはまあまあ面白いのだが、ミカリの特異な人間性や能力についてあまり具体性や説得力がない。主義主張があるわけでもないのになぜ要人暗殺を繰り返すのかもいまいちわからない。
エイサ・モーガン大佐についてもどうも書き流している印象がある。モーガンと娘の関係についてほとんど筆が費やされていないのが特によくない。そのせいで復讐が妙に図式的で切実さに欠けている。父と娘のエピソードが一つ二つは欲しい。
主要人物二人の描き方がいまいち薄味であるにもかかわらず、脇筋のIRAに関しては妙に筆に力が入っている。IRA所属の少年が妙に輝いて見えるのは気のせいか。
うまい画家は余計な線を描く必要がないので、絵に厚みが出ないと逆に悩むことになったりするらしいが、同じように本作はさまざまな要素が盛り込まれ、そつなく仕上がっていて面白いのになぜか厚みを感じさせないのである。それがうまさであるならばマクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』みたいに不器用不細工なくらいの方がいいと思ってしまう。


No.286 6点 引擎/ENGINE
矢作俊彦
(2019/12/08 21:25登録)
~築地署員の片瀬游二(りゅうじ)は馴染の中国人からマイバッハの強奪を企図する窃盗団に関しての情報提供を受けた。築地署長は大量の動員をかけることを決意し、游二も先輩刑事と狙われているマイバッハを警察車両から見張っている。夜明け近くになって車の爆音が轟く。游二が一人車を降りて様子を見に行くと、一台のランチアがやって来て宝石店の前で停まり、女が一人降りた。
そのとき、一緒に張り込みをしていた先輩署員から連絡が入る。
「すぐに戻ってくれ!」
だが、車を降りた女が游二の目の前で宝石店のショーウインドウに銃をぶっ放しはじめたのだった。~

大藪春彦を目指しなさいと言ってくれた恩人に献辞が捧げられている。
矢作が大藪春彦を目指すとこうなってしまうのか……。
カーチェイス、銃撃戦、挙句の果てには爆弾まで。ここはどこの日本ですか?とにかく派手。やたらと人が死ぬ。爆発する。怪しい外国人が大勢出てくる。一人で『西部警察』をやっている。 かなりクレイジーな人物が登場する。
いち刑事がこんなとんでもない事案に一人で食い込んでいけるものなのか。御都合主義や無理な偶然が散見され、かなり無茶苦茶な話である。だが、引き込まれてしまう。困ったものだ。
三人称小説だが、しばしばそれを忘れるくらいの、かなり一人称的な三人称で書かれている。かなりのテクニックだと思った。
装飾は少なめのアクション重視、スピード感勝負の文章。アクションシーンではノリが良すぎてなにが起きているのかよくわからなくなったりもする。荒唐無稽を覆い隠すための作戦か? 
矢作の良さはもちろん出てはいるが、チャンドラーの匂いは後退しているので、そういう矢作を期待しているのなら別の作品を選んだ方がいい。
あまり考えてはいけない。感じるんだ。そういう作品。
面白かったし、ラストもよかった。
7点つけたいが、あまりにも強引なので1点マイナス。


No.285 8点 ナイルに死す
アガサ・クリスティー
(2019/12/08 21:21登録)
1937年英国。ミステリとしてもドラマとしても面白い作品です。
好き嫌いならば、バードさんと同じく有名作である『アクロイド』『そして誰も』『オリエント急行』よりも本作の方が好きです。
ただ、ミステリとしては名作とまでは思えません。インパクトや斬新さでは上記三作に劣ると思います。ドラマ部分との合わせ技で名作足り得る作品になったと考えております。
けっこう早いうちに全体の構図は見えてしまいましたが、それでも充分に楽しめました。本作はミステリをそれほど読み込んでいない人の方が真相に気付きやすいかもしれません。
ドラマとミステリのバランスがよいという御意見が散見されますが、同感です。序盤に大胆な省略がなされておりますが、バランスという意味でもミステリ的にも賢明な切り方だったと思われます。
登場人物がけっこう多くて煩雑になりそうですが、適当な匙加減で書き分けているのはさすがです。さらにそれぞれの人物にそれぞれの結末をきちんと用意してあるところなども目配り効いているなあと感心します。
なんというか、ラストの一文には薄ら寒さを感じます。意地が悪いなあと思うのは穿ちすぎ?

クリスティの(ミステリとしての)傑作ではありませんが、クリスティの代表作だと思います。代表作を選ぶには未読があまりにも多いのではありますが、現時点でのということでご容赦ください。
miniさんが以前にいくつかの御書評の中で名作と代表作をきちんと区別すべきだと提言されていらっしゃいました。代表作を『その作家の特徴をよく示す作品』だとする考え方には私も賛成です。『代表』という言葉をいかように定義するかによって答えが変わってくるとは思いますが、個人的には『傑作、名作(優秀な作品)』『代表作(その作家の特徴をよく表している作品)』『有名作(一般認知度が高い)』という分け方をしております。
ちなみに『好きな作品』が『名作』どころか、ちっとも優秀ではないことが私の場合は往々にしてあります。


No.284 6点 能面殺人事件
高木彬光
(2019/12/03 00:07登録)
初読は30年以上前になるが、当時はAはおろか、その他の作品もすべて未読だったので仲間はずれにされたような気持ちになった。それなりに驚いたが、それほど好きな作品ではなかった。なまじ変な知識がついたせいで、学校で予防接種を受ける時に「きちんと~したか」を医師に質問して嫌な顔をされたことを憶えている。
今はなかなか意欲的で優れたアイデアも散りばめられた悪くない作品だと思っている。容疑者が少なすぎるのが惜しいが、これはラストをああしたかったから致し方ないのかな。
かなり凝っている作品だと思うのだが、その複雑さのせいもあってか随所にぎこちなさが見られ、いまいち流麗ではない。ただ、細部に数多のアイデアが注ぎこまれており、そこは未だに感心する。意欲も買う。が、筆力がついてきていない印象がある。非常にもったいない。発表当時は犯人の意外性もあったのだろうが、はたして今の読者が意外に感じるだろうか。Aへの挑戦としてはいまいちな戦果だったが、「他人に~を~せる」ための工夫は評価したい。写真放置の件は犯人の心情的にはあり得ないが、この見地からするとありではないかという気もする。
6点か7点か迷ったが、6点。

既存の部品を組み合わせ方を工夫することによっていかに新しく、魅力的に見せるのか。創作においては一手段として常に密かに行われていることではあるけれど、それが手段というより目的であるかのような作品もある。故殊能将之氏なんかはこうしたアプローチで洒落たものを書いていた印象がある。氏はネタバレのような無粋なことはしない。知っている人がニンマリすればいいというスタンスだろう。
はてさて執筆当時の高木氏の心境やいかに。現在の読者であれば阿吽の呼吸で汲み取ってくれることでも当時の読者はどうなのか。あるいは発表当時(昭和27年)は推理小説はまだまだ一部マニアのものであり、本作はそうしたマニアの内輪受けを狙った作品だったのか。いろいろなことを考えてしまう。


No.283 7点 あなたの人生の物語
テッド・チャン
(2019/11/16 20:51登録)
新作『息吹』がいよいよ来月刊行されるようです。買うのは文庫になってからと言いたいところですが、けっこう待たされそうですね。

純粋にエンタメとは言い切れない作風に感じます。そうかといっていわゆる文学ではありません。いかにもSFらしい書き方なんですが、SFど真ん中というよりはアヴラム・デイヴィッドスンみたいな奇想系に寄った人のように思えてなりません。私のようなSFを少しかじった人間ではなく、深いSFファンがすごいSFだとあちこちで言ってますのでもちろんSFなのでしょうが。
そんなわけで、個人的にはここまで広く人気があるのは少し不思議な気がしています。
私も天才とはあまり感じませんでした。天才というよりは奇才と呼ぶ方が合っているような気がします。

★バビロンの塔 どうやってオチをつけるのかと思っていたら、頭の体操(多湖輝)のようなオチで楽しかった。もう少し短くまとめても良かったのでは。6点
★理解 これはきちんとエンタメしてます。いわゆる高知能者の一人称小説はかなり厳しいものありますが、それほど違和感なくまとまっています。本短編集内でもっとも早く書かれた作品らしいですが、かなり若い頃の作品という印象が強くあります。7点  
★ゼロで割る 正直なところ話自体は大して面白いとは思いませんでしたが、サイエンスを物語にいかに絡めていくのか、作者の特徴がよく表れている作品のように感じました。5点
★あなたの人生の物語 テーマとアイデアはもろに『スローターハウス5』ですが、物語や書き方はまるで違うし、読み味もまるで異なります。スローターハウス5は胸中にジワジワと広がるなにかがありますが、こちらは胸に突き刺さりました。9点(客観評価8点、個人的嗜好で+1)
※虫暮部さんのご指摘は強引ではないと思います。
★七十二文字 これは面白かった。7点
★人類科学の進化 着眼点は面白いと思いました。もう少し頁数が欲しい。6点
★地獄とは神の不在なり これは合いませんでした。なぜか空々しく感じてしまったのです。4点 
★顔の美醜について――ドキュメンタリー 面白いんですけど、もう少し深堀りしたオチが欲しいと思うのは贅沢でしょうか。6点


No.282 5点 猫は手がかりを読む
リリアン・J・ブラウン
(2019/11/13 22:59登録)
~かつては事件記者として鳴らしたこともあったジム・クィラランだったが、転職に次ぐ転職の挙句に長らく無職同然の生活が続いていた。デイリーフラクション紙にて新聞記者としての再起を計ろうとするが、用意されたポストは畑違いの美術記者。しかも社のお抱え美術批評家は町のほとんどの芸術家から嫌われ、町に軋轢を生む問題児。無知に等しい美術業界に飛び込み関係者たちの思惑を読み取りつつもうまく立ち回ろうとするクィラランだったが、とある画廊のオーナーが殺害され、事件記者へと戻ってしまうのであった。~

1966年アメリカ作品。作者本人も新聞記者であり1979年に退職されているようなので、現役の記者時代に書かれた作品ということになります。miniさんが詳しく書かれているように日本では順番が滅茶苦茶に出版されました。個人的な記憶だと1990年代前半には書店にズラッと作品が並んでいたような気がします。確か同じ頃にローレンス・ブロックの泥棒シリーズも棚に揃っていたような。今よりもはるかに不便でしたが、妙にあの頃が懐かしい。
で、本作なのですが、書店で表紙とタイトルから想像するのと、実際に読んでみたのとでは印象が大きく異なりました。
ミステリ的には猫はいてもいなくてもどうでもいい感じで、そもそもミステリとしては物足りなさを感じます。序盤は話の動きが遅くて、エンタメとしてもそれほどいい点数はつけられません。猫好きをくすぐるようなシーンは随所にありますが、猫が好きならそれだけで楽しめる話というわけでもありません。
ただ、それでもけっこう読ませます。
1966年の作品にしては古さをほとんど感じませんし、キャラもいい感じです。突出した人物はいませんが、適度に変人だったり、適度に人間味があったりで親しみやすいです。さりげなく描かれた記者連中の大らかな生態(いわゆる大新聞ではないから?)なんかも自然で好感がもてました。
芸術関係者への取材、嫌われ者の批評家及びその飼い猫との親交などが描かれた前半部分の方が好きです。嫌われ者の批評家は本当にイヤな奴なのか、彼は真に芸術を解する者なのか、あるいはインチキ野郎なのか。
後半はミステリとしての体裁を整えることに力が注がれて(当然なんですが)、小説としてちょっと余裕がなくなってしまったように感じました。
ミステリとして物足りない点、後半がやや落ちるということ勘案して採点は5点としますが、アメリカ的な大らかさとちょっと洒落た雰囲気を味わえる悪くない作品だと思います。


No.281 5点 ブレイン―脳
ロビン・クック
(2019/10/30 00:33登録)
~放射線科の医師マーティン・フィリップスの勤務する医療センターに視覚、嗅覚の異常、歩行困難、癲癇様発作などの症状を訴える若い女性患者が続出していた。脳に起因する症状なのだろうが、はっきりとした病名が付けられない。フィリップスは友人が開発したコンピュータープログラム(人工知能のようなもの?)を駆使してその謎に挑むのだが……。~

読んだのがちょうど牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病騒動のあった頃だったので、これかななどと早とちりをしたが、冷静に考えるとそんなわけはなかった。本作が書かれたのは1981年(アメリカ)。
医学面では古びてしまっているところがあるが、現代においても変わらぬ医療倫理の問題を扱っている。前に書評した『コーマ―昏睡』もかなり不気味だったが、本作はそれをさらに上回る不気味さがあった。物語の構造はコーマとほとんど変わらず、コーマのエンタメとしての欠点もそのまま継承してしまっている。
病院で不審な事例が相次ぎ、主人公たちが原因を究明しようとする前半部にかなり頁が割かれる。その原因は予想外のところにあって、後半はアクションが少しありつつも展開が急に早足となっていささか尻切れとんぼに物語は閉じる。
主人公のフィリップス医師にはコーマのヒロインのようなアクはない。良くも悪くも薄い。感情移入はできないが、さりとて嫌悪感も湧かない人物だった。ただ、終盤にかなり酷いこと(のように私は思った)を一つやらかすので結果としてはこちらも印象があまりよくない。
医学ミステリに興味のある方ならそれなりに楽しめると思う。興味のない方にはあまり用のない作品かもしれない。

ロビン・クックはどことなくマイクル・クライトンに通ずるものを感じる。二人とも医学博士で、舞台背景の描写がしっかりしており、雰囲気や人物が紋切り型なところなども似ている。
違うのはクックはクライトンほどのエンタメ精神、サービス精神はなく、テーマ(医療倫理)に重きを置き、テーマを軸に物語を構築している印象が強い。そして、解決がない。問題提起のための小説といった感がある。


No.280 5点 メグレと録音マニア
ジョルジュ・シムノン
(2019/10/22 00:14登録)
~パルドン医師の家で恒例の食事会が行われていた。ところが近所の住人が医師宅のドアを叩いた。通りで怪我人が出たという。雨の中、現場に駆けつけるメグレとパルドン医師。二十歳そこそこの青年が刃物で刺されて意識を失っていた。病院に到着してすぐ彼は死んだ。彼の持ち物の中には黒いテープレコーダーがあった。~

1969年フランス。読みはじめてすぐに、これは今でいうオタクについて書かれた先駆的な作品ではないかと予感した。ところが、そんな話ではぜんぜんなかった。
そもそもフランス語の原題には『録音マニア』という言葉は含まれてはいないらしい。やむを得ない事情があってこの邦題となったそうだが(詳細は空さんの御書評を参照)、録音マニアなる言葉は使用すべきではなかったと思う。
本作は前半と後半が分断されて別の話のようになってしまうので、前半は結局なんだったんだろうとキツネにつままれる読者もいるかもしれない。タイトルに録音マニアとあるのにいつのまにか録音はどうでもよくなってしまい、疲労感は増大する。
結局シムノンが何度か扱ったあの手の話になってしまうのだ。それだったらテープレコーダーを活かして新機軸の話にすればよかったのにと思ってしまう。当時はテープレコーダーなんてものは珍しく、それを登場させるだけでも意義はあった?のかもしれないが。
さらにこの作品は過去の作品のさまざまな要素(エピソードやキャラ、構造など)が見え隠れしている。細かいこと言わせてもらうと、メグレ夫人が外出するのに花柄のワンピースじゃ寒いかしらみたいなことを言って、メグレが大丈夫だよと返事する作品が他にもあった気がするし、ラストシーンまであの名作とかぶる。
ただ、ラストの印象はガラリと変わっている。メグレが優しすぎる。シムノンも年を取ったのかなと思わせる。これはこれでなかなか味わいがあって嫌いじゃないです。
※空さんと雪さんが『メグレとワイン商』は本作のリメイクと指摘されていますが、自分は未読です。
多作だし似たようなことを書いてしまうのは致し方ないとは思うものの、どうも悪い意味での継ぎ接ぎ感がある。きちんと先を見通して書いたのではなく(いつもそんな感じらしいのだが)、いわゆる手癖で書いているように思えた。これは失敗作だと思う。
ただ、メグレシリーズのいいところ?は完成度が高かろうが低かろうが、あまり関係なく、面白く読めてしまうことである。だから最低でも5点はつけたくなってしまう。
本作も4~5回は読んでいるが、やはり面白い。メグレ夫人もいい感じだし。
シムノンで4点以下をつける作品……空さんが低評価、雪さんもダメな作品の例としてあげていたのがあるけど、候補はあれくらいかな。


No.279 6点 ポケットにライ麦を
アガサ・クリスティー
(2019/10/20 12:40登録)
1953年イギリス作品。ミステリとしては標準を楽にクリアしていると思うのですが、どうにも物足りなさが付きまといます。大隊としていまいち統合されていなくて、個々の小隊が好き勝手に暴れて戦果を上げているような印象。面白さを盛り上げる演出がいまいちうまくいっていないような気がするのです。
例えば、見立て。使い方は面白いのになぜかインパクトに欠けます。なので、その見立てから取ったタイトルも響きはよいのに、いまいちずれているような気がしてしまいます。
逆に犯人の計画の中にそれはいくらなんでも危険だろうと感じるところ(おそらく空さんが指摘されているところだと思われます)がありますが、その温さを利用してのラストはとてもよかったと思います。
このラストのためにあえて温い計画にしたのか、温い計画をこのラストで誤魔化したのか、たぶん前者だと思いますが……。
採点はクリスティでなければ7点、クリスティだと彼女の標準、もしくはちょい上くらいかなということで6点としておきます。

本作にはミステリ要素ではなく、小説的な意味で作品の雰囲気を作り、作品テーマを匂わせるキャラが二名いたと感じています。一人は事件を俯瞰しつつ、諦観してしまっていたキャラ。ミステリにありがちなキャラではありますが、この人物の登場シーンは緊張感があり、物語に一本筋を通していたように思います。
そして、もう一人。こちらはミステリ的な意味では機能していたけれど、小説的にはいまいち使いきれていなかったような印象あります。もったいない。
このキャラをもっとうまく使えていれば、クリスティ再読さんが指摘された
>>「殺人における階級制度」をトリックにしていることである。
ことをもっと深く明確にできたのではないかと感じます。

マープルの怒りを惹起した点などからもマザーグースからタイトルを拾うならば以下の箇所から取って欲しかったところ。
The maid was in the garden,
Hanging out the clothes,
There came a little blackbird,
And snapped off her nose. 
(マザーグース、六ペンスの唄の一部をwikiより)
語呂はちょっと悪くなるけど『Blackbird snapped off her nose(黒ツグミがメイドの鼻をついばんだ)』みたいな感じになるのでしょうか。


No.278 8点 五匹の子豚
アガサ・クリスティー
(2019/10/17 20:52登録)
1942年イギリス。ミステリとしても小説技術的な意味でも非常に好印象。クリスティの職人的な凄さ満載の作品だと思います。
トリックらしきものはありませんが、誤誘導が極めて巧妙です。繊細な罠(翻訳がついていかれないほどに)があちこちに張りめぐらしてあって、それらにいちいち引っ掛かってしまった読者(自分含む)こそがもっとも幸福かもしれません。

本作は人物描写についても高評価が得られているようですが、もちろんこれは人物を軸にプロットを練った作品ではないでしょう。むしろ極めてゲーム性が高い。すなわち、プロットに合わせ、さらに奥行きを持たせることを計算しながらの人工的な人物描写、でありながら、性格、思考、行動などが直結しています。凄い技術だと思います。
証言者たちは十五年前の殺人事件の話をしろと迫られて、困惑したり、警戒したりしています。そこでポワロは相手によって出方を変えて話を引き出すのですが、相手の困惑や警戒が消失していく瞬間がしっかり書かれていて、そこがその人物の個性であり、それがプロットにも活かされていったりします。
ただ、桂文珍のエピソードはちょっと強引かなという気がしました。心理的な縛りを設けるのに必要なパーツですが、あの人物がカッとなったとはいえそんなことをするとは思えないんですよね。

ある一点だけですが、セイヤーズの『学寮祭の夜』に通ずるものを感じます。学寮祭の場合はそこがいまいち驚きに繋がっていないのですが(驚きを狙っていない)、こちらはその点で驚愕させられました。
クリスティが好きで、次にライバルと言われているセイヤーズを読んだらガッカリということがしばしばあるそうですが、クリスティとセイヤーズは読みどころがずいぶん違います。イチローにテニスをさせても彼の凄さはわかりません。

>>ポアロの絵の最終的な評言がクリスティらしいクールな恐怖感があって極めて印象的。評者だったらこのポアロの言でカーテン静かに閉まる、かな(クリスティ再読さん)。
まったく同感です。それから、真相と結末の二つの章に分けているところ、分ける必然性がないというか、むしろ不自然に感じます。これは章を五つで一つのかたまりにする構成に拘ったんでしょうね。こういうところも職人的な名作を感じさせます。
個人的にはクリスティのベスト5入り、客観的に見てもベスト10には入る作品ではないかと思います。


No.277 9点 ナイン・テイラーズ
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/10/13 11:10登録)
関東からハギビスがようやく立ち去り、安否が気にかかっていた野良猫の鳴き声が聞こえて、外に出て家の周囲の折れた木の枝などを拾いながらナイン・テイラーズを想う。

1934年イギリス作品。一歩間違うと馬鹿馬鹿しい駄作になりかねない話を壮大かつ美しく仕上げた傑作。同じように一歩間違うとすごくつまらない話になりかねない『学寮祭の夜』と並んで危険な綱渡りをした感じがすごくする。
ミステリ史に残る傑作とされているが、実に危うく、ミステリ的にはけっこう肩透かしな部分も多い。埋葬のため墓を掘り起こしたら死体が出てきたというツカミの謎や事件が人情により混迷の度合いを深めてしまった点などミステリとして面白い部分ももちろんあるが、緻密な構成やロジカルに犯人を詰めていく点ではむしろミステリ色薄いとされる『学寮祭の夜』の方が上ではなかろうか。犯人についても、物語としては必然といってもいいくらいだが、ミステリ的にはやや梯子外しの感がある。

ウィムジィ卿が鐘撞きに参加させられる導入は楽しく、すべてを無に帰すかのような、それでいて事件の性質を象徴しているラストが素晴らしい。
鐘撞きに関しては、撞き手の動きをなんとなく想像し、曲はまるでわからないので鐘の音だけを想像して読んでいた(今回の再読前にクリスティ再読さんが書評に書かれていた"change ringing"の動画を視たが、想像していた風景とずいぶん違っていた)。
本作には興味深い人物が何人もいたが、絶対に変わらぬ世界の中に人間が無造作に置かれている印象がある(プロットに合わせてキャラが作られていくといった意味ではなく)。
怪獣大図鑑みたいな本で怪獣の身長とか出生地とかをいちいちチェックするのが好きだった私としては、一つ一つの鐘に説明があったのがとても嬉しい。ウィムジイ卿の担当した二番鐘サベイオスの鐘銘が好き。
――聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな 万軍の 神なる 主――
鐘と担当する人間の関連性を考えたりするのも一興かもしれない。

あとがきによればセイヤーズは本作にはかなり力を入れていたことが窺えるが、作者本人による前書きも興味深い。
以下のようにはじまる。
~教会の鐘の音に対する苦情というものを、ときおり耳にすることがあります。~(百年前からこういう苦情ってあったのね)
神話的なスケールがあり、いろいろ深読みもできそうな作品ではあるが、セイヤーズの思いはこの前書きに凝縮されているのかもしれない。
いかにも英国人的な保守主義、懐古主義であり、日本人にも同様な気質がある(除夜の鐘に苦情を言う人もいたりする)。こんなことを書いていたら、The KinksのVillage Greenが聴きたくなってきた。


No.276 6点 スワッグ
エルモア・レナード
(2019/10/09 21:07登録)
~小悪党スティックは車を盗んだ現場を目撃されて逮捕される。ところが、その目撃者は現場でスティックと会話まで交わしたにも拘わらず、法廷で犯人はスティックではないと証言する。スティックは裁判の後この目撃者に声をかける。男の名はフランク。フランクはスティックに『成功と幸福をつかむための十則』をぶち上げ、「もっとも効率のよい犯罪」を一緒にやらないかと持ち掛ける。~

1976年アメリカ作品。『スティック』の前日譚である。
導入はソーメンのようにツルツルと入って来る。冷静に考えるとリアリティに難ありだが、自然で軽妙な会話についつい引き込まれてしまう。「リアリティ? そんなの関係ねえ」のである。軽妙な会話で引っ張り、鮮やかな場面転換がさらにテンポよく読ませる原動力となっている。
プロットは大筋のところでは単純である。ただし部分部分に粋な趣向が仕込まれていて飽きさせない。個人的にはラストが大好き。なんというか……
本作執筆時はまだまだ売り出し中だったが、すでにエルモア・レナードらしさは十全に発揮されている。
エルモア・レナードらしさ……例えば『スプリットイメージ』という異常心理を扱った作品があるが、異常心理ものとして優れているかどうかはともかく、エルモア・レナードしかできないような料理の仕方で、他と一線を画したものに仕上がっている。らしさを理解しやすい作品だと思う。
伊坂幸太郎が好きな方なんかはエルモア・レナードを読むとニンマリできるかもしれない。

考えすぎかもしれないが『ゴッドファーザー』の影響を感じた。
あのシーンはゴッドファーザーの焼き直し? 場面の劇的さでは敵わないが、罠に誘導していく話術の巧みさが素晴らしい。
また、スティックは自分を騙した相手について、あいつは俺に対して好意も敵意も抱いていないと断言する。スティック自身もあいつのことが嫌いではないという。こういう割り切りは「あくまでビジネスなんだ」というゴッドファーザーの世界に通じるものがあると思う。
ゴッドファーザーからの頂きだという確証はないが、本当にそうであったとしたら、エルモア・レナードのタッチに見事に変換した上等なパクリだと思う。パクリには作者のセンスが如実に表れる。


No.275 6点 ゲッタウェイ
ジム・トンプスン
(2019/10/09 21:06登録)
1959年アメリカ。自分は昭和四十八年十二月三十日発行の三刷を所有。こちらはamazonに登録なし。購入したのは二十年以上前。最後のページの上部に「絶500」と書かれている。一時期は古書価格が五千円くらいにまで上がっていてシメシメと思っていたのだが、今は九百円くらい……残念。

息苦しくなるような男女の心理描写はいかにもトンプスンだが、プロットは意外にもまっとうなエンタメ作品。いささか古めかしいが、ひねりもあって、まあまあ面白い。トンプスンもついに売れ線狙いできたのかななんて思わせてしまうような展開(個人的にはとある恐怖症があるせいで、とある場面が非常にきつかった)。
ところがである。
最後の章がそれまでの筋と断絶してしまっているように感じた。トンプスンは一筋縄ではいかない作家ではあるが、いつもはやばい予感ぐらいはあるのだ。だが、本作は悪い意味でポカーン。
人並さんでさえ困惑されるような展開であるから、これは大抵の人が同じ反応を示すと思う。
人並さん曰く『渇きの果てに泥水を呑まされたような後味』まったく同感。書評も新しく付け加えるようなことがあまりなくて、申し訳ない感じがする。
スウィフトの影響とかも言われているが、いやそれにしたってこれは毒を盛り過ぎだし、継ぎ目がはっきり見えてしまうというのは小説としてはダメなんじゃないかと感じる。この継ぎ目を塞いでしまうようなレビューをどなたかが書いて下されば非常に嬉しい。
ただ、この最後の章は、これ単体でみると悪くない。いや、とてもいいんじゃないかと。今読んでも感情を、本能を揺さぶるなにかがある。
結論 変な小説である。けっこう好きだが、完成度には難あり。

トンプスンを最初に読んだのは再評価がはじまって何年か経ってからで90年代はじめだと思う。御多分にもれず初読みは河出版の『内なる殺人者』。リアルな異常者の造型とラストシーンの素晴らしさに打ちのめされて、ポツポツと読んでいった。


No.274 9点 学寮祭の夜
ドロシー・L・セイヤーズ
(2019/09/26 12:02登録)
~ミステリ作家ハリエット・ヴェインは母校オックスフォードの学寮祭に参加した。変わらず活力に満ちた学友いれば、変わり果ててしまった学友もいる中、中庭で汚らわしいメモ書きを発見することで幻滅もする。
それから数か月後、学生監より救いを求める手紙が届いた。
校内で悪質なイタズラが横行して困り果てているという。~

1935年イギリス作品。『ナイン・テイラーズ』と並ぶ傑作だと思う。作品ごとに趣向や狙いを変えていく作家ではあるが、ここまで違っていて、しかも大作である二篇を連続して生み出してしまった当時のセイヤーズはいささか神がかっていたのではなんて思ってしまう。
最初に読んだときは事件そのものが小粒なこともあって、ミステリとしては大したものではないという印象を持ったが、再読してミステリとしてもかなり愉しめると認識を改めた。今回は再再読だったが、今まで以上に楽しめた気がする。知性と感情など本作内にはさまざまな対比があるが、対比するだけではなく、一見バラバラである部分部分が巧みに結びついていく構成は素晴らしい。
細かい論理の積み重ねで容疑者が絞られていく(意外な犯人としてうってつけと思われた人物が早々に容疑者リストから外されたのが意外といえば意外だった)。だが、犯人に辿り着くのには論理だけでなく洞察も必要になって来る。最終的に犯人を一人に絞る部分にどうも明快さが足りないような気がした。あとバンターの出番がほとんどないのも不満。
Tetchyさんが御指摘されているあのシーンは本当にすごい。正直なところ、あの人物に共感してしまうところもある。

本作には『吾輩は猫である』のような愉しさもあった。知的な会話が横溢するも、そんな彼女たちをコケする視点もある(惜しむらくは『猫』のごとき軽快さには欠ける点か)。教養人たちの奇妙な青春を描いた小説のようにも感じられた。ある意味で彼女らはいつまでも大人になれないのだ。
創作に関する話も面白かった。 
個人的には偶然で話が進行することよりも作中人物の納得のいかない行動の方が質が悪いと感じる。
「死ぬほど痛むわ、きっと」
傑作だという評価に異論はないが、本作は血作とでも呼びたい。本作が実質上はセイヤーズの最終作のような気がしている。まだまだすごいのが書けたろうけど、これでいいのだ。
再読するたびに愉しみが増えていくような本は悪い本だと言わざるを得ない。ほんのわずかとはいえ新たな出会いを減じてしまう。人生は短いのだ。


No.273 8点 ベルカ、吠えないのか?
古川日出男
(2019/08/16 20:48登録)
~20世紀は戦争の世紀。キスカ島に取り残された四頭の軍犬たちから物語ははじまる。彼らは交配を繰り返し、彼らの血統が世界に散っていく。ベトナム、ロシア、アフガンetc 戦争の世紀を生きる犬たちの物語。~

最初は文章が下手なんじゃないかと思いました。
読み終える頃には、かっこいい文章と物語に酔っていました。
この物語は印象深い人間も何人か登場しますが、人間には名前がありません。
文庫版には犬の系図がついているそうですが、必要だったのか疑問です。
とにかく、かっこいい小説です。


No.272 7点 そして夜は甦る
原尞
(2019/08/16 20:21登録)
前に書評した『私が殺した少女』とは違ってプロットに許せない瑕疵はなく、文章もこちらの方が落ち着いているように思います。この人は時間をかけて何度も何度も推敲しないとダメなタイプのようですね。
なんとも言えない古めかしさ、閉塞感のある作品ですが、少なくとも古めかしさに関してはまったく気にならないので、本作は素直に楽しめます。
既読は三作ですが、そして夜は甦る>さらば長き眠り>私が殺した少女、ですね。

最初と最後だけ登場する男が美味しい所をかっさらっていく。さらにいくつかのセリフ。チャンドラーファンなら『長いお別れ』か『さらば愛しき女よ』を連想するのではないでしょうか。それを高らかに宣言したうえでやっているわけですから、大した度胸です(褒めています)。
チャンドラーよりもしっかりとしたプロットを組みつつ、こんな具合にチャンドラーからちょこちょこ頂きもする。
チャンドラー本人が読んだら意外と高評価しそうな気もします。

三大疾病といえば「癌」「心疾患」「脳卒中」ですが、小説の登場人物では「脳腫瘍(癌といえば癌ですが)」「白血病(これも癌かな)」「記憶喪失」あたりの罹患率が異様に高い傾向があります。本作では……ちょっと安易ではないかと感じた次第です。
しかし、あの兄弟はどう考えても実在のあの兄弟でしょう。そんなに悪い人たちだったのか。


No.271 5点 ホプキンズの夜
ジェイムズ・エルロイ
(2019/08/14 17:44登録)
~変装が得意なロス市警のハーゾグが失踪した。ホプキンズの捜査によりハーゾグが六人の警官の言動をさぐっていたことが判明する。その六人の中にはかくいう「ロイド・ホプキンズ」も含まれている。この頃小さな酒屋で三名もの犠牲者を出す強盗事件が発生する。ホプキンズはこの二つの事件には繋がりがあるのではないかと考えはじめる。~

1984年アメリカ。原題は『Because the Night』ブルース・スプリングスティーンに同タイトルの曲があるが関係は不明。
『血まみれの月』に続くロイド・ホプキンズシリーズの二作目。エルロイというと母親の事件が取り沙汰されがちだが、本シリーズに母親の翳は見えない。むしろ父子関係に焦点が当てられている。
ロイド・ホプキンズはIQ170とかいう設定になっているが、これはあまり意味のない設定だった。頭の良さよりも頭のおかしさでキャラが立っている。この人物はエルロイという人間を露悪的かつ誇張して体現しているような気がする。

物語は前作『血まみれの月』と同じく異常心理系ではあるが、こちらの方がストーリー性に富み、よくまとまっている。『血まみれの月』は犯人が人を殺すまでの心理的な過程が細密に描かれるも、話がいささか単調で、犯行も非常に杜撰で、ホプキンズは根拠のない思い込みで動いている。正直なところ瑕疵が目立った。
今作『ホプキンズの夜』はツカミはいいし、ホプキンズの捜査にそれなりの根拠が伴い、犯人に近づいていく過程が緻密になって、敵方との頭脳戦もらしくなっている。ただ、話がどうも派手にならず、内にこもってしまうのが難点。また、ラストもうまくまとめきれていない印象。
なかなか面白いが、(エルロイにしては)爆発力がない。
前作より向上した部分はあるものの失ったものは大きい。
エルロイファンはよりコントロールされた本作よりも、作りは雑だがエルロイらしさが無駄に横溢する前作『血まみれの月』に軍配を上げるのではなかろうか。
だが、エルロイは後退したわけではない。少しずつ前に進んでいる。
ホプキンズ三部作は面白いが、必要なパーツを少しずつ入手する過程であったようにも思える。『血まみれの月』『ホプキンズの夜』でそれぞれパーツを入手し、シリーズ三作目『自殺の丘』でエルロイは最後のパーツをつかんだ。すべてのパーツを手に入れて、念願だった自作『秘密捜査』の焼き直しに着手する。もちろんそれは出世作『ブラック・ダリア』であった。


No.270 7点 メグレ、ニューヨークへ行く
ジョルジュ・シムノン
(2019/07/29 23:48登録)
~ニューヨークにいる父の身になにか悪いことが起きているらしいので、一緒に様子を見に行っては貰えないだろうか。
大富豪ジョン・モーラの息子ジーンは父親の身を案じている。退官して片田舎でカードや家庭菜園に興じていたメグレだったが、重い腰を上げて船でニューヨークへ旅立った。ところが、下船直後にジーンはいずこかへ消え去り、やむなくメグレは一人でジョン・モーラ氏を訪ねる。若い秘書に居留守を使われた挙句、どうにか面会は叶ったが、ジョン・モーラ氏はメグレの話をまともに取り合おうとしない。フランスからはるばるやって来てのこの扱いは不愉快極まりなかったが、小男の大富豪ジョン・モーラはただのイヤな奴ではなく、なぜかメグレに強烈な印象を残した。
そう。彼は冷たい眼をしていた。~

1946年フランス作品。あとがきにもあるとおり、メグレものなのに舞台がニューヨークなんてと思う方は多いでしょう。自分もそう思いました。が、本作は他人さまにお薦めしやすいメグレです。いい作品だと思います。
(個人的には前作『メグレ激怒する』の方が好きですが)
前作に続いて本作も退職後のメグレです。メグレットは前作でも遠出をさせられましたが、今回は海を越えてのニューヨーク。そんなわけで部下はいないし、土地鑑もないし、狐につままれたような成り行きや無礼な扱い、苦手な英語、お互いをファーストネームで呼び合うアメリカ人と小さなものから大きなものまでメグレを苛立たせます。
なにが起きているのかさっぱりわからない序盤。今回のメグレの役回りは私立探偵的であります。前作でもそんな立ち位置でしたが、本作はより捜査している感があり、筋立てにはハードボイルドっぽさも少しあります。
また、ユーモラスな味付けも濃厚な作品です。シムノンのユーモアって基本的には狙っている感じではなく(もしかしたら作者はユーモアのつもりですらないのかもしれませんが)、微妙なくすぐりなのですが、本作でメグレの助手となるデクスターに関してはちょっと狙った感があります。アル中になって自尊心を失くしてしまったロニョンといった風でなんともいえない滑稽な人物です。
ミステリとしては突飛に感じる点もありますが、個人的な嗜好として動機が人物描写によって強化されている作品は好印象です。
※状況(弱みを握られた、身内を殺されたなど)だけではなく、人物(こういう人間だからこそ、その行動を起こした)もしっかり描くことにより、重層的に事件発生の必然性が描かれているということです。
職務ではなく私人として捜査しているせいなのか、メグレがかなり感情を露にしております。前作より本作こそ『メグレ激怒する』だったのではないかなあと感じます。
変化球気味だしミステリとして特に優れているわけではなく、メグレものの醍醐味がいくつか損なわれてもいる作品でもありますが、メグレものならではの特徴というか良さが非常にわかりやすく出ている作品のように思います。

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