home

ミステリの祭典

login
tider-tigerさんの登録情報
平均点:6.71点 書評数:369件

プロフィール| 書評

No.309 6点 カーリーの歌
ダン・シモンズ
(2020/06/18 00:02登録)
~詩人兼編集者であるルーザックの元に死んだと思われていたインドの大詩人ダースが新作を書き上げたという情報が入った。ダースが生きていることを確認し、その新作を入手すべくルーザックは家族を伴いカルカッタ(現コルカタ)に飛ぶ。そして、知ることになる。この世には存在することすら呪わしい場所があることを。~

1985年アメリカ。ダン・シモンズのデビュー作。ハヤカワモダンホラーセレクションの中の一冊。女神カーリーが隠れキャラのように描かれた現行の表紙の方が作品の雰囲気には合っているが、カーリー像のみが描かれた以前の表紙の方が好きだった。ついでに地名のコルカタも以前のカルカッタの方が響きがいいように思う。

これは殺戮と破壊を司るヒンドゥの女神カーリーを材料に暴力について考察した作品とでもいうのだろうか。詩人ダースの消息を求めるもインドの作家連盟は真実を出し渋り、やがてルーザックはカーリーを信奉する危険な連中と関わりをもつことになってしまう。
前半はなかなか面白いが、そのあとは地味な展開になって少々中弛みもする。ホラーとしては不気味ないい場面があるが、特に終盤にゾクリとさせられた。後日譚がダラダラしているのはマイナス。
いくつかの謎が謎のまま残ってしまったりしてエンタメとして消化不良の感がある。暴力の意味、理由がよくわからない方が作品のテーマに合致しているとの見方も可能だが、そのせいで実際になにが起きたのか、なぜそれが起きたのかよくわからないという痛し痒しな作品となってしまった。
熱気や臭気を感じ取れる街や人々の描写がいいのだが、インドを好意的に描いている部分はほとんどない。そもそも本作はカルカッタに原爆を落とすべきというとんでもない前書きからはじまる。高みから見下ろす西洋人の高慢、差別意識と取るか、あるいはカルカッタを作品の素材として突き放してみているだけなのか。このあたりの受け取り方で感想も変わってくるかもしれない。
若いころに読んだときにはどうも期待とは違う筋運びのせいでそれほど面白いとは思えなかったが、三十代で読み返したときには作品全体を覆う暗いトーンや独特の雰囲気、ある種のマジックリアリズム的な世界観に魅せられた。書評を書くにあたって再読してみた。正直なところエンタメとして手放しに面白い作品ではないかもしれないが、なかなかどうして悪くない。
とりあえずインドに興味のある方にはオススメしておきたい。

個人的にツボだったのは大詩人ダースの作品をルーザックが「ひどい」「ちょいマシになった」「大したものではないがダースのエッセンスは垣間見える」などと批評する場面。下手な詩をさらに下手さに応じて書き分ける匙加減が絶妙。こういう細部に手抜きをしないことは大切だと思う。


No.308 7点 ザ・シシリアン
マリオ・プーヅォ
(2020/05/24 16:12登録)
~シチリアの義賊サルヴァトーレ・グイリアーノ(トゥーリ)が苦境に立たされている。ドン・コルレオーネはシチリアに潜伏している息子マイケルにトゥーリがアメリカに逃亡するのを助けるよう命じた。マイケルはトゥーリに関する報告を読み、彼自身もこの義賊を助けてやりたいと思うようになった。~

1984年アメリカ。映画は未見。『ゴッドファーザー』の姉妹編とされているが、ゴッドファーザーからマイケル、クレメンツァなど一部の人物が少し登場するだけのまったくの別作品である。
舞台がシチリア島であるから当然といえば当然だが、「シチリア的なもの」が強調されており、このへんを書きたかったのかなとも感じる。ちなみに主人公トゥーリは実在した義賊サルヴァトーレ・ジュリアーノをモデルとしている。
あらすじではマイケルが主体となった救出もののように見えてしまうかもしれないが、本書の大部分はトゥーリが義賊となり、やがて敵に追い詰められていく七年間を描くことに費やされている。いわゆる英雄譚であるが、そこにシチリア的な陰謀、裏切りといった要素が加味される。
~グイリアーノを裏切る者は皆かくの如く死ぬ~
すっきりとまとまっているが、個人的な好みとしてはもう少し贅肉があってもよかったように思う。また、主人公の造型が浅いというか、単純すぎはしないかとも思う。偶像に人間的な深みはあまり持たせない方がいいのかもしれないが。
脇役についてはまあまあよく描けているように思う。
ただ、ルカ・ブラージの如き強烈さを期待した人物がいたのだが、彼はまったくの名前負け、期待はずれに終わっている。そいつの渾名は『悪魔の修道士』
「おい! アンドリアーニ、貴様だよ!」
『ゴッドファーザー』と比べてしまうと深みというかスケール感では劣るものの、この手の話のお約束を踏まえつつの展開はわかりやすく面白い。作家として進歩した部分もあり、抜いた部分もあるような気がする。
トゥーリが成りあがる過程にやや絵空事じみたところもあるが、陳腐ではない。シチリア的なものを前面に押し出すことにより、奇妙な個性が生まれている。貴族を誘拐するエピソードなどは通常なら有り得ない展開を見せるが、これがシチリアなのかと思わず笑ってしまう。
大筋はシンプルだが、裏で起きていること、敵味方が判然としない複雑さはゴッドファーザーを良い意味で踏襲(不要なエロを入れるところも踏襲)。ゴッドファーザーの陰で冷や飯を食っている作品だが、なかなかの佳作だと思う。
『ゴッドファーザー』以上にシチリア人の生活や価値観が前面に押し出されている点を特筆したい。奇妙な会話、狡猾なんだか単細胞なんだかよくわからない矛盾に満ちたシチリア人の造型などもだんだんと納得させられてしまう。
「シチリア的パラノイア」なる言葉が作中に出てくるが、このへんの機微が理解できると本書は俄然面白くなる。 
大きな難点は、結末が予見できてしまうところだろうか。もう少し書き方を曖昧にした方が意外性を演出できたと思う。
また、マイケルの登場にさほど意味が見いだせないような気もするが、マイケルという外枠があるがために英雄譚へのアンチテーゼにもなっている。
ゴッドファーザーとの相対評価だと6点だが、絶対評価ではギリ7点をつけたい作品ということで、採点は7点。

※本書のシチリア的というかイタリア的な部分。
~もう一つ大佐が捜し求めたのは、グイリアーノ(トゥーリ)に女がいるかどうかという情報だったが~中略~グイリアーノはこの六年間セックス抜きの生活をしてきたようだった。ルーカ大佐は、イタリア人だけに、そんなことが可能だとは思えなかった。~

※クレメンツァは通常クレメンザと表記されることが多いようですが個人的な好みでクレメンツァとしています。今さらですが、自分は人物造型という言葉を多用しますが、これも「造形」の字面がなぜか好きでありませんので。
※amazonで文庫の下巻だけ価格がとんでもないこと(三万円近く)になっているのはなんなんだろう? 

2020/5/26 追記


No.307 7点 戦争の嵐
ハーマン・ウォーク
(2020/05/18 09:00登録)
本日はハーマン・ウォーク氏の一周忌です。2019年5月17日にカリフォルニアで逝去されたようです。時差の関係で日本時間だと本日が命日かなと。享年なんと103歳。
じつはちょっと怖いことに気付いてしまったのですが、作品内容とは関係のないことなので最後に紹介します。

1971年アメリカ。ヒトラー活性化から日本の真珠湾攻撃までをアメリカの軍人とその家族を軸に綴った大作です。ベルリン、ポーランド、モスクワ、真珠湾などがまるでその場に居合わせたかのような具体的な描写で綴られております。ケレン味はあまりありませんが、真面目に書かれた力作であり非常に読ませます。
軸となるのはアメリカの一家族ですが……ちょっとこれは。
ヴィクター・ヘンリー大佐(夫)ベルリン駐在武官。  
ローダ(妻)社交上手で美しい。原爆製造の関係者と……。
ウォレン(長男)空軍に所属。パールハーバーに配属される。妻は上院議員の娘。 
バイロン(次男)海軍に所属。潜水艦乗務員となる。妻はユダヤ人。
マデリン(長女)報道番組の制作に関わる。
なんと都合の良い……こういうお膳立てを調えてきたとなると、波乱万丈、お涙頂戴でグイグイくるのかと思いきや、そういう話ではありません。あざとい設定満載のわりに静かな筋運び。どうにも不可解。ヴィクターを使ってエスピオナージュ的な趣向を全面に押し出してみたり、マデリンのサクセスストーリーを加味したり、バイロンのキャラを活かして大冒険をさせてみたりと派手に展開させてもよかったのではないかと。
ですが、この人物設定であれば当然起こるであろうことが起こり、不安な情勢下に生きる家族を通じて淡々と歴史が描かれていきます。エンタメとして巧妙とはいえませんが、とても実直な筆致であります。
つまり、あざとさ満載の人物設定は物語を盛り上げるためというよりも、歴史、戦争開始の経過をなぞるために必要だったといった風なのです。
本作は軍事についても詳しく記述されています。
ドイツの軍人が書いた架空の軍事評論が紹介され、ヘンリー大佐がそれを訳しているという設定でそこに大佐が注釈を加えます。軍事的な面についてアメリカ側の見方とドイツ側の見方を紹介するといった体裁になっています。
ヘンリー大佐はヒトラーやスターリンとも会って話をします。人となりも描かれています。ムッソリーニはちょこっと登場。日本人は山本五十六と松岡洋右が数行言及される程度です。
歴史観の違いや当時は知られていなかった事実などありますが、調べたことをニュートラルに書こうという作者の姿勢は窺えました。
※日本が主敵となる続編『War and Remembrance』 (1978年)は邦訳されておりません。

邦題は『戦争の嵐』原題は『The Winds of War』そう、確かにこの物語は嵐よりも風の方がイメージに合っているような気がするのです。静かな展開の中、戦争により風が起こり、人々を吹き飛ばしてしまう。
戦争は人々の運命を狂わせる。
章立てが不可解でした。 『第一部ナタリー』『第二部パメラ』『第三部舞い上がる風』となっています。 
第三部はわかります。第一部と第二部はどういうことなのか。ナタリーはバイロンの妻となるユダヤ人女性です。パメラはヘンリー大佐と不倫関係になりかけるイギリス女性。彼女らが前面に出されていること、これは本作が冒険小説でも歴史小説でもなく、まずは人間ドラマなのだということの証左のようにも思えました。

モスクワからパールハーバーに向かうことになったヘンリー大佐が西回りで向かうか東回りで向かうかを思案し、どちらでも距離はあまり変わらないことを知る場面があります。
地球の真裏でアメリカと日本が戦争をはじめた事実にスターリンは高笑いをしたことでせう。

最後に
人並さんがウォークの『裏切りの空』の書評をupされたのが、2019/05/16/03:01
当時は「おっハーマン・ウォークの初書評きたー」なんて思っていましたが、今年に入って逝去していることを知りました。
2019年5月17日にカリフォルニアで逝去
ちょっと怖い。ことはさんの眉村卓といい、人並さんといい、このサイトには霊感の強い方が揃っているのでしょうか。


No.306 6点 死者の長い列
ローレンス・ブロック
(2020/05/05 18:14登録)
~『三十一人会』なる秘密の集まりが年に一度催されている。月日の流れとともに会員が亡くなることもあるのは当然だが、この会のメンバーの死亡率は普通のアメリカ人の死亡率に比べていささか高過ぎはしないかと会員の一人が疑念を抱き、マット・スカダーに調査を依頼する。~

1994年アメリカ作品。魅力的な導入に比して、展開はかなり地味です。関係者の人数が多いので聞き込みが延々と続きます。本格ミステリとして愉しめる部分はそれほど多くはありません。やはり基本はハードボイルドだと考えるべき作品だと思います。少なくとも前半部分は魅力的な謎の提示こそあれ完全にハードボイルド。
後半に入ってくるとミステリ要素も多少は顔を見せますが、それほど派手な展開も大きな仕掛けもなく、やはり地道な捜査と雰囲気を楽しむ作品だというのが結論でしょうか。ミステリとして過大な期待をしなければ面白い作品です。長いうえにこれほど地味な展開なのに退屈させないのはさすがです。
筆力で読まされてしまいますが、どうにも悪い意味で茫洋としたところがあります。はっきりと軸になるような人物を据えてプロットを締めた方がよかったのではないかと想像します。まあそれはどうでもいいことかな。
動機はまあ納得できるかなといった感じです。犯人を追い詰めて、さらにその先はけっこう好きです。
ローレンス・ブロックの特徴が表れた代表作とはいえないし、その実力が遺憾なく発揮された名作とまではいかないが、その筆力を証明した佳作だと思います。
それから、マット・スカダーファンはこの作品は必読でしょう。
7点にしようかと迷っての6点とします。

『ブルックリンの少女』の書評で一人称と三人称の混在を腐しましたが、ローレンス・ブロックの作品にもいくつか人称の混在があります。本作もその一つです。
ところが、この人の場合は混在があまり気に障りません。人称が変わっても文体というか、文章の滋味にさほど変わりなく、三人称部分もマット・スカダー自身の語りであるかのように自然に入ってくるからでしょうか。
ただ、この形式がよい効果を与えているとも言えません。あくまで混在させてもそれほど気にならないというだけです。


No.305 6点 クローディアの秘密
E・L・カニグズバーグ
(2020/05/05 18:11登録)
~漠然と現状に不満を持つ少女が家出を決意する。お小遣いをきちんと貯金しているしまり屋の弟を連れて、少女が家出先に選んだのはメトロポリタン美術館だった。~

1967年アメリカの児童文学。子供の日だから、たまにはこういうのも。
優れた観察眼と豊かな感性を併せ持つ作者による少女の成長譚。
子供の心の動きを的確に描き出し、家出先に美術館を選ぶ感性から天使の像の秘密という謎に繋げて、そこから本当に大切なことが導き出されていく展開が素晴らしい。
子供の頃はやはり家出パートが楽しかったが、大人になってから読むと家出から戻ったクローディアが金持ちのお婆さんに呼び出されて話をする場面が無性に面白い。ある種の緊張感、真剣勝負の様相があって非常に読み応えあり。
また小説として、弟の使い方が非常にうまいと思った。

人は誰しも人生においてちょっとした秘密を持つことが必要である。
日本語タイトルは問題ないと思うが、原題『From the Mixed-up Files of Mrs. Basil・E・Frankweiler』にも意味はある。原題にあるMrs. Basil・E・Frankweilerが前述した金持ちのお婆さんである。
自分のつけた点数以上にいい作品だと思う。

※NHKの子供番組みんなのうたの人気曲『メトロポリタン美術館』の元ネタとして有名な作品。wikiではこの元ネタ説について要出典とあったが、出典もなにも設定から登場人物から持ち物までまるで一緒なので疑う余地はあまりないのでは。


No.304 5点 猫はブラームスを演奏する
リリアン・J・ブラウン
(2020/03/30 06:01登録)
~新聞記者ジム・クィラランは母親の古い友人であるファニー伯母さんの招待を受けてムースヴィルの田舎町でシャムネコたちと休暇を取ることにした。ファニー伯母さんはたいそうな資産家で、所有しているコテージを一棟使わせてくれることになっている。ところが、平和そうに見えたこの田舎町で次々と奇妙なことが起こる。悪臭騒ぎ、盗難事件、そして、シャムネコのココがカセットデッキを勝手に操作してブラームスの音楽がコテージ内に響く。だが、そのテープには音楽だけではなく、怪しい会話が録音されていた。~

1987年アメリカ。シャム猫ココシリーズの五作目。miniさん御指摘のとおり、シリーズの舞台やクィラランの生活が大きく変わる転換点となる作品だが、なぜか日本ではずいぶん遅れて刊行される。別に本作が質的に劣っているとかそういうことではないと思う。ミステリとしては4点以下の作品だが。
邦題は『猫はブラームスを演奏(play)する』だが、ココは演奏をするわけではなくて、カセットデッキの再生(play)ボタンを押すだけである。

このシリーズは総じてミステリ的に優れたものではない。暇つぶしに事件記者が綴る村の事件簿に目を通してみるといった気楽な姿勢で臨みたい。
次から次へとガツガツ読みたくなるようなシリーズでもない。ちょこちょこと買いおきしておいて、年に一冊くらい読む。そんな風にのんびりと付き合っていきたいシリーズである。個々の作品のクオリティはどうでもよく、死ぬまでに全作品読んでおきたいと思っている。
若い人よりもある程度年を食った人にお薦めしたい。実に味わいのある作品集だと思う。

若い頃はこのシリーズの表紙絵はあまり好きではなかった。まんが日本昔話に登場した化け猫みたいなのまである。だが、今はかなり気に入っている。


No.303 6点 ブルックリンの少女
ギヨーム・ミュッソ
(2020/03/30 05:58登録)
~「どうしてアンナは自分の過去の話を一切しないのだろう?」
幸せの絶頂にいる人気作家ラファエル・バルテレミの唯一の懸念だった。婚約者のアンナ・ベッケルに問い詰めるラファエル。アンナは観念し、一枚の写真を見せてくれた。そこには三体の焼死体が写っていた。
「これがわたしのやったこと」とアンナ。呆然とするラファエル。そして、アンナはいずこかへと消え去ってしまうのであった。~

2016年フランス作品。最初の数頁を読んだときには前に書評した『緋色の記憶』のようなじっくりと味わうタイプの作品を想像した。ところが、味わっている暇がないくらいに目まぐるしく展開していく話だった。次々と新たな事実が判明していくうちに発端の事件(婚約者の失踪)がなんであったのかを忘れてしまうくらいだ。
序盤はラファエルが単細胞に思えて仕方なかった。婚約者を問い詰めたり、協力者に対してつまらないことで腹を立てたりといったところにいささかの子供っぽさを感じた。
ラファエルらがいまいち煮詰まっていないロジックで猪突猛進していくのもあまり感心しなかった。うーん、ちょっとご都合主義かな。自分がおっさんだからこんな風に感じるのかもしれない。
キャラも面白そうな人が何人かいたのにいまいち印象が薄い。特にゾラー・ゾアキンについてはもっと掘り下げて欲しかった。
一つのことについて語り切れていないうちにどんどん次のことが起こる。息をもつかせぬスピーディな展開ともいえるので必ずしも短所とはいえないが。
面白く読んだが、私にとっては決定的ななにかが足りない作品でもあった。そういう意味ではこの前書評した『顔のない男』に近い読後感。

個人的に気になったのは三人称と一人称の混在。
人称、視点についてはさまざまな意見があり、まったく気にしない方もいると思う。自分は視点の移動には寛大だが、人称は基本的には統一した方がいいと思っている。一人称と三人称の混在は読みづらいばかりか、双方の利点を殺すことにもなりかねない。

↓少しネタバレ気味


たぶん作者は一人称多視点で書きたかったのだろうと推測している。なんでそれをしないで珍妙な形式を選択したのか。すぐに察しがついた。やはり本作は三人称多視点にすべきだったのでは?


No.302 5点 硝子の塔
スタンリー・アレン
(2020/03/12 20:51登録)
~貧困から抜け出して一流の建築家となったポール・レドナップは会社の設計企画部長を務め、ついに念願だった支社長就任の展望が見えはじめていた。だが、ライバルに弱みを握られてしまい……当然のことながらコロンボにつきまとわれることになるのであった。~

1999年アメリカ。コロンボシリーズの熱烈なファンである新進のミステリ作家が書き下ろしたコロンボもの。どうやら合作らしいが詳細は不明。
初期コロンボを忠実に再現しようとした意欲は買う。野心的で大胆な犯人の造型、犯人の周辺の人物の描き方、展開などはいかにもコロンボらしく、TVドラマのノベライズと言われてもさほど違和感はなかったと思う。旧作の断片があちこちに散りばめられているのもファンには嬉しい。
コロンボは心理戦(犯人イジメ)が醍醐味だと思っているのでトリックがチープなのは~I Want You To Want Me~さほど気にならないのだが、なんというか、犯人にちょっとした不運が続き過ぎるのはもはやギャグのレベルかなと。
レビンソン&リンクによるノベライズ(既読は五冊程度ですが)はあまり小説っぽくはない文章だったが、演出はそんなに悪くなかった。
ところが、本作は筆力もさることながら、演出もやや問題がある。物真似はとかく大袈裟になりがちだが、コロンボが何度も何度も浮浪者と勘違いされたり、上記のとおり犯人の不運が連続したりと、いささかくどい演出が見受けられた。
ラストは悪くなかった。映像ならさらに面白かったかもしれない。
個人的に残念だったのはコロンボが意地の悪さを発揮する場面が少なめだったこと。
コロンボファンならそれなりに楽しめると思うが、コロンボを抜きにしたミステリファンの視点では厳しい作品。4~5点かな。おまけして5点。

著者近影ではなぜか作者本人ではなく、レビンソン&リンクの写真が。あとがきでも作者たちについてはほとんど触れられず、ピーター・フォークとレビンソン&リンクの逸話ばかり。本人たちの希望かもしれないが、ちょっとこの扱いは可哀想ではないかと。


No.301 7点 湿地
アーナルデュル・インドリダソン
(2020/03/07 00:18登録)
~孤独な老人が地下のアパートで撲殺された。典型的なアイスランドの殺人――杜撰で不器用――かと思われたが、エーレンデュル捜査官は遺体の傍らに残された不可解なメモに疑念を抱いた。そして、被害者の過去を洗っていくうちに陰惨な事件に突き当たり、その事件は方々へと暗い影を落とす。~

2000年アイスランド。原題『Myrin』は邦題そのままの湿地という意味らしい。人名が憶えにくい。作者の名前からしてアーナルデュル・インドリダソン。日本人にはすわりが悪く感じられ、頭にスッキリと入ってこない名前だと思う。なぜだか石油会社を連想した。
大きな石を持ち上げてみたら、石の下に密集していた無数の気味悪い虫が四方八方に逃げ散り拡散してしまった。そんな風な物語である。
前回書評した『顔のない男』の長所短所を裏返したような作品。
ケレン味はない。簡潔にして的確な文章で地道な捜査が綴られていく。前半はとにかく地味な展開で、後半になって多少の動きは見せるものの、ほぼ読者の想像の枠内で話は進行する。手放しに面白いとは言い切れないのに、不思議と続きが気になって読まされてしまう。HORNETさんも同じようなことを感じられたのではないだろうかと想像する。
リーダビリティの高さは章立てに依るところもありそう。各章はごく短めで尾を引くように締められており、章ごとにきちんと読みどころが詰めこまれている。元々は連載小説であったかのよう。
主人公のエーレンデュル捜査官は頑固で少々身勝手な五十男。見方によっては老害である。若い同僚たちは少々彼を持て余している感がある。欠点の多い男ではあるが、その力強さと彼なりの正義には心打たれるものがある。『湿地』のタイトルどおり、登場人物たちは総じて辛気臭く、どうしようもないくらいに繊細である。心理描写は抑えられている。なのに、なぜだか彼らの心の痛みがはっきりと伝わってくる。
同僚捜査官たちの造型は弱い。
エーレンデュルと娘の関係は非常に不可解でありながらもしっかりとイメージできて、直接的ではないものの物語の中で大きな役割を担っている。
ミステリとしては5~6点だが、満足のいく作品だった。


No.300 6点 刑事ファビアン・リスク 顔のない男
ステファン・アーンヘム
(2020/02/29 13:50登録)
~ファビアン・リスク刑事はストックホルムを離れ、生まれ故郷であるヘルシンボリに家族を連れて戻ってきた。ひと月ほどゆっくり休んでから地元の警察署に赴任することになっている。だが、引越しすら終わらぬうちに未来の上司アストリッド・トゥーヴェソンの訪問を受ける。殺人事件が発生したという。仕事なんてイヤだ便所と思っていたファビアンだったが、被害者の遺体の脇に置かれていた写真を見せられて驚愕する。学校のクラス写真。ファビアン自身も写っている。そして、そのうちの一人の顔に×印がついていた。被害者はかつてのクラスメイト、ヨルゲンポルソンだった。~

2014年スウェーデン。作者のデビュー作にして本国スウェーデンでは大ヒットした作品。帯には『皆殺しという名のクラス会』と仰々しい文句が。だが、スウェーデン版『バトルロワイヤル』……ではない。
ファビアン・リスク刑事のかつてのクラスメイトが一人ずつ殺されていく。類似作品がいくらでも転がっていそうな手垢のついたネタではあるが、翻って魅力的なネタでもあるのだろう。
ケレン味あって面白いが、粗が多い。読者の興味を持続させるのはうまく、リーダビリティは充分にある。ミスリードを誘う仕掛けも悪くない。「ファビアンが犯人かも」という線をもっと強く押し出せばよかったのにと思った。
北欧らしさはあまり感じなかった。女性警視がまったく特別視されていないところなんかは北欧的……なのかな?
テイストがもっともよく似ていると感じた作家はピエール・ルメートル。あとがきにもルメートルを感じさせると書かれていた。ただ、ルメートルと比べるとキャラの立て方がいまひとつ。
人物をしっかり描こうという姿勢は見られ、ファビアンの家庭問題などに筆が割かれるも、あまりうまくいっていない。主人公の対応の悪さや同じことの繰り返しが目立ち、無駄に分厚い一冊となってしまった気がする。
それから刑事のミスが多すぎる。捜査側のミスはときに物語を大いに盛り上げるが、本作の場合は質量ともに大きなミスの連発でちと呆れてしまった。
動機はある意味すごい。この動機に説得力をもたせることができれば素晴らしかったのだが、本作は正直なところ少し笑ってしまった。
動機と少し関連することで、物語の骨子というか着想は日本の某有名漫画ではないかと感じた。あの漫画もちょっとそれは無理があるのではと思った部分あるが、本作も同じ轍を踏んでいる。
エピローグは高評価。こういう閉じ方をしちゃうのね。
なんだかんだ言いながらも面白かったし、次作、次々作に向けていろいろ伏線が張ってあったし、のびしろはありそうなので、次作に期待しての6点。

※四年に一度しかないニンニクの日を記念してニンニクにちなんだ作品を書評したかったのですが、ニンニクミステリは手持ちにありませんでした。残念です。主人公の名前がガーリックというのはあったのですが……。


No.299 5点 悪意の波紋
エルヴェ・コメール
(2020/02/27 00:14登録)
~ジャックはかつての同級生たち五人で渡米、とある屋敷からマネの絵を強奪、持ち主に身代金というか物代金を要求してたんまりと稼いでフランスに戻った。ところが、後になって自分たちがとんでもない人間から金を奪ったことを知る。ビクビクしながらもそれなりの人生を送っていたジャックのもとに40年も経ってから一枚の写真が届く。かつてのクラス写真。写真はマネを強奪した五人の仲間の顔に〇がつけてあった。
イヴァンは別れた彼女に未練たっぷりの若者だった。その彼女が一躍有名人になり、こともあろうかイヴァンが彼女に送ったラブレターの内容をTVで公表して彼を笑いものにしようとしている。イヴァンは彼女の家からラブレターを強奪しようと目論む。
やがて二つの事件が絡み合い、奇妙な様相を呈していく。~

2011年フランス。前に書評した『その先は想像しろ』の一つ前の作品にしてその原型のような作品。こちらもそれなりに面白い。ちょこちょこと意外な展開があって、一つ一つのエピソードもそんなに悪くない。ただ、改行少なめ文章短めで攻め立ててくる語りがまだまだこなれていないのと、イヴァンパートに無駄が多く、配分が失敗だったような。イヴァンパートを少し減らして、ジャック、もしくはその周辺にもう少し力を入れた方がよかったと思う。あまり例を見ない奇妙な構成で最後に繰り出される大技も、どうにも不発気味というか、バカミスのようでバカミスではない感じがいただけない。
奇妙な読み味とウナギのごとく捉えどころのない筋運びに個性を感じるが、次作と比較するとずいぶん落ちる。ただ、この作者にはなにか感じるものがあった。文章で勝負しようという気概(あまりうまいとは思わなかったが)、なにかに挑みかかる気持ちを感じた。だから次作も読み、それは正解だった。次も楽しみだ。次は出るのか?


No.298 7点 ワースト
小室孝太郎
(2020/02/26 00:26登録)
~世界中で長く雨が降り続いた。この雨に当たった者はことごとく死んだ。そして、彼らはまったく別の生物『ワースト』として甦った。なぜだか強い不安感に苛まれ廃倉庫の中に隠れていた不良少年、お仕置きで押し入れに閉じ込められていた子供など、雨を完全に避け得た者のみが生き残った。だが、生き残った少数の人間たちの前に人類最悪の敵ワーストが立ちはだかる。~

古いSF漫画です。週刊少年ジャンプに1970年より連載され、ジャンプコミックスで全四巻(オリジナルの書影は三巻しかamazonに登録されていないようです)。人類とワーストの数十年の戦いが主人公を変えながらの三部構成で綴られております。
SFが低く見られていた当時によくぞ頑張って下さいました。今読んでもなかなか楽しめる作品ではないかと思います。子供の頃にはSFである以上にホラーでした。かなり怖かったです。
構成はしっかりしており、Bad→Worse→Worstと事態がどんどん悪化していく筋運びは堅実にして吸引力もあります。人間ドラマあり、驚きあり、記憶に残っているシーンがいくつもあります。
特に印象に残っているのは、母親がワーストと化してしまった少年がその母親を……非常に嫌な気分になりました(性的なものではありません)。その母親を殺してしまったとかの方がまだマシだったように思います。本作は少年漫画から逸脱したところがまま見られます。
※変な誤解を招きかねないので三行上()を追加しました。2020/3/12

以前に書評した『地球最後の男(マシスン)』映画『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』などの系譜に連なる作品であり、二十五年ほど前に登場して世界的にも人気となったゲーム『バイオハザード』にかなり影響を与えた、のではないだろうかと思っています。
※ネットで調べてみたら、少なくともそう感じたのは私だけではなかったようです。

本作が昨年復刊されたことを最近になって知りました。リアルタイムでは読めませんで、昭和ヒトケタ生まれの大叔母の漫画コレクションの中にあったものを小学生の頃に読みました。永井豪の『デビルマン』にも匹敵する強い衝撃と影響を受けた漫画でした。
作者は手塚治虫のアシスタントをしていたそうです。いかにもな部分がけっこうあります。実力はあるのに残念ながら不幸なまんが道を歩んでしまったようです。
現代視点から見ると6点くらいの漫画かなという気もしますが、強い思い入れのある作品なので個人的には8点くらいはつけたい。中間を取って7点とさせて頂きます。


No.297 7点 約束の土地
リチャード・バウカー
(2020/02/20 19:20登録)
~米英の間で核戦争が勃発、敗北したアメリカはまだまだ戦後復興もままならない。そんなアメリカで青年ウォルターは私立探偵の看板を掲げた。本の中にしか存在しない職業である私立探偵にウォルターは憧憬を抱いていた。
ウォルターの本棚には『別れの顔』『レモン色の戦慄』『さらば愛しき女よ』『初秋』などが並んでいる。もちろん『切断』や『フロスト日和』は存在しない。
そんなウォルターの初めての依頼人は医者だった。ひどく奇妙な依頼だった。
「自分はクローン人間だ。自分の生みの親でありオリジナルである生物学の教授ロバート・コーンウォールを捜している」と彼はいう。~

1987年アメリカ。原題の『Dover Beach』は英国の詩人マシュー・アーノルドの同名の詩から採られています。
私立探偵になりたくてなりたくてたまらない若いウォルターによる一人称語りは青臭くもあり、どこか諦観している部分もありの矛盾をはらんだもの。ウォルターも依頼人もともに二十二歳ですが、最初のうちはウォルターは三十前後、依頼人はおっさんとしか思えませんでした。ウォルターはすぐに若さが見えてきますが、依頼人は最後の最後まで二十二歳とは思えませんでした。
最初の200頁がアメリカ篇、残り200頁がイギリス篇という構成で、前半のアメリカパートでは本筋の捜査は遅々としてなかなか進まず、核戦争によって心身ともに傷つけられた、それでいて懸命に生きて行こうとするウォルターと仲間たちとの物語が主軸です。絆、別れ、旅立ちが描かれております。
イギリス篇になってようやく捜査が主体となって、いかにもハードボイルドな展開となります。派手さはありませんが、伏線もしっかり張られ、よく考えられた構成です。
目を見張るような、ぐいぐいと引き込むような、そういった派手な筋運びではありませんが、心地よく浸透していつのまにか読まされてしまいます。
※本作には『マルタの鷹』のネタバレあります。未読の方は注意してください。

SFとハードボイルドの融合などといわれているようですが、青年の成長とともに物語がハードボイルド化していくものの、本質的にはハードボイルドではないと思っています。
SF的な舞台にSF的なネタを採用しつつ、ハードボイルドを媒体としてビルドゥングスロマンに仕立て上げましたといった感じ。
なろうなろう、あすなろう、あすはハードボイルドになろうの青春ハードボイルドとでもいいますか。
いくら考えても英米が核戦争になるシチュエーションが思い浮かびません。核の撃ち合いでアメリカが負けるところが想像できません。その他もろもろありまして、設定には隙が多く、また曖昧な部分が多すぎて作中の世界にリアリティはない――あれ? まったく同じことを別の作品の書評でも書いたような……いや、なんか両者に通底するものを感じるのです――。
主人公の特殊能力を放射能による突然変異の一言で片づけてしまっているあたりなどはいかにもこの時代の小説――当時『放射能による突然変異』は打ち出の小槌のようにさまざまな現象を生み出しました――であり、いささかご都合主義でありますが、ハードボイルドを若者の成長にからめた物語はうまくまとまっており、なにより作品全体に流れる「ものさびしさ」「切なさ」には胸打たれるものがあります。ミステリとしては5~6点ですが、とてもいい作品だと思っております。

『わたしを離さないで』を書く前にカズオ・イシグロ氏は本作を読んでいたのではないか。そんなことを夢想したくなる作品であります。


No.296 7点 サディーが死んだとき
エド・マクベイン
(2020/02/09 20:31登録)
~弁護士のジェラルド・フレチャーから、帰宅したら妻が死んでいたとの通報を受けて現場に駆けつけたキャレラ刑事だったが、フレッチャーは平然と言い放った。
そいつが死んでくれてせいせいしているよ。
物盗り目的で窓から侵入した何者かがフレッチャーの妻を刺したのではなかろうか。この線が有力であったが、キャレラはフレッチャーに疑惑を抱く。そんなキャレラになぜかフレッチャーは自ら接触を試みてくるのであった。~

1972年アメリカ。刑事コロンボみたいな幕開けから、つかみどころのない展開を経て、他愛もない結論に落ち着くのではありますが、心理ミステリとしてよくできている作品だと思います。曖昧な部分もありながら、なぜか腑に落ちるのです。
被害者のノートに書かれた『TG』の意味が判明したとき、これも他愛のないことではありながら、あまりにも……いやあいいなあ。
さらに本筋との直接的なからみはないものの、サブストーリーが作品に微妙な影を投げかけております。マイヤーとクリングの肩こり治療用ブレスレットをめぐるアホらしい諍いも楽しい。どうでもいいことをくどくど書いたり、肝腎なことは匂わせるのみだったり、どこかヘミングウェイっぽかったり、いくつかの文体を混ぜ合わせたりと相変わらずやりたい放題ですが、本作はそれらがうまく融合しているように思います。やっぱりマクベインはいい。
好き嫌いが分かれそうな作品ではありますが、個人的には『死にざまをみろ』と並ぶ87分署の裏名作にしてマクベインのベスト5入り作品です(カリプソ以降の後期作は未読なのですが)。ジャンルはサスペンスとしました。

『われらがボス』の書評の中で同時期に出版された四つの作品を挙げて、いまいちだと書きましたが、本作はその時期に書かれています。なぜか本作だけは完成度が段違い。不思議です。
※ショットガン(1969)、はめ絵(1970)、夜と昼(1971)、サディーが死んだとき(1972)、死んだ耳の男(1973)

別作品に登場するキャラで、何者かにレイプされたという狂言を繰り返すサディという迷惑なお婆さんがおります。本作を初めて読んだとき、このお婆さんが殺されてしまう話だと思っておりました。けっこう好きなキャラなので非常に悲しくなりました。もちろん本作のサディーはまったくの別人です。


No.295 6点 われらがボス
エド・マクベイン
(2020/02/02 13:39登録)
~パトロール警官は剥がされたドブ板を不審に感じた。溝の中を照らすと赤ん坊を含む六体もの遺体が遺棄されていた。被害者たちは人種も性別もマチマチで、全員身元がわからない。これは厄介な事件になりそうだ。
そして、一週間が経った。87分署の刑事部屋にはギャング組織であるヤンキー反乱隊の会長ランドール・M・ネズビットがいた。彼は六体の遺体について詳細を知っていた。訊かれてもいないことまでペラペラペラペラ喋りまくった。~

1973年アメリカ。87分署シリーズ異色作の一つ。原題は『Hail to the Chief』
あらすじのとおり、いきなり六つの死体が転がり、早くも21頁でヤンキー反乱隊会長の口から犯人の名が明かされ、命令したのは「オレ」だとの供述まで飛び出してしまう。倒叙形式といえなくもないが、そこは大して重要ではない。遺体発見からの一週間にどんなことが起きたのか、刑事たちの捜査と会長の供述が交互に描かれていく。小さな謎が解明されてゆき、事件の全体像が浮かび上がり、会長の独善性、異常性が見えてくる。
ギャングについて深く掘り下げることはしないが、要所要所を押さえてある程度のリアリティを保ち、なかなか楽しい作品に仕上がっていると思う。
雪さんも指摘されているが、『ショットガン』『はめ絵』『昼と夜』『死んだ耳の男』とこの時期のマクベインはどうも冴えない。ここで自分をみつめなおしたのかなんなのか大胆な構成の異色作を送り出してきた。
さまざまな遊び、実験が散りばめられ、マクベインの筆致は活き活きとしており、名作とまではいえないが好きな作品である。
本作で心機一転、続く『糧』もなかなかいい作品だったように記憶している。

大筋はギャング組織の三つ巴の抗争であるが、見方によってはいわゆる独裁者(スターリン、毛沢東、ヒトラーなどに代表される大量殺戮に至る病)について書かれた作品だともいえそう。原題の『Hail』はいわゆる『Heil Hitler』を想起させるし、会長が盗聴器を仕掛けさせた敵組織のアジトは『ゲイトサイト・アヴェニュー』にあったりする。これはもちろん本作執筆の時期に起こったウォ-ターゲイト事件にかけているのでせう。

ジャンルは迷いましたが、クライム/倒叙 としておきます。


No.294 7点 ベンスン殺人事件
S・S・ヴァン・ダイン
(2020/01/30 22:15登録)
1926年アメリカ。意外と読みどころの多い作品ではないでしょうか。ただし、ヴァン・ダインの衒学には興味ありません。小説技術もいまいちだと思っております。あくまでミステリとして興味深いのであって、シンプルな事件が一つ、これを丁寧に掘り下げて容疑者一人一人を検証していく過程は非常に読ませます。
ミステリに新たなルールを持ち込み、そのルールを説明しながら話を進めていくような体裁になっております。複数の容疑者がいずれも犯人足り得ることを明らかにしていく趣向は(いささか恣意的でリアリティには欠けますが)こうしたゲーム性こそがミステリの面白さではないかとも思うし、多重解決ものの要素まで含んでおります。
ただ、肝腎要の心理的推理による犯人の特定。この試みは中途半端に終わった印象です。本作においてうまく使われた心理的推理があります。一方で、なんだかんだ最終的には物的証拠が決め手となってしまっているのではないかとも思うわけです。
関係者の心理を考察することが犯罪の解明には極めて重要である、くらいに留めておけばよかったのに、物的証拠、状況証拠は役に立たない、心理ですべてが解決できるというのはさすがに吹かしすぎました。

『重罪裁判所のメグレ(シムノン)』において、メグレ警視はとある容疑者に「事実は知らないが、おまえは犯人ではないと確信している」といったことを告げて、その理由を話します。
個人的にとても気に入っている心理的推理(洞察的推理か?)の一例ですが、心理的推理の限界も見えます。メグレ警視本人が「事実は知らない」と言っているとおりです。
心理的推理そのものは好きだし、可能性があるというか、重要であると思っております。心理的推理だけでグイグイ押していくものがあればもちろん歓迎します。

本作はヴァンスの秘書であるヴァンなる人物の一人称で進められますが、ヴァンは作中人物からはほぼ黙殺され、読者もその存在を忘れてしまうほどです。とても特異な叙述です。
ヴァンスの心理を直接描写したくなかった(できなかった)のだろうなあと思っております。
本作には「わかってたなら最初から言え!」とマーカム検事がヴァンスに怒る場面がありますが、もしヴァンスの一人称小説だったら、「わかってたなら最初から書け!」と、読者が怒り出すでしょう。
三人称で書いたとしても、どうにも座りが悪くなりそうです。
それに、いわゆる天才、奇才の類を描く場合、作家は言動と行動は描いても、思考は描かないと、このような形式を取りたがります。超頭脳の思考過程を描こうとするとたいていは白けるのです。
基本的にはコナン・ドイルのホームズ、ワトソン方式と同じです。大きく違うのは、ワトソンはキャラクターとして小説内で活かされていますが、ヴァンはカメラに過ぎません。作者が意図的にカメラにしたのか、ワトソンのごとき魅力的なキャラを作る才能に欠いていたのか、なんだかよくわかりませんが、完全に作者都合で生まれたキャラであり、小説として不自然極まりないことに変わりはありません。

※なるほど。クリスティ再読さんによる――「売れ筋」狙ったね。ナイス企画というべきか、「意図的なドキュメンタリ・タッチ」――という視点に立つといろいろと違った見え方もありそうですね。


No.293 6点 洞窟の女王
H・R・ハガード
(2020/01/19 18:15登録)
~ホレース・ホリーは容姿は醜く性格も内向きで学問くらいしか取り柄のない学生だった。そんな彼にもたった一人だけ友人と呼べる学生がいた。ある夜、その友人がホリーの元を訪ねてくる。彼は自分の命がもう長くはないことをホリーに告げ、我が子を――おまえガキがいるのかよ!?――ホリーに託したいという。いささか怪訝な話ではあったが、ホリーはいくばくかの遺産とその子供の養育を引き受けた。子供はいつしか類稀なる美貌の青年へと育ち、『彼女』に会いに行くことを決意する。こうしてホリーと青年はアフリカの秘境へと旅立つのであった。~

1887年英国。ヘンリー・ライダー・ハガードによるファンタジー風味の冒険小説。原題は『She』作者お気に入りの作品だったようで、18年後に続編が書かれている。所有する1956年の版では作者名がハッガードとなっているが、登録はハガードとした。

秘境がまだまだ秘境であった時代の冒険小説というのは雰囲気がよい。資料が豊富にあるわけではないので作者自身も手探りの部分が多く、それだけに良くも悪くも作者のロマンが作品内に大量に溶け込んで、普通に書いているつもりなのかもしれないが、どうしてもファンタジーの衣をまとうことになってしまう。
同じ秘境冒険ものとして真っ先に思いつくのは前に書評したマイクル・クライトンの『失われた黄金都市』だが、こちらはさすがに100年近く後発だけにアフリカがアフリカとして違和感なく描かれている。
だが、作者もよくわかっていない土地を作者と共に手探りで旅することはこちらの想像力を掻き立てる奇妙な力となる。冒険ものとしてはもう少し危機の演出が欲しかったところではあるが。
中盤からは『She』いわゆる洞窟の女王アッシャが話の中心となっていくが、彼女のイメージは松本零士の漫画にしばしば登場する高慢ちきな女王キャラ。ぜんぜん好きにはなれない。恋愛小説として見るとどうにも納得がいかないというか、こんな奴らの恋愛なんてどうでもいいよと思えてしまう。だが、そのキャラの不完全さというか駄目さというかが、逆に宿命を強く意識させる。このキャラは好きとか嫌いとか、そういった感情を超越したところにこの物語の肝がある。
正直なところ古さは否めない。プロットの巧みさでは現代エンタメの敵とはなり得ない。なのに、リーダビリティの高さは捨てたものではなく、深遠な哲学と見果てぬ夢を感じさせる。
けっこう辛辣で容赦ない描写が散見される。特にラストは凄まじい。さほど意外ではないのだが、個人的には衝撃だった。
そうかと思えば甘い描写も。『筆舌に尽くしがたい』とか『私の力では描写できそうもない』とか、そういう逃げが5、6ヶ所もあって、これはちょっと多すぎる。まあ昔の小説の常套句なのかな。

コナン・ドイルはハガードより三歳年下で、本書『洞窟の女王』の一年後に『緋色の研究』でホームズをデビューさせている。wikiによるとドイルはこんな言葉を残しているらしい。
「空想やスケールの点ではハガードに及ばぬかもしれないが、作品の質と思想の面白さにおいてはハガードを凌ぎたい」
ハガードは冒険小説においてドイルのライバルだった? ドイルがホームズシリーズを執筆しながら「俺もこういうのを書いてみたいなあ」とハガードをチラ見していたところを想像するとなんだか楽しい。


No.292 6点 鼠(ねずみ)
ジェームズ・ハーバート
(2020/01/12 09:24登録)
~街に巨大なネズミが出現した。密やかに数を殖やし、人を襲い、街を浸蝕していく。ネズミに食い散らかされた遺体が街のあちこちで発見され、危うく難を逃れた者も――もしネズミに噛まれていたならば――24時間以内に死亡する。やがてネズミの集団は人が大勢集まる場所を狙いはじめる。~

1974年エゲレス。干支にちなんで今年の一発目にとも考えたが、新年早々えげつない話を書評するのも躊躇われ後に回した。作者のジェームズ・ハーバートはスティーヴン・キングとほぼ同時期にデビューした作家でイギリスでは当時かなりの人気を博していたらしいが、今となっては日本ではほとんど語られることもない。大々的な復権運動が起こるような作家、作品ではないものの、今読んでもけっこう面白い。

表紙にはSF長編小説とあるが、SF要素はほぼない。いわゆる動物パニックものだが、社会問題、環境問題などに踏み込んで教訓めいたことを述べるような作品ではない。プロットは非常に単純でネズミたちの暗躍と人間の反撃、この二点に絞られている。生徒がネズミの犠牲者となってしまった美術教師ハリスが主人公格で、そこそこの正義感と行動力をもった普通の人間として描かれている。
前半は巨大ネズミに襲われて人々が次々に食い殺されたり病死させられたりしていく。その際に犠牲者たちの人生、生活をいちいち描いて読者をそこそこ感情移入させてから、襲撃の状況が描写される。犠牲者をことさら美化することはなく、なかなか読ませる。あとがきでも指摘されていたが、5章などは短編として独立させても面白かったかもしれない。
後半は人間の反撃が描かれていくが、科学的にどうなのかと思う部分もけっこうある。特に巨大ネズミが生まれた経緯、病原菌の正体などは納得のいく説明がほとんどない。個人的には動物園のエピソードをもっと膨らませて欲しかった。
それほどグロテスクには感じなかった。プロットは単純だが、普遍的な面白さがある。リーダビリティは高い。俗な好奇心をくすぐる巧妙さ、丁寧さがあって、同じことの繰り返しの前半も非常に面白く読めてしまう。むしろ前半の方が面白いかもしれない。

※一点非常に気になっている。
ハリスは十代の頃仲間と一緒にリンダなる女の子を輪姦したことがある。この事実は物語にはなんの影響も与えず、なんの意味もない。ただ言及されただけなのだ。
我思うに輪姦は犯罪の中でも特に卑劣な部類である。主人公格の過去にこのような背景を付与した理由がまったくわからない。読者をげんなりさせるだけではないか。
根拠はないが、誤訳を少し疑っている。ハリスと仲間たちはリンダを輪姦したのではなくて、乱交した。あるいはハリスとその仲間たちは順番にリンダの御世話になったというニュアンスだったのではなかろうか。


No.291 5点 ショットガン
エド・マクベイン
(2020/01/07 19:29登録)
~主に中流家庭が占める地域にあるアパートの一室で夫婦と思われる二つの遺体が発見された。クリング刑事は青ざめて嘔吐する。場数を踏んでいるキャレラも無駄口を叩く気にはなれなかった。遺体は双方ともにショトガンで顔を吹き飛ばされていた。~

1969年アメリカ。積読マクベインを一冊やっつける。だがしかし、そっとしておいてもよかったかもしれない。これはちょっとミステリとしては見るべきものがないような気がする。かなりの無理筋だし、たとえうまく決まっていたとしても陳腐。
先達ミステリを雛形にドラマで魅せていく作風であるにしても、これはあまりにも芸がない。
テンポよく展開していくし、会話も相変わらずうまいし、サイドストーリーはなかなか楽しいので退屈はしないのだが、マクベインのうまさを再確認すると同時にダメさ加減も骨身に沁みてしまった。
驚いたのは別作品のとある登場人物の行く末が判明すること。だけどねえ。気に入っていた作品だけに彼の物語をこうもあっさりと片付けられてしまうと非常に寂しい。これもマイナス要素。
腕のいい料理人が質の悪い魚で刺身を造ってしまったが、煮物と吸い物は美味しかったといった風。うまさは随所に出ているも採点は4点に近い5点とします。


No.290 8点 悪童日記
アゴタ・クリストフ
(2020/01/04 02:09登録)
~ぼくらはお母さんと離れて、おばあちゃんと一緒に暮らすことになった。おばあちゃんはぼくらを「牝犬の子」と呼んで、あまりかまってくれない。だから、ぼくらは生きる術を自分たちで学ばなくてはいけない。~

1986年フランス。亡命ハンガリー人故アゴタ・クリストフ女史の双子三部作の一作目です。続編『ふたりの証拠』『第三の嘘』と読み進めていくとミステリ的な要素が顔をのぞかせますが、ここではあくまで『悪童日記』を単体で書評します。内容にはあまり触れません。
第二次大戦末期、オーストリアの国境に近いハンガリーの田舎村が舞台のようです。この背景だけでも双子の前途が多難であることが予想されます。双子はここで己を律し、鍛錬し、生きる術を学び、日々の出来事を『大きなノートブック※後述』に綴っていきます。
少年たちのサバイバル小説であり、ハードボイルドに分類してもそれほど大間違いではないように感じてしまった作品です。

この『悪童日記』なる作品がいったいなんなのか未だによくわかっておりません。面白いということだけはわかっておりますが。
とりあえず書き出しで特異な点その1に気付きます。
~ぼくらは、<大きな町>からやって来た。一晩じゅう、旅して来た。~
そう。一人称複数視点(ぼくら)で書かれています。一人称複数視点の歌詞はしばしば見かけますが、小説ではあまり見ない形式です。視点が「ぼくら」では物語が進むにつれて不都合が生じそうなものですが、そんなことはありません。なぜなら、作中この双子は区別されないのです。
さらに読み進めると、即物的で幼稚な文章、心理描写の徹底排除にイヤでも気付かされます。この点について、双子は『大きなノートブック』の中で言及しております。
すなわち、~ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人々はおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ」と書くことは許されている。~ということだそうです。前者「魔女に似ている」は主観が多く混じっているが、後者「<魔女>と呼ぶ」は紛れもない事実であるからです。

本作の原題は『Le Grand Cahier』直訳すると『大きなノートブック』だそうです。悪という言葉は曖昧であり、双子が悪童かどうかは事実なのかわからない。本作で語り手が自分に課したルールとは相容れない邦題だということは指摘しておきたいです。
ただ、作者自身このルールをどれほど突き詰めて考えていたのか疑問も残ります。
『大きなノートブック』という表現も厳密にいえば主観が混じっています。
例えば「先生は怒った」という文章があります。これは以下のように書くべきです。
→先生は辞書を机に叩きつけて『大きな』音を立てた。
大きな音というのはあなたの主観で他の生徒はさほど大きな音だとは思わなかったかもしれない。先生はそんなに大きな音がするとは想定していなかったかもしれない。以下のように直しましょう。
→先生は辞書を机に叩きつけた。
叩きつけたというのは、あくまであなたの目ではそのように見えただけであって先生はただ置いただけのつもりだったのかも……キリがねえぞ。やめだやめだ。
新聞は事実だけを伝えるべきだと簡単に言う人がいるし、私もそれはそう思うのですが、事実だけを淡々と述べるのは実は非常に難しいのです。
なぜアゴタ・クリストフはこのような書き方を選んだのか。
亡命者である彼女はフランス語がまだまだ未熟だったので、複雑な文章を書くことができなかったからだと述べているそうです。
一人称複数視点もそうなのですが、なんかこう、場当たり的な感じなんです。
真に悲惨な出来事は事実のみを述べればそれで充分に感化的であり、興味深い話は淡々とそれを書くだけで充分に面白い。そのことが如実に表れている作品です。どこまで計算が働いていたのかよくわかりません。
そんなわけで本作は非常に優れたエンターテイメントであります。文学的な技法が存在しないことで逆に高度な文学性を備えているようにも映ります。
しかも、私の中ではハードボイルドになってしまいました。
そんな不思議な作品です。

369中の書評を表示しています 61 - 80