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ミステリの祭典

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約束の土地

作家 リチャード・バウカー
出版日1993年07月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 tider-tiger
(2020/02/20 19:20登録)
~米英の間で核戦争が勃発、敗北したアメリカはまだまだ戦後復興もままならない。そんなアメリカで青年ウォルターは私立探偵の看板を掲げた。本の中にしか存在しない職業である私立探偵にウォルターは憧憬を抱いていた。
ウォルターの本棚には『別れの顔』『レモン色の戦慄』『さらば愛しき女よ』『初秋』などが並んでいる。もちろん『切断』や『フロスト日和』は存在しない。
そんなウォルターの初めての依頼人は医者だった。ひどく奇妙な依頼だった。
「自分はクローン人間だ。自分の生みの親でありオリジナルである生物学の教授ロバート・コーンウォールを捜している」と彼はいう。~

1987年アメリカ。原題の『Dover Beach』は英国の詩人マシュー・アーノルドの同名の詩から採られています。
私立探偵になりたくてなりたくてたまらない若いウォルターによる一人称語りは青臭くもあり、どこか諦観している部分もありの矛盾をはらんだもの。ウォルターも依頼人もともに二十二歳ですが、最初のうちはウォルターは三十前後、依頼人はおっさんとしか思えませんでした。ウォルターはすぐに若さが見えてきますが、依頼人は最後の最後まで二十二歳とは思えませんでした。
最初の200頁がアメリカ篇、残り200頁がイギリス篇という構成で、前半のアメリカパートでは本筋の捜査は遅々としてなかなか進まず、核戦争によって心身ともに傷つけられた、それでいて懸命に生きて行こうとするウォルターと仲間たちとの物語が主軸です。絆、別れ、旅立ちが描かれております。
イギリス篇になってようやく捜査が主体となって、いかにもハードボイルドな展開となります。派手さはありませんが、伏線もしっかり張られ、よく考えられた構成です。
目を見張るような、ぐいぐいと引き込むような、そういった派手な筋運びではありませんが、心地よく浸透していつのまにか読まされてしまいます。
※本作には『マルタの鷹』のネタバレあります。未読の方は注意してください。

SFとハードボイルドの融合などといわれているようですが、青年の成長とともに物語がハードボイルド化していくものの、本質的にはハードボイルドではないと思っています。
SF的な舞台にSF的なネタを採用しつつ、ハードボイルドを媒体としてビルドゥングスロマンに仕立て上げましたといった感じ。
なろうなろう、あすなろう、あすはハードボイルドになろうの青春ハードボイルドとでもいいますか。
いくら考えても英米が核戦争になるシチュエーションが思い浮かびません。核の撃ち合いでアメリカが負けるところが想像できません。その他もろもろありまして、設定には隙が多く、また曖昧な部分が多すぎて作中の世界にリアリティはない――あれ? まったく同じことを別の作品の書評でも書いたような……いや、なんか両者に通底するものを感じるのです――。
主人公の特殊能力を放射能による突然変異の一言で片づけてしまっているあたりなどはいかにもこの時代の小説――当時『放射能による突然変異』は打ち出の小槌のようにさまざまな現象を生み出しました――であり、いささかご都合主義でありますが、ハードボイルドを若者の成長にからめた物語はうまくまとまっており、なにより作品全体に流れる「ものさびしさ」「切なさ」には胸打たれるものがあります。ミステリとしては5~6点ですが、とてもいい作品だと思っております。

『わたしを離さないで』を書く前にカズオ・イシグロ氏は本作を読んでいたのではないか。そんなことを夢想したくなる作品であります。

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