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クリスティ再読さん
平均点: 6.40点 書評数: 1313件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.653 5点 間違いの悲劇- エラリイ・クイーン 2020/02/16 15:48
作品にならなかったシノプシス「間違いの悲劇」を含む、落穂ひろい作品集である。中では「動機」が面白い。「ガラスの村」で「九尾の猫」事件が起きたような...犯人の動機も動機だし、探偵役もあか抜けたエラリーじゃダメで、やや泥臭いメロドラマで正解だと思う。これだけ50年代の油が乗った頃の作品で、なぜか収録漏れしていたもののようだ。
でダイイングメッセージを中心にしたパズルが3つ、パズルクラブのパズルが3つ、でどれも一種の「解釈学」みたいなもの。でいうと「仲間はずれ」は名前だけを分析しただけでも、3つのモノを2:1に分けるやり方は、いくつでも考えられてしまうから、正解なんてないんだと思うんだよ...
で問題の「間違いの悲劇」。どうも皆さんドルリー・レーンの四大悲劇に関連付けたがり過ぎてるように見受けられるんだが、このタイトルは、シェイクスピアの「間違いの喜劇」のモジリでクイーンは付けていると思うんだよ。ドルリー・レーンもクイーンたちにとっては40年も前の話なんだからねえ。「推理の芸術」が暴露したところによると、「最後の悲劇」でバーナビー・ロスが「終わった」のは単に出版社とのトラブルが原因で、しれっと5作目を書くプランがクイーンの二人の中にはあったらしい。名探偵なんて復活するのが昔からの定番(苦笑)。本人たちよりもファンの方がコダワリを持ちすぎているように感じるんだよ。事実、この梗概から小説化するのを試みた有栖川有栖が寄せた「女王の夢から覚めて」も、訳者の飯城勇三の解説も、ドルリー・レーンの話なんて一つもしていない。最終第4期のエラリー・クイーン作品として、見るべきだと思うんだよ。
内容については、これがちゃんと小説になっていたら、プロットの綾もいろいろあって面白かったのでは?とは思う。公序良俗に反する○○ってのを、エラリーがちゃんと承知しているのにニヤリ。ミステリはご都合的に使い過ぎているからね。ただし、これを「小説」と思って読もうとすると、黒人劇作家ディオンの役割がまったく不明だし、R.D.レインに結びつけられた「今日の世界の狂気」もよくわからない...有栖川氏が小説化をあきらめたのも、まあ仕方のないことではないかなあ。
第4期のクイーンって、小説の中での「犯人の機能」に工夫があって、犯人像がオーソドックスじゃない作品が多いから、本作もそういう路線の中で捉えるべきなんだろう。クイーンは最後まで、クイーンらしかった。

No.652 9点 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?- フィリップ・K・ディック 2020/02/13 22:21
いつのまにか本作が「SF/ファンタジ―」部門の評価5件以上の最高平均評価作になってるね。とはいえ、本作の「ミステリ色」は、どっちかいうと映画「ブレードランナー」の「混沌とした未来社会でのフィリップ・マーロウ的な探偵の物語」という独自の狙いから来たものしかないようにも思うんだ。原作小説の方はデッカードは妻帯者で、情緒不安定な妻に悩まされ、相続した山羊が死んだための身代わりの「電気動物の山羊」にコンプレックスをもち、腕利きの賞金稼ぎ(バウンティハンター)であるが、アンドロイドを殺戮する稼業に心理的な限界が近づきつつある...と、まったく主人公像も映画とはまったく違う。おおまかな事件の枠組みは同じかもしれないが、美術とSFXが凄いが内容的には安全なハリウッド・アクション映画の域を出ない映画とはニュアンスが全然違う話である。評者映画見てかなり後に原作を読んだから、呆れ果てたんだ。まあ評者、オトコノコじゃないせいか、SF映画の「カッコよさ」ってわからないタイプなんでね、「ブレードランナー」より「惑星ソラリス」の方が好きだなあ。ちなみに「ソラリス」の荒廃した宇宙ステーション像が、サイバーパンクのハシリだ、なんていうと嫌な顔をされるかな。
つまりね、原作小説は人間/アンドロイド:動物/電気動物の対比図式を、マーサー教の「感情移入の教義」を媒介として何が排除され何が融合されるのか、その線引きの動揺による、一種のショックが見どころなように思うんだよ。人間でもイジドアのように「役立たず」として人間世界から排除される存在もあれば、ルーバのように人間にとってどうみても「有用」でもアンドロイドがバレれば廃棄される存在もある。蜘蛛の足を切り刻むブリスの行為がアンドロイドの「感情移入能力を持ちえない」証拠だとすれば、アンドロイドを無慈悲に殺戮して何の動揺も感じないフィルという存在な何なのか?このただなかでデッカードは悩み動揺する。「自分はいったい何者か?」
このように「さあ、この矛盾を解いて見よ!」というほどの「人間の条件とは何か?」というエンタメぎりぎりの哲学的な問題提示が興味深い。原作小説でマーサー教が担うショーペンハウアー風の共苦の世界の方が、評者は「酸性雨の降りしきるアジア的猥雑の無国籍都市」よりもずっと魅力的である。このマーサー教の「感情移入」の救いとは、たとえそれがハリボテであったとしても、「同情によって悟る純粋な愚か者」に向けられた救いであろう、ということなんだね。

No.651 7点 四万人の目撃者- 有馬頼義 2020/02/10 22:07
大観衆が見守る中、長打を打った四番打者が三塁に向かう途中、倒れて死んだ...観客の中にいた検事がその死に疑念を持つ。ひそかに解剖した結果、コリンエステラーゼの異常が検出された...殺人か?
と、極めてキャッチーな話のように見えるのだけど、実は非常に地味でリアルで手堅い話である。このギャップが面白い。ミステリ史的には「社会派」の代表的な作品になって、時代柄で戦争の影が少しあるのだけど、別に告発小説でも何でもない。そのかわり、タイトな文章と野球選手の内面の丁寧な描写、男女の機微を突いたうまさなど、純文学的なテイストに良さがある。がその分、読者を唸らせるような飛躍はない。
そうは言っても、被害者の四番打者の打率と、背景事件の報道とに相関があるとか、なかなか面白いアイデアもあるし、有機リン系農薬をベースとした毒物だから、これオウムのサリンと似たようなものだね。あと、漁村で死んだ魚を集めて肥料を作る男が不気味。
小説としては結構面白いが、ミステリだけを期待する読者だと期待外れじゃないかな。背景になる犯罪ビジネスがあるんだけど、「事業として」成立するか怪しいものだから、その動機に検事も「わからない...」なんてつぶやく。そういう「わからなさ」にリアルを感じるかどうかで、この小説の評価が違うんだと思うんだよ。

No.650 4点 デイン家の呪い- ダシール・ハメット 2020/02/09 21:26
結局人は何人死ぬんだっけ...9人?なので目まぐるしく人死にがあるんだけど、大ざっぱ。三部構成の1パートごとに謎解きみたいなことをして、最後にまたひっくり返す趣向。人死にが多すぎることもあって、読者の理解力を軽く超えてしまい、推理もどっちかいうと邪魔。「血の収穫」は4パートのそれぞれで意外な真犯人を指摘し、それでうまく完結してたから後を引かないのに、「デイン家」は大した事件でないのに後を引く。解明されてもあまりうれしくない。
キャラとしてはもちろんガブリエル。ペイ中は頂けないが、もっと不思議少女風の印象を持ってたなあ。まあメンヘラちゃんなんだけど。本作を「家モノ」とか「オカルト趣味」と見るのは、そういうギミックを(わかって)楽しむ読者の心構えみたいなものが前提なんだけど、オプはそういう「家系の呪い」とかオカルトを鼻で嘲ってる風に読んだ方がいいようにも思うんだ。タイトルもマジに捉えなくて「デイン家の呪(笑)」でもいいのかもね。オプがそういうのを真に受ける(フリをする)のも、らしくないや。ま一人称探偵のクセに内心をあまり語らないオプだけどね...
それでも始まり方は素晴らしい。おっさん様が引用されているので、改めて引き直さないが、ハメットのクールさが如実に出た幕開けなのが、なんとも惜しい。

さてこれで御三家長編はコンプになる。ハメットの短編もできるだけやりたいが、創元の稲葉ハメット全集は2巻で中絶したし、手に入れやすい小鷹訳を草思社「チューリップ」まで併せても、カバー率は約6割。まあできるだけ頑張るとしよう。

No.649 6点 天体嗜好症 一千一秒物語- 稲垣足穂 2020/02/08 22:23
ユリイカついでに稲垣足穂。もちろん「僕のユリーカ」がお目当てであるが、実のところ評者、足穂が苦手。メルヘン風のものは苦手なんだ。今回はいろいろ入っている河出文庫の「21世紀タルホスコープ」で。「一千一秒物語」「天体嗜好症」「宇宙論入門」「ヒコーキ野郎ども」の4部構成で、タルホの宇宙とか空へ向けたモダンな趣味を中心のコレクション。
「一千一秒物語」はメルヘンのショートショート集といったもの。「殺月事件」とか「殺星事件」が頻発する物騒な世界である(苦笑)。発表が大正の末と思えないほどにモダンな味わい。
「天体嗜好症」は「一千一秒物語」よりも短編小説風にするけども、シュルレアリスムの味が強くなる。あるいは小説なのかエッセイなのかよくわからないものも多く、エッセイ風に映画論をしたものや、少年愛のものの方が面白い。
「宇宙論入門」は、一見理系な話題にみえて、確実にファンタジーのフィルターがかかっているあたり、エッセイに分類していいのか?となる。語られている内容以上に、語る語り口が重要な「創作」と見たい。内容も自作を理系に解説しなおした「私の宇宙文学」、思い出話風に非ユークリッド幾何学との遭遇を語った「ロバチェフスキー空間を旋りて」、それに「僕のユリーカ」である。
だからこれはあくまでも「僕の」である。もちろんポオのユリイカというものを「一般名詞」として「僕の」ユリイカを語ろうとした作品である。ケプラー、ブラーエ、ハレー、ド・ジッター、アインシュタイン、ガモフといった宇宙物理学者たちの仕事を語りながらも、筆致はタルホの主観で染め上げられて、話題はいたるところに飛躍する。「タルホスコープ」から覗いた宇宙なのである。足穂という人は頻繁に自作に手を入れる癖がある作家のようで、宇宙論の内容自体は最新宇宙論に結構アップトゥデイトされていて、インフレーション宇宙論に近いあたりまでカバーされているから、ひどく古臭く感じるようなことはない。それでもブラックホールとかクエーサーは出てこないか。とはいえ、実のところ扱っている宇宙物理学のレベルが古臭くたって、いいのである。

天文学者のある者には、常人が夢にも知らない遼遠な消息に触れることあるのだと。...そういうわけだから、もしも彼らの生涯が何かオッドな、不幸な、孤立したものだと考えるものがいたとすれば、それは飛んでもないことだ。天文学者らがそれを意識していたかどうかは別として、とにかくある恵まれた短時間中にあっては、未来的な、言説に絶した或物への凝視のために、彼らの心境は澄んで、悠々たるものがあったのでなければならない。「それは偉い学者か哲人の耳にしか聞こえない」とピタゴラス派が言っている天体の諧音を、彼らは聞いたのです。

この「天体の諧音」に耳を傾けることだけが、「ユリイカ」の唯一の資格なのである。

No.648 4点 恐怖の研究- エラリイ・クイーン 2020/02/04 22:25
ハヤカワでのクイーン長編作品リストには、本作がカウントされているので、ハヤカワ的には正典扱いである。しかしネヴィンズの「推理の芸術」では「二百万ドルの死者」同様に「エラリー・クイーン名義のペーパーバック長編(いわゆる「外典」)」にカテゴライズされている。エラリイが登場するからには、本作の外枠部分はダネイ&リーのものではあるが、量的にも質的にも、大したことはない。
「推理の芸術」によると、ジェイムズ・ヒル監督、ドナルド&デレク・フォード兄弟脚本の映画「恐怖の研究」(1965英)があり、そのノベライゼーションの権利をランサー社が取得した。ノベライズを依頼されたカーが体調不良を理由に断り、それがクイーンの元に来たらしい。で、実際の映画ノベライゼーション部分はポール・W・フェアマンというSF作家が執筆している。「推理の芸術」では内容が結構違う...なんて書いているが、Wikipedia の映画の内容紹介で見るかぎり、そう違わないみたいだ...クイーンが書いた外枠物語を含め、クイーン監修、という名義貸し程度のもののようである。このランサー社がペーパーバック外典クイーンの最後の版元ということもあって、断れなかったとかオトナな事情があるような雰囲気。
内容的には、とにかく薄味。フェアマン執筆のホームズvsリッパーの本編の方も、ノベライゼーションを割り引いてももう少し小説らしい描写をしてよ、と思うくらいにペラペラの話。ホームズ&ワトソンと名乗っても、どうもそういう香りがしない。パスティーシュは愛こそすべて、って思うんだよ。これじゃタダのお仕事。
外枠のエラリーの話の方は、内容的にもダネイ&リーらしさはあるから「代作?」というような疑問は浮かばない。ただし、ここで扱う謎が大したものではないし、最後にエラリーが推理する内容も全然意外じゃない。あの本編内容で、何を推理すればいいんだろう?というくらいのもの。お約束通り、映画の真犯人をひっくり返してみせる。
まあだから、クイーン的にはリレー長編の解決篇を不本意ながら引き受けさせられた、というくらいに捉えた方がいいのだろう。

No.647 7点 災厄の紳士- D・M・ディヴァイン 2020/02/03 09:21
初ディヴァイン。昔は紹介されてなかった作家だもんね。評判の良さも聞いているから一番人気の本作を期待して読んだ。
評者ミステリマニアのはずなんだけど、「名探偵小説」があまり好きではないんだな。それよりも事件に巻き込まれた関係者が推理して...をうまく書いた方が、小説として好き。そうしてみると、ディヴァイン、いいじゃん。前半は一家に入り込むジゴロの視点から描いてサスペンスがある。で事件が起きてからは、一家の長女の視点になって、事件の顛末が明らかになる。まさに理想的、というものか。
このジゴロにもしっかり者の妻がいたり、長女の夫が無神経に辛辣なことを口に出して、周囲に嫌がられるキャラだったり、次女元婚約者が「会計士根性」なキャラだったり...と周囲を固めるキャラの個性も十分。小説として面白い。で、パズラーとしては犯人のトリックがある、というタイプではなくて、細かいデテールから推理するタイプ。ケメルマンの「ラビ」あたりに近い印象。視点選択が仕掛けといえば仕掛けかもしれないが、一番自然な書き方だからね。
まあだから、地味といえば地味。手堅いといえば手堅い。でも読み物としては十分。

No.646 7点 テスト氏- ポール・ヴァレリー 2020/02/02 15:58
ポオをやった余勢を駆って、というか、その直後くらいじゃないとさすがにこれ、取り上げられないよ~というのも、ホームズがデュパンの子供であることは言うまでもないんだど、デュパンの子供はもう一人、いる。それがこのエドモン・テスト氏である。
ただし、このテスト氏、デュパンと同じく透視的な知性を持ちながらも、犯罪事件・捜査にはまったく関心がなく、それを自分と他者の「認識」についてだけ適用する、という「思索家としての探偵」なのである。

限度をこえた鍛錬を加えられあのようにきびしく自分自身に向けられた魂のなかにはあるのでなければ、おそらくは悪もその原理的な点で言わば無力化してしまうほど正確に認識されているのでなければ、まったく憎むべきもの、ほとんど悪魔的なものにもなりかねぬあの傲慢だ

と、推理家の傲慢が、悪へと誘惑されがちなのに対して、それを跳ね返すだけの「認識の鍛錬」が強調されている。これこそが「探偵の形而上学」である。傲慢にも鍛錬の基礎があるために、

おのれの感動を、愚劣、衰弱、無用事、愚鈍、欠点と見なすこと、―船酔いとか、高いところで目をまわすとか、屈辱的なことがらと見なすこと。

とこの鍛錬にはもれなく「無感動の美学」がついてくる。これがダンディズムというものだ。
というわけで、このテスト氏の肖像は、いわゆる「名探偵のカッコよさ」というものを正確に意識して、その基礎から丁寧に説明したようなものである。それゆえ「名探偵とは何か?」を考察するうえで、必要不可欠な本の一つだと評者は思う。

No.645 9点 ポオ 詩と詩論- エドガー・アラン・ポー 2020/01/31 21:05
今この本は「アンソロジー他>評論・エッセイ」になってますが、できれば「海外作品」側に移動したいな...なんて思ってます。「ミステリ論」じゃあ、ないですからね。
で、創元のポオの掉尾を飾るのはこの「詩と詩論」である。その最後には奇書「ユリイカ」が控えている....とりあえず詩を読んで、「鴉」をポオ自身が自作解説というか音楽で言う「アナリーゼ」を行った「構成の原理」を楽しむのがいい。ここで働いているポオの分析はたとえば「メルツェルの将棋差し」や「ハンス・プファアルの無類の冒険」での犀利な批評精神と同じものだ。ただ対象が「自分の詩」になっただけのことである。詩でも「伏線」をちゃんと引いておくのがポオなわけだし、結末(真相)から逆算して冒頭を考えていく...デザイン的というか、工芸的というか、そういうポオの精神の傾きが、推理小説というものを産んだ、と思いたいな。
続く「詩の原理」では、ポオのお気に入りの詩を題材に「詩」を論じる、というもの。ここで

心の世界を三つの一目瞭然たる領域に分けてみると、純粋知性、美意識、倫理意識になる。美意識を真中に置いたのは、心の中でそれの占めている位置がちょうどここらからである。

ここでは詩について言っているのだが、ミステリだって実のところタダのパズル(純粋知性担当の)でなくて、それが美意識を満たすようなものであってほしいと評者は思っていたりするのだ。たぶんこれにはポオも同意してくれると思うんだ。
で、問題は言うまでもなく奇書「ユリイカ」である。四巻収録の「メロンタ・タウタ」がSFみたいな枠組みを持ってるから小説扱いなんだけど、内容的には同じようなもの。「首尾一貫」の旗印のもと、ポオが案内する「宇宙」旅行である。物質と引力、ニュートンの法則、ケプラーの法則...と、物理学の素材を扱いながらも、これは「科学」かというと実のところ「散文詩」なのである。「純粋知性」を道具としてポオの「美意識」が宇宙を捉えようと、形而下の物質の法則を手掛かりに形而上を描こうとする試みである。たとえばポオは「ボンボン」で思想を料理のように扱う、なんて奇想を試みたわけだけど、「ユリイカ」では物質がそのまま詩となり、超越的な神へと変転するイメージを捉えようとする。
実際カントやヘーゲルくらいまで、哲学者は「宇宙論」を書いていたりするんだよね...物理学と哲学が分離していない時代といえばその通りなのだが、カントの星雲説は「ユリイカ」で述べられるラプラスの説と一緒になって、今でも太陽系の起源に関する有力な説なのだが、ヘーゲルの「惑星軌道論」はニュートン説に噛みついたこともあって科学的には無視されている、なんてオチはある。このポオの「ユリイカ」でも、ビッグバンを思わせる記述があったり、その時に「ビッグバンの中心」を想定することをどうも嫌っている(空間のインフレーションだから中心はありえない、が通説)とか、銀河の中心にある「光らない星」=ブラックホールを想定したりとか、なかなか現代宇宙論を連想するような鋭さをいたるところに見せているのも面白い。
きっとポオが今に生きていれば、相対性理論やビッグバン、ブラックホールのパラドックスなどにも絶対に喰いついたに違いない。そうしてみると「ユリイカ」は奇書なのだが、ニュートン力学に依拠するポオの「ユリイカ」はただ一つの「ユリイカ」なのではなくて、十の、百の、千の「ユリイカ」がありうるように評者は想うのだ。カントやヘーゲルの「ユリイカ」はあったわけだし、アインシュタインが夢見る「ユリイカ」もあれば、ホーキングが、あるいは未来に現れる大物理学者の「ユリイカ」があるどころではなく、宇宙を見て夢みる、稲垣足穂の「ユリイカ」もあれば、たとえば評者お気に入りミュージシャンである原マスミの「ユリイカ」が、さらには別天体のポオの「ユリイカ」が、そして並行世界の「ユリイカ」がきっと、あるのだと想う。
そういう無数に散乱する「ユリイカの銀河」の物語として、評者は「ユリイカ」を読みたい。

No.644 8点 六本木心中(角川文庫、ナショナル出版 版)- 笹沢左保 2020/01/30 14:54
本作を誰も評してないのが不思議である。笹沢左保でも「木々高太郎、殺す!」で有名な、直木賞で当確視されても落選し、選考が疑問視されたエピソードがあるくらいの名作短編集である。ミステリでなくて風俗小説、と言われがちなのが影響しているかな。
でも、どれもこれも広い意味でのミステリ、ホワイダニットと言っていいくらいにミステリ寄りの作品である。笹沢左保はミステリから離れて書いたわけじゃなくて、積極的に人間心理の機微とか綾とかを「人間の謎」として提示しようとしてこういう小説になったんだと思うんだよ。メグレが好きな人なら絶対に面白く読めると思う。
そりゃいわゆる「風俗」は古くはなる。表題作「六本木心中」ならいわゆる「六本木族」それこそ「野獣会」とかね、たとえばヒロインのレストラン経営者の娘を、不思議少女だった加賀まりこをイメージしてもいんだろう。このヒロインの妊娠を咎められて、恋人(昌章...堺正章?)がレストラン(飯倉キャンティ?)経営者の母親を殺したと自首。ありふれた話のように見えてそれをひっくり返しただけではないオチを付けて、いいようもない空虚な愛を示す作品なんだから、題材は本当に普遍的で、小説としての冴えを存分に楽しむことができる。
実際この短編集は「純愛碑」「向島心中」「鏡のない部屋」「銀座心中」とタイトルを並べてみただけでも「事件性」がちゃんとありそうなものばかり。それぞれ「殺人」というわけではなくても、人に言えない秘密を抱え、偶然のきっかけで思いもよらぬ方向に運命が変わり、行為の裏には見かけによらない真実がある...そういう話の5連発である。
「殺人」がまったく偶然事に過ぎないことで、逆に小説として成立するアンチ・ミステリな作品だって含まれているんだよ。これは、凄いことだ。
ぜひぜひのおすすめ作品である。

No.643 6点 ブラウン神父の醜聞- G・K・チェスタトン 2020/01/27 12:24
本作だともう1935年の作品、というのがどうにも困ったところのように思う。ハメットは長編をすべて書き終えて、クイーンだと「スペイン岬」だから、国名シリーズが行き詰っての時代。アメリカ的な探偵小説なんてものが完璧に確立した時代に、チェスタートンが「アメリカ的性格」を批判しても、そりゃなんだ!ということに過ぎないよ。アメリカだってもう狂乱のジャズエイジですらなくて、大恐慌真っただ中である。
とはいえね、評者の評点6点はほぼ「共産主義者の犯罪」のオマケ点みたいなものなんだ。今ではほぼ忘れられている思想家になるんだけど、ラスキンって人がいてね、この人の「キリスト教的社会主義」というものは、第二次大戦前には一応近経・マル経に対する第三勢力みたいな評価があって、日本でも賀川豊彦とか神戸灘生協とかに影響があったりした。このラスキン、いわゆるゴシック・リバイバルの立役者で、ロセッティのラファエル前派とともに、イギリスのカトリシズムを代表した著述家だったんだ...早い話、チェスタートンの師匠と見ていい人なんである。
で、このラスキンのキリスト教経済学を継承して、しかもマルクス主義と共闘したのが近代的デザイナーの元祖でもあるウィリアム・モリスで、この人の名前は本編にも出ている。評者一時モリスについて調べたことがあってね、ここらへんのバックグラウンドを最後に継承したのがほかならぬチェスタートンだと思ってるんだ。つまり、皆さんが宗教vs共産主義、資本主義vs社会主義、とタダの対立で単純化するのは、本当にチェスタートン理解からは誤解でしかないからね。
つまり、ラスキンもモリスも、中世ゴシックの美にあこがれる一方、キリスト教道徳をベースにした資本主義批判とオルタナ経済の提案、汎ヨーロッパ伝統の継承と国家主義批判、といったイギリス・カトリック知識人の「型」を作りあげ、チェスタートンがこれを継承した背景が分からないと「共産主義者の犯罪」の寓意性はわからないと思うんだ。

なるほど、共産主義は異端説です。しかし、あなたがたがあたりまえのこととして受け入れている異端説ではありません。あなたがたが考えなしに受け入れているのは資本主義のほうです。と言うよりも、死滅したダーウィン説という変装をつけた資本主義の悪がそれです。皆さんはあの社交室で話しあっていたことを覚えておいででしょうー人生とはつかみあいにすぎないとか、自然は最適者の生存を要求するとか、貧乏人は正当な給料をもらうべきかいなかということは重要な問題ではないとかーそういったことです。ほかでもない、それこそが皆さんの慣れ親しんでいる異端説なのです。

社会ダーウィニズムとかさ、自己責任とかさ、人件費圧縮だとかさ、そういう言葉を耳にしたらブラウン神父というかチェスタートンは嘆くよホント。本作あたりがラスキン経済学の最後のなごりみたいなものなんだが、イギリス左翼にはモリス信奉者が今でもいるらしいしね。チェスタートン読むなら「ユートピア便り」とか読むの理解の助けになるんだろうけども、モリスの「世界の果ての森」なら英国中世ファンタジーの元祖みたいなものだから、一応本サイトでも微妙に範囲内かなあ。

No.642 8点 ポオ小説全集4- エドガー・アラン・ポー 2020/01/26 00:27
創元ポオ全集4巻目も「黄金虫」「黒猫」「盗まれた手紙」「お前が犯人だ」「アルンハイムの地所」などなどなど、名作目白押し。
子供の頃に読んだジュブナイルのポオが「長方形の箱」「ちんば蛙」を収録していて、有名作以上に印象的だった記憶がある。やはり好きだなあ。「長方形の箱」は推理可能な真相がある話だから、語り口を変えればミステリになると思う。「ちんば蛙」は様式的な復讐譚だけど、ここにもオランウータンが!あと「天邪鬼」あたりだって、換骨奪胎すれば立派にミステリに入るようにまとめれると思う。
デュパン第3作の「盗まれた手紙」は、確かにすっきりまとまった好編とは思うんだが、「モルグ街」「マリー・ロジェ」の混沌に論理とパターンを見出して...というまでの帰納的な部分ではなくて、天下った演繹推理になるため、ある意味評者は「ポオらしくない」印象がある。ポオって感覚的に収集されたデータの混沌から、独自の論理を引き出す力業に今回の再読では評者感銘を受けているんだ。D**大臣=タレーラン、G**警視総監=フーシェみたいに見えたのは評者の見方がヘンかな。
まあ、ポオの「デテールの魔」が一番に発揮されたのは「アルンハイムの地所」とか「ランダーの別荘」で、ここには「デテールしかない」。ポオはデテールで最高の力量を示す作家なので、「黄金虫」の暗号だって、デテールの混沌の中にある言語の秩序を感得して...という帰納法として捉えるべきなんだと思うし、ポオの帰納法を支えるのは、ほかならぬデテールへの偏愛なのだと思う。幻想以上に幻想的な感覚の作家として読みたいと思う。
まあ一般にミステリ枠に入らない作品でも、ポオの作品のかなりの部分評者はミステリだと思っているよ。ヘイクラフトとか乱歩の時代は、狭く取るのが探偵小説概念の確立に必要な「手続き」だったのだろうけど、5作品とか狭く取る必要は、今はないだろう。

No.641 8点 ポオ小説全集3- エドガー・アラン・ポー 2020/01/25 00:06
創元全集3巻目は「メエルシュトルム」「モルグ街」「マリー・ロジェ」「告げ口心臓」「赤死病の仮面」などなど。一般に「告げ口心臓」はミステリ枠に入りづらい作品とされがちだけど、犯罪小説で読んだらこれはあり、と評者は思うんだ。たしかに「告げ口心臓」+「大鴉」=「黒猫」なんだけど、これ自体は一種の犯罪心理小説と見ていいと思ってる。
としてみると「モルグ街」「マリー・ロジェ」の「ミステリの元祖」評価には、やはり「名探偵の発明」が重大なウェイトを占めていると見えるんだ。しかしデュパンのイメージにたとえばロデリック・アッシャーの超感覚を重ね合わせることもできるのだろう。してみると、ポオの中で「ミステリの元祖」となった作品を特権的な作品として捉えすぎないほうがいいようにも感じるのだ。たしかに「モルグ街」は面白い。その面白さは「証言者がすべて自分の知らない言語での叫び声を聞いている」逆説から引き出される結論であるとか、あるいは密室が密室ではないことを証明する消去法であるとか、そういうやや地味で批評家的なセンスの部分のようにも感じられるのだ。
じゃあそういう見方でデュパン三作では一番皆さんが苦手な「マリー・ロジェの謎」を見るのがいいようにも思うのだ。評者あらためて「マリー・ロジェ」を読んで、実のところこれが一種のテキスト・クリティークになっていることに気が付いたんだ。これを安楽椅子探偵と呼んじゃ、いけない。新聞記事をネタにして、それぞれの整合性を考慮しながら、どれがどれだけ信用できるのか?を推測評価しつつ、その中で事件の真相を推理していくことになる。情報は正しいかウソか、ではなくて、それぞれの立場を再構成し、その中での相対的な真実性を比較考量して「情報」を客観評価しようとするデュパンの方法論に、評者はちょっとイカれたな。これはまさに、鋭い文芸評論家のやり口だ。
少し前に「みんなの意見は案外正しい」という本が話題になったことがあったけど、「マリー・ロジェ」も同じようなことを言っている。

民衆の意見というものは、ある条件の下では無視されるべきじゃない。それが自然に発生した場合―つまり厳密な意味で自発的に現れた場合には、天才の特徴である直観と類似したものとして考えるべきだ

事件は平凡だからこそ難しい。「モルグ街」みたいな奇矯な特徴を持たないがゆえに、推理としても小説としても歯切れが悪い。知性を評価するには「何がわかるか」ではなくて、「自分が分からないことは何かが、どこまでわかっているか」であるべきだと評者は思う。そういう平凡さの逆説として「マリー・ロジェ」を愉しみたいと思う。このデュパンが一番ポオの素顔を写してもいるのだろう。

No.640 8点 ポオ小説全集2- エドガー・アラン・ポー 2020/01/22 16:40
「ゴードン・ピム」の巻である。質+量でやはり代表作に思う。これでもかこれでもか、のサービス精神旺盛な怪奇冒険譚。デテールの魔。中絶みたいな終わり方が、変な想像を誘う。最後の方の「文字」に関する考察とか、わけがわからないて割り切れないのが良さと思うんだ。テケリ・リはやはり白い毛の奇妙な獣の名前なんだろうか。何が忌まわしいんだろうか?わからない。わからないから、いい。なぜ手記があるんだろう。わからない。ラヴクラフトも「ゴードン・ピム」から韜晦を学んだんじゃないかな。
「ジューリアス・ロドマンの日記」は「ゴードン・ピム」の北米大陸横断版みたいなもの。こっちは抑制的な筆致がいい。とくに大したことが起きてないのが困るけど。
「群衆の人」はやはり事件のないミステリ。何も起きないのに不穏。
でおまけのボードレールによる「エドガー・ポオ その生涯と作品」はなかなか鋭い考察なんだけど、小林秀雄の訳が古すぎ。何とかした方がいいと思うよ。詩人が詩人を語った文章だから、一筋縄ではいかないし。

ポオの酩酊は、一つの記憶法、労作の一方式、その情熱に相応わしい断乎たる致命的方式であったと私は信じるのである。

この「記憶法」という言い回しに膝を打つ。

No.639 6点 ブラウン神父の不信- G・K・チェスタトン 2020/01/20 13:31
本サイトの傾向だと、童心>不信>知恵になるようだ。面白いな。その理由はねえ、どっちかいうと「タダのミステリ」になってる作品が目立つから...ということのように思うんだ。
「童心」の凄いあたりは、ミステリの仕掛けがそのまま社会的な事象の反映になっていて、しかもロジックによる反転で全体が社会批判を狙った寓話になる、というのが多くの作品で成功しているあたりなんだよね。だから「知恵」はその路線を継続したのだけど、「童心」ほどには社会批判の切れ味やらミステリとのバランスやらが、今一つになっているんだ。しかし時間をおいた「不信」では社会をみる眼が何か固定されてしまって、チェスタートンという人の批評的センスや感性が鈍っているように思うんだよ。だから「ミステリ」の部分がバランスを欠いて目立つことになって、「新本格」風の突飛さになっているように感じる。展開も「探偵小説」ルーチンの展開が多いんだな。
なので、本作あたりからは、「童心」「知恵」とは別物で、「ミステリ専科」な読み物と思うことにする。そうしてみると、ロジックのナイスな「犬のお告げ」とか、大掛かりな「ムーン・クレサントの奇跡」とか、こういう作品を「突飛なミステリ」で面白がればいいんだろう。何かポエジーや香気の失せた残念さを感じるのも仕方ないんだけどねえ。

ちなみにチェスタートンのカソリック信仰、というのはヨーロッパ伝統主義みたいな「普遍」主義だから、迷信や神秘主義とはそもそも敵対的なものだからね、これは最初から一貫して変わりない。「正統とは何か」を読まないとここらの機微はわかりづらい。宗教は迷信でも神秘でもない。

No.638 6点 メグレ、ニューヨークへ行く- ジョルジュ・シムノン 2020/01/18 21:17
退職後のメグレ。父に対する漠然とした危機の雰囲気を捉えた息子の依頼で、メグレはニューヨークに旅することになった。ニューヨークに到着したら、息子は姿を消すし、その父と面会したメグレはけんもほろろの扱いを受ける...依頼主をなくしたメグレは、ニューヨークという「場違いな場所」を漂流する...そんな雰囲気の話。
まあとはいえ、この父というのもフランスからの移民で、過去の事件が蔭を落としている背景もある。だから必ずしも場違い、というほどでもないのだが、なかなか話の焦点が絞れてこないので、五里霧中の中を、それでもメグレは動揺せずに歩み続ける。
キャラとしては泣き上戸の探偵デクスターとか、老芸人たち、不良新聞記者など、ニューヨークにもシムノンっぽい登場人物はいるものである。最後にメグレが国際電話を一本かけて事件の真相を暴く、なんて演出も結構。この電話にもなかなかの味がある。

No.637 6点 若さま侍捕物手帖(光文社時代小説文庫)- 城昌幸 2020/01/18 14:51
五大捕物帳の一角を占めるこのシリーズ、規模的には銭形平次に並ぶ長短編合わせて300編以上の量がある人気作である。が、今では知名度は今一つかな、昔は大川橋蔵の当たり役である。捕物帳といっても、ミステリ読者が読むんだと、半七=超別格の必読、顎十郎=奇抜の2つを読んだあと、どれを読むか?というと評者はこのシリーズに一番ミステリ色の強い作品が多い印象があるんだよ。それこそ横溝の器用さが悪く出ててキャラ小説度の高い人形佐七よりもオススメである。(あとの右門・平次はいわゆる「捕物帳」だからねえ)
でも、こういう人気シリーズで今読める本となると、適当なアンソロになる。そうすると、総タイトルの「若さま侍捕物手帖」で本がいろいろと出て、収録作がバラバラになるので、このサイトのルール(同題不可)だとどうしようか。まあ文庫名をつけて登録するのがいいのでは..で kanamori さんのランダムハウス講談社時代小説文庫の登録とは別扱いにしておきます。もし、統一した方が...の声があれば合併します。
この光文社文庫の若さまは、中編「双色渦巻」に短編「生霊心中」「埋蔵金お雪物語」「幽霊駕籠」「十六剣通し」「金梨子地空鞘判断」を収録。「双色渦巻」は質屋の蔵に強盗が二晩続けて入るが、取っていったものがない。若さまが乗り出して、残りの蔵の番をするが、そこに現れたのは剣の腕の立つ宗匠頭巾だった。旗本の家に伝わる呉須の大皿の質入に絡んだ背景が...という話。宗匠頭巾の意外な正体とか、死んだふりとか、ミステリ的な手法が目立つ作品ではある。
この若さま、正体不明、船宿喜仙に腰を据えて、酒を飲み続ける男前。で、岡っ引き遠州屋小吉が持ち込む事件を、話を聞いただけで解き明かす...という「隅の老人」風の設定があって、若さまが外に出ない安楽椅子探偵の短編がとくにミステリ色が強いんけども、このアンソロ、このタイプの作品集録がないんだね。少し外出してるとか、遠征とか、そこらへんが期待外れ。もっとミステリ読者が喜ぶ作品が、あるよ。

No.636 6点 ポオ小説全集1- エドガー・アラン・ポー 2020/01/17 20:21
創元のポオの全集である。訳は結構歴史的なものも多いし、凝ったゴシック小説で擬古文なものも多いから、あまり一般向けとはいいづらい。評者ちょっと時間が取れるので、ポオ一気読み。
年代順なので第一巻は初期になる。この巻の最後の方で「アッシャア家」「ウィリアム・ウィルソン」を収録。ポオはもちろん実作家として巨匠なのだが、評論家的でもありパロディストでもある多面性が持ち味なんだろう。たとえば月世界旅行モノ古典になる「ハンス・プファアルの無類の冒険」でも、それ以前の月世界旅行モノが月人の社会との比較において社会風刺を主目的にしているがために、科学考証がデタラメなのを批判しよう...と、視点がパロディストでもあり、評論家的でもあるあたりが面白い(まあ奇書「ユリイカ」が控えてるが)。だから、ポオのそれぞれの小説がそれぞれにややメタな「作品の論理」の軸を備えている(たとえば「構成の原理」)というあたりを押さえるのが必要なんだろうね。
たとえばそれが「アッシャア家」なら「超聴覚」の論理になるわけだし、「リイジア」の吸血鬼的な憑依現象など、表面的な筋に隠された論理を掘り出すような展開があり、これが「推理小説」の元祖となる直接の原因なのだと言えるのだろう。だから、ポオのゴシック小説もなにがしかの「推理小説」を含んでいる、と見ていいように思うんだ。だから狭義の「推理小説」を1作も含まない第一巻も、きわめて「推理小説的」に読むのもいいだろう。
まあそうは言いながら、パロディストとしての面白味もポオは見逃せない。哲学と料理を等価にみる「ボンボン」なぞ、これがパロディックな面白さを持つのと同時に、「形而上な哲学を、形而下の料理として扱う」逆転を、曖昧な神秘に逃げこむのではない、実際的な理性の問題として捉えたいと思うのだ。それがポオのアメリカ的性格でもあるのだろう。

No.635 6点 ブラウン神父の知恵- G・K・チェスタトン 2020/01/15 17:21
評者「童心」に1点なんて点を勢いでつけちゃったこともあって、ブラウン神父連作をやりづらくしちゃったのは自業自得と思います(苦笑)。作品自体はもちろん凄いのだけど、ニッポンでの受容がかなり偏頗なものだから、ついイラっとしたんだよね。
そうしてみると第二短編集のこれは、バラエティ豊かな「童心」と比較して、二番煎じが目立つことになるし、チェスタートンが「書きやすい」シチュエーションがあるみたいで、それを繰り返している感じが強い。延々と風景描写が続いてフランボウと問答する「銅鑼の神」とかホント「折れた剣」って感覚だしねえ。逆説も「逆説がある」と分かってたら、逆説の効果は薄いわけだ。
弾十六さんによるとチェスタートンって反ドレフェスだったのか。「銅鑼の神」の黒人に対する偏見てんこ盛りとか、あと「ジョン・ブルノワの珍犯罪」で少し触れられる進化論でもこの人チョンボしてるしね。とはいえ、イギリスでのカトリック派というマイノリティ論客としての独自ポジションがあったわけで、これを今の政治意識で無下に馬鹿にするのは、評者は賛成できないな。
そういうあたりでは、ドレフェス事件に想を得た「ヒルシュ博士の決闘」は、政治上の右も左も、俗ウケを狙ったが最後どっちがどっちだか区別がつかなくなる、という結論も、何か今のアベ政権とか連合=民主党の姿を見るみたいで、アクチュアルな部分があると思うんだよ。
あとそうだね「泥棒天国」は、バイロン・ロセッティといったイギリスでのイタリアンなロマンというものを、その最後の継承者みたいな格好になったチェスタートンが、一種皮肉な目で眺めているのを面白いと思う。チェスタートンの時代だと、もうダヌンツィオやら未来派やらにイタリアの文芸も移っているわけで、ダヌンツィオが映画「カビリア」で名前貸して大もうけした話のように、

「小生は未来派でござると言っておいたはずだよ。おれは新しいものを心から信じているんだ。それをおれが信じていないとしたら、おれはなにも信じちゃいないことになる。変化、競争、前の人はうってかわった新しいものがなければ一日も明けぬという進歩主義、それがおれの信ずるものなのだ。おれは出かけるのさ、マンチェスターへ、リヴァプールへ、リーズへ、ハルへ、ハダスフィールドへ、グラスゴウへ、シカゴへ。つまり、啓蒙開化された活動的な社会なら、どこへでもおれは行く」
「なるほど」とムスカリは言った「まことの泥棒天国へか」

と自らを「泥棒」と自己定義しながらも、時代に乗り出すようなこの高揚感がチェスタートンとその時代が共犯となった時代精神を象徴するものだと思うのだ。

No.634 6点 血の伯爵夫人 エリザベート・バートリ- 桐生操 2020/01/14 00:34
「本当は恐ろしいグリム童話」で一山アテた桐生操が、キャリアの出発に近いあたりで書いていたエリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)の小説仕立ての評伝である。「彼方」でジル・ド・レーを扱ったばっかりだから、いいじゃないか、中世~近世初頭の快楽殺人の双璧である。ハンガリーの由緒ある大貴族の家に生まれ、ハンガリーの独立のために戦った英雄の未亡人であるが、その領地の若い女性の生き血を絞って、美容のためにまだ温かい生き血のお風呂に浸かった「女吸血鬼」である。
で、本作なかなかいい。意外な儲けもの、というのが評者の感想。ネタ本はあるようだけど、遠藤周作がほめた、というのがなかなか頷ける。作者(たち)の「若さ」が、ちょっとした客気になっていて、エリザベートの荒涼とした内面に踏み込めば踏み込むほど、それがロマンに昇華するよさがある。エリザベートは老いに追われて残虐行為に踏み切ったのであろうけども、作者たちの若さが、怪物を怪物ではなくて、自身の内面に忠実であろうとし続けた一人の女性の像を描くことになった。

乱れに乱れ、打ちに打って、この意識を息をつく間もない錯乱に導くこと。こうして自分を使い尽くし失い尽くして、破滅へと向かって急ぎながら、やがては解脱へ、そのぼろ布のようになった肉体から抜け出して、軽やかな精神として高く高く飛翔すること。

まあ、バタイユなんだけどね、ただの悪女大残虐物語ではなくて、怪物であることを選んだ女性の物語になっている。作者(たち)、明白にエリザベートの虚無と暗黒に共感しているのである。それが、いい。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.40点   採点数: 1313件
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