皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.667 | 6点 | ニコラス・クインの静かな世界- コリン・デクスター | 2020/03/15 11:40 |
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パズラーというものに、「フェアに読者が犯人を当てることができる」を要求しちゃうとすると、本書みたいなのは失格、ということになるのかもしれないね。ややアンフェアに感じるあたりもあるんだよ。二転三転するモース警部の推理に引きずり回されて、その都度絵面が切り替わっていくのを愉しむのを主体とするタイプになるのだが、本作はそれほどこの「切り替わり感」が強くないので、まあ普通?というくらいの評価。まあ丁寧に組み立てられてはいるのだが、スタジオ2のあたりの話は、他の入場者が分かるのか?とか今一つピンとこない。
けどねえ 「警部さんは?彼のクリスチャン・ネームは?」 ルイスは眉をよせて数秒考えた。まったく、おかしなことだ。モースにクリスチャン・ネームがあるなんて考えてもみなかった。 と書かれるくらいにモース警部はパズラーの推理機械なんだけど、ポルノ映画を見たがるとか妙に俗っぽいな.....バランスが何か変なキャラだと思う。 |
No.666 | 8点 | オセロー- ウィリアム・シェイクスピア | 2020/03/14 14:46 |
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ハムレットとマクベスがあるのに、本作がないのはよくないな。
クリスティもクイーンも「究極の犯人像」はイアゴーだ、で一致しているのだもの。「カーテン」でも「十日間の不思議」でも「日本庭園」でも、本作がなければありえないというくらいの、ミステリ史的超重要作だと思うんだよ。 シェイクスピアだし戯曲だし、舞台の上でしっかりイアゴーは自分のプランを独白してくれるから、「倒叙/クライム」でジャンルは問題なし。オセローの猜疑心・嫉妬心を煽って、とんでもない殺人をそそのかすイアゴーのその動機は...というと、表面的には姦通疑惑の罠にかけるキャシオーへの嫉妬心、ということになるのだろうけども、読んでいてそういうのはタダのきっかけのようにも思えるのだ。 他人の運命をわざと捻じ曲げるという、隠蔽された権力意識みたいなものが見えて、イアゴーはなかなか悪魔的なキャラなのである。愛情は美しいから汚したいし、信頼も裏切るから戦慄するような喜びがある。そんな陰性の悪として、イアゴーが描かれているあたり、さすが「人殺し~いろいろ」なシェイクスピアの面目躍如。イアゴーと比較したらリチャード三世もマクベスも良心的なくらい、じゃない? というかねえ、英米の翻訳小説を読んで楽しむんだったら、シェイクスピアは全作読んでおいてもムダにならない、と評者は思うくらいだよ。まあ1作1作さっと読めるからね。たまにはいかが。 |
No.665 | 6点 | ウォリス家の殺人- D・M・ディヴァイン | 2020/03/14 14:12 |
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反核デモとか話が出てたから、出版年度を確認したら1981年だそうだ。ディヴァインでも最後の作品か。作品舞台は1962年のようだから、20年も前の時代設定で書いていることになる。何か事情があるのかな。
歴史学者の主人公は、血縁はないが兄弟同然で育った流行作家の招待に応じて、その家を訪れた。主人公は成功した天才肌の流行作家ジェフリーに対して、劣等感のようなものを感じて疎遠だったのだが、その息子とジェフリーの娘とが結婚する話が持ち上がり、その収拾とジェフリーの抱える別な問題を相談したい、という思惑をジェフリー夫人のジュリアは持っていたようだ。ジュリアは結婚には大反対、しかもジェフリーのトラブルは兄ライオネルがジェフリーの秘密を握っていて、恐喝などをしているようなのだ...はたして、ライオネルの家で格闘の跡と銃弾・血痕が見つかり、ジェフリーとライオネルは姿を消した! と古典的ファミリートラブルの話。狭い範囲の人間関係で事件が展開するからフーダニットにおあつらえ向き。でディヴァインらしく人間関係を丁寧に膨らませて描いているので、小説としての読みごたえがある。別れた妻に引き取られて、元妻にあることないこと吹きこまれた息子に対する、主人公の対応などなかなか小説的な興趣がある。また作家ジェフリーの過去を追う調査小説としての展開の妙のあって、少なくとも退屈はしない。でその中に、細かい矛盾を突いて犯人を抽出するようなフーダニットが仕込んである。 しかしそれでもね、この小説的な仕掛けとフーダニットがちゃんと連動する、という話ではないので、そこらへんで印象が地味になっているようにも思う。地味で篤実なのはいいのだが、それ以上の「すごい・面白い」がないのが芸風なのかな。 |
No.664 | 8点 | 第三の皮膚- ジョン・ビンガム | 2020/03/12 23:16 |
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ある意味大変「有名な」作品。けど何か皆さん誤解しているようにも思う。評者が思うに本作は、1980年代までずっと現役として創元のカタログに載り続けていながらも、新本でも古本でも全然お目にかからない「創元の珍獣」みたいな本で有名だったんだ。まあだから誰も読んでない、のはそうなんだが、それは本が手に入らないからなんだよ。とはいえね、評者中学生の頃に、市の図書館で借りて読んだことがあるんだ。ただしその図書館でお目にかかったのも借りたその一度きり。評者にも何か幻のミステリなのである。
でもね、今回わざわざ注文で古本を入手して読んだんだが、本当に筋立てとか描写とか思い出すんだよ。それほどにインパクトが強かったな。この作者の「ダブル・スパイ」も評者はかなりツボな作品だったこともあって、実際お気に入りの作品になることは、分かってたんだけどね。やはり「ジョージ・スマイリーのモデル」のビンガムだけあって、リアルで洞察に富んだ人物造形はさすがなもので、気弱なダメ息子を抱えて奮闘する、冷徹なほどのしっかり者で聡明な母親アイリーンの造形が実に秀逸。きわめて理知的で苦々しく自己省察をするような女性で、タイトルの「第三の皮膚」もこのアイリーンの人間観に由来している。 人間には「第一の皮膚」というのがある。それは人々が、表面は世間に対して示しており、それで世間をあざむいたと思っている、性格の特性によって成り立っている。 つぎに「第二の皮膚」がある。それは「第一の皮膚」によって隠されている欠点とか弱点とかで構成されている。自信なさそうにしていながら、その裏にかくした己惚れ、積極性をみせかけながら、その裏にかくした臆病さ。温厚さをよそおいながら、その裏にかくした狡猾さや打算性などのことである。 多くの人は「第二の皮膚」を認めて、得意になっている。そして「第三の皮膚」の存在を知っているものはほとんどいない。(略)「第三の皮膚」とは、善人悪人にかかわらず、すべての男女が持っている基本的な子供らしさである。(略)歳月によって生じたかさぶたのようなもの、犬儒主義、利己主義、挫折した希望に起因する冷淡さなどがひっぱがれると、彼らは、自分たちが真に希求しているものは、幸福になるための基本的なもの、愛情を与え受け入れるための、絶対に必要なもの、お互いの親近感であることを悟る。 とやや長い引用になってしまったが、こういう省察が実にスパイマスターのビンガムらしい。修羅場に直面した人間が、どういう風にその本質をあらわにするか...というのが、本書のテーマなんだよね。こんな省察をする女性が、本作の実質上の主人公なのである。それに引き換え、事件を起こす息子のレスといえば、アイリーンからみれば「年齢以上にこども」な「弱い」人間としか見えなくて、「育て方を誤った」とも思う。レスは愚かなゆえに悪い仲間に誘い込まれて犯罪の片棒をかつがされることになるが、この過程を通じて、自我が脆弱なレスは「第三の皮膚」をさらけ出しているようにアイリーンには見えてしまう。それでも家族を守るために、アイリーンはレスの尻を叩いて、あくまでもシラを切らせ続ける。この母親のキャラのユニークさがすべて。アイリーンの「第三の皮膚」はお世辞にも.... とはいえ、結末はわりとあっけない。アイリーンからすれば苦々しいハッピーエンド?なのも、ビンガムらしいといえば、らしいのだが、もう少しこだわってさらにアイロニカルな結末があったら、とは思う。結末が凄かったら、ホント評者は「愛の10点」なんだろうけどね。 実家に1987年の創元のカタログを見つけたので確認したら、まだ載っていた。重版が1971年だから、15年以上売れ残っていたんだろう...1987年でも定価は200円で格安。 |
No.663 | 5点 | 諜報作戦/D13峰登頂- アンドリュウ・ガーヴ | 2020/03/10 22:15 |
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ガーヴでも1969年の作で創元推理文庫から出た唯一の作品。評者ブックオフで拾った。こんなの転がってるんだ...欲しがる人の顔が見たいような本だから、重版なら100円で転がっていても不思議はないか。
NATOの実験機がソ連のスパイにハイジャックされて、トルコ/アルメニア国境の山岳地帯に墜落した。NATOは著名な登山家ロイスに、実験機に搭載された軍事機密のカメラの破壊を依頼する。墜落地点は未踏峰のD13峰の尾根。垂直に切り立った岩壁とクレバスだらけの危険な氷河に守られた、未知の山である。ロイスはアメリカの軍人登山家ブローガン大尉と共に出発する。未踏峰の危険にさらに加えて、山上ではソ連側も同様なパーティを組織してカメラを回収しようと狙っているだろう.... とまあ早い話、山岳小説である。ミステリ色は極めて薄くて、 ここではほかのクライマーたちじゃなしに、山がわれわれの敵なのだ という冒険小説。ややバレだけど、ソ連側の登山隊に女性がいて、著名な登山家ロイスのファンだったりして....うん、ロマンス色あり。下山後に東西冷戦を絡めて、乙女のピンチとかベタに展開するけど、とってつけたみたい。山での自然の脅威の部分は、登山用語は評者全然わからないけど、わからないなりに読ませる。 評者もガーヴだから読んだんだけど、どうでもいい部類の本。 |
No.662 | 6点 | ポンド氏の逆説- G・K・チェスタトン | 2020/03/09 20:58 |
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20世紀前半というのは「逆説の時代」だったと評者は思うんだ。科学を見たって相対性原理やら不確定性原理やら不完全性定理やら、どうみても逆説にしか見えない「科学的事実」がいろいろと明らかになった時代でもあるし、文学はといえば逆説の大家みたいなカフカやベンヤミンやオーウェルといった人らが「逆説でしか語りえない真実」を語ろうとしていた...そんな具合に感じているんだよ。
だから本作の「逆説」というのもそのまま時代の逆説、ということになる。チェスタートンだから、その根底にあるのはイギリス的なコモンセンスなので、作中で提示される「逆説」について、それが「こういう特殊ケースでは成立する」というのを示していくことになる。逆説が思考を刺激し、流動化させることを作者は目指すのである。この特殊ケースに「道化師ポンド氏」とか「目だたないノッポ」だと、チェスタートンらしいファンタジックな趣が出る作品は成功するし、あるいは「愛の指輪」も作者らしい道徳性の寓話として、うまくオチがついている。 とはいえね、逆説は相矛盾する言明がそのまま解決不能に噛み合う姿で、それがそのまま真実であるようなさま...そう考えてみたときには、「逆説」が実は「正説」であることにさほどの意味はないのだ。さらに言えば、「逆説」が解かれてしまえば、そこに蓄積された緊張がほぐれるだけ、それだけ「真実」からは遠ざかるのかもしれない。これが「逆説の逆説」ってものなのかもしれないね。 |
No.661 | 8点 | 乱れからくり- 泡坂妻夫 | 2020/03/06 07:41 |
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前作の「11枚のトランプ」が小粋なテーブルマジックの連鎖、といった作品だったとすると、本作は馬鹿馬鹿しいくらいの大掛かりな、それこそデヴィッド・カッパーフィールドみたいなド派手イリュージョンだと思うんだよ。そういうマジック上の対比を誰も指摘してないみたいだ。
評者かなり前に読んだのの再読で、一部内容を憶えていたが、トリックとか忘れてた...そういう評者がこう言うのフェアじゃないかもしれないが、それでも読んでてこれ、犯人わかるんじゃないかな(初読の時も見当がついたような...)。どっちかいうと「推測がついても、いい」というくらいの見切りで作者は書いていると思うんだ。隕石とか物理トリックとかを、「リアリティとかフィージビリティがない!」とかお怒りになるのは、大人気のない話。大ぼらがどんどん形になって「壮大なイリュージョン」を形成していくさまを見守る、そういう面白さを感じながら読むのがいいように思うんだよ。 ただ文章とかキャラ造形とか、やや上滑ってる印象がある。それでもね、 芸術家から見れば、からくり人形師たちは、いかにもうさん臭く見えるでしょう。最高のからくり人形でも、彼等は絶対に芸術だとは認めませんね。―反対に、純粋な科学者たちからは、自動人形などは児戯に等しく見えるでしょう。(中略)だが、からくり師の目からは、芸術も科学もまるで駄目、であるんです。判りますか? うん、この宗児の問いかけが、作者の「ミステリ論」なんだよ。判りますか? |
No.660 | 8点 | エラリー・クイーン 推理の芸術- 伝記・評伝 | 2020/03/03 22:57 |
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「推理の芸術」によると...なんて評者、クイーンの作品評についつい書きがちだったわけだが、やはり長編を扱ってる部分を拾い読みしちゃってて、しっかり通読したことがなかった。それも失礼なので今回通読。
評者年寄りなんでつい「王家の血統」の増補改訂...というイメージがある。確かに「王家の血統」というか「エラリー・クイーンの世界」というかは、その昔日本のマニアの評価が中期重視の英米の評価と大きくズレていることを明白に指摘することになっちゃって、日本のマニア界隈にショックを与えたんだよね。クリスティでも自薦ベスト10が日本のマニア評価と大きくズレていることも評者は知ってたから、自分の好みが日本のマニアの好みとズレていても、海外評価と妙に合致しているあたりを面白く思ってたんだ。まあネヴィンズの作品評価は当然、「王家の血統」から本質的に変わるわけがない。宗教的にきわどいテーマの「十日間の不思議」に信心深いバウチャーが反発した...なんて反応を書いているも、英米での受容を直接伝える情報として貴重である。 とはいえ、決定版のこの本は、第二期のラジオドラマに関する話(ラジオドラマの梗概が戦後の短編の原型になっているケースがかなり多い)、存命だったダネイに遠慮して書けなかった代作物の「ペーパーバック・クイーン」の真相、著者が生前に直接知友を得たほどではなかったリーに関する資料(とくにリー&バウチャー書簡が貢献度大)を集めて、明らかになったリーの人柄とダネイ&リーの合作の実際、それからアンソニー・バウチャーの隠れた貢献...と、エラリー・クイーンの小説以上に、「エラリー・クイーンというビジネス」について舞台裏を赤裸々に明かしている労作である。 実際、本を書く、というのも特に商業的な小説の場合には、それ自体一つのビジネスであって、いろいろな外的状況にも左右されれば、あからさまにお金や契約によって束縛されることも往々にしてある。そういう舞台裏の臨場感が伝わる評伝、というあたりに本作の意義もあろうというものだ。 |
No.659 | 6点 | メグレ警視のクリスマス- ジョルジュ・シムノン | 2020/03/01 21:00 |
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「溺死人の宿」は「殺し屋スタン」とか「ホテル北極星」と同じ1938年作だから、第二期に中短編中心に書いていた頃の短編。「メグレのパイプ」は「メグレ激怒する」と合本で出たものだそうなので、第三期の開幕を告げる作品になる。「メグレのクリスマス」は短編のメグレ物としてはほぼラストで、最後から2作目、とこの短編集は日本独自編集とはいいながら、節目節目の作品を集めた、という印象がある。
「溺死人の宿」を含む1938年の短編集は「メグレ夫人の恋人」「メグレの退職旅行」に相当するから、短編としては充実していたあたりからの選択、と見ていいだろう。陰鬱な話で、ややひねった真相がある。けどしょーもない男だな。 「メグレのパイプ」は、後年の「老婦人の謎」に冒頭の設定を転用しているが、あっちの殺される老婦人の方がずっと可愛げがある。こっちは息子に抑圧的なタダの嫌な老女。息子の大冒険は....あれ、「激怒する」に似たような場面がなかったっけ。合本で出てるはずだけど、いいんだろうか。でもメグレのパイプを盗んだ理由が秀逸。こういうの、ファンは大喜び。 「メグレのクリスマス」は言うまでもなくクリスマス・ストーリーで書かれたものだが、サンタクロースの訪問を本当に受けちゃった療養中の少女の話。けど、その裏には..とこの少女の複雑な家庭環境に絡むあまり後味の良くない真相がある。おめでたくはないが、メグレ夫人の母性を感じさせるところが読みどころだろうか。 個人的には「メグレのパイプ」が好きだが、それぞれのレベルは高い。 |
No.658 | 6点 | 死ぬときはひとりぼっち- レイ・ブラッドベリ | 2020/02/29 16:10 |
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何と言ってもタイトルが秀逸。これほどハードボイルドらしいタイトルなんて、あるもんか。作者は...抒情的SFの第一人者ブラッドベリである。これは、不安材料だ(苦笑)。
若い日の作者を投影した売れない作家の主人公は、閉鎖間際の海上遊園地のそばを走る深夜の路面電車の中で、自分の後ろに立った酔漢が語り掛けるのを聞いた...「死ぬときは、ひとりぼっちだ」。面倒を避けようと主人公は振り向かなかった。そして、海上遊園地の海に捨てられたサーカスの檻の中に、主人公は老人の死体を見つける。次々と奇妙な失踪や死を遂げる孤独な人々。主人公はこれらの孤独で奇妙な人々と知りあい、彼らが深夜の悪夢のような訪問者を戸口に迎えていることを知る... という話。ハードボイルドってさ、いつの間に「主観的」な小説になっちゃったんだろうね。チャンドラーだって三人称で書いているうちは、タイトでシビアな客観性を保っていたんだけどね、と毒づきたくなるくらいに、主人公が主観的。そりゃブラッドベリだもんね。ハードボイルドと言うよりも、ちょっと揺らすと崩れちゃう温泉卵みたいなものだ。まあだから、事件に論理性とかリアリティとか、そういうものを期待する小説ではなくって、あくまでもノスタルジックでファンタジックなあたりを楽しんで読むべきだ。能動的に事件を追っていく..なんてアグレッシブさはまったくなくて、出会う奇妙な人々の奇矯な行動に、主人公が過去を刺激されて、思い入れたっぷりに独白していく...というのの連続で小説ができている。主人公のパッシブな感受性がすべてだから、一般小説にかなり近い読み心地。 まあだから、体重170キロの元オペラ歌手とか、無声映画のスターだったがコテージに隠れ住む元女優(でも運転手に変装してロールスロイスをかっ飛ばす!)、世界一下手な床屋などなど、印象的だがどこかウラさびれて哀しげなキャラたちを楽しみ、ブラッドベリ一流の気の利いた文章を楽しむのがよろしい。 「あんたは、いつになったら泣くんだろう」と、やがて私は言った。 「馬鹿ね」と女は言った。「今泣いてきたのよ。海でなきゃ、プールも泣くのに便利よ。プールでなきゃ、シャワーでもいい。どんなに泣きわめいたって人の迷惑にならないし、だれにも聞こえないでしょ。こういうシャワーの使い方、知ってた?」 なるほど。勉強になります。 |
No.657 | 6点 | 白い僧院の殺人- カーター・ディクスン | 2020/02/27 21:30 |
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ひさびさになったけど、カーもやらないとね。で本作有名作だけど未読だった。「雪の密室」というシチュエーションは知ってたけど、当たるかな?
ごめん、密室トリックはこれしかないだろ、で早々と見当ついちゃった。けど犯人当てるのはかなり難しいと思う。こういう傾向ってカーはあると思うんだよ。不可能興味のトリックはまあ推測が付くけど、真相自体の推理は手がかり不足で困難....屋敷の構造とかわからなきゃ、ちょっと無理。 でこの作品は重苦しくて読みづらく、キャラ立ちもイマイチ。ブーン兄弟とかエキセントリックさを出そうとしても、今一つピンとこない。まあそれに、本作での「尋問の構造」に大きな偏りがあって、全体像がなかなか間接的にしかわからない、と歯がゆい構造になっている。重要人物になるはずのカニフェストはほとんど場面に登場しないし、レインジャーとエマリー、ルイーズなどまともな尋問さえされないんだよ。事件記述の客観性が薄くて、人の出入りなどちゃんと整理して理解するのが難しい....この状況で錯綜した関係者の行動を読み解こう、というのだから、読者の能力に余るものがある。 というわけで、密室トリックは王道だと思うから、加点したいくらいだけど、もう少し整理して書き直したらいいのでは...と思うんだ。でもヘンリー卿ヤンチャ小僧みたいでなんかカワイイ。フェル博士より好き。 |
No.656 | 7点 | 歌う船- アン・マキャフリー | 2020/02/24 14:40 |
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ミステリとSFを比較すると、描かれる事件内容についてはミステリが「その時代」を直接反映するものだけど、「時代の思潮」を反映するのはSFの方が強いようにも感じる。なんて思うのは、本作あたりがたとえばジェイムズの「女には向かない職業」のSFでの忠実な合わせ鏡の位置にいる作品のようにも思うのだ。両者とも女性作者による自立した女性主人公で女性読者に共感されるような...というあたりのハシリの作品になる。両方とも「フェミニストSF/ミステリ」というほどに絞られているものではなくて、「ジェンダー規範」に異議を唱えるほどでもないが、それでも女性読者に自立への憧れとリアルな感情移入をもたらすことでは、ほぼ完ぺきな出来。「闇の左手」だとずっと「フェミSF」になってくるわけで、逆にミステリはこういう挑発性は期待するもんじゃなかろう。
本作は「歌う船」を主人公として、ゆるく話のつながった連作短編集である。ヘルヴァは奇形の体に生れついたが、知性的素質は申し分ないことから「殻人(シェル・ピープル)」として選抜育成されることになった...「殻人」は身体的に成長することなく、チタニウムの円筒に格納されて栄養素の水に浸かったまま、通常の人間の数倍の寿命を享受しつつ、条件反射を駆使した「教育」によって、眠ることもなく疲労も少ない「サイボーグ」である。ヘルヴァは「中央諸世界」に不可欠な、星間を飛び回る優秀なサイボーグ船の「頭脳」としての活躍を約束されていた! このチタニウムの体と乙女の心を備えたヘルヴァ、XH-834号の愛と冒険を6つのエピソードで描いている。ヘルヴァは「頭脳」だが、実際に仕事をする乗員として「筋肉」と呼ばれる相棒が必要になる。ヘルヴァは最初の「筋肉」ジュナンを任務中の事故で喪う悲劇に遭遇するが、その後の「筋肉」も「ディラニスト」の女性だったり、ロクでもないのもいたり、多種多様でここらの出会いも面白い。事件もなかなかアクション豊富で、宇宙船を誘拐する麻薬組織一味をヘルヴァが直接退治するなんて事件もある。「歌う船」の異名をとるほど、ヘルヴァの特技は「歌」で、電気的な調整でオペラ全パートを一人で歌えたりする。まあ、全体にボブ・ディランとかシェイクスピアとかカルチャー寄りなのが、SF臭さを消してナイス。 で読みようによっては本作の「真犯人」についての、最後のエピソードもなかなか乙女なロマンスになっててねえ。というわけで、本作1969年作品なので、SFの新古典くらいに位置する人気作で、なかなかに乙女心を満たしてくれます。「SF嫌いにSFの面白さを教える名作」として有名で、そういわれるだけのことはあるから、たまにはいかが。まある意味「艦娘」の元祖みたいなものだけど、あっちはメカ好き男子の妄想だからねえ...比較しちゃいけないな。 |
No.655 | 9点 | 戻り川心中- 連城三紀彦 | 2020/02/21 21:33 |
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さて「幻影城」作家にも取り掛かることにしようか。名作短編集なのは言うまでもなく、皆さんも大好きみたいだ。講談社文庫なので5作収録。表題作は協会賞受賞+映画化で有名なのだが、今回読み直して他の4作の方が好きだな。
遊郭をはじめ昭和初期の暗い風俗を背景に、日本情緒と昏い情念の溢れる「花」を象徴する5つの事件である。どれもこれも、ミステリ的などんでん返しで、さらに女性の情念が引き立つような味わい深い仕掛けが決まる。個人的なベストは「桔梗の宿」。語り手の刑事が真相を知って、どんな哀しみを感じたのだろう... 本当に意外な犯行動機の「藤の香」、博徒渡世の中にどこか同性愛的なエロスを感じる「桐の柩」、真宗寺で育った語り手が母の秘密を知る「白蓮の寺」と情念の深い名作が続く。「ミステリの仕掛」が小説的な仕掛けにするりと変貌するのがスリリングなものばかり。 で問題の「戻り川心中」だけど、これはやや作りすぎの気がする。わかりやすいけどねえ。昔から歌物語というのはあるわけだしね。それでも小説中に登場する歌は作者が自分で作ったわけだから、さすがなものだ。思い出話だが、昔神代辰巳監督で映画「もどり川」が公開されたときに、見に行く予定を立てていたんだ。でもあえなくショーケンがハッパで捕まって公開中止、見に行けなかったよ。神代監督も一般映画に進出して意気盛んな頃で「恋文」は2年後か。 |
No.654 | 6点 | メグレと老婦人の謎- ジョルジュ・シムノン | 2020/02/17 23:03 |
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メグレは好きでも評者は後期はあまり読んでなかった...本作は最後から4作目になる。ページ数も200ページほどで短いし、事件もシンプル。
メグレにわざわざ会いに来た老婦人の訴えは、いかにもの妄想っぽいものだった。メグレは若いラポワントに老婦人の応対を任せるが、老婦人は帰宅するメグレを待ち伏せまでして訴えるのだった...自分のアパートに侵入するものがいると。メグレには老婦人が狂っているようには見えなかった。近いうちに訪問するとその場で約束したが、訪問の前にこの老婦人が殺された、という報告がメグレのもとに届いた! 老婦人の訴えを真剣に取り上げなかった負い目を抱えたメグレが、老婦人が殺された理由を追っていくのがミステリの主眼。この理由はなかなか意外で面白い。短いから登場人物はかなり少なくて、少ない人物をキャラをしっかり立てて書いている。戦後のメグレは完全に「サザエさん時空」に入っているわけで、この70年代の最終期の作品でさえも、ラポワントはいつまでもいつまでも若僧のままで、メグレに叱られっぱなし。でも老婦人の姪の子はバンドマンで、 見物するというよりも、聞くために。というのは、三人のバンドマンがオーケストラと同じような大きな音をたてていたからだ。ギターを弾いているのがビリーだった。あとはドラムにコントラバスだ。バンドマンは三人とも長髪で、黒いビロードのズボンにばら色のシャツだった。 と、ヒッピーがたむろするカフェで演奏するのをメグレは見る。スリーピースのロックバンドだろ、これ(たぶんベース→コントラバスで誤訳)。「イギリス人は上手い」なんて言ってるよ(苦笑)。どのバンドのことかしら。ヒッピー華やかりし頃、メグレにだって時代は反映している。 |
No.653 | 5点 | 間違いの悲劇- エラリイ・クイーン | 2020/02/16 15:48 |
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作品にならなかったシノプシス「間違いの悲劇」を含む、落穂ひろい作品集である。中では「動機」が面白い。「ガラスの村」で「九尾の猫」事件が起きたような...犯人の動機も動機だし、探偵役もあか抜けたエラリーじゃダメで、やや泥臭いメロドラマで正解だと思う。これだけ50年代の油が乗った頃の作品で、なぜか収録漏れしていたもののようだ。
でダイイングメッセージを中心にしたパズルが3つ、パズルクラブのパズルが3つ、でどれも一種の「解釈学」みたいなもの。でいうと「仲間はずれ」は名前だけを分析しただけでも、3つのモノを2:1に分けるやり方は、いくつでも考えられてしまうから、正解なんてないんだと思うんだよ... で問題の「間違いの悲劇」。どうも皆さんドルリー・レーンの四大悲劇に関連付けたがり過ぎてるように見受けられるんだが、このタイトルは、シェイクスピアの「間違いの喜劇」のモジリでクイーンは付けていると思うんだよ。ドルリー・レーンもクイーンたちにとっては40年も前の話なんだからねえ。「推理の芸術」が暴露したところによると、「最後の悲劇」でバーナビー・ロスが「終わった」のは単に出版社とのトラブルが原因で、しれっと5作目を書くプランがクイーンの二人の中にはあったらしい。名探偵なんて復活するのが昔からの定番(苦笑)。本人たちよりもファンの方がコダワリを持ちすぎているように感じるんだよ。事実、この梗概から小説化するのを試みた有栖川有栖が寄せた「女王の夢から覚めて」も、訳者の飯城勇三の解説も、ドルリー・レーンの話なんて一つもしていない。最終第4期のエラリー・クイーン作品として、見るべきだと思うんだよ。 内容については、これがちゃんと小説になっていたら、プロットの綾もいろいろあって面白かったのでは?とは思う。公序良俗に反する○○ってのを、エラリーがちゃんと承知しているのにニヤリ。ミステリはご都合的に使い過ぎているからね。ただし、これを「小説」と思って読もうとすると、黒人劇作家ディオンの役割がまったく不明だし、R.D.レインに結びつけられた「今日の世界の狂気」もよくわからない...有栖川氏が小説化をあきらめたのも、まあ仕方のないことではないかなあ。 第4期のクイーンって、小説の中での「犯人の機能」に工夫があって、犯人像がオーソドックスじゃない作品が多いから、本作もそういう路線の中で捉えるべきなんだろう。クイーンは最後まで、クイーンらしかった。 |
No.652 | 9点 | アンドロイドは電気羊の夢を見るか?- フィリップ・K・ディック | 2020/02/13 22:21 |
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いつのまにか本作が「SF/ファンタジ―」部門の評価5件以上の最高平均評価作になってるね。とはいえ、本作の「ミステリ色」は、どっちかいうと映画「ブレードランナー」の「混沌とした未来社会でのフィリップ・マーロウ的な探偵の物語」という独自の狙いから来たものしかないようにも思うんだ。原作小説の方はデッカードは妻帯者で、情緒不安定な妻に悩まされ、相続した山羊が死んだための身代わりの「電気動物の山羊」にコンプレックスをもち、腕利きの賞金稼ぎ(バウンティハンター)であるが、アンドロイドを殺戮する稼業に心理的な限界が近づきつつある...と、まったく主人公像も映画とはまったく違う。おおまかな事件の枠組みは同じかもしれないが、美術とSFXが凄いが内容的には安全なハリウッド・アクション映画の域を出ない映画とはニュアンスが全然違う話である。評者映画見てかなり後に原作を読んだから、呆れ果てたんだ。まあ評者、オトコノコじゃないせいか、SF映画の「カッコよさ」ってわからないタイプなんでね、「ブレードランナー」より「惑星ソラリス」の方が好きだなあ。ちなみに「ソラリス」の荒廃した宇宙ステーション像が、サイバーパンクのハシリだ、なんていうと嫌な顔をされるかな。
つまりね、原作小説は人間/アンドロイド:動物/電気動物の対比図式を、マーサー教の「感情移入の教義」を媒介として何が排除され何が融合されるのか、その線引きの動揺による、一種のショックが見どころなように思うんだよ。人間でもイジドアのように「役立たず」として人間世界から排除される存在もあれば、ルーバのように人間にとってどうみても「有用」でもアンドロイドがバレれば廃棄される存在もある。蜘蛛の足を切り刻むブリスの行為がアンドロイドの「感情移入能力を持ちえない」証拠だとすれば、アンドロイドを無慈悲に殺戮して何の動揺も感じないフィルという存在な何なのか?このただなかでデッカードは悩み動揺する。「自分はいったい何者か?」 このように「さあ、この矛盾を解いて見よ!」というほどの「人間の条件とは何か?」というエンタメぎりぎりの哲学的な問題提示が興味深い。原作小説でマーサー教が担うショーペンハウアー風の共苦の世界の方が、評者は「酸性雨の降りしきるアジア的猥雑の無国籍都市」よりもずっと魅力的である。このマーサー教の「感情移入」の救いとは、たとえそれがハリボテであったとしても、「同情によって悟る純粋な愚か者」に向けられた救いであろう、ということなんだね。 |
No.651 | 7点 | 四万人の目撃者- 有馬頼義 | 2020/02/10 22:07 |
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大観衆が見守る中、長打を打った四番打者が三塁に向かう途中、倒れて死んだ...観客の中にいた検事がその死に疑念を持つ。ひそかに解剖した結果、コリンエステラーゼの異常が検出された...殺人か?
と、極めてキャッチーな話のように見えるのだけど、実は非常に地味でリアルで手堅い話である。このギャップが面白い。ミステリ史的には「社会派」の代表的な作品になって、時代柄で戦争の影が少しあるのだけど、別に告発小説でも何でもない。そのかわり、タイトな文章と野球選手の内面の丁寧な描写、男女の機微を突いたうまさなど、純文学的なテイストに良さがある。がその分、読者を唸らせるような飛躍はない。 そうは言っても、被害者の四番打者の打率と、背景事件の報道とに相関があるとか、なかなか面白いアイデアもあるし、有機リン系農薬をベースとした毒物だから、これオウムのサリンと似たようなものだね。あと、漁村で死んだ魚を集めて肥料を作る男が不気味。 小説としては結構面白いが、ミステリだけを期待する読者だと期待外れじゃないかな。背景になる犯罪ビジネスがあるんだけど、「事業として」成立するか怪しいものだから、その動機に検事も「わからない...」なんてつぶやく。そういう「わからなさ」にリアルを感じるかどうかで、この小説の評価が違うんだと思うんだよ。 |
No.650 | 4点 | デイン家の呪い- ダシール・ハメット | 2020/02/09 21:26 |
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結局人は何人死ぬんだっけ...9人?なので目まぐるしく人死にがあるんだけど、大ざっぱ。三部構成の1パートごとに謎解きみたいなことをして、最後にまたひっくり返す趣向。人死にが多すぎることもあって、読者の理解力を軽く超えてしまい、推理もどっちかいうと邪魔。「血の収穫」は4パートのそれぞれで意外な真犯人を指摘し、それでうまく完結してたから後を引かないのに、「デイン家」は大した事件でないのに後を引く。解明されてもあまりうれしくない。
キャラとしてはもちろんガブリエル。ペイ中は頂けないが、もっと不思議少女風の印象を持ってたなあ。まあメンヘラちゃんなんだけど。本作を「家モノ」とか「オカルト趣味」と見るのは、そういうギミックを(わかって)楽しむ読者の心構えみたいなものが前提なんだけど、オプはそういう「家系の呪い」とかオカルトを鼻で嘲ってる風に読んだ方がいいようにも思うんだ。タイトルもマジに捉えなくて「デイン家の呪(笑)」でもいいのかもね。オプがそういうのを真に受ける(フリをする)のも、らしくないや。ま一人称探偵のクセに内心をあまり語らないオプだけどね... それでも始まり方は素晴らしい。おっさん様が引用されているので、改めて引き直さないが、ハメットのクールさが如実に出た幕開けなのが、なんとも惜しい。 さてこれで御三家長編はコンプになる。ハメットの短編もできるだけやりたいが、創元の稲葉ハメット全集は2巻で中絶したし、手に入れやすい小鷹訳を草思社「チューリップ」まで併せても、カバー率は約6割。まあできるだけ頑張るとしよう。 |
No.649 | 6点 | 天体嗜好症 一千一秒物語- 稲垣足穂 | 2020/02/08 22:23 |
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ユリイカついでに稲垣足穂。もちろん「僕のユリーカ」がお目当てであるが、実のところ評者、足穂が苦手。メルヘン風のものは苦手なんだ。今回はいろいろ入っている河出文庫の「21世紀タルホスコープ」で。「一千一秒物語」「天体嗜好症」「宇宙論入門」「ヒコーキ野郎ども」の4部構成で、タルホの宇宙とか空へ向けたモダンな趣味を中心のコレクション。
「一千一秒物語」はメルヘンのショートショート集といったもの。「殺月事件」とか「殺星事件」が頻発する物騒な世界である(苦笑)。発表が大正の末と思えないほどにモダンな味わい。 「天体嗜好症」は「一千一秒物語」よりも短編小説風にするけども、シュルレアリスムの味が強くなる。あるいは小説なのかエッセイなのかよくわからないものも多く、エッセイ風に映画論をしたものや、少年愛のものの方が面白い。 「宇宙論入門」は、一見理系な話題にみえて、確実にファンタジーのフィルターがかかっているあたり、エッセイに分類していいのか?となる。語られている内容以上に、語る語り口が重要な「創作」と見たい。内容も自作を理系に解説しなおした「私の宇宙文学」、思い出話風に非ユークリッド幾何学との遭遇を語った「ロバチェフスキー空間を旋りて」、それに「僕のユリーカ」である。 だからこれはあくまでも「僕の」である。もちろんポオのユリイカというものを「一般名詞」として「僕の」ユリイカを語ろうとした作品である。ケプラー、ブラーエ、ハレー、ド・ジッター、アインシュタイン、ガモフといった宇宙物理学者たちの仕事を語りながらも、筆致はタルホの主観で染め上げられて、話題はいたるところに飛躍する。「タルホスコープ」から覗いた宇宙なのである。足穂という人は頻繁に自作に手を入れる癖がある作家のようで、宇宙論の内容自体は最新宇宙論に結構アップトゥデイトされていて、インフレーション宇宙論に近いあたりまでカバーされているから、ひどく古臭く感じるようなことはない。それでもブラックホールとかクエーサーは出てこないか。とはいえ、実のところ扱っている宇宙物理学のレベルが古臭くたって、いいのである。 天文学者のある者には、常人が夢にも知らない遼遠な消息に触れることあるのだと。...そういうわけだから、もしも彼らの生涯が何かオッドな、不幸な、孤立したものだと考えるものがいたとすれば、それは飛んでもないことだ。天文学者らがそれを意識していたかどうかは別として、とにかくある恵まれた短時間中にあっては、未来的な、言説に絶した或物への凝視のために、彼らの心境は澄んで、悠々たるものがあったのでなければならない。「それは偉い学者か哲人の耳にしか聞こえない」とピタゴラス派が言っている天体の諧音を、彼らは聞いたのです。 この「天体の諧音」に耳を傾けることだけが、「ユリイカ」の唯一の資格なのである。 |
No.648 | 4点 | 恐怖の研究- エラリイ・クイーン | 2020/02/04 22:25 |
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ハヤカワでのクイーン長編作品リストには、本作がカウントされているので、ハヤカワ的には正典扱いである。しかしネヴィンズの「推理の芸術」では「二百万ドルの死者」同様に「エラリー・クイーン名義のペーパーバック長編(いわゆる「外典」)」にカテゴライズされている。エラリイが登場するからには、本作の外枠部分はダネイ&リーのものではあるが、量的にも質的にも、大したことはない。
「推理の芸術」によると、ジェイムズ・ヒル監督、ドナルド&デレク・フォード兄弟脚本の映画「恐怖の研究」(1965英)があり、そのノベライゼーションの権利をランサー社が取得した。ノベライズを依頼されたカーが体調不良を理由に断り、それがクイーンの元に来たらしい。で、実際の映画ノベライゼーション部分はポール・W・フェアマンというSF作家が執筆している。「推理の芸術」では内容が結構違う...なんて書いているが、Wikipedia の映画の内容紹介で見るかぎり、そう違わないみたいだ...クイーンが書いた外枠物語を含め、クイーン監修、という名義貸し程度のもののようである。このランサー社がペーパーバック外典クイーンの最後の版元ということもあって、断れなかったとかオトナな事情があるような雰囲気。 内容的には、とにかく薄味。フェアマン執筆のホームズvsリッパーの本編の方も、ノベライゼーションを割り引いてももう少し小説らしい描写をしてよ、と思うくらいにペラペラの話。ホームズ&ワトソンと名乗っても、どうもそういう香りがしない。パスティーシュは愛こそすべて、って思うんだよ。これじゃタダのお仕事。 外枠のエラリーの話の方は、内容的にもダネイ&リーらしさはあるから「代作?」というような疑問は浮かばない。ただし、ここで扱う謎が大したものではないし、最後にエラリーが推理する内容も全然意外じゃない。あの本編内容で、何を推理すればいいんだろう?というくらいのもの。お約束通り、映画の真犯人をひっくり返してみせる。 まあだから、クイーン的にはリレー長編の解決篇を不本意ながら引き受けさせられた、というくらいに捉えた方がいいのだろう。 |