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[ ホラー ] 幽霊狩人カーナッキの事件簿 カーナッキ/旧題『幽霊狩人カーナッキ』 |
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W・H・ホジスン | 出版月: 1977年01月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 2件 |
国書刊行会 1977年01月 |
角川書店 1994年07月 |
東京創元社 2008年03月 |
No.2 | 7点 | クリスティ再読 | 2021/04/04 09:37 |
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ミステリ以外に名探偵がいるジャンルなのが、ゴーストハンター物なんだけども、一番ホームズに近いテイストがある「名探偵」はカーナッキだと思うんだ。時代的にもこの連作が書かれたのが1910年頃で、ホームズも引退してサセックスの田舎で養蜂業を...で「獅子のたてがみ」事件を解決していたあたり。
で、このカーナッキの一番の特徴というと、誰もが指摘するし評者なんぞ「カーナッキ主義」とパターン化して呼んでるくらいのもので、事件が本当にオカルト的な原因で起きているケースもあれば、オカルトを装って人間が起こしているケース、あるいはその両方の複合のことも...という融通無碍な解決なことである。いやこのカーナッキ主義、実のところホラー系では今では結構常套手段になっている手法で、その先駆者、というあたりでも「大古典」と呼ぶべきだと思っている。 このカーナッキ最大のライバルであるブラックウッドのサイレンス博士が純オカルトなのは、作者のブラックウッドが真面目なオカルティストだからなんだろうが、逆にこのホジスンのカーナッキが「なんでもアリ」なのは、ホジスンがオカルティストと言うよりも「エンターテナーだから」という風に見ていいと思うんだ。だから、ホームズ譚のガジェット性を意識的に取り入れて、真空管を活用した「電気式五芒星」やら「ネクロノミコン」の先輩格の魔導書「シグザンド写本」「サアアマアア典儀」、あるいは「語られざる事件」の数々...と、ホームズに学んだ優等生ぶりを発揮している。しかも、霊現象を待ち受ける描写に、たとえば「まだらの紐」や「赤毛連盟」での暗闇での待機のホームズ譚の息詰まる描写のイメージが重なるなぞ、「オカルトのホームズ」の期待通りの姿を見せる。 ホームズと違うのは、ワトスンは居らずに、友人4人に体験談を一人称で語る語り口である。意外にこの語り口を「臆病」「ヘタレ」と評価する方もいるようだが、評者はどっちかいうと、一度だけ勝てばいいアマチュアと、負けられないプロの違いをうまく描写しているようにも思うんだ。どんな仕事でも「負けるわけにはいかない」ゆえの、慎重さと危険への備え、それに想定外の危険がある場合の潔い戦術的撤退、といったあたりの「プロの仕事の妙味」が描写できているようにも感じる。自身の恐怖心を危険度へのアンテナとして客観視するとか、なるほどと思わせる描写がある。 「ホームズの面白いアレンジ」として、ミステリファンほど、カーナッキを読むといいようにも感じる。実際この「カーナッキ主義」、ホラーの常識になっていると言っても過言でないくらいに、影響力の強いものだからね。 |
No.1 | 5点 | mini | 2011/07/25 09:53 |
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創元文庫からジョン・R・キングという作家の「ライヘンバッハの奇跡」という作品が最近刊行された
もちろん未読だし多分新しい作家だと思うが作家名すら初めて聞いた、 へぇーっ、と思ったのは紹介文の内容で、何とホームズとカーナッキが競演を果たすのだ モリアティー教授と争ってあのライヘンバッハの滝に落ちたホームズをたまたま通りかかった若き日のカーナッキが助けるのだという ホームズとの競演はそれこそ怪盗ルパンや切り裂きジャックなど枚挙に暇が無いが、カーナッキに目を付けたのが手柄だな ウィリアム・ホープ・ホジスンは怪奇小説作家で、レ・ファニュやマッケン等と並ぶ怪奇小説古典黄金期のメジャー作家だ しかし他の怪奇作家が狭い意味でのミステリーの範疇で語られる事は少ないが、唯一ホジスンだけは例外 なぜならホジスンにはクイーンの定員にも選ばれた「幽霊狩人カーナッキ」という短篇集があるからだ カーナッキの短篇集はホームズとほぼ同時期に書かれており、昔から怪奇版ホームズと言われて読み継がれてきた存在なのである しばしば話の途中に過去の語られざる事件を引き合いに出す件などはホームズの影響を感じさせる そう言えば晩年のドイルも霊現象に傾倒していたんだよな 怪奇作家としては”異次元の観察者”という感じのホジスンだけに、怪奇現象を通して異次元の入り口を覗き見るといった趣向が多く、話の展開だけは全ての収録作が怪奇小説である ところがいくつかの収録短編においては、裏で現実の人間の意志が働いた物理トリックだったりするのである ミステリーの範疇でも語られるのはそれが理由だ しかもこのカーナッキ、真空管を使った電気式五芒星やら高性能カメラなど当時のモダンアイテムで霊現象に対峙するのだからミステリーっぽくなる しかしだ、物理トリックであっても伏線が殆ど無いので依頼された事件の真相が人為的なものなのか真の怪奇現象なのかは、ラスト近くにならないと全く分からない 言わば作者の胸先三寸で、ラストで真相をどっちにしようが思いのままだ つまり純粋にミステリーとして見てしまうと突っ込み所満載なので、ここは書かれた時代を考慮して”時にミステリー的解決もある基本は怪奇小説”として寛大な目で見るのが正しいだろう |