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[ 警察小説 ] 事件の核心 |
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グレアム・グリーン | 出版月: 1959年01月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 1件 |
新潮社 1959年01月 |
筑摩書房 1971年10月 |
主婦の友社 1977年04月 |
早川書房 1982年08月 |
早川書房 2005年12月 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | 2021/04/18 22:06 |
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グリーンでも純文学側。
第二次大戦中、アフリカの英国植民地で警察の副署長が主人公で、妻がいる。本人は職に満足しているが、その妻は熱帯の気候に嫌気がさして、気候のいい南アフリカに脱出したがっている。しかし資金的な問題でかなわない。本国から来た男ウィルスンは、主人公の妻に一目ぼれするが、どうやらこの男は情報部の仕事で植民地に来ているようだ...ウィルスンは仕事と恋と両方から、主人公を敵視する。主人公はシリア人商人のユーセフの便宜を結果として図ってしまったことから、ユーセフからの借金で妻を南アフリカに旅立たせる....近海で潜水艦に襲われて難破した客船の脱出ボートが救出される。そのボートで救出された若妻ヘレンは夫を亡くしており、憐れんだ主人公と密通することになる。南アフリカに向かった妻は引きかえし、弱みを掴んだユーセフの主人公への要求はエスカレートしていく。 こんな話。悲劇に終わるが、この「人を憐れむ警察官」の主人公を巡って、カトリックの信仰が問われる作品。まあ、本来のこの作品のテーマ、狙いについては、訳者伊藤整の解説が、コンパクトにまとまっていて、 人間がその愛において純粋になり、神と等質化することは、人間の破滅であり、破滅の実践としての自殺、即ち神の救いの否定という最大の罪を犯すことにしか、その人間の救いがあり得ないことになる としているわけだけど....いやさ、21世紀の極東の異教徒のジャップとしてはさ、こういう「読み」だと、本当に読む意味がなくなるんだよ。なのでここでは、ちょっと頑張って、そうじゃない読みをしてみるべきなんだと評者は思うんだ。 というわけで、あえてこの作品を「警察小説」と読んでみようと思うんだ。主人公は警官・副署長だからね、こう読んでいけないかい? 警察官というのは言うまでもなく「秩序を維持」するための公務員である。主人公は賄賂を貰ってダイヤ密輸の方棒を担がされる、あるいは妻の不在の中で、保護対象の縁がある女性と密通するなど、「悪徳警官」みたいなことになってしまうわけだが、実際そういうハメに陥った理由というのは、主人公が周囲の人を「憐れんだ」ためなあたりがオリジナルな面白さ。 共感によって抜き差しならぬ状況に追い込まれたのだから、実際主人公は周囲からは人間的な敬意を払われる、「まともなイイ人間」なのが、根底にある。しかし、共感が強いことは、「弱い」ことでもある。警察官が犯人にいちいち同情していたら、職務の執行は、難しい。だからこの主人公は、「ありえない警察官」として、寓話劇の主人公となる。実際、主人公の「憐れみ」は何の役にも立たないし、その「友情」につけこむ商人ユーソフに操られて、忠実な召使が死ぬことにもなる。だからディックの「電気羊」とちょっとテイストが近い話だとも思う。 この「ありえない」状況の中で、逆に主人公は「死ぬ」ことで自身の矛盾の決着をつける。その姿が、どこかしらイエスの処刑につながってみえるのが、作者のダブルイメージなのだけど、それはカトリックの大罪である「自殺」の形をとるしかないものになるから、その死自体も「矛盾」したままなのだ。 というわけで、これは「義なる人」としての、理想的な警察官の話なのだ。 |