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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.947 | 8点 | 拳銃売ります- グレアム・グリーン | 2022/03/07 17:59 |
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兎唇に生まれ父は絞首刑、母は自殺と世の中の不幸を一身に背負ったようなギャング、レイヴンは依頼を受けてヨーロッパ某国の大臣を暗殺した...ロンドンに戻ったレイヴンはエージェントから報酬を受けるが、そのカネは金庫破りで紙幣にアシがついた金だった。追われるレイヴンは自分をハメた男チャムリーとその黒幕への復讐を誓って、イギリス北部の町ノトウィッチに赴く。その途中でレイヴンと関わり合った娘アンは、レイヴンを追う刑事マザーの婚約者でありながら、次第にレイヴンの復讐に関わっていく...
グリーンのエンタメテイメントでも、代表的な作品と言えるだろう。実際、この筋立てならば、ホントにノワールらしいギャング小説なんだよね。しかし、グリーンだからこそ、各人物の心理描写が独自であり、それぞれがそれぞれを裏切りる痛みを抱えながら、活劇として結末まで転がっていく小説である。 言い換えると、ギャング小説の中に「罪と許し」といったカトリック的主題が乱入してきているようなもので、実際そういう宗教的要素が逆に「ギャング小説」が備えている「モノガタリの原型」を露呈するような瞬間というのが、確かにある。 だから「ギャング小説」と「宗教的主題」がそれぞれを「裏切り」ながら絡み合って互いに侵食しあう「逆転の小説」とも言える。追う者は追われるものに、裏切りゆえに愛され、ワルモノは聖者に...さらに、そこに社会的なテーマも加わってきて、このレイヴンが依頼された暗殺事件が、戦争をわざと引き起こすためのきっかけに利用されるものだ、というような背景も本書が書かれた第二次大戦直前の緊迫した状況も反映している。 なので、かなり多面的な小説である。筋立てを追うのもよし、悲惨な生い立ちのレイヴンをダークヒーローとして捉えるのもよし、登場人物の相互の裏切りの話として「人間の悪」に思いを寄せるのもよし。それでも、評者は、 彼は自動拳銃を手にして、流しの下にじっと坐ったまま泣きだした。泣き声は立てなかった。涙が蠅のように、自分勝手に、目の隅から流れ落ちるようだった。 こういう表現に打たれる。レイヴンの復讐は意図せず結果として、世界を戦争の瀬戸際から救うのである。 (ひょっとして「蠅」は「縄」の誤植か?まあ、どっちでもナイス) |
No.946 | 5点 | シャーロック・ホームズの優雅な生活- マイケル&モリー・ハードウィック | 2022/03/06 14:58 |
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ビリー・ワイルダーの1970年の映画「シャーロック・ホームズの冒険」のノベライゼーション。内容は正典にはないオリジナルで、「ホームズの私生活(原題)」に関わる事件なのでワトスン博士没後50年たって初めて公開された手記による...という設定。映画の企画は計4時間の超大作で撮影もされたようだけども、配給の都合で2時間に。編集で生き残ったプロローグ扱いの「ロシア・バレリーナを巡る奇妙な事件」と本編のネス湖の怪物を巡る話のみの映画そのままの内容を、忠実にノベライズしたもの。
ごめん、映画は見てない。ワイルダーらしい洒落たコメディなんだが、駄作、という声も高いみたいだ。 ...しかしね、ノベライズ担当のハードウィック夫妻が名うてのシャーロキアンというのもあって、記述などパスティーシュの楽しさがよく出ている。で、原注のかたちでハードウィック夫妻が、映画の設定の考証をして「おかしい!ワトスンの思い違いorわざとの韜晦か?」とツッコミを入れているのが笑える(苦笑)。たとえばプロローグ扱いのロシア・バレエは、ディアギレフまでロンドンを訪れていないし、白鳥の湖は20世紀にならないと流行らない...なんてツッコむ。ホームズ&ワトソンがバレエ団に呼ばれた事件は、プリマがホームズの胤を欲しがった、というお笑いな理由。それをホームズはワトソンとの同性愛関係を持ち出して拒絶する! いいのか、これ(笑) 本編はテムズ川で溺れかけた女性がベーカー街に運び込まれて...でシリアスに始まる話。でも最後はヴィクトリア女王まで登場してハチャメチャになっていく(苦笑)。それでもねパラソルを使った通信とか映画で見たら感動するよね、という評判のいい場面もあるから、ワイルダーらしい洒落た部分もないわけじゃない。 ちなみに、この話で登場するマイクロフト・ホームズは、ダイエットに成功したそうである。演じたのはクリストファー・リー。この人、シャーロックも演じているから、ホームズ兄弟を両方演じた唯一の役者だそうだ。 映画もノベライズも両方珍品の部類。でも「恐怖の研究」がノベライゼーションのヤル気のなさでホームズらしくないのと比較したら、ずっとマシなものだよ。 |
No.945 | 5点 | 時計は三時に止まる- クレイグ・ライス | 2022/03/05 20:36 |
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先日やった「家の中の見知らぬ者たち」の主人公ルールサが酔いどれ弁護士だったから..でもないが、酔いどれ弁護士といえばご存知J.J.マローン。そのデビュー作だからもれなくジェイク&ヘレンのコンビもついてくる。「飲んで騒いで~~」の連続でなかなか楽しいし、とくにヘレンがスクリューボールコメディのヒロインっぽくツンデレぶりを発揮して、なかなかよろしい。ジンジャー・ロジャースとかああいった辛辣で行動的なタイプ。会話も洒落ていて、映画にしたら向いてそう。ヘレンが全部おいしいところをかっさらっていくような印象だし、ライスの「理想の自分」みたいなものが投影されているのかな。
なんだけど、ミステリとしては「こんな真相だとイヤだな」と第一感で思うようなのが真相。家の中の時計が全部止まっている理由も、屁理屈を聞いてるみたいな気分。話のデテールは楽しいんだけどねえ...あと意外に話の展開にメリハリがない気もする。デビュー作だからそんなものか。 (評者、マルクス兄弟みたいなのが「ファース」だと思うんだがなあ...カーだと「盲目の理髪師」はファースだけど、「連続殺人事件」はスクリューボールだと思う) |
No.944 | 6点 | 新・黒魔団- デニス・ホイートリー | 2022/03/04 22:51 |
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ナチスが黒魔術を使って世界征服を企むのを阻め!というイカニモな設定の元祖がこの小説。しかしね、本作は1941年の作品で、言うまでもないが第二次大戦はまだ序盤。フランスは降伏し、ロンドンは空襲を受け、アメリカの参戦はまだ、という一番暗い時期に書かれた本。「愛国的」ではあるけども、イギリスのエンタメの懐の深さみたいなものを感じる。評者が書いている今もウクライナで戦争が起きていたりもするのだが、何か勇気がもらえるようにもね。
「黒魔団」の続編なので、ド・リシュロー公爵と3人組にマリー・ルーが引き続き活躍する。大西洋で輸送船がドイツ海軍に待ち伏せされて拿捕・沈没があい続いた。情報漏洩か?相談を受けたド・リシュローはそれが黒魔術を使った諜報活動ではないかと考え、輸送船に霊魂を飛ばして監視。果たして黒人呪術師の霊がスパイをしていた。呪術師の霊と闘争するが、ド・リシュローさえようやく逃れたほどの実力者だった。このナチスに協力する呪術師の本拠がハイチにあることを調べたド・リシュローと友人たちは、ハイチに乗り込む。ヴードゥーの魔術、それにゾンビの脅威が一行を待ち受ける... こんな話。今見るとコテコテ、といえばその通り。でもホイートリー自身は神智学や魔術結社とも関係があった人物でもあるから、そういう知識を踏まえて書いているし、ヴードゥーの儀式の描写も詳細でリアル。オカルト的手段で戦うんだけども、退魔グッズはただの依り代で「自分の力で戦う」という敢闘精神が強調される。戦争中で戦意高揚の要素はあるが、それって大事なことだなあ... まあでも肩の凝らない活劇でリーダビリティは抜群。「黒魔団」は平井呈一の最後の訳業だったから、この続編にはかかわっていないけども、ド・リシュローは公爵のクセにべらんめえ。訳者の平井呈一リスペクトがうかがわれる。 (あと言うと、本作007,とくに「死ぬのは奴らだ」の元ネタみたいな小説だよ。この本の解説によると第二次大戦中、フレミングと直接関係があったみたいだし、小説の影響関係もフレミングが認めているようだ) |
No.943 | 7点 | 家の中の見知らぬ者たち- ジョルジュ・シムノン | 2022/03/03 20:57 |
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メグレ物ではないけども、しっかりミステリ。しかも法廷ものだったりする。
それでもシムノン、一筋縄ではいかない。主人公は街の名家の当主で弁護士のルールサ。でも...妻に逃げられたことで18年間引きこもりの生活を続けている。置いてきぼりの娘ニコルがいるが、ルールサは関心を示さずに育ち、二人の関係は冷淡なものだった。しかし、ある晩ルールサは銃声を聞いた気がして、館の中で死体を発見する....ルールサの無関心をいいことに、ニコルは男友達たちと気ままに館の一室で遊び暮らしていたのだった。ニコルと愛し合うその男友達の一人が、逮捕されて裁判になるが、弁護に立ったのはルールサだった。 事件をきっかけに、引きこもり生活から脱出し、娘とも向き合い、18年間無縁だった町の人々や街の景色を改めて見つめるルールサの視点に、魅力がある。引きこもり探偵っていうと、「刑事くずれ」のミッチ・トビンという例もあるけども、ルールサは一日4瓶のワインを平らげるアル中で、ルンペン風の身なりの汚さがあるから、カート・キャノンにも近いか。まあ、アル中探偵は今はけっこう、いるな。 シムノンだから、こそかもしれないけども、このルールサの「復活」の描写が全然押し付けがましくないし、本人もそれほど気負ってないのが、何かいいところ。事件が解決してルールサの街の評判はグッと改善するのだけど、ルールサは「社会復帰」なんて恥ずかしがって(苦笑)自堕落にまた戻る。けども、ちょっとは世の中に肯定的になっているし、周囲とも改善して... いやなかなかイイ話。でも相当キャラも事件もひねくれている。それをすんなり見せることができるシムノンの剛腕、ということだろうか。シリーズにでもすればよかったのに。 |
No.942 | 7点 | 鏡の国の戦争- ジョン・ル・カレ | 2022/03/02 09:22 |
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その昔「国家は幻想だ」といういい方が流行ったことがあるわけだけども、国家のために命を懸けて非合法活動をするスパイに向けて「国家は幻想だ!」と言い切った場合に、いったい何が起こるんだろうか?
本作で一番興味深い部分は、最終的に東ドイツに潜入する工作員ライザーの訓練プロセスそのものだ。バディに当たる立場でともに訓練を受ける若手のスパイ官僚エイヴリーを中心にこの作品が描かれるわけだけども、この訓練を通じて、ライザーの心理を巧妙に操作して「仲間意識」やら「一体感」やら「使命感」を醸成するのが、事実上エイヴリーの役割だったりする。このプロセスが丁寧に描けているのが、本作の一番の手柄のように感じる。 スパイ活動そのものは、実のところ検証可能なものですらない。「それが役に立つか?」という具体的な戦術的有効性以上に、当事者の「幻想」に支えられている、というのが、根本に横たわるどうしようもない事実なのだ。 しかし、そういう「幻想」に囚われた工作員を使って営まれる本作の「作戦」がとんでもなく愚かしい。作者の分身でもあるスマイリーは、その愚かしさを指摘して幕引きをするのだが、ではスマイリーに戦時体制そのままの古臭い作戦を批判する資格があるか?といえば、たとえば「寒い国から帰ってきたスパイ」での役回りを考えたら、単純にそうもいかない。本作でスマイリーを「いい子」にするのは、評者はためらわれるなぁ。 そこらを踏まえての評価になる。 |
No.941 | 7点 | 幻月楼奇譚- 今市子 | 2022/02/27 12:32 |
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今市子の看板シリーズの「百鬼夜行抄」は、ミステリ的記述技巧を活用した語り口の怪異譚、というものだけども、このシリーズは真逆で「怪異ありの世界で成立するミステリ」という色が濃いことを、6巻が出たのを機に読み直して実感したので、本サイトでも取り上げることにする。
いや実例。最新6巻の最後の話「其ノ二十四」。舞台となる吉原のお茶屋「幻月楼」に逃げ込んだ少女が消失する(ある意味)密室の謎。周囲はその少女が売られた置屋の男衆に厳重に見張られ続け、2回の家探しでも見つからない....「白装束の花嫁行列が遊女屋から出て行って消え、それを目撃した者に祟りがある」という怪談話を思わせるような目撃談と女中の急死がどうかかわる? こんな謎設定。「夜は開けてはならない」とタブー扱いされる勝手口を絡めて、怪異と人間消失の両方が鮮やかに解決されるし、見つかった少女を幻月楼から脱出させる主人公たちの計略も怪談話をうまく絡めたもので、「無駄なく」まとまった短編ミステリになっている。 昭和初期の吉原のお茶屋「幻月楼」を主な舞台とする。主人公は老舗の味噌屋の若旦那、鶴来升一郎と、全身に刀傷のある幇間の与三郎。升一郎は「素っ頓狂」な馬鹿旦那のフリをして吉原で放蕩三昧、でもなかなか鋭いところを見せ、「怪談しか芸がない」とされる幇間の与三郎との間で掟破りの「旦那」に納まっているあたりがBL(けど極端に薄味)。与三郎は瀕死の体験をしたことで怪異が「見える」能力を得て、幻月楼を巡って起きる怪事件の数々に絡む因縁に感づくのだけども、この二人のコンビが怪事件の背後にある意外な人間関係を暴き出すことになって、事件が解決していく... 過去の埋もれた因縁が与三郎には「見える」だけなのだ。だから怪異ありの世界でも、怪事件はほぼすべて「人力」で起きていて、怪異はそういう因縁の索引みたいなものに過ぎない。怪異の原因である因縁が、関係者の「今」にも影を落としていて、それが事件として顕現し、あるいは因果応報を怪異が手助けする程度の話である。ミステリとホラーの微妙な棲み分けみたいになっていて、なかなかいい均衡を保った世界のようにも思われる。 最近の「百鬼夜行抄」は話が薄味になってきていて残念だが、「幻月楼」の方は年1作のために話の作り込みの緊密さが今でもしっかり、ある。単行本が4~5年に1冊という超スローペースなのが残念だけども、クオリティは待った甲斐もあるというものだ。 |
No.940 | 7点 | メグレと殺された容疑者- ジョルジュ・シムノン | 2022/02/26 09:59 |
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メグレ長編では比較的珍しい、パズラー的な味わいがある作品。でも、この「パズラー的味わい」が、いわゆる本格マニアが喜ぶタイプのものではなくて、たとえばハメットなら大喜び、とでもいうような市井のリアルな感覚のものなのが興味深い。
いろいろな謎の中心となる盲点のような事情が判明すると、事件がするっと解明される面白味がある。そしてそれが、綿密に描写されたユニークな被害者のキャラとも合致していて、意外かもしれないけど、こういう生き方する人間っているんだよね、と思わせる(やや捻った)「人間のリアル」が浮かび上がる。で、この盲点というのが、司法関係者やミステリ読者であればこそ気づきにくいものでもあるから、そこに注意したらやや「メタ」な味かもしれない。 ブーレイというのは、根はひじょうに小市民的な人間でしたよ。彼の家にいると、女の裸を見せて商売している人間だとはどうしても思えない と評される、やり手でも堅実な、モンマルトルのナイトクラブの経営者が被害者。葬儀も盛大で、ナイトクラブ業界の重鎮だったのが窺われる。 原題は「メグレの怒り」くらいなんだが、でも「殺された容疑者」の訳題はかなり疑問が多い(苦笑)。この被害者はとあるギャングの襲撃事件に絡んで、リュカの事情聴取を受ける予定になっていたけども、その前に行方不明....という状況で、とくに「容疑者」というほどの立場でもない。「小市民的」と評されるそのままの人物だから、ギャングとの裏のつながりが?という容疑があるわけでもないのである。 しかし、この件が実は真相にしっかり繋がっているし、メグレ自身も真相に間接的ながらかかわりがあって、皮肉な面白さがある。 まあだから、ちょっとヒネッて評者がタイトルを考えるなら「メグレの事情聴取」、どうかなあ? |
No.939 | 7点 | 連続殺人事件- ジョン・ディクスン・カー | 2022/02/24 23:25 |
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「連続自殺事件」の新訳ゲット。誰もがツッコむ訳題がオカシい件がこれで解消し、めでたい。
昔読んだ旧訳はもちょっとおどろおどろしい印象があったけども、今風に読みやすい訳文で読むと、軽妙なコメディ路線といった方がいいんじゃないかなあ。ファースじゃないよ、弾十六さんがビリー・ワイルダーを引き合いに出されているけども、そんなスクリューボール・コメディだよね。だからなかなかゴキゲンなもの。自家製のスコッチウィスキーで酔っぱらってバカする話。女性の強さの前に、オトコが情けない(笑) (ややバレるかな?) ミステリとしては、やはり「密室って何のために作るのか?」というあたりをカーが自覚して書いた、というのがポイントじゃないのかな。密室状況で自殺に見えるのならば自殺なんだろう...が世の中のジョーシキ。でもこれがミステリだとその成立上、意図的に無視されることだったりする。 だったら、ミステリがそれを逆手に取る発想をすれば、微妙な状況下なら、自殺と他殺の解釈の出し入れで読者を幻惑できることになる。 それだから本作、リアルとフィクションの狭間でうまいあたりを突いている作品なんだと思う。密室の実現手段は単なるオマケ。ちょっとだけある「怪奇」も小技程度。そういう風にカー本人が「割り切って」書いた作品のように思われる。ちなみにアシモフの指摘の件は新訳では訳注で反映している。気にしなくても成立する話だとは思う。 あと、弾十六さんじゃないけども、トリビアで面白い個所があった。 行儀を知っていると見せつけるような、貴婦人めいたおしとやかな手つきで、エルスパットは注意深く受け皿に紅茶を注いで飲んだ。(新訳p112) ...誤訳じゃないですよ。紅茶はカップに口をつけて飲むのではなくて、受け皿に注いで、受け皿から飲むもの。小野二郎の「紅茶を受皿で」という感動的なエッセイがあるけども、この古臭いマナーをカーの小説の中で発見。スコットランドの田舎の老刀自だから、時代遅れなマナーもキャラ描写になっているわけである。 |
No.938 | 5点 | 透明受胎- 佐野洋 | 2022/02/23 11:34 |
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中学生の評者にとって、「日本ミステリで何を読むか?」の指針になったのが、中島河太郎の「日本作品ベスト30」(昭和42年まで)だった。戦後で20作挙げていて、たとえば本陣高木家不連続刺青というあたりから始まって、「異郷の帆」や「大いなる幻影」や「炎に絵を」「伯林―1888年」あたりで終わる。穏当なベストだったわけだが、これに本作が含まれていた。
当時角川文庫で出てたから、小遣いで購入...でもね、当時は本を親と共有していたから、本作を親に見つかって、叱られて没収、になりました。河太郎先生、恨むよ~~ 皆さんの書評では触れてないけど、濡れ場が連続する、結構エッチな作品だからね(苦笑)。いつまでたっても加齢をみせない女性と、それにそっくりな娘は、同じ指紋を共有している...主人公は危機一髪の事態から不思議にも逃れると、総白髪で老人のような姿に、しかし、30時間寝たら元に戻った。などなどの「ありえない」現象を、SF的アイデアを挿入することで、さらっと解いてみせるような話。 SFミステリ、というよりも、「プロレス的要素ありのミステリ」というくらいの捉え方が有益だと思う。 まあ、今読んでみると、さくっと軽い艶笑SFみたいなもので、あくどくはないから、「オトナの修行」をしたんだったな、と思っておこうか(苦) |
No.937 | 5点 | 刈りたての干草の香り- ジョン・ブラックバーン | 2022/02/22 20:50 |
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ブラックバーンはデビュー作からブラックバーンだった。
主人公はイギリス外務省情報局長のカーク将軍だから、ブラックバーンらしく国際陰謀?というニュアンスで始まる。事件の最初の現われはソ連国内、それも白海沿いの辺鄙な地帯をソ連当局が極秘に封鎖したことの報告を、カーク将軍が受けるところから始まる。イギリス商船の沈没とそれを議題にする国連の会議で、ソ連代表が明らかにしたのは、未知の感染症のアウトブレイクだった...国際謀略は何だったのよ。 で、この病気なかなかエグいんだけど、それは読んでのお楽しみ。ブラックバーンだから、そんな「黙示録的な悪意」は人のかたちも取っている...だから、アウトブレイクものから、分かりやすいスリラーに。でもスリラーになってくると、とたんにスケールダウンして怖さがなくなるんだなあ。そこらへん、改良の余地がある。たぶん「薔薇の環」は、そういう本作の今一つの面の改善版なのだろう。 「薔薇の環」が本作の上位互換だと思う。 まあ、それでもカークの部下の情報局ソ連部長とか、ドイツの諜報部?のフォン・ツーラーとか、スパイ系のキャラに面白味がある。やはりブラックバーン、一癖あるキャラは最初から上手。 |
No.936 | 6点 | ビセートルの環- ジョルジュ・シムノン | 2022/02/20 17:31 |
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初読。タイトルから精神病院を舞台にしたサイコスリラーみたいなものを漠然と想像していたんだけど....病院は病院でも、初老の男が脳血栓で倒れて入院してリハビリする話。ミステリ色はゼロな作品でちょっと、びっくり。
いや、シムノンは一般小説とはいっても、「ミステリを裏側から見た」ような舞台設定やらミステリ手法を駆使した作品やらがきわめて多いから、だいたいはミステリの延長線上で楽しめるようにも感じているんだ。本作の主人公は、記者から新聞経営者にのし上がった男、ルネ・モーグラ。同じようにのし上がった昔からの仲間との月一の昼食会の会場で倒れて、急遽ビセートル病院に入院。思ったほどには重症ではなくて、意識不明は丸1日ちょっとだけ、その後徐々に回復してリハビリして...というのがおおまかな話の流れ。 でもね、そんな話だから「この時期、やはりシムノン自身も倒れた?」なんて想像するのも無理はないんだが、調べてみてもそれらしい形跡は見当たらない。入院していても短期なんだろう。メグレ物だと「メグレと幽霊」とか「メグレと殺された容疑者」のあたりの年で、翻訳はないが別途出版されている本もある。メグレ物の執筆ペースもこの頃はムラがあるし、よくわからないや。マトモな伝記を参照した方がいいのかな。シムノンだもの「想像だけで全部書いた!」でも、みんな納得しちゃう(苦笑、「私的な回想」とか本にならないかな~~) 後記:「EQ」No.43掲載の「シムノン最後の事件」というインタヴューに、シムノンが病院に調査に訪れた、という話が載っているのを偶然見つけた。シムノンは実地調査するのはホント珍しいらしい。でも二時間で調査は終わり。想像力! 本作をシムノンの「イワン・イリイチの死」と喩えたのを見かけたけど、内容は確かにその通り。でもトルストイの理想主義がシムノンにあるじゃなし「回心」しちゃうわけではない。病気という「自身を肉体に還元する体験」、強いられて自身を客体化する作業を、作中では裁判を受けるかのように喩えている個所もあるように、そこで改めて参照される自身の「人生の断片」にモーグラはこだわり、その記憶のリアリティというか、ひねった言い方をすればその「クオリア」(聞こえてくる鐘の音を「環」と捉えるヴィジョンとか..)を通して、自身の生き方を回想する話である。 シムノンの主人公だから、そりゃお盛んと言えばお盛ん。独身時代のアヴァンチュールや、二度の結婚と、その中間に挟まる「結婚しない関係」の話も出る。そういう女性たちも見舞に来て記憶も蘇る。しかも、看護の中での肉体接触に際して、性的な反応も赤裸々に描くあたりが容赦ない。 で、最終盤では、強引に妻にはしたものの、居場所がなくて不幸な結婚生活を送らせていることになっている妻とのなれそめの回想と、このモーグラの再出発に際しての「和解」のようなものがさりげなく描かれているのがいいあたり(でもこの時期にシムノン、離婚しているんだ...) シムノンで「私小説」を読むとは思わなかった。 (ん~ひょっとして、物語冒頭で撃たれて意識不明状態でずっとなロニョン刑事の話の「メグレと幽霊」に「ビセートルの環」が影響している? 評者の妄想w) |
No.935 | 7点 | 聖アンセルム923号室- コーネル・ウールリッチ | 2022/02/16 22:29 |
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ウールリッチというと「甘口」というパブリック・イメージがあるけども、本作は「辛口」。ロマンの陰にある「人生の辛い面」に視線が吸い寄せられてしまうのは、ウールリッチでも晩年の作品に本作がなるからだろうし、また評者もそろそろ歳なこともあるのかもしれない(苦笑)
第一次大戦の開始と終結を描いた第2話・第3話あたり、愛国熱に浮かされて衝動的に結婚した男女が聖アンセルムホテルに宿を取る陰に、敵国となったドイツ系の宿泊客が追い出される犠牲があったりする。終戦後に同じ部屋での再会を約して出征した若者は...そういう人生の興ざめな姿もウールリッチは余さずに描く。この連作にはそういう「カラさ」があるからこそ、不用意にミステリにできなかったんじゃないのかな。「オチ」によって物語が救済しきれない人生が、ホテルの一室に託されているわけだ。 最終話で第一話が回顧されるわけだけども、そこでかつての花嫁が自分を「幸福」と語るのが、いいようもなく読者を揺さぶる。これこそは「オチ」とか「真相」の対極にあるものなのだろう。ウールリッチ節はそのままなのだが、ミステリという「作為」では描けないところをやりたかったのだろうなあ。 |
No.934 | 8点 | 異郷の帆- 多岐川恭 | 2022/02/15 08:10 |
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60年代らしい大名作の一つ。やはりこの時代はミステリの手法が一般化して、他のジャンルとの「フュージョン」が盛んに試みられた時代だ、と捉えるのがいいんじゃないかと思っている。その一つの現われが「社会派」と括られたのだけども、本作だと「捕物帳ではない、時代ミステリ」というのが新境地なのだと思うんだ。
舞台は元禄期の長崎出島。鎖国以前の記憶はかろうじて残るが、鎖国体制に慣れてきて、綱紀もそろそろ緩みだしている頃。主人公は若い小通詞の浦恒助。周囲の閉塞的な状況に苛立つ「若さ」を抱えている....自在に海を押し渡るオランダ人商人に羨望の念は持ちつつも、同僚である「転びバテレン」の西山久兵衛には複雑な感情を持つ。そして長崎貿易を一手に引き受ける大商人の娘分として世話を受ける混血の少女お幸との間に芽生えた恋。 こんな状況で、密貿易の疑惑が濃く評判の悪いオランダ人商館員が殺された!謎の凶器、アリバイ、やり手の奉行を補佐するかたちで浦は事件にかかわっていく... そんなロマンの味わい十分な話。転びバテレンで、今は浦の同僚の通詞になっている西山久兵衛の挫折が、浦の夢に対する反面教師になっているのが趣き深い。オランダ人たちからは背教者と謗られ、日本人からは生理的な嫌悪感で排斥され、心中者の片割れの女性と暮らす元宣教師...この男の虚無と諦念に対比するかたちで、若い浦の恋と夢が描かれる。 久兵衛同様に宣教師として日本に渡り、逮捕されて棄教し幕府に仕えたフェレイラの話も、名前だけだが出る。遠藤周作の「沈黙」で主人公の師であり逮捕された主人公を説得して棄教させる役回りで印象的な、実在の人物である。遠藤周作の「沈黙」よりも、5年ほど「異郷の帆」の方が早かったりする。 多岐川恭の「小説家としてのセンスの良さ」を愉しむには絶好の作品である。評者も「ゆっくり雨太郎」でも読もうかな。 |
No.933 | 7点 | 濡れた心- 多岐川恭 | 2022/02/13 10:42 |
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懐かしい作品。中学生時代のミステリファン初期に読んだんだけど、実は本作が、初めて犯人&トリックをしっかり当てた作品だったことでも思い出深い。女子高校生の同性愛を扱った作品だからこそ、評者の中で何か共振するものがあったのかな。
改めて読むと、物語の中にミステリを融合させる手際がいい作品。50年代だからこそ、はっきりした探偵役なしで、平等多視点でフラットに記述するのが、なかなか斬新でもある。だから「日記」という記述形式にあまりこだわり過ぎない方が、いいんじゃないかな。神視点三人称を使うのはもう「古臭い」。全員がある意味「信頼できない語り手」の錯綜する情報の渦の中、恋愛感情の機微を隠しつつ、誇示しつつの虚実アリで巧みに構成された作品のように感じる。実際、登場人物の誰もが情熱を燃やしながら、日記の体裁を取りながらもそれに素知らぬ顔をして、その真情は意外に他人の方が洞察していたりする記述の妙が出ている。 でいうと、被害者の不良教員の独白的な日記だって、極めて「偽悪的」なもので虚勢を張っているのが読み取れようというものだ(でも、そのダメさ加減に崩れた魅力がある...)。それに対していつでも冷静な少女や、功利的な青年、鋭い洞察力を隠し持つ老婆など、それぞれの何食わぬ記述の交錯が、それ自身「ミステリ」と言えばその通りか。 いや...日記なんて後で読み返すと、自分自身に体裁屋になっているの気づいて、赤面することのが多いものなのさ(苦笑) |
No.932 | 6点 | 世界のかなたの森- ウィリアム・モリス | 2022/02/12 11:35 |
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イギリス世紀末のエンタメの代表格がホームズのなのは言うまでもないのだけども、この時期が実に多産だった、というのは驚くほどだ。いわゆる「ファンタジー」も、この時期に出発点があるわけで、直接「ハイ・ファンタジー」に繋がる系譜の元祖も登場する。
本サイトにもいくつかファンタジー系作品も登録されているので、まあいいか、と思って本作。作者のウィリアム・モリスといえば近代デザインの巨人であり、モリス・デザインの壁紙とか生地なら今でも人気商品。活字まで自作の豪華本もあれば、日本だと民芸運動に強烈な影響もあるし...と「手作り」と「近代以前」へのまなざしで、今でもいろいろと影を落としている重要人物であることは間違いない。 しかもチェスタートンのところで評者は触れたけども、イギリスでのカトリック復興、という面でもラスキン以来の系譜を踏んでいていて、それとこの人独自の労働観から特異な社会主義運動の元祖でもあって、ブラウン神父モノの「共産主義者の犯罪」でも話題になっている..と一言で括れない人物なんだけども、さらに自身の「中世趣味」を生かして、ファンタジーの元祖でもあるわけだ。 中世を思わせる素朴な語り口で語られて、まさに「異世界に遊ぶ」心持ちになる本格的な「ファンタジー」は、まさにこういうモリスの「近代批判」があって成立したものであり、しかもそれが今に至る一大ジャンルを形成した、のも別口のモリスの業績になる。 海辺の町の富裕な商人の息子ウォルターは、家内のトラブルから逃れて船出をしようとしていたが、醜い小人・女奴隷らしいメイド・美しい女王の三人組を幻を繰り返し視た...その旅の途上でウォルターは身を隠して「世界のかなたの森」に紛れ込む。そこは驕慢な女王(レイディ)が、醜い小人を使って侍女(メイド)を監視させる世界だった。美貌だが軽薄な「王の子(キングズ・サン)」が今女王の愛を得ているようだが、女王はウォルターも誘惑する。しかし、ウォルターは女王に虐げられた侍女と心を通わして... と、ウォルターの世界からさらに「異世界」に投げ込まれることもあって、この「世界のかなたの森」のルールが、話が進行してもなかなか見えてこない。女王も侍女も、幻術や予見・治癒程度の軽い魔術は使うようだが、常識の範囲内ではある。それよりも背後の人間関係がウォルターにはなかなか分からないために、ややミステリ的な興味も出てくる。そして侍女とウォルターはこの女王の世界から脱出しさらに運命が変転していく。 絵画を見てるような、登場人物に感情移入を排するような淡々とした書きっぷりから、「枯れた」印象の小説。でも結構味わいはあるし、ちょっとした描写が記憶に残る。 何と、彼女がそう言うと、そのからだのまわりにしおれて垂れ下がっていた花々が、たちまち生命をとりもどし、生き生きと蘇った。うなじとすべすべした肩のあたりの忍冬は、溌溂とその蔓をのばし、編物のように、彼女のからだを包み、その芳しい香りが顔のあたりから薫り始めた。腰に帯のように巻きつけられた百合の花はすっきりと立ち、その黄金色の花芯の束は重たげに垂れていた。瑠璃はこべは鮮やかな青をとりもどし、彼女の衣服の白に映えた。 まさにこんな植物の描写が、モリスのデザインそのものなのである。 |
No.931 | 6点 | メグレ間違う- ジョルジュ・シムノン | 2022/02/07 21:58 |
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本作ホントにメグレ物でよかったのかなあ...なんて思う。教授のキャラは一般小説のシムノンの方が生きたような気がするのだ。してみると「メグレで間違い」?
うん、お二方のおっしゃる通り、教授のキャラがすべての小説。脳外科医としてすべてを献身しているような教授の唯一の悪癖の話である。これによって周囲の人々が傷つくのだけど、教授にはそれがまったくわからない。共感性がそもそも欠落した人間のわけだ。 「メグレ式捜査法」はその共感性がベースなのだから、教授はメグレにとって天敵みたいなものだろう。だからこそ、最後まで対決をメグレはためらい続ける... 周知のようにメグレは愛妻家だから、浮気したらみんな幻滅しちゃう(苦笑)。けど生みの親のシムノンはとんでもない性豪だったらしいからね。そうしてみると、この教授のキャラにもメグレのキャラにも、シムノン自身のなにがしかが投影されて、「等価値の反対」として造型されているのだろう。 (けど教授の秘書さん、さもありなむ...人間、そんなもの) |
No.930 | 6点 | ナヴァロンの要塞- アリステア・マクリーン | 2022/02/06 23:04 |
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そういえば評者、高校受験が終わって春休みのボーっとしていい時期に本作を読んだ記憶がある。映画は好きだったね。当時ご贔屓スターがアンソニー・クイン(アンドレア)とデーヴィッド・ニヴン(ミラー)だったし。オヤジ好きだ。としてみると、スティーヴンズって若造だしさあ、怪我した時点で(泣)が見えてるわけだ。評者ガキだったけど、何かそういう(泣)に反発してた...これも「若さ」って、もんだろう。
だから50年近くぶりの再読になるわけだ。としてみると...だけど、今回は「ダメな子」スティーヴンズにハラハラしながら読んでいる自分に気が付く。スティーヴンズの「失敗」も妙に自意識過剰なところもあるし、そういう「若さ」が今にしてみると愛おしい。 「若い」と「若さ」が目に入らないものなんだな(目から青春の汗が..)。 戦争アクションって評者はガラにもない話。けど本作って「様式美」な世界のようにも感じる。それだけ王道ということだろう。 ちなみに原作登場人物は男ばかり。戦争モノだからね。映画はそれじゃ成立しないので、現地合流のレジスタンスが両方女性。マロリーとちょいとイイ場面もある。でスティーヴンスも若僧じゃなくてマロリーの旧友でそっちが指揮官、と改変。しかもこの件を巡ってはヒロイズムな自己犠牲に流さずに、うまい処理をしている。なので、評者的な原作のポイントとはズレるけども、ご贔屓のニヴン(フケツじゃなくて教授だそう)とかクインを楽しめばいいし。いや、映画の脚色は実によく出来ているよ。島民の結婚式パーティとか、うまいな~と感じさせるシーンが続出。 そして最後に、何千トンにものぼる岩石が豪快に港にくずれおちる。腹にひびくような音―何千トンにものぼる岩石と、ナヴァロンの巨砲が。 とあっさりとした文章で記述されるクライマックスよりも、映画の特撮の方がずっと迫力がある(当たり前)。防風メガネかけて皆一斉に耳を塞ぐとか、巨砲発射のデテールもかっこいいしね。映画屋のド根性を見せつけた映画がちょいと出来過ぎなくらいの出来だから、原作の方が旗色悪いや。 (これ有名な話だけど、続編の「ナヴァロンの嵐」は、本作のラストから続くんだけど、脱出者にしれっとヒロインが入っていたりして、小説の続編じゃなくて映画の続編だったりする。そんなものさ) |
No.929 | 5点 | 零人 大坪砂男全集4- 大坪砂男 | 2022/02/06 10:27 |
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創元砂男全集も4巻で終わり。この巻は幻想篇として「零人」をトップに据えて、あとは掌編のコント、ジュブネイルのSF。これで本の約6割。あとの4割は大坪の雑文と山村正夫などによる大坪と探偵文壇のエピソードの回顧談。
だから、本としてはパッとしない。評者は「零人」はそれほどいいとは思わない...それでも「天狗」っぽい香りはあるけどもね。どっちか言うと「瓶詰の地獄」みたいな味の戦前的秘境小説なのかなあ。 とくにこの人の「作りモノめいた」悪い面が出てしまっている作品が多いとも思うけども、逆に「コント・コントン」とかSFは星新一に近い味わいを感じるところもある。なるほど佐藤春夫が「描写ができない」と大坪の才を裁断した話があるけども、キマジメで外界に目を向ける余裕のなさみたいなものが、ハマった時にはツヨいけど...という不器用さにもつながっているようにも思う。いや「作りモノ」を作ることにかけては、発想の豊かさが強みなんだけども、それを「作品」にするのがどうも下手な印象がある。 だからかこの人、雑文がつまらない。「スタイリッシュ」の引き算ではなくて、雑文は足し算だからだろう。それでも推理小説の「謎解き」を奇術と比較して むしろ、このメカニズム公開という近代性あるが故に、その成功した時の効果こそ期して待つべきだろうではないか。 と、「πの文学」と比喩してみせたのに、評者同感するところがある。πは 22/7 やら 355/113 やら分数でよく近似できるから、論理で「割り切れた」みたいに見えることもあるけども、それでも「割り切れた」わけではなくて、その割り切れる/割り切れないのあわいに一番の魅力があるのではなかろうか。 |
No.928 | 5点 | アリゲーター- イ*ン・フ*ミ*グ | 2022/02/02 20:30 |
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007のパスティーシュというかパロディというか、何とも曰く言い難い作品である。ハーヴァードの学生雑誌に載ったものらしいが、ハヤカワの世界ミステリ全集に本家の「サンダーボール作戦」それに「ナヴァロンの要塞」と並んで収録されたことで有名、といえば有名かも。
いやね、笑いが目的のパロディか、贋作・模作を目的とするパスティーシュか、というのが区別が難しい、というのは、この「アリゲーター」の問題ではなくて、元ネタの007自体の問題だったりするのが奥深いところだ。巻末座談会でも訳者の井上一夫自身が 007のちょっとゲテがかった通ぶりを、逆に大げさにしてミソをつける 作品だと断言しているあたりからもそうなんだけども、考えてみりゃ「マティーニをステアせずにシェイクしろ」と注文を付けるの自体、かなり「ゲテ」な趣向といえばそれまでなんだ。しかしこの気取って逆を突く、わざと列を乱す奇矯さがないと「らしくない」。007らしい派手な粋さが出ないのだ。だから本家の007でさえも、「スパイのパロディ」ではまったくないのだが、パロディにかなり近い批評性をそれ自身に対して向けていて、それこそが「007の魅力」なのだ。 だからこそ「007のパロディ」は大変に難しい。そういうパロディの要素を007自身がどこかしら備えているからだ。パロディをしたとしても、それが目指す「批評」が、本家の自己批評性にまったく太刀打ちできないのだから。 「アリゲーター」自身も、パロディを目指したはずなのに、いつしか「パスティーシュ」臭くなる、と「負け」を認めているようなものだ。だからフレミングという作家は、 でも作風からすると、純文学的なものにも一見識をもっていて、その上で徹底したエンターテイメントを書いている、と想像されるんです。 と稲葉明雄に言わしめる(巻末座談会)曲者だ、というのを改めて認識させられる。 |