皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1500件 |
| No.114 | 6点 | メグレ最後の事件- ジョルジュ・シムノン | 2025/11/19 18:36 |
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| 評者の書評1500冊目の記念に何やろう?と思っていたんだが、メグレ物最終作の本作にした。評者は仕事を引退したら、河出のメグレ全冊を読んでやろうと引退数年前から考えていたんだ。これが本サイトに書いたりする前からの夢みたいなものだった。本作でこれが叶った。自分的には大変めでたい。
本作はミステリというよりも男女関係についての小説というべきかな。ミステリというジャンル小説で本作が出てきたら「ちょっとな」という人は多いとも思うけど、読んでいる正直な感想は、孤独に放置されていてアルコールに溺れる女性ナタリーを描いた肖像として、たとえばモーリアックの「夜の終り」に近い印象。「テレーズ・デスケールー」の後日譚ね。夫の遺体が家に戻ってきて、葬儀の準備をしているさなかに、ナタリーはメグレと同行する。ナタリーは棺を見つめて、 「あの人はこのなかにいるの?」「ええ。明日埋葬します。」「わたしのほうは、今日ね...」 そしてメグレ物としてのグラン・フィナーレはこの一文。 彼女は勧められもしないのに、判事の前に坐った。とてもくつろいでいるようにみえた。 まあだからシムノンのカトリック作家としての素地が強く現れた小説だと思うんだ。ミステリとしては芳しい出来ではないけども、ほのかに宗教性を感じさせる小説というのが、やはりシムノンらしい。家庭の中で孤立するナタリーの唯一の味方である女中のクレールが、当初メグレを敵視しているのが、徐々にメグレと和解していくのが小説としての良さでもある。 本作は書評でケナされたことにシムノンが怒ってメグレシリーズを打ち切った、という話が有名だから「ダメな作品?」と思いがちだけど、そんなこともないよ。ただし、ミステリファンが求める方向性とは全然別方向。「こういう方向は歓迎されてないな」とシムノンが察知してメグレを打ち切ったんだと思うよ。 評者的メグレ物のベストテンくらいはやっておこうか。 1.第1号水門、2.メグレのバカンス、3.メグレと若い女の死、4.サン・フォリアン寺院の首吊り人、5.メグレと殺人者たち、6.メグレ罠を張る、7.モンマルトルのメグレ、8.メグレ夫人のいない夜、9.三文酒場、10.メグレと奇妙な女中の謎 それに続くのが、メグレの初捜査、メグレと幽霊、メグレと殺された容疑者、くらいかなあ。 現在メグレ物未読は「メグレと死んだセシール」「メグレと判事の家の死体」の2長編だがEQ連載だけで未単行本化。短編は「メグレと消えたミニアチュア」「メグレと消えたオーエン氏」「メグレとグラン・カフェの常連」「メグレとパリの通り魔」「死の脅迫状」と5本あるか。ギャレ氏ももうすぐ新訳が出るわけで、そうしてみればEQ連載で終わっている長編の翻訳も待っていればあるのかなあ。 |
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| No.113 | 6点 | ロニョン刑事とネズミ- ジョルジュ・シムノン | 2025/11/08 17:27 |
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| 1938年作品で、メグレ物の長編休止期(短編は書いているあたり)に書かれた外伝。いや評者もご贔屓のロニョン刑事のデビュー作だそうだ。まあ何というか、優秀なんだけども、運の悪い刑事。だから性格がヒネちゃったわけだが、本作ではまだそれほどヒネてない。ロニョン夫人もややエキセントリックだが「悪妻」というほどではない。このロニョンの「無愛想な刑事」という異名は本作の中心人物「ネズミ」が付けたものだそうだ。
でこの「ネズミ」はパリのルンペン。街で小遣い稼ぎをする浮浪者なんだが、ある夜、殺人直後の光景?に出くわして、そこで拾った財布の大金をせしめてやろうと画策する。担当刑事がロニョン。ネズミとロニョンの丁々発止が繰り広げられるが、次第に事件の被害者は大物経済人?という話に広がっていき.... だから「無愛想な刑事」ロニョンと陽気な浮浪者ネズミの対比が本書の軸のわけ。「自由を我等に」とかそういうノリだね。ここらへんメグレ物のシリアスとも対比になっていて、軽妙な面白さに繋がっている。ネズミを囮にしたリュカ警視の策略と、フランス警察の組織力を駆使した追跡劇に実録物っぽいスリルがある。もちろんロニョン君はいい手がかりをつかむものも、頭を殴られるわ、またもや司法警察への出世はうまくいかない(泣)。世の中そんなものさ。 重苦しくなった第一期メグレに対するアンチテーゼと、エンタメを意識した第二期長編の、試作品というものかな。さくっと軽めに書いたエンタメだ。 |
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| No.112 | 6点 | メグレと善良な人たち- ジョルジュ・シムノン | 2025/10/23 15:27 |
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| いやホントに「善良な人たち」の話だったりする。
工場経営者を引退した善良な男が殺された。神経質な妻は茫然としているが怪しいわけではない善良な女だ。娘は医師と結婚して別世帯で、これもまた評判がいい。あまり友人も多くはなく、平穏な引退生活を送っている人々だ。しかし、犯人は一家の内情を良く知るもののようだ...行きずりの強盗とかそういう事件ではないのだ。一体善良な一家のどこに殺人者が? ホントに善良な人々ばっかりならば、殺人事件なんて起きるわけがない。しかしメグレの捜査を通じて「善良ならざる」人物が浮かんでこないのだ。そんな矛盾にメグレは手を焼くことになる。ちょっとアンチミステリ的な趣向の作品なんだよ(苦笑) それでもちゃんと小説として成立するのが、円熟したシムノンの筆。1950年代は脂ぎったような充実感があったわけだが、1960年代になるとシンプルな中にも芯の通った作品になってきて、そういうメグレ物の良さが出ている作品。でもミステリとしてどうか?と言われたら「警察小説としてはしっかり成立しているよ」と答えることになるのかな。確かにそういう警察小説としての「リアル」が作品の狙いそのものである。この家族が抱える「善良な人たちの問題」というものが、事件の動因になっているのである。 メグレ物だからミステリとしてアリなんだ、と強弁したくなるような作品である。 |
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| No.111 | 6点 | 十三の謎と十三人の被告- ジョルジュ・シムノン | 2025/10/14 15:37 |
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| 「十三の秘密」とトリオになる三部作で、この三部作自体、本名名義にする以前のペンネームでも一番馴染みのある「ジョルジュ・シム」名義の連作短編集である。「十三の秘密」は図面を見て安楽椅子推理をするルボルニュ青年が探偵役だが、「十三の謎」は地方出張の多い刑事G7(ジェ・セットとフランス語読みするのがいいらしい)で、「十三人の被告」はフロジェ判事と、それぞれの探偵役が違うのが面白いところ。「十三の秘密」のルボルニュ青年はお約束っぽい素人探偵だが、G7は行動派の刑事でフランスの名勝地で起きた事件の捜査に駆り出される敏腕、一方フロジェ判事はそれこそメグレ物の取り調べシーンを抽出したような、かなりメグレに近いキャラ。
というわけで、以前「十三の秘密」を評したときに、「メグレファンだったらパズラー短編なんて退屈」って思わず言っちゃったくらいに、推理クイズ的なショートショート集(掲載された図面に基づく推理が多いから結構企画ものっぽい)なんだけども、最後のフロジェ判事ものとなると「メグレまであと一歩!」くらいの気持ちになる。いやショートショートくらいの紙幅しかないんだが、メグレの捜査実録物テイストが、フロジェ判事ものにはかなり強く立ち上る。そりゃパズラーの視点から見たら技巧性は薄いわけだけど、「世の中にはこんなこともあるよね」な納得感をフロジェ判事ものに感じる。 あと面白いのは、第一期メグレ物に親しんでいると、「あ、これメグレ物のこの作品に...」と感じる箇所がいろいろある。しっかりメグレ物の元ネタとして再利用しているんだね(苦笑)「黄色い犬」だって登場しちゃうぞw「ハン・ぺテル」で登場するポルクロール島なら後年の「メグレ式捜査法」の舞台だし、エトルタなら「メグレと老婦人」だしね。 フロジェ判事はG7と比べたらほぼ引きこもり状態だけど、意外に同性愛っぽいネタが多いと思う。「ミスター・ロドリゲス」「フィリップ」がそうだし、「トルコ貴族」はSMネタだからね。こんな頽廃的雰囲気は「深夜の十字路」で再現されているのかなあ。メグレ物では性的逸脱は不倫一本槍なところがあるけど、若い頃は当然色々見聞していて、ネタにしているのだろうな。G7と一作一作の長さは変わらないのに、ぐっとキャラが濃くなり、しかも犯罪にひねりも出てくる。「クイーンの定員」に選ばれているくらいに、独自性が発揮されているよ。フロジェを誘惑しようと脚を組む「ヌウチ」(「可愛い悪魔」かな)とか、残虐な犯罪を犯すサイコ風味の「アーノルド・シュトリンガー」など印象的な被告。女装趣味?という味わいがある「フィリップ」ならばブルボン朝復辟詐欺の件からも「死んだギャレ氏」の元ネタだしね。ギャレ氏風の敗残者ならば改めてまた「オットー・ミュラー」でも描かれる。粗暴な黒人凶悪犯をめぐる「バス」は中期メグレのアメリカ風味の警察小説を連想する。 というわけで、メグレ物に十分親しんだ後の方が、この短編集は面白いと思う。いやまあ、シムノンも一夜にしては成らず、というものか。 (本サイトで「ダンケルクの悲劇」「猶太人ジウリク」で登録されている2作は、この短編集の別訳にあたる。読む予定から評者は除外) |
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| No.110 | 6点 | メグレの打明け話- ジョルジュ・シムノン | 2025/09/21 20:14 |
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| シムノンというと、意外なくらいに真相が曖昧な作品が多いんだよね。本作はメグレ物でそれをやっちゃった作品。メグレ非登場なら「ベルの死」という有名作もあるし、「証人たち」だってそう。1950年代にこのテーマが掘られていて、本作は1959年作。メグレは司法警察の捜査担当の警視だから、立場上は予審判事の指揮の下で捜査に当たるわけだ。
でレギュラーだけどメグレとの確執がよく話題になるコメリオ判事の事件である。この事件にはメグレは初動捜査に関わっておらず、問題の容疑者ジョセと初めて会ったも逮捕された後。メグレの尋問の機会も一度だけ。あとはコメリオ判事の下で身柄が確保されて公判になる。メグレは組織上の問題で手も足も出ない。こんな事件だから、メグレも「悔いが残る」事件になってしまった。 こういうあたり、アンチロマン主義というか、見ようによってはリアルな社会派でもあるわけだ。アンチクライマックスな作品だから、皆さまのご評価が厳しめになるのは、わかる。ヒーローであるはずのメグレが、「命が救えるわけではない患者」にも対応せざるを得ない町医者の親友パルドンに、愚痴をこぼすのが大枠。ツラいなあ、という話なのだ。 でもそういう組織の壁にメグレの良心も役立たないのが、とてもリアルなんだよね。さらにジョセ自身の浮気だとか、浮気相手の父が自殺するとか、金持ちの女性に引き立てられて出世した男、というやっかみと偏見を受けやすい成りあがりモノであることからも、ジョセにはいろいろと世論の眼が厳しい。ジョセの弁護をした弁護士も、名声はあってもメグレは実力を危ぶんでいる男。「あ~ダメ、かな?」という悪い予感が... まあそんな鬱エンド。切り裂きジャックを扱ったラストガーテンの「ここにも不幸なものがいる」にいろいろ近い作品かな。シムノンとしてはエンタメ枠であるはずのメグレ物で、こういうのやるとは思わなかったな。 |
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| No.109 | 8点 | 青の寝室 激情に憑かれた愛人たち- ジョルジュ・シムノン | 2025/08/24 10:06 |
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| 河出のシムノン本格小説選もこれでコンプかな。「本格小説」とはいえ、内容はミステリ寄りから自伝っぽいものまで、かなりのバラエティがあるわけで、シムノンという作家の幅を示すんだが、本作は「準ミステリ」と言っていい内容。さらにいえば本作は1964年作品で、時系列では自伝系2大名作の「ビセートルの環(63)」と「ちびの聖者(65)」に挟まれて書かれている。「準ミステリ」としては、シムノンの集大成みたいな作品じゃないのかな。
「あんた、痛かった?」と「青い部屋」での情事のさい、主人公トニーは愛人のアンドレとのキスで唇を噛まれる。そして、このシーンはまさに最終盤でも回想される、象徴的なシーンになっているのだが、この行為は、ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の同様な場面を連想させるのだ。そしてケインのカップル同様に、配偶者殺しの容疑で裁判にかけられる...そこで裁かれるのが男女の愛欲のアナーキーというべきものだったりする。大きな枠組みとして意識的に「郵便配達」を借りているものだと思うんだ。まあ不倫から殺人という流れは、シムノンのお得意設定でもあり、さまざまな類作のシチュエーションも連想しつつ読み進めることになった。 そして、この裁判話を予告させながら、延々と「どんな事件」なのかが明らかにならない。この展開は「判事への手紙」でも採用された手法だったりする。これがさらに「ミステリ」的な興味と見ることもできるのだろうな。そして主人公はイタリア系移民であり、異邦人の小市民としての孤立感も「妻のための嘘」で描かれてもいる。シムノンの準ミステリの集大成という印象なんだよね。 しかし、とりあえず裁判での決着はつくのだが、本当にトニーが毒殺者なのかは明言されるわけではない。そこに読者がいろいろと想像をめぐらす余地もある。真相を保留することでミステリとしての奥行きをだすというのも「ベルの死」や「証人たち」を連想させる。 本当にシムノンが「自分らしい、オリジナルな形式のミステリ」を構築しようとして書いた作品である。ある意味代表作としてもいいのかな。(いや真犯人は実は...とも思う、外れてるかな?) |
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| No.108 | 8点 | ちびの聖者- ジョルジュ・シムノン | 2025/08/07 10:02 |
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| いろいろと面白い(架空の)自伝小説。
確かにシムノンの「観察眼」というものには、並外れたものを感じているよ。だから自分を「画家」に仮託して描いてみるというやり方に説得力がある。そして、この小説が、「画家の成功譚」というものではない、というのが大変面白い。実際、この小説なら主人公が長らく成功せずに、晩年とか没後に評価された、という設定でも成功したりするのかもしれない。おそらく「ちびの聖者」というキャラ付け、すべてを受け入れる観察者という立場から、自身の成功に無関心な「ちびの聖者」だからこそ、作者は成功させてみることにしたんじゃないかな。 もちろんシムノン自身は「ちびの聖者」というような人物じゃないや(苦笑)出自だって貧民層ではないし、女遊びと放蕩が大好きで、身近な人間と不倫することが多くて結婚生活は破綻しがち、苦にした娘が自殺するとか、プライベートが混乱続きで、本書の主人公ルイみたいな平静な親子関係を営んだわけではない。いやだからこそ、本書で描かれるルイとその母親・祖母・異父兄弟たちとの関係が心にしみるのかな。穏やかにそれぞれがそれぞれの人生を歩みつつ、たまに交差する。 パリの市場で仕入れた野菜を街頭で売ることで生計を立て、頻繁に男を取り換えて6人の子を産んだ末に、再婚した男と安定した生活を得た母。社会に反抗的だがルイをそれとなく庇護してくれた長兄は、兵役などを経て裏社会の顔役になる。仲が良かった姉はクリーニング店で働いて出産、そして戦争未亡人に、しかし、小商人と結婚して資産を築く。兄になる双子の一方は囚人部隊に入って戦死、一方はエクアドルへ渡りそこで珍獣ハンターに...末の妹は幼くして病死。 一見バラバラかもしれないが、こんな家族の肖像こそが、明治生まれの祖父母世代の庶民のエートスというべきものをしっかりと思い出させる。家族というものが「群れ」であり、家は「巣」であったような、動物としての人間家族の本質めいたものを開示しているかのようだ。 まあだからこの本はホームドラマだよ。家族を「印象主義」的に描いたホームドラマだ。 |
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| No.107 | 6点 | メグレの失態- ジョルジュ・シムノン | 2025/07/28 16:20 |
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| 「失態」とはいえ、そういうほどの手ひどい失敗というわけでもないなんだがねえ。確かにメグレ自身の感じた「ダメージ感」は強めなんだけども、客観的にみれば大したことではない。だって被害者のキャラがホントにイヤな奴だから、たとえ政治勢力があったとしても、「殺されて、ほっとした」と周囲の人々が皆考えるような男。メグレが感じた「ダメージ感」とは、この男が幼馴染だったことでもある。
とはいえ、メグレ物で「幼馴染」「旧友」って扱いが良くないんだよね。「激怒する」「幼な友達」のリセの同級生、「途中下車」の大学の同級生、そして「サン・フィアクルの殺人」の伯爵などなど、メグレが旧知の人々の「今」に反発する姿が頻繁に描かれていたりする。さらに言えば、この男の父親が伯爵の管理人であるメグレの父に、賄賂を渡そうとしたのを目撃して、気持ちが引っ掛かり続けてもいる...「自分の進む道に立ちはだかる人たちや、彼に不安を生じさせる人たちを破滅させるだけではすまずに、ただ自分の力を見せつけ、それを自分で納得するために、誰かれの見さかいもなく人を破滅させていまうのだ」。そういう人間こそが、社会で成功したりするというやるせない矛盾。 しかしこの同級生フェマルの肖像は、あまり褒められた人間とは言えないシムノン自身を露悪的に投影したようにも思えるのだ。社会的に成功を得ながらも、その成功に対して居心地悪く感じる男の肖像を、シムノンは憑かれたように描き続けたのだけど、フェマルだってその一人である。だからもう一人の自己投影でもあるメグレから見た場合に、自己嫌悪の感情が漂っていると見るべきだ。そしてそれを補強するのが、やはり同郷の出身者である、密猟者上がりのヴィクトールということになる。ヴィクトールは過去の「野性」といったものを象徴していると読むべきだろうね。 まあミステリとしては捉えどころのない作品にはなってしまう。とはいえ、シムノンがノッていた時期の中期作。キャラ造形は冷徹な女秘書に「脱げ!」と命じる姿や、愛人の立場に甘んじる「食道楽の娘」やら、印象的なキャラの描写が目立つあたりにも、冴えをうかがわせる。まあ、冒頭からして準レギュラーの「司法警察局の衛司ジョセフはごく軽くドアをノックしたが、それは小刻みに駆け回るハツカネズミの軽い足音ほどにも感じられなかった」と印象的な描写で始めたりするくらい。 成功作とは言い難い出来だが、シムノンという異常な作家の特異性を今更ながらに感じてしまう。 |
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| No.106 | 6点 | 子犬を連れた男- ジョルジュ・シムノン | 2025/06/21 22:19 |
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| タイトルからチェホフの「子犬を連れた奥さん」を連想するけども...確かに不倫があったりストーカーまがいのことしたりとかの共通点はあるんだけど、強い関係はないかな。シムノンは修業時代にロシア文学をよく読んでいた話があるから、ある程度踏まえる意識はあったんだろうか。
まあ確かに日記書いて自身の思考を自己分析したりする構成自体がロシア文学っぽいところもあるかな。主人公は刑務所から出所してパリの街角の古本屋に雇われた初老の男。最初は金魚を飼ったが野犬収容所からプードル系雑種のビブを飼うようになった。刑余者で余命いくばく?の身の上もあって、世間との交流をほぼ断っている孤独な生活だが、その寂しさを紛らわす...というのも違う気もする。とはいえこの犬のビブがこの小説の副主人公みたいなもので、印象的。さらに言えば、刑余者と知りつつ主人公を雇う古本屋の女主人アンヌレ夫人が好キャラ。老齢で体が動かなくなっているために主人公を雇ったのだが、どうやら街娼から娼館を営むまでに成功した過去があるようだ。そんな女性なので人物洞察に長けている。自殺衝動を持て余す危うい主人公の身を案じつつも、主人公の日記を通じて過去の事件が徐々に明らかにされていく...主人公にとって「真の動機」は何だったのだろうか? こんな小説だから、ホワイダニットと言えばまあそうか。ペットというのは、アニメだったら主人公の秘めた感情を描写するための暗喩的なツールのわけだし、感情の産婆的な役割を果たす老女というのも、「探偵」の一種と見るべきかもしれないね。 というわけで、ミステリとは言い難いが、ミステリ的な雰囲気だけはちゃんとある。ニアミスでいいと思うし、評者は好き。結末は...シムノン、甘くないんだよね。 |
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| No.105 | 5点 | メグレと賭博師の死- ジョルジュ・シムノン | 2025/06/03 12:24 |
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| 邦題がアレだから、たまにある暗黒街ネタかと思えばそうじゃない。
賭博師といっても、数学知識と資金力を使ってルーレット賭博で生計を立てるプロの賭博師が被害者の事件。しかもレバノン人でマロン派クリスチャン。ベイルートを根城にして国際的なビジネスを展開するナウール一族の一員である(アンブラー「グリーンサークル事件」の舞台に近いかな)。 大雪の深夜にパルドン医師の元を訪れた男女。女は無言のまま銃創の手当てをさせた。付き添う男はラテン系の美男。その女はミス・ヨーロッパの経歴からナウールの妻になったオランダ娘。そのままアムステルダムに逃亡した男女は意外にも素直に帰国を了解した....三角関係の縺れかと思われるこの展開に、この国際色豊かな事件の背景に政治的な問題が潜んでいないことにメグレたちは安堵する。 まあこんな展開をする話。何かピンとこないなあ。確かにセリ・ノワールなんかでもアラブ系ギャングと抗争したりとか、レバノン人金融ネットワークとか、そういう話はあるものだが、ある意味シムノンのホームドラマへの好みがそういう世界の広がりを狭めてしまっているようにも感じる。まあ一応真相にもそういう国際色があるのかもしれないのだが、掘り下げられているわけではない。 なんかよく分からない話だった。 |
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| No.104 | 7点 | メグレ推理を楽しむ- ジョルジュ・シムノン | 2025/05/05 09:24 |
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| いやこれ「メグレの回想録」に近いファンサービス回だよ。メグレ物を読んでいれば読んでいるほど楽しい作品。くすくすと笑ったり、妙にしんみりしたり、メグレ物の「楽しさ」を存分に味わえた...
ヴァカンス中のメグレの代理としてジャンヴィエが奮闘。それを陰からそっと見守るメグレ。さらに終局場面では別な人物と、事件の終幕を司法警察近くのビストロから見守るけども、この人物に対しても「父性」といった好ましさがビンビンと伝わってくる。 もしメグレ夫妻に子供がいたら、メグレはメグレではなかっただろうなあ。 ヴァカンスのくせに予約不調でどこにも出かけられないメグレ夫妻。思い切ってパリに潜伏することにするのだが、医師二人の間でどっちが妻(愛人)殺し犯人か?という悩ましい事件が起きた。リュカとトランスもメグレ同様にヴァカンスで、残ったジャンヴィエが代理として「宿敵」コメリオ判事の圧力にメゲながら奮闘中...例によって夫婦関係の機微が事件の鍵にはなるんだが、よりにもよってメグレは新聞記事だけで真相を掴もうとする。ここで一般人目線になるというのが、作品の最大のギミック。だからこそ一般人になって推理を「楽しむ」。 それこそメグレ夫人さえも強引にそれに付き合わされる。連れまわされて歩かされて迷惑している(苦笑)その中でパリで過ごしてきた日々がメグレの中に浮かび上がる。 パリ市内で、難航したり、しなかったり、評判になったり、ならなかったりした捜査のことを思い出させない場所は、ほとんどなかった。メグレ夫人もそういう場所を、耳できいては知っていた。 メグレのヴァカンスの名所めぐりは、まさに「メグレの事件簿」。雪さんもご指摘だが過去作でのお馴染みの場所が回想される。被害者の出身地コンカルノーの事件なら「黄色い犬」だ。まさにファンサービスで、評者もメグレのヴァカンスに付き合わされて懐かしい場面を思い出し、その雰囲気を追体験していく。 たいていの場合そうだが、ただひとつの解決しか可能でない、ということはない。少なくともふたつの解決がある。とはいえ、ただひとつの解決がよいのであり、ただひとつの解決が人間の真実なのである。だから、事実を論理的に再構成して、厳密な推理によって解決するのではなく、それを感じることが必要なのだ。 まさにこれがメグレが「推理を楽しむ」こと。ファンサービスのついでに、シムノンのミステリ創作技法の根幹部分も教えてくれている。 |
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| No.103 | 5点 | マンハッタンの哀愁- ジョルジュ・シムノン | 2025/04/24 18:17 |
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| シムノンのメグレ物以外の小説って、本当にバラエティ豊かだからバルザックとかになぞらえられるくらいでもある。河出の「シムノン本格小説集」もその「一端」くらいが覗けるくらいのものと捉えるべきなんだろうけども、結構ミステリ的手法とか趣向があったりもするのだが....本作はどうみてもミステリじゃない。自伝的な恋愛小説(苦笑)ごめん。
シムノンは戦争中に対独協力者の疑惑を持たれて、それもあって戦後すぐにアメリカに渡っている。アメリカで書いた最初の小説の一つが本作だ。だから舞台はタイトルどおりニューヨークのマンハッタン。主人公はシムノン自身を投影した一流半の俳優フランソワ。女優志望の妻を業界に紹介したら妻の方がスーパースターに出世。妻の不倫から結婚を解消し、フランソワは失意の中ハリウッドで一旗あげようとするが、どうもうまくいかずにニューヨークで役探しの日々。こんな中でバーで出会った女、ケイ。 午前三時の女なのだ、ベッドに入る決心がつかず、どんな犠牲を払っても刺激を求める必要があるので、酒を飲み、たばこを吸い、しゃべりまくり、しまいには極度に興奮して、男の腕の中に身を投げるのだ と形容される30過ぎ、離婚歴のある女性。そのままフランソワはケイと同棲を始める....しかし、ケイが前夫との間に儲けた娘の重病の知らせを受け、ケイはメキシコへ旅立つ。ケイは戻ってくるのか? 全体的には虚無的、といえばそうだけど、ほのかな明るさがある。シムノンがアメリカで出会った女性デニーズと恋愛関係になり、妻とも離婚してという自伝的な内容が反映しているといえばそうだろう。夜の街をケイと共にさまようのが何ともムードがある。原題は「マンハッタンの三つの部屋」という意味だそうだが「マンハッタンの哀愁」でマルセル・カルネが監督して映画になっている。1965年の作品で、主演がルイ・マルの代名詞みたいなモーリス・ロネ。晩年のカルネがヌーヴェルヴァーグに対抗意識を燃やして作ったそうだ。この映画の評がまさに小説の評としてもふさわしいかもしれない。 ほとんどがバーや安宿にいる2人が登場するシーンばかりかな。 酒と煙草燻らすばかりで、かなり退屈なのが正直な感想。 こんな小説。 |
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| No.102 | 7点 | メグレの財布を掏った男- ジョルジュ・シムノン | 2025/03/31 10:59 |
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| 通勤途中のメグレは、バスの中で尻ポケットの財布を若い男にスリ取られた...「プロの仕業ではない」とメグレは諦めていたが、財布はメグレの元に郵送で送り返された。そして犯人からの電話。誘い出されたメグレは、その男と同行してその妻の他殺死体に遭遇する...
こんな導入。この若い男リカンが属する、映画プロデューサーの取り巻きグループと、彼らが集う元スタントマン経営のビストロが舞台。早い話、映画周辺のボヘミアングループの話で、なかなか男女関係も乱れている(苦笑)このリカン、自称ジャーナリスト、コントやシナリオを書いて持ち込んだり、映画監督になろうと売り込んだりする男。住むアパートといえば、床が黒、壁が赤、家具が白と塗り分けられていて、少なくとも「アーチストを気取っている」というのは伝わる。才能はというと、「天才」と評価する声もあれば、「ただの出世欲だけ」と評する声も。メグレとの遭遇についても「不安定さ」だけは確か。 ミステリは一般に「優れたアーチスト」を登場させるのが難しいジャンルでもある。描くのが難しい上に意味ないからね(苦笑)なんだけども、本作、ミステリ的というよりも、シムノン論的にとても面白い作品なので、バレを厭わずにちょっと書きたい。 (バレるかも) というのか、本作のリカンって、初期の有名作の有名犯人をリライトしたようなキャラなんだ。その有名作では「若さ」についてのめり込むような熱気があって、青年期の終わりを迎えたシムノンの「青春の決算」とでも言いたいようなパッションが伝わる作品でもある。本作執筆は63歳。メグレ後期というか、末期に入りかかるくらいの時期。ここであえての「青春」を取り上げているわけだ。 奴は理想主義者だったんだな。理想どおりの生活ができなかった哀れな理想主義者だったんだ。 本作がある意味、自己を投影して描いた有名犯人についての、シムノンの人生をかけた最終結論のようにも思われる。 こんな「再論」というべき作品があるというのも、長く続くシリーズものならではの奥深い話だ。 |
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| No.101 | 7点 | モンド氏の失踪- ジョルジュ・シムノン | 2025/02/16 12:45 |
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| シムノンらしさは全開だけど、ミステリ色はかなり薄い。でも話は結構シムノンの定番話。パリに住む富裕な中年の商人、モンド氏が突然失踪し、身なりを変えて南仏に逃亡する話。蒸発話といえばそう。乱歩も「二重生活」とか変身願望が強く現れた話が好きだけど、本作気に入るんじゃないかな(苦笑)だったらミステリ周辺という見方もできるかも。
シムノンのミステリと本格小説の違いって何か、と考えたら、「理由を説明する」か「しない」かの違いのようにも感じる。メグレという最高の説明役がいて事件を解明し説明するからこそ、「メグレ警視もの」というミステリが存在する。「シムノン本格小説」と銘打ってもも実は「メグレのいないメグレもの」なのかもしれない。だから、本作ではモンド氏がとくにきっかけもなく失踪した理由も丁寧に説明するわけではない。まあこれ多くのメグレ物を含むシムノンの登場人物の行動そのものだから、シムノン読者には目新しいわけではない。 しかし本作だと、南仏に逃れてホテル隣室で棄てら自殺しかけた女ジュリーと同棲。自ら望んだ委細承知の没落。一緒にダンスホールと賭博が売り物の店に就職し、とある意外な事件に出くわして、再度の「モンド氏の変貌」起きる。これがなかなかの見もの。しかもこの理由をちゃんと説明しない、でもそれが腑に落ちる。意外な再変貌が興味深いのは別にして、この理屈もへったくれもなく「腑に落ちる」あたりが、高評価の理由。 この「説明のしなさ」がハードボイルドのようにも感じられてしまう。 それは「説明しない」潔さのようなものが窺われるからだろうか。「理由が説明できるか」は、実は「人間の自由」ともかかわっている。モンド氏の変貌はこのような「自由」に向き合い、それをモンド氏が主体的に「自由」を解釈し、受け入れることから起きているのだろう。 たしかに「シムノン本格小説」は、しっかりした現代文学なのだと思う。 |
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| No.100 | 6点 | メグレの幼な友達- ジョルジュ・シムノン | 2025/01/21 23:08 |
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| 「幼な友達」とはなっていても、実は日本の高校に相当するリセでの同級生。
そんな旧友フロランタンが、メグレの面会を求めた...フロランタンは同居する愛人のジョゼが殺されるのを間接的に目撃していた。ジョゼの死を確認して、自分に容疑がかかることを恐れたフロランタンは、同級生のメグレに救いを求めたのだ.... なんだけども、このジョゼは、妾奉公ならぬ一種の「愛人商売」をして、小金を溜め込んでいる女。フロランタン以外にもオトコは四人いて、それぞれ逢う曜日を変えて鉢合わせしないようにしている。そういう愛人商売が「癒し系」みたいに描写されているのに妙なリアルさを感じたりする。よくある「情痴」の事件でもなさそうなんだ。 フロランタンはかつては老舗菓子屋の息子として、同級生の間でも羽振りがよかったのだが、今では「落伍者」と呼ばれるほどに落魄して、ジョゼのヒモのような立場にあった。 要するにメグレにとってはキャラを知っているだけに、フロランタンは「厄介者の遠縁」みたいな面倒臭い立場にあるわけだ。フロランタンはリセの当時から「嘘つき」であり、悪戯好きの道化者として、面倒を引き起こしがちな男だった。そんなフロランタンは同級生の立場から、ヘンにメグレにも馴れ馴れしく振る舞い、メグレが困惑しながら捜査をする...この関係のヘンテコさが面白い。 ミステリとしては、ジョゼの住むアパルトマンの女管理人が強情にも何も語らないことが鍵となっている。この女管理人のキャラがなかなか「ヒドい」。強情な大女で、この女も狙いがあって喰えない。けども、この女の存在とフロランタンの策動のせいで、話がもつれているのを、メグレは解きほどいていく。 ジョゼ・フロランタン・女管理人とキャラにウェイトが高くて、それで勝負しているあたり、後期メグレっぽいなあと思わせる作品。そう親しいわけではない同級生、という設定が効いている。 (あと、このフロランタンって名前だが、そういう焼き菓子があるんだけども、関係があるんだろうか?) |
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| No.99 | 8点 | 証人たち- ジョルジュ・シムノン | 2024/11/22 11:18 |
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| シムノンのロマンの中でも、上位に位置する傑作じゃないかな。
ガチンコの裁判劇なのだが、まずは裁判長が主人公、という面でも異色中の異色だと思うよ。弁護士が主役の裁判劇なら描きやすいのもあって世の中に氾濫しているし、検事でもいろいろある。裁判では受動的な役割である裁判官をメインに据えて、「人間を本当に理解できるのか?」「理解したとしても、誤解ばっかりで他人をこういう人と決めつけていないか?」といったテーマを深掘りしている。 その中には主人公の裁判長の妻との関係も含まれている。主人公自身の過去の軽い浮気の話も、その裁判を傍聴する黒衣の女性によって、たびたび主人公の意識に登る。また、ベッドに寝たきりとなっている妻が「意図的に自分を困らせるためにそうしているのでは?」という疑惑もあれば、またこの裁判の被告が、妻のご乱行に怒って殺したのでは、という裁判の行方を自分の妻の引きこもりのきっかけとなった妻の浮気話と、主人公は重ね合わせずにはいられない。 こんな2日間の裁判が、妻の求めによって深夜薬局に妻の薬を買いに行かされ、その結果風邪をひいた主人公の前夜の話から始まっていく。裁判も行方も気になるが、妻との関係にも懊悩するさまが、熱に浮かされた主観の中で丁寧に描かれる。シムノンって一時的な病気・体調不良をちょっとした「きっかけ」につかうのが実に上手だと思うよ...メグレが酷い風邪を引いたのが印象的な短編もあれば、「ビセートルの環」のように入院生活をテーマにしたロマンもあるしね。 (バレかな?) まあそういう小説だから、この事件の真相について、ちゃんと解明されるわけではない。アメリカを舞台にしてアメリカで書かれた「ベルの死」に続いて、同様のテーマをアメリカ時代最後に書かれたと目される本作が扱っている、ということにもなるだろう。 |
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| No.98 | 7点 | 死んだギャレ氏- ジョルジュ・シムノン | 2024/11/20 11:10 |
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| 国立国会図書館デジタルコレクションにて。
ロワール川沿のホテルで起きた事件に急遽駆り出されたメグレ。被害者は行商人という触れ込みで、クレマンという名を名乗って何度も泊まっていたが、実はエミール・ギャレという本名で勤め先も偽装だった。格式を見せつけようと虚勢を張るが、貧相さを隠せないギャレとその妻。人生の失敗者にしか思えない、偽りだらけの人生の男のどういう「嘘」が事件を導いたのか? こんな話。メグレ物第二作と呼ばれるけども、創元文庫の裏表紙の作家紹介では「最初の推理小説」と書かれている。まあ気持ちはわかるんだよね。「怪盗レトン」ってメグレらしくない。「レトン」以前にも脇役メグレの登場作が存在するようで、その延長線で書かれたような印象が今となってはある。ならば本作が「メグレ第一作」。あらすじをまとめたけど、これなら普通にメグレ、でしょ。 (失礼訂正:連載では「レトン」が先だが、初出版は「ギャレ氏」「サンフォリアン」が同時発売。それ以前にもシムノンはミステリを書いてはいるが筆名ばかり。なので「本名で出版した最初の推理小説」が正しいところだろう) そもそもあの男は何ごとかを待ちもうけることに、その生涯のすべてを送ってきたのではなかろうか?....。ごくわずかのチャンス....それさえなかったんだ! こんな人生とミステリらしいトリックとが融合している。まあ、トリックがあるメグレ、として変に有名な作品かもしれないけど、トリックの扱いで小説としての深みを増すという佳作だ。 入手が難しい作品なのが本当に勿体ない。一部の本格マニアのシムノン敬遠も、本作が読みやすければ解消するんじゃなのか?と思うくらい。おすすめ。 (個人的にはフランス王党派の消長というのも興味ある。今はブルボン本家は断絶していて、オルレアン家vsスペインブルボン家vsボナパルティストで復辟運動が細々と続いているそうだ) |
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| No.97 | 7点 | メグレと政府高官- ジョルジュ・シムノン | 2024/11/12 21:38 |
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| 個人的には大変好み。キャラの深みよりもサスペンスで引っ張っていく3期初めあたりにしかないタイプの作品じゃないかな。重苦しいサスペンスが張り詰めていてそれを買う。
メグレが「救う」ことになる公共事業大臣ポアンと、メグレは自分との共通点をいろいろ感じて「嫌な」事件であるにもかかわらず積極的に介入していく。その共通点の一つがメグレ自身も「政治的な罠」にハメられて一時ヴァンデの機動隊に左遷された経歴があったりすることだ。だからメグレも政治嫌いを公言するのだが、レジスタンスから政治の世界に祭り上げられた、朴訥なポアン大臣が「意図的に証拠を隠ぺいした」とする疑獄から救おうとする。 メグレにしては珍しく敵役風キャラも登場し、正義派風の立場をうまくとって政界を操ろうとする代議士マスクラン。高級レストランでのメグレとの対決場面は腹芸の見せ場で結構。奇矯な正義感から問題の証拠書類を掘り出す変人学者ピクマールは、シムノンは描きにくいタイプだったのかな。ドロップアウトした元刑事というと、どうもシムノンは成功したキャラはいないが、今回もそれほどのキャラではない。 まあ、スカッとした解決ではないのが、シムノンらしいといえばシムノンらしいし、ちょっと松本清張風味のリアルも感じたりする。 トリビア的には、大臣の出身地に在住の友人に電話して、大臣の人となりを聞くシーンがあるが、この友人は「途中下車」に登場のシャボ―。あとこの時代では「最新」の扱いで複写機が登場するけど湿式らしい。青焼の仲間のようだ。懐かしい.... |
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| No.96 | 6点 | メグレと田舎教師- ジョルジュ・シムノン | 2024/11/01 17:39 |
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| メグレの事務室の前「煉獄(水族館)」に居座り、自分が無実の罪で逮捕されかけているとメグレに訴えた男。メグレはその男(田舎教師)に同道し、護送を名目にボルドー地方の海岸沿いの田舎町を訪れた。カキを白ワインに浸して食べるために(苦笑)
というわけで、メグレは「田舎は嫌いだ..」と言いながらも、それが田舎出身者のコンプレックスの裏返しであることが暗示される。田舎町の人々 vs 不倫事件を起こした妻をかばって田舎落ちした学校教師、のありがちな対立の中で、孤立したインテリは、地元民ながら「村の嫌われ者」として爪はじきされる老嬢の死の責任を押し付けられようとしていた。 「メグレあるある」なビジター試合話で、「途中下車」とか「死体刑事」とか連想する作品は多いけど、本作がいちばんまとまりがいいと思う。少し力が抜けているというか、田舎教師の冤罪もどこまで村人がホンキか知れたものじゃないし、3人の子供たちの微妙な関係性がクローズアップされて、シリアスな味わいを意図的に弱めたようなあたりが、変化球になって成功しているのかな。 まあとはいえ、フランス人の「寝取られ亭主」に対する風当たりの強さというのは、外国人にはうかがい知ることが難しい感情みたいだ。挫折したインテリが抱えた不名誉が、この冗談みたいな事件をこじらせたようなものだ。ファンタジーにしては後味が悪すぎるが、それが作品の苦みになっている。 一人の女がこれほどまでに女らしさを放棄してしまっているのはめったに見たことがない。ぼんやりした色のドレスの下の体はやせて疲れていた。二つの乳房はおそらく空っぽのポケットのように垂れ下がっていることだろう。 田舎教師の不倫妻の描写だが、気の毒なくらいに辛辣。でもメグレ全盛期ならではの人間観察。 |
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| No.95 | 6点 | 闇のオディッセー- ジョルジュ・シムノン | 2024/10/21 16:38 |
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| 大げさなタイトルである。
シムノンがこんな大げさなタイトルをつけるわけもなくて、原題は「くまのぬいぐるみ」という可愛らしいものだ(苦笑)成功した産科医の主人公が自らの築き上げたものに急に「人生的な疑念」を抱きだして、とある悲劇的な結末にたどり着くまでのほぼ一晩の「オディッセー」を描く短い長編。 下層階級から成りあがったうらやむべき成功者の中年男が、一見恵まれた立場にありながらも突如それに反抗して身を滅ぼす話は、シムノンの十八番中のオハコというべきもので、メグレ物でも名作「第一号水門」やら枚挙に暇ないが、とくに一般小説側ではこれが顕著でもある。だからこんな大げさなタイトルにもなるんだろうが、本作の主人公は医者なこともあって、病理的な描写が丁寧になされる。読んでいると一種の離人症状とか、パニック障害っぽいものが描かれて、反抗という意味で「ツッパった」主人公が何か気の毒なようにも感じてしまう。 とくにこの主人公の父が、官吏をしていたが政治的な対立の中でスキャンダルをでっち上げられて退職に追い込まれ、そのまま家に閉じこもって死ぬさまが主人公に重ねられて、悲惨さを感じさせる。そんな中で「くまのぬいぐるみ」は主人公の息子が幼い頃に抱きしめた縫いぐるみと、主人公が半ば強姦するするかたちで手を付けた病院掃除婦のかわいらしさの形容でもある。この女性は妊娠してセーヌ川に投身自殺をしたらしく、それを恨んだ?身内からの脅迫状が届いたりもするが、あくまで背景的で深掘りはされない。 まあそんな小説。ミステリ的な興味は薄いが、シムノンらしさは堪能できるし、あっさり読める。 |
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