皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ 本格 ] 毒の神託 |
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ピーター・ディキンスン | 出版月: 1998年03月 | 平均: 6.20点 | 書評数: 5件 |
原書房 1998年03月 |
No.5 | 7点 | YMY | 2023/09/21 22:13 |
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舞台はアラブの砂漠に聳え立つ巨大な逆ピラミッド形の宮殿という変なところ。主人公はそこでチンパンジーの意思伝達能力を研究していて、近くの沼地には独特の言語・風俗をもつ沼族の人々が生活している。
SFミステリそのものと誤解されそうだが、そこはディキンスンというわけで、いかにも英国的といった細部に凝る文章が物語にリアリティを与えているばかりか、まともな謎解きミステリにもなっているから不思議。 |
No.4 | 6点 | 人並由真 | 2020/10/12 03:18 |
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(ネタバレなし)
1974年の英国作品。 生前の瀬戸川猛資がディキンスンについて語った際、(その時点では)未訳ながら、とても興味深そうに紹介した一冊。 ほほう、と思ってだいぶ前に半額の古書を購入していたが、一方でディキンスン作品の敷居の高さには定評があるので(汗)、なかなか読み始められなかった(振り返ってみると、評者はこの作者の作品は大昔に『盃の中のトカゲ』を読んだだけである。例によって、本そのものは買うだけはそれなりに買ってあるけど)。 それでくだんの瀬戸川エッセイかなにかで、言語学者のパートナーである知能の高いチンパンジーが探偵役とかどうとか聞いていたような気がするから、読む前は飯森広一のSF漫画『60億のシラミ』に登場するコーケン博士みたいな類人猿キャラかと予期していたが、かなり違った。とはいえその種の心の準備をしながらページをめくったことは、無駄にはならなかったという思いもある。 隔絶された、しかしまぎれもなく地球上の一部ではある物語の舞台が読み手の前で組みあがっていく前半は、独特の雰囲気で面白かった。学術的に難しい箇所は難しいなりに、筋立ての上でかみ砕いて飲み込むこともなんとかできる(?)。 とはいえ第五~第六章の展開は、ココこそ、しがみついていくのがやっとという感じで、アップフィールドの「名探偵ナポレオン・ボナパルト」シリーズでのアボリジニの描写あたりをさらに強烈にしたら、こんなのになるか? という歯ごたえ。あるいは香山滋の人見十吉ものからスーパーナチュラルな要素を抜き取ってより煮詰めていったら、こういうものができる? かもしれん……というか(汗)。 (しかしすべては(中略)の布石であった。メッセージ性の明確な作風には、好感は抱くが。) ミステリとしてはあえて犯人は当てるまでもない内容で(主要な登場人物も少ないし)、トリックも何がネタかわからない人はいないよね、という感じだが、それでも設定や文芸と融合した謎解きのシーンは、なかなか味わい深いものであった。 全体を満喫したとはとても言えないが、めったにない作品に触れて、とにもかくにも藪の中を完走だけはできた充実感はある。 ところでこの本(翻訳書)の刊行時期から考えるなら、1999年3月に亡くなった瀬戸川猛資は、ぎりぎりまだご存命だったのでしょうね。 間違いなく本書には目を通されていたと思うけれど、それが叶ったのであろうなら、心から喜びをおぼえる。 |
No.3 | 8点 | クリスティ再読 | 2019/05/26 14:05 |
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さて評者お気に入り作家ディキンスンも、訳書の未読がそろそろ残り少ない。「緑色遺伝子」くらいはあとできそうだが...でとっておきの本作。SFミステリとか「ファンタジー・ミステリ」といったテイストの作品で、たぶん代表作でもいいのかもしれない。ディキンスン「らしさ」が満開で、それがプロットと有機的に結びついているのが、いい。
本作の背後にあるのは、「思考可能なことは、その道具である言語によって制約される」という言語=哲学観で、よく「サピア=ウォーフの仮説」と言われるものだ。主人公とハイジャッカーのアンの育った西洋文明、サルタンとアラブ人だちが属するアラブ世界、沼人たちの世界、ダイナが代表するチンパンジーの世界...主人公モリスは、その言語能力によって、サルタンの息子の英語教師でもあり、沼人の言語を研究する研究者でもあり、また天才チンパンジー、ダイナに「言語」を教える研究に携わる。さらにハイジャック騒ぎではサルタン国の外務大臣(苦笑)まで臨時に命じられる...まあこの主人公ならそれぞれの言語と世界を媒介しうる立場にあるのだが、その営為は上記仮説からすると、報われないものになるのかも...と凡手ならば図式的にそうなるかもしれないところを、さすがにディキンスン、そんなに単純に物事を終わらせてはくれない。 物語の輪は「思考の檻である言語」と、それから脱出する「創成としての言葉」の間をめぐるが、その中で確固と見えていたそれぞれの言語と文化がいつしか混交しはじめる。サルタンの息子は主人公との関係を「バットマンとロビン」になぞらえることで理解するし、沼人は主人公とタブーである奇怪な生物ダイナの関係を「妻」として納得する。沼人の少女は主人公の空想の姉妹マギーの名を与えられて、ジーパンにヨギベアーのTシャツをまとう....と、それぞれがそれぞれに、枠組みを乗り越える。だからこそ、「殺人事件の目撃者」であるチンパンジー、ダイナは、サルタンの殺人犯をその指で指し示す。 この奇妙な価値転倒の味が一番のディキンスンらしさ、と評者は思う。 世界は二つあり、いずれもまことだ。(中略)すべを知るものは、一つのことを二度行える。それぞれの世界で一度づつ。人の魂は語る言葉の内に住む—そうでなくてなにゆえ、唄い手は聞く者の魂を踊らせられる? |
No.2 | 6点 | 雪 | 2018/11/13 15:24 |
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砂漠に聳え立つ逆ピラミッド型の宮殿。それはアラブ部族クカトの君主、スルタンが贅を尽くして建造したものだった。
イギリス人の心理言語学者ウェズリー・モリスは、ふとしたいきさつから宮殿動物園の管理者となり、ダイナと名付けた雌のチンパンジーに言語を教え込む研究に夢中になっていた。モリスの関心事はダイナと、クカトと盟約を結び保護された、沼族と呼ばれるあらゆる世界から隔絶した民族集団だけ。 平穏な生活は、ハイジャックされた飛行機が宮殿の近くに不時着した事から軋み始める。ハイジャック犯ただ一人の生き残りの女性アンが、スルタンの後宮に迎え入れられたのだ。 そしてある日、スルタンと沼族の護衛ダイアルが、互いに銃を撃ち合ったとも見える状況で発見された。ダイアルは既に死亡し、スルタンもまもなく息を引き取る。クカトと沼族の盟約は踏みにじられたのだ。 モリスは双方の衝突から沼族の文化を守るため、奔走するはめになるが・・・。 100冊目は難物作家ディキンスン。再読です。初読時はどこが面白いのやら正直サッパリだったんですが、今回は粗々ながらコツが掴めたかなと。 解説にもありますが、半分がたはスローテンポ。本筋とは無関係と思われるけったいな異空間の描写や、言語・文化人類学的なアプローチが延々と続きます。しかしいったん殺人が起こると今度は急にハイピッチな展開になり、そのまま最後まで突っ走ります(モリスの沼族部落行きも密接に事件に関わってきます)。 自分としては前半部分が面白かったですね。この作家には延々と知的ディスカッションを楽しむような所があります。それについていけるかどうか。主人公のモリスも感情とは無縁に等しく、グラマーなアンが傍らに佇んでも、心にはかすかにさざ波が立つばかり。本人も性欲の薄さを自覚しています。小説の文体も知に傾いていて、感情的なカタルシスなど欠片もありません。 それも無理はないのですね。モリスはイギリス社会に違和感を持ちクカトに流れ着いたアウトサイダー。殺人が起こっても欧米的価値観による正義の執行など期待できず、同様にクカトによるアラブの正義も、彼にはなんの意味もありません。殺されたスルタンとさして親しかった訳でもないのです。 さらにアラブ側の思惑の裏には、沼族の領域の地下に眠る石油資源の存在があります。 この小説のサスペンスは異文化同士ののっぴきならぬ対立をどうやって回避するか、盟約が破られておらぬ事をアウトサイダーたるモリスが、どうやってアラブ人たちに認めさせるかです。その手段として殺人事件とその解明が使われるということ。異なる価値観を持つ社会が、我々以外に二種類登場するのがミソ。でも必死こいたその結果は諸行無常と言うか。 トリック自体はたいしたもんではないので、せいぜい物語のオマケといった所でしょう。勿論一応の伏線は張られていますが。 「キングとジョーカー」で、ルイーズ王女が乳母ダードンの口にスプーンで食事を運ぶ所とか、本書で沼族の少女が水洗レバーをおもちゃにする所とか、時々やけにリアルな描写があるのもディキンスンの特徴。あまりミステリ要素だけに拘らず、もう少し読んでみようかなと思います。 |
No.1 | 4点 | nukkam | 2016/06/11 07:15 |
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(ネタバレなしです) 1974年発表の本書はジャンルとしてはシリーズ探偵の登場しない本格派推理小説に分類できる作品ですが相当奇妙な味付けがされた作品です。謎解きプロットは意外とストレートなのですが、これでもかと言わんばかりの独特な世界の描写に圧倒され、ミステリーであることを忘れてしまいそうです。空想世界を舞台にするのはディキンスンの得意とするところですが、架空のアラブ人や沼族の風俗習慣、チンパンジーの学習プログラムなどあまりにも異世界的で、私のような想像力も読解力も乏しい読者には厳しい作品でした。 |